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(増補版)655E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)

題:(増補版)655E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
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1896年8月26日、関西鉄道会社が、城河鉄道の免許路線(四
 条畷駅~木津駅間、および、大住駅~八幡駅間)を、自社
 の延長線として建設を申請した。
  1897年1月20日、免許状下付、
  1897年2月26日、城河鉄道会社が解散した。
  発起人の異なる城河鉄道の免許が下り、それを、関西
 鉄道が自社の鉄道として建設した。
  関西鉄道は、設立当初から大阪進出を目指していた。
  そして、城河鉄道を買収し、四条畷駅~木津駅間の建
 設と合わせて名阪を結ぶ路線を手に入れた。
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1896年8月26日、関西鉄道会社が、浪速鉄道全線を自社の延
 長線とすることを申請した。
  1897年1月20日、認可、
  1897年2月9日、引渡しが完了して、浪速鉄道会社が解
 散した。
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1896年8月27日、イギリス・ザンジバル戦争
  イギリスの国益獲得の目的の戦争。
  ザンジバル島は、アフリカ東部のインド洋上の島。
  タンザニア沖にある・・マダガスカル島の北方である。
  この島は、1890年からイギリスの保護領であったが、
 1963年にやっと独立できた。
  1896年8月27日、イギリスとザンジバル保護国の間で、
 軍事衝突が発生した。
  この衝突は38分から45分で終了し、史上最短の戦争と
 言われている。
  衝突の原因は、この2日前に亡くなったスルタンの跡継
 ぎ問題だった・・
  ハリド・ビン・バルガシュが後を継いだが、イギリス
 が、別の、イギリスに都合の良い、イギリスの国益が得
 られる者をスルタンにしたいとしたことから衝突が起き
 た。
  イギリスが武力行使を始めた。
  被害数:
  イギリス・・負傷1名
  ザンジバル保護国・・戦死・負傷者500名、グラスゴー
   沈没、ランチ2隻沈没、沿岸砲1門破壊
  ザンジバルの略歴は・・
  10世紀頃から、アフリカ大陸の内陸との交易の基地と
   して繁栄した・・特に、白人が行なう卑劣な奴隷貿
   易の奴隷の積出港であった。
   今でも奴隷市場の跡がある。
   ザンジバルは、ペルシア語で「黒人の海岸」を意味
   する。
  16世紀に、ポルトガル人が侵略しようとしたが、島民
   とペルシャ湾沿岸地域から移住して来たアラブ人に
   よって撃退された。
   その後、アラブ人の影響が強まって・・
  1840年、オマーンのスルタン(君主)であったセイド・
   サイードが、ザンジバルに都を移し、東アフリカ地
   域の貿易を支配した。
  1858年に、ザンジバルのブーサイード朝からの独立を
   宣言・・イギリスが承認していた・・フランスも触
   手を伸ばすという複雑の状況にあった。
  『イギリス・ザンジバル戦争』は、武力差の大きい状
 態の弱小相手を牛耳るという卑劣さで「世界記憶遺産に
 するべきである」。
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1896年8月30日、北海道鉄道敷設部技術長・田辺朔郎が道内
 鉄道敷設部長に復命した。
  北海道庁長官・原保太郎が、この復命書に基づき、北
 海道における鉄道の第1期・第2期線の区分・工費等を作
 成し、拓殖務大臣に上申し、政府が一部を訂正ののち、
 第10回帝国議会に提出し、協賛を得た。
  田辺朔郎(たなべさくろう)は、土木技術者、琵琶湖
 疎水や日本初の水力発電の建設、関門海底トンネルの提
 言などを行なった日本の近代土木工学の礎を築いた人。
  北海道官設鉄道敷設部長として北海道の幹線鉄道開発
 に着手した。
  狩勝峠の名付け親。
  1861年12月2日、幕臣の田辺孫次郎(忠篤)の長男とし
   て東京市の根津愛染町に生まれた。
   生後、9ヶ月の時、父が病死・・家督を継ぐ。
  1873(12歳)岩倉遣欧使節団の一等書記官として洋行
   していた伯父が帰国し、横浜港へ迎えに行った際に
   外国汽船ゴールデンエイジ号の機関室で蒸気エンジ
   ンを見たことで工学に興味をもち、科学者を志した。
  1875年(14歳)工学寮付属小学校へ転校。
  1877年(16歳)工部大学校(工学寮より改称)に進み
   土木工学を専攻した。
  1883年(22歳)卒業と同時に、京都府の御用掛に採用
   され、弱冠22歳で大工事である琵琶湖疎水の担当と
   なった。
  1890年(29歳)第一疎水完成後、帝国大学工科大学(
   工部大学校より改称)の教授に任命されて帰京。
   同年、榎本武揚の媒酌で北垣の長女静子と結婚。
   北海道庁長官に就任した北垣の要請で、北海道全道
   に1000マイル(約1600km)の幹線鉄道敷設計画の調
   査に着手し、計画・建設に携わる。
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1896年8月31日、第2次伊藤内閣が総辞職した。
  第5代第2次伊藤博文内閣(~1896年8月31日)
  伊藤博文の単独辞任により黒田清隆が臨時兼任となる
 (1896年8月31日~1896年9月18日)
  この第二次伊藤内閣は波乱含みで、予算と不平等条約
 改正を論題として政争が繰り広げられた。
  冊封体制で朝鮮半島を自由にしていた中国・清に代わ
 りロシアが進出し、ロシアの属国の様な状況となった。
  (1896年2月11日の露館播遷は、ロシアの朝鮮王の軟禁
 行為・・ここでロシアは利権を色々と収奪した)
  朝鮮半島のこの様な状況で、1896年3月28日まで開かれ
 た第9議会では、陸海軍の更なる拡張や増税など大幅に拡
 充した予算案が、少ない削減だけで済んで通過した。
  また、造船奨励法、航海奨励法、民法など重要法案も
 次々と成立した・・が・・
  しかし、1895年8月には、前首相で大蔵大臣の松方正義
 と伊藤が対立し、松方が辞任していた。
  また、1896年5月には、陸奥も外相を辞任していた。
  また、1896年8月には、松方の後を引き受けた渡辺も、
 財政問題の行き詰まりから辞表を提出した。
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1896年8月31日、陸羽地震が発生した。
  209名の死者出る
  秋田県と岩手県の県境山間部での大地震。
  揺れは広範囲で観測されるが、強い揺れは山間部の極
 狭い範囲に集中した。
  死者209人、負傷者779人、全壊5792軒、半壊3045軒、
 山崩れ9899ヶ所。
  梅ノ湯温泉などで温泉の量と温度に変化が出る。
 (日本被害地震総覧)
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1896年8月31日、郡司成忠(ぐんじしげただ)らが、再び、
 千島列島の最北の占守島(しゅむしゅとう)に上陸した。
 (1896年9月説あり)
  (参考)郡司成忠:日本海軍軍人、探検家、開拓者。
     1860年12月28日~1924年8月15日、
      開拓事業団「報效義会」を結成し、北千島の
     探検・開発に尽力した。
      小説家の幸田露伴は弟。
  1892年、郡司の千島への夢は堅かった。
  郡司は、海軍大尉を退いて予備役となり、民間人とし
 て千島を目指すことにした。
  横須賀鎮守府で不要になった短艇を払い下げてもらい、
 これで千島へ向かうことにした。
  1893年2月22日、後に「千島拓殖演説」と呼ばれる講演
 を行なった。
  この翌々日には、土方久元宮内大臣から拓殖隊に「報
 效義会」という名が与えられた。
  これらが、新聞などのメディアで報じられると、その
 反響は大きく、1892年、シベリア横断を実行した福島安
 正とともに国民の人気を集めるようになった。
  これらの世論の高まりによって、岩崎弥太郎や黒田清
 隆、谷干城といった面々を始めとして、寄付金は当初の
 予定額を超えるほどに集まり、また、入会希望者も続々
 と増えた。
  そして、東京朝日新聞社の横川勇次(後の横川省三)
 が特派記者として同行することも決まった。
  日本中、注目は郡司に集まりすぎるほど集まっていた。
  そして、1893年3月20日、郡司以下、約80人の報效義会
 員は5隻のボートで千島へ向かった。
  当初、郡司は、航海日数33日、気象などのために航行
 不能の日が33日、それに余裕の10日を加えた計76日もあ
 れば目的地へ到達できると想定していた。
  しかし、実際には、この予定通りにはまったく行かな
 かった。
  1893年5月10日、一行は、全行程の約1/6の地点である
 釜石港付近にいた・・
  ・・が、当初の予定であればこの日には、全行程の約
 2/3の地点に当たる択捉島に着いているはずだった。
  当初の予定から、これほどの遅れを出していた。
  理由は、例年以上の荒天続きで、しかも向かい風であ
 る北風の吹く日が多く・・小さなボートのため接岸航海
 が必至だった。
  また、国民的な人気となっていたため、寄港した各地
 で歓迎会なども開かれた・・これが、時間を浪費した。
  しかし、悪影響のみではなく、気仙沼では、地元の篤
 志家から帆船「鼎浦丸」の寄贈を受けた。
  このような中、1893年5月22日、郡司一行にとって大き
 な事件が起きた。
  この日、八戸の鮫港を出航した郡司たちは、下北郡東
 通村白糠の沖で暴風雨に会ってしまった。
  ボートのうち1隻が遭難し、乗組員の10人が全員死亡し
 てしまった。
  さらに、1893年5月27日、別行程で千島へ向かっていた
 鼎浦丸が暴風雨により、鮫村(現:八戸市)大久喜沖で
 遭難した・・これでも、乗組員9人が全員死亡した。
  その上、1893年5月28日には、郡司が負傷し、八戸病院
 に入院することとなった。
  郡司の自殺未遂説もあるが、詳細は不明・・暴風雨で
 の隊員の死亡が原因か?
  この一連の事件のため、それまでの計画の完全見直し
 が行われた。
  軍艦・磐城に曳航され、当初の予定では占守島に着い
 ているはずの1893年6月5日に、函館へ入港した。
  ここで、白瀬矗らの陸行組と合流する・・、
  地元の富豪・平出喜三郎の好意で、その持船に便乗さ
 せてもらい、1893年6月17日、択捉島の紗那に到着した。
  郡司は、一旦、ここに報效義会の本部を設立すること
 にした。
  1893年7月3日、郡司の実父である幸田成延をはじめと
 した会員の家族も到着した。
  1893年7月20日、硫黄採掘のため捨子古丹島(しゃすこ
 たんとう)に向かうという泰洋丸という帆船が紗那に入
 港した。
  郡司が、便乗を依頼したところ、泰洋丸船主・馬場禎
 四郎の返事は、「捨子古丹島には、硫黄採掘のため20日
 ほど滞在するから、その間に、占守島まで送っても良い、
 ただし、全員は乗せられないので15人程度にしてほしい」
 というものだった。
  こうして、郡司は、自分や白瀬、横川勇次、高橋伝五
 郎など18人の先遣隊を選抜して、泰洋丸に乗り込んだ。
  1893年7月31日、泰洋丸は、捨子古丹島に到着した。
  しかし、ここで、馬場は、占守島への回航を拒否した。
  帰還途中に新知島(しんしるとう)に寄るのはどうか
 という代案を出してきた。
  馬場の推測される理由は・・、
  採掘に手一杯で、泰洋丸を占守島へ回航させる人員が
 確保できないこと・・千島が荒天気に入る時期であるこ
 と・・占守島へ回航させる間に不慮の事故が起きる心配・・
 硫黄を持ち帰れなくなる可能性・・など
  便乗者である郡司は、これに抗議することもできなか
 った。
  新知島のブロウトン湾の岩礁を爆破し、同湾を天然の
 良港に改造しようという計画を建て、その提案を了解し
 た。
  泰洋丸のメンバーが硫黄採掘をしている時に、郡司は、
 白瀬と共に島内一周の探検を実行した。
  郡司は、捨子古丹島での越年は可能と判断した。
  そして、先遣隊18人のうち高橋伝五郎など9人を残留さ
 せることにした。
  しかし、郡司は、占守島を全力で開拓することを目的
 としていた。
  (郡司は、その著書『千島国占守島探険誌』の中でこ
 の選択について「実ニ忍ビザル所アリ」と記している)
  捨子古丹島残留メンバーと別れた後、泰洋丸で新知島
 へ向かっていたが、その途中で、偶然、八戸から函館ま
 で郡司らを運んだ軍艦・磐城と再会した。
  軍艦・磐城は、測量のため、占守島へ向かうところで
 あり、郡司は、便乗させてもらうことを請願したところ、
 これが許可された。
  ただし、捨子古丹島に残留した9人については、任務の
 関係上、捨子古丹島への寄港が無理であり、回収はでき
 なかった。
  そして、1893年8月31日、郡司は、紆余曲折の末に占守
 島へ到着した。
  占守島における郡司らの越冬は、特に問題もなく過ぎ
 た。
  心配されていた脚気に罹る者もおらず、また、サケや
 マスが無尽蔵に獲れたことなどもあって食料にも困らな
 かった。
  春が訪れて島の雪が溶けだした頃には、島を精力的に
 探険する余裕さえあった。
  しかし、他の島における越冬は、郡司らのように順調
 には行っていなかった。
  1894年5月10日、島の周囲の流氷が流れ去ったため、郡
 司たちは、和田の安否を確認しようと艀(はしけ)で幌
 筵島(ほろむしろとう)へと渡った。
  しかし、和田は、小屋の中で死体となっていた。
  残された日記から、和田は、脚気に罹って、4月上旬ご
 ろに衰弱死したことが判明した。
  (参考)脚気:かっけ、ビタミンB1が不足することで
     発症する。
      初期には疲れやすい、食欲不振、倦怠感など
     の症状から始まり、次に、主に神経や心臓に関
     連した症状が現れる可能性がある。
      心拍数が増加することから、動悸や下肢のむ
     くみが生じることがあり、病状が進行すると、
     心不全を発症する。
  そして、1894年6月28日、再び、磐城が占守島に現れた。
  ここで、郡司は、衝撃的な事実を知らされた。
  捨子古丹島で越冬していた9人が、全員死亡・行方不明
 となっているというのだった。
  まず、9人のうち、高橋ら4人は、小屋の中で全員死体
 になっていたという。
  磐城の軍医によれば、死因は明らかに窒息死であり、
 寒気を防ごうと密閉した小屋の中で焚火をしたための一
 酸化炭素中毒であろうとのことだった。
  小屋に残されていた日記には、彼らが脚気に罹って衰
 弱していたことが記されていた。
  また、高橋の死体が、戸口の方に這っていった痕跡が
 あったことから、体の自由がきかず逃げ出すことができ
 なかったと推測された。
  そして、この日記から、残る5人が10月に食料補充のた
 め越渇磨島(えかるまとう)に出漁し、そのまま帰還し
 なかったということも判明した。
  (参考)越渇磨島(えかるまとう)は、1700年(元禄
     13年)、元禄国絵図のため、松前藩が幕府に呈
     上した松前島郷帳に、「ゑかるまし」の名が記
     載されている。
  白瀬は、後に、艀が流されて越渇磨島から帰還できな
 くなり餓死したか、帰航の途中で船が沈んだのだろうと
 推測している。
  磐城が告げたもう一つの衝撃的な事は・・、
  日清間に緊張が走っており、戦争になるかもしれない
 ということだった・・占守島にいた7人は、全員が予備役
 とはいえ軍人であり、戦争となれば召集される可能性が
 あった。
  郡司は、軍人としての使命と、千島の拓殖(たくしょ
 く、未開の地を切り開いて、そこに住みつくこと)とい
 う使命があった。
  磐城艦長の柏原長繁の強い説得もあって、占守島を引
 き揚げることを決意した。
  この時、郡司は、当初、全員を引き揚げさせる予定で
 あった。
  それに対して、択捉島から報效義会員5人を引き連れて
 磐城に便乗していた郡司の実父・幸田成延が・・、
  占守島の拓殖を完全に途切れさせるべきではないとし
 て、連れてきた会員5人と自分が、島に残留すると主張し
 た。
  郡司は、若者であっても生きていくのが厳しい極寒の
 地に老父(この時、60歳前後であったと推測されている)
 を残留させることは到底できなかった。
  また、新たにやってきた5人の会員は、越冬の経験も浅
 く、もし彼らを残留させるのであれば、経験の豊かな人
 間による統率がなければ捨子古丹島の二の舞になるのは
 目に見えていた。
  しかし、成延の「占守島の拓殖維持」という意志は固
 く、最終的に郡司は、白瀬に5人を率いての残留を頼みこ
 むことになる。
  最終的に、白瀬も、郡司の頼みを受け入れた。
  島に残った白瀬らであったが、彼らの越冬は凄惨なも
 のとなった。
  6人中3人は脚気のため死亡し、白瀬を含む生き残った
 3人も愛犬を射殺してその肉を食べ、かろうじて命をつな
 いだ。
  この様な危機に追い込まれた。
  白瀬らは、1895年8月になって、北海道庁長官の命令で
 差し向けられたラッコ猟漁船に救助された。
  この千島から帰還で、報效義会の第一次千島拓殖は終
 わった・・
  そして、第二次千島拓殖へと続く・・
  千島から帰還した郡司は、召集された。
  水雷敷設隊の分隊長などとして、日清戦争に参加した。
  防材破壊に使用する爆薬の不足に悩んでいた鈴木貫太
 郎に爆薬を提供したのが郡司だった。
  (参考)防材:ぼうざい、船舶の運航を遮断するため、
     鉄鎖などでつないで水路に敷設する大きな材木。
      敵の艦船の侵入を防ぐため、河口や港湾の入
     口などに敷設する木材類。
  戦争終結後、郡司は、報效義会の再生を図って来た千
 島の重要性を説く演説などを続けた。
  こうして、1896年の初夏ごろ、会員数57人の第二次報
 效義会を結成した。
  この第二次報效義会は、参加者の中に郡司の妻など女
 性も14人含まれていた。
  探険的要素が強かった前回とは違って、拓殖のみがそ
 の目的だった。
  また、谷干城らの尽力によって、「報效義会保護案」
 が議会で成立した。
  3年間、補助金が政府から出ることも決定した。
  1896年9月、占守島に、再び、渡った第二次報效義会
 は、前準備がしっかりしていたこともあり、今度は着実
 に成果を上げて行った。
  開拓本部に、魚肉の缶詰工場や、鍛(たん、金属をた
 たいて上質なものにする)工場が建設され、幌延島には
 分村が作られた。
  会員も増加して行き、1903年には、占守島の定住者は
 170人(男100人、女70人)にまで膨らんだ。
  この日本の領土の占守島が、ロシア(旧ソ連)に奪われ
 ている・・
  第二次世界大戦が終わっているのに、武力をもって不
 法占拠された・・
  しかも、日本の守備隊が戦いに勝っているにもかかわ
 らず・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:それまで、韓国・朝鮮には、小学校は5校しかなかった・・
   ・・が、日本は、一生懸命、小学校を建てて、その数は、4271校にもなった。
.
紀元前2世紀、「スイス」のラテン語表記の源となったヘル
 ウェティイ族はケルト人の部族だった・・この頃の最初
 の記録が残されている。
  (参考)ヘルウェティイ族:現在のスイスから南ドイ
     ツにかけて居住していたガリア人の部族。
      スイスの古名であるヘルヴェティアは、この
     部族に由来する。
  (参考)ケルト人:中央アジアの草原から馬と車輪付
     きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパ
     に渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派
     の言語を用いていた民族。
      古代ローマ人からは、ガリア人とも呼ばれて
     いた。
  (参考)ガリア人:ケルト語派を話すいわゆるケルト
     人のうち、ガリア地域に居住してガリア語ある
     いはゴール語を話した諸部族の人々を指す。
      古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリ
     ア人」と「ケルト人」をおおむね同義として扱
     った。
      しかし、いわゆるケルト人の中でも、小アジ
     アに移住したケルト人(ガラティア人)やブリ
     テン島の諸部族に対するガリア人は明らかに区
     別される。
  ヘルウェティイ族に関する最初の記録は、紀元前2世紀
 に遡(さかのぼ)る。
  紀元前1世紀に、現在のスイス中部平原とドイツ南西部
 に移り住んだ。
  現在のスイス東部には、ラエティア人が住んでいた。
  ラエティア人は、紀元前8世紀からイタリア半島で都市
 国家を築いたエトルリア人が起源になっていると考える
 学説もある。
  (参考)ラエティア:ローマ帝国の属州・・その領域
     は、現在のスイス東部および中央部(ライン川
     上流やボーデン湖を含む)、ドイツのバイエル
     ン州南部やドナウ川上流部、オーストリアのフ
     ォアアールベルク州、オーストリアとイタリア
     にまたがるチロル地方の大部分、および、イタ
     リアのロンバルディア州の一部からなる。
      ローマ帝国時代のラエティアは、西はヘルウ
     ェティイ族の国に接し、東はノリクム、北はウ
     ィンデリキア、南はガリア・キサルピナに接し
     た。
      北側の国境線は、リーメス(ドイツから続く
     長城)の一部によってドナウ川沿いに166kmにわ
     たって守られていた。
      ラエティアとイタリアとの間は、アルプス山
     脈をレッチェン峠(レージア峠)で越えるクラ
     ウディア・アウグスタ街道によって結ばれた。
     ・
     ・
     ・
13世紀半ば~14世紀初頭、アイヌは、ユーラシア大陸のア
 ムール川流域に居たが・・中国の『元』に追われて北方
 から、13世紀半ばから14世紀初頭に、日本に来た。
  これを、「北の元寇」と言い・・また、「北からの蒙
 古襲来」「モンゴルの樺太侵攻」「もうひとつの蒙古襲
 来」とも呼ばれている。
  この様に、アイヌは、北方(アムール川流域、そして、
 樺太)に住んでいた。
  日本へは、紀元前に既に、南方から日本に来たり、朝
 鮮半島から来たり、太平洋を渡って来たり、紀元前とい
 う遠い昔に、あらゆる方向から日本に来て、アフリカか
 らの人類移動の大きなうねりの様に北海道も含めて日本
 中を歩きまわり移動し、日本人が形成された・・この人
 たちが日本人の先住民であって・・アイヌは先住民では
 ない。
  人類の起源のホモ・サピエンス(新人)が、アフリカ
 に登場したのが紀元前20万年。
  ホモ・サピエンスが、全地球的な拡散を始めたのが紀
 元前5万年前(紀元前5~6万年説や紀元前6~7万年説や
 紀元前10万年説もある)
  そして、岩手県遠野市の金取遺跡の人類の足跡は、紀
 元前8~9万年・・この頃の人類の足跡は日本の各所で数
 千ヶ所ある。
  そして、ホモ・サピエンスが東アジアにまで到着した
 のが紀元前5~6万年。
  そして、紀元前4万年に、日本に、旧石器時代の遺跡が
 急に増えることから、研究者の多くが、現代の日本人に
 つながる人々が、少なくともこの頃に日本で暮らしてい
 たとしている(この頃には、アイヌは居ない)
  日本列島には、あらゆる方向から日本人の祖先となる
 人々が来たのが紀元前6万~紀元前4万年で・・アイヌは
 13世紀~14世紀。
  因みに、ホモ・サピエンスの前にアフリカを出たデニ
 ソワ人が、紀元前12万年に、日本には居た(島根県の砂
 原遺跡)
     ・
     ・
1492年10月12日、コロンブスが、アメリカ大陸の島を発見
 して、上陸した。
  大航海時代・・
  この時代に、ヨーロッパ人が持っていた世界観は・・
  「三つの大陸からなる平版状の世界で・・世界の果て
 は、奈落になっていて・・南方では、海が沸騰していて、
 その先には進むことが出来ない」
  大航海時代に、この世界観が崩れた。
  コロンブスが、1492年10月12日、アメリカの島を発見
 し、上陸し、そこが、インドの東端であると思った。
  また、出会った先住民をインディオと名付けて、呼ん
 だ。
  このコロンブスは、「大陸は三つだ」という世界の世
 界観の中で航海した。
  続いて、1503年、アメリゴ・ベスプッチが、アメリカ
 に到達し、この大陸を「新大陸」と呼んだ。
  (インドではなく、新大陸だと認識した)
  1519年~1522年、マゼランが、世界一周の航海をした。
  1569年、オランダの地図学者であるゲラルドゥス・メ
 ルカトルが、南北のアメリカ大陸の入った(アジアとは
 別だと認識して)世界地図を描いた。
  この頃(16世紀)は、まだ、太平洋が不明で、ベーリ
 ング海峡の存在も不明であった。
  このベーリング海峡は、1728年に、発見される。
  この様にして、ヨーロッパ人は、「球体の大地」と「
 四つの大陸」の世界の概念を構築して行った。
  この様な経過の中で、「キリスト教普遍史の世界観は
 否定され・・崩れ去った」。
  ヨーロッパ人が、「空論の想像で出来たキリスト教概
 念」から解放されて行った・・
.
15世紀半ば~17世紀半ば
  大航海時代の罪作りなところは・・
  (参考)大航海時代(だいこうかいじだい)とは、ヨ
     ーロッパ人が、アフリカ・アジア・アメリカ大
     陸への大規模な航海を行い、発見した土地で略
     奪や搾取の限りを尽くした時代。
      15世紀半ばから17世紀半ばまで続き、主にポ
     ルトガルとスペインにより行われた(wikipedia
     より)
  大航海が行なわれたこの時代にあった「罪作りな所」・・
  それを形成したのが、キリスト教概念・・
  そのキリスト教概念は・・
  「世界には、アダムの子孫の怪物がいる(アウグステ
 ィヌス)」とされ、洗脳されていた・・
  ヨーロッパ人たちは、航海技術を得て、世界へ出て行
 くと、出会ったのは「怪物では無くて、人間だった」。
  その人間が、キリスト教で「蔑視観を植え付けられた
 有色人種たちだった」。
  キリスト教徒のスペイン人とキリスト教聖職者たちは、
 長い年月に渡って「この人たちに対し、殺戮のし放題を
 した」。
  この行為が始まる最初に関わったのが、キリスト教の
 バチカンのローマ法王(教皇)だった。
  スペイン人とキリスト教聖職者たちは、このバチカン
 のローマ法王に、この現地人について問うと「人間では
 ない」という返事があった。
  キリスト教徒のスペイン人やポルトガル人たちは、こ
 れを契機に、先住民の「インディオの方々への殺戮」を
 開始した。
  「インドやアジアには怪物が居る」と説かれ、洗脳さ
 れて(この頃には、まだ、アメリカは発見されていなか
 った)・・この様なキリスト教概念を持って航海に出て・・
  アメリカへ行ったコロンブスは、第一回の航海の帰り・・
  その航海で記した・・
  「私は、多くの皆さんが考えているような怪物には出
 会っておりません」・・と・・
.
1697年4月24日(元禄10年3月4日)、賀茂真淵が生まれた
 (~1769年)
  (参考)賀茂真淵:江戸中期の国学者・歌人。
      遠江(とおとうみ)浜松の禰宜(ねぎ)の子・・
      浜松の脇本陣梅谷家に入婿後、上洛し、荷田
     春満(かだのあずままろ)門下となり学び・・春
     満没後、江戸へ出る・・村田春海,加藤千蔭ら
     を門下とする。
      1746年(49歳)田安宗武に仕ええたが、辞し、
      1760年(63歳)隠居。
      1763年(66歳)松阪で本居宣長が入門。
      浜町県居に住して、幾多の著述を完成する(
     広く古典を研究し、復古主義を唱える)
      近世国学(国学の基礎を築く)、及び、和歌
     史上大きな足跡を残し、国学の四大人の一人と
     される。
      著「万葉考」「にひまなび」「祝詞考」「冠
     辞考」「歌意考」「国意考」「賀茂翁家集」な
     ど・・
  日本には数多(アマタ)の識者がいる。
  賀茂真淵も、その日本の識者の一人。
  賀茂真淵は、国学者で万葉集を研究した。
  賀茂真淵は、静岡県浜松市に生まれた。
  賀茂真淵は、41歳の時に江戸に出た。
  弟子に優秀な学者の本居信長など多くの門人が居る。
  平賀源内も、賀茂真淵の弟子である。
  賀茂真淵が、名を成し、故郷・浜松の生家に帰った時、
 その長歌が残されている。
  それを、口語訳で記すと・・
  「江戸に暮らしていて、毎年、毎年、お慕い申してい
 るので、父と母は、故郷で健在でいらっしゃるかのよう
 に、いつもは、その様に思っていたのだけれども(中略)
  この度、唐突に帰って来て、出会った故郷の人々に尋
 ねてみると、父はもうこの世にはおられず、また、母も、
 この世にはいらっしゃらないけれども、私の妹が、白髪
 の目立つ頭で、家の門から出て来るのを見ると、ああ、
 母上は健在でいらっしゃたと見誤ってしまい(中略)
  妹の方は、父上が来られたと不思議そうに思っている
 のであった。
  しばらくは、互いに問いかける事もなく、玉のような
 涙をこぼして向かい合い、昔をしのぶ数々の言葉を交わ
 したことである」。
.
1830年代以降、アメリカのバッファローの大量殺戮
  アメリカの先住民であるアメリカ・インディアンの方々
 は、バッファローを食用とし、
  また、バッファローの毛皮は、服・靴・テントなど、
 骨は矢じりに利用し、バッファローは、生活に無くては
 ならないものだった。
  1830年代以降、アメリカは、そのバッファローを大量
 殺戮する様になる。
  また、大陸横断鉄道が敷設された1860年代以降は、ま
 たそれ以上、より多くの殺戮が行われた。
  1870年代の写真には、バッファロー(アメリカ・バイ
 ソン)を肥料にするために乱獲したとするそのバッファ
 ローの頭骨の山の頂(いただき)に立つ白人の写真があ
 る。
  アメリカは、バッファローを1400万頭も殺戮した。
  あきらかに、その目的は、アメリカ・インディアンの
 方々の食糧が、バッファローだったから、アメリカ・イ
 ンディアンの方々を絶滅させる目的で、アメリカは、バ
 ッファローを絶滅させた・・アメリカ政府の飢餓作戦だ
 った・・多くのバッファローが、利用もされずに放置さ
 れていた(肥料にするのだとされた)
  アメリカ・インディアンの方々は、食糧だけでなく、
 生活の手段もすべて失って、絶滅寸前になってしまった。
  カナダも、同様な事をした。
  カナダのインディアンの方々は、絶滅してしまった。
  この様な民族の排除行為は、ドイツのナチスと変わら
 ない卑劣な行為となって歴史に残った・・
.
1939年10月21日、アメリカで、原子爆弾の開発に関する最
 初の会合が行われた。
  ナチス・ドイツが、先に、核兵器を保有することを恐
 れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらは・・
  1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名
 を借りてルーズベルト大統領に信書を送った。
  アメリカ政府は、核開発への動きを始めた。
  すでに、1939年6月には、原子爆弾に関する画期的な研
 究が行われていた。
  イギリスのバーミンガム大学のユダヤ系物理学学者オ
 ットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスが、ウラン
 235の臨界質量に関して画期的な発見をしていた。
  計算によると、ウラン235を爆発させるには数kgから10
 kgで十分だと見積もられていた。
  また、オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルス
 は、「ガンバレル方式」と呼ばれる単純な兵器の機構と、
 ドイツが核兵器を開発しつつあることに対する警告のレ
 ポートを書いて、バーミンガム大学物理学科主任のマー
 ク・オリファントを通じて、イギリス防空科学調査委員
 会議長、オクスフォード大学のヘンリー・トマス・ティ
 ザードへ送っていた。
  学術的に、すでに、原子爆弾は出来上がっていた。
  (参考)ガンバレル方式:核兵器の構造の種類の一つ
     で、ヒロシマ型とも呼ばれる。
      核分裂反応の連鎖反応を引き起こす臨界状態
     を達成するために、砲身状の構造を用いる。
      臨界量に達する核物質を分割したうえで砲身
     状の構造の両端に置き、火薬により一方の物質
     をもう片方へと衝突させ、臨界を達成、核爆発
     を発生させる。
  ルーズベルトは、国立標準局長官のリーマン・ブリッ
 グズに命じて「S-1ウラン委員会」を設け、シラードから
 提案された問題を検討した。
  1939年10月21日に、ブリッグズは、シラード、ユージ
 ン・ウィグナーとエドワード・テラーと、初めての会合
 を開いた。
  1939年11月1日、諮問委員会は、大統領宛の報告書を作
 成し、潜水艦の動力源として核分裂反応の調査を開始す
 ることを報告した。
  しかし、「もしその(ウランの)反応が爆発性のもの
 ならば、既知のどんなものと比べてもはるかに大きな破
 壊力をもった爆弾になる」とも書いた。
  原子爆弾を投下される日本は・・
  1945年、日本は、原爆を落とされる前から、戦争を終
 結させようと活動していた。
  しかし、アメリカは、日本を降伏させなかった。
  その間、アメリカは、何をしていたのか?というと「
 原子爆弾が出来上がるのを待っていた」。
  アメリカは原爆を落としたかった・・その原爆威力を
 ソ連という次なる対決相手になる状況にあったソ連に見
 せ付けたかった・・
  そして、その原爆投下の行為によって・・
  鉄やガラスも蒸発するほどの高熱に晒された。
  その強烈な熱線によって、屋外にいた広島・長崎の人々
 は、全身の皮膚が炭化した・・
  そして、内臓組織に至るまで高熱で水分が蒸発して行
 った。
  その経過において、苦悶の姿態の形状を示す「水気の
 無い黒焦げの遺骸」が道路などに大量に残された。
  アメリカは、原爆の投下の前から、反撃力が皆無とな
 った日本に・・「まったく反撃のできない日本」に対し
 て、アメリカの勝ちが確定していたこの時に、アメリカ
 は、この様な非人道的な人非人行為を行った。
  アメリカは、また、戦争の終わった後のことを考えて
 都市爆撃をしていた。
  日本が居なくなった後に、すでに、ソ連が、新たな敵
 となることが見えていたので「世界で、唯一、アメリカ
 が原子爆弾を持った。その威力は絶大・・広島・長崎に
 原爆を投下して、その絶大な威力、悲惨な状況を見せつ
 け、その上、都市爆撃のじゅうたん爆撃さえした」・・
  また、アメリカは、戦争終結後、進駐する用地の確保
 のための卑劣な爆撃さえした。
  戦後、アメリカは、最初の大部隊を横浜に進駐したが、
 その兵舎を立てる広大な用地の確保がしたいため・・
  アメリカは、横浜の南区を爆撃し、まったくの住宅地
 で、戦争の「セ」の字もない「まったく関係のない住宅
 地」を、広く爆撃してさえしていた。
  無益な殺生、卑劣、この上ない行為をしていた。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下される。
  原爆に遭(あ)った女性が、「言い残したい」と語る
 話・・
  「忘れられない話の一つです」と語る・・
  広島で、原爆に遭ったその方が、その原爆投下された
 広島の道を歩いていると、小さな子供の手を引いて、向
 こうから歩いてくる若い女性に出会った。
  原爆投下後に、小さな子の手を引いた女性・・
  その女性は、背中にも赤ちゃんを背負っていた。
  そして、その女性に尋ねられた。
  「背中に背負っている子供は大丈夫でしょうか?」と。
  その女性は、背中をのぞくと、その赤ちゃんは、こと
 切れて、亡くなっていた。
  しかし、その女性は、そのことが告げられなくて、「
 大丈夫ですよ」と言った。
  それから・・そのまま、その若い女性は小さな子供の
 手を引いて歩いて行ったが・・
  この子供の手を引いて、背中にもう一人の子供を背負
 って、どこに行こうとしていたのだろうか?
  そして、この後、この3人は、どうなったのだろうか?
  もしかすると、さっきまで、原爆の落ちる前までは、
 手を引いた小さな子と、両親との所へ楽しい話をしなが
 ら行くところだったのかもしれない・・
  子供たちを(孫を)親に見せに行く、そして、「楽し
 い話をしていた」のかもしれない。
  「おじいちゃんとおばあちゃんに会えるんだ」と話し
 ていたのかもしれない。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下された後の情景・・
  こと切れた母の乳を吸う子は、今も無事(ぶじ)で、
 育っていたのだろうか?
  広島で原爆に遭(あ)い、倒れた母は、1本の木にもた
 れかかり、子供へ乳を与えた。
  この情景を証言する方は、この若い母は、この方が見
 た時には、亡くなられていたと・・
  だが、この抱かれた子は、懸命に、母の乳を吸ってい
 た・・と言う。
  母は、「最期の乳」を、我が子へ、必死になってあげ
 たのだろう・・
  我が子の「生」を祈って・・
  乳をあげながら、生を祈って、こと切れたのだろう・・
  シャローム・・キリスト教の教義。
  シャローム・・それは、キリスト教の教える平和の教
 義。
  キリスト教は、すべてを破壊しつくしての後に、平和
 が来ると教える。
  アメリカのキリスト教を強く信仰しているルーズベル
 ト大統領は、これを、広島・長崎に実行した。
  すべてを破壊しようと、広島・長崎に原爆を落とさせ
 た。
  それが、愚かな行為だと、まったく気づいていなかっ
 た。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下された後の情景・・
  そう・・そうなんだよ・・と、その方は言った。
  知人のその方は、原爆の投下時は、少し離れた所(学
 校)へ行っていたので、原爆の直撃は免れた・・
  しかし、自宅は、直撃を受けているのではないか?・・
 と・・その少年は、母が心配になる・・投下直後の自宅
 へ戻った・・まったく、灰だけになった町・・自宅を探
 すのも大変となってしまった生まれ育った見慣れた町の
 変貌ぶりだった・・その様相は、まったく違っていた・・
 やっと、自分の家を探し当て・・母の存在の痕跡はまっ
 たく感じさせなかった・・が・・家のコンクリートの基
 礎の形で、ここが台所だったなと思えるところに、母の
 「指輪だけ」が落ちていた・・と・・その方は言った。
  私が、本当にすべてが蒸発してしまうのですねと言っ
 たら・・冒頭の言葉・・「そう、そうなんです」と、上
 記の話をしてくれた・・この方が、原爆を受けている方
 とは知らずに言った言葉だった・・
  そして、どうも、その時、お客様が来ていたようだっ
 た・・応接間に、お役様用の茶碗と母の茶碗があったか
 らとも・・言った・・
  そのお客様も、その方のお母さんも、まったく蒸発し
 て・・痕跡も残していなかった・・と・・骨さえも残っ
 ていなかった・・と・・
  その方は・・友達仲間の中で・・一番早く亡くなられ
 てしまった・・原爆が影響していたのか・・?
.
2019年8月12日、中国に媚(こび)を売る事ばかりをするNHK、
  中国への媚(こび)売り番組の放送局のNHK、
  また、中国に利することばかりをするNHK、
  このNHK出身者の池上彰が、まったくNHKがやる
 ことと同じことをやっている。
  何もしないで平和なら、誰もがこれが一番なのは、当
 たり前。
  その様にあってもらいたいと思う・・が・・
  しかし、世の中、その様に行かない。
  日本の都市のすべてに、核爆弾を積んだミサイルの照
 準を合わせている中国。
  いざとなったら日本の都市のすべてを広島や長崎の様
 にしてしまうと言う中国。
  日本は、この様な中国に屈してしまう状況に今ある。
  このような時、池上彰は、この様な中国を支援するよ
 うな事をテレビでやっている。
  中国のやっていることを隠している・・
  そして、中国隠しで、放送の媒体を自由に使っている。
  日本国民を脅(おど)してばかりいる。
  中国に利する様な論理を展開する。
  日本が、中国の脅威から「自分を守ろうとすることは
 駄目だ」という偏った放送をする。
  元NHKの局員だという面目が躍如の放送をする池上彰。
  一生懸命に国を守る国防をすると悲劇が起きると洗脳
 的に言う池上彰の偏した論理が放送されている。
  2019年8月12日、テレビ東京、20:00~21:54、「池上
 彰の戦争を考える」
.
2019年、NHKは、不公正な放送局である。
  NHKは、日本を貶(おとし)めてばかりいる。
  NHKのその様な一つが以下である・・
  NHKは、日本の側ばかりを見せて、日本が好んで戦
 争を選択して行った様に「編集して作った番組」で、視
 聴者を錯覚させ、日本を貶めて放送した。
  NHKは、この様な番組の作り方を良くしていて・・
 そして、日本を貶めている。
  第二次世界大戦の場合も、日本側のみを編集して、番
 組を作るというマインド・コントロール番組を放送した。
  例えば、お化け屋敷において・・脅している方を映さ
 ないで、脅されている方ばかりを映して放送した場合、
 視聴者は全体像を把握できないで、その脅されている人
 を異常な状態と見えてしまう。
  お化け屋敷に入った人の状況のみの映像を放送したな
 らば、異常に怖がってばかりしているその人の印象しか
 残らない。
  その異常さが印象づけされ、印象操作されてしまう。
  この様な場合は、当然、脅している方も映し、また、
 それに反応している脅される方を映すのが当たり前であ
 るが、NHKはこの様なやり方をしない・・
  まったく異常状態の番組の作り方をして放送し、視聴
 者を繰っている。
  視聴者が、正しい状況把握が出来ない状態にして、印
 象操作している。
  このNHKが放送した第二次世界大戦の放送の場合も、
 日本側のみを放送して、日本が、だんだん、一方的に強
 硬な策を採用して、日本の悪い状況が作り出されてしま
 うという結果をNHKは作っている。
  お化け屋敷の脅す方が見えない状況と同じで、印象が
 日本が悪いという状況が作り出されてしまう。
  アメリカが、日本を戦争に追い込んでいく状況は、ま
 ったく見えない状況となっている。
  まったくNHKは、卑劣なやり方で、日本を貶めてば
 かりいる。
  「NHKスペシャル」「歴史秘話ヒストリア」などが、
 よくこの手を使う。
.
2019年、NHKやヤ池上彰は、朝鮮・韓国を日本が植民地
 にしたと貶(おとし)めるが、これは間違い、「併合し
 たのである」。
  植民地という用語は、元々は「開拓地」や「入植地」
 などと同様に、正否の価値判断を含まない一般術語であ
 り、近代植民地法制学においても、社会科学の講学上の
 概念にすぎない。
  ただし、外地を「植民地」「殖民地」と呼ぶことへの
 感情的な反発は、明治期からすでに存在していた。
  忌避語・侮蔑語のようなニュアンスがあり・・
  外地を植民地と呼称することは回避され・・
  「我国にては斯(植民)の如き公の呼称を法律上一切
 加えず単に台湾朝鮮樺太等地名を呼ぶ」ことが事実上の
 慣例となった。
  この様な歴史を知っているのか?いないのか?NHK
 や池上彰は「日本は朝鮮を植民地にした」と放送し続け
 た。
  日本は、「朝鮮」と言い、また、「外地」と言ってい
 た。
  法的に「外地」と言っていた。
  多様な議員の中には、日本を貶めるため、「植民地支
 配」と表現する日本の議員も存在する。
  韓国は、反日教育の為、この併合が韓国・朝鮮の近代
 化に寄与している面をまったく隠している。
  そして、韓国は、韓国の方が、日本のおかげで近代化
 したと事実を言うと徹底的に弾圧されるという社会とな
 っている。
  逮捕され投獄される例さえある(言論弾圧)
  日本は、朝鮮・韓国を、日本と併合した同等の国とし
 て考え、自分の国の様に思って韓国・朝鮮の国づくりを
 した。
  日露戦争の兵隊を運ぶために鉄道を敷いたのだと韓国
 は言うが、それなら北へ行く1本の鉄道だけで済む。
  しかし、日本は、その様な目的ではないから、遅れて
 いる韓国・朝鮮に鉄道を敷いてあげようと、韓国・朝鮮
 の国のあらゆる所、韓国・朝鮮の国じゅうに鉄道を敷い
 た。
  また、教育が重要で大切だから、韓国・朝鮮の国じゅ
 うに小学校や中学校、大学まで国じゅうに造ってあげた。
  日本の大学以上に立派な大学さえある。
  それまで、韓国・朝鮮には、小学校は5校しかなかった
 が、日本は、一生懸命、小学校を建てて、その数は、4271
 校にもなった。
  無いに等しかった韓国・朝鮮の初等教育を作ったのは
 日本だった。
  勿論、中学校や大学までも作ってあげて、日本は、韓
 国・朝鮮の教育を作り上げた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました(モンゴルの樺太侵攻、1264年の樺太アイヌへの攻
 撃など)
  2019年4月16日に、衆議院と参議院で成立した(菅官房
 長官の主導でなされたという)「アイヌの人々の誇りが
 尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法
 律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的にも、また、歴史
 的にもまったく正しくありません・・間違った記述があ
 ります・・また、日本人がアイヌの人々を虐げてもいな
 いのに、さも、虐げ行為をしている様な法案名となって
 いる・・日本人が虐げられている法案名となっている。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人の
 歯の遺伝子分析から科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。

by suba28 | 2019-09-18 03:56 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)654E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)

