人気ブログランキング |

<   2018年 12月 ( 6 )   > この月の画像一覧

(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)

題:(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月24日、御前会議が開かれ、ロシア帝国、ドイツ帝
 国、フランスの三国の行なった干渉に対する処置方法に
 関し、討議がなされた・・、
  拒否案、列国会議検討案、妥協案の3つについて検討
 がなされた。
  要求された翌日のこの日、大本営の置かれていた広島
 で、急ぎ、御前会議が開かれた。
  伊藤博文総理大臣はが提議したのは・・
  (1)勧告を拒絶して戦うか、
  (2)列国会議を開いて遼東半島問題をその会議で処理す
   るか、
  (3)勧告を受け入れて恩恵的に清国に還付するか・・、
 の3案を提案した。
  討議の結果、第二案を採択した。
  しかし、舞子(神戸市)で、病気療養中の陸奥宗光外
 務大臣は・・、
  列国会議は、新たな干渉を誘発する危険もあるとして
 反対した。
  下関条約は、あくまで批准して、交換し、日本の面目
 と威厳を保つ・・、
  それとは別に、遼東半島の還付を考えるべきことを提
 案した。
  これに、伊藤も賛成し、天皇陛下の御裁可を得た。
  陸奥は、三国への回答を引き延ばすかたわら・・、
  イギリス、アメリカ、イタリアなどをして、ロシアら
 三国を牽制させる方策をとった・・そして・・、
  金州庁(遼寧省大連市に位置する)を除く遼東半島の放
 棄や、開港場の自由港化などの打開策を打診したが、も
 っとも頼りにしたイギリスが動かなかった。
  万策がつきて・・、
  1895年5月4日、日本政府は、遼東半島の放棄を決定し
 た。
  翌1895年5月5日、三国に通告し、
  1895年5月10日、天皇陛下が詔勅で、その旨を国民に告
 げた。
  1895年11月8日、日清両国は、遼東半島還付条約に調印
 し・・、
  日本は、還付の代償として庫平銀(こへいぎん)3000万
 両(テール)(邦貨4500万円)を受け取った。
  この様な遼東半島についての動きは、それまで、中国
 の周辺部分の侵略にとどまっていた列強の領土欲を刺激
 した。
  列強諸国は、中国の分割を、一気に、中国の中央部に
 まで広げた。
  三国による干渉は、中国を分割して奪い取る列強の公
 然たる争いの第一歩を始めさせた。
  日本は、三国干渉後、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」
 の声のもと、卑劣な対ロシアに備える必要を強く感じさ
 せた。
.
1895年4月28日、三宅米吉、小杉榲邨、下村三四吉らが考古
 学会を設立し、発会式が執り行われた。
  帝室博物館(現:東京国立博物館)を母体にして、当
 時、東京師範教授であった三宅米吉を中心とするもので、
  三宅起草の設立趣意書に・・
  「本会は、同志相集まり本邦考古学の研究に従事する
 ものにして、其の目的は、本邦歴世の風俗・利度・文物・
 技能を明らかにするにあり」とあった。
  当時、人類学会(東京帝国大学人類学教室が母体)が
 石器時代の考古学分野まで担っていた。
  考古学会は、弥生・古墳時代を中心とした。
  1896年、機関誌『考古学会雑誌』が発刊され、28冊を
      刊行し・・
  1900年、機関誌が3篇4号で終刊した。
      そして、機関誌は『考古』と改題されて1-7号
      を刊行した。
  1901年、機関誌が『考古界』と改題され、96冊を出し
      て8篇12号で1910年に一旦終刊した。
  1910年9月25日、『考古学雑誌』が創刊され、現在に
   至る。
  1941年1月、日本考古学会と改名。
      日本考古学会は、現在も、東京国立博物館に
      事務所を置き、雑誌発行を続けている。
.
1895年4月30日、閣議が、三国干渉の部分的受け入れを決議
 した。
.
1895年4月、北極点の到達
  ノルウェーの海洋探検家、及び、政治家のナンセンが、
 北極点に到達した(北緯86度14分)・・、
  1861年10月10日、オスロ郊外の農家の家に生まれた。
  1879年(18歳)スケートのスピード世界記録を破り、
   スキーも名手となる。
    オスロ大学で生物学を修める。
  1882年(21歳)ナンセンは、クリスチャニア大学で動
   物学を専攻し、この年、オットセイ猟船でグリーン
   ランド海に動物生態学調査を試みた。
    グリーンランド東海岸と西海岸を探検し、「エス
   キモーの生活」を著述した。
  1888年(27歳)北緯64度を越えて、スキーでグリーン
   ランドの横断に成功した。
    ゴットホープで越冬し、エスキモーの生活を研究
   した。
  1893年6月(32歳)特殊構造の船を造って、氷に凍結さ
   れたまま北極海を横断するという大胆な計画を立て、
   この年、実行に移した。
    13人の隊員を乗せたフラム号はオスロから出航し、
  1893年9月(32歳)シベリア北岸に沿いにノボシビルス
   ク諸島北方から氷に囲まれ、氷盤に乗って漂流を開
   始した。
  1895年3月14日(34歳)船の北進が止まった北緯83度59
   分から、
    ナンセンは、途中、F・ヨハンセンを伴って下船
   し、犬ぞりとカヤックで、北極探検に向かい、群氷
   に乗り上げたが、そりによって・・
  1895年4月8日(34歳)当時、前人未到の最北到達点の
   北緯86度14分に達し、北極地方が海洋であることを
   立証した。
  1896年8月(35歳)ノルウェーの帰国した。
  その後、学究生活に入り、オスロ大学動物学教授、海
 洋学教授を歴任、ロンドン駐在公使を務め・・
  第一次世界大戦中の捕虜送還、難民救済や戦後の平和
 処理や軍縮問題の解決などに貢献した。
  1922年(61歳)ノーベル平和賞を受賞した。
  1930年5月13日、没した(69歳)
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければならない・・
    まったく、のほほんとしている日本人・・
    心構えも、準備も、まったくしていない・・
    他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
    日本は心配だ・・
.
1945年6月22日、昭和天皇陛下は、常に戦争に否定的なお立
 場であられた。
  昭和天皇陛下が、この日、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳
 外相、阿南惟幾陸相、米内光政海相らの最高戦争指導会
 議の6名の構成員を前に、「時局の収束(戦争を終わら
 せる)ように・・」と求めた。
  しかし、この時、アメリカは、「原爆を試したい」と
 いう思惑から、日本の降伏条件を「なかなか示さないで
 いた」。
  ドイツが降伏しても、アメリカは、日本の降伏条件を
 示さなかった。
  さらに、沖縄戦が終息しても、一向に降伏条件を示さ
 ず・・、
  そして、1945年7月になって、やっと、アメリカは対日
 宣言をした。
  しかし、アメリカは卑劣だった。
  アメリカの態度はあいまいだった。
  正式な外交文書という形では示さず・・あいまいな発
 表の形をとった。
  だから、「日本が、正式に対応できない」というやり
 方だった。
  原爆の完成の時間稼ぎだった。
  アメリカは、日本が、完全に受け入れなければならな
 いという状況にあることを知っていて、その様な推移を
 させた。
  日本が受け入れに「動けない様な」入念な細工を行な
 った。
  それを示す一つが、アメリカの陸軍長官のスティムソ
 ンの原案には、天皇の地位保全があったが、その条項を
 削って宣言をした。
  そしてさらに、日本に、その宣言が正式の外交文書だ
 と思わせないように作成した。
.
1945年8月1日、アメリカの原爆投下の準備が完了する予定
 日が8月1日だった・・
  カルフォルニア大学教授の長谷川毅氏の本「暗闘。ス
 ターリン、トルーマンと日本降伏」で、原爆を投下した
 から日本が降伏したのではない・・、
  ソ連の参戦こそが、日本の降伏の決定的要因だ・・と、
 指摘している。
  アメリカの「100万人の兵士が、死なないで済んだ」
 というあり得ない「デッチ上げのプロパガンダ」を嘘話
 としている。
  「新兵器の効果を試す」という「悪魔の行為」を、ア
 メリカは、やったのだった。
  ソ連が参戦すれば、日本が降伏するという事を知って
 いたアメリカは、だから、しきりに、ソ連の参戦の日が
 知りたかった。
  アメリカ大統領のルーズベルトが、卑怯にも、ソ連と
 日本に中立条約があって、交戦しない取り決めが出来て
 いたのを、それを知りながら、ソ連をそそのかして、そ
 の条約を破棄して、「日本の領土を奪ってしまえ」とそ
 そのかした。
  それで、ソ連は、そのアメリカのそそのかしに、領土
 欲の強いスターリンは乗っかって、アメリカ言う通りに
 参戦するとアメリカに返事をした。
  そのようなソ連だった。
  しかし、そのソ連が、対日参戦をすると、日本が降伏
 すると知っていたアメリアは、その参戦の行なわれる日
 を知りたかった。
  日本が降伏する前に、原爆を完成させて、日本で試し
 たいからだった。
  1945年5月下旬、ルーズベルトは、個人特使のハリー・
 ホプキンスをモスクワへ派遣した。
  ソ連の対日参戦の「正確な日」を探るためだった。
  アメリカの原爆投下の準備完了予定日は、1945年8月1
 日だった。
  それ以前に、ソ連の大規模な機甲部隊が、一方的に条
 約を破って侵攻が始められたらまずい事になるからだっ
 た。
  アメリカは、アメリカ国民の方々の目を誤魔化して、
 原爆開発を進めていた。
  莫大な原爆製造のための支出をレスリー・グローブス
 管轄下の工兵団の予算の中に隠していた。
  アメリカ議会も承認しないで進められていた。
  その卑劣なやり方も、大問題化してしまう。
  巨額な資金を投入していた。
  アメリカ国民の方々は、当然、納得などしない卑劣な
 行為となってしまう。
  そして、アメリカは、ソ連参戦日を1945年8月8日だと
 知る。
  そして、広島の原爆投下を、その前日の1945年8月7日
 とした。
,
1945年8月15日、日本降伏の玉音放送がなされた。
  日本国民に向けてのに玉音放送に対し、支那派遣軍と
 南方軍は、これに抗議した・・
  連合国軍は攻撃を停止した・・
  しかし、アメリカ軍は、この日まで攻撃を続けていた・・
  日本国内では、鈴木貫太郎内閣が総辞職をした。
.
1945年8月28日、アメリカ軍のテンチ陸軍大佐以下150名が
 横浜に初上陸した。
  そして、横浜に、連合国軍本部を設置した。
  以後、全国で人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐軍兵力
 は最大で43万人となった。
  特殊慰安施設協会が設立され、各所に慰安所が設置さ
 れた。
  多くの日本女性が慰安婦にされた。
  そして、占領政策をする進駐したアメリカ軍の政策の
 一つが・・
  日本の主要鉄道網を支配下に置いた。
  東京、横浜方面の国電の先頭車両をRTO(進駐軍鉄
 道事務所)の文字と、白線を塗らせて、専用車両とし、
 日本人を乗せなかった。
.
1945年9月11日、GHQのマッカーサーが、東條英機らの
 A級だと勝手にランク決めをした戦犯容疑者の40人に逮
 捕命令を出した。
  東條英機、東郷茂徳、嶋田繁太郎、賀屋興宣、
  鈴木貞一、岸信介、岩村通世、小泉親彦、橋田邦彦、
  井野碩哉、村田省蔵、寺島健、上田良武、本間雅晴、
  黒田重徳、長浜彰、太田清一、鈴木薫二、徳田久吉、
  飛田時雄、長内茂、三浦宗一、竹内寛、
  ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一
  また、この日、外国人戦犯(15人)にも逮捕命令を出
 した。
  テイモン:日本占領中の駐日ビルマ国大使。
  アウンサン:ビルマ大使館付陸軍武官、ビルマ独立軍
   組織者。
  ホセ・ラウレル:日本占領下で独立したフィリピン大
   統領・・アメリカの卑劣さが出ている。
  ベニグノ・アキノ・シニア:フィリピン国民会議議長。
  ホルヘ・バルガス:駐日フィリピン大使。
  ワカタン・ウィチット:駐日タイ大使。
  マーヘンドラ・プラタップ:インド独立運動家、アリ
   アン義勇軍指導者。
  ハインリヒ・スターマー:駐日ドイツ国大使。
  アルフレート・クレッチマー:ドイツ大使館付武官・
   陸軍中将。
  ヨーゼフ・マイジンガー:ドイツ大使館付警察武官、
   逮捕後ポーランドに移送された。
  ジョシアス・パンディユンスト:ラジオ東京・オラン
   ダ語放送員。
  リリー・アベック:ラジオ東京・ドイツ人放送員。
  チャールズ・カスンズ:ラジオ東京・オーストラリア
   人放送員。
  ストリーター:東京ラジオ放送原稿係・アメリカ人。
  ジョン・ポーランド:上海ラジオ・オーストラリア人
   放送員。
  日本が、アメリカから解放したフィリピンの要職の方々
 が多く逮捕された(仕返し)。
.
1945年9月15日、東京・日比谷の第一生命相互ビル(現、D
 Nタワー21、第一・農中ビル)が接収された。
  占領軍の民間検閲支隊長が、同盟通信社の海外放送を
 禁止させた。
  そして、100%の検閲を実施すると表明した。
  (参考)民間検閲支隊:又は民間検閲局、もしくは、
     民間検閲部隊は、日本の占領期間に検閲を実行
     した機関。
      連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)配下の
     参謀第二部(G-2)所管下の機関。
.
1945年9月17日、マッカーサーが、東京の本部に入って、日
 本進駐が順調に行われたことから・・
  「進駐兵力は20万人に削減できる」と声明した。
  しかし、この発言は、アメリカの許可無く発言をして
 いて、トルーマン大統領の疑念を招いた。
.
1945年9月18日、鳩山一郎談話などをを掲載した『朝日新聞』
 が、GHQから発行停止命令を食らった(SCAPIN-34)。
  2日間の発行停止処分。
.
1945年9月21日、東京飛行場(羽田)を接収すると、GHQが
 命令した。
  それに伴い、GHQは、海老取川以東の住民に、48
 時間以内に立ち退けと「強制立退きを命令した」。
  3000名、1200世帯の緊急の強制立ち退きとなった。
.
1945年9月21日、GHQが、戦犯だとして2名を逮捕した。
  土肥原賢二、阿部信行
.
1945年9月22日、GHQが、放送規則を発令した。
  日本放送遵則 (Radio Code for Japan) を発令。
  放送に対する検閲命令。
  ラジオコード(SCAPIN-43)の指令。
  また、この日、アメリカ政府が、「降伏後ニ於ケルア
 メリカノ初期ノ對日方針」を発表した。
.
1945年9月24日、GHQが、「新聞界の政府からの分離」を
 命令した(SCAPIN-51)
.
1945年10月1日、GHQが、「連合国、中立国、敵国の定義
 に関する覚書」を通達した。
  朝鮮・台湾などが日本ではなくなった(日本国籍から
 の離脱)
.
1945年10月1日、アメリカで戦略諜報局(Office of Strategic
 Services)が解散した。
  (参考)戦略諜報局:1942年6月13日~1945年9月20日
     第二次世界大戦中のアメリカ軍の特務機関で、
     諜報機関。
      戦略諜報局、戦略情報局、戦時情報機関や特
     殊戦略部隊、戦略事務局、戦略任務局など多数。
      1941年7月に設立された情報調査局(COI)
     の後身で、後の中央情報局(CIA)の前身。
      ウィリアム・ドノバン少将によって設立され
     た。
.
1945年10月8日、GHQが、「自由の指令」をした。
  思想・言論規制法規の廃止、内務大臣らを罷免、特高
 の廃止、政治犯の釈放等・・思想・言論規制法規の廃止。

