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(増補版)633E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年12月~1895年12月)

題:(増補版)633E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年12月~1895年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
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1895年12月28日、青梅鉄道の青梅駅~日向和田(ひなたわ
 だ)駅間が開業した。
  この区間は、石灰石積出し専用貨物線で、1898年3月10
 日から旅客の取扱いを開始した。
  現在の青梅線(おうめせん)は、東京の立川駅~青梅
 駅~奥多摩駅間を結ぶ鉄道で、
  多摩川の中流から上流域を走る・・全長37.2キロメー
 トル。
  1894年11月、青梅電気鉄道として青梅駅まで軌間762
 ミリメートルで開通し、
  1908年、1067ミリメートル軌間に改軌された。
  後、1920年、日向和田駅から御嶽(みたけ)駅まで延長
 され・・
  1923年、電化された。
  1929年、社名を青梅電気鉄道と改め・・
  奥多摩電気鉄道として御嶽駅~氷川駅(現:奥多摩駅)
 を建設し、1944年に、電化もして全通した・・そして、
 この年、国有化され、青梅線と改称された。
  当初は、セメントの原料の石灰石の積み出し線であっ
 たが・・、
  秩父多摩甲斐国立公園の景観の良さから、観光路線と
 なり、さらに近年は、通勤路線ともなっている・・立川
 駅から中央本線に入り、新宿駅や東京駅まで乗り入れる
 直通便もある。
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1895年12月28日、17歳の牧野省三によってフランスのリュ
 ミエール兄弟製作の短篇映画「汽車の到達」を有料公開。
  日本で初めての映画興行が始まる。
  (参考)牧野省三:まきのしょうぞう、映画監督、プ
     ロデュ―サー。
      日本映画の黎明期の先駆的役割を果たす。
      京都に生まれ、幼少より母方の経営する劇場
     千本座に出入りし、芸事に親しむ。
      そして、同座の座主となる。
      1908年、活動写真の興業者・横田永之助を知
     り、彼の依頼で、初監督映画作品「本能寺合戦」
     を製作し、公開した・・これを機に、映画の道
     に入る・・
      1909年、地方の歌舞伎役者・尾上松之助を招
     き、「碁盤忠信」を作り・・日本最初の映画ス
     ター尾上松之助を見い出し、育てた。
      尾上松之助は「目玉の松ちゃん」との愛称で
     人気のスターとなった。
      以後、浄瑠璃本・講談本、立川文庫などから
     題材、ストーリーを得て時代劇映画を300本を超
     える多数制作した。
      また、忍術映画の数々のトリックも考え出し
     た。
      草創期の日本映画を主導し、「日本映画の父」
     と呼ばれた。
      1912年、創立された日活に合流、
      後に、日活京都撮影所長、重役となる。
      1921年、マキノ教育映画製作所を設立、
      1923年、マキノ・プロダクションを設立(1925
     年説あり)
      多くの脚本家や映画監督を育て、また・・
      時代劇映画のプロデューサーとして、坂東妻
     三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川歌右衛門ら
     のスターを育てた。
      四女の女優・マキノ智子(ともこ)の息子に俳
     優の長門裕之(ながとひろゆき)、津川雅彦(まさ
     ひこ)がいる。
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1895年12月30日、甲武鉄道市街線の飯田町駅~新宿駅間が
 複線で開通した。
  東京の鉄道ネットワークが造られて行く。
  現在の中央線の前身が甲武鉄道だった。
  1889年8月、新宿駅~八王子駅を開通させた。
  この2ヶ月前(1889年6月)新宿駅~神田三崎町駅間の
 市街線の免許申請をした。
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1895年12月、兵庫県宍粟郡の郡長らが40円を拠出して、就
学補助基本積立基金を設立した。。
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1895年12月、服制改正(明治28年12月達11号および明治29年
 4月達第3号)
  工場取締、および、守衛の服制が定められた。
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1895年12月、山陽鉄道の広島駅~三田尻駅間の工事が着手
 された。
  この区間で、初めてアメリカ型60ポンド軌条が使用さ
 れた。
  日本の営業用鉄道では、長さ1メートルあたりの重量が
 60kg、50kg、40kg、37kg、30kgの規格が使われており、
 普通レールという。
  重量が大きいものほど、乗り心地に優れていて、線路
 の狂いも生じにくい。
  重量のある列車が通る路線や、列車が高速で走行する
 路線、そして、運行頻度の高い路線に適している。
  アメリカ型60ポンド軌条は、種類が30kgレールで、
  断面寸法の高さが107.95mm、底部幅107.95mm、頭
 部幅60.33mmである。
  長さは10メートル。
  摘要は、30kgASCEレール = 60ポンドASCEレールで、
  ASCEは米国土木学会が定めた規格。
  レールのポンド表示は長さ1ヤードあたりの重量ポンド
 である。
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  (今日の言葉)
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  題:こんな格差が出来て・・そして、自分だけがうまい汁
   を吸うことが出来るシステムを作って・・、
    そのシステムの上で、胡坐(あぐら)をかいている。
    こんなシステムの社会のままで済まされる訳は無い。
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1848年1月、メキシコ領のカリフォルニアに金鉱が発見され
 る・・国境を無視してアメリカ人が越境して殺到する。
  「特権のある『白人』」を強く意識するアメリカ。
  アメリカ・インディアンの方々は、強く「平和共存を
 望んだ」。
  歴史的史実を示しているアメリカ映画で、白人が無益
 に、また、無碍(むげ)に、アメリカ・インディアンの
 方々を殺しているが・・、
  英文の歴史の史料で、アメリカ・インディアンの方々
 が「平和共存を望んでいたという史料が多く見つかる」。
  平和的に解決したいという意思が強かったことが、明
 確に示され、明らかにされている。
  各地に住むアメリカ・インディアンの代表は、アメリ
 カ大統領を訪ねてまでして、しきりに、平和的に話を付
 けようとしていた。
  白人の襲撃への苦情、白人の略奪に対する苦情なども
 訴えた。
  そして、皆、「白人との共存を願っている」と伝えた。
  しかし、悲しいかな、このアメリカ・インディアンの
 方々の希望は、かなえられることは無かった。
  非白人のアメリカ・インディアンの方々を、キリスト
 教に影響され洗脳された白人の頭では、アメリカ・イン
 ディアンの方々を「人間としての権利を認める」ことは
 できなかった。
  さらに、1848年1月、メキシコ領のカリフォルニアの金
 鉱が発見されると、国境など関係ないと、白人たちは、
 金の輝きも加わって、「白人様の考えが正義だ」とメキ
 シコ国境を無視し、そして、越えて、殺到した。
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1929年12月、中国が、「日本が世界制覇を狙っている」と、
 卑劣な「作り話」を世界に向けて悪宣伝した。
  今・現在でも、南京事件とか、慰安婦問題とかで、や
 ってもいない事をさもしたように異常に誇張されて、あ
 ること、ないことが世界に流布され、悪意でもって慰安
 婦像まで建立するという破廉恥な悪行為をする韓国の行
 動や、南京事件記念館まで国家が造るという中国の行動
 がある。
  まったく、この時も、日本は、これと同様の悪宣伝を
 されていた。
  これは、絶対に見過ごし看過してはならない事で・・、
  この時代にも、意外と大きく世界に、日本への「いわ
 れなき不利な状況」が生じされていた。
  この時は、中国の南京で公表された。
  中国は、昔からこの様なだましや人を裏切る行為を国
 内でもやっている様な国だった。
  そして、国外へ向かっても盛んにやる国だった(今・
現在のファーウェイもそうだ)。
  この時も、日本の悪宣伝をするために・・「日本に百
 年計画」があるとされた・・そこに、日本の「世界制覇
 の野望」があるとされた。
  もっともらしく話は作られた。
  そして、この英語版が刷られ、世界へ大量に出回った。
  「田中メモリアル(上層文)」と呼ばれた。
  この文書は、宮内庁の書庫から盗み出された「世界征
 服の極秘戦略」とされた。
  「日本の基本戦略とされている」と吹聴された。
  また、悲劇的な事に、アメリカ大統領になるルーズベ
 ルトが、これを信じてしまった。
  日本政府は、当初から、偽物(ぎぶつ)、にせものとし
 たが・・不幸な展開をして行った。
  ルーズベルトが信じて、彼のものの考え方に大きく影
 響を与えた。
  戦後、ブリタニカ百科事典が「偽造」と書くように、
 まったくの偽造なのだが、明らかな偽造なのだが、この
 類の話の性格から非常に注意すべき展開をして行った。
  この様な行為は、最も蔑むべき行為なのだが、相手に
 与える絶大なる効果から、臆面もなく中国は行なった。
  韓国の「慰安婦」の日本への貶める行為も最悪で卑劣
 である。
  事実を調べもしないで、この韓国のプロパガンダ(嘘宣
 伝)に乗っかったアメリカも卑劣だった。
  アメリカ国内に慰安婦像を建ててしまった。
  また、この当時のこの中国のプロパガンダに乗っかっ
 たアメリカも卑劣だった。
  中国の戦争に介入するのが正義だと錯覚した。
  そのように錯覚させようとした中国のデッチ上げの嘘
 事実の下に「兵器と兵士と資金を与えた」。
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1929年、アメリカの大恐慌
  この時、アメリカ人の労働者の4分の1が失業者という
 最悪事態だった。
  この人たちは、全米各地を職を求めてさ迷う人たちと
 なった。
  この時、「兄弟よ、10セント(10円~20円)恵んでく
 れないか」という歌が流行した。
  ニューディール政策でも恐慌から脱出できなかった。
  第一次ニューディールは「完全な失敗」だった。
  「農業部門が崩壊状態だった」のも足を引っ張った。
  (2019年、日本も、農業部門を崩壊させるような法案
 が国会を通過した・・?)
  この時、アメリカ国内には、ユダヤ主義の国際銀行家
 を非難する声が満ちた。
  富の再分配の歯車も回っていなかった。
  種々の施策を行なっていたルーズベルトも苦悩してい
 た。
  そして、2期目の大統領となったルーズベルトは、二つ
 の重大な間違いを犯した。
  そのため、経済は崩壊した・・
  このため・・反ルーズベルトの派が議会内に出来た。
  1932年から1938年まで、ニューディール政策が有効な
 のかの議論で議会内は充ち溢れた・・
  アメリカ国民の方々は、大きな不安の中に苛(さいな)
 まれていた・・苦しい状態の中で、苦しめられていた。
  このような時・・世界情勢の戦乱状態への動きの中で・・、
  1935年から1937年まで、アメリカは、漸次(ぜんじ、
 だんだん)中立法を制定していた・・列国の戦争には関
 与しないという世論を反映したアメリカの流れだった・・
  1939年、戦争が勃発すると、アメリカは、英仏を支持
 はするが・・逆に、中立の意識が高まった・・
  そして、ルーズベルトは、参戦しないと公言していた。
  1940年代半ば、イギリスとドイツの空中戦が行なわれ
 るという激しさになる・・、
  戦争に反対する声が過熱する中で、支援する声も聞か
 れた・・
  その様な状況の中で、一転して、ルーズベルトは、世
 論を介入支持の方向へ向けようとした・・
  そして、再軍備の巨額の予算が可決もした。
  そして、1940年9月、平時選抜徴兵法案が可決された・・
  この法律は、アメリカ史上初だった。
  そして、この月、アメリカは、イギリスへ駆逐艦50隻
 を与えた。
  1940年11月、ルーズベルトは、大統領3選を果たした。
  1941年初頭、ルーズベルトは、武器貸与法を承認させ
 た。
  1941年8月、ルーズベルトは、イギリスのチャーチル首
 相とニューファンドランド沖の軍艦上で会談した・・
  この会談の中には、「国民の意思を尊重し、よく意見
 を聞く」という根本理念がある・・皮肉なことに・・戦
 争へ向かうこの二大巨匠の話の中に・・
  アメリカ大統領のルーズベルトは、この様な時・・、
  「アメリカを世界の兵器庫にする」と叫んだ。
  これで、アメリカは、頑固(がんこ)な抜け出る事の
 出来なかった世界的な恐怖の泥沼の『恐慌から抜け出せ
 る』と思った。
  その叫びは、思惑どおりの「戦争需要を取り込めた瞬
 間」だった。
  そして、アメリカの工場は、フル回転し始めた。
  うなりをあげて兵器作りに邁進した。
  GMは、タンク(戦車〉などを造った。
  そして、アメリカは、真の価値である誠実性・信用性・
 真実などの本当に大切にすべき「アメリカの財産を失っ
 た」。
  財産の食いつぶし行為をした。
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1931年9月18日、国務長官ヘンリー・スティムソンのドクト
 リン(原則、政策上の原則などを示した教書)が発表され
 たが・・、
  1933年1月9日、フランクリン・ルーズベルトの大統領
 就任式まであと2ヶ月という・・この時、スティムソンは、
 ルーズベルトを自宅に訪ねた。
  現職大統領のフーバー大統領の国務長官であるスティ
 ムソンが、何故??、わざわざ新大統領のルーズベルト
 宅を訪問したのか??
  周囲は驚いた。
  協議は、5時間以上となった。
  出て来たスティムソンは、上機嫌だった。
  「実に有意義な昼食でした」とスティムソンは語った。
  これから1週間後、ルーズベルトは、スティムソン・
 ドクトリン支持を宣言した。
  ルーズベルトが、日本に対して厳しい政策をとること
 になるスタート・切っ掛けとなった。
  そして、ルーズベルトが大統領になると、日本の新聞
 は、その新大統領を歓迎し、好意的に対応した。
  日米の「対立の視点」に立つ新大統領に「気付いてい
 なかった」。
  アメリカの駐日大使のジョセフ・グルーは、1932年11
 月9日の日記に・・、
  「新大統領に(民主党の)ルーズベルトが選ばれたこと
 に、日本の新聞は非常に好意的だ。
  スティムソンが居なくなるからだという。
  大使館に勤める日本人運転手や女中までが大喜びで、
 『ノーモア・スティムソン』と言っているほどだった。
  (中略)、
  新政権が日本寄りになるはずが無いことにまったく気
 付いていない」・・と。
  日本を経済制裁で抑え込むというアメリカ外交方針は、
 日本には夢のような行為と思え、想像すらしていなかっ
 た。
  フーバー大統領が「戦争になるだけだ」と言った「経
 済制裁」を日本は想像できなかった。
.
1940年6月、ルーズベルト・アメリカ大統領の政権に、ステ
 ィムソンが陸軍長官として参画した。
  これで、日米開戦の可能性が「高まった」。
  フーバー政権にいたスティムソンが、ルーズベルト政
 権へと代わって、スティムソンがフーバー政権から居な
 くなり、日本は、ほっとした所だったが、これでまた、
 「日米開戦の可能性を恐れない人物」が政権中枢に入り、
 「リスクは高まった」。
  理知的だったフーバー大統領と違い、経済復興には戦
 争需要も使いたいというルーズベルト政権では、計り知
 れない戦争へのリスク・危険性が高まった。
  日本を力で抑え込もうというスティムソンの政策が採
 用されて行く。
  ルーズベルトは、ハーバード大学の学生時代から、日
 本脅威の妄想を持っていた。
  この見えざるルーズベルトの妄想が、心底にあること
 が、日米戦争の第一原因である。
  学生時代のお粗末な妄想に囚(とら)われ続け、後日、
 大分(だいぶ)経っても、大統領となっても、その妄想に
 囚われ、自分の政策に影響を与え、戦争への道を歩んで
 で行く・・。
  キリスト教を厚く信仰するルーズベルトは、その「性
 悪説」に強くマインド・コントロールされていた。
  日本の脅威の妄想から脱却できなかった。
  例えば、今・現代、中国が覇権を拡大して行くことを
 公言し、アメリカへ、「太平洋を半分ずつにしよう」と
 いう言葉を公表しているが・・、
  これは、アジア、および、太平洋西半分の覇権を中国
 のものにするという「意思表示となっている」。
  このルーズベルトだったら、この中国の言葉は、完全
 に「ルーズベルトの脅威となっている」。
  もし、アメリカにスティムソンの様な者が政権に加わ
 れば、強硬な「中国、抑え込み策」が行われ、恐ろしい
 道へと歩む事になるだろう。
  当時の日本への妄想は、日本以外の国によってつくら
 れた可能性は否定できない。
  しかし、怖ろしいことに、この様な類推が、意外と大
 きな影響を与えていた。
  日本は、この様な妄想から「日本の軍備縮小の大きな
 圧力を受けて行く」。
  また、この妄想のルーズベルトの影響を知る記録があ
 る・・、
  1934年5月17日、ルーズベルトは、スティムソンと、ホ
 ワイトハウスで、昼食の前後(昼食をはさんだ長時間、1
 時間半の協議)を、日本の脅威について話し合っている。
  経済制裁の強硬論派のスティムソンとである。
  この話は、ルーズベルトから持ち掛けた。
  日本の脅威が、ルーズベルトの頭の多くを占めていた。
  不幸なことに・・その相談相手が、強硬論派のスティ
 ムソンだったことだった。
  スティムソンのマインド・コントロールも受けるルー
 ズベルトだった。
.
1940年10月8日、ルーズベルト・アメリカ大統領の日本に対
 する嫌悪感は異常だった。
  ホワイトハウスでのこの日の録音が残っている。
  それは・・、
  「おい、ちょっとこれを読んでみろ」。
  「UP通信がよこした電報では、日本の通信社は、『
 アメリカは、アジア新時代の到来を認めるべきであり、
 その為には、アメリカ軍は、パールハーバー(真珠湾)、
 ミッドウェー、ウェーキの基地を引き上げるべきだ』と
 言ったそうだ。
  日本人が、我々にハワイから出て行けと言ったのはこ
 れが初めてじゃないか?
  もし日本が、ちょっとでも妙な事をするようだと、こ
 ちらは何時でも引き金を引く覚悟がある」・・とルーズ
 ベルトは言った。
  側近が、「日本政府を代表しない発言です」と諌(い
 さ)めても、ルーズベルトは、聞く耳を持たなかった。
  ルーズベルトの頭の中は、日本との一戦があり・・、
  情報が「正規のものか?」「不正規の『がさネタ』か
 ?」に関係のない好戦的判断に囚(とら)われていた。
  冷静に判断する域を、すでに超えているルーズベルト
 だった。
.
1941年11月26日、アメリカが、戦争に至るハル・ノートを
 日本に提示した。
  そして、日米開戦以前に、ルーズベルト大統領が命令
 し、中国で日本を攻撃したアメリカの戦闘機部隊「フラ
 イング・タイガー」。
  その元パイロット(アメリカ兵)が、2007年4月21日、
 中国を訪れ、アメリカが真珠湾攻撃前に中国で日本に攻
 撃し、対日参戦していた証拠を示した。
  その対日参戦していたのは、やはり、アメリカの正規
 軍だった。
  エドワード元大佐は訪中し、この日、北京航空博物館
 を訪れていた。
  その命令書を署名したルーズベルト大統領・・
  ルーズベルトの疑(うたぐ)り深い性格と、ホーンベ
 ックという、また、日本に対して批判的な論客の意見に、
 当時、大統領は左右されていた。
  ホーンベックは、「対日包囲網の必要性」を強く唱え
 ていた。
  侵略的行為をしていると錯覚して見た。
  その頃、中国は、群雄割拠で、シッチャカメッチャカ
 だった。
  特に、共産主義化したいとする種々の勢力が、不安定
 化を増させていた。
  この様な中国へ、アメリカは過大な肩入れをして、さ
 らに事態の不安定化を「より拡大していた」。
  アメリカは、中国を支援するというより、日本を叩き
 たいだった。
  よけい、これが、事態をこじらせた。
  また、ホーンベックが言った・・
  「アメリカの国益と原則に対して、日本は敵対してい
 る」・・と、
  アメリカの国益に反する日本がそこにあると言った。
  1899年のアメリカの「中国の門戸開放宣言」は・・、
 先行して中国の美味しい汁と吸っていた『イギリスやド
 イツなどの欧州列強諸国(これらの国々のやることは極
 大だった)』や、それに遅れて続く日本へのけん制で・・、
  アメリカの「俺にも美味しい汁を吸わせてくれ」の宣
 言だった。
  そして、日本を、「ターゲット」にして行った。
  (参考)スタンリー・クール・ホーンベック:1883年
     5月4日~1966年、アメリカ合衆国の外交官。
      1921年から、国務省にて外交政策に従事し、
     主に、アメリカの極東政策の立案についての責
     任者・・対日強硬論者・・日本封じ込め論者。
      だが、日本についての知識は乏しい。
      戦争を避けようとする日本の提案(首脳会談の
     提案)などの日本の主張や事情を無視し、もし
     くは、聞き流した。
      結局、戦争を避ける最後の機会だったこの首
     脳会談を、1941年10月2日、アメリカは拒否した。
      アメリカの国務省内の若手からの石油輸出禁
     止は戦争につながるという意見も出たが、無視
     した。
      この時、日本の能力を蔑視し、開戦に至る懸
     念を一蹴した。
      また、ハル・ノートを受けて『日本は引き下
     がる』と、『戦争は始まらない』と強弁した。
      極東部長(1928年~1937年)
      国務長官特別顧問(1937年~1944年)
      極東局長(1944年)
.
1941年12月8日、日本とアメリカの戦争が始まった。
  アメリカ大統領になったルーズベルトという男は?
  アメリカ大統領のルーズベルトは、第二次世界大戦の
 対日本戦が開始された時、「戦争を作った」と言った。
  思惑どおりことが進んだので「口走った」のだろう。
  (読売新聞、2017年1月20日)の本の広告文に、以下の文
 が記されている。
  アメリカの精鋭部隊に所属した元海兵隊兵士は・・、
  「本当のことを知らせることは、これから生きて行く
 方々の為にもなるならと・・」という思いで本を書かれ
 た。
  そして、その広告文には、以下の文が書かれている。
  「日本が、戦争を始めたのではない」・・、
  「始めさせられたのである」・・と。
.
1943年3月5日、アメリカ大統領のルーズベルトの妻・エレ
 ノアは、シカゴのリンカーンホテルにチェックインした。
  ルーズベルトが、妻・エレノアを裏切り愛人を作って
 いるから・・ルーズベルトは、その逆をやられた。
  妻のその動きは、盗聴されていた。
  そして、ルーズベルトは、事実を知って八つ当たりし
 た・・、
  盗聴の内容が、妻・エレノアの「男とのホテルでの特
 殊な関係を示すもの」と分かると・・、
  ルーズベルト大統領は、翌日、ヘンリー・アーノルド
 将軍を通じて、「関係者全員を、太平洋の戦線に送り込
 み、戦死するまで戻すな」と命じた。
  ことの起こりは・・
  1943年3月5日、ルーズベルトの妻・エレノアは、シカ
 ゴのリンカーンホテルにチェックインした。
  エレノアは、ホテルの受付に、大統領夫人の滞在を公
 言しないで欲しいと頼んだ・・
  そして、その後で、若い男性が来ると言って続きの部
 屋も同時に予約した。
  その男・ラッシュが、ホテルに現れたのは午後9時。
  ラッシュは、休暇を取って列車に乗り継いで来たアメ
 リカ軍人だった。
  二人は、一度だけ、ホテル内レストランで食事を取っ
 た・・それ以外は、すべてルームサービスで済ませた。
  次の日の朝、エレノアが支払いを終えて、チェックア
 ウトした後、ラッシュは、一人でホテルを出た。
  エレノアは、チェックアウトの際、ホテル責任者から
 部屋に盗聴器が仕掛けられていたことを知らされた。
  ホワイトハウスに戻ると大統領側近に調査を命じた。
  それは、アメリカ陸軍参謀総長が、事実関係を確認す
 る騒ぎに発展した。
  ルーズベルトは、妻とその男友達の密会場面を盗聴し
 たことに激怒した。
  関係した軍の「情報収拾見直し」と「防諜部隊員の配
 置換え」を命じた。
  しかし、ルーズベルトは、この様な事があっても、ま
 た、アメリカ連邦最高裁が、1939年に盗聴を違法と判断
 したにもかかわらず・・、
  1940年5月、ルーズベルトは、「スパイ活動、あるいは、
 破壊活動防止」を理由にして、盗聴を許可する命令書に
 サインして、盗聴捜査に歯止めを掛けなかった。
  そして、ルーズベルトの、自分の政敵に対しても容赦
 なく盗聴を行なった。
  最高裁判決も無視する大統領だった。
  ルーズベルト時代の盗聴許可は、年平均315回、無許可
 盗聴1888回で・・、
  フォード大統領の政権は、ルーズベルト政権を盗聴が
 「最も盗聴が盛んな政権」と位置付けている。
.
1943年~1944年、ソ連のスパイ作戦が、アメリカにおいて
 最も激しい時期。
  アメリカ大統領のルーズベルトは、共産主義に寛容だ
 った。
  ルーズベルトの周りには共産主義者が多く居た。
  そして、この時期、ソ連のスパイ工作が、最も激しく
 活動なされた。
.
1945年、アジアの方々の解放軍
  イギリスなどのアジアを植民地にしている国々は、そ
 の植民地の美味しい汁が吸えなくなると「日本を恨んだ」。
  卑劣な行動をしていた国は、イギリス、フランス、オ
 ランダ、ドイツなどだった。
  第二次世界大戦後、そのアジアの国々は、次々に独立
 して行った・・日本の目的は達成した。
.
1988年、中国の李鵬首相が、オーストラリアを訪問をした。
  この時、オーストラリアのキーティング首相へ・・
  「日本という国は、20年も経てば地球上から消えて無
 くなる」と言った。
  その期限が、2008年だった・・
  中国に日本自治区構想があるのか・・?
.
2002年7月、東京電力の福島第一原発の事故に至る9年前の
 この時・・、
  既に、政府の専門機関が、「長期評価」で福島沖で、
 マグニチュード8クラスの大地震が起き、津波の発生の
 可能性がある・・と指摘していた。
  この時、勝俣恒久被告は副社長だった・・そして、こ
 の年の10月に社長となっている。
.
2008年3月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる3年前だった。
  この時に、東京電力の子会社が、先に、政府の専門機
 関が指摘した長期評価において津波の可能性があるとい
 う件について、試算を出している。
  その東電の小会社が出した試算は・・「長期評価」に
 基づいて、福島第一原発の津波の高さが15.7メートル
 になると試算した。
  この時、勝俣恒久被告は社長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は執行役員・副本部長。
.
2008年6月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる2年9ヶ月前。
  東京電力の担当者が武藤被告に15.7メートルの津波
 の可能性があるとの試算結果を報告した。
  この時、勝俣恒久被告は会長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は常務・副本部長。
.
2008年7月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる2年8ヶ月前。
  武藤被告が「長期評価」の信頼性を外部有識者に検討
 してもらうことを決定した。
  しかし、残念なことに、この対応を取らずに事故に会
 ってしまった。
  この時、勝俣恒久被告は会長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は常務・副本部長。
  そして、あの忌まわしい事故は2011年3月11日に起きた。
  (以上、福島第一原発事故は産経新聞のニュースから)
.
2016年11月8日、アメリカ合衆国で大統領選が行われた。
  2期にわたって大統領を務めたバラク・オバマの立候補
 は、アメリカ合衆国憲法修正第22条の規定によって認め
 られないため、民主党のヒラリー・クリントンと、共和
 党のドナルド・トランプが対決し、多くの世論調査を覆
 してドナルド・トランプが勝利した。
  獲得選挙人の結果
  ドナルド・トランプ 304人(56.5%)
  ヒラリー・クリントン227人(42.2%)
  テレビ番組の「白熱教室」で有名なハーバード大学教
 授の政治哲学者マイケル・サンデル氏は、以下の様な事
 を言った・・
  「ドナルド・トランプ氏は、アメリカ大統領選で無礼
 な発言を重ね、数多くの集団を侮辱し、外交や統治につ
 いて無智をさらしたにもかかわらず当選した。
  アメリカの中流層と労働者層で高じている、変化を求
 める強い渇望に結びついたからだ。
  一夜で生じた渇望ではない。
  1980年代以来の新自由主義的なグローバル化の果実が
 1%の最上層へ、または、5%の最上層へ、または、10%
 の最上層の限られた者たちの手に渡るアメリカの現状、
 その一方、中流・労働者層は取り残され、排除されたと
 感じてきた」・・と。
  (注意)安倍政権、そして、アベノミクスは「新自由
     主義」ではありません。
      現政権の経済政策は典型的なケインジアンで
     あって「新自由主義からかけ離れた」もの。
      財政拡大を繰り返しながら中央銀行に意図的
     に大規模な金融緩和を強いる行為は、新自由主
     義の経済政策とは正反対のもの。
      グローバル化について、経済誌「東洋経済」
     が悪意あるプロパガンダをしているという。
  (参考)ケインジアン:イギリスの経済学者ジョン・
     メイナード・ケインズの理論に基づく経済学理
     論(ケインズ経済学)を支持する者。
  (参考)新自由主義:20世紀の小さな政府論を新自由
     主義と呼ぶ。
      18世紀イギリスの思想家、アダム・スミスは
     『国富論』で、経済は個人や企業の自由に任せ
     ることによって繁栄すると主張し、政府の役割
     を治安維持や防衛などだけに限定する必要を説
     いた。
      その後、20世紀に入ると、大恐慌や戦時動員
     体制の経験を経て、政府が完全雇用を目指して
     需要を管理するケインズ主義政策が一般的とな
     った。
      しかし、1980年代に入って、政府における財
     政赤字の深刻な累積、官僚主義的な非能率など
     が大きな問題となり、イギリスのサッチャー政
     権、アメリカのレーガン政権を皮切りに、減税、
     規制緩和、民営化を軸とする小さな政府への改
     革が広まった。
      日本でも80年代の第2次臨時行政調査会による
     行政改革以来、新自由主義的な政策転換が進め
     られてきた。
      ただ、日本では、公共事業や規制に関して既
     得権を持つ官僚組織、利益団体、族議員が、小
     さな政府の徹底に反対してきた。
      つまり、日本の場合、保守の自民党の中に小
     さな政府と大きな政府という相対立する思想が
     同居しており、政策が円滑に決定されない。
      「官から民へ」というスローガンを唱えて登
     場した小泉政権も、新自由主義改革を推進する
     ために、党内の抵抗勢力との間で複雑な駆け引
     きを繰り返してきた。
      結果的には、郵政民営化や社会保障費の抑制
     など新自由主義的政策が小泉政権の遺産となっ
     た。 (山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)
  (参考)新自由主義への批判:格差社会・分断社会が
     新自由主義によってもたらされた。
      強いものが自由な市場を支配し、独占に至る。
      富める者はさらに富み、中流層が消耗した社
     会となった・・
      結局、社会を支えたのは、そのより富める者
     たちではなく、中流層の肩にかかっていたから
     だった。
      社会を豊かにしていた中流層が居なくなった。
      今、叫ばれている新自由主義的グローバリズ
     ムにはこの様な落とし穴がある。
      一億総中流層と言った日本は豊かだった。
      今は、生活保護世帯が急増している。
      外国から労働者を供給して企業が豊かになっ
     てもグローバル企業はその資本を外国へ持って
     行ってしまう・・国内へは投下しない。
  こんな格差が出来て・・そして、自分だけがうまい汁
 を吸うことが出来るシステムを作って・・、
  そのシステムの上で、胡坐(あぐら)をかいている。
  こんなシステムの社会のままで済まされる訳は無い。
.
2017年1月9日、NHKEテレ、2017年1月9日、14時00分~、
 番組名:全日本総合バスケットボール選手権、
  試合が始まる前に、国旗掲揚と国歌斉唱があった。
  しかし、NHKは、この国旗掲揚と国歌斉唱を放送し
 ないという態度を取った。
  まったく聞こえないくらいの音のボリュームに絞って
 無視した。
  いつも、NHKは、この様な放送態度をとる。
  この時、君が代の国歌を、歌手が生の声で歌う演出が
 なされたが、これをNHKは、まったく無視して、まっ
 たく聞こえない状態にした。
  NHKは、国旗掲揚と国歌斉唱の放送はしない様にし
 ている。
  キリスト教は、国旗掲揚反対と国歌斉唱の反対を運動
 方針にしている。
  NHKは、このキリスト教のこの運動に同調している。
  NHKは、まったく、キリスト教に偏する放送局とな
 っている。
.
2018年10月17日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、業
 務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3被告の第
 31回公判が17日、東京地裁(永渕健一裁判長)で開
 かれ、16日に続いて元副社長の武藤栄被告(68歳)の
 被告人質問が行われた。
  武藤被告は、津波対策を検討する会議が社内にあった
 ことを「知らなかった」と述べた。
  会議は事故の約半年前から開催されており、津波対策
 について副社長と現場社員との温度差が露見した。
  会議は、津波高の試算を東電子会社に依頼した土木調
 査グループだった社員が、平成22年8月から開催した
 と公判で証言した。
  一方、武藤被告はこの日、会議の存在を「知らなかっ
 た」と述べた。
  (追伸)責任者としてまったくフォローしていなかっ
     たということ。
      大きなリスクが存在する大事故に至るという
     認識がまったく無かったと言える。
      取扱いを誤ると放射能の恐ろしさが露出する
     という原発を扱う責任者として、あるまじき発
     言といえる。
  武藤被告が津波対策を保留にしたという。
  しかし、社員は、その様な上司の態度の後も、「対策
 は不可避と考えていた」と証言した。
  政府の専門機関は、2002年、「地震津波が福島沖を含
 む日本海溝沿いで発生しうる」との地震予測「長期評価」
 を公表した。
  そして、東電子会社が、2008年年3月、長期評価を基に
 最大15・7メートルの津波が同原発を襲うとの試算を
 示した。
  武藤被告は、試算の報告を受けた後もすぐに対策に乗
 り出さず、土木学会に妥当性の検討を委ねた。
  検察官役の指定弁護士側は「対策を先送りし、漫然と
 原発の運転を継続した」と主張している。
  武藤被告は16日の被告人質問で、長期評価は「信頼
 性がない」と強調。
  「分からないことを専門家に確認するのはごくごく自
 然」と述べ、津波対策を先送りしたとする指摘には「大
 変心外だ」と強く否定した。
  事故をめぐっては、武藤被告のほか、元会長の勝俣恒
 久被告(78歳)と元副社長の武黒一郎被告(72歳)が強
 制起訴された。
  最大の争点は巨大津波を予見し、対策を取ることがで
 きたかどうか。
  昨年(2017年)6月の初公判で3被告側は「事故の予
 見や回避は不可能だった」としていずれも無罪を主張し
 た。
  (産経新聞ニュースより)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
by suba28 | 2019-02-20 04:15 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)632E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年12月)