題:(増補版)654E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
.
1896年8月7日、日本における初めての私鉄である日本鉄道
 が、株主総会で、田端駅から目白駅間の鉄道建設(複線予
 定)を決定した。
  そして、この日、仮免許を出願した。
  1897年5月19日、仮免許状を受けた。
  1899年5月9日に、免許状が下付された。
  因みに、これまでの経緯を記せば・・
  1872年5月、高島嘉右衛門が、東京から青森に至る鉄道
 を建設して・・北海道の開拓を支える鉄道建設を政府に
 建言したことから、日本鉄道の歴史は始まる。
  さらに、高島は、政府の要人である岩倉具視を説いて、
 鍋島直大らをして、明治天皇陛下および政府へ、「華族
 と士族が家財を以って会社を建て、東京と青森、あるい
 は、東京と越後新潟に鉄路を敷いて、蒸気機関車を走ら
 せることを補す」ことを建言させた。
  1881年8月、会社の創立が決定した。
  1881年11月、設立特許条約書が下付され、会社が設立
 された。
  政府の財政難から民間資金の導入の動きが出た・・
  1882年、川口駅~熊谷駅間から建設が開始された・・
  1883年7月、上野駅~熊谷駅が開業し・・そして、延伸
 されて行った。
  1891年9月には、上野駅~青森駅(東北本線)の全線が
 開業するに至る。
.
1896年8月17日、文部省が、満6歳未満の就学を禁止した。
  この就学について、国内で激論が交わされた・・
  1872年に、日本に学制が布(し)かれたが・・
  1890年代末には、就学年齢について、満6歳と満7歳の
 いずれが妥当かという議論が激しく展開され・・
  この様な経緯の中で、日本の義務教育制度は確立して
 行った・・
  そして、6歳就学に決着して行った。
  この決定において、大きく影響を与えたのが三島道良
 (みしまみちよし、小児科医)の「6歳修学論」だった。
  氏は、「学校衛生学の父」と言われ、活躍していた。
  そして、氏は、小児科学を専門とする医学者の立場か
 ら、小学校・幼稚園の身体発育調査を実施し、ドイツ医
 学者らの知見と比較検討を行った。
  そして、それを根拠に、6歳就学を擁護する議論を展開
 した。
  氏は、満6歳という年齢の是非のみを問題とするのでは
 なく、
  家庭から学校への段差に、十分配慮すべきだという学
 術上の知見(身体発育論など)から、適切か否か判断の
 有意義な視点を提起した。
  学校教育や家庭の現実を見ながら、就学年齢・就学課
 題を考察し、論じている重要性があった。
  また、就学年齢を検討するには、身体発育、教育上の
 成績、財政状況など、多方面の要素を加えるべきだとい
 う議論も登場していた。
  「教科目を減らす必要がある」など、幅広い議論が行
 われていた。
.
1896年8月17日、クロンダイク・ゴールドラッシュの幕開け
  カナダ・ユーコン準州クロンダイク地方で金脈が発見
 された。
  このゴールドラッシュは1899年まで続いた。
  このニュースが、アメリカのサンフランシスコやシア
 トルに伝わると、一獲千金を狙う者どもが、大挙して殺
 到した。
  ゴールドラッシュで出来たドーソン・シティーは、一
 時、人口が3万人以上となった。
  クロンダイクを目指したのは10万人以上いたが、厳し
 い寒さや地形の険しさから、到達できたのは3万~4万人
 で・・実際に、金を採掘できた者は4000人程度だった。
  アラスカ州のノームで、1899年に、金鉱が発見される
 と、クロンダイクの騒ぎも終焉した。
.
1896年8月20日、李氏朝鮮の高宗が軟禁されたロシア公使館
 の機械厰で雇われたロシア技士の雇傭契約で、高額の金
 が支払われていた。
  身分:機械士官
  名前と俸給:Remnev(ベルト)に每年銀貨200元
.
1896年8月23日、独立を目指すフィリピン革命
  この年・1896年から始まるフィリピンの独立と、社会
 改革を求める革命運動。
  この運動に対して、1902年まで、弾圧のアメリカ統治
 が行なわれた。
  初め、フィリピンは、スペインに植民されていて卑劣
 な状況にあった。
  1896年、その様なスペインから独立したいと「独立戦
 争が開始された」。
  しかし、いったん、鎮圧されてしまったが・・
  米西戦争が始まると、この戦争に乗じて、共和国独立
 の宣言をした。
  しかし、米西戦争に勝利したアメリカは、その独立を
 認めず・・再度、また、フィリピンのアメリカからの独
 立戦争が始まったのだった・・当然、強いアメリカが勝
 った・・その結果・・
  1902年、フィリピンは敗れ、アメリカの統治を受けた。
  アメリカの植民地となってしまった。
  以上が経緯であるが・・
  19世紀の後半に、スペインからの独立運動が活発とな
 った時、この最初のフィリピン独立運動に、その組織者
 であるホセ=リサールがあらわれた。
  彼は、1892年、逮捕されてしまった・・
  しかし、同士のアンドレアス=ボニファシオが革命を
 組織した。
  その組織「カティプーナン(人民の子らの最も尊敬す
 べき至高の協会)」が、1896年8月、決起した。
  フィリピン革命が始まった。
  しかし、銃と山刀(ボロ)で武装しただけの革命軍は、
 内部連絡に原因もあって、スペイン軍に押されどおしだ
 った。
  そして、残念なことに、ホセ=リサールも1896年12月
 30日、銃殺されてしまった。
  カティプーナンは革命政府をつくり、アギナルドを臨
 時大統領とした。
  しかし、彼は、穏健路線をとって、対立するボニファ
 シオらを処刑し、内部分裂が発生した。
  アギナルドは、その後、山中でのゲリラ戦を続けた。
  そして、スペイン総督と取引をし、1897年、降服し、
 香港へ向かった。
  その翌年・1898年、米西戦争が勃発する。
  この機会をとらえて、アギナルドは、戦争後の独立の
 約束を得て、アメリカに協力することにした。
  (しかし、アメリカに裏切られる結果になる・・)
  アギナルドは、約束通り、フィリピン軍を率いてスペ
 イン軍と戦った・・そして・・
  1898年6月12日、アギナルドは、フィリピン共和国の独
 立を宣言した、
  マロロスで議会を開催し、初代大統領に就任した。
  (第1次フィリピン共和国=マロロス共和国)
  しかし、アメリカの裏切りが発生する・・
  1898年8月、米西戦争後のパリ講和会議で、フィリピン
 が、2000万ドルでスペインからアメリカへ売り渡される
 ことになった・・この様な茶番劇が行なわれた。
  この茶番劇の結果をたてにして、アメリカは、フィリ
 ピンの独立を認めないという行為を始めた。
  そして、フィリピンを、強引にアメリカの軍政下に置
 いた。
  しかし、フィリピンには、「フィリピンとアメリカの
 間で交わした約束があった」・・その正義があった。
  その様なフィリピンは、1899年2月、正義の戦争(フィ
 リピン=アメリカ戦争)に立ち上がった。
  アギナルドらのフィリピン革命軍は、アメリカのアー
 サー・マッカーサー将軍(日本の厚木に降り立ったダグ
 ラス・マッカーザーの父)らの指揮するアメリカ軍と戦
 った・・
  しかし、フィリピン独立革命軍は、アメリカに敗北す
 る・・
  フィリピン大統領は、アメリカに抑えつけられてしま
 った・・事実上のアメリカの植民地となった・・
  そして、アメリカの好き勝手を行なわれた・・フィリ
 ピン言語も英語化されるなどの「卑劣な占領下統治」が
 行われた。
  この様な結果になってしまったフィリピンの独立行動
 の最初には・・
  1896年のフィリピン革命に、ミンダナオのムスリムに
 対して、民族的な情熱を沸き立たせる契機があった。
  スペイン支配下には、どうしても拭う事の出来なかっ
 た「キリスト教徒対ムスリム」の対立があった・・、
  この革命行動によって、一時的であったが解消もした。
  キリスト教徒とムスリムの混成部隊が、スペインと戦
 うこともあった。
  スペイン支配のシンボルであったフォート・ピラーが、
 これによって陥落した。
  (参考)フォート・ピラー:フォートは城塞の意味、
     ピラール砦は、 フィリピンの サンボアンガ市
     にあるスペイン植民地政府によって建設された
     17世紀の軍事要塞。
      現在は、フィリピン国立博物館となっている。
  アルバレス将軍は、革命政府のサンボアンガ知事に任
 命された。
  しかし、1899年に、アメリカ軍が、フィリピンにやっ
 て来ると、キリスト教徒とムスリムは、再び、対立に変
 えられた。
  アメリカ軍は、ジョン・べーツ将軍をホロ島のスルタ
 ン・キムラ2世と会談させ、
  1899年8月、アメリカの主権を認めるべーツ協定が成立
 したが、ムスリムは、これを拒否した。
  ムスリムの民族独立戦争は、今度は、アメリカに対し
 て続いた。
  アメリカは、無慈悲に強力な武器で弾圧した。
  特に、初めの10年間は、特に卑劣だった。
  アメリカは、殺傷力の強いダムダム弾や、強力な最新
 兵器を使って殺戮した。
  また、ムスリムの反抗に、神経質に、即時、徹底的に
 武力で弾圧し、鎮圧した。
  また、最悪な事に、1906年には、徴税に反対したブド・
 ダホの女性の方々や、子供たちの600人を、アメリカ軍は
 虐殺した。
  この行為は、アメリカ軍は800人で行った。
  しかし、情報管制がなされているため、詳細が不明で、
 闇の中に、葬り去られようとしている。
.
1896年、日清戦争が、1894年に起きたが、この当時、日本
 の馬は、体形や体力ともに貧弱なうえ、調教も不十分で、
 砲の移動や補給業務も人力に頼らざるを得なかった。
  陸軍は、1896年に、軍馬補充部を設置し、支部を全国
 に展開した。
  特に、過酷な大陸の自然環境を馬に体感させられると
 して、北海道には4支部が置かれた。
  標津町には、1908年に、川上支部が設置されて、町の
 繁栄につながった。
  ここの支部では、馬を2歳から5歳まで育成し、戦地に
 送ったのは1945年までの37年間で約4万頭だった。
  冬も放牧していた。
  雪原で夜を過ごし、雪の下のササを探してはむような
 生存能力を鍛えるためだった。
  「日本釧路種」が開発された。
  これは、「日本唯一の馬の公認品種」・・しかし、既
 に、絶滅している
  この種は、日本馬の性格の良さを持ち、また、粘り強
 さも持っていた・・小型であったが力があった。
.
1896年、ロシアと清の秘密同盟
  日清戦争が、日本の勝利で終わった翌年・1896年に、
 清国(中国)は、秘密裏にロシアと同盟条約を結んだ。
  清国は、日本への日清戦争の「復讐戦争」を企画して
 いた。
  この秘密条約は、「李鴻章・ロバノフ条約」と言い、
 ロシアか、または、清国のいずれかが、日本と戦争にな
 った場合、他方が軍事援助をするという「日本敵視の秘
 密攻守同盟」だった。
  これは、日露戦争の伏線となった。
  つまり、日露戦争は、ロシアだけと戦争をしたと思わ
 れているが、そうではなく、この秘密条約で、清国とも
 日本は戦っていた。
  日本は、日露戦争で、満州でロシアと戦ったが、その
 時、この秘密条約の清国の中国とも、満州で戦っていた。
  日本は、その様な「ロシア・清国の同盟軍」と戦い、
 満州へ進軍した。
  第二次世界大戦で、アメリカが戦勝して沖縄へ軍事進
 出したのと同じで、日本の満州での戦いも、同様な状況
 で、当然、侵略とは程遠く、侵略ではない。
  「中露同盟軍」と戦い、戦勝しての満州地域の戦いと
 なった訳で、日本が侵略などと言われるいわれはない。
  これが侵略なら、アメリカも日本への侵略となる。
  国際法に則(のっと)った行為を日本はした。
  1896年、教科書にも載ってない、ロシアと中国(清国)
 の同盟条約・・「露清秘密同盟(李鴻章ロバノフ条約)」。
.
  (今日の言葉)
.
  題:2016年2月17日、慰安婦問題で、韓国が主張していたことは虚偽であるということがはっきりした。
    この日付での産経ニュースがある。
    また、国というものは簡単に消えるのだ・・北海道がその端緒でなければよいが・・
    また、一党独裁で、民の権利を認めない「非民主国家」を自由諸国圏に入れたのが「間違いだった」。
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紀元前2000年頃、インド・ヨーロッパ語族のラテン人が、
 イタリア半島に南下した。
  ここから、イタリア半島の歴史は始まる。
  因みに、紀元前771年、ロムルスが、ローマを建設した
 とされている・・
  ロムルスは、「伝説上」の王政ローマの初代王。
  レムスと共に双子の兄弟だったという。
  ラテン人の貴族の子で、紀元前717年7月5日に死去した
 という(ローマ神話)(紀元前753年説がある)
   ・
   ・
紀元前814年、「カルタゴが建国された」と言われている。
  紀元前820年説などもある。
  カルタゴは、現在のチュニジアにあった古代都市国家
 で、地中海貿易を広大に行なって、栄えていた。
  初め、農耕を営む者と、海で生活する者との長い闘争
 の歴史にあったが、海運の有力者たちが、都市の統治権
 を握って行った。
  船隊を組んで、北アフリカや南部スペインの銀のほか、
 果物、家具、象牙などの貿易を行なった。
  この貿易で勢力を蓄えた。
  紀元前720年頃、地中海に進出したフェニキア人が、貿
 易都市を建設したのが始まりという説もある。
  カルタゴは「新しい都市」を意味するが、ギリシャ人
 はカルケドンと呼び・・また、ローマ人は、フェニキア
 人を「ポエニ人の町」と呼んだ。
  そして、紀元前6世紀頃、カルタゴは、地中海西部の覇
 者となって行く・・
  そして、シチリアの領有をめぐって、ギリシャの諸都
 市との争いが生じた・・(紀元前4世紀頃に至るまで、こ
 のシチリア戦争は続いた)
  また、カルタゴは、マルカスという指導者のもと、ア
 フリカ内陸と沿岸一帯を領土として・・拡大した。
  紀元前540年、ギリシャとの海戦を勝利する。
  紀元前480年、カルタゴの大規模な軍事行動が開始され
 る。
  この始まりは、ギリシャに支援されたシラクサのゲロ
 ンが島を統一しようとしたことから始まった・・本格的
 なギリシャとの戦争の始まりだった。
  紀元前5世紀、カルタゴは、この地域の商業の中心地と
 なる。
  カルタゴは、強力な海軍力を有し・・ギリシャとの対
 立が増大する。
  紀元前3世紀頃より、シチリアにおける領土と、チレニ
 ア海の制海権をめぐって3回に渡ってポエニ戦争をローマ
 と戦う。
  カルタゴのハミルカル・バルカスは、30万の大軍を集
 めたと言われている。
  軍略を駆使して、ハンニバルらの将軍は、ローマと果
 敢に戦った。
  カルタゴの戦いの歴史が展開される。
  カルタゴは、ローマの名将軍スキピオ・アフリカヌス
 に敗れ(第2次ポエニ戦争)、カルタゴは凋落して行く。
  紀元前146年、カルタゴの復興を恐れたローマは、この
 年、徹底的な打撃を与え、全滅させた、
  略奪に放火・・町は廃墟となった(第3次ポエニ戦争)
  畑には塩が撒かれ、二度と作物が作れない様にもされ
 たという。
.
紀元前753年、ローマが、王政時代に入る(〜紀元前509)、
  そして、紀元前509年から共和政時代に入る。
.
紀元前700年頃、ギリシャノ詩人ヘシオドスは、歴史の見方
 を・・黄金の時代から銀の時代、銅の時代、英雄の時代
 を経て、今は鉄の時代だと述べた。
  この様な没落史観を持っていた。
.
紀元前509年、ローマが共和政時代に入るが、貴族の政権
 独占で出発したローマだった。
  貴族と農民は、激しい闘争を行ない、共和政治の組織
 が完成し、ローマは、イタリア半島の統一を完了した。
  そして、紀元前287年に至る。
.
紀元前384年、アリストテレスが生まれた(~紀元前322年
 3月7日)
  古代ギリシャの哲学者のアリストテレスの言葉・・
  「人間は、自然に(本性上)国的動物であり、また、
 偶然によってではなく、自然によって、国を為(な)さ
 ぬものは劣悪な人間であるか、あるいは人間より優れた
 ものであるのかのいずれかである」。
  アリストテレスが言っているこの「人間より優れたも
 の」は、「神々を指している」。
  故に、アリストテレスが言いたかったことは・・
  人間は、自然に(本性上)国的動物なのだ・・そうで
 なければ劣悪な人間だ・・
.
紀元前287年、イタリア半島が統一され、共和政治体制の時
 代は次の段階に入る。
  この紀元前146年までの時代、ローマは、カルダゴとの
 間で三度のポエニ戦争をする。
  その戦争のすべてに勝利する。
  また、ローマは、東方へも進出する。
  そして、ローマは、紀元前146年に、「地中海世界の覇
 者となった」。
.
紀元前146年、ローマが、地中海世界を制覇した。
  ポエニ戦争で、カルタゴを壊滅させ、滅亡させた。
  この年、地中海世界の覇者になった「ローマ」は、こ
 の覇権確立の反動でローマ社会は乱れて行く・・
  ローマ社会の伝統は崩れ、秩序も崩れ、次第に、強大
 な軍隊をに握った個人へ権力が集中し、権力を持って行
 く。
  カエサルが勝ち残った第一回三頭政治を経て、オクタ
 ビアヌスが第二回三頭政治を勝ち残り、帝政を開いて行
 く(〜紀元前27年)
.
紀元前27年、オクタビアヌスによる帝政と「5賢帝」に依る
 帝政の時代(〜紀元後180年)
.
70年、ローマ帝国が、エルサレムを完全に破壊した。
.
144年~166年頃、カニシカ王の統治。
.
180年〜284年、ローマ社会の秩序が、この頃、大きく崩れ
 た。
.
284年〜476年、ローマ社会の崩壊を、ディオクレティアヌ
 ス帝の専制君主制の樹立で食い止めた。
  しかし、ゲルマン民族の大移動でローマは分裂し、西
 ローマ帝国の滅亡に至る時代。
   ・
   ・
11世紀〜13世紀、中世と言われる中世中期の最盛期。
  社会を支えていたのは、農民の農奴の立場の人々だっ
 た。
  その農民を支配した者は、荘園を所有していた領主た
 ちで、主従の関係で結ばれていた。
  そして、騎士・・、
  そして、頂点のローマに居るローマ皇帝まで・・ピラ
 ミッド型の封建制度で築き上げられていた。
  それと、キリスト教の教皇(ローマ法王)を頂点とし
 た、キリスト教イデオロギーで、世俗社会に根を張った
 キリスト教カトリック組織が存在した。
  この頃、発生した都市には、ゴチック様式のキリスト
 教会が建ち・・
  また、この頃出来た大学・・キリスト教は、権威を得
 たいと、また、組織を大きくしたいと「この大学とくっ
 ついた」。
  そして、キリスト教は、組織の強大化のための金と、
 権威を得ることに執着し、世俗の権力を凌駕して行った。
  そして、その権力を得たキリスト教の圧迫から解放さ
 れたいと「12世紀ルネッサンス」と呼ばれる「人間性の
 復活を主張する運動」が花開いて行った。
  最終的に、キリスト教権力は、皇帝を凌駕し、アジア
 へ無謀なキリスト教十字軍を何度も派遣した。
     ・
     ・
1909年12月4日、朝鮮・韓国の最大の政党が「日韓合邦を要
 求する声明書」を提出した。
  朝鮮・韓国内は、日本と併合したいという意見に満ち
 ていた。
  その声明書の中には・・
  「我が国の皇帝陛下と大日本帝国天皇陛下に懇願し、
 朝鮮人も、日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政
 府と社会を発展させようではないか」と書かれていた。
.
1910年8月29日、日韓併合がなされた。
  そして、第二次大戦後は、アメリカ(アメリカ軍政庁)
 が、朝鮮半島南部(現:韓国の地域)の統治を開始した。
  そして、1948年8月15日に至り、アメリカ(アメリカ
 軍政庁)からの独立を宣言し、韓国(大韓民国第一共和
 国)の建国に至った。
  日韓併合がなされる前の李氏朝鮮という時代・・日本
 との日韓併合がなされる前の時代は、清朝・中国の冊封
 下の従属国、属国状態にあった。
  清朝・中国へ、日本は「朝鮮は独立の国だ」と主張し
 た・・その如くの状態だった・・この問題で、日本と中
 国に対立関係が生まれた。
  日本は説明した・・「朝鮮国は、自主の邦にして日本
 国と平等の権を保有せり」と・・
  中国は、朝鮮を属邦と考えていたため対立関係が生じ・・
  李氏朝鮮の王の高宗も「朝鮮は中国の属邦である」と
 言うくらいの、国の元首が言うくらいの「属邦根性の異
 常状況」だった。
  日本の国内には、「朝鮮に国力がつくまで保護国とす
 るべきだ」との意見もあった(伊藤博文)
  朝鮮・韓国というお荷物状態の国を背負わないで、状
 況の経過を見るという「この考え方が良かったのではな
 いか」と言える。
  桂太郎首相や小村寿太郎外相は、政府内で、「韓国の
 現状に照らして将来を考量(こうりょう、物事をいろい
 ろ考え合わせて考え判断する)するに、韓国を併合する
 より外に他策なかるべき」と演説した。
  伊藤博文も、「協同的に進み、進んで一家たらんをせ
 ん」と言った。
  韓国内も「日韓併合大歓迎」で、韓国の最大の政党の
 「一進会」は「日韓併合をして戴きたい」と「併合の推
 進運動」をした・・そして・・
  1909年12月4日、「日韓合邦を要求する声明書」を提出
 するという状況だった。
  その声明書の中には・・
  「我が国の皇帝陛下と大日本帝国天皇陛下に懇願し、
 朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受したい」と
 書かれていた。
  しかし、2019年の今、この様な歴史の事実をまったく
 (知ってか知らずか)非礼で、無視する韓国となってい
 る・・
  この様な状況であるので、可哀想ではあるが、本当の
 ことを言わなければならないので、以下の様な事を記す。
  韓国・朝鮮は貧しい国だった・・本当に貧しい国だっ
 た・・。
  李氏朝鮮は、悪い政権だった、良くない政権だった。
  それも長く続いた政権だった。
  「何の国づくりもしない」最悪の政権だった。
  道路は、畑のあぜ道のような状態のままだし・・
  学校も、5校という程度で、「ほとんどない」という
 状態で、「教育がなされていない」という国の状態だっ
 た。
  また、鉄道も、1本もないという状況だった。
  朝鮮・韓国社会には、リャンバン(両班)という特権
 階級が存在していて、一般庶民の方々を虐(しいた)げ
 ていた。
  農民や一般庶民の方々は、金銭を取り上げられ、また、
 労働も取り上げられ・・貧困に喘(あえ)いでいた。
  農民の方々は、生活に困って娘を売ったりした。
  韓国・朝鮮にはゼゲン(女衒、뚜 장이)というその様
 な娘を買う商売人たちが居た。
  (語彙)女衒(뚜 장이):女衒は、主に若い女性を買
     い付け、遊廓などで性風俗関係の仕事を強制的
     にさせる人身売買の仲介業であり、人買の一種。
  町に、この様な女性が居る韓国・朝鮮を、日本は救っ
 た。
  最悪状態だった朝鮮・韓国を救った。
  1910年に、日韓併合がなされ、韓国・朝鮮の方々は、
 皆、大喜びだった。
  日本のこの時のことを「良かったよ」と言う韓国の老
 人の方々が、大勢、居た。
  しかし、時が過ぎ、その様な老人の方々も亡くなって
 居なくなった。
  そして、韓国は、昔のことを忘れたのか?
  反日教育がなされ・・その様な教育で「反日を刷り込
 まれた若者が、まだ、日韓併合時の事を知っている老人
 の方々が居る頃は、反日教育を刷り込まれた若者が、日
 韓併合時の事を聞くと、「良かったよ」という返事を聞
 き、予想に反した返事に・・学校の反日教育との違いに、
 その返事にびっくりすることも起きていた・・
  しかし・・その様な老人の方々も少なくなって、居な
 くなると・・真実を教えてくれる人々も居なくなると・・
  現政権は、反日に、韓国の方々を煽っている。
  嘘の慰安婦像を建てることまでして、洗脳している。
  それも、世界中に立てるという行為を辱(はずかし)
 くもなく行っている。
  世界の方々が、この後、だんだん本当のことを知る様
 になって来たら・・その像が、逆に、韓国が軽蔑される
 像になることを、韓国は知らない。
  この様な嘘の低次元の事ばかりしている「現在の韓国
 政権」の状況となっている・・
  地続きの中国に虐げられ、冊封されて来て、韓国は、
 この様な態度を取る「ひねくれた性癖の国」になってし
 まった。
  この問題の根底には、長い中国の冊封支配がある。
  韓国・朝鮮は、この植民地支配下に、長い期間あった。
  海を隔てた日本は、この逆で、海の隔たりも幸いし、
 独立が守られ、豊かな文化の中で育(はぐく)まれた。
  日清戦争で、強烈にぶつかり合う時もあったが・・日
 本文化は豊かに育まれた。
  中国という国自体も、色々な民族が奪い合う「戦いの
 歴史の中にあった」。
.
1910年、日韓併合によってできた官庁の朝鮮統監府は(設
 置は1909年)、新たに、戸籍制度を朝鮮に導入した。
  そして、李氏朝鮮時代には、「人間とは見なされず」、
 姓を持つことも許されていなかった朝鮮・韓国の奴婢や
 白丁などの人々(賤民)へも、姓を名乗って良いとした。
  そして、その戸籍には、身分を記載する必要などない
 として、皆を平等に登録するようにした。
  それまでの朝鮮・韓国の非人道的な行為を廃して、人
 道的な行動を行なった。
  また、当然、その身分が開放された方々(賤民とされ
 た人々)の子弟も、日本が作った学校へ通えるようにし
 た。
  この様な状況に、身分解放に、反発する旧来の朝鮮・
 韓国の「特権階級に居た朝鮮の両班(リャンバン)」は、
 激しい抗議デモを繰り広げた。
  身分にかかわらず、機会均等に、教育機会を与えるべ
 きと考える日本政府によって、その反対行動は治められ
 退けられた。
  因みに、日本は、1918年のパリ講和会議においても、
 盛んに、「人種的差別の撤廃」を世界最初に訴(うった)
 え、主張した。
  (1918年11月13日、外交調査会において、「人種的偏
 見の除去」を主張している)
  1919年1月14日、パリに到着した日本全権団は、人種差
 別撤廃提案のため、各国との交渉を開始した。
  各国の賛同を得られたが・・結局、アメリカの策動の
 ため、この条項は採択されず、削除された。
  アメリカは、「内政干渉だ」と強い批判をした。
  アメリカは、「人種差別国だった」ので後ろめたかっ
 た。
  イギリスやカナダも、このアメリカに引きずられた。
.
1910年、困窮している朝鮮の方々を救うため、日韓併合で
 出来た朝鮮総督府は、土地調査事業を行ない、土地の所
 有権をはっきりさせて・・
  その所有者不明の土地を、朝鮮の農民の方たちへ安い
 価格で払い下げた。
  しかし、韓国は、この土地調査事業を土地の収奪の為
 だったと、ひねくれた言い方をしている・・韓国は、こ
 の様な言い方ばかりしている。
  日本は、李氏朝鮮時代の農地は荒廃していて、また、
 高い小作料から離村する人が多かった・・この改善のた
 め、この様な施策を行なったのだった。
  それでなくても、朝鮮民衆は、官吏や両班や高利貸し
 から苦しい圧迫を受け、収奪されていた。
  日本が指導した朝鮮総督府は、しっかりした農業経営
 が出来る様に、さらに、この朝鮮の農地の水防工事を行
 い、また、水利工事を行い、朝鮮の農業を育てようとし
 た。
  また、農業を伸ばそうと、水利組合を結成させたり、
 金融組合を結成させ、安い金利で融資を受けて、農業を
 大きく伸ばそうとした。
  日本を貶(おとし)める事ばかりをしているNHKや
 元NHK職員の池上彰は、「日本は朝鮮を植民地にした」
 と、日本を貶める印象操作の放送ばかりしている。
.
1940年10月、アメリカで、「マッカラム覚書」が作成され
 た。
  その中に、「日本を追い詰めて行く行動を行う計画が
 書かれていた」。
  そして、追い詰めて、日本を窮地に陥(おちい)らせ
 て、どうしようもない状態にすることが書かれていた。
  これは、はっきりとした「日本を暴発させようという
 策略の覚書だった」。
  全面的に禁輸にするのだと・・
  アメリカにある日本の資産を、資産としての活用をさ
 せないで、凍結して、経済的に締め上げるのだと・・
  生産活動や生活する上で重要な、そして、必ず必要な
 石油を、一切渡さないで・・禁輸にするのだと・・など
 などが書かれていた・・
  貴方の食事が、あなたの前に、一切、出て来なかった
 ら・・貴方はどうしますか?・・
  ご飯を食べないで、我慢が出来ますか?
  電車や車や、船も動かず・・
  「取り上げられたままの様な状態」になったら・・貴
 方はどうしますか?
  「大切な電気も来ない」という状況・・その様な生活
 となったら・・貴方は、どうしますか?
  この時、アメリカは、『まったく非常識な』、この様
 な事を、日本に対してやり始めた・・
  この様な計画を立てた。
  このアメリカの行為は、日本に対して戦いを始めたの
 と同じ行為だった・・
  『事実上の宣戦布告』だった。
  アメリカ大統領のルーズベルトは、日本に対して「宣
 戦布告と同様なこと」を始めた。
  この覚書を作成したアメリカ海軍情報将校のアーサー・
 マッカラム少佐は、日本が暴発せざるを得ない状態にす
 る行動を書いた。
  ルーズベルトは、これを、着々と実施し、行なった。
  日本を追い込んで行った。
  戦争が起きる原因を、「完全にアメリカが」作ってい
 た。
  日本が、アメリカの最大の攻撃戦力の艦隊が、ハワイ
 の真珠湾に居る事を知っているのと同じように・・
  アメリカも、日本の艦隊の動きのすべてを知っていた。
  日本の艦隊の無線電信も「完全に把握していた」。
  アメリカは、日本を戦争に誘い込む道を「真空の海」
 と呼んでいた。
  だから、ハワイへ進む日本艦隊のすべてを知りながら、
 手出しをしないで、誘い込みをしていた。
  だから、総べてを知るルーズベルトは、つい、「明日、
 日本が攻めて来る」と、親しい人へ、事前に、言ってし
 まっていた。
  そして、真珠湾攻撃が起きると、「戦争を作った」と
 言って喜んだ。
  また、イギリスのチャーチルへ電話をかけ、戦争(第
 二次世界大戦)が始まったことを喜び合った。
  (すでに始まっていたイギリスのドイツとの戦いに、
 アメリカが参戦して、イギリスを助けに来てくれると・・)
  日本の無線電信で、アメリカは、日本の攻撃目標が、
 ハワイの真珠湾だと知っていたが、ハワイのアメリカ海
 軍司令部へ、そのことを連絡をせず、「日本の奇襲とい
 う形をでっち上げる行為をしていた」。
.
1941年1月20日、フランクリン・ルーズベルトが第39代アメ
 リカ大統領に就任した(~1945年1月20日)
  ルーズベルトの言葉・・
  (大統領に就任する直前・2ヶ月前の言葉)
  「私の先祖は、中国貿易に従事した事がある。
  だから、いつも中国人には親しみがある。
  そんな私が、『日本をやっつけよう』と言うスティム
 ソンに、同意しないわけがないではないか」。
  ルーズベルトは、中国を支援して、隠密に、秘密裏に、
 命令書を書き、アメリカ軍の正規兵や武器や資金を中国
 へ投入した。
  真珠湾攻撃以前から、秘密裏に、中国で、アメリカは
 参戦していた・・そして、日本を攻撃していた。
  卑怯な事に、ルーズベルトは、真珠湾攻撃を「日本の
 奇襲攻撃だと仕立てた」。
  そして、また、このフランクり・ルーズベルトの祖先
 の中国貿易と言ったって「麻薬貿易」だった。
  ルーズベルトの母方の家系であるデラノ家の祖父や伯
 父が、香港を根城・中心地にして、アヘン貿易で大儲け
 していた。
  その人非人の稼業で、巨万の富を築いた。
  大統領選挙の時に、この金が動いたのだろう。
.
1941年12月8日、真珠湾攻撃
  アメリカのルーズベルト大統領は、アメリカ議会で、
 「日本にだまし討ちにあった」と嘘の演説をした。
  ルーズベルトは、アメリカの議員の方々を騙した。
  ルーズベルト大統領に騙されたアメリカ議員の方々は、
 日本を「討ち負かせ」と、「日本に対して宣戦布告の戦
 争開始の議決をした」。
  ルーズベルト大統領の嘘の演説に、「完全に騙されて
 いた」。
  まったく、ルーズベルト大統領の策謀に嵌(はま)っ
 てしまったアメリカ議会だった。
  そして、事もあろうに、総べては、ルーズベルトが仕
 組んでいるのに、ルーズベルトは、策謀で、「ハワイの
 キンメル太平洋艦隊司令長官に、情報を伝えなかった・・
 にもかかわらず・・キンメル司令長官を悪者に仕立てて・・
  「キンメルが、真珠湾の対策を怠ったから悪いのだ」
 として、キンメルに罪を着せて、キンメルに責任をとら
 せた・・解任してしまった。
  戦後になって、これ等の「ルーズベルトの策謀が明ら
 かになる」と・・キンメルの親族や友人や支持者たちが、
 「キンメルの名誉回復のために起ちあがった」。
  アメリカ国民の方々は、ルーズベルトに騙されていた
 と真実を知るようになった。
  「日本の奇襲だ」なんて言う話は、完全に、ルーズベ
 ルトのデッチ上ゲだと分かったアメリカ国民の方々だっ
 た。
  「日本の暗号を、アメリカは、完全に解読していて、
 日本の行動の一部始終を、アメリカは完全に知っていて・・
 『日本の奇襲』なんて完全に嘘のデッチ上ゲであって、
 そんな事は言えないと・・「本当のことを知ることとな
 った」。
  また、アメリカは、卑劣にも、日本の攻撃によってア
 メリカの一般市民の方が亡くなったと嘘を言った・・
  しかし、日本の機動部隊は、ハワイの「軍事施設のみ」
 を攻撃目標にしており、日本は、一人のアメリカ市民の
 方々を標的にしていない。
  逆に、アメリカは、広島・長崎の原爆や、東京・大阪
 などの日本のあらゆる都市の一般市民を標的にして、「
 無差別爆撃のじゅうたん爆撃」をしており、国際法違反
 の行為をしている。
  この点においても、日本は非人道的な行為を、アメリ
 カの様にしていない。
  日本は、この点でも、アメリカを上回った行動にいる。
  日本の潜水艦に搭載した飛行機で、アメリカ本土爆撃
 をした時でさえ、日本の爆撃は、アメリカ市民を攻撃目
 標にしていない・・
  アメリカ市民の方々の命を狙うような爆撃を避けてい
 て、戦後、この飛行士が、アメリカの方々から表彰され
 ているくらいだった。
  この様な点でも、「日本は、完全にアメリカを上回っ
 ている」。
  アメリカは、戦争に勝ったとはいえ、愚かな卑劣な歴
 史を残している。
  今後、永久に、「このアメリカの汚点は歴史に刻み続
 けられる」。
  不名誉な事をしてでも勝ちたいという「アメリカの卑
 怯な愚かさが・・歴史に永久に残された」。
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1941年12月8日、第二次世界大戦を、日本には、まったく
 アメリカと戦う必要性など完全になかった。
  日本には、アメリカと戦争をするつもりもなかった。
  しかし、アメリカの挑発によって、戦争に引きずり込
 まれて行った。
.
1950年代、中国には、400以上の民族が居ると言われている。
  実態は、よく分からない状態。
  中国は、色々な民族が、中央政府を取り合ってきた歴
 史の中にある。
  この多民族国家の中国、1950年代から、中国政府は、
 言語学者や民族学者に調査をさせ、民族認定をさせた。
  1979年に、順々に民族認定をして来て、この年、ジノ
 ー族が56番目の民族として確認された。
  しかし、これが最後となり、調査が終わってしまった。
  貴州省黄平県のグォージアレン《革(人偏)家人》民
 族は、民族とされなかった。
  今、57番目の民族として認めてもらいたいと「活動を
 している」。
  一時は、別の民族と一緒にされそうになった。
  その様な動きを拒絶し、押し返すことが出来た。
  今、中国には、未識別者が居る。
  その数は64万人と言われているが、不確(ふたし)か
 である。
  因みに、中国の総人口でさえ、はっきりした数が分か
 っていない状態。
  日本の様に、しっかり把握されていると思ったら大間
 違いである。
  中国のデーターで、確かなものは、「まったくない」
 と言ってもよい状態。
  中国は、今、漢民族の言葉に統一しようとしている。
  オロチョン族の人は、「自分たちの言語や伝統や文化
 が、無くなるとは思っても居なかった」と言う。
  習近平は、2020年までに「全国に標準語(漢民族語)
 を普及させる」としている。
  それを、「漢民族とその他の民族(55民族と言ってい
 る)を包括する『中華民族』にとって、共同体意識を強
 固にする」と、自分たちの漢民族に都合の良い理屈を言
 っている。
  そして、標準語(漢民族語)を修得すれば、仕事が得
 られるということを言ったりもしている。
  「漢民族化への圧力」が増している。
  中国は、超長期にわたって領土を拡大して来ている。
  中国は、57番目の民族として日本民族を狙っている。
  チベット、ウイグル、内モンゴルは、すでに、その被
 害を受けている。
  「満州族の地は、すでに無くなってしまった」。
  満州族の方々も居なくなった。
  どこへ行ったのか? 今は、まったく不明状態。
  地名は「中国東北部」となった。
  その実態は、「中国東北侵略部」。
  そして、今、中国は、その先のシベリヤのロシア領へ
 浸透を続けている。
  「太平洋を半分くれ」という事も「表明している」。
  南シナ海は、「すでに、占領を完了した」。
  今、太平洋の南の島々へ工作の手を広げている。
  一党独裁で、民の権利を認めない「非民主国家」を自
 由諸国圏に入れたのが「間違いだった」。
.
1965年、日韓基本条約が締結された。
  この条約によって「過去のわだかまりの一切が解決し
 た」と合意した。
  日本の首相は佐藤栄作首相、韓国は朴正罷(パクチョ
 ンヒ)大統領だった。
  日本は、この時、最大限の誠意を示した。
  この頃、日本は、まだ、裕福ではなく、外貨準備高も
 わずかで18億ドルしか無かった。
  しかし、日本は、その中から5億ドルも韓国に支払い、
 そして、与えた。
  外貨準備高の3割近い28%も、身を切って与え、支払っ
 た(無償3億ドル、有償2億ドルの賠償金とした)。
  日本は、大きな負担を背負ったのだった。
  精いっぱいの誠意を見せたのだった。
  これによって韓国経済は飛躍的に伸びた。
  「漢江の奇跡(はんがんのきせき)」と呼ばれるほど
 の発展をした。
  韓国は、この時、「個人補償は、国がやるから、総べ
 てを国家に支払ってもらいたい」と言い、「国家賠償に
 してくれ」と言った。
  これは、韓国政府の決定事項だった。
  しかし、後になって、今頃になって、個人補償が終わ
 ってないと言い出した。
  約束では国に払ってくれ、韓国の国に払ってくれれば、
 韓国の国から韓国の個人に支払うからと言われ、そして、
 約束し、だから、日本は韓国の国へ支払ったのに、終わ
 っていないと言い出した。
  いつもの韓国のやり方で、「約束を放り出して、ごね
 だした」。
  そして、要求をどんどん「せり上げて行った」。
.
1976年2月24日、ユバル・ノア・ハラリ(ヘブライ大学歴史
 学部教授)の言葉:・・
  「人間は、長い時間の中で、目の前にあるものが現実
 なのか、それとも誰かが創ったストーリーなのか、区別
 する能力を失った。
  結果、多くの人が、神や国家や会社という想像上のも
 のに自分を捧(ささ)げて戦争に行き、何百万人という
 人を殺戮した」。
  だから、「目の前にあるものが、現実か虚構なのかを
 区別し、その上で利用する方法を考えよ」。
  そして、「虚構の奴隷になるな、虚構を利用せよ」。
  (参考)1976年2月24日、生まれ。イスラエル人。
      著書「サピエンス全史、文明の構造と人類の
     幸福」「ホモ・デウステクノロジーとサピエン
     スの未来」
      2000年、オックスフォード在住中にヴィパッ
     サナー瞑想を開始し、それが「人生を変えた」
     と語っている。
  (参考)ビパッサナー瞑想:ナーマ(こころのはたら
     き、名〔みょう〕)とルーパ(物質、色〔しき〕)
     を観察することによって、仏教において真理と
     される無常・苦・無我を洞察する瞑想。
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2016年2月17日、慰安婦問題で、韓国が主張していたことは
 虚偽であると言うことがはっきりした。
  この日付での産経ニュースがある・・以下その抜粋・・
  杉山外務審議官の発言要旨:慰安婦強制連行に関する
 国連女子差別撤廃委員会
  日本政府は、日韓間で慰安婦問題が政治外交問題化し
 た1990年代初頭以降、慰安婦問題に関する本格的な事実
 関係調査を行った。
  日本政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆ
 る強制連行を確認できるものはなかった。
  慰安婦が強制連行されたという見方が広く流布された
 原因は、昭和58年(1983年)、吉田清治氏(故人)が「
 私の戦争犯罪」という刊行物の中で、自らが日本軍の命
 令で、韓国の済州島で大勢の女性狩りをしたという事実
 を捏造(ねつぞう)して発表したためだった。
  この内容は、朝日新聞社により、事実であるかのよう
 に大きく報道され、日本と韓国の世論のみならず国際社
 会にも大きな影響を与えた。
  しかし、この書物の内容は、複数の研究者により完全
 に想像の産物だったことが、すでに証明されている。
  朝日新聞も平成26年8月5、6日を含め累次にわた
 り記事を掲載し、事実関係の誤りを認め、正式に読者に
 謝罪した。
  20万人という数字も具体的な裏付けがない。
  朝日新聞は26年8月5日付の記事で、通常の戦時労
 働に動員された女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を誤っ
 て混同したと自ら認めている。
  なお、「性奴隷」といった表現は事実に反する。
  日韓両政府は、昨年12月28日、ソウルで日韓外相
 会談を行い、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決さ
 れることを確認した。
  両首脳も同日、電話会談を行い、合意を確認し、評価
 した。
  今後、韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を
 設立し、日本政府は10億円程度の資金を一括で拠出す
 る。
  現在、両政府はそれぞれ合意内容を誠実に実行に移す
 べく取り組んでいる。
  国際社会は日韓両国の合意を歓迎している。
  先の大戦にかかわる賠償や請求権の問題は、サンフラ
 ンシスコ平和条約、日韓請求権経済協力協定や日中の処
 理の仕方も含むその他の2国間の条約などによって誠実
 に対応してきている。
  条約の当事者間では、個人の請求権の問題を含めて法
 的に解決済みというのは、日本政府の一貫した立場。
.
2019年4月19日、アイヌ新法と言われる「アイヌの人々の誇
 りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関す
 る法律案」が成立した。
  そして、この法律の第一条に・・
  「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であ
 るアイヌの人々の・・」・・と、北海道の先住民族とし
 ている。
  これは、科学的に間違っている。
  北海道には、すでに、日本人の祖先である縄文人が住
 んでいた・・アイヌの人々が北海道に来る以前からであ
 る・・
  アイヌの人々は、13世紀に北海道に渡って来た。
  この歴史的史実は、立証されている。
  そして、日本人の祖先である縄文人は、そのアイヌの
 人々が北海道に来た時よりズーッと以前の「紀元前」か
 ら北海道に住んでいた。
  何故、科学的に間違った法律を成立させたのか?
  大いに疑問が残る・・
  この行動について・・
  「チェチェ思想(主体思想)を信奉している人たちが
 行なっていて、この後、自分たちの国を北海道に作る」
 と説明する人たちが居る・・
  その根拠は・・その事が明確にチェチェ思想の本に、
 そのことが、その様に書いてあるという。
  (参考)チェチェ思想:朝鮮労働党および北朝鮮の指
     導指針とされる思想。
  現在、「中国東北部」と呼ばれる地は、中国の漢民族
 とはまったく関係が無かった。
  この地には、満州人の方々が多く居て、日本は、「満
 州国の建国を助けた」・・しかし、戦後、この地は「中
 国東北部」という名で呼ばされ、中国の地とされてしま
 った。
  そして、気になるのは、今、満州人の方々が、まった
 く居なくなっていて・・(追い払われたのか?殺された
 のか?)・・満州人の方々の影も形も無くなっていると
 いう。
  今、中国の地だとされている「ウイグルの方々の地」
 でも、300万人ものウイグル民族の方々が、強制収容所へ
 入れられている」・・
  中国は、テロ対策だと言っているが・・この様な人権
 無視の行為がなされている。
  国が簡単に消えるのだ・・北海道がその端緒でなけれ
 ばよいが・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
by suba28 | 2019-09-12 04:57 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)653E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年8月)

題:(増補版)653E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆J・ロックの言葉:議論こそは真理を広める唯一の正
  しい方法だ。
 ☆歴史を知って、アイデンティティが形成される。
.
1896年7月24日、名古屋に株式会社鉄道車両製造所(現:日
 本車両製造株式会社)が創業した。
  1896年9月に鉄道車両の製造販売を目的として設立との
 説明もある。
  別説:1896年7月26日、日本車輌製造株式会社設立。
  企業家・奥田正香ら中京財界人により創立。
  鉄道庁・鉄道関係者以外の民間人による車両会社設立
 は前例がなかった。
  この頃、車両だけでなく大八車も製作した。
  笹島仮工場にて操業開始。
  1896年8月18日、農商務省指令、第10399号
  「明治29年7月30日付申請、日本車輌製造株式会社設立
 の件、免許す」 農商務省大臣、子爵、榎本武揚
         申請者:奥田正香、他拾名
  1897年、熱田工場が稼働した。
.
1896年7月、上川線の空知太駅~旭川駅間の建設工事が着工
 された。
.
1896年7月、加能鉄道会社が、社名を七尾鉄道株式会社と改
 称した。
 沿革・・
  1894年5月、第4回鉄道会議の中で加能鉄道認可に関す
   る審議がなされた。
   鉄道会議とは、「鉄道会議規則」に基づき鉄道担当
   官庁が1892年に設置した諮問会議で、渋沢栄一は第1
   回より臨時議員として出席していた。
   加賀の津幡町から能登半島の七尾町に至る加能鉄道
   について「半島の突先に鉄道を架ける必要はない」
   などの意見があり、それに対して渋沢栄一は、突先
   であっても七尾港は良港であり、津幡から七尾への
   連絡線は地域のためにおおいに利益ある路線と反論
   した。
    また、地域の繁盛になることだから許可を希望す
   ると意見を述べた。
    審議の結果、過半数の賛成を得て加能鉄道への仮
   免状下付は可決された。
    この決定を受けて、加能鉄道会社には同年9月に仮
   免許が、1896年4月に本免許が下付された。
    同社は、七尾鉄道と社名を変更して工事に着手、
   七尾・津幡間の工事は1898年4月に竣工した。
.
1896年7月、関西鉄道会社と浪速鉄道(大阪片町・四条畷間
 営業)が譲受の契約を締結した。
  関西鉄道は、官設鉄道の経路から外れた東海道沿いの
 滋賀、三重県下の都市を東海道線に結ぶ目的で設立され
 た。
  しかし、大阪進出の意図はあった。
  そして、また、名古屋と大阪の間に出願した大阪鉄道
  (初代)との間で調整も行なわれていた。
  その後、路線を奈良へ向けて西へ延長し、片町~四条
 畷を開業していた浪速鉄道、および、四条畷から木津方
 面の路線免許を持つ(未開業の)城河鉄道を合併して現
 在の片町線経由で名古屋・大阪間を開通した。
  そして、1898年に大阪片町にターミナルを入手した。
  しかし、敷地の拡張が困難なため網島に起点を移設し、
 さらに湊町から奈良に路線網を持つ大阪鉄道 (初代)を合
 併し現在の関西本線を全通させ、湊町にターミナルを、
 再度、移転させた。
.
1896年7月、フランスが、朝鮮半島の鉄道敷設権を取得した。
  この年、ソウルと現在北朝鮮の新義を結ぶ京義線(き
 ょんうぃせん)の敷設権を取得した。
  結局、この後、この路線も日本が建設を行なう・・そ
 して、朝鮮半島・韓国の社会資本の充実の貢献を行なう。
  日本は、朝鮮半島のあらゆる地方の鉄道敷設を行ない
 朝鮮半島の物流の改善に貢献しており、朝鮮・韓国経済
 などの発展の元を築いた。
  韓国は、この様な日本の行為を、まったくと言って良
 いほど感謝の意を示していない。
  それまでは、畑のあぜ道の様な状況の道路に物流を頼
 っていた朝鮮・韓国・・この改善が第一に必要とした日
 本は、朝鮮・韓国の鉄道敷設に多くの日本の資本を提供
 し、実施した。
  また、これ等に従事した日本の技術者の汗の結晶に、
 韓国は感謝の意を示していない。
  また、これ等の多くの工事に従事し、亡くなった工事
 関係者の多くの方々への慰霊の意も示していない。
  韓国は、これは、日露戦争の兵士を送るために作った
 のだと、感謝どころか批判をしている。
  多くの朝鮮・韓国の人々が、汽車や列車に乗って生活
 を享受している姿を、その様に表現している。
  その便利さに笑顔でいる朝鮮の方々の顔を見ていない
 で、その様な言い方をしている。
  何をしてあげても、この国は感謝をしない国・・逆に、
 恩を仇で返す国。
  誠実に対処して来た日本の「ことごとくの好意」に、
 韓国は、意地の悪い言い方を続けている。
.
1896年7月、朝鮮で改革派が、独立協会を組織した。
  軍事、財政、人事権にまで干渉するロシアを排除する
 ため、市民を動員して万民共同会が開催された。
  多くの成果が上げられた。
  李商在、徐載弼、尹致昊、李完用らを中心に結成され
 た組織だった。
  これらの人々は、日本の好意を理解している人々だっ
 た。
  協会は、機関誌「独立協会報」を発行、また、ハング
 ル専用の「独立新聞」の発行した。
  因みに、このハングル文字も、それまで使われていな
 かったこの朝鮮文字の良さを発見し、使用する様に提案
 したのは、慶應義塾大学を創立した日本の福沢諭吉氏だ
 った。
  独立建設活動などにより一般大衆の支持を受け、わず
 か3ヵ月で会員約1万名に達した。
  この様にして、この協会は、民衆への啓蒙団体から、
 政治団体へ変化して行った。
  1898年10月に至り、協会は、官民合同によって官民共
 同会議を開催した。
  そして、国政を改善するための6ヵ条を決議した。
  しかし、政府は、決議案を空文化させ・・反対行動を
 とる様になる・・
  協会の幹部に対して懐柔行為がなされたり、果ては、
 強硬手段の逮捕など・・あらゆる手段を用いて弾圧する
 様になった。
  1899年、政府が、皇国協会を示唆し扇動して流血事件
 を引き起させた・・
  独立協会は、やむなく解散した。
  朝鮮の改革派の有志が、軍事、財政、人事権にまで干
 渉し、朝鮮の独立を崩壊させるロシアに対して立ち上が
 ったが、そして、市民も参加して大きな行動となったが、
 結局、弾圧を受けて崩壊して行く・・
  この様な所にも、日本が、ロシアに対して立ち上がっ
 た遠因があった・・
.
1896年8月1日、釧路鉄道の標茶駅~跡佐登駅間の営業が休
 止された。
  釧路鉄道(くしろてつどう)は、北海道東部の硫黄山
 で産出される硫黄の輸送を目的として建設された。
  硫黄輸送の専用鉄道で、鉄道事業者は安田財閥。
  安田財閥は、この事業で基盤が築かれたと言われてい
 る。
  しかし、鉱山保有する山田銀行への貸し付け分の回収
 が関係し、硫黄の採掘が中止され、開通から10年足らず
 で廃止となった。
  しかし、この鉄道によって釧路地域の開発が進展した。
  安田善次郎氏は、1921年に、釧路の発展の功績によっ
 て釧路区(現:釧路市)から表彰された。
  因みに、1872年、佐野孫右衛門が硫黄山の採掘を始め
 た・・
  1886年、北海道開拓使の方針に基づいて、採掘が開始
 された。
  佐野孫右衛門は、凾館の山田銀行に譲渡していた。
  1887年、山田銀行へ融資していた安田善次郎へ譲渡さ
 れた。
  この鉄道によって、当時、馬によって運び、標茶から
 船で運ぶという大変な運送が改善され改革された。