.
1945年10月9日、GHQが、新聞の検閲を始めた。
  GHQ(進駐軍)が、朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、
 日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して、事前検閲
 を開始した。
.
1945年10月11日、GHQが、五大改革と憲法改正を指令し
 た。
  女性の解放と参政権の授与、労働組合組織化の奨励と
 児童労働の廃止、学校教育の自由化、秘密警察制度と思
 想統制の廃止、経済の集中排除と経済制度の民主化を指
 示。
.
1945年10月22日、GHQが、「日本教育制度ニ対スル管理
 政策」を発令した(SCAPIN-178)
.
1945年10月22日、GHQが、戦犯だとして1名を逮捕した。
  安倍源基
.
1945年10月30日、GHQが、「教育及ビ教育関係官ノ調査、
 除外、認可ニ関スル件」を発令した(SCAPIN-212)
.
1945年10月31日、GHQが、軍国主義を唱える教員の追放、
 および、同盟通信社の解体を指令した。
  (参考)同盟通信社: 1936年1月に創立された。
     第二次世界大戦の終結時まで日本の最有力通信
     社であった。
      それまでは新聞聯合社と日本電報通信社(電通)とい
     う二大通信社が対立競争していたが、海外宣伝
     を重視した政府はその統合による有力通信社の
     設立を念願し、両社を統合、国内有力新聞200社
     と日本放送協会(NHK)を会員として設立し
     た民間の社団法人。
      このからみもあって、NHKは、戦争の加担
     放送に協力した。
      1945年9月14日、GHQは同社に即時業務停止
     を命令した。
      1945年10月31日、解散し共同通信社と時事通
     信社に分離した。
.
1945年11月6日、GHQが、財閥解体を指令した。
  戦争の経済的基盤になったとされる財閥を解体するこ
 とで、日本の経済支配体制の壊滅を目的として行われた。
  この政策よって、三井、住友、三菱、安田、富士の大
 財閥を解体すべきと指定した第一次財閥解体から・・、
  財閥参加の持ち株会社を解体した第五次財閥解体まで
 財閥の指定、そして、解体が行なわれた。
  合計およそ80以上の財閥が解体された。
  アメリカは、アメリカに無い日本の財閥の制度的特質
 を軍国的温床となったと見なし、持株会社の解体、財閥
 家族所有の株式の買い上げ、財閥家族の役員就任の禁止、
 商号使用禁止、企業規模の制限などを行った。
  財閥家族を社員とする持株会社を頂点として、傘下企
 業に対する株式所有、および、役員兼任の組合せによっ
 て形成される状態が気になって行った措置。
.
1945年11月19日、GHQが、戦争犯罪人だとして逮捕を指
 令した。
  これによって、松岡洋右・小磯国昭ら主要な大臣や軍
 上層部など11人が逮捕された。
  荒木貞夫、小磯国昭、松岡洋右、松井石根、南次郎、
 白鳥敏夫、本庄繁、鹿子木員信、久原房之助、葛生能久、
 真崎甚三郎
.
1945年12月2日、GHQが、戦争犯罪人だとして59名を逮捕
 した。
  軍の高官だけでなく、政界、財界など広く逮捕者が出
 た。
 畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、大川周明、
 佐藤賢了、鮎川義介、天羽英二、安藤紀三郎、青木一男、
 有馬頼寧、藤原銀次郎、古野伊之助、郷古潔、後藤文夫、
 秦彦三郎、本多熊太郎、井田磐楠、池田成彬、上砂勝七、
 池崎忠孝(赤木桁平)、石田乙五郎、石原広一郎、
 河辺正三、菊池武夫、木下栄市、小林順一郎、小林躋造、
 児玉誉士夫、松阪広政、水野錬太郎、牟田口廉也、
 長友次男、中島知久平、中村明人、梨本宮守正王、
 西尾寿造、納見敏郎、岡部長景、大倉邦彦、大野広一、
 太田耕造、太田正孝、桜井兵五郎、笹川良一、下村宏、
 進藤一馬、塩野季彦、四王天延孝、正力松太郎、多田駿、
 高橋三吉、高地茂都、谷正之、徳富猪一郎(徳富蘇峰)、
 豊田副武、津田信吾、後宮淳、横山雄偉
.
1945年12月6日、GHQが、民間人を戦争犯罪人だとして
 逮捕した。
  近衛文麿や木戸幸一など民間人9人に逮捕命令を出した。
 木戸幸一、大島浩、近衛文麿、酒井忠正、大河内正敏、
 緒方竹虎、大達茂雄、伍堂卓雄、須磨弥吉郎
.
1946年3月16日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕
 した。永野修身
.
1946年4月7日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕し
 た。岡敬純
.
1946年4月29日 GHQが、天皇誕生日のこの日を選んでA
 級とランク付けした戦犯と称せられた人々29名を起訴し
 た。
  また、この日、GHQは、戦争犯罪人だとして2名を逮
 捕した。梅津美治郎、重光葵
.
1946年5月3日、板垣 征四郎(いたがき せいしろう)陸軍
 大将が、第7方面軍司令官としてシンガポールで終戦を迎
 え、イギリス軍に身柄を拘束された。
  その後、連合国によりA級戦犯だと指定され、極東国
 際軍事裁判開廷初日の1946年5月3日に、空路で東京へ移
 送された。
  裁判において、確定訴因10項目の内8項目を挙げられ、
  訴因1では「1928年~1945年に於ける戦争に対する共通
 の計画謀議」を、
  訴因29、31、32ではアメリカ・イギリス・オランダに
 対する太平洋戦争の遂行を、
  他に、中国、ソ連、シンガポールにおける罪を問われ
 た。
  (これらは、国際法では罪にできないが、無実の罪に
 された)、
  そして、死刑判決を受けた。
  1948年12月23日、絞首刑が執行された。
.
1948年12月23日、木村兵太郎陸軍大将が、東京裁判の判決
 によって絞首刑が執行された。
  辞世の句は・・、
  「現身はとはの平和の人柱 七たび生まれ国に報いむ」
  「平和なる国の弥栄祈るかな 嬉しき便り待たん浄土に」
  「うつし世はあとひとときのわれながら 生死を越えし
   法のみ光り」
  死刑判決の下されが理由・・
  第3次近衛内閣・東条内閣で、東条陸軍大臣の下で次
 官を務めていたこと・・
  (この部署にいただけで権力を握っていたと見られて
 しまった)
  連合国は、日本の陸軍次官職について、自分の国の様
 に考えてしまい、欧米並みの政治的権限を持つと見てし
 まった。
  実際以上に、その権限を過大評価されて、死刑にする
 理由が薄弱であるのに、無実の罪にされてしまった。
  また、この日、武藤章陸軍中将が巣鴨プリズンで絞首
 刑が執行された。
  東条英機と対立して皇道派の山下奉文大将の部下に転
 じるくらいの人だったが、死刑にされてしまった。
  1944年10月に、第14方面軍(フィリピン)の参謀長に
 就任し、これは、第14方面軍司令官に任命された山下奉
 文の希望によるものだった・・その経緯で、フィリピン
 の地で終戦を迎えていた。
  東条英機氏は、武藤氏に「巻き添えにしてすまない。
 君が死刑になるとは思わなかった」と言ったという。
.
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が、この日に、
 署名されたが・・?
  日本は、当然ながら主権を持った国家である。
  国際法は、主権を持った国家は・・、
  自分自身で『正義を決める体系を持つことができる』
  自分自身で『正義を決めることを認められている』と
 ある・・当たり前である。
  当然である。
  「これが正義だ」なんて、他国から押し付けられたら、
 たまらない・・、
  主権を持った国家が、どこの国からでも、他の国から、
 「それは駄目ではないか、止めなさい」・・なんて言わ
 れたらたまらない・・
  国際社会、当然、その様に言われることはない・・
  当然、他の国も、第三国へ押し付ける事も出来ない・・
  この様に、国際法は決めている・・、
  また、逆に・・、
  「これが良いのだから、正義だから・・やりなさい」・・
 などとは言われない・・
  この様な事が・・国際法には認められている。
  主権を持った国家は、自国の考えで・・自主的に、自
 分で良いと思えることを、正義と思えることを決める事
 が出来る。
  当然の当然である。
  サンフランシスコ講和条約の時、この条約の11条に、
 「日本は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決を受諾し」
 という一文がある・・、
  そして、この文が言わんとした事は・・、
  この文の後に・・「刑を執行する」とある。
  この時に、刑に服していた人に関する判決の執行方法
 についてのみ、日本は受け入れるという意味である。
  (因みに・・、
  東京裁判で、死刑判決を受けた日本人のうちの一人・
 東条英機氏の刑が執行されたのは、1948年(昭和23年)
 12月23日)だった・・そして・・、
  サンフランシスコ講和条約は、1951年4月28日の署名で
 あるから・・
  つまり、アメリカは、主権国家の日本の「承諾なし」
 に、日本人・東条英機氏の死刑を執行してしまっていた・・
  日本の国家としての主権を犯す条約文となっている・・
  国際法上、要求してはいけない条文である・・
  英文の条約文でも、その様になっている。
  東京裁判による「その時代の解釈のすべて」「その正
 義」を受け入れよとは、なっていない。
  その様なところまでは、主権を持った日本へ押し付け
 る事は出来ない。
  国際法に則(のっと)った「東京裁判の判決を受諾し、
 刑を執行する」という「刑の執行」の受諾なのである。
  刑の執行を「するかしないか」は、独立した後の日本
 の判断で行なうべきなのである。
  条約の『正規』の文である英語文の条約文は、その様
 になっている。
  必ずしも、刑に処せられなくてもよい方々が、刑を執
 行されてしまった。
.
2018年12月22日、【討論】中国経済は本当に崩壊するのか?
  [桜H30/12/22]
  https://www.youtube.com/watch?v=wySjAIDCTg4
  パネリスト:
  川島博之(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)
  澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
  田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
  福島香織(ジャーナリスト)
  松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
  宮崎正弘(作家・評論家)
  渡邉哲也(経済評論家)
  司会:水島総
  内容・・
 ・来年(2019年)リーマンショック以上の中国発の経済
  ショックが起きる。
 ・中国に通信分野の覇権を握らせない・・どうすればよ
  いか?
 ・通信利権の取り合いが始まる。
 ・5Gはハーウェイが握っている。
 ・アフリカが中国に牛耳られるのを、ヨーロッパは許さ
  ないだろう。
 ・中国の方たちは、共産党権力とつながりを「持つか」
  「否か」で人生が決まってしまう。
  しかし、だから、皆がつながりを持つかというと・・
  事をよく知る方々は、だからこそ、繋がりを持たない
  という方々もいる・・
  その様な権力なのだと見る人たちもいる。
 ・中国で、東大留学が重く見られなくなっている。
  雲の様な幻想の状態になっている。
 ・AI監視社会となっている中国。
 ・日本は、中国人留学生を優遇し、呼ぼうとしているが、
  アメリカは逆である・・1年の許可年限と短くした・・
  そのため、中国人留学生が卒業もできなくなっている。
  (スパイもどきと見られているから?)
 ・だから、一旦、中国に帰国したら、再入国をさせない
  ようにしているアメリカとなっている・・それは、ス
  パイとなっての再入国の可能性が高いと見ているから・・
 ・北海道の帯広に、広大な土地を中国は買った・・中国
  への輸出用の野菜作りをし始めている。
  あたかも、中国の植民地の様な状態となっている・・
  行けども行けども中国の土地という状態となっている・・
  そして、何故か? その中国の土地が、自衛隊基地の
  周りが・・その様な状態になっている。
 ・理系の中国人留学生は、そのほとんどがスパイと言わ
  れている。
 ・遣唐使は、皆、日本に帰って来た・・しかし、唐から
  の遣日使は、中国には帰らなかった・・日本が素晴ら
  しいから住み付いてしまった・・遠い昔から、日本は
  その様な国だった。
 ・ウイグル学生が留学しにくくなっている・・されてい
  る。
  また、日本に来たウイグル留学生は・・中国へ帰国す
  ると拘束される・・
  そのため、帰国しにくい状態になっている・・帰国し
  たくないという状態になっている。
  その様な時に、親が「スパイになれ」と言って来る。
  「親に圧力がかかっている」ということを、必死に訴
  えて来る。
 ・東京大学の学生の1割が、中国留学生となっている。
 ・ITの優秀教授が特に狙われている。
 ・足跡を掴まれない様に、行動を掴まれない様にするた
  めにパスポートは何通も出している・・所持している。
 ・NHKは、何の経緯(いきさつ)があるのか?・・何
  か中国に借りがあるのか?・・国会の審議の総べてを、
  委員会の審議の動画を(放送されない分も含めて・・
  すべての物を)を中国へ渡している。
  中国の日本の政治家への圧力が強いと言われているが、
  この様なデーターがあるからと考えられる。
  日本の政治家が、中国寄りになっている原因の根本に、
  この様なNHKの行為が存在している。
  NHKのスパイ行為である。
  国益を損なう行為をしているNHK。
 ・次世代5G技術の争奪戦が熾烈化している。
  いずれ世界はAIで二分割する。
  アメリカと中国は、それぞれが別個のAIスペースを
  形成する。
 ・中国は、技術をアメリカから盗んでいるが、潰れたド
  イツの会社を買ったりもしている。
  台湾系の技術も盗んでいる。
  5倍の給料で引き抜くこともしている。
  これで、ほとんどの優秀な技術者が中国へ行った。
  その様な金のない日本企業・・それができない日本。
  デジタル・エコノミーは完全に日本は追いつけなくな
  ったという・・
  「完敗しました」という日本の状態だという。
  しかし、状況の流れは、中国はまずい状況を作ってい
  る・・その戦いはアメリカが勝つだろう。
  鄧小平の時は夢があった・・しかし、習近平の今は夢
  が持てない・・
  今、アメリカは、徹底的なぶっ潰しにかかっている。
 ・人民元は、ドルで補償がなされ、そして、できた・・
  しかし、今は、その状況が崩れてきている・・
  中国は、悪性インフレとなる・・そして、クラッシュ
  が起きる
 ・それを、日本は座視できない・・日本が一番影響を受
  ける。
 ・中国はバブルが崩壊すると言われて来たが、いよいよ
  始まる状態・・
  また、社会に不満が蓄積されている・・習近平の権威
  が低下してきている・・
 ・事実上崩壊している多くの中国・国有企業に人民元が
  大量に融資されている・・崩壊隠しがなされている・・
 ・不動産が売れないので、資金が回らなくなっている・・
  市場も縮小されて来ている・・
 ・データー覇権の争いが起きている・・
  暗号通貨を作ろうとしている中国・・
  ドルの通貨経済圏を乗り越えるための行動なのだ・・
  その時、日本はどうするのか?
  今、これの、水面下の争いが起きている・・
 ・アメリカは、台湾の防衛シフトを敷いている・・海兵
  隊も入っている・・台湾の方々は、これで中国の武力
  侵攻が無くなったという話も出ている・・
 ・人民解放軍(300万人)と武装警察が強い中国。
  しかし、この組織の天下り先の国営企業が景気が良く
  ないので、退役軍人(5700万人)のデモが起きている。
  ものすごいデモだった・・
  デモができるまでに支援したグループも存在している・・
  習近平は人民解放軍を掌握していない・・
  退役軍人の行き先が無い・・30歳代で退役しても良い
  働き場所が無い・・その不満が蓄積している。
 ・中国の外貨準備は減っている。
  そして、チャイナ・プレミアムが付けられる状況にな
  っている。
  中国株式はどんどん下がっている。
  来年(2019年)、世界にグローバル不安が増す。
  輸出主導型経済の日本は打撃が大きい。
 ・ゴーン・ショック・・
  事件の背後にある国家戦略と世界経済の行方・・
  ファーウェイ問題も米中対立・・
  英EU離脱も全部つながっている!
 ・現在の米中対立いざこざによって、グローバリズムの
  基礎要件が完全に壊れた。
 ・中国の国際法を守らない行動によって、世界的な、グ
  ローバルな行動がとれなくなっている。
  世界は二分化されていく・・陣営作りが始まる・・そ
  こに痛みが生じる・・
  一方、巧妙な脱税集団が問題化されて来て、暴(あば)
  かれて来ている。
  今までの、この世界の、グローバルな動きの中で巧妙
  に稼いで来たのが中国・華僑・・そして、レバノン人、
  印僑・・ユダヤ・・
 ・ソフトバンクも怪しい・・有利子負債が18兆円・・利
  払いはソフトバンクに頼っている・・
  ファーウェイ問題で、そのビジネスモデルが怪しくな
  っている・・
  ファーウェイ問題で、ファーウェイ製品を全部外すと
  孫さんが言わざるを得なくなっている・・日本人達よ!
  損をする可能性が出て来ている・・
 ・今、最先端の5Gの考え方に、日本の政治家たちが付
  いて行けなくなっている・・
  これから来る未来に、付いて行けない恐怖感が存在す
  る・・
  中国は一つのポジションを占めている・・日本はどう
  するのか?・・それは緊急に考えなくてはいけない課
  題・・世界的トレンドのブロックチェーン革命に、日
  本の存在を示せ・・
 ・アメリカ・ドルの裏付けは石油と穀物・・
  その様な裏付けのない中国の人民元・・ただの紙切れ
  状態・・金本位制が破綻したのは、金の量の上限があ
  るから・・
  中国が、仮想通貨で延命できるかは怪しい?・・
 ・日本がやるべき大切なことは、日本にある個人情報を
  持って行かれないようにすること・・
  日本は、決裁システムに中国系のアリババなどを入れ
  ないで、日本独自のものにするべき・・
  白物家電で、日本が失敗したように、日本の最先端技
  術はファーウェイなどへ持って行かれない様にする・・
  だから、中国で物を作る様な事をしない・・
  「技術内容を明らかにせよ」という中国は駄目だ・・
  また、「中国から資本を持ち出せない」という問題点
  のため、中国の日本企業に、内部留保の金が溜まって
  いる。
  日本は、これを打開する仕組みづくりをするべき・・
  これをしないと、近々迫る中国のはじけた時に、今ま
  での努力が水の泡となる・・
  はじけるのは秒読み段階?・・中国で一番はじける心
  配な所は、上海、深圳、広州、北京あたりで一斉には
  じける・・
  中国政府は、一斉にはじけさせないという検討をして
  いるくらいの状況・・
 ・だから、輸出主導型の日本経済を進めて来て、消費税
  を上げるというのが一番まずいこと・・
  やれば、最大の失敗になるだろう・・
  日本側で出来る事は、この消費税の問題だけ・・
  できたら、逆に、消費税のパーセントを低くして行け!・・
  財政赤字の嘘をもう言うな!・・
  リーマンショックの時に、日本が一番打撃を受けたが、
  その二の舞となる・・
 ・中国がガタガタになると、世界の貿易が縮小する・・
  そして、日本が打撃を受ける・・
  中国・人民元の大暴落が起きて収束するしかない・・
  裏付けのない人民元が元に戻る・・紙切れ状態に・・
 ・日本は減税策を検討して行け!
 ・中国が、かなりやばい所に来ているのは真実・・今ま
  での歴史の様に、急に変わる中国となる可能性がある・・
  それに、的確に対応することが日本の課題・・対応を
  誤らないのが日本の課題・・
 ・中国は、資金を国外に出せない様にしているが、それ
  をしなかったら、一斉に資金が引き上げられて、中国
  の息の根が止まる・・
  その様な状況に、今はある・・
 ・中国には、ゾンビ企業と言われている企業が2000社あ
  る・・
  ゾンビ企業(ゾンビきぎょう)とは、経営が破綻して
  いるにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
  存続している企業・会社のこと・・
  中国・国有企業ととすると1社あたり5万人、2000社な
  ので1億人、その家族を考えると4億人・・この人たち
  のために中国は、人民元を刷らなければならないとい
  う中国の今がある・・中国のアキレスけんとなってい
  る・・
 ・今、日本は、日本の技術で「独自の情報技術を作るの
  だ」という決意を固めなければならない時だ・・
  ブロックチェーン化も進める・・
  アメリカや中国がどう出ようが、この道を進めて行く
  べき・・
 ・日本のリスクは、政治家や経営者に中国が見抜けてい
  ないところ・・そして、判断が後手に回っていること・・
 ・中国に居る企業は、早く逃げるにかぎる・・
 ・中国の、ある程度の地位のある人は、7つ8つのパス
  ポートを持っている・・それは、いざという時に、動
  けなくなるリスクを回避するためにそのようにしてい
  る・・
  この様にしているのは、中国のスパイだけではない・・
  中国では当たり前のこととなっている・・
  長年、中国でやって来た日本の企業の人たちも、その
  事を知っていて、複数のパスポートを持っている・・
  その様な日本人が、いっぱいいるという常識・・
  来年(2019年)は、クエスチョンの年になるのか?・・
 ・中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければ
  ならない・・
  まったく、のほほんとしている日本人・・
  心構えも準備も、まったくしていない・・
  他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
  日本は心配だ・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


by suba28 | 2018-12-29 04:16 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)