題:(増補版)632E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年11月22日 各官庁の執務時間が改正された(閣令第6号)
  各官庁執務時間自今左の通改定ス
  4月20日ヨリ7月10日迄、午前8時ヨリ午後4時二至ル
  7月11日ヨリ9月10日迄、午前8時ヨリ午12時二至ル
  9月11日ヨリ4月19日迄、午前9時ヨリ午後5時二至ル
  但土曜日日曜日ハ従前ノ通
  事務繁劇ノ場合二於テハ上官の指揮二依リ昼夜二拘ハ
 ラス執務スヘシ
  明治二十五年十一月二十二日 
          内閣総理大臣伯爵伊藤博文
.
1895年11月、車両用油として砿油を試用した。
  好成績を収めたので1896年(明治29年)12月から貨車
 に、
  1897年(明治30年)12月から客車に使用した。
  従前は、種油(たねあぶら)を使用した。
  (参考)砿油:鉱油、こうゆ、石油(原油)、天然ガ
     ス、石炭など地下資源由来の炭化水素化合物、
     もしくは、不純物をも含んだ混合物の総称。
      一般的には、石油由来の油として広く工業製
     品等に用いられる。
  (参考)種油:菜種から搾り取った油。
.
1895年11月、山陽鉄道荷物取扱所を大阪市江戸堀に設置し
 た。
.
1895年12月5日、逓信大臣が、鉄道会議に「官設既成鉄道改
 良ノ件」を諮詢した。
  (参考)諮詢:しじゅん、対等以下の機関の意見を参
     考として問い求めること。
  この時の官設期成鉄道改良の件は、東海道線の複線、
 信越線停車場等の改良、中央停車場の設置だった。
  そして、鉄道会議で可決し、のちに、第9回帝国議会に
 提出されm明治29年度から35年度に至る7ヵ年継続事業と
 して協賛を得た。
  (参考)協賛:きょうさん、旧憲法で、議会が法律案・
     予算案を成立させるための意思表示をすること。
  官設鉄道は国の事業だったので、帝国議会の議決を経
 て事業に必要な国の予算を確保しなければならず、市区
 改正事業の一環ではあったが、建設資金は鉄道作業局が
 自前で調達しなければならなかった。
  初期の官設鉄道の予算は、ほとんどが鉄道の新路線の
 建設費にあてられていたが・・、
  明治20年代(1887年以降)の半ばになると、すでに鉄
 道が開業した路線でも、複線化や駅の改築などの改良工
 事が必要となり、建設費とは別枠の予算が必要とされた。
  「改良費」と呼ばれたこの予算が、初めて議論された
 のは、1895年12月9日に開催された第7回鉄道会議の諮詢
 第145号「官設鉄道既成鉄道改良ノ件」で、とりあえず早
 急に改良を実施しなければならない事業として・・
  1、東海道線の複線化
  2、信越線の停車場などの改良
  3、車両の増備
  4、中央停車場の設置・・の4本の柱が提案された。
.
1895年12月9日、写真家・鹿島清兵衛が、歌舞伎座の舞台劇
 「暫」を撮影した。
  (参考)鹿島清兵衛:かしませいべえ、1866年~1924
     年、写真家、能楽師笛方。
      大坂の造り酒屋の鹿島屋の次男に生まれる。
      東京の分家の鹿島屋の養子となる。
      写真技術の向上に援助をいとわず、写真界の
     パトロンとして知られた。
      1895年、東京木挽町に、みずからも写真館・
     玄鹿館を開業し、いとなんだ。
      間口10間、奥行き15間、洋館2階建て、2500燭
     光の照明をそなえた写場には、まわりに舞台が
     しつらえてあり、客の希望にあわせて、時代物、
     世話物など、あらゆる演出が可能な凝りかただ
     った。
      後に、鹿島家から除籍され、三木助月の芸名
     で梅若流笛方としてならした。
      1924年(大正13年)8月6日死去。59歳。
  (参考)暫:しばらく、歌舞伎の演目で歌舞伎十八番
     の一つ。時代物。
      荒事の代表的な演目。
      西洋人が観たいと言う演目と言われている。
      西洋人にとって、鎌倉権五郎の風貌には形容
     しがたい迫力があるという・・主人公が車鬢 (
     くるまびん) のかつらに、筋隈 (すじくま) と
     いう化粧・・
      内容:
      悪人方の公卿が、弱々しい善人方の首を討と
     うとする。
      そのとき「しばらく」と声をかけて荒武者が
     登場、花道で「つらね」という長々としたせり
     ふを述べ、舞台へ来て大太刀を抜き、雑兵らの
     首を一度に切落す。
      あと大太刀を肩に花道を引揚げるという筋・・
.
1895年12月20日、大蔵大臣の渡辺国武が、官設鉄道用品資
 金増加の法律案を閣議に提出した。
  25万円の増加案。
.
1895年12月25日、第9回帝国議会が召集された(~1896年3
 月28日)
  明治29年予算として国防充実計画案(10年計画)が提出
 された。
  伊藤内閣第9議会(氷川清話)
  第九議会が開催されると、野党の連合派議員(改進、
 革新、大手倶楽部、中国進歩党、財政革新会)は、この
 予算案に対して、大体の方針を定せめて、
  1、予算全部を通じて行政費1割をカットすること。
  2、陸軍拡張中、師団増設に要する経費を半減するこ
   と。
  3、海軍拡張に要する臨時費を2倍にする。
  師団増設半減論では、各派の意見が一致しなかった。
  自由問題として議場に提出することになった。
  特に、改進党は「6個師団半減論」の急先鋒だった。
  国民協会と自由党は、4個師団の増設を主張し、川上
 操六参謀次長の案が廃案の恐れとなった。
  貴族院において、谷干城・曾我祐準等の一派が、みな
 軍備縮小論のメンバーとなり・・
  政府の6個師団増設案に反対を強く主張した。
  政府の当局者らは、この反対情勢を十分把握していな
 くて、衆議院において否決される可能性があった。
  川上は、日ごろから『武弁』をもって自らを任じ、直
 接政治には関与しなかった。
  6個師団増設案は、参謀本部において、川上のもとで
 精密に検討、論議したもので・・
  山県有朋、大山厳の両大将の協賛を得て、立案したも
 のだった。
  川上は、「三国干渉を行ったロシアが、北方から満州
 に侵入するのは明白である」と予想し・・、
  「わが国が、平和的な使命を全うするためには、国防
 機関を完整し、その機能を刷新し、その兵力を充実し、
 大陸において、『ロシアとの兵力均衡を保ち』、必勝の
 体制を築かねばならぬ」と主張していた。
  しかし、野党は、日清戦争後は、「民力を休養させよ」
 ととなえた。
  そして、軍事増強、増税には反対した。
  川上が、軍備増強などを主張すると大反対の勢いとな
 る恐れがあった。
  貴族院による反山県派の谷干城や、曾我祐準や、鳥尾
 小弥太が増税反対、軍備縮小を唱えていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今まさに、日本の領土への「静かな侵略」が行われている。
.
1944年7月17日、アメリカの卑劣な人種差別・・アメリカの
 黒人の方々が反発した。
  その騒ぎの原因は、黒人の方々だけに危険作業の「爆
 弾運び」をさせていたことだった。
  恐れていた爆発事故がとうとう起きてしまった。
  1944年7月17日に起きてしまった事故で、320人もの方々
 が即死した。
  そして、390人の方々が重軽傷を負った。
  その犠牲者の大半が・・黒人の方々だった。
.
1945年9月5日、ソ連の不法行為・・第二次世界大戦が終結
 した後に、ソ連は日本に攻めて来た・・まったく不法な
 侵略だった・・そして、日本の領土を奪った。
  そのソ連の不法な戦争行為が、この日に、終わった。
  もともとは・・アメリカ大統領のルーズベルトが、ソ
 連のスターリンをそそのかしたのが発端だった・・
  『日本の領土をエサにして誘惑した誘いの言葉』に、
 旧ソ連(ロシア)は、のっかったのだった。
  「日本に対する戦争行為を行なって領土を奪う」とい
 うことを言われたソ連は、領土欲に燃えて、野望を大き
 くした。
  ルーズベルトが思っていた以上に、スターリンに言っ
 た以上に・・ソ連は領土を盗ってしまった。
  ルーズベルトは・・満州は、日露戦争で、「日本がロ
 シアから移譲されていた」ので・・ルーズベルトが思っ
 ていたのは、満州だった・・しかし・・
  満州だけだとルーズベルトは思っていたら、ルーズベ
 ルトが言ってない「朝鮮半島までソ連は取ってしまう」
 という状況だった・・そんなことからできた「共産圏と
 自由主義圏」との境界線・・今の38度線まで取ってしま
 ったソ連だった・・満州とこの朝鮮半島の広大な地を盗
 ってしまった。
  そしてまた、第二次世界大戦の戦争が終了しているの
 に、南樺太、千島列島、北方四島の日本の領土まで不法
 占拠してしまった・・戦争終結で日本が武器を置いてい
 る「戦争が終結している日本領まで不法占拠してしまっ
 た」・・
  日本の領土の占守島の千島列島の最初の戦いで、日本
 はソ連に勝っていた・・
  しかし、第二次世界大戦が終結しているので、ソ連と
 合意の上で日本は武器を置いていた。
  それなのに、その後、ソ連は、占守島より南にある千
 島列島や北方四島までも奪った・・また、南樺太も奪っ
 た。
.
1991年、日本人の満屋裕明(みつやひろあき)氏がエイズ
 治療薬を発見し、作り、この年、承認された・・また、
 翌年にも、新薬が承認された。
  満屋裕明氏は、第二、第三のエイズ治療薬も発見した。
  氏は、第一の薬を発見していたが、安価な薬を作って、
 より社会へ貢献したいと努力していた。
  学生時代の教科書の基本に戻って思索していると、あ
 る閃(ひらめ)きが走った。
  そのテストをすると見事に思惑通りの結果が得られた。
  5種の薬を患者に使う臨床試験をすると、二つの薬の有
 効性が確認された。
  それぞれが第二、第三のエイズ治療薬として、1991年
 と1992年に承認された。
  世界で初めてのエイズ治療薬が、日本人の満屋裕明氏
 が作り出すという偉業が達成されたのだった。
  あまりにも、人類は苦しまないで、満屋氏の貢献で、
 エイズ治療薬を手に入れられたため・・この満屋氏の貢
 献は大きくは知られていない。
  一時は、致死率の高い病気で恐れられたのに、鮮やか
 な満屋氏の貢献で、人類はこの苦しみから逃れることが
 できた。
  素晴らしく大きな偉業であるのに・・あまり知られて
 いない。
  (参考)満屋 裕明:みつや ひろあき、1950年8月9日~、
     日本のウイルス学者。国立国際医療研究センター
     研究所長熊本大学特別招聘教授。
     アメリカ国立がん研究所内科療法部門レトロウ
    イルス感染症部部長。HIV治療薬の研究を行ってい
    る。獨協医科大学特任教授。
.
2004年、ディズニーランドのディズニーは、第二次世界大
 戦の時、戦争を讃美し、戦争がより戦われるような戦意
 高揚のアニメを作った。
  ディズニーが作った悪い影響を与えるアニメは『空軍
 力による勝利』というアニメだった。
  これは、2004年、アメリカ国内でDVD化された。
.
2008年、この頃が、中国の転換点だった・・
  この頃から、中国は尊大になって行った。
  (参考)尊大:そんだい、思い上がって、ひどく偉そ
     うに人を見下した態度であること。
  アメリカ人のキリスト教宣教師は、中国でのキリスト
 教の宣教について言った・・
  「数十年間、欧米人による中国での宣教の結果は、つ
 いに一人の真の信者も中国人の間に得られなかった」と。
  アメリカなどは、数千万元の金を使って、数千人の宣
 教師を送り込んで、数千のキリスト教会を中国各地に設
 けていた・・が・・
  「中国国内に、反帝国主義運動が、一度、起こり、今
 までの努力が無駄となり・・宣教活動がなんら価値をも
 たらさなかったことが分かった」と。
  今の中国も、この様なもの・・
  中国は、身を低くし、投資を、日本やアメリカにやっ
 てくれと乞うていた。
  技術も欲しいと『謙虚』に言っていた。
  しかし、目的を達して来ると・・2008年頃から、だん
 だん尊大になった。
  日米欧のおかげで「経済大国になれた」のに・・、
  「今は、自分たちだけで成長したような顔」をして、
 やりたい放題の「粗暴な中国」となっている。
  核弾頭ミサイルが、何百と、日本やアメリカに向いて
 いる。
  キリスト教についても、「金をくれる間だけキリスト
 教徒・クリスチャンになった」だけだった。
  ヒラリー・クリントンが、「中国には宗教が無い。こ
 の国は、半世紀後には最貧国になる」と言ったとおり。
  契約や約束をしたって「守りもしない」。
  今、中国が、WTO規則を守らないのが大きな問題と
 なっているが・・知的財産権など盗み放題の中国となっ
 ているが・・約束なんかしたって守りもしない・・
  実力・力があれば「やって良い」が中国のやり方・・
  この様な中国の本質を知らないで、アメリカは、共産・
 中国を支援し、金を渡して来た。
  完全に見誤っていた。
  国連の常任理事国の席まで与えてしまった。
  日本の新幹線技術や、製鉄技術などを、平然と盗むと
 いう行為をした・・悪いという意識も持たない。
  良い悪いの判断力の喪失国となっている。
  そして、平気で嘘を言い、やってもいない南京事件を
 デッチ上げて、日本を罪に落とす。
  南京事件記念館まで国策で作るという国。
  昔からやって来た中国の嘘宣伝のプロパガンダは、も
 う世界中で、誰も信じない今・現在となっている。
  墓穴を掘った中国となっている。
.
2013年、アメリカのオバマ前大統領が、「アメリカは、世
 界の警察官ではない」と発言したことから、この事は始
 まった・・
  「日本のアメリカの『核の傘』がなくなる」。
  アメリカは、中国の核攻撃リスクが強大化し増大する
 ので、米本土の防衛に専念する・・
  日本は、「自分の国は自分で守れる体制」を早急に整
 えなければならない・・
  元航空自衛隊空将の織田邦男氏が、以下の事を言われ
 ている。
  (参考)織田邦男氏の略歴:1974年、防衛大学校卒。
     第6航空団司令官、航空支援集団司令官(イラク
     派遣航空部指揮官)などを歴任。
      現在、東洋学園大学客員教授、国家戦略研究
      所所長。
  中国は、2020年から2025年までに、台湾を統一し・・
  2025年から2040年までに、南シナ海やインド周辺を支
 配・・
  2040年から45年までに、尖閣諸島と沖縄を奪取する・・
 という、国家計画を立てている。
  2013年に、オバマ前大統領が、「アメリカは世界の警
 察官ではない」と発言したことが、中国を増長させた。
  その半年後に、中国は、南シナ海の南沙諸島をあっと
 いう間に埋め立て、西沙諸島も掌握した。
  あとは、フィリピンの近くにあるスカボロー礁を占領
 すれば、制空権・制海権を完全に確保し、米艦隊や潜水
 艦、哨戒機を寄せつけない「聖域」が完成する。
  かつて、米ソ冷戦では、ソ連が北海道の北東にあるオ
 ホーツク海を聖域化し、米軍は1ミリも近づけなかった。
  中国の海軍も、米艦艇に異常接近などをして、南シナ
 海からアメリカを追い出そうとしている。
  中国に、スカボロー礁をとられれば、日米はゲームオ
 ーバーとなり、中国に屈服する。
  南シナ海の3つの価値・・
  南シナ海の聖域化には3つの戦略的価値がある。
  最も重要なのは、中国が南シナ海を支配できれば、原
 子力潜水艦が太平洋に自由に出られ、米本土を核攻撃で
 きる。
  アメリカは、中国に核攻撃されるリスクを恐れ、日本
 を守る「核の傘」がなくなる。
  現在は、米原潜が、南シナ海の海底で中国の原潜を待
 ち伏せており、いつでも魚雷攻撃を仕掛けられる状態に
 ある。
  中国は、それを恐れている。
  2つ目は、海上交通路(シーレーン)の確保。
  南シナ海では、日本の全貿易船の5割、原油の9割が通
 過している。
  中国がここを抑えれば、「日本のタンカーがオイル漏
 れしているぞ。
  チェックするまで運行を中止せよ!」・・というような
 難癖をつけ、通れなくさせられる。
  3つ目は、南シナ海に眠る石油などの天然資源を手に入
 れられること。
  中国は、沖縄の反米運動を支援・・
  中国は南シナ海だけではなく、沖縄も狙っている。
  米議会の米中経済安全保障調査委員会のレポートには、
 「中国は、沖縄を舞台とする日米分断工作を推進」と明
 記されている。
  中国は、軍事情報を収集する諜報員と反基地運動を煽
 る工作員を沖縄に送り込んだり、米軍へのスパイ活動を
 行ったりしている。
  例えば、レポートには、工作員が米軍関係者の居住ビ
 ルを買収し、管理者用の合鍵で米兵の自宅に侵入し、機
 密情報を奪っている・・とまで書かれている。
  沖縄の基地反対・反米運動は、中国が支援している。
  インド太平洋戦略で対抗を・・
  世界は今、アメリカを中心とし、自由を標榜する「パ
 ックス・アメリカーナ」か、中国を中心とした自由を抑
 圧する「パックス・シニカ」のどちらを選ぶかという判
 断の時代に入っている。
  一帯一路に対抗するインド太平洋戦略は、自由、民主、
 人権などの価値観を共有する国々が団結しようというも
 の・・
  残念ながら、今の日本には、南シナ海を守るだけの戦
 力はない。
  少なくとも日本は、自分の国は自分で守れる体制を早
 急に整えなければならない。
  それはアメリカとしても、日本に根拠地を持つ米第7艦
 隊を守ることを意味する。
  中国は、今後、一時的に南シナ海に配備したミサイル
 を撤去し、トランプ政権の追及から免れようとするかも
 しれない。
  日米は、中国の野望をくじくために、インド太平洋戦
 略を強力に推進し、一帯一路を機能させないようにすべ
 き・・
  (追伸)
  櫻井よしこ氏オフィシャルサイトより・・抜粋・・
  中国が進めるパックス・シニカの道
  中国は、昨年(2017年)10月の第19回中国共産党大会
 で高らかに謳い上げたように、建国100年の2049年までに
 経済的にも軍事的にも米国を凌駕し、「中華民族はます
 ます潑剌として世界の諸民族の中にそびえ立つ」ことを
 目指す。
  その目的達成のために、中国が準備してきた国際的枠
 組みの代表例が、昨年の共産党大会で党規約に正式に盛
 り込まれた一帯一路構想だ。
  今世紀半ばまでに、世界最強の民族になると誓った中
 国共産党は、全地球に中国による網を張り巡らせようと、
 あらゆる分野に手を広げてきた。
  その結果、もはや「一帯一路」ではなく、「三帯五路」
 だなどの声もある。
  駒澤大学教授の三船恵美氏の分析は明快だ。
  一帯一路は、パックス・シニカ(中国による世界の平
 和維持)を目指す構想であり、もはや明確な地図や地域
 はなく、シルクロードの地域を超えて中国の勢力がグロ
 ーバルに展開しているというのだ(「中国外交のユーラ
 シア的展開」JFIR WORLD REVIEW)。
  米国による世界秩序の維持、パックス・アメリカーナ
 を脅かす具体例が一帯一路構想である。
  その実態を三船氏はざっと以下のように説明する。
 中国が各国や各組織(たとえば欧州連合)などと・・、
  ➀:政策面で意思の疎通をはかり、
  ➁:中国と同じ規格のインフラを整備し、
  ➂:貿易を円滑に振興し、
  ➃:資金を融通し、
  ➄:国民を相互に結びつけることによって、世界の政
    治経済秩序を中国が主導する。
  地球全体に影響を及ぼし「朋友圏」(友邦圏)を形成
 し、「人類運命共同体」として、中国が主導していくこ
 とを目指している。
  中国は、影響力拡大のために地政学を見据えた戦略を
 進めている。
  たとえば、中国と中欧、東欧の16の国々が構成する国
 際的枠組み、「中国・中東欧諸国首脳会議」 (16+1)
 である。
  中国は、欧州諸国との2国間関係、欧州連合との関係に
 加えて「16+1」を構築した。
  16か国の内11か国がEUの加盟国だが、中国はそれら
 の国々をも含めて、インフラ事業を共に推進し、投資を
 行い、多層的複層的な関係を築いて影響力を浸透させて
 いく。
  地政学的、政治学的な陣取り合戦を巧みに進めてきた。
  世界制覇の道
  他方、南アジアにおいて中国にとって大事なことはイ
 ンドを超大国にさせず、地域大国におさえておくことだ。
  そのために中国は、インド包囲網を築いてきた。
  「真珠の首飾り」と呼ばれた海からの包囲網は、いま、
 安倍晋三首相が提唱した「インド・太平洋戦略」で打ち
 消されたかに見える。
  三船氏は、しかし、陸上での事象に注意を促す。
  ブータンの高原ドクラムに中国人民解放軍が駐屯地を
 建設し、1600人とも1800人とも言われる軍人が駐留して
 いると指摘する。
  中国には、ミャンマーもバングラデシュも従順だ。
  ドクラムの中国軍と共にこの2か国が手を結べば、挟み
 打ちになるのがインド東部7州だというのだ。
  インド本土と切り離される形になる7州には、水源の州
 で、中国が自国領だと主張するアルナチャル・プラデー
 シュもある。
  7つもの州が孤立させられ奪われる危険が生じるとした
 ら、軍事的に中国に劣るインドは、外交交渉に軸足を置
 くだろう。
  そのとき日本が提唱し、トランプ政権も外交戦略に取
 り入れたインド・太平洋戦略に、インドがどれだけ協力
 するだろうか、という三船氏の問いはもっともだ。
  中国は、北極海への野心も隠さない。
  プーチン大統領をパートナーとする氷のシルクロード
 構想は発表済みだ。
  中国の北極海進出には、日本海、津軽海峡、宗谷海峡
 といった地点における拠点が必要である。
  日本は、このような変化の中で一体どういう道を選べ
 るだろうか。
  中国が、着実に世界制覇の道を進んでいるのである。
  全世界に張り巡らされた一帯一路の網は、世界がすで
 にパックス・アメリカーナからパックス・シニカに移ろ
 うとしていることを示していないか。
  日本にとってこの上なく深刻なこの状況の前で、政治
 家のみならず日本人全員が考えなければならない。
.
2019年1月29日、安倍首相が施政方針演説をした。
  その中の「安全保障政策の再構築」を、読売新聞より
 以下に記す・・(抜粋)・・
  平成の、その先の時代に向かって、日本外交の新たな
 地平を切り拓く。
  今こそ、戦後日本外交の総決算を行なってまいります。
  我が国の外交・安全保障の基軸は、日米同盟です。
  平和安全法制の成立によって、互いに助け合える同盟
 は、その絆を強くした。
  日米同盟は今、かつてなく強固なものとなっています。
  そうした深い信頼関係の下に、抑止力を維持しながら、
 沖縄の基地負担の軽減に取り組んでまいります。
  これまでの20年以上の及ぶ沖縄県や市町村との対話の
 積み重ねの上に、辺野古移設を進め、世界で最も危険と
 言われる普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現して
 まいります。
  自らの手で自ら守る気概なき国を、誰も守ってくれる
 はずがない。
  安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりま
 せん。
  冷戦の終結と共に始まった平成の30年間で、我が国を
 取り巻く安全保障環境は激変しました。
  そして今、この瞬間も、これまでとは桁違いのスピー
 ドで、厳しさと不確実性を増している現実があります。
  テクノロジーの進化は、安全保障の在り方を根本的に
 変えようとしています。
  サイバー空間、宇宙空間における活動に、各国がしの
 ぎを削る時代となりました。
  もはや、これまでの延長線上の安全保障政策では対応
 できない。
  陸、海、空といった従来の枠組みだけでは、新たな脅
 威に立ち向かうことは不可能であります。
  国民の命と平和な暮らしを、我が国自身の主体的・自
 主的な努力によって、守り抜いて行く。
  新しい防衛大綱の下、そのための体制を抜本的に強化
 し、自らが果たし得る役割を拡大します。
  サイバーや宇宙といった領域で我が国が優位性を保つ
 ことができるよう、新たな防衛力の構築に向け、従来と
 は抜本的に異なる速度で変革を推し進めてまいります。
.
2019年1月31日、北朝鮮が、中国に漁業権を売却する。
  「外貨」「漁場」思惑一致・・国連委調査・・という
 表題で読売新聞が報じている・・
  以下は、その報道・・
  国連安全保障理事会で、対北朝鮮制裁決議の履行状況
 を監視する北朝鮮制裁委員会の専門家パネルの調査で、
  北朝鮮が、制裁対象となっている漁業権売却を、中国
 の漁業者と行ない、制裁逃れをしていることが、読売新
 聞が入手したパネルの年次報告書で分かった。
  漁業権売却で、外貨獲得を図る北朝鮮当局と、漁場を
 拡大できる中国の漁業者の思惑の一致が背景にある。
  3月公表予定の報告書によると、昨年(2018年)1月か
 ら11月に、日本海や東シナ海などで北朝鮮の漁業免許を
 持つ中国漁船を15隻以上確認した。
  中国人漁業者は、「漁業免許価格は、月5万元(約81万
 円)」などと証言したという。
  北朝鮮国旗を掲げる偽装をしていた中国漁船もあった。
  国連関係者によると、日本の排他的経済水域〈EEZ)
 で能登半島沖の好漁場「大和堆(やまとたい)」付近で
 も確認された。
  安保理は、2017年12月に、漁業権売却を制裁対象に正
 式に含めていた。
  韓国国家情報院は、北朝鮮が、2016年に、「平成の3倍
 に上る約1500隻(の中国漁船)に漁業権を売り、約3000
 万ドル(約32億円)を得た」と報告。
  「北朝鮮住民は、当局の漁業権販売や、(中国漁船の
 操業拡大に伴う)漁獲量減少に不満を抱いている」と指
 摘した。
  安保理は、2016年、核実験や弾道ミサイル発射に踏み
 切った北朝鮮に対し、鉱物資源の輸出禁止などで制裁を
 強化した。
  北朝鮮にとり、外貨獲得手段の確保は急務だったとみ
 られる。
  中国政府は、パネルの問い合わせに対し、「漁業権売
 却が禁じられた安保理決議採択後、速やかに通達を出し
 た。
  中国企業は、北朝鮮からの漁業権取得は停止している」
 と回答したという。
  ・・以上・・
  (追伸)
  中国が、この様な名目で資金援助をした可能性も否定
 できない。
  韓国も、中国と連携して動きがちになっている今・・
  (防衛費の負担の米韓の交渉も暗礁に乗り上げている)
  (韓国から、米軍の一部撤退も取りざたされている)
  日本へのレーダー照射も変に強気に出る韓国・・
  日本海を取りに来ているという・・
  日本領土の対馬の韓国化も酷い状況という・・
  観光バスのバス案内で、「対馬は、もともと韓国の領
 土です」という説明も飛び出す状況だという・・
  中国は、沖縄・北海道を狙っているが・・奄美もだと
 いう・・
  今こそ、毅然と、しっかり国を守らなければ、やりた
 いことをやられる状況となる・・
  (資料)
  日本の領土への「静かな侵略」が行われている。
 1、中国の日本の土地の爆買いは全国土の2パーセント
  になっている。
   これは、静岡県全県の面積に匹敵する。
 2、対馬は、観光客が激増し、ホテルなども韓国人に経
  営され、実質的に韓国化している。
 3、政府・自治体は、実態を知っていながら、正確に把
  握していず、また、しようともしない。
 4、日本には不動産購入の外資規制はない、国土交通省
  は外国人向けの紹介パンフレットを発行さえしている。
 5、所有者不明の土地は、日本の全国で410万ヘクタール
  あり、これは九州全域を越えるという面積となってい
  る。
 6、2018年6月、所有者不明の土地を利用できる法律を作
  った・・最大10年間・・民間業者など使える特別措
  置法が成立・・外国に買われる状況。
  https://www.youtube.com/watch?v=QLm78cpJaNg
.
2019年2月2日、日露交渉、世界の視点・・
  論理の正しさは、日本にあると世界は見ている。
  しかし、この交渉が成立するとは見ていない。
  標記の表題で、この日の読売新聞にある記事は・・
 1、テンプル大学、ジェームズ・ブラウン准教授
  (参考)ジェームズ・ブラウン氏略歴:イギリス出身、
     英アバディーン大学で国際関係論の博士号を取
     得し、ロシアの外交政策や日ロ関係を研究。
      著書:「日本、ロシアと領土問題。北方の幻
     想」など。36歳
  北方領土問題は、日本の対ロシア外交をゆがめている
 というのが私の持論だ。
  「島は返ってくる」という幻想にとらわれた日本の対
 露融和姿勢は、筋道が通っていないように映る。
  ロシアは2008年にジョージアに武力侵攻した。
  2014年にはウクライナのクリミア半島を併合するに至
 った。
  この時、欧州諸国はロシアを潜在的なパートナーでは
 なく脅威であると認識し、対露政策を変更した。
  欧州諸国は「ロシアのプーチン大統領を懐柔する方法
 はない」と考えている。
  だが、安倍首相は「交渉で妥結できる」と信じている
 ようだ。
  プーチン氏との個人的信頼関係を重視し、経済協力を
 行なう安倍政権の姿勢は無邪気すぎると言えないか。
  ロシアは、日本を米国の同盟国として戦略的に考察し
 ている。
  北方領土が日本に返還された場合に米軍が展開する可
 能性について、安倍首相は「日本政府の承認が必要だ」
 などと述べている。
  だが、ロシアは米国が日本に大きな影響力を持ってい
 ることを熟知しており、プーチン氏は首相の説明に納得
 していない。
  さらに、プーチン氏が在日米軍駐留の可能性を強調す
 る真の狙いは、日米間に問題を生じさせ、安全保障など
 死活的な問題で日本が米国と距離をとるよう促すことだ
 ろう。
  安倍首相は常に「ルールに基づいた国際秩序」を訴え
 る一方、ロシアの行動に対しては極めておとなしいと感
 じる。
  日本は先進7カ国(G7)の対露非難声明に名を連ねて
 も、実効性に乏しく、最小限の制裁しか行なていないと
 の不満もくすぶる。
  安全保障面で中国の動向を懸念し、ロシアと領土問題
 を抱える日本が、欧州とは対露政策で異なる態度をとる
 ことは、ある程度理解されている。
  だが、欧州諸国が日本に期待するのは、国際秩序に関
 わるような重要な問題については、ロシアにより厳しい
 対応をとることだ。
  日本は北朝鮮や中国を念頭に、欧州諸国に東アジア地
 域にもっと関与してほしいと望んでいる。
  欧州諸国は相互的な意味で、対露政策では欧州を支援
 するよう日本に求めているのだ。
  安倍首相は最近、「北方領土は日本固有の領土」とい
 う政府の基本方針も明言しない。
  磁石が吸い付くように首相が歩調を合わせて来る現状
 は、ロシアにとって素晴らしいものだ。
  論理的帰結として、ロシアは現状を変えない。
  時々、領土問題が解決すると望みを持たせ、実際には
 解決させないということだ。
  北方領土問題を当面は棚上げすれは、日本はより自由
 に、合理的で客観的な対露政策を形成できるだろう。
.
 2、米ジョンズ・ホプキンス大学、ライシャワー東アジ
  ア研究所、ケント・カルダー所長
  (参考)ケント・カルダー氏略歴:プリンストン大学
     教授、駐日米大使特別補佐官(1997年~2001年)
     などを経て、2003年から現職。
      著書:「日米同盟の静かなる危機」など。70
     歳
  安倍首相がロシアとの平和条約交渉を前進させ、レガ
 シー(政治遺産)にしようと、プーチン露大統領と幾多
 の会談を重ねている事情はそれなりに理解できる。
  ただ、日本の状況を知らない米国人は、なぜこんなに
 日本がロシアに接近しているのか、理解に苦しむところ
 だろう。
  米国は欧州と同様、2014年のロシアによるウクライナ
 南部クリミアの併合を強く非難し、厳しい制裁を科して
 いる。
  それは、プーチン政権が欧州の国境を一方的に変更し
 ようとした出来事として、日本人が思っている以上に深
 刻にとらえているからだ。
  とりわけ、トランプ大統領の支持層の集まるアメリカ
 中西部の「ラストベルト(さび付いた工業地帯)に住む
 人々はこの問題に敏感だ。
  一帯はウクライナやポーランド、バルト3国など旧ソ連・
 東欧圏からの移民が多い。
  彼らは冷戦時代から党派を問わず旧ソ連・ロシアを脅
 威に感じ、不信感を引きずっている。
  一般の米国人は、日本がロシアにどんな外交をしてい
 るかについてそれほど気にかけてはいない。
  だが、仮に日露が平和条約交渉で米側の予想以上の具
 体的な合意に達し、より両国の接近度が増す様になれば
 話は別だ。
  米国民からも懐疑論が持ち上がり、反発が起きること
 は十分あり得る。
  トランプ氏は個人的にロシアに敵意は持っていない。
  彼自身、ロシアと関係改善を図ろうとしてきた。
  だから日露間に交渉の進展があってもそれほど反対す
 るとは思わない。
  一方、アメリカ議会は安全保障の観点から、対露制裁
 強化法を成立させるなど、ずっとロシアに厳しい目を向
 けてきている。
  今年、トランプ氏は政治的に相当微妙な立場に立たさ
 れる。
  下院の過半数を握る野党・民主党がロシア疑惑をめぐ
 り、トランプ氏の弾劾に向けて厳しく追及していくだろ
 う。
  仮にトランプ氏の関与を裏付ける決定的な証拠が出て
 くれば、共和党からも同意する議員が出てくるかもしれ
 ない、
  トランプ氏は彼らの支持を取り付けておくことが一層
 必要になる。
  共和党議員は概してロシアに厳しく、日露接近を歓迎
 するとは思わない。
  もし日露間に大きな進展があれば、トランプ氏にとっ
 ても難しい状況になる。
  日米関係もより複雑になる可能性がある。
  ロシアは常に日米同盟に揺さぶりをかけて来た。
  プーチン政権になって、米露関係は一層「ゼロサム」
 (片方が得をすればもう一方が損をする)の状況にある。
  これこそが、アメリカにとって、日露関係の進展を受
 け入れにくい要因となっている。
.
 3、ロシア科学アカデミー東洋学研究所研究員、ウラジ
  ーミル・ネリドフ氏
  (参考)ウラジーミル・ネリドフ氏略歴:モスクワ国
     際関係大学講師で、ロシア科学アカデミー東洋
     学研究所の研究員。日本の政治・外交が専門。
     日露関係や東アジア情勢にも詳しい。31歳。
  ロシアにとって、日本との平和条約締結交渉は、国際
 的な文脈で見れば、外交に多様性を与える目的がある。
  プーチン政権は、アジアを重視する政策を打ち出して
 いるが、中国にこだわるのは有効ではない。
  中国は、パイプラインの価格交渉などで自分の利益を
 優先し、ロシアに厳しい姿勢で臨んできている。
  日本と政治的対話を活発化させて、アジアの中でより
 多くの国と関係を改善すれば中国に対するテコになる。
  とは言え、ロシアは中国との関係を悪化させたいわけ
 でもない。
  最近、安倍首相周辺から日本とロシアとの関係改善が、
 中国へのけん制材料になるとの発言が出てきた。
  ロシアは、中国と一定の距離を保つ必要があると考え
 ており、中国と同盟を結ぶ意図はない。
  それでも、中国へのけん制論は容認できないだろう。
  東西冷戦終結後の1990年代は米国の『一極』とも言わ
 れたが、米国は弱体化した。
  中国はもとより欧州も米国に対し独立的な態度をとる
 場面が増え、世界は多極化している。
  ロシアから見れば望ましい状況になっている。
  日本は今も経済、技術的な大国ではあるが、アジア唯
 一の経済大国ではない。
  1990年代とは状況が変わった。
  中国は国内総生産(GDP)だけでなく、技術面でも
 日本を上回る分野が出てきている。
  ロシアにとって日本はアジア唯一のカウンターパート
 ではない。
  実際、韓国との貿易額は日本との貿易額よりも多い。
  ロシアでは、日本がロシアとの約束を守らないのでは
 ないかと考える人が多い。
  安倍首相が南クリル諸島(北方領土)には在日米軍が
 駐留しないと約束したとしても、次の首相がどうするか
 わからない。
  日本にとって日米同盟は絶対的な優先事項だ。
  ロシアが譲歩して平和条約を結んだとしても、日本は
 米露どちらかという状況になれば米国を選ぶだろう。
  日本のために譲歩したら、日本側からの対露投資が大
 幅に増えるという考えがあるが、実際はあまり関係ない
 との見方もある。
  日本の民間企業は経済的問題があっても進出するから
 だ。
  日本企業の中国での活動が良い例だ。
  クリミア編入後の米欧との関係悪化もあり、日本との
 交渉が続くこと自体がプラスになるが、平和条約の締結
 交渉は、全体的な対日関係改善を図る過程の一部に過ぎ
 ず、急ぐ理由もない。
  プーチン政権は条約締結に関し、世論の重要性を強調
 しており、領土の主権を日本に渡す譲歩をする事はない
 だろう。
.
2019年2月5日、ロシアのラブロフ外相が、再度、「北方領
 土は第二次世界大戦の結果で、ロシアに主権がある」と
 改めて強調したが・・、
  まったく歴史の史実に沿った論理となっていない。
  NHKニュースのネットでの公表の主旨は以下・・
  ロシアのラブロフ外相は・・、
  日本との平和条約交渉について、北方領土は第2次世
 界大戦の結果、ロシアに主権があることを日本が認めな
 いかぎりは、交渉は進められないという原則的な立場を
 改めて強調した。
  ロシアのラブロフ外相は、4日に中央アジアのキルギ
 スの首都ビシケクにある大学で講演を行ったあと、学生
 からの質問に答えた。
  この中で、北方領土をめぐる問題でのロシアの対応を
 聞かれたラブロフ外相は、「ロシアに何をしろというの
 か。
  まずは、日本に対して、島々はロシアに主権があるこ
 とを承認し、尊重することを含め、第2次世界大戦の結
 果を認めるよう望みたい。
  それがないかぎりは、交渉は進められない」と述べ、
 平和条約交渉が進展するかは、日本の対応にかかってい
 ると指摘した。
  ラブロフ外相は、今月、ドイツのミュンヘンで河野外
 務大臣と会談を行うとみられ、これを前に、北方領土は
 ロシアに主権があることを認めるべきだという原則的な
 立場を改めて強調した。
  ロシアとしては、1956年の日ソ共同宣言に基づいて仮
 に歯舞群島と色丹島を引き渡すにしても、あくまでも善
 意による行為だと位置づけており、そのためには日本が
 ロシアの主権を認めることが不可欠だとして、今後の交
 渉でも、この立場は堅持していくものとみられる。
  (以上)
  既に、このブログで、歴史的な事実は説明したが・・、
  ロシアは、第二次世界大戦で勝ち取ったと言うが・・
 「これは、まったくの嘘・・史実とは違う」・・
  ロシアは、「大戦で勝ち取ったから主権がある」と言
 うが、「勝ったのは日本」で、ポツダム宣言を受け入れ
 て、終戦となったから、日本とロシアが合意の上で終戦
 処理をした・・日本は武器を置いたということ・・この
 最初の戦い(占守島の戦い)で、日本はロシア(旧ソ連)
 との戦いに勝っている・・日本とロシア(旧ソ連)と合
 意の上で日本は旧ソ連(現:ロシア)に武器を置いて、
 終戦の話が決着した。
  しかし、ロシア(旧ソ連)は、その後、話がすでに決
 着しているのに、日本が武器を置いている島々を、(ア
 メリカやイギリスなども、日本がポツダム宣言を受け入
 れて、戦いは終わっているとしているのに、第二次世界
 大戦は終結している状態であるにもかかわらず)、ロシ
 ア(旧ソ連)は、北方四島まで不法に占拠して行き、奪
 った。
  このロシアの外相は、以下の様に・・強硬な外交姿勢
 をとると説明されているが、史実に沿わない論理で「自
 分勝手な論理展開をするだけの外交官となっている」。
  (参考)セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・ラブロフ:ロ
     シアの外交官、政治家。
      2004年からロシア外務大臣。
      他国の間では、強硬な外交姿勢を取る人物と
     して知られている。Wikipediaより
  歴史の事実や史実に目を向けて、正攻法の正しいで論
 理展開をするのなら良いが、ただ、「戦いに勝った、勝
 った」と言うだけなら、それは屁理屈となる。
  ロシア(旧ソ連)は、最初の戦いの占守島で日本に敗
 け、両国合意で終戦処理行為をして、後、日本が武器を
 置いた島々を不法占拠しただけではないか・・どこが第
 二次世界大戦だというのだ、そして、ロシア(旧ソ連)
 は敗けているのだ?
  ロシアは、ちゃんと成立する論理を説明しなさい。
  ただ、強硬なプロパガンダをするだけでは、交渉は決
 着しない。
  ロシアの不法占拠は明らかなのです。
  ならば・・ロシアは占拠する理由を明らかにしなさい。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

by suba28 | 2019-02-10 03:00 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)631E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年11月)

