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(増補版)611E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)

題:(増補版)611E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1894年10月5日、広島市と港のある宇品(うじな、広島市南
 区)を「臨戦地境」に指定し、戒厳令を宣告した。
  (参考)戒厳(かいげん):戦時や自然災害、暴動等
     の緊急事態において、兵力をもって国内外の一
     地域、あるいは、全国を警備する場合に、国民
     の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停
     止し、行政権・司法権の一部ないし全部を、軍
     部の指揮下に移行することをいう。
      軍事法規のひとつであり、戒厳について規定
     した法令を戒厳令という。
      戒厳は、臨戦地境と合囲地境にと二種に分け
     られ、「合囲地境は敵の合囲若しくは攻撃其の
     他の事変に差し警戒すべき地方を区画して合囲
     の地域と為す者なり」つまり敵の囲い込み若し
     くは戒厳地域の囲い込みを意味する。
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1894年10月5日、初の定期時刻表である「汽車汽船旅行案内」
 が発売された。
  月刊の時刻表定期刊行の始まり(第1号)
  庚寅新誌社(こういんしんししゃ)が、各駅最寄りの
 名所旧跡案内や、紀行文も掲載して発売した。
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1894年10月6日、イギリスが、共同干渉を提議した。
  イギリスとロシアの協調は、不安定ながらも日清戦争
 中は継続していた。
  日本の戦いにおける優勢が決定的となったこの1894年
 10月、イギリスが、対日和平勧告を行う事を、ロシア・
 ドイツ・フランス・アメリカに提議すると・・ロシアは、
 列国中、最も好意的な対応を示した。
  また、この翌年の1895年1月に、ロシアが、英仏に対し、
 日本に講和を勧告し、かつ、その条件を開示すべく申し
 入れることを提議した。
  イギリスは、直ちにこれに応じ、露仏と共に対日申し
 入れを行った。
  結局、イギリスとロシアの協調の崩壊は、1895年4月初
 め、下関講和会議において、日本が提示した講和条約案
 (遼東半島割譲を含む)に反対しないという決定をイギ
 リス政府が下したことによって崩壊した。
  ロシア政府は、日清の開戦に至るまでは、極東問題と
 は何よりも朝鮮問題であって、ロシアは、清国の朝鮮に
 おける優勢さに対抗しなければならないと考えていた。
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1894年10月9日、甲武鉄道市街線が開業した・・後の中央線。
  (新宿駅~牛込駅間が開通)
  線は、新宿駅から信濃町駅、四ツ谷駅を経て、牛込駅
 (市ヶ谷と飯田橋駅の中間地点)までだった。
  経緯・・
  1870年に開業したものの、2年後に廃止された玉川上水
   の船運の代わりに、その堤防沿いに新宿~羽村間に
   馬車鉄道(甲武馬車鉄道)の敷設を企画したことに
   はじまる。
    発起人は服部九一、岩田作兵衛、井関盛艮(元神
   奈川県知事)で、堤防沿いは認可を得られず経路を
   変更・・
  1886年11月、新宿駅~八王子駅間の敷設免許を得る。
    しかし、岩谷松平らによる蒸気鉄道、さらに川崎
   駅~八王子駅間の武蔵鉄道の出願があったため、直
   ちに動力を蒸気に変更して出願し、競願者を退けた。
    そして、資本金を30万円から60万円に増資する必
   要から大隈重信へ協力を求めた・・そして、平沼専
   蔵らから出資を得ることができ・・、
  1888年3月、免許状が下付された。
    しかし、その後、井関らと大隈派で対立を生じ、
   大隈派は株を売却、甲信鉄道へ投資してしまった。
    この時、登場した雨宮敬次郎は、安田善次郎らか
   ら資金提供を受け、暴落した甲武鉄道株を買いあさ
   り、資本金60万円のうち38万円相当の株を獲得し、
   経営の実権を握った。
  1888年5月2日、株主総会において役員を選出・・
  (社長)奈良原繁、(常議員)雨宮敬次郎、(常議員)
   井関盛艮、(常議員)指田茂十郎、(監査役)安田
   善次郎、(監査役)岩田作兵衛・・そして・・
  1888年6月9日、副社長となった大久保利和が10月31日
   の株主総会において社長に就任し、奈良原は常議員。
  1889年4月、内藤新宿駅~立川駅間が開業(27.2キロ)・・
    これは、内藤新宿から中野駅、境駅(武蔵境)、
   国分寺駅の3駅を経て、立川駅まで運行され・・
    新宿を午前7時14分に出発した列車は、1時間かか
   って立川駅に予定時間の8時14分に到着した。
    各駅の停車は1分間、列車スピードは、平均時速30
   キロだった。
    客車をけん引した蒸気機関車は、イギリスから直
   輸入したナスミス・ウィルソン社製の軸配置1B1型
   (先輪1軸、動輪2軸、従輪1軸)、タンク蒸気機関車
   (国鉄400形蒸気機関車)・・通称:「マッチ箱」が
   箱型客車を引っ張った。
    午前と午後2本づつの1日4往復した・・
    内藤新宿駅発:7時9分、10時0分、14時30分、17時
   30分・・運賃は、もり・かけそば1銭の時、1マイ
   ル(1.6キロ)1銭だった。
  1889年7月、多摩川本橋(約418m)、浅川橋(139.5m)
   が完成した・・難工事で、開業を4ヶ月遅れさせた。
  1889年8月11日、立川駅~八王子駅間が開業(9.7キロ)・・
    新宿から東京市内への路線延長は、当初は、甲州
   街道沿いが計画されたが、青山練兵場や三崎町の工
   廠の後押しもあって・・
  1889年5月、申請、
  1889年7月、仮免状が下付された・・
    この頃の甲武鉄道沿線の名所旧跡を紹介している
   錦絵には、小金井桜、玉川、高山が描かれ、説明文
   もあり・・そして、真ん中に新宿停車場が描かれ、
   立川停車場に向かって行く蒸気機関車が描かれてい
   る。 
    左上に富士山、高尾山、御嶽山の遠景があり・・
    そして、御嶽山から流れ出る玉川(多摩川)と
    左に、羽村から玉川上水が東京市街地に向かって
   流れ・・その玉川に、立川と日野との間の甲州街道
   の橋が架けられている。
  1894年10月9日、新宿駅~牛込駅間が開業・・
  1895年4月3日、牛込駅~飯田町駅(飯田橋駅と水道橋
   駅の中間地点)間が開業(0.8キロ)・・これで、営
   業区間が八王子駅~飯田町駅間(41キロ)となる。
    そして、更なる延長が計画され・・1890年、飯田
   町駅~万世橋駅間を出願・・
  189612月、八王子から西の山梨方面への鉄道敷設を国
   が工事に着手。
  1903年6月11日、新宿駅~甲府駅間が完成・・そして、
   中央線と命名した・・
  1904年12月、御茶ノ水までの延長が完成・・と続く・・
    しかし、この甲武鉄道の敷設に際し、様々な反対
   運動があった。
    街道筋が栄えているこの時代・・甲州街道で栄え
   ていた府中や調布の商人、宿屋、人力車夫などが、
   客がとられると反対した・・また・・
    農家も汽車のばい煙が桑の葉や野菜を害し、火の
   粉がわら葺き屋根にかかって火事になると・・
    家畜に悪影響が生じると・・
    いろいろな方面から色々な理由で反対された・・
    中野方面でも、青梅街道と宮園通りの中間を東西
   に貫く計画に、地主・村民等が反対した・・
   「鉄道は村を衰微せしむ」・・と・・
    頑強な反対運動に、甲武鉄道は、計画を大きく変
   更・・
    抵抗の少ない武蔵野原野を、現在の東中野あたり
   から立川まで一直線に計画した・・日本第二の直線
   区間となって敷設した。
  1906年、公布された鉄道国有法により、1906年10月1日、
   国有化され、中央本線の一部となった。
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  (今日の言葉)
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  題:トランプ大統領は、キッシンジャーと会って、
    『一つの中国の原則にこだわらない』と明言した・・
    韓国の在韓米軍が台湾へ移ると良い・・
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紀元前4世紀~紀元前3世紀、法句経(ほっくきょう)が編
 纂される。
  一人静かな心を味わい・・
  安らぎの味を知ったら・・
  恐れもなく、過ちもなくなる。
        (法句経205)
  法句経は、パーリ語経典『ダンマパダ』 Dhammapada
 の訳名。
  仏陀の言葉をなまの形で伝える文献の一つ。
  古来広く愛読され、仏教徒の思想と実践の指針となっ
 てきた。
  全編 26章、423の詩句集で・・、
  パーリ上座部系統に属するもののほかに、
  大衆部が伝えたガンダーラ語のもの、
  説一切有部系統の『ウダーナバルガ』の題名で伝えら
 れたもの、
  その系統のチベット訳や
  漢訳の『法句経』 (2巻) 、『法句譬喩経』 (4巻) 、
 『出曜経』 (30巻) 、『法集要頌経』 (4巻) などもある。
  パーリ語原典は、南伝上座部の(小部経典)の一つで
 あるが・・、
  他に、ガンダーラ語、サンスクリット《ウダーナ品》、
  漢訳(《法句経》《出曜経》など)、
  チベット語訳、および、中央アジア諸語による断片も
 あり、きわめて広く普及していたことが知られる。
  本経は、短い詩句の集成で、初期仏教教団で伝持され
 ていたものが、後に、編集されたと考えられ(紀元前4世
 紀~紀元前3世紀)、初期仏典中でも最も古いものの一つ。
     ・
     ・
1220年代のはじめ、ルーシ(キエフ大公国)の公たちは、
 まず、キプチャク草原の遊牧民族クマン人の戦士たちか
 ら、モンゴルの到来を知らされた・・ここからモンゴル
 の征服が始まった。
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1223年、モンゴルのルーシ侵略(カルカ河畔の戦い)
  モンゴルのロシア侵略は、カルカ河畔の戦いで始まり、
  この年のこの戦いは、ジェベ、スブタイ両将軍率いる
 モンゴル軍と、ポロヴェツ・ルーシ連合軍との間で行わ
 れた。
  連合軍は、数で上回っていたにもかかわらずモンゴル
 軍に惨敗した。
  モンゴルのロシア征服は、1236年~1242年のバトゥの
 西征で本格化した。
  (ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争)
  (参考)ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正
     式な国号で、キエフ・ルーシとも言われ・・
      キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・
     チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中
     心とするリューリク朝の三国。
      広義では・・ハールィチ・ヴォルィーニ大公
     国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国な
     どの東欧の諸国を含む場合がある。
      ルーシ・カガン国は、8世紀後半から9世紀の
     半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったと
     される国家、または、都市国家群(仮説)。
      また、ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
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1237年になって、モンゴル軍は、15万の大軍を編成し、ロ
 シア中心部に侵入し、リャザン、モスクワ、ウラジーミ
 ルを次々と陥落させた。
  13世紀前半、タタールのくびき
  (参考)くびき:車を引く牛馬の頸(くび)の後ろに
     かける横木のことであるが・・自由を束縛する
     もの・・の意味がある。
  13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻と、それ
 につづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルー
 シ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を言
 い・・、
  現在のロシア人などの祖先であるルーシ人のモンゴル
 =タタールへの臣従(しんじゅう、臣下として従うこと)
 をいう。
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1240年、キエフの戦い
  ルーシの首都キエフの支配をめぐって、ルーシとモン
 ゴル帝国の間に行われた戦い。
  1240年9月5日、バトゥが率いるモンゴル軍は、キエフ
 を包囲し、キエフの明け渡しを求めた。
  キエフ軍を引率するドミトロー大将とキエフの市民が
 降伏を却下して防衛に備えた。
  モンゴル軍のバトゥは、32の投石機を集めて、キエフ
 の防衛線で弱点だったポーランド門を攻撃し、市内へ乱
 入した。
  キエフの市民は攻撃を防いだが、多勢に敵わずして石
 造りの什一聖堂へ撤退し、教会を最後の砦とした。
  1240年12月6日、モンゴル軍は、投石機を取り寄せて聖
 堂を破壊させ、キエフを制覇した。
  ドミトロー大将は捕虜となったが、勇敢に戦ったため、
 バトゥによって解放された。
  モンゴル軍は、聖ソフィア聖堂をはじめキエフの教会
 と貴族の屋敷を略奪し・・、
  合戦後、5万人だったキエフの人口は2千人まで減少し
 た。
  キエフの陥落によりルーシは滅(ほろ)んだ。
  これ以降に存続したキエフ公国は、14世紀半ばにかけ
 てモンゴル帝国の属国であった。
  一方、キエフは大きく衰退し、山の手だった古キエフ
 は荒地となり、都市の中心地は下町のポジールへ移った。
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1453年、モスクワ大公が、皇帝を意味するツアーリの称号
 を用いた。
  イヴァン3世は、東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚、
  モスクワ大公が、1453年、オスマン帝国によって滅ぼ
 された東ローマ皇帝にかわる正教会の保護者としての地
 位を自認する端緒をつくった。
  ロシア語で皇帝を意味するツアーリの称号もイヴァン
 3世のとき初めて使われた。
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1547年、イヴァン3世の孫、イヴァン4世(イヴァン雷帝)
 は、この年に、ツアーリの称号を正式に用いた。
  ロシアの正教会の間では、モスクワは、ローマ、コン
 スタンティノポリスに続く第三のローマであり、ツアー
 リは、ローマ皇帝の後継者であるとする考えが生まれた。
  モスクワ大公国の支配領域が、「ルーシの国」を意味
 する「ロシア」との名称で呼ばれるようになり始めたの
 も、イヴァン4世の頃の16世紀だった。
  また、1552年にカザン・ハン国、1556年にアストラハ
 ン・ハン国を滅ぼし、初めてキプチャク・ハン国の一部
 を併合し、シベリアに向かって東方への拡大を開始した。
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1780年、光格天皇が天皇になった(在位1780年~1817年)
  光格天皇は、たいへん衰弱していた皇室の祭祀(さい
 し)の復活に努められた(1771年~1840年)
  そういう皇室の動きが淵源(えんげん、物事の起こり
 基づくところ、根源)となり、尊皇思想というものが茫
 洋(ぼうよう、広々として限りないさま)として沸き上
 がり、武士階級を中心に庶民の一部にまで浸透して行く。
  この過程で、皇室をめぐる文明的エネルギーは見事に
 立ち直った。
  光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇の三代が、皇室伝統の
 衰微と危機に立ち向かわれた。
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2005年11月17日、耐震偽装事件、そして、NHKの罪
  国土交通省が、この日、千葉県の構造計算事務所の耐
 震偽装を公表した。
  しかし、日本の公共放送・NHKも似た様なことをし
 ている・・放送している。
  NHKは、「がさネタ放送局」だ。
  建物の耐力は鉄筋量で決まる。
  (1)建物の耐力は鉄筋量で決まる。
  姉歯事件は、この鉄筋量を誤魔化したから問題となっ
 た。
  建物耐力は、鉄筋量の計算をして決めている。
  鉄筋の引張力は十分に耐えるのか?否か?の問題なの
 である。
  コンクリートの劣化は中性化で起きる。
  鉄筋コンクリート構造物の耐力減退は、何で起きるか?
 と言えば、
  1、コンクリートの中性化、
  2、コンクリートの中性化による鉄筋の錆びによる断面
   欠損、
  3、コンクリートのひび割れによる耐力低下(今、巷の
   公共構造物でこれを無視しているのか?ほとんど補
   修をするべきを補修をしていない)、
  4、コンクリートが、ひび割れて、中の鉄筋が錆びて、
   そして、その鉄筋の錆びの膨張で、コンクリートが
   押し出されて、コンクリートが剥落する。
   (たまに見られるのだが、世間では構造体が、ここ
   まで来ても何ら補修をしてない)。
  この様な劣化因子があるのだが、鉄筋コンクリート構
 造物が、耐力を低下することを問題にするのなら、コン
 クリートの中性化が進んで行って、肝心の鉄筋が錆び始
 めて、鉄筋の断面欠損が生じ始めて、そして、鉄筋コン
 クリート構造物の耐力の低下が始まるところを問題とす
 べきだ。
  (だから、鉄筋コンクリート構造物の中性化を補修し
 ていれば、鉄筋の劣化は起きるはずが無く、だから、超・
 長期的にその構造体は使用可能なのだ)。
  (メンテナンス・補修如何にかかっていることを知る
 べきだ・・ただただ、何年、経ったから駄目になったと
 考える事は「勿体ない行動につながる」)。
  NHKは、世間にある様な素人的な想像で予想し、そ
 れがあたかも正しい事の様に放送した・・いいふらした。
  だから、まだ耐力が低下していない鉄筋コンクリート
 構造物が、ただただ時が経たから耐力がなくなったと、
 単純な、間違った放送をし続けた。
  大きな間違い情報を言い続けた。
  その間違い情報に洗脳された人々は、まったく無駄な、
 勿体ないことを始めた。
  まだまだ使える建物を壊し始めた。
  『NHKのこの罪は・・非常に大きい』。
  貴重な公共構造物を、この様なセンスで壊していたら・・
 税金がいくらあっても足りなくなる。
  また、NHKは、渋谷の放送センターを建て替えたい
 ため、これを理由にした・・
  そして、お手前の放送媒体を使って、盛んに全国放送
 をした。
  『NHKの渋谷の放送センターは、年月が経ったので
 劣化したので建て替えます』と・・
  嘘で間違った放送を盛んにした。
  そしてまた、渋谷の「子供の城」も年月が経ったので
 壊して建て替えますと、ニュースにもならないニュース
 を自分の建て替えを行ないたいため・・放送した。
  NHKの目の前の渋谷公会堂も、年月が経ったので壊
 して建て替えますと、またまた、ニュースにならないニ
 ュースを、自分のために放送した。
  こんな放送ばかりを繰り返し繰り返し放送していた・・
 その建て替えのお金は視聴者へ返還すべき金だった・・
 だから、NHK予算委員会でその様に決定している金を、
 NHKはまだ視聴者に返還していない。
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2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その2)
・中国はあらゆる層の人間を使って、「政治を盗むグルー
 プ」や「科学技術を盗むグループ」・・などを作ってい
 る・・
  これを束ねているのが、中国共産党中央の統一戦線・・
 世界に散らばした工作員のネットワークを束ねている・・
  アメリカのFBI(連邦捜査局)や、CIA(中央情
 報局)は、すでに、そのやり方・組織を把握している・・
  今、それをストップし、潰す方向へ動き始めた段階と
 なった・・それによって中国の状況がここで変わった・・
 ピンチに陥っている・・
・アメリカのFBIは、アメリカの55州のすべてに中国の
 スパイが入っていると発表した・・取締りを厳しくして
 いる。
  アメリカに帰化した中国人は、総てが工作員(日本も
 そうだろう)・・
  カナダでも、それと同様な中国の動きが発覚し、860人
 の学生などの工作員が捕まって強制送還された(数が半
 端ではない)・・
  留学生・華僑・華人がこれを構成している・・
  孔子学院もこの状態(日本の桜美林大学にもある)・・
 親中反日にして行く行動をしている・・
  この孔子学院をコントロールしているのがやはり中国
 の政権内にある王滬寧(おうこねい)・・
  アメリカは、この王滬寧をターゲットにしている(情
 報戦)・・
  この王滬寧が、失脚の可能性高い・・アメリカへの亡
 命か?・・という状況になっている・・
・クーデターを心配している習近平・・
  習近平が、アフリカに行った時にもその心配が出てい
 た・・心配で、娘をアフリカへ連れて行った・・
・AFP通信の記者が書く、習近平はおかしいと・・
  習近平は、眠れない状態が続いて睡眠不足で、国連や
 国際的な大物に会っている時も、うとうとと居眠りをし
 ている・・
  また、習近平は肩書も間違えた・・
  また、9回、毒殺を仕掛けられたとの報道がある・・
  6月、人民大会堂で、習近平を迎えに来た車が、習近平
 が出て来た時に爆発したことがあった・・
  人民大会堂は、一般人が入れないエリアで、この様な
 事が起きた・・
  その爆弾を分析したら人民解放軍の使っている爆弾だ
 と判明した・・
  内部に習近平を爆殺しようとしたものが居ることは明
 らか・・
  これが起きた後、習近平は人民解放軍病院に入院した・・
 そこでも危うく毒の注射を打たれそうになった・・
  中国の政権の行方が不透明になって来ている・・
・北朝鮮も、中国の人民解放軍が、自国領に入って来るこ
 とを恐れている・・
  中国の北京や上海を狙うミサイルも保持しているとい
 う見方もでている・・
  この点からも、核やミサイルは、簡単に手放せない状
 況があると考えられている・・
・イランに、北朝鮮から核が渡されたら世界は大変なこと
 になる。
  イスラエルは黙っていない。
・アメリカ政権内にも、中国共産党と強くつながっている
 者が居る事も忘れてはならない・・
  中国の外貨準備は3兆2千億ドル・・米国債は1兆2千億
 ドル・・
  故に2兆ドルが自由になる・・これがアメリカ内の工作
 や投資などに使われている・・また、金融機関のモルガ
 ンなどへ・・
  あまり追い詰めるなというアメリカ内の勢力もある・・
  しかし、これは皆、中国内にないお金・・アメリカに
 あるお金・・アメリカは、いざとなったら、トランプ大
 統領が、決断一つでこの中国の在米資産を抑えることが
 できる・・凍結する・・
  ウイグルを弾圧し、虐殺した中国高官(陳全国・ちん
 ぜんこく)も資産凍結された・・
・中国は強い時は危険だが・・中国は弱い時も危険・・
  日本は、過去にも、中国が弱い時に、中国を助けて痛
 い目にあった・・この時、天皇陛下が訪中をせざるを得
 ない状況に置された・・
・日本でも、日本の議員で中国のインターシップを持って
 いる者が居る・・
  (オーストラリアは、中国関連のスパイ活動を防ぐ一
 環から議員インターンシッププログラムを除外するとし
 た)
・アメリカの女性上院議員が、秘書を首にした・・その理
 由が「事務所の情報のすべてを中国へ渡していた」・・
  この女性議員は、外交の委員長をしていたから狙われ
 た・・
  この秘書が、アメリカに立てられる慰安婦像のすべて
 を指導していた・・韓国が表向き慰安婦像を立てるよう
 に見せかけられていて、本当は中国がやっていると判明
 した・・
  台湾に慰安婦像を建てたのも中国と国民党・・
  台湾のマスコミは、中国共産党と中国系の台湾の国民
 党がすべてを抑えている・・
  中国の金が動いてカナダで慰安婦記念館が建てられる
 ことになっている・・
  慰安婦像設置や博物館建設も裏で中国政府が金を出し
 ている。
・台湾の国民党と中国共産党の関係は双子状態・・裏では
 まったく一緒。
  中国に利用されている台湾国民党・・
  中国政権の統一戦線が、アメリカの工作員を動かして
 いる・・
・中国は、欧米企業をどんどん買収し、中国は、その情報
 を盗んでいる。
・中国が、日本を何とかしよう、てなづけようという動き
 が、また、始まっている・・
  スパイとスパイ協力者がいる・・
  民間の学者などが利用されている・・
・中国の木材輸入量の70%は日本から出ている・・
  この様な儲け話のやり方から言いなりになる人間を、
 中国は、作ろうとしている・・
  李克強が日本に来て、北海道のバイオチップの話を付
 けた・・この様な中国の動きもある・・
  また、北海道・苫小牧の広大な土地を中国は購入(中
 国向け野菜)、表向きは日本法人だが、苫小牧の農地を
 買い占めて、中国への野菜輸出をしている・・
  しかし、北海道にはまったく金が落ちない・・
  地方経済活性化に、少しも役に立っていない・・
  北海道の政治家よ!目覚めよ!
  中国寄りの政治家の多い北海道となっているが・・ま
 ったく、中国に裏をかかれている・・
  この様な中国経営の法人に・・日本政府から補助金な
 どの金が出ている・・我々はその税金を支払されている・・
・日本の政治家の秘書にも中国の工作員が、相当、入って
 いる・・
  農業特区制度が悪用されている・・
  中国から金を貰っている日本の政治家も多い・・
  革新系だけでなく、保守系と言えども金を貰う議員が
 居るという状況になっている・・
  政治家の秘書にも、相当、入っている・・
・今、中国は、先端技術を盗むためのスパイを送り込む事
 より、企業の最先端の技術者を抱き込むことをしている。
  中国の工作員を入れるより、日本人を抱き込むことに
 力を注いでいる。
  情報が盗まれる「見落としがちな穴」は通訳・・
  通訳を抱き込んで、情報を得ることもしている・・
  技術だけでなく政治の分野でも・・
・優秀な技術者を夏休みに中国に招待することもしている。
  この時に、「退職後も、引き受けますよ」と、高額な
 給料の誘いと共に退職後の話もつける・・
・日本の大学で、中国の国費留学生の居ない所は無い・・
  また、パソコンの入力の手伝いと称して、めぼしい技
 術を開発している大学教授の助手になる・・
  そして、研究所の大切な情報が抜かれる。
  国益を軽く考える者も多い・・
  パソコンデーターは、簡単に持ち出せる機器も発達し
 ている・・
  技術者に国益を守るという意識を付ける事も大切。
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2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その3)
・中国が、スリランカの港を、99年間の租借(そしゃく、
 外国の領土の中のある地域を借りて、一定の期間、統治
 すること)とした・・
  スリランカが、中国から借りた金を返済できないから
 取り上げるのだ・・というのが中国の理屈・・
・中国が、すでに、ジプチ(中東の紅海の入口の国)に拠
 点を作ってしまっている。
  もう中国の軍艦が存在している。
  中国軍艦が、すでに、スエズ運河あたりまで哨戒(し
 ょうかい、敵襲に対して見張りをして警戒すること)行
 動をしている・・
  中東の要(かなめ)、中東の門番のように抑えている。
・イランの石油を、アメリカとイランの関係が、どの様な
 状況になっても、中国は買う、金を支払うという事に、
 中国はしている。
  故に、今、潤沢な金がイランに入っていて、イランの
 軍拡が行われ、戦費調達がなされている・・中国の金が、
 この様な動きをしている・・
  故に、イエメンの反政府組織に、武器を与えているイ
 ランの行動も支援していることになっている・・
  中国が、この様に中東への橋頭保を築いて、中東情勢
 に、中国が、深くからんで行くという世界情勢となって
 来ている・・
  これは、アメリカの軍事力をアジアから中東へ向けよ
 うとする中国の策略である・・
  (中国寄りのNHKは、こんなことは、まったく放送
 しない)
・これに、トルコ問題も絡んで来ている。
  今、トルコが、急足に中国べったりになって来ている。
  「敵の敵は味方」の考え方になっている。
・イランと日本は関係が良い。
  イランと関係が良い西側国は日本だけ。
・イスラエルが核を持っている状況で、中東に、新たに核
 を持つ国ができると大変・・
・また、ロシアと中国がくっつくと大変。
・中国は、習近平になって初めて韓国へ行った・・「南か
 ら盗るぞ」の意思表示となっている・・
・北朝鮮をめぐる対立が本格的に成りつつある・・
  ロシアは、北朝鮮の金正恩を呼ぼうとした・・中国は、
 行かせまいと阻止した・・
・今、日本海に1000隻を超える中国漁船が居る・・この後
 に中国の艦艇が入って来る・・もう日本の海上保安庁で
 は対応できない状況となる・・
・日中両国が、通貨スワップの再開の検討に入るのはおか
 しい・・
  3兆円規模で始める・・
  (参考)スワップ取引:金融において、あらかじめ決
     められた条件に基づいて、将来の一定期間にわ
     たり、キャッシュフローを交換する取引。
  今、価値のない人民元の状況・・中国が刷れば使える
 というだけの通貨・・
  それを、万一の時には、日本が、世界に対して保証す
 る形になるのは「おかしい」・・
  日本の同盟国のアメリカの米ドルの足を引っ張る形に
 もなる・・
  中国の知的財産権の侵害もアメリカは何とかしようと
 している。
  そして、新たにアメリカは、人権問題(チベットやウ
 イグルや内モンゴル)も何とかしようとしている・・そ
 の足を引っ張る形になっている日本・・
  中国のこれらの根本的問題を何とかしようとしている
 アメリカの足を引っ張る日本となっている・・
  外貨準備などで、中国が打撃を受けているところを、
 日本が助けるという形になっている・・中国の日本への
 工作の影響・・日本の省庁への働きかけ・工作が功を奏
 している・・
・トヨタと日産が、中国の工場規模を30%を増やす事にし
 ている・・
  資金持ち出しを禁止している中国・・儲けた金を持ち
 出すことが出来ないことにしている中国もおかしいが・・
  その様な資金を、日本に持って来れないので、仕方な
 く中国にその資金を投下する事にしている。
  トヨタの大もとが増やせば、その系列・すそ野の広い
 系列の会社などの会社も増やさざるを得ないことになっ
 ている・・
  日本の経団連の親中国の動きも問題・・習近平系列の
 会社べったりになったりしている・・
  日本の優秀な軍事転用可能技術の流出が心配・・これ
 らが盗られる様になったら終りだ・・
・軍事転用できる技術が取られるようなリスクが高まって
 いる・・
  「メイド・イン・チャイナ2025」を実現しようとして
 いる中国・・
  (参考)メイド・イン・チャイナ2025:「製造強国」
     を目指すべく、中国政府(国務院)は、2015年
     5月19日に、今後10年における製造業の発展のロ
     ードマップを示した「メイド・イン・チャイナ
     2025」(中国語は「中国製造2025」)計画を発
     表した。
      その中には、製造業のイノベーション能力の
     向上や情報化と工業化の高度な融合の推進をは
     じめとする九つの戦略任務と、次世代情報技術、
     高度なデジタル制御の工作機械とロボット、航
     空・宇宙設備などからなる十の重点分野が盛り
     込まれている。
  (参考)西側諸国の懸念:メイド・イン・チャイナ2025
     などの中国の動きへの懸念・・
      米紙・ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)
     6日付によると、米通商代表部などの政府高官は、
     中国当局主導の振興策は公正な競争を損なうと
     批判。
      米政府関係者は、中国当局は国内企業に補助
     金を給付するほか、外国企業に対して技術移転
     を強いる可能性が高いとの認識を示した。
      トランプ政権は、2017年から、中国による知
     的財産侵害の疑いで調査を行っている。
      調査結果によっては、米政府が今後、関税引
     き上げや輸入制限を含む対中制裁を強化すると
     みられる。
      米シンクタンク、戦略国際問題研究所のスコ
     ット・ケネディ副所長はWSJに対して、「ハイテ
     ク強国との目標を達するために、中国当局は歳
     入拡大や市場アクセス制限、技術を移転するよ
     う企業に圧力をかけている」と指摘し、「米は
     中国の行動に注視している」と述べた。
      在中国の欧州連合(EU)商工会議所が2017
     年、「中国製造2025」について、「極めて問題」
     があり、海外企業の差別につながりかねないと
     の報告書をまとめた。
      「海外企業の間では、中国市場に参入する条
     件として、技術の譲渡を迫られるのではないか
     との懸念が浮上している」と指摘した。
・この様な西側諸国の動きであるのに、日本だけが、中国
 トラップ・工作に「はまっている」・・
・近々の情報でも・・日本の優秀な技術である「急速充電
 技術」を、中国は盗もうとしている。
  日本と中国は、提携することを決めた。
  日本は、中国のシェアが90%だという所に目がくらん
 でいる。
  中国のパイの大きさに目がくらんでいる。
  レーザー兵器にも転用できるこの技術を盗もうとして
 いる。
  アメリカも、真から、喉から手が出るほど、この日本
 の技術を欲しがっている。
  日中の話の節電は名目で、節電ではなく、本当は、レ
 ーザー兵器・レールガン兵器の技術開発に持って行かれ
 る。
・中国は、海外企業に対して、役員に中国人民(共産党員)
 を入れなければならないとしている・・
  この様な話は、中国寄りのNHKは、ニュースにもし
 ない・・
  NHKは、「NHKは、中国に信頼されている」と変
 な自画自賛まで放送している・・
・韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も軍事技術を共
 に持とうなどととんでもない話を中国にしている・・
  「非核化のためだ」と、脈絡の付かないことを理由に
 している・・
・アメリカは、中国企業のファーウェイを追い出すことに
 している。
  「中国のファーウェイは使わない」という通達が出た・・
  (参考)ファーウェイ:華為技術有限公司、中華人民
     共和国の通信機器メーカー、
      現在ファーウェイは、300近い通信事業者に製
     品・ソリューションを提供しており、世界トッ
     プ50事業者のうち45社がファーウェイの製品・
     ソリューションを使用している。
      2008年に国際特許出願件数世界1位になる。
      戦略的にあえて非上場を貫いている。
      超巨額な利益を上げており、また、超巨額な
     研究開発投資をしていて、研究者も厖大。
 (参考)ファーウェイへの疑念:CNBC(アメリカの
    ニュース専門放送局)の報道によると・・、
     FBI長官が、「ファーウェイが、アメリカの
    情報通信ネットワークの中で力を得ていることに
    懸念」「ファーウェイの端末は、情報を盗む機能
    を持っている」と述べた。
     以前、ファーウェイの端末に、「ユーザーの
    個人情報を勝手に収集し、許可なく中国のサーバ
    に送信する機能」が搭載されていたことが明らか
    になっている。
     アメリカ政府は現在、政府職員がファーウェイ
    /ZTE製スマホの使用を禁ずる法案も検討してい
    る。
     ZTE(中興通訊、中国メーカー)も同じよう
    な事をしていると指摘されている。
  (参考)2018年2月16日、ハフポスト(HuffPost、アメ
    リカのオンラインメディア)
     中国企業のファーウェイとZTEのスマートフ
    ォンを使わないように、アメリカの情報機関の高
    官が国民に呼びかけた。
     CNBCによると2月13日の上院情報委員会で、
    中央情報局(CIA)や、連邦捜査局(FBI)、
    国家安全保障局(NSA)などの高官6人が出席。
     アメリカの消費者は、この2社の製品を使うべき
    でないという考えを示した。
     ZDnet(法人向けのITニュースを配信するサイ
    ト、CBSインタラクティブ社が運営するニュース・
    サイト)によると、この席でFBIのクリストファ
    ー・レイ長官は以下のように話したという。
     「価値観の違う外国政府に借りがある企業・組
    織が、国内の通信ネットワークで影響力を持つリ
    スクを深く懸念している」
     「私たちの通信インフラに、プレッシャーをか
    けたり、影響を及ぼす能力を与えてしまう」
     「悪意を持って、情報を改ざんしたり、盗んだ
    りできる。スパイ行為だってできるだろう」
     ロイターによると、共和党のトム・コットン上
    院議員とマルコ・ルビオ上院議員は7日に、ファー
    ウェイとZTEの通信機器について、アメリカ政
    府の購入やリースを禁じる法案を提出した。
     アメリカ当局者へのスパイ行為に対する懸念を
    理由としている。
・この様な動きの中で、日本は、中国に甘い。
  技術や情報を盗むシステムがはめ込まれているという
  見方となっている・・
・ホイールにエンジンを組み込む「ホイールエンジン」の
 技術が・・盗まれるリスクがある。
  軍事技術に非常に大切な技術。
  熱感知しにくいシステム・・見つかりにくいシステム・・
 この技術を持っている日本が、世に役立つならと甘い考
 えに居る・・自分が開発したから、「どうするのも自分
 の自由」なんて、お人好しに考えている日本の技術者。
  空気清浄化システムが、「潜水艦に転用できる」なん
 て考えてもいない・・
  戦闘機のエンジンを冷やすシステムに転用できる冷却
 設備の技術も・・こんな事を考えていない日本・・
  この点、日産が偉かったのは、ミサイル技術を持った
 ところは分離して、他企業に売却してから、ルノーと提
 携した・・
  日本の経済界は、この様な危機管理意識が欠如してい
 る・・
・日本の一番進んでいる技術・・電気自動車の次に来る水
 素エンジン技術も、中国が盗もうとしている。
  石油メカニズムのシステム系から脱却できる大切な将
 来技術・・
  トヨタが、その工場を見せたりしている。
  新幹線技術が盗まれたことを忘れている。
・水素を簡単に作れる日本の技術を持った会社がすぐに中
 国に買収された。
  経済的問題でつまづいているだけの企業が盗まれる・・
 技術は優秀で、その技術の行き詰まりではなく、会社経
 営問題だけで中国に盗まれた・・優秀な技術者が盗まれ
 る・・
・この様な政府の指導が甘い。
・ドイツが中国とべったりをして来た・・一帯一路の東の
 要衝(ようしょう、交通・軍事・通商の上で、大切な地
 点)にはドイツがあるという考えにあった・・このドイ
 ツが、少しづつ変わって来ている。
  中国べったりのフォルクスワーゲンも叩かれている。
  世界から圧力を受けたドイツも・・中国の本質が分か
 って来ている・・一帯一路のおかしさが分かって来てい
 る・・
・「モンテネグロの大借金もおかしい」とEUは分かって
 来ている・・小さな国のモンテネグロが、中国の大借金
 を返済できるのか??・・と・・(ギリシャの二の舞?)
  同じような話があちこちに・・ブルガリア、ルーマニ
 ア、ハンガリーなど・・中国は手広くやっているが・・
  アフリカでも中国はやっている・・
・メルケルは、東ドイツ出身なので、共産圏諸国に甘い・・
 その様な考え方が、体に染み込んでいる人・・
  警戒心が無いから、ドイツは、1週間で何十社もどん
 どん中国に買収されたという調子・・
  やっとストップがかかる様にはなって来た・・
  イギリスは、その様にはならないという法律を作った・・
  アメリカも法関係を整備し始めた・・
・中国が狙っている一つが「ロボット兵士」・・
  殺人兵器が量産される中国・・国連はそれを止めよう
 としているが・・その様な中で・・ロボット戦争に邁進
 している・・日本には、それにつながるロボット技術を
 持っていないと世界は知った。
・中国のロボット兵士に入力される行動システムは、「怪
 しければすべて撃て」と教える・・怪しいという判断だ
 けで行動を起こす・・怪しいのはすべて撃ち殺せになる・・
  西側諸国のシステム入力は、その様には出来ない・・
  ロボット兵士が前に出て、人間の兵士はバックに下が
 る形の戦いになる・・その時、中国のワンサイドの戦い
 になる・・
  鳥に似せたドローンのロボット兵士が、実際に、実験
 飛行している・・
  (自衛隊は、そんなことはできないことになっている・・)
  (自衛隊は、先に撃ち殺されてしまう・・)
・ロボットの市街戦・・一般住民が殺される・・
・中国の論文には・・中国は人口が多いので2億人~3億人
 が死んでも大丈夫なんて平気で書かれている。
・中国は、人口を半分減らそうとしている・・老人を減ら
 し、精神病患者を減らし・・しかし、来年、3人の子供を
 産んでもよいとしている・・中国は病院が少ない・・汚
 染も酷い・・河川汚染、土壌汚染、空気の汚染、海の汚
 染・・など
  16年経つと、この人たちが、中国軍の兵士となる・・
 中国は、兵士となって戦って死んでも、遺族は金を貰え
 ない・・
・台湾に対して中国がやっている恐喝に日本は敏感になる
 べき・・
・アメリカと日本は、これ以上、中国軍が強くなる前に台
 湾を国として承認すべき・・世界は、ドミノ現象的にこ
 れにならう・・
  台湾の蔡英文(さいえいぶん)総統が、アメリカに立
 ち寄った・・中国は「出来ない」としていた・・蔡英文
 氏は、「台湾は、中国に屈しません」と明言している・・
・トランプ大統領は、キッシンジャーと会って、『一つの
 中国の原則にこだわらない』と明言した・・
  韓国の在韓米軍が台湾へ移ると良い・・
.
【討論】どこへ行く中国習近平政権[桜H30/8/25]
https://www.youtube.com/watch?v=yIeIlTY1t9E
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-09-15 03:29 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)610E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年9月~1894年10月)

題:(増補版)610E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年9月~1894年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年9月16日、平壌の戦い
  日清戦争における最初の本格的な陸戦(9月15日説あり)
  混成第9旅団長・大島義昌少将は、入韓直後から清国の
 大軍が平壌に集中するとの情報を得ていた。
  騎兵斥候を平壌に派遣し、駐留させていた。
  7月下旬になって、清国軍が、義州を経由し平壌に進軍
 して来た。
  1894年8月10日、黄州から中和に偵察に出た時、強力
 な清国軍と遭遇した・・指揮官の町口中尉・竹内少尉な
 どの幹部が戦死する。
  1894年8月19日、第5師団の長野津道貫は、ソウルに到
 着した。
  この頃、韓廷の首班の大院君は、清国兵が次々と南下
 して来る報に接して怯え、動揺していた。
  清国の李鴻章は、7月上旬から順次、軍事力を動員し、
 諸部隊の体制完成を目ざし、その諸部隊には平壌に集結
 することを命令していた。
  1894年9月13日、李鴻章から指揮を任された葉志超は、
 諸処から来る日本軍をみて、その包囲を避けるため撤退
 を決断した・・それを各将にはかった・・しかし、奉天
 軍総兵の左宝貴は、それを聞いて憤然とした・・そして、
 自己の親兵をもって葉志超を監禁してしまった。
  清国軍に司令官が存在しない状態となった・・、
  清国軍の各将は、指揮命令が無く、自分の判断で戦う
 ことになった。
  第5師団の長野津道貫は、軍の包囲の完成をみて、9月
 15日に総攻撃と決定した。
  1894年9月15日、午前6時ごろ、攻撃は激烈となった。
  6時20分頃、歩兵第21連隊の突撃が行われた・・
  この攻撃は失敗する・・しかし、7時までに、敵を牡丹
 台方面へ敗走させた。
  この様な状況で始められた戦いだが・・14時半、朔寧
 支隊に、現在地に止まって夜営準備が命令された。
  16時半ごろ、前面城壁と乙密台の清国軍は射撃を停止
 し、白旗を翻した。
  17時頃、軍使をおくる準備をしていた頃、突然雷雨と
 なった。
  清国軍は、雷雨を口実として、開門は翌朝と要望した。
  しかし、 21時、雨がようやく収ったころ、多数の清国
 兵は甑山の方向へと逃走し始めた。
  1894年9月16日の翌日、1時10分、歩兵第12連隊は、暗
 門から城内に突入した・・
  場内は、道に迷うわずかな清国兵のみで、もぬけの殻
 だった・・平壌の陥落。
  日本軍の戦死者は180人、負傷者は506人・・
  清国軍の戦死者は2000人以上といわれる。
  清国軍の指揮官は、戦死した左宝貴以外はいずれも脱
 出に成功した。
  指揮官:日本:野津道貫、桂太郎・・
      清国:葉志超、左宝貴
  戦力:日本:約10000人
     清国:約13000~15000人
  損害:日本:死者180人、負傷者506人
     清国:死者2000人、負傷者約4000人
.