題:(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月17日、日清講和条約が調印された。
  日清戦争での日本勝利を受け、下関条約が締結された。
  日清戦争は終結した。
  日清戦争動員兵力:12万人、
  戦病死:17,000人、
  軍事費:2億3000万円。
  清大使・李鴻章馬関に来たり講和成る(氷川清話)
  勝海舟は、遼東新領土に対する画策をたてて、一、二、
 意見を示す。
  後三国干渉のこと起る、物議騒然(氷川清話)
  下関条約の内容・・
  一、清国は、朝鮮が独立国であることを認め、承認す
   る。
  二、遼東半島・台湾・澎湖島を譲り渡す。
  三、清国は賠償金として二億両(約三億円一千万円)
   を日本に支払う。
  四、沙市・重慶・蘇州・杭州の港を開き、開市し、日
   本が自由に産業活動に携わる事が出来ることを認め
   る。
  台湾を譲り受けた日本、当然、台湾は、清朝から日本
 の統治下に入り、台湾には台湾総督府が置かれた。
  そして、政策として、台湾製糖が設置されたりして、
  また、民間から、大日本製糖などの製糖会社ができ、
 日清汽船(大阪商船)などの水運会社が、上海航路を結
 んだりして、台湾は、経済的に潤って行く。
  しかし、この下関条約が結ばれて後、日本は、アジア
 に出てきた黄色人種として「出る杭は打たれる」となっ
 て行く・・
  日本は、日清戦争に勝ったからと言って、アメリカや
 ヨーロッパの様な「自分の国が利益が得られれば良い」
 という利己的な条約を結んだのではなかった。
  日本は、朝鮮の事を思い、「中国・清は、朝鮮の独立
 を認める」という条項を約束させた。
  中国・清の「冊封体制を止めさせる」という事を約束
 させた。
  また、これまで・・問題となっていた台湾や、遼東半
 島を、日本は金を支払って譲られるという決着をした。
  アメリカが『アラスカを、金を出して領有した」様に・・、
 奪ったのではない・・
  日本は、当時の3年間分の財政収入に相当するという
 『大金を、中国・清へ支払った』・・
  これまでのアメリカやヨーロッパ諸国は、敗戦国から
 奪い取ったが、日本は、3億円(2億両)を支払った。
  当時、清は、「眠れる獅子」と言われ、その底力は恐
 れられていた。
  海軍力においても、清国の方が大きな軍艦を持ち、ま
 た、隻数も、日本を上回る艦数を持っていた。
  世界の予想は、完全に「日本が敗けるだろう」だった。
  しかし、新興の日本は、清に勝利した・・
  清が日本に敗けると、列強諸国のアメリカやヨーロッ
 パ諸国は、さらに清を侵食し始めた・・清を餌食とした。
  清は、分割の対象となった。
  日清戦争の後でも・・日本の立場は・・まだ、アメリ
 カやヨーロッパ列強の諸国から軽んじられていた。
  幕末以降から続く「弱小国・日本の状態だった」。
  そして、戦勝国・日本に、遼東半島返還の圧力がかか
 って来る・・三国干渉が起きた。
  ロシアが、ドイツとフランスを誘って、日本へ圧力を
 かけて来た・・三国の強烈な軍事力をちらつかせた。
  『町のあんちゃん』の様なやり方だった。
  日本は、清と一対一で対決した「武士の世界」だった。
  いつもやる欧米列強の様な、卑怯なグル(悪事を企て
 る仲間)に「つるむ」ようなことは、「日本はしない」。
  しかし、東アジアの欲しいロシアは、ドイツ・フラン
 スとグルになって三国干渉の圧力を日本に加えた。
  日本は、遼東半島を清へ渡した・・清は、金を日本へ
 返還した(当然)。
  そして、列強諸国は、清を蝕(むしば)んで行く。
  ロシアの領土欲は強烈だった・・朝鮮へも手を伸ばし
 て行く・・
  ロシアは、強力な軍事力を、この地域に展開し、拡大
 して行く。
.
1895年4月17日、播但鉄道(ばんたんてつどう)が、長谷駅~
 生野駅間、および、姫路駅~飾磨駅(現:飾磨港)間を開
 通し、生野駅~飾磨駅間が全通した。
  播但鉄道は、現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)播但
 線の大部分、飾磨(のち飾磨港)~新井を建設、運営し
 た日本の私設鉄道であった。
  兵庫県の播磨地方と但馬地方を結ぶ鉄道として建設さ
 れたが、山陽鉄道に路線及び附属物件が譲渡され、山陽
 鉄道の国有化と同時に官設鉄道の一部となった。
.
1895年4月23日、三国干渉
  ロシア帝国、ドイツ帝国、フランスの三国が、東洋艦
 隊の武力を背景にして、遼東半島の返還を要求するとい
 う対日干渉をした。
  まったくの内政干渉の仕業(しわざ)。
  遼東半島は戦略的にも重要な位置を占めていた。
  三国の大義名分は、アジアの平和を危うくするだった。
  いつも列強は、この様な表面的に美しいだけの言いた
 い放題を言う。
  本当は、ロシアが中国に地歩を固めたい、遼東半島は
 ロシアが欲しい、不凍港が欲しいのだ・・だった・・
  遼東半島を日本が占めたなら・・日本が「目の上のた
 ん瘤」になる・・だった。
  そして、日本が遼東半島を返還したら、案の定(あん
 のじょう、思った通り)、ロシアは遼東半島を中国に要
 求し、ドイツは山東半島を要求するというあさましい(
 ひどく嘆かわしい状態のこと)ことを行なった。
  ドイツ・フランス・ロシアの公使が、アジアの安定を
 乱すとして、遼東半島の清国への変換を要求し、当時、
 満州への鉄道建設を目指していたロシア政府は、遼東半
 島(リヤオトン)領有の放棄を日本に言い・・、ロシア
 との同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方向を極
 東にそらすことをねらっていたドイツもこれにならった。
  さらに、ドイツは、ロシアとイギリスとフランスの協
 調に取り残されることを恐れて共同行動をとった。
  日本の国力では、この3国に対抗できないので、同1895
 年5月5日、これを受諾した。
  その結果、日清間に遼東半島還付条約が締結され、日
 本は譲渡取得をしていたので、返金がなされた。
  必死に努力をして国を富ませ、米欧に追い着きたいと
 やってきた日本・・日清戦争となったが・・、
  この間まで、アジアの遅れた小国・日本が、この様な
 事態になると・・、
  東アジアで美味しい汁を吸いたいという列強諸国は、
 黙っていなかった。
  強力な軍事力で、日本を脅しながら、また、卑怯な事
 にグルとなって、日本へ「いちゃもんを付けてきた」。
  ロシア・ドイツ・フランスの三国の言い分は・・、
  「遼東半島まで清国から得る」のはおかしいじゃない
 か?という言い方だった・・「清国へ返しなさい」と・・
  弱い者に対して、好きに言いたい事を言う国々いだっ
 た。
  有色人種の日本が、『白人のマネはするな』の気持ち
 だった。
  そこに、キリスト教の「有色人種蔑視」のマインド・
 コントロールがあった。
  列強に、日本を馬鹿にする視点が残っていた。
  そして、なんと、その2年後に、遼東半島のその地を
 ロシアは手に入れた・・日本にとって屈辱的な事だった。
  弱小国の悲哀を味わう日本だった。
  当時の日本国民の方々も、この屈辱に歯ぎしりしてい
 た。
  日本は、幕末以来、中国や朝鮮に、欧米列強の諸国の
 侵略に共同して対処しようと言って来ていた。
  急速に力を付けた日本・・日清戦争の、まさかの日本
 の勝利だと世界は思っていた・・
  自分たちがおいしい汁を吸っている中国の領分に入っ
 て来た新参者にいちゃもんを付けた。
  条約をきちんと、日本と清の間で結び、合意された下
 関条約・・その条約に基いて・・約定(やくじょう、約
 束して定めること)して・・日本に渡った遼東半島を・・
  おい!それはよせと・・くちばしを入れた・・
  ロシアの思惑があった・・ロシアは大きな欲をかいた。
  ロシアは、満洲と中国北部の支配権を拡張したいと目
 論んでいた。
  また、それと並行して、欲張って、朝鮮へも影響力を
 拡大したいと思っていた。
  ロシアの言い分は・・筋が通らないが・・朝鮮は、ロ
 シアのウラジオストクに近いため、ここを他の列強に抑
 えられると、ロシアが圧迫されて怖いのだ・・という理
 屈・・そして、その可能性を防ぎたいと・・
  また、ロシアは・・日本という国が、朝鮮と対馬の両
 岸を抑える事態になれば、中国の旅順港とロシアのウラ
 ジオストク港を結ぶシーレーンが危機に晒されるという
 ロシアの言い分があった。
  中国のおいしい汁を安心して運べないのだよ・・と、
  しかし、朝鮮半島をロシアが占領すれば、圧迫される
 のは日本も同じだった。
  そして、日本の恩を受けた朝鮮が、なんと、この三国
 干渉の影響から、『反日となり』また『親露となった』・・
 その様な勢力が台頭して来た。
  そして、また、朝鮮国王の高宗が、ロシア軍の朝鮮進
 駐を希望するようになった・・
  そして、1896年2月には、ロシア大使館へ駆け込んだ。
  この状況を解決するために努力がなされた。
  日本とロシアの間で、『山縣・ロバノフ協定』が締結
 された。
  日本とロシアは、対等の関係で朝鮮に接して行こうと
 いう合意がなされた。
  しかし、ロシアは強硬策に出た・・
  1897年、ロシアは、旅順・大連を占領した。
  当然、日本は、強硬行動をとるロシアが、この様な行
 道を、朝鮮半島でも行なうだろうと恐れた。
  実際、ロシアには、朝鮮半島への進出を本格化する恐
 れがあった。
  日本は提案した・・「朝鮮半島を日本が管轄し、満洲
 をロシアが管轄する」・・と・・
  しかし、ロシアからは相手にされなかった(すでに、
 満州はロシア軍だらけだった)
  この頃、朝鮮半島に接する鴨緑江沿岸(朝鮮と満州の
 境を流れる川)では、アレクサンドル・ベゾブラーゾフ
 らのロシア貴族が・・、
  朝鮮半島北部にロシアの橋頭保を築く目的で、伐採事
 業を開始していた。
  (朝鮮戦争の時も、共産中国軍は、朝鮮半島に流れ込
 もうとこの地域・鴨緑江沿岸に大部隊を集結した様に)
  ベゾブラーゾフは、ロシアは偉大な大国であるので、
 強硬姿勢をとって当たり前であり、東洋人ごときに生意
 気を言われる筋合いはないという信念を持っており・・、
  蔵相ヴィッテの対日融和政策を毛嫌いし・・、
  「大臣たちは、皇帝陛下に正しい情報を提供せず、陛
 下に自分たちの考えを押し付けている」と批判した。
  これは、ニコライ2世にとっても耳に心地よい意見だっ
 た。
  ニコライ2世は、このベゾブラーゾフを強く信頼するよ
 うになり、対日強硬姿勢を強めて行った。
  因みに、ベラーゾフは、この翌年の1896年に、日本と
 の開戦の必要性を唱える嘆願書を、ロシア皇帝ニコライ
 2世へ提出している・・この様な人だった・・、
  また、ニコライ2世は、「黄色い猿」と日本を侮蔑する
 ような皇帝で・・、
  ロシアがどんなに強硬路線を取ろうと、「日本に、ロ
 シアと戦争する勇気などあるばずがない」としていた。
  また、「ロシアが、自分が望まない限り、日露の戦争
 にはならない」と考えていた。
  また、「ロシアの強硬な圧力を受けて、日本が旅順か
 ら撤退した1895年を思い出す」などとも言ったり、
  「どっちにしても日本は野蛮な国だ」などとも言った。
  ベラーゾフは、強硬派で、イギリスの東インド会社の
 ような組織を設立して、『朝鮮半島と満州における権益』
 を確保して、それらを強制的に征服すべしとした。
.
  (今日の言葉)
.
  題:問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
    米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題ではなく・・
    アメリカの存亡の危機の安全保障上の問題。
.
1932年10月2日、リットン報告書が公表された。
  正式書名は、「国際連盟日支紛争調査委員会報告書」
  調査団は、イギリスのヴィクター・ブルワー=リット
 ン伯爵を調査団長とした。
  内容は、中国の最近の発達の概観、つまり、清の没落
から書き起こし、共和国の出現、その後の内乱、国民党の
結成、共産党の跋扈を詳述し・・
  次に、満洲国について述べている・・すなわち、中国
 が満洲に無関心であり、満洲の今日の発展は日本の努力
 による旨が述べられ・・
  張作霖、および、張学良時代の政情からロシアと中国
 の紛争等におよんで述べられ・・
  日本と中国の両国間の満洲に関する諸論点・・すなわ
 ち、日本の特殊性を認識して、日本の満洲における権利
 を説明したりしている。
  リットン報告書は、満州は、中国(漢民族)のもので
 はないという立脚点に立っている。
  そして、「満州を、中国本体から切り離す」という意
 味が書いてある。
  そして、満州域を、中国から離れた国際的なものにせ
 よと言っている。
  (日本の掲げた理念が五族協和)
  そして、その状態の中で、「日本の満州での努力を認
 めている点」から「日本の主導権を認め」、また、日本
 の権益も認め、「日本の権益も十分に守られるべきだ」
 と記している。
  日本は、この「リットン報告書を受け入れても良かっ
 た」と言える。
  受け入れていれば、また違う世界史が展開しただろう。
  共産化した満州域ではなかっただろう。
  結局、満州国の存在を、「日本が侵略して奪ったもの
 だなんて微塵も言ってない」。
  結局、そして、今・現在、満州は無くなり、この時の
 リットン報告書の見解で否定された中国(漢民族)のも
 のとなってしまっている。
  「トンビに油揚げをさらわれた」という状態となって
 いる。
  そして、約70年を経て、その満州の方々は、今・現在、
 その地には居なくされている。
  何処かへ消え去ってしまった。
  国なんてこのような経過をたどるものなのだ。
  国と共に、民族の運命など、この様になるものなのだ。
  今後、日本の国も、この様にならない様に・・
  中国は、尖閣諸島が欲しいと言っている・・その次は、
 沖縄だと言っている・・
  国の安全保障に無関心でいてはいけないのだ。
  各人が、真剣に考えていなければいけない事なのだ。
  「あなた任せにしておいては・・いけない事なのだ」。
,
1942年、中国が、嘘のプロパガンダでも、何でもやって、
 その結果が、中国に有利になるなら、その様な行動をし
 た者は「能力のある者」と中国は見る・・
  中国は、「卑劣な行為」でも、何でもよいという国で
 ある。
  だから、中国の国内内戦は、騙し合いが酷い戦争で、
 騙し、騙される陰湿な行為が頻繁に行われた。
  この様な騙しの世界の国・中国は、日常茶飯に騙しが
 行われた。
  日本への工作も陰湿を極めた。
  それは、政治や戦闘に限らず、あらゆる場面において
 行われた。
  中国の新聞も、その真偽を確かめずに報道するという
 出鱈目(でたらめ)さだった。
  例えば、1942年頃、「昨夜、日本人が、果物屋の店先
 にあるスイカに毒を注射して歩いていた」・・なんてい
 う嘘の記事が、でかでかと中国の新聞に書かれた。
  また、女子学生に、中国人企業家が金を渡し、「『日
 本の森永ミルク・キャラメル』には、毒が入っているか
 ら買うな」と言わせた。
  これは、中国の会社が、森永に似せた菓子を作り、自
 社の製品を買わせようとして行った事だった。
  本「支那三十年」を参照。
.
1945年12月、沖縄が、1945年12月のこの時から、本土復帰
 をする1972年まで、アメリカ兵によるレイプ(強姦)犯
 罪は500件以上となった(隠れた犯罪は数限りなくある)。
  本「沖縄アンダーグラウンド」には、目をそむけたく
 なる様な卑劣なその状況の記載が続く。
  その卑劣な行為の多くで、アメリカ兵は庇(かば)わ
 れた。
  「容疑者不明」で処理された。
  でも、ここまで来るのもほんの一握りだった。
  闇に葬られ、泣き寝入りとなった。
  アメリカ兵の人権無視のあまりに卑劣な行為、あまり
 の酷さに、沖縄は苦汁の日々が続いた。
  そして、仕方なく・・地元・沖縄は、「アメリカ兵相
 手の売春区域を作ろう」との苦渋(くじゅう、事が解決
 されず、苦しむ悩むこと)の案の声となった。
  そして、やむを得ず売春街が、アメリカ兵の卑劣な行
 為を無くしたいとの願いから出来た。
  フランスのパリに侵攻したアメリカ軍は、この街でも、
 パリジェンヌを、パリの女性方たちを・・犯した。
  昼間でもなんでも、場所もわきまえずに・・、
  その乱れたアメリカ兵の行為は、人目をも憚(はばか)
 られずに行われた。
  あまりの酷さに、パリ市長は、アメリカ軍へ泣きを入
 れた・・その愚行を指摘した。
  また、アメリカ軍は、ベルリンへ侵攻した時も、数限
 りないベルリン女性を犯す行為を行なっている。
  砲弾が飛びかう中、ベルリンの女性方は、地下などに
 潜(ひそ)んでいた。
  男性のほとんどが居ないベルリンで、ベルリン女性は、
 アメリカ兵に強姦され犯された。
  その数は、とんでもなく多くの女性方の数となった。
  戦後の日本でも、毎日、あちこちで、アメリカ兵によ
 る強姦が行われ、その卑劣な行為を新聞は報じた。
  病院の看護婦が、ピストルを持ったアメリカ兵たちに
 犯された・・また、妊婦の方々さえ犯された。
  学校へ行く小学生まで乱暴をされた。
  新聞報道は、そのすべてを報じなかったが、それでも、
 あまりの酷さに、アメリカ軍・GHQは、「そのような
 報道をするな」と命令した・・
  アメリカ兵の卑劣な行為は、その様な命令によって隠
 されてしまった。
.
2005年7月、NHKの福井放送局チーフカメラマンが取材費
 でビ-ル券を購入し約350万円分を着服した。
.
2011年8月、NHKの番組制作局チーフプロデューサーが
 女性のスカート内を携帯カメラで盗撮して逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年8月18日、この日のNHKニュース7で、子どもの貧
 困問題をテーマとした神奈川県主催の講演会、および、
 登壇した女子高校生への取材を報道したところ・・、
  インターネット上で、捏造疑惑が浮上した・・、
  女子高校生が2万円相当の画材を所有する様子が映っ
 ているなどとバッシングが発生した。
  片山さつき参議院議員が、NHKに説明を求めるなど
 を精力的に行った。
  NHKは、メディアに対し、「本人や家族、行政機関
 などに取材し、経済的に厳しい環境で生活する高校生だ
 と判断しています」、「食べるものもないというレベル
 の貧困ではなくても、経済的困窮によって、高校生が希
 望する進路をあきらめざるをえない現実があることを伝
 えるもの・・放送内容は、すべて事実に基づくものです」
 と捏造疑惑を否定した。
  講演会を主催した神奈川県の担当者は、講演会につい
 て、「食べるものや着るものがあるとしても、修学旅行
 や部活の遠征に行けなかったり、進学をあきらめたりす
 る『相対的貧困』の見えにくさを考えようというイベン
 トだった」、
  騒動について、「食べ物や着る物がないなど目に見え
 る『絶対的な貧困』と・・、
  親の経済的な事情で進学を諦めざるを得ないなど目に
 見えない『相対的な貧困』を混同して起きてしまったの
 ではないか」とコメントした。
  この騒動にまつわり、サイゾーが運営するニュースサ
 イト「ビジネスジャーナル」は、NHKなどへの取材を
 行わず架空のコメントや、やらせや捏造の存在を印象づ
 ける表現を含む記事を発信し、後に、取材が不十分であ
 ったとして訂正および謝罪、関係者の処分を発表した。
.
2018年12月8日、中国はもう正せなくなっているのか?
  叩けなくなっているのか?
  一番、のんべんだらりとしているのが日本。
  中国もロシアも、日本に接近してきているのは、日本
 の国防力が伸びないで、昔のままになっていて、組みし
 易いからと指摘されている。
  そして、アメリカが、戦略核戦略が中国に劣っている
 ところが問題である。
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  パネリスト:
   鍛治俊樹(軍事ジャーナリスト)
   河添恵子(ノンフィクション作家)
   石平(評論家)
   福島香織(ジャーナリスト)
   矢野一樹(元海上自衛隊潜水艦隊司令官 海将)
   矢野義昭(元陸上自衛隊小平学校副校長 陸将補)
   湯浅博(国家基本問題研究所主任研究員)
  司会:水島総
  核抑止は万全か?
 1、米中の戦略核バランス
   中国が先制攻撃すれば、アメリカは4千万~5千万人
  の損害、中国は2600万人の損害となる。
   アメリカが戦制攻撃すれば、中国は最大1億人の損害、
  アメリカも数千万人の損害か?
   アメリカおよび中国は、核戦争にエスカレートする
  恐れのある軍事挑発はできない。
 2、米中の通常戦力バランス
   アメリカの海・空の技術的優位は明らか。