1896年8月6日、フランスが、マダガスカルを「植民地だ」
 と宣言した。
  フランスは、その強大な武力を背景に、アフリカ大陸
 の西側、インド洋上にある島々を侵略し・・また、イン
 ド、および、東南アジアを侵略して領有した。
  フランスは、広大な地を植民地とした。
  ヨーロッパ列強の一つのメンバーであるフランスの行
 為だけでも、この様な横暴を世界にしていた。
  マダガスカルは、4世紀から5世紀の頃、東南アジアか
 らオーストロネシア語系の人びとや、マライ系の人びと
 が、インド洋を渡ってやって来ていた。
  そして、アフリカ東岸に住みついて、社会が形成され
 た・・
  10世紀頃には、マダガスカル島に移住して来た人々が
 いるとされている。
  現在でも、マダガスカル島は、インドネシアや、マレ
 ーシアの人々との近親性があり、稲作農耕も行われてい
 る。
  15世紀以降、イスラーム化した・・アラブ系住民も増
 加した。
  イスラーム国家も存在した・・、
  19世紀後半、ヨーロッパ諸国の帝国主義の列強諸国に
 よるアフリカ分割の悪夢の時代に、フランスが侵入して
 来た。
  1880年代~1890年代、フランスは、優れた自分たちの
 武器による武力をもって、抵抗を排除して、領有権を奪
 った。
  マダガスカルの方々は抵抗した・・たびたびの反フラ
 ンスの抵抗運動は起きた・・しかし、その度に、武力で
 押さえつけられた。
  独立は、20世紀に至るまで果たせなかった・・
  1960年に至って、やっと独立が果たせた。
  マダガスカルの19世紀初めは、アンドゥリアナムプイ
 ニメリナ王の息子であるラダマ1世がメリナ王国を引き継
 いでいた。
  彼は、先進的な考え方の持ち主で、国民の教育レベル
 を引き上げようとした。
  ヨーロッパの知識を取り入れなければ、ヨーロッパに
 植民地にされたままになってしまうという危機感を持っ
 た。
  それに対し、今・現代の日本は、中国が、沖縄や北海
 道などを狙っている中にあるが、まったくその様な状況
 についての危機感は無いという状況になっている。
  植民地化の危惧を抱いていたラダマ1世は、モーリシャ
 スの『イギリス総督』であったファーカーの援助を受け、
 軍隊をイギリス流に訓練した。
  さらに、奴隷貿易の廃止運動を行ない・・また、学校
 の設立、アルファベットによるマダガスカル語表記の導
 入など、近代化=西欧化政策を進めた。
  日本が、学校を一生懸命に建設して、朝鮮・韓国の教
 育を一生懸命にしたのと同じ・・
  しかし、1828年、志なかばでラダマ1世は死去した。
  ラダマ1世の第一夫人が、ラナヴァルナ1世として即位
 した。
  彼女は、植民地行為がありありのヨーロッパ諸国に対
 し、敵視政策に切り替えた。
  まず、植民地行為の尖兵であったキリスト教を、1835
 年に、布教の禁止を行なった・・しかし・・
  1861年、ラナヴァルナI世は死去する。
  その息子が、ラダマ2世として即位した。
  ラダマ2世は、再び、ヨーロッパ化を推し進める苦悩の
 政策へと変更した。
  しかし、その政策が急であったため、欧化反対派によ
 って、1863年に、暗殺された。
  ラダマ2世の後継は、その妃であったラスヘリナが即位
 した。
  1868年、このラスヘリナも没する・・暗殺か?
  やむなく、従妹がラナヴァルナ2世として即位した。
  彼女は、行政改革に努めるが、メリナ王国は衰退して
 行く。
  メリナ王国が衰退を続けると、ハイエナの様なイギリ
 スは、王国の衰退を察して、植民地化の野心を向け始め
 た。
  これを察したフランスは、それに先んじるため、1883
 年に、タマタブ(マダガスカル東部の都市トゥアマシナ
 の旧称)を占領した。
  1883年、ラナヴァルナ2世が没する。
  その従妹が、ラナヴァルナ3世として即位した。
  1890年、メリナ王国の保護権をフランスに認めざるを
 得なかった。
  一方、イギリスに接近し、軍隊の再整備を進めた。
  1894年、フランスは最後通牒を突きつけた。
  1895年、メリナの王宮の置かれていたアンタナナリヴ
 (マダガスカルの首都)を占領する。
  1897年、フランスは、ラナヴァルナ3世を拘束し、レユ
 ニオン島に流した。
  そして、メリナ王国を滅ぼした。
  1896年8月6日、フランス政府は、マダガスカルを植民
 地としたことを宣言した・・フランスは、この宣言を正
 式だと称した。
  この様な歴史は、日本を貶める事ばかりを放送するN
 HKは、まったく放送しない。
  フランスがマダガスカルを植民地化した(1896年8月6
 日)・・
  この解放は、第二次世界大戦後の日本の戦いの後とな
 る。
.
  (今日の言葉)
.
  題:彦星(ひこぼし)と、織姫(たなばたつめ)と、今夜(こよい)逢(あ)ふ、
   天(あま)の川門(かわと)に、波(なみ)立(た)つなこめ
.
698年、遠い昔からジェンダー平等(男女平等)だった日本・・
  また、身分の上下ない社会だった。
  今(2019年)、盛んに国連はSDGsをして「ジェン
 ダー平等を啓蒙している」が・・
  世界は、日本をお手本とするべきである・・
  万葉集に・・
  「彦星(ひこぼし)と、織姫(たなばたつめ)と、今
 夜(こよい)逢(あ)ふ、天(あま)の川門(かわと)
 に、波(なみ)立(た)つなこめ」(詠み人知らず)・・
 がある・・
  (訳)彦星と織姫が逢う今夜なのです・・
  天の川の渡し場に、波よ、決して荒く立ってくれない
 でください・・
  今から1300年以上も前の日本人の優しい心が伝わって
 来る。
  彦星(牽牛星)と織女(織女星)の逢瀬が、年に一度
 だけ許されるという七夕(たなばた)の和歌です・・
  この伝説は、持統天皇が在位していた698年代頃、中国
 から日本に伝来したと言われているが・・
  この話は、それまで、それ以前から日本各地にあった
 「棚機津女(たなばたつめ)伝説」と融合した。
  それは、年に一度、7月に訪れる神への捧げものとして
 処女が水辺の棚で神衣(しんい)を織ったという話・・
  これと融合して庶民の間にも広まり、人々の想像力を
 掻き立てたのだった・・
  万葉集には、130余首も七夕歌が収録されている。
  その多くが庶民の歌で「詠み人知らず」となっている。
  身分の上下、貴賤もない社会の日本だった・・
  日本は、遠い昔から庶民の一般市民と隔たりない処遇
 をしていた優しい平等な国だった。
  遠いこの昔から、女性方々も尊重されていた。
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9世紀~10世紀、神聖ローマ帝国が出来た(~1806年)
  神聖ローマ帝国は、代々のドイツ王が、ローマ教皇か
 ら冠を授けられて、皇帝となった。
  神聖ローマ帝国は、実質的にはドイツ帝国・・
  神聖ローマ帝国は、巨大な領域を持つ。
  最盛期の版図は、現在のドイツ、オーストリア、イタ
 リア、フランス、チェコ、スイス、オランダ、ベルギー、
 ポーランド、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、モ
 ナコ、クロアチア、サンマリノ、スロバキアなど現在の
 EUの領土とほぼ同じ・・
  巨大だが、国家とか連邦という性格は・・ほとんど無
 い。
  帝国全体を総括する行政機関も無かった。
  多くの領域の緩い集合体の様なものだった。
  軍も借りものが集まったもので、帝国全域を包括する
 ナショナリズム持った。
  この様なこの領域は、独立を保つ実力も無かったが、
 権威を犯すなと存続した。
  しかし、1806年、ナポレオンの台頭で幕を閉じた。
  しかし、ドイツ人の武力によるリベンジは素早かった。
  1870年、普仏戦争でフランスを負かし、
  翌年の1871年には、鉄の宰相ビスマルクが活躍して、
 ドイツ帝国が起こった。
  そして、第一次世界大戦の敗北で、そのドイツ帝国が
 消滅すると、今度は、ヒトラーが台頭した・・そして、
 再再度、ヨーロッパ制覇を目論んだ。
  ヒトラー政権は、神聖ローマ帝国、後のビスマルクの
 ドイツ帝国に続く第三帝国と呼ばれた。
  そして、その第三帝国は、無残に滅び、消滅した。
  そして、二度と立ち直れないと思われたが、西ドイツ
 は、1990年、東ドイツを飲み込み、一体となりヨーロッ
 パで第一の大きな国となった。
  そして、今(2017年)、EUに君臨した。
  一番の影響力のある国となっている。
  そして、その軍事力でも強大になって行くと予測され
 ている。
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1158年、キリスト教聖職者のオットーが死んだ。
  キリスト教の「教父」と言われたアウグスティヌス(
 354年~430年)は、その生存した古代の時代なりの考え
 方をしていた。
  その様な古代の遅れた認識で、その存在が古代ゆえに
 やむを得ない面があるが・・問題は、その彼の遅れた論
 理が、今・現在もなお、現在に至るまで、多大にキリス
 ト教へ影響を与え、延々とキリスト教に引き継がれ、キ
 リスト教の遅れた状況を作り出す原因となっている
  その様なことの一つが、「キリスト教普遍史」である。
  彼=アウグスティヌスは、「ローマ帝国が終われば、
 人類が終わる」と考えた。
  そして、キリスト教の教義である「人類の終末に訪れ
 る最後の審判」となり、その審判を恐れた。
  悲しいかな、まったく無用な恐怖なのであるが、キリ
 スト教は、この恐怖を抱えていた・・今・現在も・・
  しかし、そのローマ帝国が滅び、年月を経ても、「何
 も起こらなかった」。
  びくびくして・・年月だけが過ぎた。
  当然の事だった。
  しかし、年を経て、その整合性を問う話が沸き出て来
 た・・そのことを考えた者が現れた。
  ドイツのキリスト教聖職者のオットーだった。
  彼は、中世的普遍史の完成者と言われている・・そし
 て、彼は「年代記」を書いてアウグスティヌスを訂正し
 た・・。
  彼は、ローマ帝国まではアウグスティヌスを踏襲した。
  問題はその後にあった。
  キリスト教が色々な面で、辻褄(つじつま)合わせを
 色々、苦労してやっているが、オットーもこの辻褄合わ
 せに苦渋した。
  そして、考え出したのが「帝権移動」の屁理屈論理だ
 った。
  何を意味するのか?・・まったくのこじつけ論理なの
 だが・・「ローマの帝権は移動し、そして、続いている」
 とこじつけた。
  だから、キリスト教が説く「終末は来なかったのだ」、
 また、「最後の審判」も無かったのだとした。
  彼の帝権移動論を細かく書くのも馬鹿々々しいが、そ
 の抜粋・概要を以下に書くと・・
  ローマ帝国は、ラテン人のローマ帝国だった。
  しかし、ローマ帝国の滅亡後、数世紀を経過しても、
 なお、世界は終末を迎えることなく存続していた。
  カール大帝が皇帝に即位した。
  ローマ建設から1552年、カールは、ローマ教皇によっ
 てパトロキウスの称号を与えられ、アウグストゥス以後
 第69代の皇帝かつアウグストゥスと呼ばれた。(中略)
  コンスタンティヌス帝から以後この時まで、首都にコ
 ンスタンティノーブルに中心が置かれていたローマ人の
 統治権は、こうしてフランク人に移された・・
  ・・意味不明な事を延々と書き・・
  はっきりしているのは、「ローマ帝国は滅亡してない、
 引き継がれた」・・だった。
  まだまだこの他にも「おひれはひれ」が付いているが
 割愛(かつあい、はぶく)する。
  何しろ、現在も、コンスタンティノーブルが存在して
 いるが、ならば、「現在も、ローマ帝国は存在している
 のか?」と、キリスト教に言いたいところだ。
  キリスト教は終末が来ること、その時に演じられる「
 最後の審判」におびえている・・
  この様に、遠い昔の古代から「いつ来るか?」「いつ
 来るか?」と怯えている。
  このキリスト教の終末論理には「色々な怪物も登場し
 たり、色々な華やかな話も展開する」。
  教父のアウグスティヌスは、「怪物たちもアダムの子
 孫だ」と言う様な人だった。
  そして、また、アウグスティヌスは、「この怪物と胎
 児」について「理性的で死すべき生き物」として、自分
 勝手な論理展開をした。
  そして、この定義に当てはまるので「すべて起き上が
 り、生きるか死ぬかを求められるべきだ」と言った。
  これらは、「インドは世界の果てだ」という言葉と共
 に語られる・・
  キリスト教において、「意味が分からなくても、心配
 してはならない世界の話」。
  ちなみに、オットーの生涯は1111年?~1158年。
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17世紀~18世紀、ヨーロッパの啓蒙時代
  「啓蒙時代」とは、17世紀~18世紀に、ヨーロッパで
 広まった、キリスト教神学に代表される旧来の伝統や権
 威を『理性のもとに批判』し、民衆を啓蒙し、目覚めさ
 せようとした時代だった。
  中世のヨーロッパは、キリスト教の考え方によって日
 常が歪(ゆが)められていた。
  しかし、科学知識が、革命的に得られて来た事によっ
 て、その知識を得た啓蒙主義者たちは、その歪んだキリ
 スト教の観念に立ち向かって行った。
  その一つが、「キリスト教普遍史」に立ち向かった知
 識人たちであった。
  彼らは、厳しく「キリスト教普遍史」を批判し、キリ
 スト教の「時間観念」に立ち向かった。
  そして、彼らは、キリスト教普遍史とまったく異なっ
 た「時間観念の下で過去を見直した」。
  キリスト教から見れば「異端的考え方をする者たち」
 だった。
  それまでの常識とされて来た「キリスト教から洗脳さ
 れた歴史の時間」からは「かけ離れた長大な時間だった」。
  「地球が巨大な火の玉だった」という事は、キリスト
 教観念からは・・まったく考えられなかった。
  その様な科学知識などを知った知識人たちには、キリ
 スト教観念に沿って説明することは「苦痛だった」。
  それでも、地球の誕生は7万5000年前と、また、人類の
 誕生は6000年~8000年前と、キリスト教の時間観念に妥
 協をした。
  でも、キリスト教普遍史の時間スケールからは「大き
 くはみ出していた」。
  すべてがはみ出していた。
  太陽系の他の惑星が同時に誕生したこと、地球の誕生
 前の「物質の創造」「光と闇の分離」など、どうしても
 キリスト教聖書に沿って説明が出来ない面が「多々あっ
 た」。
  キリスト教は、彼らを脅(おど)した。
  しかし、彼らは、そのキリスト教の脅しには屈しなか
 った。
  彼らは、また、一般人に配慮した。
  キリスト教に洗脳されていた一般人、この一般人から
 理解が得られる説明に心がけた。
  人類の誕生は、キリスト教聖書の記述に合わせたりし
 た。
  日常生活が、キリスト教観念によって影響されている
 一般人、その人々に配慮した。
  間違った観念の下で生きている問題に対し、正しい観
 念を「必ずしも与え得なかった」。
  間違った観念の下で暮らす怖さを取り除いてあげられ
 なかった・・そのもどかしさの中に科学者たち・知識人
 たちは居た。。
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1883年、アメリカで、黒人の方々に対し、大変卑劣な差別
 判決が出た。
  合衆国最高裁判所が、「アメリカ国民に与えられた色々
 な特権(公民権)は、そもそも州の市民にそなわるもの
 であるから、これ等は黒人の市民権付与を規定した憲法
 修正第十四条の適用は受けない」として、「1875年の公
 民権法を否定した」。
  この判決によって、アメリカでは、堂々と黒人の方々
 への「差別」が、一層さらに、行われる事態となった。
  交通機関、学校、レストラン、教会、映画館などなど
 において人種差別行為が行なわれ、また、隔離も行なわ
 れた。
  また、州法や市条例やその他によって、法制化して確
 実化した・・そして、縛(しば)った。
  1896年5月18日には、さらに、最高裁判所が、「列車で
 黒人隔離をしても、平等だ」という、「隔離しても平等
 という屁理屈判決」を出した。
  これが、また、差別行為を正当化して、アメリカ差別
 社会は、一層その卑劣さを増した。
  軽蔑を通り越すアメリカの黒人の方々に対する差別に
 憤りが湧く。
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19世紀末、スペインのバルセロナ地方に独立したいという
 動きがある・・差別が原因・・
  これは、19世紀の末頃から、常にあった。
  スペイン中央政府のカタルーニャ民族を軽視する行動
 が原因だった。
  また、カタルーニャは裕福な州で、中央政府のカタル
 ーニャへの支出金があまりに少なく・・
  カタルーニャ州が税金として支出する金額と隔たりが
 大きい・・還元される金額が少ないという状況もあり、
 独立運動と結び付いて行った。
  2010年代、特に、盛んになった。
  また、イギリスのグリーンランド地方でも独立したい
 という動きがある。
  理解できる活動である。
  今、帰属しているスペインやイギリスは、他国民の多
 くを殺戮して来た、本当に多くの人々を殺戮して来た。
  これを思うと、帰属している国と、我々は違う民族な
 のだと、それを主張したいとなるのだった。
  アメリカも、本当に、多くの他民族をキリスト教観で
 乱暴な対処をして来た。
  バルセロナ・・スペイン北東部のカタルニャ自治州で、
 バルセロナ県の県都である。
  伝承であるが、フェニキア人によって建てられた。
  バルセロナの名は、カルタゴの名家のバルカスによる
 とされている。
  ローマ人、そして、西ゴート人の支配を受け、そして、
  717年頃、イスラムの統治下に置かれた・・しかし・・
  801年、カロリング朝フランク王国のルイ1世によって
 征服された。
  9世紀末に、バルセロナ伯領の首都となった。
  中世を通じて、ゼノアやベネチアと並ぶ地中海岸の商
 業の中心地として発展した。
  カタルニャ王国の首都として、アラゴン王権に対抗し、
 商人層を中心とする民主的な自治を行なった。
  独立の気運は「常に高くあった」。
  内乱時には、人民戦線政府の最後の拠点となった。
  このカタルニャには「自治運動があった」。
  この地方は、スペイン中央部とは経済的にも文化的に
 も異なっていて・・
  19世紀末頃から自治運動が絶えなかった。
  1923年、再び自治運動が高まり・・
  1931年4月、地方選挙後、カタルニャ自治政府の樹立を
   宣言をした。
   この時、スペイン全土でも共和派が大勝し、国王は
   亡命した。
  1931年、共和憲法によって地方自治が承認された。
  1932年9月、カタルニャ自治法によって自治州と認めら
   れた・・しかし・・
  1934年10月、耕作法をめぐって中央政府と対立し、カ
   タルニャは独立を宣言したが、すぐに軍隊によって
   武力で鎮圧された・・そして、自治法は停止された。
   スペイン内乱中もカタルニャと中央政府との対立が
   続き「内戦中の内戦」が展開された。
  1939年、 F.フランコの勝利で自治運動も不可能となる。
   しかし・・
  1975年、フランコ総統が死に・・その後・・
  1977年、中央政府の了解のもとに臨時自治政府が成立
   した。
  1978年、新憲法によって正式に自治が認められた。
   中心都市はバルセロナ。
  1980年、第1回自治州議会選挙以来、穏健派連合が過半
   数を制してきた。
  1992年3月、自治州議会選挙では独立を標榜するカタル
   ニャ共和左翼党が野党第2党に進出した・・しかし、
   穏健派連合優位の構図に大きな変化はない。
  日本でも、中国が陰で働きかけるアイヌや沖縄を独立
 させようという工作や運動が水面下でなされている・・
.
1933年1月30日、ヒトラーが、ドイツ首相に就任した。
  ナチス(単数形のナチ)は・・
  1919年、K.ハラーによってミュンヘンで結成された「
   ドイツ労働党」を、ヒトラーが民族主義と社会主義
   を巧みに接合させた・・
  1920年、「国家社会主義ドイツ労働者党」と改名した。
  1921年、ヒトラーが党首となったが・・
  1923年、ヒトラーは、ミュンヘン一揆を企てて投獄さ
   れた。
   党は解散したが、ヒトラーの出獄とともに大衆政党
   として再出発した。
  1925年、党員数はわずか2万7000人にすぎなかった・・
   しかし、その後、群小右翼団体を吸収して膨張した。
  1929年、党員数17万6000人・・
  1930年9月、総選挙で 18.3%を獲得して第2党となり・・
  1931年、党員数80万6000人・・
  1932年7月、総選挙で37.4%を得て第1党に躍進した。
  1933年1月、軍部や財界と取引を行なって、この時、政
   権を獲得した・・
   党員数は390万人とふくれあがった。
  そして、破滅的な第2次世界大戦への道をとった。
  このヒトラー時代のドイツは、自国に有利になる様に
 「女性を道具として卑劣に使った」。
  まことに卑劣な話であるが、この時のドイツは、外国
 から来た者へ、自国女性に性的な対応をする様にさせた
(ハニートラップ)
  朝鮮・韓国が、中国に冊封されている時、国の施設を
 持って、この様な事を行なっていたが(これは、史実と
 して明確に確定している)・・ドイツも、この様な状況
 であった。
  また、ドイツは、「現地妻」を制度的に用いていた。
  外国からの者へ「現地妻」を提供していた。
  また、冷戦中には、ソ連のKGBも、この様な事を行
 なった。
.
1937年8月13日、第二次上海事変:アメリカに支援された中
 国軍が攻めて来た。
  上海事件・・この戦いが、本格的な中国との戦いにな
 ったきっかけだった・・
  この戦いは、陰で、アメリカが、中国を支援をしてい
 た。
  これが、最大の悲惨な状況を作り出す不幸だった。
  ベトナムとアメリカの戦争と同じだった。
  アメリカが、陰だとはいえ、間接的に参戦することに
 よって、中国での戦いは「悲惨な戦争となった」。
  大量の武器などの物量を中国へ与え、戦いを大きくし、
 また、戦いへ仕向けていっていたアメリカだった。
  歴史教科書にはこのような事は書かれていないが・・
  ただ日中の戦いだったら・・早期に「決着はついてい
 て、終わっていた」。
  戦う当事国同士なら、早期に戦いは決着し、悲惨な結
 果にもならずに済んだ戦いだった。
  アメリカという第三国による一方の中国への支援が、
 この様な形での「間接的な、アメリカの戦争への参戦」
 が、戦いを長引かせ、また、より悲惨な状況とした。
  ベトナムでの戦いも、ベトナムとフランスとの戦いで、
 すでに、決着し、終わっていた。
  しかし、アメリカが乗り出した・・より強力な武器を
 使って・・また、非人道的な武器や行為を行なって・・
  そして、結局、最後は、陰に隠れてい居られなくなっ
 たアメリカは表に出て来た。
  アメリカ軍それ自体が表で参戦するという、卑劣で破
 廉恥な戦争行為となった。
  そして、表面立ってのベトナムとアメリカの戦いが新
 たに生まれた。
  ベトナム・アメリカ戦に変わった。
  戦いは、また続いた・・戦いは長いものとなり、また、
 筆舌に尽くせぬ卑劣な手を使ってでもアメリカは勝とう
 とし(枯葉作戦など)、しかし、アメリカは勝つことが
 出来なかった。
  ただ、戦争と何ら関係ないベトナムの一般の方々が、
 女性の方々が・・そして、小さな子供たちが・・大勢、
 死んだだけだった・・多くの奇形児も生まれた・・
  日中の戦争も・・泥沼となった・・
.
1945年9月10日、GHQが「新聞報道取締方針」(SCAPIN-16)
 を発令し、検閲を開始した。
  アメリカは、あらゆる面で、日本をコントロールし始
 めた・・卑劣だった・・(戦争に勝ったら、そんなこと
 が出来るのか?)
  日本には誇るべき平安京の時代がある・・女性は尊重
 されていた。
  当然、その様な社会環境から・・女性も高い教養を身
 に付けていた。
  その様な社会環境から、「人類最初の長編小説」が、
 日本のこの時代に書かれた。
  アメリカは影も形もないこの時代・・1200年以上も前
 に書かれていて、そして、生まれていた・・
  日本の女性の手によって書かれていた。
  こんな遠い昔でも、日本は、アメリカの様な奴隷制度
 の欠片(かけら)もない平等な社会だった・・そして、
 女性の人格も尊重される社会だった。
  まったく卑劣極まるレベルのアメリカの奴隷社会とは、
 まったく隔絶されて違う・・品位ある社会だった。
  日本は遠い昔から、奴隷社会などという遅れた社会か
 ら隔絶していて・・戦争もなく、兵役もなく、宗教の自
 由があり、言論の自由もあった。
  アメリカが、第二次世界大戦後、その様なことを「日
 本に教えるのだ」と言ったのは間違いだった・・逆に、
 日本から学ぶべきだった。
  アメリカの自国の歴史をもって、「日本もそうなのだ
 ろう」と思うことは、「おこがましい(出過ぎている。
 さしでがましい)」・・反省してもらいたい。
  日本人のプライドを奪うことを、この後、戦後に、ア
 メリカは、まだまだ行った・・まったく卑劣である。
  そんなことは、どこの国もやらなかった。
  だから、その点について、イギリスのチャーチルは、
 さすがに言った。
  そんなことをしたら、「タルタル人の様だと」と・・
  タルタル人と同じではないかと・・
  「タルタル人の時代に戻ってしまうではないか」と・・
  アメリカは、戦争に勝ったかもしれないが、それでは、
 タルタル人と同等ではないか・・と・・
  チャーチルは、数日間、抵抗した。
  しかし、アメリカに押し切られた。
  歴史に裏打ちされた品格を持つ日本は、この点で勝利
 していた・・人間として大事なこの点で、日本はアメリ
 カに勝ち、アメリカは敗けていた。
  (参考)タルタル人:タタール(Tatar)は、北アジア
     のモンゴル高原とシベリアとカザフステップか
     ら東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い
     地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、
     ツングース系およびサモエード系とフィン=ウ
     ゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々
     な人々によって用いられてきた民族総称。
      日本では、韃靼(だったん)という表記も用
     いた。
.
1994年、今(2019年)から25年前、アメリカと北朝鮮は、
 かなり危機的な状態となった。
  クリントン大統領の時である。
  アメリカに「やる」という話が出た。
  アメリカ海軍は、「トマホーク」を使えば、北朝鮮の
 原子燃料施設を破壊できるという考えだった。
  アメリカ兵の犠牲も出ない。
  金もかからない・・と・・
  「やる寸前」まで行った。
  しかし、北朝鮮がアメリカを脅した・・
  「もし、アメリカ軍がトマホーク攻撃を仕掛けてきた
 ら、地上戦でソウルを火の海にしてやる」と言った。
  また、作戦の実行に、アメリカ陸軍が反対した。
  韓国に、アメリカ軍3万人に加えて、その家族が3万5000
 人が居た。
  将兵家族の引き上げの問題である。
  そして、クリントン政権のペリー国防長官が、クリン
 トン大統領へ「全面戦争になったら、100万人の死者が出
 る」と・・言った。
  また、「アメリカ人も、8万人~10万人死亡する。
  そして、我が国が負担する軍事費用は、1000億ドル(
 11兆円)に上る」と報告した。
  クリントン大統領は・・屈した。
  この時が、北朝鮮の核施設を無くすチャンスだったと
 言われている。
  この時、日本は何をするべきだったのか?
  その考え方が、「まとまっていなかった」。
  この時、日米で共同作戦を取っていれば、「日米安保
 体制も、ゆるぎないものになっていた」という・・
  日本には、「自国の安全保障に対して何をなすべきか?」
 の「一本、筋の通った論理」が無かった。
  「何も考えないで、アメリカに、頼り切っている状態
 の日本があった」。
  日本の安全保障であるのに、それを真剣に突き詰めて
 いたのか・・?・・これは、今でも続いている・・
  ただただ、戦争は嫌だと言っているだけで良いのか?
  それで済むなら誰だってそれでよいとする・・
  NHKや池上彰は、「徴兵制は怖い」などと脅す事だ
 けをしている・・本質の解説は「逃げている」・・
  北朝鮮は、必死に生き残りをかけてやっていて・・北
 朝鮮は、核とミサイルで自国民を守った。
  アメリカは、最後まで責任をとってくれるのか・・?
  今日の香港・・明日の東京・・そして、ニューヨーク・・
  周りに核に囲まれた日本・・銃を持った者たちによっ
 て、あなたの愛する妻や子が囲まれた時、あなたは何を
 するのですか?・・
  今日も銃の乱射で多くの人が亡くなったアメリカの報
 道が新聞にあるが・・

.
1995年、クリントン政権のジョセフ・ナイ国防次官補が「
 アメリカのアジアに対する『深い関与』戦略」という論
 文を発表した。
  それは、「アメリカは、ヨーロッパから軍隊を引き揚
 げても、東アジアからは撤退しない、『深い関与』を続
 ける」というものだった。
  アメリカ軍が、駐留を続けることによって「東アジア
 地域での軍備競争を抑える」だった。
  また、ペリー国防長官も、似たような主張をした。
  アメリカは、「日本を抑え付けておきたい」と言えな
 いから、この様な言い方をした。
  また、「瓶のふた論」も展開できないから、こんな言
 い方をした。
  「瓶のふた論」は・・もう古い・・
  ペリー国防長官の言い方は、「東アジアを安定させた
 い。軍備競争が起きないようにしたい。それ故に、我々
 は、冷戦が終わっても日本に5万人のアメリカ軍を駐留さ
 せる」と。
  どの様な言い方になっても、結局、「瓶のふた論」の
 思想の行動をアメリカは続けている。
  そして、その「瓶のふた論」をするアメリカへ、「思
 いやり予算」と称して日本国民の血税が支払われている。
  ところが、このペリーという男が、曲者(くせもの)
 で、「中国が、大好きな親中派」・・
  それも、自分さえよければ良いの男だった。
  クリントン政権の前に居たカーター政権で何をやった
 かと言うと、「アメリカの軍事技術を、せっせと中国に
 渡していた」。
  国防次官という身分で、「軍事技術供与」と称して、
 アメリカのノウハウを渡していた。
  そして、この行為は、この後も続いた。
  カーター政権を辞め、スタンフォード大学に戻ってか
 ら、「武器・軍事技術輸出に関するコンサルティング会
 社」を作った。
  目当ては、政権にいた時に作った中国。
  中国を最大の客として、重要な軍事技術を中国へ渡し
 た。
  それも、20年以上の期間に渡って。
  中国は、国防予算をうなぎ上りに増やした。
  前代未聞の4年から5年ごとに、倍増・倍増・倍増の超
 軍拡。
  「東アジアに軍拡競争をさせない」というアメリカの
 公言(人前で隠しだてすることなく堂々と言うこと)は、
 「絵に書いた餅」となった。
  アメリカなんて、こんな事が展開する国だった。
  アメリカ企業は、中国をお得意様として、中国に対す
 る軍事技術の輸出をどんどん増やした。
  「自分の懐に、金が転がり込めば、何でもいいのさ」
 の状態だった。
  アメリカ政府は、黙認した。
  北朝鮮も、この時期、せっせと核弾頭の材料である核
 燃料を増産した。
  1994年、アメリカは、北朝鮮と「これ以上プルトニウ
 ムを作らない」合意をした。
  しかし、1996年、北朝鮮は、このアメリカとの合意・
 約束を破って、パキスタンから「ウラニウム濃縮技術」
 を導入した。
  アメリカは、この重大な情報を日本に秘密にした。
  日米同盟なんてチャンチャラおかしいという状態。
  同盟関係なんてありもしないという日米同盟だった。
  裏切り者の卑怯なアメリカだった。
  さらに、アメリカが、卑怯で卑劣なのは、この状態を
 黙認したこと、核弾頭の開発を続ける北朝鮮を野放しに
 したこと・・この様な事を、アメリカはした。
  何の対抗策も取らなかった。
  日本だけには、ガチガチと枠をはめるアメリカだった。
  日本の自主防衛能力の構築だけが、ガチガチに抑え付
 けられていた。
  そして、2017年、北朝鮮は、立派な核保有国となり、
  ICBM(大陸間弾道弾)も保有する国となった。
.
2002年2月18日、アメリカのブッシュ大統領が来日した。
  この時、「小泉首相と靖国神社に共同参拝したい」と
 申し入れられていたという。
  日本は、中国を刺戟したくないと、この申し入れを断
 った・・(何を怖がっているのか?)
  その結果、ブッシュ大統領の単独による明治神宮の参
 拝になったという。
  日本は、中国に気を使い過ぎている。
  ウイグルの方々を300万人も拘束している中国、ウイグ
 ルの方々へ「洗脳とか、思想教育とか」をしている・・
  この抗議に対して、中国は「テロ対策だ」という「説
 明にならない説明」をしている中国となっている。
  さらなる抗議に対しては、「内政干渉だ」と突っぱね
 る中国となっている。
  その様な状況に対して、その正反対に、気を使い過ぎ
 る日本となっている。
  明治神宮の共同参拝までしなかった日本・・
  「政教分離にならない」というのも理由だったという。
  アメリカは、大統領の就任式にキリスト教の聖書に手
 を置いて祈り、誓うが、一定の範囲に宗教が関わること
 は正しい、「正義だ」、「許されるのだ」。
  宗教を否定する共産主義の中国とは違うのだ。
  馬鹿々々しいほど律義に行なう日本の方が「おかしい」。
  民の選挙も行なわない・・そして、宗教を否定する中
 国の方が・・「おかしいのだ」。
  日本は、中国の内政干渉には、きっぱり撥ね付ける必
 要がある。
  アメリカは日本に対して言っている、「マッカーサー
 の神道指令」を卒業して、「独自の日本の正義の態度を
 示せ」と・・
  その背景に、「中国に毅然と日本の主張をせよ」との
 思いがある。
  最近のアメリカは、日本に対し、「もっと自分の国に
 誇りを持った歴史観を持つべきだ」というメッセージを
 盛んに発している。
  靖国神社の参拝についても、反対の意見は無い。
  逆に、この類の話の中で、「中国への警戒感や脅威論
 が出る」という状況となっている。
.
2011年、ドイツと中国の間で「二国間政府サミット」が定
 期的に開催されるようになった。
  これは、やはり、狙いは商談・・金儲け・・
  首脳同士、閣僚同士の会談の影で、盛んに産業界の大
 物たちが、政府のサポートを受けながら大型契約の交渉
 に熱中していた。
.
2018年1月14日、スエーデンで、「ジャングルで一番格好の
 良い猿」と言って、黒人の子供の写真を載せる宣伝広告
 がなされた。
  考えられないほどの、「最低の人種差別の宣伝」で、
 世界で、この会社の商品の不買運動を始めよう。
  最悪な卑劣さで、怒りが心頭に達する。
  産経ニュース、2018年1月14日、「ジャングルで最もか
 っこいいサル」…黒人差別の広告に抗議、南アでH&M
 店が襲撃される
  スウェーデンの衣料品大手H&Mが、黒人への差別的
 な広告を使用した問題で、南アフリカ国内にある同社の
 複数の店舗が13日に襲撃され、商品が盗まれるなどの
 被害が出た。
  黒人の権利擁護を訴える野党が、支持者に呼び掛けて
 いた抗議行動が過激化した。
  南アのメディアが報じた。
  地元警察によると、最大都市ヨハネスブルクの店舗で
 は、商品が略奪され警官隊がゴム弾で制圧。
  商品が床にまき散らされた店もあった。
  H&Mによると、客や店員にけがはなかった。
  「ジャングルで最もかっこいいサル」と記したパーカ
 を黒人少年のモデルに着せた写真を、H&Mが広告に使
 っていたことが今月に判明。
  「人種差別だ」と批判が相次いでいた。
  支持者に抗議行動を呼び掛けた野党、経済的解放の闘
 士(EFF)のマレマ党首は「黒人への侮辱は許さない。
  (H&Mは)教訓を学んだだろう」と述べ、襲撃の謝
 罪を拒否した。
.
2019年、存立危機事態(産経新聞の解説文)・・
  自衛隊による集団的自衛権の行使が可能だと日本政府
 が判断する事態の称呼。
  安全保障関連法は、「密接な関係にある他国への武力
 攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自
 由、幸福追求の権利が根底から覆(くつがえ)される明
 白な危険がある事態」と定義している。
  「国民を守るため、他に適当な手段がない」「必要最
 小限度の実力行使にとどまる」と合わせて「武力行使の
 新3要件」を満たす場合に、集団的自衛権の行使が認めら
 れる。
  この条文を読んでいるうちに、中国や北朝鮮からの核
 ミサイルは・・着弾するだろう。
.
2019年8月2日、日本は、韓国への「ホワイト国の指定」を
 取り外した。
  これは、韓国が、「軍事上の重大違反」を繰り返すと
 いう重大ミスがあったからだった・・当然の処置だった。
  この韓国へ与えてあげていた「貿易上の優遇処置」の
 取り外しは、特に、「軍事関係の重要品」を不適切国へ
 輸出するという「重大違反を重ねていた」からだった。
  この様な事は、重要な事として韓国も十分知っている
 事だったが、現実に起きることは、韓国の『重大なミス
 が重なる』という状況だった。
  この様な事に対して、韓国は謝罪も説明も一切ない。
  韓国へ与えてあげていた『ホワイト国の優遇処置』を、
 『普通のポジションへ戻した』。
  韓国の輸出不正の多い状態は、「二段階降下が適正で
 あった」が、「普通レベルに留めて」あげた。
  軍事的に重要な戦略物資の不適切な輸出は、非常に神
 経を尖(とが)らせなければならない重要な面であるが、
 故意ではないかと疑われるほど、韓国は「重大ミスが重
 なるという韓国の状況であった」。
  そこで、日本政府になり代わって、韓国政府へ、以下
 の文を書く・・
  日本政府が、韓国のホワイト国(輸出手続き上の最遇
 国)から排除する決定を下した。
  これは、韓国政府が、問題を解決するための外交的努
 力を拒否し、事態を一層悪化させる極めて無謀な行為を
 繰り返していたことに依ることであって、深い遺憾を表
 明する。
  問題を解決するために、膝を突き合せようという日本
 政府の熱意と提案を、韓国政府は、ついに、頑なに自説
 を曲げないで受け入れなかった。
  一定の期限を定め、現状をこれ以上悪化させないよう
 にしながら交渉の時間を持つように促す米国の提案にも、
 韓国政府は応ぜず、解決案にほど遠い自説を曲げなかっ
 た。
  韓国政府は、日本政府と国際社会の外交的解決の努力
 を無視し、状況を悪化させて来た責任を、韓国政府は重
 く反省しなければならない。
  この様な責任が、韓国政府にあるという事が明らかに
 なった以上、これから起きる事態の責任も、全面的に韓
 国政府にあるという点を、はっきりと警告する。
  どの様な理由で言い訳をしようとも、韓国政府の今回
 の行動は、まったく国際社会のルールを踏み外している。
  決着している過去の問題を何度も蒸し返したり、持ち
 出したりして、建設的な前向きな解決をしようとしない
 韓国政府に問題が存在する。
  最も近い隣人であり、友好国であるべき韓国が、この
 様な行為をとって来た事は、実に失望すべき事であり、
 残念なことである。
  この様な不正を押し付ける韓国の姿勢は、国際社会の
 これからの為にも、はっきりと指摘して行かなくてはな
 らない。
  国際社会はお互いが助け合うことが基本であり、ルー
 ルに反することを、自国に有利だからと行なう韓国政府
 の行為は、断固指摘せねばならない立場に日本政府には
 ある。
  日本政府は、韓国のこの様は不当な行動に対し、断固
 として正しい事実に則った態度を取って行く。
  韓国政府が行なう盗人たけだけしく騒ぐ状況を決して
 日本政府は座視しない。
  日本政府は、韓国政府の行なう措置に応じて、対応措
 置を強化して行く。
  そして、今までの、韓国政府の甘えの体質も反省すべ
 きである。
  不正な行動をする韓国政府は、大きな代償があるとい
 うことを認識しなければならない。
  日本政府は、対抗の悪循環を望んではいない。
  止められる方法はただ一つ、韓国政府が、偽りの行動
 を反省し、誠実にそして真実の行動をとることにある。
  日韓両国には、日本が韓国の国づくり、また、社会資
 本づくりなどに貢献して来た歴史があるが、この事につ
 いても一切の感謝の気持ちを韓国は表明していない。
  韓国政府は、この様な事に対する誠実な感謝の気持ち
 を表明すべきである。
  遠い昔から、江戸時代から、韓国政府は、この様な蒸
 し返しの行為を、日本政府に対して繰り返し行なって来
 た歴史がある。
  しかし、日韓政府の正常化に挑戦して行くことに対し、
 日本政府は努力するが、肝心な韓国政府が昔から日本に
 して来たような態度を繰り返すならば、歴史は繰り返さ
 れることとなる。
  共に、日本と延びたいのならば、国際ルールに則り、
 正しい行動の出来る国に韓国政府はならなければならな
 い。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  ロシア(旧ソ連)よ!
  千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
  終戦後の1945年8月18日に、占守島に奇襲攻撃して来た
 行為を反省しなさい。
  占守島の戦いで日本は戦いに勝っていたのに、終戦後
 であったので、ソ連(現ロシア)と合意の上で日本は武
 器を置いた・・日露間の戦争はここに終わった。
  しかし、日露の合意の終戦の後、日本兵の居ない日本
 領の千島列島と北方四島をソ連(現ロシア)は不法に占
 拠し始めた。
  千島列島の最北端の占守島の戦いで、日本が武器を置
 く式を日露合意で行ったことを遵守せよ!
  だから、君たちには、日本の領土を勝手に盗る行為を
 行なう正義の論理は無い。


by suba28 | 2019-09-05 03:34 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)