1894年9月17日、黄海海戦
  この日、日本海軍が、黄海大孤山港沖で清国艦隊と遭
 遇し交戦となる・・
  日本は勝利し、黄海の制海権を握った。
  日本の連合艦隊と清国の北洋艦隊主力との交戦だった。
  これまで、清国は、海軍力を日本に見せつけ、日本を
 威圧して来た・・
  その威圧行動で長崎港に来た北洋艦隊の清国兵士が、
 日本を馬鹿にして暴れる事件を起こしたりなどもしてい
 た。
  日本は、凶作などもあり予算措置ができず、これまで
 海軍増強もままならなかった・・が、経済回復とともに、
 目ざましく軍備を増強して行った。
  例えば、海軍力は、1881年(この海戦の13年前)は、
 清国と日本の所有する軍艦は共に3隻であったが・・、
  清国は大型艦を持ち、日本の艦艇は貧弱そのものだっ
 た。
  そしてまた、清国は、その後も大型艦をどんどん作り・・、
  1887年には、清国10隻、日本は4隻と、圧倒的な清国の
 海軍力優位となった。
  (2018年現在の中国と日本との軍事力の差の様に・・)
  日本も、中国の脅威に、1888年(この海戦の6年前)か
 ら、艦船数を増やす努力をして行った。
  また、大型艦を増やして行ったが、中国・清の増強の
 方が目覚ましく、清国に追い着くことは、しばらく出来
 なかった。
  しかし、1892年(海戦の2年前)には、ほぼ対等の状態
 にたどり着くことができた。
  この様な・・まだ劣勢の日本の状況の中で・・、
  1894年9月17日に、黄海海戦を、日清両国は戦った。
  日清戦争は、中国で戦われたと思われ勝だが、朝鮮半
 島でその多くが戦われた。
  清国軍が威海衛から渡海し、朝鮮のソウル(当時の漢
 城)近くに上陸し、日本と交戦した。
  また、平城近くでも戦った。
  日本は、九州や沖縄から出撃した。
  この黄海海戦は、『近代的な鉄甲蒸気船同士で行われ
 た世界史上初の大規模な海戦』だった。
  日本は勝利をおさめ・・清国海軍は、大幅に戦力を低
 下させ、黄海と渤海の制海権を失った。
  日本の連合艦隊司令長官は、伊東祐亨(いとうすけゆ
 き)海軍中将だった。
  清国の損害5隻喪失、大中破で、日本の喪失は無し、
 大破4隻だった。
  海戦の場所:黄海、鴨緑江沖。
  1894年午前10時過ぎ、両艦隊がお互いの煙を確認。
  連合艦隊は、直ちに、戦闘態勢を取り急接近する。
  北洋艦隊も、日本艦隊を迎え撃つ体制にした。
  連合艦隊は12隻・・第一遊撃隊4隻、そして、司令長
 官の率いる本隊6隻、そして、本隊後方に2隻だった。
  北洋艦隊は14隻で、連合艦隊より2隻多く、本隊10隻、
 そして、4隻が続いた。
  12時18分、連合艦隊司令長官は、攻撃開始の国際信号
 旗・旗旒信号(きりゅうしんごう)を発した。
  北洋艦隊は、楔形の横列陣で、連合艦隊に直進して来
 た。
  12時52分、本隊の旗艦「松島」が距離3500mで砲撃を
 開始した。
  12時55分、第一遊撃隊も、北洋艦隊右翼に回り込み距
 離3000mに近づき砲撃を開始した・・
  速射砲で猛烈な砲火だった。
  北洋艦隊は、連合艦隊に突進して、衝角戦(しょうか
 くせん、体当たり攻撃で、船復を破り大浸水を起こす)
 にしようとした・・そして、双方、砲火を交わし被弾。
  13時5分、北洋艦隊の艦が火を噴く・・、
  30分後に沈没。
  そして、北洋艦隊のもう1隻も多数被弾し、火を噴き
 戦闘不能となる。
  日本側も第一遊撃隊「吉野」が被弾し、弾薬が誘爆し
 て火災を発生。
  この様な戦いが延々と続く・・、
  日本側に、幸運な命中弾などもあり「赤城」は危機を
 脱したりした。
  また、連合艦隊の「西京丸」が、魚雷3本を発射された
 が喫水が浅いのが幸いして、その1本が船底の下を通過し、
 命中を免れ、九死に一生を得た。
  15時10分、連合艦隊第一遊撃隊、距離3700mで、本隊
 と共に北洋艦隊へ十字砲火を発射。
  15時15分、北洋艦隊は大打撃を受け、3隻で火災が発生。
  北洋艦隊に戦線離脱する艦も現れる(敵前逃亡で、海
 戦後に斬首の刑に処された)
  つられて、逃亡を途中まで試みる北洋艦隊の2艦があり。
  北洋艦隊は集中砲火を浴び・・1隻沈没。
  15時30分、北洋艦隊の30.5㎝砲弾が、連合艦隊「松島」
 に命中、大破し炎上する。
  16時7分、「松島」、鎮火するも被害甚大、舵が不調。
  北洋艦隊も味方の火災、逃亡、沈没が続いて、四分五
 裂となる・・
  2隻を残して、4隻が戦線離脱体制となる・・
  他の2隻も退却を始める・・連合艦隊の第一遊撃隊が追
 撃態勢に移る。
  16時45分、司令長官が、交戦する本隊の各艦に進撃を
 中止し、旗艦「松島」に集結する信号を出す。
  16時48分、第一遊撃隊が逃走する北洋艦隊の1隻に追い
 付き、攻撃開始・・、
  命中度が高く、艦首から沈没。
  17時40分、再集結した連合艦隊本隊は、順次、南方へ
 後退。
  それを見た、残った北洋艦隊2隻も退却を始める。
  17時45分、第一遊撃隊が敵艦を追おうとしたが、司令
 長官からの「合流せよ」の信号が発せられ引き返す。
  20時、伊東司令長官は、旗艦を「橋立」に変更して移
 乗・・、
  大破した「松島」は呉軍港へ帰還させる。
  翌日・18日1時15分、「西京丸」、朝鮮半島の日本海軍
 根拠地に帰還。
  3時30分、北洋艦隊の1隻が帰還中に被弾による舵の不
 調から座礁・・放棄された。
  5時50分、連合艦隊の1隻が根拠地に帰投。
  18日12時から連合艦隊司令部は、帰投した北洋艦隊を
 再補足の目的で発進させたが・・発見できず。
  その後、日本海軍の水雷部隊が、帰投した北洋艦隊を
 発見し、『威海衛の戦い』をする。
  2隻撃沈、1隻大破・座礁、その後自沈・・、
  4隻は鹵獲(ろかく、戦いで得る・ぶんどる)し、日本
 海軍に編入。
  これによって北洋艦隊は消滅。
.
1894年9月、絵草紙屋の店先に戦争の画が並ぶ。
  玩具屋には、サーベル・兵隊帽・ラッパなどが並べられ
 た。
.
1894年9月、絵草紙も、新聞紙や書籍同様に検閲を受けるこ
 とになった。
  8月17日付けの都新聞に、絵双紙に夢中になってる人が
 多く、スリが横行していると記している。
  歌人の斎藤茂吉も、日清戦争の錦絵を見たと書いてい
 るが、庶民がそれだけ熱中するほど、戦争報道は盛り上
 がっていた。
  因みに、10年後の日露戦争は写真報道に沸く。
.
1894年10月1日、東京商品取引所が開業。
  蛎殻町で誕生したが、営業不振に陥り、1908年に、東
 京米穀取引所に吸収合併される。
  砂糖・塩・綿糸・綿花・木綿・油・肥料・金属・雑穀
 の9品を取り扱った。
  そして、第2次東京商品取引所が、1951年2月に設立さ
 れた(旧・東京繊維取引所の設立日、東京工業品取引所
 としての設立は1984年11月1日)
  この時、東京ゴム取引所、東京金取引所が統合された。
.
1894年10月1日、日本鉄道の八戸線八戸駅~湊駅間の開通に
 より尻内駅~湊駅間が全通した。
  日本鉄道によって、1891年に開業した本線(後の東北
 本線)は、駅が海沿いの八戸市街から離れた尻内に設置
 された。
  このことから、1894年に、尻内駅(現・八戸駅)から
 分岐して八ノ戸(現・本八戸駅)を結ぶ支線を敷設した
 のが始まりで・・、
  1894年の同年中に、八ノ戸から湊へ延伸された。
  この状態で、日本鉄道は、1906年に公布された鉄道国
 有法により1907年11月1日に買収されて官設鉄道に編入さ
 れた。
  この後、1909年に八ノ戸線と命名され、1924年に八戸
 線と改称された。
.
1894年10月3日、西園寺公望が、第2次伊藤内閣の文部大臣
 となる・・これが初入閣で、外務大臣を兼任した。
  病気で辞任した井上毅の後任の文部大臣だった。
  西園寺公望は、行き過ぎた日本中心主義を否定し、女
 子教育発展をもとめるなど、日本を西洋諸国のように開
 明進歩させる教育を唱えた。
  また、翌年の1895年には、親友の陸奥宗光外相が病気
 のため、外務大臣臨時代理をつとめた。
  1896年5月に、陸奥が外相を辞任すると、西園寺は正式
 な外相となり、文部大臣と兼任したが・・
  1896年8月に、伊藤内閣が倒れ、第2次松方内閣で数日
 間大臣を務めた後、両大臣を辞任した
  1896年11月には、法典調査会副総裁も辞任し、フラン
 スへと旅立った。
  西園寺は、フランスで教育制度や軍の内閣による統制
 などを研究するつもりだった
  西園寺公望は日本の公家、政治家、教育者。
  位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。
.
1894年10月3日、大本営が、第2軍を編成した(9月25日説
 あり)
  司令官は大山巌大将。
  参謀長:井上光大佐
  砲兵部長:黒瀬義門砲兵大佐
  工兵部長:勝田四方蔵工兵大佐
.
  (今日の言葉)
.
  題:まず、「賄賂トラップ」と「ハニートラップ」にかけ・・
   その後、「債務トラップ」にかけて、
   国を借金まみれに陥(おとしい)れ、政治をコントロールし、
   港湾など戦略的軍事拠点を奪取する・・
.
905年、古今和歌集が完成し、天皇陛下に奏上された。
  古今和歌集は、平安時代前期の最初の勅撰和歌集(天
 皇陛下や上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集)で、
 後醍醐天皇の命により、紀友則 (きのとものり) 、紀貫
 之 (つらゆき) 、凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) 、
 壬生忠岑 (みぶのただみね) が撰集にあたった。
  大和歌は、人の心を種として、萬(よろず)の言の葉
 とぞなれりける。
  世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思
 うことを、見るもの、聞くものにつけて、言い出せるな
 り。
  花に鳴く鶯(うぐいす)、水に住む蛙(かわず)の声
 を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌を詠(よ)
 まざりける。
  力をも入れずして、雨土(あめつち)を動かし、目に
 見えぬ鬼神をも、哀(あわ)れと思わせ、男(おとこ)
 女の中をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(ものの
 ふ)の心をも、慰(なぐさ)むるは歌なり。
             (「古今和歌集」仮名序)
  「古事記」「日本書紀」は漢字(真仮名)で書かれて
 いた。
  「土佐日記」「古今和歌集」から仮名文学が始まった。
  因みに、古今和歌集は、905年に勅命を受けて、913年
 ~914年頃に完成したという説。
.
1870年(明治3年)、兵部大輔の前原一誠は、太政官への建
 白で、阿片戦争におけるイギリスやアロー号事件におけ
 る英仏連合軍による北京占領を指摘して、その危険性を
 警告した。
  1887年、また、井上馨は、条約改正問題の意見書で、
 欧州各国は、「其力を殖民拓地の政略に専ら」用い・・、
 アジアやアフリカは「逐鹿(ちくろく、利権を得る競争)
 の場」になると見た。
  以上のように、世界の弱小国を好きに従属させている
 欧米列強の行動は、さながら、日本もその脅威の中で生
 きているという日本の指導者層の脅威・恐怖の認識で、
 その中で、最も恐るべき脅威と考えられたのは北方のロ
 シアだった。
  1887年のこの年、外務権大丞・柳原前光は、ロシアは
 「満州東北を蚕食し、其勢往々朝鮮を呑」む勢いであり、
 元来「虎狼の国柄」、ヨーロッパの動乱の隙を窺(うか
 が)い、いずれ矛先をアジアに向けると認識していた。
  1873年、大久保利通は、この年の「征韓論に関する意
 見書」で、日本にとって最も恐るべき国はイギリスとロ
 シアであるとした。
  大久保がイギリスを恐れたのは、日本が外債をイギリ
 スに大きく頼っていたことにもあった。
.
1934年、中国の共産党軍が、中国奥地に隠れる。
  この年から1936年まで、毛沢東の率いる共産党の中国
 軍は、1万2000キロメートルも中国の奥地・延安へと逃げ、
 そして、隠れた。
  共産党中国軍は激減し、消滅の憂き目にあった。
  そしてまた、中国・国民党軍と日本とを戦わせて消耗
 することを中国奥地で願っていた・・、
  それを・・美しく「長征」と言っている。
  この様な共産主義国の中国が、国民党軍と日本との戦
 いで『南京事件が起きた』とした・・起きてもいない南
 京事件を、「起きた」とデッチ上げた・・そして、世界
 にプロパガンダ(嘘宣伝)して日本を貶(おとし)めた。
  また、同様に、起きてもいない慰安婦問題を起きた様
 に仕組んで、韓国を陰で操(あやつ)り、さも韓国が行
 動している様に見せかけ、慰安婦像を立てさせたりして、
 世界へ嘘のプロパガンダをしている。
  その様な陰湿な共産中国のプロパガンダ(嘘宣伝)行
 動が判明して来ている・・共産中国の工作員が世界中で
 うごめいている。
  こんなことを、共産党中国は、昔からやって来た。
  世界は、昔から騙されて来ていた。
  延安に隠れた毛沢東が、そして、この地での事が美し
 く語られた・・が・・これが、まったくの嘘。
  「八路軍は、糸一本、針一本、住民から略奪しない」
 とか、
  「共産中国には、ハエが一匹も居ない」とか・・
  清潔の極みなのだとか、まったくあり得ない嘘八百を、
 世界に発信し続けた。
  「住民は、皆、民主主義を信じている」とか、
  「共産党は独裁を避けている」とか・・「多党化しよ
 うと議席の3分の1しか取らない」とかと・・
  今の共産党の中国政権だって嘘八百だ・・「集団指導
 体制だ」と言っているが? 『一握りの者たちの独裁』
 ではないか・・、
  延安の毛沢東のやることは「素晴らしいモラルの世界
 だ」とか・・と・・、
  フリーダ・アトリーという女性のイギリス人ジャーナ
 リストは、ロシア人の共産党員と結婚した。
  そのこともあって、共産党に染まり、コミンテルンの
 メンバーになった。
  そして、スターリンの大粛清を見る、また、体感する。
  夫が捕まり、強制収容所へ送られてしまう。
  止む無くイギリスへ帰る。
  そして、アメリカのコミンテルン工作員のラティモア
 やスメドレーと知り合う。
  そして、新聞記者として中国へ渡る。
  彼女は、この様な経緯をとって共産党の内部の細かい
 ところを知る・・、
  ロシアと中国の実態を、自ら内部に存在する者として
 体感する。
  そして、彼女は、ここに至って破綻する。
  ソ連の共産主義に「完全に幻滅した」ことを表明する。
  「共産主義は本質的に偽善である」と言う。
  「ナチズムは悪であるが、悪い事をして、それを善に
 見せかける共産主義の方が、ナチズムよりも救い難い悪
 である」と言う。
  そして、中国の共産主義から、最初、美しい中国共産
 党の国を見せられ・・「ソ連よりましだ」と思わせられ
 る・・が、結局、長期に見ていて・・その実態を、その
 実際を知って行くと・・
  「ロシアよりも、中国共産党の方が、はるかに恐ろし
 い」と書く・・、
  そして、「我々は、認識を惑わされている、中国共産
 党は魔物だ」・・と批判する。
  ソ連とともに、中国共産党国家の大規模な偽装工作の
 徹底ぶりは凄(すさ)まじかった。
  中国共産党は、延安で麻薬栽培までしていた。
  (中国寄りのNHKは、こんなことは放送しない・・
 中国の讃美放送しか放送しない・・)
  アメリカの外交官やジャーナリストが、延安に訪れ、
 視察をすると・・ケシ畑は絶対に見せないようにした。
  農民たちにも、「毛沢東様を支持します」と言わせ、
 「八路軍によって、お陰さまで地主から解放されました、
 幸せです」・・と言わせた。
  その視察団が通るコースに沿って、徹底的に工作した。
  その工作範囲が、何と! 「幅3キロ、長さ150キロ」
 と言うから、その凄まじさは想像を絶した。
  「共産党に対する自然な支持が広がっていると確信し
 た」とさえ、外交官やジャーナリストたちは思わせられ・・
 そして、その事が、間違った認識が・・世界に発信され
 た。
  こんなことは、ロシアもやっている・・
  例えば、強制収容された日本人施設の例・・
  海外からの視察が来るとなると、病人はすべて収容所
 の外に運び出し、他の場所に移され、そして、元気な人
 間だけが集められ、並ばされた。
  近所の村から果物や野菜やらをかき集めて山盛りに積
 み・・机を全部シーツで包み、清潔に見せかけた・・
  こんな例は、書けばきりがない。
.
1945年8月23日、シベリア抑留(唾棄すべき拉致行為))
  ソ連による国際法違反のシベリア抑留が始まる。
  シベリア抑留は、ソビエト連邦(ソ連)によって、第
 二次世界大戦の終戦の後に、すでに、武装解除されてい
 る日本軍兵士や、無実の開拓民などの日本人の一般人ら
 を、主に、シベリアなどへ労働力として拉致して、移送
 し、そして、隔離し、長期にわたって抑留生活を強いて、
 奴隷的強制労働により多数の死者や人的被害が生じた。
  ソ連のこの行為は、武装解除した日本兵や、何ら罪の
 ない一般の日本人らの家庭への復帰を保証したポツダム
 宣言に反する国際法違反の行為であった。
  日本は、すでに、1945年8月14日に、中立国を通して降
 伏を声明している。
  1993年10月、ロシアのエリツィン大統領は訪日した際、
 「この行為は非人間的な行為だ」として謝罪の意を表し
 た・・(補償の話は未解決)
  しかし、まだ、ロシア側には、依然、日本軍将兵は戦
 闘継続中に合法的に拘束した「捕虜だ」と、まったくあ
 り得ない話を主張し・・また、日本人の一般人に対して
 の不法行為に対しては、まったく反論できない状況とな
 っている。
  ロシアは、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者と
 は違う」と筋の通らない、そして、成立しない話を主張
 している。
  また、シベリアに連行された日本人は200万人以上で、
 死者は40万人以上であるが・・
  抑留された日本人を57万5000人とし、厳寒の環境下で
 満足な食事も与えず、休養も与えず、苛烈な労働を強要
 されて死んだ人の数を5万5000人としている。
  最近の研究成果がロシア側から明らかにされた。
  ロシア人のアルハンゲリスキーの著作にその数が記さ
 れているが・・抑留者200万人以上、死者数40万人以上と。
  KGB(ソ連国家保安委員会)は、60万人の抑留で、
 約6万人の死者数としている。
  このソ連の不法行為は、連合国のポツダム会談に於い
 て、アメリカのルーズベルト大統領にそそのかされたス
 ターリンが、「日本領土への侵攻・侵略を実施した」こ
 とによって発生した。
  ソ連は、シベリア開拓の労働力を「喉から手が出るほ
 ど欲しかった」。
  1945年8月16日、スターリンは、日本人を捕虜として用
 いないという命令を内務人民委員のラヴレンチー・ベリ
 ヤに下していたが・・、
  1945年8月23日、これを翻した。
  「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づいて、日本軍
 をソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命
 令を下した・・しかし、一般の日本人までをもシベリア
 へ拉致した。
  ソ連は、 満州国境にも174万人ものソ連極東軍を終結
 させ、不法な侵略を開始した。
  この一帯で地獄図が描き出された・・日本の満蒙開拓
 団の人々は、ソ連軍戦車の機関銃にに銃撃され、また、
 戦車に轢(ひ)き殺された・・
  この様な混乱状態の中で、中国も、日本人に対して卑
 劣な行為を行なった・・
  中国国内や満州国内で、終戦の後なのに殺したり、捕
 まえて収容所に入れ、飢餓状態にして命を奪った。
  また、病気になっても放置され、命を失った。
  この様な日本人は、日本兵の軍人に限らず、民間人も
 被害を受けた。
  中国は、この事について口をつぐんで謝罪の意思さえ
 見せない。
  特に、満蒙開拓団の状況が酷く、このことが明らかに
 されない事情の中に、中国側だけの問題だけではなく、
 日本側の官僚が、「外交をうまくやるためには、この様
 な事は言わない方が良い」という表現のしようのない怒
 りしか湧かない「売国奴的態度を取っている」ところに
 ある。
  中国の息のかかった工作員としか思えない輩である。
.
1950年代、マッカーシズム
  1950年代に、アメリカ合衆国で発生した反共産主義に
 基づく社会運動、政治的運動。
  アメリカ合衆国上院(共和党)議員のジョセフ・マッ
 カーシーによる告発をきっかけとして「共産主義者であ
 る」との批判を受けたアメリカ合衆国連邦政府職員、マ
 スメディアやアメリカ映画の関係者などが攻撃された。
  アメリカの第32代大統領のフランクリン・ルーズベル
 トの側近から官僚、そして、その他の広い範囲に共産圏
 の工作員がうようよといた・・工作員だらけだった。
 その為、日本との戦争にまで至ってしまった。
  その様な反動もあって、1950年代に、アメリカはマッ
 カーシズムが起きた。
  今・現在の日本も、中国の工作員がうようよと居て、
 スパイ天国となっている。
  このアメリカのマッカーシー旋風は、アメリカの情報
 機関が、ソ連の暗号を解読していることを惑(まど)わ
 し、隠すためにも行った。
  ソ連のスパイの情報をリークして議会で追及している
 という形にした。
  ホワイトや、カリーや、アルジャー・ヒスは、アメリ
 カでの最も高位についたソ連のスパイだった。
  これは、「ヴェノナ文書」にも記されている。
.
2017年12月6日、ウイグルを弾圧し続ける中国
  この日のウイグル放送の記事によれば・・、
  新疆ウイグル地区の中国公安当局は、微信(WeChat)
 などのソーシャルメディアで、国外留学中のウイグル人
 学生に連絡を取り、「帰国しなければ母親を強制収容所
 に送る」などと脅迫している。
  以下は、トルコ在住のウイグル人留学生に対する、公
 安当局の脅しの一部・・、
  「私は収容所の者だ。母親が大切ならこのアカウント
 を追加せよ」
  「トルコで暮らし、留学しているウイグル人の家族や
 親戚を収容所に収監し、強制的に『再教育』するように
 との上層機関からの命令がある」
  「おまえがトルコ留学中だから、母親がおまえの代わ
 りに『再教育』をされる」
  「トルコ国内にいる全てのウイグル人家族が、代償を
 支払うことになる」
  これだけのウイグル人の人々が拘束されていたら、当
 然ながら産業や経済は崩壊して行く。
  2017年10月18日の放送の記事では、南新疆ホタン市で
 大勢の商人が収容所送りとなったため、市内最大のバザ
 ールで店の3割が閉鎖され、顧客も半分程度に落ち込んで
 いる。
  同じく南新疆カシュガルのベシケリム村では、2000万
 平方メートルのブドウ畑のブドウが腐り始め、村民の暮
 らしを直撃している。
  取引をするウイグル人商人のほとんどが収容所送りと
 なり、買い手がなくて市場に出回らなくなった。
  一方、「商売敵(しょうばいがたき)がいなくなって、
 取引がうまくいっている」と喜ぶ漢人商人のインタビュ
 ーも紹介されている。
.
2018年7月12日、インターシップ制度を利用してスパイ活動
 をする中国
  オーストラリア上院は、2018年7月12日、議員インター
 ンシッププログラムが、今後、外国人留学生を募集対象
 から外すと発表した。
  この決定は、豪政府が中国のスパイ活動を防ぐ一環だ
 とみられる。
  同国議会では、これまで、議員は外国人留学生をイン
 ターン生として採用することができた。
  インターンシップ期間は3カ月と定められていた。
  期間中、留学生らは議会の「機密文書の閲覧も可能」。
  議会は、機密情報漏えいの対策として、インターン生
 に機密文書についてメモを取らないよう要求することに
 とどまっていた。
  上院のスコット・ライアン報道官は12日、「今後議会
 がインターン生を募集する際、豪国籍の国民のみに限定
 する」と述べた。
  昨年・2017年12月、ターンブル豪首相は、中国共産党
 政権に近い中国人富豪らが政治献金を通じて、同国の政
 策策定に強い影響力を行使したと批判した。
  また、中国の影響力の排除に向けて、「オーストラリ
 ア人民は立ち上がった」と中国語で発言した。
  英紙フィナンシャルタイムズは、昨年・2017年9月、ニ
 ュージーランド国籍中国系議員の楊健氏が、1994年、オ
 ーストラリア留学中に、同国上院の外務委員会でインタ
 ーンシップを経験した、と報道した。
  楊氏は、留学の前、中国軍のスパイ養成学校で英語教
 師として勤めていた。
  オーストラリアでは、昨年・2017年以降、中国当局の
 内政干渉やスパイ活動に対する警戒が強まった。
  豪連邦議会は、2018年6月末、外国政府からの内政干渉
 やスパイ活動を阻止するための法案を可決した。
  法案では、外国政府や企業の代理人が議会でロビー活
 動を行う際、事前登録を義務付けた。
  また、代理人らが活動内容を隠ぺいし、秘密工作やス
 パイ行為の事実があった場合、10年以上の懲役刑を下す
 とした。
.
2018年、諜報の国・ロシア
  ロシアには、以下のようなモンゴルとの関わりがある。
  ロシアには、モンゴルに約200年間にわたり占領され、
 支配された経緯がある。
  そして、そのモンゴルは、世界の諜報・謀略機関の元
 祖と言われるほど凄(すさ)まじかった。
  ロシアは、このモンゴルに占領を受けている間、現在
 の諜報大国の素地を受け継いだ。
  そして、拷問や粛正のモンゴル帝国当時の手法にまで
 染まってしまった。
  中国も朝鮮も、100年間、このロシアと同様に、このモ
 ンゴルの元に支配された。
  日本は、この元を撃退した。
  また、中国は、ユーラシア大陸での地続きという状況
 から、種々の民族が侵入し帝国を築いた。
  その中国の歴史の2000年間は、その種々の民族の錯綜
 する時代だったと言える・・それは、諜報と謀略の世だ
 った。
  その様なことは、「孫子」にも明らかで、裏をかき、
 また、その裏をかくという騙しの世界だった。
  (参考)裏をかく:相手が予想したのとは反対のこと
     をして相手を出し抜く。
  今・現在、中国が、金と人を膨大につぎ込み、プロパ
 ガンダ(嘘宣伝)に精を出し、世界を惑わしているのは、
 今・現在、始まった事ではない。
  情報をきちんと評価して、政策に反映させるシステム
 を構築することは重要な事であるが・・、
  中国の様に、それを悪用し、他を惑わし、それに長(
 た)けているのが優秀だと、他国を節操なく貶(おとし)
 めていることが・・、
  今・2018年、中国に逆風となって、中国批判の世界の
 状況となっていて、中国へ吹き付ける批判の嵐となって
 いる。
  (参考)モンゴルとロシアの関係・・
  1223年、モンゴルのルーシ侵略(カルカ河畔の戦い)
  モンゴルのロシア侵略は、カルカ河畔の戦いで始まり、
 この年のこの戦いは、ジェベ、スブタイ両将軍率いるモ
 ンゴル軍と、ポロヴェツ・ルーシ連合軍との間で行われ
 た戦い。
  連合軍は、数で上回っていたにもかかわらずモンゴル
 軍に惨敗した。
  モンゴルのロシア征服は、1236年~1242年のバトゥの
 西征で本格化した。
  (ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争)
  (参考)ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正
     式な国号で、キエフ・ルーシとも言われ・・
      キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・
     チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中
     心とするリューリク朝の三国。
      広義では・・ハールィチ・ヴォルィーニ大公
     国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国な
     どの東欧の諸国を含む場合がある。
      ルーシ・カガン国は、8世紀後半から9世紀の
     半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったと
     される国家、または、都市国家群(仮説)。
      また、ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
  1220年代のはじめに、ルーシの公たちは、まず、キプ
 チャク草原の遊牧民族クマン人の戦士たちから、モンゴ
 ルの到来を知らされた・・ここからモンゴルの征服が始
 まる。
  1237年になって、モンゴル軍は、15万の大軍を編成し、
 ロシア中心部に侵入し、リャザン、モスクワ、ウラジー
 ミルを次々と陥落させた。
.
  13世紀前半、タタールのくびき
  (参考)くびき:車を引く牛馬の頸(くび)の後ろに
     かける横木のことであるが・・自由を束縛する
     もの・・の意味がある。
  13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻と、それ
 につづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルー
 シ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を言
 い・・、
  現在のロシア人などの祖先であるルーシ人のモンゴル
 =タタールへの臣従(しんじゅう、臣下として従うこと)
 をいう。
.
  1240年、キエフの戦い
  ルーシの首都キエフの支配をめぐって、ルーシとモン
 ゴル帝国の間に行われた戦い。
  1240年9月5日、バトゥが率いるモンゴル軍は、キエフ
 を包囲し、キエフの明け渡しを求めた。
  キエフ軍を引率するドミトロー大将とキエフの市民が
 降伏を却下して防衛に備えた。
  モンゴル軍のバトゥは、32の投石機を集めて、キエフ
 の防衛線で弱点だったポーランド門を攻撃し、市内へ乱
 入した。
  キエフの市民は攻撃を防いだが、多勢に敵わずして石
 造りの什一聖堂へ撤退し、教会を最後の砦とした。
  1240年12月6日、モンゴル軍は、投石機を取り寄せて聖
 堂を破壊させ、キエフを制覇した。
  ドミトロー大将は捕虜となったが、勇敢に戦ったため、
 バトゥによって解放された。
  モンゴル軍は、聖ソフィア聖堂をはじめキエフの教会
 と貴族の屋敷を略奪し・・、
  合戦後、5万人だったキエフの人口は2千人まで減少し
 た。
  キエフの陥落によりルーシは滅(ほろ)んだ。
  これ以降に存続したキエフ公国は、14世紀半ばにかけ
 てモンゴル帝国の属国であった。
  一方、キエフは大きく衰退し、山の手だった古キエフ
 は荒地となり、都市の中心地は下町のポジールへ移った。
,
  1453年、モスクワ大公が皇帝を意味するツアーリの称
 号を用いた。
  イヴァン3世は、東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚、
  モスクワ大公が、1453年、オスマン帝国によって滅ぼ
 された東ローマ皇帝にかわる正教会の保護者としての地
 位を自認する端緒をつくった。
  ロシア語で皇帝を意味するツアーリの称号もイヴァン
 3世のとき初めて使われた。
.
  1547年、イヴァン3世の孫、イヴァン4世(イヴァン雷
 帝)は、この年に、ツアーリの称号を正式に用い、ロシ
 アの正教会の間では、モスクワは、ローマ、コンスタン
 ティノポリスに続く第三のローマであり、ツアーリは、
 ローマ皇帝の後継者であるとする考えが生まれた。
  モスクワ大公国の支配領域が、「ルーシの国」を意味
 する「ロシア」との名称で呼ばれるようになり始めたの
 も、イヴァン4世の頃の16世紀だった。
  また、1552年にカザン・ハン国、1556年にアストラハ
 ン・ハン国を滅ぼし、初めてキプチャク・ハン国の一部
 を併合し、シベリアに向かって東方への拡大を開始した。
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その1)
・アメリカのトランプ大統領の対中政策が回転し始めた。
  トランプの対中政策によって・・世界に孤立する中国
 となっている・・習近平は四面楚歌になっている・・
  トランプ大統領の「貿易戦争」は序の口で、その次の「
 金融戦争」となって行く・・、
  アメリカの議会も、メディアも、「反中」となってい
 る・・
  アメリカの狙いは「パックスアメリカーナ」か?
  (参考)パックスアメリカーナ:超大国である米国の
     存在により世界平和が維持されていること・・
・いま、中国の社会的な難題が深化している・・
  富と貧困の格差が拡大し・・社会には怨念が鬱積(う
 っせき、不平や不満が張らされずに、次々と、心に一杯
 たまる)している・・
  困窮化する「低端階級」の悲哀は凄まじい・・、
  海外に不正資産を蓄財する幹部が「愛国者」なのか?
・「革命、革革命、革革革命、革革・・」(魯迅の言葉)
  「革命、反革命、不革命」。
  革命者は反革命者に殺される・・反革命者は革命者に
 殺される・・不革命は革命者とされて反革命者に殺され
 るか、反革命者とされて革命者に殺されるか、あるいは
 また何でもないものとされて革命者か反革命者に殺され
 る・・
・いま、中国には外交的難題が山積みしている・・
  強引すぎた中華圏拡大に軋(きし)みが出ている・・
  BRI(一帯一路)、各地での蹉跌(さてつ、事が見
 込みと食い違って、うまく進まない失敗の状態になるこ
 と)・・
  西側諸国が、インド太平洋戦略へ舵取りを始めた・・
  「一帯一路」は、末路へ?
・中国の内政問題の矛盾が・・??
  習近平の全体主義の弱点は国際非難・・
  ウイグルの民族浄化の弾圧を強化している・・
  ムスリムへの弾圧を強化している・・
  人権を無視する政策を進めている・・、
  顔認識、声紋のデジタル統制を強化している・・
  香港に独立の動き・・そして、台湾、チベット、内モ
 ンゴルの連帯の動き・・
・無理をして来た中国の経済・・その爆発が近い・・
  中国の持つ債務は3800兆円・・これは時限爆弾だ・・
  金融難民(P2P)は抑えたが??
  (参考)P2P:Peer to Peer、ピア・ツー・ピアの
     こと・・複数の端末間で通信を行う際のアーキ
     テクチャのひとつ・・対等の者同士が通信をす
     ることを特徴とする通信方式、通信モデル、あ
     るいは通信技術。
  軍、警察OBの抗議行動が燃えている・・
  不動産暴落で・・反乱がおきる・・
・習近平王朝は黄昏(たそがれ、薄暗くなった夕方。夕ぐ
 れ。比喩的に、盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意にも
 使う)
  知識人、学生の不気味な沈黙・・
  宣伝部の静かな抵抗・・
  スケープゴート(集団内の不平や憎悪を他にそらすた
 め、罪や責任をかぶせられ迫害される人)を捜すという
 中国社会になって来ている・・
  その日は突然やって来るのだ・・
・中国は、今はドラゴンだが・・そこから猫に陥落・・
  IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)
 となった・・米中の確執・・アメリカは、中国へ為替政
 策の自由化を推し進めよと厳しい姿勢で言っている・・
 中国は、これに対抗してAIIB(アジアインフラ投資
 銀行)を作った・・アメリカと日本は参加していないが、
 ヨーロッパ諸国はこぞって参加した・・しかし、その「
 高利貸し的なあくどさ」がある所が問題となっていて、
 その実態が明らかになって来ている・・
  人民元の信用度・・SDRを得て中国の通貨が「国際
 通貨」となったかというと、「そうは問屋が卸さない」・・
  結論を先に言うと「人民元は形だけの国際通貨」・・
 それは、AIIBの活動をするときに「中国の信用度が
 低い」から・・それは、中国が一党独裁の政治体制が信
 用されてないという根を持っている・・
  AIIBや、BRICSは何処に行くのか?
  国連でも孤立し始めた中国・・、
  独英仏でも、中国批判が出始めた・・
  軍事力は張子の虎ではないのか・・と言われている・・
・しかし、中国の「サイバー・奇襲」に警戒している・・
  ダン・コーツNSA(国家安全情報局)長官は、「赤
 信号の危険信号が灯った」と発言した・・
  デジタルの一撃で世界が麻痺し・・米軍の初動が致命
 的に遅れると?・・??・・
  隙に乗じて台湾や、尖閣が攻撃されるという危惧(き
 ぐ、悪い結果になりはしないかと心配し恐れること)
・マレーシアのマハティール氏が、中国へ行って「今まで
 のことはない事にしてくれ」と言った。
・パキスタンが、IMFに救済を申し入れようとしたら、
 中国が「待て」と言った。
  IMFに言われたら、中国はまずい事ばかりだから・・
 急に20億ドルをパキスタンに融資した。
  この様な・・おかしい事が起きている・・
・オバマ大統領の失敗は、「ここまで中国と北朝鮮を増長
 させたこと」・・オバマ氏に大きな責任がある。
  その是正をしているのがトランプ大統領・・
  国防権限法・・80兆円・・国防費を大幅に増強した・・
  台湾旅行法を成立させた・・これに反対がなく、全米
 の超党派で成立した・・
  アメリカと台湾の閣僚などが・・重要な政治レベルで
 の交流ができる様にした・・
  アメリカ議会も、「中国に反対し、親台湾」で一致し
 ている・・
  しかし、この逆の日米のメディアは、NHKは、この
 様な重要な動きを「完全に伝えない態度」を取っている・・
  アメリカは、ロシアと中国を仮想敵としてはっきりと
 明文化している・・
  アメリカは、中国のIT分野を潰しにかかっている・・
 既に大きなダメージを中国に与えている・・
・米中の貿易摩擦は・・結果的に、中国に、アメリカの食
 糧が入らなくなる・・
  そしてまた、結果的に、中国の国内騒動は食糧不足か
 ら起きて来るが・・中国はこのリスクが増す道を歩いて
 いる・・
  一帯一路は、やってみたがうまく行かないという状況・・
  マハティール氏のマレーシアが、下りたことは、かな
 りの中国のダメージとなっている・・
  マハティール氏の世界に公言した言い方は、マレーシ
 アの進み方を「はっきりと明示した」・・マレーシアは
 ASEAN第二の経済大国である・・
  今、台湾はかなり緊迫した状況にある・・軍事的に、
 中国に締め付けられて来ている・・
  台湾は、南シナ海について、かなりしっかりしたデー
 ターを元に行動しようとしている(アメリカの支援)・・
  ただ、中国の台湾へのかかわり方は、かなり緊迫性の
 ある行動となっている・・
  中国の台湾への軍事的圧力が極まっている・・
  国民党の動き方も、中国の指示か?大変いやらしくな
 っている・・
  擬制(ぎせい、実質は違うのに、そうみせかける)の
 国民党の中国本土への救済要請が出されるかもしれない
 という恐れの存在・・?
  イランと中国の利害関係が一致してしまう状況と危機・・
  中国は、イランの石油を一番買っている・・
  潤沢な資金を得たイランは、軍備増強をしている?・・
  イエメンでは、イランとサウジアラビアの代理戦争が
 行われている・・
  中国が、イラン側に入って油を注ぐ状況となっている・・
  中東が本格的な戦乱になる恐れが生じている・・
  これを中国は経済復興のきっかけにしようとしている
 のではないか?・・
  中国を経済的に封鎖している効果も無くなる・・
  インド洋の真珠の首飾りと言われる中国の戦争拠点も
 強化される可能性がある・・
  (NHKは、こんなことを報道しない、国民をつんぼ
 桟敷に置いている)・・
  マレーシアの行動も無になる恐れ・・マラッカ海峡は
 しっかりしているが・・日本の自衛隊も貢献している・・
  シーレーン確保は大切・・日本が生きる大切なルート・・
 ここをしっかりして行くべき・・世界の安全を守る事に
 もなる・・しっかりと日本のアイデンティティを世界に
 示すべき・・
  (参考)アイデンティティ:identity、主体性、同一
     性、らしさ、独自性、自己認識・・など・・
      英語は、「雑な言語」なので色々な意味を持
     っている・・その一例の単語・・繊細な日本語
     の素晴らしいしさを感じさせる事例・・安易に
     日本語英語を使う御仁の程度の低さを示す事例・・
・マハティール氏は、当選するとすぐ日本に行くと発言し
 た・・
  マレーシア内に現存する中国人脈の善処(ぜんしょ、
 適切に処置すること)に取り掛かる動きも・・金脈と人
 脈の洗い直し・・
  6月10日、氏が来日した・・早い時期の打ち合わせを
 マレーシア側が望んだ・・TPPを「日本と東南アジア」
 でイニシアチブをとる形にしたいマハティール氏・・
・中国で、習近平の写真に墨をかける行動があった・・
  そして、人民日報から習近平の文字が消えた・・一行
 も習近平と書かれていない・・
  次々に、トランプ大統領は、中国輸入品に関税をかけ
 ると表明をしている・・
  中央電視台(国営放送)で、習近平が映されているい
 るのに、その習近平の映像に怪しい影が出るという事が
 起きた・・中国の視聴者も、この様な異常状態に不安に
 なるという状況・・
  (NHKは、これと同じことを安倍総理大臣に行った・・
 その様な放送局・・2014年のロシアのソチオリンピック
 に出席した安倍総理大臣の映像に、このことをやった・・
 中国讃美のNHKは、逆に、習近平ばかりを放送してい
 た・・どこの国の放送局なのだ・・??)
・習近平の『後釜の話』がネットでささやかれる・・
  習近平が、国家主席の無期限を決めたが、その決定が
 「有期限に代わることになる」と、これをメディアが強
 いて取り上げている・・
  神格化したはずの国家主席のスローガンが撤去された・・
  ナチスマークを書かれたりしている・・
  墨をかけた女性は精神病院へ入れられた・・その女性
 の父親は捕まった・・そして、行方不明となっている・・
・胡錦濤の倍の数がある報道数の習近平は、国民が嫌って
 いる・・
  チベット独立の次はウイグル独立・・そして、上海独
 立だの話が出ている・・アメリカに上海独立の活動拠点
 が作られた・・
  「大きな船のチャイナの船がもうすぐ沈む」という話
 が出ている・・そして、上海の旗を掲げた小さな船は、
 沈まずに行くという話も話題に・・「上海共和国の応援
 を乞う」という話になっている・・
・世界の「中国への見方」が変わっている・・
  世界へ拡大したいの中国の目論見は、「もうその様に
 はさせません」「中国を醜(みにく)く拡大させません」
 という認識の世界に、今は、なっている・・
・WTO(世界貿易機関)を舞台とする戦争が・・
  デュアルユース(軍民両用)につながる知的財産(ハ
 イスペックな技術等)が中国に盗まれて・・それを勝手
 に軍事用に使用される・・その様な中国の行動を、是が
 非でも阻止する!・・
  3月、米通商代表部(USTR)は、中国が米国の知的
 財産権を侵害しているのは明らかだとしてWTOに提訴
 した・・
  6月には、欧州連合(EU)が、中国の法制(技術輸出
 入管理条例(TIER)・中外合資経営企業法実施条例)
 などが、欧州企業の知的財産権を害しているとしてWT
 Oの紛争解決手続きを開始した・・
  「科学技術イノベーション・ノウハウは、知識基盤経
 済の根幹である。
  これにより、欧州企業がグローバル市場において競争
 力を維持すると共に、欧州における数十万もの雇用を支
 えている。
  いかなる国も、欧州企業が苦労して得たこの知識を、
 国境で強制的に引き渡させてはならない。
  これは、WTOに於いて、皆が合意した国際ルールで
 ある。
  主要国(中国)がルールを守らないと、国際システム
 全体が崩壊するかもしれない」と発言したマルムストロ
 ーム欧州委員(貿易担当)・・
  WTOを舞台に、もう戦争は始まっている・・
  中国が、「自壊して行く可能性」が高まっている・・
・一帯一路の実態・・
  Bribe-trap,Honey-trap,Debt-trap・・中国共産党の
 工作を・・欧州が警告した・・それは、政治家や軍人、
 大物経済人を、まず、「賄賂トラップ」と「ハニートラ
 ップ」にかけ・・その後、「債務トラップ」にかけて、
 国を借金まみれに陥(おとしい)れ、政治をコントロー
 ルし、港湾など戦略的軍事拠点を奪取する・・
  マハティール氏は、これをすんでの所でストップをか
 けた・・
  これで、中国とずぶずぶになってしまっているのがス
 リランカ・・そして、東南アジア・中南米・アフリカが
 狙われている・・
  オーストラリアは、ジュリア・ギラード首相(在任期
 間:2010年6月24日~2013年6月27日)の時は、ホワイト・
 チャイナの感がした・・それが、2016年5月から大きく変
 わった(マルコム・ターンブル首相)・・
  豪州の静かなる侵略:オーストラリアへの中国の影響
 (チャールズ・スタート大学のクライブ・ハミルトン教
 授著)が話題になる・・「中国は、民主主義を利用して
 民主主義を破壊する」と指摘した・・
  その1事例・・
  豪州に移住して来た中国系の富豪が、与野党の政治家
 や大学に多額の資金を提供している実態を紹介・・
  こうした政治家の発言や大学の研究が、南シナ海関連
 や自由貿易協定(FTA)などで、中国に望ましい方向
 に政策を誘導しようとした・・この様な実態を明らかに
 した。
  中国系企業家は、自ら進んで、または、中国に残した
 親族が「報復に逢う事を恐れ(人質)」、「共産党の代
 表として行動する」と指摘する。
  中国の国有企業やその関連企業が、豪州の電力や港湾
 などインフラ企業を買収する・・その中国の行動は、「
 最大の豪州の安全保障上の脅威だ」と危機感を明示する。
  中国の豪州政治への干渉策は・・「(既存の)法律に
 違反しない点が新しい」とする・・しかし、その行為は、
 明らかに「政府の経営や民主主義の価値を損ねており、
 違法化すべきだ」・・と主張している(2018年2月に出版)・・
.
  【討論】どこへ行く中国習近平政権[桜H30/8/25]
  https://www.youtube.com/watch?v=yIeIlTY1t9E

・パネリスト:
  河添恵子(ノンフクション作家)
  野口裕之(産経新聞政治部専門委員)
  坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
  ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・
   チベット文化研究所名誉所長)
  宮崎正弘(作家・評論家)
  鳴霞(月刊『中国』編集長)
  山田吉彦(東海大学教授)
・司会:水島総
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


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by suba28 | 2018-09-09 02:34 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)609E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年9月)

題:(増補版)609E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年8月、従軍看護婦の派遣。
  日本では、すでに、1877年の西南戦争の時、日本赤十
 字社の前身である博愛社が、看護人(男性)を熊本や長崎
 に送っているが・・
  日清戦争が起きると、日本赤十字社は、自社で養成し
 た看護婦を臨戦地の宇品、広島へ派遣した。
  戦争に女性も参加するということで世人の注目を引い
 た。
  因みに、日露戦争の時の活動領域は、朝鮮や満州にま
 で広がり、死亡者も出た。
  そして、日清戦争時には108名、日露戦争時4417名、
 第二次世界大戦時3万1450名の日赤看護婦が戦地に赴い
 て傷病兵の看護にあたった。
  1979年から日赤従軍看護婦に、また、1981年から旧陸
 海軍看護婦に、慰労金が給付されることになった。
.
1894年8月、陸軍省の依頼によって、神奈川・程ヶ谷(現:
 保土ヶ谷)直通線(神奈川から分岐し程ヶ谷に連接)を起工
 した。
  1894年12月下旬に竣工した・・延長3.5km。
  1896年度に、陸軍省から譲り受け、1898年度から一般
 運輸として営業した。
.
1894年8月、筑豊興業鉄道が、筑豊鉄道と改称された。
  筑豊で産出される石炭の輸送を目的に、1891年に、筑
 豊興業鉄道として設立された。
  1888年7月30日、筑豊興業鉄道に対し鉄道線路測量仮免
   状下付
   (穂波郡飯塚村~遠賀郡若松港間、鞍手郡直方町~
    田川郡赤池村間)
  1889年7月12日、鉄道布設免許状下付
   (遠賀郡若松港~鞍手郡直方町~穂波郡飯塚町、直
    方町~神田村間)
  1889年8月21日、鉄道線路測量仮免状下付
   (田川郡神田村~添田村間)
  1890年11月19日、鉄道布設免許状下付
   (田川郡神田村から同郡伊田村)
  1891年8月30日、若松から直方間開業
.