   特に、戦闘機と潜水艦、空母が優位。
   中国大陸での本格的地上戦はアメリカでも不可能。
 3、問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
   ロシアの核戦力も4分の1程度は極東に向いている。
   そして、中露接近は当面続いて行く。
   北朝鮮の弾道ミサイル脅威も数的には中国並み。
  (参考)中国の戦略核は400から600ある。
      北朝鮮も、中国並みになって来ている(400か
     ら600)
      アメリカ一国だけで、中・露・北朝鮮には対
     抗できない
      中国は、原子力推進の超超長距離を飛べる巡
     航ミサイルを保持したと発表したが、この事で
     発生する問題が・・
      アメリカのミサイル防衛網がすべて北極海を
     向いている。
      中国は、その裏を攻めることができる・・こ
     のため、アメリカの防御が大変な事になってい
     る。
      アメリカが、それに対抗するためには、韓国
     からも、また、日本からも、アメリカの軍事力
     を引き上げて・・アメリカ本土防衛に集中して
     固めなければならない。
      軍事バランス的に、ここ10年間は、中国が台
     湾を取りに行っても、アメリカはそれに対応で
     きる状況にない。
      日本も、この様な状況に、どう対応するのか?
     ということになっている。
      日本は、アメリカをあてに出来なくなってい
     る。
      アメリカは、アメリカ本土を守るのに手いっ
     ぱい。
      20兆ドルを超える赤字のアメリカ、財政的に
     も非常に厳しい状況。
      米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題では
     なく・・アメリカの存亡の危機の安全保障上の
     問題。
      中国は、技術的にも急速にアメリカに追いつ
     いて来ている。
      中国の技術的追い上げは厳しい。
      中国は、軍事基地を地下化して耐力が上がっ
     ている。
  米国の対応
 1、トランプ政権は、核戦力の増強、近代化推進方針を
  明示した。
 2、核戦力の整備に最優先で予算配分する、配分は可能
  と保証
 3、核戦力の3本柱(ICBM、SLBM、戦略爆撃機)
  を更新。
 4、核弾頭の新型開発(戦力化は約10年後)、その間、
  寿命延長
 5、ロシアに対抗して低出力核を増強
 6、核インフラの整備
 7、核関連の人材養成、施設の整備更新
 8、アメリカの核抑止力強化と同盟国への核の傘の信頼
  確保。
.
2018年12月8日、痛い目に会わなければ分からないのか??
  のほほんとしている日本・・
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  ・釧路の広大な土地が中国に買われている。
  ・10万人が人質になっている・・自由に中国から出国
   できなくなっている。
  ・資金も中国から引き上げられなくなっている。
  ・これからは多極化する・・防衛も多面的になる。
  ・ロシアは、シベリアなどの広大な地を守り切れてい
   ない。
  ・パンダ債・・日本が一帯一路を応援しているのか?
   中国内では、「日本が一帯一路を応援している」と
   言われている。
  ・アジア諸国から日本の本心が疑われている。
  ・「日米同盟強化」と言われているが、言葉だけで、
   実態はそうなっていない・・南西諸島などをどう守
   るか?
  ・日米安保を改定して、双務性(そうむせい)を強化
   するなどしなければならない・・日本の対中の力は
   落ちている・・双務性は絵に描いた餅になる方向に
   ある。
  ・アメリカの共和党は、「日本の核武装を進めるべき」
   と言っている・・アメリカは、米本土に退くという
   方向なので、日本は核武装して自分を守れの論理。
  ・相互防衛条約に安保を持って行くべき。
  ・X‐35を100機買う。
  ・財務省は、「今、日本に金があって、有効な防衛が
   できる状況」なのに、嘘でそのことを抑えている。
  ・アメリカの「核の日本国内展開」をさせるのが、
   「急ぐべき日本の現状の対応策」。
  ・中国共産党は、日本のコントロールに成功している・・
   日本の政治家は中国寄りになっていて、自由な発言
   が出来なくなっている。
  ・中国が明らかに脅威であるのに、「仮想敵国だ」と
   言えない日本・・だから、その対応策が取れない日
   本となっている・・やりたい放題にされる日本にな
   っている・・
  ・統一朝鮮が、これからの、その後の脅威となり、仮
   想敵国となる・・
  ・超音速滑空体に中国は成功している・・これに核が
   搭載される・・世界で唯一成功している状態・・
  ・大国は、都合のよい時は国際法を守る、都合が悪く
   なると兵を送る・・この様な国が、今、日本の周り
   を取り囲んでいる・・
  ・日本は、痛い目に会わなければわからないのか??
.
2018年12月19日、中国人のハッカー集団を、アメリカは起
 訴する方針とした。
  (参考)ハッカー:コンピューター内へ入り、その相
     手の情報を盗んだり、コンピューター・システ
     ムを麻痺(まひ)させたりする者。
  アメリカの司法省が、中国の情報機関にあたる中国国
 家安全省と関係のある「複数の中国人ハッカー」を起訴
 する方針・・と報じられた。
  アメリカ紙のウォール・ストリート・ジャーナルなど
 によると・・、
  アメリカ司法省が、起訴する可能性があるのは、中国
 国家安全省とつながりがあり、「APT10」と呼ばれる
 ハッカーグループとみられている。
  アメリカのネットワークに侵入するため、複数年に渡
 ってITサービス企業に高度なサイバー攻撃を仕掛けた
 疑いがある。
.
2018年12月20日、韓国の元徴用工らが、韓国政府を提訴し
 た・・この日の読売新聞が伝えている。
  これが正しいのだ。
  韓国の元徴用工の方々も、やっと正しい道・本筋が見
 えたようだ。
  日本が、「元徴用工の方々の補償を行ないます」と韓
 国政府に言ったら、「そのお金は韓国政府へ渡してくれ」
 と韓国政府が言った。
  「韓国政府から元徴用工へ補償をしますから」と・・
  その様なことが、話し合いで決まって、日本は、韓国
 政府へ莫大な金を支払った。
  韓国政府は、この様な経緯(いきさつ)・事態を韓国
 国民へ徹底して説明しないから、この様な問題が発生し
 ている。
  元徴用工の人々が、韓国政府を提訴したのは、そのこ
 とが分かったから・・、
  読売新聞は、以下のように伝えている・・
  第二次世界大戦中に、日本企業に徴用されたとする
 韓国人や遺族ら約1100人が20日、韓国政府を相手取り、
 1人当たり1億ウォン(約1000万円)の補償金を求める訴
 訟をソウル中央地裁に起こした。
  元徴用工らを支援する市民団体が、ソウルで記者会見
 を開き、明らかにした。
  元徴用工らの訴訟を巡っては、韓国大法院(最高裁)
 が10月に、新日鉄住金に対し、賠償を命じる判決を初め
 て確定させた。
  今回の原告らは、1965年の日韓請求権・経済協力協定
 で日本から無償3億ドルを受け取った韓国政府にも補償
 する責任があると主張し、日本企業でなく、韓国政府を
 訴えた。
  韓国内では、この団体が主導した同様の訴訟が、他に
 3件進行している。
  元徴用工への韓国政府の補償を巡っては、朴正煕(ぱ
 くちょんひ)政権が、1975年~1977年に、日韓請求権協
 定で日本から受け取った資金を活用し、遺族らに補償を
 行なった。
  2008年以降にも、慰労金を追加支給し、慰労金の総額
 は2015年末で、計約6184億ウォン(約617億円)に上った。
  今回の訴訟の原告らは、過去の未申告などを理由に、
 韓国政府の補償を受けたことがないという。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

by suba28 | 2018-12-25 03:51 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年4月)

題:(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1895年3月30日、逓信省官制公布(勅令第27号、4月1日施行)
  郵便及電信局官制中改正ノ件
  職員の増員
.
1895年3月、朝鮮国(李朝)が、朝鮮東学党の代表・全琫準
 (ゼンホウジュン)を処刑する。
  井上馨日本公使は、全琫準の人格に共感し、朝鮮政府
 に処刑しないように要請していたが、朝鮮政府は井上が
 日本に帰国している間に、処刑を執行した。
.
1895年3月、日本鉄道の赤羽駅~川口駅間の複線開通により
 上野駅~大宮駅間の複線が完成した。
.
1895年4月1日、第4回内国勧業博覧会が開催された。
  内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)
 は、明治政府の殖産興業政策の一つとして開かれた内国
 物産、美術・工芸品の博覧会で・・、
  第4回は、京都で開催された。
  この時、裸体画論争が起きる。
  黒田清輝の「朝粧(ちょうしょう)」が芸術か?、風
 俗を紊乱(びんらん、道徳・秩序を乱すこと)する春画
 の一種か?の問題だった。
  西洋列強に追いつくことに必死だった明治政府にとっ
 て、そもそも裸体は先進国にふさわしからぬ野蛮な習俗
 であると捉え・・、
  公共空間で堂々と展示すべきものではないと判断した。
  この時、警察の取締りは行われなかった。
  後の1901年の白馬会第六回展においては、警察は、特
 別室での鑑賞の形を求めた。
.
1895年4月1日、九州鉄道の小倉駅~行事駅(現:行橋駅)間
 が開通した。
.
1895年4月3日、甲武鉄道の飯田町駅~八王子駅間が開通し
 た。
.
1895年4月3日、甲武鉄道市街線の牛込駅~飯田町駅間が開
 通した。
.
1895年4月5日、日本初の1千トン級の貨客船「須磨丸」が
 竣工した。
  三菱合資会社三菱造船所、三菱第65番船
  1563トン(1536トン?)、835馬力。
  日本初の二重底をもった船(それまでは単底)
  日本初の台湾航路として開設された大阪~台湾航路に
 就航させる目的だった。
  1896年、台湾総督府の依頼で、大阪商船によって開設
 され、須磨丸などの3隻の汽船が 大阪~基隆を結んだ。
  また、この年1896年、陸軍省の航路として、日本郵船
 も神戸~基隆間を開設し・・、
  翌1897年、台湾総督府の航路となった。
  使用船は「山城丸 2852t」と「弘済丸 2635t」・・、
  1898年、大きさで劣った大阪商船は、新造船の台北丸
 (1897年進水,、3300トン) 、台中丸(1897年進水、3213ト
 ン) を投入して競走した。
  日本郵船は、続いて「西京丸」(1906年)、「信濃丸」、
 「備後丸」(1907年)、「因幡丸」(1915年)を投入して船
 舶の大型化をはかった。
.
1895年4月5日、筑豊鉄道の飯塚駅~臼井駅間が開通した。
.
1895年4月6日、甲武鉄道が、お花見列車を運行した。
.
1895年4月8日、ロシアが、列強各国へ、日本に対する共同
 干渉をすること提案した。
  日清戦争の講和条約である下関条約で認められた、日
 本の遼東(リヤオトン) 半島領有に反対するロシアが、
 フランスとドイツと共同干渉しようとした。
  下関条約の調印の6日後の1895年4月23日、当時、満州
 への鉄道建設を目指していたロシアは、遼東半島の領有
 の放棄を日本に勧告した。
  ロシアと同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方
 向を極東にそらすことをねらっていたドイツもこれにな
 らった。
  当然、束になって日本に圧力をかけた列強各国に対抗
 出来ない日本・・
  日本の国力では3国に対抗できないので、1895年5月5日、
 これを受諾した。
  日本は、遼東半島を清国に還付することとした。
  (日本は、遼東半島を買っていたので、当然、清国は、
 日本に返金した)
  以後、ロシアは、満州に鉄道敷設権を獲得し、遼東半
 島を租借地とした。
  これを見ていたフランス、ドイツ、イギリスも争って
 租借地を要求した。
  日本では「臥薪嘗胆(がしんしょうたん、仇を討とう
 として苦心・苦労を重ねること)」のスローガンで、対
 ロシア報復の国民感情が大きくなった。
  外交面で、対英接近が進められて行く。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
.
1885年、伊藤博文は、この年に、内閣制度を創設して、自
 ら初代の内閣総理大臣に就任した。
.
1935年、イランという国号が採用された。
  イラン人は、自ら「イーラーン(アーリア人の国)」
 と称していた。
  そして、「アーリア」とは、「高貴な」をいう意味で、
  故に、ヨーロッパからの圧迫を脱却し、民族の誇りを
 回復する意味から、1935年に、イランという国号を採用
 した。
  キリスト教徒のヨーロッパ人からの精神的圧迫から脱
 却を計った。
.
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。
  日本は独立した。
  アメリカの主導する占領から解放された。
  国際社会に、独立国として堂々と復帰した。
  しかし、この時、締結した「サンフランシスコ講和条
 約の条項」に、卑劣にも書かれた条項を、日本は守らな
 くてはならなくなった。
  それは、「日本は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の
 判決を受託し・・刑を執行する・・」「裁判によって言
 い渡された判決」を受け入れる・・という条文だった。
  日本の軍人を・・日本の兵士を(日本と共に戦った韓
 国の兵士も判決を受けていた)東京裁判で判決し、殺し
 たりしたが、それを受け入れよというものだった。
  東京裁判で死刑判決になった人は28名いた。
  これも、まったく卑劣に決められた。
  日本が負けると分かっていた頃、裁判以前のこの時に、
 すでに、連合国は、「誰を死刑にするか」を決めていた。
  「公正な裁判の結果、死刑になった」という様に、世
 界には見せかけた。
  アメリカなどの連合国は演技した・・卑劣である。
  アメリカは、「東条英機を死刑にしたい」と打ち合わ
 せで言った。
  中国国民政府(今の中国共産党政権では無い、この中
 国共産党政権とは日本は戦争をしていない)は、「板垣、
 土肥原、松井・・」と言い、
  ソ連は、「広田弘毅・・」と言い・・、
  各国が、好き勝手に、また裁判の判決も無いのに言い
 たい放題だった。
  リンチ(私刑)の見本の様な下劣な事をやっていた。
  そして、東京裁判の演技の「作られた裁判」が行われ
 て、日本の軍人(兵士)達は責任を取って殺された。
  これ等の事が、サンフランシスコ講和条約に「受け入
 れろ」と書かれていた。
  しかし、東京の他の地でも・・
  その他の地域の世界中でも、裁判が行われていて、日
 本軍人が、東京裁判を真似た裁判で・・殺された。
  連合国は、それらを止めること無く、出先の勝手な裁
 判で、「やりたい放題」をさせていた。
  死ななくてよい日本軍人(兵士)が命を取られたりし
 た、また、刑に服す虐(しいた)げに会った。
  ユネスコの記憶遺産にして、長くこの卑劣行為を記憶
 に止めよ。
  まったく卑劣に、連合国の国際的取引のまな板の上で、
 日本人兵士の命はやり取りされていた。
.
1968年4月13日。映画「猿の惑星」が、日本で公開された。
  アメリカ映画が、中国資本に乗っ取られ、中国のプロ
 パガンダ(嘘宣伝)に使われていた。
  猿の惑星のサルは、日本人の暴動で、中国軍とアメリ
 カ軍の共同作戦で殲滅するというストーリーだという。
  この様な影響力の強い映画に、中国は、ありあまる「
 あぶく銭」を投入し、この様な方法で、日本の貶(おと
 し)め行為を相変わらずしている。
  (参考)猿の惑星(さるのわくせい)は、1968年のア
     メリカ合衆国の映画。
      ピエール・ブールによるSF小説『猿の惑星』
     を原作とする『猿の惑星』シリーズ全5作の第1
     作。
.
2017年1月、NHK横浜放送局営業部に所属していた40代の
 男性職員が、受信料数十万円を着服していた疑いがある
 と発表した。
  職員は、NHKが調査を進めていた2016年10月中旬に
 死亡したという。
  NHKによると、職員は、2015年~2016年、受信契約
 に関する架空の伝票を複数回にわたって作成。
  受信料を先払いしている受信契約者らの個人情報を悪
 用して、契約を解除したように装うなどして、払戻金を
 着服していたとみられる。
  NHK広報部は、個人情報を悪用された契約者への影
 響は「ない」とした。
  NHKは、今後も調査を続け、被害額を確定させた上
 で、遺族らに弁済を求める方針。
  「誠に遺憾であり、再発防止に努める」としたが・・
.
2017年12年20日、中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
  日本経済新聞が標記の表題の記事を書いた。
  (これは、イギリスの雑誌「エコノミスト」12月14日
 号の記事の翻訳)
  シャープパワー:
  米ワシントンのシンクタンク「全米民主主義基金(N
 ED)」は、中国による一連の動きを「シャープパワー」
 と命名した。
  「ソフトパワー」は、その国の文化や価値観の魅力に
 よる強みを指すが・・、
  「シャープパワー」は、独裁国家が、外国に自国の方
 針をのませようと強引な手段に出たり、海外の世論を操
 作したりするためのもの・・、
  相手国の社会制度や文化伝統などを鋭利な、すなわち
 シャープな刃物で切り裂くように分断し、自国に有利な
 状態を作る戦略のこと・・、
  2010年のノーベル平和賞が、中国の人権運動の活動家
 で何度も投獄され、当時も獄中にあった劉暁波氏に贈ら
 れた。
  そして、ノルウェーのノーベル委員会が、劉氏の釈放
 を中国に求めた。
  中国は「内政干渉は許さない」とか「ノーベル平和賞
 は西側の利益の政治的な道具である」などと強硬に反発
 した。
  また、ノルウェーから輸入していた養殖サーモンの輸
 入制限などの経済制裁を実施した。
  ノルウェーは、ソルベルグ首相が、外務大臣と貿易産
 業大臣を伴って、2017年4月、中国を訪問し、習近平国家
 主席に面会し、「今後、中国の核となる問題については
 批判しない」という声明に署名した。
  ノルウェーと中国の関係は修復された。
  エコノミックパワーを利用し、自国の制度や文化を押
 し通し、相手国の制度や文化を切断したシャープパワー
 だった。
  韓国も同じ様に・・北朝鮮の弾道ミサイルの発射を早
 期に探知し、迎撃するために、2017年、アメリカが高高
 度ミサイル防衛システム(THAAD)の機器を韓国の
 ゴルフ場の敷地に搬入した。
  北朝鮮はもちろん、中国も反発した。
  韓国商品の輸入規制など報復措置を実施した。
  また、設置したゴルフ場が、ロッテ商事の土地であっ
 たため、中国はロッテグループを非難し、ロッテの商品
 の不買運動も行なった。
  そして、韓国の輸出の26%が中国向けだったため、大
 変な打撃を受けた。
  そして、さらに、韓国への中国団体観光旅行が禁止さ
 れたため、2017年11月末までの中国人観光客が、前年比
 で42%も減少した。
  このような背景から、2017年12月、国賓として中国を
 訪問した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に対し、
 中国高官との食事は昼食会2回のみで冷遇した。
  また、文大統領は、北京大学で、「中国の夢が全人類
 と共に見る夢になることを期待する」というゴマすりの
 講演を行った。
  中国のエコノミックパワーを駆使して、自国の主張を
 押し付けた結果だった。
.
2018年、今、中国は、100万人のウイグル民族の方々を幽閉
 している・・
  アメリカ議会は、これを問題にする方向。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2018-12-21 03:30 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)622E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年3月)