題:(増補版)631E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年11月8日、遼東還付条約を調印した(12月4日:公布)
  三国干渉の結果、日本と清国との間において、北京で、
 遼東半島還付条約を締結・調印した。
  日本側代表は林董、清側代表は李鴻章。
  三国干渉遼東還付(氷川清話)
  内容・・
  1)日本は清国に遼東半島を返還する。
  2)清国は、1895年11月16日に、返還の代償金として
   日本側に銀三千万両を支払う。
  3)代償金の受け渡しの日から3ヶ月以内に、日本軍が
   遼東半島から撤退する。
  (関連)この2年半後の1898年3月、遼東半島を狙って
     いたロシアは、清と旅順港・大連湾租借に関す
     る条約を結び、遼東半島をロシアのものにした。
      遼東半島に鉄道をつなげ、軍港にした。
.
1895年11月15日、東洋経済新報(とうようけいざいしんぽ
 う)が創刊された。
  経済専門誌。
  渋沢栄一や三菱財閥系の人脈でバックアップされ、町
 田忠治(初代社長)が東洋経済新報社を設立して創刊し
 た。
  1897年、自由主義経済学者の天野為之(ためゆき、2代
 社長)が主幹となって、政治、経済を中心に、日本の産
 業資本主義の発達のための論陣を張った。
  保護貿易に反対し、産業資本主義の確立を主張する。
  1939年には、石橋湛山が社長に就任し、反ファッショ
 の伝統を守り続けた。
  独ソ不可侵条約締結に対する「独逸(ドイツ)の背反は
 何を訓(おし)へるか」など数々の特筆すべき論説がある。
  1961年、週刊東洋経済と改題した。
  現代においても、ジャーナリズムの批判機能が誠実に、
 また、見事に発揮されたのは・・アメリカのベトナム戦
 争秘密文書公開と、ウォーターゲート事件の暴露であっ
 た。
.
1895年11月18日、樺山総督が、台湾鎮定を大本営に報告
 した。
  ベトナムでも騒乱を興した経歴を持つ、中国・清から
 送り込まれた劉永福によって起こされた台湾の騒乱を鎮
 定したと大本営へ報告した。
.
1895年11月22日、自由党が、伊藤博文内閣との提携宣言書
 を発表した。
  予算と不平等条約改正での政争が繰り広げられ荒れた。
  その様な中、自由党は政府批判よりも政治的解決を求
 める方針に転換した。
  日清戦争時は挙国一致体制で展開し、また、日清戦争
 後も、日本の勝利で政権も安定化した。
  しかし、戦争のきっかけだったロシアの朝鮮半島への
 貪欲な進出は止まらなかった。
  日本は朝鮮から遠ざけられるようにさえなった。
  野党は、再び、政府批判を展開した。
  この様な状況の中、伊藤内閣と自由党は正式に協力を
 発表した。
  そして、翌年・1896年4月には、板垣退助が内務大臣と
 して第2次伊藤内閣に入閣する。
  しかし、この後、伊藤内閣は、進歩党とも手を結んで
 挙国一致内閣を目指して行くが、自由党と進歩党との折
 り合いがつかず、この方針は失敗し、伊藤は辞職に至る。
.
1895年11月27日、アルフレッド・ノーベルが遺言書に署名
 した。
  そして、財団が設立され、ノーベル賞の賞金分配とな
 る。
  スウェーデン生まれのノーベル・・
  ノーベルの父は、建築家だったが、スウェーデンでの
 事業に失敗し・・1837年、ロシアへ渡る。
  ロシアでの再起を目指し・・結局、このロシアでの事
 業が成功する。
  1842年、家族は、ロシアの首都・サンクトペテルブル
 クの父の元へ・・
  父の成功した事業というのは、ロシア海軍向けに機雷
 を製造し、販売することだった。
  この時、クリミア戦争が発生し、ロシア海軍は、イギ
 リスの海上支援を妨害するため、バルト海で機雷を使っ
 て封鎖作戦を始めた。
  これによって、ノーベル家は大儲けした。
  裕福な家庭環境で、ノーベルに複数の家庭教師が付き
 化学も学び、語学も学んだ・・
  そして、1850年にパリへ(この時、アスカニオ・ソブ
 レロも居る)・・1851年には、アメリカにも渡る。
  1859年、軍の支払いが滞(とどこお)り、父が、再び、
 破産する・・父の工場は、次男が継ぐ・・
  両親は、スウェーデンへ帰国。
  (参考)クリミア戦争:1853年10月16日~1856年3月30
     日、
     ロシア帝国・ブルガリア義勇兵:フランス帝国・
     イギリス・オスマン帝国・サルデーニャ王国
  この様な事から、爆薬に関係するノーベル家だった。
  しかし、当時の爆薬は、爆発力が弱く、実用性は低か
 った。
  父の影響を受けたのは、娘のアルフレッドだった。
  アルフレッドは、研究者としてパリの高名な科学者の
 元へ・・、
  そして、そこで知り合うイタリア人のアスカニオ・ソ
 ブレロ・・意気投合する二人・・
  ソブレロは、自分が発見した新物質のニトログリセリ
 ンを研究していた。
  しかし、その爆発性の大きさは衝撃的だった・・
  ソブレロは、その扱いに苦慮していた。
  ノーベルは、この話を聞いた時、うまく起爆できるよ
 うにコントロールできれば、非常に有用と感じた・・
  ノーベルが、ニトログリセリンを知ったのは1855年。
  サンクトペテルブルクに戻り、ニトログリセリンの研
 究に取り組んだ。
  1862年に、サンクトペテルブルク沖の海中での水中爆
 発実験に成功した。
  翌年・1863年、帰国し、スウェーデンの特許を取得し
 た。
  そして、鉄道工事での良好な成績が認められた。
  しかし、一番、使用されると思った軍は、「危険すぎ
 る」という理由で拒否された。
  このいぶかる軍の予想通り、ニトログリセリンの合成
 中の爆発事故が発生した・・
  この事故で、弟のエミールら5人の研究者を失うという
 犠牲者を出した・・1864年9月3日・・
  この時、ノーベル自身も負傷した。
  この事で、ストックホルムでの合成研究は禁止された。
  ノーベルは、ドイツのハンブルグへ行く・・、
  そして、ニトログリセリンの工場を造り、製造を開始
 した。
  1865年、この年、研究のある失敗をする・・
  これが幸運だった・・
  ニトログリセリンを運搬する時に、クッション材とし
 て使用していた珪藻土に、ニトログリセリンの液体が染
 み込んでしまった。
  だが、このニトログリセリンが染み込んだ珪藻土でも、
 ニトログリセリンの液体と同様な爆発力を持っていた。
  そこで、ニトログリセリンと珪藻土を混同(こんどう、
 混合して一つになること)し、粘土にして、爆発力を調
 べたところ、爆発性能は同等で、変わらず・・この時点
 で、ノーベルの発明性が完成した・・1866年・・
  しかし、この後のノーベルの特許における経過は、順
 調ではなかった・・
  ノーベルの特許を奪おうとするものが現れたりした。
  特許権争いの裁判に勝つ・・
  そして、1867年に特許権を取得する。
  しかし、特許権争いをした者もあきらめず、所を移し
 てアメリカで争う。
  この結果、ノーベルのアメリカでの軍への販売は出来
 なくなる・・民間利用のみとなる・・
  しかし、土木関係での売り上げは、それこそ爆発的だ
 った。
  ここで、ノーベルは、商品名に「ダイナマイト」と命
 名した・・1871年・・
  ノーベルは、ダイナマイトで50カ国以上の特許権を取
 得し、世界に100近い工場を建設した。
  ノーベルは、この様な経過で、大きな利益を得ること
 ができるようになった。
  ノーベルは、この資金を元に、油田開発や武器製造メ
 ーカーも興し・・さらに巨万の富を得る。
  1878年、兄・リュドビックとロベルトと共に、アゼル
 バイジャンでノーベル兄弟石油会社を設立する。
  1884年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章
 を授与される。
  1888年、兄の死をノーベルの死と勘違いされ、「死の
 商人、死す」「大量破壊兵器の発明者が世を去る」と新
 聞に書かれた。
  1890年、ノーベルが心臓病を発症する・・遺言状を書
 く。
  1895年、心臓病が悪化し、先に書いた遺言状が矛盾だ
 らけのため、再度、遺言状の作成が急がれた。
  そして、最終的なものを書き上げたのが、この日、1895
 年11月27日だった。
  この遺言状に、ノーベル賞の創設など、遺産の使用法
 が書かれた。
  1896年12月7日、フランスのサンレモで脳出血で倒れ、
 意識不明となる・・そして、倒れた3日後、ノーベルは逝
 去した。63歳。
  ノーベルは生涯独身だった・・子供も居なかった。
  彼は、生涯に3度恋愛をしたと伝記にある・・最初の相
 手は、ロシアの娘だったが、彼のプロポーズを拒絶した。
  1876年(43歳)結婚相手を見つけようと、女性秘書の
 募集広告を5か国語で出す・・
  応募して来たベルタ・キンスキーという女性を候補と
 するが・・ベルタには婚約者が居た・・ノーベルのもと
 を去ってその婚約者と結婚してしまった・・
  この女性が、1905年に、女性初のノーベル平和賞を受
 賞する。
  同じ年・1876年(43歳)ノーベルは、当時20歳のゾフ
 ィー・ヘスと知り合い、交流が始まる・・この関係は10
 年間以上続いた・・手紙も218通ある・・しかし、1891年、
 ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり二人
 の関係は急速に冷える・・そして、ゾフィーは、その男
 と結婚した。
  ゾフィーは、ノーベルからの手紙を高額でノーベル財
 団に買ってもらった(ゾフィー、巨万の富を得る)・・
 そのすべての手紙は残っている・・公開もされている。
  因みに、莫大な遺産は、兄弟たちの間で争いとなった・・
  しかし、ノーベル財団の設立となって行く。
.
  (今日の言葉)
.
  題:冊封される韓国が強気・・アメリカとの会談も合意に至らず・・
    日本へは、レーダー照射などの強気の不埒な行為が続く・・
    そして、まさしく、今、中国は監視社会と化している。
    そして、日本の経団連は『中国信仰』を捨てよ!
.
1333年、鎌倉幕府が滅亡したこの頃、能が形作られた。
  710年に元明天皇によって平城京に遷都し、奈良時代が
 始まったが、この奈良時代や、その次の時代の平安時代
 から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲や、神への奉紊
 の舞が集大成されて、能へとなって行った。
  形となったのは、鎌倉時代後期から室町時代前期で・・
  この民衆の芸能が、室町時代に盛んになった禅宗や水
 墨画などの影響を受けた。
  そして、幕府や貴族階級に保護され、洗練されて行っ
 た。
  一例:能「鉄輪(かなわ)
  https://www.youtube.com/watch?v=S8E_16d8dJQ
  あらすじ:
  ある夜、貴船(きぶね)神社[京都市左京区鞍馬貴船
 町]の社人に夢の告げがあった。
  丑の刻(うしのこく、午前2時頃)参りをする都の女に
 神託を伝えよ、というものだった。
  真夜中、神社に女が現れる。
  女は、自分を捨て、後妻を娶った夫に、報いを受けさ
 せるため、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていた。
  社人は、女へ三つの脚に火を灯した鉄輪(五徳・ごと
 く)を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みど
 おり鬼になる・・と、神託を告げる。
  そして、女とやり取りするうちに怖くなり、逃げ出す。
  女が、神託通りにしようと言うやいなや、様子は変わ
 り髪が逆立ち、雷鳴が轟く・・、
  雷雨のなかを、女は恨みを思い知らせてやると言い捨
 て、駆け去った。
  女の元夫・・下京辺りに住む男が、連夜の悪夢に悩み、
 有名な陰陽師、安倍晴明を訪ねる。
  晴明は、先妻の呪いによって、夫婦の命は今夜で尽き
 ると見立てる。
  男の懇願に応じて、晴明は、彼の家に祈祷棚を設け、
 夫婦の形代(かたしろ、身代わりの人形)を載せ、呪い
 を肩代わりさせるため、祈祷を始める。
  そこへ脚に火を灯した鉄輪を戴き、鬼となった先妻が
 現れる。
  鬼女は、捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打
 ち据え、男の形代に襲いかかるが、神力に退けられる・・
 時機を待つと言って姿を消す。
  女の恨み、嫉妬心の恐ろしさを、禍々しい鬼の姿で表
 現する能・・
  丑の刻参りでかけられた恨みの呪いを祈祷ではね返す、
 呪術の力を示す話でもある・・
  しかし、嫉妬の鬼の前では、稀代の陰陽師、安倍晴明
 も影が薄いよう・・、
  鬼女は撃退されるが、一時、力を失っただけのようで、
 いつ機会をうかがい、また、現れるか知れない・・
  力強い陰陽師の存在感もかすむほどの、捨てられた女
 の凄まじい恨み・・
  それを緩急鋭い謡や囃子と、なまなましい型で伝える。
  貴船神社は、京都市中心部から北へ外れた鞍馬の山に
 あり・・
  町中に住んでいただろう女が、通うには大変な距離で・・、
 それだけでも異常・・
.
1745年(延享二年)、新内流し
  新内流しは、江戸浄瑠璃の一つ・・
  富士松薩摩掾(ふじまつさつまのじょう、1686年~
 1757年)が、富士松家を創始したのが新内流しの始まり
 とされる。
  心中物を得意とし、「泣き語り」と呼ばれる哀切な節
 回しが庶民の人気を集める。
  三味線を引きながら市中を歩き、客に招かれて語る「
 流し」から根付いて行く。
  化政期ころ(1804年~1830年)には、太夫と三味線ひ
 きの2人が1組となって、街頭をゆっくり歩きながら演
 奏する方法が行われ始める。
  歌舞伎や時代劇にも登場する。
  https://www.youtube.com/watch?v=a9xgIHOb-KA
.
1920年代、日貨排斥
  中国で、日本商品のボイコット運動が起きた。
  これは、アメリカが、イギリスと一緒になってけしか
 けたものだった。
  (参考)けしかける:そそのかして、自分の思う通り
     に行動させる。
  中国人の間に、「日本ぎらい」の気持ちを植え付けた、
  キリスト教教会が、裏から反日暴動を引き起こす様に
 工作していた。
  キリスト教組織は、共産主義者、コミンテルンとも絡
 んで、裏工作をしていた。
  この中国のキリスト教も、アメリカの国家予算を使っ
 て、キリスト教を中国に根付かせようと資金提供してい
 た。
  キリスト教聖職者を送ったりしていた。
  アメリカは。この様に、中国に火種を蒔(ま)いてい
 た。
  今・現在、中国は、必死に、沖縄と北海道の土地を買
 っている。
  国家の金である・・、
  国際通貨となった「人民元」を、輪転機をフル回転さ
 せて刷って・・その金で買っている。
  この逆は、中国はさせない・・日本は、中国の土地を
 買えない・・
  中国は、国内の不動産を、外国には購入させないよう
 にしている。
  中国は、会社だって、好きに買っている。
  共産主義の独裁国家が、中国の民意なんて聞くことも
 しないで・・無視して・・好き勝手をしている。
  中国は、沖縄の独立を扇動して、昔から中国がやって
 きた「洗国」・・今・現代も、チベットや、ウイグルや、
 内モンゴルでやっているが・・「漢民族以外の人々を他
 へ移動させ」・・そして、そこへ、「漢民族を大量に送
 り込む」・・
  沖縄の地が、沖縄人より漢民族の方が多くなるという
 施策も起こり得る・・チベットなどでやっている様に・・
  もうこうなったら沖縄の地は、当然、「沖縄人の地で
 はなくなる」。
  多数決の決定は、沖縄人の意思の決定ではなくなる。
  中国は、今・現在、この様な方法で自国を拡大してい
 る。
.
1929年、ジャズ喫茶は日本にしかない。
  その最初は、昭和4年(1929年)、東京大学の赤門前に
 出来た「ブラックバード」だった。
  そして、ジャズが演奏されたのは、大正14年(1925年)
 に、横浜・伊勢佐木町の「喜楽座」だった。
  戦争の後、横浜は、アメリカ軍の進駐軍で溢れた。
  多くのジャズ・クラブができた。
  日本人は入れなかった・・
  しかし、日本人で、ジャズが演奏できるミュージシャ
 ンは引っ張りだこだった。
  良い収入に恵まれたほか、アメリカの最前線に触れる
 ことができた。
  そこには、ハンバーガー、コーラ、タバコ、チョコレ
 ート、などなど、口に入れるもので溢れていた。
  また、口に入れるものだけでなく、テイッシュ・ペー
 パー、トイレット・ペーパーなど目を見張るものなども
 含め・・豊かなアメリカの消費物品に溢れていた。
  ジャズ喫茶は、日本人ミュージシャンのたまり場とも
 なった。
  その頃の敗戦国の日本人は、栄養失調で死ぬ人も居る
 くらいで・・食うか食わぬかの状態だった。
  皆、食べる物を求め・・さ迷っていた。
  (参考)ジャズ喫茶とは、主にジャズのSP・LPレ
     コード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来
     店する形式の喫茶店。
      昭和初期にもジャズの普及と共にはじまった
     が、戦争により一時消滅。
      戦後まもなく再開し、1960年代に隆盛を迎え、
      1970年代に下火を迎えた。
  (参考)ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけ、
     アメリカ合衆国南部の都市を中心に派生した音
     楽ジャンル。
      西洋楽器を用いた高度なヨーロッパ音楽の技
     術と理論、および、アフリカ系アメリカ人の独
     特のリズム感覚と民俗音楽とが融合して生まれ
     た。
      演奏の中にブルー・ノート、シンコペーショ
     ン、スウィング、コールアンドレスポンス(掛
     け合い演奏)、インプロヴィゼーション(即興
     演奏)、ポリリズム(複合リズム)などの要素
     を組み込んでいることが、大きな特徴とされる。
      その表現形式は、変奏的で自由なものだった。
      また、初期からポール・ホワイトマンやビッ
     クス・バイダーベックらの白人ミュージシャン
     も深くかかわり、黒人音楽であると同時に、人
     種混合音楽でもあった。
      演奏技法なども急速に発展し、20世紀後半に
     は世界の多くの国々でジャズが演奏されるよう
     になった。
      後のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼす。
.
1942年、ドイツは、れっきとして、国家として売春宿など
 売春業を経営していた。
  また、列強の各国もまた、多かれ少なかれ売春業をし
 ていた。
  日本は、この様な事はしていない。
  業者を監督し、逸脱行為を取り締まったが、日本が自
 ら経営に手を下していない。
  一番、悪辣(あくらつ)だったのがアメリカだった。
  「ナポリ慰安所」と呼ばれたドイツが経営していた南
 イタリアの慰安所を、ドイツを制圧したアメリカは、そ
 の慰安施設を、慰安婦の女性と共に自分のものとし、占
 領の翌日から運営を開始した。
  世界記憶遺産に登録せよ・・
  また、その銅像を立てよ!
  韓国は、ベトナム戦争の時に卑劣な事をして、7000人
 の私生児を見捨てて帰国した。
  また、ベトナムの方々の虐殺の韓国の戦時犯罪からも
 逃げている・・責任をとっていない。
  これも、世界記憶遺産に登録せよ!・・また、銅像も
 立てよ!
  韓国や中国に胡麻をするNHKは、この様な事はまっ
 たく放送しない・・日本を貶(おとし)める事ばかりを
 放送する。
  (参考)ドイツ将兵用売春宿:第二次世界大戦中に、
     ドイツはヨーロッパ各地に作った。
      その大半は新しく作られたが、元々あったも
     のを利用する場合もあった。
      1942年までに、500近い数の売春宿が、占領さ
     れたヨーロッパ各地に作った。
      差し押さえられたホテルなどを、国防軍が警
     備するなどして運営され、兵士や前線から後退
     した兵士に利用させた。
      収容所に設置されたものと合わせて、占領中
     を通して少なくとも34,140人の女性が被害を受
     けた。
      東ヨーロッパでは、多くの場合、女性達は道
     端で、警察や軍によるおとり捜査と称する一斉
     徴収によって連れて行かれた。
  (資料)1941年3月、ポーランド亡命政府の外務省は、
     ドイツ軍によってポーランドの町で性奴隷目的
     の集団女性誘拐が行われたとする文書を発表し
     た。
      ソ連でも、女性達が売春のために無理やり連
     れて行かれた。
      国際軍事法廷での証言・・
      「ドイツ軍の指揮で、スモレンスクの町にホ
     テルを利用した軍属向けの売春宿が開かれ、数
     百人の女性達が連れて行かれた。
      彼女らは、無情にも路上で髪や腕をつかまれ
     引きずられていった」。
.
1945年3月10日、東京大空襲
  1942年、アメリカで、ナパームを使ったM69焼夷弾が開
   発された。
  1943年、アメリカの国家防衛調査委員会 (NDRC)
   焼夷弾研究開発部のレポートでは、住宅密集地域に
   焼夷弾を投下して火災を起こし、住宅と工場も一緒
   に焼き尽くすのが最適の爆撃方法であるとした上で、
   空爆目標の日本全国20都市を選定した。
    この様に、一般市民を大虐殺することが国際法違
   反であるという事を、アメリカは知っている訳だが、
   さらさら考えなかった。
    ひたすら、これをしないと100万人が死ぬんだとい
   う「ありもしない数字」に洗脳されて、この国際法
   違反の犯罪行為を行った。
    さらに、東京、川崎、横浜など10都市については、
   焼夷弾爆撃の有効度によって地域を以下のように区
   分した。
    その最有効地域1は・・
    都市中心部商店街地域、密集地域、住宅工場混在
   地域で一マイル四方あたりの人口密度9万1000人、
   都市人口の25%を占める地域。
    この地域は一平方マイルあたり6トンの焼夷弾で焼
   き尽くすことが可能とアメリカはした。
    アメリカは、日本家屋を再現した実験場を作り、
   大規模な延焼実験を行って、「市民の殺戮は、最初
   からありき」の犯罪的爆撃を目標とした。
    実験用の日本家屋は、室内の畳を日系人の多いハ
   ワイからわざわざ取り寄せ、精巧に作り上げられた。
    これらの実験が、クラスター焼夷弾開発の参考と
   されたことにより、東京大空襲を初めとする日本本
   土への無差別爆撃で「効果的な被害を与えること」
   を確認していた。
  そして、ロックフェラーは思い出して言う、「子供の
 ころの邸内には、キリギリスや虫たちが鳴き、その声の
 あまりの煩(うるさ)さで眠れぬくらいだった」と・・
  そして・・
  「しかし、大人になった今・・、キリギリスは、たま
 に鳴くくらいだ」・・と。
  空から飛行機で殺虫剤を撒いたアメリカ。
  一網打尽に虫を殺す国だった。
  それが進歩したやり方だと思ってやった国だった。
  戦争も、また、この様な思考方法でやった。
  アメリカは、爆弾を、この虫を殺す事と同じやり方で、
 「じゅうたん爆撃」で、日本の一般市民が暮らす町とい
 う町に投下して殺した・・虐殺した。
  国際法違反行為だった。
  アメリカは、この国際法違反行為を東京裁判で裁かず
 に・・逃げた・・、
  国際法違反ではない日本の行為は、この逆に、事後に
 裁ける法律(罪に落とす法律)を作るという卑劣な行為
 を行ってまでして日本を裁いた・・そして・・無実の日
 本人を死刑判決にして殺した。
  この様に、戦争が終わった後まで、アメリカは、屁理
 屈で日本人を殺し続けた。
  その国際法違反の「じゅうたん爆撃の一例」が・・
  1945年3月10日の東京大爆撃で・・、東京の人たちが
 20万人近くも死んだ・・
  そして、けがをしたり、焼け死んだりした人が、数限
 りなく居た。
  https://www.youtube.com/watch?v=4uNzPO5ZSQc
.
1945年8月14日、日本は、連合国へ『8月14日に、降伏の通
 達をすでにした』・・
  そして、その後にはマッカーサーが言うように「その
 降伏状態も日本側の誠意をもって進んでいる」・・
  つまり、8月14日の降伏宣言を「降伏時点として」事は
 進んでいると言っている。
  しかし、この後に、ソ連の不法行為による日本の領土
 の「南樺太」「千島列島」「北方四島」の略奪行為が行
 われる。
.
1945年8月27日、アメリカの指示・依頼により、占領軍向け
 の慰安施設の第1号が開業した(小町園、東京大森)
.
1945年8月27日、敦化事件(とんかじけん)
  占領軍の強姦・暴行に抗議して、日本人婦女子が集団
 自決した。
  この敦化事件は、1945年8月27日、満洲国吉林省敦化
 (現:吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で、ソ連軍によ
 って、連日に渡り、集団強姦され続けていた日満パルプ
 製造(元:王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族
 が集団で自決した事件。
  1945年8月9日未明、突如としてソ連が、満洲国に侵攻
 した。
  敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連
 軍と交戦していた。
  工場や敦化市内は、満人や朝鮮人の態度も変わること
 なく治安が保たれていた。
  1945年8月15日の戦争が終わった後も・・敗戦を迎えた
 後も、工場の満人や朝鮮人従業員は変わることはなかっ
 た・・が・・しかし、敦化市内で満人や朝鮮人の一部に
 よる略奪・放火、そして、日本人女性への暴行が行われ
 るようになった。
  戦争が終わっているのにもかかわらず・・1945年8月19
 日、ソ連軍が敦化市内に進駐して来た。
  終戦になっているので、敦化守備隊は降伏し、武装解
 除をした。
  しかし、1945年8月22日、ソ連軍は、日満パルプ製造
 敦化工場に進駐した・・そして、不埒にも、ソ連軍は、
 社宅に侵入すると1時間以内に社宅の一角を引き渡すよ
 う要求し・・それから、ソ連兵による卑劣な強姦・暴行
 行為が始まった・・現:ロシアは謝罪せよ!・・そして、
 補償せよ!
.
1945年8月、終戦直後のソ連の卑劣な行為
  朝鮮半島北部でも、卑劣なソ連の行動で、多くの日本
 人が亡くなった。
  併合統治されていた朝鮮半島の体制が、日本の敗戦で
 無くなったところへ、ソ連が、卑劣な状況で侵攻して来
 た。
  そして、38度線より北の地域は、1948年9月の北朝鮮
 建国まで、3年以上に渡って、ソ連に占領支配された。
  終戦直後から、日本人は移動を制限されていた。
  そして、不法にも、その日本人は、ソ連領内の収容所
 へ送られた(不法な拉致行為)
  民間人を含む多くの日本人は、日本への帰国を阻まれ
 た。
  ソ連(現:ロシア)は兵士だと言うが、民間人である。
  飢えと寒さで、多くの日本人は死んだ。
  また、その多くの日本人が、病気やけがで働けなくな
 ると「不必要だ」と捨てられた・・北朝鮮へ送られた。
  その人数だけでも「2万7000人の方々」で、この苛酷な
 取り扱いで多くが死んだ・・何と、「その4割もの日本人
 の方々が亡くなった」。
  この朝鮮北部には、40万人の日本人の方々が残ってい
 た。
  1946年秋頃までに、「3万4000人の日本人の方々が亡く
 なった」。
  今・現在、韓国が言うように、一人1000万円をロシア
 は補償せよ!
  その他に、シベリアに抑留された日本人の方々の死亡
 者数が、11年間で5万5000人も居る。
  この方々の分も、ロシアは補償せよ!
  卑劣なソ連の行為があちこちでなされていた。
.
1945年8月28日、連合国軍の先遣部隊が、沖縄本島より厚木
 飛行場に到着した。
  26日の計画であったが、暴風雨のため2日遅れた。
.
1945年8月28日、アメリカ軍のテンチ陸軍大佐以下150名が
 横浜に初上陸した。
  そして、横浜に、連合国軍本部を設置した。
  以後、全国で人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐軍兵力
 は最大で43万人となった。
  早速、特殊慰安施設協会が設立され、各所に慰安所が
 設置された。
  そして、多くの日本女性が慰安婦にされた。
.
1945年8月30日、アメリカ進駐軍の最高司令官のマッカーサ
 ーが、厚木飛行場に降り立った。
  それとともに、アメリカ進駐軍らが横浜に進駐した。
  この進駐した最初の10日間だけで、神奈川県だけで、
 「1336件の強姦事件」が発生した。
  また、この時期、上陸後の1ヶ月だけでも最低3500人
 以上の女性が強姦されたという記録もある。
  マッカーサー元帥と総司令部は、1945年9月17日、東京
 に移駐した。
  因みに、マッカーサーは、靖国神社を焼き払えと言っ
 た・・また、すべての神社も焼き払えとも言った。
  そして、アメリカ占領軍は、日本へ慰安所を作れと命
 令した。
  その書類が東京都などにある。
  言いたい放題・・命令のし放題・・だった・・
  被占領国(日本)へ酷(ひど)い乱暴な事をしたとい
 う声もある。
.
1946年、アメリカ軍の女性兵士用の「慰安夫」が名古屋な
 どに置かれた。
  RAA(アメリカ軍らの進駐軍のために造られた慰安
 敷設)・・
  そして、これとは別に、連合国軍の女性兵士用の「慰
 安夫」も存在した。
  百瀬孝らによれば・・、
  1946年(昭和21年)に、名古屋に進駐した女性兵士用
 の慰安夫に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、
 尿の検査を受け・・
  松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が
 与えられた・・
  そして、半年間、特定の女性伍長の専属となった。
  勤務は一日置き。
  食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったと
 いう。
.
2019年、アメリカは日本と違う・・銃の無い社会である日
 本をイメージしてては・・間違い。
  アメリカは、性悪説のキリスト教で、人間を悪として
 いる・・銃を持って自分を守れとしている。
  銃を持たない奴が悪いという考え方となっている。
  日本は、500年も前に「庶民から武器を取り上げる『刀
 狩り』をした」が・・、
  遅れている社会のアメリカは、500年もの後の今・現在
 でも、その武器・銃がアメリカ中に溢れている。
  そして、毎年、何万人ものアメリカ国民の方々が殺さ
 れる悲劇が起きている・・
  その様な最悪の現状が、まったく改善されない・・
  できない状況となっている。
  人間を悪とするキリスト教の性悪説がこの様な状況を
 生んでいる。
  銃を持つことを善とする歪んだ社会をキリスト教の考
 え方で作っている。
.
2019年、中国は、50年後も、台湾の様に、世界のすべてを
 「革新的利益だ」言っているだろう。
  チベット、ウイグル、内モンゴル、南シナ海、そして、
 沖縄、北海道、尖閣諸島などなどは、その手始め・・
.
2019年1月28日、米韓のきしみ・・中国に冊封される韓国・・
  米国との軋轢が増す。
  (参考)軋轢:あつれき、不和、人の仲が悪くあい争
     うこと。
  (参考)韓国は、冊封されることによって、中国から
     の軍事的圧力を回避でき・・そして・・
      中国の権威を背景として周辺に対して有利な
     地位が築け・・
      日本に対しても、今・現在、レ―ダー照射問
     題、元徴用工の強行判決を起こしたりしている。
      また、歴史を遡っても、この様な状況の時、
     韓国は、竹島問題で日本に強硬な行動(日本領
     の島への上陸)を行なった・・今に始まった事
     ではない。
  この日の読売新聞に「在韓米軍、経費交渉が難航」「
 削減・撤退論に懸念」との表題の記事がある。
  以下、その記事の抜粋・・
  2019年以降の在韓米軍駐留経費の韓国側負担をめぐる
 交渉が難航し、(韓国と)合意する見通しが立っていな
 い。
  交渉が決裂し、在韓米軍(2万8500人規模)が削減され
 るシナリオも議論され始め、懸念が広がっている。
  韓国政府はこれまで・・、
  ①、在韓米軍に勤務する韓国人労働者の人件費
  ②、米軍基地内の建設費用
  ③、軍需支援費・・の3項目の一部を米側に支出し、
 2018年の負担金は、約940億円だった。
  米国務省と韓国外交省は2019年以降の負担額について、
 2018年中の決着を目指し、昨年3月から12月まで10回の
 交渉を行った。
  米側は当初、米韓合同軍事演習で戦略爆撃機がグアム
 から韓国に展開する際などの「作戦支援費」を新たに負
 担項目に含めるよう要求した。
  この要求は取り下げたとみられるが、12月の第10回協
 議では、韓国側の負担額を昨年比5割増の約1300億円とす
 るよう求めたという。
  聯合ニュース(れんごうにゅーす、大韓民国の通信社)
 によると、ハリー・ハリス駐韓国大使が12月28日、要求
 額を約1100億円に引き下げる「米国の最終案」を韓国に
 示したが、「1兆ウオン規模(979億円)」を主張する韓
 国側との開きは大きい。
  協定の期限をめぐっても、米側は1年に短縮するよう求
 め、3~5年としたい韓国と対立している。
  在韓米軍司令部は昨年12月7日、交渉が妥結しなければ
 今年4月中旬から在韓米軍で働く韓国人労働者8000人以上
 が無給で休職になるとの文書を全国在韓米軍韓国人労働
 組合に送ったという。(中略)
  トランプ大統領はかねて「我々は(韓国に対して)と
 ても大きな貿易赤字を抱えているのに彼らを防衛してい
 る」などと語り、不満を公然と表明してきた。(中略)
  23日付の韓国紙中央日報は、米政府当局者が「韓国が
 多く負担するか、我々が(在韓米軍を)撤退するかだ」
 と韓国側に伝えてきたと報じた。
  韓国政府関係者は、「大統領府は、在韓米軍の削減や
 撤退に備えなければならないと考え始めている」と指摘
 する。
  米韓関係筋は今後について、「トランプ大統領は、大
 幅な負担増を勝ち取れれば成果とできるし、折り合えな
 ければ在韓米軍の規模縮小につなげ、北朝鮮との交渉カ
 ードに使えると考えているのではないか」と語った。
  (参考)韓国の今後は・・、
      米軍撤退を要求し、米軍撤退の後、ひどい目
     に会ったフィリッピンの先例のような状況の経
     過をたどるだろう。
      フィリピンは、再度、米軍駐留を依頼して、
     再駐留が実現している。
      米軍の不在の間に、フィリピンは、中国の領
     土侵略に会っている。
,
2019年1月28日、中国の「スパイ機構の構築」が挫折へ
  この日の読売新聞に、「ファーウェイ規制強化も」「
 EU副委員長、中国法に強い懸念」という記事が報じら
 れている・・
  以下はその抜粋・・
  欧州連合(EU)の執行機関・欧州委員会でデジタル
 分野を担当するアンシプ副委員長が、本紙のインタビュ
 ーに応じ・・、
  中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)が、
 中国政府に情報を提供する危険性があるとの認識を示し
 た。
  そのうえで、同社製品を念頭に置いた規制強化を検討
 していることを明らかにした。
  アンシプ氏は、中国が、2017年6月に施行した国家情報
 法に触れ、「中国企業は(同法に基づき)中国の情報当
 局に協力する義務を負っている。
  国家情報法によって『バックドア(裏口)』が仕込ま
 れるリスクが生まれた」と指摘した。
  バックドアとは、通信機器と外部の通信を可能とする
 不正プログラムやチップのことで・・
  アンシプ氏は、機密情報が盗み取られる可能性に言及
 し、「加盟国はリスク評価を徹底する必要がある」と訴
 えた。
  EUが、今春にも次世代通信規格「5G]を含む通信
 機器の認証制度を新設する予定だとし、この制度の下で、
 危険性の高い製品が無意識のまま使われないように周知
 していく考えを示した。
  米英や日本は、既に、ファーウェイを5Gの整備事業
 などから排除しており、EUも足並みをそろえる方向と
 なる。
  関連記事(読売新聞)・・
  表題:「『慎重』一転、包囲網強化」「『スパイ』契
 機、排除の動きも」
  米英や日本で排除の動きが広まる中国通信機器大手「
 華為技術」(ファーウェイ)をめぐり、欧州連合(EU)
 も関連の規制強化の検討を始めた。
  これまで中国製品の排除には慎重だった欧州各国でも、
 安全保障上の懸念が広がっていることが背景にある。
  EU内では、ポーランド当局が今月11日、ファーウェ
 イの現地法人に勤める中国人の男と、通信会社勤務のポ
 ーランド人の男をスパイ容疑で逮捕したことを受け、フ
 ァーウェイに対する警戒感が急速に広がった。
  ポーランドのブルジンスキ内相は、地元メディアに対
 し、ファーウェイ製品をめぐり、「EUとして一致した
 行動をとるべきだ」と強調した。
  オランダやチェコなどでも、製品排除を念頭に置いた
 動きが表面化している。
  EUで担当するアンシプ副委員長は「(中国のスパイ
 活動への同社の協力について)堅い証拠が必要だと主張
 する人たちがいるが、公にできる証拠がそろってからで
 は遅きに失する」と、EUとしての対応を急ぐ考えを示
 した。
  当初は、経済的な影響への考慮から慎重姿勢を示して
 きた独仏でも、風向きが変わり始めた。
  独経済紙ハンデルスブラット(電子版)は17日、ファ
 ーウェイ問題で、独政府が製品排除に向けた検討に入っ
 たと報じた。
  次世代通信規格「5G]の整備事業に関連したセキュ
 リティー要件を厳しくすることで、ファーウェイを事実
 上、入札から除外する案などが浮上しているという。
  英紙フィナンシャル・タイムズは、「独政府のUター
 ン」と指摘。
  トランプ米政権が、ファーウェイの締め出しを強く求
 めていることを念頭に、「米政府からの圧力に屈した」
 などと分析した。
  また、仏経済紙レゼコー(電子版)は21日、仏政府が
 ファーウェイの排除を可能とするよう、サイバー対策を
 担う部署の権限強化を検討していると報じた。
  同紙は、ファーウェイ問題を巡り、仏政府が中国との
 関係悪化を危惧しているとも指摘した。
  実際、ファーウェイ製品の排除の動きが加速すれば、
 EUと中国の関係に影響が及ぶ可能性もある。
.
2019年1月28日、中国・ロシア・北朝鮮のICBM攻撃の
 迎撃態勢を強化へ
  この日の読売新聞によると・・
  表題:「米、日本に新レーダー検討」
     「近く配備打診」
     「対ICBM強化」
     「中・露・北朝鮮を念頭」・・とある・・
  米国を狙った大陸間弾道ミサイル(ICBM)への迎
 撃態勢を強化するため、米政府が大型固定式レーダーの
 日本配備で協力を求める意向を持っていることがわかっ
 た。
  近く日本政府に打診し、協議を始めたい考えだ。
  中国、ロシア、北朝鮮による対米攻撃を念頭に置いて
 いる。
  複数の日米関係筋が明らかにした。
  日本への配備を検討しているのは「HDR(米本土防
 衛レーダー)」と呼ばれる新型のレーダー。
  米本土のほか、ハワイ、米領グアムなどに向かうIC
 BMを発射地点近くから追尾する。
  人工衛星を攻撃する「キラー衛星」やスペースデブリ
 (宇宙ゴミ)の監視にも利用するほか、レーダーが得た
 情報は自衛隊と共有する方向だという。
  米軍は、2023年に、ハワイで同型レーダーの運用を始
 める予定だ。
  日本配備は、2025年までに行い、ハワイのレーダーと
 連携運用することを目指している。
  米国は、現在、自国を守る地上配備型のミサイル迎撃
 システム「GMD]を保有している。
  ミサイル本体は、アラスカ州とカルフォルニア州に配
 備し、同州などにあるレーダーで追尾する。
  しかし、近年は、車両で運搬可能なICBMを中国が
 開発するなどし、発射の兆候を把握するのが難しくなっ
 ている。
  より正確な迎撃を行なうには、発射後の短時間に様々
 な情報を得る必要があり、発射場所に近い所からミサイ
 ルを追尾できるよう、態勢を整えることにしたとみられ
 る。
  トランプ米大統領は、17日に発表した「ミサイル防衛
 見直し」(MDR)で、中露や北朝鮮によるICBMの
 脅威を指摘し、ミサイル防衛の体制を強化する方針を打
 ち出した。
  HDR開発も、その一環と位置づけている。
  米軍は、既に、ICBMより射程が短い弾道ミサイル
 を追尾するため、移動式のレーダー「TPY2](Xバ
 ンドレーダー)を青森県と京都府に展開している。
  ただ、今回のような固定式レーダーを設置する場合は、
 恒常的に使える用地を確保する必要があり、周辺への電
 波の影響なども考慮しなければならない。
  このため日本政府は、米国から正式にHDR配備の打
 診を受け次第、受け入れの可否を慎重に検討する方針だ。
  日本政府は、北朝鮮によるミサイル攻撃などを念頭に、
 新たな地上配備型迎撃システム「イージスアショア」の
 配備を決めている。
  陸上自衛隊が、2025年度頃に運用を始める見通しだが、
 配備予定地の秋田、山口両県では反対論も根強い
  (意見1)中国の手先になった韓国。
  (意見2)中国・ロシア・北朝鮮は、まず、これをた
      たきに来るだろう・・だから、日本は「専守
      防衛」ではなく、「専守攻撃」にしなくては
      ならない。
,
2019年1月28日、自民、改憲へ世論喚起・・
  この日の読売新聞に標記の表題と、「ネット番組・全
 国講演で周知」・・とある・・
  28日に召集される通常国会では、安倍首相が目指す憲
 法改正に向け、どこまで議論が進むかも焦点の一つとな
 る。
  自民党は、自衛隊の明記を柱とする4項目の改憲条文
 案を会期中に提示したい考えで、世論を喚起する取り組
 みに力を入れている。
  「全国から幅広い意見が出てくるような環境づくりを
 しっかりやる。
  どの様に憲法改正を進めて行くべきか(の議論を)、
 皆さんと一緒に進めたい」
  自民党の下村博文・憲法改正推進本部長は27日、松山
 市で講演し、議論の深まりに向けた環境整備に力を尽く
 す意向を示した。
  推進本部は、具体的な取り組みの一つとして23日、党
 のインターネット番組「カフェスタ」を通じた情報発信
 を始めた。
  毎週水曜日に放送する予定で、党改憲案のポイントな
 どについて解説するという。
  来月10日の党大会後には、全国各地で講演会などを通
 じた党改憲案の広報活動も始める。
  289の衆議院小選挙区支部ごとに憲法改正推進本部
 を設置し、周知を主導する。・・以下略・・
  (意見)戦後、アメリカが、偽造し、残した憲法の改
     正から始めなければならない日本なのだ・・
      また、戦後、アメリカが行なった日本の洗脳
     のマインド・コントロールを解く作業がやっか
     いなのだ・・
      そのマインド・コントロールを解き切らない
     うちに・・日本人は滅亡するのか??!?
,
2019年、結局、中国の共産党独裁政権の独裁政治は、大衆
 のためだなんて言って政治をしても、最後は一部の自分
 たちだけに都合のよいことをしている。
  自分たちだけの私腹を肥やす事をしている。
  自分たちだけに都合のよい理屈をこね回している。
  そして、世界に害悪を流し続けている。
  南シナ海にしろ、自分勝手な論理で正当化している。
  国際機関が否定しても、屁理屈でその指示に従わない。
  駆逐されるべき条件がそろっている独裁政権となって
 いる。
  中国が、国連の常任理事国に居る資格もまったく無い。
  国連の理念を汚(けが)している。
  理事国の資格を剥奪(はくだつ)すべき条件はそろっ
 ている。
  中国の常任理事国の資格は剥奪されるべきだ。
  代わりに国際社会に貢献する日本を常任理事国にすべ
 きである。
  そして、敵国条項を廃棄せよ!!
  国際社会は変わっているのだ。
  遠の昔に、この国連条項は陳腐化し、古くなっている
 のだ。
,
2019年、プーチン君!! プーチン君よ!! 君は下らな
 い屁理屈を言うな!!
  日本の武道を一生懸命しているというが・・、
  日本の武道の精神は『まったく分かっていないようだ
 な!」。
  日本の武道が一番嫌う「卑怯な事を言った」ようだな。
  日本に返還すると約束した島々に「『主権を返還する』
 とは書いてない」と言ったんだって・・?
  馬鹿も休み休み言え!!
  もう一度言うが、「卑怯な事は言うな!!」。
  誰が聞いたって、プーチン君!君の論理は「屁理屈だ」。
  そんな言い方をしたら、世界の条約のすべてが「あっ
 て無きが如くになる」。
  そんな事も分からないのか!
  卑怯な屁理屈は言うな!
  そして、返還された島々に、アメリカのミサイルを置
 くから返還できないと言ったというが・・、
  君がミサイルを置いているからなのだ・・
  君がミサイルを置いている限り、君が返還した島々に
 ミサイルを置かざるを得なくなるのだ・・
  君が、東京やニューヨークに狙いを定めているミサイ
 ルを置いている限り、島々にミサイルを置かざるを得な
 いのだ・・
  そのミサイルに、モスクワを狙わせ、北京も狙わせざ
 るを得ないのだ・・
  北朝鮮も狙わせざるを得ないのだ・・・・
  人類は、同時に、皆、絶滅することになるが・・
  自分たちだけが生き残れるなんて考えるな!!
  今は、広島・長崎より絶大に威力が増しているから、
 キノコ雲も巨大になる・・
  あのキノコ雲は、広島・長崎の人々が蒸発した水蒸気
 やガスなのだ・・
  その様なガスの雲が、自分の所だけには上がらないな
 んて考えるな・・そんな論理は展開するな!!
.
2025年、今から5年か6年後のこれから来るこの頃、中国の
 時代になっているという・・
  産経新聞特別記者の田村秀男氏が・・、
  「経団連は『中国信仰』を捨てよ」という論稿で詳説
 しているが・・
  アメリカのペンス演説は、中国が新しい世界覇権計画
 を見せていること・・
  『中国製造2025』と称し、ロボット工学、人工知
 能を含む世界の最先端産業の9割を支配しようとしてい
 ること、
  中国が、トランプ政権を倒し、別の大統領に取り替え
 るために、さまざまな手段を弄(ろう)していること、
  アメリカの教育、大学、マスメディアはもとより、映
 画や放送にまで『検閲』の手を伸ばして、アメリカ社会
 を攪乱(かくらん)しようとしていること
  ・・などを、激しく批判している。
  中国は、2020年までに、人間生活のほぼすべてをコン
 トロールする『ジョージ・オーウェル式のシステム』を
 作り上げようとしている・・と指摘している。
  アメリカは、それを黙認してきた歴史がある。
  その沈黙が、中国を助けることになった。
  それを指摘したのが、この演説のポイントだった。
  (参考)ジョージ・オーウェルは、全体主義国家の監
     視社会を描いた小説家・・
      まさしく、今、中国は監視社会と化している。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
by suba28 | 2019-02-04 04:12 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)