1894年9月1日、第4回臨時衆議院議員選挙が行なわれた。
  投票率:84.84% (前回比-3.92%)
  党派別獲得議席
  自由党:107
  硬六派:立憲改進党:49
      立憲革新党:39
      国民協会:32
      帝国財政革新会:5
      中国進歩党:4
  無所属:64
.
1894年9月1日、大本営が、第1軍を編成した。
  司令官:山県有朋大将
  参謀長:小川又次少将
  砲兵部長:黒田久孝少将
  工兵部長:矢吹秀一工兵大佐
  監督部長:吉沢直行一等監督
  軍医部長:石阪惟寛軍医総監
  参謀副長:田村怡与造歩兵少佐
  参謀:福島安正歩兵中佐、上原勇作工兵少佐、青木宣
     純砲兵大尉、蠣崎富三郎歩兵大尉、立花小一郎
     歩兵大尉
  高級副官:渡辺章歩兵少佐
  明治維新後は、各藩の軍隊ではなく、国家の軍隊に再
 編された。
  1873年から徴兵制が施行され、士族の軍隊ではなく近
 代的な国民の軍隊に切り替わった。
  西南戦争もこの徴兵軍で戦って勝利を収めた。
  日清戦争開戦時、徴兵制度が始まって20年が経過して
 いた。
  武器の整備や兵の訓練、将校や下士官の養成などにつ
 いても、それなりの経験を積んで来ていた。
  この1年半前の1893年4月9日、川上次長は、東京を発
 って、朝鮮~天津・北京地区~上海・長江流域地区を回
 り、1894年7月7日に帰京し、地形視察と中国軍事状況を
 偵察していた。
  この旅行で、川上は、中国の「畏るるに足らざること
 を確信」としている。
  また、ドイツへの留学など、日本は自らを磨いて来て
 いた。
.
1894年9月8日、大本営が宮中を出て広島へ「大纛(たいと
 う)進展」することになる。
  大纛:1、軍中で用いる大きな旗。また、天子の乗り
      物の左に立てる旗。
     2、天皇陛下のいる陣営。大本営。
  日清戦争の最高統帥機関である大本営が、広島県広島
 市の広島城(現中区基町)内に設置された。
  広島城の大本営が、第5師団司令部へ進出。
  大本営は、1893年5月19日、勅令第52号戦時大本営条例
 によって法制化され、制度となった。
  日清戦争において初めて設置された。
  この時、大本営は、1894年6月5日、東京の参謀本部内
 に設置されたが・・、
  1894同年8月1日、皇居内に移っていた。
.
1894年9月12日、御木本幸吉が、半円真珠養殖法の特許を申
 請した。
  御木本幸吉は、1893年、5個の半円真珠養殖に成功して
 いる。
.
1894年9月15日、広島に移された大本営に、明治天皇陛下が
 入られた。
  ・大本営を広島に移さる(氷川清話)
  ・天皇行幸(氷川清話)
  1894年9月15日、明治天皇陛下が、呉行幸のため広島の
 宇品港へ御出発された。
  「広島御発輦呉港幸行之図」小国政・画がある。
  (参考)御発輦:ごはつれん、天皇陛下の御車が出発
     すること。
.
1894年9月15日、平壌の戦い
  日本軍が、平壌総攻撃をし、清国の拠点である平壌が
 陥落した。
  日清戦争における最初の本格的な陸戦。
  混成第9旅団長の大島義昌少将は、朝鮮到着直後から、
 清国の大軍が平壌に集中しているとの情報を受けていた。
  騎兵斥候を平壌に出し、駐留させていた。
  7月下旬になって、清国軍は、義州を経由し、平壌に迫
 って来た。
  斥候隊は、中和さらに黄州に退く。
  1894年8月10日、黄州から中和に偵察に出た時、強力な
 敵と遭遇し、指揮官の町口中尉、竹内少尉などの幹部が
 戦死する。
  第9旅団は、成歓の戦いでの清国軍の敗兵が春川周辺に
 いるとつかむ。
  日本からの第5師団残部が元山と釜山に上陸、そして、
 ソウルに向かう。
  このため、その警戒を兼ね、朔寧方面に朔寧分遣支隊
 を派遣する。
  大本営は、清軍を朝鮮半島外に撤退させる目的で、8月
 14日、第3師団の派遣を決定。
  さらに、9月1日、両師団で第1軍を編成し、陸軍大将・
 山縣有朋が軍司令官に任命された。
  第5師団長・野津道貫は、すでに8月19日、ソウルに到
 着していた。
  韓廷首班の大院君は、清国兵が次々と南下の報を聞く
 と動揺した。
  第5師団長・野津は、情勢判断の結果、朝鮮政府を動揺
 させないため、早期の平壌攻略が必要と判断する。
  そして、第5師団の北進を開始する。
  また、混成第9旅団にも、義州街道の前進を命じた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たちは
   日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上記に
   記載した日本に渡来した「日本人の先住民」は、アイヌで
   はない。
    そして・・中国は、「超インフレ操作」をする・・
    そして・・為替操作もする・・
.
紀元前1000年~紀元300年、日本人を作った人々
  日本人:農耕民:約3000年前~1700年前
  朝鮮半島を通じて稲作を主とする渡来民が流入した。
  そして、水田稲作が導入された。
  この集団は、主に、北九州、畿内、関東を結ぶ日本の
 中心軸に広がり、その他の場所では比較的影響がを及ぼ
 さなかった。
  特に、北海道や南西諸島、東北への影響は引き続きほ
 とんどなかった。
  アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たち
 は日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上
 記に記載した日本に渡来した「日本人の先住民」は、ア
 イヌではない。
.
300年、日本人を作った人々
  日本人:約1700年前~現在
  政治の中心が畿内に移って、朝鮮半島に加え、現在の
 上海周辺からも若干の渡来民が流入するようになった。
  古墳時代に入ると、東北地方に居住していた第一段階
 (旧石器・縄文人)の子孫の大半が、北海道へ移り・・、
  替わって、第二段階(漁労民もしくは園耕民)の子孫
 を中心とする人々が住み着いた。
  南西諸島では、グスク時代に南九州から第二段階の子
 孫を中心する集団が移住・混血した。
  江戸時代には、第三段階の集団との混血も進んだ。
  北海道では、古墳時代から平安時代にかけてオホーツ
 ク文化人と縄文人の子孫との交流があり・・、
  江戸時代以降は、本土日本人との混血も進んだ。
  アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たち
 は日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上
 記に記載した様に、アイヌの人々は「日本人の先住民」
 ではない・・
  数次にわたる日本人の先住民の渡来の中から交雑して
 アイヌの人々となった・・熊襲(くまそ)もそれ、津軽人
 もそれ、琉球人もそれ、本州人もそれ、会津人もそれ・・
 などなど・・
  この様な歴史的真実、科学的真実の中で、アイヌの人々
 だけを特別扱いにすることは間違っている・・
  白老町で100億円の税金を使ってアイヌ記念館を造るこ
 とを中止せよ!
.
1866年11月12日、孫文が生まれた(~1925年3月12日)
  初代中華民国臨時大総統、中国国民党総理・・
  中国では、1935年から1948年まで発行されていた法幣
 (不換紙幣)で肖像に採用されていた。
  現在は、100新台湾ドル紙幣に描かれている。
  中国国民党では、現在も、孫文は「党総理」であると
 党則第15章で定めている。
  1895年、日清戦争の終結後に、広州での武装蜂起(広州
   蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本に亡命した。
  1897年、宮崎滔天の紹介によって政治団体玄洋社の頭
   山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京で
   の活動費と生活費の援助を受けた。
    また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートル
   の屋敷は犬養毅が斡旋した。
  1899年、義和団の乱が発生し、翌年・1900年、孫文は
   恵州で、再度、挙兵するが失敗に終わった。
  1902年、中国に妻がいたにもかかわらず、日本人の大
   月薫と駆け落ちに近い形で結婚した。
    また、浅田春という女性を愛人にし、つねに同伴
   させていた。
    長い間、満州民族・清国の植民地にされていた漢
   民族の孫文は、「独立したい」「辮髪もやめたい」
   と言ってきた。
  1911年12月25日、この年、辛亥革命が起き、この日に
   孫文が、アメリカから上海に帰着すると、革命派は
   そろって孫文の帰着を熱狂した。
  1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南
   京に成立した。
  1913年7月、袁世凱打倒の第二革命がはじまった。
  1915年、袁世凱は共和制を廃止し、帝政を復活させ、
   自らが中華帝国大皇帝に即位する。
    直ちに反袁・反帝政の第三革命が展開される。
  1917年、孫文は、広州で広東軍政府を樹立する・・
     しかし、その後、広州を追われる・・日本へ再
    び亡命した・・この頃、宋美齢と結婚(日本人の
    梅屋庄吉が資金面で援助していた)
  1923年1月26日、孫文とソビエト連邦代表アドリフ・ヨ
   ッフェの共同声明である「孫文・ヨッフェ共同宣言」
   が上海で発表された。
    中国統一運動に対するソビエト連邦の支援を誓約
   し、ソ連との連帯を鮮明にした。
    この宣言は、ソ連コミンテルンと中国・国民党の
   連携の宣言であった。
  1923年2月21日、孫文は、広東で大元帥に就任(第三次
   広東政府)した。
  1924年11月28日、孫文が、日本の神戸で「大アジア主
   義」の講演を行う。
  日本の幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相は、
 「孫文の言う事が、コロコロ変わるから相手にはできな
 い」と言明している。
  この頃から、中国は、ソ連の強力な支援を受けている。
  孫文は、隙あらばどの国からも支援を引き出そうとし
 た。
  そして、中国は、引き続きソ連から支援を受けた。
  ソ連コミンテルンから国民党も軍事援助を受けた。
  これが、蒋介石の国民党の主要な財源となった。
  ソ連コミンテルンは、大量の共産スパイを国民党の中
 へ送り込んだ。
  ガチガチに中国・国民党とソ連コミンテルンの関係は
 一体となって行った。
  国民党が、台湾へ逃れた後も、この関係は続いた。
  ソ連は、対日工作も、盛んに色々行なっており、工作
 員も潜り込ませていた。
  その様な工作員の報告の中に、「東京の軍学校の教員
 を一人リクルートした」との報告もある。
  これは、「軍の内部に、共産主義シンパをつくり出す
 工作に成功した」という意味。
  GRUの対日諜報史にも、「GRUの工作員を神戸か
 ら忍び込ませた」の記述がある。
  (参考)GRU:ロシア連邦軍における情報機関の「
     ロシア連邦軍参謀本部情報総局」のこと。
      参謀本部の一部署であるが、参謀系統を通し
     た情報の収集のほか、スパイ活動、SIGINT、
     偵察衛星や特殊部隊スペツナズの運用も管轄し
     ており、ソ連KGB(現在のSVRなど)と並
     ぶ強力な情報機関。
      第二次世界大戦中のスパイ、リヒャルト・ゾ
     ルゲはGRUの管理下にあった。
  (参考)SIGINT:通信、電磁波、信号等の、主
     として傍受を利用した諜報活動のこと。
  (参考)特殊部隊スペツナズ:ソ連軍、現ロシア連邦
     軍参謀本部情報総局(ГРУ、GRU)に所属
     する特殊部隊。
      戦時の敵後方での偵察、破壊工作や要人の暗
     殺を任務としているが、平時にも私服で破壊対
     象の偵察活動(スパイ活動)を展開している。
.
1894年11月21日、旅順要塞の陥落
  旅順口の戦い(りょじゅんこう、日清戦争)
  中国・清国の遼東半島の先端に位置する旅順は、対岸
 の威海衛(いかいえい)とならんで清国・北洋海軍(李
 鴻章が率いる)の基地となっていた。
  日本をさんざん威圧し、脅(おど)して来た巨艦を持
 つ清国・北洋艦隊の基地だった。
  また、中国・清国の海上輸送の要(かなめ)の地だっ
 た。
  この為、日本はこの重要拠点の地を攻めた。
  この旅順の攻略にあたったのが、大山巌(おおやまい
 わお、西郷隆盛のいとこ)が率いる第二軍だった。
  1894年11月18日、土城子という旅順近郊での戦闘では、
 秋山好古(あきやまよしふる)少佐の騎兵第一大隊が清
 軍と遭遇し、死者11名・負傷者37名を出すなど苦戦を強
 いられた。
  しかし、3日後の1894年11月21日の攻撃では、旅順の大
 部分を占拠し、旅順要塞は陥落した。
  日本は、明治維新から富国強兵で国力の強化に努めて
 来たが、欧米諸国は、まだまだ、日本がアジア第一の強
 国・清国にこの様な目ざましい戦いをするとは思っても
 いなかった。
  どの国も日本が敗北するだろうと見ていた。
  欧米列強諸国は、清国の最強の「東洋のジブラルタル」
 といわれた旅順を見事な迅速さで攻略した日本に目を見
 張った。
  特に、攻略戦の迅速さは見事だった。
  第二軍には、教科書にもよく出る著名人が参加してい
 た・・軍医として派遣された森鴎外(作家)、記者とし
 て国木田独歩(作家)、西洋画家の浅井忠など・・、
  日本の勝因は、動員・兵站・指揮のシステムなどが近
 代軍として清軍に対して優れていて・・
  近代化された日本軍は、基本的に、終始、優勢に戦局
 を進めた・・そして、遼東半島を制覇した。
  この戦いを振り返ると・・、
  1894年10月24日、大山巌大将が率いる第二軍が金州に
   上陸。
  1894年11月6日、金州城を制覇。
  1894年11月21日、日本軍1万5千は、清国軍1万3千に対
   して攻勢をかけた。
    清国軍の士気は極めて低い状況・・堅固な旅順要
   塞が僅か1日で陥落する。
    日本側損害:戦死40名、戦傷241名、行方不明7名、
    清国損害:戦死4500名、捕虜600名・・で敗退・・
    旅順の攻略戦は、大変な困難を極めるだろうとい
   う欧米諸国の予想を裏切る迅速さだった。
    また、日本は、非常に厳しい軍律でこの戦いに臨
   んだ・・
    大山巌は、「我軍は仁義を以て動き、文明に由(
   よ)って戦ふものなり」という訓令を発している。
  この戦いの後、いつもの様に中国の清国軍は卑劣な行
 動をとった・・中国はいつもこの卑劣な行為をする・・
  軍服を脱いで中国市民の中に隠れた・・
  これでは一般の中国市民に災禍が及んでしまう。
  この隠れた卑劣な中国兵の掃討を日本軍は行った。
  そして、南京事件と同じ様な嘘宣伝を始める・・
  中国に居る日本軍が行なっていない行為を、「した」
 とプロパガンダ(嘘宣伝)を始めた・・
  日本軍が一般市民を虐殺したという嘘を言いふらした・・
  この結論を先に言うと・・世界各国は、『これは中国
 のデッチアゲの嘘発言』と了解し、解った。
  日本軍は、市街の掃討をするときには・・、
  市民の中から日本軍を狙う清国兵、「市民の中に隠れ
 た清国兵」「軍服を脱ぎ捨てた中国兵」を掃討する時に
 は・・、
  例えば、日本の第二軍司令部は・・各人・各家の安全
 を保証する措置を講じ、安心するようにと言った・・
  紙あるいは布に、「此者殺すべからず、何々隊」とか、
 「此家男子六人あるも殺すべからず」といった文を中国
 の人たちに渡した。
  そして、人々に、民衆に、落ち着きを取り戻せるよう
 に配慮した。
  ほとんどの中国兵はすでに逃げていた・・
  1894年11月26日早朝に、九連城に入ると、すでに清国
 軍は逃げて、居ない状態となっていた・・無血入城とな
 った。
  嘘をでっち上げて日本を貶(おとし)める中国は・・、
  旅順陥落後の民間人や、戦闘を放棄した者の死傷者数
 について「18000名」と言っている(この後、2万名弱と
 言う)
  戦争は、巻き添えになる一般市民の方々も居るものだ
 が・・
  市街戦が行われば・・その様な方々の数について、外
 国などの報道機関は以下の数を公表している・・
  『タイムズ』(1894.11.28):200名
  『ニューヨーク・ワールド』(1894.12.20):2000名
  フランス人サブアージュ大尉『日清戦史』(1901年):
 1500名
  日本占領後の清国人の旅順行政長官から大山巌第二軍
 司令官への報告:1600名
  しかし、中国と裏でつながっているのか? 1894年12
 月12日になって・・『ニューヨーク・ワールド』の新聞
 (クリールマン記者の記事)は、旅順虐殺の捏造(ねつ
 ぞう)記事を、センセーショナルな書き方で報じた。
  初めは、きょとんとしていた他の新聞各社だったが、
 その後、各社はこれに追随した。
  この頃の新聞各社は、「販売部数を拡大しよう」とセ
 ンセーショナル記事を書いて競い合う状況にあった。
  その嘘つきの口火をきった『タイムズ』の報道に対し
 て、正直な『セントラル・ニュース』は、12月29日付け
 の新聞で、『正当な戦闘以外での殺傷はなかった』と報
 道した。
  また、ゲルヴィルによる証言:旅順陥落を目撃したニ
 ューヨークヘラルド特派員のアメデ・バイロ・ド・ゲル
 ヴィルは・・、
  1895年1月3日のレズリーウィークリーで、クリールマ
 ンの報道するような虐殺は発生していないと証言した。
  また、さらに、ゲルヴィルは、1904年の著書『Au Japon』
 で「虐殺は捏造されたものであった」と論じた。
  そして、また、ダネタン報告:ベルギー公使のアルベ
 ール・ダネタンの本国への報告調査では・・、
  事件は「ニューヨーク・ワールド紙の記者によって多
 分(たぶん、量や程度が過大なこと)に誇張されたもの」
 と報告した。
  また、フランス武官ラブリ子爵は、「殺された者は軍
 服を脱いだ中国兵(便衣兵)であり、婦女子は殺されて
 いないし、旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難
 しており、町には兵士と工廠の職工たちだけであった」
 と述べた。
  日本政府は、世界へ説明書を書いてきっちり反駁した。
  伊藤博文は、政府として正式な説明をした・・
  議会は、以下の通りと決定した。
  1.清兵は軍服を脱ぎ捨て逃亡。
  2.旅順において殺害された者は、大部分上記の軍服を
   脱いだ兵士であった。
  3.住民は交戦前に逃亡していた。
  4.逃亡しなかった者は、清から交戦するよう命令され
   ていた。
  5.日本軍兵士は捕虜となった後、残虐な仕打ちを受け、
   それを見知った者が激高した。
  6.日本側は軍紀を守っていた。
  7.クリールマン以外の外国人記者達は、彼の報道内容
   に驚いている。
  8.旅順が陥落した際、捕らえた清兵の捕虜355名は丁重
   に扱われ、二三日のうちに東京へ連れてこられるこ
   とになっている。
  この伊藤らが作成した説明書は、第七項を省いたもの
 が12月17日と、12月18日の両日に、アメリカの各新聞に
 掲載された。
  また、陸奥が、直接、アメリカの新聞社に説明すると
 いうやり方が、アメリカ側から好感された。
  そして、欧米諸国で、「虐殺は無い」として認められ
 た。
  欧米でのジャーナリズム史研究では、旅順の「虐殺」
 を報道したクリールマンや、掲載された新聞ニューヨー
 クワールド紙が・・
  ライバル紙と競い合って・・、
  イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた扇情主義報道を
 行っていたことが常識であり、定説となっている。
  ニューヨークワールド紙は、ニューヨーク・ジャーナ
 ル(ニューヨーク・モーニング・ジャーナル)紙との扇
 情主義報道で競争し・・、
  この他、世界でも、病的な好奇心だけを沸かす扇情的
 な記事で競い合っていた。
  虐殺は無いの証言も多く・・クリールマンの報道を耳
 にしたベルギー公使が現地にいたフランスの武官に尋ね
 たところ、「女子供の死傷者はいない」。
  「住民はほとんど避難しており、軍服を脱いだ兵士ら
 がいた」と否定した。
  ベルギー公使のその後の「虐殺」の否定で、日本への
 誹謗に反論していることから、扇動報道だったと結論付
 けられた。
  中国は、南京事件もそうだが、よく嘘をつく国・・
  この様な事をして『相手を惑わせる者が、能力のある
 者」と評価される中国の状況で、また、判断基準で・・、
  中国社会では、この様な事が「日常茶飯」として、歴
 史上で行われて来た。
  今・現代も、中国は世界中で、「多くの工作員」と「
 多額な資金」を使って盛んにこの類の工作を行っている。
  扇情主義報道(イエロー・ジャーナリズム)の災禍を受
 けた日本だった。
  この火付け役のクールマンは、この時だけでなく、1888
 年の米西戦争の時も、この様な報道をして、世界を惑わ
 せ、世論を誘導している。
  この時も、クールマンの「虐殺報道は嘘だ」と疑義が
 出されている・・美味しい書き方は止められないという
 ところ・・
  それにしても、中国は、韓国と一緒になって、「南京
 事件だ」「慰安婦問題だ」と、今だに世界を惑わせ、ま
 た、自国民を惑わせている。
.
1898年、日英同盟へつながる具申
  駐英公使の加藤高明は、イギリス国内に「東洋におけ
 る英国勢力の消長(しょうちょう、物事が衰えて消える
 か伸びて盛んになるか、というなりゆき)は、日本の向
 背(こうはい、従うこととそむくこと)によりて決する」
 といった議論があると報告した。
  また、「日英両国の共同利益を保護する為め和協(わ
 きょう、一同が仲良くまたは相談して、力を合わせるこ
 と)を遂ぐ(とぐ、とげる、目的を達する)べしとは殆
 ど当国一般の希望」である」と報告した 。
  2ヶ月後、また、加藤は、「英露両国とも、日本との提
 携を希望しているが、ロシアの目的は日本の利益と反す
 る・・が・・
  イギリスの政策は、日本の目的と合致しており・・
  また、今、イギリス人は、東洋でのロシアの「跋扈(
 ばっこ、思うままにのさばること)に対して激昂(げっ
 こう、激しく怒って興奮すること)しているので・・
  仮に、日本が、ロシアの南下を同国の利益を害すると
 考えるのであれば、イギリスと進んで提携すべきである
 との意見書を外相の西徳二郎に送った 。
.
1900年6月、欧州の列強諸国が盛んに中国の清国を食い物に
 していた。
  さすがに、清国もそれに対して反発した。
  この年、中国山東省で起きた排外運動「義和団の乱」
 が勃発した。
  欧州列強が、中国の利権を奪う行為に中国全土がうん
 ざりしていたので、この義和団の乱の排外運動は、また
 たく間に北京へと拡大して行った。
  このため、日本へも要請され、日本も参加して、8ヶ国
 の軍が編成され、その対処に当った。
  自国民の保護という名目を掲げていた。
  実際、自国民の保護の必要もあったが、欧州列強諸国
 の利権の保護に日本が利用されたという所であった。
  日本はめざましい働きをして、欧州列強諸国から感謝
 をされるぐらいだった。
  また、日本の規律正しい行動に感激したイギリス高官
 が、そのことを本国に伝え、後の日英同盟の切っ掛けと
 なったくらいだった。
  乱を鎮め、各国は兵を引き上げさせた・・
  しかし、ロシアは、これとは逆に、兵を満州に送り込
 んで来た・・領土欲と利権あさりのロシアだった・・
  この様なロシアに強い危機感を持ったのが日本とアメ
 リカだった。
  アメリカは、欧州列強諸国のやることと同じことをし
 て、ハワイなどの太平洋諸島、フィリピンと奪っていた、
  そして、そのフィリピンを拠点として中国を狙った・・
 満州の利権も欲しかった。
  何といっても北にあるロシアには、「南下政策」が付
 き物だった。
  ロシアは、アジアだけでなく、オスマン帝国の興亡と
 「ロシアの南下政策」は一対の行動として中近東でも火
 を噴いていた。
  極東の南下政策もロシアの狙い目で、近隣諸国を仕切
 りに脅(おびや)かした。
  ことが起こる出発点には、いつも、この南下するロシ
 アのエネルギーがあった・・その行動があった。
  そして、その様なロシアに、中国は敗けて、満州の租
 借権を与えてしまった。
  満州での鉄道を含む各種の権益も、ロシアは、中国か
 ら与えられた。
  1904年に起きた日露戦争・・アメリカは、日本に資金
 援助をした。
  また、終結の講和締結にもアメリカは仲介し、介入し
 た・・アメリカは中国の利権が欲しかった。
  日露戦争で負けたロシアは、賠償金を払いたくなかっ
 た。
  その代わりとして、中国から与えられた満州の権益を
 日本へ手渡した。
  日本は、満州を得たいという訳ではなかった。
  この様な経緯(いきさつ)から日本は、満州と関わり
 始めた。
  勿論、国際法上、日本に十分な正当性はあった。
  日本の気がかり事項は、朝鮮が、ロシアの勢力下に入
 ると、日本の脅威が増すため(ロシア勢力下の朝鮮と接
 するというリスク)ので、この状態になることは避けた
 いとしていた。
  また、日本・ロシア・清国で条約も交(か)わし、こ
 の状態での承認は国際社会も認めていた。
  日露の講和の締結後、アメリカは、この日本がロシア
 から得た満州の権益を欲しがった。
  このアメリカの日本へのアプローチを「日本は断った」
  このことから・・日本とアメリカは背中を向け合う関
 係となった・・そして、日米戦争へとつながる一つの要
 因となった。
.
1900年8月、義和団事件が鎮圧された。
  ロシアは、北清事変(義和団事件のこと)に乗じて満
 州の牛荘(にゅーちゃん、遼寧省の重要な開港)を占領
 した・・そして、最終的に約20万の兵力を侵入させ、侵
 略行為を行なった。
  清国の暴動は、1900年8月、国際的な話し合いの下に結
 成された8ヶ国の連合軍によって鎮圧された・・日本は、
 各国に請われて参加し、中心的に活躍した。
  ロシアは、暴動鎮圧後も占領を続けた。
  ロシアの脅威は、この様な状況だった。
  満州や朝鮮などのロシアの軍事占領という増大するロ
 シアの脅威への対応策として・・、
  「同じ様にロシアを脅威と感じているイギリスと同盟
 し、ロシアの強硬行為を止めさせる」か、
  「ロシアとの協定を求める」か・・との・・「日英同
 盟」と「日露協和(協商)」の2つの選択肢の検討がなさ
 れた。
  元老の伊藤博文と井上馨は、「日露協商に積極的でだ
 った」。
  駐露公使を務めた栗野慎一郎によると・・、
  伊藤は、ロシアは強国で、万一、戦いとなった場合、
 当時の日本の軍備では、到底、ロシアに勝つという勝算
 はない・・、
  ロシアの極東における利益や希望を、ある程度までや
 りたいようにやらせ、容認し、その代わり日本の朝鮮に
 おける行動を認めさせようと考えていた。
  伊藤は思った・・イギリスという国は、自分勝手な都
 合ばかりを行なっている国だと・・謀る(たばかる、計
 略を巡らして、だます)ようなことばかりをする国だと・・、
  その様なイギリスとの連合は「効果が薄弱である」と、
  イギリスは、ロシアやフランスから敵視されているし、
  満州地方を豊かな有望な農業や商工業の栄える地にし
 て行くにはロシアと協調する・・
  また、目前の問題を解決するためにも、日露協商を結
 ぶのが先務である・・と・・
  日英同盟では頼りない・・実現の可能性はない・・と
 考えていた。
  一方、井上は、1901年11月、日英同盟交渉の進捗を見
 ながら、ロシアに滞在する伊藤へ・・
  「英国は、慣習にあらざる攻守同盟を急速に断行せん
 とする、真意解きがたし、我を利用して英国の難を避け
 んとする策にあらざるや」、
  イギリスは、焦(あせ)っている様だった・・井上に
 は、日本が利用されるように見えた。
  さらには、「若し日英同盟成立せば、露独仏対清攻守
 同盟を決行する必然ならむ」との電報を送った。
  2人の元老は、イギリスに対する不信感が強かった。
  同盟の実現性とその効果に対する疑念も強かった。
  伊藤には、三国干渉当時のイギリスのやり方が強く印
 象付けられていて・・イギリスに対する失望感が深く記
 憶されていた。
.
1901年12月、日英同盟に決した元老会議
  日露協商派と日英同盟派の対立は、1901年12月の葉山
 での秘密の元老会議(桂首相、小村外相、山本海相も参
 加)で、「日英同盟の締結が参加者全員の賛成を得た」
 ことにより決着した。
  小村外相は、この会議で提示した「日英同盟に関する
 意見書」の中で、日露協約と日英同盟を対比して示し、
 説明した。
  小村外相は、日露協約は「ロシアの侵略主義」から長
 い和局の維持の保証とはならない・・と・・
  (第二次世界大戦でも中立条約を破って日本を侵略し、
 日本の領土を奪った国・・ロシアとはこの様な国)、
  一方、日英同盟は、ロシアの野心を制し、比較的長期
 間にわたって平和を維持できる・・と分析した。
  また、イギリスは、東洋での領土は(十分持っている
 ので・・管理を越えている状況)増えることを好まず、
 現状を維持しつつ、通商上の利益を図ることを求めてい
 ると・・分析した。
  ロシアの侵略性が、南下政策が、東アジアの最大の火
 種であると分析した。
  この様なロシアが、朝鮮まで駆逐し、日本と、直接、
 接する様な状況になることが、日本の安全保障上の最大
 の脅威と捉えていた・・そして・・
  1902年1月30日、日英同盟がロンドンで調印された。
.
1924年11月28日、孫文は、この年に、北京で発生した政変
 (馮玉祥・ふうぎょくしょうクーデター)に応じて、広
 東から北京に赴く途中で神戸に立ち寄り、「大アジア主
 義」演説を行った・・
  「日本人よ! 西洋覇道の鷹犬となるか、あるいは東
 洋王道の干城となるか」。
  (参考)鷹犬:たかいぬ、鷹狩りに用いる犬。
  (参考)干城:かんじょう、国を守る武士・軍人。
  孫文は、神戸で頭山満(とうやまみつる)と会談した
 翌日に行った講演。
  神戸商業会議所など5団体を対象として、現在兵庫県庁
 となっている場所にあった旧制神戸高等女学校講堂にお
 いて行われた。
  (参考)頭山満:玄洋社の代表の立場で、玄洋社は、
     自由民権運動の結社であった向陽社を改名して
     結成された。
      中江兆民や吉野作造などの民権運動家や、遠
     縁のアナキストの伊藤野枝や大杉栄とも交流が
     あった。
      また、鳥尾小弥太・犬養毅・広田弘毅など政
     界にも広い人脈を持ち、実業家(鉱山経営者)
     や篤志家としての側面も持つ。
      早い時期から日本の海外進出を訴え、同時に、
     朝鮮の金玉均、中国の孫文や蒋介石、インドの
     ラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボ
     イ・チャウなど、日本に亡命したアジア各地の
     民族主義者・独立運動家への援助を積極的に行
     った。
.
1933年11月17日、アメリカ、ソ連を承認。
  アメリカが、この年、ソ連を承認した・・が・・この
 頃のソ連は、「革命と内乱と策謀を輸出する」と公言ま
 でするような国だった。
  そして、昔から今も、中国の『お家芸』は、「政治工
 作」と「宣伝工作」であるが・・共産国家の策謀は、い
 つの時代も行われている。
  そして、「ニューヨーク・タイムズ」というアメリカ
 の新聞も、嘘記事で世界を惑(まど)わせた。
  日本の朝日新聞も、嘘記事をよく書いているが・・、
  朝日新聞は、慰安婦問題をデッチ上げて、すっかり、
 日本は、その間違った記事の様な国と思われて、日本は
 すっかり貶(おとし)められているが・・、
  因みに、また、この様な嘘記事ばかりを書く朝日新聞
 が、中国の文化大革命時代にも、中国讃美の嘘記事を書
 いている。
  文化大革命で、1000万人以上もの中国の方々が殺され
 ているにもかかわらず・・朝日新聞は、中国の文化大革
 命を「バラ色に書き」・・成功していると嘘記事を書き
 続けた。
  標記のアメリカのニューヨーク・タイムズも、1920年
 代終わりから1930年代に、特に、嘘記事を書いてばかり
 いた。
  この頃のアメリカの政界も、共産圏の「政治工作」に
 翻弄(ほんろう)されていた。
  1933年に、アメリカ大統領となったフランクリン・ル
 ーズベルトの周りには、側近から官僚など、大量に工作
 員に溢(あふ)れていた。
  1933年には、アメリカは、ソ連を承認した。
  ソ連は、この頃、コミンテルンを擁し、世界中に「革
 命と内乱と策謀を輸出する」と公言までする様な国だっ
 た。
  アメリカや世界が、はまっていくその一つの要因が、
 前記したニューヨーク・タイムズで・・、
  特に、この新聞社の記者(ウォルター・デュランティ)
 が曲者(くせもの)だった。
  この記者は、ソ連へ、1920年代終わりから1930年代、
 特派員として派遣された。
  1932年に、ピューリッアー賞を受賞するが、この記者
 は「眉唾(まゆつば)記事」ばかり書いた。
  記者デュランティは、「ハニー・トラップ」に引っ掛
 かっていた。
  その為、デュランティは、まったく「ソ連の対外スポ
 ークスマン」のような記事を書いた。
  これに、世界が踊らされた。
  ウクライナの人々が、ソ連の仕組んだ行為で、何百万
 人もの餓死者を出ているというのに・・それをまったく
 報じず・・
  逆に、「ウクライナ農民は、豊かな穀物収穫を享受し
 ている」と報じた。
  そしてまた、デュランティは、「ウクライナを飢餓だ」
 と報道しているのは「デマ報道だ」と嘘を報じた。
.
1941年11月20日、この日から11月25日にかけて、日本とア
 メリカは、開戦になるかもしれないという切羽詰まった
 状況で、最後の交渉が重ねられた・・
  この様な時・・、
  交渉は、色々な案の中からB案で、両国の合意が成っ
 て、交渉がまとまりそうになった・・
  この時・・ここで、工作員が暗躍する・・
  アメリカ大統領であるルーズベルト政権の中枢には、
 コミンテルンのエージェントが要所要所に入り込み、「
 日米開戦をうながす謀略」を行なっていた。
  日米交渉がまとまろうとしていたが、この工作員によ
 ってぶち壊され、破たんさせられ、戦争に突入した。
  また、最後通牒となったハル・ノートが出され、日本
 は、戦争の道へ追い込まれて行ったが、ここにも、工作
 員の影が満ちていた。
  この様な工作員の裏世界で暗躍した一人が、中国のコ
 ミンテルン情報員の陳翰笙(ちんかんしょう)だった。
  陳は、回想録「四つの時代と私」で言っているが・・
  アメリカの共産党シンパ(共鳴者)や、アメリカ政権
 内部に潜(もぐ)り込んで工作し、また、ハル・ノート
 の裏で潜り込んだコミンテルン工作員たちを繰る要(か
 なめ)にいる中心人物だった。
  この中国の工作員の陳は、これ以外でも、色々な所で
 日本を貶(おとし)め、そして、策にはめていた。
  そしてまた、アメリカ東海岸で反日を煽(あお)る活
 動もし、日本を吊るし上げる集会を、数々、開いたりし
 た。
  アメリカ世論へ、大きな影響を与えた。
  中国は、今・現代も、多くの人間を使って、また、超
 多額の資金を使って、日本やアメリカや、世界のあちこ
 ちで工作活動を行なっている。
  因みに、陳は、1897年に生まれ、1928年にシカゴ大学
 を卒業し、1924年にベルリン大学で博士号を取り、26歳
 で北京大学の教授になった。
  この時、コミンテルンに入る。
  中国の別派に弾圧され、1928年にモスクワに逃げる。
  ここで、ゾルゲに会う。
  1929年、ゾルゲを助けて、一緒に上海に来る。
  さらに、陳は、東京でもコミンテルンのつながりを作
 り、また、中国共産党のコネクションも作る。
  そして、モスクワの指令を受け、アメリカへ行き、情
 報誌でのプロパガンダ活動をし、日本をはめて行く。
  功が奏し、アメリカ世論は繰られる。
  そして、クライマックスは、日本の努力によって日米
 交渉での「開戦に至らない道」が見えた時・・
  工作員からの情報を得て、その裏で、それをぶち壊す
 事に暗躍する。
  それは、1941年11月20日から11月25日にかけて、日本
 とアメリカの開戦になるかもしれないという切羽詰まっ
 た最後の交渉を重ねている時、色々な案の中でB案でま
 とまりそうになった。
  その時、ルーズベルトの一番の側近、工作員だったラ
 フリン・カリーは、ホワイトハウスから電報を打った。
  重慶で蒋介石の顧問をしていたラティモアへ電報を打
 った・・
  その内容は・・
  「もうB案で日米交渉はまとまってしまうかもしれな
 い」。
  「これを阻止するために、蒋介石から『日米妥協に断
 固反対する』という電報を打つべきだ」・・と指示した。
  そして、蒋介石は、アメリカを脅した。
  「日米が妥協すれば、もう米中関係はおしまいだ」。
  「中国国民は、アメリカから離れる」。
  「そうなれば、日本との戦いは総崩れになる」。
  「逆に、アメリカが、日本との戦争に踏み切れば、絶
 対、日本に勝てる」・・と・・
  蒋介石は、第二次世界大戦が開戦されると、「これで
 救われた」と漏らした。
  (蒋介石の日記「大事長編」に記されている)
  そして、最終的に、日米の合意をぶち壊したのは、「
 ハル・ノート」を起草したハリー・デクスター・ホワイ
 トだった。
  このホワイトも、カリーも、GRU(ロシア連邦軍参
 謀本部情報総局)のメンバーだった。
  (ソ連の情報関係文書にはっきり記されている)
  アメリカ内部のソ連の手先(コミンテルン工作員)に
 よって、「日米開戦が押し止め(おしとどめ)られ得た
 合意・・そして、解決」が、合意直前でぶち壊された。
  そして、ソ連は、日ソ中立条約を破棄し、第二次世界
 大戦が集結している後まで、日本の領土を奪った。
  日本領の南樺太、日本領の千島列島、日本領の北方四
 島を・・不法に奪った。
  今・現在も、ソ連は、「不法占拠を続けている」。
.
1950年代、マッカーシズム
  1950年代に、アメリカ合衆国で発生した反共産主義に
 基づく社会運動、政治的運動。
  アメリカ合衆国上院(共和党)議員のジョセフ・マッ
 カーシーによる告発をきっかけとして、「共産主義者で
 ある」との批判を受けたアメリカ合衆国連邦政府職員、
 マスメディアやアメリカ映画の関係者などが攻撃された。
  アメリカの第32代大統領のフランクリン・ルーズベル
 トの側近から官僚、そして、その他の広い範囲に共産圏
 の工作員がうようよといた・・工作員だらけだった。
  その為、日本との戦争にまで至ってしまった。
  その反動もあって、1950年代に、アメリカはマッカー
 シズムが起きた。
  今・現在の日本も、中国の工作員がうようよと居て、
 スパイ天国となっている。
  このアメリカのマッカーシー旋風は、アメリカの情報
 機関が、ソ連スパイ・工作員の暗号を解読していること
 を惑(まど)わし、隠すためにも行った。
  ソ連のスパイの情報をリークして議会で追及している
 という形にした。
  ホワイトや、カリーや、アルジャー・ヒスは、アメリ
 カでの最も高位についたソ連のスパイだった。
  これは、「ヴェノナ文書」にも記されている。
,
1970年代、社会党委員長を務めた勝間田清一は、KGB(
 ソ連の情報機関で秘密警察のソ連国家保安委員会)から
 金を貰っていた。
  この事をばらしたのが、イギリスで発行された「ミト
 ローヒン文書・第二部」だった・・この記事に書かれた。
  ミトローヒンは、KGBの元文書課長で、1980年代に
 膨大な秘密文書(トラック一台分の文書と言われるくら
 いの膨大な文書)を持ち出して、イギリスへ亡命した。
  これが、今、少しづつ公開されている。
  この勝間田が、衆議院副議長になり、また、勲一等旭
 日大綬章を貰っている。
  日本が、スパイ天国と言われる由縁(ゆえん)。
  勝間田のスパイ行動は、KGB工作員のレフチェンコ
 の証言とも一致する。
  今、「しめしめ、巧(うま)く行った」と思っている
 奴等も、これから機密文書が公開されて来るから、これ
 から将来、安穏としていられない・・確実に、人物評価
 は駄目になって行く。
  これから、あちこちの機密文書が公開されて来て、昭
 和史は、徐々に、大きく塗り替えられて行く。
.
1989年、オウム真理教が、東京都で宗教法人の認証を受け
 た。
  麻原彰晃 (本名・松本智津夫、1955年~2018年) が
 1984年に始めた宗教。
  坂本堤弁護士一家殺害事件 (1989年11月) 、松本サリ
 ン事件(1994年6月) 、目黒公証役場事務長拉致・殺害事
 件 (1995年2月) 、東京地下鉄サリン事件 (1995年3月)
 など、数々の凶悪事件を引起した。
  村山富市首相の時(在任期間:1972年12月11日~1980
 年5月19日、1983年12月19日~2000年6月2日)・・
  この村山首相は、破防法(破壊活動防止法、昭和27年
 法律240号)のオウム真理教への適用に反対した。
  その理由は、「嫌疑のある団体に強制捜査をすること」
 だった。
  その結果、甘い捜査となり、オウム真理教の犯罪を防
 げなかった。
  また、日弁連(日本弁護士連合会)は、強硬に、破防
 法適用に一番反対した。
.
1991年12月25日、ソ連崩壊
  この日のソ連大統領のゴルバチョフの辞任に伴って、
 ソ連は崩壊したが・・、
  このソ連崩壊後、クレムリン秘密文書公開により・・、
 「社会党がソ連から援助を得ていた」ことが明らかにさ
 れた。
  (当時の社会党執行部はソ連の資金援助を否定した)
  また、戦前から、ソ連コミンテルン工作員が、たくさ
 ん日本に潜り込んでいた。
  戦後も、共産主義国家から、この様な事がなされ、こ
 の様な工作員に協力する日本人が、ソ連のスパイとして
 暗躍した。
  今・現在、中国からの潜入が多い。
.
2018年、中国の「集団指導体制」なんて言ったって「言葉
 の遊び」。
  一握りの者たちが行なう制度となっている。
  集団という言葉を使う事が「おこがましい体制」・・
 「おかしな状態の体制」・・「擬似集団」の指導体制。
  「擬似集団指導体制国家」「見せかけ集団の指導体制
 国」「擬似集団・見せかけ集団の独裁指導体制」。
  民意を反映させる自由な選挙が無い。
  「見せかけ集団の独裁政権」が一般市民を牛耳る。
  あってはならない、今の中国の政治の姿。
  一般市民の声が政治には反映しない「遅れた政治体制
 の国=中国」。
  一握りの者たちが、一般市民を搾取する政治の国=中
 国」。
.
2018年、中国は、共産主義
  しかし、資本主義経済社会に入ってきた。
  共産主義は、ソ連の滅亡で、「共産主義の人類最大の
 実験は終わった」と言われた・・
  そして、自由主義経済・資本主義経済の勝利の様に言
 われたが・・?
  そして、それを勝利として喜んだが・・果たして、「
 そうなのか?」。
  共産主義の国が、すべて無くなった訳ではない。
  中国という極大な共産主義国家が存在し続けている。
  ソ連とともに、すべての共産主義国家が無くなった訳
 ではなかった。
  中国は思うだろう・・「自由主義経済社会こそ矛盾だ
 らけ」「その資本主義経済こそ破綻すべきだ」・・と・・
  今・現在、どこの自由主義経済、資本主義経済国家も、
 札を刷る輪転機を回して、「泡のような価値を作ってい
 る」。
  今・現在、その泡の価値が世界に充満している。
  どこの国も、こんなことを「知らんぷりしてやってい
 る」。
  中国も、こんな簡単な事ならと、自由主義経済・資本
 主義社会に入って来て、何処の国もやっているように、
 輪転機を回しに回している。
  今・現在、中国の借金は、「3800兆円」だという。
  「人民元を刷れば、それで済むから」「輪転機を回し
 に回している」。
  世界中に、人民元を吐き出し続けている。
  中国は、景気が悪くなると、泡の金をどんどん刷って、
 「マンションをどんどん作った」。
  今はゴーストタウンとなっている。
  経済成長は、その恩恵で「成長は続けた」が・・?