題:(増補版)622E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1895年3月16日、参議総長の小松宮彰仁親王を征清大総督に
 任命した。
.
1895年3月16日、孫文らが興中会を組織し、清朝打倒運動を
 開始した、そして、広東攻撃を計画した。
  その後、広州で蜂起を計画したが失敗し、孫文は、日
 本に亡命した。
  興中会は、孫文が中心となって、ハワイの華僑らと、
 1894年に結成した革命的秘密政治結社だった。
  宣言で、清朝打倒、中華の回復、共和政体樹立(合衆
 政府の創立)を掲げた。
  1895年には、香港に本部を移し、拡大改組し、広東で
 武装蜂起を試みたが、計画が密告され失敗に終わった。
.
1895年3月20日、下関の春帆楼で日清講和会議が始まった。
  日本は伊藤・陸奥の両全権で、中国・清は李鴻章で、
 第1回会談が開かれた。
  前回は、清国が、講和のために交渉するには国書では
 なく、全権委任状が不可欠であることを理解していなか
 った・・そのため会議が成立しなかった。
  講和の会談前には、本国の元首、または、政府が授け
 るこの証書があって、その身分が代表であり権限がある
 ことを証明することと、それを確認することは必然なこ
 とであった。
  後日、この不備を、清国の全権講和使節だった二人は
 認めている。
  この不備は、アメリカ駐清公使に要請して書いた「西
 洋方式による国書の原稿を下書き委託した」ところにあ
 った。
  そして、特別な権限を授ける証明も欠如していた。
.
1895年3月23日、澎湖島の上陸
  台湾の西方約50kmにある澎湖島に、日本陸軍が上陸し
 た。
  大本営は、1月中から澎湖島への軍隊派遣の準備を進め、
 海軍の連合艦隊と共に、2月1日に、そのための混成枝隊
 (支隊)が編制された。
  混成枝隊の主力部隊は、3月8日に、広島の宇品港を出
 発し・・、
  翌3月9日に、下関で残りの部隊と合流し、佐世保港で
 海軍連合艦隊司令長官・伊東祐亨海軍中将の指揮下に入
 り、艦隊と共に台湾方面に向った。
  3月20日、澎湖島の沖合に到達し、上陸地点を島の東南
 部に決定し、
  3月23日、連合艦隊の沿岸砲台への攻撃と、陸軍部隊の
 上陸作戦を開始した。
  そして、澎湖島の中心地の馬公方面に向かう・・これ
 に対し、清国守備隊も迎撃し、激しい戦闘となる。
  3月24日、艦隊による援護の砲撃を受けながら、馬公攻
 撃を開始。
  深夜、清国軍は降伏を申し出て馬公が陥落した。
.
1895年3月24日、清国の全権大使の李鴻章が狙撃された。
  3月24日午後3時、李鴻章と日本の内閣総理大臣・伊藤
 博文、外務大臣・陸奥宗光が3回目の会談を行った。
  そして、会談を終えた李鴻章が、旅館への帰る途中、
 日本の暴徒(自由党員の小山豊太郎)に狙撃された。
  講和交渉に訪れた使節団の代表が銃撃されるという不
 祥事、国際的非難が日本に集まった。
  その後の講和交渉でも日本側は譲歩を余儀なくされた。
  幸いなことに、李鴻章の怪我けがは命にかかわるもの
 でなく、引接寺内に留まったまま治療を続けた結果、傷
 は快方に向かったため、講和交渉が決裂するといった最
 悪の事態は回避された。
  下関市民から李鴻章へのお見舞いとして、大きなガラ
 ス水槽に海水を満たし、魚や蛸(たこ)を入れて引接寺
 の病室に搬入したという話が伝わっている。
  この裏道が今も残る「李鴻章道」で・・、
  交渉は順調に進み、1895年4月17日、下関条約が調印さ
 れた。
  李鴻章狙撃事件(氷川清話)
.
1895年3月28日、鉄道局判任以下宿直及徹夜食料支給方を制
 定(公達第133号)
.
1895年3月30日、日清休戦条約が調印された。
  3月24日の第3回会談の帰途、李鴻章が狙撃され負傷す
 る事件が起ったため、日本側は休戦に応じ・・
  3月30日、休戦条約が締結された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:38°線が無くなる・・対岸に北朝鮮の核が来る・・
   そして、日本を裏切るNHK・・中国に利する放送をするNHK・・
.
紀元前2万数千年、ネアンデルタール人が絶滅した。
  そして、我々=現生人類(ホモ・サピエンス)の時代
 となる。
  ホモ・サピエンスは、現生人類が属する種の学名で・・
  ヒト属で現存する唯一の種(ネアンデルタール人など
 すでに絶滅した多くの旧人類も含む)
  そして、このホモ・サピエンスは絶滅危惧種なのか?
  核保有国が次々と増えて、今後の生存可能性は低下し
 ている。
  この我々=ホモ・サピエンスの祖先が、生まれた地=
 アフリカの地を出て、世界へ広く分布し、生息するよう
 になったが・・、
  この我々のホモ・サピエンス(現生人類)の前に、ア
 フリカを出た人類は・・多く居た。
  その我々のホモ・サピエンスの直前にアフリカを出た
 人類が、「ネアンデルタール人」・・
  最近、科学の進歩で、このネアンデルタール人の遺伝
 子が、我々のホモ・サピエンスの血の中にあることが分
 かった。
  絶滅したネアンデルタール人の遺伝子が・・
  現世に生きるのは「我々=ホモサピエンス(現生人類)
 だけか」と思われていたが、ネアンデルタール人と我々
 =ホモ・サピエンスは交雑し、結婚していた。
  「ネアンデルタール人は、絶滅していなかった」ので
 ある。
  我々の血の中に、その血は受け継がれ・・生存してい
 たのである。
  近代科学、遺伝子研究の発達が、そのことを知らしめ
 た。
  (参考)ネアンデルタール人は、約40万年前に出現し、
     2万数千年前に絶滅したとみられるヒト属の一種
     と説明されている。
      新しい学説では、4万年前に絶滅したという説
     もある・・が・・
      遺骨(化石)から得られたミトコンドリアD
     NAの解析結果に基づき・・、
      ネアンデルタール人は、我々の直系先祖では
     なく別系統の人類であるとする見方が有力であ
     り・・
      両者の遺伝子の差異は、他の動物種ならば別
     種と認定されるレベルであり・・、
      ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混
     血できなかったとする考え方が有力であった・・
      しかし・・、
      2010年5月7日のサイエンスに、われわれホモ・
     サピエンスのゲノムに、ネアンデルタール人の
     遺伝子が数%混入しているとの説が発表された。
     ・
     ・
     ・
354年11月13日、アウグスティヌスが生まれた(~430年8月
 28日、76歳)
  アウグスティヌスは、キリスト教が「教父」と呼ぶ、
  また、「聖」を付けて「聖アウグスティヌス」と尊称
 で呼ぶ・・その様な人である・・が・・
  アウグスティヌスには、次の言葉がある・・、
  「人間の性欲こそ、悪を制して善を選べない良い例で
 はないか・・」。
  放蕩生活をしていたアウグスティヌスだからこの様な
 ことを言うという言葉となっている・・
  この言葉は、キリスト教の根本教義である「アダムが、
 禁断のリンゴを食べて以来、人間に原罪が生じ、人間は
 罪を犯す様に生まれた」というキリスト教の根本教義を
 説明する時に、彼の口から出た・・のだが・・
  論拠の乏しいこの様なキリスト教の言葉は・・アダム
 のリンゴの「あり得ない話=神話」を信徒に正しい様に
 思わせ、洗脳し、マインド・コントロールし、原罪があ
 るからと、物事を悪い方向にばかり思い至らせている・・
 積極的・前向きには考えられないように仕向けている。
  アウグスティヌスでさえも、「性欲・・悪を制して善
 を行なう事は出来ない」と言う始末となる。
  この「聖」が付くほどのアウグスティヌスも、若い時
 の自堕落な経験が交って・・さらに、キリスト教の洗脳
 された頭から出てしまった言葉だった。
  若い時に、何人もの女性を泣かせ、たぶらかし、手籠
 め(てごめ)にする様な生活だった。
  男性と女性が、お互いに思いやり、尊敬し、尊敬され・・
  尊敬し合って愛し結婚に至り、幸せな家庭を築いて行
 くという前向きなプロセスを想像することのできない頭
 とされている。
  キリスト教の性悪説にマインド・コントロールされ・・
  アウグスティヌスでさえ、こような言葉となる・・考
 えとなる・・
  キリスト教の性悪説には感化されない様に・・
   ・
   ・
1837年、大英帝国の絶頂期(1837年~1901年)を代表する
 首相ベンジャミン・ディズレーリは・・、
  「世界は、舞台裏を知らない人には想像もつかない人々
 によって支配されている」と述べている。
  その人たちのことを、キグリー教授は、「国際銀行家」
 と特定している。
  (参考)キグリー教授:キャロル・キグリー(1910年
     11月9日~1977年1月3日)は、アメリカの歴史学
     者、文明進化の研究者。
      ジョージタウン大学の教授を務めた。
      多数の本を出版し、秘密結社なども研究した。
  その銀行と言っても、庶民が貯蓄や商業活動用の口座
 を開く民間銀行とは違う銀行で・・、
  イギリスでは「マーチャントバンカー」、
  フランスでは「プライベートバンカー」、
  アメリカでは「投資銀行家」と呼ばれ、企業に資金を
 提供する。
  産業革命発祥の地であるイギリス金融界を牛耳るのは・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社、
  ベアリング・ブラザーズ、
  J・ヘンリー・シュローダー、
  モルガン・グレンフェル、
  ハンブロス、
  ラザード・ブラザーズなど・・17社。
  これらの企業が本社を置くのは、ロンドンの中心部の
 約2キロメートル四方ほどの自治体を形成するシティ・オ
 ブ・ロンドン・・、
  ここに、ロンドン証券取引所、イングランド銀行(理
 事の多くは17のマーチャントバンカー)、ロイズ本社な
 どがある・・
  そして・・
  19世紀から現在まで続く金融センターとして、ニュー
 ヨークのウォール街とともに世界経済を牛耳り、手玉に
 取っている。
  そして、日々、変化する金(ゴールド)価格を決める
 のが、5人のマーチャントバンカー達・・、
  1919年9月に設立されたThe London Gold Market Fixing
 Ltdでの値段がゴールドの世界基準価格となる・・
  ここの値段は・・、
  サミュエル・モンタギュー商会、
  シャープス・ピクスレイ、
  ジョンソン・マセソン、
  モカッタ・ゴールドシュミットが、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社に集まり・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社が議長になり・・、
  午前10時半と午後3時の2回、値決めする。
  (参考)金の固定:ロンドンの金の固定は、専用の会
     議回線を通じて行われる金価格の設定・・、
      これは、以前はLondon Gold Market Fixing
      LtdのメンバーによってNathan Mayer Rothschild
     &Sonsの前で開催され・・
      ベンチマークは、 ロンドンの地金市場の各営
     業日の2回決定される。
      これは、ロンドン地金市場のメンバー間の契
     約を解決するための価格を固定するように設計
     されている。
  これら5人の銀行家は、17のロンドンのマーチャントバ
 ンカーのメンバー・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社は、イギリス・ロ
 スチャイルド本家で・・、
  ほかの4社は、ロスチャイルドの遠戚。
  長い間、世界のゴールド価格を左右して来たN・M・
 ロスチャイルド&サンズ社が、2004年に、金価格設定業
 務から撤退した。
  この時、他のメンバーも交代し、現在、ゴールド価格
 を決定しているのは・・
  スコシア・モカッタ(レバスコシア銀行の小会社)、
  バークレイズ・キャピタル、
  香港上海銀行USAロンドン支店、
  ソシエテ・ジェネラル(フランスの大手金融機関、ロ
 スチャイルド系)、
  ドイツ銀行の5社。
  議長は、1年ごとの交代制になり、1か所に集まらず、
 電話を使って・・アメリカ・ドル、イギリス・ポンド、
 ユーロの三つの通貨で値決めされる。
  ゴールドの価格は・・、
  「市場の需要と供給で決定されるのではない」。
  (参照)https://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1060689-84/
.
1924年頃、毛沢東は、プロパガンダ(嘘宣伝)に洗脳され
 ていた。
  毛沢東は、若い時(31歳、1924年頃)、中国・国民党
 に入ってプロパガンダの宣伝戦をやらされて居た。
  この時、毛沢東は、共産党から追放処分を受けていた。
  この時、孫文の後継者と言われた汪精衛に目を付けら
 れ、中国・国民党の中央宣伝部長代理の地位を与えられ
 た。
  そして、国民党の雑誌である「政治週報」の編集長の
 役まで昇進した。
  毛沢東が、日本に対して「あること、無いこと、嘘ば
 かりの嘘宣伝をやる」ことになるが、その様な性癖は、
 この時、身につけた。
  日本は、これに、大分(だいぶ)、してやられ、苦し
 められた。
  南京事件を、様々な欧米のジャーナリストを使って
 「さも、あったように作り上げた」
  その様な嘘作りの国民党宣伝部に、毛沢東は、鍛(き
 た)えられた。
  (参考)汪兆銘(汪精衛):おうちょうめい、1883年
     5月4日~1944年11月10日、中華民国の政治家・
     革命家。
     (中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的)
.
1950年代前半、毛沢東は、アメリカによる日本への原子爆
 弾投下に魅了された。
  そして、原子爆弾を持ちたいと強く願い続けた。
  毛沢東は、1950年代前半を通じて、すべての会議にお
 いて、「中国による原爆所有」について言及していた。
  しかし、毛沢東は、外交的配慮から、それを誤魔化す
 ため・・対外的には原爆への渇望を隠蔽し・・、
 「原爆など不要、人民に頼るべき」と発言していた。
  1946年には、「張り子の虎」発言を行っている。
   スターリンは、中国への技術供与を了承しなかった。
  1949年8月29日、ソ連最初の核実験が成功した。
   この成功により、アメリカによる「核兵器独占」は
   終わった。
  1950年6月25日、朝鮮戦争が始まる(~1953年7月27日)
  1953年2月2日、アメリカ合衆国大統領アイゼンハワー
   が、一般教書演説において、中国への原爆投下の可
   能性について言及し、中国に対して核使用による脅
   迫を行った。
    そのため、毛沢東には、スターリンに対して、原
   子爆弾の技術提供を要求する口実ができた。
    毛沢東は、中国の核物理学者の銭三強を、モスク
   ワへ派遣するが、ソ連はこれを拒絶した。
    しかし、銭三強は、以降も、ソ連の核研究施設に
   入れてもらうよう交渉を三ヶ月も続けた。
    1950年の中ソ友好同盟相互援助条約には核兵器に
   関する協定は含まれていなかった。
    スターリンは、中国に核兵器を持たせたくなかっ
   た。
  1953年3月5日、スターリンが心臓発作で死去する。
    スターリンの死後、ソ連指導部は、西側諸国との
   緊張緩和を目指し、中国へも停戦に協力するよう説
   得を始めた。
    しかし、毛沢東は、原爆を渇望するあまり、朝鮮
   戦争の継続に固執した。
    アメリカ軍が、細菌兵器を使用したというプロパ
   ガンダを巡って、ソ連政府は、中国政府を威嚇して、
   毛沢東は、1953年5月に、ようやく朝鮮戦争の停戦に
   応じた。
    毛沢東が、朝鮮戦争の終結に同意したため、ソ連
   新クレムリンは、中国に大型工業計画を売却する。
  1953年6月15日、これを受けて、この日、毛沢東は、
   軍事大国を目指した第一次五ヵ年計画を提起した。
  1954年7月、中国は、台湾侵攻を開始した。
   これは、再びアメリカとの対立を作ることで、ソ連
   に原爆製造技術を要請するためにしたことであった。
  1954年9月3日、金門島へ砲撃を開始した。
  1954年10月1日、ソ連代表ニキータ・フルシチョフが、
   訪中した(スターリン時代には考えられないこと)
    フルシチョフは、15企業の売却と5億2000万ルー
   ブルの借款を約束した。
    原爆については、毛沢東が強く交渉し、ソ連側は、
   中国の原子炉建設援助を不承不承承諾した。
  毛沢東は、核技術をソ連から買うために、「なけなし
 の資金」を投げ出した。
  その為、中国農民たちが飢餓状態になるという「飢餓
 輸出」が冷酷に行なわれた。
  中国を崇拝する日本の中国研究者の加々美光行でさえ・・、
  「毛沢東の大躍進や文化大革命は、毛沢東の決定的な
 誤りによる大失政である事は誰も疑わない」と言う如く
 であった。
  多くの中国国民の方々の人間性が破壊されるばかりの
 施策が行なわれた。
  毛沢東は、都合が悪ければ「中国国民党に行くような
 人間」で、また、粛清もするような人物である。
  この毛沢東の中国共産党は、スパイを多用した。
  その酷い例が・・、
  中国国民党に送り込まれた中国共産党のスパイは、出
 世をし、中国共産党軍との戦いで、わざと敗けてばかり
 していた。
  (参考)胡宗南:こそうなん、中華民国の軍人、国民
     政府に属した・・それまで軍功を上げていたが・・
      1930年11月、第1軍第1師師長に事実上任命さ
     れ・・その後、長征中の中国共産党(紅軍)
     討伐のため、胡宗南は陝西省南部でこれを
     迎撃したが、大損害を被って突破を許してしま
     う。
  胡宗南が敗北を続けたのは、中国共産党の周恩来によ
 って中国国民党に送り込まれた中国共産党のスパイとし
 て胡宗南の機密秘書となった熊が、何年にもわたって、
 胡宗南の作戦をすべて中国共産党側へ知らせていたから
 だった。
.
2000年、「GRU帝国第一巻」(コルパキジ、プロホロフ
 共著)が、モスクワで出版された。
  GRUは、ソ連軍諜報本部情報総局のことで、張作霖
 爆殺はソ連が実行したもので、日本がやったように見せ
 かけた・・と書かれている。
  その記述・・、
  「『グリーシカ』機関の実行したいくつかの工作の中
 でも、一番世間を騒がせたのは、1928年6月の張作霖爆殺
 だった。
  張作霖は、北京政権を牛耳り、露骨な反ソ連姿勢をと
 っていた。
  特別列車が爆破された時、張作霖の乗っていた車両の
 隣の客車にはイワン・ヴィナロフ(ティンゴンの部下)
 が乗車しており、事件現場の写真を撮った。
  謀殺は周到に計画され、日本軍の特務機関がやったよ
 うに見せかけた」。
  張作霖が、ソ連にかなり恨(うら)まれていたのは事
 実で・・、
  張作霖は、1927年4月、北京のソ連大使館に踏み込み、
 中国国民党とソ連が組んでいることを示す証拠を押収し
 たうえ、中国語に翻訳して大部の冊子として公表してば
 らしていた。
  また、1920年代、1930年代のソ連は、暗殺をするのが
 日常茶飯事だった。
  ソ連諜報部には、その様なことをする組織がたくさん
 あった。
  また、この様なやり方が、まったく一致している。
  この関連情報には、まだ未公開部分(公表不許可の
 部分)がある。
  ソ連の諜報やプロパガンダは盛んに行なわれていた。
  日本は、「世界制覇の野望がある」と偽装された事件
 さえある。
  その様なことが書かれている「田中上奏文」があると
 でっち上げられた。
  この「田中上奏文」も、ソ連のKGBの前身のOGP
 U(国家合同警察本部)が偽造した文書だと判明してい
 る。
  この「田中上奏文は、偽造文書とはっきりした」が、
 残念なことに、東京裁判の時は、前記の様な事が、まだ、
 不明で・・、
  この「田中上奏文」は重要視されてしまった。
  因みに、「田中上奏文」に、どんなことが書かれてい
 たかというと・・、
  日本が共同謀議して、「支那を征服せんと欲せば、ま
 ず満州・蒙古を征せざるべからず。
  世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざる
 べからず」・・と書かれていて、
  この文書を天皇陛下へ上奏されたとでっち上げられた。
.
2018年1月10日、38度線が無くなる・・韓国が北朝鮮に飲み
 込まれる可能性が大きい・・
  https://www.youtube.com/watch?v=B5vMbIJewV4
  韓国が無くなってしまう!
  藤井厳喜氏が語る。
  (参考)藤井 厳喜:ふじい げんき、1952年8月5日~
     日本の国際問題アナリスト、評論家、シンクタ
     ンク経営者。
  韓国が無くなる可能性が大きくなった。
  南北の朝鮮統一は、韓国が無くなる形となる。
  文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領が、それを望ん
 でいる・・
  表面は、朝鮮民族統一と美しく言っているが・・
  北朝鮮に「取り込まれてよい」としている・・
  一国二制度の方式がとられる・・
  高麗民主連邦共和国(金日成が提唱した南北朝鮮の統
 一方法)による・・
  一民族・一国家・二制度・二政府の下で連邦制による
 統一・・
  軍事は統一・・
  トップは、とりあえず北と南に居るが、アメリカ軍を
 韓国から追い出す事を目的とする・・
  統一されて北朝鮮の脅威がなくなれば、アメリカ軍の
 居る理由が無いというのが、その理屈で論理で行われる・・
  過去に、アメリカ軍が、朝鮮戦争で血を流して韓国を
 守ったという貢献・意義の話は・・雲散霧消している・・
  雲散霧消(雲や霧が消えてしまうように、物事が一度
 に消えてなくなる事・・
  朴槿恵(パク・クネ)は、北京に尻尾を振って行き、
 天安門の上から閲兵までするという親中国のそぶり・・
  これに、アメリカは、大変びっくりした・・
  ここまでするか?・・の状態・・
  韓国は、日本の共産圏との緩衝地帯という状況ではな
 くなった・・
  そして、アメリカ軍が、韓国から出るとなると・・
  韓国にある核兵器から何までも、持って出るアメリカ
 軍となる・・韓国から引き上げるアメリカ軍となる・・
  THAADミサイル(弾道弾迎撃ミサイル・システム)
 も持って帰る・・
  設置に大反対していた中国は・・にっこり・・
  こうなったら朝鮮戦争で亡くなったアメリカ兵の4万人
 の流した血=韓国を守った血は何だったのかになる・・
  大侮辱状態となる・・
  しかし、だらだら続けるわけにも行かない・・
  韓国は、アメリカの植民地と言って良い状況だったが、
 その韓国にナショナリズムの核(心棒)が無くなってい
 る・・
  核(心棒)が無くなった国=韓国を助ける事は出来な
 い・・
  経済援助・軍事援助も、結局、無駄になる・・
  南ベトナムも、それ(国家の核・心棒)が無かったか
 ら・・滅びた・・
  韓国も、今、国軍が腐敗している・・
  軍備も不備が多い・・
  手榴弾も正常に働かない・・
  自走砲も機能しない・・
  弾が逆に発射する状況・・
  危険な所に行く場合、親の許可を得ることがなされる
 事が慣習化しているという状態・・
  携帯で許可を得る兵に、上官がその携帯電話に出て説
 明するという状態・・
  軍ではない状態・・
  マティス国防長官も、この様な状況を見ている・・
  かつては、立派な軍人も居た韓国・・
  その様な軍人は、パージ(追放、公職から締め出すこ
 と)され、居なくなった・・
  残ったのは、利権あさりをする様な輩の状態・・
  売春斡旋や保険詐欺をする状態・・
  国民の信頼も失われている・・
  国の心棒の軍が、このありさまの韓国・・
  アメリカは、軍人が社会で尊敬されている・・
  韓国の愛国心が失われている今日(こんにち)になっ
 てしまった・・
  今、韓国の核(心棒)が無くなっている・・
  北朝鮮は悪いが、金というアイデンティティ(帰属意
 識)はある・・
  その点、何も無い韓国は、止めた元大統領を打ちのめ
 す様な国になってしまった・・
  韓国は、漂流状態・・
  北朝鮮は、核兵器は放棄しない、そのポーズはしてい
 るが・・
  文在寅韓国大統領は、アメリカとはまったく何も合わ
 ないという大統領・・
  選挙の時から親北朝鮮を表明していた・・
  だんだん親北朝鮮の方向へ進んで来た韓国・・
  財閥が叩きのめされている・・
  庶民に、財閥に対する怨嗟の声が満ちている・・
  サムスン財閥解体が取りざたされている・・
  文在寅韓国大統領も、財閥に否定的・・
  庶民の声に乗って動いている状態・・
  財閥が無くなったら韓国経済は終わる・・
  韓国の求心力も無くなる・・
  その財閥も、ほとんどが外国資本となっている・・
  サムスンも、ほとんどが外国人株主・・
  サムスンが儲けても、韓国の儲けにならない状態・・
  韓国の恨みの文化が、爆発する・・
  韓国GDPの2割を稼いで来た財閥がこの状態・・
  これが無くなったら後に何が残るの?という状態・・
  この最悪事態が起きれば、外国資本が総引き上げとな
 る・・
  韓国経済が、大変な状態となる・・
  今、輸出先が、中国で支えられている・・
  自由貿易を謳う中国は嘘・・
  意図的貿易をしている中国・・
  意図:目論見や目的や考えをもって「わざとするさま」・・
  WTO違反の中国・・
  中国に頼る韓国・・
  だから、言うべきことも言えない韓国・・
  昔の中国の冊封体制が思い出される状態・・
  サムスンの投資も空回り・・
  日本憎しをやることだけで韓国がまとまるという国状・・
  昔のまとまる「反共産の手」は使えなくなっている・・
  残されたのは反日だけ・・
  反共産をしなければ、北の核兵器の脅威もなくなる・・
  北朝鮮がやって来た「対南工作」が功を奏し始めてい
 る・・
  マスコミ、教育界(特に大学)、労働組合が、じわー
 っと親中国・親北朝鮮になった(日本もか?)・・
  韓国の一番の保守系新聞の朝鮮日報でさえ、親中国・
 親北朝鮮・・
  「親アメリカは、ほとんど無い」という状態・・
  大量の工作員がやって来た事が、この様な状況を作っ
 た・・
  日本のマスコミもこの状態・・
  日本以上が韓国・・
  言論の自由だと言ったって親中国・親北朝鮮になるた
 めの発言・・
  国防上で、アメリカや日本と連携する意思も無くなっ
 ている・・
  1976年、カーター大統領も引き上げる発言をしている・・
  韓国は、同盟国の名に値するか?・・
  信頼できるか?・・
  同盟の価値があるのか?・・
  一国二制度の道へ進むだろう・・
  これは、現政権の文在寅韓国大統領の公約・・
  国民へ、一国二制度でやると公約した・・
  38度線は、対馬と朝鮮半島の間に来る・・
  北朝鮮のテポドンやノドン・ミサイルは、この対馬の
 対岸まで来る・・
  竹島にも配備されるのか?・・
  日本の防衛構想は、それを前提にしなければならなく
 なっている・・
  対馬海峡の防衛強化・・
  緩衝地帯のない状態を、日本はこれから経験する・・
  北朝鮮の核兵器が、ここまで来る可能性が生じる・・
  アメリカにとっての緩衝地帯の喪失ともなっている・・
  南ベトナムと同様に進む韓国のこの先・・
  アメリカの兵士の血でタイの共産化が防げた・・
  シンガポールの先まで共産化しただろう・・
  ASEAN(東南アジア諸国連合)を守った血だった・・
  日本の赤化も守った・・
  今、ひしひしとその波が押し寄せる日本だが・・
  民主党~民進党の政権が続いたら(実際は、3年で終わ
 ったが)、とうなっていたか?、赤化していたのでは?・・
  そして、日米安保は解消されていただろう・・
.
2018年12月、起きてもいない南京事件を、「あった、あっ
 た」と言いたい中国政府
  2018年12月のニュースを見ていたら、中国政府が、中
 国国民に、「その日に車のクラクションを鳴らせ」とか、
 「黙とうせよ」とかの命令「法律を作って、無理にやら
 せようとする中国政府となっている」。
  中国国民の声も放送されて居たが・・「法律を作って
 無理に強制するのは意味が無い」と言っている映像が放
 送されていた。
  中国政府は、南京事件が「あった、あった」とは言う
 が・・中国政府は、「このようにして南京事件が起こっ
 た」とは言わない。
  起きてないことが、「言えるわけがない」。
  無理に言おうとすると・・
  「自国軍の中国軍が、日本軍を恐れて逃げて来る中国
 軍の自国軍を、逃げないようにと、日本軍と戦わせよう
 と、中国軍が、自国軍を銃撃して殺す」という話ばかり
 が出て来る。
  だから、中国政府は、「あった、あった」とだけを言
 うばかりとなる。
  中国は、スパイをあちこちに行かせるが・・、
  こんなスパイから「南京事件がでっち上げられて行く」。
  中国国民政府の宣伝部が、中国共産党に繰られていた。
  南京戦の時、邵力子(しょうりきし)は、中国共産党
 勢力から中国国民政府の蒋介石政権へ送り込まれ、中央
 宣伝部の部長になる。
  そして、プロパガンダ工作を盛んにする・・南京事件
 もでっち上げる。
  (参考)邵力子:しょうりきし、1881年~1967年、中
     国の政治家。
      上海の震旦(しんたん)書院を卒業。
      1908年、中国革命同盟会に入り,
      1910年、『民主報』創刊。
      1916年、上海の『民国日報』の編集長兼発行
       人となり、同時に大学で教えた。
      1919年、国民党加入。
       中国共産党創立時の党員であったが脱党し、
       国民革命期には国民革命軍総司令部秘書長
        (1927~31) 、黄埔軍官学校秘書長となり、
       蒋介石の信頼が厚かった。
      1928年、国民党中央政治会議委員
      1932年、甘粛省政府主席、
      1933年~1937年、陝西省政府主席に選ばれ、
       抗日戦争中は国民党宣伝部長、
      1940年、ソ連駐在大使。
       国民参政会秘書長を歴任。
      1948年、国民党革命委員会に参加して国共和
       平を主張
      1949年、人民政治協商会議に出席。
       国民党革命委員会常務委員、
      1954年、全国人民代表大会常務委員会委員(
       広東省代表)、人民政治協商会議全国委員
       会常務委員などの要職にあった。
.
2018年12月12日、まったくおかしいNHKの番組
  キリスト教に偏するNHKは、キリスト教が「日本を
 貶(おとし)める」ように、NHKも日本を貶める行為
 を年がら年中している。
  キリスト教は、「日本の国歌・君が代の斉唱に反対」
 したり、「日本の国旗の日の丸の掲揚に反対」したりし
 ているが・・、
  NHKも、あらゆるNHKの放送する番組で、日本を
 貶める行為や工作をしている。
  その一例が、「クローズアップ現代」である。
  2018年12月12日(22:00~22:25)のこの「クローズ
 アップ現代(辺野古移設)」について申し上げれば、
  この番組の80%の時間が「反対論の主張」に割(さ)
 かれているという大変不公正な異常状態。
  このNHKの番組のほとんどの放送の時間が、反対に
 ついて放送しているという状況・・
  「反対する市民の発言」が次々と続くという状況で、
 その反対論がほとんどと言って良い番組の放送状態・・、
 市民の賛成論は「まったくない」という不公正な放送番
 組の作り方であった。
  ただ、政府が説明している状態だけという「偏頗なN
 HKの番組の作り方」で、「賛成論がまったく無い」「
 賛成論を欠如した」という番組だった。
  普天間の危険性を無くすために、沖縄県の方々の基地
 負担を無くすために、この様な行動をしているという視
 点の放送が「ほとんど聞こえて来ない」というNHKの
 番組の作り方であった・・
  市民の賛成論を「削った」「まったく無くした」とい
 う番組だった。
  NHKの2人の解説員までが反対論で、また、NHKア
 ナウンサーまでが反対論で・・放送できる状態が成立し
 ない不公正な番組だった。
  日本国民を片寄った偏頗な方向に洗脳しようとする番
 組の作り方であった。
  完全に「放送法違反の番組」だった。
  日本を裏切るNHK・・結局、中国に利する放送だっ
 た・・
  (参考)偏頗:へんぱ、片寄って不公平なこと。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