題:(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
.
1896年7月6日、京釜鉄道株式会社の設立発起人総会が東京
 で開催された。
  京城(現:ソウル)と釜山を結ぶ京釜鉄道株式会社を
 日本は設立をして、朝鮮半島の国造りに努力した。
  朝鮮半島を縦貫するこの路線は最重要路線で、現在も、
 大韓民国の韓国鉄道公社(KORAIL)京釜線として継承さ
 れ、経済活動に貢献している。
  この様な日本の誠実な努力に、韓国は感謝しなければ
 ならない。
  朝鮮半島に誠実な国造りをした国は日本しかなく・・
 その他の国は韓国・朝鮮半島の利権ばかりをしゃぶって
 いた。
  19世紀の後半と言えば、朝鮮政府は大変に財政上、逼
 迫(ひっぱく、行き詰って余裕のないこと)していた。
  そこで、朝鮮政府は、多くの鉱山採掘権などの利権を
 外国に売り払い、そして、盗られていた。
  アメリカは、京仁鉄道の敷設権を得ていて、工事を開
 始したが途中で投げ出した。
  因みに、1896年3月、日本銀行は、朝鮮政府へ応援をす
 るため300万円の借款(長期間にわたる資金の融資)を与
 えていた。
  朝鮮という地は、建設を成功させにくい地でもある。
  このアメリカの場合は、労働争議や支払い争議で中止
 された。
  この路線も、日本が引き継いで完成させてあげた。
  1900年7月に全面開通した。
  因みに、1900年2月に、日本の衆議院は、朝鮮半島の鉄
 道が完成し、充実する様に法案まで成立させたりしてい
 た「帝国臣民ノ外国ニ於ケル鉄道敷設ニ関スル法律案」・・
.
1896年7月8日、東京美術学校に西洋画科・図案科の2科が
 新たに設置された。
  この年、西洋画科が新設され、黒田清輝、藤島武二、
 横山大観らが指導にあたった。
  東京美術学校は・・
 1884年7月、文部省に図画教育改良を目的とする図画調
  査会が置かれ、調査が行われ、官立美術学校を設置す
  ることに決定されたことに始まる。
 1885年12月、文部省学務一局に図画取調掛が置かれ、そ
  して、アーネスト・フェノロサ、岡倉覚三、狩野芳崖、
  狩野友信らが委員となって設立準備が進められた。
 1886年2月、図画取調掛の事務所が小石川植物園内に移さ
  れ、岡倉覚三がその主幹となった。
 1886年9月、文部省と宮内省が協議し、フェノロサと岡倉
  を委員とする欧米の美術及び秘術教育視察が行なわれ
  た。
 1887年10月、二人の報告に基づき、勅令によって、図画
  取調掛及び工部大学校内「工部美術部」を統合・改編
  して東京美術学校が設立された。
  また、校則も定められた。
 1887年12月、東京都台東区上野公園の現在地へ移転する。
 1889年2月、開校される。
  5年制の学校として、普通科(2年)、専修科(3年)、
  特別の課程(1年)を置いて、授業を開始した。
  普通科:絵画・造形、専修科:絵画(日本画)・彫刻
  (木彫)、美術工芸(金工・漆工)に分かれていた。
 1890年、岡倉覚三が就任し、事実上の初代校長となる。
  副校長はフェノロサが務めた。
  開校時の教官は、他に、黒川真頼・橋本雅邦、小島憲
  之であり・・
  後に、川端玉章・巨勢小石・加納夏雄・高村光雲らを
  加えた。
 1892年、鋳金科を設置。
 1893年、第1回卒業式が挙行される。
  横山大観らの卒業生を送り出す。
 1895年、鍛金科を設置。
 1896年、西洋画科と図案科を設置。
  西洋画家の教官には、黒田清輝・藤島武二・和田英作・
  岡田三郎助、
  図案科の教官には、福地復一・横山大観・本多天城ら
  が就任した。
 1898年、美術学校騒動が起きた。
  岡倉覚三の学校運営が問題とされ、岡倉をはじめ、橋
  本、横山、下村観山、菱田春草らの多数の教官が退任
  し、日本美術院を結成した。
 1899年、塑造科を設置。
 1902年、図案科に建築教室を設置。
 1905年、学科を再編成し、日本画、西洋画、図案、彫刻、
  金工、鋳造、漆工の7科とする。
 1907年、図案師範科(3年制)を設置。
 1914年、製版科(3年制)を設置された。
  (図案科が第一部(工芸図按)と第二部(建築装飾)
  に分離の史料もある)
  当時は、年限1年の予科、年限3年~6年の本科(絵画科、
 彫刻科、工芸科、建築科)と師範科、年限2年の研究科か
 らなった。
.
1896年7月10日、基隆駅~新竹駅間の鉄道運輸の営業が開始
 された。
  台湾総督府鉄道の営業開始で、台湾の近代化と地域開
 発の原動力となって行った。
  基隆(きいるん)は台湾北部にあり、新竹(しんちく)
 は台湾北西部にある。
  新竹駅の駅舎は、現在でも日本人建築家の松崎万長が
 設計し、そして、建設・完成された立派な状態で使用さ
 れている・・
  台湾での現存の最古の駅舎となっている。
  1994年から、台湾の学者、複数の有志の方々の呼び掛
 けや保存運動の展開によって・・
  1998年6月23日に、台湾の国定古蹟(台湾の国の文化遺
 産)に指定された。
.
1896年7月10日、新聲(声)社(現:新潮社)が創業された。
  佐藤義亮(さとうぎりょう)が新声舎を設立し、雑誌
 「新声」を刊行したが破綻した。
  1904年に新潮社を創立し、文芸雑誌「新潮」を創刊し
 た。
  佐藤(1878年~1951年)は、18歳の時に文学を志して
 上京し、1896年のこの年、新声社を設立したのだった。
.
1896年7月15日、北陸線の敦賀駅~福井駅間が開通した。
  北陸線と命名されたのもこの年・・
  そして、この日に、北陸線と各連絡社線との相互荷物
 取扱も開始された。
  この区間の建設において・・特に、敦賀駅~今庄駅間
 は険しい山地であったため、その山地を避け、海側の杉
 津駅経由で建設された(今の北陸トンネルの所)・・
  それでも、急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッ
 チバックが連続するという難所だった。
  難工事で命を落とした方も多かっただろう・・
  誠実な国造りの賜物で開通した・・快適な旅行が出来
 る現在、この様な先人の苦労を偲(しの)び、また、感
 謝しなければならない。
  日本の技術を駆使した朝鮮・韓国は感謝さえしない・・
.
1896年7月21日、日清通商航海条約が調印された。
  下関条約に基づいて結ばれた日本と清国との通商航海
 条約で、北京において、日本と清朝の間に締結された。
  領事裁判権・協定関税・最恵国待遇を含む欧米諸国と
 同一内容の条約。
  日清両国人の共同経営事業についての規定、日本人の
 登録商標・著作権保護の規定などを定め、追加条約も締
 結した。
  今・現在の中国の著作権を含む知的財産権を盗む行為
 の様な事が無い様にと約束した。
  これによって、日本と中国との通商の基礎ができた。
  1896年10月20日、批准書交換が行われた。
  1896年10月28日、発効。
  辛亥革命で成立した中華民国にも継続された。
  日本側全権は林董(はやしただす、伯爵、外交官)
  ちなみに、林董は、榎本武揚の軍に加わって箱館戦争
 に参加している。
  1928年に至り、中国は改訂したいとし、日本は応諾し
 て、条約の改定が行なわれた。
.
1896年7月21日、信越地方が数日にわたる降雨のため、軽井
 沢駅~直江津駅間の線路は、各所で破壊された。
  御代田付近では、機関車が30尺(9.1m)下に転落した。
  客車・貨車も、脱線転覆した。
  全線が運転中止となった。
  7月23日に一部区間が開通し・・
  全線開通は、8月22日だった。
.
1896年7月22日、新潟市から長岡市大洪水
  信濃川の堤防の各所が決壊した。
  被災面積は18000haに及んだ。
  信濃川の洪水としては有史以来の過去最大規模で・・
  破堤地にちなんで「横田切れ」と呼ばれる。
  破堤してから21日後でも、新潟市新通は、まだ浸水し
 ていた。
  長岡市中之島は、浸水が引かないため堤防上に小屋を
 建てて生活する人も居た。
  この「横田切れ」による被害は、死者43名、浸水家屋
 43684戸、浸水耕地58254ヘクタール。
  新潟市から長岡市のほぼ全域が浸水する大水害だった。
  この後、原田貞介が大河津分水工事改良案を提出し・・
  1909年、原田案をもとに、第二期大河津分水路工事が
 建設された。
  難工事で100名以上の殉職者を出しながら、1922年に、
 通水に成功した・・2年後の1922年、皆が待望し悲願した
 完成に至った。
  この分水によって、この後、信濃川本流が破堤するこ
 とはなくなった。
  (史料)大河津水位14尺4寸(4.32m)となる。
      各地の被害は・・木津に破堤あり、亀田郷は
     皆無作となる・・
      白根郷では赤渋字赤池の安中542の上手が破れ、
     新築早々の五幣氏宅は根こそぎ流される。
      横田でも破堤し、泥海となった(大洪水:横
     田切れ)鷲ノ木の煉瓦水門が損傷し漏水。
  初期の1918年~1941年に、千曲川第一期補修工事が進
 められていたが、洪水が、1年おきぐらいにどこかで起き
 るという状況で、苦労させられていた。
  尚、現在も、補修事業は進められている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:NHKや新聞は、南京へ進軍することを煽った。
    キリスト教に良いことをすれば、あなたにも良いことが起きますよと言われて、
    ローマのコンスタンティヌス帝はキリスト教を国教にしたが、その後、ローマは西ゴート人に侵略された。
    クーベルタンの言葉:「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、オリンピックの品位を落とす」。
    学校放送の資質に欠けるNHK
    中国に、北海道の土地が、もう1割も買われている。
.
紀元前202年、ザマの戦いが起きた。
  北アフリカのザマを戦場として、ハンニバルの率いる
 カルタゴ軍は、スキピオの率いるローマ軍と戦い、敗北
 した。
  その16年前の紀元前218年、イベリア半島を出発したカ
 ルタゴ軍は、アルプスを越えてイタリア半島に侵入した。
  知将のハンニバルは、ローマ軍を蹂躙(じゅうりん)
 し、勢いづいた。
  ローマが、この時、恐れたことは、このハンニバル軍
 にイベリア半島に残っていたカルタゴ軍が合流すること
 だった。
     ・
     ・
410年8月24日、ローマ略奪(りゃくだつ)
  アラリック1世が率いる西ゴート族が、西ローマ帝国の
 ローマへ侵攻し、陥落させ、ローマ市内を略奪した。
  「永遠の都」として象徴的な地位にあったローマに対
 して、恥辱に溢れた略奪が行われた。
  外敵に対する無敵を誇ったローマが略奪されて、陥落
 した。
  このことは、ローマ帝国内外に大きな動揺をもたらし
 た。
  キリスト教聖職者で神学者であるヒエロニムスは、皮
 肉を込めて言った・・
  「全世界を収奪し続けたローマが、外敵から収奪され
 ている」・・と・・
  キリスト教は、ローマ帝国がキリスト教を国教とした
 ことを非常に讃美した(これは、今・現代もしている)
  これは、当然で、この事によってキリスト教は大いに
 宣教され、延びた。
  キリスト教になればいいことがありますよという「相
 互授受」を説いた・・この言葉が効いたのだった。
  国教にしたコンスタンティヌス帝は、キリスト教が説
 く「相互授受」、つまり、キリスト教にとって利するこ
 とをすれば、ローマ帝国にとっても良いことが、キリス
 ト教の神によってもたらされる、良いことが起きるとい
 う教義・原理で・・コンスタンティヌス帝も、これを当
 てにしていた・・しかし・・??・・
  キリスト教の神による見返りを期待して、国教とした
 のだった・・が・・
  今・現在も、キリスト教の神からの見返りの奇跡を信
 じて祈っているが・・古代は生贄(いけにえ)さえ捧げ
 て、その犠牲の見返りを求めていた。
  しかし、その後、このコンスタンティヌス帝に起きた
 ことと言えば・・決して、キリスト教が語らぬ酷(ひど)
 いことだった。
  410年、キリスト教が嫌う異民族である「西ゴート族」
 が・・その王のアラリック1世が・・侵入し・・これに
 よってローマ帝国は椋略(りょうりゃく)されてしまっ
 た。
  最悪の事が起きてしまった。
  キリスト教を国教にしてあげたのに、その結果は、永
 遠の都のローマが、蛮族の餌食となってしまった・・と・・
  この様な結果を怒ったのが「ローマの人たちだった」。
  キリスト教の神に乗り換えて、ローマの神々を追い出
 したから悪いのだと怒った。
  さらに、ローマの人たちは、キリスト教の神への批判
 を始め、そして、その責任を問う声を上げ、その声が満
 ちた・・ローマ中に沸き起こった。
  唯一神のキリスト教の神の災厄(さいやく)だ・・と・・
     ・
     ・
11世紀、ヨーロッパで盛んにつくられた世界図にTO図が
 ある。
  Tはドン川、ナイル川、地中海で、Oはオーケアノス。
  (参考)オーケアノス:ギリシア神話に登場する海神。
      ティーターンの一族に属し、特に、外洋の海
     流を神格化したもの。
  ギリシア神話の世界観では、世界は円盤状になってお
 り、大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐ
 るぐると回っているとされた。
  それ故、神話において、オーケアノスの領域という言
 葉は、しばしば「地の果て」という意味で用いられる。
  TO図は、ここまでは古代の考えを引き継いで、世界
 の中心にエルサレムを置いた。
  そして、東の果ては、アダムとエバが住むとして神聖
 な楽園とした。
  (東の東と言えば極東・・だとすれば、日本になる・・)
  そして、ノアの息子たちの子孫の、アジア人はセム、
 アフリカ人はハム、ヨーロッパ人はヤペテの子孫と考え
 ていた。
  7世紀から始まるイスラム世界の発展へも影響を与えた。
     ・
     ・
1896年4月6日、アテネオリンピックが開催された(~1896
 年4月15日)
  この開催は、フランスのピエール・ド・クーベルタン
 男爵の活動・提唱によると言うが・・
  このクーベルタンに次のような言葉がある・・
  「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、
 オリンピックの品位を落とす」。
.
1937年8月13日、第二次上海事変が始まる。
  アメリカに武器・弾薬を援助されて、大部隊で日本を
 攻めて来た蒋介石の中国軍・・
  この第二次上海事変は、約2ヶ月間戦われた(~1937年
 10月26日)
  寝耳に水の上海の日本租界へ、中華民国軍の大部隊が
 攻めて来た。
  1937年7月29日の通州事件で、日本人が230名も虐殺さ
 れるという悲惨な、そして、卑劣な事件があったが・・
  この様な第二次上海事変という様なことがあるとも知
 らない日本は、その上海には、わずかな兵しかいなかっ
 た・・
  しかし、約2ヶ月の激烈な戦いで、日本は中国軍を撤退
 させた。
  この頃、欧米列強の思惑は・・
  フィリピンを橋頭保として中国の利権を得たいとする
 アメリカと・・そして・・
  アヘン戦争以来、広く中国にガン細胞の如くにはびこ
 り、美味しい汁を吸うシステムを構築していたイギリス
 などが・・
  新興のごとく現れた有色人種のアジア人の日本に対し
 「この美味しい利権を断たれるのではないかと恐れた」
 のは・・利権獲得者が「そう思うのも自然だった」。
  この様な行動を・・ロシア・ドイツ・フランスも中国
 で行なっていた。
  中国という広大な大領域の国には、利権漁りのアメリ
 カやヨーロッパ諸国が群がり「巣食っていた」。
  そして、第二次上海事変・・戦争はおさめたものの、
 この突然に攻めて来た中国軍を「追撃するか」どうかに
 日本は迷った・・
  南京まで進軍するかという時に、NHKや新聞などの
 メディアは、「煽って、進軍を肯定した」。
  突然に攻めて来た中国軍の悪さもあったが、この追撃
 するという方向になって行く・・「このままにする」と
 いう不拡大派を押し切って行く。
  日本国民も、このNHKやメディアに影響されて、正
 しい思考を阻(はば)まれ、熱狂した・・
  そして、国の方向を・・メディアの煽りで・・決めて
 行く・・
  NHKなどのメディアの責任は重大だった。
  今・現在も、NHKなどメディアが、不要な日本政権
 批判や、トランプ政権批判を行なっているが・・日本国
 民を洗脳し、繰っている状態になっているが・・
  この第二次上海事変の当時と同じことをやっている。
  お昼の、洗脳の「ニュース・バラエティ番組」も最悪
 である。
  この時の南京進軍も、NHKなどのマス・メディアの
 責任である。
  1932年の第一次上海事変が、華中に多くの利権を持つ
 アメリカやイギリスの圧力で、停戦協定が結ばれたよう
 に・・
  第二次上海事変も、アメリカやイギリスの干渉によっ
 て停戦にしたいと、中国国民政府の蒋介石は、戦争を仕
 掛けておきながら、停戦を希望し、思っていた。
  この時の日本のメディア(NHKや新聞)は、この様
 な中国を「日本を侮(あなど)っている」「暴挙なのは
 支那だ」と煽った。
  強硬論が強くなった時、天皇陛下は、不拡大の御意思
 を示された・・が・・
  不拡大の意見は孤立して行った。
.
1941年、アメリカの黒人の方々は、キリスト教会でさえ、
 白人と隔離され、出入りを禁止にされ、差別をされた。
  キリスト教会の「神の祈祷」すら白人と一緒に出来な
 かった。
  アメリカ中がその様な様相で、大都市であっても、汽
 車、電車、バス、映画館、学校、ホテル、レストラン、
 図書館、海水浴場、便所などなど、あらゆるところで、
 アメリカ白人たちは黒人の方々を差別した。
  黒人男性が、白人女性を乱暴したというような噂(う
 わさ)が広がると、「単なる噂であるのに」・・
  また、有罪無罪に関わらず、犠牲と勝手に選んだ黒人
 の方を野外でリンチして、木の枝に吊るして、絞殺をす
 るという残忍な殺し方をした。
  単に、黒人の方々だけではなく、この白人の優越感か
 ら来る残忍さは、全有色人種に向けておよんでいた。
  特に、1930年代後半から、日本人は許せないという「
 理由のない敵愾心」が、大東亜戦争(第二次世界大戦)
 の原因となった。
  その底には、日本が、アジアのリーダーになりつつあ
 る姿をアメリカは恐れた。
  しかし、結局、戦争は起き、結果はアジアの諸国が独
 立を勝ち得て、欧米列強の「収奪の植民地状態」から脱
 し得た。
  1941年、アメリカ上院議員クロード・ペッパーは言っ
 た・・
  「もし全能であるキリスト教の神が、ジャップ(日本
 に対する蔑称)に東洋を支配させる思(おぼ)し召しが
 あるのなら、必ず、彼らを白人人種におつくりになった
 であろう(キリスト教の神は、彼らを有色人種に作った
 のは、東洋を支配などさせるなとのことだ)」と議会で
 演説をした。
  アメリカには、人種差別感を持たない方々も居られる
 だろうが、戦争が起きようとしているこの時期、この様
 な有色人種蔑視感を丸出しの上院議員が議会演説をする
 という異常なアメリカだった。
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1950年6月25日、韓国・老斤里(のぐんり)における大虐殺。
  この卑劣な事件は、半世紀を経て明るみに出た。
  アメリカ軍が、避難民を約400人を虐殺した。
  老斤里は、忠清北道の永同郡にあり、ソウルから南へ
 160キロの所にある。
  韓国政府は冷たく扱い、この事をタブーとして語らせ
 なかった。
  1944年4月になって、やっと本にして出版できた・・小
 説として「君、われわれの痛みがわかるか」である。
  それまでアメリカ大統領へも陳情の手紙を送ったが、
 なしのつぶて、無回答だった。
  この事件は、朝鮮戦争が始まった直後の1950年6月25日
 から始まった。
  北朝鮮軍がソウルに侵入すると、非難だとして韓国住
 民が集められ、首都がソウルから大田に移されたが、そ
 の太田も7月20日に陥落すると、米軍は避難命令を出した。
  住民は、さらに、避難行動をした。
  他からの避難民も加わり、林渓里には数百人が集まっ
 た。
  7月25日、朝8時、米軍が突然来て、後方に非難するか
 ら集まれと命令した。
  午後11時頃、600人ぐらいを強制的に出発させた。
  深夜になって、米軍は、川辺の野原に這いつくばらさ
 せて、その周囲を銃をもって監視した。
  この日に、7人が撃ち殺された。
  その翌日、戦闘機2機で機銃掃射された。
  逃げた人々へも、米兵が銃撃した。
  この様な事を続けた。
  北朝鮮軍兵士は、この中には居なかった。
  トンネルに逃げ、そのトンネル内にも銃撃した。
  トンネルの双方からも銃撃した。
  29日まで続いた・・この様な虐殺事件だった。
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1988年3月、南シナ海問題・・中国とベトナム間で武力衝突
 が発生し・・ベトナム兵の77名が死亡した。
  1995年、中国が、ミスチーフ礁に建造物を設置した。
   この地の領有権のあるフィリピンが領有を主張し、
   中国とフィリピンが対立した。
   中国は習近平政権下で、軍事進出をする姿勢を強め
   た。
  2014年以降、中国が、南沙群島で人工島や軍事施設な
   どを建設し始めた。
  2016年、フィリピンが、中国を相手に提訴した国際裁
   判で、常設仲裁裁判所は、中国が領有して来たとす
   る南シナ海のほとんどの全域を含む「九段線」の主
   張は根拠がないとし・・中国の主張する歴史的な権
   利は「ない」との判決を下した。
  この様に、世界的な決定がなされている南シナ海は「
 公海」である・・
  この公海を、公海という本来の形にしておくことは、
 「世界の核心的利益である」。
  この海を、中国の資金で、元の海の姿へ戻させなけれ
 ばならない。
  また、この様な行為をする、本例の様な行為をする中
 国が、普通の脅威・リスクのない国に戻ったら、沖縄の
 辺野古の海も元の海へ戻さなくてはならない。
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2008年10月、アメリカが、北朝鮮の「テロ支援国家」の指
 定を解除した。
  今の北朝鮮を作ったのは、アメリカのブッシュ大統領
 の「テロ支援国家」の指定。
  この脅しをきっかけに、北朝鮮は、核とミサイルの開
 発を始めた。
  そして、中国が支援した。
  しかし、アメリカは、テロ支援国家の指定はしたが、
 対応に「中途半端な態度」を取った・・
  2006年10月、北朝鮮が、第一回の核実験の後、アメリ
 カは、手の平を返す・・
  まったく甘い対応に変えた。
  経済制裁も解除した。
  また、北朝鮮の核兵器製造施設を査察の対象から外し
 た。
  また、北朝鮮が、核弾頭用のウラニウム濃縮施設を数
 ヶ所を建設して来た事も問題にしない。
  そして、2008年10月、ブッシュ大統領が「テロ支援国
 家」の指定まで解除してしまった。
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2015年、リャルリー・エブト襲撃事件。
  キリスト教による、イスラムの方々への蔑(さげす)
 み行為が事件となった。
  フランスのパリで起きた事件。
  風刺週刊誌を発行している「リャルリー・エブト」の
 本社が襲撃され、編集者など12名が殺害された。
  この週刊誌は、イスラムの方々を蔑む風刺画を一度な
 らず何度も掲載し・・
  また、これだけではなく、イスラム教のムハンマド預
 言者を貶(おとし)める行為を絵などでたびたび掲載な
 どを行なっていた。
  「表現の自由がある」と軽薄に無制限に理解し、イス
 ラムの方々の尊重すべきことに全く配慮してなかった。
  イスラムの方々を、ただただ傷つける無配慮な行為を
 続けて来ていた。
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2017年8月30日、残念なことだが、北朝鮮は、ミサイルの大
 気圏再突入時の問題はクリアーした。
  技術的な問題を解決した。
  帯広のNHKの監視カメラの映像が、北朝鮮のミサイ
 ルが明るい光を放ちながら落下していく様子を撮影して
 いた。
  これは、北朝鮮のミサイルが、大気圏再突入をする時
 に、バラバラにならずに、正常に機能し、正常な形で落
 下して行った姿だった。
  また、近い将来、日本のミサイル防衛システムは、ま
 ったく役に立たなくなることが予測されている。
  日本のMDシステム(弾道ミサイルv防衛システム)
 では、北朝鮮の核攻撃を防ぐことが出来ないということ。
  また、北朝鮮は、近い将来、「巡航ミサイル技術を習
 得すると予測されている」。
  北朝鮮と一緒に、ミサイルを開発してきたイランとパ
 キスタンは、すでに巡航ミサイル技術を持っている。
  巡行核ミサイルは、小型の漁船や貨物船からも発射で
 きる小回りのきく核ミサイル。
  また、自由に航路を変えながら低空を飛行するため、
 日本のMDシステムでは、ほとんど北朝鮮の核攻撃を捕
 捉(ほそく)が不可能なので、防ぐことはできない。
  アメリカに命令されて、高価な金を払って買ったシス
 テムも役に立たない。
  中国の勢力圏拡張政策と、それと共生する北朝鮮。
  日本は、抜本的な防衛システムの構築をはかれ。
  また、中国・北朝鮮は、「大勢の工作員を、日本に、
 潜り込ませているが、そして、自国に都合の良い方向に、
 日本の内政と外交と世論を誘導しているが・・
  これにも対処せよ」。
  中国・北朝鮮のやりたい放題の活動の場と日本はなっ
 ている・・日本の世論誘導もやっている。
  日本の優秀なビジネスマン、銀行員、学者、ジャーナ
 リストが狙われている、繰られている。
  大量の金も、ばらまかれている。
  こういう静かな戦争が行われている。
  NHKは、日本国民を操作する番組ばかりを放送して
 いる、
  例えば、反日思想の沖縄の彫刻家の番組(この様に偏
 った企画の番組ばかりを放送するNHK)・・反日作家
 を特にクローズアップするNHK・・反日放送局となっ
 ている・・2017年8月30日のメモから・・
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2017年10月13日、日本とインドの同盟関係
  本当に「同盟」になり始めた日本とインドの関係(日
 経ビジネスを参考にして・・)
  安倍晋三首相は10月8日、インターネットテレビに出演
 して「日本とインドは同盟国といえるぐらいの関係にな
 っている」と明言した。
  その理由として、日印米3か国の海洋共同演習マラバー
 ルを挙げた。
  話の流れでそれ以上の説明はなかったのだが、この発
 言は日印の最新の動向をよく示している。
  日印間には、日米同盟のような深い関係はない。
  それでも過去数年、とくにここ数か月、日印間の防衛
 協力が明らかに進展している。
  最近の動向は、以下に挙げる3つの点で、日本とインド
 が「同盟」状態になりつつあることを示している。
  「同盟」の要諦は危機に臨んだ時の協力
  「同盟」関係にあるか、そうでないかを分ける指標は
 何だろうか。
  最も重要な指標は、条約が結ばれているかどうか、で
 はない・・戦争や危機の時に味方であるかどうかである。
  実際、条約を結んでいても味方とならない場合があり
 得る。
  例えば、イタリアは、第1次世界大戦の時、ドイツやオ
 ーストリアと同盟を約束する条約を結んでいたにもかか
 わらず、オーストリアに宣戦を布告した。
  イタリアは第2次世界大戦でも、途中まではドイツと一
 緒に戦ったが、戦争の最末期、政権が交代すると、連合
 国に加わった(連合国が勝つと分かっている時である)
  戦争や危機に臨んだときの態度は、同盟の最も重要な
 側面である。
  この観点から見た時に、日印「同盟」関係をはっきり
 と示したのが、6月16日から8月28日まで続いた、インド
 と中国の危機に際しての、日本政府の態度だ。
  危機が起きた地域はドグラム高地といい、中国とブー
 タンの双方が領有権を主張している。
  インドにとっては、インド「本土」とインド北東部を
 つなぐ細い鶴の首のような部分に、クサビのように突き
 刺さる地域で、防衛上の要地である。
  そのため、この地域は長年、安全保障上の問題になっ
 てきた。
  そのような敏感な地域で、中国軍は戦車の重量に耐え
 る道路の建設を開始した。
  当初、中国軍による建設を阻止すべくブータン軍が(
 たった8人で)割って入ったが、中国軍に追い返された。
  そこで、ブータンの安全保障を担うインドが軍を派遣
 して道路建設阻止に着手した。
  そこから73日間に及ぶ、にらみ合いの状態に入った。
  インド軍が数百人規模だったのに対し、中国は1万2000
 人、戦車150両、さらに、火砲もそろえた大陣容を派遣し
 た。
  さらに、中国空軍も新型戦闘機による飛行を大幅に増
 やしたほか、周辺のチベット地域では大量の物資を運び
 こんで大規模な軍事演習も実施した。
  中国軍の広報官は1962年に中国がインドを負かしたこ
 とを思い出すよう言及、明確に戦争を示唆した。
  これに対抗してインドも、ドグラム高地周辺の3個軍団
 4万5000人が陣地を構築した。
  さらに、4000㎞に及ぶ印中国境(含:実効支配線)全
 体でも警戒態勢に入ったため、印中が武力衝突する可能
 性が高まった。
  日本は、この対立で存在感を示した。
  戦後の日本の対応としては驚くべきことかもしれない。
  7月に、ヘリ空母「いずも」をインド洋に派遣した。
  インド空母、米空母とともに大規模な海洋共同演習「
 マラバール2017」を実施して、日印米の協力関係の強さ
 を示した。
  この派遣は、印中の危機が起きる前から決まっていた。
  しかし、中国のメディアは、「インドは日米に期待す
 るな」と報じた。
  これは、ヘリ空母「いずも」の存在も気にしている証
 といえる。
  さらに8月18日、日本の平松賢司駐印大使が、「力によ
 る現状変更を非難する」と発言した。
  これは一般論をいったにすぎない。
  しかし、インド政府は、当時、「力による現状変更を
 迫っている」と中国を非難しており、日本大使の発言は、
 その論理を受けたものだった。
  しかも、この発言は絶妙のタイミングで行われた。
  4000㎞の国境でにらみ合いを続ける印中両軍が8月15日、
 カシミールで小競り合いを起こした。
  取っ組み合いを始め、石を投げ合い、負傷者が出た。
  緊張が高まり、インドが不安を高めた瞬間に、日本大
 使が発言したのだ。
  しかも、このドグラム高地の印中対立について、米英
 豪などは中立的な発言しかしていなかった。
  だからインドは、日本が主要国で唯一、インドを無条
 件に支持したものと受け止めた。
  日本の存在感は、ここで終わらなかった。
  緊張が緩和し、印中両軍がにらみ合いの場所から150m
 ずつ後退した8月28日にも、日本の存在感が際立った。
  当時は、中国でBRICS会議が行われる直前で・・
  BRICS会議にインドのナレンドラ・モディ首相が
 出席するかどうか、中国は気にしていた。
  しかし、それだけではない。
  中国が気にしていたことがもう一つあった。
  9月にインドの国防相が訪日し、同月、安倍首相が訪印
 することだった。
  もし対立を続けていたら、日本とインドの対中防衛協
 力が大幅に進展してしまう。
  中国は、その前に危機を終わらせたかったと予想され
 た。
  この様に、実際の危機が起きたときに、日本とインド
 の協力関係が目に見える形で発揮された。
  訪日したインドの国防相も、安倍首相を迎えたモディ
 首相も、日本に感謝を表明した。
  インドの一部では、尖閣諸島で危機が起きたとき、イ
 ンドは日本を支持すべきか、議論が起き始めている。
  実際に条約を結んではいなくても、戦争や危機の時に
 作動する事実上の「同盟」関係は成立しつつある。
  機密情報を共有する仕組みはあるか
  戦争や危機に臨んだ時の関係以外にも、日印の「同盟」
 関係を示す指標がある。
  防衛上の機密情報を交換できる体制ができているか、
 防衛協力する際に使う物品を融通できる体制ができてい
 るか、
  防衛技術協力は進んでいるか・・だ。
  同盟国は共同で軍事作戦を行う。
  その時、何が必要だろうか
  軍事作戦にかかわる秘密情報を交換したり、燃料や弾
 薬といった物品を交換したりする体制が必要だ。
  また、同盟国は、機密性の高い高度な兵器を共同で開
 発をする。
  この点について、日本とインドの体制はどうか・・
  機密情報の交換について、日印は「防衛装備品・技術
 移転協定」「秘密軍事情報保護協定」の二つに2015年12
 月に署名した。
  安倍首相が、9月に訪印した時にモディ首相と発した共
 同声明は、「マラバール」共同演習について「対潜戦(
 対潜水艦戦)」を念頭に置いて協力すると明記している。
  対潜水艦戦は、もっとも機密度の高い情報を扱う分野
 の一つだ。
  次に補給品の融通に関して・・「マラバール2017」に
 おいて、海上自衛隊の護衛艦が初めて、インドの補給艦
 から給油を受けた。
  これはインドから燃料を買ったことを意味する。
  こうした協力について、海上安全保障保護協定のよう
 な正式な協定を結ぶべく、両国の間で、交渉が行われて
 いる。
  そして、防衛技術協力・・9月に、インドの国防相が訪
 日したときの共同声明と、同月に安倍首相が訪印したと
 きの共同声明をみると、その両方に防衛技術協力の記述
 がある。
  例えば、安倍首相訪印時の共同声明には「マラバール
 その他の共同訓練、警戒監視及び無人システム技術、防
 衛産業協力等の防衛装備品・技術協力を含む、防衛・安
 全保障協力及び対話を発展させること」と明記している。
  陸上無人車両(UGV)、ロボティクス分野、US2 救難飛
 行艇、デュアルユース技術(軍用にも使える民生用技術
 のこと)など具体的な名前を挙げて協力を進める方針1。
  (参考)外務省「日印共同声明:自由で、開かれ、繁
     栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
      インドが求める対パキスタンの協力、さらに、
     日印の「同盟」関係を示すものがあるとすれば、
     外交政策における協力である。
      2つの特徴的な動きがある。
      1つは、インドが日本の対北朝鮮政策に協力す
     ると同時に、日本がインドの対パキスタン政策
     に協力するようになっている。
  モディ首相が、2016年11月に、訪日した際の日印共同
 声明で初めて、「北朝鮮」と「パキスタン」の文言が同
 時に明記された。
  安倍首相が、2017年9月に、訪印した際の共同声明にも
 入っている。
  実は、これは、インド側の認識と関係している。
  インドは、北朝鮮の核開発問題をパキスタンの核開発
 の問題と同種に考える傾向がある。
  真の黒幕は中国で、北朝鮮とパキスタンは中国の支援
 を受けて核を開発しているとみる専門家がいる。
  したがって、日本が、対北朝鮮政策でインドとの協力
 を考える場合、インドは対パキスタン政策で協力するよ
 う要求してくる傾向がある。
  特に、インドが現在懸念しているのは、パキスタン国
 内にテロリストの拠点があることだ。
  故に、日本が、対北朝鮮政策でインドに協力を求める
 と、インドはパキスタンのテロリストについて日本の協
 力を求める。
  そこで昨年、この点について協議が行われた模様・・
  これまで日印共同声明に「北朝鮮」「パキスタン」の
 記述はなかった。
  しかし、昨年の共同声明には、北朝鮮を非難する声明
 が入った・・そして、「両首脳はまた、パキスタンに対
 し、2008年11月のムンバイにおけるテロ攻撃及び2016年
 のパタンコートにおけるテロ攻撃を含めたテロ攻撃の犯
 人を裁判にかけることを要求した」と明記した。
  パキスタンは、昨年、この共同声明を受け、すぐに懸
 念を表明した。
  しかし、今年の共同声明にも「パキスタン」の国名を
 記述しただけでなく、さらに具体的なテロ組織に言及し
 た記述がある。
  日印関係の変化をよく示している(ちなみに、パキス
 タンに対してより強いテロ対策を求める文言は、インド
 と会談した米国や英国などの声明にも盛り込まれており、
 インドを支持する方向へ態度が変化している)。
  (参考)外務省「日印共同声明」2016年12月12日、お
     よび、外務省「日印共同声明:自由で開かれ、
     繁栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
  インフラ開発で協力・・さらに、インフラ建設におけ
 る日印協力が、安全保障の色を帯びている。
  特に、今年9月の日印共同声明に盛り込まれたインド北
 東部におけるインフラ開発は対中政策として重要な影響
 を持つ。
  インド北東部の開発は、インドと東南アジアとの貿易
 を進展させるため、東南アジアにおける中国の影響力を
 押し下げる効果が期待されている。
  また、インド北東部は、印中両軍がにらみ合いをした
 ドグラム高地につながる。
  インド軍は、インド北東部のインフラを利用して、国
 境地域に軍をよりすばやく展開することが可能になる。
  そして興味深いことは、インド北東部は、外国では日
 本だけにインフラ開発の許可が下りている地域・・
  また、日印が進める「アジア・アフリカ成長回廊」構
 想も注目・・
  これまで日本とインドが別々に行ってきたアフリカに
 対する援助を、共同で進める構想・・
  日印はすでに5回もアフリカ政策を協議しており、調整
 が進んでいる。
  日印、日米、米印もアフリカ政策を調整しており、イ
 ンドは米国と一緒にアフリカの軍隊の訓練などにも着手
 している。
  よって、日印の協力は、日印米3か国協力の一環でもあ
 る。
  前述の共同声明でもアフリカについて繰り返し言及した。
  日印にとって、アフリカは、少なくとも3つの視点から
 重要・・中国がアフリカのインド洋沿岸地域に軍事拠点
 を作りつつある。
  第2に、資源が豊富で、これも中国と獲得競争となって
 いる。
  第3に、日印が国連常任理事国入りを目指すに当たって、
 アフリカは50以上の票を持つ。
  日印は、スリランカのトリンコマリー港や、イランの
 チャーバハール港、インドのアンダマン・ニコバル諸島
 などの開発でも協力しており、インド洋における中国の
 影響力拡大を抑える効果が期待されている。
  依然として世界で一定の力を持つ日本と、どんどん世
 界で発言力を高めるインドの「同盟」は、中国の台頭と
 ならんで、世界情勢を変える大きな要因となる。
  しかし、過去に、インド外務省・高官に次の様な言葉
 があったことを思い出す・・、
  「我々は、アメリカと、軍事同盟関係に入りたくない。
  アメリカという国は、他の諸国と本当に平等な同盟関
 係を結ぶことが出来ない国だ。
  アメリカと同盟関係に入った国は皆、独立した外交・
 軍事政策を運営する能力を奪われている。
  インドは、アメリカとの同盟関係に入ることによって、
 日本の様な惨(みじ)めな立場に置かれたくない」。
  一人立ち出来ない日本の防衛が、インドの叡智ある方々
 にはっきり見えていた。
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教が
 嫌う仏教の「輪廻を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送もその類いとなっている。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」で現認。
.
2019年、北海道の土地はもう1割が中国に買われている。
  日本の主権を崩そうという種々の活動が行われている。
  チェチェ思想の中に旧民革命論がある。
  沖縄で、北朝鮮や韓国・中国からの旅行者が政治活動
 をしている・・これは法律違反行為であるが行なわれて
 いる。
.
2019年7月17日、MMT(現代貨幣理論)の提唱者が来日し
 た。
  そのインタビュー記事が読売新聞に報じられた・・
  以下はその抜粋・・
  「現代金融理論」(MMT)を提唱する米ニューヨー
 ク州立大のステファニー・ケルトン教授が16日、講演会
 出席のため来日したのを機に、読売新聞のインタビュー
 に応じた。
  日本は、積極的な財政出動で所得や個人消費の拡大を
 目指すべきだと強調した。
  MMT(Modern Monetary Theory)は、独自の通貨を
 持つ国は、通貨を発行すれば借金の返済に充てられるた
 め、物価が急上昇しない限り、赤字が増えても財政は破
 綻しないとする経済理論だ。
  2020年の米大統領選に向けて、米議会野党・民主党で
 支持が広がっている。
  インタビューで、ケルトン氏は、「政府予算と家計を
 同じように考えることは大きな間違いだ。
  (急激な)インフレにならない限り、財政赤字は過剰
 支出の証拠でなく、景気を下支えする。
  物価が4%上昇しても、この世の終わりでは無い」と話
 した。
  物価の上昇圧力が高まった場合に、増税や歳出削減を
 行なうべきだとした。
  日本の債務残高は、国内総生産(GDP)の約2.4倍で、
 主要国でも最も大きいが、物価の上昇は鈍い。
  ケルトン氏は、今後も、日本で急激に物価が上がる可
 能性は「限りなくゼロに近い」と述べ・・、
  保育や介護を担う人材の処遇改善などで個人消費を刺
 戟すべきだとした。
  10月に予定される消費税率の10%への引き上げについ
 ては、「国民の消費が過熱して物価が上昇している局面
 で消費増税を行なうことは理解できるが、日本が直面し
 ているのは正反対の問題だ」と指摘し、実施に否定的な
 認識を示した。
  ケルトン氏が出席して都内で行われた講演会には、積
 極財政を支持する元内閣官房参与の藤井聡・京大教授ら
 が参加した。
  ケルトン氏は、「政府の赤字は悪でも脅威でもない」
 と強調した。
  MMTに対し、主流派の経済学者などからは批判が相
 次いでいる。
  米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は2月、
 MMTを「自国の通貨で借金するのは問題ないという考
 え方は間違っている」と語り・・
  米政府は支出を減らすか、収入を増やすべきだと主張
 した。
  ローレンス・サマーズ元米財務長官も、「極端な物価
 上昇を引き起こす。
  為替レートの崩壊を招くだろう」と指摘する。(以下略)
.
2019年、「隠れキリシタン」は、ウィキペディアでも下記
 のように説明されるが・・これ等は作られた虚構の状況
 である。
  従来からキリスト教徒の研究者によって、多くの研究
 がなされて来て・・
  その結果、キリスト教を美化するように、また、殉教
 とかの讃美などがなされて来て・・真実が曲げられ、公
 表がなされて来た。
  しかし、公平な立場で研究した事例を見ると・・その
 実態はまったく違う結果となる・・
  その例の一つが、中園茂生氏の研究・・
  中園氏は、平戸市生月町博物館の学芸員で・・その研
 究結果であるが・・
  その研究成果を発表した本「かくれキリシタンの起源」
 を見ると・・
  研究成果として従来語られた「迫害を逃れて辺鄙(へ
 んぴ)な離島や半島に住み着き、外部との接触を避け、
 貧しさの中で信仰を守った」というのは事実ではないと、
 作り上げられているとした。
  それを、各地域の生業・経済状況を歴史的にその経過
 をたどり、明らかにした・・と・・
  そして、キリシタン遺物についても、作り上げられて
 いて虚構だと・・検証している。
  また、次のような記述も見られる・・
  現在のキリスト教カトリックとの繋がりを思わせる「
 洗礼」や「オラショ」の祈りを唱える面がみられるが、
 まったく関係を感じさせない要素が多く・・
  また、地域の違いがあったりして、カトリックなら一
 定であるはずが、形態の異なる状況にある。
  また、仏教や神道に明確に帰依した信仰状態にある。
  キリスト教カトリックとは、根本的に違いが現れてい
 る・・と・・
  また、本「異端の歴史」には、ルターやイギリスの国
 教会も異端であって、キリスト教ではないとされている。
  因みに、ウィキペディアには、以下のように説明され
 ている・・
  『日本では、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日
 して以降、キリスト教の布教がおこなわれて次第に改宗
 する者(キリシタン)が増えていった。
  しかし、江戸時代には、1614年に徳川家康による禁教
 令によってキリスト教信仰は禁止され、さらに1637年に
 起きた島原の乱の前後からは幕府による徹底したキリス
 ト教禁止、キリシタン取り締まりが行われた。
  当時のカトリック信徒(キリシタン)やその子孫は、
 表向きは仏教徒として振る舞うことを余儀なくされ、ま
 た、1644年以降は国内にカトリックの司祭が一人もいな
 い状況ながらも、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々
 伝えていった(潜伏キリシタン)。
  「潜伏キリシタン」は、ごく小さな集落単位で秘密組
 織を作ってひそかに祈祷文「オラショ」を唱えて祈りを
 続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、そ
 れらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画
 やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘
 蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時
 にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けるなどして
 信仰を守りつづけた(これらの信仰の形式は地方によっ
 て異なる。
.
2019年、映像分野は、三権分立が確立していない。
  権力が、一か所に集まることを防いだり、行き過ぎを
 止められなくなることを防いだりというシステムが確立
 していない。
  膨大な権力がNHKに集中している・・あたかも専制
 君主の如くになっている。
  NHK内部にあるチェック・システムは「お飾りにな
 っている」・・
  国民・視聴者が、NHKとは別の機関で審査ができる
 システムを作るべきである・・
  現状は、NHKは、好き勝手に、巨大な影響力を持っ
 ている放送媒体となっている・・
  専制君主的に任されているということの自覚も責任感
 もない。
  だから、自由に、NHKにとって都合の良いことが「
 ひたすらに行われている」・・
  それが見える形になっているという一つが、NHK職
 員の給料だ・・一般人の給料の「何と! 4倍となってい
 る」・・お手盛りでこんなことまでやっている。
  NHKに都合の悪いものは、勝手にNHKは廃棄処分
 をしている・・この様な権利まで持っている・・
  また、国会の委員会などの映像を、すべてをNHKは
 撮影して・・NHKの単独判断で、それを中国へ渡して
 いる・・これは、スパイ行為である・・
  また、NHKは、公開放送や講演会などの撮影は、放
 送開始前から、入口から入場する一般人の観覧者・参加
 者の映像を無断で撮影している・・
  個人情報の無視をしている・・
  これを、中国へ無断で提供していないのかが心配にな
 る・・
  この様な無断撮影行為は、NHKセンターの入口の入
 場者の撮影でも行っている・・日本人の顔映像を収集し
 ているのでは?と思える様な状況である・・
  これも、中国へ渡すの?とNHKへ問いたい・・
  NHKへ来た「NHKへのクレーム」は、1年で廃棄処
 分にしている・・置き場がないというのがその理由・・
 都合の悪いのは早く処分したいのだろう・・処分の権利
 がNHKにあるのだと言う・・
  NHKの権力は分散せよ・・
  NHKの放送映像は、国立国会図書館が印刷物媒体を
 保管する様に、NHKの別機関がその映像媒体のすべて
 を保管せよ・・そして、NHKを提訴する時の証拠映像
 も発行し、出せるようにしなさい!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

by suba28 | 2019-07-24 05:43 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)