題:(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月31日、清国政府の、講和条約に基づく、第1次
 軍事賠償金の振込分5000万両を日本が受領した。
  日本は受け取りをポンドで、ロンドンで受け取ること
 を提起した。
  条約は銀であったが、銀で受け取ると日本へ輸送しな
 ければならなかった。
  清国にその輸送の失費が生じる。
  また、銀価は傾向的に下落状況にあった。
  また、為替相場への影響を避けたいとの意思も働いた。
  そこで、当時、一番、国際通貨で強力だったポンドに
 したのだった。
  それと、日本の貿易も増える傾向があり、その支払い
 に便利であった。
  貿易の決済に於いて、ロンドンは国際金融の中心であ
 った。
  この様な事もあり、日英の結びつきも高まって行く。
.
1895年10月31日、帝国京都博物館(明治古都館)(旧称:
 本館)が完成した。
  設計、片山東熊、
  煉瓦造平屋建て、フレンチ・ルネサンス様式
  1892年6月、建築工事に着工。
  1895年10月、完成。
  1897年5月、開館、諸準備が整い、開館した。
  当初、3階建てで計画されたが、1891年に発生した濃尾
 地震でレンガ造2階建ての建物が多く倒壊した。
  このことを踏まえ、平屋建てに変更した。
  経緯・・
  1888年、宮内省に臨時全国宝物取調局(局長:九鬼隆
   一)が設置され・・、
    日本各地の社寺等の文化財(当時の用語では「宝
   物」)の調査が行われた。
    その結果、京都・奈良には、特に、文化財が集中
   しており、それらを収蔵保管する施設の整備が急務
   とされた。
    こうして当時の日本政府は、京都と奈良に国立の
   博物館を設置することとした。
  1889年5月、宮内大臣通達により、「帝国京都博物館」
   と「帝国奈良博物館」の官制が定められた。
    京都国立博物館の前身である帝国京都博物館が機
   関として発足したのはこの時だった。
    初代の館長は、森本後凋(こうちょう)。
    この人の在任中は、博物館開館以前の準備期間で
   あり、実質的な初代館長は・・
  1894年2月に就任した山高信離(のぶあきら)だった。
  1890年、帝国京都博物館の建設地が東山七条の現在地
   に定められる。
    この土地は、方広寺(大仏)旧境内にあたり、こ
   の当時、東半が民有地、西半は七条御料地(旧:恭
   明宮)であった。
    恭明宮とは、明治初年の神仏分離後、それまで御
   所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇陛下の
   御位牌を安置していた施設(1870年設置、1876年廃
   止)。
.
1895年11月3日、奈良鉄道の伏見駅~桃山駅間が開通した。
.
1895年11月4日、日本鉄道土浦線の土浦駅~友部駅間が開通
 した。
.
1895年11月5日、西洋音楽家で、幸田露伴の妹の幸田延(こ
 うだのぶ)が、留学から帰国した。
  1870年3月19日~1946年6月14日、バイオリニスト、ピ
 アニスト、東京音楽学校教授。
  文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)卒業後、母校
 に奉職した。
  1870年3月19日、東京下谷に生まれる。
  1880年(10歳)10歳の時に、文部省音楽取調掛に勤務
   していたお雇い外国人メーソンに音楽の才能を見出
   された。
    その個人指導でピアノや洋楽を学んだ。
  1885年(15歳)音楽取調所(同掛から改称)を優秀な成
   績で卒業した後、同所研究科に在籍する傍ら同校助
   手となり、弱冠15歳で教える立場となった。
  1888年(18歳)ルドルフ・ディットリヒの薫陶を受け
   る。
  1889年(19歳)~1895年(25歳)ルドルフ・ディット
   リヒの推薦により、第1回文部省留学生としてボスト
   ンのニューイングランド音楽院へ・・
  1891年(21歳)さらに、ウィーン音楽院に留学する。
   バイオリン、ピアノ、そして、作曲を学ぶなど本格
   的な音楽教育を受ける。
  1892年(22歳)新しい時代を象徴する女性として期待
   と人気を集め、新聞紙上の「婦人音楽家の人気投票」
   で洋楽部門の第1位に輝いた。
  1895年(25歳)帰国、母校の助教授となる。
  1896年(26歳)帰朝披露演奏会では、メンデルスゾー
   ン「バイオリン協奏曲ホ短調」第一楽章の独奏や、
   シューベルト「死と乙女」の独唱などを行い、好評
   を博す。
    作曲や編曲でも才能を発揮し、帰朝早々にバッハ
   の「バイオリン・ソナタ」を弦楽合奏用に編曲した。
  1897年(27歳)日本人による最初の本格的な器楽曲で
   ある「バイオリン・ソナタ ニ短調」を作曲する。
  1898年(28歳)東大哲学科の教師であり、すぐれたピ
   アニストでもあったラファエル・フォン・ケーベル
   が東京音楽学校でピアノレッスンを行った際の通訳
   も務め、その後、ケーベルの教えを受けてピアノ教
   師に転向する。
    以来、「音楽教育界の大御所」「上野の女王」と
   呼ばれた。
    滝廉太郎、本居長世、久野久子、三浦環ら次代を
   担う多くの俊英を育てる・・とともに、皇族方の音
   楽指導にも当たるなど、明治音楽界における女性の
   第一人者として尊敬を集めた。
  1899年(29歳)教授に就任。
  1906年(36歳)従五位を授けられる。
  1909年(39歳)同校を退職。
  1909年(39歳)~1910年(40歳)欧米視察。
  1912年(42歳)自宅に審声会を開き、ピアノの個人教
   授を行う。
    東宮職御用掛となり皇族に音楽を教授する。
  1915年(45歳)日本の女性の手による初の交響曲「大
   礼奉祝曲」(混声四部合唱付)を作曲する。
    これは、大正天皇陛下の御即位を祝した曲だった。
  1916年(46歳)唯一の歌曲である神奈川県立高等女学
   校(現:神奈川県立横浜平沼高等学校)の校歌を作
   曲する(作詞は佐佐木信綱)
    この曲の冒頭は瀧廉太郎作曲の『荒城の月』と同
   じ音型であるが、早世した弟子の瀧へのオマージュ
   であるという。
   (参考)オマージュ:尊敬。敬意。芸術や文学にお
      いて、尊敬する作家や作品に影響を受けて、
      似たような作品を創作することを指す用語。
  1931年(61歳)楽壇生活50周年を記念した祝賀演奏会
   が開かれ、明治天皇陛下の御製を歌詞とした自作曲
   「あさみどり」が演奏された。
  1937年(67歳)音楽家として、また、女性としてはじ
   めて帝国芸術院会員となる。
    他の作品に「地久節の歌」などがある。
  1946年6月14日、逝去される。76歳
    生涯独身を通した。
  (追伸)幸田延:ヴァイオリンソナタ 第1番 変ホ長調/
      (Nobu Koda:Violin Sonata No.1 Es-major)
    https://www.youtube.com/watch?v=yryTmyT_0QA
.
1895年11月6日、樺山台湾総督、各軍へ凱旋帰還命令を出す。
.
1895年11月7日、関西鉄道の桑名駅~弥富駅間が開通し、草
 津駅~名古屋駅間が全通する。
.
1895年11月8日、ドイツ人物理学者のヴィルヘルム・レント
 ゲンが、エックス線を発見した(10月説あり)
  レントゲン線と呼ばれる
  エックス線(X-ray)は物理学では波長が1pm~10nm程
 度の電磁波のことを言い、放射線の一種。
  レントゲンは、放電管を用いて「陰極線」の研究をし
 ている時にX線を発見した。
  排気されたガラス管内に陰陽二本の金属電極を封入し、
 両極に電圧を加えると、空気中よりはるかに低い電圧で
 放電が起こった。
  そして、管内に蛍光が生じた。
  この現象は、17世紀中頃から分かっていた。
  多くの研究も行われていた。
  最初の実験を行ったのが、イギリスのホークスビー(
 1666頃~1713年)だと言われている。
  その後、1855年、ドイツのガイスラー(1814年~1875年)
 が高性能の水銀ポンプを開発し、真空度の高い放電管を
 作ることに成功する。
  さらに、1858年、ドイツのプリュッカー(1801年~1868
 年)が、この放電管を用いて、真空放電の実験をしてい
 て、陰極に向かい合った部分のガラスが緑色の蛍光を発
 して輝くことに気付いた。
  また、蛍光を発する場所が、磁石を使って移動できる
 ことも観察した。
  これらのことから、磁石によって影響を受けるある種
 の線が、陰極から発していると考えた。
  1876年、ドイツのゴルトシュタイン(1851年~1931年)
 が、この線を「陰極線」と命名し、その性質の研究に着
 手した。
  同じ頃、ヒットルフ(1823年~1931年)、 クルックス(
 1832年~1919年)など多くの科学者が、それぞれの放電管
 (ヒットルフ管、クルックス管と呼ばれる)を開発し、
 陰極線の正体を解明する研究をした。
  こうした流れの中、19世紀末の1895年、レントゲン(
 1845年~1923年)がX線が発見した。
  その後の1897年、トムソン(1856年~1940年)が、X線と
 陰極線の正体である「電子」を発見した。
  これを契機に、人類は、ミクロの世界の物理学に足を
 踏み入れた。
.
  (今日の言葉)
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  題:今の様なNHKであるならば・・、
    日本中の人々のすべてが・・、
    一旦、NHK受信料を不払いして・・、
    そして、NHKを解体しなければならない。
.
1895年、この年の日清戦争で清国が日本に敗れて以降、中
 国大陸をめぐる情勢は一変した。
  日本への賠償金を支払うため、清国政府は、ロシア帝
 国とフランスから借款し、その見返りとして露仏両国に
 清国内における様々な権益を付与した・・させられた。
  その様な羽目になったが、これがきっかけとなり、急
 速に列強諸国による中国分割が進み・・、
  (眠れる獅子の如くに言われていた清国の化けの皮が
 はがれたという状況だった・・その弱みに付け込む列強
 という状況だった)
  阿片戦争以来の清の「イギリス一国の植民地」(非公
 式帝国)状態が崩れた・・寄ってたかる状況となる。
  とりわけ、シベリア鉄道の満洲北部敷設権獲得に代表
 される『ロシア』の満洲や北中国への進出は激しかった。
  フランスも、フランス領ベトナムから進出して、雲南
 省、広西省、広東省、四川省など、南中国を勢力圏に収
 めて行った。
  そして、既に、利を得ていたイギリスに対して、北中
 国を勢力圏とするロシアと連携して、イギリスを挟撃し
 てくる恐れが生じていた。
  (ロシアとフランスは、1893年に露仏同盟を締結して
 いて、三国干渉に代表されるように中国分割においても
 貪欲に、密接に連携していた)
  これに対抗したイギリス・・イギリス首相第3代ソール
 ズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルは、清国の
 領土保全を訴えた。
  その様なことをして、イギリスは、ロシア・フランス
 の中国大陸におけるイギリスの権益の食い荒らしを防ご
 うとした。
  さらに、1896年3月、ドイツ帝国と連携して、露仏に先
 んじて、清政府に対日賠償金支払いのための新たな押し
 付け借款を与えることで、イギリス・ドイツの両国の清
 国内における権益を認めさせた。
  また、1896年1月、フランスと協定を締結して、イギリ
 ス・フランス両国とも、メコン川上流に軍隊を駐屯させ
 ず、四川省と雲南省を門戸開放することを約定した。
  これによってフランスの北上の食い込みに一定の歯止
 めをかけることに成功した・・列強の血眼な中国の食い
 放題状況だった。
.
1945年8月18日、ソ連軍が千島列島へ侵略を開始した。
  占守島で日本軍交戦(21日、停戦令出る)。
.
1945年8月18日、占守島(しゅむしゅとう)の戦い(~1945年
 8月21日)
  日本の領土の千島列島の最北端の島の占守島・・
  この島で・・この日に、この日本の領土の占守島に、
 ソ連が、突然、攻めて来た。
  この防衛戦で、日本は勝利した。
  まったくおかしいのは、戦争はすでに終わっているの
 に、「ソ連が、不法に攻めて来た」ということであった。
  日本は、すでに、1945年8月14日に、「日本の降伏を連
 合国に伝えていた」・・、
  連合国も「これを了解していた」・・
  そして、「連合国と日本との戦闘行為は止まっていた」。
  ここが大事なのである・・『戦いは終了していたので
 ある』。
  ソ連は、その様な状況であるのに、突然、攻めて来た。
  2019年1月23日の読売新聞によると・・
  この度、安倍首相が、ロシアを訪問され、北方領土問
 題を含む平和条約交渉に臨んだ・・が、しかし・・
  ロシア(旧:ソ連)の言い分は・・、
  「日本側は北方領土について、1945年8月にポツダム宣
 言を日本が受諾したにもかかわらず、ソ連が日ソ中立条
 約を無視して、『不法占拠』したという立場をとる」と
 主張し、歴史認識が違うと言った。
  しかし、明らかに「戦争は終結していた」のだ。
  連合国は、戦闘行為を止めていたのだ。
  ただ、その連合国のソ連(現:ロシア)だけが、突然、
 不法に戦闘行為をしたのだ。
  日ソ中立条約も存在しているのにである・・
  既に、アメリカやイギリスの連合国は、「日本の降伏
 を了解し、戦闘行為を止めている」のだ。
  また、ロシア(旧:ソ連)の主張は・・、
  「ソ連が、第二次世界大戦の結果で領土を取ったのだ」
 と言った・・が・・これは、おかしい。
  そして、日本は、この『占守島の戦いで勝利している』
 のだ。
  戦いは占守島で日本が勝ったように(ソ連を敗かせた
 ように)日本はソ連との戦いに勝利しているのだ。
  しかし、「終戦だ」「戦いは終わったのだ」「日本は
 降伏したのだ」と、「日本とソ連が合意した」から日本
 は武器を置いたのだ。
  そして、日本とソ連は合意のもとで、日本は武器を引
 き渡し、ソ連は合意のもとでその武器を受け取り、「武
 器の引き渡し式は、両国の合意のもとで終わった」。
  つまり、この時点で、「日本とソ連は、戦争は終わっ
 たと合意していた」のだ。
  ソ連がこの事態を認めたから、この占守島の戦いに勝
 利した日本は武器を置き、双方がその事態の収拾を行な
 ったのだ。
  ソ連政府も、この事態の成り行きを受け入れた。
  この様な事があるのに、武器を置いている日本に対し、
 ソ連は、不法に、日本の領土の奪い取り行為をその他の
 島々で続けた・・日本領の北方四島まで続けた。
  そして、またまたソ連が卑劣なのは、この時、占守島
 でソ連に勝った日本の兵士たちを、シベリアに連れて行
 くという『不法な拉致行為』を行なった。
  そして、この勝利した多くの日本兵が、不埒な環境に
 置かれ、その多くの日本兵が死んだ・・殺されたと言っ
 ても良い。
  また、ソ連が、「戦争に勝ったから取った」と言うの
 なら、この日本が勝った占守島は日本の管理下に置かれ
 るべきだ。
  それ以外の、既に、武器を置いた日本兵の居る島々を
 盗ることは許されない。、
  また、韓国の徴用工の言い方をするならば・・拉致さ
 れて、不適切な環境下で働かせられて、シベリアで多く
 の日本人が死んだことを補償すべきだ・・
  韓国が言う様に、一人当たり1000万円の金をソ連(現:
 ロシア)は日本へ支払うべきだ。
  日本は、大金を、すでに、韓国に支払っている・・
  ただ、韓国政府が、しっかり対応をしていないから、
 日本がとやかく言われる状態となっている。
  ロシアは、この件で、何らの補償をしていない状況と
 なっていて、日本との何の決着もつけていない。
.
2004年9月、NHKの北九州放送局の経理職員が、印鑑の不
 正使用をして、NHKの銀行口座から約100万円を着服し
 た。
.
2004年9月、NHKエンタープライズアメリカに出向中の職
 員が、経費約370万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの経理職員が、取引銀行通帳を改竄(か
 いざん)し、約300万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの甲府放送局職員が、総額38万円相当の
 備品を窃盗した。
.
2004年9月、NHKの放送技術職員が、外部制作会社に約
 1240万円を架空請求させて、約1120万円を着服した。
.
2005年3月、NHKのシンガポール駐在の特派員2人が、経
 費の約795万円を着服した。
.
2005年4月、NHKの番組制作局ディレクターが、電車内で
 女子高校生を触り、強制わいせつ容疑で逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年2月11日、NHKのEテレで、偏向放送をしていた・・
  この様な放送ばかりするNHKである・・その1例を記
 せば・・、
  この日の午後2時14分などに現認・・高校講座、科学と
 人間生活、
  無意味に「神」「神」と連発し、「仏」とは絶対に言
 わない。
  また、現地も「神殿」なんて言わないのにNHKは、
 「神殿」「神殿」と神殿を連発して高校生を洗脳した。
  キリスト教に偏するNHKは、「キリスト教の神」と
 でも言いたいのだろう。
  NHKは、いつも仏教は、蔑視である。
  NHKは、学校放送をする資格なし、学校放送を止め
 よ!
.
2017年2月10日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送
 人権委員会は・・、
  2014年7月27日に放送された番組『NHKスペシャル
 調査報告 STAP細胞 不正の深層』について・・、
  真実性・相当性の認められない疑惑の指摘と受け取ら
 れる編集になっており、申立人である小保方晴子氏の名
 誉を毀損し、人権を侵害したと認めた。
  そして、再発防止を勧告した。
  これに対し、NHKは、番組内容は客観的事実に留ま
 るとして人権侵害を否定した。
.
2017年4月3日、ニュースウオッチ9の放送で、日本の国旗を
 中国の国旗の真下に表示していたことが発覚した。
  常に、中国寄りの立場をとるNHKが、やっと取り上
 げられる状況となった。
  4月13日の参院内閣委員会で自民党の有村治子議員が、
 「NHKはどこの国の公共放送か」と述べて批判した。
  岸信夫外務副大臣は、独立国の国旗を上下に位置させ
 ることについて「下の国旗は下位、服従、敵への降参な
 どを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはなら
 ない」と答えた。
  NHK広報部は、産経新聞の取材に対し、「上空を飛
 行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機の
 イメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の
 画像を使って放送した。
  国の上下関係を示す意図はなかった」と屁理屈説明を
 した。
.
2018年12月22日、NHK:本来の役目を果たしていない・・
  芸人が、盛んに、NHKを「NHKさん」と「さん付
 け」で呼ぶ。
  この様に、NHKには、芸人にとって、「さん付け」
 で呼ばなければならない『NHK圧力』がある。
  NHK側から見れば、「NHK特権・NHK強権」が
 ある。
  それは、視聴者から得た「巨大な金の力・資金力」で
 ある。
  また、強力なNHK放送機構での日本全国への「NH
 K放送力」である。
  しかし、この様な、NHK本来から出た力ではない『
 虚構の力』である「見た目の力」に、NHKは謙虚に向
 き合っていない。
  NHKは、本来の役目を放棄して、この甘い言葉を許
 している。
  全国放送を実施している。
  芸人のごますり言葉に気分良くしている風である。
  本来のNHKの仕事である「正しい日本語の伝播とい
 う第一の大切な役目」を放棄している。
  当然、NHKが知っている・・NHKは、正しい日本
 語ではない「企業名やNHKに『さん付け』をするとい
 う話し方」に心地よく甘受している。
  このNHKへの「尊称付き呼び方に酔っている」。
  芸人に注意することすらしないNHKとなっている。
  この様な事例の多いNHKとなっているが、その一例・・
  2018年12月22日、午後23時00分~午後23時45分、NH
 K総合テレビ、番組名「時事ネタ王2018~ニュースVS
 芸人~」
  また、この他にも、NHKには、正しい日本語を話す
 事に鈍感になっている事例が多い・・例えば、盛んに
 「お」を付けるなどなど・・
.
2018年12月27日、日本を骨抜きにしようとする動きが盛ん・・
  【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第2回「日本解体!デ
 ィープステートによる日本のグローバル化、
  その尖兵としての霞ヶ関官僚」[桜H30/12/27]
 https://www.youtube.com/watch?v=tOqOn3ttvPg&t=65s
 ・ヨーロッパのグローバル化の次は日本をターゲットに
  することが決まっていた。
 ・ジャック・アタリ・・日本を移民国にすると2000年頃
  から決めていた。
 ・菅・二階ラインが進めている。
 ・入管法(移民法)改正問題がある。
 ・メディアと菅が一体となっている。
 ・ジャパン・ハンドラーズ・・ネオコン・・安倍おろし
  をしている・・
 ・自民党に、昔、居た保守が居なくなっている・・
 ・霞が関の官僚が、新自由主義のグローバル化を推し進
  めている・・アメリカのウォール街の代弁者となって
  いる・・財務省がその最大の組織・・
 ・緊縮財政論の嘘・・財務省の嘘・・
 ・財務省はズーット安倍首相の足を引っ張り、安倍おろ
  しをやって来た。
 ・日本の株主の半分は外国人・・この外国人株主を儲け
  させるために日本人は働いていることになっている・・
  外国人の安い労働力を入れて配当金受領が多く上がる
  ように仕向けている・・
 ・武田薬品は外国の会社化している・・実質的には外国
  会社だ・・会社トップは外国人・・7兆円の生きるか死
  ぬかの投資の賭けをしている・・
 ・日本人の名前で日本をコントロールしている・・日本
  がターゲットとなっている・・この様な事は「アラブ
  の春」でやられて来た・・それは失敗に終わっている
  ことは、今や明確化している・・
 ・入管法の改正はやるべきではない・・
 ・ピザ(査証)を引き締めよ・・中国や韓国のピザはゆ
  るゆる・・
 ・入国管理庁が格上げされる・・観光庁ができている・・
  失踪者が増えている・・この弊害が多発している・・
  年間に1億人が来るが、コントロールできるかが問題化
  する・・
 ・北海道のアイヌはほとんどアイヌの血ではない・・ま
  た、縄文の同じ遺伝子の人々なのだ・・しかし、アイ
  ヌを特別化し、特殊化してアイヌの自治権を与えよう
  とする動きとなっている・・これが中国と関係を持つ
  方向へ行くことが明確に予測されている・・
 ・警察権が入れない北海道のすすき野・・この様な日本
  の自治権が及ばない北海道となる・・
 ・すすき野は中国化と完全になっている・・
 ・自民党はチャイナマネーにまみれている・・菅・二階
  ラインだと皆が言っている・・(この様な日本の議員
  の情報・映像情報での中国への提供者がNHK)・・
  この様な事をする官僚が、今、自己増殖している・・
 ・人権擁護法案の怪しい法案が出て来る・・それに抵抗
  する議員は以前のように今は居ない・・
 ・日本の皇室を変えようとしている・・日本の国柄を変
  えようとしている・・日本の国家の形態を壊そうとし
  ている・・
 ・宮内庁はなるべき人ではなくてもなれるから、そして、
  入れるから、怪しい人が入りやすい・・この人たちが
  動かしている・・
 ・ヨーロッパのロイヤリファミリーと同じにしようとし
  ている・・また、国連が介入しようとしている・・介
  入できる理由が国連には無いが、国連は介入しようと
  している・・など・・
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教が
 嫌う仏教の「輪廻の循環を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送も「その類いとなっている」。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」
.
2019年、日本を貶(おとし)める教科書は、その具体名を
 明らかにして、糾弾をすべきだ。
  また、どのような嘘を子供たちに教えているかを明ら
 かにして、「人々の判断を仰(あお)ぐべきだ」。
  また、認可した文部科学省に、その間違いを指摘して、
 糾弾せよ。
  秘密の壁の中にある「子供たちの教育と教科書」を、
 ガラス張りにすべきだ。
  中国と韓国の工作の影響を受けているというが、その
 排除に努力せよ!
  また、「中国・韓国に影響されている教科書を糾弾す
 る会」を結成せよ!・・活動を開始せよ!
  中国の僅かな金を貰って、日本を売る教科書会社を糾
 弾せよ!
.
2019年、北方四島の一括返還か、千島列島含みの一括返還
 かの検討をせよ!
  少なくとも、日本が勝利した占守島は、日本に返還さ
 せる様にせよ!
.
2019年、本「『日本国紀』の副読本」百田尚樹・有本香対
 談・・の新聞広告に書かれた読者の声
 ・子供が小学校で歴史を教わっていますが、日本が悪か
  ったというニュアンスの表現がそこここにちりばめら
  れていることがよく分かる・・
 ・日本国紀を補完する素晴らしい本。
  文中の○○教科書は多くの日本人を惑わす無用の書だ
  と分かった。
  小中高生が日本国紀と本書で歴史を勉強してもらえた
  らと願います。
 ・○○の教科書は報道で「素晴らしい本」みたいに紹介
  していたが本書を読んでびっくり。
  韓国の本ですか?
 ・久しぶりに感銘を受けました。
  戦前を知っているものとして全く同感(80歳代以上)
 ・本書で日本を誇らしく思う。
  子供達(孫達)が私のように日本に生まれて良かった
  と思って育ってくれたら何より・・
 ・日本の歴史のどの部分が修正されているかがわかった。
 ・感激しました。
  75歳の老人です。
  百田さんの言われる「洗脳された世代」ですがテレビ
  の偏向報道にさすがにおかしいとネットなどで勉強中・・
 ・日本がニュートラルな国家になることを望みます。
  日の丸、君が代が当たり前のように扱われる国になっ
  てほしい・・
 ・日本人として、これからの日本を創り残していく一人
  として、生きていく勇気をもらいました。
  自分が生きているうちに日本を日本人を生かしていく
  ような人になりたいです(20代)
 ・「敗戦による負の遺産」は戦中戦後体験者として絶対
  に払拭してこの世を去りたい。
 ・GHQと日教組に騙された世代。
  生きているうちに本書と日本国紀を読めてよかった。
 ・チャイナ・コリアに対し条件反射的に「悪いことをし
  た」と口に出す人が多い。
  本書を読んでその原因に納得。
  今の我々が安易に「謝罪」を口にすることは(先の大
  戦の教訓は必要ですが)当時の国際情勢の中で必死に
  生き抜いてきた先人に対して無礼と感じる・・
 ・などなど
.
2019年1月19日、韓国が日本海の呼称に異議を言う。
  この日の読売新聞に・・「外相『日本海、問題ない』
 国際機関の呼称協議要求に」という表題で報じられた。
  以下はその記事・・
  韓国が日本海の呼称に「東海」を併記するよう求めて
 いる問題を巡り、日本海の単独呼称が国際的に認知され
 ている根拠の一つである国際水路機関(IHO)の指針
 について、IHOが、改訂を望む韓国との協議を日本に
 要求していることがわかった。
  河野外相は18日の記者会見で「日本海の呼称に問題は
 なく、(協議の)必要はない」と述べた。
  IHOは世界の海洋名などが記され、各国の海図作成
 の指針となる「大洋と海の境界」を出版。
  1929年の初版から現行版(53年作成)まで日本海の海
 域には「Japan Sea」と一貫して記載されている。
  日本海の名称について、韓国は1992年から「植民地支
 配の結果広がった」などとして、「東海」への改称や併
 記を国際社会に訴え、近年はIHOの指針改定も求めて
 いる。
  日本は日本海の名称が19世紀から国際的に定着してい
 ることを理由に、併記や改訂に反対してきた。
  だが、IHOなどによれば、2017年4月のIHO総会で
 指針改定が議論され、2020年の次回総会で報告が行われ
 る事が決定。
  IHO事務局は関係国間で非公式協議を行うよう求め
 た。
  日本側は難色を示していたが、「応じなければ改訂の
 ほか、廃止も検討する」と、強く迫っているという。
  IHOのマティアス・ヨナス事務局長は読売新聞の取
 材に対し、関係国に非公式協議を開くよう働きかけてい
 ることを認め、「敏感な問題であり、次回総会まで一切
 の声明を発表するつもりはない」と回答した。
  一方、河野外相は会見で「日本海が世界で唯一認めら
 れた名称。修正の必要は全くない」と強調した。
                (以上)
  韓国が、日本海の名を変えたいのなら、同時に、「東
 シナ海」も変えたいと主張をするべき。
  「西朝鮮海」とかに変えたいと主張をするべき。
  また、「インド洋」も、また、カリフォルニア湾を「
 カリフォルニア・メキシコ湾」にと主張するべき・・
  この様な話は世界に一杯ある・・
  「南シナ海」は、フィリピンやベトナムの名も入れな
 ければならない・・
  「イギリス海峡」も変える様に主張すべき状況にある。
  韓国の後ろで指図している中国・・その中国にも「東
 シナ海」や「南シナ海」を変えるように言うべきだ。
  韓国を代理にして、日本を貶めようとしている中国が、
 ここに存在している。
  中国は、自国の中で蹂躙しているチベット国や、ウイ
 グル国や、内モンゴル国の人々への蹂躙を隠し、薄める
 ために、日本への貶め行為をやっている。
  ソ連(ロシア)が、「カチンの森」の卑劣な大虐殺を
 隠し、薄めるために、ナチスを過大に貶めた行為などと
 同じ。
.
2019年、ファーウェイに代わる企業を「日本やアメリカで、
 国策として、育成せよ!」。
  優れた日本の部品を使って・・「やりたいことをやっ
 ている中国」。
  もう、この辺で、「中国を、ストップしなければなら
 ない」。
  最悪の政治体制・・独裁も変えさせなければ「世界の
 平和は到来しない」。
  すべての問題の発信の元・根源には・・ここにある。
.
2019年1月19日、専守防衛は、今も有効な戦略たり得るか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
  上記の言葉は、この日に、調査研究本部客員研究員の
 小田尚氏が、読売新聞に書いた言葉・・
  小生も、このブログに・・
  「専守防衛はあり得ない」。
  「専守攻撃があってこそ専守防衛が成立する」と書い
 たが・・、
  状況が大きく変わってきた今・現在、今までの専守防
 衛の戦略を転換するべき時が来た。
  標記の読売新聞の記事を以下に書く・・
  「新しい戦争、見えない戦争にどう対処するか。
  戦争の領域や戦い方自体が一変しつつある。
  安倍政権は、昨年12月18日の閣議で、新たな防衛計画
 大綱と中期防衛力整備計画(2019~2023年度)を決定し
 た。
  日本の安全保障の将来を決定づける、極めて大切な見
 直し作業の成果と言える。
  新大綱は、宇宙やサイバー、電磁波といった新たな領
 域で日本が優位性を得ることが死活的に重要と位置づけ、
 陸海空という従来の区分を超えた領域横断(クロス・ド
 メイン)作戦により、劣勢を克服し、防衛を全うすると
 いう。
  宇宙では、相手方の指揮統制・情報通信を妨げる能力
 の保有をうたった。
  地上から電磁波を使い、敵の通信衛星への通信を妨害
 する装置の導入が念頭にある。
  2022年度に宇宙領域部隊を創設する。
  サイバーでは、相手の通信ネットワークを妨げる反撃
 能力の保持を提起した。
  陸海空の共同部隊を保持し、現在の110人から、5年間
 で関連部隊を1000人以上に引き上げることを目指す。
  電磁波・電子戦でも、相手方のレーダーや通信などを
 無力化する能力を高めることを掲げた。
  相手のサーバーに大量のデータを送ってまひさせるデ
 ィードス攻撃、マルウェア(悪意あるプログラム)を使
 い、相手のシステムを破壊することも検討する。
  考え方は積極的な防衛体制(アクティブ・ディフェン
 ス)だ。
  サイバー、電子線の分野は攻撃主体の特定が難しい。
  防御側は解析などの対応に追われるうえ、相手が軍(
 国権の発動)なのか、民間のハッカー(個人の犯罪)な
 のか、すぐには見極められない。
  攻撃側が圧倒的に優位を保つ。
  安倍首相も「この分野に専守防衛はあり得ない。やら
 れたら、おしまい」と危機感を募らせる。
  見えない戦争はすでに始まっている。
  2014年に、ロシアが、ウクライナのクリミア半島に侵
 攻した際、従来の物理的打撃に加え、サイバー・電磁波
 攻撃をかけている。
  昨年11月、小野寺五典・前防衛相は、都内のシンポジ
 ウムで、2016年の米上院軍事委員会の公聴会の模様を引
 いて、こう語った。
  「ロシア軍は、電子戦でウクライナ軍の通信を遮断し、
 砲弾の電子信管を誤動作させて無力化し、ウクライナ軍
 の電波を探知して砲撃目標発見に使用している」。
  クリミア併合でロシアが取った作戦はこれにとどまら
 ない。
  民兵を装ったロシア軍の投入に始まり、情報・世論操
 作で住民投票にも介入し、ロシア編入を望む民意が示さ
 れたと主張するなど、軍事と非軍事を組み合わせたハイ
 ブリッド戦を展開していた。
  ロシアのサイバー部隊は1000人規模に上る。
  その後も、サイバー攻撃によって欧米の選挙に干渉し
 ているとされている。
  北朝鮮は、サイバー部隊を7000人抱える。
  サイバー攻撃を外貨獲得に利用したこともある。
  中国は、さらにその先を行く。
  諸外国へのサイバー攻撃を担当する部隊は13万人に達
 するという。
  昨年秋の日中首脳会談で、習近平国家主席はこう言い
 放った。
  「中国にサイバー部隊はある。
  攻撃してはいけないと言い聞かせているが、中国は発
 展途上国だから、民間のハッカーが攻撃することがある
 かもしれない」。
  折しも、米司法省が12月20日、中国の国家安全省と関
 係のあるハッカー集団の2人を長年、日米など12カ国のネ
 ットワークに不正侵入し、政府機関や民間企業の機密情
 報を盗んだ罪で起訴した。
  日本政府も、この集団による攻撃を確認し、批判して
 いる。
  日本では、4月から中国通信機器大手の華為技術(フ
 ァーウェイ)など2社の製品を政府調達から排除する。
  重要インフラ業者もこれに追随する見通しだ。
  安全保障上のリスク回避の一環だろう。
  その対中国で、目に見える抑止力が海上自衛隊護衛艦
 「いずも」の空母化と言える。
  離着陸する最新鋭のステルス戦闘機F35Bは空自機だ
 けでなく、米軍機も含まれる。
  太平洋の海空に進出してくる中国軍への牽制(けんせ
 い)になり得る。
  中期防には、空自機F35Aなどに搭載するスタンド・
 オブ・ミサイル(長距離巡行ミサイル)の整備も記した。
  これを敢(あ)えて敵基地攻撃能力と言う必要はない。
  「今までの常識はもはな通用しない」。
  首相はそう訴え、新大綱では抜本的に異なる速度で防
 衛力を強化することを打ち出した。
  専守防衛は、今も有効な戦略たり得るのか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
                (以上)
  (追伸)相手が日本を殲滅しようと核弾頭ミサイルを
     多数発射した場合、そのすべてを日本の迎撃ミ
     サイルで撃ち落とす事は出来ない。
      故に、「迎撃ミサイルの専守防衛は無理だ」
     「おとぎ話なのだ」
      だから、その相手の核弾頭ミサイルの電子制
     御をコントロールして、そのいくつかを核弾頭
     ミサイルの発射国へ向かい、発射国へ落下させ
     るようにする、「そのような技術の領域になっ
     ている」。
      その様な領域がはっきりわからない状況で、
     核弾頭ミサイル発射国も、発射の決断ができな
     い状況が生まれる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
by suba28 | 2019-01-26 03:48 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)

題:(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月15日、東京の大丸呉服店で、大売出しが行われ
 た(10月19日説あり)
  大丸呉服店は東京駅の上にあり、これは日本初の大売
 り出しだった(冬物のバーゲン)
.
1895年10月16日、房総鉄道会社が、建設区間を大網駅~一
 ノ宮駅間、大網駅~成東駅間、千葉駅~蘇我駅間として
 出願した。
.
1895年10月17日、大阪鉄道の玉造駅~梅田駅間が開通した。
  先に開通していた天王寺駅~玉造駅間に続いてこの玉
 造駅~梅田駅間が開通して大阪鉄道城東線が形成された。
.
1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間に直
 通旅客列車が運転された。
  山陽鉄道という国鉄山陽本線の前身にあたる私有鉄道
 会社が山陽線を造っていく。
  1886年、兵庫県の石田寛之助、小西新左衛門や灘の酒
   造業者が、神戸駅~姫路駅間の鉄道建設を計画した。
   そして、児島湾干拓の藤田伝三郎らの16人で願書を
   出した。
    明治政府は、これを政治・軍事上の幹線として下
   関までの延長を指導して許可した。
  1888年、三菱の岩崎久弥らの三菱系と、大阪資本から
   なる山陽鉄道(株)が発足した
   そして、また、この年1888年、兵庫駅~姫路駅間が
   開通した。
  1890年船坂トンネルが、、難工事で工事が遅れ・・
  1891年3月、三石駅~岡山駅間が開通し・・、
  1891年9月、岡山駅~福山駅間が開通し・・、
  1891年11月、福山駅~尾道駅間が開通し・・、
  1894年6月、広島までが開通した。
   2軸横扉の客車と荷物車の混成7両列車が1日15本、
   昼間だけの単線運行を行った。
  岡山県内ルートでは、西大寺、玉島の港町などで鉄道
 通過反対運動があり、やむなくこれらの市街地をはずし、
 北よりのルートに鉄道を敷設した。
  結果的に西大寺や玉島は時代の波から取り残されて行
 った。
  広島まで開通の直後に日清戦争があり、山陽鉄道は重
 要な役割を果たした。
  1894年、全国最初の急行列車(神戸駅~広島駅間8時
   間56分)を走らせた。
   炭水車つきテンダー機関車を導入して、列車編成お
   よび走行距離を大きくした。
  1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間
   に直通旅客列車が運転し、(1897年説あり)
  1898年、車内電灯がつけられ、
  1899年、官営鉄道に先駆けて食堂車増結などのサービ
   スが行われた。
   これは、阪神駅~岡山駅~高松駅間の航路、および、
   官営鉄道に対抗する競争だった。
  1901年、下関までの全線が開通した。
  1905年、営業キロ数は565キロメートルとなり、輸送旅
   客数が、年間1246万人となった。
  日清戦争後の不況で、私鉄の経営難が生じた。
  この時、山陽鉄道は、讃岐鉄道など2社を合併した。
  そして、さらに、四国連絡航路を設け、宇野線建設計
 画も立てた・・が・・
  1906年、「鉄道国有法」が制定され、国に買収され、
   国営鉄道となった。
.
1895年10月21日、乙未戦争が集結した。
  清国の外交的な動きの中で生まれていた台湾の不穏な
 動きが終結した。
  終結している日清の戦争状態の再発を恐れた李鴻章も
 平穏化を望んでいた。
  6月2日は、清国側との台湾授受手続きも完了させてい
 た。
  不穏な動きにあった一部の清国人の割譲阻止活動は失
 敗していた。
  しかし、この日に、その組織的活動は終わった。
  劉永福が中国に逃亡し、台南、安平が平穏化した。
  (参考)劉永福:りゅうえいふく、1837年、中国広東
     生まれの中国軍人。
      貧農出身で、1867年、ベトナムに入り、農民
     を主体とする黒旗軍を編成し、トンキンに入り
     フランスと、10数年間、戦った。
      台湾での騒動の前歴の持ち主。
      清国政府から台湾へ派遣されていた。
      この様な働きをした劉永福だったが、1885年、
     ベトナムから帰国しても清国政府から冷遇され
     た。
.
1895年10月21日、奥羽北線の弘前駅~碇ヶ関駅間が開通し
 た。
.
1895年10月22日、パリ・モンパルナス駅で列車がブレーキ
 故障のため減速しないまま駅に進入し、車止めを乗り越
 えて駅舎を突き破るという事故が起きた。
  この事故は、鉄道史に刻まれる衝撃的な事故と言われ
 ている。
  機関車は車止めを乗り越えた後、駅舎を突き破り、先
 端が約10m下のレンヌ広場の路面電車停留所に落下した。
  駅前で新聞を売っていた女性が駅舎の破片に当たり死
 亡した。
  また、乗客2名、消防士1名、鉄道員2名の計5名が重傷
 を負った。
  事故の際に連結器が外れたため、客車はすべて駅内部
 にとどまっていた。
  事故現場を撮影した写真の2枚が、衝撃的な写真として
 世界に公開された。
  ロックバンド・Mr.Bigは、1991年に発表したアルバム
 『リーン・イントゥ・イット』のジャケットにこの写真
 を使用した。
.
1895年10月26日、広州蜂起(恵州事件)
  孫文らの興中会が、広東省恵州で反清の武装蜂起を起
 こした。
  失敗に終わる。
  広東省出身で、貧しい農家の次男として生まれた(1866
 年)孫文は、初め医者であったが、革命を志し革命運動
 に入る・・略歴は以下・・
  1887年(21歳)~1892年(26歳)香港の西医書院に在
   学中に革命を志す・・
  1892年(26歳)マカオ、広州で開業し、同時に、反清
   運動に入る・・
  1894年(28歳)ハワイへ出稼ぎで成功した長兄の所へ
   行く・・
   帰国後、広州・香港で医学を学び、開業したが、秘
   密結社・興中会を華僑や会党と組織・・
  1895年(29歳)10月、最初の蜂起である、興中会が広
   州で蜂起する・・清朝打倒、民主主義国家樹立を目
   指す(共産国家ではない)・・失敗し日本へ亡命へ・・
  1897年(31歳)アメリカを経て日本へ
   宮崎滔天(みやざきとうてん)らと交わり、康有為(こ
   うゆうい)らとの提携や、フィリピン独立援助を試み
   たが、ともに、失敗・・
  1900年(34歳)恵州蜂起
   宮崎滔天(とうてん、熊本県の人、1897年に、来日中
   の孫文と知り合う)らの援助を受け恵州で挙兵・・
   失敗
  1905年(39歳)東京で中国革命同盟会を結成し、三民
   主義を主唱し、綱領とした。
  1906年(40歳)東京で開催された「民報」記念会で五
   権憲法を初めて公表する・・後に、国民党などの憲
   法の基礎となる。
  1911年(45歳)10月10日、武昌蜂起を切っ掛けに、中
   国各地で革命派が蜂起した(辛亥革命)
   この時、アメリカにいた孫文は、辛亥革命の勃発を
   知り、軍資金の募集をしていた。
  1912年1月(46歳)南京に孫文を大総統とする臨時政府
   が樹立された。
  1912年2月(46歳)清帝が退位し、中華民国が成立した。
   しかし、まもなく清朝軍閥の袁世凱が大総統に就任
   した(孫文は、袁世凱に譲った)
   しかし、その独裁化に抗して第二革命を開始・・
   袁一派・軍閥派に反対し、広東を地盤に臨時政府を
   組織し、また、三民主義の実現に努力し国民党の基
   礎を固めた・・
   しかし、失敗し日本に亡命・・
  1914年(48歳)中華革命党を組織した。
  1915年(49歳)日本に亡命中、宋慶齢と結婚。
  1917年(51歳)広東政府を樹立。
  1919年(53歳)中華革命党を中国国民党と改組。
  1924年(58歳)第一次国共合作を実現し総理に就任し
   た。
  1925年3月12日、北京で病死する。60歳。
  中国革命の象徴、国父として敬愛され続けている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:漢民族は強制的な民族大移動をした。
    手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住させ「洗国」した。
    強いものは奥地へ追いやった。
    近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
    沖縄や北海道の人たちが、この様にならない様に・・
.
1368年、中国に明が建国された。
  朱元璋(しゅげんしょう)は中国・明朝の初代皇帝。
  1328年、元朝末期に安徽省(あんきしょう)に貧民の
 子として生まれた。
  20歳代に起きた農民反乱の紅巾の乱に参加し、頭角を
 現した。
  自らの軍閥を率いて、1356年に、南京を占領し、南方
 の雄として勢力を拡大する。
  1368年に、皇帝を名のり(洪武帝・こうぶてい)、明
 王朝をひらいた。
  その後、北の元王朝をモンゴルに退け、中国をほぼ統
 一した。
  晩年は、建国の功臣たちの主要な部下とその一族への
 粛正を繰り返した・・大量の犠牲者を生む。
  1398年、死去した。
  16世紀後半に入ると、豊臣秀吉の朝鮮出兵への対応な
 どで戦争出費がかさんだうえに、朝廷内の政治闘争が続
 き、さらには、増税も行われたことで、明国内で立て続
 けに反乱が起こった。
  そして・・
  1644年に、明は滅んだ。
  朱元璋が生まれた安徽省は、黄河と長江との間にあり、
 淮河(わいが)が流れている・・
  そして、この地域は洪水もあり干ばつもあり、「10年
 に9年は凶作」という貧しい地帯だった。
  どん底の貧農の生活が当たり前という地域の4男とし
 て生まれた。
  1344年には、飢饉と疫病が猛威をふるう不幸の年とな
 った。
  この時、朱元璋は両親と兄を亡くした・・ペストだっ
 た・・
  生き残った兄弟とも離散のバラバラとなった。
  この時のことを記した石碑には・・、
  「我が身には技能もなく、天を仰いで呆然とするばか
 り、己の影のみを道連れに、朝もやを突いて出かければ
 暮れれば古寺に投ずるあてどなき流浪の日々・・
  3年の浮雲の生活を経て年は20歳余りとなった。
  ときに淮河流域の盗賊が蜂起し、民は不安を増した」。
  この民衆の蜂起は、紅巾(こうきん)の乱という大き
 な動きとなり、モンゴルの元朝を弱体化させた。
  朱元璋は、この紅巾賊の一勢力を率いて、頭角を現し
 た。
  朱元璋と共闘する武将の多くが、無学の土豪たちの武
 闘集団だった。
  この様な野武士たちの棟梁から脱皮する朱元璋は、儒
 教の素養を持つ知識人を登用した。
  ただ武を振り回すだけでは駄目な事を朱元璋へ言う賢
 者も居た。
  戦いに勝って領土を得て行って、おごり高ぶる武将も
 居たが・・、
  朱元璋は、武だけ大事が成し遂げられなという事も知
 っていた。
  朱元璋は、武を誇る武将たちを諌め、略奪した婦女を
 捜し出し、家に送り返させることまでした。
  この頃の中国は、武を誇り、群雄が割拠し・・
  婦女を手に入れ、宝石や絹織物など民衆の物を奪うこ
 とに血道をあげる輩たちの時代だった。
  だから、朱元璋のやることは、ひときわ輝いていた。
  民衆から、「民衆を救う武将」として噂となった。
  戦いでも、降伏者が出て来て、攻防が少なく済んだ。
  朱元璋は、群雄を制圧して、1368年、明を建国した。
  首都を南京にして、年号を洪武とした。
  16年前は、ただの乞食の僧だった朱元璋が、洪武帝の
 皇帝となった。
  この年・1368年、大都(現:北京)を占領する・・
  そして、元朝のモンゴルをモンゴル高原に駆逐した。
  農民を保護をしたりして、配慮したりして、種々の改
 革をし、社会秩序を回復させていった。
  しかし、力を得て行くにつれ、組織統制が成り立って
 行くにつれ、洪武帝は、側近集団が気になる様になって
 行った。
  かつては、ともに苦労して戦った同輩の武将たちが、
 皇帝の座を狙うのではということが気になりだした。
  武将だけではなく、教養のある学者たちが、成りあが
 りの洪武帝を、心の底では蔑視しているのではと思い始
 めた。
  洪武帝は、猜疑心の塊となって行った。
  やがて、功臣たちが次々を粛清され、恐怖政治が生ま
 れた。
  晩年の漢民族の洪武帝は「孤独だった」。
  今、現在、漢民族の共産中国政権は、チベット民族、
 ウイグル民族、内モンゴル民族などに、洪武帝と同じよ
 うな事をしている。
.
1895年5月26日、李氏朝鮮の行政区画の改編、道、県、都護
 府を廃止して、観察府と郡にした。
  それまでの朝鮮八道制を廃し、全国を23の府と337の郡
 に再編した。
  従来の府、大都護府、牧、都護府、県といった下部行
 政区画の名称を廃して「郡」に一本化・・府の長官は観
 察使、郡の長官は郡守とした。
.
1910年代、中国のキリスト教会の自立は進展を見せたもの
 の、アメリカの目論見通りにはいかなかった。
  アメリカは、中国に、数千万元の金を使って、数千人
 のキリスト教宣教師を送って、中国をキリスト教化しよ
 うとした。
  戦後、日本をキリスト教化しようとしたアメリカは、
 中国でもやっていた。
  そして、数千のキリスト教会を、中国の支郡各地に造
 った。
  そして、蒋介石が、キリスト教の信者になったという
 が・・、
  彼が、信者になったのは「アメリカの歓心を買うため」
 ということが分かっている。
  1918年、外国人宣教師の全体に占める割合・・アメリ
 カから派遣されたが、このアメリカの宣教師の比率は60
 %に達した。
  しかし、1922年から、学生を中心に、非キリスト教運
 動が展開されて行った。
  資本主義国家の「経済侵略の前衛部隊だ」として厳し
 く批判された。
  1924年、「キリスト教系学校の教育権」を返還させる
 運動が始まり、より一層の非キリスト教運動が激しくな
 った。
  外国による中国に対する「文化侵略だ」として中国国
 民は受け取った。
  1925年の5・30事件によって、キリスト教界とその教
 育事業への批判が激化した。
  北伐が始まるとキリスト教会事業への破壊運動も始ま
 った・・それは破壊活動と共に掠奪行為も伴った。
  蒋介石政権の国民政府も国権回復運動を展開した。
  第二次世界大戦後、中華人民共和国を樹立した中国共
 産党は、国内に外国の勢力の影響を受けた宗教団体の存
 在を否定した。
  キリスト教は、政府主導で三自愛国教会を組織した。
  そして、外国人聖職者を中国国内から退去させた。
  ヒラリー・クリントンは、「中国に宗教が無い。この
 国は、半世紀後に最貧国になる」と言った。
.
1930年代、中国のプロパガンダに踊らされたアメリカ・・
  2019年の今・現代は、世界は、中国のプロパガンダに
 気付き、今・現在、中国がズーッとやって来たプロパガ
 ンダ手法が効かなくなっているが・・
  それは、近年の情報技術の進展にある・・
  中国のプロパガンダは、すぐに「嘘だ」と見破られて
 しまう現代になっている。
  今までの日本は、この中国のプロパガンダの打撃の大
 きさに気付かずに来た。
  戦前においても、この様な事が大いに仕組まれ、起き
 ていた。
  例えば・・、
  1930年代について、ジョン・アントワープ・マクマリ
 ーは、本「平和はいかにして失われていったか・・大戦
 前の米中日関係、もう一つの選択」の中で言っている。
  「日本が、アジアを戦争に投げ込むドラマの悪役であ
 る」と、アメリカに信じさせていた・・しかし・・、
  1930年代の日本の政策は、一方的な侵略とか、軍国主
 義のウイルスに侵された結果などではなかった。
  それより、それに先立つ時期のアメリカを含む(中国
 などの)諸国の行為がもたらしていた・・と指摘した。
  そして、アメリカは、(中国のプロパガンダで騙され
 て)中国を優先し、正当な理由なく、日本を退けた・・
 と・・アメリカとイギリスの政策の非を指摘した。
  しかし、この1930年代の当時、このマクマリーの明晰
 な分析は、まったく受け入れられなかった。
  種々の史実を知ることができる現代・・、
  このマクマリーの指摘は、まったく正しいと分かる。
  しかし、1921年のワシントン軍縮会議は、アメリカが、
 あからさまに中国に肩入れを始めた会議でもあった・・
  この流れは変わらなかった。
  そんな事を知らない日本は、世界の平和を願って「日
 本、一国だけが、忠実にひたすら、このワシントン軍縮
 会議の条文を守った」。
  中国は、このワシントン体制を、馬鹿にし、無視し、
 知ってか知らずか、まったく自制する中国ではなかった。
  それを、はっきりと中国へ要請すべきアメリカやイギ
 リスの立場だった。
  特に、アメリカは、その様な行動をしなかった。
  逆に、アメリカのルーズベルトは、蒋介石の中国を引
 き立て、イギリスやロシアにも認めさせた。
  そして、中国を、世界のメンバーという立ち位置に置
 いた。
  そして、日本排斥の流れを作った。
  そして、アメリカは、中国の広西省に空軍基地さえ持
 った。
  そして、桂林や蘇州にも空軍基地を持とうとした。
  そして、日本を、その基地から隠密裏に爆撃さえしよ
 うとした。
  真珠湾のことを言えるアメリカではない。
  また、日本を騙して、アメリカ軍のフライング・タイ
 ガーが、真珠湾攻撃前に、日本を攻撃してさえした。
  アメリカが、日本を奇襲をしていた。
  中国以上の嘘つきのアメリカだった。
  さらに、「戦争を作った」と言ったアメリカのルーズ
 ベルトは、この中国を含めた「米、英、中国、ソ連」の
 4カ国の構想は、大戦争という馬鹿げた殺戮の道を進み、
 その大戦の後に、大いなる悲劇だけが残った。
  そして、アメリカが応援した中国の蒋介石・国民党は、
 現在、共産党中国の政権となってしまっている。
  そして、ルーズベルトが、そそのかしてやらせたソ連
 の侵略の結果、日本領の樺太・千島列島・北方四島も、
 「共産・ソ連」に奪われ・・、
  ロシアになっても奪われたままとなっている・・不法
 占拠が続けられている。
.
1950年代、この時の中国の対日プロパガンダ工作は、実に、
 激しく多彩を極めていた。
  日本学術会議は、中国に完全に飲み込まれた。
  これは、今・現代でも続いている。
  中国はしつこく洗脳して行く。
  日本学術会議のメンバーという優秀な人々でも、中国
 の洗脳にはまって行く。
.
2010年7月1日、中国の国防動員法が施行された。
  中国がやって来た「洗国」
  中国以外の国はした事が無いこの「洗国」は、中国は
 常にやって来た・・洗国の歴史だった。
  中国の南にある広東(かんとん)や広西(こうせい)
 などは、元々は苗(みゃお)族の地だった。
  苗族は、日本人に近い民族と言われていて、古代に日
 本に渡来した人たちではとも言われている。
  紀元前3世紀~紀元前4世紀、この中国の戦国時代に、
 苗族は、楚(そ)の支配下に入った。
  そして、秦の時代になると、苗族は、秦の企(くわだ)
 てにより、移民をを大々的にさせられた。
  そして、流民50万人を移して苗族を攻略した。
  そして、漢の時代になると、苗族は、揚子江の北岸に
 移させられた。
  そして、その後に、漢民族を入れて雑居させた。
  この様にして、漢族の地ではなかった中国の南方諸地
 域が、漢民族の地になって行った。
  これを「洗国」と言った。
  放牧をする民族は、従来から移動をするので、中国人
 は、「牧畜民族は容易に駆逐した」。
  しかし、農耕民族は、土着性が強いので前記したよう
 な非常手段をしょっちゅう用い、常套(じょうとう)し、
 民族大移動の様な整理を常套して行って駆逐した。
  苗族は、土着性の強い農耕民であった。
  漢民族は強制的な民族大移動をした。
  手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住さ
 せ「洗国」した。
  強いものは奥地へ追いやった。
  近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
  満州民族は、あちこちの中国内に散らされ、虐殺され、
 今はどこに居るか不明状態。
  朝鮮民族は、カザフスタンへ住まわされた。
  韓国は、小学校で、満州地域に朝鮮人が多く居るので
 朝鮮の地だと教えているが・・今はクエスチョン・・、
  中国は、この様な事をやり続けている。
  今、日本に、大勢の中国人が、入って来ているが、こ
 の一端か?
  中国は、2010年7月1日から「国防動員法」を施行した。
  これは、日本などの中国以外にいる者にも、中国の指
 令で国防活動をしなければならないとなっている。
  日本やアメリカなどに居る中国人が、長野の事件の様
 に常に活動する事があるという状況になっている。
  長野の時は、中国の軍人的な者もいたという。
.
2016年1月29日、犯罪の多NHK・・NHKのさいたま放送
 局が・・「埼玉県警察の記者クラブに所属する記者3人が、
 1年余りに渡り、業務用タクシーチケットを友人との会食
 など私的な移動に使用していた」として・・、
  31歳の記者を諭旨免職(約36万円分)、
  23歳の記者を停職1ヶ月(約12万円分)、
  29歳の記者を出勤停止5日(6,850円分)としたほか、
 管理・監督責任のある放送局長や放送部副部長など、上
 司5人も3日から14日の出勤停止とした。
.
2016年5月4日、フジテレビの番組名「直撃LIVE]で、
 韓国で加湿器の殺菌剤で146人が死んだと放送した。
  そして、子供が多く死んでいるという。
  現認した放送時間:午後13時50分。
.
2018年12月26日、今、世界は不安定要素に満ちている・・
  そして、竹中平蔵、政権にゴマすりの政商となり、う
 まい汁を吸っている。
【桜便り】株安は戦争勃発への道程 / 政商・パソナ・竹中
     平蔵氏はこれでいいのか[桜H30/12/26]
    https://www.youtube.com/watch?v=YYmaL0H6BDs
  アメリカの経済はピークアウトした、最高値に行って
 しまった・・下がるしかない。
  アメリカは株安になって来る。
  経済恐慌の恐れもある。
  日本の消費税も実施しないという状況が生まれる可能
 性が大きい。
  アメリカのマチス国防長官が辞め、戦争が起きる可能
 性が増している。
  アフガンは息を吹き返して来る。
  サウジアラビアの王家を3分割しようという動きが暗
 躍している。
  サウジアラビアが不安定化している・・その様に仕向
 けられている。
  石油の値段も上昇するだろう。
  石油の値段が、安値安定していることが都合が悪いと
 いう流れになって来ている。
  ドイツ銀行は、底知れない負債を抱えている銀行。
  イギリスが、EUを離脱をするときにこの問題が噴出
 する。
  今、中国も株安で、これ等の影響をもろにさらに受け
 る。
  そして、朝鮮の韓国政権の不安定化リスクが高い。
  そして、韓国の後ろにいる中国が、韓国が問題化すれ
 ば震え上がる。
  中国・北朝鮮より、韓国が問題化の中心になる。
  そして、経済の見た目以上の不安定化が進んでいる。
  2019年には、動乱と呼ぶべきものが起きる可能性が高
 い。
  この様な荒れた世界の動きに、日本の自民党は適切に
 対応して行けるか?
  アメリカが助けてくれるという神話はもう止めよ!
  そして、竹中平蔵について・・
  大学教授だという表札ではなく、パソナの会長をして
 いる立場で私腹を肥やしている。
  本「日本が売られる」著者:堤未果氏。
  経済諮問会議で得た地位・情報などを私的に流用して
 いる。
  竹中氏は、パソナ会長として受注に優位な位置をつか
 って、政府からの発注を受けている。
  平成29年度を、ざっと言っても・・、
  厚生労働省から受注(2億8400万円)、同(1億8900万
 円)、同(500万円)、同(1900万円)、同(8830万円)、
 同(4870万円)、同(550万円)、同(250万円)、同
 (1億9000万円)、農水省(1600万円)、同(1500万円)、
 オリンピック関連(契約金非公開)、女性活躍(2億8000
 万円)、経産省(2億5000万円)、中企業支援(9億800万
 円)、経産省(1億7000万円)、同(4億7200万円)、同
 (3億4300万円)、などなどなど・・切りがないほど。
  竹中氏が委員をやって利益誘導している。
  この竹中は、アメリカ政府の言い分に立って「日本政
 府にものを言う」という(アメリカのゴマすり役)も
 している。
  戦後、GHQは、日本を監視するための人間(スパイ)
 を、大勢、日本に送り込んだ。
  GHQにゴマをすったものが大勢いた・・この様な人
 間が、日本のテレビ局を造った人として、今、君臨して
 いる。
  また、財団などに君臨して、戦後の利得者として存在
 している。
  高額所得者・大金持ちとして存在している・・
  これと同じことを竹中がやっている・・
  美味しい情報も、皆、自分のものとして利用している。
.
2018年12月28日、地に落ちた毛沢東
  一時は神格化された毛沢東が怪しくなっている・・
  この日の読売新聞に・・「毛沢東信奉、中国が警戒」
 との表題で記している・・
  以下はその抜粋・・
  中国建国の父、毛沢東の誕生から125年の26日、信奉者
 らによる自発的な記念活動が毛の故郷の湖南省韶山(し
 ょうざん)市などで行われた。
  香港紙・信報などは、記念活動の規模は例年より控え
 めだったと報じた。
  信奉者は貧富の差の拡大など現状に不満を持っている
 傾向が強い事から、当局が警戒感を強めているとみられ
 る。
  工場労働者らを支援する大学生らの組織によると、記
 念活動を企画していた北京大学マルクス主義学会会長の
 男子学生は26日午前に校門から車に押し込まれて連れ去
 られ、27日朝まで北京市の公安当局に拘束された。
  学生は全国の仲間に、北京で記念活動を行う事を呼び
 掛けていたが、大学当局は中止を求めていた。
  格差拡大を問題視し、マルクス主義や毛沢東思想を信
 奉する学生らの一部が今夏から、深圳の工場の労働争議
 で拘束された労働者らを支援する活動を行なっている。
  これに対し、学生と労働者が共闘する動きを警戒する
 当局は、関係する学生らを拘束するなど、締め付けを強
 めている。
  信報は、学生以外の信奉者らも、当局の圧力を受け、
 今年は大規模な誕生記念行事を行わなかったと報じた。
  (中略)
  習近平国家主席も毛を度々賞賛し、強権的手法を模倣
 しているとされる。
  ただ、習氏は毛信奉者を社会の安定を乱す存在と捉え、
 活動を制限したとみられる。
  (追伸)スパイ摘発などを担当している国家安全省の
     馬建・元次官は、逃亡先のアメリカで習近平政
     権を批判している実業家に便宜を図ったと認定
     され・・中国遼寧省の大連市中級人民法院は27
     日、収賄罪などで無期懲役の判決を下した。
      便宜を図ってもらったとする郭文貴氏は、ア
     メリカを拠点に、習近平政権の実力者、王岐山
     (おうきざん)国家副主席の不正疑惑を暴露し
     ている。
.
2019年1月13日、中国はハワイ攻撃を計画している。
  この日付けの読売新聞によると・・
  中国の新兵器の一つ「H(轟)20」。
  これは核兵器が搭載できる戦略爆撃機。
  アメリカ軍の拠点であるハワイを標的に開発された。
  西太平洋の覇権をアメリカから奪うのが目的。
  中国による「真珠湾攻撃が計画されている」。
  その為の核兵器の搭載できる戦略爆撃機が出来上がっ
 たという。
  この「H(轟)20」は、2019年10月1日に、北京で行わ
 れる予定の軍事パレードで公開される。
 これは最新鋭のステルス機。
.
2019年、日本の一般紙は、中国に進出した日本企業が、ど
 んなに悲惨な目に会っているかの報道を「タブー」とし
 て・・報道の一切をしない。
  絶対と言っていいほど報道しない。
  中国べったりのNHKも同様という状況。
  中国企業に貸した金が返済されない事が多発した。
  日本の銀行は困って、当然の行為である返済を求める
 が返済がされない。
  そのため取り戻そうと裁判を起こそうとしたら、「裁
 判を起こす事が禁止された」。
  中国のやることはこんなこと・・。、
  WTOに加盟している中国なら、この様な事は出来な
 いのだが、中国はお構いなしで、無視してこの様な事を
 した。
  しかし、日本の新聞やNHKは、この様なことを一切
 報道しない・・裏切りのメディアとなっている・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2019-01-21 05:57 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)