by suba28 | 2018-12-18 05:11 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)621E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年2月~1895年3月)

題:*(増補版)621E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年2月~1895年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年2月23日、全国の官設鉄道の線路名称を統一した。
  創業以来はじめて東海道線・信越線・奥羽線・北陸線
 の線路名称を定めた(鉄第366号、28年度から施行)
.
1895年2月24日、キューバ革命
  民衆が、ハバナで蜂起した。
  アメリカ・スペイン戦争・・スペイン領キューバの独
 立戦争に、1898年、アメリカ合衆国が介入した。
  そして、スペインを破って、スペインの植民地を奪っ
 た。
  アメリカの「帝国主義戦争」だった。
  1895年2月、キューバでホセ・マルティ指導の第二
次独立戦争が始まった。
  革命軍は、島の東半分を解放した。
  1897年秋には、革命政府を樹立した。
  スペインは、大軍を派遣し、残虐な鎮圧作戦を行なっ
 た。
  長い間つづいた戦いのため、島は荒廃した。
  一方・・、
  同じくスペイン領のフィリピンでも、独立の機運が高
 まっていた・・
  しかし、『民族自決の原則』は何のその・・アメリカ
 とスペインの帝国主義の乱暴行為が、ここでも始まった。
  1896年8月、独立革命が勃発(ぼっぱつ)した。
   その後、一時は挫折(ざせつ)したものの・・
  1898年に入って、また、再燃した。
  アメリカは、キューバに約5000万ドルの投資と、年
 間1億ドルを超える貿易の利益を持っていた・・
  また、ラテンアメリカ市場と、中米の地峡運河地域へ
 のルートの要所を押さえるのに好適な『カリブ海の要衝』
 として、キューバへの『戦略的関心』をアメリカは抱い
 ていた。
  キューバの動乱は、このアメリカの利益を脅(おびや)
 かした。
  アメリカ政府のマッキンリー大統領は、革命軍を承認
 しなかった・・そして・・利益確保のため、武力行使・・
  1898年初めに、アメリカの一方的介入だった・・武力
   行使行動が始まった・・
  1898年2月、デローメ事件と、メイン号爆沈事件が起
   きた・・うさん臭い動きだった。
  これらの事を利用した「イエロー新聞」の扇動によっ
 てアメリカ世論は激高させられた・・そして・・
  アメリカ経済界の主流が・・戦争支持への転換などが
 あり・・政府も同意を固めさせ・・政府はこの様な世論
 に動かされた・・
  (この様なイエロー新聞などの動きには、日本も被害
 を受けている・・このイエロー新聞に、南京事件がでっ
 ち上げられて、日本も濡れ衣を着せられた・・起きても
 居ない南京事件が「あったとされた」)
  こうして段取りを整えられた状況の中で・・
  1898年4月11日、アメリカのマッキンリー大統領は、
   議会に開戦教書を送った。
   開戦の大義名分が整ったとした。
   これは、キューバ共和国を支援するためではなく・・
   この様な美名のものではなく・・『アメリカ自身の
  利益』を守るために干渉する意図が明らかにされてい
  た・・本音が現れていた。
  議会での激論のすえ、平和回復後、キューバを独立さ
 せるという「自分を納得させる」条件付きで戦争介入が
 承認された。
  1898年4月25日、アメリカが正式に宣戦布告した。
   最初の戦闘は、フィリピン戦線でのアメリカのデュ
   ーイ提督麾下(きか)のアジア艦隊によるマニラ湾急
   襲と、スペイン艦隊撃破であった(1898年5月1日)。
  (参考)ジョージ・デューイ (1837年12月26日~
1917年1月16日) 、アメリカ海軍の軍人。
      この米西戦争のマニラ湾海戦で英雄となり、
     アメリカ海軍史上でただ一人、海軍大元帥(海
     軍主席提督)の地位を与えられている。
  デューイは、その後、フィリピン人の独立闘志アギナ
 ルドのフィリピン革命軍を『利用して』マニラを包囲し
 た。
  そして、この後に到着したアメリカ地上軍が、1898
 年8月13日、マニラを侵略した。
  しかし、フィリピンの独立軍であるアギナルド軍は、
 可哀想に『利用されただけだった』。
  アギナルド軍は、、マニラから排除され、マロロスへ
 退去させられた。
  一方、カリブ海戦線では、キューバのサンティアゴ攻
 略が主目標とされた・・
  1898年6月末、アメリカ陸軍1万6000が、キュー
バ革命軍を援助するという『名目』のもとに上陸した。
  また、アメリカ海軍も、サンティアゴ港脱出を図った
 スペイン艦隊を撃破した。
  最後に、アメリカ軍と革命軍は、サンティアゴを攻撃
 し・・、
  1898年7月16日、陥落させた・・が・・、
  革命軍は、降伏条約の調印参加を拒否された・・
  ここでも、『革命軍は利用されただけだった』。
  こうして戦闘は4か月で終わった。
  1898年8月12日、休戦協定がなり・・舞台はパリ
講和会議へ移った。
  フィリピンとキューバの代表を『ここでも排除した』・・、
  1898年12月10日、アメリカとスペインだけの間で
結ばれた講和条約は、スペインがキューバを放棄し、フ
ィリピン、グアム、プエルト・リコをアメリカに割譲し、
アメリカはスペインに2000万ドル支払うことを約した。
  主役に居ない『演技となった』・・
  このアメリカ・スペインの勝手な舞台劇の末に、アメ
 リカは、戦争中に併合したハワイをも含めて『一大植民
 地帝国』を実現した。
  アメリカは、この様にして世界強国としての帝国主義
 の道に乗り出した。
  しかし、キューバとフィリピンの『本来の所有者であ
 る革命軍』は、アメリカ軍政下で押しつぶされた。
  そして、その国々は、アメリカの保護国と植民地とに
 されてしまった。
.
1895年2月26日、「私設鉄道株式会社ニ関スル件」(法
律第4号)を公布した。
  第一条:私設鉄道株式会社ハ各株式二付十分ノ一以上
   ノ払込ヲ為レタルトキハ其ノ登記ヲ受クルコトヲ得
.
1895年3月1日、京浜および京阪神区間の定期運賃を改
正した。
  学生下等定期乗車券を発売、定期乗車券購求者心得を
 制定、定期乗車券発行規約改正
.
1895年3月4日、流星雨が出現し、愛媛県に隕石が落下
した。
  重さ約71kg。
.
1895年3月6日、鉄道敷設法改正、
  北陸線に舞鶴から小浜を経て敦賀に至る鉄道追加(法律
 第11号)
  羽越線および岩越線として新発田から米沢に至る鉄道
 および新津から若松を経て白河本宮付近に至る鉄道追加
 (法律第12号)
.
1895年3月15日、平安遷都1100年紀念祭
  平安神宮創建鎮座式が行われた。
  有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁親王(たるひとしんの
 う・・後に、小松宮(こまつのみや)彰仁親王(あきひ
 としんのう)と交替)を総裁にむかえて行われた。
  会長に近衛篤麿、副会長に佐野常民が就任した。
  平安遷都千百年紀念祭協賛会を設立し、国務大臣も関
 与する国家的な行事となった。
  平安宮朝堂院正殿の大極殿(だいごくでん)を模した神
 殿などが岡崎(現:左京区)の地に造営された。
  桓武天皇を奉祀する平安神宮が1895年3月に完成し
た。
  官幣大社に列せられた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:そして、その国々は、アメリカの保護国と植民地とに
   されてしまった。 
    そして、アイヌを先住民としたいキリスト教の勢力は・・、
   「古来から、アイヌは、北海道に住んで居た」としたい
   のであるが・・しかし、それは嘘で、プロパガンダである。
.
紀元前15万年、日本は大陸とつながっていた。
  この頃のリス氷期末期、日本は樺太ともつながり、ま
 た、朝鮮半島や中国とも繋(つな)がっていた。
.
紀元前15万年~紀元前7万年、対馬海峡ができる。
  対馬と朝鮮半島の間の対馬海峡ができた。
.
紀元前4万年、アフリカを発したホモ・サピエンスが、日
 本列島に到達した。
  この中にアイヌが居る訳はない・・
  アイヌを日本列島の先住民にしたいキリスト教勢力は、
 この中にアイヌが居たことを証明しなさい!
  日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)が現れるの
 は4万年前〜3.5万年前と考えられていて・・
  紀元前3万3000年、日本列島の後期旧石器時代は、
約3万5000年前に始まり、縄文時代へと移行する
約1万5000年前までの約2万年間という長い長い
期間、続いていた。
    この長い期間の間、日本に到達したホモ・サピエ
   ンスは日本列島中を移動し、交雑し、結婚した。
  紀元前3万年、沖縄の洞穴で発見された子供の骨は初
   期現代型新人の特徴に一致する。
   歴史的資料としては、種子島の横峯遺跡から約3万
   年以上前の土層(地層)から、日本国内最古の調理
   場跡が発見されている。
  紀元前2万3000年頃、世界最古の釣針
   日本の『沖縄県』で発見された貝殻製の釣針。
  紀元前2万年、この頃、海面が最も下がった、現在よ
   り120メートルも低下していた。
   本州と四国、九州、それから屋久島、種子島も陸続
   きで、また、ロシアと北海道も陸続きで・・、
    縄文人の祖先たちやマンモスは、ユーラシア大陸
   から歩いて日本にやって来た。
  紀元前2万年、最終氷期の寒冷期で、海面が120メー
   トル以上も低下していた。
  紀元前2万年、日本最古の後期旧石器時代の住居跡。
   日本の住居跡遺跡が整った形で発見された。
   大阪府藤井寺市の「はさみ山遺跡」
  紀元前1万8000年頃、世界最古の土器
   中国『湖南省』で発掘された約1万8000年前の土
   器
   また、日本の『大平山元I遺跡』の縄文土器(約1
   万6500年前)や・・
   太平山元遺跡(青森県外ヶ浜町):日本最古とされ
   る約1万6500年前の土器が出土した集落遺跡
   愛媛県の太平洋側である上黒岩岩陰遺跡では、放射
   性炭素年代測定により14,500年前と測定された。
   人骨が発掘された。
.
紀元前1万年、対馬と九州との間の対馬海峡ができた。
.
紀元前3200年、縄文人は日本中くまなく居て、当然、北
 海道にも住み、その縄文遺跡の一つ・大船遺跡は・・
  遠いアフリカから、はるばる日本に人類が来たように、
 古くて、そして、長い年月をもつ縄文人時代の歴史にお
 いて、縄文人は日本中を移動していた。
  北海道の中にも、当然、その縄文人の遺跡があり・・
 その一つが、この大船遺跡で・・
  アイヌを先住民としたいキリスト教の勢力は・・、
 「古来から、アイヌは、北海道に住んで居た」としたい
 のであるが・・しかし、それは嘘で、プロパガンダであ
 る。
  大船遺跡は、太平洋に面した海岸段丘上に立地し、縄
 文時代前期後半から中期後半(紀元前3,200年~紀元前
2,000年頃)の大規模な集落遺跡。
  100棟を超える竪穴建物跡からなる住居域と大規模な
 盛土遺構があり、
  その南西には、墓や貯蔵穴を含む100基以上の土坑墓
 群が確認される。
  北海道・北東北の縄文遺跡群は、津軽海峡を挟んだ日
 本列島の北海道・北東北に位置し、
  縄文時代の各時期(草創期、早期、前期、中期、後期、
 晩期)における、人々の生活跡の実態を示す遺跡となって
 いる。
  (集落跡、貝塚、低湿地遺跡)や、祭祀や精神的活動の
 実態を示す記念物(環状列石、周堤墓)で構成された17遺
 跡からなる考古学的遺跡群となっている。
  縄文時代を彷彿とさせる植生や地形など、豊かな自然
 環境が保全されている遺跡が数多くある。
  また、周囲のガイダンス施設や資料館では、発掘調査
 の状況や、縄文人の傑作とも言える土器や土偶などの遺
 物が数多く展示されている。
  1、大船遺跡(函館市):大型の竪穴住居が特徴的な
    大規模集落遺跡
  2、垣ノ島遺跡(函館市):国内最大級の盛土遺構を
    持ち、異形土器などが出土した集落遺跡
  3、キウス周堤墓群(千歳市):掘り下げた土を周囲
    に環状に盛った大規模な周堤墓
  4、北黄金貝塚(伊達市):保存状態の良好な埋葬人
    骨や動物遺体が各種出土している貝塚
  5、入江・高砂貝塚(洞爺湖町):周辺の自然環境、
    生活や生業(なりわい)、人類学的形質や葬法を
    あらわす貝塚
  6、鷲ノ木遺跡(北海道森町):北海道内最大規模の
    環状列石
  7、三内丸山遺跡(青森市):人々の縄文時代観にも
    大きな影響を与えた我が国を代表する集落遺跡
  8、小牧野遺跡(青森市):大規模な土地造成と特異
    な配石によって構築された環状列石
  9、大森勝山遺跡(弘前市):全国でも数少ない縄文
    時代晩期の環状列石
  10、是川石器時代遺跡(八戸市):漆・木製品の優品
    が数多く出土した集落遺跡
  11、田小屋野貝塚(つるが市):日本海側における数
    少ない貝塚
  12、亀ヶ岡石器時代遺跡(つるが市):亀ヶ岡文化の
    名称の由来となった代表的な集落遺跡
  13、太平山元遺跡(外ヶ浜町):日本最古とされる約
    16500年前の土器が出土した集落遺跡
  14、二ツ森貝塚(七戸町):東北地方有数の大規模な
    貝塚
  15、御所野遺跡(一戸町):焼失した土屋根住居が確
    認されている大規模集落遺跡
  16、大湯環状列石(鹿角市):万座・野中堂の2つの
    大規模環状列石を主体とする我が国を代表する遺
    跡。特別史跡になっている。
  17、伊勢堂岱遺跡(北秋田市):4つの環状列石を主
    体とする大規模な祭祀遺跡
  18、長七谷地貝塚(青森県八戸市):東北地方に数少
    ない縄文時代早期の貝塚
     ・
      ・
      ・
1877年、インドで飢饉が起き、500万人が死んだ。
  この原因は、イギリスが、インドの方々へ食料を作ら
 せなかったからだった(イギリスが儲かる綿花を作らせ
 た)
  ヨーロッパの列強諸国は、アジアの都市・沿岸地方に
 おける貿易で利潤を得るのが目的であった・・
  18世紀後半の産業革命を迎えると、原料の供給地と製
 品の市場として広範囲な植民地を直接支配する。
  土地の集約的耕作と輸出用換金作物の大規模栽培は、
 白人の資本の投下によるプランティションで行われたが、
 それはタダに近い土地で、低廉な労働力を使い、莫大な
 収益をあげた。
  マレーのゴム、インドの綿花というように・・、
 特定の一次商品を宗主国に輸出し、完成消費財を植民地
 へ輸入させるという経済構造に変質したため、従来の自
 給型農業が壊滅し、決定的な変化を被った。
  その結果、水田の減少や、失業者の増加により、飢饉
 に際して、多くの犠牲者を出すようになった。
  ジャワでは、なんと人口33万の町が12万に減少した。
  インドでは、イギリスの支配の後に、明らかに飢饉が
 増加し・・
  1877年の南インドの飢饉では500万人が死亡した。
  1943年での犠牲者は、ベンガル地方だけで340万に
も達した。・・イギリスの罪悪は極悪だった・・
  また、大規模農業の急速な開発によって、大量の労働
 者を必要とした列強の宗主国は、大量の移民政策をとっ
  た。
  インドネシアでは、中国人苦人(クーリー)が・・1860
 年の20万人から1930年の123万人と6倍に増加した。
  マレー半島では、鉱山労働者に中国人、ゴム園労働者
 にインド・タミール人が大量に移入させられた。
  これらの移入させられたアジア人は、現地社会と融合
 せず、固有の習慣や宗教を保持したため、複合社会がで
 きあがってしまった。
  また、植民統治では、この移入させたアジア人を金融
 と流通機構に登用したため、上部に白人支配層が、次に
 華僑やインド人などの外来アジア人が、最も人口の多い
 現地民が最下層の地位におかれるという階層社会が造ら
 れた。
  この大量の移民政策の結果、例えば、マレーシアでは、
 マレー人52%、華僑39%、インド人12%という複合
民族国家となってしまった・・複合社会が形成された・・、
  戦後も、深刻な民族対立の原因となった。
  ヨーロッパ列強諸国は、植民地支配への反乱について
 は、きびしい虐殺と弾圧でのぞんだ・・救いを待つアジ
 アの方々だった。
  イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱の様に、
 徹底的な弾圧を加えるという対応をした。
  当時のイギリスの『タイムズ』紙は報じた・・
  「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院
 をたたきこわせ」。
  「白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴
 徒を死刑にせよ」・・と報じ、報復を訴えた。
  事実、イギリスは、みせしめのため捕虜の集団銃殺撃
 や焼き殺しなど、珂責ない虐殺や弾圧を行った。
  フランスのベトナム支配は、監獄をつくることから始
 まった。
  1940年のメコン河流域の住民蜂起では、6000人の
ベトナム人が逮捕され、サイゴンの監獄は満員となり多
くの囚人が殺され、死亡した。
  1945年に、ホーチミン国家主席が読み上げた独立宣
 言には、その怒りが込められている。
  「…彼らは学校より多くの監獄を建て、容赦なく愛国
 者を殺害し、蜂起の民を血の川に溺れさせた・・」
  アメリカとて例外ではなかった。
  米西戦争に勝ったアメリカは、フィリピンに戦争を仕
 掛けて8万人の陸軍部隊を送り込み、全域を強制的に制
 圧した。
  また、1906年、アメリカ式の土地制度などに反発し
 たイスラム系住民の反乱の時は、アメリカ軍は住民らの
 砦を包囲して、戦闘員から女子供をも含めて600人全員
 を皆殺しにしてしまった。
  列強のアジア支配の例として、オランダの350年間に
 わたるインドネシアの卑劣な支配の特徴を、ASEAN
 センターの中島慎三郎理事長は次のように分析している。
  ①オランダの安全と利害に関係ない限り放任し、人民
   を文盲のままにして各地の土侯(サルタン)を使っ
   て間接統治した。
    徹底した愚民政策を強(し)いた。
  ②才智にたけたアンボン人とミナハサ人とバタック人
   を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官
   や軍人として登用した。
    そして、女性を性奴隷的にして、オランダ人とイ
   ンドネシア人の混血児を作り、中間階級として使っ
   た、また、民族の分断を画策した。
  ③社会の流通経済を華僑にやらせ、経済搾取によるイ
   ンドネシア国民の憤慨と憎悪を華僑に集まるよう仕
   向けた。
  ④インドネシア人の団結を恐れ、一切の集会や団体行
   動を禁止した。
    3人のインドネシア人が立ち話することすら許さ
   ず、禁を犯せば反乱罪で処罰した。
  ⑤インドネシア国民の統一を阻止すべく、全国各地域
   で用いられていた320の種族語をそのままにして、
   一つの標準語にまとめる企ては絶対に許さなかった。
.
1898年、この年の頃から、アメリカは、日本を警戒し始め
 た。
  日露戦争の時までは、アメリカは、日本寄りにいた・・
  日露戦争の終結は、アメリカによってできた。
  いつからアメリカは、「日本潰しのアメリカ」になっ
 たのか?
  櫻井よしこ氏は、「日清戦争と日露戦争の中間で、
 1898年の米西戦争の後だ」と言われる。
  「アメリカのその様な気持ちが、日露戦争の日本勝利
 で、一層強まった」と言われる。
  ルーズベルト大統領は、ロシアを破った日本を小さい
 ながら注意しなければならない国だと思いはじめた。
.
1900年、アメリカはハワイを得たいと、それまで行われて
 来ていた日本人移民に難癖をつけた。
  日本人移民は、アメリカのハワイ属領制実施の1900
 年から著しく増加した。
  日本政府は、差別的法律が制定されるのを防ぐため、
 1907年、1908年、日米紳士協約を結び、自主的に移
民を制限した。
  しかし、アメリカ人移民によるハワイのアメリカ化は
 酷い状況にあった。
  その様な状況で、日本人移民の移民問題は解決されな
 かった。
  日米通商航海条約の、旧条約の終了と同時に有効とな
 る新条約を結び、留保条項を削除し、関税自主権を完全
 に回復した。
  日本政府は、同時に紳士協約の維持宣言をアメリカ政
 府に伝えたが、アメリカは、1924年、排日移民法によ
 り紳士協約を一方的に廃棄した。
  1939年7月26日、アメリカは、自国の行為は沈黙
して、日本の中国での行動だけに抗議し、条約の廃棄を
通告した。
  野村吉三郎(きちさぶろう)外相は、グルー駐日大使と
 暫定協定締結を試みた。
  しかし、成功せず、1940年1月26日失効した。
.
1919年、この年に、K・ハラ―が、ミュンヘンで結成した
 ドイツ労働党を、ヒトラーが、民族主義と社会主義を巧
 みに接合させて・・、
  1920年に、「国家社会主義ドイツ労働者党」と改名
   した。
  1921年、ヒトラーが党首となり・・
   1923年、ミュンヘン一揆を企てて投獄され、党は解
   散したが、ヒトラーの出獄とともに大衆政党として
   再出発した。
  1925年の党員数はわずか2万7000人に過ぎなかっ
たが、
   その後、群小右翼団体を吸収して・・膨張した。
  1929年には、党員数が17万6000人、
  1930年9月、ヒトラーは力を付けて来て、総選挙で
18.3%を獲得し・・第2党となる。
  1931年には、党員数が80万6000人
  1932年7月、総選挙で37.4%を得て、第1党に躍
進した。
   軍部や財界と取引を行ない・・膨張する。
  1933年には、党員数が390万人とふくれあがり・・
  1933年1月、政権を獲得した・・卑劣な行為をして
行く・・そして・・
  「ヒトラーのモデルはアメリカだった」という書評が、
 読売新聞(2018年12月9日)に掲載された。
  本の著者は、ジェイムズ・Q・ウィットマン、
  書評の著者は、藤原辰史氏(京都大学准教授、農業史
 研究者)
  以下は・・その抜書き・・
  ナチスがヨーロッパ各地で振るった壮絶な暴力は、遠
 い国の遠い過去の事で、自分には関係ない、と思いがち
 だ。
  そもそも子供たちの前で親を殺したり、子供を拷問に
 かけたり、収容所に送ったり、ガスで殺したり、沼に投
 げ捨てたりというようなナチスの残虐は確かに普段の暮
 らしからは想像しがたい領域にある。
  本書は、こうしたナチスの暴力の根拠となった人種主
 義のアイディアの最大の源泉がアメリカであると主張す
 る。
  私たちがいまなお政治、経済、軍事的に強く依存し、
 その文化を存分に味わっている、好感度の高い国である。
  ヒトラーは、「数百万人ものインディアンを銃で撃ち