  簡単な行為の「金を刷って架空の経済を伸ばし」、武
 器もどんどん作った。
  軍拡は・・好きなだけ拡大した。
  中国の債務は・・「只今、3800兆円」。
  中国は・・出口は意識していない。
  これは、「リーマン・ショック」の無責任行為どころ
 ではない。
  桁(けた)違いもけた違い。
  日本でも、「大きい会社は、潰せない」と言われたが、
 借金の大き過ぎる会社は、逆に、潰せなくなるという経
 済社会なのだ。
  中国は、これを知っている。
  中国の最高級幹部は、中国政権がいつか潰れると、自
 分の自由になる金(超大金)を、アメリカやスイスに移
 している。
  中国の金が泡になっても、移した金はドルなどに代わ
 っているから泡にならない・・だから、その様にした。
  その時には、その国で生きようとしている。
  家族をアメリカに住まわせている中国の大幹部も居る。
  娘のアメリカ留学は、当たり前・・誰でもやっている。
  日本の「借金の出口」を言う前に・・中国のこの事を
 言うべきだ。
  中国がやることは、「超インフレ操作」。
  共産主義社会の中国は、何でもできる・・「中国を超
 インフレ」にして、過去の借金を「無価値の様にする」。
  過去の借金から逃れられる。
  中国は、いざとなったらこれをやる予定・・、
  為替も・・いじくりまわる・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-08-31 04:57 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)608E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)

題:(増補版)608E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年8月26日、日朝盟約
  大日本大朝鮮兩國盟約(だいにほんだいちょうせんり
 ょうごくめいやく)
  日本政府と朝鮮政府が両国同盟(攻守同盟)に調印し
 た。
  内容:
  第1条:この盟約は清兵を朝鮮国より撤退させ、朝鮮
     国の独立自主を強固にして、日朝両国の利益を
     増進することを目的とする。
  第2条:日本国は清国に対し攻守の戦争を遂行する、
     朝鮮国は日本軍の進退及びその食糧準備に、出
     来得る限りの便宜を提供すること。
  第3条:この盟約は清国との平和条約が締結されるま
     で続くものとする。
  史料:
  大日本大朝鮮兩國政府ハ日本曆明治二十七年七月二十
 五日
  朝鮮曆開國五百三年六月二十三日ニ於テ朝鮮國政府ヨ
 リ清兵撤退一節ヲ以テ朝鮮國京城駐在日本特命全權公使
 ニ委託シテ代辦セシメタル以來兩國政府ハ清國ニ對シ既
 ニ攻守相助クルノ位置ニ立テリ就テハ其事實ヲ明著ニシ
 倂ニ兩國事ヲ共ニスルノ目的ヲ達センガ爲メ下ニ記名セ
 ル兩國大臣ハ各々全權委任ヲ奉シ訂約シタル條款左ニ開
 列ス
  第一條 此盟約ハ清兵ヲ朝鮮國ノ境外ニ撤退セシメ朝鮮
     國ノ獨立自主ヲ鞏固ニシ日朝兩國ノ利益ヲ增進
     スルヲ以テ目的トス
  第二條 日本國ハ清國ニ對シ攻守ノ戰爭ニ任シ朝鮮國ハ
     日兵ノ進退及ヒ其糧食準備ノ爲メ及ブ丈ケ便宜
     ヲ與フヘシ
  第三條 此盟約ハ清國ニ對シ平和條約ノ成ルヲ待テ廢罷
     ス可シ
  此レカ爲メ兩國全權大臣記名調印シ以テ憑信ヲ昭ニス
  大日本國明治二十七年八月二十六日
          特命全權公使 大鳥圭介(印)
  大朝鮮國開國五百三年七月二十六日
          外務大臣 金允植(印)
.
1894年8月29日、芳川顕正(よしかわあきまさ)が、文相
 を第2次伊藤内閣で兼任した。
  因みに、芳川顕正は、1893年に、第2次伊藤内閣で司法
 大臣に就任し、続く第2次松方内閣でも留任した。
  また、この間の1894年に、文部大臣を臨時兼任したの
 だった。
  そして、1896年には、内務大臣も兼任した。
  そして、芳川顕正は・・、
  1885年6月9日に、ハワイ王国:王冠勲章ナイトグラン
 ドオフィシルを授賞し・・また・・
  1885年9月29日に、デンマーク王国:ダコブログ勲章コ
 マンドール・プルミエールクラスを、すでに、受賞して
 いる。
  芳川顕正は・・1842年1月21日~1920年1月10日、80歳、
  明治・大正時代の官僚、政治家、伯爵、徳島生まれ。
  浅野玄碩より医学を学び、高橋文昨の養嗣子となる
  1862年(20歳)、長崎で医学修業の傍ら、何礼之、瓜
 生寅 に英学をまなび、伊藤博文と知り合う。
  1867年(25歳)、鹿児島に赴き、海軍所の賓客として
 航海、数学、兵学書の翻訳に当たる。
  1868年(26歳)、芳川と改姓。徳島の洋学教授となる。
  1870年(28歳)、伊藤の推薦で大蔵省にはいる。
  1871年(29歳)、伊藤博文と渡米し、貨幣・金融制度
 調査に従事。
  帰国後・・紙幣頭、工部大丞、工部大書記官、電信局
 長などを歴任した。
  1879年(37歳)から翌年にかけてイギリス出張で万国
 電信会議に出席。外務少輔、工部少輔を経て、
  1882年(40歳)から3年間、東京府知事を務め、地区改
 正や築港に尽力した。
  その後・・内務大輔、内務次官として山県有朋内務卿・
 内相を補佐。
  1890年(48歳)、第1次山県内閣の文部大臣となり、教
 育勅語の制定に関与した。
  以後・・司法、内務、逓信の各大臣を歴任した。
  この間、宮中顧問官兼内蔵頭、兼帝室会計審査局長、
 中央衛生会長などとなる。
  1900年(58歳)~1904年(62歳)、貴族院伯爵議員。
  1910年(68歳)以降、一時の中断を除いて枢密顧問官。
  1911年(69歳)、この年まで、国学院大学学長、皇典
 講究所総裁を務める。
  1912年(70歳)~1917年(75歳)、枢密院副議長。
 長崎時代、英国帰りで会話はできても読み書きが不自由
 な伊藤博文に英文法を教えたのが、官途(かんと、官吏
 になること)に就くきっかけとなった。
  著作:『越山遺稿』
.
1894年8月29日、文部省が、体育の奨励に関して訓令を発し
 た。
  「体育及び学校衛生に関する訓令」で、身体の発育期
 にある児童に活発な運動を推奨し、国民の健康な身体の
 育成を図った。
  小学校の運動会などが盛んになった。
.
1894年8月31日、川上音二郎一座が浅草座で「壮絶快絶日清
 戦争」の上演を開始した。
  戦争劇ブームが起きる。
  1894年8月初め、30歳であった川上音二郎は、芝居の脚
 本を書き、認可を警視庁に申請した。
  この申請の認可は、1894年08月21日に下りた。
  戦争の実態を見ていない音二郎、実際の戦況とはかけ
 はなれた内容であったが、若い演者たちが体当たりで演
 じる活劇は評判となった。
  1894年10月7日まで芝居を打った音二郎は、1894年10月
 22日から戦地視察に出発した。
  朝鮮の仁川や平壤、そして、鴨緑川を渡って清国の九
 連城まで訪れた。
  そして、約一ヵ月後に帰国した。
  音二郎は、この時の見聞をとり込んで仕上げたのが「
 川上音二郎戦地見聞日記(川上音二郎従軍日記)」で・・、
  1894年12月3日~12月23日まで、市村座で上演された。
  また、翌年・1895年1月、横浜の港座でも公演した。
  描いた場面は、戦地視察をした俳優の本人が演じると
 いう事で、観客に、そのリアルさを予感させた。、
  九連城で、直接、傷を負った小島中尉から聞き、また、
 託された手紙を内地の家族に届ける場面(五幕目)であっ
 た。
  そして、実際は、この小島中尉は、手紙を音二郎に渡
 した数時間後に亡くなっている。
  音二郎は、小島中尉夫人に戦死をも告げなくてはなら
 なかった。
  この芝居は、川上一座の呼び物であった体を張った戦
 闘(乱闘)シーンとは対照的に、実際の愁嘆場(しゅうた
 んば、泣き悲しむ悲劇的な場面)を盛り込んだ・・その
 様な「川上音二郎戦地見聞日記」となった。
  戦場の実地を見とどけて来て、それをすぐに舞台にの
 せるという状況・・その迅速さに、実際が知りたいとい
 う観客は期待し、そして、喝采した。
  劇界には、歌舞伎と新派劇の二つのジャンルが成立し
 た。
  戦争劇ブームが起きた。
.
  今日の言葉
.
  題:アメリカの対中政策が「本気になって来た」。
    欧州は、中国で儲けたいと、中国寄りであったが、
    アメリカ政権の狙いが分かって来た・・
    同時に、中国の軍拡主義・覇権主義の危険性が分
   かって来た。
.
紀元前260万年~紀元前250万年、世界最古の石器
  ヒト属(ホモ属)によるものは、エチオピアはアファ
 ール盆地のゴナ (Gona) にある化石人類遺跡で発見され
 た『オルドワン型礫石器群』(新生代新第三紀鮮新世後
 期)
  ホモ・ハビリスによるものと推定される。
  『磨製石器の最古のものは日本の岩宿遺跡』・・
  日本の群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじ
 ゅくいせき)で出土したもの、人の手によって磨きがか
 けられた石器としては、これが「世界最古」の石器であ
 る。
     ・
     ・
紀元前7万5000年頃、世界最古の装身具の貝殻ビーズ
  南アフリカ共和国の都市ケープタウンの300km東に所在
 する『ブロンボス洞窟遺跡』にある約7万5000年前の地層
 から、大きさが完璧に揃っている上に、例外なく開口部
 の反対側の同一箇所に孔が開いている巻貝の貝殻が60個
 あまり発見された。
  孔は、ビーズ飾りを作るための、紐の通し孔であった
 と考えられている。
.
紀元前3万5000年頃、世界最古の楽器
  マンモスの牙や鳥の骨で作られた横笛
  ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州はシュ
 ヴェービッシェ・アルプにある『ホーレ・フェルス洞窟』
 の後期旧石器時代オーリニャック文化遺跡で発見された。
.
紀元前3万5000年頃、世界最古の絵画
  『ホーレ・フェルスの洞窟壁画』
  洞窟は、南ドイツのシュヴェービッシェ・アルプにあ
 り、壁画は、オーリニャック文化によるもの。
  後期旧石器時代に当たる約3万5000年前に描かれたと推
 定される。
.
紀元前3万2000年頃、世界最古の動物形象による像
  ライオンマン(ライオンレディー)
  ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州はシュ
 ヴァーベン・アルプのローネタール(はぐれ谷)にある
 ホーレンシュタイン・シュターデルの洞窟(ホーレンシ
 ュタイン山の『シュターデル洞窟』)から出土した、後
 期旧石器時代のオーリニャック文化に属すると考えられ
 る象牙製の彫像(女神像)で、世界最古の動物形象によ
 る像とされる。
  発見当初は、ホラアナライオンの雄をモデルとした男
 神像と見なされて「ライオンマン」と呼ばれたが、雌を
 モデルとした女神像説も論じられるようになったため、
 「ライオンレディー」とも呼ばれる。
.
紀元前2万3000年頃、世界最古の釣針
  日本の『沖縄県』で発見された貝殻製の釣針。
.
紀元前1万8000年頃、世界最古の土器
  中国『湖南省』で発掘された約1万8000年前の土器
  また、日本の『大平山元I遺跡』の縄文土器(約1万6500
 年前)や・・
  『シベリア』で発掘された土器(約1万4000年前)も世
 界最古と言われている。
.
紀元前1万2000年頃、世界最古の陶器
  日本の長崎県にある福井洞窟で発見された約1万2000年
 前のもの。
  2009年には、中国で湖南省で1万4000年前~2万1000年
 前の陶器が発見された。
.
紀元前1万2000年頃、世界最古の縄・紐
  フランスにある『ラスコー洞窟』の最奥部で発見され
 た約1万2000年前以前のもの・・現存する最古の縄。
  後期旧石器時代マドレーヌ期(約1万8000年~約1万2000
 年前)に属する遺物。
.
紀元前9000年頃、漆器
  日本の北海道函館市南茅部地区にある『垣ノ島遺跡』
 から出土した漆塗り装飾品。
  約9000年前~約6500年前(縄文時代早期前半)に属す
 る土坑墓から、2000年8月11日に発掘された推定年代約
 9000年前の副葬品。
  本体は朽ち果て、漆塗りを施された表面部だけが残っ
 た。
  ただし、2002年12月28日に発生した火事でほとんどを
 焼失した。
.
紀元前8800年頃、銅器
  銅製の小玉:『イラク』で発見された。
  なお、世界最古の銅製食器や銅製調理用具としては、
 紀元前4000年頃のパレスチナの『Nahal Mishmar遺跡』
 で発見されている。
.
紀元前3700年頃、青銅鈴
  中国の夏の時代、二里頭文化で作られた。
.
紀元前3500年頃、青銅器
  メソポタミアで銅に錫を混ぜて青銅を加工した。
.
紀元前3300年頃、世界最古の粘土板文書
  シュメールの都市『ウルク』の遺跡第4層から出土した。
.
紀元前3000年頃、貨幣
  宝貝:タカラガイの貝殻に貨幣価値を与えた物。
  殷代後期の中国。
.
紀元前2570年、世界最古の港湾施設:エジプトクフ王の港
  クフ王時代に使われた世界最古の港。
  スエズの南方約180キロにあり、現在は、船を係留する
 ためのロープを固定する石のみが現存している。
.
紀元前2100年頃~紀元前1950年頃、鉄器
  トルコの『カマン・カレホユック遺跡』から出土した
 小刀のような鉄器。
  紀元前2100年頃から紀元前1950年頃に属する遺構から
 発見され、これによってヒッタイト起源説が更新された。
.
紀元前14世紀、世界最古の墨文書
  文字が刻み込まれた卜占用亀甲獣骨に残る墨の跡:紀
 元前14世紀の殷代中国。
.
紀元前13世紀頃、現存する最古の橋:アルカディコ橋
  ティリンスとエピダウロスを結ぶべくミケーネ人が建
 造した石橋であり、持送りアーチ橋。
  地元住民によって現在も使用されている。
.
紀元前670年頃、鋳造貨幣
  エレクトロン貨:リディア王国第2代国王アリュアッテ
 スが、治世初期に当たる紀元前670年頃に造らせた。
.
紀元前1世紀以上、最も古い時代の種子から発芽・成長した
 顕花植物 大賀ハス
  1952年7月18日に開花した。
  日本の千葉市。
  種子は弥生時代の遺跡(泥炭層)から出土したもので、
 間接的年代測定がなされた。
  1952年の時点で2000年以上前(紀元前1世紀末以前。弥
 生後期V期前半以前に由来と推定された。
  その開花は「世界最古の花 生命の復活」」として雑誌
 『ライフ』にも取り上げられた。
.
578年、世界最古の企業:金剛組
  古代日本の摂津国難波で敏達天皇7年(578年)に創業。
  以来、長らく宮大工組織として活動を続け、近代以降
 は主に寺社を手がける総合建設会社となっている。
  2005年に、事業譲渡するまでは「創業者一族が経営を
 続ける現存企業」として世界最古でもあった。
  事業譲渡後も企業として「世界最古」には変わりない。
.
601年、世界最古の木造建築物:法隆寺金堂および五重塔
  日本の斑鳩宮近郊(現・奈良県斑鳩町域)に、推古天
 皇9年(601年)、聖徳太子によって建立された。
.
1232年、日本最古の港湾施設:和賀江島
  日本の最古の港湾設備であり、現存する世界最古の人
 工の港である。
.
1600年頃、財閥:住友財閥
  その歴史は400年以上前にさかのぼる。
.
19世紀半ば、イギリスのこの時代ほど不平等な時代は無か
 った。
  「女王は、二つの国民の上に君臨する」と言われるほ
 ど、イギリスのその不平等さは際立っていた。
  また、「(イギリスでは)上層民と下層民の分断は酷
 (ひど)い。
  (このイギリスの)二つの階層では、教育も、食べ物
 も、法律も異なる」と言われるほど最悪の低劣さだった。
  そして、イギリスは、この遅れた差別状態から長らく
 脱却できなかった。
  脱却できたのが、なんと、最近で、サッチャー氏がこ
 の悪習を変えた。
  この分断された状態を変えることをしたのはサッチャ
 ーだった・・20世紀に至ってやっと、この固執した意識
 の変革に手が付けられた。
  だから、サッチャーは、20世紀最長の政権を持った。
  「二つの階層を越える一つの国民」という意識が掲げ
 られ、悪弊にあった頑固な信条が変える社会的努力がな
 れて行った。
.
1904年2月8日、日露戦争がこの日に起きた・・が、中国も、
 この戦争に加わっていた。
  『日露中戦争』だった。
  共産圏の国家が、いかに完璧に「秘密を保つことが出
 来る」かには驚くばかりだった・・、
  この事からも分かる通り、共産圏外交が、特務工作に
 よって、民主主義国における世論操作を、いかに巧みに
 展開できるかである・・感嘆すべき凄さである・・、
  中国の政治と外交は、帰結する所は、宣伝謀略工作に
 ある・・と言える。
  2016年においても、盛んに、アメリカのシカゴの新聞
 社の権利を手に入れたりして活動している。
  分析を精細に行なえば、共産主義諸国が行なう、表(
 おもて)の発言や「報道」と、裏の真意・実態が大きく
 かけ離れているという事が判明するのは日常茶飯事であ
 る・・、
  場合によっては、180度違う事がよくある・・、
  昨日は土砂降りでも、臆面もなく、次の日は「カラッ
 と晴れる」という具合である・・、
  また、当然、その逆もある(韓国もこれ)
  一喜一憂したり、振り回されたりしないのが肝心・・、
  中国は、特に、古来から「政治とは謀略の営み」と見
 てきた面がある・・、
  「それに長けている」のが『優れているという見方』
 の国である。
  中国の歴史の大きな転換点に、この特務工作、情報活
 動、謀略が、常に、決定的役割を果たして来ていた。
  日本は、ある意味、誠実であった、あり過ぎた・・、
  これが、日本の特質であり、国際的に信頼を得る所で
 もあるが、しかし、見方を変えれば未熟だった。
  情報収拾や諜報と言われる領域まで、そして、工作と
 言われるところまで・・習熟して行くべき。
  (日本はスパイ天国とも言われている。スパイが、う
 ようよ、あちこちに居る)
  憲法も誠実に守り過ぎた、関係するところは変えて行
 くべきである・・、
  「平和は本当に、いいなあ」と、戦争を体験なされた
 方々が、嘆息なされておられるが・・、
  北朝鮮も、生き延びるため、また、生き残るため、「
 核とミサイル」を持った・・
  日本も、のほほんとしていては滅亡があるだけ・・生
 き延びる方策を真剣に問う必要がある今である・・
  日露戦争に参戦していた中国だった。
  ロシアと中国の秘密条約によって、中国は参戦してい
 た。
  教科書に書かれていない史実である・・
  しかし、この様な歴史の事実を条件に入れて、現実を
 処さなければならない・・
  (参考)日露戦争:この戦争は、1904年2月8日~1905
     年9月5日、日本とロシア帝国(秘密裏に中国も
     参戦)との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満
     洲南部と、日本海を主戦場として戦った戦争・・
      南下するロシアに対峙するために、日本の陸
     軍部隊は韓国領内を北上し、5月に、鴨緑江を渡
     った。
      最初の戦闘で、ロシア軍を敗退させた・・
      また、南山の戦でも激戦の末に優位を占めた・・
      6月、満州軍総司令部が編成され、総司令官に
     大山巌、総参謀長に児玉源太郎を任命され、そ
     の下に、第1軍から第4軍が統轄されることにな
     った。
      8月末~9月初め、遼陽の戦は、日露両軍が、
     総力を結集した戦闘となった。
      双方ともに、2万名以上の損害を出すという激
     戦となり、ここでも、ロシア軍は後退した。
      しかし、日本軍の被った打撃も深刻なものが
     あった。
      両国は、アメリカ合衆国の仲介の下で終戦交
     渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマ
     ス条約により講和した。
  ロシアの南下政策の下で、日本の安全保障が脅かされ、
 日露の戦端が開かれたのだったが・・、
  ロシアの狙いは、満州の租借権と、関東州の租借権が
 欲しかった。
  また、鉄道施設権などの利権も欲しかった。
  そして、満州にロシア軍を常駐させ、利権を完全に掌
  握する占領状態にしたかった。
  そしてまた、その利権を朝鮮半島まで拡大したかった。
  強圧的な勢いで、まだ弱小とみられていた日本へ圧力
 をかけていた。
  アジア各国は、また、世界も、日本が勝つとは思って
 いなかった。
  アメリカは日本寄りにいた。
  この時、この戦いの観戦武官が世界から来ていた。
  その国々・・アメリカ、イギリス、ドイツ、オースト
 リア、イタリア、スペイン、スイス、スエーデン、ノル
 ウェー、ブラジル、チリ、アルゼンチン、オスマン帝国
 などの13カ国、70人以上の武官だった・・
  この後、アメリカの日本を見る目が変わった・・
.
1905年10月12日、アメリカは、日露戦争で得た日本の満州
 の権益が欲しかった・・日露戦争後に・・
  そのアメリカ政府の意向を受けたハリマンが、日本に
 やって来た・・
  そして、日本の桂太郎首相と会談した。
  日露の講和条約締結は、この1ヶ月半前の8月29日であ
 り・・調印は、1ヶ月前の9月5日である。
  アメリカは、満州の権益が欲しくて日露の調印が済む
 と、すぐにすっ飛んで来た。
  日露戦争では、日本の肩を持つ(かたをもつ、一方の
 味方をする)アメリカだったが・・この会談後、アメリ
 カの態度は一変する。
  この会談で、日本は、アメリカの満州鉄道の共同経営
 の要求を断わった。
  セオドア・ルーズベルト大統領も言っている・・、
  「私は、従来、日本びいきであったが、ポーツマス会
 議開催以来、日本びいきでなくなった・・」・・、
  ハリマンも・・
  「日本は十年後に後悔することになるだろう!」と激
 怒した。
  アメリカ国内では反日機運が高まって行った。
  アメリカに、戦いで得た権益を渡していれば・・
  日本は、アメリカとの「共同経営の満州」という形に
 していれば・・歴史は変わっただろう。
  ヨーロッパ諸国は、すでに、中国の権益を得ていると
 いうこの時・・中国へ出遅れたアメリカ・・他の欧州列
 強諸国が美味しい中国の汁を吸っている後から行くアメ
 リカの焦りがあった。
  岡崎久彦氏・渡部昇一氏は言う・・、
  「満州の経営を日米共同で進めていけば、日米の会戦
 はなかったのかもしれません・・が・・
  それでは、欧米のアジア植民地化に、日本が、加担す
 ることになるではありませんか」・・、
  アメリカは、日本を障害物として、また、脅威として
 扱う様になって行く。
.
1906年、「世界には三つの嘘がある。嘘と、大嘘と、統計
 である」
  この言葉を、この年に、アメリカのマーク・トーエン
 が「ノース・アメリカン・レビュー」で発表した・
  そして、世界に広まった。
  トーエンは、この語句を、19世紀のイギリス首相のベ
 ンジャミン・ディズレーリ(1804年~1881年)のものと
 紹介した。
  There are three kinds of lies: lies, damned lies,
 and statistics.
  しかし、この言葉は、ディズレーリの著作には見られ
 ない。
  日本にも、「統計で嘘を言う方法」という本があるが、
 さも本当の様に統計の数字を見せられて、嘘のことを信
 じさせられるという話が展開されている。
  (参考):本「データはウソをつく、科学的な社会調
     査の方法」(ちくまプリマー新書) 谷岡 一郎
.
2018年、題:アメリカの対中政策が「本気になって来た」。
    欧州は、中国で儲けたいと、中国寄りであったが、
    アメリカ政権の狙いが分かって来た・・
    同時に、中国の軍拡主義・覇権主義の危険性が分
   かって来た。
 ・今、アメリカでは、ニューヨークタイムスやCNNの、
  「嘘つきニュース」や「間違いニュース」が暴(あば)
  かれて来ている。
   また、日本でも、マスコミなどの論理的正統性の薄
  い「気取った論理の破綻(はたん)」が起き始めてい
  る。
 ・イランの核凍結期間が非常に短いにもかかわらず、目
  的を果たしていないのに、欧州は妥協して「イランを
  許してしまった」・・
   しかし、トランプ大統領は、たずなを緩(ゆる)め
  ず「けしからん、これではだめだ」と言って、正しい
  論理を展開している。
 ・イランは、中東のテロリストたちに「武器を送り、資
  金を送り、内戦を支持し」、欧米とまったく違う事を
  している。
   しかし、欧州は、「その様な不正を黙認」しようと
  している。
 ・トランプ大統領は、サウジアラビアを重視している。
  サウジアラビアは女性の免許を取らせた。
   そして、皇太子が石油だけでは食べていけないと次々
  に改革をしている。
   しかし、カナダは間違いを犯している。
   国家を強く統一しようと、ほかの部族に厳しい事を
  している・・この様な他部族へのサウジアラビアの行
  為を取り上げて、この理屈だけで、カナダは制裁処置
  をしようとしている・・
   この様なカナダの行為は間違いだ・・カナダのやる
  ことはきれいごとだ。
 ・北朝鮮とイランは、核で共同研究している。
   この様な台頭を許すのか?
 ・ロシアのパイプラインは、今までウクライナを通って
  いた。
   そのロシアが、ウクライナと違法な戦争を行ない、
  占領した・・だから、ウクライナはそのパイプライン
  を止めた。
   ロシアとドイツは仲が良いので、ロシアは、ドイツ
  にパイプラインを引いた・・そして、石油を得たドイ
  ツがEUの各国へ石油を配るという役をし始めた。
   ドイツが、石油の蛇口の役をしている(恩を売る行
  為をしている)・・結局、ロシアの言う事を聞く奴を
  探すという役をドイツはしている。
   トランプ大統領はそれを指摘する、ドイツに、「い
  つからロシアの捕虜になったのだ」と・・、
   これは、ドイツは言われて当然である。
   ロシアに利することばかりを、石油が欲しくてヨー
  ロッパはしている・・という「異常事態となっている」。
   シリアの件でも、イランの件でも・・そうである。
   アメリカの大統領選での「ロシア疑惑がある」が、
  トランプ大統領は、ロシアに対して公平である。
   ドイツのメルケルへ「捕虜だ」と言った・・これは、
  非常に正しい指摘だ。
 ・ドイツは、中国との関係でもおかしい。
 ・アメリカ副大統領のフェンス氏が、ついに、中国とさ
  れるウイグルの人権問題を取り上げた・・
   中国の政治制度を、ついに取り上げる様になった。
   今までは、中国とアメリカは、経済戦争と言われて
  来た、お金の問題と言われて来たが・・、
   アメリカは、中国の政治問題についても言及するよ
  うになって来た。
   トランプ政権の対中政策が「本気になって来た」。
   この様な事を考えると、ドイツの在り方が大変おか
  しく・・問題がある。
 ・アメリカの対中国赤字は、「30兆円以上ある」が・・
  しかし・・
   トランプ大統領が、本当に狙っているのは・・中国
  の覇権主義を止めようとしていることにあって・・経
  済問題の先にあることを狙っている・・
   世界の経済に激震が走ってでも、経済を干上がらせ
  てでも、今までのような展開を変えようとしている・・
   中国は、えげつなく得た金でもって、覇権を得よう
  とする・・その様な中国の行為・・、
   例えば、発展途上国に対して、インフラ開発をして、
  それを借金漬けにして、結局、その国を、中国の言い
  なりにするようにするやり方。
   あるいは、ハードやソフト的に武器を、どんどん買
  い占めて、4倍ゲームで兵力を高め、軍拡している中
  国・・、
   中国の覇権主義、軍拡主義・・これを支える中国の
  経済・・、
   だから、そこを叩いて、ストップさせようとしてい
  る。
   それの真意が分からず、そのトランプ政権のやり方
  を批判していた欧州諸国は・・そのやり方に、「よう
  やく気付き始めた」・・(まだ、半分しか理解できて
  いない欧州諸国)・・
   中国の毒、中国の弊害に、ようやく気付き始めた欧
  州諸国・・、
   中国の邪悪なやり方にようやく気付いて来た。
   日本のマスコミも、トランプ大統領のやり方に気付
  かず、今まで、「単なる不動産屋」だとかと蔑(さげ
  す)んでいた。
   トランプ大統領は、今までのアメリカ政権がやって
  来なかった様な「経済と安全保障を関連した政策を遂
  行している」。
 ・2018年8月、ライフェルト・メタル・スピニングという
  ドイツの会社が中国に買収されそうになった。
   これに対し、ストップ命令が出されるはずだった・・
   この会社は、宇宙船や原子力発電所・核兵器、そし
  て、戦闘機など、非常に先端の高い技術・ノウハウを
  持っている会社で・・、
   ドイツ政府は、安全保障面や、公的秩序を不安定に
  する恐れがあると、中国へ渡ってしまうとリスクが増
  し、危険度が高まる恐れがあると、ストップをかけよ
  うとした・・、
   買収しようとした中国(企業)は、この動きを察知
  して、ドイツメディアが報道したから、中国は買収を
  撤回した。
   また、送電大手のゴジュッツヘルツという会社につ
  いても、ドイツ政府は、この会社の株の20%を取得す
  ると言い出した。
   この会社の株は、ベルギーの会社が80%を取得して
  いて、後の20%は、豪州の会社が取得するはずだった。
   2016年のクウカ事件・・産業用ロボット大手のクウ
  カが、中国の家電大手に買収された。
   この様な状況が続けば、技術がすべて中国に流出し
  てしまう・・まずいのではないかと・・
   クウカは、軍事用ロボットもやっているし・・、
   このクウカのロボット技術は、アメリカの最新鋭ス
  テルス戦闘機のF35の製造にも使われている様な「高
  度な技術が詰まったロボット技術」、
   NATO(北大西洋条約機構)は、アメリカから国
  防費を上げろと言われて来た。
   そのことに対して、欧州は、「アメリカの横暴だ」
  と言って来た・・が・・、
   欧州は、言われて当然なのである・・
   NATOは、アメリカに「おんぶに、だっこ」だっ
  た。
   それに、この様にクウカの買収を許して、アメリカ
  軍の軍体制を危険に陥(おとしい)れている。
   これを契機に(遅きに失しているが)、これから、
  対中国に関し、規制対象を、「国防だけ」から「IT、
  通信、電力、水道など戦略的重要分野」に広げた。
 ・ドイツの筆頭銀行のドイツ銀行の筆頭株主は、中国企
  業である・・ドイツの金融分野もこの様な状況・・、
   これから重要な電気自動車の「肝心かなめのバッテ
  リー」の工場を、中国は、ドイツに進出させて、すで
  に、広大なドイツの土地を買い占めた。
   そこで、独占的に、電気自動車のこのバッテリーを
  使うように仕向けて行こうという戦略・・、
   産業および生活必需品の自動車分野で牛耳ろうとい
  う中国の作戦・・
   ドイツにない技術でドイツを制する方針・・、
   あらゆる手を講じてドイツを飲み込もうとする中国・・
   EUの盟主であるドイツを牛耳ろうとする方針・・、
   獅子身中の虫ではないが、肝心かなめの重要部分、
  中心に入り込んで、すべてを制覇しようとする中国の
  戦略・・、
   オープンな西側の市場で、中国は、どんどん技術を
  盗んでいる・・そして、重要技術を奪って行く、自由
  主義経済システムの制度を利用しているので合法的だ
  が(悪用と言える)・・それを利用して奪い取り、そ
  れを中国に持ち帰って、中国の閉鎖された市場の中で
  培養して行く・・、
   そして、その奪い取ったものをどんどん大きくさせ
  る・・
   大きくなると・・
   発展途上国にも売りつけて、西側から奪ったもので
  商売をし、利益を得て、また大きくなって行く、その
  様なやり方で閉鎖市場で大きくなった巨大中国国有企
  業が・・、
   ここまで大きくなって来ると、逆流が始まる・・開
  かれた欧米市場に出させて行く・・出て行く・・
   そして、欧米の開かれた自由市場で、巨大な中国の
  官製企業が、同業他社を食いつぶして行く・・、
   元々は西側の技術であったものを使って・・この様
  な展開をさせている・・展開が起きている・・中国に
  牛耳られて行く結果が起きている。
   共産主義の地の東ドイツ出身のメルケルの感覚は、
  西側で育まれた感覚とは違う・・西側の感覚は持ち合
  わせていない・・だから、中国の話に乗りやすいとい
  う傾向がある。
 ・一帯一路で・・中国は発展途上国へ行き、政府高官に
  賄賂を贈って・・
   マレーシアの前首相(ナジム)などの例であるが・・
  桁外れの何十億という賄賂を贈った。
   そして、国内インフラを勝ち取った・・(メキシコ
  の新幹線もそうだった)、
   しかし、その後の中国のやり方は、まったく、マレ
  ーシアの経済発展に寄与していない・・、
   中国から労働者を連れて行って、マレーシアの人々
  の雇用にもならない・・
   また、高利で金を貸し付けて、返済ができないと見
  るとスリランカの港の様に「99年の租借をする」とい
  う手を使う。
   香港と同じ・・英国は香港を返したが、99年後、中
  国は返すか?
   一帯一路の実態は・・「覇権戦略」なのだ。
   2008年1月、中国の物資を積んだ試験運行の貨物列車
  が、北京からベルリンへ運行された。
   これが、一帯一路のやり始めであった。
   習近平は、2013年から言い出したが、その兆候はす
  でにあった。
   中国・共産主義国家のやり方に鈍感なメルケル。
   中国国民党の時代もドイツは中国と蜜月だった。
   ナチス・ドイツでさえ軍事援助や金の援助をしてい
  る。
   中国とドイツ=中独は・・中毒症状だ。
   チンタオ(青島)の恨み・・
   1750年頃から、ドイツは中国に手を付け始めた・・
  この頃からすでにやっていた・・、
   ドイツは、イギリスに対抗して、中国への直行汽船
  を走らせた。
   また、巨大戦艦の定遠・鎮遠はドイツが作って、日
  本を脅威に慄(おのの)かせた・・
   日本を圧迫した戦艦を造って中国へ与えたドイツ・・
   203高地で、日本陸軍は多くの兵を亡くしたが・・
  この時の要塞もドイツが造っている。
   1897年、ドイツは、ドイツ人宣教師を殺害されて、
  これを口実にして、ドイツは、中国へ出兵した・・中
  国侵略行為を始めた。
   山東省に出兵したドイツ兵・・その中心都市の青島
  は、ドイツに占領され、ドイツの拠点となった。
   さらに、ドイツは、有無を言わさず兵を常駐させた。
   ドイツは、勝手し放題で、山や港に砲台を築いた。
   海には、ドイツ東洋艦隊を常に置いた。
   また、この拠点から、ドイツは、南太平洋の諸島を、
  軍事的に管轄し、掌握した。
   ドイツは鉱山が欲しかった・・そして、銀行、鉄道、
  会社、教会、食肉処理工場などを造った。
   チンタオビールはドイツのビール・・、
   当時、東洋の真珠とか小ベルリンと呼ばせた。
   第一次大戦でドイツは敗け、これらが、戦勝国の日
  本の管轄に移る・・、
   ドイツは一切の権益を失った・・ドイツはこれを恨
  んだ・・「チンタオの恨み」という・・、
   しかし、このドイツ怨みは第二次世界大戦の当時ま
  で続いた・・怨みがましいドイツの恨みは、陰湿にも
  長く続いた・・、
   満州事変の後、日本の足を引っ張ろうと、中国国民
  党軍の近代化をドイツは行なう・・、
   ドイツは、さらに、中国へ、重要で有能な軍人を送
  り込む・・、
   「ドイツの電撃戦」を考え出したような大物人材ま
  で送り込む・・、
   そして、また、ドイツは、あらゆる兵器を輸出した。
   中国人技術者までドイツ呼んで教育した。
   この人材に、中国に帰って、あらゆる重要兵器の国
  産工場を作らせた。
   毒ガス製造工場まで作ろうとした。
   生物兵器などの科学研究所などは作っている。
   この様な中国が、第二次上海事件を中国国民党は日
  本に戦いを仕掛けて行く・・
   日本はやむなく応戦した・・、
   ファルンケンハウゼンというドイツの将軍は、蒋介
  石に「消耗のゲリラ戦に持ち込め」と言った・・
   日本軍を疲弊させよと言った・・
   ドイツは、見返りに鉱山資源を求めた。
   鉄道も作って軍の移動をしやすくした。
   日本の軍の消耗はこれらによって大きくなった。
   これ等の資金は、「アメリカが支援した」。
   JPモルガン、スタンダード石油(ロックフェラー
  財団)などのアメリカ資金が膨大に入った・・
   また、それと共に、ドイツが財政出動した・・
   この様に、膨大な資金が中国へ提供された。
   ドイツもこれで潤い、より大きな軍事大国へとなっ
  て行く、
   ナンバーワン軍事大国へとドイツがなって行った。
   そして、ナチス・ドイツが台頭して行った。
   巨大化させる栄養が、大きくする栄養である巨大な
  資金が・・世界を回って・・この様な状況が作らせた。
   ドイツは、卑劣なことに・・日独防共協定を結びな
  がら(三国同盟の前に結ぶ)中国へ、武器を密輸の形
  で与え続けた。
   中ソ不可侵条約を締結したことで、ナチス・ドイツ
  のヒトラーは態度を硬化させた・・
   ヒトラーは、「中国への密輸を止めよ」と言った」
  が、しかし、契約済みの兵器などは輸出しなけらばな
  らないという屁理屈で、ヒトラーの命令・指示を聞か
  ずに、ドイツは、兵器を中国へ与え続けた。
   ドイツは潤った。
   この潤った金で、強くなった軍事力が、イギリス・
  フランスに対して向かった。
   1938年になって、やっと、ドイツは、中国から手を
  引いた。
   この時まで、なんだかんだと続ける卑劣なドイツだ
  った。
   三国同盟の時もまだ、中国と関係を続ける裏切りド
  イツだった。
   そして、1年を経て、やっと手を切った。
   しかし、最近、新事実が分かったが、スエーデンの
  第三国を通じて、ドイツは、まだまだ、中国と関係を
  続けているという卑劣なドイツだった。
   陰湿でしたたかなドイツだった。
   最近でも、大切で重要なロボット技術を「中国へ売
  り渡したドイツ」だった。
   重機大手クラウスマッハイも、中国に買収された。
   磁気浮上の技術を持っている非常に高度な重要な会
  社(リニアモーターカー技術)
   この技術が軍事転用できるから恐ろしい。
   というより、重要な軍事技術となる技術なのだ。
   空母のカタパルトは、電磁式だが、これに使える。
   中国もロシアも持っていない技術である。
   中国・ロシアは、ジャンプ式の遅れた方式となって
  いる。
   ドイツは、中国が一番欲しい技術を持った会社を売
  り渡した。
 ・中国の一帯一路を、ドイツも一体となってやって行き、
  中国と共にドイツはユーラシア大陸を手のうちに入れ
  たいとしている。
   トランプ政権はそれを止めようとしている。
   あの冷戦時代も、ドイツは中国へ武器を渡し、売っ
  ていた裏切り国である。
   儲かればよいという獅子身中の虫の国・ドイツ・・、
   中国は、ドイツをあてにしている、頼りにしている・・
 ・トランプ大統領は、心配する東欧諸国に、「アメリカ
  が安い石油やその他のエネルギーを売ってやるから安
  心しなさい」と言っている。
   ドイツを通っているパイプライン、ドイツが配る形
  になっているこの形の骨抜きをしている。
   ドイツの大きな顔は、「架空の顔だ」と言っている。
   アメリカのエネルギー供給の話は、ロシアの横暴も
  控えさせている。
   シリアがあのような戦乱の地でなければ、中東の石
  油のパイプラインがこの地を通り、ヨーロッパへ中東
  の石油が流れる、そして、ロシアが潰される・・
   ロシアにとって、シリアが戦乱の地となっているこ
  とがロシアの石油が売れることに通じている。
 ・イランを締め付けないと北朝鮮が安心する。
   イランと北朝鮮がくっつく。
   ヨーロッパ諸国はここが甘い・・イランに甘い。
   イランを締め付ければ、北朝鮮も干上がる。
   イランをやるときは、主力はイスラエル軍になる。
   サイバー攻撃を含めてやる・・
   それを見て・・「北朝鮮よ! 約束通りしなければ、
  次になるのはお前だ」というプレッシャーになる・・
 ・参考に以下のユーチューブを御覧ください。
  https://www.youtube.com/watch?v=jNjFIc0l3Fk
  【Front Japan 桜】知事死去と沖縄左翼のシナリオ/
   中国の正体に気付いたドイツ~野口裕之/ 金正恩か
  ら視える米世界戦略/ 山根辞任にみる戦後日本/ 廃祀
  を叫ぶ古賀誠[桜H30/8/9]
   野口裕之(産経新聞政治部専門委員)
   昭和33年生まれ。昭和59年、産経新聞社入社。防衛
  庁、外務省、官邸記者クラブキャップなどを歴任。平
  成11年には北朝鮮の弾道ミサイル・テポドン1号の発
  射準備をスクープし、新聞協会賞を授賞する。著書に
  「ヤバすぎて笑うしかない狂人理論が世界を終わらせ
  る」(共著)、「野口裕之の『安全保障読本』」など。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-08-20 04:59 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)607E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)

題:(増補版)607E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年8月24日、鉄道会議規則が改正された。
  鉄道会議(てつどうかいぎ)は、日本において1892年
 6月21日から1949年6月1日まで、鉄道敷設法16条に定めら
 れた「鉄道会議規則」(明治25年勅令第51号)に基づい
 て鉄道担当官庁(内務省→逓信省→鉄道省→運輸通信省
 →運輸省)に設置された諮問会議で・・、
  鉄道敷設法で定められた鉄道建設の順序や鉄道公債の
 発行などについて主管大臣に諮問した。
  ただし、実際には、鉄道政策全体について諮問してい
 る。
  定数は議長1名・議員20名(ただし、臨時議員として複
 数名の追加が認められた)・幹事1名で構成されていた。
.
1894年8月25日、『日清戦争実記』が創刊された。
  博文館が写真を多用して収録した「日清戦争実記」を
 出版した。
  大評判になった。
  陸軍測量部員の小倉倹司らの従軍撮影によった。
.
1894年8月25日、北里柴三郎が、ペスト菌を発見した。
  北里柴三郎が、破傷風菌を純粋培養して病原菌のペス
 ト菌を発見する(6月14日説あり)
  北里柴三郎は、日本政府よりペストの蔓延していた香
 港に調査派遣されていた。
  ヨーロッパで黒死病と呼ばれて恐れられ、人類を脅(
 おびや)かし続けてきたペストの病原菌が、1894年6月14
 日、流行下の香港で、北里柴三郎が発見し、滞在中にま
 とめた論文が英国の著名な医学誌ランセットに掲載され
 た。
  そして、翌週、同じく香港でフランスのアレクサンド
 ル・エルサンも見つけ、彼の論文は、フランスのパスツ
 ール研究所年報に掲載された。
  北里は、もう一つの分株菌をドイツのコッホ研究所に
 送っていた。
  それを検証するとまぎれもなくエルサンと同一の菌だ
 った。
  しかし、北里柴三郎は最初の発見者とされず、1897年、
 ベニスで開催された万国衛生会議で、その結果が報告さ
 れ、二人が共に発見者とされた。
  1967年、ペスト菌が属する細菌群が再分類されること
 になった。
  その機に、おかしなことに、新しい学名が「エルシニ
 ア・ペスティス」とされ、エルサンの名前だけが付けら
 れてしまった。
  この経緯を知ったアメリカ合衆国のカリフォルニアの
 二人の研究者が、北里柴三郎の発見の真実は明らかにさ
 れるべきだと考え、関係する膨大な論文や記録、当時の
 研究環境なども含め精査し、徹底的に分析を行った。
  発見の真偽に焦点を当てた調査のその結論は、「北里
 柴三郎は、確実に、確かに、香港でペスト菌を研究して、
 論文の大部分は的確に特徴を記載していて、彼にもその
 発見の栄誉を与えるに十分である」という結論に達した。
  この総括的論文は、1976年、アメリカ微生物学会の機
 関誌に発表され、北里柴三郎の発見の事実をめぐる論争
 に終止符が打たれた。
  香港の発見から82年後のことであった。
  ペストは、中世ヨーロッパの経済や文化にまで大きな
 影響を及ぼし、世界で一億人をはるかに超える死者を出
 した、人類史上最大の脅威だった。
  二人の挑戦者が成し遂げたその病原菌の発見は、世界
 の医学史に残る偉業で、不正義な事に、学名にこそ名を
 残してはいないが、その最初の発見者が、日本人の北里
 柴三郎だったことは、疑う余地もない真実だった。
  1894年6月14日、北里柴三郎は香港でペスト菌を発見し
 て、イギリスの著名な医学誌「The Lancet」は8月11日号
 にその速報を、さらに、同月の8月25日号には、北里自身
 の論文を、すでに、掲載していた。
  北里よりやや遅れて、6月20日または23日に、やはり、
 香港でペスト菌を見つけたフランス国籍を持つスイス人
 のアレクサンドル・エルサンという発見の順序だった。
  彼は、古巣であるフランスのパスツール研究所に論文
 を送ったが、そして、その論文は、9月に、同研究所の年
 報に掲載されたが、発見と発表の共に、北里柴三郎より
 後だった。
  ペストは、過去に二度のパンデミック(世界的大流行)
 を起こし、1億人を優に超える犠牲者を出した恐るべき伝
 染病・・この伝染病は、三度目の大流行地の香港で、つ
 いに北里柴三郎・・次いで、エルさんの二人の研究者に
 より正体が暴かれた。
  これによって、ペスト菌は「キタサト・エルサン菌」
 とも呼ばれるが、その発見者名には不正義な残照が残っ
 た。
  光学顕微鏡で細菌を見るとき、多くの細菌は透明に近
 いこともあり観察は容易ではない。
  そのため、あらかじめ細菌標本を染色して見やすくす
 ることが行われる。
  その染色法の代表格として、デンマークのハンス・グ
 ラムが考案した『グラム染色』がある。
  グラム染色で紫色に染まる菌は「グラム陽性」、染ま
 らない菌は「グラム陰性」と分類される。
  そして、世界の微生物学界を巻きこんだこの混乱は、
 ペスト菌がグラム陽性か陰性かをめぐる北里とエルサン
 の意見の違いから始まった。
  エルサンは、1894年のペスト菌発見を報告した論文中
 で「ペスト菌はグラム法によって染色しない」と述べて
 いる。
  これに対し、北里は、ペスト菌発見時の論文では「グ
 ラム染色に関して今は言及できないが、その点について
 は後日報告したい」とした。
  その理由は明確ではないが、北里はグラム染色液を香
 港に携行しなかったのではないかと言われている。
  そうだとすると、もし北里が染色液を持って行ってい
 たら、その後の混乱は回避できたのかもしれない。
  ペスト菌を発見してから2年後の1896年、北里はついに
 グラム染色について結論を出す。
  1896年12月に行われた東京医学会において「ペスト菌
 はグラム陽性である。
  エルサン菌はグラム陰性であるので、自分のペスト菌
 とは異なる。
  どちらが真性ペスト菌であるか、第三者の公平な決定
 を待ちたい」と報告した。
  しかし、まさにその1896年12月、台湾でペストが発生
 した。
  届けられた台湾のペスト菌をただちに調べると、それ
 はエルサン菌と同じグラム陰性であり、北里が主張する
 グラム陽性ではなかった。
  やがて「北里菌は本当にペストの病原菌なのだろうか」
 という疑いが、ささやかれるようになった。
  やがて、1899年になると、神戸にもペストが上陸。
  北里は自分の目でペスト菌がエルサンの主張どおりグ
 ラム陰性であることを確認し、その年のうちに、グラム
 陽性の「北里菌」説を取り下げた。
  しかし・・『その2年前』の1897年に、エルサンと北里
 の菌は、全く同じペスト菌であることが、すでに証明さ
 れていた。
  ドイツの細菌学者ウィルヘルム・コッレは、北里とエ
 ルサンが香港でペスト菌として採取した標本、そして、
 その後、世界各地で集められたペスト菌を細かく分析し
 た。
  その結果、北里菌もエルサン菌も同じグラム陰性のペ
 スト菌であり、また、世界中のペスト流行地で集められ
 た菌とも同一のものであることを証明した。
  北里の「ペスト菌はグラム陽性」という主張は退けら
 れたが、北里がペスト菌の発見者だということは証明さ
 れた。
  この結果は、その年に開催された万国衛生会議でも報
 告され、北里とエルサンは共に発見者であることが認め
 られた。
  また後に、コッレ以外にも2人の研究者が同様の確認を
 行ったが、結果は同じであった。
  万国衛生会議の記録により、北里への疑いは晴れたと
 思われた。
  事実、その後に発行され、多くの文献でも引用されて
 いるレーマンとノイマンの細菌学マニュアルにも、「ペ
 スト菌」の項には発見者として北里とエルサンが併記さ
 れている。
  1976年、北里のペスト菌発見をめぐる不明瞭な状態は、
 意外な形で決着する。
  いままで活発な論議を繰り広げていたヨーロッパでも、
 日本でもない「アメリカの研究者」が詳細な論文を発表
 した。
  サンフランシスコ陸軍研究所のビベルと、カリフォル
 ニア大学のチェンは、19ページを費やし、この問題に第
 三者的な立場から分析を加えた。
  香港での活動内容、ペスト菌発見時の状況、発見時の
 論文の対比、意見の対立、矛盾点の確認と問題点、細菌
 学上の分析、検体汚染の可能性、北里の再評価、臨床的
 応用など、多項目にわたり客観的な検証と評価がなされ
 た。
  その結果、エルサンと同様、北里も香港でペスト菌を
 発見したことは間違いないと結論づけた。
  この論文は、この問題に関する報告の事実上の決定版
 とされており、北里はペスト菌の発見者として確定され
 た。
  エルサンが、「ペスト菌はグラム陰性」という結論を
 出したのが分かっているのに、なぜ北里は2年も後になっ
 て「グラム陽性」を主張したのだろうか?