題:(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
.
1896年6月20日、鉄道会議規則を改正した(勅令第257号、同
 会議議員増員)
  鉄道会議は、日本において1892年6月21日から1949年6
 月1日まで、鉄道敷設法16条に定められた「鉄道会議規則」
 (明治25年勅令第51号)に基づいて、鉄道担当官庁(内
 務省→逓信省→鉄道省→運輸通信省→運輸省)に設置さ
 れた諮問会議。
  鉄道敷設法で定められた鉄道建設の順序や鉄道公債の
 発行などについて主管大臣に諮問した。
  ただし、実際には、鉄道政策全体について諮問してい
 る。
  定数は議長1名・議員20名(ただし、臨時議員として複
 数名の追加が認められた)・幹事1名で構成されていた。
  初回会議は、1892年12月13日から20日まで開かれた。
  初代議長には、川上操六陸軍参謀次長が就任した。
.
1896年6月22日、李範晋(イ・ボムジン)が、駐米特命全権
 公使になった。
  李範晋は、1895年10月8日の閔妃暗殺事件(乙未事変)
 をロシアと組んで実行していた(高宗王の妃である閔妃
 は殺害された)
  そしてまた、李範晋は、その約1ヶ月半の後、1895年11
 月28日の春生門事件の首謀者だった。
  (総理大臣の金弘集を暗殺しようと企てた事件・・未
 遂に終わった・・失敗の後、ロシア公使館へ逃げ込む・・
 そしてのち、ロシアの指示で忠清道で暴動を起こした)
  閔妃が殺害された後、金弘集内閣は近代化への改革を
 推し進めていた。
  (これは、日本の指導で改革が進められ、小学校の設
 立、郵便網の整備、種痘法の施行、太陽暦の採用、断髪
 令、軍制改革などが行われた)
  この改革に反発した抵抗が起きていた・・
  その様な中、1896年2月11日、高宗王は、虚言で煽られ
 てロシア公使館へ移り、軟禁状態となった(露館播遷)、
 金弘集は殺害され、乙未改革(いつびかいかく)は終わ
 った。
  この日の前日の1896年2月10日に、ロシアは、ソウルに
 水兵107名と大砲を入れるという武力誇示の強行策を行な
 っていた。
  この時も、親露派の李範晋は策動していた・・「ロシ
 ア公使館への逃げ込み(露館播遷)を成功させた中心人物」
 と美化表現がされている・・実際は、嘘と脅(おど)し
 の誘い出しの策謀行為だった・・
  これで、ロシア公使館内の傀儡政権が成立し、ロシア
 はこの後、多くの朝鮮利権を獲得する・・そして、親日
 派の改革派を排除し、粛清し、近代化と逆行をする事を
 始めた(旧守派の行為)・・
  しかし、ソウル以外の地域では、このソウルの政策は
 まったく受け入れられず・・暴徒が蜂起したりしている・・
  ソウルの政令が地方に伝わらない状態(無政府状態)
 となっている。
  この様な展開の中、アメリカにも清国の権益の分け前
 を均等に得る権利があると主張するアメリカへ、李範晋
 は駐米特命全権公使となった。
  因みに、李範晋は、露館播遷の時に、法務大臣に就任
 していた。
  李範晋(1853年~1911年)は、大韓帝国の最初で最後
 の常駐ロシア公使(1899年)でもあった。
  日本とロシアが戦争状態になると、ロシア公使の李範
 晋への本国からの送金は途絶え・・生活に困窮した李範
 晋はロシアへ救済を求めた。
  李範晋の最後は、1911年1月13日に自殺をしている。
.
1896年6月25日、函樽鉄道会社の発起人が、東京府知事を通
 じて拓殖務大臣・逓信大臣へ会社創立認可の出願をした。
  1897年4月29日、拓殖務大臣から仮免状が下付された。
  北海道函館区平田文右衛門ほか200人は、函館鉄道を発
 起し、小樽・余市・長万部・森・函館間の鉄道建設を請
 願した。
  北海道の開拓は着々と行われた。
  小樽~函館間の鉄道として、1895年発起された北海道
 鉄道は、渋沢栄一らが発起人に加わって、1896年、函樽
 鉄道と改称され、再請願された。
  1900年、認可されて、北海道鉄道と再改称し、設立さ
 れた。
  また、渋沢栄一は、1897年設立の函館馬車鉄道の株主
 にもなっている。
.
1896年7月1日、渋沢栄一、浅野總一郎らにより東洋汽船が
 創立された。
  東洋汽船創立発起人総会は、渋沢栄一が56歳の時、1896
 年4月25日に行われていた。
  栄一、浅野総一郎外三十二名ト共ニ、我邦ト独・米・
 露間ノ三大海外定期航路ヲ開設スルノ目的ヲ以テ、東洋
 汽船株式会社創立ヲ発起シ、是日発起人総会ニ於テ創立
 委員ニ選バレ、後、創立委員長トナル。
  マタ大東汽船ノ合併ニモ与ル。
  この頃、渋沢栄一は、日本郵船の重役でもあり、競合
 企業の設立を支援したことで、栄一を非難する声もあっ
 た・・それに対しての渋沢栄一の言葉・・
  ・・余ノ事業ノ為メニ奔走スルハ一念国家ノ利益ヲ計
 ルニアリ、故ニ成立ノ見込アル事業ナレハ、幾箇ニテモ
 成立セシムルコトニ尽力シ、国家経済ノ発達ヲ助ケント
 ス、銀行業ナリ、紡績業ナリ、其他幾多ノ商工業ニシテ、
 余ノ関係セルモノ皆尽ク然ラサルナシ、但成立ノ見込ナ
 クシテ、徒ニ競争ノミヲ事トスルモノニ至テハ、余ノ取
 ラサル所ナリ [後略]
  関連年表・・
  1908年4月22日、三菱造船所で、わが国初のタービン船
   の天洋丸(東洋汽船)が完成した。
   全長168米、全幅19米、1万3454瓲、平均速力約20.6
   節、船価約4千万円
   建造費は工賃のみを三菱が請け負い、材料は東洋汽
   船が英国から支給・・燃料に初めて重油を使用。
   初めて短波無線送受信装置を採用した。
   客室設備は特別室をはじめ、ロンジ・喫煙室・読書
   室・食堂など豪華を極めた。
   桑港(サンフランシスコ)航路に就航した。
.
1896年7月2日、川上音二郎が、東京神田に川上座を開場し
 た。
  川上音二郎(1864年2月8日~1911年11月11日)は、筑
 前黒田藩(福岡藩)出身。
  「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、
 新派劇の創始者。
  この新派劇は書生芝居、壮士芝居と言われ、やがて新
 派となり、旧劇(歌舞伎)と人気を競った。
  1895年に、歌舞伎座の舞台で「威海衛陥落」を上演し
 た。
  歌舞伎の殿堂に素人あがりの役者が出るのは異例のこ
 とだった。
  劇通の人々を驚かせ、市川團十郎は、川上が歌舞伎座
 の桧舞台を踏んだことに激怒し、舞台を削り直させたと
 いう。
  1895年末に、泉鏡花の小説を舞台化した「滝の白糸」
 を浅草座で上演した。
  この作品は、新派劇の代表的な演目となった。
  そして、1896年に、東京市神田区に川上座を開場する。
.
1896年7月3日、台湾総督府鉄道局告示第2号で「鉄道規則」
 を制定し、一般運輸営業に適用した。
  運用は台湾鉄道輸送規則。
  台湾鉄道会社を、1896年5月に発起し、南北縦貫鉄道建
 設を請願し、政府もこれを許可した。
  しかし、株式の募集は進展しなかった。
  総督府の後藤新平民政長官は、重要事業の鉄道建設は、
 民間会社では不可能と判断した。
  そこで、解決策として公債を募集したりして、積極的
 に政策を進めた。
.
1896年7月5日、東海道線の向日町駅~吹田駅間が複線で開
 通した・・ますます発展する東海道線だった・・
  この頃の東海道線の動き・・
  1895年10月、神戸駅から西へ伸びる山陽鉄道(現在の
   山陽本線)との直通運転が始まった。
  1896年、新橋駅~神戸駅間の急行列車の運行が開始さ
   れた。
  1900年、寝台車の連結が開始された。
  1901年、食堂車の連結が開始された。
  1906年、最急行が登場した。
  1909年、新橋駅~神戸駅間が12時間50分にまで短縮。
  1912年、最急行が特別急行(特急)に変更され、新橋
   駅~山陽本線下関駅間で運行された。
.
1896年7月5日、日本初の電力会社・東京電灯が営業を開始
 した。
  1896年、東京電灯の浅草発電所で、国産初の発電機を
 使用。
  電気事業取締規則が公布された(逓信省令第5号)
  電気事業の創業当初は、電気工作物に対する保安取締
 りが主たる行政だった。
  電気事業者の監督行政が全国統一化される。
  経緯・・
  1887年、東京電灯が第二電灯局を建設し、日本初の火
   力発電所を誕生させ(出力25kW)、家庭配電(210V
   直流)を開始した。
  1890年、東京電灯に、警視庁が電柱広告を許可し、電
   柱広告が始まる。
  1892年、東京電灯が、電灯1万灯祝典を挙行した。
   (開設当時の電灯数130余灯が5年あまりで1万灯を越
   えた)
  1895年、東京電灯・浅草発電所の操業が開始した。
   このとき使用したドイツ、AEG製の発電機が50ヘ
   ルツであった・・これで東日本標準が50ヘルツとな
   った。
  1896年、東京電灯・浅草発電所で国産初の発電機を使
   用し、電気事業取締規則が制定され、電気事業者の
   監督行政が全国統一化した。
   この頃の電気事業者は、火力発電23カ所、水力発電
   7ヶ所、水・火力併用3ヶ所、電灯数12万余。
.
  (今日の言葉)
.
  題:海洋圧迫戦略・・
    アメリカは、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略遂行の
   初動である第1列島線への短期高烈度の戦いを跳ね除け、
   中国軍に勝つことを決心した・・
    そして、その対中国戦略と作戦を完結させた。
    また、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
   アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払っても
   日本を守るとしている。
.
1815年、イギリスが、英仏戦争のとき、軍票を初めて発行
 した。
  軍票・・どこの国でもやったことに軍票というものが
 ある・・外国の戦地で、その軍票を刷って必要なものを
 調達した。
  今・現代でも、ダムが欲しいなら自国通貨を刷って造
 るという方法がある・・また、道路が欲しなら自国通貨
 を刷ればよいのだ・・自国の企業に、その仕事を発注す
 ればよい。
  わざわざ、裏付けのない中国・人民元を、一帯一路の
 中国に頭を下げて借りに行くことはない・・その様な行
 為は止めた方が良い
  自国の港が、担保で盗られるリスクがある。
  (参考)軍票:ぐんぴょう、軍用手票、戦争時におい
     て、占領地もしくは勢力下にて、軍隊が現地か
     らの物資調達、及び、その他の支払いのために
     発行する紙幣で、政府紙幣の一種と解された(
     こともある)。
      最終的に、その軍隊が所属する政府によって
     軍票所持者に対し債務支払いを行なう必要があ
     る。
.
1905年、クナップは、この年、通貨とは「法による創造物」
 であり、商品によるものではないと論じた・・MMT理
 論の始まり・・
  (参考)クナップ:ゲオルク・フリードリヒ・クナッ
     プ
  クナップは、国家は単なる紙としての通貨を創造する
 ことができ・・「その国家の納税においてこの通貨が受
 け入れられる限り」・・これを法定通貨として商品と交
 換可能な通貨にすることができる・・と論じた・・
  そして、従来の考え方を金属主義と名付けた。
  このクナップらの考え方から、MMT(現代貨幣理論)
 がまとめ上げられた。
  MMT(現代貨幣理論)、あるいは、新表券主義とは、
 現代経済の貨幣が借用書により成立していることを捉え
 て・・
  政府は、税収に制約される必要はなく、任意の自国通
 貨建て国債発行により財政支出量を調整することで、望
 ましいインフレレベルを目指す経済政策を行うことを理
 論の中心とした。
  これまで、一般的に行われて来た理論、また、多くの
 経済理論では、政府の財政赤字が拡大すれば、同時に、
 金利上昇と景気悪化を招くとしていた・・
  それ故に、政府の国債発行の拡大は望ましくないとし
 て来た・・その主眼を財政均衡主義に置いて主張されて
 きた。
  しかし、その一方で、MMTでは、財政赤字拡大で景
 気悪化を招くことはないとしていて・・
  ただ、マネーサプライの増加によるインフレ圧力がか
 かるのみだとした。
  この対立は、多くの議論を呼んで来ていた。
  また、政府は、将来の支払いに対して無制限的な支払
 い能力を有していることから、政府の債務超過による破
 綻は起こりえない・・
  赤字国債発行の限度はインフレ率によって示される・・
 としている。
.
2007年、麻生太郎氏(現:副首相、当時:外務大臣)が、
 「自由と繁栄の弧」という素晴らしい構想を説いた。
  これは、日本から始まって、カンボジアやラオス、ベ
 トナムといった東南アジアの国々を通り、
  さらには、中央アジア諸国やグルジア、アゼルバイジ
 ャンといったコーカサス地方の国々を経由して、
  トルコ、中欧、東欧からバルト三国までぐるっと延び
 る月(ムーン)のような形をした一帯を指している。
  これらの国々は、皆、経済がうまく行って、それなり
 に反映している。
  この各国と共通価値観を共有する。
  この共通の価値観で、一緒にやろうと話しかけた。
  麻生大臣は、大成功を収めた。
  この時、『中国やロシアは、この動きに大変脅威に思
 った』。
  軍拡を進める国を、平和の鎖が取り囲んだ形になった
 からだった。
  この様な価値観は、まったく持っていなかったので、
 対抗する価値観を築こうともしなかった。
  これは、ものすごい思想攻勢だった。
  日本の外交の王道は、ここにあった。
  今・現在、中国は、この価値に気付き、この凄さに気
 付き、この素晴らしさに気付き、『「一帯一路」構想を
 ぶち上げた』。
  中国の習近平総書記は、2013年9月7日になって、カザ
 フスタンのナザルバエフ大学で一帯一路構想を初めて演
 説した。
  そして、続けて、その約1ヶ月後、インドネシア国会で、
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)を演説した。
  麻生太郎氏が構想を説いてから、5年の後のことだった。
.
2018年、アメリカのトランプ政権は、レパトリ減税を行な
 った。
  これは、『海外の利益や余剰金をアメリカに引き上げ
 る目的』があり・・従来の35パーセントを15.5パーセン
 トに引き下げた。
  中国の経済成長を促してきた「アメリカ資本の対中投
 資を中国から引き揚げさせる」ためでもある。
  通年の数倍の資金がアメリカへ戻った。
  また、今まで海外で発生した利益や余剰金は、翌年に
 繰り越すと課税されなかったが、トランプ政権は、この
 制度を廃止した。
  しかし、日本は、財務省が「プライマリーバランス黒
 字化目標」という『狂った目標』に固執し、日本はデフ
 レ脱却に『必須の政府支出拡大に踏み出せない』でいる・・
 そして、亡国の道を歩んでいる・・
  そして、減税どころか、消費税増税をしようさえして
 いる。
.
2019年、MMT(現代貨幣理論)という経済理論が脚光を
 浴びている・・
  https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E
  注目される理由は・・
  MMTは、「自国通貨建てで財政赤字を拡大させれば
 政府は簡単に経済の長期停滞から脱出できる」としてい
 る・・
  経済学者の重鎮たちは批判をしている・・
  その批判は、財政支出の拡大によって金利が急騰し、
 民間投資が阻害される(クラウディングアウト)という
 もの・・
  また、財政支出を無限に拡大させるとハイパー・イン
 フレになると言っている・・
  これに対し、MMTを主張する人たちは・・
  クラウディングアウト懸念に対して、「中央銀行が
 固定(ゼロ)金利政策を採用し、財政赤字をそのままフ
 ァイナンスすれば、財政赤字の増加分、そのまま資金供
 給が増加するので、民間投資が押し出されることはない
 (また、中央銀行が、ゼロ金利政策を長期間維持するこ
 とが予想できれば、将来の政策金利の予想で決まる長期
 金利も低位安定するはずである)と・・
  むしろ、政府が、自らの負債である国債や通貨の発行
 量を増やしてこなかったことが、世の中の金回りを悪く
 して・・
  その結果として、長期的な景気低迷が続いていると・・
  MMT推進派の言い分は・・
  財政再建一辺倒で、消費税などの税金を上げて、消費
 を縮小させ、経済を停滞させるより・・
  政府の負債拡大によって、通貨の流通速度を上げ、民
 間部門にも新たな需要を『積極的に生み出す』ことが良
 いのだ・・と・・
  また、インフレ発生現象は、ある特定の部門の資金需
 要のバランスが崩れることに起こることに限られている
 と・・
  東洋経済ONLINEには以下の記述がある・・
  マネーストックが物価に影響するという考えに基づい
 て、日本だけでなく主要国では政府が国債を発行する際
 に、中央銀行が直接引き受けを行うことは原則として禁
 止されており、市中で消化している。
  これは、政府が国債を発行することでマネーストック
 が増加することを回避するためだ。
  新規に発行される国債を民間金融機関が引き受けると、
 国債発行額分だけ金融機関の日銀当座預金が減少するの
 で、多くの場合、日銀はこれを相殺するような操作を行
 い、金利やマネーストックが大きく変動しないようにし
 ている。
  しかし、マネーストックの変化がインフレを引き起こ
 すわけではないと考えているMMTでは、政府が発行す
 る国債を中央銀行が直接引き受けてマネーストックが増
 加しても、インフレの原因にはならないと考える。
  ミッチェル教授は、政府の財政赤字を通貨発行で賄う
 (明示的財政ファイナンス)ことが国債発行で賄うより
 もインフレ的だということはない、と述べている。
  インフレが起きるかどうかは支出の規模のみに依存し
 ており、総需要の成長速度が生産力の伸びを超えない限
 りハイパー・インフレーションの危険はないと主張して
 いる。
  日本では、1990年以降に、マネーストックが大幅に増
 加しているにも関わらず、名目GDPはわずかしか増加
 していない。
  古典派のような単純な貨幣数量説が成立していないの
 は明らかだ。
  日本は、ハイパーインフレどころか、前年比2%の消費
 者物価上昇すら視野に入ってこない状況なので、当面は
 財政赤字の継続による政府債務残高の増加が高インフレ
 をもたらすという心配は不要に見える。
  しかし、財政赤字が続くと民間部門、特に、家計の純
 金融資産が増加していくので、いずれ状況は大きく変わ
 るだろう。
  金融資産とは誰かの債務であり、MMTが強調する部
 門別のフローとストックの会計的な関係で分かるように、
 政府が財政赤字を続けると民間部門の金融資産は増加し
 ていく。
  1980年度末から2018年度末までの間に、日本の家計は
 純金融資産の名目GDP比を95.6%から279.5%にまで高
 めてきた。
  家計が金融資産を増やそうとしているときに、誰も債
 務を増やそうとしなければ家計は目的を達することがで
 きないので、さらに消費支出を切り詰めて金融資産を増
 やそうとする。
  このため経済は需要不足となって低迷する。
  だが、政府が減税するなり支出を増やすなりして債務
 を増やせば、GDPが高い水準に戻り均衡する。
  政府が提供する金融資産は通常は国債だが、MMTで
 は政府と中央銀行を一体と考えるので通貨(実際には民
 間銀行が日銀に保有する当座預金)だという違いがある。
  だが、狙っている経済効果には大差がない。
  金融緩和で株価を上昇させて家計金融資産を増やすと
 いうのも、家計の貯蓄意欲を満たすための政策と考えら
 れるだろう。
  こうした政策でしばらくの間は経済はフローの均衡を
 実現することができるが、時間が経てばストックにひず
 みがたまり、どこかで家計や企業の行動が大きく変化す
 る恐れが大きい。
  米国のITバブルや、サブプライムローンによる住宅
 バブルも、金融緩和で株価や住宅価格を上昇させて家計
 資産を増やすことにより、消費の拡大を維持しようとす
 る政策の結果起きたことだ。
  景気はしばらく好調だったが、資産価格の上昇を維持
 できなくなっていずれもバブルが崩壊し、経済が大混乱
 に陥った。
  資産価格を上昇させるのに比べれば、財政赤字を続け
 る方法は家計金融資産の増加が緩やかな分、持続性が高
 いだろう。
  しかし、家計貯蓄が黒字のまま維持されるとは限らな
 い。
  貯蓄を増やすためには消費支出を可処分所得以下に維
 持し続けなくてはならないが、現在積み上げられている
 貯蓄の多くは、将来の老後生活に使うなどの目的で蓄え
 られているものだ。
  団塊世代が完全に引退して、もっと高齢になって医療
 や介護で貯蓄を取り崩すようになると、日本の家計部門
 全体でも、毎年の所得に比べて金融資産が積み上がる状
 態が止まり、取り崩しが進んでいくと考えられる。
  日本の場合には人口の高齢化と減少が進むので、子孫
 のために残す資産は減少し、運用機会を求めて円建て資
 産から外貨建て資産へのシフトが今よりも活発になるだ
 ろう。
  円高のトレンドが弱まり円安に動き出せば、海外への
 資本逃避が加速するおそれもある。
  急速な円安が起こって輸入物価の上昇から消費者物価
 上昇率が大幅に高まっても、政府が増税や歳出削減を行
 うには国会の審議を経なくてはならず、対応が後手に回
 る恐れが大きい。
  単純化すると、MMTでは上図の青い線のようにGD
 Pギャップがプラスであれば物価が上昇し、マイナスで
 あれば物価が下落するという関係を想定していることに
 なる。
  インフレが行きすぎないようにするには、物価上昇率
 が高まったら、政府支出を削減したり増税したりしてG
 DPギャップを縮小すれば、物価上昇率は低下すればよ
 いことになっている。
  しかし、物価の動きはそれほど単純ではない。
  物価上昇率の低下が続いたデフレの状況ではGDPギ
 ャップと物価上昇率との関係は、赤い線のようにGDP
 ギャップがかなり大きなプラス(需要超過)にならない
 と物価上昇率がプラスにならない。
  逆に、過去に物価上昇が続いていたインフレの場合に
 は、黄緑色の線のようにGDPギャップがマイナス(供
 給超過)になっても物価上昇がしばらく続くというよう
 に、過去の物価状況の履歴が残ると考えられている(履
 歴効果)。
  このため、現在の日本のようにデフレ心理が定着して
 いる状況では、GDPギャップをかなり大きなプラスに
 しないと物価上昇率をプラスにできない。
  だが、物価が上昇するようになり、上昇率が高くなり
 すぎた場合、これを適切な水準に引き戻すためには、黄
 緑色のカーブが示すように厳しい財政引き締めが必要に
 なり、低所得層を中心に生活に悪影響が出るだろう。
  世界経済は1970年代から1980年代にかけて、失業率が
 高いにも関わらず物価上昇率が高いというスタグフレー
 ションに悩まされた。
  スタグフレーションでは、GDPギャップがプラスに
 なって実際の需要が経済の供給力を超えるよりも前に、
 物価上昇率が高まってしまう。
  ミッチェルらのマクロ経済学の教科書にもスタグフレ
 ーションの歴史の記述はあるが、どのような政策を行え
 ばよいと考えているのか明確な記述は見当たらなかった。
  状況認知の遅れ、判断の誤り、合意形成の遅れなど、
 最適な政策が最適なタイミングで実施できない可能性は
 歴史を見れば高い。
  経済の動きは、政府が自在に微調整できるというもの
 ではない。
  スタグフレーションへの対処法などわかっていないこ
 とも多いことを考えれば、政府がインフレをうまくコン
 トロールできるというのは、信用しすぎというものでは
 ないか。
  (参考)安倍総理は、国会での質問に答えて、MMT
     (現代金融理論)の提唱する政策を行っている
     わけではない、と述べたと報道されている。
.
2019年、アメリカの通貨発行が怪しいと言う意見・・
  現在の金融危機の根本は、アメリカ中央銀行であるF
 RBの強い独立性にある。
  強い独立性というよりも実際はこれは政府機関ではな
 く、民間資本によって運営されている銀行である。
  収支報告もなく、実態は闇の中だ。
  いま中国経済の不安が喧伝されているが、中国金融が
 アメリカと違うところは、中国の中央銀行である中国人
 民銀行は、ちゃんとした中国政府の管理下にあるという
 ことだ。
  歴史的にも、通貨発行権は本来国家のもとにある。
  国家管理を離れ、民間銀行によって恣意的に通貨を発
 行しているのが、アメリカの中央銀行であるFRBであ
 る。
  中国経済を不安視するマスコミは多いが、アメリカ経
 済の金融不安、特に、通貨発行権を疑問視するマスコミ
 は少ない。
  https://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/fbb31a794dd34556ffe301c0147f463b
  (参考意見)米国では政府が直接、通貨を発行するこ
     とのメリットを評価する声はいまなお、根強い。
      政治権力者にとっては、政府が直接、通貨発
     行権を掌握できれば、ウォール街から自由にな
     れる。
      発券銀行である中国人民銀行は、軍と行政府
     同様、党の支配下に置かれている。
      人民銀行から資金供給を受ける国有商業銀行
     も党支配下にある。
      つまり、人民銀行を中心とする金融システム
     全体が党によってコントロールされる。
      通貨の発行と配分権は、党指導者が保有して
     いるのだから、人民元はその本質において、政
     府紙幣である。
      見かけは日米欧のような中央銀行制度をとっ
     ているのだから、人民元はグリーンバックのよ
     うに国際金融資本から憎まれることもない。
      世界の大手金融機関は、人民元業務を新たな
     収益源にしようと躍起になっている。
  (参考情報)中国も国際経済上の要請によって金融改
     革すなわち金融門戸開放を行い、外国銀行が人
     民元口座を扱えるようになった。
      銀行は、銀行であるかぎり顧客の預金を元手
     に『信用創造を行うことができる』。
      外国銀行が人民元を預かるということは、外
     国銀行が人民元の信用創造を行うことができる、
     つまり、『人民元という中国の通貨を発行する
     ことができる』ことを意味する。
      一人の中国人がチェース・マンハッタン銀行
     の北京支店に人民元口座を開設し、1万元預け
     たとする。
      チェース・マンハッタン銀行はそれを準備金
     として、中国の企業が人民元を貸してほしいと
     言えば、約100万元まで融資することができる。
      その手続きはいたって簡単。
      その企業の銀行通帳に「1000000RNB」と印
     刷するだけである(信用創造)
      「外国の銀行も人民元を発行できる」こと・・
     その額が大きくなれば「通貨主権」そして「金
     融主権」への影響力も大きくなる。
      宋鴻兵氏は、米国ワシントンのアメリカン大
     学で修士号を取得。
      様々な職を経て、2002年から2007年まではフ
     ァニーメイとフレディマックでコンサルタント
     を務めた経歴を持つ。
      両者はサブプライム・ローン問題のまさに当
     事者であり、宋氏はそうした米国の金融証券業
     界に潜入し、その悪辣な詐欺的手法をつぶさに
     観察、分析した。
      その後、中国に戻り2008年より環球財経研究
     院院長である。
  http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=241276
  (参考意見)仮想通貨は、各国が通貨発行権によって
     コントロールできないお金である。
      すなわち、皆がビットコインで取引をすれば
     通貨の供給をコントロールする事によって景気
     をコントロールする事ができなくなる。
      両替も不要。
      投機的資金流入で乱高下。
      新たなお金になるか、単なる投機商品に留ま
     るか・・
      税金の支払いには利用できない。
      地方自治体がこの仕組みで資金調達が可能か?
  (参考)産経新聞・・抜粋・・
      2010年、中国は、国内総生産(GDP)規模
     で日本を抜き去った。
      人民元資金供給こそは中国の軍拡の原動力。
      リーマンショック後、人民銀行による人民元
     資金供給量がドル換算で1兆ドル増えるごとに、
     軍事費は約500億ドル増えた。
      中国は、米国の量的緩和政策に伴うドル資金
     増加量に見合う分、通貨を膨張させてきた。
      それに合わせて軍事にカネをつぎ込んだ。
      毛沢東は「銃口から権力が生まれる」と言っ
     たが、カネから銃口が生まれた。 
.
2019年7月17日、文政権(韓国)の日本批判は筋違いだ。
  この日の読売新聞が、標記の社説を報じた・・
  以下、その抜粋・概要・・
  「論点をすり替えて、日本非難に終始する韓国政府の
 姿勢は受け入れられない。
  韓国が、自国の輸出管理体制を検証し、見直すことが
 先決だ。
  日本政府が、軍事転用の恐れのある3品目の韓国向け輸
 出を厳格化した(ホワイト国指定を止めた・・優遇する
 ことを止め普通の国並みにした)ことに、韓国が反発し
 ている。
  (参考)ホワイト国とは・・大量破壊兵器等に関する
     条約に加盟し、輸出管理レジームに全て参加し、
     キャッチオール制度を導入している国について
     は、これらの国から大量破壊兵器の拡散が行わ
     れるおそれがないことが明白であり、俗称でホ
     ワイト国と呼んでいる。
  (参考)キャッチオール規制:輸出に当たり、製品、
     材料、技術(設計図、ノウハウなど)が相手国に
     よって大量破壊兵器(WMD)やミサイルの開発、
     生産に利用される可能性がある場合に、貿易管
     理を担当する政府機関(日本は経済産業省)に輸
     出許可の申請を行う制度。
  日本は、手続き簡略化の優遇を受けられる「ホワイト
 国」からも韓国を除外する方針。
  日本が問題にしているのは、韓国の輸出管理の緩さで
 ある。(中略)
  通常兵器にも使われる物資の輸出を制限する「キャッ
 チオール規制」が整っていない。
  日韓当局者の幹部協議は、2017年に文在寅政権が発足
 してから開かれていない。
  不正輸出の懸念が(韓国)にある以上、日本が手続き
 を厳しくするのはやむを得ない。
  文大統領は、日本側に一方的に非があると主張し、「
 日本経済に、より大きな被害が生じることを警告してお
 く」と批判している。
  日本の措置を政治的、経済的な動機と決めつけ、自ら
 事態改善に動こうとしない。
  世界の主要国は、民生品であっても兵器開発に利用さ
 れる可能性がある戦略物資の輸出には目を光らせてきた。
  日本も、2015年以降、経済産業省が行政処分を下した
 違法輸出を9件公表している。
  この中には、兵庫県の企業が3500キログラム超の炭素
 繊維を、韓国を経由して中国に無許可で輸出していた案
 件も含まれている。
  また、韓国政府は、2015年~2019年3月に戦略物資の違
 法輸出を156件も摘発したという(多すぎる)。
  北朝鮮の友好国であるイランやシリアに化学物質など
 が輸出されていた。
  韓国政府は、この様な実態なのに輸出管理が適正に行
 われていると言う・・違法輸出も増えている。
  EU(欧州連合)も韓国をホワイト国に指定していな
 い・・韓国向け輸出を、他のアジア諸国向けと同様な扱
 いで・・厳しい審査としている。
  (韓国の実態の緩さから)日本がEUと同じような措
 置をすることが適正だとした・・それを不当だと一方的
 に言うのは理解に苦しむ。(中略)
  日本政府は今回輸出手続きを厳しくした3品目で(韓国
 の)不適切な事案を確認したと発表している。
.
2019年、北朝鮮寄りとなった韓国の現政権であるが・・
  ・・というより、北朝鮮との一体化を目指す韓国の様
 相・・
  事大主義の韓国は、中国の顔色ばかり見ている・・
  その中国に対する・・アメリカの対中国の新戦略は・・
 『日本・アメリカ・台湾の防衛を一体化させる』という
 方針に変わった。
  アメリカは、従来のエアシーバトルに加え、海洋圧迫
 戦略の合体により『アメリカは中国に勝つことを決定し
 た』。
  (参考)統合エア・シー・バトル構想・・
      米国防総省は、2010年2月に議会に提出した
     QDR2010において、現在行われているテロと
     の戦いを最優先課題に位置付ける一方で、「将
     来において最も蓋然性が高く、死活的に重要な
     脅威に備える」ことを戦略目標として明示した。
      統合エア・シー・バトル構想は、その戦略目
     標を達成するための一手段として開発される。
      米国防総省が認識する「将来の脅威」とは・・
      それは、「戦力投射能力及び侵攻に対する抑
     止、並びに同盟国等の救援のための行動に対す
     る潜在的脅威」である。
      これらは、中国やイランなどが身に付けつつ
     ある「アクセス阻止」及び「領域拒否」の能力
     (戦略)によってもたらされる。
     「アクセス阻止」とは、前方展開基地などの固
     定地域や軍事目標への接近(戦域への戦力の展
     開、利用)を阻止することであり、「領域拒否」
     は、特定の地域における行動の自由を制限する
     ことを狙いとし、それらの対象領域は、海、空、
     陸、宇宙及びサイバー空間の全次元にわたる。
      なかでも、米国防総省が脅威の主たる対象と
     みているのは、中国のアクセス阻止/領域拒否
     の能力である。
      米国は、中国を脅威であるとは公言していな
     いが、QDR等の戦略文書や「中国の軍事力」
     報告書等を分析すれば、国防総省が脅威の主対
     象としているのは中国であることが見て取れる。
  (参考)海洋圧迫戦略・・
      米国は、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)
     戦略遂行の初動である第1列島線への短期高烈
     度の戦いを跳ね除け、中国軍に勝つことを決心
     し、その対中戦略・作戦をほぼ完結させた。
      米国の戦略予算評価局(CSBA)が、2019年5月
     に海洋圧迫戦略(MPS)を発表した。
      MPSは、エアシーバトル(ASB)では曖昧であ
     った部分を補強し、対中国戦略を事実上完結さ
     せたもの・・
      ASBをはじめとするCSBA の考え方は国防省の
     戦略そのものになっていることから、間違いな
     く米国の戦略の主要部分となり、これで米国が
     2010年から検討を進めていたASBが10年がかりで、
     ついに完成したことになる。
      従来のASBの海空軍を主体とした「動的戦力」
     と今回のMPS の陸軍・海兵隊を主体とした地上
     発射かつ機動型の、いわゆる「静的戦力」を組
     み合わせ、その上でそれぞれの領域を大胆に跨
     ぎながら、統合作戦で戦うというものである。
      これは、防勢的ではあるものの、自衛隊が2009
     年以来、具体化してきた南西諸島防衛の作戦・
     戦略そのものである。
      わが国では、米国が当初に打ち出したASBに目
     を奪われるあまり、いくら第1列島線に地上発
     射型ミサイルを配置する意義を陸自関係者が説
     いても、軽んじられてきたが、米国からの逆輸
     入によってその重要性が認識され、日本のマル
     チドメイン(領域横断)の戦いが完成するなら、
     望ましい方向への戦略転換として歓迎しなけれ
     ばならない。
      海洋圧迫戦略(説明ー2)
      この戦略の目的は、西太平洋における中国の
     奇襲的侵攻による既成事実化を排除し、軍事侵
     攻の試みは失敗すると中国の指導者に思わせる
     こと(INF条約廃棄に対応)
      この戦略は拒否的抑止力で、第1列島線に沿
     って精密打撃ネットワークを構築するというも
     ので、①海空軍・電子戦などを後ろ盾に、②第
     1列島線沿いに米国、同盟国の対艦・対空・電
     子戦の部隊を配置するとともに、③東シナ海な
     どの内部で作戦する潜水艦・無人艇・無人ステ
     ルス爆撃機で構成するInside-Out Defense(イン
     サイドアップ・ディフェンス)作戦構想である。
      中国のA2/AD戦略を逆手に取るもので、
     主として海上目標に対して、地対艦ミサイルを
     発射する陸軍・海兵隊が中心(同盟国・友好国
     と一体化)
      米軍戦略として初めて南・東シナ海と共に台
     湾を明記した。
.
2019年、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
 アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払って
 も日本を守るとしている。
  また、日本の生命線の石油を、ホルムズ海峡を通って
 得ているが・・このホルムズ海峡を守っているのもアメ
 リカであり、日本はアメリカに頼り切っている。
  この様な日本の存立にかかわる時、日本は、当然、ア
 メリカの支援に駆け付けるべきだ。
.
2019年、米国国防権限法2019(NDAA2019)
  日本は、中国のわずかな発注の新幹線の仕事をした時、
 この重要な日本の技術は、中国に盗まれた。
  それ以後、中国は、この日本の重要な技術を使って、
 世界の新幹線の仕事を受注している。
  インドネシア新幹線が、日本の受注がほとんど決まっ
 ている時、中国の妨害工事費で受注が出来なかったこと
 などが代表例である。
  また、中国国内に新幹線網を構築して、軍事上の重要
 な措置を構築している。
  今、米国国防権限法2019(NDAA2019)は、これま
 での軍事技術に加え、『重要なインフラや先端技術』も、
 安全保障上の重要な問題だとした。
  また、この次の案であるNDDA2020では、中国軍と
 のかかわりが疑われる人物や企業・団体などと支援を受
 けている人物や企業・団体などリストの作成を指示して
 いる。
  同盟国(日本など)に対しても同調を求めている。
.
2025年、中国は、世界のテクノロジーの最先端国になると
 している。
  「中国聖像2025年」を掲げ、世界経済を支配したい
 としている。
.
2029年、AIが、人間の能力を超越する。
  (参考)AI:人間が持っている、認識や推論などの
     能力をコンピューターでも可能にするための技
     術の総称・・人工知能とも呼ぶ。
      AIを応用したシステムには、専門家の知識
     をデータベース化して問題解決に利用するエキ
     スパートシステムなどの例がある。
      また、人間の知能にできるだけ近い機械を作
     ろうとする研究の他に、人間が知能を使ってす
     ることを機械にさせようという研究の、大きく
     分けて2系統のトレンドが存在する。
      生物の遺伝原理を用いる遺伝アルゴリズム、
     専門家の知見を蓄積するエキスパートシステム、
     音声認識、画像認識、感性処理、ゲーム、自然
     言語処理、推論、探索、知識表現、データマイ
     ニング、ニューラルネット、そして、ロボット
     など、多彩な研究テーマの総体として疑似知能
     が模索されている。
  アメリカのAI研究者のレイ・カーツワイルは、人工
 知能の飛躍的な発展によって、AIと人間が一体化し「
 ポスト・ヒューマン」が誕生すると言う。
  彼は、2029年には、「AIが、人間の能力を超越する」
 と言い・・
  2045年には、「技術的特異点に至り、ポスト・ヒュー
 マンが誕生する」と言っている。
  しかし、人工知能には、「自分を振り返ることが出来
 ないという欠落点がある」と反論を言う人も居る。
  『人工知能は、自己認識をすることが出来ない』と指
 摘する。
  それは、あくまでも機械に過ぎない・・と言う。
.
2049年、中国の習近平主席は「中国の軍事と経済の世界一」
 達成を、この年を目標に掲げている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・

by suba28 | 2019-07-20 03:41 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)