 殺して数十万人まで減らした」としてアメリカへの讃美
 を惜しまなかった。
  ナチスは、人種法を制定するにあたって、アメリカの
 移民法や異人種間の結婚に重罰を与える法律、黒人の選
 挙権、移動の自由、職業の選択を制限する制度を学び、
 それを人種法構築に応用したのだった。
  ナチスの著述家たちは、アメリカを「移民立法を通じ
 てその血を蘇(よみがえ)らせようとしている」と褒(
 ほ)めたり、
  「自身の至上性を維持」しそれを未来永劫(えいごう)
 確保するために「外国人種分子の流入を防ぐ」ことに共
 感を示したりする。
  アメリカ白人至上主義が無ければ、ナチスはこれほど
 までにエスカレートしなかったかもしれない・・云々・・
.
1931年、強い対日経済制裁を唱えた対日強硬論者のアメリ
 カのスタンレー・ホーンベックが大きな影響を与えた。
  彼は、日本の真珠湾攻撃直前にあっても、「日本には
 アメリカを攻撃する能力はない」という主張を繰り返し
 た。
  そして、また、彼は、極東問題の専門家として、ルー
 ズベルト大統領に助言したほか、、コーデル・ハル国務
 長官に対しても大きな影響を与えた。
.
1937年8月13日、第二次上海事変が始まる。
  この日の前日・1837年8月12日未明、アメリカに
大規模に支援された中国正規軍本隊が上海まで前進した。
  中国軍の屈指の精鋭部隊である第87師、第88師な
どの約3万人が、国際共同租界の日本人区域を包囲した。
  この様な奇襲を受けるとは予想してなかった日本軍は、
 上海陸戦隊が2200、漢口から引き揚げてきた特別陸戦
 隊が300、呉と佐世保から送られた特別陸戦隊が1200、
出雲の陸戦隊が200、他320の計4000人あまりであっ
た。
  昭和天皇陛下は、常に話し合いを重視され、妥協を促
 される方だった。
  そして、「平和論も出しなさい」と言われる方だった。
  この第二次上海事変の時も、この様に行動なされた。
  第一次上海事変でも、日本軍は過激な行動に至らぬよ
 うにと、事前に、軍に言われて居られた。
  実際、日本軍は自制していて、白川義則大将は、上海
 派遣軍を率いて十九露軍(中国・国民党軍)を撃退した
 が、深追いはしなかった。
  そして、停戦に至っていた。
  これも、昭和天皇陛下のお言葉に依る行動自制だった
 ことは明らかで・・これは、国際連盟でも評価された。
  しかし、この様な停戦の中、膨大な「金と武器」の支
 援が、アメリカによって中国・国民党へなされて・・支
 援されて・・
  そして、この支援に支えられた中国・国民党軍は、膨
 大な日本包囲網を構築して、攻撃を仕掛けた・・、西安
 事件(1936年12月)後の活動など・・暗躍した。
  そして、この度、大々的な攻勢を日本に仕掛けたが・・
 あたかも、完全に、アメリカの代理戦争の様相だった。
.
1942年3月3日、日本海軍が、生死の危うい危険水域で
決死のイギリス兵救助を行なう。
  https://www.youtube.com/watch?v=waT94w434vM
  2018/02/05 に公開
  「正論」2008年10月号掲載 ジャーナリスト・恵
隆之介氏の論文:「敵兵を救助せよ」のそれから/わが
武士道精神の光輝と英国人元兵士の報恩の物語。
  日英両国に咲いた高貴な友情を語る・・から引用
  私は、2003年(平成15年)6月13日、朝7時30
分のNHKラジオ、ロンドン発ワールド・リポートを聞
いて驚嘆した。
  それまで昭和の全ての軍人を批判的に論じた司馬史観
 に傾倒していた私は強い衝撃を受けた。
  このレポートは次の内容であった・・
  大東亜戦争中、ジャワ海の制海権争奪に敗れた米英豪
 連合軍艦隊の残存艦艇は、日本艦隊の隙をついて同海域
 からの脱出をはかった。
  1942年(昭和17年)3月2日午後2時頃、2隻の
イギリス海軍艦艇は、インド洋への脱出を試みてジャワ
海北西海域において日本艦隊に捕捉され相次いで撃沈さ
れた。
  両艦の乗員合計約450人は、脱出し漂流を開始するが、
 約20時間近く経過した翌1942年3月3日、午前10
時頃には、生存の限界に達していた。
  赤道下の強烈な太陽光、欠乏する水分、サメ襲来の恐
 怖で、現代の日本人では理解できないほど極限状態に達
 していた。
  一部将兵は、自決のため劇薬を飲もうとしていたまさ
 にその時、単艦で哨戒行動中の日本海軍駆逐艦「雷」(
 艦長・工藤俊作中佐)に偶然発見された。
  サー・フォールは、いよいよ機銃掃射を受けて最期を
 迎えると覚悟したところ、「雷」は救難活動中の国際信
 号旗を掲げて直ちに救助活動に入ったのだった。
  甲板に引き揚げられたイギリス海軍将兵を感激させた
 のは、汚物と沈没艦艇の重油で真っ黒になったイギリス
 海軍将兵を、小柄な日本海軍「雷」の乗員達が嫌悪する
 ことなく、両脇から真水とガソリンで一人一人を丁寧に
 洗浄する光景であった。
  220名乗務の駆逐艦が、敵将兵450人を救助した。
  通常なら反乱を恐れてここまでは救助しない、しかも
 この海面は敵潜水艦の攻撃・跳梁が激しかった。
  まさに、決死の敵兵救出劇だった。
  さらに、「雷」は、潮流に流され四散しているイギリ
 ス海軍将兵を一日中・・終日をかけて救助した。
  たとえ1人でも発見すると「雷」は必ず艦を停止し、
 総員で救助した。
  中には艦から投下された縄ばしごに自力で上がれない
 将兵もいたため、日本海軍「雷」の乗員が飛び込んで救
 助する光景もあった。
  「雷」乗員は、敵将兵に供与する艦載の被服が底をつ
 くと、自らの分まで進んで提供した。
  サー・フォールは、この光景に「自分は夢を見ている
 のではないか」と何度も腕をつねったと言う。
  それだけではない、救助活動が終了した頃、日本海軍
 「雷」の艦長は、イギリス海軍士官だけを前甲板に集め
 た。
  そして、こう英語でスピーチした・・
  「自分は、イギリス王立海軍を尊敬している。
  今回、貴官らは勇敢に戦った。
  貴官たちは、今日は日本海軍のゲストである」
  そして、彼らに、士官室の使用を許し、友軍以上の処
 遇をした。
  ラジオのNHKのリポーターは、興奮を抑えながらも、
 なぜこのような美談が、戦後の日本に伝わらなかったの
 か不思議でならないと発言して中継を終えた。
  さらに、彼は、サー・フォールが、「これこそ日本武
 士道の実践」と発言したことをも付言した。
  この様な行為を、アメリカやイギリスが行なった例が
 あるのか・・??
  敗けが決まっている国に原爆を落とすという卑怯な行
 為はしても、この様な行為はした事はないであろう。
.
1945年8月17日、インドネシア独立戦争(~1949年12
月27日)
  独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず
 再植民地化したいと侵略を始めたオランダとの間で戦争
 が発生した。
  1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる戦争
で、80万人が犠牲になった。
  オランダは、これは「警察行動」だと屁理屈を言った。
  また、イギリスも侵略をし、この戦争に加わった。
  日本の正義の兵士たちは、大東亜戦争(第二次世界大
 戦)が終わった後もインドネシアに残り、再びインドネ
 シアの国を植民地にして甘い汁を吸いたいと蹂躙する目
 的でやってきたオランダ軍と戦った。
  インドネシアの独立軍に加わって、大東亜の地=イン
 ドネシアの地を、欧米列強の収奪から救おうと、命を投
 げ出して戦った。
  この時、日本軍の残した兵器が大いに役立ち、インド
 ネシアは独立を勝ち得た。
  このインドネシア独立軍と共に戦って戦死した日本兵
 たちは、今、インドネシアの英雄墓地に祀(まつ)られ
 眠っている。
  (参考)1949円12月にインドネシア連邦共和国が
成立し・・、
      さらに、連邦構成国が、インドネシア共和国
     に合流して・・、
      1950年8月15日に、単一のインドネシア
共和国が誕生した。
  敗北して去って行ったオランダは、その後、日本を恨
 んだ。
  インドネシアの方々へ酷いことをして来たキリスト教
 国のオランダは、その後、インドネシアへ謝罪の一切を
 していない。
  逆に、インドネシアの独立を助けた日本の悪口を石碑
 にして、インドネシアに立てたりしている。
  恥の上塗り行為をしている。
  まったく韓国と同じ下劣な行為をしている。
  (参考)恥の上塗り:はじのうわぬり、恥をかいた上
     に、また、恥をかくこと。
.
1978年12月、中国の改革開放政策
  中国の新たな指導者となった鄧小平(とうしょうへい)
 は、1978年12月に、体制転換の政策を打ち出した。
  それまでの計画経済と社会主義を二本の柱とする体制
 から、実質的な市場経済と資本主義を柱とした体制へ、
 中国は転換を図った。
  それまでの中国は、頑(かたく)なに「米国駆逐」を
 口にしていた・・、
  ・・が、しかし、その表現は消えて・・経済発展路線
 に主軸を移した。
  「豊かになれる者から豊かになれ」、そして、「他を
 牽引(けんいん)せよ」となった。
  「米国駆逐」の旗が降ろされ、日欧米の資本を積極的
 に導入したい、また、、資本確保や国外からの技術移転
 など成し遂げたいとなった。
  アメリカを駆逐する敵だという看板を下ろしたが・・
  しかし、今、中国が、以前、持っていた「アメリカと
 いう国を駆逐し、乗り越える国」と見ていた方針は、取
 り下げたという意思表示は無く過ぎて来たが・・、
  その点を自由主義陣営もはっきりと確認することなく、
 自由主義陣営も「中国も豊かになれは、その方針は変わ
 るだろう」と、自分に都合よく期待をしていた・・
  相手に勝手に期待をかけていた。
  しかし、経済発展を遂げた・・経済発展の果実を得た
 中国は、以前の方針が・・アメリカを乗り越えようとす
 る現実の姿・世界が見えて来た。
  自由主義陣営に、中国の社会システムを、また、政治
 システムを同調する様な行動は一切なく・・、
  中国の今までの政治システムが良かったから良くなっ
 たのだぐらいのことを国民にプロパガンダしている。
  「我が方針は間違っていなかった」という自信ととも
 に、「中国は、アメリカの地政学的優位性に挑戦し、中
 国にとって有利な国際秩序を作ろう」という「挑戦し、
 変えようとする姿」が、はっきりして来た。
  アメリカに対抗する姿となって来た。
  「米中新冷戦」の時代に入ったと言われている。
  中国は、中国に都合の良いように変えたい・・、
 そして、アメリカが構築してきた国際秩序を塗り替えよ
 うとしている。
  また、安全保障の面でも、中国の空海軍力の近代化で、
 また、長く続いて来た多大な軍事費の投資で、伝統的戦
 闘空間では、アメリカの一方的な優位性は脅(おびや)
 かされるという状況になった。
  過去の話とは今は違うという状況となった。
  新しい戦闘域である「潜水艦を中心とする水中戦の領
 域」、また、電子線の領域、宇宙戦領域、サイバー戦領
 域、無人兵器戦領域、指向性エネルギー兵器戦領域、そ
 の組み合わせの戦争領域・・それらの新しい米中の競争・・
 その冷戦の時代に入った。
  そして、中国の経済が大きくなって、今、この様な多
 大な投資ができる中国となって・・台頭して来ている。
  しかし、中国の不自然な国家資本主義はそのままで・・
 塗り替えずにいる・・
  アメリカは、その状況を許したことに反省をしている。
  南シナ海の中国の軍事基地の構築の様に、「国際秩序
 の無視の行動」も許さざる行為であるが・・はっきりと
 追及する必要性が明確に存在するが・・不透明な世界と
 なっている。
  この地域は、中国の構築した軍事施設の完全撤去の後
 に、完全に元の環境へ戻したことにより終了し、
  そして、それによって、中国の世界の立場が受け入れ
 られるのであるが・・
  また、世界は中途半端な状況で済ますのだろうか?
  今まで「逃げポーズだったアメリカ」が、ことの重大
 さに気付いて来ている。
.
1994年、中国の毛沢東の「化けの皮が剥がされる結果と
 なった本=毛沢東の私生活」が世界各国で同時出版され
た。
  毛沢東の化(ば)けの皮が剥がされて来ている。
  李志綏(りしすい)が書いた『毛沢東の私生活』を読
 めばよく分かる。
  (参考)李志綏:りしすい、中華人民共和国の医師。
      1954年から1976年の毛沢東の死去まで個
人医師を務めた。
      毛沢東の親友だという。
      アメリカへ移民の後、毛沢東の伝記である「
     毛沢東の私生活」を書いた。   
      中国国内では出版禁止となっている。
      曾祖父は清朝の御医(皇帝の主治医)
      「毛沢東の私生活」の本には中国のプロパガ
     ンダの凄(すさ)まじさが書かれている。
      また、この本の元となった膨大な日記は、迫
     害を恐れて文化大革命の最中に、自ら焼却炉で
     処分したと述べている。
      中国は、この本の内容を打ち消そうとしてい
     るが、毛沢東と李志綏との親しげに一緒の写真
     が多数発見され、中国の打ち消しにとって分の
     悪い状況となっている。
  毛沢東の独裁者ぶり、如何に汚いか、嫌な人物で唾棄
 すべき男かと・・、満州事変、支那事変など、日本軍と
 中国・国民政府軍を戦わせようとしたか、その消耗戦を
 拡大させるため、コミンテルンの謀略や策略を一緒にや
 って戦争を拡大させたか・・「二十世紀最悪の独裁者」
 と言われる。
  ユン・チアン氏の著作の「マオ」でも毛沢東の神話は
 完全に崩されている。
  「古い文化や風習を一掃するのだ」と美しく始められ
 た文化大革命も大失敗で、国民の多くが殺され、毛沢東
 の権力が劉少奇や鄧小平に移りつつあった状況を取り返
 そうとしたための行動だった。
  そして、この男は、戦勝国でも何でもないのに戦勝国
 に居座った。
.
1995年、原爆が投下されて50年、この年、原爆投下につ
 いての世論調査がなされている。
  質問文は、「アメリカが広島・長崎に原爆を投下した
 ことは、その当時のアメリカとしては正しい選択だった
 と思いますか、それとも間違った選択だったと思います
 か」である。
  以下は、その結果・・(NHKの調査)
       正しい選択・・まちがった選択
  日本・・・・8.2%・・・・・57.8%
  アメリカ・ 62.3%・・・・・25.7%
  韓国・・・ 60.5%・・・・・19.1%
  ドイツ・・・4.3%・・・・・66.2%
  これは、マスコミの報道姿勢に影響されているとコメ
 ントされている。
  特に、アメリカは、原爆投下を批判する言論が高まる
 ことを恐れ、大戦後に原爆投下の正当性を擁護する政府
 の公式見解が、積極的に流布され、洗脳され、世論操作
 がなされた。
  そして、日本の言論や教育が偏向していると批判する
 記事が掲載された。
  そして、その矛先が、日本の政治家や歴史家に向けら
 れ、操作されていると批判した。
  そして・・
  2005年に同様な調査が行われた・・(NHKの調査)
  質問文は、「太平洋戦争の末期に、アメリカが、広島
 と長崎に原爆を落としたのは、正しい判断だと思います
 か。それとも間違った判断をしたと思いますか」である。
  その結果・・
                日本・・アメリカ
  明らかに正しい判断だった・・ 0.9%・・22.3%
  たぶん正しい判断だった・・・14.6%・・34.3%
  たぶん間違った判断だった・・33.4%・・21.5%
  明らかに間違った判断だった・38.5%・・14.7%
  わからない、無回答・・・・・12.7%・・ 7.2%
  そして・・
  2015年に、アメリカのビュー・リサーチセンターが
調査した・・
  質問文は、「ご存じかと思いますが、アメリカは1945
 年8月、第二次世界大戦の終結間際に日本の都市である
 広島と長崎に原爆を投下しました。ふり返って見ると、
 あなたは1945年に日本の都市に原爆を使用したことを
正当だったと思いますか。それとも正当ではなかったと
思いますか」である。
  その結果・・
             日本・・アメリカ
  正当だった・・・・・・14%・・・56%
  正当ではなかった・・・79%・・・34%
  わからない、無回答・・ 7%・・・10%
  そして・・
  参考までに・・
  1945年8月10日から8月15日にかけて、ギャラッ
プ社が世論調査をしている。
  質問は、「あなたは新しい原子爆弾を日本の諸都市に
 対して使用したことに賛成しますか、賛成しませんか」
 である。
  その結果・・
  支持する:85%・・支持しない:10%・・わからない
 5%だった。
  まだ戦争も集結していない敵国・日本の状態であった。
  そして、原爆の本当の恐ろしさも実感できなくて、知
 らない状況で、アメリカの正当化の洗脳も受けていない
 という時期だった。
.
2005年~2006年、「マオ、誰も知らなかった毛沢東」と
 いう本が、世界各国でほぼ同時に出版された。
  この本は、中国はもとより、旧ソ連、東方諸国などの
 多彩な史料、そして、存命する関係者への取材資料など、
 詳細に調べ上げ、徹底的に何年何月何日という日時まで
 詰めに詰めたことによって、毛沢東の人物像を明確に浮
 かび上がらせた。
  ここまでされれば、反駁のしようのない毛沢東の実像
 が描かれ、この本によって毛沢東の人物像は大きく崩さ
 れ、変わった。
  大人風に見える周恩来にしても、ただただ毛沢東の権
 力の前に膝まづくだけの人物でしかなく・・、
  毛沢東だけでなく、その周辺の人物像も同時に崩れ去
 った。
  また同時に、中国の悪政ぶりの数々もあぶりだされた。
  神格化した毛沢東は、「過去の偶像」と成り下がった。
  日本にいる左派やマスコミの毛沢東崇拝者たちが、た
 くさん居るが、その馬脚を表わし「似非(えせ)者」と
 なった。
  ムキになって本書を批判しているが、空虚なその必死
 の批判が、かえって、この本の痛撃が、当を得ているこ
 とを証明している。
  また、粛清(しゅくせい)の嵐に怯(おび)える中国
 国民の悲惨な現実が詳細に書かれ、中国共産党の支配が、
 如何に苛酷かも分かる。
  中国の国際的な諜報活動が、中国側の資料だけでなく、
 ロシアの公文書や回想録も多用し、ソ連・コミンテルン
 の陰謀にも踏み込んでいる。
  毛沢東の虚像の数々をデッチ上げて来た日本のマスコ
 ミや左派専門家の化けの皮が剥がされた。
  共産主義の苛酷さがバレ、人民が圧迫され搾取されて
 いる実態が暴かれた。
  毛沢東や中国共産党は、結局、苛酷な農民支配の独裁
 集団でしかなく、また、内部抗争の渦巻く集団でしかな
 い。
.
2011年、中国から1万8000人が国外逃亡・・? 
  汚職マネーが流出する。
  東洋経済誌が報じる・・
  2000年末から2011年までの間に、中国の検察当局
は国外逃亡した職務犯罪(汚職や背任など)の容疑者を
1万8487人検挙した。
  また、最高人民検察院(最高検)によると、5年間(
 2005年、2007年、2009年~2011年)で、不正に蓄
財された財産は541億9000万元(約7000億円)に達
した。
  しかし、国外逃亡した汚職官僚(国有企業職員を含む)
 は少なく見積もっても1万~2万人はおり、持ち出され
 た資金は1兆元(約13兆円)を下らないという見方が
ある。
  逃亡犯のあまりの多さに、国民は「逃げ得」ではない
 かと感じている。
  昨年(2011年)、中国人民銀行(中央銀行)の「腐
 敗資産の国外持ち出しに関する調査報告書」が社会に衝
 撃を与えた。
  報告書には、中国社会科学院の調査資料として、
 「1990年代半ば以降、汚職官僚や国有企業幹部の国外
 逃亡数は1万6000~1万8000人。
  持ち出された額は8000億元(約10兆円)」という
数字があった。
  後に、別の政府機関から「データが間違っている」と
 指摘があり、共産党中央紀律検査委員会の関係者も「
 8000億元という金額は正確ではない」とするが、この
 数字は実にショッキングだった。
  北京大学「廉政建設研究センター」主任の李成言氏は、
 「国外逃亡官僚は少なく見積もって1万人近くいて、持
 ち出し金額は約1兆元(約13兆円)」と推計する。
  李氏は「1人平均1億元で試算した。国外で国内より
 いい生活を送るには十分な資金が必要になる。1人で数
 億元を持ち出した汚職官僚も多い」と話した。(以上)
  また、別の史料では・・
  中国共産党幹部が、海外へ不正に持ち出した金が20兆
 円以上だという。
  汚職によって得た金を自国の中国ではなく海外へ持ち
 出し逃亡を図っている。
  昔から汚職は、この国では花盛りの伝統の文化とはい
 え、今・現代もなお、盛んに行われている。
  また、今までこの様な中国経済に群がって、利益を得
 よう、利益が得たいと必死になっている諸外国も居た。
  必死に、その中国自体も、自国の存続を図りたいと巨
 大な、そして、莫大な軍事費を使って来ている。
  この様な金が何処から生まれているのか?
  中国は、必死に人民元を刷り、その金が世界のどこか
 の国で蓄積させようとしているが、その帳尻には3800
 兆円以上の借金となっているという。
  日本は、約1000兆円の借金があると言うが、それ以
 上に日本国民が蓄積して来た資産があり、その収支はマ
 イナスとはなっていない。
  しかし、中国は問題である。
  どの様にバランスしているのか?
  アメリカも「借金大国」であるが、アメリカは、せっ
 せとアメリカ国債を刷って、その帳尻をゼロにしようと
 している。
  そして、そのアメリカ国債をせっせと買って、アメリ
 カを支えてあげているのが日本となっている。
  日本は、この様にアメリカ国債を買える状況にある。
  しかし、この様に、アメリカは、借金国債を刷って明
 確に帳尻を合わせている事を世界に明確に示しているが、
 曲者(くせもの)は中国である。
  はっきりしないのである。
  中国で儲けようと、また、儲けたいと諸外国の企業が
 中国に乗りこみ、金を流入させているから、悪い中国の
 帳尻を緩和させているが・・、
  その中国の怪しい状況に、今・現在、資金を中国から
 引き上げ始めている。
  しかし、中国は、とぼけて相変わらず軍事力強化をせ
 っせとして「金をつぎ込んでいる」。
  輪転機を廻して人民元を刷って帳尻りを合わせている。
  一握りの共産党員の支配階級、その汚職と富の一人占
 め、その結果が、20万件もの民衆の暴動の発生が1年
 間で起きている。
  しかし、中国は、その様な実態は、ひた隠しにして世
 界へ平然と振る舞っている。
  チベット民族や、ウイグル民族や、内モンゴル民族の
 事はネットにも記せない状況として「ひた隠している」。
  かつて、この様な状況にあった共産・ソ連が、ある日、
 突然と崩壊したように、この共産国・中国も、突然と崩
 壊する可能性がある。
  その時、中国へ持って行った種々の企業や人々の資産
 も、取り戻せなくなる可能性が存在している。
  だから、不正をして得た中国共産党幹部は、せっせと、
 今、海外へ不正に金を持ち出している。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
--