  日本へ戻った北里は、香港から持ち帰った多くのペス
 ト患者の血液標本をグラム染色した。
  するとグラム陰性の「エルサン菌」以外に、「グラム
 陽性の菌もあることがわかった」。
  香港調査団に参加し、現地でペストにかかって敗血症
 を起こした2人の日本人の血液からも、グラム陽性の菌が
 検出された。
  「グラム陽性のペスト菌もある」と、そのときは言葉
 で・・北里は「これもペストの病原菌とすべきではない
 か」と考えた。
  ペストに罹患すると、まず脾臓やリンパ節などの腺が
 腫れ・・その腺を切開して組織を顕微鏡で見ると、「エ
 ルサン菌」が見られる。
  さらに、ペストが重症化し、敗血症に進んでくると、
 血液中にも菌が出てくる。
  その血液を顕微鏡で見ると、エルサン菌と似てはいる
 が「グラム陽性を示す菌が現れる」。
  これはおそらく、ペストが重症化し、抵抗力が衰えた
 患者に二次感染をした、
  たとえばレンサ球菌などではなかろうか。
  ペストの本質を敗血症にあると考えていた北里は、自
 分が香港で発見したペスト菌を打ち捨てても、こちらの
 「北里菌」が重要だと考えた。
  以上が、檀原氏の見解。
  実際の診療を考えれば、ペストを診断するとき、いち
 いちリンパ節を切開するわけにはいかない。
  したがって患者の血液中の菌で診断しようというのは、
 より現実的な手法。
  また、ペストが進行すると、結局は、敗血症で死亡す
 ることが多いのだから、治療のことを考えれば、敗血症
 を起こすとき増えてくる菌に注目するのも医学的。
  学問的な結果としては報われなかったが、北里は、常
 に、実際の診療や予防の役に立つ研究を心がけていた。
  その「実学」を重んじる北里の考え方が、1897年の「
 伝染病予防法」、1899年の「開港検疫法」など、伝染病
 を予防するための法律の整備、さらには、ネズミ駆除な
 どによる感染経路の分断対策として生かされ、日本は「
 ペストのない国」となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:それも、そのことを政府に認めさせたというが、筋の通らない無理を
   強いたのだろう・・歴史的、科学的智識の裏付けのない馬鹿々々しい話だ。
.
紀元前46億年以前、太陽系の形成・・地球が誕生する直前
  太陽は、過去の超新星爆発で散らばった星間物質がふ
 たたび集まって形成された『種族Ⅰ』の星と考えられて
 いる。
  また、太陽系には、鉄や、金や、ウランといった重元
 素が多く存在している。
  これらの重元素の成因は、質量の大きな高温の星の内
 部での元素合成と・・、
  その後に発生する超新星爆発によって作られ・・宇宙
 空間にまき散らされた・・という過程が、最も可能性が
 高いシナリオとされている・・、
  太陽系は・・46億年前に形成され始めた。
.
紀元前45億4000万年、地球が誕生した。
  太陽系の隕石や、月の岩石の生成年代から、この頃、
 原始地球が形成された。
.
紀元前44億年、最古の岩石鉱物
  現在、知られている最古の岩石鉱物が現れた。
.
紀元前40億年、原始海洋ができた、そして、プレートがで
 き・・そして、プレートが移動し始める。
  この頃、花崗岩(カナダ北部のアカスタ片麻岩)がで
 き、プレートができ・・
  古い変成岩に含まれる堆積岩の痕跡などから、43億年
 前~40億年前頃に、海洋が誕生したとみられ・・
  この海洋は、原始大気に含まれていた水蒸気が、火山
 からの過剰な噴出と温度低下によって凝結して、雨とし
 て降り注いで形成された。
  また、この頃、原始生命が誕生したと考えられている
 (生命の起源)
  マントル対流の作用で、プレートの移動が始まる。
  物理的・化学的に安定した物質として知られるダイヤ
 モンドに着目した学者が・・、
  ダイヤモンドは、安定して存在するため、地中で起き
 た出来事を記録していると考えた・・
  いわば「タイムカプセル」として機能することが知ら
 れているが・・この事から、ダイヤモンドを使って過去
 の地中の様子を推察する研究を行なった。
  研究グループは、南アフリカのカープバールクラトン
 から採掘された、世界でも最も古いとされるダイヤモン
 ドの標本3つを、ヨハネスブルクのアフリカ博物館から借
 り、放射性年代測定することで、ダイヤモンドを含む岩
 石(母岩)が、35億年前~31億年前に誕生したことを突き
 止めた。
  また、この後の研究で、ダイヤモンド内部の成分のう
 ち、窒素15/窒素14、炭素13/炭素12の同位体構成比を調
 べることで、ダイヤモンドが結晶化したマントル内部で
 はなく、地表付近の地殻で窒素15同位体がドープ(添加)
 された事を突き止めた。
  これは、ダイヤモンドが、プレートテクトニクス(大
 陸移動)の動きによって地中に引きずり込まれたことを
 意味していた・・
  「早ければ35億年前にはプレートテクトニクスが始ま
 っていた」と、プレートテクトニクスの起源について結
 論づけた。
.
紀元前35億年、大陸移動(プレートテクトニクス)の始ま
 り・・
  この地球の「大陸の形成」と「大陸の移動(プレート
 テクトニクス)」の発見は・・
  1910年、ドイツのアルフレッド・ベゲナーは、大西洋
 をはさむ南アメリカとアフリカの海岸線の形が、その凹
 凸が、偶然とは思えないほど一致している・似ていると
 気付いた(1912年説あり)
  そして、この両大陸は、元は一つの大陸と考えれば、
 古い地層の連続や、氷河の痕跡や、2億年前の生物の分布
 (古生物のグロソプてリスやメソサウルス)などが無理
 なく説明でき・・
  大陸は、無理なく分裂し、移動し、今の姿になったに
 違いないと考えた・・が・・この当時、この説は、世に
 認められなかった。
  ベゲナーの死後、20年の後、大陸移動説は見直された。
  その切っ掛けは、海底の大山脈(海嶺)の発見だった。
  海嶺は、地上では見られないほど長い海底火山の連な
 りだった。
  その総延長は、6万キロメートルにも及んでいた。
  溢れるマグマは、海水で冷やされ厚さ数10キロメート
 ルの枕状溶岩の岩盤が形成され・・これがプレートで・・
  地球の表面は、10数枚のプレートから成っていた。
  ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋
 プレート、北アメリカプレート、南アメリカプレートな
 どで・・このプレートは、様々な方向へ移動していた・・
  また、海底だけでなく、大陸も移動していた。
  マグマは、鉄を含有していて、冷える時に地球の磁気
 に影響され、磁気を帯びる。
  この磁気は、その後、消えることなく、この岩盤が生
 まれた時の方向を保ち続ける。
  1500万年前、地球の磁場は、度々、南北が逆転して来
 たことも分かった。
  そこで、岩石の方向が分かれば生まれた年代が分かっ
 た。
  例えば、東太平洋海嶺の岩石の地磁気の方向を調べる
 と・・、
  海嶺の軸に対象に分布した岩石の地磁気の逆転が記録
 されていた。
  また、その生まれた岩石の年代の分布からプレートの
 移動速度が分かった。
  東太平洋海嶺の場合、1億6000万年前に生まれてから、
 日本付近に移動し、到達していた。
  そのプレートは、日本列島の手前の日本海溝で沈み込
 み・・海溝がその為に出来ていた。
  日本列島の太平洋岸には、縞模様の岩石が良く見られ
 る。
  砂岩と泥岩の積み重なった地層が、時には褶曲もして
 いる。
  沖縄から関東まで1600キロに及ぶ地層は「四万十帯(
 しまんとたい)」と呼ばれ・・
  この四万十帯が、日本列島の誕生する姿を教えた。
  この地層は、砂層と泥層の互いに分布する砂泥互層で・・、
  この砂層を顕微鏡で観察すると、すべて陸地を作る花
 崗岩の破片だった。
  風化が少ない事から、一気に堆積した事が分かった。
  また、泥層を顕微鏡観察すると、断面は細かい砂と泥
 が縞模様を作り、静かにゆっくり堆積したことが分かっ
 た。
  これ等の堆積が、周期的に変化する場所で、1982年、
 国際研究として、四国沖が掘削された、そして、この南
 海トラフの浅い構造を調べた。
  その掘削された試料の上層の550メートルは、30センチ
 ほどの砂の層と、5センチの泥の層が交互に重なっていた。
  この砂の層を顕微鏡で見ると、火山を起源とする砂粒
 がたくさん含まれていた。
  この四国沖には、170万年間、火山は無い・・ならば、
 この火山性の砂はどこから来たのか?
  その試料と比較するため、沖縄から関東に至る川の砂
 のすべてが調べられた。
  すると、この南海トラフの砂は、富士川の砂によく似
 ていた。
  化学組成を分析すると伊豆・箱根火山の砂に似た特徴
 が含まれていた。
  掘削地から約600キロも離れた所の砂が、何故、南海ト
 ラフに堆積したのか?
  その富士川の源流は、激しく隆起をし続ける南アルプ
 スである。
  この山の岩石が、急流の富士川を下り、細かくなり、
 そして、駿河湾に堆積する。
  この堆積物が、巨大地震を引き金として、影響され、
 海底をなだれの様に移動する・・乱泥流と言われる・・
 移動速度は30キロ/時間・・
  駿河湾付近では、周期的に繰り返される地震で、大量
 の堆積物が、乱泥流となって600キロ離れた南海トラフに
 達し、30センチの砂の層を形成した・・
  そして、500年ごとに乱泥流が繰り返され・・その後は、
 ゆっくりと泥の層が降り積もって形成された。
  こうして55万年かかって、南海トラフの堆積層が作ら
 れて来た。
  1970年代、堆積岩に含まれる微小な化石が取り出せる
 方法が開発された。
  採集されたサンプルに、3%のフッ化水素を加えて、岩
 石の表面を溶かす・・そして、プランクトンの化石を残
 す。
  これを顕微鏡下で拾い上げて、これに金を蒸着させて、
 電子顕微鏡で観察する。
  膨大なサンプルを研究した結果、放散虫というプラン
 クトンの年代的な変化が明らかになった。
  (参考)放散虫:ほうさんちゅう、(「放射状の棒」
     の意味)は、原生生物の一群で、主として海の
     プランクトンとして出現する単細胞生物。
      珪酸質などからなる骨格を持ち、そのため微
     化石として発見される。
  こうして放散虫の種類によって地層の年代が特定でき
 る様になった。
  この方法で、四万十帯を調べてみると、普通とは逆に、
 上層が古く、下が新しかった。
  フィリピン海プレートは、3~4センチ/年の速さで南海
 トラフに沈み込んでいる。
  1980年、反射式人工地震波によって南海トラフの地下
 構造が調べられた。
  その結果、モデル実験の実験室実験と同様に、褶曲し
 ていた。
  玄武岩層のプレートの沈み込みで、上層に堆積した層
 は次々に圧縮され、褶曲した付加体となった。
  やがて、次々に付加された付加体は、隆起して陸地と
 なって行った。
  この褶曲が、四万十帯の下の層が新しい層という理由
 となった。
  岩石の磁気の方向の伏角で、岩石の誕生した緯度が調
 べられた。
  すると、四万十帯の岩石は、様々な年代の岩石が入り
 混じっている事が分かった。
  特殊な地層も発見された・・7000万年前の泥岩、その
 隣に1億3000万年前の枕状溶岩があるという状態だった。
  また、1億年前の放散虫化石が含まれる岩石と・・、
  陸地の堆積物を含まない遠い海洋の遠洋性堆積物によ
 る岩石だった。
  赤や緑の頁岩(けつがん)は、9000万年前に・・陸地
 に近い所は、粘土や放散虫が堆積したもの・・赤い石灰
 岩は、1億3000万年前のプランクトンの化石で出来ていた・・
 堆積した場所は、赤道付近である・・
  7000万年前の乱泥流堆積物・・乱泥流堆積層・火出灰
 層と泥岩の互層・チャート・枕状溶岩・・これらの様々
 な岩石が混在する900メートルの層(メランジュ)・・
  メランジュは、「かき混ぜる」という意味。
  1億3000万年前、赤道付近の海嶺で、枕状溶岩が生まれ、
 その上にナンノプランクトンが堆積するナンノ石灰岩が
 堆積する。
  1億年前頃に、中緯度までプレート移動して来て・・
 この上に、放散虫が堆積したチャートを作り・・風で運
 ばれた赤い粘土が、頁岩となってその上に堆積する・・
 陸地に近い南海トラフで、7000年前頃、泥や火山灰が積
 もり・・また、乱泥流堆積物も乗り、沈み込むプレート
 から剥ぎ取られ付加体となり・・隆起して、やがて、地
 上に現れる。
  1億3000万年の時間と、3000キロの移動距離で出来上が
 って来た岩石が、プレートの運動で混ぜ合わされて形成
 された。
  こうして四万十帯が出来上がった。
  こうした付加体が、日本列島を形成するという考え方
 ができた。
  四万十帯と中央構造線に挟まれた「秩父帯」にもメラ
 ンジュがある。
  つまり、プレートの沈み込みによって作られた付加体
 である。
  そして、ここのチャートは、四万十帯より古い3億5000
 万年前~1億8000万年前にかけて、赤道付近で降り積もっ
 た放散虫の化石からできている。
  四万十帯より古い乱泥流堆積物もある。
  秩父には、四万十帯にない武甲山のような石灰岩の大
 きなブロックがある。
  塩酸で石灰岩の表面を溶かすと、3億年前のウミユリや
 フズリナやクサリサンゴなどが現れる。
  赤道地域の珊瑚で形成された石灰岩は、鹿島沖の日本
 海溝に、1億年前に出来た海山(第一鹿島海山)が沈み込
 もうとしている。
  人工地震波で見ると、プレートに曲げの力が働いて、
 石灰岩は分断され、半分は海溝に崩れ落ちている。
  こうして剥ぎ取られた海底の海山は、付加体の一部と
 なって取り込まれ、やがて地上に現れる。
  1億5000万年に、これが起きたのが武甲山の石灰岩の山
 の頂(いただき)。
  日本列島に、4億年以上前の岩石を含む黒瀬川構造体が
 ある。
  高知県横倉山・・ここには、4億年前に堆積した地層の
 凝灰岩がある。
  ここの三葉虫の化石は、4億年前のオーストラリアの三
 葉虫の化石によく似ている。
  また、鱗木(りんぼく)の化石は、この四国とオース
 トラリアと中国だけに見られるタイプである。
  陸の植物である鱗木の化石が、破壊されないで見つか
 るのは、分析学の発達によって分かったことは、4億2000
 万年前、アジアの大部分が赤道付近にあったということ
 だった。
  シベリア・北アメリカ・中部アジア・東アジア・北ヨ
 ーロッパ・南アメリカ・アフリカなど・・、
  その後、プレートの運動によって、2億6000万年前、ア
 ジアを造る大陸が北上して行った。
  北上・阿武隈・黒瀬川地塊、秋吉海山列、チーヌス海
 海嶺・・、
  2億年前、北半球では、チベットプレート、イザナギプ
 レート、ファロランプレートの上にある大陸が衝突して
 アジア大陸が作られた。
  その大陸の縁(へり)に、プレートの堆積物が付加し
 て黒瀬川帯などが作られ、
  海溝では、秩父帯などの付加体が形成された。
  1億3000万年前、プレート(イザナギプレート)の北上
 によって、ユーラシアプレートの大陸の縁に横ずれ断層
 が起き・・、
  長さ1000キロにわたる付加体が、断層帯に沿って移動
 し、中央構造線が出来上がった。
  7000万年前、プレート(イザナギプレート)の沈み込
 みによって四万十帯の付加が始まった。
  こうして赤道付近に生まれたアジアプレートが、アジ
 ア付近に様々な地層を運び、海溝(古日本海溝)で混ぜ
 合わされて、日本列島の土台が作られていった。
  1900万年前、大陸(ユーラシアプレート)の縁の地溝
 帯に海が侵入して、海底の拡大が始まり、200万年~300
 万年の間に、日本海が出来上がった(1450万年前)。
  800万年前、水没し、沈み込んでいた東北日本が、太平
 洋プレートによる沈み込みで隆起が始まった。
  その後、500万年前、伊豆・小笠原孤の高まり隆起が付
 加して丹沢山塊などを作った。
  50万年前、伊豆半島の衝突が始まった。
  その力で、本州に褶曲山脈が作られた。
  伊豆半島は、巨大な海底台地で・・、
  伊豆・小笠原弧の高まりは、次々に本州に衝突して来
 ている。
  海洋プレートの水分の作用で温められマントルが熔け、
 火山の列を作る。
  それ故、火山の列は、海溝に並行して作られることに
 なる。
  地震の震源が、海溝に並行して分布するのも、プレー
 トの沈み込みによって歪が溜まるためである。
  昭和61年12月、伊豆大島噴火、この様な太平洋岸での
 火山の噴火や地震が多く発生する。
  昭和49年5月、伊豆半島沖地震、
  太平洋岸の海辺に貝殻を含む岩石が良く見られるが、
 これは地震によって隆起した岩石で・・、
  太平洋岸にある段丘も、プレートによる隆起が作り出
 したもの。
  今も日本列島の沖、百数拾キロの沖にある海溝には、
 海洋プレートが沈み込み、付加体を造り続けている。
.
紀元前7億年~紀元前6億年、ゴンドワナ超大陸の存在
  大陸の移動は、大陸の集合と分裂の繰り返し・・
  6億年前、ゴンドワナ超大陸が南半球から赤道にかけて
 あった。
  ゴンドワナ超大陸の真ん中に太平洋スーパープルーム
 が上昇してきたことによって、ゴンドワナ超大陸は分裂
 しはじめた。
.
紀元前4億2000万年、この頃、アジアの大部分は赤道付近に
 あった。
  鱗木(りんぼく)の化石は、日本の四国と、オースト
 ラリアと、中国だけに見られ・・、
  陸の植物である鱗木の化石が破壊されないで見つかる
 のは、分析学の発達によってわかったのだが、この頃、
 アジアの大部分は赤道付近にあったことだった。
.
紀元前4億年、日本列島にある黒瀬川構造体には、この年代
 にできた岩石を含んでいる。
  また、高知県横倉山には、この頃に堆積した地層の凝
 灰岩がある。
  ここの三葉虫の化石は、4億年前のオーストラリアの三
 葉虫の化石によく似ている。
.
紀元前3億5000万年~紀元前1億8000万年、日本列島を形づ
 くる四万十帯より古い「秩父帯」ができた。
  この秩父帯は、この頃、赤道付近で降り積もった放散
 虫の化石からできた。
  また、この頃のウミユリや、フズリナや、クサリサン
 ゴなどから造られた石灰岩が秩父帯にはあり、その有名
 な山が武甲山で、セメントが作られている。
.
紀元前2億6000万年、プレート運動によって、アジアを造る
 大陸が北上して行った。
.
紀元前2億年、ゴンドワナ超大陸が分裂(ぶんれつ)した後、
 大陸がふたたび集合してパンゲア超大陸が生まれた。
  アフリカと南アメリカ大陸の間、ヨーロッパと北アメ
 リカ大陸の間、今の大西洋(たいせいよう)にそって、
 大西洋スーパープルームが上昇して来た。
  そして、ふたたびパンゲア超大陸が分裂しはじめた。
  また、この頃、北半球では、チベットプレート、イザ
 ナギプレート、ファロランプレートの上にある大陸が衝
 突してアジア大陸が作られた。
  その大陸の縁(へり)に、プレートの堆積物が付加し
 て黒瀬川帯などが作られ、海溝では秩父帯などの付加体
 が形成された。
.
紀元前1億6000万年、日本に到達するマントルが出来た。
  日本に到達するマントルができた東太平洋海嶺・・こ
 こから1億6000万年かかって、日本付近に移動して来た。
.
紀元前1億5000万年、武甲山が地上に隆起した。
.
紀元前1億3000万年、日本列島を形成する一要素の「枕状溶
 岩」が造られた。
  また、日本列島を形成する一要素の「赤い石灰岩」は、
 この頃のプランクトンの化石から出来た。
  この岩石の堆積した場所は赤道付近の海嶺。
  そして、その上にナンノプランクトンが堆積するナン
 ノ石灰岩が堆積されてできた。
  また、この頃、プレート(イザナギプレート)の北上
 によって、ユーラシアプレートの大陸の縁に横ずれ断層
 が起き、長さ1000キロにわたる付加体が断層帯に沿って
 移動し、日本列島の中央構造線が出来上がった。
.
紀元前1億年、日本列島を形成する一要素の1億年前の放散
 虫化石が含まれる岩石が形成された。
  (参考)放散虫:ほうさんちゅう、「放射状の棒」を
     意味する・・原生生物の一群。
      主に、海のプランクトンとして出現する単細
     胞生物で、珪酸質などからなる骨格を持ち、そ
     のため微化石として発見される。
  この放散虫の岩石の上に、風で運ばれた赤い粘土が、
 頁岩となってその上に堆積した。
  また、この頃にできたのが鹿島沖の日本海溝にある海
 山(第一鹿島海山)で、今、日本海溝に沈み込もうとし
 ている。
.
紀元前9000万年、日本列島を形成する一要素である「赤や
 緑の頁岩(けつがん)」が、この頃に作られた。
.
紀元前8300万年、パンゲア超大陸は分裂を続け、太平洋と
 大西洋(たいせいよう)のスーパープルームが断続(だ
 んぞく)的に活動した時期・・
  このスーパープルームの活動で、海洋底(かいようて
 い)に火山活動によるいくつもの巨大(きょだい)な火
 山の台地(だいち)である海台(かいだい)ができた。
.
紀元前7000万年、日本列島を形成する一要素の「乱泥流堆
 積物」がこの頃に出来た。
  この乱泥流堆積物は、この後、火山灰層と泥岩の互層
 や、チャートや、枕状溶岩などとかき混ぜられメランジ
 ュと呼ばれる層となる。
  メランジュはかき混ぜるという意味。
  そして、この頃、プレート(イザナギプレート)の沈
 み込みによって四万十帯の付加が始まった。
  こうして赤道付近に生まれたアジアプレートが、アジ
 ア付近に様々な地層を運び、海溝(古日本海溝)で混ぜ
 合わされて、日本列島の土台が作られていった。
.
紀元前1900万年、大陸(ユーラシアプレート)の縁(へり)
 の地溝帯に、海が侵入して、海底の拡大が始まり、200万
 年~300万年の間に日本海が出来上がった(1450万年前)
.
紀元前1500万年、地球の磁場は、度々、南北が逆転して来
 た。
.
紀元前800万年、水没し、沈み込んでいた東北日本が、太平
 洋プレートによる沈み込みで隆起が始まった。
.
紀元前700万年、初期猿人がアフリカに出現した。
  二足歩行をした・・
  そして、猿人へと進化して行く。
.
紀元前500万年、伊豆・小笠原孤の高まり隆起が付加して丹
 沢山塊などを作った。
.
紀元前200万年、猿人(能容積500㏄、ゴリラもこの程度、
 木製の道具を使ったか?)から原人(能容積500㏄から
 1200㏄、石器を使うようになる)へ移り変わって行く・・
  そして、この原人がアフリカから出ていく(180万年
 前)・・
  ジャワへ180万年前から160万年前に至る・・
  ジョージアへ170万年前に至る・・
  アジアへ160万年前から120万年前に至る・・
  ヨーロッパへ100万年前に至る・・
  そして、各地で人種が形成されていく・・
.
紀元前55万年、日本列島を形成する要素の一つの堆積が始
 まる。
  日本列島形成の一例・・55万年前から、55万年かかっ
 て南海トラフの堆積層が作られて来た。
  この堆積層が、プレートテクトニクスによって列島を
 作っていく。
.
紀元前50万年、伊豆半島の衝突が始まる。
  その力で、本州に褶曲山脈が作られた。
  伊豆半島は、巨大な海底台地となる。
  伊豆・小笠原弧の高まりは、次々に本州に衝突して来
 た。
  海洋プレートの水分の作用で温められマントルが熔け、
 火山の列を作った。
  火山の列は、海溝に並行して作られた。
  また、地震の震源が、海溝に並行して分布し、プレー
 トの沈み込みによって歪が溜まる。
.
紀元前40万年、ネアンデルタール人は、約40万年前に出現
 し、2万数千年前に絶滅したとみられるヒト属の一種・・
  ただし、新しい学説では、以前の学説よりも約1万年早
 く4万年前に絶滅していたと新しい化石年代は示している
 とする。
  そのネアンデルタール人は、花を敷いて葬送したとい
 う。
  また、身体的に欠陥のある人(手の悪い人)を丁重に
 葬ったという遺跡があるという。
.
紀元前20万年、旧人(能容積1500㏄、現代人とほぼ同じ容
 積)から新人(ホモ・サピエンス)へ・・
  この新人(ホモ・サピエンス)がアフリカから出てい
 く・・
  ホモ・サピエンスの化石はアフリカか中東からしか出
 土しない。
  その他の地域から、ホモ・サピエンスの化石が出て来
 るのは紀元前5万年前くらいの年代からとなる。
  ヨーロッパからの化石の出土も紀元前4万年くらい前か
 らとなる。
  南アジア・東アジア・オーストラリアも、どんなに古
 くても紀元前4万年くらい前からの化石の出土となる。
.
紀元前6万年~紀元前4万年、大陸に地続きだった日本列島
 に、あらゆる方向から人類がやって来た・・
     ・
     ・
     ・
1982年、日本列島の成り立ちを調べるために、国際研究で、
 四国沖が掘削された・・
  そして、その南海トラフの浅い構造が調べられた。
.
2018年、アイヌの方々が、「日本列島の先住民だ」と、今・
 現代の2018年に主張する・・その様な会に出た。
  しかし、これは、大間違い。
  日本列島が、まだ、大陸と地続きだった頃、今から6万
 年前から4万年前に、アイヌの方々が日本列島に来て、そ
 して、交雑もしないで日本列島に居たのであるならば、
  また、それ以後も、アイヌの方々が交雑もしないで今・
 現代に至って居るというのであるのであるならば、日本
 列島の先住民と言えるが、その様な状態であったとは、
 まったく言えない・・その様な状態ではなかったので、
 アイヌの方々が、先住民であると、到底、言えない。
  6万年前から4万年前から、地続きの日本には、あらゆ
 る方向から人々が日本列島にやって来た・・アイヌでは
 ない。
  また、人間の交雑は、最近、ネアンデルタール人の血
 が交雑されて、我々の血に混ざっていると科学が証明さ
 れたが、人間の交雑は、この様に広い範囲で交雑されて
 いて・・アイヌだけが交雑されないで来たとは、到底、
 言えない。
  大陸と地続きの頃から、あらゆる方向から人間が日本
 列島にやって来た・・それらの人々・・
  また、それ以降も、引き続き、日本列島にやって来た
 人々・・
  それらの方々が、広い交雑の中から「日本列島の先住
 民の人々」を形成し、出来上がった。
  その人々が、本州の人々や、津軽の人々や、九州の人々
 や、北海道の人々や、会津の人々や、四国の人々や、無
 土器の人々や、縄文の人々などなどとなった・・そして、
 本州人やアイヌの人や琉球の人や熊襲(くまそ)などな
 どとなった。
  6万年前や4万年前から日本にやってきた人々から見れ
 ば、そんなことは、最近の事なのだ。
  アイヌの方々だけが先住民だなんて、到底、言えない。
  それも、そのことを政府に認めさせたというが、筋の
 通らない無理を強いたのだろう・・歴史的、科学的智識
 の裏付けのない馬鹿々々しい話だ。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2018-08-13 04:51 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)606E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年8月)

題:(増補版)606E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年7月16日、日英通商航海条約が締結された。
  この条約によって、領事裁判権が撤廃された。
  安政五ヶ国条約の一つとして結んだ日英修好通商条約
 にかわって、この日、駐英公使・青木周蔵(しゅうぞう)
 が、イギリス外相のキンバリーと調印した。
  この条約は、1899年7月17日に発効し、最初の対等条約
 となった(陸奥(むつ)条約とも呼ばれる)
  日本は、この条約に準じて、他の欧米諸国とも法権の
 回復の新条約を締結した。
  これ等の不平等条約を発効させて、明治初年以来の懸
 案の条約改正交渉に成功した。
  日本も、やっと、欧米列強と対等の国際的地位に立つ
 ことが出来た。
  キンバリー英国外相は、この条約の成功は清国の大兵
 を敗走させるよりも日本の地位を高めたと祝辞を述べ、
 日本の立場に理解を示した。
  また、陸奥宗光外相も、日清戦争にイギリスの理解と
 援助を期待できるとした。
  この条約で、領事裁判権は取り返すことが出来たが、
 まだ、関税自主権の回復はできなかった。
  この関税自主権の回復は、1911年4月3日の新条約(小
 村条約)の調印による税権回収を待たねばならなかった。
.
1894年7月29日、東京府庁舎が落成した。
  設計は、妻木頼黄
  建設場所は、麹町区有楽町(現在の有楽町駅前)
  当初、東京府庁舎は、東京市幸橋門内(現在の内幸町
 一丁目)の旧大和郡山藩邸に開設されていた。
  そして、1898年に、東京市庁舎も完成した。
  1943年の第二次世界大戦中に、東京市 と東京府 が廃
 止され、東京都が設置された。
  建物は戦災で焼失した。
  1955年3月、敷地一帯が、旧跡として東京教育委員会に
 よって文化財指定された。
.
1894年7月、日清戦争により、長崎の清国人に引揚命令が下
 された。
  しかし、長崎県知事の以下の諭告(ゆこく、さとし言
 い聞かせること。また、その言葉)によって、、、267人
 の中国人が残った。
  「仮令(たとえ)日清両国間に如何なる関係あるも、
 在留人民に対し充分の保護を与ふるは、当然の儀に付、
 反目敵視粗暴の挙動無之様相心得べし」と。
.
1894年7月、北海道庁が、帝国大学工科大学教授・田辺朔郎
 に鉄道・港湾・疏水・運河などについての調査を依頼す
 る。
  1894年8月から、田辺は、北海道鉄道ルートを調査開始
 した。
  また、北海道庁内に鉄道調査会が設置された(技師の
 委員は田辺、廣井、佐藤だった)
  (参考)田辺朔郎:たなべさくろう、1861年12月2日~
     1944年9月5日、土木技術者、工学者。
      琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関
     門海底トンネルの提言を行なうなど、日本の近
     代土木工学の礎を築いた。
      北海道官設鉄道敷設部長として北海道の幹線
     鉄道開発に着手し、狩勝峠の名付け親。
      1896年、北海道庁長官を務めていた岳父(が
     くふ、妻の父)北垣国道に請われ、東京帝国大
     学を退任し、北海道庁鉄道部長として北海道官
     設鉄道の計画・建設にあたる。
      アメリカの科学誌『サイエンティフィック・
     アメリカン』に論文掲載される。
.
1894年7月、陸軍省の依頼によって、日本鉄道が目黒駅~
 品川駅間にある大崎駅から分岐して、東海道線の品川駅
 ~大森駅間にある大井に接続する軍事専用線(品川西南線)
 の起工を行なった(8月下旬竣工)
  これは、連絡駅の役目にあった品川駅における貨車の
 滞貨があったため、日清戦争の関係もあって円滑輸送を
 図るべく、陸軍省が逓信省鉄道作業局に路線建設工事を
 委託させて、1894年8月、大崎駅~大森駅間に陸軍省直通
 短路線を開通させた。
  因みに、日本の最初の鉄道の開業と言われる新橋~横
 浜間の全線開業より先に・・、
  1872年6月12日には、品川駅~横浜駅間が先行して仮開
 業していた。
.
1894年7月、甲武鉄道会社が、陸軍省の委嘱を受けて、青山
 練兵場への軍用線、および、青山軍用停車場の建設に着
 手した。
  これは、現在の千駄ヶ谷駅と信濃町駅の間の神宮外苑
 あたりに突貫工事で、1894年9月17日に、青山軍用停車場
 を開業させ、1894年9月23日から軍用輸送を開始した。
.
1894年7月、阪鶴鉄道会社に、神崎から三日町、および、
 篠山町近傍を経て、福知山(京都鉄道)に至る鉄道の敷設・
 運輸営業の仮免状が下付された。
  1929年4月30日、免許状下付。
  (参考)阪鶴鉄道:はんかくてつどう、大阪から福知
     山を経て舞鶴を結んでいた鉄道路線、および、
     その路線を運行していた鉄道会社。
.
1894年8月1日、日本と清国は、互いに宣戦布告をした。
  天津条約によって小康状態はあったが、日清戦争が
 公式に始まった(~1895年)
  まず出兵し、朝鮮を力で抑え、属国だとして扱って来
 た大国・清への挑戦が始められた。
 ・清国と和破れる(氷川清話)
  中国・清国の宣戦布告書には、『朝鮮は、我が大清の
 直轄の属領』と書かれ・・
  また、『200年余も修めて来た』と言っている。
  清国の宣戦の詔勅(部分):「朝鮮ハ我大清ノ藩屏(
 ハンペイ:直轄の属領)タルコト200年余、歳ニ職貢ヲ修
 メルハ中外共ニ知ル所タリ…」
  (参考)職貢:しょくこう、中国王朝皇帝に対する周
     辺国や少数民族の進貢(しんこう、みつぎ物を
     差し上げること)
  清は、この様な意識と態度だった。
  ただのあいさつ代わりの御中元だったかもしれない?
 また、みかじめ料的なところもあった・・
  それに対し・・
  日本は、『朝鮮は自主独立の国』とし、そして、清国
 は、日本の行為に妨害ばかりして来ていた・・、
  また、朝鮮も、『自主独立の国』との回答を日本に寄
 せ、助けを求めて来ていた。
  この時点で、外国は清国が勝つとみており、また、清
 国も勝つと考えていた。
  そして、1888年には、すでに、山縣は、内閣総理大臣・
 伊藤博文に、「軍事意見書」で以下のことを述べていた・・
  「我国の政略は朝鮮を、自主独立の一邦国となし、欧
 州の一強国、事に乗じて之〔朝鮮〕を略有(りゃくゆう、
 奪い取って自分のものとすること)するの憂いなからし
 むに在り」
.
1894年8月1日、新聞報道に対する政府方針
  1891年の大津事件に於いて、自由な新聞報道が外交に
 係るこの事件の性質上、大いに問題となった。
  その様な新聞報道の自由性に関し、この日清戦争の開
 戦時も、重大な政府の関心事となった。
  しかし、政府は、この開戦時に、新聞報道に神経を尖
 らせはしたが、政府は新聞検閲は実施しなかった。
  そして、1894年8月1日に・・、
  「外交又ハ軍事ニ関スル事件ヲ新聞紙雑誌及ヒ其ノ他
 ノ出版物ニ掲載セントスルトキハ行政庁ニ其ノ草稿ヲ差
 出シテ許可ヲ受クヘシ」という緊急勅令第134号を公布し
 た。
  しかし、効果的な対策とはならなかった。
.
1894年8月11日、九州鉄道の熊本駅~川尻駅間が開通した。
  九州鉄道は、1894年8月1日に、九州各地の軍隊が門司・
 小倉に集結したが、特に、熊本第6師団の兵員輸送に大き
 な役割を果たしていた。
  また、この日、1891年8月の鳥栖~佐賀間開通以来の新
 線として熊本駅~川尻駅間が開通した。
  熊本駅~宇土駅間は、橋梁工事が多く、経済不況と相
 まって工事が遅延していた・・九州鉄道は工事期限を延
 長した。
  (参考)九州鉄道:きゅうしゅうてつどう、明治時代
     に存在した九州の私設鉄道会社。
      北九州市門司区に旧本社の建物が残存し、2003
     年から九州鉄道記念館として利用されている。
.
1894年8月20日、広島駅~宇品駅間の仮設軍用鉄道が開通し
 た。
  山陽鉄道の広島駅~宇品駅間の5.8キロが竣工した。
  陸軍省から委託された軍用鉄道仮設工事だった。
  1896年10月、陸軍省から借り受け
  1896年12月、改築工事に着手
  1897年4月、竣工し
  1897年5月1日、開業した。
.
1894年8月20日、暫定合同条款(ざんていごうどうじょうか
 ん)
  日本は、朝鮮と暫定合同条約を調印した。
  「大日本・大朝鮮、兩國政府ハ、日本暦明治二十七年
 七月二十三日、朝鮮暦開國五百三年六月二十一日、漢城
 ニ於テ兩國兵ノ偶爾衝突ヲ興シタル事件ヲ治メ竝將來朝
 鮮國ノ自由獨立ヲ鞏固ニシ且彼此ノ貿易ヲ奬勵シ以テ益
 兩國ノ親密ヲ圖ラムカ爲メ茲ニ合同條款ヲ暫定スルコト
 如左
  一 此度日本國政府ハ朝鮮國政府ニ於テ内政ヲ改革セ
   ムコトヲ希望シ朝鮮政府モ亦其ノ急務タルヲ知覺シ
   其ノ勸告ニ從ヒ勵行スヘキ各節ハ順序ヲ追テ施行ス
   ヘキコトヲ保證ス・・」
  内容・・
  大日本・大朝鮮両国政府は、日本暦明治27年7月23日・
 朝鮮暦開国503年6月21日、漢城に於て両国兵の偶爾衝突
 を興したる事件を治め、竝に将来朝鮮国の自由独立を鞏
 固にし、且彼此の貿易を奨励し、以て益両国の親密を図
 らむが為め、茲に合同條款を暫定すること如左
  一.此度日本国政府は、朝鮮国政府に於て内政を改革
   せむことを希望し、朝鮮政府も亦其の急務たるを知
   覚し、其の勧告に従ひ励行すべき各節は、順序を追
   て施行すべきことを保証す。
  一.内政改革の節目中、京釜両地及京仁両地間に建設
   すべき鉄道一事は、朝鮮政府に於て其の財政未だ裕
   ならざるを慮り、日本政府若は日本の或会社に訂約
   し、時機を見計ひ起工せむことを願ふと雖も、目下
   委曲情節ありて其の運に及び難し。
    依て良法を案出し、可成丈速に訂約起工の運に至
   るを要す。
  一.京釜両地及京仁両地間に於て日本政府より既に架
   設したる軍用電信は、時宜を酌量して條款を訂立し、
   以て其の存留を図るべし。
  一.将来両国の交際を親密にし、且貿易を奨励せむが
   為め、朝鮮政府は全羅道の沿岸に於て一通商港を開
   くべし。
  一.本年7月23日王宮近傍に於て起りたる両国兵員偶爾
   衝突事件は、彼此共に之を追究せざるべし。
  一.日本政府は、素と朝鮮を助て其の独立自主の業を
   成就せしめむことを希望するに因り、将来朝鮮国の
   独立自主を鞏固にする事宜に関しては、両国政府よ
   り委員を派し会同議定すべし。
  一.以上開く所の暫定條款は、畫押盖印を経たる後、
   時宜を酌量し大闕護衛の日本兵員を以て一律撤退せ
   しむべし。
  右暫定合同條款内永遠に循守す可き者は、後日更に條
 約として遵行すべし。
  此が為め、両国大臣記名盖印以て憑信を昭にす。
             大日本国明治27年8月20日
             特命全権公使 大鳥 圭介
             大朝鮮国開国503年7月20日
             外務大臣 金 允植
  (参考)京仁鉄道:けいじんてつどう、朝鮮の京城 (
     現:ソウル) ~仁川間に日本の資本によって敷
     設された朝鮮最初の鉄道。
      1896年、アメリカ人 J.モールスが、朝鮮政府
     からソウル~仁川間の鉄道敷設権を得た。
      しかし、資金調達ができなかったため、翌年
     の1897年から日本が資金を出して権利を受け、
     敷設への準備を開始した。
      1897年、京仁鉄道引受組合を設立、工事開始。
      1899年、合資会社に改組。
      1900年7月8日、開通した、全線約 38.9km。多
     額の日本の資金が投入された。
  (参考)京釜鉄道:けいふてつどう。日本政府と財界
     の援助のもとに、朝鮮の京城 (現ソウル) ~釜
     山間に敷設された鉄道。
      1898年9月、資本金2500万円、取締役会長・渋
     沢栄一で京釜鉄道会社が設立され、
      1902年同8月、着工、多くの紛糾を経て
      1904年、完成。
      中国の鉄道との連結のため広軌軌道の1435mm
     とした。
      ソウル~釜山間 450km。 多額な日本の資金が
     投入された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国の疑惑の「財政負担ゼロ」という誘惑に騙されてしまった。
    そして、EUがギリシャを突き放した・・支援は失敗だった・・
    ギリシャの実態は悪化している
    EUの美しい理念なんて「絵に描いた餅」なのだ・・
.