題:(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年6月4日、ヘンリー・フォードが初の四輪自動車の試
 作に成功し、この日に試運転をした。
  紀元前4000年、人類が「ころ」から車輪を発明した。
  1250年、哲学者のR.ベーコンが、「いつの日か、馬な
   どに引かせている車が、自身の力で走る車が可能と
   なろう」と言った。
  15世紀~16世紀、レオナルド・ダ・ビンチの新発明の
   意想図の中に、木をしなわせて力を蓄え、それを歯
   車で取り出し、車輪を回して走る自走車がある。
  1569年、オランダのシモン・ステビンが、2本のマス
   トの帆を動力源とした自走車を作った・・28人を乗
   せて海岸の砂上を時速24キロメートルで走った。
  1648年、ドイツのハンス・ハウチュが、ぜんまいで自
   走する1人乗りの車を作り、時速1.5キロメートルで
   走った。
  1680年、イギリスのニュートンが、ボイラーで作った
   高圧蒸気を、後方の細い管から噴射し、この推力で
   走る車の模型実験に成功した。
   また、この年、オランダのホイヘンスが、火薬を用
   いた内燃機関を提唱した。
  18世紀、蒸気機関を動力源とした自動車が試みられた。
   これが、最初の自動車の製作と言われている。
  1796年、フランスのN.J.キュニョー(ベルギー人?)
   が砲車牽引用の三輪の「蒸気を動力とする自動車」
   を作り、4人を乗せて時速9.5キロメートルで走った・・
   因みに、キュニョーはルイ15世の砲兵大尉だった。
   そして、この三輪車は長さ7.2メートル、幅2.3メー
   トルという巨大な車だった・・しかし、操縦不能で
   城壁に激突してしまった。
   以後、蒸気自動車は、アメリカ・イギリスなどで研
   究がなされて行き、実績を上げる。
  1801年、イギリスのトレビシックが、実用的な蒸気自
   動車を完成させた・・時速14キロメートルで走る・・
   運転手の不注意で爆発した。
  1803年、トレビシックが、改良型の蒸気自動車を作る・・
   直径3.2メートルの駆動輪兼用の後輪を持つ四輪車だ
   った。
   交通遮断したロンドン市中を走り、「馬車より速い」
   と言われ、成功した。
   また、この頃、マカダムが発明したタールを用いた
   簡易舗装の道路網が、イギリス全国に建設された。
  19世紀初、蒸気自動車が実用化され、バスやトラック
   などとして使われた。
  1831年、イギリスで、スチーム・コーチ(蒸気馬車、
   20人乗り六輪車)が定期旅客輸送が行われ始めた。
   4か月で3000人を運んだという記録がある(成功)
   同様に、この年、ハンコックが、ロンドン市中と近
   郊を結ぶ路線の定期運行を始めた。
  1840年代、スチーム・コーチの平均時速が25キロメー
   トルに性能向上している。
   ハンコックのオートマトンは32キロメートルを出し
   た。
  1850年代、スチーム・コーチが急速に姿を消す・・効
   率の良い鉄道が発達したため・・
   また、道路を傷めるという理由で、スチーム・コー
   チの道路通行料が12倍も高く設定された。
   また、ロード・ロコモティブは危険ということで、
   車の前を昼間は赤旗、夜間は赤ランプを持って走れ
   という規制や、町中では時速3.2キロメートル以下で
   走れなどの規制が厳しくなった。
   しかし、イギリスでは、蒸気自動車の改良がなされ
   て、使われ続ける(1930年代まで蒸気自動車は作ら
   れた)・・それに対する・・ガソリン自動車のアメ
   リカでの発達を待たねばならない状況だった・・
  19世紀半ば、電気自動車が発明された・・一時、普及
   した・・しかし、ネックは蓄電池の容量の問題だっ
   た。
   しかし、アメリカでは1920年代まで生産された。
  1858年、イタリアのバルサンティとマッテウッチが、
   石炭ガスを燃料とする内燃機関を製作した。
  1860年、フランスのルノアールが、点火装置を持った
   ガスエンジンを作った。
  1862年、フランスのボー・ド・ロシャが、4サイクル・
   エンジンの原理を発見した。
  1863年、フランスのルノアールが、ガソリンで回るエ
   ンジンを木製の四輪車に積み、走った。
  1864年、オーストリアのマルクスが、ガソリンエンジ
   ンの開発を進め、この年、それによって走る車を試
   作した・・1875年にも試作し、これは、時速8キロメ
   ートルで走ることが、後日、確認された。
  1865年、イタリアのベルナルディが、ガソリンエンジ
   ンを作った。
  1876年、ドイツのN.A.オットーが、実用的な4サイ
   クル・ガスエンジンを製品化し、それをダイムラー
   が改良して高速のガソリンエンジンを作った・・
   1885年には、このエンジンを付けた二輪ガソリン自
   動車を製作した・・
   また、この年、C.F.ベンツも2サイクルエンジン
   付きの三輪自動車を作った・・これらが、現代の自
   動車の原型となった。
   これらの技術が、、広大な土地のアメリカで発展し
   て行く。
  1884年、フランスのドラマール・ドブットビルが、ガ
   ソリン自動車の試作に成功した(この100年後、フラ
   ンスは盛大にこの発明を祝う)
  1886年、ダイムラーが、四輪馬車にハンドルを付け、
   また、460㏄のエンジンを付けて四輪自動車を作る。
   また、この年、ベンツが、独力でガソリンエンジン
   を製作し、実用的な三輪自動車を完成させ、後に、
   製造販売を企業化させた。
  1893年、アメリカでデュリエ兄弟が、四輪馬車を改造
   したアメリカ初のガソリン自動車を試作し・・後に、
   商業生産に入った・・多くのメーカーがこれに続い
   た。
  1894年、初のモータースポーツ・イベントが、フラン
   スの新聞社の主催で開かれた・・
   パリ~ルーアン間126キロメートで行われた・・1着
   は蒸気自動車で、6時間、平均時速21キロメートル
   (運転手と汽缶士による走行だった)・・
   因みに2位と3位はガソリン車だった・・ガソリン車
   の優位性が脚光を浴びた。
  1896年6月4日、ヘンリー・フォードが、初の四輪自動
   車の試作に成功し、この日に試運転をした。
  1899年、日本初の自動車であるアメリカ製の電気自動
   車が入った。
  1900年、フォードの大量生産方式によって大衆化した
   自動車・・日本への輸入はこの年・・
  1904年、日本で初の自動車製作が行われた(蒸気自動
   車)
  1907年、日本で初のガソリン自動車が製作された(東
   京自動車製作所)・・産業化には至らず。
  1908年、H.フォードが、T型車で単一車種の大量生産
   を始めた・・自動車普及の上で画期的なことだった。
   この年の10月1日に発表された「T型フォード」は、
   ハンドルが左にあり、エンジンとトランスミッショ
   ンの全体がボンネットで覆われ・・エンジンは4気筒、
   サスペンションは2つの半楕円形バネを使い・・運転
   が単純で、修理も容易、そして、安価だった。
  1910年頃、アメリカで、急速に自動車が普及し、個人
   単位の人と物流の速度が飛躍的に高まり、移動距離
   が大幅に伸びた。
.
1896年6月6日、フランス留学から帰国した黒田清輝(せい
 き)らが、洋画・彫刻の美術団体の白馬会を結成した。
  白馬会は、この年、明治美術会を脱会した黒田清輝、
 久米桂一郎、山本芳翠らによって設立され、和田英作、
 藤島武二、岡田三郎助、小代(しようだい)為重、小林
 万吾、長原孝太郎、彫刻の菊地鋳太郎、佐野昭(あきら)、
 版画の合田清らも参加した・・また、評論家の吉岡芳陵、
 岩村透(とおる)らも参加した。
  会名は、会の同志たちがしばしば白馬(しろうま)(ど
 ぶろく)を飲みつつ談論したことに由来した。
  明治美術会の脱会は、芸術家の自由を標榜し、感覚の
 解放を求めた(フランスの明るい画風の)外光派の人た
 ちにとって、明治美術会の古い体質は耐えがたかった。
  旧派ないし脂派 (やには) と呼ばれた明治美術会の暗
 い作風を不満とし、官僚的組織に対して自由主義を主張
 した。
  外光派的な明るい画風で新派また紫派と呼ばれ、しだ
 いに明治洋風美術の主流となった。
  フランス印象派の手法を伝え、研究所を設けて、和田
 英作・藤島武二などの後進の養成もした。
  1896年10月、岡倉天心の率いる日本絵画協会と合同で
 第1回展を開催し・・1910年の解散まで13回を数えた。
  1910年まで展覧会を続け、洋画の発展に多くの功績を
 残したが、1911年に解散し、中堅作家が光風会を組織し
 た。
.
1896年6月9日、日本とロシア間で、山縣=ロバノフ協定を
 締結した。
  山県有朋、ロシア外相ロバノフと朝鮮に関する議定書
 に調印する。
  李氏朝鮮の宮廷内の親日派と親露派の権力闘争による
 不安定な政治情勢は、日本とロシアの双方に対しても危
 険な状況にさらしていた。
  協定は、サンクトペテルブルク(モスクワ?)におい
 て、山縣有朋全権大使と、ロシア帝国の外務大臣A.B.
 ロバノフの間で交わされた。
  公開4条項と秘密2条項からなり、両国政府は必要な場
 合、合意をもって朝鮮に経済援助を与えること、朝鮮の
 独立を保証すること、朝鮮の財政改革を促進すること、
 近代的警察及び軍隊を組織すること、電信線を維持する
 こと、両国が合意をもって軍隊を派遣するときは用兵地
 域を確定すること、両国の駐屯兵因数などが協定された。
  背景は、ロシアの干渉などで、李氏朝鮮の不安定な政
 治情勢が、日露間に種々の軋轢となって存在していた。
  そこで、日露間で協定を結び、互いに朝鮮の独立を確
 認し合い・・
 そして、朝鮮の立場を保証することを約した。
  また、朝鮮財政の悪い状態の改革を促進することを約
 し・・その他・警察・軍事・電信線維持などを約した。
  ロシアのロバノフは、この協定とほぼ同時に、中国・
 清の李鴻章、朝鮮の朴泳煥と、それぞれ密約を結んでい
 た→露清同盟密約。
.
1896年6月12日 ロシア、月尾島西南地段(44,316m2 年銀貨
 361元)租借契約を取得。
  朝鮮の高宗がロシア公使館に軟禁され、ここで政務を
 取り行なった結果、ロシアは種々の利権を獲得した。
  また、欧米列強も同じような朝鮮利権を獲得するに至
 った。
  この様な状況は正規な状況ではなく、自主性は放棄さ
 せられていた。
  この様な状況は、この後の、日露戦争の結果、朝鮮は
 中立が宣言で来る。
  また、1895年11月28日には、ロシア、アメリカ、親露
 派の朝鮮の大臣・李範晋が、総理大臣の金弘集の暗殺を
 を企てた(春生門事件)
  この様に揺れ動く朝鮮内の事で日露は議定書の締結を、
 二度、続けた。
  しかし、この日、ロシアは、月尾島と361元の銀貨の租
 借契約を取得した。
  (参考)月尾島:ウォルミド、仁川広域市中区に属し
     ている島・・しかし、現在は、島と陸地の間が
     埋め立てられている。
      島の形状が半月の尾ひれの様な形から名付け
     られた。
.
1896年6月15日、明治三陸地震で大津波が起き、死者2万名
 を越えた・・
  午後7時32分30秒、震源は釜石町の東方200キロメート
 ルの三陸沖。
  三陸地方に大津波が押し寄せ、死者27,000人、家屋の
 流失・破壊1万戸に達した。
  村落の移転などの対策は進まなかった。
  地震規模はマグニチュード8.2~8.5で巨大地震・・
  観測史上最高の遡上高で、海抜38.2mを記録する津波が
 発生・・
  (参考)津波の遡上高:陸を駆け上って到達した高さ。
  各地の震度は2~3程度であり、緩やかな長く続く震動
 であった・・
  誰も気にかけない程度の地震であった・・
  最大は秋田県仙北郡の震度4・・
  地震動による直接的な被害はほとんどなかったが、大
 津波が発生し、甚大な被害が発生した・・
  海溝型地震と推定され・・三陸沖地震の一つと考えら
 れている・・
  固有地震であるが、震源域は特定されていない・・
  (別史料)
  三陸地方に弱い地震・・およそ40分後に大津波が襲来・・
  9879軒が流出、倒壊1844軒、船6930艘に被害、死者
 26,360人、負傷者4,398人・・
  村落集団移転を行った集落は、1933年の津波で被害は
 軽微だったが、移転しなかった集落は、再度、甚大な被
 害を受けた。
  (注意)この地震は、震度分布に基づいて長らくマグ
     ニチュード7.6とされてきた・・
      しかし、津波の大きさを考慮して数値が改め
     られている「理科年表 平成18年」
  大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時7
 分に記録され・・
  遡上高は、気仙郡吉浜村(旧:気仙郡三陸町吉浜、現:
 大船渡市三陸町吉浜)で22.4m・・
  同郡綾里村(旧:気仙郡三陸町綾里、現・大船渡市三
 陸町綾里)で21.9m・・
  綾里湾の奥では、入り組んだ谷状の部分を遡上して、
 日本の本州で観測された津波では、当時、最も高い遡上
 高である海抜38.2mを記録した。
  この時、ハワイへも2.4m~9.14m、カリフォルニアに
 2.90mの津波が到達している。
  ハワイでは、波止場が破壊され、住宅の複数棟が流失
 した(カリフォルニアの被害記録はなし)
.
1896年6月16日、軌制取調委員が、軌間、および、軌条重量
 の調査を終了した。
  1896年に、逓信省に軌制取調委員会が発足し、改軌に
 要する費用と、その利点・欠点などの調査を行った。
  この時まで・・1892年に、鉄道建設ブームが巻き起こ
 り、私設鉄道の規模が官営鉄道をまたたく間に上回る・・
 第2次鉄道建設ブーム・・
  日本各地には規模の小さな鉄道会社が設立された・・
  不安定な経営・・
  鉄道国営化による鉄道整備・輸送力増強促進、運賃の
 低廉化が求められる・・
  この様な中で起きた「改軌論争」・・1910年まで繰り
 広げられた大論争だった・・
  日本は、鉄道導入にあたって「狭軌」を選択した・・
  これは、イギリス(御雇い外国人?)が推薦したとい
 う説と、山岳河川の多い日本で、狭軌の方が有利という
 説・・鉄道整備を早く進められるから判断した説・・
  この「狭軌」を「標準軌」に改良し、輸送力を増強し
 ようとする動きが起きた・・この「改軌論」が日本の鉄
 道界で一大論争となった・・
  結論として・・
  1910年の鉄道会議で東海道本線・山陽本線などの主要
 14路線を1911年度からの13ヵ年で標準軌(当時はこれを
 「広軌」と呼んだ)に改築する案が可決された。
  これにより、東京の市街線や東海道・山陽本線で新た
 に建造される建造物は、標準軌規格で設計する通達も出
 された。
  この頃建設されていた磐越西線では、実際に平瀬トン
 ネルが一部標準軌の規格で建設されている。
  これに対し、原敬率いる立憲政友会が横槍を入れた。
  政友会の基本方針は、低規格でもいいから全国に路線
 を張り巡らせようとする「建主改従」となっており、後
 藤の提案した「改主建従」と真っ向から対立していた。
  帝国議会で両者がぶつかり合った結果、「改軌」に対
 する予算は出さないことになった。
  1911年4月、より低予算での改軌と、改軌線区の拡大を
 目指すため「広軌鉄道改築準備委員会」が政府内に発足
 し、審議が行われた・・しかし・・
  1911年8月、原敬が、内閣鉄道院総裁(内務大臣兼務)
 に就任したため、広軌計画は中止となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国、ウイグル抑圧拡大・・
    中国の弾圧強化を憂慮する。
    香港デモ、イギリスが中国批判
    ロシア(旧ソ連)よ!
    千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
.
紀元前10~紀元前8世紀、ギリシャに都市国家(ポリス)が
 形成され始めた。
  ギリシャのこの小規模都市国家のポリスは、大小200ほ
 どが存在した・・
  強大な帝国という形ではなかった。
  このポリスの中心部には、アクロポリスという外敵を
 見張ることのできる丘があった。
  その周辺部に人々は集住した。
  ギリシャのこのポリス時代の前は「王国」だった。
  「シキュオン」や「アルゴス」などの王国があった。
  そこでは、スパルタを除いて、王は居らず、貴族政が
 行われた。
  (参考)ポリス:古代ギリシアの都市国家・・
      村落集住 (シュノイキスモス) によって、君
     主政に対立する国家形態として生じ・・
      その起源は紀元前10~紀元前8世紀にまでさか
     のぼる。
      自然風土や社会的・宗教的要因によって数多
     くのポリスが分立した。
      その規模は、ほとんどはごく小さく、植民市
      (アポイキア ) として成立したものも多い。
      ポリスは、中心市と農耕周域部から成り、大
     多数は城壁を備え、市内には原ポリスである城
     塞(アクロ・ポリス) 、市場 (アゴラ) が存在し、
     周域部には、市民の所有地、共有地があったが、
     その領域は通常狭い範囲に限られていた。
      ポリスは、自由と自治を理想とし、市民は氏
     族および宗教共同体の一員であるばかりでなく、
     国家共同体の一員としてもっぱら政務、軍務に
     たずさわった。
      完成されたポリスにおいては、そうした市民
     団の枠は在留外人 (メトイコス ) や奴隷などと
     身分的に厳格に区別された。
      このような体制を基盤として市民全体の政治
     参与を実現した民会 (エクレシア ) の存在は古
     典古代の特色的なこと。
      ポリスにはさまざまの型があった。
      最も典型的なのはアテネで、その民主政組織
     はほかのポリスに大きな影響を与えた。
      ポリスは、相互の絶えざる分立抗争と内部の
     党派争いなどによって紀元前4世紀には凋落しは
     じめた。
      続くヘレニズム時代の知的文化的基盤はポリ
     スの伝統に根ざしている。
      また、ポリスにおいては文明の発達とともに、
     さまざまな政治現象が生じ、多くの思想家たち
     は、これに刺激されて政治理論を生み出し、ポ
     リスは政治学の母胎だった。
  (参考)シキュオン:ペロポネソス半島の北部、コリ
     ントの北西に位置する古代ギリシアの都市。
      アルゴスの植民市 (アポイキア) として政治
     的、宗教的に従属していたが、紀元前660年頃、
     オルタゴラスによって僭主政が樹立され、その
     孫のクレイステネスのときに国力は最大となり、
     彼は、第1次神聖戦争でロクリスを破壊した。
      僭主政は、約100年続いたがスパルタによって
     倒され、以後スパルタの同盟市となり、紀元前
     3世紀にはアカイア同盟に参加。
      その後、衰退し、紀元前2世紀には廃虚となっ
     た。
      シキュオンは、アルカイック時代から美術の
     中心地として知られ、紀元前4世紀には、彫刻家
     リュシッポスを生んだ。
  (参考)アルゴス:ギリシアのペロポネソス半島北東
     部のアルゴリス地方の中心都市。
      中期青銅器時代から人が住み、ミケーネ期に
     隆盛をみた。
      紀元前1100~紀元前1000年、ドーリス人が、
     ここを基地に半島へ侵入したと推定されている。
      紀元前8世紀頃からスパルタと抗争・・
      紀元前669年、これを破って半島の度量衡を統
     一したが、スパルタの力が伸びるにつれて、ア
     テネ、コリント、テーベと次々に結んで対抗し
     た。
      テーベが衰えると、マケドニアのフィリッポ
     ス2世の支援を求め、紀元前229年には、アカイ
     ア連盟に加盟した。
      紀元前146年のローマのコリント破壊で相対的
     に重要性を増し、アカイア連盟の中核となった。
      3世紀後半頃、一時ゴート人に占拠されたが、
     ビザンチン時代には繁栄。
      1204年、フランク人のアカイア王国建設でア
     ルゴスは衰退した。
      14~15世紀にトルコ人に侵入され、住民はア
     ルバニア人と入れ替わった。
      19世紀のギリシア独立戦争で最初の自由議会
     がアルゴスに招集された。
  (参考)貴族政:代表的なポリスであるアテネでは、
     ドーリア人の攻撃をはねのけながらポリスを形
     成させる過程で、紀元前8世紀ごろまでに貴族が
     政権を独占するようになった。
      紀元前683年には、貴族の中から選ばれた9人
     のアルコン(執政官)(任期1年)が政務を担
     当する・・貴族共和政の形態となった。
      アルコンの任期を終えた貴族が終身議員とな
     るアレオパゴス会議(元老院)が国政や裁判に
     あたった。
  貴族政は、アテネの場合、僭主政を経て、紀元前5世紀
 初め、民主政に移行し・・
  その民主政が堕落して、アテネでソクラテスが処刑さ
 れるような衆愚政の時代となる。
  その後、ギリシャは、マケドニア王のアレクサンドロ
 スの支配下に入る。
  (参考)僭主:せんしゅ、古代ギリシアのポリスで、
     非合法に独裁政を樹立した支配者。
      本来、この語には「暴君」の意は含まれず、
     悪い意味が付加されるようになったのは民主政
     期、特に、紀元前4世紀のプラトン以降・・
      王政と違い、その支配が正統ではないため、
     僭主の地位維持には困難もあり、多くは1代か2
     代で終っている。
      紀元前7世紀~紀元前6世紀の前期僭主と、紀
     元前4世紀~紀元3世紀の後期僭主とに分けられ、
      前者には、コリントのキュプセロス、ペリア
     ンドロス、アテネのペイシストラトス、シキュ
     オンのクレイステネスらがおり、多くは貴族の
     出身で、貴族政の動揺期に貴族と平民の対立を
     利用して独裁政を打立て、民主政への過渡期の
     ポリスにおいて、巧みな政策によって民衆の指
     導者の役割を果し、ポリスの発展に貢献した場
     合も多かった。
      後期僭主には、テッサリアのフェライのイア
     ソン、シラクサのアガトクレス、ヒエロン2世ら
     がおり、前期僭主以上に軍事力を背景に独裁権
     を握り、民主政の形式は守ったが、それも市民
     共同体のためであるよりも、自己の支配権保持
     のためであった。
  (参考)僭主政:せんしゅせい、古代ギリシアのポリ
     スにおける僭主支配の政治体制。
      僭主政は、紀元前7世紀半ば頃~紀元前1世紀
     にまでわたるが、僭主の現れなかった紀元前460
     年~紀元前406年を境にして、前期僭主政と後期
     僭主政とに分ける。
      前者は、貴族政の動揺期、まだ独力で貴族を
     倒すだけの力が平民にない段階において、野心
     家の貴族が、重要な官職や祖国防衛戦での功績
     などを利用して平民の人気を集め、彼らの協力
     と、外国の権力者の援助などを得てクーデター
     を起こし、貴族政を打倒して樹立した独裁政で、
     コリントのキプセロスとその子のペリアンドロ
     ス、シキオンのクレイステネス、アテネのペイ
     シストラトス、サモスのポリクラテスなどが代
     表的な僭主であった。
      僭主は、市民から武器を取り上げ、自身は親
     衛隊や傭兵部隊を擁し、貴族に対しては処刑、
     追放、財産没収などで弾圧した。
      市民一般に対しても、陰謀を企てる機会を与
     えないために、中心市に出て怠惰に時を過ごす
     ことを禁じたり、財源確保のために租税を取り
     立てたりしたが、平民の支持を保つために小農
     民の保護や商工業の奨励に努め、また主要な官
     職は一族で抑えつつも、従来の官職組織や制度
     習慣はできるだけ維持した。
      さらに、詩人や芸術家を保護して独裁政の飾
     りとし、建築事業や土木工事を起こして、中心
     市を美化し、市民の生活に便宜を供し、有力な
     外国勢力や宗教の中心と友好関係を結んで支持
     者を拡大した。
      最悪の政治体制という古代の多くの政治思想
     家の批判にもかかわらず、かならずしも過酷な
     支配ではなかったが、暴君政に堕したものもあ
     り、また、平民の成長につれて独裁政への反発
     が強まったため、多くは2代で打倒され、もっと
     も長く続いた場合も100年であった。
      その崩壊には、平民より貴族のほうが貢献し、
     外国の武力干渉によった場合もあったので、崩
     壊後ただちに民主政になることは少なかったが、
     前期僭主政は、独裁政の維持を追求しながら平
     民の成長を助け、結局、民主政の成立を促進し
     た。
      後期僭主政は、前期僭主政との共通点も少な
     くなかったが、ポリスと民主政の衰退期に現れ
     たという事情から、平民よりも傭兵に頼る軍事
     独裁者の性格が強く、平民の利益を図る姿勢も
     弱かった。
      シラクサのディオニシオス1世、2世やアガト
     クレス、テッサリアのフェライのイアソンなど
     が主要な僭主であった。
     ・
     ・
1391年、スペインで、ユダヤ人の方々に対する大虐殺が起
 きた。
  スペイン南部、アンダルシア州のセビリヤでユダヤ人
 の方々へ対する大虐殺(ポグロム)が起きる。
  これは、その後、各都市に飛び火して行って、悲惨な
 連鎖反応でユダヤの方々は虐殺され、また、キリスト教
 への改宗を強いられた。
  キリスト教による異端審問は、この当時、ヨーロッパ
 の国々で行われ、ローマ教皇庁によって任命された異端
 審問官が巡回して異端審問が行われて、大規模にこの様
 な惨事が起きていた。
  レコンキスタが1492年に完了すると、スペインに統一
 王権が確立した・・そして、同時に権力も手に入れた。
  そこで、この様な惨事が、ローマ教皇庁と一緒になっ
 て発生して行く。
  ユダヤの方々は、人権を奪われ、金融業をやらざるを
 得なかったが(職業の選択の自由を奪われていた)、こ
 のユダヤの方々への多額の債務(借金)を無くそうとい
 う悪計・魂胆もあった。
  また、スペインの王権所持者は、ローマ教皇との親交
 を深める事も考えていた。
  キリスト教の異端審問は、すべてローマ教皇(法王)
 の管轄下で行われていた。
  ローマ教皇側もこの異端審問の権力をスペイン王へは
 渡そうとしなかった。
  (スペイン王は渡してくれと言ったが拒否された・・
 卑劣な権力の取り合いが演じられた)
  異端審問はセビリアから始められていた。
  (参考)ローマ教皇のインノケント三世は、第4回ラ
     テラノ公会議を招集し(1215年)、ユダヤ人を
     キリスト教社会から区別することを決めた。
      そして、排除するため、ユダヤ人であること
     を示す黄色の標識を付けさせると決めた。
      ペストで多くの人々が死ぬと、病原菌で病気
     が起きるという知識のないキリスト教徒たちは、
     ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れたと、ユダヤ人
     の方々を弾圧した。
      キリスト教聖職者も、教会の説教壇の上から
     「ユダヤ人はすべてのスペインを奴隷化する」
     と洗脳し、煽った。
      煽られた暴徒はユダヤ人の方々を襲った。
.
1492年、総べてのユダヤ人の「スペインからの追放」・・
  この頃、どこのヨーロッパでも、ユダヤ人を虐(しい
 た)げていた。
  ユダヤ人たちは、特別な服を着せられ、また、特定の
 道や地区(ゲットー)に住まわされた。
  14世紀から、ユダヤ人の方たちは、ローマ・カトリッ
 ク教会から憎悪されていて、敵意に晒(さら)された。
  1878年、反ユダヤ主義運動。
  1881年~1914年には、ロシアの組織的大虐殺が起きる。
  これを逃れて200万人のユダヤ人が、アメリカへ渡った。
     ・
     ・
1945年8月18日、占守島(しゅむしゅとう)の戦い
  戦争が終わっているこの時、ソ連(現ロシア)が日本
 領・千島列島の最北端の占守島に奇襲攻撃をして来た。
  完全にポツダム宣言受託によって停戦となっている後
 の「不法なソ連(現ロシア)の攻撃だった」。
  日本軍はポツダム宣言受託に伴って、武装解除中であ
 った・・
  その様な時に攻めて来たのだった。
  日本軍の守備隊と戦闘となり、日本軍は優勢に戦い、
 勝っていた。
  しかし、ポツダム宣言受諾の停戦という軍命によって、
 日本軍は、8月21日に、戦闘行為を止め・・
  日本とソ連は合意の上で「8月21日、ソ連艦の艦上で降
 伏文書を調印している・・
  『日本とソ連は公式に停戦している』のだ・・
  1045年8月23日には、また、日本とソ連は、合意の上で
 武器を置き、武装解除がなされた。
  故に、当然に、この後の日本の領土の千島列島と北方
 四島を略奪行為はやってはいけないのに、その許せない
 行為をソ連は行った。
  この様な不法なソ連(現ロシア)の攻撃と領土掠奪で
 あった・・
  そして、さらに、日本兵と一般人は拉致され、ロシア
 (旧ソ連)へ連れて行かれた。
  因みに、占守島には、日魯漁業の缶詰工場があって、
 多数の日本人の工員(女子工員を含む)が居た・・民間
 人総数2000人。
  そして、この拉致行為のシベリア抑留で、日本の民間
 人も含めて多くの方々が亡くなった・・これから、この
 補償も求めなければならない。
  また、この様な不法行為についての謝罪を求めなけれ
 ばならない・・
  そして、今後このような事が起きないよう、教科書に
 記載し、正しい事実を伝えることを要求しなければなら
 ない。
  そして、さらに卑劣な事は、この様な合意の上での日
 本軍の武器が置かれて、武装解除なされた後に、完全な
 る停戦の後に、ソ連(現ロシア)は、日本領の千島列島
 と北方四島を不法に占拠し続けている。
  そして、恥の上塗り的に、それを「戦いで取ったのだ」
 と嘯(うそぶ)いている。
  (参考)嘯く:ほらを吹く、平然として言う、大きな
     ことを言う・・
  占守島は、日本が負けたのではない。
  日本は勝っていたが、終戦となって、君たち(ソ連)
 と合意して、日本は武器を置いたのだ。
  日本との合意の武器を置く式も行なったではないか・・
  ソ連(現ロシア)は、勝って終わったのではない・・
  武器を置いた後の日本領・千島列島と北方四島を君た
 ちは盗ったのだ。
  合意して武器を置いた後に盗ったのだ。
  千島列島を、早く日本へ返還しなさい。
  また、日本の固有の領土の北方領土は論外だ。
  この事を、君たちの子供たちへ教科書に書いて教えな
 さい。
  君たちは、日露戦争もそうだが、占守島(しゅむしゅ
 とう)の戦いでも負けたのだ。
  占守島の戦いの史料・・
  日本:堤不夾貴中将 、戦力:8480名、損害:死者256
    名、負傷者762名、
  ソ連:アレクセイ・グネチコ少将、戦力:8824名、死
    者:516名、行方不明(負傷)など1051名
  (参考)1945年8月15日に、トルーマン・アメリカ大統
     領は、ソ連のスターリン首相へ通知していて、
     その通知の中には、日本の降伏の受け入れ分担
     が通知されていて、千島列島をソ連の分担地域
     とはしていなかった・・そして、ソ連は、停戦
     がなされたことを知っていたのだ・・
      ソ連は樺太の南(北緯50度線以南)のみとさ
     れた・・
      ソ連は、分担域について異議を申し立てる。
      停戦状態になったことについて、異議申し立
     てはしていない・・この点からも停戦は成立し
     ている。
.
1945年8月~9月、ソ連が、日本領の千島列島と北方四島を
 不法占拠したが・・北海道新聞が以下を報じた。
  ソ連が、日本の領土の北方四島を占領するとき、アメ
 リカが援助していた。
  極秘に艦船貸与したり、訓練もしたりしていた。
  北海道新聞が探り当てた(2017年12月30日付報道)
  「プロジェクト・フラ」作戦、北海道の根室振興局が
 調査
  【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方
 四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、
 根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果など
 を突き合わせ、明らかにした。
  米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけ
 でなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事
 援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。
  振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列
 島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった
 1945年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソ
 は「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦を
 スタートさせた。
  米国は1945年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、
 護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月
 にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基
 地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。
  コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、
 ソ連兵の指導に当たったという。
  訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島
 の作戦に投入された。
  8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦
 には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各
 島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日まで
 に完了した。
  こうした歴史的史実が判明したのは、根室振興局が2015
 年度から取り組む北方領土遺産発掘・継承事業がきっかけ。
  各国の資料を集める中で、ソ連が樺太南部と千島列島
 での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリ・サマ
 リン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の
 論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参
 加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)
 を入手した。
.
2019年6月5日、中国の弾圧強化を憂慮する。
  天安門事件30年・・
  この日の読売新聞の社説が報じた・・以下、その抜粋・・
  人権や言論の自由を巡る状況は、著しく後退した。
  強権的な監視国家へと変貌しつつある中国の現状を深
 く憂慮する。
  中国の共産党政権が、民主化を求めた学生らを鎮圧し、
 多数の死傷者を出した天安門事件から、4日で30年となっ
 た。
  共産党は民主化運動を「反革命暴乱」と断じ、武力に
 よる弾圧を正当化した。
  党はその後、一党支配体制の強化による安定と経済成
 長を最優先し、民主化に背を向けてきた。
  事件に関する情報は隠滅され、事件自体を知らない若
 者も少なくない。
  真相が解明されぬまま、風化が進んでいるのは遺憾で
 ある。
  看過できないのは、習近平政権が反体制派や少数民族
 への締め付けを加速していることだ。
  人権派弁護士や活動家が大量に拘束され、不当な長期
 拘留が続く。
  事件の再評価を昨年求めた大学教授は停職処分となっ
 た。
  中国西武・新疆ウイグル自治区では、イスラム教を信
 仰する少数民族のウイグル族らが「治安維持」などの名
 目で、収容施設に拘束されている。
  米国務省は、3月の報告書で、200万人以上が収容され
 ている可能性を指摘した。
  中国では、ネット空間が政府の情報管理に利用され、
 強権統治を支えている。
  党や政府に批判的な言動が、人工知能(AI)や監視
 カメラで即時に把握され、封じ込められる。
  「国家の安全」を理由に正当化できる措置ではない。
  習氏は「一つのモデルですべての国の問題を解決する
 ことはできない」と述べ、米欧が求める民主化を受け入
 れない意思を示す。
  中国が豊かになれば政治改革に踏み出す、という日本
 や欧米の見通しは甘かったと言わざるを得ない。
  ポンペオ米国務長官は「中国が国際システムに融合さ
 れ、開かれた寛容な社会に変わるという期待は打ち砕か
 れた」と述べた。
  人権や自由などの基本的価値観すら共有できない中国
 が、「平和発展」を唱えても国際的な信頼は得られまい。
  通商や安全保障、ハイテク技術をめぐる米中対立の根
 源には、異質な大国への不信があることを習政権は認識
 すべきだ。
  共産党は、国民の生活水準を向上させ、一党支配への
 不満を抑え込んできた。
  だが、これまでのような高度成長は望めない。
  貧富の格差が広がり、環境汚染などの社会問題も深刻
 化している。
  習政権は、強権的な手法をどこまで拡大し続けるのか。
  国際社会は問題点を粘り強く指摘し、改革を促さねば
 ならない。
.
2019年6月18日、国連のテロ担当がウイグルを視察・・
  「迫害の正当化」の懸念が・・
  この日の読売新聞が伝えた・・以下、抜粋・・
  [北京=中川孝之]国連のテロ対策担当のトップが、中
 国当局によるイスラム教徒への迫害が指摘される新疆ウ
 イグル自治区を視察したことが波紋を呼んでいる。
  中国はテロ対策と称し、少数民族のウイグル族などを
 収容施設に隔離しており、米政府は、この措置を追認す
 る事につながりかねないと懸念している。
  視察したのは、ロシアの外交官出身のポロンコフ国連
 事務次長で、2017年に創設された国連テロ対策局の初代
 局長に任命された人物だ。
  中国外務省によると、中国側の招待で13日~15日に北
 京と新疆ウイグル自治区を訪問した。
  楽王成(ルォーユーチョン)外務次官はポロンコフ氏
 との会談で、「国境をまたいだテロ作戦の脅威」につい
 て意見交換し、「広範な共通認識」に達したという。
  米国務省のサリバン副長官は14日、国連のグテレス事
 務総長との電話会談で「中国は、ウイグル族などへの抑
 圧をテロ対策として正当化し続けている」と指摘し、ポ
 ロンコフ氏の訪中に強い懸念を伝えた。
.
2019年6月29日、中国人権問題、解決訴え・・ウイグル人ら
  この日の読売新聞が伝えた・・以下、抜粋・・
  中国政府の抑圧的な政策に抗議する少数民族の団体な
 どでつくる組織が28日、主要20カ国・地域(G20)首脳
 会議に合わせ、大阪市内で記者会見し、人権問題の解決
 を訴えた。
  中国・新疆ウイグル自治区出身の亡命ウイグル自治区
 出身の亡命ウイグル人らで作る「自由インド太平洋連盟
 (事務局・日本)のラビア・カーディル会長(72)は「
 ウイグルの様に弾圧、虐殺があった場所は他にどこにも
 ない。
  300万人が強制収容所に入っていると言われている」と
 指摘した。
  その上で、G20首脳会議で議題となることに期待感を
 示した。
  記者会見には、中国からの香港独立を主張する活動家
 の陳浩天氏(28)も出席し、中国本土への犯罪容疑者の
 移送を可能にする逃亡犯条例の改正案について、「香港
 の名声と利益を損ない、中国にしかメリットをもたらさ
 ない」と批判した。
.
2019年7月5日、香港デモ、イギリスが中国批判
  良好関係が一転、非難合戦に
  標記の表題で、この日の読売新聞は伝える・・抜粋
  香港から中国への犯罪容疑者引き渡しが可能にする逃
 亡犯条例改正案の撤回を求める香港の抗議運動を巡り、
 香港の旧宗主国である英国が繰り返し懸念を表明し、中
 国側との非難合戦に発展している。
  経済的な結びつきを優先し良好な英中の関係に、影を
 落としかねない状況。
  英国のハント外相は2日、英BBCで、1984年調印の英
 中共同宣言について触れ、「香港の人々に対する基本的
 な自由を規定した者だ。
  我々は香港の人々を支持している。
  国際的な法的合意が守られなければ深刻な結末を招く」
 と中国側をけん制した。
  また、保守党の党首を争うジョンソン前外相も「香港
 住民を完全に支持する」と中国との対決姿勢を示してい
 る。
  メイ首相も3日、「香港の高度な自治と自由は尊重され
 るべきだ」と述べた。(中略)
  こうした英国要人の発言に対し、中国外務省の副報道
 局長は3日の定例記者会見で、「今だに往年の植民地主義
 者の幻影にひたり、他国の問題に上からの目線で口出し
 する悪習に執着して入るようだ」と猛反発した。
  ロンドンでも、中国・駐英国大使が3日に記者会見し
 「英国政府は暴力的な法律違反者の味方をしている。
  半年が自由について語るのは大間違いだ。
  植民地下の香港には自由も民主主義も全く無かった」
 と批判した。
  英外務省は3日、駐英国の中国大使を呼び出し、「不正
 確で容認できない」と抗議した。
.
2019年7月5日、中国、ウイグル抑圧拡大
  この日の日付で読売新聞が報じた・・抜粋・・
  中国新疆ウイグル自治区で、少数民族ウイグル族と漢
 族が衝突した大規模抗議行動から5日で10年となる。
  中国当局は大規模抗議行動後、ウイグル族の管理を強
 化し、テロ対策を名目に施設に収容するなど強権的な姿
 勢を強めている。
  その対象は、同じくイスラム教を信じる近隣諸国から
 の来訪者にまで広がっている。
  (写真説明)バザールを警戒ずる武装した警官。
      バザール内には至り所に中華風の飾りつけが
      施されていた。
  ウルムチ市内のバザールには4日、銃を持って巡回する
 武装警察の姿があった。
  モスクの入り口には顔認証用ゲートが新設され、入場
 者を制限している様子がうかがえた。
  ウイグル族女性は「ちょっとしたことでも(当局に)
 疑われるような気がして怖い」と小声で不満を漏らした。
.
2019年、今、中国でウイグルの人たちが中国政府によって
 拘束されている。
  その数は、300万人という膨大な人数・・
  そして、中国政府は、「テロ対策だ」と言っている。
  日本人も、昔、戦争後、中国共産党政権によって拘束
 された。
  その全員が、日本へ帰って来たわけではない。
  帰れない人たちが大勢いた。
  多くの人たちが、そのままの状態になった。
  多くの日本人の人々が亡くなった。
  帰って来た人たちが語ったことは、まったく怖ろしい
 「中国共産党政権による洗脳教育だった」。
  帰りたいから、必死に中国共産党政権の言いなりにな
 った。
  身体に自ら染み込ませた。
  生きるか死ぬかの環境の中で、自由になりたいと願い、
 自らの体に言い聞かせ、発狂する者も居た。
  食糧も豊かではない中、中国共産党政権も、中国工作
 員にまで洗脳できそうではない者から排除し、処理する
 ことも行なわれた。
  性格まですっかり変わり、中国の思い通りになった者
 から解放された。
  ・・というより、中国の宣伝分子となって日本へ返さ
 れた(というより、日本へ、中国工作員と変わった者た
 ちから送り込まれた)。
  今、中国共産党政権によって拘束されている300万人の
 ウイグルの方々にも、昔、日本が経験したことと同じこ
 とが、行なわれている。
  結局、中国共産党政権にとって都合のよい者が、中国
 共産党政権の良否判断によって、人が人によって査定さ
 れて、処理されている。
  廃棄処分もそこにはある。
  そこには、ウイグルの方々の人権は「まったく二の次」
 とされている・・無視されている。
  世界は、それを、傍観している・・のか・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  ロシア(旧ソ連)よ!
  千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
  終戦後の1945年8月18日に、占守島に奇襲攻撃して来た
 行為を反省しなさい。
  占守島の戦いで日本は戦いに勝っていたのに、終戦後
 であったので、ソ連(現ロシア)と合意の上で日本は武
 器を置いた・・日露間の戦争はここに終わった。
  しかし、日露の合意の終戦の後、日本兵の居ない日本
 領の千島列島と北方四島をソ連(現ロシア)は不法に占
 拠し始めた。
  千島列島の最北端の占守島の戦いで、日本が武器を置
 く式を日露合意で行ったことを遵守せよ!
  だから、君たちには、日本の領土を勝手に盗る行為を
 行なう正義の論理は無い。

by suba28 | 2019-07-11 04:55 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)649E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年6月)