by suba28 | 2018-12-11 04:38 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)620E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年2月~1895年2月)

題:(増補版)620E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年2月~1895年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年2月1日、第一次講和会議
  経過は・・
  1894年11月上旬から米、英、露が調停のための斡旋を
   開始する。
  1894年12月4日、伊藤博文内閣は、「威海衛を衝(つ)
   き台湾を略すべき方略」を大本営に提出する。
  1895年1月31日、清国使節の張蔭桓と邵友濂が講和のた
   めに広島に到着した。
  1895年2月1日、陸奥宗光は、この日の会談において、
   清国使節の両者の持っている書簡は『全権委任状で
   はない』、さらに、『地位についても不十分な状態』
   で、これでは講和会議を開催する事は出来ず、また、
   講和を結ぶことができないとした。
    伊藤博文は、清国使節団の随員・伍廷芳に、李鴻
   章か恭親王を全権大使として求めた。
  結局、日清講和会議が広島で始まるが、清国側の信任
 状不備が理由で、会議は進まなかった。
,
1895年2月2日、日清戦争における威海衛制圧。
  威海衛の戦いは、1895年1月12日から始まっていたが、
  1895年1月25日、大山巌第2軍司令官が栄城県に到着し、
  1895年1月26日、さっそく、第2師団を左縦隊(内陸側)
   にし、また、第6師団を右縦隊(海岸線)に並進する
   作戦を開始した。。
  1895年1月30日、第6師団は、百尺崖・摩天嶺での激戦
   を行ない・・威海衛湾の南岸要塞群を攻略した、移
   動する距離、約60km。
  1895年1月30日の同日、第6師団の攻撃にあわせて、第
   2師団は、南岸要塞群の西側、鳳林集の東南高地を攻
   略する。
    清国軍は、防衛線の一角を破られたこともあって、
   威海衛市街とその周辺、北岸要塞群などを放棄した。
   そして、撤退を始めた。
  1895年2月2日、第2師団は、清国軍撤退で無抵抗状態に
   なった北岸要塞群などを制圧した。
    この威海衛湾の山東半島側を、日本軍が制圧した
   結果・・、
    湾の出入口にある要衝が制圧され、劉公島と日島
   の守備隊や、北洋艦隊の残存艦艇14隻は孤立するこ
   とになった。
.
1895年2月5日、この日の午前3時20分、前日の2月4日の夜か
 ら闇にまぎれて、清軍によって仕掛けられていた防材を
  かわし、威海衛湾内へ入ることが出来た日本海軍の水
 雷艇部隊は、北洋艦隊の砲撃をものともせず予定してい
 た通り、攻撃を開始した。
  その魚雷攻撃は至近距離から効果的に行ない・・北洋
 艦隊の旗艦「定遠」を大破させた。
  危険状態となった清国兵は反乱状態となる。
  北洋艦隊へ軍事顧問となっていた外国人顧問は、清国
 北洋艦隊の丁提督に降伏を求めた。
  また、「来遠」「威遠」等の3隻を撃沈させ、
  1895年2月9日の明け方にも、日本軍は、水雷艇部隊を
 威海衛湾内へ入れて、2回目の襲撃を行った・・
  そして「靖遠」を撃沈した。
  1895年2月11日、降伏を拒否していた丁汝昌提督は、李
 鴻章に宛てて「艦沈ミ人尽キテ後チ己(や)マント決心
 セシモ、衆心ハ乱レ今ヤ奈何(いかん)トモスル能ワサ
 ル旨と決別の打電を行った。
  そして、その後に、服毒自決した。
  1895年2月12日、「定遠」艦長と劉公島の地上部隊指揮
 官も自決した。
.
1895年2月12日、清国の北洋艦隊が降伏した。
  長崎で、その威容で日本に圧力をかけ、また、長崎市
 内で日本を馬鹿にして暴れ回った清国の北洋艦隊は、こ
 の日に、降伏した。
.
1895年2月19日、清国が、李鴻章を講和全権に任命した。
.
1895年2月22日、べースボールが野球と翻訳される。
  中馬庚(ちゅうま かのえ、1870年~1932年)野球選
 手・教育者。鹿児島の生まれ。旧姓、今藤。
  第1高等学校野球部で二塁手として活躍した中馬庚は、
 1895年発行の「第一高等学校野球部史」で、「ベースボ
 ール」を「野球」と訳した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:実態は、「地主が中国共産党員にすり替わっただけ」。
    かえって「国民党時代より厳しく搾取が行われている」。
.
12世紀、満州民族が存在した。
  満州は・・、
  渤海(ぼっかい)・金朝・後金・清朝を建国した満洲
 民族や・・、
  夫余(ふよ)・高句麗を建国した濊貊(わいはく)族、
 鮮卑(せんぴ)・烏桓(うがん)・契丹(きったん)・
 奚(けい)などモンゴル民族・・の地である。
  現在の中国の漢民族には関係のない地である。
  尚、現在の中国は、地域名称として「満洲」を使うこ
 とを禁止している・・かわりに「中国東北部」を使うよ
 うにせよとしている・・必死に自国領との印象付けをし
 ている・・これは、歴史を無視したプロパガンダ政策で
 ある・・
  満州の地を、太古から不可分の中国人(漢民族)の固
 有の地としたいからである・・まったく歴史的事実を無
 視している。
  また、満州語は、中国・清朝では公用語であった。
  しかし、現在に至り、中国政府の同化政策によって、
 話す人が極めて少なくなっている・・話す人を消してい
 るからである・・消滅の危機となっている言語である。
  どんな同化政策が行われたのか??
  今・現在、」ウイグルを同化させようとしているが、
 虐殺と監禁である・・そして、ウイグル語を話せなくす
 る教育である・・
  そもそも、この満州の地は、もともと、中国(漢民族)
 が目もくれない「不毛の地であった」「化外の地であっ
 た」。
  太古(たいこ、おおむかし)の時代、紀元前1046年~
 紀元前256年には、今の中国の地には周(しゅう)が存
 在した・・
  その頃には、粛慎(しゅくしん、満州に住むツングー
 ス民族)が遊牧していた・・漢民族なんか「まったく関
 係ない」・・
  (参考)鮮卑:せんぴ、紀元前3世紀から6世紀にかけ
     て中国北部に存在した遊牧騎馬民族。
      五胡十六国時代、南北朝時代には南下して北
     魏などの王朝を建てた。
  (参考)烏桓:うがん、紀元前1世紀から紀元後3世紀
     にかけて中国北部(現在の内モンゴル自治区)
     に存在していた民族。
      「三国志」などでは烏丸と表記された。
  (参考)契丹:きったん、4世紀から14世紀にかけて、
     満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧
     の民族。
      10世紀初頭に、現在の中国の北部に帝国を建
     国し、国号を遼(りょう)と号した。
      しかし、12世紀に入り次第に勢力を強める女
     真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に
     滅ぼされた。
      契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中
     央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建て
     た。
  (参考)奚:けい、4世紀から10世紀頃までモンゴル高
     原東部から中国東北部にあるラオハムレン(老
     哈河)流域とシラムレン(遼河の支流)流域に
     存在していた遊牧民族。
      初めは庫莫奚(しゃまくけい)と呼ばれてい
     た。
  以上の様に、漢民族の「かの字もでない」という地で
 あって・・中国が主張する様な領土ではない。
  満州という地は、「中国とまったく関係のない地」で
 あることは明らか・・、
  万里の長城のはるか北方に位置していて、中国自身が
 「化外の地(けがいのち)だ」として・・
  「化外の地」は、中華思想では、中国の権力・法律が
 行き届いていない地方だと言った。
  さらに言うが・・今・現在の中国の漢民族が、領有権
 を主張できるような地ではない。
  だから・・その様な地であるから、中国は、万里の長
 城を築いたのであった・・ここを国境としたのであった。
  また、朝鮮・韓国では、この地に朝鮮族が居たという
 ので、小学校では、この満州を「我が領土だ」と教えて
 いる。
  日本は、この地を「五族協和」として、一番多い満州
 族の建国を助けた。
  今・現在、漢民族の中国が「我が領土だ」としている
 が、まったく、その根拠がないからだった・・
  リットン調査団も、中国の地だなんて言わなかった。
  日本の行為を認めていた・・
  領土欲を持つロシアが、南下政策をとって・・ここの
 権益を奪い、まったく関係ない中国と関係を持ったのが
 問題の発端だった。
  そして、領土欲あるロシアは、大連などの不凍港が欲
 しいと利権を漁った。
.
1789年、この年のベトナムの書によると・・、
  ベトナムのタイソン(今のビンディン)で一揆を起こ
 し、ベトナムに侵略していた中国の清に打撃を与え、駆
 逐した将軍・グェン・フェ(玩恵将軍)・・、
  また、ベトナムの南部と北部に分裂していた状態を終
 わらせて統一したグェン・フェ(玩恵将軍)・・
  この将軍は、象を調教し、有力な戦闘武器として確立
 した。
  そして、その象兵が、重要な戦闘力を持つ軍団で、象
 を有力な武器として活用した。
  中国の清軍と戦う時、百頭ほどの牡(おす)象を先陣
 に配置した。
  この様な象軍団を見慣れていない清軍の騎兵隊侵略軍は、大
 いに、驚ろき、恐れた。
  清軍の戦陣は、混乱状態に陥(おちい)った。
  象は、戦時の勝敗を決める重要な部隊であった。
  1頭の象の背中に180㎏ほどの大砲を載せたりもした・・
 また、60㎏の大砲を2丁乗せる場合もあった。
  象使い2人が、象の背中に乗って、その大砲を撃ち放
 った。
  敵の規模に応じて、象の数を数十頭の場合もあれば、
 数百頭の場合もあった。
  象の調教師は重んじられた。
.
1930年代、この頃の中国共産党は、中国農民の方々のお蔭
 で存続していた・・存亡の危機でもあった・・
  例えば、占領した中央ソビエト区(江西省と福建省の
 南部境界域)では、10万人以上の紅軍兵士と、多数のソ
 ビエト政府の人員を養うには食糧が不足した。
  その為、農民たちへ、中国共産党は、苛酷な国民政府
 時代以上の税をかけた・・中国農民方々は苦しめられた。
  この中国共産党軍の取った作戦といえば・・「敵が進
 んでくれば・・我退く」だった。
  格好良く言えば「遊撃戦術」であるが・・敵が強いと
 なると、その世話になっている農民方などの「保護すべ
 き住民」を捨て去り、置き去りにして、サッサと逃げ、
 退却し、逃げ去って行った・・まったく無責任な軍隊だ
 った。
  南京の場合も、南京の住民を置き去りにして逃げ去っ
 た(この場合、中国国民党軍)。
  プロパガンダされている事・・共産主義だから科学的
 であって、住民を大切にする共産党だ・・なんて、まっ
 たくのプロパガンダ(嘘宣伝)で・・、
  洗脳され、頭に詰め込まれた思いで・・、
  こんな中国共産党軍が、延安の中国の奥地の奥地に隠
 れていた。
  日本軍とまともに戦ったことのない中国共産党軍だっ
 た。
  格好良く「日本軍と中国国民党軍の消耗を待っていた」
 と言うが、「これも嘘」、兵が激減して戦える状態では
 なかった。
.
1933年3月4日、ルーズベルトが、アメリカ大統領になった。
  ・・が、この大統領は、非常に中国贔屓(ひいき)の
 大統領だった。
  ルーズベルトの家系は、中国貿易に従事し、儲けて来
 ていた・・その様な環境に生まれた大統領だった・・当
 然、ルーズベルトの家庭環境は『親中国』だった。
  ルーズヘルトは、母親から何度も、快速線「クリッパ
 ー号」に乗って香港を訪れたことを、幼い頃より何度も
 聞かされていた(幼いルーズベルトは、親中国の洗脳頭
 となった)。
  そして、ルーズベルトは、海軍省に居た時、日本を仮
 想敵とする『オレンジ・プラン』の立案にかかわった。
  大統領就任後の初閣議で、「対日戦争は、一つの可能
 性だ」という表現を使った・・アジアの情勢を語った。
  中国の蒋介石夫人の宋美齢は、アメリカの反日世論を
 煽(おあ)りまくった。
  また、戦争のきっかけとなったハル・ノート文案作成
 に積極的に関与したアメリカ人のハリーホワイトは・・
 ソ連のスパイだった。
  ルーズベルト大統領のアメリカは、中国と、がっちり
 結びついていた。
.
1930年代、日本の満州経営は下降線をたどった。
  アメリカは、「中国に遅れてやってきた国」だった。
  アメリカは、「中国を開放せよ」と言った。
  これは、「アメリカにとって」、中国は開放されてい
 ないと叫んでいるようなもので・・
  遅れてしまったので、アメリカには開かれてないと言
 っているようなものだった・・
  遅れて来て、中国のうまい汁が吸えないという叫びだ
 った。。
  アメリカは、必死に中国とのつながりを持とうとした。
  満州の鉄道利権を狙った。
  満州での鉄道を含む各種の権益の租借権は、もともと
 中国の清国が、ロシアに対して与えたものだった。
  そして、日露戦争で戦勝した日本は、賠償金の代わり
 に、ロシアの持つ満州の権益の租借権を得た。
  侵略で奪ったというのは、日本を貶(おとし)めるプ
 ロパガンダ(嘘宣伝)で、この様な満州の鉄道利権を日
 本から奪おうとするのがアメリカで・・アメリカは、日
 本の利権を狙った。
  その様なアメリカと関係を持った中国は、様々な形で、
 日本の権益行使を妨げようとした。
  そして、変な・・馬鹿々々しい屁理屈を言った。
  例えば、鉱山の採掘権を持つ日本に、「ある鉱物の採
 取権は確かに日本に与えたが、その他の鉱物は採っては
 いけない」・・と・・
  この様な採掘ができる訳は無い。
  採掘する鉱石には、様々な鉱物が含んでいるのは常識・・
  例えば、鉄鉱石を採掘しても良いが、同時に出る「イ
 オウ」などは採ってはいけないという様な理屈であって・・、
  「ベニスの商人」で、「肉を切り取ってもいいが、血
 は一滴も流してはいけない」というようなもの。
  また、アメリカが、日本の満州鉄道の路線を敷いてい
 るのと並行して、アメリカが線路を敷くのを許可した。
  常識でも、この様な事をしてはいけないが・・
  日本は、ちゃんと中国と話し合って、条約で、この様
 な行為はしてはいけないと・・条約で契約していたので・・、
 中国がアメリカに許可した行為は、日本との条約違反行
 為だと抗議した・・「止めさせることは出来た」が・・
 この様な不法な妨害をするという状況だった。
  しかし、日本の満鉄の輸送に対抗する新しい鉄道網を
 建設し始めるという状況だった。
  1930年代には、満鉄を核とする日本の満州経営は下降
 して行く。
  後から来たアメリカは、先行して美味しい汁を、すで
 に吸っているイギリスやドイツの権益を狙うという事が
 できずに、日本の権益を狙うという姿だった。
  また、日本は、国際社会への説明が下手で、不十分だ
 った。
  中国やアメリカなどの宣伝に対し、不器用な日本だっ
 た。
  日本は、中国のプロパガンダにもやられたが・・アメ
 リカは、自国民に「日本を悪役に仕立て、その悪訳ぶり
 をいやというほど吹き込んだ(アン・フェアなアメリカ)
  これが、第二次世界大戦の素因の一つとなった。
.
1937年11月28日、南京事件を捏造(ねつぞう)する中国
  この日に、20万人の人が、南京に居ることが発表され
 ている。
  日本軍が南京を攻めて、南京に入るのが1937年12月13
 日であるから、その半月くらい前の南京の人口である。
  この人口数は、中国人の警察庁長官の王固磐が、開か
 れた記者会見で発表した人口数であった。
  また、日本軍の南京入城の5日後の1937年12月18日には、
 南京国際委員会という「南京の住民が集まっていた安全
 区を管轄する委員会」が、「南京の人口は、20万人」と
 発表している。
  (中国は、今・現在、日本軍が、南京で30万人殺した
 と言っている・・これは、嘘だとはっきりしている)
  また、日本軍が入城した1週間くらいの後の1837年12月
 21日には、南京外国人会が、「南京の20万市民」と言及
 している。
  そして、1938年1月14日には、国際委員会が南京の人口
 を25万人に増えたと公表している。
  日本軍が、食糧を配ったり、種々の住民のための行為
 をしているので、住民が戻って来たのだった。
  日本軍は、南京の方々へ、食料を配ったりして、大変、
 配慮をしている。
  上智大学教授の渡部昇一氏も、南京陥落から1ヶ月後に
 日本軍は、約25万人の住民に食糧をを配ったという記録
 があると言われている。
  また、占領後、日本軍は、民間人に化けた中国兵(便
 衣兵:べんいへい、一般市民を盾にして隠れる卑怯な兵)
 と本当の民間人を区別するため、ひとりひとりと面接を
 したうえで、民間人と認められた人々に「良民証」を発
 行している(1937年12月から1938年1月)。
  60歳以上の老人や10歳以下の子どもは兵士ではないか
 ら、その間の年齢の人々に良民証を発行し、その発行数
 が16万人に達した。
  南京国際委員会のメンバーとして南京にいたルイス・
 スマイス教授は、南京の日本大使館の外交官補・福田篤
 泰氏に宛てた手紙の中で、「この数によれば南京の人口
 は25万~27万人程度だろう」と書いている。
  この様に南京入城後、南京の人口が増えたりしていて、
 良好な、そして、安定した状況だとすぐわかる・・
  この様な状況の中で、中国の言う「南京虐殺が起きる
 訳がない」。
  中国は、それも30万人だと、勝手、気ままに大きく増
 やした嘘の人数を世界に言いふらしている。
  南京事件があったという発端は・・「作られた嘘だ」
 とはっきりしている・・
  イギリスの新聞「マンチェスター・ガーディアン」の
 中国特派員の記者ティンパーリーは、「最悪の嘘つき記
 者」だった。
  ティンパーリーは、中立的立場の欧米人ジャーナリス
 トを装っていた。
  この男の実態は、蒋介石の国民党に雇われた『工作記
 事を書く記者』だった。
  南京事件をでっち上げた。
  最初に書いたのもこの記者だった。
  国民党は、ティンパーリーへ書くための情報(嘘の捏
 造情報)を与えた。
  この様な記事が世界へ流れて行き、南京事件は捏造さ
 れた。
  ティンパーリーでさえ、国民党へ行く前は、この様な
 虐殺記事は書いていない。
  そして、ティンパーリーは、国民党から与えられた情
 報で二冊の南京事件の本を書いた。
  そして、その中でも書いた向井、野田両少尉の百人斬
 りの記事(東京日日新聞の記事)を、東京の英字紙であ
 るジャパン・アドバタイザーが転載し、世界へ広まった。
  日本が酷いことをしているという印象を与えた。
  向井・野田の二人は、この記事を証拠とされ戦犯とし
 て死刑となった。
  しかし、これは、ジャパン・アドバタイザーでも「一
 対一の刀の斬り合い」と書いている・・百人斬りではな
 い・・この様に、これは、普通の戦闘行為だった・・ね
 つ造された・・
  ティンパーリーが、「殺人競走」というタイトルを付
 けた・・嘘記事を書いた。
  この事から「普通の戦闘行為」とは受け取られ無い、
 酷(むご)い行為が行われているという事になって行っ
 た・・
  あたかも戦闘以外で、民間人を殺戮して行ったという
 様に受け取られる・・嘘記事が事実の様になってしまっ
 た。
.
1945年8月8日、日本とソ連との間には日ソ中立条約が締結
 されていた(1941年4月)・・しかし、ソ連はその条約を
 一方的に破った。
  そして、1945年8月8日に満州や南樺太(現:サハリン
 南部)などに攻めて来た。
  この時、6歳11ヶ月のなかにし礼氏は満州にいた。
  その時のことを、読売新聞(2018年11月5日)に記して
 いる・・以下はその文・・
  その日はやって来ました。
  1945年(昭和20年)8月9日、ソ連軍が満州に進撃。
  2日後、牡丹江に編隊を組んだ無数の飛行機が来襲しま
 した。
  耳をつんざく大音響とともに、わが家の向かいの陸軍
 の兵舎から火花と黒煙が上がりました。
  家の前で遊んでいた私は慌てて家の中に逃げ、母の胸
 に飛び込んだのです。
  夜になると、北の空が真っ赤になっていました。
  ソ連の戦車部隊が迫っていたのです。
  運悪くこの時、父は新京(現:長春)に出張中。
  しかし、「逃げる」と決断した母は、つてを頼り、軍
 人やその家族を退避させる軍用列車に乗せてもらう手は
 ずを整えました。
  母はしんを抜いた帯に札束を詰め込み、何重にも私の
 体に巻き付けました。
  6歳の子供が大金を持っているとは誰も思わないという
 計算からでした。
  避難列車を待つ日本人でごった返す牡丹江駅前通りを
 抜け、人目を避け離れた場所に止まる列車に母と姉、使
 用人たちと共に乗り込みました。
  「これは遠足みたいなもので、またここに帰って来る
 んだ」。
  まだ、そう思っていました。
  翌朝、列車は突然止まり、誰かが「敵機来襲」と叫び
 ました。
  皆われ先に外へ飛び出し、身体の小さな私はとっさに
 座席の下にもぐりました。
  ソ連機は列車に向けて機銃掃射を繰り返しました。
  それが終わり、我に返ると、目の前には頭を射抜かれ
 血を流している軍服姿の男が倒れていました。
  あと数十センチ銃弾がすれていたら、私が死んでいた
 のです。
  おびただしい死体は、生き残った者によって外に放り
 出されました。
  それにすがって泣きわめく家族・・。
  死体が原野に落ちると、現地人が集まり、服や金歯な
 どをはぎ取る。
  天国だった満州はわずか1日で地獄に変わったのです。
  しばらく進むと、ソ連機の再度の襲撃で列車は動かな
 くなり、代わりに用意された無蓋の貨車に乗り換えまし
 た。
  おそらく先行した軍用列車も同じ目に遭ったのでしょ
 う。
  線路脇には行けども行けども丸裸の死体がころがって
 いました。
  中国人の運転士はたびたび列車を止め、先に進むのに
 金品を要求しました。
  目的地のハルピンに到着したのは、15日昼ごろでした。
  しかし、私たちはなかなか列車から降ろしてもらえま
 せん。
  突如、銃声が激しく鳴り響き、馬にまたがった満州兵
 たちがホームに押し寄せ、何かを叫びました。
  それを聞いた日本の軍人が立ち上がり、「皆さん、日
 本が戦争に敗けました」と言ったのです。
  「私は中国語が少しわかりますが、今から満州軍が日
 本人を支配すると言っています」。
  貨車の中にはすすり泣きの声が広がりました。
  母も姉も泣いていました。
.
1945年8月28日 中華民国で、中国国民党の蒋介石らと、中
 国共産党の毛沢東とが会談した。
  重慶で会談が始まって・・
  1945年10月10日、双十協定が成立したが・・
  会談は事実上決裂し、国民党と共産党は内戦に突入し
 た・・
  この両者には、とうてい理解しえない国の将来に対す
 る基本的考え方の違いがあった。
  各地で小競り合いの戦いが起こり・・
  1946年7月には、本格的な内戦へと突入した。
.
1958年8月、ご都合主義の中国。
  中国は、自分に都合が良いことを一部の人間が決める
 という国である。
  憲法があったって、自分の憲法だけれども無視した。
  憲法だろうが、法律だろうが、そんなものあったって
 「糞、くらえ」となっていた。
  1958年8月、毛沢東が、北載河で、各省の共産党書記を
 集めて演説を行った・・それには・・
  「法律に依拠して多くの人を治める事は出来ない」と・・
  中国憲法軽視の発言をはっきりとする・・
  「憲法は、私が参加して制定したものだ。しかし、私
 は記憶していない」と・・(心には、はっきり、知るも
 のかの心がある)
  それでは、何によって統治するのか?・・というと・・
  毛沢東は言う・・
  「我々の毎回の決議が総べて法律なのだ」と・・また・・
  「会議も法律だ」と・・だからと言う・・
  「我々の各種の憲章に基づく制度は、大部分、90%は
 関係当局が作ったものだ・・我々は、基本的にはこれら
 に依拠しない」と・・
  「依拠するのは決議と会議の結果だ」・・そして言う・・
  「我々は、我々のものに依拠する」と。
  まったく呆(あき)れる・・その日に思ったことが憲
 法だの発言となっている・・
  「我々が決めた憲法や法律に依拠する」とすべきだ。
  この様に、中国は、一握りの者たちの胸三寸で決める
 国である。
  格好良く「人治主義だ」なんて言うが、中国は、その
 日の風向きによって右にも左にも行く一握りの王様の国
 なのである。
  「全国人民代表大会(略称:全人代)」なんて、格好
 良く、大勢集まっているが・・顔見せで、既に、決定さ
 れたことを「シャンシャン総会」の様に党員の手帳を決
 議の時に上げるだけの会議・・
  (参考)全人代は、共産党を中心とする大会主席団、
     全人代常務委員会、国務院などが提出した議案
     や予算を審議する。
      議案や予算の「否決に至った例はない」と説
     明されている。
  反対をしようものなら、今後がどうなるか?・・非常
 に怖いことになる。
  結局、一部の者たちに都合のよい統治となる。  
  憲法無視を公言する国=中国。
  1944年に、中国は、臨時憲法と言える「共同綱領」を
 決めるが・・有名無実・・
  ここには、「表現の自由」があり・・「デモ行進の自
 由」があるが、こんなことは、中国で事実無根・・
  やられているのは・・官製のごますり行為ばかり・・
  「言論の自由」があっても・・「表現の自由の保障」
 があっても・・絵に描いた餅となっている・・
  そんなことを自由にやったら、当局による逮捕が待っ
 ている。
  近代国家ではない・・人民は虐(しいた)げられてい
 る・・
.
1958年、第二次五ヵ年計画開始の頃から、毛沢東は、「大
 躍進」と称する工業・農業の大規模な集団化による大増
 産政策を進めた。 
  1958年、人民公社が設立された。
  数億の中国の農民たちは、土地を放棄させられた。
  人民公社に集団化させられ 、農民たちの生産意欲は低
 下した。 
  農民たちには無理なノルマが課された。
  (参考)ノルマ:基準、特に、各個人・工場等に割り
     当てられた、労働の基準量。
  ノルマを達成でき なかった現場指導者たちは水増しし
 た嘘の報告をした。
  その報告を受け取った毛沢東は、実態を把握しないま
 ま、更なる増産を命令した。
  中国は、その様な悪循環に陥(おちい)って行った。 
  毛沢東は 、数年間で経済的にアメリカやイギリスを追
 い越すのだと、夢見て実施させていた。
  しかし、結果は、数字だけの達成で・・事実は、推計
 で2000万人から5000万人の餓死者が出るという大惨事の
 大失敗に終わった。 
.
1959年4月27日、毛沢東の大躍進政策が失敗に終わり、この
 日に、責任をとった形で毛沢東は退き、代わり中国の第
 2代国家主席に劉少奇(りゅう・しょうき、~1968年10月
 31日)がなった。
.
1961年、毛沢東が、訪中した日本の議員団へ御礼を言った。
  その御礼は、「日本の資本家や日本軍は、良いことを
 してくれました。もし感謝するのなら、私は、むしろ、
 日本の軍閥に感謝したいです」と言った。
  これは、毛沢東の中国共産党軍が、中国国民党軍に大
 敗北し、30万人近い勢力だったのが、その10分の1の3万
 人くらいになり、消滅寸前であった時・・、
  そして、中国奥地へと逃げ、またさらに、奥地へと逃
 げていた時、日本と戦ったことも無い毛沢東の軍は、コ
 ミンテルンの指令で息を吹き返した。
  抗日運動も高まる。
  コミンテルンは、「日本軍と戦う国民党軍と共同して
 民族統一戦線を作れ」と、中国共産党へ命令する。
  この命令に従った中国共産党は、劣勢でもあった。
  中国国民党軍と、その劣勢の内戦を中止でき、階級闘
 争も止め、これによって中国国民の支持も集めることも
 できた。
  そして、中国国政に参加する道も見い出せた。
  第二次国共合作は、毛沢東の起死回生となった。
  後押しした形になった日本軍だった。
  「日本軍に助けてもらった」状況から、毛沢東の感謝
 の言葉となった。
.
1966年~1976年、中国の文化大革命。
  多くの知識人が迫害され、また、中国国民の方々が大
 虐殺された。
  この時、湖南省の零陵地区内の十県で1万人が、直接、
 殺害された。
  この様な事が中国のあちこちで起きていた。
  1980年代、初期の文化大革命は終了するが、この様な
 虐殺が非常に多く行われていたことが分かった。
  共産党の内部調査によると、地方の人々の2000万人以
 上の人々が、殺害されていた。
  中国には、2200の県があるが、中国の行なった文化大
 革命は、国民を多数を殺害していた。
  葉剣英副主席は、「文化大革命では2000万人が死に、
 1億人が酷(ひど)い目にあった」と言った。
  アメリカの著名な中国専門の研究所で、中国人留学生
 たちは、皆、バリバリの共産党員で、日本批判ばかりを
 展開していた。
  南京事件について、その嘘の反論主張ができない日本
 人留学生たちだった。
  そのアメリカ人の教授は、中国人留学生たちへ言った・・
 「そうは言うが、君たちの国・中国では、大躍進や文化
 大革命で1000万人単位で人が死んだ。
  何故、君たちは、それについて何も話さないのだ。
  南京で死んだという30万人の事を、本当だ、嘘だと言
 うつもりはないが、1000万人に比べたら非常に少ないで
 はないか」と。
  バリバリの共産党員の中国留学生たちは、一同、黙っ
 てしまった。
.
1976年1月8日、周恩来が没した。
  周恩来が没すると、鄧小平の運命は暗転した。
  清明節の1976年4月4日から5日未明にかけて、江青らの
 四人組が率いる武装警察や民兵が、天安門広場で行われ
 ていた周恩来追悼デモを弾圧した・・すなわち第一次天
 安門事件。
  この事件において、周恩来追悼デモは反革命動乱とさ
 れ、鄧小平は、このデモの首謀者とされて、再び失脚し
 た。
  鄧小平は、すべての職務を剥奪された。
  しかし、党籍のみは留められ、広州軍区司令員の許世
 友に庇護された。
  1976年9月に、毛沢東が死去すると・・後継者の華国鋒
   を支持して職務復帰を希望し、四人組の逮捕後・・、
  1977年に、鄧小平は、三度目の復活を果たした。
  1978年、日中平和友好条約を結び・・、
  1978年10月、日本を訪れた鄧小平は、新幹線への乗車
   で日本の経済と技術力に圧倒された。
  1978年11月、シンガポールの外資誘致の実態を見学。
   これらの海外視察から帰国した鄧小平は、第11期3中
   全会(1978年12月)において、それまでの階級闘争
   路線を放棄し、「経済がほかの一切を圧倒する」と
   いう政策を打ち出した。
  その代表的な経済政策のひとつが、「改革・開放」政
 策の一環である経済特区の設置で、一部地域に限り外資
 の導入を許可・促進することで経済成長を目指すという
 この政策は、その後、きわめて大きな成果を収めた。
  しかし、政治面では共産主義による中国共産党の指導
 と一党独裁を強調し、経済面では生産力主義に基づく経
 済政策を取った。
  生産力の増大を第一に考える彼の政策は「白猫であれ
 黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と言った。
  1984年3月、訪中した当時の中曽根康弘首相は、鄧小平
   ら中国指導部と会談して第二次円借款の実施や、中
   日友好病院、日中青年交流センター設置などで一致
   し、鄧小平は経済協力の拡大を呼びかけ、沿海部の
   経済特区指定も重なり、これ以降、日本の対中直接
   投資は本格化した。
    このお蔭で今の中国がある。
.
1981年、中国の胡耀邦総書記は、大躍進政策によって「中
 国の全国で2200万人が、非正常な死亡をした」と言った。
  中国は、この頃、農民に今までにない重税を課した。
  清朝もやらない、また、国民党時代でもやらなかった
 重税を農民に課した。
  農民から収奪して工業化を進めようという思惑だった
 が、共産主義という民主性を欠いた政治システムだった
 為、悲惨な死者が現出した。
  本「マオ」では、この死亡者数を「劉少奇は、3800万
 人近い人数を確認している」と記している。
  卑劣にも、この時、農村から奪った食料は、都市部へ
 供給されていた。
  農村の方々の生産意欲は激減した。
.
1990年代から、中国は、各地方の独立採算制を実施した。
  中国の地方の下部組織に、「行政の人事」「事務」「
 財政の権限」などを委(ゆだ)ねた。
  その結果、「行政部門が肥大化」し、その費用を「農
 民たちへの恣意的な課税(自分勝手な課税)」をして対
 処した。
  農民たちへ尻拭い(しりぬぐい)をかぶせた。
  また、この地方の役人たちは、「自分の身内をどんど
 ん地方政治組織の官職に就けた」。
  これは、中央の「国家の命令を無視」して行われた。
  また、この給料をまかなうため、「人頭税という法律
 に無い税金を勝手に作り、その費用まで農民から巻き上
 げた」。
  この様な暴挙に耐えかねた莫大な人数の農民が暴動を
 起こした。
  また、村を捨てて都市へ逃げ、流出した。
  この様な町へ逃げた農民の方々が、「安い労働者とな
 った」。
  この安価な労働者を求めて、アメリカや日本などの先
 進諸国の投資が、活発に行われた。
  この先進国の活発な投資は、中国の製造業の繁栄をも
 たらし、支え続けた。
  あまりにも多い地方からの安価な労働力の供給は、何
 時までも続く「低賃金の厳しい労働環境で雇用できる」
 という雇用者側に都合のよい状況を作った。
  労働者は、不満を言うものなら、すぐに新たな労働者
 が雇用された。
  権力を握る役人天国が現出した。
  自分の身内にまで、その立場の優位さを享受させられ
 たし、また、資本家から賄賂が流れて来て結託した。
  しかし、中国には「これらを正す法が無く」、整備さ
 れてなかった。
  一部の権力者へ、富が、どんどん集中した。
  まったく封建時代そのままの中国だった。
  この様な中国の地方の腐敗・・資本主義などと呼べる
 代物ではまったくなかった。
.
2018年11月19日、中国が必死にGPSの衛星を打ち上げて
 いる。
  この日の発表では、四川省の衛星発射センターから、
 独自開発の衛星測位システム「北斗」を構築する18、19
 基目の衛星を搭載したロケット「長征3号乙」を打ち上げ
 た。
  北斗は、アメリカのGPS(全地球測位システム)に
 対抗する中国独自のシステムとして構築が進められて来
 た。
  何故? 中国独自のシステムが必要なのか?
  仮の話・・中国の大陸間弾道弾の正確な飛行にはGP
 Sとのデーターのやり取りが必要・・その時、その部分
 をアメリカのシステムに頼っていたらどうなるか?
  中国は、独自のシステムが必要と判断したのだろう。
  例えば、中国の大陸間弾道弾が、自国に落下でもする
 ようなことを予測したのか?
  何発も発射した大陸間弾道弾の一発でも、自国へ落下
 となったら大変だと考えたのか?
  肝心な飛行にかかわる所である。
  いざとなったら何が起きるか分からない。
  その総てが、中国へ落下という事も起きるかもしれな
 い。
  大陸間弾道弾を持たなくても、この技術分野の技術を
 持っていれば、問題回避ができるとも言える。
  急速に進む現代の技術・・予測不能な部分である。
.
2018年11月19日、日本の江崎グリコが、液体ミルクの製品
 化に成功した。
  2019年の春に、国内販売が開始される見通し。
  これは、乳幼児液体ミルクが、災害時の救援物資とも
 なる。
  日本栄養士会の作る組織は、災害時の救援物資として
 備蓄する取り組みを進めるとし、2018年11月19日に発表
 した。
.
2018年11月19日、日本は、ブルキナファソに対し、食糧支
 援を決めた。
  資金返還を求めない無償の資金協力・食糧援助である。
  安倍首相は、この日、ブルキナファソのロシュ・カボ
 レ大統領と首相官邸で会談をして、決定した。
  大雨や干ばつなどの天変地異で、食料不足が深刻化し
 ている状況の救済を決定した。
  また、共同声明で、今後、インフラ(社会資本)整備
 の支援も日本は行っていくとしたと発表した。
.
2018年、中国の失敗。
  結果を見れば「中国の社会主義革命は失敗と言える」。
  「経済的不平等が存在」し、また、「人権抑圧が存在
 する」。
  社会主義で経済的平等と人間性の回復を目指したが、
 目指す過程で、その逆の「経済的不平等」と「人間抑圧」
 が、皮肉にも発生した。
  目的こそ崇高であったが、その遂行で「2000万人の死
 者が出た文化大革命」が出現した。
  あまりにも悲惨な経過を経なければ、実現されないと
 され、多くの犠牲者を出した。
  もう、この大参事で失敗だとして中止すべきであった・・
 が、しかし、社会主義化は続けられ、現在でもその「極
 端な格差社会は無残」としか言いようは無い。
  そこには、まず、中国共産党の支配を正当化するため
 の「卑劣な嘘」の存在と、その嘘を隠す嘘の行動が、さ
 らに、結果を悲惨なものにした。
  「建国神話」からその嘘は、すでに始まっていた。
  「中国共産党が日本軍を打ち破った」と言う嘘、そし
 て、「中国国民を守った」という嘘。
  「中国共産党が土地改革をした」という嘘。
  「中国農民を解放した」という嘘。
  ことごとくが嘘となっている。
  中国共産党ではなく、「中国国民党だった」。
  そして、「生産構造は、実は、まったく変わっていな
 い」。
  「中国の社会制度は、今も昔も封建的な地主制度的支
 配関係を基盤としている」。
  「社会主義革命が起きたと思い込まされて来ただけ」。
  「中国研究者でさえ『封建残余だ』と言っている」。
  「『残余』などではなく『根幹だ』とさえ言われてい
 る」。
  「社会主義の衣を着た封建王朝だとさえ自嘲的に言わ
 れている」。
  「中国の人口の0.01%のほんのわずかな中国共産党員
 が支配し、選挙もない」。
  「そのわずかな者たちが、極めて大きな特権を独占し
 ている」。
  「その奴らが蓄財している」。
  1950年に、「中華人民共和国土地改革法を公布したで
 はないか?と反論するかもしれないが、これは、内容通
 りに受け取ったら大間違い。
  確かに「地主階級の法権的搾取の土地所有制を廃止し、
 農民的土地所有制を実施」するとされているが、これで、
 「農民が地主から解放された」と評価するのは大きな誤
 り。
  ここに、「共同農業経営」という美名の元に出現した
 のが「中国・共産党国家」という「超巨大地主」だった。
  「農民へ土地を渡すというのも嘘」。
  実際は、「中国共産党官僚が、徹底的に管理し、利益
 を吸い上げた」。
  実態は、「地主が中国共産党員にすり替わっただけ」。
  かえって「国民党時代より厳しく搾取が行われている」。
  「共同経営だと言ったって、農民の人たちが収穫の中
 から自分の分の分け前を取り分けられないようにされた」。
  日本では、「その様な実体が分からないから喝采して
 いた」。
  「実態は、体よく、効率よく、搾取されるシステムの
 土地改革だった」。
  しかも、「農民は、住居移転や移動の自由を禁止され、
 奪われた」。
  「ただ働き、搾取される奴隷だった」。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

by suba28 | 2018-12-03 05:51 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないので
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2019年 09月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

(増補版)655E2/3:2..
at 2019-09-18 03:56
(増補版)654E2/3:2..
at 2019-09-12 04:57
(増補版)653E2/3:2..
at 2019-09-05 03:34
(増補版)652E2/3:2..
at 2019-07-24 05:43
(増補版)651E2/3:2..
at 2019-07-20 03:41

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31