1295年11月3日、モンゴルのイルハン朝の第7代君主ガザン・
 ハンが、1295年10月4日にバイドゥを討ち破り、この日に
 君主の座に就いた。
  即位初年の勅令(ヤルリグ)で、イスラーム以外の主
 要建造物の破壊命令を発した。
  すなわち、仏教寺院(ブトハーネ、マウブード)、ゾ
 ロアスター教寺院(アーテシュキャデ)の破壊命令が発
 せられ、キリスト教会堂(キャリーサー)、ユダヤ教会
 堂(キャニーセ)もまたそれに続いて破壊を蒙った。
  既に、テグデル・ハン時代に、テグデル自身も含め、
 モンゴル軍民のイスラーム化の徴候が出始めていたが、
 このガザンの治世になって、イルハン朝は、既存のモン
 ゴル国家体制や慣習などを維持しながらも、国家規模の
 イスラーム化を推進して行った。
  中国のモンゴル時代のペルシャ史料「集史」に、オゴ
 タイ・ハーンの言葉で・・、
  「チンギス・ハーンの法令:一人回教徒を殺したら、
 罰金は40バリシ。
  一人漢人を殺したら、賞金は一匹のロバと同じ」。
  モンゴルのハーンたちは、文化水準が高く、財務が得
 意な回教徒を重要視した。
  モンゴルの各地の役所に、モンゴル人と一緒に回教徒
 が並んで居た。
  また、役所の制度にも、役職にも、回教徒が上層部に
 居て優遇されていた。
  その様な規則もある、科挙、近衛部隊、官職の相続、
 兵器の装備など。
  これは、漢人上層の時、金と権力の集中現象が起き、
 それが看過できない程度になったこともあったからだっ
 た。
  因みに、「集史」(しゅうし)は、イルハン朝の第7代
 君主ガザン・ハンの勅命(ヤルリグ)によってその宰相
 であったラシードゥッディーンを中心に編纂された歴史
 書で・・、
  イラン・イスラム世界、さらに言えば、モンゴル君主
 ガザン自身の視点が反映されたモンゴル帝国の発祥と発
 展を記した記録として極めて重要な文献。
  モンゴル史の部分の編纂には、ガザン自身も多くの情
 報を口述し、これがモンゴル史の根本となったことはラ
 シードゥッディーンも序文で述べているが・・、
  これらのことからも「集史」は、ガザン自身の見解が
 色濃く反映された歴史書。
  その性格のため「集史」は、ペルシア語で編纂された
 歴史書であるが、13、14世紀のモンゴル語やテュルク語
 やその他の多言語の語彙・用語を多く含み、そのペルシ
 ア語の用語も多く含まれている。
  このため「集史」は、モンゴル帝国が持つユーラシア
 規模の世界性をまさに体現した希有の資料とされている。
  (参考)ガザン・ハン:1271年~1304年、イル・ハン
     国第7代の君主。
      在位:1295年11月3日~1304年5月17日
      中央集権的諸改革を断行し、イスラム教に改
     宗してイラン人との融和を図った。
      学問・芸術を奨励した博学・多才の帝王。
.
1862年9月14日、生麦事件が起きる。
  武蔵国橘樹郡生麦村(現:神奈川県横浜市鶴見区生麦)
 付近において、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の父・島津
 久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回り
 の藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した。
  イギリスは、日本にこの賠償を要求した。
  そして、江戸幕府に圧力をかけるため、軍艦を横浜沖
 に集結させた。
  日本の法では、また、やり方では、この様な場合、馬
 を下り、そして、殿さまに敬意を払わなければならない
 のであり・・
  この場合の様に、馬から降りもしないで、乗ったまま
 で・・しかも、殿様の行列の進行を止め、そして、途切
 れさせ、さらに、その前を素通りするという行為は、も
 っての外の最低の不敬行為であって、この様な不敬が生
 じた場合、切り捨て御免をしても良いというのが、この
 時の日本の法であった。
  何処から見ても、薩摩藩の行為は正しかった。
  しかし、イギリスは、優位な立場を主張した。
  武力などの優位な立場を主張した。
  また、イギリスには「有色人種蔑視観」があった。
  見下す感情を持っていた有色人種の日本に於いて、白
 人のイギリス人が切り捨てられたことを怒った。
  幕府は、この事態に開戦もあり得ると、その危機を触
 書で庶民へ知らせた。
  また、将軍家の菩提寺であった増上寺の寺領だった現・
 横浜の石川村は、増上寺の荷物の避難先となった。
  そして、有事の際には、増上寺に駆け付け事にもなっ
 ていて・・増上寺の寺領の村々の人足たちは、中目黒村
 (増上寺領、目黒区)に交代で詰めた。
  また、戦いを想定した準備をした・・厚木街道などの
 付け替え工事が行われ、その人足などに、連日の負担も
 あった。
  幕府だけでなく、その周辺地域も、色々とその対応が
 なされた。
  結局、薩摩は、イギリスと戦争をすることになり、そ
 の結果、莫大な金をイギリスに盗られた・・
  そして、幕府までもが、イギリスに莫大な金を取られた・・
  国防力のない日本は、強国・イギリスに好き勝手に大
 金を取られた・・
  そして、この他にも色々と金を取られる日本という時
 代だった。
.
1940年、マンシュタイン計画
  日本と違って、ドイツの卑劣なところは、第二次世界
 大戦を事前に、計画的に、侵略する事を計画したことだ
 った。
  ドイツは、日本と違って、完全に侵略の意思があって、
 そして、戦争を始めた。
  その内の一つの「マンシュタイン計画」は、第二次世
 界大戦中の1940年に行われた「ナチス・ドイツのフラン
 ス侵攻」の主要計画だった。
  これは、1939年にフランツ・ハルダーが考案した計画
 を修正したものだった。
  故に、ドイツの第二次世界大戦は、弁解の余地が無く、
 事前の計画に基づいた侵略戦争だった。
  何年も、計画を前もって準備して、そして、意図的に、
 機械化部隊によって、電撃的に侵略を行なって行った。
  しかし、この様な大きな犯罪を、この様な行為を・・、
 戦後、ドイツは、まったく謝罪をしていない。
  日本とは「まったく違う」この様な極悪行為を、ドイ
 ツは、謝罪なしで戦後を過ごして来た。
  そして、さらに、ドイツは、この大犯罪の「戦争犯罪
 の賠償も一切していない」。
  ユダヤの方々への虐殺については、ニュルンベルク軍
 事裁判の「人道への罪」のホロコーストという大犯罪に
 対する賠償だけしかしていない。
.
1940年7月、フランス中部の都市ビシーに、ビシー政権が
 成立した。
  ペタン元帥が、上下両院の合同会議の統治権を持つ「
 正式な、そして、合法性のある政権」だった。
  ペタンは国家主席となった。
  そのため、アメリカやソ連なども正統政府の扱いをし
 た。
  しかし、フランスの国土の約5分の3を占める領土は、
 ドイツ軍が占領していたため統治は及ばなかった。
  ヨーロッパでのユダヤ人への迫害は、偏(ひとえ)に、
 他の事はさておき、ドイツだけのものではない。
  フランスもユダヤ人迫害の責任は逃れ得ない・・逃れ
 ることが出来ない。
  ドイツに占領された頃のフランスには、対ドイツ協力
 の政権であるこの「ビシー政権」ができた。
  強制収容所へ送られるユダヤの方々が、殺されるとい
 うことを知っていながら、このビシー政権は、ユダヤの
 方々を強制収容所送りを行なった。
  この様な政権が、連合軍に打倒されたのだから「フラ
 ンスは敗戦国」というのが常識である。
  しかし、連合国は、その判断を甘くして、フランスを
 連合国側へ入れてしまった。
  イギリスに亡命していたドゴールが、巧く立ち回って
 戦勝国側らしくなった。
  しかし、こんな行為は・・まゆつばである。
  また、「スイス」も、「バチカン教皇庁」も、「東ヨ
 ーロッパ諸国」も、「ソ連」も同罪である。
.
2014年4月30日、安倍首相が、ドイツを表敬訪問しても、一
 切、ドイツの報道のすべてで無視された・・一切、報道
 される事は無かった。
  ナチス・ドイツの計画表では、ユダヤ人とジプシー(
 ロマ)を絶滅させたら、次は、ポーランド人、ウクライ
 ナ人・・という順序で、次々に、民族を消し去ることに
 なっていた。
  そして、この当時、ドイツの成年男子の二人に一人は、
 ナチスの協力者だった。
  そして、ドイツの卑劣で卑怯なのは、この様な真実を
 消したいため、日本を悪く言い続けた。
  その為、中国や韓国の言い分だけは報道するが、日本
 の主張は「まったく無視した状況」となっている。
  南京問題も、慰安婦問題も、尖閣諸島の問題も、10年
 も前から、ドイツは、中国と韓国の言い分だけを報道し
 て来た。
  日本を貶(おとし)めるNHKは、馬鹿なNHKは、
 この事を知っていて、「日本を貶める番組を作ってドイ
 ツに提供した」・・よくこんなことが出来るのかと憤り
 が湧く・・
  マスコミに繰られたドイツは、日本を肯定している人
 は、わずか28%で・・日本を否定する人々が46%と、日
 本を良くないと見ている人が18%も多い。
  この原因は、ドイツの新聞が、マスコミが、すべて日
 本を悪く報道する結果から、この様な状況になっている。
  因みに、中国は、肯定5%、否定90%、否定が85%も多
 くて最悪。
  次が、韓国で、肯定15%、否定79%で、否定が64%も
 多い。
  ドイツは、この次の第3位に、日本を否定する国になっ
 ている。
  安倍首相も、徹底的に悪く書かれている。
  経済が日本に抜かれ、ベンツなどの工業部門も、日本
 に抜かれ・・この日本が、ドイツを追い抜いたところが
 心地よくないと思っている。
  日本政府の「日本の主張」も・・ドイツの報道はとり
 あげない。
  2014年4月30日、安倍首相が、ドイツを表敬訪問しても、
 一切、ドイツ報道のすべてで報道される事は無かった。
  朝日新聞の嘘報道も、事実を否定したいために利用し
 ている・・、
  だから、日本の閣僚が、例えば、一つの嘘と判明した
 証言を使って全否定するのは、ドイツのホロコーストが、
 まったく無かったと否定する様なものだという言い方で
 ドイツのマスコミは報道したりする・・、
  朝日新聞の吉田清治の嘘行為をあばいても、全否定は
 出来ないと言っている・・
  こんな欺(あざむ)く報道の仕方で、ドイツの国民の
 方々を繰っている。
  書く必要もない韓国の嘘を付け加えて、日本の拉致し
 た女性たちには「15歳から6歳の少女たちが、多数、含ま
 れていた」と、まったく存在しない嘘まで書くという報
 道ぶりとなっている。
  日本の外務省が抗議すると、尾ひれはひれを書いて、
 さらに、外務省から攻撃にさらされたと書く始末となっ
 ている。
  そして、日本外務省は、「間違いだと言った報道」の
 証拠も示さなかったとも書く始末となっている。
.
2014年11月6日、メキシコが、中国の高速鉄道の導入の契約
 を破棄した(総距離210キロ、5000億円規模)
  この契約破棄の背景には、中国によるペニャ・二エト
 政権への贈賄疑惑が一大スキャンダルに発展したことも
 あった・・、
  結局のところは、技術の劣る中国製造の高速鉄道は危
 ないという判断があった。
  (資料)
  メキシコ、中国勢受注の高速鉄道契約を破棄
     (2014年11月7日 / 17:07)
  [メキシコ市 7日 ロイター] メキシコ政府は6日
 遅く、ペニャニエト大統領が、中国国有企業を中心とす
 る企業連合が受注していた高速鉄道建設をめぐる契約を
 破棄したと発表した。
  同企業連合だけが応札していたことに批判が高まって
 いた。
  メキシコ政府は新たな入札を行う方針。
  高速鉄道は、首都メキシコ市と中部の都市ケレタロを
 結ぶ計画。
  議員らは、中国国有の中国鉄建を中心とする企業連合
 を政府が特別扱いしたと非難していた。
  (資料)
  中南米で、中国の高速鉄道の建設計画が次々と失敗に
 終わっている。
  2009年の夏に発表されたベネズエラでの450キロの高速
 鉄道計画は、現在ではほとんどが放棄状態となっている。
  中国の建設スタッフは、すでに現地を去り、関連工場
 は廃墟となり、金目のものはすべて持ち去られた状況と
 なっている。
  中国メディアの言い分は・・、
  ベネズエラは原油輸出国だが、原油価格の暴落で経済
 危機に陥った・・だった、
  また、高速鉄道が完成しても電力不足の深刻なべネズ
 エラでは車両を走らせられないし、ベネズエラ政府もこ
 れを維持できないと報道した。
  ブラジルの場合、中国は鉄道事故を起こしているため、
 入札自体が出来ないとした。
  (資料)
  2015年12月26日、産経・・(抜粋)
  メキシコの高速鉄道計画が迷走の末に事実上頓挫し、
 波紋を広げている。
  中国企業がいったん落札したが、撤回されたあげく、
 メキシコのペニャニエト政権に対する贈賄疑惑など大ス
 キャンダルに発展し、世界中から批判が殺到。
  追い込まれたメキシコ政府は原油安と財政難を理由に
 計画そのものを棚上げした。
  しかし、高速鉄道の本格的な海外進出プロジェクトの
 モデルにと期待していた中国側は激怒し、補償を求める
 騒ぎに拡大している。
  メキシコ政府は1月30日、2015年予算からの歳出の2.6
 %削減などを柱とする財政緊縮策を発表した。
  緊縮策に同国が鳴り物入りで導入しようとしていた高
 速鉄道計画の棚上げが含まれていた。
  ペニャニエト政権は、原油安による財政悪化を受けた
 措置だとしているが、額面通りに受け取る関係者は多く
 はない。
  メキシコの高速鉄道計画は、メキシコ市と中部の都市
 ケレタロを最高時速300キロで結ぶもので、経済成長を牽
 引する柱として、ペニャニエト政権が各国から参画する
 業者を募った。
  三菱重工や川崎重工、ドイツのシーメンス、米国のゼ
 ネラル・エレクトリック(GE)など世界の名だたる企
 業が動いたが・・、
  昨年11月の入札には、中国鉄道建設総公司が率い、中
 国の車両メーカーの中国南車が中心となるコンソーシア
 ム(企業連合)のみが単独応札し、落札した。
  (資料)
  2018年7月16日、インドネシアは「中国に騙された」と
 後悔している。
  この様な状況になっているのは、高速鉄道計画(ジャカ
 ルタ~バンドン間・約140Km、2019年開業予定)。
  ほぼ、日本の新幹線方式での導入が確実視されていた
 が、中国の「財政負担ゼロ」という誘惑に騙されてしま
 った。
  ジョコ大統領は、円借款を利用する日本の新幹線方式
 の導入のオファーを蹴った。
  2016年1月に、盛大な起工式を行ったが、なかなか本格
 的な工事は進まなかった。
  中国側は「土地収用が終わらなければ出資しない」と
 一転して態度が変わった。
  今月(2018年7月)、工事全面スタートと発表したが、
 来年4月の大統領選挙には、絶対に間に合わない。
  再選を目指すジョコ大統領の実績として、選挙対策の
 PRにしようとの目論見は崩れ去った。
  過去に、インドネシアは、素晴らしい仕様書に騙され、
 粗悪航空機を導入してしまったことがあった。
  それは、中国製プロペラ旅客機MA60(中国名は新舟60)。
  墜落事故や、多くのトラブルを起こす欠陥機だった。
  この教訓が、高速鉄道の決定に生かされてなかった。
  (資料)
  じゃかるた新聞、2015年9月5日、日中案とも不採用 
 高速鉄道計画見直し 大統領 「両国に外交的配慮」 
 「中速鉄道」に変更
  ダルミン・ナスチオン経済調整相は4日、高速鉄道計
 画を見直す方針を明らかにした。
  ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領の意向と
 して、ナスチオン経済調整相が谷崎泰明駐インドネシア
 大使に伝えた。
  インドネシア政府は、日本と中国が受注を目指してき
 た高速鉄道事業のどちらも採用せず、替わりに同区間で
 時速200~250キロの「中速鉄道」の導入を目指すことで、
 再度検討する方針。
  ナスチオン経済調整相は4日、経済調整省で谷崎大使
 と会談し、高速鉄道の計画案を採用しないことを伝えた。
  谷崎大使によると、インドネシア政府はジャカルタ~
 バンドン間(150キロ)が高速鉄道を採用するほどの長距
 離区間ではないことと、同事業には政府予算を投入しな
 い政権の意向に沿わなかったことが最終的な見直しの理
 由と説明した。
  日本と中国いずれの提案もインドネシア政府が事業の
 一部を負担する内容だった。
  谷崎大使は「(高速鉄道計画は)前政権からの要望だ
 ったため非常に残念だが、大統領が決めたことなので結
 果を受け止める」と述べた。
  政府当局者によると、ジョコウィ大統領は側近に「い
 ずれかを採用すると、負けた国に恥をかかせる。
  日中のメンツを守りたかった」と述べ、日中への外交
 的配慮も見直しの背景にあったことをにじませた。
  ナスチオン経済調整相は、高速鉄道に代わり、同区間
 で「中速鉄道」導入を検討すると表明。
  同相は高速鉄道よりも10分ほど到着が遅れるが、30~
 40%ほど支出を抑えられると述べた。
  「中速鉄道であれば、日中両国以外にも投資を希望す
 る国が複数ある」とさらなる競争を示唆した。
  日本の提案してきた高速鉄道事業は、ユドヨノ前政権
 時の2013年に、首都圏投資促進特別地域(MPA)構想
 で合意された事業。
  ジャワ・スマトラ経済回廊の発展の中心に位置付けた
 同構想のもと、日本側は官民一体で提案を続けてきた。
  ユドヨノ政権から昨年引き継いだジョコウィ政権は、
 ジャワ島以外へ投資を誘致する方針を示し、均一な経済
 発展政策を掲げる。
  ジョコウィ政権は、高速鉄道事業に政府予算を投入し
 ないと明言していた。
  日本政府は、2013年3月、鉄道などのインフラ輸出拡大
 策を検討する「経協インフラ戦略会議」を設置した。
  インフラ関係受注額を2020年に約30兆円にするとの目
 標を掲げ、新幹線輸出はその柱の一つだ。
  日本勢はインドネシアのほか、シンガポールとマレー
 シア、タイ、インド、米国のテキサス州やカリフォルニ
 ア州などの高速鉄道計画で新幹線システムの輸出に向け
 て活動を続けている。
  今回の中国との受注合戦では、日本案は建設実績や安
 全面をアピールした一方で、中国案に比べ初期投資の負
 担の大きさが指摘された。
  これまでに日本の新幹線の導入が実現したのは台湾の
 み。
.
2015年、この年のシリア難民危機が起き、深刻化したが、
 ドイツやスエーデンの移民の割合は、人口の20%を上回
 っており、国の形が大きく変貌して来ている。
  特に、ドイツ・・その国家は壊れて来ている。
  「かつて」という修飾語を付けてしか語れなくなって
 来たドイツとなっている。
  「かつてのドイツ文化」「かつてのドイツ哲学」「か
 つてのドイツ音楽」などとしか語れなくなっている・・、
  それを語ると「カタルシスに堕ちた」と言われるとい
 う状態となっている。
  (参考)カタルシス:解釈に2説あり、感情を純化する
     とするルネサンスからレッシング(ドイツ啓蒙
     思想の代表者)にいたる倫理的解釈と、感情の
     うっせきを瀉泄 (しゃせつ) するとする解釈が
     ある。
      舞台の上の出来事(特に悲劇)を見ることに
     よってひきおこされる情緒の経験が、日ごろ心
     の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解
     放し、それにより快感を得ること。
  ヨーロッパの文化も、この様に共に壊れて来ている。
  バッハとかベートーベンとか、この様なクラシックを
 聞く人が居なくなっている。
  特に、若い人の間では、激減現象が起きている。
  日本人がイメージするドイツの姿は、過去のかつての
 時間の中に過ぎ去ってしまっている。
  ドイツのクラシック音楽会に来るドイツ人は、ほとん
 どがお年寄りの人たちだけ・・バッハやベートーベンも
 予想しなかっただろうという状態・・、
  日本は、クラシック音楽を聞きに行く若い人たちが多
 いが・・、
  また、日本の医師は、「カルテをドイツ語」で書くが、
 当のドイツは、「カルテを英語で書いている」という状
 態・・ドイツ文化は壊れて来ている。
  そして、ドイツを美しく語ったその一つだった「マイ
 スター制度」も・・これも化石の状態となっている。
  親がマイスターであっても、子供を昔どおりのやり方
 で跡継ぎにしようとは考えないドイツとなっている。
  マイスターは過去のものとなっている・・
  ドイツは、大量の移民の流入と共に、文化や国家が壊
 れて来ている。
.
2018年6月24日、オーストラリアのシンクタンクが、日本の
 安倍首相を2位に信頼できる指導者とした。
  オーストラリアのシンクタンク、ローウィー研究所が
 調査レポート「2018 LOWY INSTITUTE POLL」を公開した。
  ☆リーダーの信頼度ランキング
  1位、イギリス、メイ首相、信頼できる68%、
  2位、日本、安倍首相、信頼できる66%
  3位、オーストラリア、マルコム・ターンブル首相
     信頼できる63%
  4位、フランス、エマニュエル・マクロン大統領
     信頼できる61%
  5位、中国、習近平国家主席、信頼できる43%
  6位、インド、ラーム・ナート・コーヴィンド大統領
     信頼できる37%
  7位、アメリカ、ドナルド・トランプ大統領
     信頼できる30%
  8位、ロシア、ウアジーミル・プーチン大統領
     信頼できる19%
  9位、北朝鮮、金正恩朝鮮労働党委員長
     信頼できる5%
.
  ☆国別のグローバル信頼度ランキング
  1位、イギリス・・90%が信頼できる
  2位、日本・・87%が信頼できる
  3位、フランス・・84%が信頼できる
  4位、インド・・59%が信頼できる、40%が信頼できない。
  5位、アメリカ・・55%が信頼でき、44%が信頼できない。
  6位、中国・・52%が信頼でき、48%が信頼できない。
  7位、ロシア・・71%が信頼できない、28%の信頼できる。
  8位、北朝鮮・・90%が信頼できない、8%が信頼できる。
.
2018年7月30日、EUが、ギリシャを突き放した。
  この日の読売新聞に・・、
  欧州連合(EU)が、ギリシャを突き放して、もう支
 援はしないとした・・と書いた。
  新聞の表題は・・、
  「ユーロ圏の支援、来月終了」「ギリシャ、遠い自立」
 「職安に長い列・高い税率に悲鳴」・・とある。
  そして、写真は・・、
  「アテネ市内の職業安定所が、詰めかけた人であふれ、
 入り口の外に座り込む人たち」・・を写している。
  また、表示しているデーターは・・、
  ギリシャ経済が、支援を始める前よりも悪化している
 ことを示している・・(何のための支援だったのか?)
 まったく改善がなされていない。
  失業率:2010年、12.7%→2017年、21.5%
  貧困率:    27.7%→    35.6%
  GDP成長率: -5.5%→     1.4%
  債務残高のGDPに対する割合:146.2%→178.6%
  そして、今まで嘘をつき、騙して来たギリシャの経歴
  2009年10月、政権交代を機に、ギリシャの財政赤字の
   過少申告の嘘が発覚する→財政危機へ落ち込む
  2010年5月、第一次支援、ユーロ圏と国際通貨基金(
   IMF)が1100億ユーロ(約14兆2000億円)の支援
   を決定
  2011年11月、ギリシャ政権が交代、欧州中央銀行出身
   のパパデモス政権の誕生
  2012年3月、第二次支援、ユーロ圏が1300億(約16兆
   8000億円)ユーロの支援を決定。IMFも支援決定。
  2015年1月、ギリシャ政権がチプラス政権に交替、EU
   などが言う緊縮政策に反対する政権が誕生。
  2015年7月、ギリシャとEUのつばぜり合いで、ギリシ
   ャ支援が失効し、事実上の債務不履行状態に、ギリ
   シャは陥(おちい)った。
  2015年8月、第三次支援:ユーロ圏が860億ユーロ(約
   11兆1000億円)をすることに決定・・EUが折れた。
  2017年7月、ギリシャが、一部の国債発行の再開を決定
   した・・誰が国債を買うか?
  2018年6月、ユーロ圏が支援終了を決定した、見放され
   た。
  2018年8月、第三次支援が終了する。
  庶民は高い税率に悲鳴を上げている・・例えば、アテ
 ネで果物店を営む50代の男性経営者は、「税金が高すぎ
 て利益はほとんど出ない」と悲鳴を上げる。
  IMFは、この様な高率の税収入などで2016年に黒字
 に転換したとした。
  しかし、ギリシャは、成長を先導する産業が乏しく、
 緊縮財政は企業の撤退や消費低迷を招き、失業率は高止
 まりした。
  ギリシャは、黒字が出せる普通の国になれるのか?
  国民の考えは、ユーロ圏の支援がなければ駄目だ、支
 援終了に反対が47%居る。
  また、今後、黒字転換したまま、景気も回復するとい
 う見方は出来ないとするギリシャ国民の方々が43%と、
 否定的見方の人々が多数を占めた。
  また、ギリシャ経済産業研究所は、ギリシャの経済再
 建に向けて、産業創出による歳入増加と雇用拡大が不可
 欠で、法人税などの引き下げで海外投資を呼び込む必要
 があるとしている。
  しかし、ギリシャの選挙が、来秋までに総選挙が予定
 されている・・そして、その選挙に立候補予定の「EU
 の緊縮財政政策に反旗を翻した」チプラス氏が、早くも
 緊縮財政を緩和する考えを示している。
  ギリシャは、「緊縮政策は放棄」し、「放漫財政」に
 逆戻りをする懸念が出ている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-08-06 16:33 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)605E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)

題:(増補版)605E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年7月25日、高陞号(こうしょうごう)事件が起こった。
  日本への返事を無視して、朝鮮への兵員増強をしよう
 としている中国の清国・・、
  その様な行動を控えさせたいという日本・・、
  陸奥宗光外相は、「回答期限の25日以降は、清国の軍
 艦ないし兵員輸送船を攻撃しても外交上問題ない」とい
 う旨を海軍側に伝えた。
  最後通牒の回答期限を過ぎれば、清国の回答無視の決
 定により、清国軍の兵員増強・増派を確認した時点で、
 その行動阻止の行動がとれるという意味だった。
  7月24日、第一遊撃隊は、牙山湾内にて清国軍艦「済遠」
 「広乙」が護送する陸兵1000名を乗せた輸送船「飛鯨号」
 の船団と出会ったが、回答期日前であったため、そのま
 ま素通りさせた。
  そして、回答無視が確定した7月25日が来る。
  7月25日午前10時8分、清国陸兵1100名(乃至1500名)
 が乗船するイギリス船籍商船「高陞号」は、日本艦艇の
 指示を受けて豊島沖に停船した。
  7月19日の日本が清国へ出した最後通牒で、日本艦隊に
 よる朝鮮西岸の海上封鎖を予期した清国直隷総督兼北洋
 大臣の李鴻章は、イギリス商船をチャーターして陸軍兵
 を搬送させる策を取っていた。
  第一遊撃隊司令官・坪井航三少将は、指示を無視した
 「済遠」の追撃に向かった為、「浪速」艦長・東郷平八
 郎大佐が、このイギリスを敵に回しかねない難局に当た
 る事になった。
  東郷大佐は、浪速を高陞号から900メートル離れた位置
 に停留させると人見善五郎大尉に高陞号の臨検に向かう
 よう指示した。
  人見大尉は、カッター船に乗って高陞号に赴き、武器
 を手に殺気立つ清国兵達に囲まれた中で、高陞号船長ガ
 ルス・ウォルズウェーと面談した。
  浪速も警戒態勢をとって、砲門の狙いを定めていた。
  清国兵も迂闊には手を出せなかった。
  人見大尉は、高陞号の船籍と目的を尋ねて「英国ロン
 ドンのインドシナ汽船会社代理店ジャーディン・マセソ
 ン社所有のイギリス船籍商船である事」と、
  「清国政府にチャーターされ陸軍兵1100名と大砲14門
 その他を朝鮮・牙山港へ搬送する途中である事」を確認
 した。
  続けて、高陞号を浪速に随行させるよう求めるとウォ
 ルズウェー船長は承諾した。
  人見大尉は、浪速に帰還し、その旨を東郷大佐に報告
 した。
  東郷大佐が、自艦浪速に続くよう英文の手旗信号を送
 ると高陞号から「重大事態発生」の信号が返って来た。
  清国兵の反抗が起きていた。
  その反抗を読み取った東郷大佐は、再び、人見大尉を
 高陞号に向かわせた。
  そして、可能ならウォルズウェー船長を浪速に移乗さ
 せるよう指示した。
  しかし、清国兵は、イギリス人が船を降りるならば殺
 害すると脅迫した。
  ウォルズウェー船長は、高陞号を天津・大沽港に引き
 返させるという妥協案を提案した。
  それを受けた東郷大佐は、まず、船長に高陞号から離
 れるようにとの英文信号を送った。
  返信は、「こちらからは離れられない状態だ、そちら
 から船を送ってもらいたい」だった。
  東郷大佐は、「それは出来ない」と信号して、再び、
 「船を離れるように」と送信した。
  この交信は、高陞号が清国兵に乗っ取られていて、叛
 乱状態にあって、その非戦闘員の資格を喪失した確証を
 得る為だった。
  高陞号の船上の清国兵は騒ぎ出していて、すでに、停
 船してから4時間ほどの時間が経過していた。
  東郷大佐は、攻撃の警告を発した。
  7月25日13時45分、東郷大佐は、浪速のマストに攻撃警
 告の赤旗を掲げた。
  だが、高陞号船上はざわつくばかりで、反乱状態にあ
 り、返信も無い状態だった。
  混乱などが起き、状況の改善は無く、進展無しと判断
 した東郷大佐は魚雷発射を命じた。
  魚雷接近で、清国兵が動揺し、その隙を突いてイギリ
 ス人船員達が海に飛び込んだ。
  その状況を見て、東郷大佐は、すぐさまカッター船を
 出して救助に向かわせた。
  魚雷は不発に終わった・・
  清国兵たちは、海を泳ぐ船員達に銃撃し始めた・・そ
 のため、複数名が殺害された。
  この様な中、日本水兵は、ウォルズウェー船長を含む
 イギリス人船員3名の救出に成功した。
  その後、東郷大佐は、やむなく右舷砲2門の砲撃で高陞
 号を撃沈した。
  この高陞号事件は、この後、日英間の問題となった・・
  しかし、結論的には・・東郷平八郎大佐を評価する声
 が上がった。
  8月4日、イギリス政府は、長崎に英国海事裁判所を開
 き、8月7日に結審したが・・、
  この裁判は、ウォルズウェー高陞号船長に過失が無い
 事を証明するものだった。
  続いて、上海において開廷された英国海事裁判では、
 8月17日の結審宣告で、日本軍艦の行為は正当であるとの
 判決が下った。
  日本政府に対する賠償請求を放棄する勧告がイギリス
 本国政府に伝えられた。
  イギリス政府が、この勧告を受け入れた事で高陞号事
 件は決着した。
  その後、国際法を熟知し、厳格な判断を下した浪速艦
 長・東郷平八郎大佐を評価する声が上がった。
.
1894年7月25日、豊島沖(ほうとうおき)の海戦
  豊島沖は、朝鮮の泰安半島(たいあんはんとう、黄海
 に突き出た半島)の西方にあるが・・
  一方、この日、第一遊撃隊司令官・坪井航三少将が、
 指示を無視した清国艦の「済遠」の追撃に向かったが、
 清国艦と交戦状態となった。
  日本艦隊は巡洋艦3隻、清国側は巡洋艦2隻、砲艦1隻。
  日本側はほとんど損害はなく、清国艦隊は巡洋艦1隻が
 陸岸に乗上げて爆発し、砲艦は降伏し、巡洋艦1隻だけが
 かろうじて脱出した。
  この日、7月25日午前7時、この第一遊撃隊は、牙山湾
 の出口付近にある豊島沖にてスループ艦「武蔵」と通報
 艦「八重山」と合流する予定だった・・この時、牙山港
 から航進して来た清国艦「済遠」「広乙」と遭遇した。
  この清国艦2隻は、前日の清国兵員輸送船を牙山港に届
 けた後、続けて天津・大沽港から到着する輸送船「高陞
 号」を出迎えに行く所だった。
  同日7時52分、南西方向に進み黄海に出ようとする「済
 遠」「広乙」と、北上する第一遊撃隊の両艦隊が、距離
 3000メートルまで近づいた時、突然、攻撃が加えられた。
  豊島沖に轟音が響いたが・・どちらかの砲弾が発射さ
 れた。
  清国側は、日本艦艇が先に砲撃したとした。
  日本側の報告には、「吉野」が国際海洋法に則って「
 礼砲」を放つも「済遠」は返礼せず戦闘準備をし、やが
 て実弾を発射をして来た・・と、
  因みに、
  日清戦争の時、日本は、徹底的に、『兵士に国際法を
 教えた』。
  日本本土から、わざわざ教える係の者を派遣をしても
 教えた。
  アメリカやヨーロッパでもやらないことをした。
  逆に、アメリカは、卑劣な事をした。
  敵から情報を得るために、「罪を問わないから白状せ
 よ」と、白状を誘惑した。
  この様な事から、戦場では、国際法を遵守する精神が
 無くなっていた。
  国際法違反をしても許されるという心が働いた・・そ
 の様なことをアメリカは行なっていた。
  兵の国際法違反を、厳然と罰しないアメリカ。
  兵士が、まず、「第一に守らなければならない国際法」
 を、ないがしろにする様なアメリカだった。
  この様な事から、国際法で守られるはずの戦場の日本
 の病院が襲撃される事例も発生した。
  この様な風潮を、アメリカは生まれさせた。
  この様な事例をNHKは放送しない・・日本を貶める
 事例ばかりをNHKは放送している。
  日本の貶める番組ばかりを製作して放送するNHKと
 なっている。
  また、日本が、この様な海戦で、「何故、強かったか?」
 と言うと・・、
  中国・清が、イギリスにあれほどアヘン戦争で、嫌と
 いうほど痛めつけられ、辛酸な目に遭わせられたと言う
 のか・・殺され、国が亡びるほどアヘンを売り込まれ、
 廃人だらけにされ殺されているのに、その喉(のど)元
 が過ぎれば「朝鮮や日本を居丈高に脅し」、虐(いじ)
 めにかかっている。
  その様な行為で・・散々辛酸な目をなめて来て、分か
 っている中国・清のはずだが・・、
  「何故、同じ様なことをするのだ」と、日本は、その
 不正義を見かねていた、そして、立ち上がった。
  日本の艦隊には、「その正義観があった」、だから強
 かった・・兵の士気も上がったのだった。
  日本は、明治の開国以来、富国強兵策でやって来て、
 この様な状況を生むまでに精進して来た・・
  欧米列強は、中国・清が勝つだろうと予測していた・・
  その様な予測の差を、日本は、逆転させていたのだっ
 た。
  今まで、欧米列強が、力を誇示し、中国や朝鮮・アジ
 ア諸国、そして、インドなど、好き勝手に力を誇示して、
 うまい汁を吸っていた・・日本は、その様な姿に憤(い
 きどお)りを抑(おさ)えながら、日本は国を富ませて、
 兵を強くする努力をして来ていた・・
.
1894年7月25日、政府派遣の伝染病研究所長・北里柴三郎が
 香港でのペスト流行実地調査の帰途、長崎に立ち寄った。
.
1894年7月25日、下総鉄道の佐倉駅~佐原駅間の建設仮免許
 状が下付された。
  成田山新勝寺は、江戸時代も江戸っ子に親しまれ、明
 治の鉄道の時代になっても、鉄道で結ぼうという構想は
 早くからあった。
  1887年(明治20年)に、本所駅~市川駅~ 佐倉駅~佐
 原駅間を結ぶ構想の武総鉄道が設立され・・さらに・・、
  1889年(明治22年)に、佐倉駅~成田駅~佐原駅間を
 結ぶ構想の北総鉄道が設立された。
  しかし、当初、千葉県は、東京への交通手段で鉄道と
 利根川水運の両方があると、競合し、共倒れするのでは
 ないかと恐れた。
  そして、利根運河ができている以上、同地域には鉄道
 は不要だとの見解になった。
  この様な経緯で、この路線の建設は大分遅れた。
  やっと、この年・1894年(明治27年)になって、本所
 駅~市川駅~佐倉駅間に総武鉄道(後の総武本線)が開
 通した。
  そして、成田までの開通はまだまだ先だった。
.
1894年7月26日、播但(ばんたん)鉄道の姫路駅~寺前駅間
 が開通した。
  播但線は、兵庫県姫路市の姫路駅から兵庫県朝来市の
 和田山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線
 (地方交通線)で・・播但鉄道は、この姫路駅~寺前駅
 間が開業すると同時に設置された。
  この路線は、山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線
 で・・阪神大震災によって、神戸周辺の鉄道が不通にな
 った時は、バイパス路線として活躍した路線だった。
  関西の代表的な非電化路線であった。
  そのため、1972年(昭和47年)に、蒸気機関車の廃止
 時は・・、
  また、1992年(平成4年)3月14日の客車列車全廃時に
 は、それぞれ多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた。
.
1894年7月27日、甲午改革(こうごかいかく)が開始された。
  1894年(甲午の年)から1896年にかけて、朝鮮にて内
 政改革が行なわれた(第一次甲午改革)
  日本のアドバイスによって、金弘集政権の下で、官制
 の改革による国政事務と宮中事務が分離され、また、銀
 本位制が採用され(通貨改革)、身分差別の撤廃、拷問
 の廃止など、広範囲な改革が行われた。
  金弘集(きんこうしゅう⇒キム-ホンジプ )政権は開
 化派の政権で、近代化のための改革法令を発令した。
  清国の外交官・黄遵憲の著書『朝鮮策略』を持ち帰っ
 て国王・高宗に上呈し、開化政策推進の契機とした。
  常に、外交の前面に立ち、欧米各国との修好通商条約
 の締結、日本との交渉などに携わった。
.
1894年7月28日、日清戦争: 成歓(せいかん)の戦い
  1894年6月8日、中国・清国の葉志超(ようしちょう)
 総督、聶士成(じょうしせい、軍人)山西太原(山西省
 の省都の太原)鎮総兵に率いられた清国軍(北洋陸軍、
 歩兵約2,500名、山砲8門)が牙山に上陸した。
  1894年7月24日、3880名に達した。
  1894年7月23日午前2時、日本軍の混成第九旅団(歩兵
 四箇大隊など)が郊外の駐屯地龍山から漢城に向かった。
  1894年7月25日、朝鮮が、清国の宗主権破棄を宣言した。
  大鳥圭介公使に対して牙山の清国軍撃退を要請する。
  1894年7月26日、混成第9旅団(旅団長大島義昌少将)
 にその旨が伝達された。
  1894年7月28日、日本軍が、牙城に篭る清国兵を攻撃す
 るため出発した。
  1894年7月29日午前3時20分、佳龍里おいて清国兵の攻
 撃によって、歩兵第21連隊第12中隊長・松崎直臣歩兵大
 尉が戦死する(日本側初の戦死者)
  他数名が死傷(安城の渡しの戦い)
  1894年7月29日午前8時30分、日本混成第9旅団が、成歓
 の中国・清陣地を制圧した。
  大島旅団長は、清国軍の主力が牙山にあるとして、7月
 29日午前、全旅団に牙山へ向け出発を命じる。
  1894年7月29日午後3時頃、牙山に到達する、すでに、
 清国軍は敗走。
  この作戦での日本兵の死傷者は88名・・清国兵は500名
 以上の死傷者。
  清国兵は、武器等を放棄し、平壌まで逃亡。
  この安城の渡しの戦いで、歩兵第21連隊の木口小平二
 等卒は死んでもラッパを離さずに吹き続けたという逸話
 がある。
.
  今日の言葉
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  題:対中・・経済戦争・・
    人民元「国際通貨化の脅威」に立ち向かえ・・
    共和党のトランプ氏は「大統領になれば、中国を為替操作国として
   罰する」と息巻いている。
    消費税増税をIMFに対日勧告させて安倍晋三政権を予定通りの増税に
   追い込む根回しだ。
.
1905年8月、日露戦争の講和会議が開かれた。
  そして、1905年9月5日(日本時間)に調印された。
  アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス
 海軍造船所において、大日本帝国全権・小村寿太郎(外
 務大臣)とロシア帝国全権セルゲイ・Y・ウィッテの間で
 会議がなされた(~1905年9月4日)
  当初、ロシアは、強硬姿勢を貫き・・、
  「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロ
 シアは負けてはいない」。
  「まだまだ継戦も辞さない」・・と主張していたため、
 交渉は暗礁に乗り上げていた・・が、
  日本としてはこれ以上の戦争の継続は不可能であると
 判断しており・・
  また、この調停を成功させたいアメリカは、ロシアに
 働きかけることで事態の収拾をはかった。
  結局、ロシアは、満州、および、朝鮮からは撤兵し、
  日本に樺太の南部を割譲するものの・・、
  戦争賠償金には一切応じない・・というロシア側の最
 低条件で交渉は締結した。
  この条約によって、日本は、満州南部の鉄道、及び、
 領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲
 得した。
  しかし、軍事費として投じてきた国家予算4年分にあた
 る20億円を埋め合わせるための戦争賠償金を獲得するこ
 とはできなかった。
  そのため、条約締結直後、戦時中の増税による耐乏生
 活を強いられてきた国民によって「日比谷焼打事件」な
 どの暴動が起きた。
  そして、日露戦争に日本は勝利をしたが、その後のこ
 の交渉の時点で、日本は、情報戦で、狡賢いロシアにし
 てやられている。
  それは、日本が「正直で律義な国民性」から約束を守
 ったためだった・・、
  逆に、ロシアは、約束を守る様な事はまったく無かっ
 た。
  日本は、日露双方が合意に達するまでは、交渉の中味
 は、記者・ジャーナリストには漏らさない・・という約
 束を最後まで律儀に守り続けた。
  それ故、日本からは、何の情報も発信しなかった。
  それに対し、ロシアは、情報を漏らす行為を行なって
 いた・・約束破りの行為をしていた。
  それも、ロシア側に都合が良い色付けをし、脚色した
 情報を、アメリカやヨーロッパの記者たちに与えた。
  さらに、ロシアが不誠実で汚いのは、キャビアや高級
 料理や酒でもてなし、接待漬けにして、懐柔して情報操
 作をしていたことだった。
  律儀で正直な日本との差は歴然で、それまで、日本を
 応援してくれていたアメリカ世論もロシア贔屓(ひいき)
 となって行った。
  ロシア全権代表のウィッテは老獪(ろうかい)で汚か
 った。
  また、「日本は賠償金を欲しがる強欲国家だ」とか、
 ロシアの嘘情報やリークで情報が漏らされ、世界は情報
 操作され、日本の国家イメージは悪くされていた。
  日本の全権代表・小村寿太郎は、忠実に約束を守った。
  戦争に勝利した日本は、その後の情報戦で、汚いロシ
 アに、結果的にこの様にしてやられた。
  第二次世界大戦後に、アメリカにデッチ上げられた東
 京裁判だって、「裁く法律が無いのに裁判をする」とい
 う嘘裁判のアメリカだった。
  後から事後法を作って裁くという「虚偽の演技をする
 嘘つきアメリカ」だった。
  再審すれば「全員無罪」のインチキ裁判だった。
  (参考)事後法の禁止:事後法 ex post facto lawに
     よってさかのぼって処罰することはできないと
     いう原則。
      行為後に施行された刑罰法規に遡及効を認め
     て施行前の行為を処罰することは許されない、
     という遡及処罰禁止の原則。
      罪刑法定主義の重要な内容をなすもので、ア
     メリカは、こんな基本的な事を侵してまでして
     東京裁判を行なって、日本を罪に落とした。
  東京裁判のこの時に出された検事側の資料だって、根
 拠のない、信憑性(しんぴょうせい)のない、信頼が出
 来ない資料が提出されたり、誤訳されたり、改竄(かい
 ざん)されたりした資料が多かった。
  東京裁判は、再審して、全員無罪にするべきなのだ。
  こんな、嘘の話を根拠にして、戦後の機構が成立して
 いる・・馬鹿々々しい事がらを根拠にして機構を作って
 いる。
  もう、そろそろ、その国連などの嘘付システムを、世
 界の機構を・・見直すべきだ。
  中国が、「実事求是」(事実に基づいて真理を検証す
 る)というなら、南京事件の嘘を白状せよ、デッチ上げ
 を白状せよ。
  南京攻略戦は、そもそも、上海で、アメリカと共に、
 戦争を仕掛けた中国に「事の発端がある」のだ・・
  また、日本は南京入城後に、自治委員会を作って、占
 領を止め、食糧の配給を始めたりして、努力しているの
 を感謝せよ。
  自分たちだけが、中国の人々を見捨てて、重慶へサッ
 サとアメリカに助けてもらって逃げ出したのに、自分た
 ちだけ助かればいいと「逃げるという卑劣さ」なのに・・、
  日本は、住民登録まで行ってしっかり管理したりして
 いるのだ。
  秩序回復にも努めたりしているのだ、虐殺などをする
 訳がない。
  東京裁判では、この様な時に虐殺をしたという。
  また、その根拠にし、証拠にした「陥都血涙録」とい
 う中国国民党の士官の郭岐の書いた回想録がインチキな
 のだ。
  これに書かれたことを「日本がした」とされた・・何
 の裏付けも取らず。
  宦官(かんがん)の伝統がある中国人がやる様な事を
 日本兵がしたという・・デッチ上げなのだ。
  また、流暢な中国語で会話をしながら、悪いことをし
 ている日本兵など・・作り話の記述が多い・・これらは、
 まったく嘘話なのだ。
  南京の外港の下関(しあこわん)の放火が日本軍によ
 るものとされているが、これは、中国軍が、南京から逃
 げ出す時に放火したものと、はっきりしているのだ・・、
  こんな嘘の話ばかりなのだ。
.