題:(増補版)649E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月、鉄道局が、イギリスに60ポンド軌条を発注した。
  1890年代から1900年代にかけて、日本の鉄道はめざま
 しい発展をとげた。
  営業キロが約2.5倍となり、貨物輸送力は9.5倍となっ
 た。
  紡績部門を中心として、日本に産業革命が進行した。
  そして、それが、製鉄、製鋼部門を基軸として重工業
 への転換がなされて行った。
  これに伴い資本主義経済体制も急速に発展し、それが
 さらなる鉄道の発達を促した・・そして、それが、資本
 主義のさらなる発展へ好結果をもたらした・・経済体制
 の発展と鉄道の発展は相関関係のある展開だった。
  鉄道は、日本の陸上交通の最重要の座を占めるに至っ
 た。
  法的整備もなされ、外国の技術も取り入れる一方、独
 自技術での自立も図られ、規格化もなされて行き、私設
 鉄道の17社も国有化されて行く。
  山岳地帯が多い日本に、長大トンネルへの果敢な挑戦
 もなされた。
  そして、蒸気機関車の完全な国産化への挑戦・・
  その中で、日本での量産体制の確立を前提とした試作
 品としての輸入があった。
.
1896年5月、伊万里鉄道会社に免許状が下付された。
  伊万里駅と有田駅を結ぶ計画だった。
  建設目的は、有田で造られる陶磁器(有田焼)の伊万
 里港への輸送と、九州鉄道と伊万里との連絡、そして、
 伊万里の炭田で産出する石炭の輸送だった。
.
1896年5月、筑豊鉄道の若松駅~折尾駅間の複線が開通した。
  日本経済の発展と近代化に重要で大きな影響を与えた
 北部九州の筑豊炭田・・
  1887年以降、石炭生産量を増大させた・・
  それと共に、従来から「川ひらた」と称する小舟に頼
 っていた運送・・遠賀川の水運による運搬・・石炭輸送
 が隈界に達した。
  1889年、陸運の必要性が高まるにつれ、筑豊興業鉄道
 が創立された。
  筑豊鉄道の役割は、筑豊炭田の石炭の若松港への陸送
 だった。
  これによって、筑豊石炭の輸送力は大幅に強化された。
  そして、この筑豊の石炭は、全国出炭量の半数を占め
 るに至る・・「月が出た出た」との讃歌もできる・・
.
1896年6月3日、露清密約
  李鴻章・ロバノフ協定ともいうモスクワで締結された
 秘密条約(ロシアは、外務大臣のロバノフと財務大臣の
 ヴィッテ)
  ロシアと清のいずれかが、日本との戦いになった場合、
 互いに共同して戦うための「清とロシアの共同参戦条約」・・
  参戦の義務を負うという条約・・
  そして、東清鉄道敷設などについて・・
  秘密交渉による条約の締結となっている。
  この条約での不平等な点は、ロシアが、東清鉄道敷設
 権を、清国から大幅に奪うという不平等性だった。
  これによって、領土欲の強いロシアは、南満洲へ勢力
 拡大をはかった。
  清国の李鴻章(りこうしょう)とロシアのロバノフ外相
 は、軍事的共同参戦の相互条約を結んだ。
  韓国を含む露清両国が攻撃されたとき、両国軍の相互
 参戦と単独不講和を約した。
  清国は、ロシアに屈して、ロシアに東清(とうしん)鉄
 道の敷設権と、それによる軍隊輸送権を与えた。
  日本は、当然、この密約の存在を知らなかった。
  日本は、日露協商を結ぼうという政策を進めた。
  しかし、この密約によって、この経済的発展を期した
 日露の条約締結もならなかった。
  この条約締結の失敗もあって、日本は。日英同盟を選
 択した。
  露清密約は、日露戦争の遠因の一つになっている。
  日露戦争の時、中国は、この条約によって、日露戦争
 に参戦していた。
  日本は知らなかったが・・日露戦争の形は、『日・露
 中戦争』となっていた。
  つまり、この戦争の戦勝国・日本は、ロシアだけでは
 なく『中国に対しても戦勝国となっていた』。
  中国は、秘密条約であった為、敗戦国としての立場か
 らの「日本に負うべき事々から免れていた」。
  当然、この露清密約(1896年6月3日)は、この後の日
 露戦争ではなく、『日・露中戦争』の状態となっていて・・
 日露戦争(日・露中戦争)の原因の一つとなっていて・・
  ロシアは、この秘密条約の締結によって、大幅な満州
 地域権益を中国・清に認めさせ、得ていたが・・不平等
 な条約だった・・
  ロシアが、清に、この不平等を認めさせた屁理屈が・・
 ロシアが三国干渉で日本から遼東半島を取り返してあげ
 たではないか、というものだった・・だから、見返りを
 得たいという要求の仕方だった・・子の屁理屈で実現し
 たものだった。
  この東清鉄道は、シベリア鉄道のチタ(ザバイカリエ
 地方の首都)から分岐し、満州の西北の満洲里(まんし
 ゅうり)から東南の綏芬河(すいふんが)の間を横断し、
 ウラジオストックに至るという本線と・・
  中間のハルビンから遼東半島の旅順・大連を結ぶ南満
 州支線とからなっている・・
  ロシア軍が、広域な軍事作戦行動ができるという軍事
 計画に基づいてなされた・・
  これによって、ロシアの強烈な支配権が強行に実施し
 得るというように計画された。
  この年に、ロシアは本線の施設権を得て・・支線を、
 この後の1898年に得た・・
  このロシアだけではなく、イギリス・フランス・ドイ
 ツの欧州列強4が、中国分割をした。
  1898年には、ドイツが、宣教師殺害事件で中国へ言い
 掛かりをつけ、山東半島の膠州湾を租借した。
  ロシアは、遼東半島の旅順・大連を取り・・内蒙古、
 沿海州、奉天、長春、ハルピン・・そして、朝鮮・・
  イギリスは、威海衛・九龍半島を取り・・安徽省(あ
 んきしょう)、上海、蘇州、湖北省、漢口、四川省、重
 慶、香港・・
  フランスは、広州湾を取った・・広東省、広州、広西
 省、雲南省・・
  そして、1899年、乗り遅れたアメリカも、美味しいも
 のが欲しいと清の門戸開放宣言をした。
  一番取っていたのが、ロシア・イギリス・フランスだ
 った・・
  ドイツは、山東省で露英仏の5分の1だった。
  日本は「無し」・・あるとすれば福建省あたり・・そ
 して、日露戦争に勝利して、ロシアから旅順(侵略では
 ない)・・清も参戦していた・・
  台湾は、日清戦争の勝利で清国より得ている・・
  しかし、世界はプロパガンダして、日本は侵略したと
 過大に嘘宣伝(漫画などで)されている。
  アメリカは、フィリピンなどを広大に取っている。
  ポルトガルはマカオ(1887年)
  ロシア・イギリス・フランス・ドイツの清を貪(むさ
 ぼ)る歴史は書かないがこちらの方が侵略である・・
  その1例・・ホーチミン国家主席の怒りの言葉・・
  「・・彼ら(フランス)は学校より多くの監獄を建
 て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさ
 せた・・」(1945年の独立宣言に込められた怒り)
  アメリカも、フィリピンの非戦闘員の女性や子供を
 を含めて600人全員を皆殺しに逆する事例などがあり・・
  オランダも、インドネシアにおける事例があり・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領殿・・
    中国の一帯一路のお金を借りに行って、頭を下げて、
    「お金を貸してください」と言う必要はありません。
    貴国の貨幣であるフィリピン・ペソをどんどん刷って、
    貴国の国内の社会資本へ投資をすれば済むのです。
    下手に中国の「名目上の金」を借りると、フィリピン
   ペソでの返済は嫌だと言われて、担保にした貴国のどこ
   かの貴重な社会資本を担保に取られたりするというリス
   クが生じます。
.
紀元前8世紀、ギリシャの植民地が、イタリア半島の南部に
 作られた。
  ここは、「マグナ・グラエキア」と呼ばれた。
  ローマ人は、軍事力は強いが文化的には遅れていた。
  このイタリアのギリシャ植民地で、イタリア人たちは、
 ギリシャ文化の多くのものをギリシャ人たちから教えて
 もらった。
  ローマ字(ラテン文字)も、ギリシャ人たちから教え
 てもらったアルファベットから出来上がった。
.
紀元前304年、ギリシャなどの地域を領有したセレウコス
 1世が、インドのマウリヤ朝の王・チャンドラグプタの
 優位を認めて4州の支配権を譲って講和を結んだ。
  メガステネスは、このマウリヤ朝の首都・パータリプ
 トラへ赴いた。
  古代のギリシャ・・そのギリシャの宗教や神々は、エ
 ジプトから受け継いだ。
  そして、この古代ギリシャには、アジアから連れてき
 た奴隷たちが居た。
  この古代のギリシャ人の頭の中には、アジア人への蔑
 視観があった。
  アリストテレスも、「アジアの異民族に対しては動植
 物のように(扱ってよい)・・」と言っているくらいだ
 った。
  古代ギリシャ人の奴隷観は、「四本足」の羊や牛と同
 様、「人の足」を持った家畜だった。
  アリストテレスは、アジア人を「先天的に劣った人間」
 と考えていた。
  そして、この古代ギリシャ人の世界観は、「世界の周
 辺には様々な怪物たちが居る」と考えていた。
  紀元前4世紀~紀元前3世紀に、メガステネスは、イン
 ド王の宮廷へ大使として派遣された。
  (参考)メガステネス:ギリシャを含む大きな領域を
     治めたセレウコス朝に仕えたギリシャ人。
      このセレウコス朝とインドのマウリヤ朝の間
     で協定が結ばれた後、インドを赴いた。
      そして、「インド誌」を表わした。
      その中に、今まで以上に怪物を著わした。
  この様なギリシャ人の考え方が、ローマ人にそのまま
 引き継がれて行った。
  この様な非人間的な者への恐怖を形ばかりのもの、形
 骸化して、その恐怖を回避したい、安心を得たいとした。
  キリスト教聖書には奴隷の記述があるが、そして、キ
 リスト教は奴隷の所有を認めているが・・
  このローマ時代のキリスト教徒も、また同様に、奴隷
 と怪物の世界観を持っていた。
  キリスト教で教父と言われるアウグスティヌスも、「
 神の国」の中で怪物を論じている。
  ローマ時代の世界観は、ヨーロッパ(ローマ世界)は
 自由な市民=真の人間の住む地域とし・・、
  アジア(アフリカも)は一段と劣った人間たちの住む
 地とした。
  そして、アジアを「隷属」を特徴とする地域だとした。
  さらに、その外に、怪物たちの住む地域があるという
 世界観を信じていた。
  この時代のキリスト教徒たちの世界観だった。
     ・
     ・
1793年、アメリカ人のホイットニーによって、効率的な綿
 繰り機が作られた・・
  これによって、奴隷の必要性がさらに増した。
  アメリカの奴隷制は、さらに進展した。
  アメリカという国は、結局のところ、「北部政権」が
 牛耳っている。
  2017年の騒ぎ・・南部の象徴であるリー将軍の銅像を
 取り壊せという北部の圧力・・
  それに抗する南部の方々・・
  南北戦争のアメリカ南部の英雄「リー将軍」の銅像を
 壊せ、いや壊させない・・という圧力に抵抗する騒ぎで
 あった。
  アメリカ政権を牛耳るアメリカ北部政権にとって、「
 リー将軍の銅像」は、目の上のたん瘤の様に見えるのだ。
  この南北戦争前の19世紀の1800年代・・、
  イギリスは、産業革命が飛躍的に進展し、アメリカの
 綿花の必要性・需要が急激に増大した。
  アメリカとイギリスの戦争=独立戦争の頃は・・アメ
 リカのイギリスからの綿布輸入は途絶した。
  ここで、アメリカの自給自足への道は開かれた。
  綿花栽培が奨励され、ニューイングランド地方には、
 木綿工業が発展して行った・・
  イギリスに比べればわずかではあったが・・
  この時、画期的な事が起きた・・
  短繊維の陸地綿(アップランド・コットン)が導入さ
 れた。
  この綿花は、効率的に機械処理が出来た。
  1793年、アメリカの発明家イーライ・ホイットニーに
 よって、現代の機械的な綿繰り機が作られた。
  ホイットニーの綿繰り機は、ワイヤスクリーンと小さ
 なワイヤフックを組み合わせたものを使って綿を引き抜
 き、ブラシが綿くずを連続的に取り除いて詰まりを防い
 だ。
  これは、アメリカの綿花産業に革命をもたらした・・
  しかし、綿花労働者(黒人奴隷の方々)の需要が急速
 に増加したことで、アメリカに奴隷制の成長がさらに進
 展した・・アメリカに鞭の音が鳴り響いた・・。
.
19世紀前半、この頃・・アメリカは、カトリック陰謀論に
 取りつかれた。
  アメリカは、キリスト教プロテスタントの国であるが・・
  この清らかなプロテスタント国であるアメリカが、キ
 リスト教カトリックの陰謀で乗っ取られてしまうという
 妄想に取りつかれた。
  新聞もこの事を掻き立てた。
  スペインやポルトガルのカトリック国や、カトリック
 のバチカンは、「陰険な悪の一味だ」と言った。
  卑劣な事に・・これが高じて、19世紀末に、米西戦争
 が起きた。
  スペインが、カトリック国だということで、敵意が抱
 かれた(1940年代は日本だったが・・)
  アメリカには、カトリックの圧政から人民を救出する
 のだという「大義名分」が掲(かか)げられた。
  怖ろしいことに・・キューバ、プエルトリコ、フィリ
 ピンというスペインの植民地が、次々と攻撃された。
  そして、駆逐されて、陥落した。
  アメリカ国内のキリスト教カトリックの修道院さえも
 焼き討ちにあった。
  アメリカ国内のキリスト教プロテスタント教会が、こ
 の様な卑劣な運動に加担した。
  パラノイア、いわゆる「偏執病」の傾向が、アメリカ
 という国にはある。
  この様な性癖が、妄想思考が、アメリカ政治に染みつ
 いている。
  アメリカには、キリスト教の「選民思想」がある。
  アメリカは、キリスト教の神の特別な恵みによって建
 国された「例外的な国である」・・と考える。
  アメリカの独立宣言と憲法は、奇跡に等しいキリスト
 教の神の導きによって我々に与えられたものだ・・と考
 える。
  だから、アメリカ人は、何をおいてもそれを守らなく
 てはならない・・と考える。
  キリスト教を信じてない人々を敵視した・・
  また、その様なものと協調すると余計な負担を背負い
 込むと考えた。
  アメリカが享受する自由と繁栄を他国へ渡してはなら
 ない・・と考えた。
.
1924年9月1日、伊沢多喜男が台湾総督になった(~1926年
 7月16日)
  この「伊沢多喜男」を著書に書いた大西比呂志フェリ
 ス女学院大学教授は・・その著書に書く・・
  「伊沢多喜男は、台湾総督時代、台湾の人々に寄り添
 った統治を行ない、後々まで台湾の人々から慕われた」
 と。
  そしてまた、「伊沢多喜男は、決して理想通りには行
 かない政治の世界に、畏(おそ)れも持ちながら情熱を
 傾け、国家と国民に奉仕しようという意思が旺盛だった」
 と・・「真の政治家だった」と・・
.
1932年5月15日、犬養毅が没した(76歳)、五・一五事件
  犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4
 月20日)~1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治
 家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は
 木堂、子遠。
  「犬養毅」を書いたノンフィクション作家の堀川恵子
 氏(書名:狼の義)は言う・・
  「政治とは、様々な代償や犠牲を払いながらも、その
 時代に求められている理想や、あるべき姿を見せて行く
 こと」と・・
  そして、この書で、犬養毅の偉大さを掘り起こした。
  「犬養毅は、政党政治を守るために、死ぬ覚悟で首相
 になった人」と・・
  一部にある「軍部に遠慮した」という声を否定した。
  「犬養毅は、軍部に激しく批判を与え、また、極左と
 極右の双方を危険視し、時勢に抗(あらが)っていた」
 と・・
  そして、「弱者の人々に、とことん優しかった」と・・
  そして、「政治の世界はきれいごとばかりではないが、
 犬養毅たちが命懸けで築いて来た政党政治が、どんな苦
 闘の道を歩んで来たかを(皆様に)考えてほしい」・・
 と、堀川氏は言う。
  ラジオなどのあらゆる記録音源、あらゆる書物にアク
 セスして、堀川氏は犬養毅を掘り起こした。
  (参考)犬養毅の最後の日・・1932年(昭和7年)5月
     15日はよく晴れた日曜日だった。
      犬養は、総理公邸でくつろいだ休日を過ごし
     ていた。
      夫人も、また、秘書官や護衛らも外出してい
     た。
      犬養は、往診に来た医者に鼻の治療を受けて
     いた。
      体にはなんの異常もなく、犬養は医者に「体
     中調べてどこも異常なしだ」。
      「あと100年はいきられそうじゃわい」と言っ
     ていた。
      17時30分ごろ、警備も手薄の中、海軍の青年
     将校と陸軍の士官候補生の一団が、ピストルを
     ふりかざして乱入して来た。
      襲撃犯の一人である三上卓は、犬養を発見す
     ると即座にピストルの引き金を引いた。
      しかし、偶然にも弾が入っておらず不発に終
     わり、その様子を見た犬養は両手を上げて、有
     名な言葉「話せば分かる」を口にした。
      そして、将校たちを応接室に案内した。
      応接間に着くと「靴ぐらい脱いだらどうだ」
     と述べた。
      彼らに煙草を勧めたが、三上は「何か言い残
     すことはないか」と返した。
      その言葉を聞いた犬養は何かを言おうとした
     が、興奮状態にあった山岸宏が「問答無用、撃
     て」と叫び、別働隊であった黒岩勇が応接間に
     突入し・・犬養毅を銃撃した。
      同時に、三上も発砲した。
      三上の弾丸は犬養の頭部に命中した。
      襲撃者たちは犬養に重傷を負わせるとすぐに
     去って行った。
      女中たちが駆けつけると、犬養は顔面に被弾
     し、鼻から血を流しながらも、意識ははっきり
     していた。
      縋(すが)りつく女中を制して「いま撃った
     男を連れてこい」・・
      「よく話して聞かすから」・・と述べた。
      22時ごろに大量の吐血をしたが、驚く周囲に
     「胃にたまった血が出たのだよ。心配するな」
     と、逆に励ますほど元気だった。
      そして、見舞いに来た家人に「9発撃って3発
     しか当たらぬとは、軍はどういう訓練をしてい
     るのか」と嘆いたという。
      しかし、その後は次第に衰弱した・・23時26
     分に至り、絶命した
.
1940年5月10日、ドイツのヒトラーが、欧州戦線の西部戦線
 の大攻撃を始めた。
  ナチス・ドイツ軍は、戦車2500両、飛行機3000機とい
 う従来では考えられない大規模で、従来の戦闘スケール
 をはるかに超える攻撃態勢の機動部隊で侵攻を始めた・・
  ロンメル将軍の率いる戦車部隊は、要塞「マジノ線」
 を迂回した・・
  そして、アルデンヌの森を突破し、なだれ込んだ。
  鮮やかな電撃戦で、英仏軍を壊滅させた。
  2週間でダンケルクの港まで追い込んだ。
  オランダやベルギーは、相次いで降伏した。
  作戦の開始からわずか4週間の1940年6月14日、フラン
 スのパリが・・無血で占領された。
  ドイツは165師団を動員していた。
.
1949年、小国のルクセンブルクが、第二次世界大戦後の1949
 年に、NATOに加盟し、徴兵制度を採用し、1968年に
 志願制に移行した。
  これによって、永世中立、および、非武装政策を放棄
 した。
  日本の必要以上の「戦争忌避教育」・・そして、「自
 虐教育」によって、軍事力に対する正確な、理性的な判
 断が出来ない人間が増えている。
  卑劣なのは公共放送のNHKでさえ不公正な自虐放送
 を行なっていて・・この傾向を作っている。
  また、外務省という「大切な部署にいる官僚」である
 のに、その軍事力に関する考え方が空虚となっていて、
 まったく空白になっている状況・・
  日本の大きな損失が起きている・・
  軍事力の抑止力など「考え及ばない外務省担当者」と
 なっている。
  避けるだけでなく、「理屈なく嫌悪」し、否定する。
  これでは十分な国の仕事は出来ない。
  空論の非武装論の上にいる。
  「北朝鮮の核弾道ミサイルが着弾するまでは生きてい
 られるのだ」という論理・・
  何もないなら何もされないという言い方・・
  そんな論理が通るなら、「人類、苦労はしてない」。
  「何もない者たちこそが虐殺された人類の歴史」を見
 ていない。
  抵抗しない者、抵抗力がない弱い者こそが餌食となっ
 て、駆逐されて、絶滅されてきた。
  この地球上に「一切の軍事力を保有していない国家」
 や「常備軍は保有していないが、制限された軍事力は保
 有している国家」は・・『まったく、無い』・・
  もう一度言う・・まったく、無し・・
  ただ、太平洋上の小さな島々、大西洋上の小さな島々、
 インド洋上の小さな島々・・それしかそのような状態し
 かないというのが現状・・
  地球上には、「どこもかしこも軍隊を持った国々」と
 なっている。
  キリスト教精神の大本のバチカンでさえ「軍の組織を
 持っている」・・
  そして、その軍は、ローマ法王(教皇)の直属となっ
 ている。
  バチカンは、第二次世界大戦中、必死に非武装中立の
 立場を取ったが、そんなことは何の役にも立たず、空襲
 や占領による攻撃を受け、被害を受けた。
.
1970年代後半、朝鮮戦争の始まった原因について、この頃
 の日本人の多くは、メディアなどの洗脳工作によって、
 「北朝鮮や中国の側に立った考え方」をしていた。
  アメリカや韓国が攻め込んだ・・と・・
  今(2019年)は、「朝鮮戦争は、1950年6月25日に、北
 朝鮮軍が、突然、38度線を越えて韓国に攻め込んで来た」
 と誰でも知っているが・・
  1970年代の後半の当時は、「韓国とアメリカが、北朝
 鮮に攻め込んだから朝鮮戦争は起きた」・・と、まった
 く逆のことを固く信じていた。
  日本中の左派系メディアだけでなく、権威ある学者や
 知識人、新聞、雑誌が、こぞってその様に書いていた。
  それほど、中国や北朝鮮の「日本への世論操作の手」
 は伸びていた。
  1970年代と言えば、北朝鮮による日本人拉致も繰り返
 し「盛んに」行われていた。
  日本政府は、見て見ぬふりをしていた。
  しかし、中国や北朝鮮の工作は、止むことなく今・現
 在(2019年)も行なわれている。
  韓国は、その功がそうして「赤化してしまった」。
.
2015年2月19日、朝日新聞の慰安婦報道を外部から検証して
 きた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」
 が報告書を発表し・・
  1991年から1992年にかけての朝日新聞の慰安婦報道に
 ついて「強制連行プロパガンダ(宣伝)」と断定した・・
  この朝日新聞のプロパガンダによって、国際社会に誤
 った事実が拡散し、日本の名誉を傷つけていると結論づ
 けた。
  (参考)独立検証委員会:朝日新聞は2014年8月5日、
     6日付で、自社の慰安婦報道を検証する特集(
     以下、検証特集)を行った。
      遅きに失するものではあるが、過ちを認めて
     訂正をするのであれば悪いことではない。
      しかし、その検証は、自社の慰安婦報道に対
     するこの間の批判に反論、言い訳する目的でな
     されたものだった。
      その上、謝罪の言葉がなかったことや福島原
     発事故をめぐる誤報と相まって、かつてないほ
     ど朝日への批判が高まった。
      そこで社長があらためて謝罪会見を開き、「
     第三者委員会」なる組織に検証を依頼すること
     になった。
      7人の委員からなる「第三者委員会」は、同
     年12月22日付で報告書を公表した。
      その報告書は朝日の検証の問題点をある程度、
     指摘している点は評価できる。
      しかし、朝日の慰安婦報道がおかしくなった
     背景への分析がなく、その上、国際社会に与え
     た影響を分析する部分では、委員会としての見
     解をまとめられず、各委員の異なる見方が併記
     されるなど、不十分なものといわざるを得なか
     った。
      そこで私たちは昨年12月に以下のメンバーで、
     朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員
     会(以下、独立検証委員会)を発足させた。
  朝日新聞にはこの慰安婦問題以外にも数々の片手落ち
 の主張がある。
  その意味で、朝日新聞という新聞は、偏頗(へんぱ、
 片寄っていて不公平なこと)な新聞であるが、その論の
 浅薄さの論理のサンプルの一つが、「防衛よりも対話で
 日本の平和を守ろう」という主張がある。
  朝日新聞は、この論理が好きで、度々、この主張の論
 理展開をしている。
  この論理は、小学生でもわかる「当たり前の論理なの
 である」。
  こんな論理を振りかざして、事がなせるなら、誰も苦
 労はしない。
  「対話」で「そうですね」「そうしましょう」で済め
 ば苦労はいらない。
  その先が重要で肝心なのである。
  朝日新聞は、その手前で論理展開をしないで、肝心の
 所は逃げているのである。
  卑怯な論理に逃げ込んでいる。
  国連で長く色々な討議をして、際限なく討議されて、
 事を荒立てなく治めようと努力がなされているが、これ
 で戦争が無くならないから、国連は苦労をしているので
 ある。
  国連で話を尽くしても戦争は無くなったか?
  朝日新聞よ 無くなったか??・・否である。
  朝日新聞は、この事実に対し、目をつぶっていて逃げ
 ている・・卑怯な状態となっている・・
  どのように答えるのだ・・
  朝日新聞の言うことは、手前の論理で浅すぎる・・
  それで済ませる不完全な理想論なのであり、理想過ぎ
 るのである。
  子供に諭(さと)すような浅い論理で誤魔化している・・
 未完成の理想論で誤魔化す朝日新聞となっている・・
  それで済んだら歴史から戦争は無くなっているし、苦
 労はいらない。
  現実は、朝日新聞の様な空理空論のようには行かない・・
  朝日新聞は、良く中国や韓国に利する発言をするが、
 慰安婦問題の時も、ありもしない嘘を言って、「韓国の
 言い分」の言い方をし過ぎて来たが・・?
  結局、朝日新聞の捏造(ねつぞう)で、嘘記事だった・・
 そして、朝日新聞は謝罪したが・・
  この「防衛しないで」という空理空論も、「日本に防
 衛させたくない中国」の利する肩を持っているのではな
 いか?
  かつて、あちこちで日本を裏切った朝日新聞・・
  数々の日本裏切り行為の過去がある新聞、この論理も
 それではないのか?
.
2016年以降に、アメリカの財政状況はどんどん悪化した。
  アメリカの民主党を繰る金融業者たち・・
  アメリカ知識人たちは、この輩たちを毛嫌いしている。
  バラク・オバマ元大統領(民主党)は、この金融業者
 のゴールドマン・サックスの会長を務めたルービンにべ
 ったりだった。
  そして、アメリカの知識人は、アメリカの最大の脅威
 は、アルカイダよりアメリカの財政事情だと言った・・
  アメリカの連邦議会の予算局とホワイトハウス予算局
 は、「2016年以降、アメリカ政府の財政状況はどんどん
 悪化していく」と言っている・・
  医療費や年金は、絶対に切れないので、まず最初に削
 られるのは「国防予算」だと言っている・・
  そこまでアメリカは借金大国になっていて、国が潰れ
 る形になっている・・と・・
  アメリカに頼る日本の安全保障体制は、破綻する恐れ
 がある・・
  アメリカの財政事情が、どんどん悪化する状況で、こ
 れが避け得ないと予測されている状況にある・・
  日本は、早めに自力で立つ手段を講じなければならな
 い。
  気休めを言う輩の言葉に惑わされている「時間は無い」。
.
2017年8月、何故か?・・この頃(2017年8月)、船の衝突
 の話が多く耳に入った。
  マラッカ海峡で、アメリカ海軍のイージス艦が衝突し
 た・・、
  船腹に大きな穴が開いた。
  自力航行は出来るものの、沈没は免れたものの、任務
 の遂行が出来なくなった。
  このイージス艦は、中国が自国海域だと主張した南シ
 ナ海の「自由航行作戦」をしたばかりだった。
  また、ベトナム船が、この南シナ海で、中国船に、故
 意に体当たりをされて・・沈没している。
  この海域は、「自国の海域だ」と主張する中国の行動
 となっている。
  この衝突は、「黙って見てばかりではないよ」「おと
 なしくしてばかりしていないよ」と主張している中国の
 行動の様・・
  皆が、核を持ち・・
  核を使った戦争をしたら・・
  勝利する国は無い・・という、絶大な破壊力を持った
 兵器を持ち合って・・
  結局、戦争の出来ない世界において・・
  相手は何もやって来ないという状況の中において・・
  自分の主張を・・
  自国の主張を・・
  ある程度、強硬に主張した方が得だ・・という、考え
 方が・・働いているのだ・・
  だんだん・・ことは、大きくなる方向へ行くのだろう。
.
2019年、「日本は侵略した」と回答しないと、「正解にさ
 れない」という大学入試となっている。
  だから、大学予備校でも、「侵略した」と教えられて
 いる。
  フィリピンとインドネシアに日本は侵略したとプロパ
 ガンダ(嘘宣伝)されているが、これは間違いで、嘘。
  フィリピンもインドネシアも戦後に独立で出来た国・・
  そして・・第二次世界大戦のとき、日本は、フィリピ
 ンを植民地支配していたアメリカと戦った。
  そして、戦後、独立して、解放されたフィリピンとな
 った。
  インドネシアも同様で、インドネシアという国は無か
 った・・戦後に独立してインドネシアとなった。
  日本が戦ったのは、植民地支配していたオランダだっ
 た・・
  『日本は、アジアの方々と戦ったのではない』。
  真実を捻じ曲げて、アジアの方々が統治する国を日本
 は侵略したと教え・・それが、アジアの国々を植民地と
 してうまい汁を吸っていたアメリカやオランダに都合が
 良い形だった・・
  このプロパガンダに日本の人々はまんまと乗せられて
 来た・・そしてまた、「自虐史観」に陥(おちい)らせ
 られて来た・・
  「日本は、アジアの人々の国を侵略したのではない」・・
  日本は解放軍であった・・
  戦った相手は、アメリカやオランダやイギリスなどの
 アジアの方々を植民地としてうまい汁を吸っていた国が
 『敵だった』。
  しかし、このプロパガンダは、大学の入試でも「日本
 は侵略した」と回答しないと正解にならないという様に
 仕組まれていて、根が深い問題となっている。
.
2019年、日本に原子爆弾を持たせると、キリスト教国のア
 メリカは、キリスト教の教義の「目には目を」に洗脳さ
 れ、頭にこびりついているから、日本に仕返しの原爆投
 下をされると思っている。
  それが怖くて、日本に原子爆弾を持たせることが出来
 ない。
  アメリカの最大の同盟国に軍隊を持たせない事をして
 いるし、原子爆弾も持たせない。
  アメリカという国の一国だけで用が足りればいいが・・
  今まではそれでよかったが・・
  アメリカだけで事が処せればそれでよいが、昔からア
 メリカと対抗して来た中国は、豊かになりたいと、アメ
 リカへの対抗意識は隠して、爪を隠して、ここのところ、
 やって来たのだが・・、
  豊かになった今、豊かになって、目的を達して来ると、
 隠していた爪を出して来た。
  南シナ海に軍事基地をしっかり作り、「太平洋を半分
 くれ」と言い出す始末・・
  北朝鮮を属国化して、ソ連と手を結び、そのソ連・北
 朝鮮と組んだ中国には、アメリカ一国で対抗できない状
 況となっている。
  事大主義の韓国は、機を見るのに敏感だから、今やア
 メリカ陣営から離れて行った。
  ますます、アメリカは孤立化して来ている。
  中国には、アメリカの背後から狙う核兵器があるとい
 う。
  北極海を挟んで飛んで来ると思っていたミサイルが、
 反対側の方から飛んで来るという・・
  アメリカの想定したミサイル防衛網をまったく無力化
 しているという。
.
2019年5月24日、中国の銀行が破綻(はたん)した・・国家
 管理となる。
  中国経済は破綻している。
  今、中国に本物の「金融危機」が迫っている。
  その前兆である「包商銀行」が国家管理となるという
 事態が『このたび起きた』。
  (参考)中国、内蒙古の地銀を実質国有化:日本経済
     新聞、2019年5月24日
      中国人民銀行(中央銀行)と中国銀行保険監
     督管理委員会は24日、内モンゴル自治区の地方
     銀行、包商銀行の経営を接収したと発表した。
      「重大な信用リスクが起きたため、預金者と
     その他の顧客の合法的な権益を守るため」と(
     表面的には)理由を説明している。
  内部情報に詳しいものが行なうインサイダー取引のA
 TM(現金自動預け払い機)の役割をする行為の様だっ
 た。
  そのおかしい経営を立て直すために、中国建設銀行に
 委託され再編が試みられている。
  おかしくなった中国の金融機関の統合と再編が進む方
 向にある。
  中国の国としての破綻要因として言われていることは・・
  造り過ぎたマンションがあちこちに群れとなって存在
 する。
  実質的には空き部屋ばかりの空のマンション群・・そ
 の数:1億2000万軒という・・話にならない多さ・・
  そのローン残高は、6500兆円という苦笑いがでるべら
 ぼうな巨額・・
  その住宅ローンが爆発するという恐怖が「中国に存在
 する」・・
  中国の中間層の人々の反乱は時間の問題・・いつ起き
 てもおかしくないという。
  それより大きな問題が・・国家管理がなされていない
 と言っていい状態の「中国債務」・・
  いったい中国の債務はいくらあるのか?・・という問
 題・・
  BIS(国際決済銀行)は、3,750兆円の債務が中国に
 あると言っている。
  (参考)国際決済銀行:各国の中央銀行の相互の決済
     をする、1930年に設立された国際的な組織。
  GS(ゴールドマン・サックス)のエコノミストは、
 9900兆円だと指摘した。
  社債発行が、2018年の1年間だけで1兆ドル(108兆円)
 も発行していて、自転車操業となっている。
  短期の借り換え、借り換えという状況・・
  また、中国の地方政府の債務はどうなって居るのか?
  また、中国の国有企業の債務はどうなって居るのか?
  海外資産の売却の迅速化が要請されている。
  緊縮予算にもならなくて、相変わらず「軍拡」は続行
 している。
  中国新幹線も、赤字なんて何のその、赤字も構わず続
 行されるという「シッチャカメッチャカ状態」・・87兆
 円の赤字も無視されている・・
  国際通貨の米ドルの調達が・・「綱渡り状態」・・
  中国は、そのため、個人の両替を大幅に制限している。
  また、海外への米ドル持ち出しも年間で5万ドルまでと
 している。
  そして、海外への送金も3000ドルを上限とした。
  子供が海外留学していたら、この3000ドル(32万円)
 では生活できない・・
  中国庶民は困って、金塊を使う手やビットコインを使
 う手などで中国資金を持ち出している状況・・
  ラスベガスのチップまでが資金持ち出しの操作に使わ
 れているという「庶民の悲鳴がある」・・マカオでチッ
 プを仕入れて、ラスベガスでアメリカドルに換えている。
  中国経済は長持ちしない・・
  https://www.youtube.com/watch?v=D28OjJRnmI8
.
2019年6月9日、香港で100万人規模のデモがあった。
  デモ隊への攻撃がなされる。
  香港警察は「暴動」と表現した。
  香港から資本が逃げ出している・・
  香港の資本流出は、この1年、進んできたが・・この様
 な事態を迎え、今後はさらに加速する・・
  個人レベルでも香港脱出が盛んに行われている・・
  香港に残る人々は、その様な金のかかること、金が必
 要なことが「出来ない人たち」・・切羽詰まった方たち・・
  止む無く命がけの抵抗行動となっている・・
  香港で生きるしかないという切羽詰まった中でのデモ
 となっている・・
  このデモに参加した人たちはICカードを使わなかっ
 た・・
  デモに参加した痕跡を残す事を恐れたからだった・・
  だから、地下鉄の切符も行列を作って、皆は、切符を
 買った・・後からの弾圧を恐れた・・
  中国が繰っていること・・何が起きるかに恐怖した・・
  記録が永久に残ることを恐れている・・
  今の認証技術は、後ろ姿でさえ個人を特定できるとい
 う・・
  https://www.youtube.com/watch?v=D28OjJRnmI8
  産経新聞(2019.6.26)によると・・、
  香港の民主派団体メンバーらは26日、日本、米国、英
 国などの在香港総領事館を訪れ、28日から大阪で始まる
 20カ国・地域(G20)首脳会議で香港問題を取り上
 げるよう求める請願書を手渡すなどした。
  26日夜には、香港中心部で集会を開催。
  中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条
 例」改正案の完全撤回を要求するなど、香港政府への圧
 力を強めている。
  参加した民主派メンバーは香港メディアに対し、「各
 国首脳が香港の一国二制度を守るため、中国の習近平国
 家主席に圧力をかけることを希望している」と述べた。
  中国外務省の耿爽報道官は26日の北京での記者会見で、
 「G20は国際的な経済協力を話し合う場であり、主に
 経済、貿易、金融分野の問題を討論する」と指摘。
  「G20は香港問題を討論しないし、中国も香港問題
 を話し合うことに絶対に同意しない」。
  「完全に中国の内政に属することだ」と述べ、G20
 の場で香港問題を取り上げることについて改めて拒否し
 た。
  因みに、G20で、韓国のためにプログラムを割くの
 は無駄との状態となっている・・誠実で正直な行動をと
 らない韓国は、この様な状況に国際的になっている。
.
2019年6月15日、中国経済・韓国経済がおかしい・・その様
 な中、日本も「とばっちりを受けるリスクが大きい」・・
  韓国は、対中輸出がGDPの10%ある(日本はその3分
の1以下、3%弱)
  中国に頼り切る韓国・・
  韓国の経常収支が赤字に転落した。
  韓国通貨のウォンがだんだん下がって来ている。
  在韓国の外資が、資金を韓国外へ逃がすという状況に
 なっている。
  韓国の実体経済、及び、金融の面で、首がだんだん締
 まって来ている。
  中国経済の影響を大きく受けている状況にある。
  韓国の基幹産業の半導体が、中国のファーウェイと大
 きくかかわっているのがその要因の一つ・・これから、
 さらに本格化する・・
  韓国が、対中依存し過ぎたことのしっぺ返しとなって
 いる・・
  金融危機に、また韓国がなるという心配が、大きくな
 っている・・
  中国は外貨不足になっているが・・
  チャイナプレミアムが「なされる恐れがあり」・・こ
 うなったら、中国の息の根は止まる可能性が大きい・・
  中国の弱味・・チャイナ・プレミアム・・
  「ファーウェイは潰す」ということになっている可能
 性が存在する・・そうなったら中国共産党も生き残れる
 か?
  この様に揺れる経済状況の中にあって・・日本も安穏
 な政策を行なっていられないという今がある・・
  この様な中国と韓国の中で、日本の危機が、受け身で
 生じて来るという状態の中にある・・政府に「その自覚
 はあるのか?」・・
  対中国の、日本のかかわりが3%だからと安心していら
 れない・・経済には乗数効果がある・・
  リーマンショックの対米比率が、その頃の日本は2.8%
 だった・・この時以上の負の効果が起きる・・
  (参考)乗数効果:投資などの独立的な支出の増加が、
     その有効需要が所得増加の過程を経て一連の波
     及効果を出尽くしたとき、最初の独立的支出の
     数倍の所得の増加をもたらす効果のことをいう。
  しかし、韓国大統領・文在寅(ムン・ジェイン)は、
 どこに根拠があるのか、「韓国経済は大丈夫だ」と言う。
  逆に、「韓国経済は良い方向にある」と言う始末。
  国民が苦労していることが、心配していることが、分
 かっているのか?
  韓国経済を支える韓国財閥は崩壊の途にあるのに?
  そして、ファーウェイについては、「使わない」とは
 言わない・・「民間に任せる」と「きれいごと」にして
 いる。
  (参考)中国GDPの伸び:2018年、6.6%
        貨物輸送量 :2018年、7.1%
        消費の伸長 :2018年、8.4%
    固定資産投資の成長率:2018年、5.9%
        輸入額成長率:2018年.16.4%
        輸出額成長率:2018年.14.1%
.
2019年、中国は、沖縄に工作員と資金を送り込んでいる。
  政党や新聞社、テレビ局などに潜り込んだ「平和ボケ
 教」の信者たち・・
  ケント・ギルバート氏と長谷川幸洋氏の対談本「ケン
 ト&幸洋の大放言」・・
  副題が、「中・韓・沖縄にはびこるペテン師たちの正
 体」。
  そして今、沖縄の常識のある知識人が言う言葉・・
  「沖縄を本当に愛してくれるのらば、潤沢な豊富な資
 金を県民へ渡さないでください」・・餌の如くの資金を
 与えないでください・・である。
  莫大な特別予算、補助金、特殊利権に群がる・・
  右も左も金の亡者ばかり・・
  中国系の人間が今の沖縄を動かしている・・
  反基地運動をやっているのは、主に、本土の極左、在
 日、韓国居住者という現状・・
.
2019年、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領殿・・
  中国の一帯一路のお金を借りに行って、頭を下げて、
 「お金を貸してください」と言う必要はありません。
  貴国の貨幣であるフィリピン・ペソをどんどん刷って、
 貴国の国内の社会資本へ投資をすれば済むのです。
  下手に中国の「名目上の金」を借りると、フィリピン
 ペソでの返済は嫌だと言われて、担保にした貴国のどこ
 かの貴重な社会資本を担保に取られたりするというリス
 クが生じます。
  中国なんかに関わりを持たず、帰国のフィリピンペソ
 をどんどん刷って、帰国の必要な社会資本への投資にそ
 の金を使用すればいいのです。
  何も難しい話ではありません。
  逆に、中国と関わって、話を難しくすることは止めて
 下さい。
  他の国々の方々も同じですので、よくご検討ください。
  経済的裏付けのない中国の金を借りるリスクもありま
 すのでご注意ください。
  ドゥテルテ大統領殿・・ユメユメ、貴国の自国通貨の
 借金で、貴国が破綻するなど絶対ありませんので、これ
 を気になさらないようにしてください。
  誠実に必要な金であれば、いくら刷っても世間は何も
 言えませんから、建設的な金なら「中国などから借りず
 に」どんどん自国通貨を刷って使ってください。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸-1)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました(モンゴルの樺太侵攻、1264年の樺太アイヌへの攻
 撃など)
  2019年4月16日に衆議院と参議院で成立した「アイヌの
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります・・また、日本人がアイヌの人々を虐げてもいな
 いのに、さも、虐げ行為をしている様な法案名となって
 いる・・日本人を虐げている法案名となっている。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人の
 歯の遺伝子分析から科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。
  (追伸ー2)
  また、予備校が、キリスト教団体から金を渡され、予
 備校がしきりに、なんだかんだとキリスト教系の大学を
 宣伝している・・宗教的に不公正状態となっている。
  また、今・現在、予備校は、日本が侵略したと教え、
 日本を貶めている・・新たな歴史的史料に基づく教育も
 していない。
  「日本は侵略した」と回答しないと正解にされないと
 いう大学入試となっている。
  だから、大学予備校でも「侵略した」と教えなければ
 ならないと言う。
  フィリピンやインドネシアは、日本が侵略したとプロ
 パガンダ(嘘宣伝)されているが、これは嘘である。
  フィリピンもインドネシアも戦後に独立で出来た国で、
  第二次世界大戦のとき、日本は、フィリピンを植民地
 として支配していたアメリカと戦った。
  そして、戦後、独立してフィリピンとなった。
  インドネシアも同様で、インドネシアという国は無か
 った・・戦後に独立してインドネシアになった。
  日本が戦ったのは、植民地支配をしていたオランダで
 あり、日本はアジアの方々と戦ったのではない。

by suba28 | 2019-07-05 04:31 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)648E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)

題:(増補版)648E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月22日、流刑10年に処せられた閔泳駿(後に閔泳徽
 と改名)、赦免となる。
  朝鮮半島には李氏朝鮮が政権を握っていた。
  対外的に門戸を閉じ、閉鎖的な朝鮮の状況の中で、日
 本は、1876年の日朝修好条規によって、朝鮮を開国に踏
 み切らせてあげた。
  その様な朝鮮末期には保守的な党の事大党があった。
  事大党は、1882年の壬午事変から朝鮮政界を支配した。
  この事大党は、1882年の壬午事変で大院君(李氏朝鮮
 末期の王族、高宗の実父)を排除した閔氏一族を中心に
 形成された・・
  閔氏は朝鮮の一族に過ぎなかった。
  この保守的な事大党は、長く朝鮮に君臨して来た宗主
 国(中国の清)に従属することを主張して政権の維持を
 図った。
  何かと清の指図(さしず)を仰(あお)ぎ、清の軍人・
 袁世凱に特使を送って「その意見のお伺いを立てていた」。
  閔泳駿は、この袁世凱に推薦されて事大党に属してい
 た。
  1884年の甲申政変の後はさらに宗主国・清に接近して、
 優勢で羽振りも良かった・・日本との修好条規の規定も
 空洞化されたりもしていた。
  実権を握る閔氏一族の頂点には閔妃が居た。
  高宗も閔氏の専横に、朝鮮の将来に不安を抱いていた。
  しかし、その時代も日清戦争の後は一転していた。
.
1896年5月23日、野球の日本最初の国際試合が行なわれた。
  第一高等学校(後の東京大学教養学部など)野球部が、
 横浜の外国人野球チームと試合を行なった。
  結果は、29対4で、第一高等学校が大勝利した。
  この旧制一高ベースボール部と横浜在留アメリカ人の
 試合は、横浜公園でなされた。
  この時の、日本の旧制一高は、捕手以外は、皆、素手
 でやった。
  また、この頃の野球は、雨が降ると蓑笠(みのかさ)
 を付け、頭には「白はちまき」を巻き、腰に越中フンド
 シをし、ワラジばきといういで立ちだった。
  面白いエピソードとして・・ある遊撃手が袴(はかま)
 を着て出場したところ、「礼節を知る選手」として相手
 チームから絶賛された・・しかし、本当のところは、実
 際はゴロを後逸しないためだった。
  また、当時のストライク・ゾーンは三つあり・・
  目から胸までを「ハイボール」、腰までが「フェアボ
 ール」、膝までを「ローボール」と言っていた。
  そして、打者は、審判に向かって「余はハイボールを
 欲す」と予告した。
  そこに球が来なければ「ボール」となった。
  現在の様に「相手の弱点を狙わず」・・欲するものを
 与えて勝負する・・それが「正々堂々の試合」とされた
 という・・
  尚、この時、大負けしたアメリカチームは、再試合を
 申し込んで来た。
  その時のアメリカチームは、アメリカ東洋艦隊の選り
 すぐりのオールスターチームを結成して、再戦した。
  結果は、日本チームが、32対9の大勝で返り討ちにし、
 連勝した。
  この時、正岡子規は、第一高等中学の野球選手で・・
 1890年に卒業し、帝国大学文科に入学した。
  記録に(1896年分の外国試合のみが記載されていて)・・、
  1896年5月23日、在留米国人と横浜で試合し、29対4で
   日本の勝利。
  1896年6月5日、在留米国人と横浜で試合し、32対9で
   日本の勝利。
  1896年6月27日、米軍艦デトロイト号乗組員チームと
   向ヶ丘で試合をし、22対6で日本の勝利。
  1896年7月4日、在留米国人と米軍艦オリンピア号の連
   合チームと、横浜で試合をし、12対14で日本の負け。
   この試合には、アメリカチームにプロ野球選手のチ
   ャーチが入っていた・・
   野球発祥国・アメリカは、連敗続きで、あちこちか
   らの選りすぐりチームを編成して、是非、勝ちたか
   ったのだった。
.
1896年5月23日、播但鉄道の生野駅~和田山駅間の線路延長
 免許を受けて着工された。
  播但線(ばんたんせん)は、現在、兵庫県姫路市の姫
 路駅から兵庫県朝来市の和田山駅に至る西日本旅客鉄道
 (JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)で・・、
  兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本
 線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線。
  この路線は多くの鉄道ファンを引き付ける路線だった・・
 関西で代表的な非電化路線であり、1972年に蒸気機関車
 が廃止される時と、1992年3月14日の客車列車が全廃され
 る時には、多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた。
.
1896年5月23日、伊万里鉄道の建設免許状の下付がなされた
  (伊万里駅~九州鉄道有田停車場間)
  開業は、1898年8月7日、有田駅~伊万里駅間。
  この路線の建設の目的は、有田町で造られる陶磁器(
 有田焼)の伊万里港への輸送が主だった。
  九州鉄道と伊万里との連絡や、伊万里地区の炭田で産
 出する石炭の輸送もあった。
  しかし、物価騰貴の影響を受け、経営がうまく行かず、
 開業から1年たらずで九州鉄道に合併された(1898年12月
 28日、九州鉄道に合併)
.
1896年5月25日、「駅務従事員並ニ機関事務従事員へ徹夜食
 料支給方ノ件」制定(鉄運乙第721号、明治29年度から支
 給)
.
1896年5月26日、ダウ・ジョーンズ社(チャールズ・ダウ)
 がダウ平均株価を初めて発表した。
  12銘柄による平均株価としてスタートして、1928年以
 降は30銘柄で構成されている。
  チャールズ・ダウは、アメリカのコネチカット州スタ
 ーリング生まれ・・ハイスクールを中退後、新聞記者と
 なる。
  主に、ニューヨーク証券取引所での相場に関する記事
 を書いた・・
  この取材経験から「株価はすべての事象を織り込む」
 というダウ理論を提唱した。
  1882年に、エドワード・ジョーンズやチャールズ・バ
 ーグストレッサーと共に、ダウ・ジョーンズを設立した。
  当初は、手書きの経済ニュースレターをウォール街の
 経済関係者に配布を始めた。
  このニューズレターが、やがて発展して、1889年7月に
 『ウォールストリート・ジャーナル』となった。
  1896年のこの年、ニューヨーク証券取引所の株価動向
 を示す指標として、同紙に、ダウ・ジョーンズ工業平均
 株価を掲載した。
.
1896年5月28日、敦賀鉄道局出張所を福井に移し、福井鉄道
 局出張所と改称した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:NHKの自己チェック・システムは機能していない。
    NHKの学校放送などにも、教科書並みの検定制度を行なえ! 
    検定制度に「NHKの学校放送を組み入れよ!」
.
1793年、アメリカの黒人の方々への奴隷労働の強要
  綿花を効率的に処理できる綿繰機(コットン・ジン)
 が発明された・・そして、また、この機械は・・
  盛んに、黒人の方々を、アメリカ白人によって、機械
 の様に、人家畜として、非人道的な奴隷として、強制労
 働が行なわれていた。
     ・
     ・
1940年~1941年頃、アメリカは、日本へ奇襲をしていた。
  中国で、アメリカは、れっきとした正規のアメリカ軍
 兵士によって、日本へ奇襲をさせていた。
  日本のハワイの真珠湾攻撃を、アメリカは、盛んに「
 奇襲だ、奇襲だ」と言いつのっているが・・
  これは、アメリカが、、自分たちが中国で、日本を奇
 襲していることを隠し、薄めるためだった。
  アメリカは、日本の行動のすべてを知っていた。
  日本大使館の連絡行為を、すべて盗み取っていた。
  郵便物は、勝手に開封した・・開けていた。
  日本大使館の通信も盗聴し、暗号解読をして、日本の
 動きのすべてを知っていた(郵便物開封など卑劣な方法
 で暗号を知るという行為をしていた)
  ハワイへ向かう日本艦隊のその総べてさえ知っていた。
  アメリカは、それらのことを知らない振りをした・・
  日本艦隊がアメリカへ進む海を、アメリカは「真空の
 海」と称していた。
  戦後になって、中国での奇襲が知られると、アメリカ
 は、しらばっくれた・・
  それでも追及されると、「ボランティアだ」と卑劣な
 嘘を言った。
  しかし、アメリカ大統領が、正規の命令書を書いてい
 ることが明らかになった。
  その命令書が、アメリカ公文書館で発見され、その存
 在が確認された。
.
1941年8月、この頃、アメリカ大統領のルーズベルトの頭の
 中は・・「日本と戦争をする」で・・いっぱいだった・・
  そして、「戦争に勝って、日本から永久に軍備を取り
 上げる」だった。
  まだ、戦争が起きるか? 否か?の時にあってである。
  戦争を回避しようなどという考え・・避ける気などま
 ったく無かった・・
  日本とアメリカの戦争が始まる3か月も前に、すでに、
 アメリカ大統領のルースベルトは、日本と戦争をすると
 いう意思を『明確に』持っていた。
  日本が一生懸命「戦争回避の努力」をしても、この様
 なアメリカで、まったく無駄だった
  ルーズベルトは、イギリスのチャーチルへ、この事を
 語っている。
  このことが、『確かな事実』となっている。
  ニューファンドランド湾の沖合に停泊したイギリス艦
 の船上で会談した時だった。
  アメリカが、「日本が奇襲した」とか何とか言ってい
 るのは、作り上げられたプロパガンダである・・アメリ
 カの筋書き通りに進んでいるだけだった・・
  「すべて、アメリカが仕掛けを作って」始まった日本
 との戦争だった。
  「アメリカの陰謀」で戦争は始まった・・
  その翌年の1942年春でも、この事が証明された。
  この戦争を作り出したアメリカ大統領のルーズベルト
 の所へ、ソ連のモロトフ外相がやって来て、その会談の
 中でも、この時も、ルーズベルト大統領は、「日本は永
 久に軍備を持てない国にする」とその筋書きを言った。
  アメリカの軍事史家のマイク・シェリーも・・、
  「アメリカ政府は、1942年から、戦後の日本を独立し
 た外交政策が実行できない国にする」・・「日本から永
 久に自主防衛能力を奪うと決めていた」と言った。
  今・現代、北朝鮮の核ミサイルの攻撃の脅威にさらさ
 れている日本の姿は、この時、すでに決まっていた。
.
2000年~2009年、アメリカ白人の急速な高齢化
  アメリカの白人の45歳以下の人口は、840万人も減って
 いる。
  それに対し、白人の45歳以上の人口は、1260万人も増
 加している。
  アメリカの白人は、急速に高齢化している。
  これに対し、ヒスパニックの人たちは、若年多産状態
 にある。
  2009年、白人の老人が一人死ぬたびに、白人の赤ん坊
 は一人弱、生まれている。
  ヒスパニックの場合、老人が一人死ぬたびに、ヒスパ
 ニックの赤ん坊は9人生まれている(白人の場合の9倍以
 上)。
  2020年代には、アメリカの青少年の過半数は「非白人
 になる」。
  さらに、20年後(2042年頃)には、アメリカの白人は、
 半数以下となる・・アメリカの白人は、過半数を割る人
 種となる。
.
2001年1月20日、ジョージ・ブッシュがアメリカ大統領とな
 った(ブッシュ・子)
  アメリカ財政が、おかしくなった・・
  そのデーター事例・・
  ブッシュ大統領(子)の政権の時、アメリカのヘッジ・
 ファンド業者のトップ25人の総年収が、何と!アメリカ
 大企業の会長500人の会長・経営者の総収入より多いとい
 う事態となった。
  しかし、こんなに稼いでいる者たちの納税額は、「極
 端に少なかった」。
  こんな状態だから、アメリカは、財政破たん状態に陥
 (おちい)って来る。
  ヘッジ・ファンド業者に対する増税を「行なわせまい」
 と暗躍して、必死に阻止したのが「民主党の議員たち」
 だった。
  この連中の中に「ヒラリー・クリントン」も居た。
  何しろ、ヘッジ・ファンド業界の巨額な政治資金の7割
 が民主党へ貢(みつ)がれていた。
  因みに、トランプ大統領は共和党。
.
2006年4月、犯罪の巣窟であるNHKの報道局スポーツ報道
 センターのチーフプロデューサーが、カラ出張で総額約
 1762万円を横領し逮捕された。
.
2006年6月、犯罪集団と化しているNHKの横浜放送局職員
 が、知人の名前を使って保険証を偽造した。
.
2006年7月、NHKの山口放送局長が、カラ主張などで約51
 万円を着服した。
.
2006年8月、NHKのスポーツ報道センターの職員2人が、
 8万~10万円を着服し、減給と譴責処分となった。
.
2006年8月、NHKのスポーツ報道センターの職員が、経費
 精算の際に私的な会食の領収書を添付して約15万円を着
 服した。
.
2006年8月、民放のテレビを契約対象外として50年以上も受
 信料を未徴収であったことが判明した。
.
2006年9月、NHKサービスセンター職員が、入場売上を過
 少申告して約370万円を着服し懲戒免職となった。
.
2006年10月、NHKの富山放送局長が、万引きで逮捕され、
 停職3ケ月となった。
.
2006年10月、NHKエデュケーショナル社員が、児童買春
 をし、翌年の2007年に発覚し、逮捕された。
.
2006年12月、NHK職員が、電車内で男子大学生の下半身
 に触れ、現行犯逮捕された。
.
2006年12月、NHK政策局ディレクターが、大麻取締法違
 反(所持)の現行犯で逮捕された。
.
2007年1月、NHKの熊本放送局長が、女性スタッフにセク
 ハラで懲戒処分となった。
.
2007年3月、NHK職員が、川崎市の市道で男性をはね、死
 亡させ、業務上過失致傷容疑で逮捕された。
.
2007年3月、NHK報道局経済部男性記者が、深夜に住居侵
 入容疑で現行犯逮捕された。
.
2007年4月、NHKの松江放送局記者が、おにぎり1個を万
 引きし、窃盗罪で20万円の罰金刑を受けた。
.
2007年4月、NHKアナウンサーが、渋谷区内で強制わいせ
 つで現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHK政策局青少年こども番組部ディレクター
 が、強制わいせつ容疑で現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHKの番組制作局ディレクターが、電車内で
 女子高生の下着の中に手を入れて、尻を触り、強制わい
 せつで現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHK集金人(47歳)が、元妻を殺害し、殺人罪
 と死体遺棄罪で逮捕された。
.
2007年9月、NHK大津放送局記者が、平成7年に起こした
 連続放火事件で懲役7年の判決を受けた。
.
2008年1月、3人のNHK職員が、インサイダー取引を行い
 全員懲戒解雇され、当時の橋本会長も引責辞任した。
.
2008年1月、NHK経営委員が経営する企業が、7年間で約
 1億5千万円の所得を隠し、摘発された。
.
2008年1月、NHKの水戸放送局記者が、無免許運転で追突
 事故を起こし逮捕された・・免許停止の最中だった。