題:(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年8月25日、臨時台湾鉄道隊が設置された。
  台湾の鉄道輸送に携わった。
  それまでは、1891年10月に台北駅~基隆駅間の28.6キ
 ロメートルの鉄道しかなかった。
  それも、1日に1往復であった。
  そして、1893年10月、新竹駅まで延長され、総延長は
 約100キロメートルとなった。
  この後に、日本が台湾の鉄道を整備して行く。
  1899年には、総督府鉄道部官制が公布されて、本数も
 4往復へ増発された・・そして、鉄道敷設も本格化して行
 く。
  1908年4月、幹線となる元隆駅~高雄駅間404.2キロメ
 ートルの台湾縦貫鉄道が全通させた。
  この間、その他にも、台東線や、阿里山森林鉄路など
 を敷設し、台湾の近代化を進める大きな役割を持つ鉄道
 も敷設した。
  この後も、着々と台湾鉄道を整備し、充実して行った。
.
1895年8月、鳥居龍蔵が、東京人類学会の依頼で、満洲地方
 (遼東半島一帯)を約5ヶ月間滞在し、考古学的に調査
 した。
  鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)1870年4月4日~1953年
 1月14日、考古学者、人類学者。
  徳島市に生まれ、
  正規の学生ではかなったが、東京大学の坪井正五郎に
 師事し、人類学その他を学んだ・・
  東京帝国大学人類学教室の標本整理係となる。
  その後、東京大学助教授、国学院大学教授、上智大学
 教授などを歴任した。
  日本だけではなく、海外の諸民族を精力的に調査をし
 た・・周辺諸民族の実態調査の先駆者。
  その実態調査の地域は広範で、台湾、北千島、樺太、
 蒙古、満州、東シベリア、朝鮮、中国南西部など・・
  考古学的調査だけでなく民俗学的方面にも広く観察は
 及んだ・・民具の収集も行ない、物質文化研究の開拓者
 となった。
  因みに、中国語では、先住民は「今は存在しない」と
 いう意味がある・・存在するのなら「原住民」を用いる。
.
1895年8月、神田小川町にローラースケート場(車滑り場)、
 現れる。
  1877年頃、日本にローラースケートが紹介され・・
  1895年頃から普及し始めた。
.
1895年9月5日、奈良鉄道の七條(京都)駅~伏見駅間が開
 通した。
  奈良鉄道(ならてつどう)は、現在の奈良線全線、桜
 井線の過半などを建設、運営していた日本の私鉄で・・、
  伏見駅は、奈良鉄道の開業当社の南の終着駅として開
 設された。
.
1895年9月7日、三菱合資会社銀行部が設立された。
  第百十九国立銀行の業務を継承して設立された。
  そして、1919年に分離して独立の(株)三菱銀行が設立
 される。
  1880年、郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から分
 離独立した 三菱為換店 が始まり。
  この三菱為換店は、一度閉鎖されるが、間もなく第百
 十九国立銀行の経営を承継する。
.
1895年9月18日、住友銀行が設立された。
  この年に、住友吉左衛門によって個人経営の銀行とし
 て創業された。
  1875年、金融事業は並合業(自己資金による物品抵当
   の金融事業)として再開された。
   並合業は、年々業容を拡大していった。
  1890年、銀行条令が発布されたのを機に・・、
  1895年5月、広島県尾道市で行われた住友家の重役会議
   で本格的な銀行業への進出が決定した。
  1895年11月1日、住友本店銀行部として、住友吉左衛門
   の個人経営による資本金100万円の住友銀行(本店は
   大阪市中之島)が開業した。
.
1895年10月1日、野中至・千代子夫妻、気象予報の研究のた
 め、富士山頂で観測を開始する。
  野中到(のなかいたる)は、「天気予報が当たらない
 のは、高層気象観測所がないからだ」・・と考えた。
  天気は高い空から変わってくる。
  富士山の山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、
 気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。
  しかし、いきなり、そんな危険なところへ観測所を建
 てることは国としては決定できない。
  誰かが、厳冬期の富士山頂で気象観測をし、実証しな
 いかぎり、実現は不可能だと、常日頃、言っていた。
  1895年2月16日、富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂
   での越冬が可能であることを確信した。
  1895年8月30日、富士山頂に私財を投じて日本最初の富
   士気象観測所を建設。
    測候用の小屋は、約6坪で、これを、剣ヶ峰 (富士
   山)に新設、中央気象台の技師らも合流した。
    剣ヶ峰にした理由を「風が弱いところは積雪が多
   いため、積雪の少ない風の強いところを選んだ」と
   語っている。
  1895年9月末、食料など備蓄財の調達のため一旦下山し、
   閉山後の10月に再び登頂した・・薪炭や食料、観測
   機器を設置して・・、
  1895年10月1日、妻:千代子と共に気象観測を開始した。
   観測は2時間毎に行った。
  1895年10月12日、過酷な条件のもと夫妻は体調を崩す。
  1895年12月22日、越年観測を、病気で断念し下山・・、
  1896年1月12日、東京へ帰る・・、
  この当時、富士山より高いところにある観測所は南米
 のエル・ミスチー山とフランスのモンブラン山だったが、
 いずれも夏期しか観測していなかった。
  富士山での冬期観測は世界記録だった。
  この夫妻の記録の37年後の1932年、国際協同極地観測
 のため・・中央気象台は、富士山頂に測候所を設置した。
   そして、通年の観測を開始した。
  1932年8月、野中到は、65歳の高齢をもって、娘と息子
   を伴い山頂を極めた。
   かつて、共に死線をさまよった妻の千代子はすでに
   他界し、写真を抱いての登頂だった。
  そして・・
  1955年2月28日、野中到が没する(88歳)
  その10年後・・
  1965年、富士山山頂にレーダーが設置された。
   気象衛星が稼働し、南海上の台風観測に威力を発揮
   し始めた・・、
.
1895年10月6日、瀬木博尚が、広告業の博報堂を神田区鍋町
 (現:日本橋近く)に、創業者一人という体制で創業し
 た。
  博報堂の創立して広告業を始め、『太陽』などの雑誌
 広告で成功した。
  博報堂(はくほうどう)は、電通に次ぐ日本第2の広
 告会社。
  創業時から教育雑誌の広告取次店・雑誌広告取次所と
 してスタートし、電通より早く、日本の近代広告業の創
 成期から活動した。
.
1895年10月8日、乙未事変(いつみじへん)
  朝鮮王朝の状況は乱れていた・・
  日清戦争の結果の下関条約で、清の宋主権が否定され
 たが・・そして、朝鮮は、正式に独立を確定できたが、
 朝鮮李朝内での権力闘争は激しかった・・、
  今度はロシアがからんで来ていた・・
  ロシアは、フランス・ドイツを味方につけ、武力をち
 らつかせて、三国干渉を日本に認めさせた。
  この三国干渉により、日本の威信が落ちたことによっ
 て・・朝鮮王朝内の閔妃派はロシアに接近した、そして・・
  ロシアの工作と結んで、日本を排撃しようとした。
  ロシア軍の武力を利用し、閔妃派はクーデターを成功
 させた。
  このため、日本に好意的だった朝鮮李朝・大院君派と
 の軋轢が高じて行き・・また、クーデターということに
 なっていく・・
  ロシアと日本は、この様に乱れた朝鮮の・・閔妃派と
 大院君派との内紛に巻き込まれていた・・
  この事変は、事変と言われる様に異常な状況であった。
  朝鮮訓錬隊(日本の指導下で設立された朝鮮の軍隊)
 がからんだ・・また、朝鮮警務使(王城を守る警察)が
 からんだ・・そして、開化派(李氏朝鮮の政治グループ)
 がからみ・・そこに大院君派などが居た。
  そして、真霊君(ちるりょんぐん、実在した巫女)と
 いう占い的な者の言葉に心酔するということも影響した。
  この様な中に、日本官憲も動ごいてしまった。
  この様な勢力が、ソウルの朝鮮漢城・景福宮に乱入し、
 親露派(反日派)の中心と目された高宗の妃の閔妃を殺
 害するという事変が起きた。
  李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃は、
 大院君の貯めた国庫を浪費するなど不届きな行為もあっ
 て、また、閔妃の国政壟断(ろうだん、利益・権利を一
 人じめにする)に不満を持つ朝鮮人たちも多く居た。
  閔妃は、その様な人・禹範善(うぼむそん、朝鮮人武
 官)に暗殺されたのだった。
  また、この後の閔妃の死後にも、朝鮮王朝内は平穏に
 ならなかった・・親族や相手派を暗殺し合うなど対立し
 ていた興宣大院君(こうせんだいいんくん、李氏朝鮮の
 王族、高宗の実父)によって、大院君は弾劾され、平民
 に降格された。
  この時までにも、朝鮮は混乱に混乱を重ねていた・・
  1894年3月28日、閔氏政権によって、開化派の中心人物
 の金玉均(きんぎょくきん、日本に遊学し、福沢諭吉の
 指導を受け、そして、朝鮮を、日本の明治維新の様に発
 展させ、改革したいとしていた親日派)が、閔妃の刺客
 である洪鐘宇の回転式拳銃で暗殺されていた。
  また、1894年5月31日には、閔氏政権に不満をもつ農民
 が蜂起し、甲午農民戦争が勃発したりもした。
  農民軍は全州を占領したが、統治能力を失った閔氏政
 権は中国・清に軍の出動を要請し、事態は一層混乱して
 行く・・
  三国干渉の時は、日本が後退すると、その甲午改革に
 よって政権を追われていた閔妃とその一族は、ロシア公
 使のカール・イバノビッチ・ヴェーバーと、ロシア軍の
 力を借りて、クーデターを引き起こした・・そして、
  1895年7月6日、政権を奪った。
  このことが大原因で、朝鮮李朝内の対立を決定的な
 ものにしていた。
  これ等の素地の下にこの事変は起きていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争をした・・
    その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
    今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
   次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
.
1591年閏3月21日、日本とベトナムの通交文書の最古と見な
 される文書が存在する・・今、九州国立博物館に所蔵さ
 れている。
  記載内容は・・、
  日本国王(豊臣秀吉とされる)が、牡象を好むとある。
  それを、日本の使者から聞いた阮氏が、一頭の牡象を
 日本へ送ろうとした・・しかし・・
  日本からの使者の船が小さく、象が乗せられなかった。
  やむなく、象牙などの別の贈り物を贈った・・と。
  日本とベトナムとは、この頃から友好関係にあった。
.
1602年と1728年、ベトナムから、ベトナム象が日本に運ば
 れた。
    ・
    ・
1881年、能楽社の設立
  能楽保護のため、「能楽社」が華族の方々を中心に組
 織された。
  一時衰退していた能・狂言の復興に尽くした。
  能界は、幕府や藩からの保護を受けて成り立っていた。
  それが、明治維新になって、存続の危機に立たされる
 こととなった。
  この時期に、多くの役者が廃業・転業を余儀なくされ、
 また、残念なことであるが多くの流儀が消滅した。
  しかし、維新直後の混乱が落ち着くと、宮中や旧大名
 に代表される華族の方々が、能・狂言の保護に向け動き
 出された。
  1878年には、能を好んだ英照皇太后のため、青山御所
 に能舞台が建てられた。
  ことに、岩倉具視は、欧米外遊の際、各国が芸術保護
 を厚く行っていることを実見した。
  1878年頃から、華族の方々による能・狂言の後援団体
 の設立に向けての動きが活発化していた。
  そして、計画が進んでいた組織は、発起人に加わって
 いた前田斉泰と世話人の重野安繹の発案によって「能楽
 社」として設立されることとなった。
  能楽社の名について・・
  「前田斉泰ノ意見ニテ、猿楽ノ名称字面穏当ナラサル
 ヲ以テ、能楽ト改称シ、因リテ能楽社ト名付ケ・・云々」
 とある。
  これが、現在の「能楽」という言葉の起こりとなった。
  (参考)前田斉泰:まえだなりやす、幕末の加賀(金
     沢)藩主。
  1881年4月16日、能舞台の落成を受けて「能楽社」が正
 式に設立された。
  発起人は、九条道孝、前田斉泰、池田茂政、藤堂高潔、
 坊城俊政、前田利鬯・・だった・・
  そして、この日、英照皇太后の行啓を仰いで、舞台開
 きが催された。
  宝生九郎が、「翁」「高砂」(ワキ・宝生新朔)を、
  観世清孝が、「田村」、
  梅若実が、「桜川」、
  金剛唯一が、「鞍馬天狗」、そして・・
  櫻間伴馬が、半能「加茂」を舞った。
  また、1881年4月17日には、華族の方々を対象に、
  そして、1881年4月18日には、一般への公開能が開かれ
 700人あまりの観客が集まった。
  当初のこの頃、この舞台は単に「能舞台」と称されて
 いたが・・、
  1881年6月、宝生九郎が出した新聞広告に「芝公園内
 楓山能楽堂」という語がある。
  1882年には、能楽社関係者の中でも「能楽堂」の称が
 用いられている。
  1882年頃からは、「芝能楽堂」ともなり・・
  後に、この呼称が一般的となった。
  ちなみに・・前田斉泰のエピソードに・・、
  1854年、アメリカからもたらされた「アッフル(りん
 ご)」が、加賀藩下屋敷(巣鴨近隣の板橋宿)にて栽培
 された。
  そして、この翌年・1855年、実をつけたために食用と
 され、近習ら藩士にも配られた。
  このことが、当時の加賀藩士の記録に残っていて・・、
  藩主の斉泰から、「小さな餅に塗って食べるように」
 と言われたという・・
  近習らはそのようにしていることから、ジャムにして
 食したものと言われている。
     ・
     ・
1945年8月10日、この日の午後8時、日本政府が、ポツダム
 宣言受諾を『連合軍に通知した』との短波放送を行った。
  1945年8月12日、午前0時頃、サンフランシスコ放送は、
 連合国の回答を放送した。
  この時に、日本の降伏の意思が確定していた。
  (完全にソ連の行為は違反行為・・日本領土侵略は成
 立しない)
  この情報は世界各地で受信していた。
  例えば、ラジオで情報を得たホーチミンは、日本の降
 伏を革命のチャンスとみた。
  ホーチミンは、フランス軍が、再度、進駐して来るよ
 り前に自国領のベトナムに実権を確立しようと計画を始
 めた。
.
1945年、戦後の日本の女性の方々は、これからの日本の復
 興の必要性を肌で感じた。
  女性の方々の鋭い直感で感じたのだった・・
  日本のこの今の危機を救うという・・
  そして、この後、多くの子供たちが生まれ・・育てら
 れた。
  爆発的な状況で増えた子供たちは『団塊の世代』と呼
 ばれた。
  そして、この子供たちが、輝かしい日本の戦後の復興
 に加わって行った。
  日本は、『奇跡的と言われる復興の姿』を世界に見せ
 て行った。
  今、ASEANが輝かしい発展を遂げているが、戦後
 日本の輝かしい復興の姿が、また、発展の姿が、このA
 SEANの方々へ復興・発展への勇気を差し上げている。
  それは、日本の女性の方々が作ったと言ってもよい日
 本の復興の姿だった。
  マレーシアのマハティール氏の「ルックイースト」と
 いう言葉があるが(1981年12月15日)・・これは、日本
 を見習えという意味であり・・
  ルックイースト政策ともなり、マレーシアの発展の理
 念ともなっている。
.
1946年4月4日、卑劣な事に・・200人~300人の武器を持っ
 たアメリカ兵が、強姦目的で大森の中村病院に乱入した。
  そして、約100人の妊婦や看護婦らを強姦した。
  生まれたばかりの子供も殺害された。
.
1946年4月、ベトナムで独立を目指すベトミンが、残留して
 いた日本兵に戦い方の指導を受けるための軍士官学校を
 設立した。
  それは、ベトナム中部沿岸のクァンガイ陸軍士官学校
 だった・・
  教官は、元日本軍の士官や下士官であった。
  残留した日本兵は、「新ベトナム人」と呼ばれた。
  日本軍インドシナ駐屯軍参謀・井川省少佐は、ベトナ
 ム名のレ・チ・ゴと名乗った。
  そして、ベトミンに、武器や壕の掘り方、戦闘指揮の
 方法、夜間戦闘訓練などの技術、戦術などを教えた。
  また、井川参謀の部下の青年将校の中原光信は、ベト
 ナム名のヴェト・ミン・ゴックを名乗り、第二大隊教官
 としてベトミンに協力して独立戦争を戦った。
  この他にも、石井卓雄、谷本喜久男(第一大隊教官)、
 猪狩和正(第三大隊教官)、加茂徳治(第四大隊教官)
 らがいた。
  この様に日本敗戦後、ベトミンに協力してベトナム独
 立戦争でフランス軍と戦ったインドシナ残留日本兵は
 766人にのぼる。
  また、武器の多くが日本軍からのもので、38式小銃な
 どが多かった。
  ベトナムを、再度、植民地にしようと考えたフランス
 のえげつなさがこの様な事態を引き起こしていた。
.
1946年5月3日~1948年11月12日、極東国際軍事裁判(東京
 裁判)が行なわれたが、この時、横田喜三郎・東京大学
 教授は、この裁判の翻訳責任者を務めた。
  しかし、卑劣なこの男・学者の人生が、この時から始
 まる・・
  横田喜三郎は国際法の教授であるが、この立場から、
 東京裁判の明らかなる違法性を指摘する立場にあるのに
 東京裁判を擁護した。
  横田喜三郎は、マルクス主義の読書会(ベルリン社会
 科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者とし
 て知られていた(左派系学者)
  1930年、東京大学の国際法の教授となり・・
  1945年、日本が戦争に負けると豹変した。
  1947年~1949年、3冊の本を書くが、GHQにすり寄り、
 進行中の東京裁判を擁護した。
  「事後法で裁いてはならない」という大原則でさえ擁
 護した(この学者の法理は弁解の出来ない「しっちゃか
 めっちゃか」状態だった・・自分さえ良くなればよいと
 いう行動をした)
  この近代法の根幹の原則に対して、「そんなものは大
 して考慮する必要はない(取り立てて言うほどでは無い)
 とまで、この男は言った。
  『裁判は正当なのだ』と力説した。
  法律家が、絶対に言ってはいけないということまで言
 うという状況だった。
  (参考)法理:ほうり、法律の(哲学的な)原理
  また、この様な類いの輩が多いという東京大学だった。
  今・現在でも、日本を売る輩が多く居る大学である。
  近隣諸国と問題となるネタを与えるという行動をする
 輩さえ居る(朝日新聞だけではない)
  1960年、この横田喜三郎は、最高裁判所長官となり、
 文化功労者として表彰された・・
  また、文化勲章も貰い、勲一等旭日大綬章まで貰った。
  左翼から豹変し、GHQが日本を牛耳っている時には、
 GHQにすり寄り、その時の都合に合わせて言うという
 男だった。
  そして、日本政府にすり寄って栄達する時は・・、
  過去に書いた本が邪魔になるので、東京中の本屋へ弟
 子を走らせ、自分の本を隠す目的で買占めをさせるとい
 う男だった。
  この話は、この頃、誰でもが知る有名な話となった。
  笑い話的な事は、この時、この為に、この本の価格が
 値上がったという。
  国は、表彰などをして報いたが、この男は、最後に書
 いた回想録で先祖返り(せんぞがえり)をして、日本を
 裏切った。
  ちゃらちゃらと豹変する男のする様な事だった。
  中国のハニートラップに引っ掛かって、日本を裏切る
 政治家が居るが、日本の中枢の学者もよく日本を裏切り、
 日本を売る・・。
.
1961年5月、アメリカのベトナム戦争介入
  アメリカが、正規軍の特殊作戦部隊600人をベトナムに
 派遣し、軍事物資とともに本格的介入を、この時、始め
 た。
  南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、クラス
 ター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始し
 た。
  ケネディ政権は、就任直後に、東南アジアにおけるド
 ミノ理論の最前線にあったベトナムに関する特別委員会
 を設置し、統合参謀本部に対してベトナム情勢について
 の提言を求めた。
  特別委員会と統合参謀本部は、ともに、ソ連や中華人
 民共和国の支援を受けてその勢力を拡大する北ベトナム
 による軍事的脅威を受け続けていたベトナム共和国(南
 ベトナム)へのアメリカ正規軍による援助を提言した。
  ケネディは、正規軍の派兵は、ピッグス湾事件やキュ
 ーバ危機、ベルリン危機など世界各地で緊張の度を増し
 ていたソビエト連邦や中華人民共和国との対立を刺激す
 るとして行わなかったものの・・、
  「(北ベトナムとの間で)ジュネーブ協定の履行につ
 いての交渉を行うべき」とのチェスター・ボウルズ国務
 次官と、W・アヴェレル・ハリマン国務次官補の助言を
 却下した。
  「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」
 との名目で、1961年5月に、アメリカ軍の正規軍から構成
 された「軍事顧問団」という名目の、実際は、ゲリラに
 対する掃討作戦を行う特殊作戦部隊600人の派遣と軍事
 物資の支援を増強することを決定した。
  そして、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、
 クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃が
 開始された。
  日本は、第二次世界大戦の後、「平和に対する罪があ
 る」とされて裁かれ、多くの日本の軍人が殺されたが・・
  しかし、アメリカの、このベトナム戦争の侵略戦争を
 遂行したことは、「平和に対する罪がある」。
  この裁きが、まだ行われていない。
  また、同様に、アメリカは、「グレナダ侵攻」でも同
 様な罪がある。
  また、「パナマ侵攻」でも、「リビア空襲」でも、ア
 メリカには、「平和に対する罪がある」。
  そして、中国も、数々の侵略戦争を遂行していて、中
 国にも多くの「平和に対する罪」がある。
  中国には、「朝鮮戦争」「チベット侵攻」「中印紛争」
 「中ソ国境紛争」「中越紛争」などなど・・、
  また、アメリカは、ジェノサイド(大虐殺)を、ベト
 ナム戦争で行っていて、「人道に対する罪」がある。
  また、中国も、ジェノサイド(大虐殺)を、度々、行
 なっている。
  「人道に対する罪」を免(まぬが)れられない、「毛
 沢東による大躍進・文化大革命」「天安門事件」「チベ
 ット人弾圧」など・・
  本「共産主義国書」(ステファス・クルトワ・ニコラ・
 ヴェルト著)には、国別の残虐行為・蛮行を仔細に分析
 されている。
  それによると、中国が断然多数の非道な殺戮を行なっ
 ている。
  その数は、何と! 6500万人となっている。
  虐殺国家=中国となっている。
  こんなに虐殺を行なっている国は、他にはない。
  この事柄だけでも「共産主義国家=中国の存在理由は
 無い」・・
  中国の存在は否定されなければならない。
.
1998年、中国の江沢民総書記が、日本を訪問する直前、中
 国共産党が「21世紀の中日関係の展望」をまとめた。
  それに、「日本人をコントロールするために、日本へ
 歴史問題を突き付ける。そして、日本人を後退させる」
 と書かれている。
  そして、この中に、「日本国内に孔子学院を設立する」
 という事も書かれている。
  孔子学院は、中国語の教育機関とされている、その様
 な触れ込みであるが・・、
  アメリカやドイツなどでも問題となっているように、
 完全に中国のプロパガンダ機関・・中国の洗脳機関で、
 コントロールの為の機関となっている。
  20年を経て、この様な中国の目論見・本音が露呈して
 いる。
  中国から金を貰っているのか? キリスト教系大学の
 桜美林大学や、また、早稲田大学などに設立されている。
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2018年12月26日、NHKの小会社整理
  この日の読売新聞に、NHKの2子会社が経営統合す
 ると報道された。
  NHKには、NHKの豊満で放漫な金に群がって、N
 HK職員の天下り先でもある子会社が数限りなくある。
  それにしても、この統合をNHKは2020年の春にする
 とした。
  いつもの・・そして、総べてのやることがNHKは、
 この様な状況だ・・遅い・・まったく遅い・・民間会社
 だったら半年でやってしまうことを・・ちんたらやる。
  NHKは、やることの総べてに、厳しさがない。
  再来年(さらいねん)の2020年の統合だという甘いと
 ころがNHKのだらしなさを象徴している。
  NHKは、長い期間、「頑張るな!」という番組をキ
 ャンペーンとしてやって来たが、その様なNHK体質が
 この小会社統合にも現れている。
  「再来年と言われて・・いつまでチンタラやるのだ!」
 と喝(かつ)を入れたい・・
  NHKは、この統合を半年で民間の様に終わらせ、ど
 んどん業務を整理統合し、合理化して行け!
  そして、NHKは受信料を半分する目標を掲げよ!
.
2019年1月8日、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)が中国
 を電撃訪問・・
  この2日前の2019年1月7日には、アメリカが軍艦を南シ
 ナ海に入れ、「航行の自由作戦」を実施している。
  この南シナ海は、今では、中国は世界へ嘘をついて、
 完全な軍事基地・要塞と化している・・
  『軍事基地化はしない』などと言っていた中国である
 が、この海の多くの島々は、今は、各種の軍事の諸設備
 および兵器・戦闘機・ミサイル・レーダーなどが置かれ
 た要塞となっている。
  もう、アメリカは、この地を叩くことはできないであ
 ろう・・
  確実な中国の軍事拠点として確立されてしまっている・・
  北朝鮮の金正恩にしても、ほぼ対等に何度も会ってく
 れる中国のこの状況などから、核保有国になったからだ
 との表にあらわせない気持ちもあって、今後の核放棄は
 『まずあり得ない状況になってしまった』・・
  この段階でやれることと言ったら、アメリカの核の日
 本国内の核展開・・
  日本をやるのなら、中国も北朝鮮も一瞬にして蒸発す
 るぞという対抗措置しかない・・
  これによって、日本への手出しもできにくくなると同
 時に、アメリカへの手出しもできにくくなる・・
  そして、国連には、「国連という虎の威を借る狐」が
 居る。
  アメリカのジョン・ロバート・ボルトン(国家安全保
 障問題担当大統領補佐官、元米国国連大使)が、「国連
 の上の10階を取ってしまえ」と言ったという・・
  これは、国連が何もしてない組織であり、取ってしま
 ってもよい様な何も役に立たない機関なのだという意味
 だという・・
  その様な国連の状況で、国連は捉らえられ方をしてい
 る組織となっている。
  国連という場に万国が会し、意見を出し合い、討論を
 する。
  まったく理想的な、合理的な機関の様に見える国連。
  しかし、それは、全体会合がなされる本会議の情景で
 あって、
  そして、この場面が報道機関・メディアによく報道さ
 れ、流れるから、国連はこの様な事をする「理想的な機
 関だ」なんて見え、思えるが・・、
  この全体会合がなされる本会議以外の国連の場は、少
 数の者が意思を決定するという、「少数意見が横暴に決
 定される、独裁的に決定がなされる場」となっている。
  まったく一握りの少数の者の独断の場となっている。
  この様な決定が、国連の場の決定という事で「さも公
 正の様にに行われた」と世界に誤解を与えている。
  そして、まちがった認識・・誤認を与える結果となっ
 ている。
  その少数の者達の弾圧が、国連という虎の威を借りて
 行なわれる。
  この不合理な事を知る不埒なキリスト教は、この国連
 機関の少数の者たちへ働きかけ・・そして、洗脳などを
 行ない・・キリスト教の意見を世界の意見の様にしてい
 る。
  「アイヌが日本の先住民だ」と、科学的にまったく間
 違ったことを国連決議をしている。
  クジラが食べられなくなったのも、やはり、このキリ
 スト教の働きかけ・運動の仕業(しわざ)。
  遠い昔から食べて来た日本の食べ物を奪った・・食文
 化を消し去られた。
  キリスト教の教義による「クジラは食べてはいけない
 という事を日本は押し付けられた」。
  ならば、キリスト教よ!「七面鳥を食べることを止め
 よ」「牛を食べることを止めなさい!」・・できますか?
  キリスト教は、仲間を集めて多数を形成し、クジラを
 食べる少数のマイノリティ意見を握りつぶした。
  キリスト教という宗教的取り決め・決定であるため、
 何ら説明しても聞く耳を持たなかった。
  議論の場があっても、その議論の場での正常な意見の
 交換は出来なかった。
  宗教裁判所状態であった。
  「最初から結論ありき」だった。
  何度、説明しても、その意見を受け入れるそぶりも無
 かった。
  何度、説明しても受け入れられない「ガリレオの地動
 説」の如く、宗教タブーに触れた話だった。
  この件もガリレオの地動説の如く、ローマ法王が何百
 年かの後に「悔い改めのミサ」をやり、ガリレオに謝っ
 たが如くになるだろう。
  聞く耳を持たない宗教裁判の如きの場から日本は脱退
 した。
  これから中世ヨーロッパで、キリスト教が卑劣な弾圧
 をやり続けたが、日本もこの様な卑劣な弾圧を受け続け
 ることになるのだろう。
  そして、北朝鮮の金正恩が電撃訪中した時・・
  北朝鮮の金正恩がアメリカの真似をして、アメリカに
 届くかどうかはわからないが、そのミサイルの発射装置
 をもって中国へ出かけた。
  そのミサイルの方向は、日本・アメリカは勿論、その
 北京へも向いているのだろう。
  北京がそそのかして技術援助をした結果が今なのであ
 るが・・そのミサイルが北京へ向くということもあり得
 る状況にある。
  北朝鮮は、自国が生き残りのために作ったミサイル。
  自分以外に対しては、北朝鮮の生き残り目的の・・生
 き残るためにはそのミサイルの数には差があるだろうが・・
 北朝鮮のリスク回避のため、皆無状態にしている訳はな
 い・・当然、中国にも向けている・・
  当然、韓国にも向いている。
  ゴマを磨っているから韓国には向いてないと、韓国は
 思いたいのだろうが?
  この男は、近距離のミサイルも持っているが、これは
 韓国用だ。
  危ないと思えば伯父さんだって除外する者・・そして、
 兄だって・・誰だってやる様な男なのだ・・
  こんな事を書きたくないが、これが現実・・
  この愚かな領域を人類は乗り越えられるか?
  一旦、最低状態を経験しなければ、人類は立ち直れな
 いのだろうか・・
.
2019年1月9日、この日の読売新聞で、イギリス人の政治学
 者のエリック・カウフマン氏が言う・・、
  全紙を使った堂々たる寄稿であった・・が・・
  カウフマン氏は書く・・
  「白人としてのアイデンティティーを抑圧し、過去の
 歴史への罪悪感を煽ることは、白人を追い込み、ポピュ
 リズム的な不満を掻き立て、テロに発展する恐れすらあ
 る」・・と・・
  確かに、歴史の過去に、白人たちのやって来た事は極
 悪で・・卑劣だった。
  それを、ひたすら指摘し、煽らないでくれという書き
 出しだった。
  そう・・イギリス人は、特に、世界のあちこちで極悪
 な事をした。
  オーストラリアへ行けば、先住民のアボリジニの方々
 を、動物の如くに、狩りをする様に、殺戮した。
  タスマニア島のアボリジニの方々は、可哀想に全滅し
 てしまった。
  インドでも、様々な極悪行為をしたが・・
  その一つを書けば・・インドの方々を並木道の木々へ
 吊るして、殺した・・高い木の上に、インドの方々は吊
 るされたままに居た・・
  何日もそのままにして晒(さら)されて・・インドの
 方々を威圧した・・
  インドの方々は、それを、道を通るときに見ざるを得
 ない状態にされ、抑圧された・・恐怖された・・
  この様なイギリス人のやった例は、書き切れないほど
 ある。
  スペイン人も、キリスト教の最高権威者のローマ法王
 (教皇)から、問い合わせた返事に、「現地人のインデ
 ィオの方々を『人と見なすな』という返事」で・・
 これを切っ掛けに1000万人以上という殺戮が始まった。
  60年に渡って、南北アメリカ大陸の先住民の方々を殺
 戮し続けた。
  キリスト教の「有色人種蔑視」の教え・教義にこの根
 本原因があった。
  ローマ法王(教皇)は、この非を数百年後に認め、
 「悔い改めの謝罪のミサを行った」。
  しかし、キリスト教が、また、白人が、悔い改めの謝
 罪のミサをすべきところは、まだまだある。
  白人が、多数の人種という位置にいたから起きた横暴
 でもあった。
  その位置から・・白人が多数の人種の位置から降りる
 今・・白人に虐げられて来た少数民族の悲哀さを身をも
 って感じる事が出来るだろう今・現在、標記の様な事を
 言い出す。
  キリスト教の一神教は、その宗教性から多様性を否定
 した。
  我がキリスト教の神のみが「唯一の神だ」と、他を認
 めず、他を異端とし、異教徒とした。
  その異教徒を・・キリスト教の教義は「異教徒を殺せ」
 と指示し、教義とした。
  そして、異教徒を虫けらのように進んだ武器でもって
 劣った有色人種を殺戮した。
  その様にして来た白人が、その論理を取って返して、
 「白人文化の罪悪感を煽るな」と言う。
  今まで散々自分たちがやって来た事々を棚の上にあげ
 て、免罪符が欲しいと言うが如くに論理展開する。
  今になって、やっと、悲痛な人々の声を、やっと発す
 ることができる・・今まで虐げられてきた人々なのだ・・
 その様な段階になって来たところの今なのだ。
  この段階は、この悲痛な虐げを受けた人々の声がやっ
 と白人たちへ届く時代となって来たところなのだ。
  また、カウフマン氏は、「西側社会は総じて、多文化、
 多様性の受け入れを重視しますが、東アジアでは、国際
 主義的なリベラリズムを遠ざける傾向が強い」と言う。
  そして、この見方を根幹の基本として、この後の論理
 展開をするが・・、
  この根幹の基本的考え方の捉え方は大間違いだ。
  キリスト教の教義に洗脳された白人・ヨーロッパ人は、
 一例をあげれば、キリスト教カトリックが、キリスト教
 プロテスタントを異端だとして、受け入れられないとし
 て・・、
  また、この反対に、キリスト教プロテスタントもキリ
 スト教カトリックを、異端だとして受け入れられないと
 した。
  お互いの考え方の違いを、キリスト教の教義の如く異
 端として見て、愚かにも30年間もの長い間、卑劣な30年
 戦争を戦い、殺し合った。
  ヨーロッパの白人の人口の3分の1が死んだという卑劣
 な歴史である。
  カウフマン氏が美しく言う「西側社会は総じて、多文
 化、多様性を受け入れを重視する」・・と・・これは大
 間違いだ・・話が逆だ。
  日本を例にして言えば・・日本には、アメリカが建国
 されるズーット以前・・また、イギリスが、まだ国とし
 て成り立っていないという以前の遠い昔に、平等院が日
 本にある如く、差別なく、すべてを平等に受け入れる社
 会は、すでになされていた。
  また、世界一古い長編小説の著者が、日本女性である
 如く、男女の差別も無く、教養ある女性方たちが活躍し
 ていた。
  カウフマン氏よ! 貴方には、有色人種の東アジアの
 人々を蔑視するキリスト教の洗脳があるのではないです
 か?
  東アジアをもっと冷静に見直しをして下さい。
  キリスト教には、「他民族へ、娘を嫁になるな」など
 の律があるなど、この様な差別的な閉鎖的な社会規律が
 一杯ある。
  この宗教の考え方の下に貴方たちは居る・・
  この様な点を見ないで、無視して論理展開をしないで
 下さい。
  東アジアは、「自民族同士の結婚が多いから悪い」と
 いう言い方も偏頗ではありませんか?
  この考え方も偏見に満ちています。
  結婚は、各人の自由意思の下に自由に行われるだけで、
 自民族同士が多いから悪いとか・・とやかく批判し・・
 どうのこうのと言うべきものではない・・
  カウフマンさん、貴方には、「白人がやっていること
 が最高なんだ」という「白人優越の意識」が垣間見えま
 す。
  白人は、これから、未体験のマイノリティの人々とな
 って行く。
  大多数の時にした黒人奴隷の歴史のごとき歴史が待っ
 てない様にと祈ります。
  白人の方々こそ、自分たちが何をやって来たかをよく
 見定めて・・
  自分たちの行く先に、その虐(しいた)げたマイノリ
 ティの人々と同じ様な姿が無きようにと・・
  問題なく歴史を紡いで行けるようにと、沈思し、行動
 を思い描きなさい。
  「白人の罪悪感を煽らないこと」と、自分をさておい
 て・・他の人々の対応だけを求めることの愚かさに気付
 きなさい。
  お互いがやるべき事であって、一方にだけ求めるなど、
 片手落ちであってはいけません。
  (追伸)上記の浅はかな論理展開したエリック・カウ
     フマンの略歴:48歳、ロンドン大学バークベッ
     ク・カレッジ教授。
      香港に生まれ、幼少期の8年間、東京で育つ。
      カナダで大学卒業後、ロンドン・スクール・
     オブ・エコノミクスで博士号。
      専門は、民族、宗教、ナショナリズムなど。
      近著「ホワイトシフトーーポピュリズム、移
     民、白人多数社会の将来」を2018年10月に刊行、
     イギリス内外の言論界で高い注目を集めた。
.
2019年、専守防衛なんて絵に描いた餅。
  中国が、核弾頭ミサイルを300発から600発持っている
 というが・・、
  これが、日本に飛んで来たら、日本は「ひとたまりも
 ない」。
  そのすべてを撃ち落とす事は出来ない・・
  撃ち落とせると思っているのだったら・・悲惨な事実
 から目を背(そむ)けたい・・だから、撃ち落とせると
 思っているのだ・・ということになる・・
  中国の核弾頭ミサイルは、日本のほとんどの都市に照
 準を合わせている・・中国はその様に言っている。
  第二次世界大戦の時は、アメリカが、何万発という爆
 弾を・・日本中の都市に落したが・・そして、壊滅した
 が・・、
  今・現代、その核弾頭ミサイルは、一発でも落された
 ら、それで終わりだ。
  投下された都市の「すべてが、蒸発してしまう」。
  専守防衛は「おとぎ話」なのだ。
  防衛が不可能なのに「専守防衛する」と言う・・
  この論理は成立しない。
  生半可な防衛力を放棄して、「殺すんなら殺せ」と言
 った庶民の心になるか?である・・
  生半可な防衛力があるから攻めて来るとも言える・・
  だから・・はっきりと・・無責任な行為は止めて・・
  専守防衛を止めて「専守攻撃」に変えなければ「専守
 防衛」は出来ない。
  もし、あなたの国が、日本を攻撃するのでしたら、「
 日本は、あらゆる日本の攻撃手段を使って、あなたの国
 を攻撃します」という『専守攻撃宣言』をしなければな
 らない。
  これでなければ、専守防衛なんてできない。
  迎撃ミサイルは、単なる、「精神安定剤」。
  日本中に、そして、広い広い日本の領海中に、中国・
 北朝鮮・ロシアを殲滅できる核弾頭ミサイルを展開しな
 ければならない。
  「恐ろしくて日本なんて攻撃できない」という気持ち
 を起こさせなければならない。
  この「専守攻撃」の核弾頭ミサイルの展開は、アメリ
 カと協議し、早期に実現しなければならないという今・
 現在となっている。
  この様な現状にある今・現在を、冷静に見れば、日本
 国憲法の前文の記述が、あまりにもかけ離れた夢の世界
 の中に浮いていることが分かる。
  日本国憲法の前文は、現実の実情にそぐわない状態に
 なっている。
  日本は立派な国であるから、日本以外の国々の公正と
 信義に信頼してと、それを信じて、まったく理想的な憲
 法を掲げてやって来たが・・??・・今までは・・
  今・現在、その現状は、その様な状況ではまったくな
 いという状態になってしまっている。
  近隣の諸国は、陰で日本の憲法をうすら笑っているだ
 ろう・・都合が良いと思っているだろう。
  日本国民の方々は、お人好しだから、日本国憲法が現
 状とはまったくかけ離れて・・現状にそぐわないと思っ
 ていても・・我慢し、耐えている。
  しかし、これからの子供たちの為には・・
  「もうこのような我慢をさせる事は酷である」。
  子供を産みたくなる様な憲法にしなくてはならない・・
  今・現在の現状に沿う憲法を「未来へ残さなければな
 らない」。
  それが出来て日本の戦後は終わる。
  それにしても、ベトナムの方々もよく戦った。
  不合理なものへ対して、その戦いが必要な時には、強
 い相手であっても「毅然と戦わねばならない」として戦
 った。
  今、平和憲法なんて・・自画自賛の状況となっている。
  その憲法が、現状に於いて「何の役にも立たない」と
 いう状況が、戦後の経過の中で生まれ・・そして、証明
 された。
.
2019年、中国は、日本の中国研究者が、中国について批判
 的な研究結果を公表すると、とたんに、睨(にら)み・・
  そして、研究行為について不利な扱いをする。
  中国への入国は拒否される。
  研究のための中国入国の拒否だからたまらない。
  また、入国が出来たとしても、史料の閲覧の拒否を受
 ける。
  研究の材料を得られなくなるという事は致命的だ。
  中国は、この様な卑劣な事をする。
  だから、中国へゴマをする研究者ばかりになる。
  こんなことは誰でも知っている事で、だから、若い研
 究者は、中国の反応を怖がる。
  中国からのプレッシャーの中で研究している。
  だからなのか、中国べったりという方針にしたのか・・
 その様な中国べったりの研究者が居る。
  大学もその様な「いざこざ」が起きないことを願って
 いる。
  この様な大学の姿勢からのプレッシャーも研究者へ与
 えられている。
  また、大学へ来る研究者についても、中国とトラブル
 を起こしそうな研究者に対し、「わが大学にだけは来な
 いで欲しい」という態度をとる。
  研究者だけでなく、ジャーナリストへもこの様な戦略
 が中国にとられ、この戦略にはまってしまう。
  また、招聘(しょうへい)する人などについても、中
 国に不利な人の招聘の場合、中国は嫌がらせをする。
  何もかもが中国に寄り添う行動になるというプレッシ
 ャーの中での研究などの行動となる。
  この様に、きめの細かい情報を本国へ伝える工作員が
 存在しているということが分かる。
  その存在はものすごく厚い・・
.
2019年、中国の地の覇者は、以前からズーット漢民族であ
 ったのではない。
  色々な民族が、入れ代わり立ち代わり中国の歴史をつ
 ないで来たのだった。
  漢民族の現政権は、「中国、5000年の歴史」と言って
 いるが、中国の文明の発祥からの歴史の事を言っている
 のであって、現政権の漢民族の歴史が、さも、5000年間、
 続いたように言うのは大間違いで・・錯覚させている。
  中国の漢民族の現政権の歴史は『数十年』である。
  「つい、この間」という歴史である。
  漢民族の現政権の歴史は、新参者の新興なのである。
  現政権の漢民族中国政権は、この様な錯覚を「この他
 にも、色々、行なって」いて、世界を錯覚させ、その様
 に思わせている・・
  色々な事で、事実の誤認を起こさせているから注意を
 要する。
  「中国人民解放軍」と言わせられているが、その実態
 は『中国人民侵略軍』である。
  この中国共産党軍は、中国に接する近隣諸国の侵略ば
 かりをしている。
  解放とは程遠い事ばかりをしている。
  近隣諸民族の殺戮と弾圧である。
  チベット、ウイグル、内モンゴルなどは、とうとう、
 中国の国の様にされてしまっている。
  この他にも、ベトナムなどは、何度も、共産中国軍(
 中国人民侵略軍)の侵略を受けたか知れないという悲惨
 な歴史となっている。
  そして、今、ネパールやブータンが怪しい・・
  また、「中国東北部」と呼ばされている地域は・・『
 満州族の地域』であった・・
  そして、今は、その民族が、満州族が、まったくこの
 地域に居ないという事である・・
  殺されたのか? 追放されたのか? 不明であるが?? 
  だが本来は、まったく中国とは関係のない地域で・・、
 「中国東北部」ではなく、『満州族部』とでも呼ぶべき
 地域だった・・強いていうのなら「中国東北侵略部」。
  万里の長城のはるか北にあるこの地を、なんで中国と
 呼ぶのか?・・である・・その様な地ではない。
  万里の長城のはるか北のこの地を、中国と呼ぶのは『
 不適切である』。
  中国は、この万里の長城の北の「外の地」を、まった
 く関係ないという意味の『化外の地』として・・中国の
 力の及ばない他民族の地としていた・・
  だから、その中国と関係のない民族が、中国の地に入
 って来ない様にと「万里の長城を築いた」のだった。
  中国は、この様な地を『中国東北部』と呼はさせて、
 世界を錯覚に陥(おちい)らせようとしている。
  満州族の地の痕跡を消そうとしている。
  「中国東北侵略部」なのである。
  「チベット」も「ウイグル」も「内モンゴル」も、皆、
 同じ『中国侵略部』である。
  チベット民族は、隣国のインドに、チベット亡命政府
 を樹立している。
  1959年から、ダラムサラに、中国の侵略・軍事制圧か
 ら逃れた人々が建設を始めた。
  1953年3月、インド政府は、チベット本国を追われたダ
 ライラマ14世に対し、この地を提供し・・
  1960年、チベット亡命政府は発足した。
  そして、各種の官庁も築かれた。
  この様に、国際法無視の行動をする中国は、グローバ
 ル化が進むと「都合が良いと考えている」。
  自らは漢民族の世界にしようとしているが・・それ以
 外の民族性を薄めたいと、グローバル化が都合よいと考
 えている。
  中国は、南シナ海も、近隣諸国の領地を奪い軍事基地
 化した・・
  これはアメリカの真似をしている・・
  それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争
 をした・・その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
  今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
 次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2019-01-14 04:30 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)