1931年3月1日、満州国が建国された。
  元首(満洲国執政、後に満洲国皇帝)には、満州人で
 ある清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が就いた。
  この地の土着民族としては、濊貊・粛慎・東胡・挹婁・
 夫余・勿吉・靺鞨・女真などが生活していた。
  (参考)濊貊:わいはく、紀元前2世紀の中国東北部に
     いた「濊」「貊」は、濊貊・沃沮・高句麗・夫
     余の四種族の前身であり、現在の韓国江原道に
     いた「東濊(濊貊)」は前漢代の中国東北部にい
     た濊の後裔とされる。
  (参考)粛慎:しゅくしん、満州(中国東北地方及び
     外満州)に住んでいたとされるツングース系狩
     猟民族。
  (参考)東胡:とうこ、春秋戦国時代から秦代にかけ
     て内モンゴル東部から満州西部に住んでいた遊
     牧民族。
  (参考)挹婁:ゆうろう、後漢から五胡十六国時代(
     1世紀から4世紀)にかけて、外満州付近に存在
     したとされる民族・・消えた民族・・日本民族
     もこの様にならねば良いが・・国のことを疎(
     おろそ)かにして居たら・・この様になる・・
  (参考)夫余:ふよ、中国東北部(満州)にかつて存
     在した民族およびその国家。
  (参考)勿吉:南北朝時代に、高句麗の北から満州地
     域に住んでいた狩猟民族で、現在の松花江から
     長白山一帯に居住していたと思われる。
      粛慎、挹婁の末裔で、唐代における靺鞨の前
     身。
  (参考)靺鞨:まつかつ、隋唐時代に中国東北部、沿
     海州に存在した農耕漁労民族。
      南北朝時代における「勿吉(もつきつ)」の
     表記が変化したものであり、粛慎、挹婁の末裔。
  (参考)女真:じょしん、満洲の松花江一帯から外興
     安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州にかけ
     て居住していたツングース系民族。
      民族の聖地を長白山とする。
  以上からも分かる通り・・漢民族の「かの字」も出て
 来ない・・この地は漢民族の地ではないのである・・女
 真族(満州族)の五族協和は正解なのである。
  朝鮮半島の西北の地域で、中国の東北部(中国のたん
 こぶの様に突き出た地域)は、今・現代は、中国の領土
 となっているが・・、
  中国は、ここは「化外の地」としていた。
  中国は、「この地は化外の地で、中国とは関係が無い」
 としていた。
  万里の長城の外の地域で、それも、万里の長城から「
 はるか北方の遠隔の地」で、
  中国が領土だと主張するような地ではなかった。
  韓国は、この地に朝鮮族が居るので、今・現代、「こ
 の地は朝鮮の地だった」と、小学校で教えている。
  かつて、日本は、この地に多く住む満州族(女真族)
 の方々に「建国を手助けして、満州国が建国された」。
  そして、この地は、満州族以外の人々もいる状況から
 「五族協和」を理念とした。
  (参考)五族協和の理念:満州族を主体とするが、朝
     鮮族、蒙古族、朝鮮族、漢族、日本族、白系ロ
     シア人など協和して住む地とした・・後に、逃
     れて来たユダヤの方々も受け入れた。
  しかし、今・現在、領土欲の強い中国が、化外の地だ
 と言っていた中国が、自分の領土だとしている。
  そして、また、チベットや、ウイグルや、内モンゴル
 の地も、漢民族の中国は、自分の領土にする行為を行な
 っている。
.
1985年、ローマ条約が発効した。
  EUの母体である欧州経済共同体(EEC)の設立条
 約(ローマ条約、1958年発効)において・・、
  加盟国間で人、物、サービス、資本が自由に移動でき
 る共同市場を創ることが目指された・・が・・
  その後、1985年に、西ドイツ、フランス、ベルギー、
 オランダ、ルクセンブルクの5カ国が「人の移動の自由」
 の実現に向けて、域内国境を段階的に撤廃することに合
 意した(シェンゲン協定)
  国境を無くしたEU・・人の往来が自由・・これは美
 しく見える・・
  「ヒトの自由化」・・しかし、その後、そうは問屋が
 卸していない・・、
  ギリシャ・ポルトガル・スペイン・イタリアなどに、
 金になる仕事が無い。
  そこで、これ等の国々の特に優秀な若い人たちが、ド
 イツへ、そして、北欧へと向かう・・人の往来の自由だ
 から・・当然、稼げる国へと向かう。
  高学歴の優秀な青年たちが・・高学歴で優秀なコンピ
 ューター技師、弁護士、会計士、音楽家やアーティスト
 など、才能ある者たちがが自由に移動する・・流出する。
  優秀な頭脳労働者たち・・高い収入を出先で得て・・
 もう故国へは帰りませんと・・帰るつもりは「まったく
 ない」という状態・・
  優秀な人材が生み出す富は、彼ら・彼女らの故国では
 なく・・ドイツや北欧諸国へ行ってしまう・・、
  ヨーロッパの南の諸国は、高齢者や失業者ばかりの国
 となる・・、
  故国を去った優秀な人材たちは、ヨーロッパの北の国々
 の富の蓄積に貢献する・・、
  EUの目指す理想づくりは・・絵に描いた餅・・実態
 は、ヨーロッパの格差づくりをしている事になる・・「
 皮肉な結果となっている」・・、
  だからと言って、その様な優秀な人々を追い返す事は
 出来ない。
  今・現在、これと同じ事が、日本で起きている。
  中国が、優秀な日本の「超エリート狩り」をしている。
  1割、2割なんて話ではない。
  また、2倍、3倍なんていう半端な給料ではない。
  中国は、経済システムで動かす国ではない。
  中国は、「国策で動く国」・・、
  日本の超優秀なエリートを桁違いの超高級な給料で引
 き抜いて行く・・という国策。
  ノーベル賞をどんどん取る遺伝子を持つ日本の超エリ
 ートを引き抜き続ける国策だ。
  中国という国は、自分の国に利益があるとすれば、札
 束で叩く様なことを、臆面もなくやる国・・、
  今、ドイツも、EU諸国も、「中国の金にものを言わ
 すやり方」に、節操も無く「なびき」、そして、牛耳ら
 れている。
  中国は、腹の中で笑っているだろう、
  「この欲深な、強欲な者どもよ」と・・、
  金さえ見せれば何でもできる・・と・・
  金で、中国に魂(たましい)を抜かれた者どもとなっ
 ている。
.
2015年11月、中国・人民元が国際通貨に・・その問題点
  人民元「国際通貨化」の脅威に立ち向かえ・・
  中国の根底の国家戦略の一つに、「人民元」の「国際
 基軸通貨化」がある。
  その為にも、その世界に通用する基軸通貨の裏付けの
 為にも、中国は、軍事力の増強を、せっせとやって行く。
  そして、その行き着く先には「米ドルを超える人民元」
 の基軸通貨化がある。
  アメリカに「とって替わる中国」が最終目標・・、
  その為には、荒っぽい事も、やるだろう、今までやっ
 て来た様に・・、
  中国は、自国民さえ、1000万単位で殺してきた。
  そんな世界が現出して行く可能性もある。
  こんな予想が杞憂に終わることを祈るのみである。
  (資料)
  田村秀男(産経新聞特別記者)の記事を以下に記す・・
  人民元「国際通貨化」の脅威に立ち向かえ・・
  異形の党支配経済、延命は決定的!?
  国際通貨基金(IMF)は2015年11月末の理事会で、
 中国の人民元を来年秋から特別引き出し権(SDR)の
 構成通貨(現在はドル、ユーロ、円、ポンド)への追加
 を決める。
  元は国際通貨としてのお墨付きを得ることになるが、
 単なる経済事案ではない。
  通貨とは基軸通貨ドルが示すように、国家そのもので
 あり、経済のみならず政治・外交・軍事すべてを根底か
 ら支え、運営を誤れば揺るがす。
  中国の場合、元は共産党通貨であり、それを世界で通
 用させることは、破綻しかけた共産党指令経済を延命さ
 せることはもとより、対外的な膨張を助長させる。
  日本にとっては脅威の増大を意味する。
  共産党中央が指令する中国経済は、事実上マイナス成
 長に落ち込んでいる。
  習近平党総書記・国家主席の中国は手負いの巨大怪物
 も同然だが、愚かではない。
  習氏は、米英が仕切る国際金融市場の総元締め、国際
 通貨基金(IMF、本部ワシントン)に元を国際準備通
 貨として認定させる道を付けた。
  現在の代表的な国際通貨はドル、ユーロ、円、ポンド
 であり、IMFの国際準備通貨単位である特別引き出し
 権(SDR)を構成している。
  SDRは帳簿上で記載されるだけで、流通するわけで
 はないが、各国中央銀行は通常、SDR構成通貨建ての
 金融資産を準備通貨として保有するので、民間はSDR
 を構成する通貨での支払いや決済に安心して応じる。
  これまでの人民元は、韓国のウォンや東南アジア各国
 の通貨同様、ローカル通貨であり、これらの各国は外貨
 準備を積み上げながら、外貨の流出を防ぐと同時に、外
 資が流入するように金融、財政政策を調整しなければな
 らない。
  元の国際通貨化が、党支配経済存続の鍵になるという
 切実な事情は2つある。
  現在の中国は、外貨の流入が細り、資本の流出に加速
 がかかり、外貨準備が急速に減少している。
  もう一つ、元資金を使った対外融資や投資を増やす対
 外戦略上の必要性である。
  中国は、固定資産投資主導による高成長路線が限界に
 来ており、このままでは経済崩壊してしまいかねない。
  それを打開するためには、国有企業の再編成など合理
 化・競争力強化策が必要だが、党幹部の既得権益調整に
 手間取るので短期間では実現不可能だ。
  手っ取り早いのは、対外投資を増やして、輸出を増強
 することで成長率を引き上げる方法だ。
  その決め手とするのが、中国とユーラシア大陸及び東
 南アジア、インド、中近東・アフリカを結ぶ陸と海の「
 一帯一路」のインフラ・ネットワーク整備構想である。
  習近平政権は、その投融資を行うための基金や国際開
 発金融機関を相次いで発足させようとしている。
  代表例が、年内設立をめざす多国間のアジアインフラ
 投資銀行(AIIB、本部北京)である。
  AIIBは、国際金融市場でドルなど外貨を調達して
 インフラ資金とする計画で、英独仏など欧州や韓国、東
 南アジア、ロシアなどが参加したが、世界最大の債権国・
 日本と国際金融シェアが最大の米国が参加しないことも
 あって、AIIBの信用力は弱い。
  このために、国際金融市場での長期で低利が必要とな
 るインフラ資金の調達は困難だ。
  それを打開するためには、中国が元資金を提供するし
 かない。
  しかし、元がローカル通貨である以上、元による決済
 は限られる。
  翻って、元が国際通貨になれば、その障害は少なくな
 る。
  元が国際通貨になるためには、ドル、ユーロ、円、ポ
 ンドと同様、SDR構成通貨への組み込みをIMF理事
 会が認定することが前提となる。
  IMF理事会審議の鍵を握るのは英国など欧州と、I
 MFの唯一の拒否権保有国・米国である。
  厳密に言うと、SDR認定事項は最重要案件とはみな
 されず、議決権シェアで7割以上の賛成があれば、米国
 の拒否権を無効にできるが、SDRの新規発行は米国の
 賛同が必要だ。
  したがって米国の同意がないと、元が加わった後のS
 DRの追加配分に支障が出る。
  習氏は、米欧各国に対し、実利を提示することで、抱
 き込みを図ってきた。
  日本は対米追随なので、対日工作の必要はなかった。
  足元をみられた欧州 詭弁にやられる米国の甘さ
  2015年10月下旬の習氏の訪英は大成功だった。
  キャメロン首相の発表によると、習主席訪英中に決ま
 った中国の対英投資案件の総額は約400億ポンド(約
 7兆4000億円)。
  さらに、習氏は、ロンドンに人民元建ての国際決済セ
 ンターの特権を提供し、元建て国債の発行を表明した。
  これに応えて、キャメロン政権は「国際通貨元」支持
 を表明した。
  ドイツ、フランスなど残る欧州主要国も自国市場に元
 の国際決済業務の拡大を期待して、なだれを打つように
 元のSDR組み込みへの支持を表明した。
  米国はどうか。
  ルー米財務長官は3月時点では元のSDR認可には反
 対表明したが、習氏の訪米後の10月6日には、「IMF
 の条件が満たされれば、支持する」と表明した。
  6月の上海株暴落後の中国当局による市場統制や8月
 の元切り下げは金融市場自由化原則に逆行する。
  ところが、オバマ政権は態度を軟化させた。
  上海株式市場の統制は緊急措置であり、元切り下げに
 ついて「元の市場実勢に沿う改革の一環」とする北京の
 説明を大筋で受け入れたのだ。
  習政権は6月の上海株暴落以降、党・政府指令による
 経済支配を強化している。
  これだと、だれが見ても国際的に自由利用可能である
 というSDR通貨認定条件に反するはずだが、IMFは
 そう見ない。
  フランス出身のラガルド専務理事は3月下旬の訪中時
 に、「元のSDR通貨承認は時間の問題だ」と習氏に約
 束している。
  IMFは8月、上海市場の統制を当面は容認すると同
 時に、元をより大きく市場実勢を反映させる改革案を示
 せば、元を来年9月からSDR通貨に認定してもよい、
 というシグナルを送った。
  市場原理とはおよそ無縁な小出しの自由化でよしとす
 る、対中国だけのワシントンの二重基準である。
  習氏は9月訪米時、ワシントンの甘さにつけ入った。
  「中国は輸出刺激のための切り下げはしない。元を市
 場原理により大きく委ねていく改革の方向性は変わらな
 い」
  「中国政府は市場安定策を講じて市場のパニックを抑
 制した。今や中国の株式市場は自律回復と自律調整の段
 階に達した」
  「外貨準備は潤沢であり、国際的な基準では依然とし
 て高水準にある」
  「人民元国際化に伴って、外貨準備が増減することは
 極めて正常であり、これに過剰反応する必要はない」
  中国伝統の白を黒と言いくるめてみせるレトリックで
 ある。
  8月11日の元切り下げは過剰設備の重圧にあえぐ国有
 企業が背後にあるが、4%台半ばの元安にとどめざるを
 えなかったのは、資本逃避が加速したためだ。
  元相場を市場実勢に反映させると言うなら、外国為替
 市場への介入を抑制すべきなのだが、実際には元買い介
 入によって元の暴落を食い止めるのに躍起となっている。
  株式市場は自律的に回復しているというが、当局が市
 場取引を制限しているために、上海株の売買代金は6月
 のピーク時の4分の1まで雌伏したままだ。
  外準減少が正常、というのも詭弁である。
  資金流出は加速し、元買い介入のために外準を大幅に
 取り崩す。
  国内の資金不足を背景に対外債務は膨張を続け、「高
 水準の外準」を大きく上回る。
  外準を支える対中投資の大半は香港経由であり、その
 うちかなりは外資を装った中国の投資家で、ほとんどが
 党幹部に直結している。
  建前上は厳しい資本流出入規制を実施している中国で、
 特権を駆使する党幹部だけがその網の目をくぐれる。
  言い換えると、中国は党支配体制だからこそ資本逃避
 が慢性化する構造になっている。
  習氏が党総書記就任前の12年前半にわずかずつ人民元
 を低めに誘導すると、資本逃避が起きた。
  あわてて元を高目誘導したらデフレ圧力が高くなった
 ので、14年前半には再び元安方向に修正したら、やはり
 資本逃避が再発する。
  景気の方は14年初めから停滞感が強くなる一方である。
  中国当局発表では14年は7%台半ば、15年も7%弱の
 実質成長を続けているが、モノの動きを忠実に反映する
 鉄道貨物輸送量は前年同期を下回り、以来マイナス幅は
 拡大するばかりである。
  その場合、金利を下げ、元安にするのが景気対策とい
 うものだが、すると資本逃避で国内資金が不足する。
  元のSDR通貨認定は、北京にとってまさに焦眉の急
 である。
  人民元帝国誕生で軍拡も加速
  米英の国際金融資本にとって中国はグローバル金融市
 場の中の巨大なフロンティアである。
  小出しでも中国の金融市場の対外開放や自由化は、米
 金融界にとって中国市場でのシェア拡大を有利に進めら
 れる。
  北京は特定の米金融大手を一本釣りにして特権を与え
 るからだ。
  ゴールドマン・サックス、シティグループなどは江沢
 民政権時代以来、とっくに党中央と気脈が通じあってい
 る。
  ニューヨーク・ウォール街代表者が政権中枢を担うオ
 バマ政権では、グローバル金融市場に中国の元金融を取
 り込むことが国益とみなされるだろうし、元そのものが
 脅威となる日本と利害が微妙に異なる。
  中国の対外貿易規模は日本のそれの3倍以上であり、
 すでにアジアでの元建て貿易は円建てを超えている。
  中国は「国際通貨」元を振りかざしながら、アジア全
 域を元経済圏に塗り替えるだろう。
  日本の銀行や企業は元金融や元建て決済を認可しても
 らうために、北京の顔色をうかがうしかない。
  それは、日本外交の手足を縛る。
  すでに金融界は浮き足立ち、「中国嫌い」で評判の麻
 生太郎財務相ですら、中国側に東京に元決済センター設
 置を要望する始末だ。
  中国との通貨スワップに頼る韓国はますます北京に頭
 が上がらなくなる。
  国際通貨ともなれば、中国は刷った元で戦略物資やハ
 イテク兵器を入手できるようになり、軍拡は一層進む。
  これでは日本は立ち上がれぬ・・危機意識なき財務官
 僚たち
  日本としての今後とるべき策は、何が何でも元の完全
 自由変動相場制移行と資本市場の全面自由化を早期に実
 行させることだ。
  国境を越える資本移動の自由化は、外国資本や金融機
 関による対中証券投資や融資の制限の撤廃、さらに中国
 市場からの引き上げを自由にすることを意味する。
  元の自由変動相場制は、元の対ドルや対円相場の変動
 を自由にし、中国当局による市場介入や管理を取り払う。
  中国が元を乱発すれば、元相場は暴落不安が起き、中
 国からの資本逃避が起きる恐れがある。
  SDR通貨として認定されても、通貨の国際的な信認
 は国内の政策次第で失われる。
  そんな懸念から、北京は金融や財政政策で自制せざる
 をえなくなる。
  つまり、市場のチェック機能を持たせることで、元の
 暴走にブレーキをかけられる。
  党による市場統制力は次第に弱まるだろう。
  考えてみれば、これまでの中国の人民元管理変動相場
 制は中国のとめどない膨張を支えてきた。
  管理変動相場制のもとでは、自由変動相場制とは全く
 異なって、対ドル相場は人為的に安定させられる。
  元の安定を背景に、中国にはこれまで順調に外資が流
 入し、その外資の量に応じて中国人民銀行は元を刷り増
 しし、国有商業銀行、国有企業、地方政府に資金を流し
 込んで、不動産開発を進めて、投資主導による高度成長
 を達成した。
  国有企業は増産しては輸出を増やしてきた。
  ところが、不動産投資も国有企業の増産投資も過剰と
 なり、景気は急降下し、地方政府や国有企業の債務は膨
 張を続けている。
  鉄鋼などの過剰生産は、安値での輸出攻勢を引き起こ
 す。
  半面で、鉄鉱石など一次産品の国際商品市況は急落し、
 産出国経済を直撃している。
  市場需給を無視した党主導による金融は世界経済不安
 の元凶になっているのだ。
  来年は米大統領選挙だ。
  日本としては米国のまともな勢力と組み、元の変動相
 場制移行と金融自由化の早期実行を北京に迫るしかない。
  仮に北京が為替や金融の自由化を約束したところで、
 実行するはずはない。
  何しろ中国の国際ルール無視ぶりは目に余る。
  中国は2001年末、難交渉のうえに世界貿易機関(
 WTO)に加盟したが、ダンピング輸出、知的財産権無
 視などが横行している。
  国内総生産(GDP)統計は偽装の産物だというのが
 国際常識だ。
  外交・軍事では南シナ海の砂地埋め立てと軍事拠点化、
 絶え間のない外国に対するサイバー攻撃と、あげればき
 りがない。
  人権の尊重、言論・表現の自由は、自由で公正な金融
 市場ルールの下地のはずだが、党中央にはその意識のか
 けらもない。
  米国とはそれでも、日本の危機意識を共有できる余地
 はある。
  正式候補に決まるとは限らないが、民主党のヒラリー
 氏はウォール街に批判的で対中警戒派だし、共和党のト
 ランプ氏は「大統領になれば、中国を為替操作国として
 罰する」と息巻いている。
  日本として、元のSDR化で習近平政権は軍事を含む
 対外膨張路線をひた走るだろう、と伝えるべきだ。
  問題は通貨・金融を自省の専管事項とする財務官僚だ。
  IMFにおいて中国のSDR通貨工作のなすがままに
 した。
  そればかりか、IMFで精を出しているのは、消費税
 増税をIMFに対日勧告させて安倍晋三政権を予定通り
 の増税に追い込む根回しだ。
  語るに落ちる裏切りぶりである。
  たむら・ひでお 昭和21(1946)年生まれ。
  早稲田大学政経学部卒。
  日本経済新聞社に入社し、ワシントン特派員、米アジ
 ア財団上級フェロー、香港支局長などを歴任。
  平成18年に産経新聞社に移籍し、編集委員、論説委員
 を兼務する。
  著書に『アベノミクスを殺す消費増税』(飛鳥新社)、
 『人民元の正体』(マガジンランド)など多数。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-07-30 04:12 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)604E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)

題:(増補版)604E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年7月19日、日本が、中国・清へ、日本の手交(しゅこ
 う、手渡すこと)した最後通牒の回答期限である7月24日
 を過ぎても、中国・清が、日本へその返事もしないで、
 中国軍の朝鮮への増派をするならば(それは、朝鮮に対
 する宗主国ぜんとした威嚇行為であるとともに、同時に)
 日本に対する威嚇行為(敵対)と見なす・・との内容の
 最後通牒を中国・清へ送りつけた。
  そしてまた、この様な無視の行為をする中国・清の態
 度であるならば、陸奥宗光外相は、回答期限の7月25日以
 降は、清国の軍艦などへ日本が攻撃をしても、「外交上
 の問題はない」の旨を日本海軍へ伝えた。
  日本は、今まで自重し、清の強引な行動を静観して来
 たが、また、影で工作する清の態度を静観して来たが、
 この時点では、はっきりした毅然たる態度を示すという
 方針に替わっている。
.
1894年7月20日、この日の午後、大島公使は、この様な状況
 になっては、毅然たる態度を示すべきとの方針において、
 自主独立の国としてありたいと日本へ伝えている朝鮮に
 対し、清国の宗主権を認めさせられている『中朝商民水
 陸貿易章程』を、廃棄をしなさいと伝えた。
  また、中国・清が「朝鮮は属邦である」とし、その属
 邦保護を名目として、朝鮮の「自主独立を侵害」する清
 軍の撤退について、朝鮮の考え方を7月22日までに伝えて
 もらいたいと伝えた。
  これは、1636年~1637年の丙子の役(へいしのえき、
 清の朝鮮への一方的侵略行為)の一例の如く、過去から
 何度も、中国・清から度々の武力行使を受け苦渋してい
 る朝鮮が、また、日本も清から脅され、威圧行為も受け
 ているという、その様な状況に於いて、その様な清軍を
 退けられないのであれば日本が代わって駆逐するとの含
 意があった。
.
1894年7月20日、総武鉄道の市川駅~佐倉駅間が開通した。
  開業120周年となる2014年に、記念行事が行なわれた・・
 以下は、そのことを伝える記述・・
  ~おかげさまで120周年! 120年間の感謝を込めて~
  総武本線市川~佐倉間は開業120 周年を迎えます!
  1894 年(明治27年7月20日に総武鉄道(市川~佐倉間)
 が開通し、市川駅・船橋駅・千葉駅・佐倉駅が2014年に
 120 年目を迎えます。
  JR東日本千葉支社では、お客さまに感謝の気持ちを
 込めて「総武本線開業120周年記念イベント」を開催しま
 す。
  7月20日には、市川駅・船橋駅・千葉駅・佐倉駅で120
 周年記念入場券発売やスタンプラリー、写真展やコンサ
 ートなど楽しいイベントを開催します。
  また、120 周年記念号として寝台特急「あけぼの」号
 で運行されていた寝台車両24系を使用した「市川~佐倉
 120周年号」で行く日帰りの旅コースと「120周年千葉青
 森号」で行く夜行列車の旅コースの旅行商品をインター
 ネットで限定発売します。
  ぜひ、120 周年で盛り上がる市川駅・船橋駅・千葉駅・
 佐倉駅へ遊びに来て下さい。
.
1894年7月23日、連合艦隊が佐世保港を出港した。
  この日の午前11時、強硬に陸兵増派をしようとしてい
 る清国の行動を止めさせようと、海上封鎖の任務を帯び
 た伊東祐亨中将が率いる連合艦隊が、佐世保港から朝鮮
 半島の京畿湾へ向けて出港した。
.
1894年7月23日、日本は、清軍撃退依頼を出すようにと大院
 君へ伝えた。
  朝鮮政府内にある過去からの清国の武力行使と圧力に
 屈し、清国の属邦体制を止むなく認めて受け入れている
 派(親清派)と・・、
  この強圧的な清に対して、日本に助けを求める親日派
 が朝鮮政府内にあって・・、
  親日派であった金玉均が、清国によって暗殺される如
 く、陰に陽に中国は強引な行動をしていた。
  その様な清の属邦体制を止むを得ず受け入れている現
 政権の王政派(閔妃)に対する親日政権の大院君に清軍
 撃退依頼を出すようにと伝えた。
  日清戦争の原因となった甲午農民戦争の清軍の鎮圧出
 兵も、清の工作員が暗躍して出兵要請を朝鮮に出させて
 いる。
.
1894年7月23日、この日の日本の「国民新聞」には、「今や
 我国は清国と開戦するの最高潮に達す」と記されている・・
 また・・
  この翌日の7月24日の「時事新報」には、「一刻も猶予
 せず、断然支那を敵として我より戦を開くにしかざるな
 り」とあり・・この時点に至っては「戦わざるを得ない」
 という新聞論調で、完全に開戦の方向で一致していた。
.
1894年7月23日、日本が、朝鮮王宮へ軍を派遣し、強硬策を
 行なった。
  そして、午後5時、大島旅団長が朝鮮国王に面会する。
  一人も死者は出ていない、そして、この日の内に幕営
 地に引き上げている(中国・清はまったく関係ない)
  襲撃ではない・・また、日清間の交戦も無い・・
  この日の午前零時30分、公使より電報、「作戦通り実
 行せよ」と・・
  行動部隊の第六中隊が、迎秋門が破れなかったので、
 囲壁を越え、内部より鋸と斧で門扉を開く(午前5時頃)
  第七・第五中隊が王宮に入る、そして、光化門・建春
 門も内部より開門した。
  この間、守備の朝鮮兵は抵抗する者もなく、また、皆、
 北方へ逃走。
  午前4時20分~午前7時半、双方から銃撃が起きる。
  抵抗した一部の朝鮮兵は、北方の王宮囲壁を出て、白
 岳の方向に逃走する。
  国王は雍和門内に居て、山口大隊長が、日本軍兵を門
 内に入れない代わりに韓兵の武器交付を要求した・・承
 諾された。
  また、大隊長は国王に拝謁した、「我が兵士は玉体を
 保護するために居て、決して危害の及ばざるを期すべし。
 殿下幸いにこれを諒せよ」と・・
  (参考)諒:りょう、おもいやる。明らかにする。ま
     こと。
  午後5時、大島旅団長が王宮に入り国王に面会した。
  夕方、日本軍は歩兵第二十一連隊第二大隊」に「王宮
 の守備」を命じたほか若干の部隊を王宮周辺要地に留め、
 午後5時から午後6時の間に幕営地にひきあげた。
  これは、公使館と旅団が協議して計画していたことだ
 った。
  この行為に対し、列強諸国からの批判は無く、誰かが
 殺害されたという事でもなかった。
  しかし、日本政府からはこの様なことをするなとの指
 令が出ていた。
  しかし、この行為は、朝鮮の人々の反日意識を高めた・・
  この点からも、すべき行為ではなかった。
  この様な行為は中国・清もしていて、朝鮮の人々は清
 に対しても反感を持っていた。
  しかし、この後、この行為で王宮内の財貨宝物が略奪
 されたと、「してもいない行為を、した」とプロパガン
 ダ(嘘宣伝)に使われた。
  清国の宋主権行使に苦渋していた朝鮮を救うとしても
 やり方が良くなかった。
  天皇陛下も、この事件に対し、また、武力行使に対し
 疑問を御明示されている。
  また、上記の午前4時頃撃ち合ったと言ったって、日本
 のこの行動の目的が・・、
  清に宋主権を主張されて、不満の中で属邦状態に身を
 置いている朝鮮が・・、
  陰に陽に日本に助けを求めている現状の朝鮮が・・
  日本が替わって「やらねばならないのだろう」と方針
 を決め、清軍撃退依頼を出しなさいと言っても、親清派
 と親日派とが押し合っている朝鮮・・
  そして、この度のこの行動・・態度を決めなさいとの
 この王宮へ押し寄せた行動であって、朝鮮兵と撃ち合い
 になったって、朝鮮兵と戦うことが目的ではないので、
 朝鮮兵を撃ち殺すこともない。
  この撃ち合いで戦死者の一人も出てない。
  助けようとしている日本なのだ・・朝鮮兵を撃ち殺す
 訳がない。
  今、中国が、ウイグルや、チベットや、内モンゴルで、
 取締りの名目で、ばちばち、ウイグルやチベットや内モ
 ンゴルの方々を殺しているが、それとは訳が違う。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今、ヨーロッパの終焉が言われている・・というより、
   ドイツの差配するヨーロッパとなっている・・
   ドイツの経済に頼らざるを得ないEUなのだ・・
   そして、そのドイツが、中国に経済的救済を求めている形で
  中国に近づき、中国は、どんどんドイツに大量発注している・・
   そんな関係のドイツと中国・・そのドイツの軍事技術が、
  どんどん中国に入ることが懸念されている・・
   中国はそれを望んでいる・・
.
紀元前5万年~紀元前4万年、この頃、ユーラシア大陸から
 人類が、寒い極北の地を通って、そして、地続きだった
 凍てつくベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸へと行っ
 た。
  この時、この極低温の地を、人類が行けたのは、体温
 の低下を防ぐための衣類・着物があったからだった。
  その様な防寒性能の良い着物が作れたのは、『縫い針』
 の発明があったからだった。
  この当時の縫い針が、シベリアから出土している。
  人類のこの発明の智慧が、その活動範囲を拡大してい
 たのだった。
  この様な歴史的な知識や、科学的知識のない北海道の
 政治家が、議会の討論の中で、「北海道は無土の地だっ
 た」と、人の居ないと地だったと言った。
  「人類が広い広範囲な活動をしていた」などという状
 況の知識の「まったく無い理解状況」の中で、政治的議
 論と判断と決定がなされている。
  人類の広い活動範囲とともに、広い人類の結婚・交雑
 が行われていて、日本列島は5万年前から、また、4万年
 前という遠い遠い昔から、広い活動とともに結婚・交雑
 の歴史の中にあった。
  アイヌも琉球も、また、本州も、その人類の交雑の歴
 史が続いて来ていて、その遺伝子的にも、そのことが証
 明されている。
  アイヌだけが特別ではない。
  中国の仕掛ける「アイヌ独立論」は、自国の抱える別
 民族である「チベット民族の方々の独立活動」「ウイグ
 ル民族の方々の独立活動」「内モンゴル民族の方々の独
 立活動」などの独立運動を相対化したいための仕掛けな
 のである。
     ・
     ・
1193年、北方十字軍
  ローマ法王(教皇)のクレメンス3世の、1193年の呼び
 かけが発端だった。
  いつも、戦争を呼びかけるキリスト教ローマ法王(教
 皇)だった。
  この時のキリスト教の「北方十字軍」は残虐だった。
  この東方遠征時には、そこの住民は「ほとんどが皆殺
 し」にあった。
  卑劣な被害を受けた地域は、現在のポーランドからバ
 ルト三国におよぶ一帯で、多くのスラブ人の方々が住ん
 でいた。
  キリスト教が、討伐の対象とする『正当な理由は無か
 った』。
  せいぜい、キリスト教にとっての異端の宗教を信じて
 いる「異端の民だ」という程度だった・・何も悪いこと
 はしていない。
  プロセインという国を作ったが、ドイツ騎士団(ドイ
 ツ騎士修道会)が多く、悪行為の実行団だった。
  現時点においてキリスト教が卑劣な事は、この一事例
 の様な「過去の暗黒の歴史」を示しても、「私たちは、
 そんな悪いことしていない」と嘘を言っている事である。
  また、キリスト教は、卑劣なキリスト教の教義も必死
 に言い換えをしている。
  まったく反省のそぶりも見せないキリスト教であり・・
 ここに問題の根源がある。
  (参考)北方十字軍:ほっぽうじゅうじぐん、バルト
     十字軍とも言われる。
      キリスト教カトリックの王であるデンマーク、
     スウェーデン、ポーランド、そして、リヴォニ
     ア帯剣騎士団、ドイツ騎士団によって開始され
     た十字軍のことで、北ヨーロッパ、および、バ
     ルト海沿岸南東の異教徒に対して蛮行が行われ
     たカトリック教会諸国の同盟によって行われた。
.
1636年~1637年、丙子の役(へいしのえき)
  韓国の南漢山城(ナムハンサンソン)が関係し・・、
  南漢山城は韓国の世界遺産であるが、標記の丙子の役
 の時、中国・清が、朝鮮(李氏朝鮮)を侵略した。
  この丙子の役の最も熾烈な47日間の戦いを描いた映画
 「南漢山城」が、今、韓国で評判になっているという。
  中国・清が、朝鮮を侵略すると、君主と家臣らは敵を
 避けて南漢山城に隠れた。
  寒さと飢えが襲う・・絶対的な軍事的劣勢の状況・・
 清国軍に完全に包囲された絶体絶命のその時・・
  国家と国民を守らなければならないという吏曹判書チ
 ェ・ミョンギル(イ・ビョンホン)と・・
  (参考)吏曹:いじょ、李氏朝鮮に置かれた行政機関
      判書:ばんそ、官職
  清国軍の攻撃に最後まで相対して戦って大義を守らな
 ければという礼曹判書キム・サンホン(キム・ユンソク)、
  (参考)礼曹:いぇーじょ、李氏朝鮮の行政機関
  そして、その間に立った仁祖(パク・ヘイル)の煩悶・・
  その攻勢はより深くなって、中国・清国の無理な要求
 と圧迫はより一層強まるっていく・・この様に映画は描
 かれるが、
  この丙子の役となるとき・・清国との戦いが決定的と
 なった時、李氏朝鮮は、日本に援軍を乞う事も検討した・・
  今の韓国もそうであるが、陸続きの中国は、容易に朝
 鮮に侵略できるため・・朝鮮半島は中国の冊封体制下に
 置かれる状況に常にあった・・
.
1904年~1907年、ドイツは、ナミビアを侵略した。
  土地を奪われたナミビアの人々(ヘレロ民族の方々)
 は、当然、反抗を開始した。
  しかし、武器や装備に各段に勝るドイツが勝つのは当
 たり前だった。
  (槍と銃の戦い・・この様な卑劣な戦いをドイツは行
 った)
  ドイツは、ナミビアのヘレロ民族の人々を大殺戮し、
 殺して、そして、強制収容所へ入れた。
  そして、強制収容所に入れた人々に強制労働をさせた。
  しかし、結局、最後には、ドイツは、この方々も皆殺
 しにした・・血も涙もない卑劣なドイツだった。
  ヘレロ民族の人々は全人口の8割の人々が、ドイツに殺
 されてしまった・・言葉に尽くせぬ卑劣さだった。
  「20世紀最初のジェノサイド」と言われている。
  (参考)ジェノサイド:その共同社会や民族を滅ぼす
     ほどの大量殺害。集団殺戮(さつりく)。 
  この蛮行は「ヘレロ・ナマクア虐殺」と言われている。
  これは、上記の様に、ドイツ領南西アフリカ(現・ナ
 ミビア)において、ドイツが先住民族(ヘレロ民族の方
 々)に対して行った虐殺で、アフリカ分割の動きの中で
 行われた。
  ドイツのこのヘレロ民族への攻撃は、1904年8月、ドイ
 ツのロタール・フォン・トロータ将軍によって行われた。
  三方から包囲して、カラハリ砂漠に追い込み、殺戮し
 た。
  また、1904年10月には、ナマクア族も蜂起したが、同
 様に、武器を持たないのも同然の人々を、ヘレロ民族同
 様に、「赤ん坊の手をひねるがごとくに虐殺した」。
  この様な民族虐殺を容易に行うドイツは、この後、ユ
 ダヤの方々への民族虐殺の行為へとつながって行く。
.
1933年3月23日、ドイツ国会が、ヒトラーの全権委任法を可
 決した。
  これによってドイツは、国家社会主義ドイツ労働者党
 (ナチ党)の権力掌握がなされた・・
  そして、これ以降、反ユダヤ主義が国是となったドイ
 ツにおいて・・様々なユダヤ人の方々に対する迫害が行
 われた。
  ドイツでは、第二次世界大戦の勃発の後、ナチス内部
 では、「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」
 を行おうとする動きが強まり、ドイツ国内や占領地のユ
 ダヤ人を拘束し、強制収容所送りを始めた。
  ドイツは、この「600万人のユダヤの人々の殺害」以外
 にも数々の卑劣な行為がある。
  「ロマ(ジプシー)・シンティ」「何千人もの精神障
 害者」「多くの同性愛者の殺害」「占領地のSS」「ド
 イツ国軍による戦争犯罪」「60万人から80万人と言われ
 る犠牲者が出たレニングラード包囲」「ワルシャワのゲ
 ットー破壊」など。
  ドイツは、これらの過去を正しく清算しなければなら
 ない。 
  今までの清算の仕方には欺瞞に満ちたところがある。 
  その様な過去への態度なら・・また認識の仕方なら、
 また、同じ様な蛮行を繰り返す事になるだろう・・、
  そして、今、利益優先で中国と悪だくみをしている。
  (参考)受権法・・ドイツのヒトラーが率いるナチス
     政権下のこの年・1933年に制定された「全権委
     任法」が代表例。
      議会の承認なしに、政府による立法権行使を
     認める法律の総称。
      ナチスは、委任法で、政府が定めた法律に矛
     盾する憲法規定の効力を失わせた。
      憲法自体を空文化させることで、独裁体制を
     固めて行った。
.
1937年11月、アメリカは、この月、中国国民党の蒋介石や
 重い責任を持つ軍人を南京から連れ去り、これから南京
 城での戦いが始まるという事態に、中国司令部を無くし
 て、南京の戦いはシッチャカメッチャカにした・・
  (この翌月の1937年12月に、日本軍の南京入城という
 時だった)
  そして、南京事件が「でっち上げられた」のである。
  何しろ・・秘かに中国側に味方して、戦いに参戦した
 アメリカは卑劣で・・南京戦が乱戦となった主犯は、ア
 メリカだった・・
  このアメリカによって重慶に連れ去られた中国の中枢・
 司令部の国民党・・
  この中国国民党の国際宣伝処に所属していたアメリカ
 人のセオドア・ホワイト(ジャーナリスト)・・
  この男は、自叙伝で回想し、くだらないことを書いて
 いる・・
  重慶に逃れた国民党政府は、自国に有利な事なら何で
 もした・・そして、どんな嘘でもついた・・。
  南京事件のデッチアゲも朝飯前だった・・
  嘘をつくこと、騙すこと、中国とアメリカは、共に、
 日本に対抗して行くのだとアメリカに納得させるためな
 ら、どんなことをしても良いと・・それは必要な事だと・・
  その様に考えていた・・と書く。
  そして、宣伝目的で作られた嘘の数々・・
  そして、その嘘写真・・誤記を装って書かれた嘘の数
 字・・それらが宣伝されて行った・・
  そして、それらが、一人歩きをし出し・・「真実」と
 して定着して行った・・と。
  その様な中で、嘘八百の中の馬鹿馬鹿しい話の一つが・・
 以下である・・
  蔡黄華というデッチ上げられた中国女性が、日本の兵
 士を数人殺したという・・
  そして、逃走して、反日ゲリラの首領になったという
 「真っ赤な嘘話し」を作り上げて記事にした。
  これに、多くのアメリカ人記者が飛び付き、この女性
 の写真を要求して来た。
  中国国民党の宣伝部は、腰に二丁拳銃を下げた中国人
 女性の写真を作った。
  この中国人女性は、アメリカで、国民党の蒋介石総統
 夫人の宋美齢に次ぐヒロインになった。
  世界のどこにもいないという「架空の人物」がもては
 やされるというアメリカだった。
.
1942年、ドイツは、国で慰安婦施設を経営していた。
  レッキトシタ証拠が、いくつもある、卑劣な行為をし
 ていたドイツ。
  ドイツには、慰安婦について後ろめたい過去がある。
  ドイツは、1942年の時点で、約500のドイツ軍が運営す
 る慰安婦施設があった。
  その運営される慰安婦施設が、ドイツ軍当局へ報告し
 ている書類など、多数の証拠が存在し、その内容は明ら
 かとなっている。
  その書類の一つが、調査報告書の形で・・、
  ドイツ国防軍の専属か、否か? 
  民間人の利用もできるのか?とか・・
  娼妓の人数や年齢は?とか・・、
  性病の予防処置をしているか?とか・・、
  一人の娼妓の客の最高数は?とか・・、
  コンドームの使用状況は?・・など、微に入り細に入
 り報告させている。
  ドイツ軍が完全管理している実態があった。
  そして、この事が、1977年に、本として克明に実態が
 書かれ、出版され、公知の事実となった。
  本は、フランツ・ザイトラーにより書かれ、本の表題
 は、「買春・同性愛・自己毀損、ドイツ衛生指導の諸問
 題、1939年~1945年」。
  ドイツには、国軍によって、組織的で、規模の大きい
 慰安婦制度がれっきとしてあった。
  ドイツは、この事を後ろめたく思っていた。
  その事もあって・・ドイツは、日本の「韓国がでっち
 上げる慰安婦問題」を、自分たちの汚点を消したいとし
 て、「日本の真実の説明」に一切耳を貸さずに、ドイツ
 の新聞などマスコミは、韓国の嘘のプロパガンダの言い
 分だけを公表した。
  また、ドイツ国会も、決議案を採決しようなどという
 破廉恥で卑劣な行為に及ぶほどだった・・結局、採決に
 は至らなかったが、ドイツの卑劣さが国会レベルにまで
 至っていた。
  まったく韓国の卑劣な嘘宣伝に踊らされているドイツ
 となっていた。
.
1945年5月2日、ドイルのベルリン陥落
  ドイツ国防軍のベルリン防衛軍司令官のヘルムート・
 ヴァイトリングが降伏して・・ベルリンは陥落した。
  ヒトラーは、すでに、1945年4月30日に自殺している。
  そして、ドイツの戦後が始まるが、ドイツには1200万
 人のナチスに加担した人々・ナチ党員が居た。
  このナチ党員らは、何ら罪を問われること無く、戦後
 の時間を過ごして行った・・そして、そのままとなった
 ドイツが、今、存在している。
  アメリカも、このナチス加担者のナチ党員の罪は問わ
 なかった。
  ドイツの一般国民と同じように戦後を過ごさせて来た。
  何ら責任を取らないナチ党などの人々が、ドイツの中
 で一般のドイツ人たちと同じように過ごしてきた。
  謝罪も何もしない人々が、一般の人々と同じように過
 ごしてきた。
  ドイツという戦後のドイツ政府は、このことに目をつ
 むり、一緒になって謝罪も何もしないで戦後を過ごして
 きた。
  そして、ドイツのやることと言ったら・・「ナチスは
 悪いことをした」「ナチスは、600万人のユダヤ人の殺害
 をした」というけれど・・、
  「ナチスは、悪いことをしたけれど・・」とまでは何
 度も何度も言うが、肝心の謝罪の言葉なしに戦後を過ご
 して来た。
  世界に対するドイツの欺瞞の態度が今・現在もある。
.
1945年、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における、ドイ
 ツが戦争に敗れる前後において・・ソ連兵による婦女暴
 行が50万件もあった・・
  また、アメリカ兵による婦女暴行も19万件もあった。
  1945年4月16日、ソ連は、ベルリンの攻囲作戦を開始し
 た。
  昼も夜も、ベルリンを砲撃した。
  昼も夜も、その砲撃音は、常にベルリンに鳴り響いた。
  電気もガスも水も・・ストップした。
  ベルリンから脱出できなかった、ベルリンから逃げそ
 びれた市民の200万人の人々は・・防空壕内に逃げ、生き
 延びていた。
  そのほとんどが、その圧倒的多数が「女性と子供たち」
 だった。
  そして、12万人の乳幼児がいた。
  1945年4月26日、ベルリンは完全に包囲された。
  そして、1945年5月2日、ベルリンは陥落した。
  この攻防の最中から、この後の時の中で、ソ連兵やア
 メリカ兵による婦女暴行などの蛮行は行われた。
  婦女暴行の他にも、家宅侵入や略奪など、その阿鼻叫
 喚(あびきょうかん、人々が苦しみ泣き叫ぶような、非
 常にむごたらしい状態)、その中でレイプが行なわれた。
  この時だけのベルリン市の女性の犠牲者だけでも9万500
 人から13万人だという。
  二つの主要病院の報告だけであるから、そのデーター
 は少な目であっても、しっかりした信頼できるものと言
 える。
  この様な悲劇は、1944年の末から始まっていた。
  ドイツの敗退が始まると、東方のドイツ領土から兵士
 だけでなく、ドイツの一般市民も脱出し、ドイツやベル
 リンを目指した。
  また、追放されるドイツ人たちも居た。
  その逃避行をする人々は1200万人から1400万人いた。
  着の身着のまま・・ドイツを目ざし、飢えと寒さ、そ
 の様な中、多くのドイツ人が虐殺にあった。
  死者と行方不明を合わせ300万人だという。
  日本を貶(おとし)めてばかりいるNHKは、この様
 な事は一切放送しない。
.