2008年2月、NHK職員が、イベント会場で、私物のノート
 パソコンを使って、わいせつ映像を流した。
  NHKは、わいせつがらみの犯罪が多い状況。
  金を誤魔化す事も多いが・・
.
2008年5月、NHKの10人以上の職員が、NHKの局内の職
 場で株取引をしていたことが発覚した。
.
2008年5月、NHKが、消費税13億3千万円の申告漏れを東
 京国税局から指摘されたと発表した。
.
2008年5月、NHKが、札幌の写真家の写真をニュースで無
 断使用した。
  告訴をされて、40万円の支払いを命じられた。
.
2008年7月、さいたま放送局のNHK集金人が、覚せい剤取
 締法違反と無免許運転で逮捕された。
.
2008年8月、不正で懲戒処分され、退職した富山・山口・熊
 本の各元放送局長たちを、NHK関連団体で再雇用して
 いた事実が判明した。
.
2008年9月、NHKの船橋営業センターの委託契約職員が、
 コンビニから現金約50万円を盗んだとして窃盗容疑で
 逮捕された。
.
2008年12月、NHKの「プロジェクトX」担当エクゼクテ
 ィブ・プロデューサーが衣料品を万引きして逮捕された。
.
2008年12月、NHKの京都放送局職員カメラマンが、宿泊
 費約60万円を着服し、懲戒免職。
.
2009年3月、NHKの「クローズアップ現代」の取材中に外
 部プロダクションのカメラマンらが、列車の運行を妨害
 した。
.
2009年4月、「NHKスペシャル、日本海軍400時間」の撮
 影スタッフが、中国共産党の宴会で泥酔して死亡した。
.
2009年7月、NHKが、退職者の企業年金の一部を、受信料
 から補てんしていた。
  2007年に約100億円・・2008年に約123億円。
.
2009年7月、漫画家の唐沢なおき氏が、NHKの「やらせ」
 に激怒し、取材拒否し話題となる・・、NHKが謝罪。
.
2009年7月、NHKの高知放送局技術部職員が、女性のスカ
 ート内を盗撮し、書類送検された。
.
2009年9月、NHKの秋田放送局放送部の女性スタッフが、
 仕事中に職場で飲酒・・また、後に飲酒運転で検挙され
 た。
.
2009年10月、特許製品の開発者に、NHK記者が、取材協
 力を強要するような脅迫的なメールを出した・・抗議さ
 れる。
.
2009年11月、NHKの技術制作局のカメラマンが、電車内
 で女性の下半身に触れた・・現行犯逮捕された。
.
2009年12月、NHKエデュケーショナルの不正受領が発覚
 した・・農水省から補助金4400万円。
.
2010年1月、NHKの営業局職員が、品川区の公園で女性に
 下半身を露出し、公然わいせつで逮捕された。
.
2010年4月、NHKサービスセンター福岡支局職員が、朝の
 電車内でOLに痴漢し、現行犯逮捕された。
.
2010年5月、平成19年放送の「NHK海外ネットワーク」イ
 ンド経済特集で、ヤラセが発覚した・・NHKが謝罪し
 た。
.
2010年5月、NHKの横浜放送局職員が、酔って商店街のシ
 ャッターを蹴り、注意した警察官に掴みかかり現行犯逮
 捕された。
.
2010年7月、NHKサービスセンターの偽装派遣が発覚した。
  東京労働局の指導を受けていた。
.
2010年10月、NHKの報道局スポーツ部記者が、日本相撲
 協会関係者に警察による家宅捜査の情報を漏洩した・・
 捜査を妨害。
.
2011年1月、NHKの首都圏放送センターのディレクターが、
 車上荒らしをしようとして窃盗未遂で現行犯逮捕された。
.
2011年1月、NHKの松江放送局ディレクターが、男子更衣
 室に潜入し、男性の裸体を盗撮しようとして現行犯逮捕
 された。
.
2011年2月、NHKの札幌放送局職員が、速度違反等で免許
 取消中に無免許運転で逮捕された。
.
2011年2月、NHKの名古屋放送局職員が、オシロスコープ
 などの放送機材を盗んだ・・ネットで販売し、窃盗容疑
 で逮捕された。
.
2011年2月、NHKの金沢放送局の委託カメラマンが、主婦
 を殺害した・・無期懲役。
.
2011年3月、NHKプラネット中部支社契約スタッフが、引
 越し荷物を置き引きし、窃盗で逮捕された。
.
2011年3月、NHKアート社員が、酒に酔ってタクシー内で
 嘔吐し口論となった・・運転手を殴り逮捕された。
.
2011年8月、NHK本部のチーフプロデューサーが、女性の
 スカート内を携帯カメラで盗撮し、逮捕された。
.
2011年9月、NHKの千葉放送局職員が、靴に仕込んだ小
 型カメラで女性店員のスカート内を盗撮して逮捕された。
.
2012年2月、NHK、松山放送局が、原稿閲覧システムの操
 作を権限のないアルバイトに任せていた。
.
2012年2月、NHK、編成部のディレクターが、麻薬所持で
 逮捕された。
.
2012年3月、NHK、ディレクターが、出演者にヘッドレス
 トを外して走行させて撮影し、道路運送車両法違反で逮
 捕された。
.
2012年5月、NHKの鹿児島放送局のNHK集金人が、放送
 受信契約書を偽造した。
.
2012年7月、NHK集金人が、千葉市内で業務中に下着泥棒
 で現行犯逮捕された。
.
2012年7月、NHK職員2人が、脱法ハーブを使用し、警察
 に事情聴取される。
.
2012年10月、NHKディレクターが、タクシーを数回蹴っ
 てドアをへこませ、現行犯逮捕された。
.
2012年12月、NHK、ニュース番組「おはよう日本」の人
 気アナウンサーが、電車内で強制わいせつで現行犯逮捕
 された。
.
2012年12月10日、プレイバック芸能スキャンダル誌 元NH
 Kアナ松平定知が、タクシー運転手を暴行した“殿”の
 ご乱心”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊現代 (2012年12月
 10日). 2017年8月11日閲覧。
.
2013年2月、NHKの静岡放送局の記者が、飲酒運転で追突
 事故を起こし現行犯逮捕された。
.
2013年5月、NHKの富山放送局スタッフが、窃盗自転車に
 二人乗りしていた所を職務質問されて、覚せい剤使用が
 発覚して逮捕された。
.
2013年6月、NHKが、危険なため1秒3回までの光点滅基準
 を上回る光点滅映像を45回も放送し・・謝罪する。
.
2013年10月16日、NHKの放送技術研究所の主任研究員が、
 架空発注で約280万円を詐欺し、懲戒免職となった・・詐
 欺で告訴へ 産経ニュース
.
2013年10月、NHK集金人が、広島で一人暮らしの18歳の
 少女宅を訪問し、受信料を支払えないなら体で払えと迫
 り強姦未遂で逮捕された。
.
2014年3月、NHKビジネスクリエイト営業部長が、約1億
 4千万円の売上水増しと隠蔽工作で懲戒解雇された。
.
2014年3月、NHK出版の学芸図書編集部の編集長が、約
 1350万円を不正流用し、懲戒免職となる。
.
2014年3月、NHKの横浜放送局かながわ東営業センター副
 部長が、同僚の財布から現金を繰り返し盗み・懲戒免職
 となる。
.
2014年4月、NHKの関連会社に出向中のNHK職員が、ス
 ナックの女性従業員を殴り、怪我をさせて現行犯逮捕さ
 れた。
.
2014年6月、NHKの高松放送局のスタッフが、取材先の民
 家で財布を盗んで逮捕された。
.
2014年6月、NHKの釧路放送局職員が、出張旅費を水増し
 請求し、約155万円を着服し、懲戒処分となる。
.
2014年11月、NHKの報道局の女性記者が、バッグを盗ま
 れたと警察に虚偽の通報した。
  社用の携帯紛失を隠すためだった。
  軽犯罪法違反で書類送検された。
.
2014年11月、NHKの放送文化研究所職員で、元NHKア
 ナウンサーが、飲酒運転でバイクに衝突し、「ビール数
 本飲んだ」と供述し、現行犯逮捕された。
.
2014年12月、NHKの旭川放送局職員が、17歳少女の財布
 から現金33000円を盗み、ラブホテルから逃走した・・窃
 盗罪で逮捕された。
.
2014年12月、NHK放送文化研究所の上級研究員が、飲酒
 運転で40万円の罰金、論旨免職となる。
.
2015年1月、NHK松山の契約スタッフが、知人宅の窓ガラ
 スを叩き割り逮捕された。
.
2015年3月、NHK、「クローズアップ現代」の取材に協力
 した男性が、NHKの記者に依頼されて架空の人物を演
 じたと週刊文春で告白した。
.
2015年6月、NHKの小会社の部長が、十数回もカラ出張を
 申請し、百数十万円をだまし取った・・論旨免職となる。
  上司数人も懲戒処分となる。
.
2015年7月、NHKインターナショナルのエグゼクティブ
 プロデューサーが、危険ドラッグを輸入して逮捕された。
.
2015年12月、NHKの小会社の職員2人が、6年で300件の架
 空工事をでっち上げ、2億円を横領した。
.
2016年1月、NHK・・危険ドラッグ所持で塚本堅一アナウ
 ンサーが逮捕された。
  アナウンサー室が家宅捜査された。
.
2016年1月、NHKさいたま放送局の記者によるタクシー券
 百万円以上の私的利用が発覚した。
  神戸放送局や大阪放送局でも、私的利用が発覚し、不
 正は全国規模におよぶ模様。
  この事態にNHKは全国調査をすると発表した。
.
2016年6月、NHKアナウンサー2人が、不倫カーセックス
 で降板した。
  番組終了1時間後、市街地から車で15分ほど離れた片側
 1車線の狭い道路で性行為をしていた。
.
2016年7月、NHK室蘭放送局の現役女子アナが、援助交際
 希望の女性を男性会員に紹介するという行為をした。
  「高級愛人クラブ」に登録していたことを本人が認め
 た。
.
2016年9月、NHKの30代男性職員が、休日出勤したと嘘の
 報告をし、勤務手当26万円をだまし取ったとして3か月の
 停職処分となった。
.
2016年12月、NHKの子会社「アイ・テック」元社員2人が、
 懲戒解雇となった。
  ダミー会社「ケイネット」に架空の発注を重ねていた。
  約2億円を不正に受領した疑い。
.
2017年1月、NHK大津放送局技術部職員が、弁護士事務所
 へ「殺す」と電話をし、恐喝容疑で逮捕される。
.
2017年1月、NHKがひた隠す・・受信料ネコババ職員(横
 浜放送局営業部)の自殺。
.
2017年1月、NHK福島放送局の20代の男性記者が、業務用
 のタクシーチケット十数万円分を不正に使用したほか、
 時間外手当を不正受給していた。
  不正額は計約20万円。
.
2017年2月、NHK山形放送局阪田報道室記者(28歳)、強
 姦致傷と住居侵入の疑いで逮捕された。
  NHKは、1万200人の職員だが、10年で70人以上が逮
 捕されている。
  他の民間放送局は、NHKの半分の職員で10年間で1人
 か2人なので、如何にNHKが犯罪の巣窟かが分かる。
  NHK職員の平均年収は1780万円・・膨大な給料とな
 っている。
  受信料(売上げ6千数百億円)で、ぼろもうけとなっ
 ているNHK。
  総資産が1兆円を超える金持ちのNHK。
  巨額な受信料で潤(うるお)うNHK・・それにぶら
 下がる企業が多い。
  また、NHKは、中国と甘い関係にあるNHKとなっ
 ている。
  その関係もあって、中国共産党の特別な待遇を受ける
 NHKで、中国紀行も制作したが、その見返りなのか、
 NHKは、国会のすべての委員会のすべてのビデオを中
 国に渡しているという・・
  中国へ情報を渡すスパイ行為をしているNHKとなっ
 ている。
  NHK建物内のNHK本部に、中国共産党の宣伝謀略
 機関が同居しているという。
  参考:https://www.youtube.com/watch?v=4TvBE1oyUAU
.
2017年3月30日、警視庁調布署は、強制わいせつ容疑で、
 NHKが業務委託する会社の社員を逮捕した。
  2016年11月14日、受信料の契約のために訪れた調布市
 内のアパートで、強制わいせつ。
.
2017年、アメリカは、巨額の医療支出となり、その負担に
 耐えられない状態にある。
  アメリカは、恒常的な財政危機状態に陥(おちい)る。
  アメリカの繁栄の姿は・・砂上の楼閣である。
  GDPの20パーセント以上も使わねばならない状況と
 なる。
  トランプ大統領おろしなんか「やっている暇はない」。
  アメリカの医療費負担の足かせは、非常に重い。
  また、アメリカの危惧する事は、外国などに金を借り
 続けてきたこと。
  アメリカの借金が超巨額になり、半端ない状態となっ
 ている。
  豊かに見えるアメリカ人・・だが、実際は、巨額な対
 外債務の負担に耐え切れない所に来ている。
  ウォーレン・バフェット氏も言う・・
  「2010年代後半、アメリカは、深刻な財政危機と通貨
 危機を引き起こすだろう」と・・
  そして、「アメリカの国内政治は、動乱状態になるか
 もしれない」と・・
  今、トランプ大統領を、チクチクやっているのは、そ
 の始まりなのか?
  アメリカの分配が、極端に不公正になったことが、そ
 もそもの問題の始まりだった。
  グローバル化だなんて言って、富める者がより富んで・・
  超富裕層が出る割に、貧困層がますます増え・・、
  そして、行きつくところは、税金を納めていた中間所
 得層まで居なくなるという偏した経済事情が、総てを、
 崩壊させた。
  その超富裕層の金が、アメリカを繰り、世界を繰り、
 日本を繰っている。
  1945年から1975年のアメリカ経済の所得配分システム
 は、公正(フェア〉だった。
  この状態に戻さなければならない。
  働いた人たち・皆に、働いた報酬がしっかり配分され
 ていた。
  自分の生産性上昇率に見合う所得増加も得ていた。
  アメリカは、それが駄目になってしまった。
  2019年の日本も・・?
.
2018年12月8日、中国・・痛い目に会わなければ分からない
 のか??
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序 [桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
 ・釧路の広大な土地が中国に買われている。
 ・10万人が人質になっている・・自由に中国から出国で
  きなくなっている。
 ・資金も中国から引き上げられなくなっている。
 ・これからは多極化する・・防衛も多面的になる。
 ・ロシアは、シベリアなどの広大な地を守り切れていな
  い・・ここへ浸透している中国・・
 ・パンダ債・・日本が一帯一路を応援しているのか?
  中国内では、「日本が一帯一路を応援している」と言
  われている。
 ・アジア諸国で、日本の本心が疑われている。
 ・「日米同盟強化」と言われているが、言葉だけで、
  実態はそうなっていない・・南西諸島などをどう守る
  のか?
 ・日米安保を改定して双務性(そうむせい)を強化する
  などしなければならない・・
  日本の対中の力は落ちている・・双務性は絵に描いた
  餅になる方向にある。
 ・アメリカの共和党は、「日本の核武装を進めるべき」
  と言っている・・アメリカは米本土に退くという方向
  なので、日本は核武装して守れの論理。
 ・相互防衛条約に安保を持って行くべき。
 ・X‐35を100機買う。
 ・財務省は、金があるのに防衛できるのに嘘で抑えてい
  る。
 ・アメリカの核の日本国内展開をさせるのが「急ぐべき
  日本の現状の対応策」。
 ・中国共産党は、日本へのコントロールに成功している・・
  日本の政治家は中国寄りになっていて、自由な発言が
  出来なくなっている。
 ・中国が明らかに脅威であるのに、「仮想敵国だ」と言
  えない日本・・
  だから、対応策が取れない日本となっている・・やり
  たい放題にされる日本となっている・・
 ・統一朝鮮がその後の脅威となり、仮想敵国となる・・
 ・超音速の滑空体に中国は成功している・・
  これに核が搭載される・・世界で唯一成功している状
  態・・
 ・大国は、都合のよい時は国際法を守る、都合が悪くな
  ると兵を送る・・この様な国が、今、日本の周りを取
  り囲んでいる・・
 ・痛い目に会わなければわからないのか??・・中国も
  そうだが・・日本も・・
.
2019年6月2日、中国が、台湾問題で「戦いを辞さず」と言
 った・・中国の国防相の発言
  また、南シナ海の人工島の戦略拠点化は自衛だと言っ
 た。
  以下、読売新聞による概要・・
  中国の魏鳳和(ウェイフォンフォー)国務委員兼国防
 相は2日、シンガポールでの「アジア安全保障会議」で
 演説した。
  台湾問題で武力行使を辞さない姿勢を強調するなど、
 米国を意識した攻撃的な発言が目立った。
  「台湾を分裂させようとするなら、中国軍はいかなる
 代償を支払ってでも、戦うことをためらわない」
  演説では魏氏は、米国を念頭に声を張り上げた。
  独立志向の強い台湾の政権与党・民進党を名指しして、
 「中国軍の意思を見くびれば極めて危険だ」と警告した。
  南シナ海問題については、米国による「航行の自由作
 戦」が「南シナ海を不安定化する最大の原因だ」と語り、
 人工島の軍事拠点化は自衛目的だとの従来の主張を繰り
 返した。
  中国軍の役割に関する説明では、「祖国の神聖な領土
 を一寸たちとも失うわけにはいかない」と述べた。
  中国がこの会議に国防相を派遣するのは8年ぶりで、米
 国に妥協しない姿勢を示すのがおもな狙い。
  米海軍艦艇が今年に入り台湾海峡を5回通過するなど、
 中国が絶対に譲歩できない「核心的利益」と位置付ける
 台湾問題での(米国の)圧力は増している。
  強硬発言の一方で、魏氏は米国に向けて「衝突して戦
 争になれば、両国ばかりか全世界の災いとなる。
  衝突せず、互いに尊重する正しい軌道に向かうべきだ」
 と訴えた。
  (ならば、南シナ海の基地化を停止せよ!)
  ただ、会議に合わせて行った米国のシャナハン国防長
 官代行との会談などで、協調を打ち出せたテーマは、北
 朝鮮の非核化の推進にほぼ限られるなど、米中の歩み寄
 りは難しい状況。
  アジア安保会議は3日間の日程を終え、2日に閉幕した。
  (そもそも、南シナ海の中国の行為は、国際司法裁判
 所が「違法行為だ」としている・・中国は、この判決を
 受け入れよ!)
.
2019年6月2日、中国が、対米交渉で「譲歩せず」と言った。
  米中の貿易摩擦で「アメリカが、中国に理不尽な注文
 を付けている」と、中国の白書で発表した。
  読売新聞によると・・抜粋・・
  中国政府は2日、米中貿易摩擦に関する新たな白書を発
 表した。
  圧力をかけて譲歩を迫る米国の手法を強く批判し、「
 中国は核心的利益にかかわる原則問題では絶対に譲歩し
 ない」などと対決姿勢を鮮明にした。
  白書は「中米貿易協議に関する中国の立場」と題する
 もので、1日に対米報復関税を発動した中国の主張を国内
 外に宣伝する内容となっている。
  白書では、貿易摩擦は米中両国や世界経済に悪影響を
 与えたと指摘した。
  貿易協議が暗礁に乗り上げた原因について、「米政府
 が理不尽な注文をつけ、追加関税の撤回を拒否し、中国
 の主権にかかわる要求を協定文に書き込むことに固執し
 たため」と、米国側の対応に非があったと強調した。
.
2019年6月11日、反日的なNHKの学校放送
  日本の高校生などの若者が、NHKによって反日に洗
 脳されている・・
  NHKの学校放送などにも、教科書並みの検定制度を
 行なえ! 
  検定制度に「NHKの学校放送を組み入れよ!」
  NHK・・中国の「反日民族主義」を支援し、中国の
 代弁者の様に中国に偏する放送をしている・・
  日本の公共放送という立場を失っているNHKとなっ
 ている。
  NHKは反日放送をし続けている。
  その1例の学校放送・・
  NHKの重点は、日本の青少年向けに、中国の反日民
 族主義の言う反日放送・・
  その一つ、高校講座の日本史・・
  以下のように偏していて、プロパガンダ内容・・
  若い高校生の頭を、反日的に誤認混同させる説明・・
  中国寄りの偏った説明・・中国に都合よいことばかり
 を言っている。
  公正な、平等な、説明史料で説明していない。
  1例・・2019年6月11日、午後14時15分現認、NHKE
 テレビ、番組名:「高校講座、日本史」。
  北海道と沖縄を特に取り上げて・・
  北海道の場合、アイヌのシャクシャインの戦いのみを
 特に取り上げ・・
  その説明も表面的で、まったく偏った断定的な言い方・・
  「アイヌが松前藩と戦い、従うようになった」と結論
 だけを教える形で、それを大きな字幕で見せ、印象付け
 る洗脳的な教え方・・
  まったく掘り下げもなく、広がりもなく、その前後の
 説明もなく・・表面的にその一部しか教えず、それも、
 その結果、松前藩が武力で従えた様に放送し、印象付け
 るという形となっている・・
  これでは、「間違いだ」と言える状況であった。
  この例の事実・史実を言えば・・
  この戦いの起きる前には、アイヌ同士のテリトリーの
 戦いなどがあったりして、アイヌ同士の不満は高まって
 いて、アイヌ社会は不安定であった。
  この前段階の説明がまったく無い・・
  アイヌ同士のその不穏な繰り返される戦いが、松前藩
 へ向かう戦いへと拡大して行った・・
  その様なと経過が、まったく説明されていない・・
  そのため、突然、アイヌに戦いを挑んだ松前藩が武力
 で抑え込んだという様な印象の説明になっている。
  『アイヌが松前藩へ攻撃を仕掛けた』というのが事実・・
  その他の万事が、この様なNHKの教え方で、偏った
 印象を与える教え方の状況となっている。
  この様に、NHKは反日的に印象付け、誤解を与える
 説明の放送の仕方をし続けている。
  北海道は、日本書紀にも記されていて、日本とは古い
 時代からのかかわりがあった・・
  この様なことなども一言も説明しないというNHKと
 なっている。
  また、NHKは、北海道に縄文遺跡があることも説明
 していない・・
  また、その北海道の縄文遺跡の縄文人の歯のDNAか
 ら日本人の祖先だと分かったことも説明しなかった。
  日本人の痕跡を消そうとするNHKの学校放送の説明
 で・・反日的となっている。
  北海道は選挙権の実施が遅いから日本という意識は無
 かったとか・・捏造的な、こんな反日的な説明ばかりだ
 った。
  こんな印象付けばかりやる教え方だった。
  NHKは自己検閲をしていると言うが、この体制が「
 十分な効果を発揮していない」・・
  NHKの学校放送も『教科書並みの検閲をせよ!』
  この番組の沖縄に関しても、中国に不利な史実はまっ
 たく触れずに放送した・・まったく偏った状況にあった。
  北海道と同様に、反日的にばかり教えている。
  中国・清が、台湾を「化外の地」と言って、清とはま
 ったく関係ないと言ったことなどまったく説明せず・・
  その先の地の沖縄も、中国・清とはまったく関係ない
 地だという態度だった
  この様な中国・清の状況をまったく説明しないNHK
 だった。
  中国に都合のよい話ばかりを連ねるNHKの学校放送
 だった。
  NHKの自己チェック・システムは機能していない。
  NHKの学校放送は、教科書検定と同じレベルで行う
 ようにすべきである。
  この様なNHKに、ネット配信を許可したが、この様
 に自己チェックシステムが機能してないのならば、NH
 Kの高校講座の日本史などのネット配信の公開の場では
 反論を受けるページを作れ。
  また、この公開の場で、NHKは正しい歴史的反論を
 行なえ!・・
  現状は無チェックで、NHKの言いたい放題的となっ
 ている・・NHKからの一方通行の押し付けとなってい
 る・・
  NHKの自己チェックシステムの改善を行なえ!
  この様な偏する放送を制作している制作責任者を公表
 せよ!
  陰で反日活動をする行為は止めよ!
  その他の放送番組についても、この様に公開の批判を
 受けるページを作りなさい!・・
  その対応を公開で行え!
  その後の世界史のNHK高校講座も、ソ連誕生をまっ
 たく美しく放送している・・
  労働者の建国という美化の視点で説明した・・
  こんなことを年がら年中行っている・・
.
2019年6月12日、北朝鮮が、潜水艦の新たな造船を継続して
 いる。
  アメリカの研究機関の分析では、SLBMの搭載が可
 能としている。
  (参考)SLBM:潜水艦発射弾道ミサイル、現用兵
     器は、すべて核弾頭を装備する戦略兵器で、爆
     撃機や大陸間弾道ミサイルと並ぶ主要な核兵器
     運搬手段。
  以下、読売新聞によると・・
  米国の北朝鮮問題研究グループ「38ノース」は12日、
 北朝鮮が東部・新浦(しんぽ)の造船所で、潜水艦発射
 弾道ミサイル〈SLMB)を搭載できる潜水艦の新造を
 継続しているとの分析結果を公表した。
  4月~6月に撮影された衛星写真を分析したところ、部
 品は機材を移動していることが確認できたと言い、38ノ
 ースは「新たな潜水艦の建造が続いていることを示すも
 のだ」と分析した。
  係留施設では新たなクレーンの設置などの動きを確認
 したが、作業自体は限定的とみられるという。以上
  (関連情報)韓国も潜水艦を建造していて、北朝鮮と
      統一できたら、北朝鮮の核ミサイルを搭載し
      たい(搭載予定)としているという。
.
2019年6月14日、モンゴルが、中国の陣営に入るのか?
  この日の読売新聞によると(抜粋)・・
  上海機構、揺れるモンゴル・・中露が正式加盟迫る。
  中国とロシアが、欧米主導の国際秩序に対抗する地域
 協力機構「上海協力機構(SCO)」の拡大を目指し、
 オブザーバー国のモンゴルに正式加盟の働きかけを強め
 ている。
  モンゴルは、欧米と中露の間でバランス外交を続けて
 きたが、中露への経済依存が強まるなか対応に揺れてい
 る・・中略・・
  (参考)上海協力機構:SCO、2001年、中国とロシ
     ア、中央アジアの4か国(カザフスタン、ウズベ
     キスタン、キルギス、タジキスタン)の計6か国
     が上海で設立した。
      2017年にインドとパキスタンが加わり、正式
     加盟は8か国。 
      イランなどはオブザーバーに名を連ねる。
      加盟国同士による合同軍事演習も実施し、欧
     米への対抗組織として存在感を高めている。
  SCOは、加盟国同士のインフラ(社会基盤)の連結
 などを目指しており、中露は、モンゴル国内の鉱山資源
 の輸送などへの経済協力の見返りに、自陣営に引き入れ
 たい思惑があるとみられる。
  モンゴルと中露両国は、すでに貿易など経済面では密
 接な関係にある。
  中国はモンゴルへの直接投資企業数でも圧倒しており、
 インフラ整備の支援もしている。
  ウランバートル市内には、中国の援助で建設された橋
 や児童福祉施設などがある。
  こうした背景もあり、モンゴルのバトトルガ大統領や
 一部閣僚はSCOへの正式加盟に傾いている。
  バトトルガ氏は昨年、「地政学に一致した政策を実施
 しないと大規模投資は入ってこない。
  もっと積極的に協力すべきだ」と述べた。
  ただ、モンゴル政界では「中露の政治的な影響力が強
 まりかねない」など反対意見が強く、結論は出ていない。
  モンゴルは、1911年の辛亥革命で清朝の版図から分離
 した際、ソ連の支援を受けて人民共和国を建国した。
  しかし、徐々にソ連のイデオロギーが浸透した抑圧的
 な社会主義体制になった。
  1990年にようやく民主化を勝ち取ったモンゴル国民に
 とり、大国の干渉に対する不信は根強い。
  民主化以降、日本や米国など「第3の隣国」との関係強
 化にも力を入れている。・・以下略・・
  (参考情報)SCOの首脳会議が13日、中央アジア・
     キルギスの首都ビシケクで開幕する。
      14日には全体会合を開く。
      今回の会議では、保護主義を強める米トラン
     プ政権を念頭に、加盟国間での経済協力の強化
     が議論されるとみられる。
      会議にはオブザーバーとして、イランのロハ
     ニ大統領も出席する。
.
2019年6月14日、中国の一帯一路へ諸国がなびいている・・
 世界は二分されるか?
  この日の読売新聞によると・・抜粋・・
  中国の習近平国家主席が巨大経済圏・一帯一路構想を
 提唱してから5年あまりがたつ。
  数々のプロジェクトが実施段階に入り、参加国は拡大
 を続けるが、中国と貿易摩擦を抱える米国や参加国を多
 く抱える欧州は、警戒感を募らせている。
  中国が4月25日~27日に北京で開いた第2回「一帯一路
 国際協力フォーラム」。
  中国の李克強首相と25日に会見したマレーシアのマハ
 ティール首相は、中国重視の姿勢を鮮明にした。
  「マレーシアは中国の発展から利益を得ており、各分
 野で対中関係を強化したい」「一帯一路を支持し、中国
 企業の投資を歓迎する」と。
  マハティール氏は、フォーラムの2週間前まで、「反・
 一帯一路」の急先鋒と目されていた。
  首相に返り咲いた直後の2018年7月、一帯一路に関連す
 る「東海岸鉄道計画」の中断を命じたからだ。
  中国と契約した大型事業で国家財政が圧迫されるとの
 懸念から、計画再考を迫り、「新たな植民地主義は望ま
 ない」などと発言をしていた。
  ところが今年4月12日、マレーシア政府は一転して鉄道
 計画の継続で中国側と合意したと発表した。
  中国が建設費用の大幅削減を受け入れることで合意に
 こぎつけた。(中略)
  一帯一路では、中国が資金を支援して鉄道や道路、工
 業団地などの建設プロジェクトが進められる。
  公式発表によると、中国企業が2013年~2018年、一帯
 一路沿線国に投資した金額は計9.7兆円に達する。
  ラオスの昆明・ベトナム鉄道(62億ドル)、バングラ
 デシュのパドマ鉄道(31億ドル)などは建設が始まって
 いる。
  2013年~2018年の中国と一帯一路沿線国の貿易額は約
 648兆円に達した。
  当初は「沿線国」を64ヶ国としていたが、最近では「
 131ヶ国と覚書を交わした」などと拡大を誇示する表現が
 目立つ。
  先進7か国(G7)で初めて、一帯一路の協力に関する
 覚書に署名したのが・・イタリア。
  2019年3月、ジェノバ港の整備やトリエステ港周辺の鉄
 道整備に、中国企業が今日浴することなどで合意した。
 (中略)
  一帯一路に関連するプロジェクトについて、中国は投
 融資の詳細な情報を公開していない。
  環日本海経済研究所の河合正弘・代表理事は、「中国
 には、投融資相手国が債務を返せなくなった場合の処理
 ルールがない。
  国別、プロジェクト別のデータを公開し、透明性を高
 めるのが第一歩だ」と指摘する。
  米国国防省が6月1日に公表した「インド太平洋戦略」
 に関する報告書では、「中国は、軍の近代化や略奪的経
 済的手法を通じ、自国の利益に沿うように地域秩序を変
 革しようとしている」と痛烈に非難し、一帯一路をけん
 制した。
  欧州連合(EU)も3月に発表した対中国戦略で、中国
 を「経済的な競争相手」「体制上のライバル」と位置づ
 け、全てのEU加盟国が結束して対応するよう呼びかけ
 た。
  加盟28カ国のうち、一帯一路に参加しているのは17カ
 国と過半数を占める。
  中国の動きを放置すればEUが空中分解しかねないと
 の危機感がにじむ。(中略)
  中国は、当初の構想に加えて北極圏や南米などにも触
 手を伸ばしている。
  一帯一路は中国共産党の規約に組み入れられ、長期的
 な戦略という位置づけけだ。
  中国を排除しようとする陣営と、一帯一路の勢力圏が
 対立する状況が長期化すれば、世界を二分する事態を招
 きかねない。(後略)
.
2020年代、アメリカの財政赤字は悲劇的となる・・
  トランプ大統領の発言を、とやかく言っているが、そ
 の発言だけ捉えて批判するだけでは、アメリカの本質を
 見落とす。
  今、アメリカは、大きな数々の問題を抱えている。
  その問題が、抜き差しならない所まで来ている。
  その問題解決を期待されて大統領に選出されたトラン
 プ大統領には、その面がある。
  今までの路線を変えなければというアメリカ国民世論
 が、トランプ大統領を選出したのだ。
  アメリカの大きな問題の一つが「財政赤字」の問題で
 ある。
  元ハーバード大学経済学教授のローレンス・リンゼー
 教授は、アメリカがどんなに良い経過を辿(たど)った
 としても「恒常的にGDP7%を超える財政赤字となる」
 と言っている。
  しかも、「2020年代の財政赤字はさらに悪化する」と
 言っている。
  毎年、毎年、10%の財政赤字を抱え込む状態となる。
  企業だったら赤字決算で、毎年、毎年、その赤字は積
 み重ねられて、回復不可能と予測されている。
  当然、この様な企業が、存続してよい訳はない。
  この企業は破産で「社会から消える」。
  ならば、超一流国のアメリカを、その様に処して済む
 のか?
  存続させるのは、「現在の経済システムの否定である」。
  今、破綻国家アメリカが世界に存在して、それを存在
 させている、容認している世界なのである。
  隣の家が借金証書(米ドル札)を書いて、生活してい
 て、隣近所や商店街や地方自治体も「それでいいよ」と
 言っているようなもの。
  アメリカだから許されている「異常さ」なのである。
  しかも、貯金しないアメリカで、それでも貯金してい
 た層(白人層)が、日本の団塊の世代の様に、今、アメ
 リカでは戦後生まれのベビーブーム世代が隠退して、8割
 が白人で、その少ない貯蓄を食いつぶしている。
  アメリカ政府から年金支給を受け、老人医療予算を使
 い出している。
  資本不足のアメリカは、より資本不足状態になり、赤
 字財政解消は、箸にも棒にもかからない「笑い話状態に
 なっている」。
  「アメリカ以上なのが中国だ」という意見がある。
  中国の赤字は「3800兆円」だという。
  秘密主義の中国は、まったく世界のシステムを無視し
 ている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました。
  2019年4月16日に衆議院と参議院で成立した「アイヌの
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人の
 歯の遺伝子分析をして科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。


by suba28 | 2019-06-26 04:10 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)

題:(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月8日、臨時北海道鉄道敷設部官制が公布された(勅
 令第186号)
  臨時北海道鉄道敷設部は、北海道庁に置かれ北海道に
 おける官設鉄道の建設業務を掌理、拓殖務大臣の監督に
 属し、北海道庁長官が管理する。
  (参考)北海道官設鉄道:明治時代の北海道庁鉄道部
     が建設し、運営した鉄道のこと。
      北海道の鉄道は、1880年に開業した官営幌内
     鉄道に始まる。
      1886年に、北海道開拓使が廃止され、北海道
     庁が置かれると鉄道払い下げの方針が出されて、
     北海道炭礦鉄道が設立され、1889年に、幌内鉄
     道へ譲渡され、民営化した。
      北海道庁にとって、開拓の推進ため、鉄道の
     建設が不可欠であった。
      しかし、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可
     能と判断されて、北海道庁自らが鉄道建設・運
     営を行う方針が出された。
      国も、北海道における鉄道網建設計画を策定
     していた。
      そして、1896年、北海道鉄道敷設法が公布・
     施行され、北海道庁が建設にあたることになっ
     た。
      1898年、滝川駅~空知太駅間の開業を皮切り
     として、現在の函館本線、宗谷本線、根室本線
     (富良野線)等の開業をして行った。
  (参考)掌理:しょうり、ある仕事を担当してとりま
     とめること。
.
1896年5月10日、南和鉄道の高田駅~葛駅(現:吉野口駅)間
 が開通した。
  南和鉄道(なんわてつどう)は奈良県にある私設鉄道
 だった・・現在、西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線。
  奈良県の吉野川流域は、大阪鉄道の広大な計画の中で
 路線が建設されると期待されていた。
  しかし、その実現は困難であるとなった。
  そのため、地元資本で路線を敷設することになり、大
 阪鉄道の高田から分岐し、五条に至る鉄道の敷設が申請
 された。
  1891年に仮免許となり、1893年、免許、
  1896年、開業した。
  吉野川沿いの木材資源のために建設された。
  全車が箱型(いわゆる「マッチ箱」)車体の二軸車で、
 一二等合造車3両、二等車3両、三等車14両、三等郵便荷
 物車1両、三等荷物車4両、郵便荷物車3両の計28両で運行
 された。
  現在、高田駅から和歌山駅まで運行されている。
.
1896年5月14日、朝鮮駐在公使の小村寿太郎が、ロシア公使
 の K.I.ウェーバーと朝鮮問題ニ關スル覚書を調印した。
  ソウルにおける、日露間での朝鮮問題に関しての討議
 結果の覚書。
  ロシア公使館に、幽閉的に居る朝鮮国王の還宮(げん
 ぐう、宮を元にもどす)の実現について・・
  また、両国軍隊の駐屯定員などの取決め・・
  訳文(抜粋)・・
  一、朝鮮國王陛下ノ王宮へ還御ノコトハ陛下御一己ノ
   裁斷ニ一任スヘキモ日露兩國代表者ハ陛下ガ王宮ニ
   還御アラセラルヽモ其ノ安全ニ付キ疑惧ヲ抱クニ及
   バザル時ニ至ラバ還御アランコトヲ忠吿スヘシ又日
   本國代表者ハ茲ニ日本壯士ノ取締ニ付キ嚴密ナル措
   置ヲ執ルベキ保證ヲ與フ
  三、露國代表者ハ左ノ點ニ付キ全ク日本國代表者ト意
   見ヲ同フス卽チ朝鮮國ノ現況ニテハ釜山京城間ノ日
   本電信線保護ノ爲メ或場處ニ日本國衞兵ヲ置クノ必
   要アルベキコト及現ニ三中隊ノ兵丁ヲ以テ組成スル
   所ノ該衞兵ハ可成速ニ撤囘シテ之ニ代フルニ憲兵ヲ
   以テシ左ノ如ク之ヲ配置スベキコト卽チ大邱ニ五十
   人可興ニ五十人釜山京城間ニ在ル十箇所ノ派出所ニ
   各十人トス尤右ノ配置ハ變更スルコトヲ得ベキモ憲
   兵隊ノ總數ハ決シテ二百人ヲ超過スベカラズ而シテ
   此等憲兵モ將來朝鮮政府ニ於テ安寧秩序ヲ囘復シタ
   ル各地ヨリ漸次撤囘スベキコト
.
1896年5月14日、北海道鉄道敷設法が公布された(法律第93
 号)
  この頃、北海道開拓が一生懸命なされていた。
  その一環として、北海道鉄道敷設法が公布された。
 ・石狩国旭川ヨリ十勝国十勝太及釧路国厚岸ヲ経テ北見
  国網走ニ至ル鉄道
   富良野線・根室本線の大部分(北海道官設鉄道)・
  釧網本線。
   釧網本線は、実際には厚岸ではなく東釧路駅で分岐
  となった。
   その後も標茶~厚岸間は菱川線構想として敷設運動
  が続いた。
 ・十勝国利別(現:池田町域)ヨリ北見国相ノ内(現:
  北見市域)ニ釧路国厚岸ヨリ根室国根室ニ至ル鉄道
   池北線・根室本線の一部。
   池北線は池田駅で分岐、利別駅は途中駅となる。
   また、北見駅で分岐し、相ノ内駅(初代)は経由せ
  ず。
 ・石狩国旭川ヨリ北見国宗谷ニ至ル鉄道
   宗谷本線(北海道官設鉄道・一部)・天北線
 ・石狩国雨竜原野ヨリ天塩国増毛ニ至ル鉄道
   留萌本線
 ・天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道
   名寄本線・湧網線
 ・後志国小樽ヨリ渡島国函館ニ至ル鉄道
   函館本線の一部(北海道鉄道)・・など
  (注意)今、日本で、この様な北海道での真摯(しん
     し、まじめで熱心なこと)な開拓の歴史が消さ
     れようとしている。
      北海道の歴史博物館は、アイヌの人々を特に
     展示するという偏りの展示となっている。
      この様な行動の背後に外国からの工作・圧力
     がかかっているという。
      北海道の歴史には、縄文時代の遺跡もあり、
     その遺跡からは、日本人のDNAを持った縄文
     人も発掘され、日本人の祖先だと確認されてい
     る・・この様な事実・史実が消されようとして
     いる。
      古くからの、日本の歴史に刻まれている事が、
     無視されている。
  日本の地である北海道の予定線6路線が制定された。
  「北海道官設鉄道」を整備するなかで、十勝線・天塩
 線・釧路線・富良野線・根室本線・宗谷本線などが次々
 と開通させた明治の先人の努力・・
  産業の発展、人口の拡大とともに鉄道は、北海道全域
 へと広がって行った。
.
1896年5月18日、アメリカ合衆国の汚点:プレッシー対ファ
 ーガソン裁判(黒人の方々の既得の権利の無効化)
  人種差別になっている州法を『合法だ』と認めるとい
 うアメリカだった。
  「人種差別の分離はする・・しかし、その行為は平等
 だ」という屁理屈な判決だった。
  有色人種への蔑視のキリスト教の屁理屈的教理から来
 ている判決だった・・、
  公共施設などで、あらゆるところで(鉄道やバスの交
 通機関などや、ホテル・病院・キリスト教教会・映画館・
 レストラン・喫茶店・トイレ・公園のベンチなどなど)
 での黒人の方々への分離行為が「人種差別に当たらない
 のだ」とした。
  そして、この行為を『合憲だ』としたアメリカ合衆国
 の最高裁判所の判決だった。
  7対1の賛成多数によってこの判決は下された。
  軽蔑すべきなのは、長い年月、この判決がアメリカで
 支持された。
  1954年の「ブラウン」対「教育委員会」の裁判で、最
 終的に否定されるまで、アメリカの標準的な主義だとし
 て、またこれが正義だとされて、社会の法だと残った。
  故に、この判決が生きている第二次世界大戦において
 も、この判決の精神で、黒人の方々は差別的に扱われ、
 「より多くの危険な目に会った」・・
  「真っ先に危険な所へ赴く命令」が黒人の方々へ出さ
 れた・・
  また、危険性の大きい「爆弾運び」などをさせられた・・
  実際、これで事故が起きて、多くの黒人の方々が亡く
 なった・・
  この事件は、有名な事件となって記憶されている。
  アメリカは、さらに卑劣なのは、これらのことごとを
 アメリカ南部の方々の「せいにする」傾向がある。
  北部政権ではないのだと逃げている・・
  まったく破廉恥な軽蔑すべき主張で・・、
  この判決も、施設などが平等であれば、黒人を白人か
 ら隔離しても、その行為は、アメリカ憲法の違反にはな
 らないという連邦最高裁判所の判決だから始末が悪かっ
 た・・、
  アメリカの下級裁判所ではなく、最高裁判所が出した
 という驚きの卑劣な重圧で苦しめる判決だった。
  この様な明確な人種差別行為を、アメリカ特有の屁理
 屈で「人種差別ではない」として人種差別行為を行なっ
 た。
  さらに悲劇的なのは・・この判決が、アメリカの「基
 本的な考え方だ」となって、あらゆるところで適用され
 るところだった。
  どこででも、アメリカ中で、堂々と、黒人の方々が差
 別されるという行為が行われた。
  アメリカという国の怖い所は、この宗教的な、また屁
 理屈的な考え方・偏見で、明らかに筋が通っていない事
 ででも、アメリカ特有の屁理屈で、「不正義」を「正義」
 としてしまうところだった。
  これは、黒人の方々のみならず「非白人」の「有色人
 種全般」にまで適用された。
  この判決は、アメリカという国の「人種関係全般を支
 える法的原理」となった。
  これから「バス」で、「学校」で、「教会」で、あら
 ゆるところで人種差別が堂々とアメリカ中で行われた。
.
1896年、イギリス人の首相となったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなる家計のため、更なる従軍経験と
 新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  そしてまた、ジェームソン侵入事件が発生した南アフ
 リカなどに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することと
 なった。
  インドを虐(しいた)げていたイギリス・・インド駐
 留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように暮らした。
  日常生活のすべてをインド人召使にさせた。
  チャーチルも、そのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人:アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯(ちゅうたい、血縁・地縁・
     利害関係など、社会を形作る結び付き)を維持
     しており、パシュトゥーンワーリと呼ばれる慣
     習法を持ち、男子は誇りを重んじている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本も、これにどう対応するのか?となっている。
    日本は、アメリカを当てに出来なくなっている。
.
1864年9月11日、勝海舟と西郷隆盛が会談をした。
  この時、第一次長州征伐が行なわれていた。
  西郷隆盛は、薩摩藩に所属していて、この頃、「大島
 吉之助」と名乗っていた。
  西郷は、大阪に赴き、幕臣の勝海舟に面会を求めた。
  勝海舟は、西郷隆盛らを旅館に迎えた。
  ここで、勝海舟は、長州藩を征伐する考えを持ってい
 た西郷隆盛へ、薩摩藩や長州藩を含めた有力諸藩による
 共和政治を実現するように説得した。
  西郷隆盛は、この様な勝海舟に感銘を受けた。
  そして、長州藩と協力して共和政治を目指す事を決意
 した。
  大久保一蔵(後の大久保利通)宛ての手紙で、西郷隆
 盛は、勝海舟について「実に驚き入り候う人物」「ひど
 く惚れ申し候」などと絶賛した。
.
1872年、マニフェスト・デスティニー・・アメリカ侵略の
 正当化論理。
  この言葉は、元々は、アメリカの西部開拓を正当化す
 る標語であった・・が・・
  その後、この言葉は独り歩きをし、アメリカを侵略行
 為へ向かわせた・・太平洋諸国をも蹂躙し・・ハワイな
 ど、フィリピン、中国、日本へと来る。
  「明白なる使命」とか「明白なる運命」「明白なる大
 命」などと訳出し、美しく、キリスト教の神の召命だと
 した。
  1872年に描かれた「アメリカの進歩」という絵画には、
 女神の右手には書物と電信線が抱えられ、アメリカ合衆
 国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする
 様子が描かれている・・背後には、1869年に開通した大
 陸横断鉄道も栄光的に描かれている。
  (参考)召命:しょうめい、キリスト教性悪説の罪の
     世界に生きていた者が、神に召され呼出されて
     救いを与えられるという意味で使われ・・旧約
     聖書ではイスラエルの民の選抜や、預言者の召
     命などがこの例。
      16世紀の宗教改革者たち、ルターをはじめカ
     ルバンも、この語を、すべてのキリスト者につ
     いてのものと理解し、そして、強調するように
     した。
  この言葉に洗脳されたアメリカは、「世界を清め、救
 うために、他国家をアメリカ化すべきだ」として、「文
 明の西漸説」に酔った・・
  西への侵略行為をし続けた。
  また、キリスト教的な感覚で、有色人種をアメリカ白
 人の支配下に置き、自国に有利なルールを勝手に作り、
 都合の悪いことは禁止する・・というやり方をとった。
  この「マニフェスト・デスティニー」の言葉は・・、
  アングロサクソン人種の人種的優越感と、道徳的貴族
 としての特権と思い込み、「信仰的状態で進められた」・・
  故に、非アングロサクソン・非白人(有色人種)に対
 する軽蔑と侮蔑を表わした・・
  アングロサクソンは、「自分たちだけが、キリスト教
 の神から選ばれた優越な民族であって・・、有色人種の
 日本人や支那人や黒人などの劣等民族を下層に置き、ま
 た、置かねばならないのだ」とした。
  日米戦争などの有色人種との戦争を誘因し生む「原因
 となった」。
.
1904年2月8日、日露戦争が始まった(~1905年9月5日)
  ロシアの朝鮮半島においての蛮行によって、そのまま
 では、沖縄は割譲され、佐世保や呉は租借されるという
 危機感が生じた。
  日露戦争は、その様な瀬戸際の戦争だった。
  日露戦争は、その様になる可能性に抗した戦争だった。
  ロシアは、昔から領土欲の強い国だった。
  不凍港も欲しかった・・
  アメリカのルーズベルトは、ここを利用して日本への
 参戦をそそのかした。
  「日本の領土を取ってしまったら」と、ソ連(ロシア)
 のスターリンをそそのかし、言った。
  また、占守島(しゅむしゅとう)の戦いに勝った日本
 は、終戦となってため武器を置いた。
  日本とソ連(ロシア)は、その双方が了解してその様
 な行動がとられた。
  それ故に、これ以降、日本軍は、この時点で占守島以
 北の千島列島から居なくなった。
  その様な戦う日本軍の居ない占守島より以南の「日本
 領の千島列島」を、ソ連(ロシア)は奪うという不法行
 為を行った。
  この様にして日本領を奪ったロシアは、今・現代、『
 戦って奪い取ったのだ』と嘘を言っている。
  占守島では、戦争が終わって、ソ連(ロシア)と日本
 は了解して武器を置いた。
  その様な占守島の戦いの以後、ソ連(ロシア)は、不
 法な行為で、日本領の千島列島を不法占拠をして行った。
  戦いなどまったく行われていない。
  ロシアは、「戦って取った」と嘘を言わないこと!
.
1928年9月26日、マザーテレサさんは、18歳のこのとき、
  インドの話を聞いて、インドを中心に旅行をしたいと
 思った、
  また、旅行だけではなく現地密着の海外活動をしたい
 と思い立った。
  若い女性らしい思い立ちだった・・、
  今、キリスト教の広告塔にされているマザーテレサさ
 んは、あらゆる美化がなされているが・・
  初め・・この時・・
  マザーテレサさんのこの行動は、この様な広告塔の大
 きな話になるという訳では、まったく、なかった。
  18歳のマザーテレサさんは・・、
  インドで・・、
  ヒンズー教徒の方々が・・行っている・・、
  『弱者救済の運動とその行動』の中に入って行って・・、
  ヒンズー教徒の方々と共に弱者救済活動を行なった。
  その行為が、そのことが・・、素晴らしい業績となっ
 ていますが・・、
(注):
  世間には・・キリスト教のプロパガンダ・嘘宣伝だけ
 が・・あまりにも声高に・・叫ばれているため・・、
  真実が・・隠されています。
  初めて、上記の文を・・読まれた方は・・驚かれたと
 思いますが・・「真実は・・上記なのです」。
  キリスト教は・・、
  マザーテレサさんが、アメリカの映画に取り上げられ・・、
  脚光を浴びた頃、その事を知り・・、マザーテレサさ
 んに着目し・・キリスト教の・・「広告塔」にしました。
  そして、ヒンズー教の方たちを隠しました。
  ヒンズー教徒の方々は・・まったくと言ってよいほど、
 陰に隠れた状態に・・なってしまいました。
  それでも、インド政府は、マザーテレサさんを・・、
 国葬にして・・マザーテレサさんを讃えました。
  そして・・、
  マザーテレサさんには、「別の業績」がありました・・、
  それは・・、
  「キリスト教の神は居ない」・・と、表明されたこと
 でした。
  マザーテレサさんは・・、キリスト教の「神の存在」
 に悩んでいました。
  キリスト教の神は居ない・・と・・、
  本国の色々な司祭などに・・長い期間、悩みを打ち明
 け続け・・、
  そして、相談をし続けていました。
  その事実は・・隠されていました・・が、
  また、彼女のこの悩みである「キリスト教の神の不存
 在」は、「彼女の死に至るまで」・・続きました。
  彼女は、死ぬまで、キリスト教の神は居ないと悩んで
 いました。
  このキリスト教の神が居ないという事実を、公表する
 事が・・彼女の希望であったのでしょう、このキリスト
 教に『不利な事実』・「真実」が公表されました、キリ
 スト教の神は居ない・・と・・、
  このキリスト教の神は居ない・・神の死は・・
  今、アメリカに・・、
  「神の死の神学」という人々が居ます。
  この方たちは・・キリスト教の『神の不存在を主張』
 し・・、
  成熟した現代社会・世界の人々は・・、それで十分や
 って行けるのだと言っています。
  『古代に発生したキリスト教』・・、
  その様な時代の、古代人とは・・現代人は違う・・と、
 主張する・・方たちです。
  そして、マザーテレサさんは思っていたと思います・・、
  「神が居ない」と言い続けて、公表に至ったことは・・、
  その行為が・・「人類に貢献しうること」・・と、
  そう考えられて居られたから公表がなされました。
  また、『キリスト教の神の実在性を主張するそのもの
 が・・人類にとってよくないこと・・よくないもの』と、
  マザーテレサさんが、そう考えられているから・・、
 この様な、行動が取られたのだと言えます。
  (参考)
  神の死の神学:
  ニーチェの言葉である・・「神は死んだ」は・・、
  1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリカ
 の神学者たちも使うようになった。
  アメリカの神学者たちは・・、
  現代社会において神は・・、人間に・・、
  『リアルな存在ではない』・・・
 ・・という意味で、
  「神は死んでしまった」という意味で用いる。
  1957年に、
  アメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアンは・・、
  『神は死んだ』と題した著書を著した。
  ヴァハニアンは・・その中で・・、
  無神論を・・『アメリカの大衆の生き方である』・・
 と、述べている。
  アメリカ人の神学者・トマス・アルタイザーは・・、
  エモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を
 出版する。
  また、アメリカの神学者のウィリアム・ハミルトンが、
 異なった立場から・・、
  1961年に、著書『キリスト教の新しい本質』で・・、
 異なった視点の・・『神の死の神学』を展開した。
  そして、神が居ないと自覚する事で・・、
  人間の主体性が、そして、自律性が・・とりもどされ、
  前の時代の・・神に拘束された非人間性から・・脱却
 でき・・そして、人間らしさが取り戻せる・・と・・
.
1940年10月7日、マッカラム覚書
  第二次世界大戦を引き起こす切っ掛けとなったアメリ
 カのマッカラム覚書。
  1940年10月7日付けのマッカラム覚書には・・
  『日本に最初に手出しをさせよ』・・その日本に先に
 一撃を撃たさせる方策のための引っ掛けの8項目の提案が
 提出された。
  そして、アメリカは、卑劣な経済制裁を日本に行なっ
 た。
  これは、もう、アメリカが始めた戦争だった・・戦争
 の状態だった・・
  『経済制裁は戦争行為』であり、『侵略を始めたのは
 アメリカ』の方だった。
  マッカラムは、この時代の日本と日本人の行動や感情
 や心理を、できる限り引き出して・・日本に、戦争の行
 為へ至らせようとした。
  そして、アメリカの海軍情報部極東部長のマッカラム
 は、「その思惑を、結果的に、成功させた」。
  マッカラムは、ルーズベルト大統領のお気に入りの軍
 人だった。
  そして、ロバート・B.スティネットは・・、
  2万件以上の「反論不能なほどの、また、出所の明確
 なアメリカ政府内資料とインタビュー」で、アメリカの
 日本への引っ掛け工作を明らかにした。
  (参考)ロバート・B.スティネット:1924年、米国
     カリフォルニア州オークランドに生まれ・・
      真珠湾攻撃の時は高校在学中。
      1942年の卒業と同時に海軍に志願入隊した。