題:(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月21日、台湾総督府仮条例が制定され、総督府に
 民政局、陸軍局、海軍局が設置された。
.
1895年5月28日、大阪鉄道の天王寺駅~玉造駅間が開通した。
  (参考)初代大阪鉄道は、1888年から1900年まで存在
     した日本の鉄道事業者(私鉄)
.
1895年5月29日、日本軍が、台湾北部に上陸した。
  1895年4月17日、日清両国は、下関条約によって日清戦
 争が終結させた。
  そして、日本は、清国から正式に台湾の割譲(かつじ
 ょう、国家間の合意によって領土主権の全部、または、
 一部を譲渡すること)を受け、両国間に平和が回復した。
  しかし、台湾割譲に反対する清国の文武官は、列強の
 干渉を呼び込むために、イギリスやフランスに台湾を貸
 与する計画や陰謀などの割譲阻止工作を実行した。
  これを起因として台湾問題が発生した。
.
1895年6月1日、凱旋門見学
  樋口一葉は、凱旋門が取り壊される当日、慌てて見学
 に行った。
  しかし、たまたま天皇陛下の還御の行列に当たり、よ
 うやくたどり着いた。
  「やがて凱旋門ちかく成れば、もはや取崩しに取かか
 れりとおぼしく、取りおろしたる杉の葉などここかしこ
 に山とつまれぬ」
    (日記『水の上』1895年6月1日)
  天皇陛下、還御(氷川清話)
  (参考)還御:かんぎょ、天皇陛下、・三后、将軍、
     公卿(こうけい)が出先からお帰りになること。
  (参考)三后:さんこう、后位(こうい)は、日本の
     朝廷において天皇陛下の配偶者や母・祖母等に
     与えられた太皇太后・皇太后・皇后の地位の総
     称で、三宮(さんぐう)・三后(さんごう)と
     も言う。
.
1895年6月4日、閣議で「将来の対韓政略は成るべく干渉を
 やめ、朝鮮を自立せしむるの方針をとるべし、故に他動
 の方針をとるべきことに決す」と決議した。
.
1895年6月7日、日本軍が、台北を制圧し・・
  6月17日に、台北で総督府始政式を行なった。
.
1895年6月10日、台湾鉄道線司令部が設けられ、陸軍が台湾
 の鉄道の運営に当たり、基隆駅~台北駅間の運転が開始
 された。
.
1895年6月17日、台湾都督府で始政式が行なわれた。
  初代総督に樺山資紀海軍大将が就任した。
  台湾総督府開庁は、この日を台湾始政記念日とした。
.
1895年6月18日、仮設呉兵器製造所が設立された。
.
1895年7月4日、横浜クリケットクラブのトラックで自転車
 競技が行なわれた。
.
1895年7月6日、露仏両国による対清借款が成立した。
  4億フランが成立した。
  日清戦争の後、イギリス・フランス・ロシア・日本・
 ドイツの帝国主義諸国は、租借地の獲得や鉄道敷設権・
 鉱山採掘権などの利権という形態で中国の国土を分割支
 配して行く・・その手始めの借款だった・・ロシア・フ
 ランスなど列強に対して外債を発行し、借款した(外国
 から資金を借りた)
  列強は、この借款を通じて鉄道敷設権を獲得したり、
 鉱山採掘権を獲得して行った・・
  列強は、この借款という形で清朝政府から租借という
 形で奪って行った・・
  19世紀のこの頃、中国は、事実上、反植民地状態とな
 った・・
.
1895年7月13日、夏目漱石:愛媛県尋常中学校(松山中学)
 の英語教師を勤める漱石(28歳)
  日清戦争に出征していた松山連隊の凱旋を迎えるため、
 生徒を引率して、フロックコートに山高帽というハイカ
 ラな正装で、松山市郊外の八丁畷(なわて)へ出向いた。
  この式から帰る途中、師範学校の生徒と松山中学の生
 徒との間で乱闘騒ぎが起きた。
  教師にもそのとばっちりがおよび、田んぼの中に押し
 込まれたりした。
  漱石の小説「坊ちゃん」にも書かれている。
  「喧嘩は今が真最中である。
  師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割
 方多い。(中略)
  入り乱れて組んず、ほぐれつ戦っているから、どこか
 ら、どう手をつけて引き分けていいか分らない。
  山嵐は困ったなという風で、しばらくこの乱雑なあり
 さまを眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。
  巡査がくると面倒だ。
  飛び込んで分けようと、おれの方を見ていうから、お
 れは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しそうな
 ところへ躍り込んだ」
  大騒ぎしているところへ巡査が駆け付けて来て、生徒
 たちは逃げ去り、坊ちゃんと山嵐だけが警察に引っ張ら
 れる。
  翌日の新聞には、生徒たちを扇動して騒ぎを起こした
 と書き立てられる。
  我軍凱旋(氷川清話)
.
1895年7月25日、山陽鉄道の尾道駅~糸崎駅間で軍用列車が
 脱線転覆した(死者11人、重軽傷98人)
.
1895年7月、ラベンナ号事件の日本政府とピーオー汽船との
 損害賠償請求裁判で、イギリス上院の判決が出され、ピ
 ーオー汽船の訴えを退けた。
  賠償金は、1万ポンドでの和解成立となった。
.
1895年7月、北海道全道の鉄道調査が終了した。
.
1895年7月、三国干渉の影響で朝鮮が親露政権となった。
.
1895年8月5日、日清戦争論功行賞が行われ、伊藤博文、山
 県有朋、大山巌、西郷従道が侯爵となった。
.
1895年8月6日、台湾総督府条例が制定された(陸達第70号)
  総督幕僚、陸軍局、海軍局が置かれた。
 ・総督幕僚 参謀部
       副官部:第一課(文書関係)第二課(人事
           関係)第三課(用度関係)
 ・陸軍局  砲兵部 工兵部 憲兵部 監督部 軍医部 
       法官部 電信部 郵便部
 ・海軍局
.
1895年8月15日、豊州鉄道の行橋駅~伊田駅間が開通した。
.
1895年8月17日、三浦梧桜を朝鮮駐在公使に任命した。
  (参考)三浦梧桜:みうらごろう、政治家・陸軍中将・
     子爵。
      山口の生まれ、長州藩の尊攘運動に参加した。
      広島鎮台司令長官として萩の乱を鎮圧した。
      王事に尽瘁(じんすい、自分の労苦を顧みる
     ことなく、全力を尽くすこと)する。
      枢密顧問官。
      1926年、没、81才。
.
1895年8月22日、下総鉄道が、社名を成田鉄道会社と改称し
 た。
.
1895年8月22日、浪速鉄道の片町駅~四条畷駅間が開業した。
  運転時分38分、1日19往復の列車を50分間隔で等間隔運
 転。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本は、共産独裁国家に包囲されている。
    もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
    アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリカではない。
    勝者は共産国家である・・
    「共産・中国」「共産・ソ連(現:ロシア)」である。
.
1896年、イギリス人で首相になったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなっていた家計のために更なる従軍
 経験と新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  また、ジェームソン侵入事件が発生した南アフリカな
 どに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することに
 なった。
  インド駐留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように
 暮らした。
  日常生活をすべてインド人召使に任せた。
  チャーチルもそのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人:アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯を維持しており、パシュト
     ゥーンワーリと呼ばれる慣習法を持ち、男子は
     誇りを重んじている。
.
1927年、リンドバーグが、初めて単独で大西洋を無着陸横
 断飛行を成功させた(約33時間30分)
  この頃、アメリカは、すでに、イギリス、ドイツ、フ
 ランスの三国を、はるかに抜くという世界最大の工業国
 になっていた。
  そして、間もなく、その頃より一世紀、100年を越えよ
 うとしている今・現在・・
  その主役(アメリカ)の座が、今までの歴史の様に、
 「変わろうとしている」。
  イギリスもしかりだった。
  イギリスからアメリカへの変遷の様に、今・現在、ア
 メリカから次なる主役・中国へ「バトンタッチ」されよ
 うとしている。
.
1937年11月、日本を貶める嘘情報の本「what war means」
 が、イギリスで出版された。
  第二次世界大戦中、中国・国民党(この頃、中国・共
 産党は壊滅の憂き目にあっていた、そして、中国の奥地
 に潜んでいた)の国際宣伝処長は、日本への嘘の宣伝工
 作・プロパガンダが、あまりにもうまく行ったと言って
 いる。
  この嘘つきの男が牛耳っていた国民党から発信される
 作り話の嘘情報が、英訳され、世界を駆け巡った。
  日本は、この作り話で酷く貶(おとし)められた。
  その一つが、1937年11月、イギリスで出版されたティ
 ンパーリーの「what war means」。
  実に手際よく、中国国民党から発信され、英訳され、
 国際社会に喧伝(けんでん、盛んに言いふらし、宣伝す
 ること)され、広まった。
  その中国・国民党国際宣伝処長の曽虚白は、回想録で
 そのあまりにも巧(うま)く行き過ぎたことを驚きと共
 に記している。
  これで、南京事件がでっち上げられた。
  そして、このデッチ上げられた南京事件で、日本の無
 実の軍人たちが、アメリカがデッチ上げた東京裁判で有
 罪だとされ、殺された。
.
1945年9月15日、鳩山一郎の『正義の発言』・・発行媒体は
 停止処分を受ける・・アメリカの卑劣な口封じ行為。
  GHQは、「パージ」をして、GHQを批判しそうな
 記者を追放した。
  そして、GHQを気にする報道陣にさせられた。
  また、ゴマを刷る記事にされた。
  しかし、その様な中で・・、
  1945年9月15日、鳩山一郎は言った・・、
  「〝正義は力なり〟を標榜する米国である以上、原子
 爆弾の使用や無辜(むこ、何の罪もないこと)の国民殺
 傷が、病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争
 犯罪であることを否む(いなむ、嫌だと言って拒む)こ
 とは出来ぬであろう。
  極力、米人をして(広島・長崎の)罹災地の惨状を視
 察せしめ、彼ら自身彼らの行為に対する報償(ほうしょ
 う、損失のつぐない)の念と復興の責任とを自覚せしめ
 ること(略)」と・・
  まったく当たり前のアメリカに対する正義の発言をし
 た。
  アメリカは、これに対して「発行停止」の命令をする
 という卑劣な行為をした。
  日本の新聞は、この様なアメリカの卑劣な弾圧に屈し
 てしまった。
  東京裁判など、国際法違反の裁判などに迎合した報道
 をする。
  GHQの報道担当(インボーデン少佐)が、非常に威
 圧的で強権を行使していた。
  「追放処分」や「発行停止処分」の強権を使った。
  新聞社は、これにひれ伏した。
  「アメリカ占領軍に従わなかったら新聞が出せない」
 という悲鳴の声を発した。
  国民の情報源の重要部分にあったこの頃の新聞は、こ
 の様な牛耳られた状態だった。
  (参考)口封じ:くちふうじ、その事が外部に漏れな
     いように、強権で口止めをすること。
  (参考)パージ:purge、追放。公職などから締め出す
     こと。
.
1950年10月7日、中国のチベット侵略
  この日の深夜、中国人民解放軍は、張国華将軍を指揮
 官として、ラサの東方100kmの位置まで侵攻した。
  中国人民解放軍の兵力は4万人・・これに対してのチ
 ベットの義勇兵はわずかな8000人だった。
  中国人民解放軍は、東チベットを3方から同時に侵略し
 た。
  8000人のチベット軍が阻止を試みた。
  チベット軍は応戦をするも、多勢に無勢で、チベット
 兵は各地で全滅した。
  進んだ兵器を持つ中国軍は強力で、チベット各地を駆
 け巡った。
  チベット兵は、また、各地で孤立した。
  翌10月8日、中国人民解放軍は、波状攻撃を仕掛けた。
  チベット軍も善戦し、阻止することに成功する状況も
 あったが、交戦不可能なまでに戦力を失った。
  その夜、チベット部隊は組織を維持できない状態まで
 追い込まれた。
  10月16日に至り、チベットの知事ンガプー・ンガワン・
 ジクメ(アボ)が、潜伏していたチャムド付近の寺院で
 発見された。
  チベット指揮官ダポンは、ンガプーに対して戦力を集
 中し抵抗したが・・
  翌日の10月17日に、中国人民解放軍に投降した。
  10日間の抵抗の戦いは終わった。
  1950年10月24日、中国人民解放軍は、チャムドを占領
 した。
  チベットという国は、7世紀に、ソンツェン・ガムポト
 ウ王が建国した立派な独立国だった。
  ソンツェン・ガムポトウ王は、ヒマラヤ山脈の北部に
 広がる高原地帯を平定してチベット国を建国していた。
  この様なチベット民族の国が、何も関係のない漢民族
 の中国共産党軍(中国人民解放軍と呼ばれるが・・本当
 は、中国人民侵略軍)によって、この年・1951年、不本
 意な侵略を受けた。
  突然の侵攻で大虐殺を受け、併合されてしまった。
  そして、チベット民族の伝統的な文化が否定された。
  (日本も、第二次世界大戦の後に、アメリカによって、
 日本文化・神楽などの破壊の経験を持っている)・・
  チベット民族は、漢民族の毛沢東の思想教育・・洗脳
 教育を始められた。
  チベット人は600万人だったが・・中国は、漢民族の自
 国民を、720万人という多くの漢民族をチベットへ流入
 させた。
  チベットへ流入させた漢民族によって、チベットの地
 は、漢民族が大多数を形成するという地となった。
  チベットがチベットの国から漢民族の国になった。
  漢民族の中国は、この様なやり方で、チベットという
 国を乗っ取り、奪った。
  そして、強烈な「エスニック・クレンジング(民族浄
 化作戦)」を行なった。
  チベット民族の方々への弾圧も凄(すさ)まじかった。
  チベット民族の方々は、堪(たま)らず、1959年3月10
 日、チベット民族の方々は立ち上がり、蜂起した。
  漢民族の中国は、この時とばかり、大部隊を送る戦争
 が・・本職の軍隊を多数投入して、チベット民族の方々
 を、11万人以上もの方々を虐殺してしまった。
  この後も何度も、最悪の弾圧に起ち上がるチベット民
 族の方々は殺され続けた・・犠牲者数は120万人以上に
 達した。
  もし、その様なことが、あなたの国で起きたら・・あ
 なたはどうしますか?・・どう思いますか?
  胡錦濤は、この時の担当であった・・
  チベットでのこの卑劣な酷い弾圧が、功績だとされ・・
 中国国家主席にまでなった。
  (参考)胡錦濤:こきんとう、1942年12月、上海で生
     まれる。
     1964年(22歳)中国共産党に入党
     1965年(23歳)清華大学卒業。専門の水利学を
      生かし甘粛省水利部門などに技師として勤務。
      当時、甘粛省党委員会書記だった宋平・元政
      治局常務委員に見出される。
     1982年(40歳)中国共産主義青年団 (共青団)
      甘粛省委員会書記に就任し、党活動専任に転
      じた。
     1984年(42歳)共産主義青年団中央書記局第1書
      記
     1985年(43歳)貴州省党委員会書記
     1988年(46歳)チベット自治区党委員会書記を
      歴任。
     1992年(50歳)第 14回中国共産党全国代表大会
       (党大会) 後に中央政治局常務委員に抜擢さ
      れる。
     1993年(51歳)以降、中国共産党中央党校の校
      長
     1998年(56歳)第9期全国人民代表大会 (全人代)
       第1回会議で国家副主席
     1999年(57歳)以降、中国共産党中央軍事委員
      会副主席を務める。
     2002年(60歳)第16回党大会後に党中央委員会
      総書記
     2003年(61歳)第10期全人代第1回会議で国家主
      席に選出され、中国の党機関と国家機関のトッ
      プに就任した。
.
1959年~1962年、中国の大飢饉
  この飢饉で、最小でも4500万人が死んだ。
  そして、最近になって閲覧できるようになった中国共
 産党の古文書では・・、
  毛沢東が、全体主義的権力の構築と、その強化のため
 には、極度の暴力を用いるしかないと決断したことを明
 らかにしている。
  だから、毛沢東は、この真逆のことを実行した。
  残酷なだけの、まったく意味のない行為を組織的に遂
 行した。
  歴史学者のフランク・ディケーターは、「人民解放戦
 争」「大躍進政策」「文化大革命」の三つで、毛沢東は、
 5500万人、そして、それ以上の人々を虐殺したと言った。
  共産主義国家は、何処も独裁国家で、情報統制をする。
  都合の悪い情報は隠して、実態を分からなくしている。
  数々の残虐行為をしているにもかかわらず、その実態
 がなかなか出て来ない。
  逆に、美しくプロパガンダされ、多くの人々が騙(だ
 ま)されている。
  だから、多くの知識人が共産圏に「正義」を抱いてい
 る。
  しかし、今・現在は、その実態が分かられて来ていて、
 その卑劣さも白日の下にさらされて来ている。
  だから、共産主義国家は、反体制の人々を厳しく監視
 する監視社会となっている。
  家族や友人の間にまでスパイを潜(もぐ)り込ませて
 いる。
  共産社会の人権抑圧は卑劣なものとなっている。
  共産圏では、その一握りの者による政治の実権の奪取
 の体制により、その不埒な体制維持のため、人類の最悪
 の行為=ジェノサイド(大虐殺)がよく行われる。
  その実態が分かって来て、共産主義社会の幻想の実態
 が目の当たりに感じられるようになった。
  日教組も共産主義に傾倒している組織であるが、その
 共産主義の実態が、さすがに分かって来たのではないだ
 ろうか。
  朝日新聞も馬鹿な新聞なのだが、共産圏国家の大虐殺
 を最初は否定した。
  今は、その何度も行われた大虐殺を否定できなくなっ
 ている。
.
1970年代以降、中国が、日本の領土である尖閣諸島を、「
 中国の領土だ」と急に言い出した。
  尖閣諸島は、「中国の古文書にも、日本の領土と認め
 ている記述がある」。
  その様な史実を無視して、中国は、「言いたいことを
 言い出した」。
  日本は、日清戦争以前から尖閣諸島をどの国も支配し
 ていないことを10年間も確認した後、国際法の要件を満
 たして、1895年に、領土に編入した。
  中国が領有権を言い出したのは、1970年代以降、東シ
 ナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された後のことだった。
  中国の李克強首相は、「尖閣諸島は、日清戦争のどさ
 くさに日本が盗んだ」と、欧州旅行で言って歩いた。
  何を言っているんだと言いたい・・
  この日清戦争の頃の中国の認識は「尖閣諸島は、日本
 の領土だ」だった。
  1970年代以降に、「石油が埋蔵されている」とされて
 から、尖閣諸島を盗もう・奪(うば)おうとしているの
 は中国の方だ。
  中国は、最近になって、自国の領土だとして奪う行為
 を南シナ海でもやっている。
  南シナ海に存在するベトナムや台湾やフィリピンの領
 土まで奪おうとしている。
  国際司法裁判所でも、「中国の領土ではない」とはっ
 きり判決が下りた・・それなのに、中国は不法な占拠を
 続けている。
  そして、最初、「軍事基地化はしない」と言っていた
 が、今では、強引に軍事基地化をしている・・ミサイル
 配備までもしている。
  中国こそ、窃盗行為をしている。
  この様な悪評判は、昔から、中国にはある。
  よくやったからと車賃を多くあげると、感謝するので
 はなく、「こいつは金持ちだ、もっと催促してやれ」と
 いう発想を中国人はする・・そして、「多額な金を要求
 する」。
  この様な事例・・アメリカ人夫妻が、強盗に変わった
 中国人に殺された。
  道にいた中国人の乞食に、1円銀貨をあげた。
  1円といえば、1ヶ月間、食べられる金額だった。
  早速、仲間と共に、先回りして、この夫妻を殺してし
 まった。
  だから、中国へ金を与えるのは、よほど、注意しなく
 てはならない。
  金を貰っている間は良い顔をしているが・・それが、
 終わった時の反動が、中国独特の反動となって、予測不
 可能状態となる。
  今・現在、北海道の帯広の広大な土地が、中国に買わ
 れてしまっている。
  この行為は、この後、留まることなく続けられるだろ
 う。
  中国は、輪転機を廻せばいくらでも人民元が刷れる国。
  その様な人民元で、次々と北海道の土地が買われる。
  チベット、ウイグル、内モンゴルの如くになる。
  今・現在、満州の地に居た満州人の方々は、満州の地
 には居ないという状態となっている。
  北海道の地に、北海道の人たちが居なくなることが無
 いようにしなければならない・・
.
1995年、この頃より、中国は「日本軍に殺された中国人は
 3500万人だ」と言い出した。
  嘘やデッチ上げばかりを言う中国共産党政権というこ
 とは分かっているが、この嘘も酷い嘘だとすぐ分かる。
  この当時、日本軍は35万人が居た。
  中国共産党政権の言う通りだったら、一人が100人を殺
 したことになってしまう。
  野戦病院に居た軍医や看護婦さんまでが100人殺したこ
 とになってしまう。
  この様な嘘を言う中国共産党政権は、自身が、自国民
 の中国の国民の方たちを6500万人も虐殺したことを隠し
 ている。
  また、因みに、ドイツのナチスが、ユダヤの方々に対
 する虐殺は400万人と言われていた。
  しかし、この人数に関し、冷戦の終結後、研究者の方
 たちが正確な数を検証した結果、約150万人だとなった。
  この数字が広く、今は、認知されている。
  何故? 400万人という数字になったかというと・・
 ソ連が、ナチスの罪を過大にしていた・・それは、自身
 が起こした「カチンの森」などの大虐殺の罪を薄めたい
 としてやったことだった。
  共産国家はこの様な安易な嘘をよく言う・・
.
2003年2月25日、韓国の第16代大統領に蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領がなった(~2008年2月24日)
  日本と韓国は、誠実に向き合い、1965年、日韓基本条
 約を締結し、それまでのすべての日韓間の問題や懸案事
 項をすべて解決した。
  もう、残る問題はないという状態にした。
  しかし、卑劣な事に、この韓国が、今までよくやって
 来たように、後になって、韓国の蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領は、言い出した・・「屈辱的な条約だった」と・・
 そして、「あの時は自分たちの認識が低くて、もっと(
 金を)貰うべきだった」とか、「個人補償はまだだ」な
 んて言っている。
  これは、韓国の方々へ真実を言っていない。
  それまで、韓国は、1965年の日韓基本条約の議事録を
 韓国国民の方々が見ることができない様にしていた。
  まったく卑劣である。
  また、個人補償は、韓国政府が「個人補償は、我々・
 韓国政府がやるから、その分の金は我々(韓国政府)に
 支払ってくれ」と・・、我々・韓国政府がやるからと言
 った。
  日本は、その通りに巨額な金を韓国へ支払った。
.
2006年10月24日、韓国で一心会事件が起きた。
  日本は、共産独裁国家に包囲されている。
  もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
  アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリ
 カではない。
  勝者は共産国家である、「共産・中国」「共産・ソ連
 (現:ロシア)」である。
  アメリカに残ったのは「台湾」だけである。
  この台湾にしたって「軍事大国となった共産・中国の
 猛烈な圧力が加えられている」。
  台湾の自立も危(あや)うい。
  北朝鮮は、核保有国となった。
  ロシアも、プーチンの独裁資源大国として復活してい
 る。
  韓国は、国家の中枢まで共産勢力が浸透している国家
 となってしまっている。
  どこもかしこも共産化している。
  冷戦に自由主義陣営が勝利したなんて「思い込みであ
 る」。
  以上の実態から見た通り・・共産主義国家の勝利とな
 っている。
  「冷戦に勝利した」なんて日本は信じ、楽観的に言っ
 ているが・・冷静にアジアを見れば、そんな構図はどこ
 からも見えない・・
  それとは真逆な共産国家ばかりが見えて来る。
  2006年10月24日、「一心会事件」が韓国に起きた。
  この事件で韓国の政界の奥深くにまで共産スパイ組織
 が潜り込んでいる実態が世界に明らかになった。
  韓国は、この様な状態になっている。
  様々な大事な機密情報が・・北朝鮮へ漏れていた。
  また、韓国内の反米集会をやらせ、繰って、デモを扇
 動している。
  韓国の米軍情報をスパイしたり、韓国国会議員・政治
 家たちの思想傾向を分析したデーターを入手し、また、
 政治関係者にまで調べ上げ、総選挙や地方選挙などの機
 密情報まで北朝鮮へ渡していた。
  韓国と北朝鮮は、以前からかなり親密な関係になって
 いた。
  その様なことから、韓国は、PSI(大量破壊兵器拡
 散防止構想)に不参加を表明した。
  北朝鮮の核が・・我が物になる姿が見えていた。
  対北朝鮮制裁事項などにも馬耳東風で、北朝鮮観光を
 したり、工業団地事業をしていた。
  2007年には、1250億円という額となっている。
  もう、今・現在は、共産・北朝鮮と一体化が目の前状
 態となっている。
  2005年9月には、アメリカの韓国における戦時作戦統帥
 権を全面的に返還してくれと韓国は言い・・、
  2009年に、アメリカの統帥権は無くなった。
  北朝鮮への接近状態となった。
  韓国政権中枢部の心臓部には「熱烈に北朝鮮を支持す
 る者が大量に入り込んでいることが判明した」。
  過去に、韓国政府の転覆を目論(もくろ)んだ者たち
 まで入り込んでいた。
  だから、アメリカや日本が何を言おうが、まったく駄
 目な状態の政権が作られていた。
  今・現在の日本もその様な事になっていないか?
  その様な恐れはないのか?
  韓国は、野党まで反米反日になって北朝鮮路線は、変
 わりようがない状態にある。
  そんな韓国は、メディアを牛耳ろうと行動した。
  熾烈なメディア弾圧をした。
  言論統制をした。
  逆に、政権に好意的な記事を書く新聞には「新聞発展
 資金」を作って金を渡し、資金援助をした。
  広告も入れたりして応援した。
  気に入らないメディアには、非常に厳しい税務調査を
 行なったりして叩いた。
  また、役員の身柄拘束を、なんだかんだと言って行っ
 た。
  自殺をする経営者が居たほどだった。
  そして、偏った報道しかなされない韓国となった。
  韓国の国民の方々は、真実を知ることができない状況
 にされた。
  韓国大統領が、大金を北朝鮮へ渡したり、国会内は親
 北朝鮮が一杯状態。
  真実を知らされない韓国国民の方々となっている。
  共産・北朝鮮の独裁国家が良いと思い込まされている。
  ここに、情報戦に敗けた自由主義陣営がある。
  必ずしも、正義が勝つわけではない。
  一握りが牛耳る独裁国家が選択されている。
.
2012年9月15日、中国で官製と言われる反日デモが起きた。
  このデモに参加した人たちは、中国で虐げられている
 農民工で・・この方たちの不満が利用された。
  (参考)農民工は、広義と狭義の2種類があり、広義で
     は農村に定着しながら地元の郷鎮企業で働く者
     と、地元農村を離れいくつもの地方都市で複数
     の企業を渡り歩く者とを含み、それら以外の者
     が、狭義の農民工。
      中国国家統計局の発表によると、2011年の時
     点で全人口のほぼ2割に相当する2億5278万人の
     農民工がいるとされる。
      農民工は「世界の工場」を支える労働力であ
     り、進む都市化の中でインフラ建設を支える重
     要な人的資源として、工業化の進展のために不
     可欠な存在となっている。
      農民工の安い労働力が得られてこそ中国の
     「世界の工場」が成立する条件となっている。
      反日デモが収束したのは、その農民工の不満
     の先が、共産党へ向けられたので、政府が慌て
     て止めさせた。
  中国の実態を言えば、中国は、「金の力」と「軍事の
 力」が、ものを言うという国。
  だから、アメリカの政策は、大間違いだった。
  力を得たいと「ルールなんて無視して、中国は、日本
 の新幹線技術を盗んだ」・・
  また、中国は、「日本のとっておきの製鉄技術も手に
 入れた」。
  新幹線技術で、中国は、世界で手広く商売をしている。
  また、製鉄技術で鉄を大生産して、世界の鉄を牛耳っ
 ている。
  その様なことをしても、平然と盗んでも悪びれる風も
 無いという低劣な中国となっている。
  恩義ある日本にやることと言ったら、2012年に、煽っ
 て反日デモをさせた。
  中国に進出している日本資本の商店やマーケットを襲
 って破壊した。
  弁済補償もしようともしない中国となっている。
  そして、「日本が悪い」「日本が悪い」とだけ言う。
  まったく南京事件をデッチ上げたやり方と同じ。
  中国が出した南京事件の証拠だという写真は、嘘のデ
 ッチ上げと、今ではすべてが立証されている。
  また、事実を調べれば、南京へ迫る日本軍の恐ろしさ
 に、中国の最高司令部が真っ先に南京から逃げ出し・・
  中国兵の下っ端に至るまで、逃げ出すばかりの中国兵。
  その様な中国軍のだらしない混乱の中で、日本軍と戦
 えと、中国軍が、中国軍の自国の兵士へ銃を撃つという
 事態も起きた・・
  また、逃げるための川の舟の取り合いで自国民同士が
 殺し合うという事も起きた。
  中国には「ルールなんてない」「道義なんて無い」・・
 そんな国。
  日本と無電の契約を結んで30年間の独占権を与えても、
 すぐに、そんな事があったかと、アメリカに同じ権利の
 独占権を与え、10年間OKと許可を平気で言う国。
  また、満州の鉄道敷設の日本と契約した権利を無視し
 て、他国に同様な事をさせる・・まったく約束が意味の
 無い状況になっても・・平然と行なっている中国。
  嘘ばかりつき、約束も守らない中国。
  だから、結局、「金の力」と「軍事の力」を持つもの
 だけが牛耳る国となる。
  皆が、ここにゴマを刷り集まるという状況の国。
.
2016年8月3日、ネパールに浸透する中国
  ネパールでは、毛沢東主義者のテロが猛威をふるって
 いた。
  ネパール新首相に毛沢東主義派のダハル氏・・中印の
 外交に変化・・
  産経ニュースが報じるところによると・・
  ネパール議会は3日、議会第3党、ネパール共産党毛
 沢東主義派のダハル(別名プラチャンダ)書記長を新首
 相に選んだ。
  首相就任は2回目。
  第2党、統一共産党のオリ議長が先月、毛沢東派の連
 立離脱で首相辞任に追い込まれていた。
  オリ氏は、昨年10月に首相に就任したが、内戦時の
 戦争犯罪の扱いなどをめぐり毛沢東派が不満を表明し、
 連立を解消していた。
  オリ氏は、新憲法に反発する親インド住民によるイン
 ドとの国境封鎖への対応で中国に接近していたものの、
 新政権では、インドとの関係が深い第1党のネパール会
 議派が連立与党に復帰。
  近隣国外交の振り子がインド側にやや戻りそうだ。
  かつて王制打倒を掲げ、反政府武力闘争を展開した毛
 沢東派は、2006年に政府と包括和平協定に調印し、
 内戦が終結。
  2008年に、ギャネンドラ国王が王位を剥奪され、
 ダハル氏はこの年から翌年まで首相を務めた。
.
2019年、大いなる策士であり、巨大な策士であるルーズベ
 ルト・アメリカ大統領・・
  そのルーズベルト」が残したものは、「卑劣な原爆投
 下国としてのアメリカの汚名」・・と、
 「巨大な共産国の二つ・・ソ連と中国」だった。
  ルーズベルトによって、アメリカ国民の方々は、その
 巨大な二つの共産国によって、巨額な対応費を支払う羽
 目になった。
  そして、今・現在でも、その一つの中国と、これから
 長い対峙の時代に入る・・「新冷戦と言われる時代」に・・、
.
2019年、日本は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」
 で、アメリカに裁かれた・・が・・
  そのアメリカは、また、その同じ基準で裁かれなくて
 はならない。
  しかし、ベトナム戦争の時もしかり、その様なことは
 おくびにも出さないで、この国は逃げ回り、とぼけてい
 る・・。
  そして、この様な日本の裁かれ方は、「この時だけ」
 で、この後に・・この日本の様な「なされ方」の実施例
 は皆無・・まったくない。
  つまり・・この事からも、この時に、日本にやったア
 メリカは異質で、そして、やるべき事ではないことをし
 ていたということが分かる・・
  第二次世界大戦の終結からの長い年月が証明している・・
  アメリカの間違いが証明されている。
.
2019年1月2日、「台湾に一国二制度」習主席演説、アメリ
 カをけん制・・読売オンラインは伝える・・
  中国の 習近平国家主席は2日、北京で台湾政策に関す
 る包括的な演説を初めて行い、平和統一の実現や、一つ
 の国家に異なる制度の存在を認める「一国二制度」の導
 入など5項目の対台湾方針を示した。
  習氏は、一方で「武力行使を放棄することは承諾しな
 い」とも明言し、台湾との関係強化に動く米国を念頭に
 「外部勢力の干渉」を拒否する姿勢を鮮明にした。
  演説は、中国が台湾に平和統一を呼びかけた「台湾同
 胞に告げる書」発表から40年に合わせて行われた。
  習氏の5項目の方針は、平和統一の実現と一国二制度
 適用のほか、「一つの中国」原則の堅持、中台の融合・
 発展、統一意識の増進だ。
  習氏は、香港などに「高度な自治」を保障した一国二
 制度を台湾の実情を踏まえて適用する考えを示し、将来
 の中台関係に関して台湾の政党や各界の代表者との政治
 協議を呼びかけた。
  中台融和による台湾への経済的利益にも触れた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2019-01-07 04:52 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)

題:(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月1日、康有為らが、日清講和条約を拒絶し、都を
 奥地に移し、行政制度を変えろと上書した。
  (参考)上書:じょうしょ、意見を述べるため官・主
     君・貴人に書面を差し出すこと。
  (参考)康有為:こうゆうい、日清戦争の敗北に衝撃
     を受け、政治と社会の革新の必要を光緒帝に建
     言し、採用されて1898年の戊戌の変法の中心人
     物となった。
      しかし、西太后ら保守派のクーデター(戊戌
     の政変)によって失脚、日本に亡命した。
  (参考)戊戌の変法:ぼじゅつのへんぽう、清王朝時
     代の中国において、1898年6月11日から9月21日
     にかけて、光緒帝の全面的な支持の下、若い士
     大夫層である康有為・梁啓超・譚嗣同らの変法
     派によって行われた政治改革運動。
  (参考)戊戌の政変:ぼじゅつのせいへん、中国、清
     朝末期の1898年に、光緒帝が康有為を登用して
     始めた変法自強運動に対して、西太后を中心と
     する保守派が反撃・弾圧した事件。
      光緒帝は幽閉され、反動政治が復活した
  (参考)変法自強運動:へんぽうじきょううんどう、
      日本の明治維新に範を取って上からの改革に
     よって清朝を強国にするという変法自強運動の
     集大成。
      あまりに短い改革の日数をとって「百日維新」
     ともいう。
      これに先立って、1861年から30年以上洋務運
     動が行われ清朝の国勢は一時的に回復したが、
     旧体制を変えずに西洋技術のみを取り入れる洋
     務運動は日清戦争敗北により限界を露呈した。
  (参考)洋務運動:ようむうんどう、中国・清朝の漢
     人官僚によって推進された近代化政策。
      西洋軍事技術の導入、官営軍事工場の設立な
     どによって、清朝の衰退の回復を図った。
  (参考)光緒帝:こうちょうてい、中国、清朝の第11
     代皇帝 (在位 1875~1908)
  (参考)西太后:せいたいこう、中国、清朝、咸豊帝
     の側室で、同治帝の生母である慈禧 (じき) 皇
     太后のこと。
  (参考)咸豊帝:かんぽうてい、 中国、清の第九代皇
     帝(在位1850~1861)。
  (参考)同治帝:どうちてい、中国、清朝の第10代皇
     帝 (在位 1861~75)
  1895年、李鴻章が下関で日本と講和条約を結ぶ。
  遼東半島と台湾とを日本に割譲する内容となった。
  この頃、北京に会試(科挙の中央での試験)を受ける
 ために上京していた康有為は、集まっていた各省の挙人
 (科挙の地方試験に合格し中央試験を受験する資格を持
 つ人)によびかけ、千三百人と連名で講和に反対し、抗
 戦するため、奥地に都をうつし、科挙制度を始め清朝の
 旧い行政組織を改革すべきだという書簡を書いた。
  康有為は、進士に合格し、工部参事に任命されたが、
 光緒帝は、康有為の上書を読み、同感し、改革を行うつ
 もりだった・・しかし、事態が変わる・・康有為は、日
 本に亡命する。
.
1895年5月4日、御前会議で遼東半島の放棄を決定した。
  三国干渉を受けて、日本は、遼東半島を清へ返還した。
  遼東半島還付の詔勅が出され、国民の間に不満が噴出
 した。
  臥薪嘗胆の言葉が流行した。
  3000万両(4500万円)と引き換えに、遼東半島を清に
 返還した。
  三国干渉遼東還付(氷川清話)
  (参考)臥薪嘗胆:がしんしょうたん、薪(たきぎ)の
     上に臥(ふ)し、苦い胆(きも)を嘗(な)める意で、
     復讐(ふくしゅう)の志を忘れず、長い間、艱難
     辛苦(かんなんしんく)すること、
      また、将来の成功を期して、報われないまま
     に長い間苦労することをいう。
      中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)に
     敗れて死んだ呉(ご)王闔呂(こうりょ)の子夫差
     (ふさ)は、薪の上に寝て父の仇(あだ)を忘れぬ
     ように努力し、ついに会稽(かいけい)山に勾践
     を破って降参させた。
      勾践はのち許されて帰国したが、以来、つね
     に苦い胆を部屋に掛けておき、それを嘗めては
     自ら復讐心をあおり、とうとう夫差を滅ぼして
     「会稽の恥」を雪(すす)いだ、と伝える『史記』
     「越世家」の故事による。
.
1895年5月5日、九州鉄道の佐賀駅~柄崎駅間が開通した。
.
1895年5月8日、日清講和条約の批准書を交換した。
  講和条約の批准書交換は、清国側の延期要請を拒否し
 て、この日(5月8日)芝罘(チーフー、中国山東省の都市
 で、煙台(えんたい)の古称)で行われた。
  そして、10月28日に発効する。
.
1895年5月10日、遼東半島還付に関する詔勅が出された。
  (参考)詔勅:しょうちょく、天皇陛下の御意志を伝
     える詔書(しょうしょ、天皇陛下の発する公文
     書)、勅書(ちょくしょ、)、勅語(ちょくご)
     の総称。
      古くは臨時の大事大権施行に関する勅旨は詔
     書で出され、尋常の 小事は勅書をもって出され
     た。
  (参考)勅書:ちょくしょ、(1)天皇陛下の勅命を
     下達する文書。
      勅旨と同じ意味で用いられる。
      (2)明治憲法下の公式令で、皇室および国
     家の事務に関する天皇陛下の御意思の表示で特
     定人または特定機関に発せられた文書。
  (参考)勅語:ちょくご、(1)天子の御言葉。みこ
     とのり。
      (2)明治憲法下で、天皇陛下が大権に基づ
     き、国務大臣の副署を要さないで、直接国民に
     対して発した御意思の表示。
      (3)教育勅語のこと。
.
1895年5月10日、台湾総督に海軍大将・樺山資紀を任命した。
  (参考)樺山資紀:かばやますけのり、1837年~1922
     年2月8日、
      1837年、薩摩国(鹿児島県鹿児島市)に、薩摩
       藩士・橋口与三次兼器の三男に生まれる。
      1867年(30歳)戊辰戦争に鳥羽、伏見、次い
       で東北を転戦。
      1871年(34歳)陸軍少佐、
      1872年(35歳)南清に出張。
      1874年(37歳)台湾出兵に、西郷従道に従っ
       て出征、中佐に昇進。
      1877年(40歳)西南戦争では、熊本鎮台司令
       長官・谷干城少将の下、参謀長として熊本
       城を死守した。
      1878年(41歳)大佐、近衛参謀長、
      1881年(44歳)警視総監を兼ね少将。
      1883年(46歳)海軍に転じ海軍大輔になる。
      1884年(47歳)海軍少将、
      1885年(48歳)海軍中将、
      1886年(49歳)海軍次官になる。
      1890年(53歳)第1次山県内閣の海軍大臣、
       第1次松方内閣でも留任。
      1894年(57歳)日清戦争では現役に復し、海
       軍軍令部長となり、黄海海戦に会した。
      1895年(58歳)海軍大将、初代台湾総督とな
       った。
      1895年(58歳)伯爵、枢密顧問官、
      1896年(59歳)第2次松方内閣内務大臣。
       改正条約発効の準備のための改正条約施行
       準備委員会委員長に就任。
      1898年(61歳)第2次山県内閣文相を務める。
      1903年(66歳)元帥となる。
      1905年(68歳)後備役(予備役等)になる。
      1910年(73歳)退役する。
      1922年(85歳)薨去。染井霊園。
       受賞大勲位菊花大綬章
  逸話として・・日清戦争中、「西京丸」に乗艦した(
 連合艦隊司令長官の伊東祐亨が慎重な性格であることを
 案じて督戦に行ったとされる)が、商船を改造した急ご
 しらえの艦船のため、他の艦船より取り残され、清の艦
 隊に狙い撃ちをされそうになった。
  その時、敵の旗艦へ突込み、敵船が砲撃し難いように
 し反転して逃げ切った(いわゆる「前退戦法」)。
  鹿児島・薩摩藩は関ヶ原の戦いのとき、この様な『捨
 て奸(すてがまり)』をした。
.
1895年5月11日、日本鉄道、官設鉄道・甲武鉄道・川越鉄道
 との間に4線連絡運輸を開始した。
.
1895年5月21日、日本の凱旋門が造られた。
  日清戦争の勝利の凱旋門が日比谷に作られた。
  長さ110m、中央の高さ30m、基礎は木造で、全体が杉
 の葉で覆われていた。
  東京日日新聞に、この日の日付で凱旋門の記事がある。
  「東京市有志奉迎会の依托により、
  清水組の技師・田島格造、岡本金太郎の両学士が考案
 になりたる設計にして、
  長さ一町に余り、央に高100尺以上の高塔を設け、前後
 に貫通門幅27尺のアーチを備え、
  高さ40尺、幅33尺の廻廊をもって連続す。
  けだし、設計者は、欧米にも前例なき斬新なるTriumph
 Archade(勝利のアーケード)の仮設工事をなす考案なり
 という。
  また、工学博士・辰野金吾氏は、凱旋門建築につき、
 大学において種々研究中なるをもって、奉迎会の依托を
 受け、設計上につき相談にあずかることを承諾せられし
 という。
  前後貫通門の上正面には、草花をもって「聖駕奉迎」
 の4大字を造出せし大額面を製し、
  その上には大国旗を交叉し、その左右に菊花の御紋章
 を造り、
  門の両側は左に「東京市商人」、右に「有志奉迎会」
 とこれまた草花をもって書き出し、
  高塔及び前後貫通門の天井は、いずれも草花をもって
 八角に組み合わす計画なり」
.

1895年5月23日、中国・清が台湾を日本に売ったが、その事
 に不満の一部の住民が台湾民主国の樹立を宣言した。
  台湾人の邱逢甲(きゆうほうこう)と、台湾巡撫・唐
 景崧(とうけいすう)らが樹立し、総統に唐景崧が就任
 し、副総統兼義勇統領に邱が就任した。
  これは清国の外交的工作の中で生まれた。
  清国は、三国干渉をしたロシア、ドイツ、フランス、
 イギリスが、もっと台湾民主国を承認したりして応援す
 ると思っていた。
  しかし、三国干渉をした国々は、日本の対応に満足し、
 清国が期待する様には動かなかった。
  (参考)台湾巡撫:たいわんじゅんぶ、最高地方統治
     官。
  この様な状況で生まれた台湾民主国は、国際的承認も
 受けられずに・・
  1895年5月29日、日本の近衛師団の上陸に、台湾民主国
 の首脳陣の逃亡が相次ぎ、平定された。
  (1895年5月24日の翌日に、出発していた)
  清国側も、再度、日本との戦争が再発されることを恐
 れ、日本の予定通り、要求通り事は進すみ・・
  1895年6月2日、樺山資紀・初代台湾総督と清国との間
 で台湾授受手続きが終了した。
.
1895年5月24日、日本台湾総督軍部隊が宇品港を出発した。
.
1895年5月24日、関西鉄道が、名古屋駅~前ヶ須駅(現:弥
 富)間が開通した。
.

1895年5月25日、台湾民主国の成立宣言。
  台湾島民の反乱(氷川清話)
  台湾が、本格的に開発されたのは日本統治時代になっ
 てからであるが・・、
  1895年5月25日、日本への割譲反対を唱える漢人によっ
 て台湾民主国の建国の騒動が起きた。
  進駐した日本軍との乙未戦争に発展した。
  (参考)乙未戦争:いつびせんそう、下関条約によっ
     て、日本への台湾割譲が決まり、上陸した日本
     軍に対して清国の残兵や一部の台湾住民が抵抗
     し戦闘となった。
.
1895年5月26日、ウィリアム・ラムゼー卿がヘリウムの単離
 に成功した。
  (参考)ウィリアム・ラムゼー:1852年10月2日~1916
     年7月23日、スコットランド出身の化学者。
      1904年、空気中の希ガスの発見によりノーベ
     ル化学賞を受賞。
  1894年4月19日の夜、ラムゼーは、レイリー卿の講演に
 参加した。
  1892年、レイリー卿は、空気から酸素を取り除いて得
 た窒素の密度は化合物を分解して得られる窒素のそれよ
 りも大きい、という事実を「ネイチャー」誌に報告して
 いた。
  これは、空気中には酸素、窒素以外のものが含まれて
 いるという事を暗示していた。
  ラムゼーとレイリーは、講演後に話し合い、これを追
 究することにした。
  当時、アンモニアの合成を研究していたラムゼーは、
 高温でマグネシウムと化合させて窒化マグネシウムとし
 て窒素を取り除くことにより、空気中の不活性な重い気
 体を取り出すことに成功した。
  ラムゼーは、これを、同年1892年8月に、レイリーに知
 らせている。
  これをアルゴンと名付け・・、
  1895年に、レイリーと共に発表した。
  (参考)レイリー:第3代レイリ―男爵ジョン・ウィリ
     アム・ストラット、1842年12月13日~1919年6月
     30日)、イギリスの物理学者。レイリー卿。
      光の散乱の研究から空が青くなる理由を示す
     (レイリー散乱)、
      地震の表面波(レイリー波)の発見、
      ラムゼーとの共同研究によるアルゴンの発見、
      熱放射を古典的に扱ったレイリー・ジーンズ
     の法則の導出などを行う。
      このほか流体力学(レイリー数)や毛細管現
     象の研究など、古典物理学の広範な分野に業績
     がある。
      「気体の密度に関する研究、および、この研
     究により成されたアルゴンの発見」により、
      1904年のノーベル物理学賞を受賞した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国・人民元は・・通貨覇権を狙っている。
    アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
    しかし、実態は・・ただの紙切れ。
    その裏付けを保証するものは何もない。
    それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の
   振る舞い。
.
1921年3月3日、昭和天皇陛下が皇太子であられた時、6ヶ月
 間のヨーロッパ各国の歴訪がなされた(~1921年9月3日)
  1921年6月13日、第1次大戦のベルギーの激戦地イーペ
 ル(イープル)を訪問された。
  ここでイギリス国王に電報を送っている。
  「目前ノ風景ハ、(中略)『イープル戦場ノ流血凄惨
 (せいさん)』ノ語ヲ痛切ニ想起セシメ、予ヲシテ感激・
 敬虔(けいけん)ノ念、無量ナラシム」
  1921年6月25日、やはりフランスの激戦地ヴェルダンを
 視察なされた。
  「到るところに弾痕を留(とど)め、砲弾の破片、防
 毒マスク等がなお地上に残存する。
  付近に戦死者の遺族と思われる一婦人が、僧侶と共に
 柩(ひつぎ)を携え遺骨を収集する様子も一行の目に入
 る。(中略)
  皇太子殿下は、戦跡御視察中、戦争というものは実に
 悲惨なものだ、との感想を漏らされた。
  1921年7月7日には、現地紙にこんな談話を寄せられて
 います。
  「破壊せられたる諸都市、荒廃したる諸森林、蹂躙(
 じゅうりん)せられたる田野の景は、戦争を讃美(さん
 び)し、暴力を謳歌(おうか)する者の眼には如何(い
 か)に映ず可(べ)きか」
  ・・このご視察の時から、特に、後の、昭和天皇陛下
 は平和主義者となられた。
.
2004年7月、NHKの紅白歌合戦チーフプロデューサーが、
 制作費約2億円を横領し、実刑5年の判決を受けた。
.
2004年8月、NHKのソウル支局長が、不適切な経理処理で
 約4000万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの岡山局放送部長が、架空の飲食費名目
 で約90万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの編成局エグゼクティブプロデューサー
 とチーフプロデューサーが、カラ出張を繰り返し、約300
 万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの京都放送局営業職員が、約208万円を
 着服した。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  上記は、ほんの一部である。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2018年、中国・・人権を無視する国。
  「改革・開放」と美しく聞こえ、また、美しく見える
 表題を掲げてはいるが・・、
  やっていることは、個人の自由を認めないとか、差別
 の行為するなどなど・・だ・・、
  中国の資金を回すために、「計画だと称して無計画に」
 マンションをあちこちに建てている。
  資金回転の為だけで、「売れる見込みはまったく無い」。
  空室が、どんどん増えているのが現状。
  ものの見かたをそこで止めるのではなく、さらに奥深
 く見てみると・・
  誰も住まないマンションが建てられたその地で、平和
 に暮らしていた中国の民の方々が、そこに居たのだとい
 う事を思わなければならない。
  その為に、そこを追い出された人々は、流浪の民とな
 っている。
  政府の開発事業という「錦の御旗」で立ち退きをさせ
 られた人々は、僅かな補償で貧困層に転落する。
  持っていた農地も無くなる。
  ガラ捨て場で「売れるものを探す」人々となる。
  再度、移転を強いられる人々もいて、移転のたびごと
 に暮らしは悪くなる。
  移転させられ住んでいた所が、「違法だ」という烙印
 を押されると、頼りの補償もまったくもらえない。
  働く場を求めてその土地へ行くと、「所得が低い」と
 その都市から追い出される。
  この様に、仕事を求めて流入する人々が多いため、都
 市への流入・・都市の人口膨張が酷(ひど)くなる。
  都市への流入に、「大学卒で無いから駄目」などと差
 別的な事も行なわれる中国となっている。
  何が、「万民が公平な共産主義だ」なんだ??
  2014年には、2億5300万人が人口移動したと中国政府が
 発表した。
  農村も「再開発だ」と、農民の生活環境を改善すると
 いう名目は美しいが、その開発熱が皮肉にも農民に農地
 を失わせる・・「失地農民」と呼ばれる「かつて農民だ
 ったという人々が増えている」。
  北京郊外の大興区でも・・一つの村が消えた。
  2017年11月に、簡易宿泊所が火災になり19人が焼死し
 た時など・・中国政府は違法建築を壊し始めた。
  その様な場所は・・低所得の階層の方々の住む場所で、
 すべてが壊され、更地となった。
  密集し、肩よせ合って生活していた方々の住む場所が
 奪われた。
  その奪った場所は・・高さ2メートルの塀で囲われ、二
 度と家が建てられないようにされた。
  「流浪の民になるしかない」と元住民は語った。
  違法建築だからと「補償も無く追い出された」のだっ
 た。
  確かに、こんな政治が原因してて、都会へ流れるしか
 ない中国の民なのだが・・その貧困に苦しむ人たちが多
 く、北京の人口も2000万人を超えている。
  北京は水不足となり、交通渋滞となり、大気汚染も甚
 だしい。
  医療機関も機能マヒに陥(おちい)るという患者の殺
 到状態。
  北京に住むためには「多いポイント」が無ければ住め
 ないとして、「住む自由を取り上げた」。
  政府は、締め出しに躍起になっている。
  そして、政府は、あっちへ行け、こっちへ行けと、人々
 の住む自由を剥奪して指図している。
  知者は・・、
  「都市とは、その魅力にひかれ、人が自然と集まる場
 だ。
  人工的な人口分散が成功した例は国際的にもほとんど
 ない」・・と、政府のやることに批判的。
  また、中国の卑劣な事は、人口移動した人々に対し
 「教育の権利のはく奪をしている」。
.
2018年12月24日、中国が「技術移転」の強要を禁止した。
  この日に発行された読売新聞によると・・
  中国政府は23日、中国に進出した外国企業に対する技
 術移転の強要の禁止を明文化した「外商投資法」の草案
 を明らかにした。
  アメリカのトランプ政権の要求に応じて、法整備を進
 める姿勢を示し、貿易摩擦を早急に解消する狙いがある。
  23日から北京で始まった全国人民代表大会(全人代=
 国会)常務委員会に、政府が草案を説明した。
  国営新華社通信などによると・・、
  草案は、外国企業と中国企業の技術協力の条件につい
 て、「関係者が協議して決定するものであり、
  行政機関や職員が、行政手段を用いて強制的に技術移
 転させることはできない」と規定した。
  法にのっとって、外国企業の知的財産権を保護するほ
 か、
  外国の投資者が、中国で得た利益などは自由に国外に
 持ち出せるとしている。
  中国に進出した外国企業は、合弁先企業や地方政府か
 ら技術移転を強要されるケースがあるとされる。
  今月1日の米中首脳会談では、米国が今後の交渉項目の
 筆頭に掲げ、改善を求めた。
  日欧もこれまで批判を繰り返してきたが、中国は強要
 の存在自体を認めて来なかった。
  中国が、技術移転の強要禁止を法制化しても、実効性
 があるかどうか、見極める必要がある(下略)
.
2018年、中国は、日本を反面教師として・・
  日本は、第二次世界大戦で、情報戦で完全に、アメリ
 カに敗けていた。
  今・現代、中国は、それを教訓とするかのように、情
 報の戦略的優位を築こうとしている・・アメリカを駆逐
 しようとしている。
  そしてまた、かつてのアメリカのルーズベルト大統領
 の非情さと、狡知(こうち、わるがしこい知恵)さまで
 真似しようとしている。
  南シナ海を、屁理屈で埋めて、とうとう中国の軍事基
 地化してしまったのが良い例だ。
  かつては、日本も、そこに隙があった・・その様な日
 本を、中国は反面教師としている。
  第二次世界大戦を終わらせたいとする日本が、ソ連を
 和平の仲介者としてかなわぬ努力している日本に、その
 哀れささえある。
  情報が欠如しているから、日本は、ここまでされられ
 た。
  そして、悲劇な展開を、アメリカにされる。
  原爆の実験台にまでされるという日本となる。
  これに関連する記事が、2018年12月28日の読売新聞に
 記載されていた・・
  以下が・・その記事・・
  中国政府は、米国のGPS(全地球測位システム))
 に対抗して、独自開発を進めてきた衛星測位システム「
 北斗」が27日、全世界に向けたサービスを開始したと発
 表した。
  中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)など
 による次世代通信規格「5G]の技術覇権争いに続き、
 測位システムでも米国の優位さに挑む狙いがあるとみら
 れる。
  中国は、2012年から、アジア・太平洋地域を中心とし
 た約90ヶ国に北斗のサービスを提供してきた。
  全世界向けサービスはこれまで、20年までに開始する
 計画だったが、前倒しした。(中略)
  全世界にサービスを提供している測位システムは、米
 国の国防総省が31基体制で運用するGPSのほか、
  ロシアの「グロナス」や、欧州の「ガリレオ」があり、
 GPSが圧倒的な影響力を誇っているとされる。
  習近平政権は、中国とブラジル、ロシア、インド、南
 アフリカで作る新興5か国の枠組みで、北斗を利用した
 ビックデータの運用などにおける協力体制を提唱するな
 ど、北斗システムの普及を急ぎ、国際的な影響力拡大に
 利用する構え。
 ☆中国、データ集積加速・・米、警戒強める・・
  中国の測位システム「北斗」が、世界向けサービスを
 開始したことは、習近平政権の最先端技術開発に警戒を
 強める米トランプ政権が、対中強硬姿勢をさらに強める
 きっかけとなる可能性がある。
  米国の全地球測位システム(GPS)が先行して来た
 が、中国は軍事活動での米GPSへの依存から脱却する
 ために北斗の開発を進めた。
  一方、中国国内では、すでに、主要36都市の路線バ
 ス8万台、海上の管制設備2960基などが北斗を導入
 している。
  国内で販売されているスマートフォンの大部分も位置
 情報機能などで北斗を活用しており、民間への普及も進
 んでいる。
  測位システムは、位置情報を提供する一方、システム
 を運用する側も、システムを活用する機器の位置や移動
 に関する情報を収集する事が可能とされている。
  習政権は、国家ビッグデータ戦略を推進しており、携
 帯電話による電子決済などを通じ、国民の行動データを
 集積している。
  測位システムの情報も、こうした政府に利用されてい
 るとみられる。
  北斗を利用した製品はすでに、ロシアやインドネシア、
 アルジェリアなどの国で普及しつつある。
  今回の全世界向けサービスの開始を受け、中国は、北
 斗のさらなる市場拡大を見込む(全世界の情報を集め得
 る中国)
  さらに、将来的には、中国上空を飛行する国外の航空
 会社や、中国に輸出する外国企業の製品に対しても、北
 斗への対応が義務付けられるとの見方も出ている。
  今後、北斗のサービス拡大に伴い、国際的な懸念も呼
 びそう(ますます、中国だけにデーターが集積されてし
 まう)
 ☆ そして、2018年12月26日の読売新聞の「米国はどこ
 へ」の記事において・・
  ロバート・ケーガン氏(米政治史家、種々の大統領の
 下で要職を担った)は、以下の事を言っている(抜粋)・・
  「対中国、協調でなく競争」・・
  国際システムの自然な状態は、実は混乱と対立である。
  人間性の本質は、必ずしも民主主義の繁栄を導くもの
 ではなく、独裁国家に至ることもある。
  私は、その様な自然な状態を『ジャングル』と呼んで
 いる・・
  中国では、習近平国家主席に皇帝のように「全ての権
 力が集中している」。
  ロシアのプーチン大統領もそうだ。
  ドイツでは右翼が台頭している。
  もし、米国や民主主義国家が、彼らを押し返さなけれ
 ば・・彼らは成長し、増殖を続けるだろう・・
  米国もいつかは正気を取り戻すと思う。
  しかし問題なのは、その時には、世界を元に戻すには
 手遅れになっているかもしれないという事だ。・・
  米中は今や、競争関係にある。
  私たちは米中が協調に向かっていくという考えを「止
 めなければならない」。
  中国の野望と米国の目標は両立しない。
  中国は、地域の派遣国になることを望んでおり、日本
 を含む地域の国々に中国の支配的立場を受け入れさせた
 いのだ。
  米国は、中国がその目標を達成する障害となる。
  それが現実だ。
  したがって、どのようにその競争を管理するのかとい
 うことが課題となる。・・
  その際には、二つの点が重要だ。
  一つは、経済的に中国を締め付けようとするのではな
 く、彼らに成功する機会を与えなければならない。
  第二に、軍事的な選択肢を選べば彼らは敗けて、指導
 部が崩壊し、悪い結果になるということをはっきりと分
 からせなければならない。
  米国と日本は、軍事的な優位を維持し、中国が軍事行
 動に出る誘惑を持たないように努める必要がある。
.
2019年、中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけ
 ない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


by suba28 | 2019-01-02 04:15 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)

題:(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月24日、御前会議が開かれ、ロシア帝国、ドイツ帝
 国、フランスの三国の行なった干渉に対する処置方法に
 関し、討議がなされた・・、
  拒否案、列国会議検討案、妥協案の3つについて検討
 がなされた。
  要求された翌日のこの日、大本営の置かれていた広島
 で、急ぎ、御前会議が開かれた。
  伊藤博文総理大臣はが提議したのは・・
  (1)勧告を拒絶して戦うか、
  (2)列国会議を開いて遼東半島問題をその会議で処理す
   るか、
  (3)勧告を受け入れて恩恵的に清国に還付するか・・、
 の3案を提案した。
  討議の結果、第二案を採択した。
  しかし、舞子(神戸市)で、病気療養中の陸奥宗光外
 務大臣は・・、
  列国会議は、新たな干渉を誘発する危険もあるとして
 反対した。
  下関条約は、あくまで批准して、交換し、日本の面目
 と威厳を保つ・・、
  それとは別に、遼東半島の還付を考えるべきことを提
 案した。
  これに、伊藤も賛成し、天皇陛下の御裁可を得た。
  陸奥は、三国への回答を引き延ばすかたわら・・、
  イギリス、アメリカ、イタリアなどをして、ロシアら
 三国を牽制させる方策をとった・・そして・・、
  金州庁(遼寧省大連市に位置する)を除く遼東半島の放
 棄や、開港場の自由港化などの打開策を打診したが、も
 っとも頼りにしたイギリスが動かなかった。
  万策がつきて・・、
  1895年5月4日、日本政府は、遼東半島の放棄を決定し
 た。
  翌1895年5月5日、三国に通告し、
  1895年5月10日、天皇陛下が詔勅で、その旨を国民に告
 げた。
  1895年11月8日、日清両国は、遼東半島還付条約に調印
 し・・、
  日本は、還付の代償として庫平銀(こへいぎん)3000万
 両(テール)(邦貨4500万円)を受け取った。
  この様な遼東半島についての動きは、それまで、中国
 の周辺部分の侵略にとどまっていた列強の領土欲を刺激
 した。
  列強諸国は、中国の分割を、一気に、中国の中央部に
 まで広げた。
  三国による干渉は、中国を分割して奪い取る列強の公
 然たる争いの第一歩を始めさせた。
  日本は、三国干渉後、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」
 の声のもと、卑劣な対ロシアに備える必要を強く感じさ
 せた。
.
1895年4月28日、三宅米吉、小杉榲邨、下村三四吉らが考古
 学会を設立し、発会式が執り行われた。
  帝室博物館(現:東京国立博物館)を母体にして、当
 時、東京師範教授であった三宅米吉を中心とするもので、
  三宅起草の設立趣意書に・・
  「本会は、同志相集まり本邦考古学の研究に従事する
 ものにして、其の目的は、本邦歴世の風俗・利度・文物・
 技能を明らかにするにあり」とあった。
  当時、人類学会(東京帝国大学人類学教室が母体)が
 石器時代の考古学分野まで担っていた。
  考古学会は、弥生・古墳時代を中心とした。
  1896年、機関誌『考古学会雑誌』が発刊され、28冊を
      刊行し・・
  1900年、機関誌が3篇4号で終刊した。
      そして、機関誌は『考古』と改題されて1-7号
      を刊行した。
  1901年、機関誌が『考古界』と改題され、96冊を出し
      て8篇12号で1910年に一旦終刊した。
  1910年9月25日、『考古学雑誌』が創刊され、現在に
   至る。
  1941年1月、日本考古学会と改名。
      日本考古学会は、現在も、東京国立博物館に
      事務所を置き、雑誌発行を続けている。
.
1895年4月30日、閣議が、三国干渉の部分的受け入れを決議
 した。
.
1895年4月、北極点の到達
  ノルウェーの海洋探検家、及び、政治家のナンセンが、
 北極点に到達した(北緯86度14分)・・、
  1861年10月10日、オスロ郊外の農家の家に生まれた。
  1879年(18歳)スケートのスピード世界記録を破り、
   スキーも名手となる。
    オスロ大学で生物学を修める。
  1882年(21歳)ナンセンは、クリスチャニア大学で動
   物学を専攻し、この年、オットセイ猟船でグリーン
   ランド海に動物生態学調査を試みた。
    グリーンランド東海岸と西海岸を探検し、「エス
   キモーの生活」を著述した。
  1888年(27歳)北緯64度を越えて、スキーでグリーン
   ランドの横断に成功した。
    ゴットホープで越冬し、エスキモーの生活を研究
   した。
  1893年6月(32歳)特殊構造の船を造って、氷に凍結さ
   れたまま北極海を横断するという大胆な計画を立て、
   この年、実行に移した。
    13人の隊員を乗せたフラム号はオスロから出航し、
  1893年9月(32歳)シベリア北岸に沿いにノボシビルス
   ク諸島北方から氷に囲まれ、氷盤に乗って漂流を開
   始した。
  1895年3月14日(34歳)船の北進が止まった北緯83度59
   分から、
    ナンセンは、途中、F・ヨハンセンを伴って下船
   し、犬ぞりとカヤックで、北極探検に向かい、群氷
   に乗り上げたが、そりによって・・
  1895年4月8日(34歳)当時、前人未到の最北到達点の
   北緯86度14分に達し、北極地方が海洋であることを
   立証した。
  1896年8月(35歳)ノルウェーの帰国した。
  その後、学究生活に入り、オスロ大学動物学教授、海
 洋学教授を歴任、ロンドン駐在公使を務め・・
  第一次世界大戦中の捕虜送還、難民救済や戦後の平和
 処理や軍縮問題の解決などに貢献した。
  1922年(61歳)ノーベル平和賞を受賞した。
  1930年5月13日、没した(69歳)
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければならない・・
    まったく、のほほんとしている日本人・・
    心構えも、準備も、まったくしていない・・
    他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
    日本は心配だ・・
.
1945年6月22日、昭和天皇陛下は、常に戦争に否定的なお立
 場であられた。
  昭和天皇陛下が、この日、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳
 外相、阿南惟幾陸相、米内光政海相らの最高戦争指導会
 議の6名の構成員を前に、「時局の収束(戦争を終わら
 せる)ように・・」と求めた。
  しかし、この時、アメリカは、「原爆を試したい」と
 いう思惑から、日本の降伏条件を「なかなか示さないで
 いた」。
  ドイツが降伏しても、アメリカは、日本の降伏条件を
 示さなかった。
  さらに、沖縄戦が終息しても、一向に降伏条件を示さ
 ず・・、
  そして、1945年7月になって、やっと、アメリカは対日
 宣言をした。
  しかし、アメリカは卑劣だった。
  アメリカの態度はあいまいだった。
  正式な外交文書という形では示さず・・あいまいな発
 表の形をとった。
  だから、「日本が、正式に対応できない」というやり
 方だった。
  原爆の完成の時間稼ぎだった。
  アメリカは、日本が、完全に受け入れなければならな
 いという状況にあることを知っていて、その様な推移を
 させた。
  日本が受け入れに「動けない様な」入念な細工を行な
 った。
  それを示す一つが、アメリカの陸軍長官のスティムソ
 ンの原案には、天皇の地位保全があったが、その条項を
 削って宣言をした。
  そしてさらに、日本に、その宣言が正式の外交文書だ
 と思わせないように作成した。
.
1945年8月1日、アメリカの原爆投下の準備が完了する予定
 日が8月1日だった・・
  カルフォルニア大学教授の長谷川毅氏の本「暗闘。ス
 ターリン、トルーマンと日本降伏」で、原爆を投下した
 から日本が降伏したのではない・・、
  ソ連の参戦こそが、日本の降伏の決定的要因だ・・と、
 指摘している。
  アメリカの「100万人の兵士が、死なないで済んだ」
 というあり得ない「デッチ上げのプロパガンダ」を嘘話
 としている。
  「新兵器の効果を試す」という「悪魔の行為」を、ア
 メリカは、やったのだった。
  ソ連が参戦すれば、日本が降伏するという事を知って
 いたアメリカは、だから、しきりに、ソ連の参戦の日が
 知りたかった。
  アメリカ大統領のルーズベルトが、卑怯にも、ソ連と
 日本に中立条約があって、交戦しない取り決めが出来て
 いたのを、それを知りながら、ソ連をそそのかして、そ
 の条約を破棄して、「日本の領土を奪ってしまえ」とそ
 そのかした。
  それで、ソ連は、そのアメリカのそそのかしに、領土
 欲の強いスターリンは乗っかって、アメリカ言う通りに
 参戦するとアメリカに返事をした。
  そのようなソ連だった。
  しかし、そのソ連が、対日参戦をすると、日本が降伏
 すると知っていたアメリアは、その参戦の行なわれる日
 を知りたかった。
  日本が降伏する前に、原爆を完成させて、日本で試し
 たいからだった。
  1945年5月下旬、ルーズベルトは、個人特使のハリー・
 ホプキンスをモスクワへ派遣した。
  ソ連の対日参戦の「正確な日」を探るためだった。
  アメリカの原爆投下の準備完了予定日は、1945年8月1
 日だった。
  それ以前に、ソ連の大規模な機甲部隊が、一方的に条
 約を破って侵攻が始められたらまずい事になるからだっ
 た。
  アメリカは、アメリカ国民の方々の目を誤魔化して、
 原爆開発を進めていた。
  莫大な原爆製造のための支出をレスリー・グローブス
 管轄下の工兵団の予算の中に隠していた。
  アメリカ議会も承認しないで進められていた。
  その卑劣なやり方も、大問題化してしまう。
  巨額な資金を投入していた。
  アメリカ国民の方々は、当然、納得などしない卑劣な
 行為となってしまう。
  そして、アメリカは、ソ連参戦日を1945年8月8日だと
 知る。
  そして、広島の原爆投下を、その前日の1945年8月7日
 とした。
,
1945年8月15日、日本降伏の玉音放送がなされた。
  日本国民に向けてのに玉音放送に対し、支那派遣軍と
 南方軍は、これに抗議した・・
  連合国軍は攻撃を停止した・・
  しかし、アメリカ軍は、この日まで攻撃を続けていた・・
  日本国内では、鈴木貫太郎内閣が総辞職をした。
.
1945年8月28日、アメリカ軍のテンチ陸軍大佐以下150名が
 横浜に初上陸した。
  そして、横浜に、連合国軍本部を設置した。
  以後、全国で人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐軍兵力
 は最大で43万人となった。
  特殊慰安施設協会が設立され、各所に慰安所が設置さ
 れた。
  多くの日本女性が慰安婦にされた。
  そして、占領政策をする進駐したアメリカ軍の政策の
 一つが・・
  日本の主要鉄道網を支配下に置いた。
  東京、横浜方面の国電の先頭車両をRTO(進駐軍鉄
 道事務所)の文字と、白線を塗らせて、専用車両とし、
 日本人を乗せなかった。
.
1945年9月11日、GHQのマッカーサーが、東條英機らの
 A級だと勝手にランク決めをした戦犯容疑者の40人に逮
 捕命令を出した。
  東條英機、東郷茂徳、嶋田繁太郎、賀屋興宣、
  鈴木貞一、岸信介、岩村通世、小泉親彦、橋田邦彦、
  井野碩哉、村田省蔵、寺島健、上田良武、本間雅晴、
  黒田重徳、長浜彰、太田清一、鈴木薫二、徳田久吉、
  飛田時雄、長内茂、三浦宗一、竹内寛、
  ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一
  また、この日、外国人戦犯(15人)にも逮捕命令を出
 した。
  テイモン:日本占領中の駐日ビルマ国大使。
  アウンサン:ビルマ大使館付陸軍武官、ビルマ独立軍
   組織者。
  ホセ・ラウレル:日本占領下で独立したフィリピン大
   統領・・アメリカの卑劣さが出ている。
  ベニグノ・アキノ・シニア:フィリピン国民会議議長。
  ホルヘ・バルガス:駐日フィリピン大使。
  ワカタン・ウィチット:駐日タイ大使。
  マーヘンドラ・プラタップ:インド独立運動家、アリ
   アン義勇軍指導者。
  ハインリヒ・スターマー:駐日ドイツ国大使。
  アルフレート・クレッチマー:ドイツ大使館付武官・
   陸軍中将。
  ヨーゼフ・マイジンガー:ドイツ大使館付警察武官、
   逮捕後ポーランドに移送された。
  ジョシアス・パンディユンスト:ラジオ東京・オラン
   ダ語放送員。
  リリー・アベック:ラジオ東京・ドイツ人放送員。
  チャールズ・カスンズ:ラジオ東京・オーストラリア
   人放送員。
  ストリーター:東京ラジオ放送原稿係・アメリカ人。
  ジョン・ポーランド:上海ラジオ・オーストラリア人
   放送員。
  日本が、アメリカから解放したフィリピンの要職の方々
 が多く逮捕された(仕返し)。
.
1945年9月15日、東京・日比谷の第一生命相互ビル(現、D
 Nタワー21、第一・農中ビル)が接収された。
  占領軍の民間検閲支隊長が、同盟通信社の海外放送を
 禁止させた。
  そして、100%の検閲を実施すると表明した。
  (参考)民間検閲支隊:又は民間検閲局、もしくは、
     民間検閲部隊は、日本の占領期間に検閲を実行
     した機関。
      連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)配下の
     参謀第二部(G-2)所管下の機関。
.
1945年9月17日、マッカーサーが、東京の本部に入って、日
 本進駐が順調に行われたことから・・
  「進駐兵力は20万人に削減できる」と声明した。
  しかし、この発言は、アメリカの許可無く発言をして
 いて、トルーマン大統領の疑念を招いた。
.
1945年9月18日、鳩山一郎談話などをを掲載した『朝日新聞』
 が、GHQから発行停止命令を食らった(SCAPIN-34)。
  2日間の発行停止処分。
.
1945年9月21日、東京飛行場(羽田)を接収すると、GHQが
 命令した。
  それに伴い、GHQは、海老取川以東の住民に、48
 時間以内に立ち退けと「強制立退きを命令した」。
  3000名、1200世帯の緊急の強制立ち退きとなった。
.
1945年9月21日、GHQが、戦犯だとして2名を逮捕した。
  土肥原賢二、阿部信行
.
1945年9月22日、GHQが、放送規則を発令した。
  日本放送遵則 (Radio Code for Japan) を発令。
  放送に対する検閲命令。
  ラジオコード(SCAPIN-43)の指令。
  また、この日、アメリカ政府が、「降伏後ニ於ケルア
 メリカノ初期ノ對日方針」を発表した。
.
1945年9月24日、GHQが、「新聞界の政府からの分離」を
 命令した(SCAPIN-51)
.
1945年10月1日、GHQが、「連合国、中立国、敵国の定義
 に関する覚書」を通達した。
  朝鮮・台湾などが日本ではなくなった(日本国籍から
 の離脱)
.
1945年10月1日、アメリカで戦略諜報局(Office of Strategic
 Services)が解散した。
  (参考)戦略諜報局:1942年6月13日~1945年9月20日
     第二次世界大戦中のアメリカ軍の特務機関で、
     諜報機関。
      戦略諜報局、戦略情報局、戦時情報機関や特
     殊戦略部隊、戦略事務局、戦略任務局など多数。
      1941年7月に設立された情報調査局(COI)
     の後身で、後の中央情報局(CIA)の前身。
      ウィリアム・ドノバン少将によって設立され
     た。
.
1945年10月8日、GHQが、「自由の指令」をした。
  思想・言論規制法規の廃止、内務大臣らを罷免、特高
 の廃止、政治犯の釈放等・・思想・言論規制法規の廃止。

.
1945年10月9日、GHQが、新聞の検閲を始めた。
  GHQ(進駐軍)が、朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、
 日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して、事前検閲
 を開始した。
.
1945年10月11日、GHQが、五大改革と憲法改正を指令し
 た。
  女性の解放と参政権の授与、労働組合組織化の奨励と
 児童労働の廃止、学校教育の自由化、秘密警察制度と思
 想統制の廃止、経済の集中排除と経済制度の民主化を指
 示。
.
1945年10月22日、GHQが、「日本教育制度ニ対スル管理
 政策」を発令した(SCAPIN-178)
.
1945年10月22日、GHQが、戦犯だとして1名を逮捕した。
  安倍源基
.
1945年10月30日、GHQが、「教育及ビ教育関係官ノ調査、
 除外、認可ニ関スル件」を発令した(SCAPIN-212)
.
1945年10月31日、GHQが、軍国主義を唱える教員の追放、
 および、同盟通信社の解体を指令した。
  (参考)同盟通信社: 1936年1月に創立された。
     第二次世界大戦の終結時まで日本の最有力通信
     社であった。
      それまでは新聞聯合社と日本電報通信社(電通)とい
     う二大通信社が対立競争していたが、海外宣伝
     を重視した政府はその統合による有力通信社の
     設立を念願し、両社を統合、国内有力新聞200社
     と日本放送協会(NHK)を会員として設立し
     た民間の社団法人。
      このからみもあって、NHKは、戦争の加担
     放送に協力した。
      1945年9月14日、GHQは同社に即時業務停止
     を命令した。
      1945年10月31日、解散し共同通信社と時事通
     信社に分離した。
.
1945年11月6日、GHQが、財閥解体を指令した。
  戦争の経済的基盤になったとされる財閥を解体するこ
 とで、日本の経済支配体制の壊滅を目的として行われた。
  この政策よって、三井、住友、三菱、安田、富士の大
 財閥を解体すべきと指定した第一次財閥解体から・・、
  財閥参加の持ち株会社を解体した第五次財閥解体まで
 財閥の指定、そして、解体が行なわれた。
  合計およそ80以上の財閥が解体された。
  アメリカは、アメリカに無い日本の財閥の制度的特質
 を軍国的温床となったと見なし、持株会社の解体、財閥
 家族所有の株式の買い上げ、財閥家族の役員就任の禁止、
 商号使用禁止、企業規模の制限などを行った。
  財閥家族を社員とする持株会社を頂点として、傘下企
 業に対する株式所有、および、役員兼任の組合せによっ
 て形成される状態が気になって行った措置。
.
1945年11月19日、GHQが、戦争犯罪人だとして逮捕を指
 令した。
  これによって、松岡洋右・小磯国昭ら主要な大臣や軍
 上層部など11人が逮捕された。
  荒木貞夫、小磯国昭、松岡洋右、松井石根、南次郎、
 白鳥敏夫、本庄繁、鹿子木員信、久原房之助、葛生能久、
 真崎甚三郎
.
1945年12月2日、GHQが、戦争犯罪人だとして59名を逮捕
 した。
  軍の高官だけでなく、政界、財界など広く逮捕者が出
 た。
 畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、大川周明、
 佐藤賢了、鮎川義介、天羽英二、安藤紀三郎、青木一男、
 有馬頼寧、藤原銀次郎、古野伊之助、郷古潔、後藤文夫、
 秦彦三郎、本多熊太郎、井田磐楠、池田成彬、上砂勝七、
 池崎忠孝(赤木桁平)、石田乙五郎、石原広一郎、
 河辺正三、菊池武夫、木下栄市、小林順一郎、小林躋造、
 児玉誉士夫、松阪広政、水野錬太郎、牟田口廉也、
 長友次男、中島知久平、中村明人、梨本宮守正王、
 西尾寿造、納見敏郎、岡部長景、大倉邦彦、大野広一、
 太田耕造、太田正孝、桜井兵五郎、笹川良一、下村宏、
 進藤一馬、塩野季彦、四王天延孝、正力松太郎、多田駿、
 高橋三吉、高地茂都、谷正之、徳富猪一郎(徳富蘇峰)、
 豊田副武、津田信吾、後宮淳、横山雄偉
.
1945年12月6日、GHQが、民間人を戦争犯罪人だとして
 逮捕した。
  近衛文麿や木戸幸一など民間人9人に逮捕命令を出した。
 木戸幸一、大島浩、近衛文麿、酒井忠正、大河内正敏、
 緒方竹虎、大達茂雄、伍堂卓雄、須磨弥吉郎
.
1946年3月16日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕
 した。永野修身
.
1946年4月7日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕し
 た。岡敬純
.
1946年4月29日 GHQが、天皇誕生日のこの日を選んでA
 級とランク付けした戦犯と称せられた人々29名を起訴し
 た。
  また、この日、GHQは、戦争犯罪人だとして2名を逮
 捕した。梅津美治郎、重光葵
.
1946年5月3日、板垣 征四郎(いたがき せいしろう)陸軍
 大将が、第7方面軍司令官としてシンガポールで終戦を迎
 え、イギリス軍に身柄を拘束された。
  その後、連合国によりA級戦犯だと指定され、極東国
 際軍事裁判開廷初日の1946年5月3日に、空路で東京へ移
 送された。
  裁判において、確定訴因10項目の内8項目を挙げられ、
  訴因1では「1928年~1945年に於ける戦争に対する共通
 の計画謀議」を、
  訴因29、31、32ではアメリカ・イギリス・オランダに
 対する太平洋戦争の遂行を、
  他に、中国、ソ連、シンガポールにおける罪を問われ
 た。
  (これらは、国際法では罪にできないが、無実の罪に
 された)、
  そして、死刑判決を受けた。
  1948年12月23日、絞首刑が執行された。
.
1948年12月23日、木村兵太郎陸軍大将が、東京裁判の判決
 によって絞首刑が執行された。
  辞世の句は・・、
  「現身はとはの平和の人柱 七たび生まれ国に報いむ」
  「平和なる国の弥栄祈るかな 嬉しき便り待たん浄土に」
  「うつし世はあとひとときのわれながら 生死を越えし
   法のみ光り」
  死刑判決の下されが理由・・
  第3次近衛内閣・東条内閣で、東条陸軍大臣の下で次
 官を務めていたこと・・
  (この部署にいただけで権力を握っていたと見られて
 しまった)
  連合国は、日本の陸軍次官職について、自分の国の様
 に考えてしまい、欧米並みの政治的権限を持つと見てし
 まった。
  実際以上に、その権限を過大評価されて、死刑にする
 理由が薄弱であるのに、無実の罪にされてしまった。
  また、この日、武藤章陸軍中将が巣鴨プリズンで絞首
 刑が執行された。
  東条英機と対立して皇道派の山下奉文大将の部下に転
 じるくらいの人だったが、死刑にされてしまった。
  1944年10月に、第14方面軍(フィリピン)の参謀長に
 就任し、これは、第14方面軍司令官に任命された山下奉
 文の希望によるものだった・・その経緯で、フィリピン
 の地で終戦を迎えていた。
  東条英機氏は、武藤氏に「巻き添えにしてすまない。
 君が死刑になるとは思わなかった」と言ったという。
.
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が、この日に、
 署名されたが・・?
  日本は、当然ながら主権を持った国家である。
  国際法は、主権を持った国家は・・、
  自分自身で『正義を決める体系を持つことができる』
  自分自身で『正義を決めることを認められている』と
 ある・・当たり前である。
  当然である。
  「これが正義だ」なんて、他国から押し付けられたら、
 たまらない・・、
  主権を持った国家が、どこの国からでも、他の国から、
 「それは駄目ではないか、止めなさい」・・なんて言わ
 れたらたまらない・・
  国際社会、当然、その様に言われることはない・・
  当然、他の国も、第三国へ押し付ける事も出来ない・・
  この様に、国際法は決めている・・、
  また、逆に・・、
  「これが良いのだから、正義だから・・やりなさい」・・
 などとは言われない・・
  この様な事が・・国際法には認められている。
  主権を持った国家は、自国の考えで・・自主的に、自
 分で良いと思えることを、正義と思えることを決める事
 が出来る。
  当然の当然である。
  サンフランシスコ講和条約の時、この条約の11条に、
 「日本は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決を受諾し」
 という一文がある・・、
  そして、この文が言わんとした事は・・、
  この文の後に・・「刑を執行する」とある。
  この時に、刑に服していた人に関する判決の執行方法
 についてのみ、日本は受け入れるという意味である。
  (因みに・・、
  東京裁判で、死刑判決を受けた日本人のうちの一人・
 東条英機氏の刑が執行されたのは、1948年(昭和23年)
 12月23日)だった・・そして・・、
  サンフランシスコ講和条約は、1951年4月28日の署名で
 あるから・・
  つまり、アメリカは、主権国家の日本の「承諾なし」
 に、日本人・東条英機氏の死刑を執行してしまっていた・・
  日本の国家としての主権を犯す条約文となっている・・
  国際法上、要求してはいけない条文である・・
  英文の条約文でも、その様になっている。
  東京裁判による「その時代の解釈のすべて」「その正
 義」を受け入れよとは、なっていない。
  その様なところまでは、主権を持った日本へ押し付け
 る事は出来ない。
  国際法に則(のっと)った「東京裁判の判決を受諾し、
 刑を執行する」という「刑の執行」の受諾なのである。
  刑の執行を「するかしないか」は、独立した後の日本
 の判断で行なうべきなのである。
  条約の『正規』の文である英語文の条約文は、その様
 になっている。
  必ずしも、刑に処せられなくてもよい方々が、刑を執
 行されてしまった。
.
2018年12月22日、【討論】中国経済は本当に崩壊するのか?
  [桜H30/12/22]
  https://www.youtube.com/watch?v=wySjAIDCTg4
  パネリスト:
  川島博之(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)
  澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
  田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
  福島香織(ジャーナリスト)
  松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
  宮崎正弘(作家・評論家)
  渡邉哲也(経済評論家)
  司会:水島総
  内容・・
 ・来年(2019年)リーマンショック以上の中国発の経済
  ショックが起きる。
 ・中国に通信分野の覇権を握らせない・・どうすればよ
  いか?
 ・通信利権の取り合いが始まる。
 ・5Gはハーウェイが握っている。
 ・アフリカが中国に牛耳られるのを、ヨーロッパは許さ
  ないだろう。
 ・中国の方たちは、共産党権力とつながりを「持つか」
  「否か」で人生が決まってしまう。
  しかし、だから、皆がつながりを持つかというと・・
  事をよく知る方々は、だからこそ、繋がりを持たない
  という方々もいる・・
  その様な権力なのだと見る人たちもいる。
 ・中国で、東大留学が重く見られなくなっている。
  雲の様な幻想の状態になっている。
 ・AI監視社会となっている中国。
 ・日本は、中国人留学生を優遇し、呼ぼうとしているが、
  アメリカは逆である・・1年の許可年限と短くした・・
  そのため、中国人留学生が卒業もできなくなっている。
  (スパイもどきと見られているから?)
 ・だから、一旦、中国に帰国したら、再入国をさせない
  ようにしているアメリカとなっている・・それは、ス
  パイとなっての再入国の可能性が高いと見ているから・・
 ・北海道の帯広に、広大な土地を中国は買った・・中国
  への輸出用の野菜作りをし始めている。
  あたかも、中国の植民地の様な状態となっている・・
  行けども行けども中国の土地という状態となっている・・
  そして、何故か? その中国の土地が、自衛隊基地の
  周りが・・その様な状態になっている。
 ・理系の中国人留学生は、そのほとんどがスパイと言わ
  れている。
 ・遣唐使は、皆、日本に帰って来た・・しかし、唐から
  の遣日使は、中国には帰らなかった・・日本が素晴ら
  しいから住み付いてしまった・・遠い昔から、日本は
  その様な国だった。
 ・ウイグル学生が留学しにくくなっている・・されてい
  る。
  また、日本に来たウイグル留学生は・・中国へ帰国す
  ると拘束される・・
  そのため、帰国しにくい状態になっている・・帰国し
  たくないという状態になっている。
  その様な時に、親が「スパイになれ」と言って来る。
  「親に圧力がかかっている」ということを、必死に訴
  えて来る。
 ・東京大学の学生の1割が、中国留学生となっている。
 ・ITの優秀教授が特に狙われている。
 ・足跡を掴まれない様に、行動を掴まれない様にするた
  めにパスポートは何通も出している・・所持している。
 ・NHKは、何の経緯(いきさつ)があるのか?・・何
  か中国に借りがあるのか?・・国会の審議の総べてを、
  委員会の審議の動画を(放送されない分も含めて・・
  すべての物を)を中国へ渡している。
  中国の日本の政治家への圧力が強いと言われているが、
  この様なデーターがあるからと考えられる。
  日本の政治家が、中国寄りになっている原因の根本に、
  この様なNHKの行為が存在している。
  NHKのスパイ行為である。
  国益を損なう行為をしているNHK。
 ・次世代5G技術の争奪戦が熾烈化している。
  いずれ世界はAIで二分割する。
  アメリカと中国は、それぞれが別個のAIスペースを
  形成する。
 ・中国は、技術をアメリカから盗んでいるが、潰れたド
  イツの会社を買ったりもしている。
  台湾系の技術も盗んでいる。
  5倍の給料で引き抜くこともしている。
  これで、ほとんどの優秀な技術者が中国へ行った。
  その様な金のない日本企業・・それができない日本。
  デジタル・エコノミーは完全に日本は追いつけなくな
  ったという・・
  「完敗しました」という日本の状態だという。
  しかし、状況の流れは、中国はまずい状況を作ってい
  る・・その戦いはアメリカが勝つだろう。
  鄧小平の時は夢があった・・しかし、習近平の今は夢
  が持てない・・
  今、アメリカは、徹底的なぶっ潰しにかかっている。
 ・人民元は、ドルで補償がなされ、そして、できた・・
  しかし、今は、その状況が崩れてきている・・
  中国は、悪性インフレとなる・・そして、クラッシュ
  が起きる
 ・それを、日本は座視できない・・日本が一番影響を受
  ける。
 ・中国はバブルが崩壊すると言われて来たが、いよいよ
  始まる状態・・
  また、社会に不満が蓄積されている・・習近平の権威
  が低下してきている・・
 ・事実上崩壊している多くの中国・国有企業に人民元が
  大量に融資されている・・崩壊隠しがなされている・・
 ・不動産が売れないので、資金が回らなくなっている・・
  市場も縮小されて来ている・・
 ・データー覇権の争いが起きている・・
  暗号通貨を作ろうとしている中国・・
  ドルの通貨経済圏を乗り越えるための行動なのだ・・
  その時、日本はどうするのか?
  今、これの、水面下の争いが起きている・・
 ・アメリカは、台湾の防衛シフトを敷いている・・海兵
  隊も入っている・・台湾の方々は、これで中国の武力
  侵攻が無くなったという話も出ている・・
 ・人民解放軍(300万人)と武装警察が強い中国。
  しかし、この組織の天下り先の国営企業が景気が良く
  ないので、退役軍人(5700万人)のデモが起きている。
  ものすごいデモだった・・
  デモができるまでに支援したグループも存在している・・
  習近平は人民解放軍を掌握していない・・
  退役軍人の行き先が無い・・30歳代で退役しても良い
  働き場所が無い・・その不満が蓄積している。
 ・中国の外貨準備は減っている。
  そして、チャイナ・プレミアムが付けられる状況にな
  っている。
  中国株式はどんどん下がっている。
  来年(2019年)、世界にグローバル不安が増す。
  輸出主導型経済の日本は打撃が大きい。
 ・ゴーン・ショック・・
  事件の背後にある国家戦略と世界経済の行方・・
  ファーウェイ問題も米中対立・・
  英EU離脱も全部つながっている!
 ・現在の米中対立いざこざによって、グローバリズムの
  基礎要件が完全に壊れた。
 ・中国の国際法を守らない行動によって、世界的な、グ
  ローバルな行動がとれなくなっている。
  世界は二分化されていく・・陣営作りが始まる・・そ
  こに痛みが生じる・・
  一方、巧妙な脱税集団が問題化されて来て、暴(あば)
  かれて来ている。
  今までの、この世界の、グローバルな動きの中で巧妙
  に稼いで来たのが中国・華僑・・そして、レバノン人、
  印僑・・ユダヤ・・
 ・ソフトバンクも怪しい・・有利子負債が18兆円・・利
  払いはソフトバンクに頼っている・・
  ファーウェイ問題で、そのビジネスモデルが怪しくな
  っている・・
  ファーウェイ問題で、ファーウェイ製品を全部外すと
  孫さんが言わざるを得なくなっている・・日本人達よ!
  損をする可能性が出て来ている・・
 ・今、最先端の5Gの考え方に、日本の政治家たちが付
  いて行けなくなっている・・
  これから来る未来に、付いて行けない恐怖感が存在す
  る・・
  中国は一つのポジションを占めている・・日本はどう
  するのか?・・それは緊急に考えなくてはいけない課
  題・・世界的トレンドのブロックチェーン革命に、日
  本の存在を示せ・・
 ・アメリカ・ドルの裏付けは石油と穀物・・
  その様な裏付けのない中国の人民元・・ただの紙切れ
  状態・・金本位制が破綻したのは、金の量の上限があ
  るから・・
  中国が、仮想通貨で延命できるかは怪しい?・・
 ・日本がやるべき大切なことは、日本にある個人情報を
  持って行かれないようにすること・・
  日本は、決裁システムに中国系のアリババなどを入れ
  ないで、日本独自のものにするべき・・
  白物家電で、日本が失敗したように、日本の最先端技
  術はファーウェイなどへ持って行かれない様にする・・
  だから、中国で物を作る様な事をしない・・
  「技術内容を明らかにせよ」という中国は駄目だ・・
  また、「中国から資本を持ち出せない」という問題点
  のため、中国の日本企業に、内部留保の金が溜まって
  いる。
  日本は、これを打開する仕組みづくりをするべき・・
  これをしないと、近々迫る中国のはじけた時に、今ま
  での努力が水の泡となる・・
  はじけるのは秒読み段階?・・中国で一番はじける心
  配な所は、上海、深圳、広州、北京あたりで一斉には
  じける・・
  中国政府は、一斉にはじけさせないという検討をして
  いるくらいの状況・・
 ・だから、輸出主導型の日本経済を進めて来て、消費税
  を上げるというのが一番まずいこと・・
  やれば、最大の失敗になるだろう・・
  日本側で出来る事は、この消費税の問題だけ・・
  できたら、逆に、消費税のパーセントを低くして行け!・・
  財政赤字の嘘をもう言うな!・・
  リーマンショックの時に、日本が一番打撃を受けたが、
  その二の舞となる・・
 ・中国がガタガタになると、世界の貿易が縮小する・・
  そして、日本が打撃を受ける・・
  中国・人民元の大暴落が起きて収束するしかない・・
  裏付けのない人民元が元に戻る・・紙切れ状態に・・
 ・日本は減税策を検討して行け!
 ・中国が、かなりやばい所に来ているのは真実・・今ま
  での歴史の様に、急に変わる中国となる可能性がある・・
  それに、的確に対応することが日本の課題・・対応を
  誤らないのが日本の課題・・
 ・中国は、資金を国外に出せない様にしているが、それ
  をしなかったら、一斉に資金が引き上げられて、中国
  の息の根が止まる・・
  その様な状況に、今はある・・
 ・中国には、ゾンビ企業と言われている企業が2000社あ
  る・・
  ゾンビ企業(ゾンビきぎょう)とは、経営が破綻して
  いるにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
  存続している企業・会社のこと・・
  中国・国有企業ととすると1社あたり5万人、2000社な
  ので1億人、その家族を考えると4億人・・この人たち
  のために中国は、人民元を刷らなければならないとい
  う中国の今がある・・中国のアキレスけんとなってい
  る・・
 ・今、日本は、日本の技術で「独自の情報技術を作るの
  だ」という決意を固めなければならない時だ・・
  ブロックチェーン化も進める・・
  アメリカや中国がどう出ようが、この道を進めて行く
  べき・・
 ・日本のリスクは、政治家や経営者に中国が見抜けてい
  ないところ・・そして、判断が後手に回っていること・・
 ・中国に居る企業は、早く逃げるにかぎる・・
 ・中国の、ある程度の地位のある人は、7つ8つのパス
  ポートを持っている・・それは、いざという時に、動
  けなくなるリスクを回避するためにそのようにしてい
  る・・
  この様にしているのは、中国のスパイだけではない・・
  中国では当たり前のこととなっている・・
  長年、中国でやって来た日本の企業の人たちも、その
  事を知っていて、複数のパスポートを持っている・・
  その様な日本人が、いっぱいいるという常識・・
  来年(2019年)は、クエスチョンの年になるのか?・・
 ・中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければ
  ならない・・
  まったく、のほほんとしている日本人・・
  心構えも準備も、まったくしていない・・
  他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
  日本は心配だ・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


by suba28 | 2018-12-29 04:16 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)

題:(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月17日、日清講和条約が調印された。
  日清戦争での日本勝利を受け、下関条約が締結された。
  日清戦争は終結した。
  日清戦争動員兵力:12万人、
  戦病死:17,000人、
  軍事費:2億3000万円。
  清大使・李鴻章馬関に来たり講和成る(氷川清話)
  勝海舟は、遼東新領土に対する画策をたてて、一、二、
 意見を示す。
  後三国干渉のこと起る、物議騒然(氷川清話)
  下関条約の内容・・
  一、清国は、朝鮮が独立国であることを認め、承認す
   る。
  二、遼東半島・台湾・澎湖島を譲り渡す。
  三、清国は賠償金として二億両(約三億円一千万円)
   を日本に支払う。
  四、沙市・重慶・蘇州・杭州の港を開き、開市し、日
   本が自由に産業活動に携わる事が出来ることを認め
   る。
  台湾を譲り受けた日本、当然、台湾は、清朝から日本
 の統治下に入り、台湾には台湾総督府が置かれた。
  そして、政策として、台湾製糖が設置されたりして、
  また、民間から、大日本製糖などの製糖会社ができ、
 日清汽船(大阪商船)などの水運会社が、上海航路を結
 んだりして、台湾は、経済的に潤って行く。
  しかし、この下関条約が結ばれて後、日本は、アジア
 に出てきた黄色人種として「出る杭は打たれる」となっ
 て行く・・
  日本は、日清戦争に勝ったからと言って、アメリカや
 ヨーロッパの様な「自分の国が利益が得られれば良い」
 という利己的な条約を結んだのではなかった。
  日本は、朝鮮の事を思い、「中国・清は、朝鮮の独立
 を認める」という条項を約束させた。
  中国・清の「冊封体制を止めさせる」という事を約束
 させた。
  また、これまで・・問題となっていた台湾や、遼東半
 島を、日本は金を支払って譲られるという決着をした。
  アメリカが『アラスカを、金を出して領有した」様に・・、
 奪ったのではない・・
  日本は、当時の3年間分の財政収入に相当するという
 『大金を、中国・清へ支払った』・・
  これまでのアメリカやヨーロッパ諸国は、敗戦国から
 奪い取ったが、日本は、3億円(2億両)を支払った。
  当時、清は、「眠れる獅子」と言われ、その底力は恐
 れられていた。
  海軍力においても、清国の方が大きな軍艦を持ち、ま
 た、隻数も、日本を上回る艦数を持っていた。
  世界の予想は、完全に「日本が敗けるだろう」だった。
  しかし、新興の日本は、清に勝利した・・
  清が日本に敗けると、列強諸国のアメリカやヨーロッ
 パ諸国は、さらに清を侵食し始めた・・清を餌食とした。
  清は、分割の対象となった。
  日清戦争の後でも・・日本の立場は・・まだ、アメリ
 カやヨーロッパ列強の諸国から軽んじられていた。
  幕末以降から続く「弱小国・日本の状態だった」。
  そして、戦勝国・日本に、遼東半島返還の圧力がかか
 って来る・・三国干渉が起きた。
  ロシアが、ドイツとフランスを誘って、日本へ圧力を
 かけて来た・・三国の強烈な軍事力をちらつかせた。
  『町のあんちゃん』の様なやり方だった。
  日本は、清と一対一で対決した「武士の世界」だった。
  いつもやる欧米列強の様な、卑怯なグル(悪事を企て
 る仲間)に「つるむ」ようなことは、「日本はしない」。
  しかし、東アジアの欲しいロシアは、ドイツ・フラン
 スとグルになって三国干渉の圧力を日本に加えた。
  日本は、遼東半島を清へ渡した・・清は、金を日本へ
 返還した(当然)。
  そして、列強諸国は、清を蝕(むしば)んで行く。
  ロシアの領土欲は強烈だった・・朝鮮へも手を伸ばし
 て行く・・
  ロシアは、強力な軍事力を、この地域に展開し、拡大
 して行く。
.
1895年4月17日、播但鉄道(ばんたんてつどう)が、長谷駅~
 生野駅間、および、姫路駅~飾磨駅(現:飾磨港)間を開
 通し、生野駅~飾磨駅間が全通した。
  播但鉄道は、現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)播但
 線の大部分、飾磨(のち飾磨港)~新井を建設、運営し
 た日本の私設鉄道であった。
  兵庫県の播磨地方と但馬地方を結ぶ鉄道として建設さ
 れたが、山陽鉄道に路線及び附属物件が譲渡され、山陽
 鉄道の国有化と同時に官設鉄道の一部となった。
.
1895年4月23日、三国干渉
  ロシア帝国、ドイツ帝国、フランスの三国が、東洋艦
 隊の武力を背景にして、遼東半島の返還を要求するとい
 う対日干渉をした。
  まったくの内政干渉の仕業(しわざ)。
  遼東半島は戦略的にも重要な位置を占めていた。
  三国の大義名分は、アジアの平和を危うくするだった。
  いつも列強は、この様な表面的に美しいだけの言いた
 い放題を言う。
  本当は、ロシアが中国に地歩を固めたい、遼東半島は
 ロシアが欲しい、不凍港が欲しいのだ・・だった・・
  遼東半島を日本が占めたなら・・日本が「目の上のた
 ん瘤」になる・・だった。
  そして、日本が遼東半島を返還したら、案の定(あん
 のじょう、思った通り)、ロシアは遼東半島を中国に要
 求し、ドイツは山東半島を要求するというあさましい(
 ひどく嘆かわしい状態のこと)ことを行なった。
  ドイツ・フランス・ロシアの公使が、アジアの安定を
 乱すとして、遼東半島の清国への変換を要求し、当時、
 満州への鉄道建設を目指していたロシア政府は、遼東半
 島(リヤオトン)領有の放棄を日本に言い・・、ロシア
 との同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方向を極
 東にそらすことをねらっていたドイツもこれにならった。
  さらに、ドイツは、ロシアとイギリスとフランスの協
 調に取り残されることを恐れて共同行動をとった。
  日本の国力では、この3国に対抗できないので、同1895
 年5月5日、これを受諾した。
  その結果、日清間に遼東半島還付条約が締結され、日
 本は譲渡取得をしていたので、返金がなされた。
  必死に努力をして国を富ませ、米欧に追い着きたいと
 やってきた日本・・日清戦争となったが・・、
  この間まで、アジアの遅れた小国・日本が、この様な
 事態になると・・、
  東アジアで美味しい汁を吸いたいという列強諸国は、
 黙っていなかった。
  強力な軍事力で、日本を脅しながら、また、卑怯な事
 にグルとなって、日本へ「いちゃもんを付けてきた」。
  ロシア・ドイツ・フランスの三国の言い分は・・、
  「遼東半島まで清国から得る」のはおかしいじゃない
 か?という言い方だった・・「清国へ返しなさい」と・・
  弱い者に対して、好きに言いたい事を言う国々いだっ
 た。
  有色人種の日本が、『白人のマネはするな』の気持ち
 だった。
  そこに、キリスト教の「有色人種蔑視」のマインド・
 コントロールがあった。
  列強に、日本を馬鹿にする視点が残っていた。
  そして、なんと、その2年後に、遼東半島のその地を
 ロシアは手に入れた・・日本にとって屈辱的な事だった。
  弱小国の悲哀を味わう日本だった。
  当時の日本国民の方々も、この屈辱に歯ぎしりしてい
 た。
  日本は、幕末以来、中国や朝鮮に、欧米列強の諸国の
 侵略に共同して対処しようと言って来ていた。
  急速に力を付けた日本・・日清戦争の、まさかの日本
 の勝利だと世界は思っていた・・
  自分たちがおいしい汁を吸っている中国の領分に入っ
 て来た新参者にいちゃもんを付けた。
  条約をきちんと、日本と清の間で結び、合意された下
 関条約・・その条約に基いて・・約定(やくじょう、約
 束して定めること)して・・日本に渡った遼東半島を・・
  おい!それはよせと・・くちばしを入れた・・
  ロシアの思惑があった・・ロシアは大きな欲をかいた。
  ロシアは、満洲と中国北部の支配権を拡張したいと目
 論んでいた。
  また、それと並行して、欲張って、朝鮮へも影響力を
 拡大したいと思っていた。
  ロシアの言い分は・・筋が通らないが・・朝鮮は、ロ
 シアのウラジオストクに近いため、ここを他の列強に抑
 えられると、ロシアが圧迫されて怖いのだ・・という理
 屈・・そして、その可能性を防ぎたいと・・
  また、ロシアは・・日本という国が、朝鮮と対馬の両
 岸を抑える事態になれば、中国の旅順港とロシアのウラ
 ジオストク港を結ぶシーレーンが危機に晒されるという
 ロシアの言い分があった。
  中国のおいしい汁を安心して運べないのだよ・・と、
  しかし、朝鮮半島をロシアが占領すれば、圧迫される
 のは日本も同じだった。
  そして、日本の恩を受けた朝鮮が、なんと、この三国
 干渉の影響から、『反日となり』また『親露となった』・・
 その様な勢力が台頭して来た。
  そして、また、朝鮮国王の高宗が、ロシア軍の朝鮮進
 駐を希望するようになった・・
  そして、1896年2月には、ロシア大使館へ駆け込んだ。
  この状況を解決するために努力がなされた。
  日本とロシアの間で、『山縣・ロバノフ協定』が締結
 された。
  日本とロシアは、対等の関係で朝鮮に接して行こうと
 いう合意がなされた。
  しかし、ロシアは強硬策に出た・・
  1897年、ロシアは、旅順・大連を占領した。
  当然、日本は、強硬行動をとるロシアが、この様な行
 道を、朝鮮半島でも行なうだろうと恐れた。
  実際、ロシアには、朝鮮半島への進出を本格化する恐
 れがあった。
  日本は提案した・・「朝鮮半島を日本が管轄し、満洲
 をロシアが管轄する」・・と・・
  しかし、ロシアからは相手にされなかった(すでに、
 満州はロシア軍だらけだった)
  この頃、朝鮮半島に接する鴨緑江沿岸(朝鮮と満州の
 境を流れる川)では、アレクサンドル・ベゾブラーゾフ
 らのロシア貴族が・・、
  朝鮮半島北部にロシアの橋頭保を築く目的で、伐採事
 業を開始していた。
  (朝鮮戦争の時も、共産中国軍は、朝鮮半島に流れ込
 もうとこの地域・鴨緑江沿岸に大部隊を集結した様に)
  ベゾブラーゾフは、ロシアは偉大な大国であるので、
 強硬姿勢をとって当たり前であり、東洋人ごときに生意
 気を言われる筋合いはないという信念を持っており・・、
  蔵相ヴィッテの対日融和政策を毛嫌いし・・、
  「大臣たちは、皇帝陛下に正しい情報を提供せず、陛
 下に自分たちの考えを押し付けている」と批判した。
  これは、ニコライ2世にとっても耳に心地よい意見だっ
 た。
  ニコライ2世は、このベゾブラーゾフを強く信頼するよ
 うになり、対日強硬姿勢を強めて行った。
  因みに、ベラーゾフは、この翌年の1896年に、日本と
 の開戦の必要性を唱える嘆願書を、ロシア皇帝ニコライ
 2世へ提出している・・この様な人だった・・、
  また、ニコライ2世は、「黄色い猿」と日本を侮蔑する
 ような皇帝で・・、
  ロシアがどんなに強硬路線を取ろうと、「日本に、ロ
 シアと戦争する勇気などあるばずがない」としていた。
  また、「ロシアが、自分が望まない限り、日露の戦争
 にはならない」と考えていた。
  また、「ロシアの強硬な圧力を受けて、日本が旅順か
 ら撤退した1895年を思い出す」などとも言ったり、
  「どっちにしても日本は野蛮な国だ」などとも言った。
  ベラーゾフは、強硬派で、イギリスの東インド会社の
 ような組織を設立して、『朝鮮半島と満州における権益』
 を確保して、それらを強制的に征服すべしとした。
.
  (今日の言葉)
.
  題:問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
    米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題ではなく・・
    アメリカの存亡の危機の安全保障上の問題。
.
1932年10月2日、リットン報告書が公表された。
  正式書名は、「国際連盟日支紛争調査委員会報告書」
  調査団は、イギリスのヴィクター・ブルワー=リット
 ン伯爵を調査団長とした。
  内容は、中国の最近の発達の概観、つまり、清の没落
から書き起こし、共和国の出現、その後の内乱、国民党の
結成、共産党の跋扈を詳述し・・
  次に、満洲国について述べている・・すなわち、中国
 が満洲に無関心であり、満洲の今日の発展は日本の努力
 による旨が述べられ・・
  張作霖、および、張学良時代の政情からロシアと中国
 の紛争等におよんで述べられ・・
  日本と中国の両国間の満洲に関する諸論点・・すなわ
 ち、日本の特殊性を認識して、日本の満洲における権利
 を説明したりしている。
  リットン報告書は、満州は、中国(漢民族)のもので
 はないという立脚点に立っている。
  そして、「満州を、中国本体から切り離す」という意
 味が書いてある。
  そして、満州域を、中国から離れた国際的なものにせ
 よと言っている。
  (日本の掲げた理念が五族協和)
  そして、その状態の中で、「日本の満州での努力を認
 めている点」から「日本の主導権を認め」、また、日本
 の権益も認め、「日本の権益も十分に守られるべきだ」
 と記している。
  日本は、この「リットン報告書を受け入れても良かっ
 た」と言える。
  受け入れていれば、また違う世界史が展開しただろう。
  共産化した満州域ではなかっただろう。
  結局、満州国の存在を、「日本が侵略して奪ったもの
 だなんて微塵も言ってない」。
  結局、そして、今・現在、満州は無くなり、この時の
 リットン報告書の見解で否定された中国(漢民族)のも
 のとなってしまっている。
  「トンビに油揚げをさらわれた」という状態となって
 いる。
  そして、約70年を経て、その満州の方々は、今・現在、
 その地には居なくされている。
  何処かへ消え去ってしまった。
  国なんてこのような経過をたどるものなのだ。
  国と共に、民族の運命など、この様になるものなのだ。
  今後、日本の国も、この様にならない様に・・
  中国は、尖閣諸島が欲しいと言っている・・その次は、
 沖縄だと言っている・・
  国の安全保障に無関心でいてはいけないのだ。
  各人が、真剣に考えていなければいけない事なのだ。
  「あなた任せにしておいては・・いけない事なのだ」。
,
1942年、中国が、嘘のプロパガンダでも、何でもやって、
 その結果が、中国に有利になるなら、その様な行動をし
 た者は「能力のある者」と中国は見る・・
  中国は、「卑劣な行為」でも、何でもよいという国で
 ある。
  だから、中国の国内内戦は、騙し合いが酷い戦争で、
 騙し、騙される陰湿な行為が頻繁に行われた。
  この様な騙しの世界の国・中国は、日常茶飯に騙しが
 行われた。
  日本への工作も陰湿を極めた。
  それは、政治や戦闘に限らず、あらゆる場面において
 行われた。
  中国の新聞も、その真偽を確かめずに報道するという
 出鱈目(でたらめ)さだった。
  例えば、1942年頃、「昨夜、日本人が、果物屋の店先
 にあるスイカに毒を注射して歩いていた」・・なんてい
 う嘘の記事が、でかでかと中国の新聞に書かれた。
  また、女子学生に、中国人企業家が金を渡し、「『日
 本の森永ミルク・キャラメル』には、毒が入っているか
 ら買うな」と言わせた。
  これは、中国の会社が、森永に似せた菓子を作り、自
 社の製品を買わせようとして行った事だった。
  本「支那三十年」を参照。
.
1945年12月、沖縄が、1945年12月のこの時から、本土復帰
 をする1972年まで、アメリカ兵によるレイプ(強姦)犯
 罪は500件以上となった(隠れた犯罪は数限りなくある)。
  本「沖縄アンダーグラウンド」には、目をそむけたく
 なる様な卑劣なその状況の記載が続く。
  その卑劣な行為の多くで、アメリカ兵は庇(かば)わ
 れた。
  「容疑者不明」で処理された。
  でも、ここまで来るのもほんの一握りだった。
  闇に葬られ、泣き寝入りとなった。
  アメリカ兵の人権無視のあまりに卑劣な行為、あまり
 の酷さに、沖縄は苦汁の日々が続いた。
  そして、仕方なく・・地元・沖縄は、「アメリカ兵相
 手の売春区域を作ろう」との苦渋(くじゅう、事が解決
 されず、苦しむ悩むこと)の案の声となった。
  そして、やむを得ず売春街が、アメリカ兵の卑劣な行
 為を無くしたいとの願いから出来た。
  フランスのパリに侵攻したアメリカ軍は、この街でも、
 パリジェンヌを、パリの女性方たちを・・犯した。
  昼間でもなんでも、場所もわきまえずに・・、
  その乱れたアメリカ兵の行為は、人目をも憚(はばか)
 られずに行われた。
  あまりの酷さに、パリ市長は、アメリカ軍へ泣きを入
 れた・・その愚行を指摘した。
  また、アメリカ軍は、ベルリンへ侵攻した時も、数限
 りないベルリン女性を犯す行為を行なっている。
  砲弾が飛びかう中、ベルリンの女性方は、地下などに
 潜(ひそ)んでいた。
  男性のほとんどが居ないベルリンで、ベルリン女性は、
 アメリカ兵に強姦され犯された。
  その数は、とんでもなく多くの女性方の数となった。
  戦後の日本でも、毎日、あちこちで、アメリカ兵によ
 る強姦が行われ、その卑劣な行為を新聞は報じた。
  病院の看護婦が、ピストルを持ったアメリカ兵たちに
 犯された・・また、妊婦の方々さえ犯された。
  学校へ行く小学生まで乱暴をされた。
  新聞報道は、そのすべてを報じなかったが、それでも、
 あまりの酷さに、アメリカ軍・GHQは、「そのような
 報道をするな」と命令した・・
  アメリカ兵の卑劣な行為は、その様な命令によって隠
 されてしまった。
.
2005年7月、NHKの福井放送局チーフカメラマンが取材費
 でビ-ル券を購入し約350万円分を着服した。
.
2011年8月、NHKの番組制作局チーフプロデューサーが
 女性のスカート内を携帯カメラで盗撮して逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年8月18日、この日のNHKニュース7で、子どもの貧
 困問題をテーマとした神奈川県主催の講演会、および、
 登壇した女子高校生への取材を報道したところ・・、
  インターネット上で、捏造疑惑が浮上した・・、
  女子高校生が2万円相当の画材を所有する様子が映っ
 ているなどとバッシングが発生した。
  片山さつき参議院議員が、NHKに説明を求めるなど
 を精力的に行った。
  NHKは、メディアに対し、「本人や家族、行政機関
 などに取材し、経済的に厳しい環境で生活する高校生だ
 と判断しています」、「食べるものもないというレベル
 の貧困ではなくても、経済的困窮によって、高校生が希
 望する進路をあきらめざるをえない現実があることを伝
 えるもの・・放送内容は、すべて事実に基づくものです」
 と捏造疑惑を否定した。
  講演会を主催した神奈川県の担当者は、講演会につい
 て、「食べるものや着るものがあるとしても、修学旅行
 や部活の遠征に行けなかったり、進学をあきらめたりす
 る『相対的貧困』の見えにくさを考えようというイベン
 トだった」、
  騒動について、「食べ物や着る物がないなど目に見え
 る『絶対的な貧困』と・・、
  親の経済的な事情で進学を諦めざるを得ないなど目に
 見えない『相対的な貧困』を混同して起きてしまったの
 ではないか」とコメントした。
  この騒動にまつわり、サイゾーが運営するニュースサ
 イト「ビジネスジャーナル」は、NHKなどへの取材を
 行わず架空のコメントや、やらせや捏造の存在を印象づ
 ける表現を含む記事を発信し、後に、取材が不十分であ
 ったとして訂正および謝罪、関係者の処分を発表した。
.
2018年12月8日、中国はもう正せなくなっているのか?
  叩けなくなっているのか?
  一番、のんべんだらりとしているのが日本。
  中国もロシアも、日本に接近してきているのは、日本
 の国防力が伸びないで、昔のままになっていて、組みし
 易いからと指摘されている。
  そして、アメリカが、戦略核戦略が中国に劣っている
 ところが問題である。
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  パネリスト:
   鍛治俊樹(軍事ジャーナリスト)
   河添恵子(ノンフィクション作家)
   石平(評論家)
   福島香織(ジャーナリスト)
   矢野一樹(元海上自衛隊潜水艦隊司令官 海将)
   矢野義昭(元陸上自衛隊小平学校副校長 陸将補)
   湯浅博(国家基本問題研究所主任研究員)
  司会:水島総
  核抑止は万全か?
 1、米中の戦略核バランス
   中国が先制攻撃すれば、アメリカは4千万~5千万人
  の損害、中国は2600万人の損害となる。
   アメリカが戦制攻撃すれば、中国は最大1億人の損害、
  アメリカも数千万人の損害か?
   アメリカおよび中国は、核戦争にエスカレートする
  恐れのある軍事挑発はできない。
 2、米中の通常戦力バランス
   アメリカの海・空の技術的優位は明らか。
   特に、戦闘機と潜水艦、空母が優位。
   中国大陸での本格的地上戦はアメリカでも不可能。
 3、問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
   ロシアの核戦力も4分の1程度は極東に向いている。
   そして、中露接近は当面続いて行く。
   北朝鮮の弾道ミサイル脅威も数的には中国並み。
  (参考)中国の戦略核は400から600ある。
      北朝鮮も、中国並みになって来ている(400か
     ら600)
      アメリカ一国だけで、中・露・北朝鮮には対
     抗できない
      中国は、原子力推進の超超長距離を飛べる巡
     航ミサイルを保持したと発表したが、この事で
     発生する問題が・・
      アメリカのミサイル防衛網がすべて北極海を
     向いている。
      中国は、その裏を攻めることができる・・こ
     のため、アメリカの防御が大変な事になってい
     る。
      アメリカが、それに対抗するためには、韓国
     からも、また、日本からも、アメリカの軍事力
     を引き上げて・・アメリカ本土防衛に集中して
     固めなければならない。
      軍事バランス的に、ここ10年間は、中国が台
     湾を取りに行っても、アメリカはそれに対応で
     きる状況にない。
      日本も、この様な状況に、どう対応するのか?
     ということになっている。
      日本は、アメリカをあてに出来なくなってい
     る。
      アメリカは、アメリカ本土を守るのに手いっ
     ぱい。
      20兆ドルを超える赤字のアメリカ、財政的に
     も非常に厳しい状況。
      米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題では
     なく・・アメリカの存亡の危機の安全保障上の
     問題。
      中国は、技術的にも急速にアメリカに追いつ
     いて来ている。
      中国の技術的追い上げは厳しい。
      中国は、軍事基地を地下化して耐力が上がっ
     ている。
  米国の対応
 1、トランプ政権は、核戦力の増強、近代化推進方針を
  明示した。
 2、核戦力の整備に最優先で予算配分する、配分は可能
  と保証
 3、核戦力の3本柱(ICBM、SLBM、戦略爆撃機)
  を更新。
 4、核弾頭の新型開発(戦力化は約10年後)、その間、
  寿命延長
 5、ロシアに対抗して低出力核を増強
 6、核インフラの整備
 7、核関連の人材養成、施設の整備更新
 8、アメリカの核抑止力強化と同盟国への核の傘の信頼
  確保。
.
2018年12月8日、痛い目に会わなければ分からないのか??
  のほほんとしている日本・・
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  ・釧路の広大な土地が中国に買われている。
  ・10万人が人質になっている・・自由に中国から出国
   できなくなっている。
  ・資金も中国から引き上げられなくなっている。
  ・これからは多極化する・・防衛も多面的になる。
  ・ロシアは、シベリアなどの広大な地を守り切れてい
   ない。
  ・パンダ債・・日本が一帯一路を応援しているのか?
   中国内では、「日本が一帯一路を応援している」と
   言われている。
  ・アジア諸国から日本の本心が疑われている。
  ・「日米同盟強化」と言われているが、言葉だけで、
   実態はそうなっていない・・南西諸島などをどう守
   るか?
  ・日米安保を改定して、双務性(そうむせい)を強化
   するなどしなければならない・・日本の対中の力は
   落ちている・・双務性は絵に描いた餅になる方向に
   ある。
  ・アメリカの共和党は、「日本の核武装を進めるべき」
   と言っている・・アメリカは、米本土に退くという
   方向なので、日本は核武装して自分を守れの論理。
  ・相互防衛条約に安保を持って行くべき。
  ・X‐35を100機買う。
  ・財務省は、「今、日本に金があって、有効な防衛が
   できる状況」なのに、嘘でそのことを抑えている。
  ・アメリカの「核の日本国内展開」をさせるのが、
   「急ぐべき日本の現状の対応策」。
  ・中国共産党は、日本のコントロールに成功している・・
   日本の政治家は中国寄りになっていて、自由な発言
   が出来なくなっている。
  ・中国が明らかに脅威であるのに、「仮想敵国だ」と
   言えない日本・・だから、その対応策が取れない日
   本となっている・・やりたい放題にされる日本にな
   っている・・
  ・統一朝鮮が、これからの、その後の脅威となり、仮
   想敵国となる・・
  ・超音速滑空体に中国は成功している・・これに核が
   搭載される・・世界で唯一成功している状態・・
  ・大国は、都合のよい時は国際法を守る、都合が悪く
   なると兵を送る・・この様な国が、今、日本の周り
   を取り囲んでいる・・
  ・日本は、痛い目に会わなければわからないのか??
.
2018年12月19日、中国人のハッカー集団を、アメリカは起
 訴する方針とした。
  (参考)ハッカー:コンピューター内へ入り、その相
     手の情報を盗んだり、コンピューター・システ
     ムを麻痺(まひ)させたりする者。
  アメリカの司法省が、中国の情報機関にあたる中国国
 家安全省と関係のある「複数の中国人ハッカー」を起訴
 する方針・・と報じられた。
  アメリカ紙のウォール・ストリート・ジャーナルなど
 によると・・、
  アメリカ司法省が、起訴する可能性があるのは、中国
 国家安全省とつながりがあり、「APT10」と呼ばれる
 ハッカーグループとみられている。
  アメリカのネットワークに侵入するため、複数年に渡
 ってITサービス企業に高度なサイバー攻撃を仕掛けた
 疑いがある。
.
2018年12月20日、韓国の元徴用工らが、韓国政府を提訴し
 た・・この日の読売新聞が伝えている。
  これが正しいのだ。
  韓国の元徴用工の方々も、やっと正しい道・本筋が見
 えたようだ。
  日本が、「元徴用工の方々の補償を行ないます」と韓
 国政府に言ったら、「そのお金は韓国政府へ渡してくれ」
 と韓国政府が言った。
  「韓国政府から元徴用工へ補償をしますから」と・・
  その様なことが、話し合いで決まって、日本は、韓国
 政府へ莫大な金を支払った。
  韓国政府は、この様な経緯(いきさつ)・事態を韓国
 国民へ徹底して説明しないから、この様な問題が発生し
 ている。
  元徴用工の人々が、韓国政府を提訴したのは、そのこ
 とが分かったから・・、
  読売新聞は、以下のように伝えている・・
  第二次世界大戦中に、日本企業に徴用されたとする
 韓国人や遺族ら約1100人が20日、韓国政府を相手取り、
 1人当たり1億ウォン(約1000万円)の補償金を求める訴
 訟をソウル中央地裁に起こした。
  元徴用工らを支援する市民団体が、ソウルで記者会見
 を開き、明らかにした。
  元徴用工らの訴訟を巡っては、韓国大法院(最高裁)
 が10月に、新日鉄住金に対し、賠償を命じる判決を初め
 て確定させた。
  今回の原告らは、1965年の日韓請求権・経済協力協定
 で日本から無償3億ドルを受け取った韓国政府にも補償
 する責任があると主張し、日本企業でなく、韓国政府を
 訴えた。
  韓国内では、この団体が主導した同様の訴訟が、他に
 3件進行している。
  元徴用工への韓国政府の補償を巡っては、朴正煕(ぱ
 くちょんひ)政権が、1975年~1977年に、日韓請求権協
 定で日本から受け取った資金を活用し、遺族らに補償を
 行なった。
  2008年以降にも、慰労金を追加支給し、慰労金の総額
 は2015年末で、計約6184億ウォン(約617億円)に上った。
  今回の訴訟の原告らは、過去の未申告などを理由に、
 韓国政府の補償を受けたことがないという。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

by suba28 | 2018-12-25 03:51 | 皆様とともに 幸せになりたい


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