1945年、第二次世界大戦の戦後、ドイツはパニックとなっ
 た。
  流言飛語が飛び交った。
  「1910年から1925年までに生まれたドイツ人の青年は、
 不妊手術をされる」
  「ドイツの市町村長は、全員がクビになり、強制収容
 所から解放されたユダヤ人が取って代わる」
  「ドイツの各都市は、計画的に略奪される手はずにな
 っている」。
.
1988年、この年に、日本に帰化した蔡善花氏が大切なこと
 を教えてくれた・・話された・・
  韓国が漢字を捨てたが・・??
  日本でも、アメリカの戦後のGHQが、日本に日本語
 を捨てさせようとした・・英語化しようとした・・
  日本に、漢字を捨てさせようとした・・
  無知からGHQは、「日本は、漢字があるから文盲率
 が高く・・民主化が遅れているのだ」とした。
  この時、日本は、知識人が反対し、GHQを説得し、
 疑(うたぐ)るGHQを納得させるために、「日本人に
 テストを実施した」・・
  そうしたら、ほぼ100%の日本人の出来の凄い良さの結
 果で、「日本人の知性・知識の高いことが立証された」。
  馬鹿なGHQも「びっくり」という過去の史実がある
 が・・
  韓国は・・漢字を捨ててしまって、廃止し、ハングル
 文字だけにした。
  今、韓国の若い人たちは、漢字が読めない状態になっ
 ている。
  当然、漢字で書かれた過去の史料や文献・資料が読め
 ない。
  それで何が起きたか?というと、『知性の劣化』。
  (参考)知性:ちせい、物事を知り、考えたり判断し
     たりする能力。
  この様な恐るべきことが韓国で起きていると・・日本
 に帰化したエッセイストの呉善花さんがそのことを何度
 も書いたりして、発表されている。
  韓国は、同時に自分たちの歴史も失っている。
  (参考)呉 善花(オ・ソンファ、1956年~)は、韓国
     生まれの評論家、日本研究者。済州島出身。
      大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外
     国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研
     究)修了。
      拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰
     化。
      子供時代を済州島で過ごす。
      1980年に、韓国軍に入隊しながら大邱保健専
     門大学を卒業。
      1983年に訪日、日本で働く韓国人を題材とし
     た『スカートの風』を出版。
      戦前に日本在住経験のあった母親からの影響
     もあったが・・そして・・
      学校教育によって一時は反日主義に傾倒して
     いたが、訪日後にさまざまな葛藤を経て知日派
     になった。
      韓国併合を全否定しない・・日本の自虐史観
     の改善を求めている・・
      韓国では・・親日派、「韓国を卑下する書籍
     を出版してきた」という否定的評価を受けてい
     る。
      また、韓国における漢字復活論支持者であり、
     自著でもたびたびハングル専用教育の弊害につ
     いて言及している。
      1988年に、日本へ帰化。
      韓国による入国拒否という行為に遭っている。
      2007年10月1日、済州島在住の母の葬儀で韓国
     へ入国しようとしたところ、日本での「反韓的
     な活動」が理由で、韓国当局から入国禁止措置
     が取られていたため、済州国際空港で一時入国
     を拒否された。
      これに対し、呉の要請により、在済州日本国
     総領事館は、日本人への人権侵害との申し出を
     し、韓国入管は呉の入国を認めた。
      2013年7月27日には、親戚の結婚式への出席の
     ために韓国へ入国しようとしたが、仁川国際空
     港で完全入国拒否(本国送還命令、韓国入国法
     76条)となった。
      ルーツを朝鮮半島に持ちながら、韓国に対し
     て批判的な評論活動を引き続き行なっているこ
     とが影響したとされている。
      卑劣にも、大韓民国当局は、拒否の理由を明
     らかにしていない。
.
2013年5月、今、韓国は、「なんだかんだ」と言っているが、
 何と言おうと、実際は「日本の統治は良かった」と思う
 韓国の人々が、大勢、生きている。
  その方々が、口を開かなくても、事実は、実際は、良
 いのだから・・だから、心では「(韓国)政府は何を言
 ってんの? 日本に感謝しなければならないのに、貶(
 おとし)めてばかりで・・」となっている。
  しかし、これからは、その方々が亡くなって行かれ、
 居なくなる。
  その時、(韓国)政府にプロパガンダ(嘘宣伝)され
 た韓国の人々は、本当にそう思って、始末が悪くなるだ
 ろう・・、
  「日本の統治は良かった」と実感した人たちが、大勢、
 生きている時は良かったが・・結局は、プロパガンダさ
 れた人々だらけになるだろう。
  半分、中国に冊封されて日本の貶め行為の政治行動を
 し続けるだろう。
  そのような事件が、2013年5月に起きている。
  「日本の統治は良い事だったと、私は思っているよ」
 と言った韓国の95歳のお年寄りが、若い男に殴り殺され
 ている。
  実際の日本の素晴らしい統治に感激した韓国のお年寄
 りが、「日本の統治は良かったよ」と口にしたら・・、
  韓国の嘘の反日教育を受け、洗脳された若者が、「そ
 んなわけはない」と韓国のお年寄りを殺すという事件だ
 った。
.
2017年、ドイツに入って来た移民は、結局、社会の下層に
 しか居られないのが実情で・・、
  経済的にも、社会的にも不満を持っている人間と化し
 た集団となっている。
  そこで、「iS(イスラム国)」に流れ込んでいる。
  ドイツ国籍は取れても、社会の最底辺に据え置かれて・・
 そして、ドイツに反感を抱く。
  今、ドイツには、「サラフィスト」と呼ばれるイスラ
 ムのウルトラ過激派・超過激派が、どんどん増えている。
  日本も、「労働移民」という都合のよい考え方で判断
 しているが、そんな様に都合よく行く訳はない。
  移民は、人間という複雑な行動や考えをする対象であ
 るという認識を・・自分に都合よく、夢のような解決・・
 そんな夢想しての政策を決める様な事はない様に・・、
  (参考)サラフィストを恐れるフランス・・
     2016年4月4日、ヴァルス首相は、「フランスの
     サラフィストはイスラム教徒の1%にすぎないが、
     イデオロギー、文化的闘いに成果を上げつつあ
     る」と表明し、警告した。
      サラフィズム(サラフィー主義)・・イスラ
     ム過激派と一口に言っても、国の歴史・宗教・
     政治的背景によってさまざまなグループがあり・・
     サラフィズムは、イスラム原理主義を守り、キ
     リスト教徒や他宗教徒を敵とみなし、真正イス
     ラム国カリファ再建の「聖戦(ジハード)」を
     掲げている。
      サラフィズムがフランスに入ったのは、特に、
     1991年、アルジェリアのイスラム救国戦線が選
     挙で圧勝したのに、与党が無効としたため武装
     イスラム集団(GIA)との内戦が10年続いた
     頃・・
      ムスリム人口の西洋での増加とともに、イス
     ラム過激派や原理主義サラフィズムもフランス
     に入って来て・・サラフィズムの影響下、ニカ
     ーブを着た女性イスラム教徒も増加した・・郊
     外への移民家族の集中化のなかで、ムスリムの
     コミュニティ化が進んで行った・・
      サラフィズムには3系統あり・・
      武装・過激化を提唱する 「革命的サラフィズ
     ム」・・、合法・政治的にイスラム主義国家を
     目指す、エジプトのムスリム同胞団に通じる「
     政治的サラフィズム」・・そして、「サラフィ
     ズム・キエティスト」は、政治に関係なく伝統
     的布教に努め、テロリズムでヨーロッパを恐怖
     に陥れる「イスラム国」を強く批判している。
      シリアに向かうフランス青少年(現在600人、
     女性200人、160人戦死)は、アッラーのための
     ジハードにまい進している・・
      パリやブリュッセルのテロ犯の大半は、元犯
     罪者か麻薬ディーラーで・・自国には懲役か失
     業しかないと絶望するニヒリスト青少年らは「
     イスラム国」、アッラーのために自爆テロを続
     けている・・
      聖戦に憧れる多くの青少年が、家族と断絶し
     てイスラム教に改宗する・・
      ヨーロッパ社会での差別、屈辱を、神やムハ
     ンマドのための 「聖戦」によってヨーロッパに
     復讐し反抗しようとする・・
.
2018年、今、ヨーロッパの終焉(しゅうえん、終わり)が
 言われている・・というより、ドイツの差配するヨーロ
 ッパとなっている。
  (参考)差配:さはい、指図してとりさばくこと。
  ドイツの経済力に頼らざるを得ないヨーロッパとなっ
 ているから・・経済力の強いドイツが牛耳る・・「ドイ
 ツ帝国」の再来と言われている。
  しかし、そのドイツ・・、中国の購買力で息を吹き返
 した自動車のベンツの如(ごと)く、このベンツ以外は
 影が薄くなって来ているドイツの状態・・、
  ヨーロッパは、その様なドイツに頼らざるを得ず・・
 「ドイツの力と意思に決定づけられている状況」となっ
 ている。
  EUは、「EUの衣装を身にまとったドイツ帝国」の
 状況が強くなっていると言われているが、そのドイツ・・
 各部の地盤沈下が酷(ひど)く・・中国に救いを求めて
 いる。
  ベンツだけの救済だけでなく・・その為、中国が主導
 するAIIB(アジアインフラ投資銀行)へ、このドイ
 ツだけでなくEU諸国が、こぞって参加している・・
  腐肉に群がるハイエナのような状況になっている。
  今、ドイツは、移民が酷く・・ドイツでは、どこの幼
 稚園や小学校でも、外国系の子供たちの方が多いという
 ケースがたくさんある。
  今、ヨーロッパの終焉が近づきつつあると言え・・そ
 のヨーロッパの文化も消えていく状況・・町並みも消え
 て行く状況。
  中国に近づいて、中国の軍事力の増強にテコ入れする
 ことが恐れられている・・
  ドイツの技術が、中国に注入されることが恐れられて
 いる。
  ドイツの軍事技術が、どんどん中国に入ることが懸念
 されている・・中国はそれを望んでいる・・、
 (追伸)先日、テレビで放送されたが・・、
     オーストリアの世界遺産の美しい街並みの満々中に
     超近代的は高層ホテルが建つ話がある・・景観ぶち壊しホテル
      もう世界遺産より食う方が先・・背に腹は代えられぬという
     ヨーロッパとなっている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-07-23 17:05 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)603E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)

題:(増補版)603E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年7月17日、御前会議で慎重な審議を重ねられ、開戦が
 確認された・・そして、最後通牒が送られた。
  回答期限は、朝鮮に対しては7月22日、中国・清国に対
 しては7月24日とした。
.
1894年7月17日、海軍軍令部長が中牟田倉之助から樺山資紀
 に交代した。
  海軍軍令部は、1893年5月20日の「海軍軍令部条例」に
 より設置された。
  この頃の海軍の建設にあたって、初めは、軍令の専掌
 機関はなく、海軍省が軍令と軍政を一元的に管掌してい
 た。
  1884年、海軍省内に外局として軍事部が設置されて、
 初めて軍令をつかさどった。
  1886年、軍事部は参謀本部の海軍部となり、
  1888年、参軍のもとの海軍参謀本部となり、
  1889年、海軍大臣のもとに戻って海軍参謀部となった。
  1893年、海軍省から独立して天皇陛下に直隷する海軍
 軍令部となった。
  作戦、編制、情報、通信、戦史などをつかさどった。
.
1894年7月18日、総武鉄道の佐倉駅~銚子駅間の建設仮免許
 状が下付された。
.
1894年7月19日、イギリスの第二次調停案への回答期限を、
 7月24日と清に通告した。
.
1894年7月19日、朝鮮の望む自主独立と・・宋主権を行使し
 主張する清国・・、
  「断固なる処置を施すの必要あり」の訓令を受けた大
 鳥公使は、朝鮮が清国と結んでいる諸条約の廃棄を提案
 した。
  つまり宗属関係の撤廃、清国軍の撤兵、ソウル~釜山
 間の軍用電信の架設、日本の兵営建設などを示し、朝鮮
 政府に手交した(7月20日)
.
1894年7月19日、海軍連合艦隊を編成し、伊東祐亨が初代司
 令官に就任した。
  日本海軍初の聯合艦隊を編成した。
  司令長官は伊東祐亨中将だった。
  日清戦争開戦が現実のものになってくるにつれて「警
 備艦隊」というのはふさわしくないという意見が出た。
  一時は、警備艦隊を常備艦隊に統合する案が出たが、
 当時の軍令部官房主事である山本権兵衛大佐が警備艦隊
 を「西海艦隊」と改名し、常備艦隊と西海艦隊をもって
 「連合艦隊」を組織するという案を出した。
  これが連合艦隊編成のきっかけとなった。
  以降、日露戦争など戦時や演習時のみ臨時に編成され
 た。
  1923年(大正12年)以降、常設となった。
.
1894年7月19日、別子銅山新居浜精煉所の煙害をめぐり農民
 が精煉所を襲撃した。
.
1894年7月20日、日本汽船の長崎~上海航路が運航停止と
 なった。
  日本郵船の庸船「アンゼルス丸」だけが、イギリス国
 旗を掲げて週1回就航した。
.
1894年、この頃から1902年頃にかけて、外務省の「霞倶楽
 部」、農商務省の「采所クラブ」、陸軍省の「北斗会」、
 政友会の「十日会」と次々に記者クラブが生まれ・・、
  さらに、1905年には、司法省の「司法記者倶楽部」、
 1907年には、内務省の「大手倶楽部」、1910年には「兜
 会」が組織された・・が・・、
  まだまだ新聞のイメ−ジは悪く、政府も省庁も、記者た
 ちを車夫、馬丁と同様に思われ、扱われていた。
  記者室も玄関先の控え所にちっぽけな場所を与えられ
 ただけだった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:これから先の風景は・・、人口の急増と都市化、
   エネルギー消費の爆発的増大、CO2排出量の急増・・
   これ等のすべての先には地球温暖化と異常気象がある。
   海水温が2度上昇すると、台風の強度は2倍になるという。
   この様な中、世界の趨勢(すうせい)は静かに着実に
  原子力発電へと行かざるを得ない。
   人類が、生活に必須のその電力を得るためには・・、
   その投資の主要部分が、原子力発電が占めることが明白と
  予測されている。
.
紀元前5600万年、日本列島:始新世(5600万年前~3400万
 年前)頃からその原型が形成された。
  中新世(2,300万年前~530万年前)に、日本海が形成
 されてユーラシア大陸と分離した。
  中新世になると・・今度は、日本列島が大陸から引き
 裂かれる地殻変動が発生し、大陸に低地が出来始めた。
  2100万年前~1100万年前には、さらに断裂は大きくな
 り、
  西南日本は、長崎県対馬南西部付近を中心に時計回り
 に40度~50度回転し・・、
  同時に、東北日本は、北海道知床半島沖付近を中心に、
 こちらは反時計回りに40度~50度回転したとされる。
  これにより今の日本列島の関東以北は南北に、中部以
 西は東西に延びる形になった。
  いわゆる「観音開きモデル説」である。
  そして、およそ1500万年前には、日本海となる大きな
 窪みが形成され、海が侵入してきて、現在の日本海の大
 きさまで拡大した。
  1600万年前~1100万年前までは、西南日本(今の中部
 地方以西)のかなり広い範囲は陸地であった。
  東北日本(今の東北地方)は、広く海に覆われ、多島
 海の状況であった。
  その後、東北日本は、太平洋プレートなどによる東西
 からの圧縮により隆起して陸地となり、現在の奥羽山脈・
 出羽丘陵が形成されるにいたった。
     ・
     ・
紀元前1500万年、日本列島が今の位置に来た。
  日本列島が今の位置にやって来たのは1500万年前。
  その形は現在と同様ではなかった。
  気温や海面の変化、氷河の拡大・縮小などに起因する
 ダイナミックな変動を繰り返しながら、現在の日本列島
 の姿へとなった。
     ・
     ・
紀元前500万年、日本に不完全ながらも弧状列島の形が出来
 上がりつつあったのは、今からおよそ500万年前。
  その頃は、まだユーラシア大陸と陸続きであった。
  その後、火山の噴火による地殻変動があり、氷期と間
 氷期が交互に繰り返す氷河時代には地形の変化が起こっ
 た。
    ・
    ・
紀元前100万年、デニソワ人
  2010年3月25日付のイギリスの科学雑誌『ネイチャー』
 に、マックス・プランク進化人類学研究所の研究チーム
 は、発見された骨のミトコンドリアDNAの解析結果か
 ら、「デニソワ人」は、100万年ほど前に現生人類から分
 岐した未知の新系統の人類と発表した。
.
紀元前80万4000年、「ネアンデルタール人」と「デニソワ
 人」の祖先が分岐した。
  2008年、ロシア西シベリア・アルタイ山脈のデニソワ
 洞窟で子どもの骨の断片が発見された。
  2010年12月23日、マックス・プランク進化人類学研究
 所などの国際研究チームは、『ネイチャー』に論文を掲
 載した・・その内容は・・、
  見つかった骨の一部は、5歳~7歳の少女の小指の骨で
 あり、細胞核DNAの解析の結果、デニソワ人はネアン
 デルタール人と近縁なグループで・・、
  80万4000年前に、現生人類であるホモ・サピエンスと
 の共通祖先からネアンデルタール人・デニソワ人の祖先
 が分岐し、
  64万年前にネアンデルタール人から分岐した人類であ
 ることが推定された。
  デニソワ洞窟は、ネアンデルタール人化石発見地のう
 ち最も近いイラク北部シャニダール遺跡から、約4000km
 の距離を隔てている。
  メラネシア人のゲノムの4%~6%がデニソワ人固有の
 ものと一致することから、現在のメラネシア人にデニソ
 ワ人の遺伝情報の一部が伝えられている可能性が高いこ
 とが判明した。
  また、中国南部の住人の遺伝子構造の約1%が、デニソ
 ワ人由来という研究発表も、スウェーデンのウプサラ大
 学の研究チームより出されている。
  ネアンデルタール人と分岐した年数も、35万年ほど前
 との説もある。
  ジョージ・ワシントン大学の古人類学者のブライアン・
 リッチモンドは、デニソワ洞窟で見つかった巨大臼歯か
 らデニソワ人は体格はネアンデルタール人と同じか、そ
 れよりも大きいとみている。
  概略のところは、40万年前~30万年前にアフリカを出
 て、中東を経て、ヨーロッパに拡がった集団がネアンデ
 ルタール人に・・、
  中東を経て、アジア内陸部に移動した集団がデニソワ
 人になった。
  それに遅れて、6万年前~5万年前に、アフリカを出た
 我々現生人類(ホモ・サピエンス)の祖先は、まず、中
 東でネアンデルタール人と交わり、さらに、アジア内陸
 部でも先住者のデニソワ人と交雑し、世界中に拡がって
 現在に至ったという推定もある。
  ネアンデルタール人やデニソワ人は、その後、絶滅し
 てしまったが、アフリカ土着のネグロイドを除く現在の
 現生人類遺伝子のうち数%は、ネアンデルタール人由来
 である。
  中東での現生人類祖先とネアンデルタール人との交雑
 を示す研究成果は、2010年5月に発表されているが、
  2010年12月に、アジア内陸部におけるデニソワ人とも
 現生人類祖先は交雑したとする研究結果が出たことから、
 この結果が正しければ、過去には異種の人類祖先同士の
 交雑・共存は「通常のことだった可能性が出てきた」。
  (この例の様に、我々の祖先は、広い交雑域の中に、
 長い長い年月に居た・・アイヌと琉球は別民族というキ
 リスト教系大学の独断は、まったくの科学性のない主観
 的見解である)
  なお、アジア内陸部で、デニソワ人と交雑した現生人
 類祖先は、その後、長い期間をかけてメラネシアなどに
 南下していったと考えられている。
  また、中国方面に移住したグループは漢民族となり、
 高地に移住したグループはチベット人の「別民族となっ
 た」。
     ・
     ・
紀元前40万年、ネアンデルタール人がアフリカを出た。
  40万年前~30万年前に、アフリカを出て、中東を経て、
 ヨーロッパに拡がった集団・ネアンデルタール人に・・、
  中東を経てアジア内陸部に移動した集団がデニソワ人
 になった。
.
紀元前35万年、日本列島にナウマン象が現れる(~1万7000
 年前に絶滅)
  ナウマン象は、約35万年前に日本列島に現れ、約1万
 7000年前に絶滅した。
  日本列島には、幾度となく北、西、南の陸峡(間宮・
 宗谷・津軽・対馬海峡)を通って、色々な動物が渡って
 来たと考えられている。
  さらに、それらの動物群を追って旧石器人が渡って来
 た。
  最終氷期に大陸と繋がった北海道だけは、マンモス動
 物群が宗谷陸橋を渡ってくることが出来たので、それら
 の混合相となった。
.
紀元前20万年、人類の起源のホモ・サピエンスが、アフリ
 カに登場した。
  人類はアフリカに誕生したあと、数回にわたってアフ
 リカからユーラシア大陸へと移動した。
  しかし、現在のように地球の広い範囲に拡散移動した
 のはホモ・サピエンスの登場以降のことである。
  現代に生きる人類の起源を遺伝学的に研究すると、20
 万年前ごろにアフリカにいた人類集団の一つにその起源
 をたどれる
  ホモ・サピエンスが全地球的な拡散をはじめたのは、今
 から5万年前頃であった。
.
紀元前12万年、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)の
 前期旧石器などの遺物が発見されている。
.
紀元前12万年、デニソワ人の旧人が日本列島に居た。
  現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前にアフ
 リカを出発し、それ以前にはアフリカ外には分布してい
 なかった。
  従って、日本列島最古の石器(砂原遺跡の12万年前)
 を遺したのはデニソワ人などの旧人である。
  日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)が現れるの
 は4〜3.5万年前と考えられており、これは日本固有のハ
 プログループD1b (Y染色体)の起源年代とおおむね一致す
 る。
  (参考)デニソワ人:ロシア・アルタイ地方のデニソ
     ワ洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境に近い
     地域)に約4万1千年前に住んでいたとされるヒ
     ト属の個体および同種のヒト属の人類である。
      デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市バ
     ルナウルから約150km南方に位置する。
      Homo sapiensの亜種とされることが多い。
      ネアンデルタール人と並んで、我々現生人類
     であるホモ・サピエンス・サピエンスに最も近
     い化石人類である。
      また、現生人類の一部(メラネシア人など)
     と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高い
     としている。
      マックス・プランク進化人類学研究所の研究
     チームは、発見された骨のミトコンドリアDN
     Aの解析結果から、デニソワ人は100万年ほど前
     に現生人類から分岐した未知の新系統の人類と
     発表した。
.
紀元前11万年、気候が冷涼になった。
  約11万年前には気候が涼しくなり始めた。
.
紀元前9万年~紀元前8万年、日本列島での人類の足跡は、
 9〜8万年前(岩手県遠野市金取遺跡・中期旧石器)に遡
 (さかのぼ)る。
  この時代に属する遺跡は、日本列島全体で数千ヵ所と
 推定されている。
  地質学的には氷河時代と言われる第四紀の更新世の終
 末から完新世初頭までである。
  (参考)更新世:こうしんせい、地質時代の区分の一
     つで、約258万年前から約1万年前までの期間。
      大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷
     期・間氷期の氷床の拡大・縮小による海水準変
     動に伴って、海岸線の位置が移動した。
      更新世の後期では海水準にして百数十メート
     ルの変動があった。
      海水準が低下した時期は、現在浅い海である
     海域の多くが陸地となっている。
  また、日本列島は、氷床によって大陸と陸続きだった。
  完全に渤海は氷床に埋まり、また、黄海も完全に氷床
 に埋まり、東シナ海も北半分は氷床に埋まっていた。
  また、対馬海峡も氷床で埋まり、台湾も大陸と氷床で
 埋まり地続きだった。
  人類は容易にこの氷床上を歩いて日本に渡って来れた。
  また、樺太と大陸は地続きで、樺太から北海道、本州、
 四国、九州は、氷床があり歩いて渡れる状態にあった。
.
紀元前6万年、現生人類(ホモ・サピエンス)が東アジアに
 到達した。
  アフリカを出た私たちホモ・サピエンスの祖先は、5
 万年前〜6万年前頃には、東アジアにまで到達していた
 と考えられている。
  研究者の多くは、4万年前頃に、旧石器時代の遺跡が急
 激に増えることから、現代人につながる人々が少なくと
 もその頃に日本で暮らしていたと考えている。
  ところが、実際は、さらに古い遺跡も見つかっている。
  岩手県遠野市では、8万5000年前~5万年前と推定され
 る遺跡が見つかり、石器も出土している。
.
紀元前6万年、板状の木製品が出土した。
  板状の木製品は、明石市西八木遺跡で、約6〜5万年前
 の砂礫層の中からハリグワという広葉樹を用いた板状の
 木製品(加工痕のある木片)が出土した。
  この木片は、長さ23.4センチ、最大幅4.8センチ、厚さ
 4ミリで、少なくとも2種類の石器で加工されている。
  用途はまだ分かっていない。
  この砂礫層の年代の板だとすると、中期旧石器時代の
 板ということになり、旧人が工作した板ということにな
 る。
.
紀元前5万年、日本の遺跡・竹佐中原遺跡
  長野県飯田市で、竹佐中原遺跡が発掘調査された。
  この遺跡の4カ所の石器集中地点から800余点の遺物が
 出土した。
  石器包含層の堆積年代を自然科学分析(火山灰分析、
 植物珪酸体分析、炭素14年代測定法、光ルミネッセンス
 年代測定など)した結果、3万年より古く、5万年より新
 しいことが分かった。
  4か所から出土した石器は、2グループに分けることが
 でき、一つは3万年〜3万数千年前(後期旧石器時代の初
 め頃)、
  もう一つは、3万数千年前〜5万年前のものであること
 推測された。
  つまり、中期旧石器時代から後期旧石器時代へ移り変
 わる時期の遺跡とされた。
.
紀元前4万年~紀元前3万年、日本列島で世界最古の磨製石
 器が作られていた。
  氷河期に日本列島は大陸と陸続きになり日本人の祖先
 は獲物を追って日本列島にやって来たとされてきたが、
 近年の研究では、氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海
 峡には海が残り陸続きにならなかったことが分かってき
 た。
  また、舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島
 産の黒曜石が関東地方の後期旧石器時代の遺跡で発見さ
 れていることなどから、「日本人の祖先は舟に乗って日
 本列島にやってきた」という研究者の発言も新聞で報道
 されている・・しかし、この時期には、船の遺物は発見
 されていないため少数の意見である。
  一方、約4万年前の後期旧石器時代早期より黒曜石の採
 掘が続けられた栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群では、
 知的で効率的な作業の痕跡も確認されている。
  また、4万年〜3万年前には、世界最古の磨製石器が製
 作されており、すでに日本では独自の文化が形成されて
 いたことが分かった。
.
紀元前4万年、ナウマン象の骨製品
  長野県の野尻湖遺跡で、約4万年前の地層(日本考古学
 用語では「土層」とも言う)からナウマン象の骨製品が
 まとまって発見された。
.
紀元前3万8000年、野尻湖湖底遺跡
  約4万年前の旧石器時代の人々が狩猟した動物を解体す
 る場所であったと推定されている。
  長野県上水内(かみみのち)郡信濃町野尻にある遺跡。
  野尻湖は、斑尾(まだらお)山と黒姫山に挟まれた標高
 約650mの高原に位置し、遺跡は湖西岸の立ケ鼻という岬
 付近の湖底に所在する。
  1948年、地元住民が偶然ナウマンゾウの臼歯を発見し、
  1962年から湖底や湖畔の発掘調査が始まり、以後、継
 続的な調査が行われている。
  ナウマンゾウやオオツノジカなど大型哺乳類の化石、
 ニホンジカ・イノシシなど中・小型哺乳動物の化石とと
 もに、剝片によるナイフ形石器、象牙を加工した骨角器
 などが出土し、約4万年前の旧石器時代の人々が狩猟した
 動物を解体する場所であったと推定されている。
  最終氷期以前に渡来したと見られる哺乳動物の化石は
 野尻湖湖底遺跡はじめ各地から報告されており、そうし
 た動物を追って大陸の旧石器人が日本列島へ移動してき
 た可能性は考えられる。
  つまり、原人段階の人類が残した旧石器文化の存在さ
 えも想像される。
  この期の遺跡の調査例は少ない。
  石器や生活道具類が発見される程度である
  野尻湖で狩りが行われた決定的な証拠はまた発見され
 ていないが、骨製品がその可能性を示唆している。
  ちなみに、ゾウ1頭の肉で50人の集団が45日分のカロリ
 ーを確保できたと推定されている。
  縄文時代の人々にとっては、植物採取が食料獲得の中
 で大きな比重を占めていたが・・、
  旧石器時代の人々にとってはどちらかというと狩猟が
 主体であったようだ。
  旧石器時代人は、主として狩猟によって食糧を得てい
 たと言える。
  当時の遺跡からは、野牛・原牛・ナウマンゾウなどの
 大型哺乳類の骨、ニホンシカ、イノシシ、ノウサギなど
 の中・小哺乳動物の骨が発見されている。
  そして、大型哺乳動物を解体する作業場となるキル・
 サイトも発見されている。
  このように、旧石器時代人は、大型哺乳動物を追う狩
 人たちであったと思われる。
  竪穴住居跡を伴う遺跡がほとんど発見されていないの
 は、旧石器時代人がキャンプ生活をしながら移動を繰り
 返していたからだとも推定されている。
  当時は数百kmにも及ぶ距離を移動していたという。
  この様な大きな移動量は、日本人の形成に於いて、北
 海道から沖縄まで、長い歴史の中で、その血の混合が均
 一になされていた。
  日本の旧石器文化が、シベリアとの強い関連性がある
 ことが分かっており、そのシベリアで固定式のヤスや離
 頭式の銛頭(もりがしら)が見つかっている。
  その移動の広さは想像以上である。
  日本は、酸性土壌のため人骨や獣骨が残りにくいが、
 日本でも同様の道具を用いて刺突漁を行なっていた可能
 性がある。
.
紀元前3万3000年、日本列島の後期旧石器時代は、約3万5000
 年前に始まり、縄文時代へと移行する約1万5000年前まで
 の約2万年間続いた。
.
紀元前3万年、沖縄の洞穴で発見された子供の骨は初期現代
 型新人の特徴に一致する。
  沖縄県那覇市山下町第一洞穴遺跡で、1968年に発見さ
 れ・・、
  約3万2000年前とされる6〜7歳の子供の大腿骨と脛骨で、
 国内では最古級の人骨である。
  最近の検討によると、初期現代型新人の特徴に一致す
 るという。
.
紀元前2万8000年~紀元前1万1000年、後期旧石器時代
  後期旧石器時代は、コナラ、クリ、クヌギを主体とし
 た落葉広葉樹林が西日本から東日本を覆うようになった。
.
紀元前2万8000年~紀元前1万年、日本の後期旧石器遺跡が
 4000ヶ所を超える。
  1949年(昭和24年)に、相沢忠洋が、岩宿(現・群馬
 県みどり市)で関東ローム層中から旧石器を発見した。
  日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。
  現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が
 確認されている。
  これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1万2000年前
 の後期旧石器時代に残されたもの。
.
紀元前2万7000年、地球の寒冷化が進行する。
  2万9000年前を過ぎる頃から、地球規模で急激に寒冷化
 が進行し、約2万5000年前を前後する頃には最終氷期最寒
 冷期を迎えた。
.
紀元前2万年、この頃、海面が最も下がった、現在より120
 メートルも低下していた。
  本州と四国、九州、それから屋久島、種子島も陸続き
 で、また、ロシアと北海道も陸続きで・・、
  縄文人の祖先たちやマンモスは、ユーラシア大陸から
 歩いて日本にやって来た。
  この頃は、黄河の河口が、現在の韓国の済州島の南あ
 たりにあり、黄河の水が、狭くなった対馬海峡から日本
 海に流入したことによって、日本海が淡水化していたこ
 とが分かっている。
  その為、新潟は、今、おいしい海産物があるが、2万年
 前は、日本海がほぼ淡水だったため、魚はほとんど採れ
 なかった。
  また、関東平野は、海面が下がったことで、深い谷が
 たくさん出来ていて・・、
  関東平野にできたその大きな谷に、7000年前の海面上
 昇で海水が流れ込んで来た。
  その7000年前の海面上昇は、関東の内陸部、例えば、
 川越あたりから貝塚が発見されていることからも明らか。
 (明星大学教育学部・長谷川裕彦准教授)
.
紀元前2万年、最終氷期の寒冷期で、海面が120メートル以
 上も低下していた。
  現在から、約2万年前の最終氷期の最寒期には、海面は
 全世界で120m以上も低下しており・・、
  日本列島も、津軽海峡の一部、宗谷海峡、瀬戸内海の
 大部分などが陸続きで、アジア大陸ともつながり、現在
 の日本海は、ほとんど塩湖だったと推定されています。
  このとき、多くの動物が渡来し、日本の生物相に大き
 な影響をあたえました。
  最終氷期の最盛期である約2万年前の植生は、北海道南
 部から中央高地にかけては亜寒帯性針葉樹林で・・、
  それより西側は温帯性針葉・広葉の混交林が広範囲に
 拡がっていった。
  暖温帯広葉樹林である照葉樹林は、西南日本の太平洋
 側沿岸の一部と南西諸島に後退していた。
  約1万年前からの完新世になって、平均気温が高くなり、
 海面が上昇し、現在の海陸分布ができあがった。
.
紀元前2万年、日本最古の後期旧石器時代の住居跡。
  日本の住居跡遺跡が整った形で発見された。
  大阪府藤井寺市の「はさみ山遺跡」で、約2万2000年前
 の極めて形の整った径6メートル、深さ20センチメートル
 の円形竪穴住居が発見された。
  外周に柱穴を持つもので、径10センチぐらいの材を20
 本近く斜めに立て並べ、中央で簡単な組み木を施し、そ
 の上を草や皮で覆った構造が考えられる。
  この住居跡は、構造がよく分かった上にサヌカイト製
 のナイフ形石器や翼状剥片が、約200点も一緒に出土した。
  (参考)サヌカイト:讃岐岩(さぬきがん、サヌカイ
     ト)は、名称のもとである香川県坂出市国分台
     周辺や、大阪府と奈良県の境にある二上山周辺
     で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。
  調理・暖房・採光のための石囲炉、地床炉、土坑炉な
 どがあり、熱のために赤色化していたことで、火が使わ
 れていたことが分かる。
  土坑の形態は多様で、貯蔵穴かどうか分かっていない。
  礫群は、こぶし大前後の川原石が径12メートルの範囲
 に数十個以上密集したもので、火熱を受け赤色化してい
 て、調理施設に関連したものと考えられている。
  一個から数個散らばっている配石は、幼児頭大の礫で、
 火熱を受けた後がなく、厨房や作業台に使ったものと考
 えられている。
  そのほか、死者を埋葬する土坑墓が見つかっている。
  死者の生前の装身具や石器・玉などが副えられ、そこ
 にベンガラ(赤色顔料、べにがら)が残っているものが
 ある。
  シベリアやカムチャツカ半島、東アジアでの死者を埋
 葬する習俗が遅くとも2万年前には出来ていたらしい。
  旧石器時代の遺跡は、石器や剥片などの遺物が集中し
 ている箇所が複数、複数の礫群、配石と炉址、住居跡、
 土坑、墓坑などで構成されている場合が多い。
  集落の規模と構成はまだ分かっていない。
  竪穴住居といえば、縄文時代や弥生時代の住居形態を
 想起するが、竪穴住居が旧石器時代に遡っただけでなく
 旧石器時代人が石器だけでなく木を使っていたことが分
 かった。
  木に石器を取り付ければ、鍬・斧・槍・矢・スコップ
 などの生産用具を作り、生産効率を上げることが出来る。
  径10センチくらいなら、今の建築材料の柱の太さとそ
 う変わらない。
  それを20本も、木の柄の付いた斧で木を倒したとされ
 ている。
.
紀元前1万8000年、沖縄県出土の人骨が判定された。
  2010年(平成22年)2月4日、沖縄県教育委員会は、沖
 縄県石垣市白保(石垣島)の新石垣空港建設敷地内にあ
 る白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ)か
 ら発見された人骨について、琉球大学や東京大学などと
 研究を進めた結果、そのうち1点(約8cm×約11cmの20代
 から30代前半の男性の頭頂骨)が放射性炭素年代測定で
 約2万年前のものと分かったと発表した。
  また「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変
 遷に関する総合的研究」の分析では、発見された人骨片
 のうちの右頭頂骨片に対して、20416±113年前(BP)とい
 う推定年代値を得た。
  これは放射性炭素によって直接ヒト化石の年代を推定
 した値としては国内最古のものであった。
.
紀元前1万6000年、浜北人の年代測定の結果
  浜北人は、静岡県浜北市(現・浜松市浜北区)根堅(
 ねがた)の石灰石採石場で、1960年から1962年に発見さ
 れた頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・寬骨・脛骨)の
 人骨化石である。
  上・下2つの地層から出土した。
  それぞれの層から出た獣骨の年代を加速器質量分析(A
 MS)法による炭素年代測定での結果は、上層が約1万4000
 年前、下層出土の脛骨が約1万8000年前を示した。
.
紀元前1万4500年、世界最古級の土器が日本から出土した。
  世界でも最古級(約1万6500年前)の土器が青森県の
 大平山元遺跡から出土した。
  旧石器時代の終末に、九州では、豆粒文土器(長崎県・
 泉福寺洞窟)、本州では無文土器が出現した。
  一般に土器は、運搬・貯蔵・煮炊きに使われるが、出
 現期のこの頃の土器の役割はまだ十分解明されていない。
  この青森県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の土器に付着し
 た炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法
 で1万6500年前と出た。
.
紀元前1万4000年、日本列島の旧石器時代は、人類が日本列
 島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6000年前と考
 えられている。
  無土器時代、先土器時代ともいう。
.
紀元前1万年、上部港川人が発見された。
  1967年〜1969年に、1万2000年前のものと考えられる人
 骨(上腕骨・尺骨・寬骨・大腿骨2点・脛骨2点・距骨・
 第1中足骨)の断片が発見された。
  これは、日本本土で多く発見されている縄文人の骨格
 的特徴によく似ており、上部港川人と呼ばれている。
  港川人は、沖縄県八重瀬町(旧具志頭村)港川の海岸
 近い砕石場で発見された。
  港川人は、1万8000年前(旧石器時代)に生きた人骨化
 石に対して発見場所にちなんで付けられた名称で、
  1967年に発見された港川人の人骨は、約1万7000年~
 8000年前頃のものと推定された。
  国内で発見されている更新世化石人骨の中で体全体の
 形が分かるほど残っているのは港川人だけであることも
 あり、日本人のルーツを研究する上で重要な資料とされ
 ている。
  頭蓋骨は現代人よりも少し大きく、堀が深い顔立ちで
 頬骨がはり、鼻筋が高い。
  縄文人と似ている特徴をもつこの港川人は、人類の謎
 を解き明かす上で、非常に重要な存在と考えられており、
 今後、更なる調査が行なわれている。
.
紀元前5000年、気温上昇により海面が上昇した。
  縄文時代前期の7000年前、今より気温は2度、海面は2
 メートル高かった。
     ・
     ・
     ・
2018年、日本の主食の米が、いざという時に、日本人の食
 を助けてくれる米が、今、そのシステムが働かないよう
 になろうとしている。
  2018年から、その様な自体になるだろうと予測されて
 いた。
  日本は、食糧における安全・安保のために、政府は、
 米という穀物は、日本人の命の糧とした政策をとって来
 た。
  しかし、圧力を受けて、その政策を放棄した。
  米への圧力と言えばTPPでも攻められていた。
  「日本の生命線だから・・」という説明に耳を貸さな
 い態度を見て来た。
  近い将来、人口と、その人口のための食糧のバランス
 が不安定となる事が確実視されている。
  現在、日本は、長い間、国民の食の安定・安全・安保
 を担ってきたシステムを、制度を止める。
  2018年をもって終了としている。
  どこのファミリー・レストランでも、家族連れの方々
 が、楽しそうに食事をされているが、その食のシステム
 が変わる。
.
2020年代、アメリカを越える中国・・
  CIA(中央情報局:アメリカ合衆国の大統領直属の
 情報機関)と、
  ペンタゴン(アメリカ国防総省)と、
  アメリカ国務省は・・予測する・・、
  「今後、20年間の『中国』の経済成長率と軍事予算成
 長率は・・、
  アメリカの経済成長率と軍事予算成長率を、はるかに
 越えるだろう」・・と。
  そして、2020年代になると・・、
  東アジア地域における、米中の経済力と軍事力バラン
 スは逆転し、
  「アメリカは、いずれ、東アジアからの撤退を余儀な
 くされる」・・と・・、
  この予測通りだと、日本の「アメリカ追従政策の破綻
 (はたん)」が起きる事態となる。
  伊藤貫氏と日下公人氏の対談の本を参考にして記すと
 ・・、
  ニクソン大統領とフォード大統領の両政権で国務長官
 を務めたキッシンジャーは言う・・、
  「戦争に敗けて・・敵に占領された国には、二つの対
 応策しかない」・・と、
  その一つは、「占領軍に対して、長期間の徹底的な『
 ゲリラ戦』を実行する」、
  そして、その二つ目は・・、
  「眼先の利益と、安全を確保するため、占領軍に協力
 し、服従するコラボレーショニストになる」・・と・・
  「日本は、二つ目だ」とは明言していないが、そのニ
 ュアンスを込めた発言となっている。
  せっせと服従し、恭順の意を示していれば、そのうち、
 占領政策を緩めてくれるかもしれない。
  一つは、国家の「ディ・レジティマタイゼーション」
 で、国家がレジティマシー(正統性)を失うという意味。
  かつて戦争相手であった・・戦勝した敵の押し付けて
 来た憲法や法律、行政制度、教育制度、歴史解釈など、
  敗北した国は・・「道徳的に劣悪な国」であり、
  戦勝国は・・「道徳的に優越した正義の国」であると
 いう歴史解釈を押し付けられて・・使う。
  敗戦国家の国民は、「なんだ、自分の国は、占領軍の
 言いなりになっているだけの追従の似非(えせ:似て非
 なる・・正しいものに為り得ぬ)国家か・・?」・・と
 思うようになる。
  外見は「立派な独立国」で、「経済大国」のように見
 えたが・・???
  本音は、まったく違って、ただ・・ただ・・この国は、
 戦勝国に服従している・・「属国にすぎない」・・と。
  周りの国まで、口には出さないけれど・・その国を蔑
 (さげす)む。
  国家のクレディビリティ(信憑性、信頼性、確実性)
 や、正統性を・・半端にしか見ない。
  その点での尊敬など受けない。
  国家の「ディ・モラライゼーション、de-moralization、
 士気喪失」の弊害が起きる。
  国民が士気を失う。
  「モラール(士気、気概、競争心)」を失う。
  (参考)士気:しき、戦いに対する軍隊の意気込み。
     転じて、一般に、人が団結して物事を行う時の
     意気込み。
  「戦勝国の顔ばかりうかがう国」と、劣等意識を植え
 付けられる。
  国への忠誠心も阻害される。
  国のためより、自分のための・・国民になる。
.
2020年代、アメリカが、経済的に、また、予算的に、その
 緊迫する状況から・・、
  アメリカの軍事費は・・明らかに・・現在の状況を維
 持できなくなる。
  「アメリカに頼っていれば大丈夫」・・は、崩れる。
  「日本の安全は大丈夫」に、危険のランプが灯(とも)
 る。
.
2020年代、この年代に、アメリカの青少年の『過半数』は、
 有色人種(非白人〉に・・なる。
  2042年頃、アメリカの有色人種が、アメリカ人口全体
 の『過半数になる』。
  今、アメリカ白人の平均年齢は42歳、ヒスパニックの
 平均年齢は26歳。
  アメリカの白人女性は、1人当たり1.7人の子供を生む
 のに対し・・
  (因みに、2.1人以下の場合は人口減少が起きる)、
  アメリカのヒスパニックの女性は3.0人を生む。
  WASP〈白人・アングロサクソン・プロテスタント)
 の支配層は・・少数派になって行く・・
  すべての考え方の前提が崩れ去って行く・・消え去っ
 て行く・・
.
21世紀のこれからの政治は、その国際政治の主舞台は、か
 つての欧州・大西洋から、アジア・太平洋へとシフトす
 る。
.
21世紀のこれから先の風景は・・、
  人口の急増と都市化、
  エネルギー消費の爆発的増大、
  CO2排出量の急増・・これ等のすべての先には地球温暖
 化と異常気象がある。
  海水温が2度上昇すると、台風の強度は2倍になるとい
 う。
  この様な中、世界の趨勢(すうせい)は静かに着実に
 原子力発電へと行かざるを得ない。
  2014年には、160兆円が世界で電力投資されているが、
  2035年には、それが200兆円に達すると試算されている。
  その投資の主要部分が、原子力発電が占めることが明
 白と予測されている。
.
2027年、JR東海のリニア中央新幹線が開業する予定。
.
2034年、日本の人口が1400万人減少すると言われている。
.
2040年、日本の896市区町村が消滅する可能性があると予測
 されている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2018-07-18 03:36 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)602E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)

題:(増補版)602E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年7月~1894年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年7月9日、別子銅山新居浜精錬所の煙害に抗議して、
 農民の850人が、精錬所に対し実力で抗議行動をした。
  その被害農民の方々は、操業停止を求めていた・・
  そして、その要求を実現すべく新居浜分店への襲撃状
 の過激な行動となった。
  会社側は、その被害農地を買い上げることで解決しよ
 うとした・・
  1895年、農民代表は、住友大阪本店と補償交渉をする
   ことになった。
   そこで時の鉱業所支配人・伊庭貞剛は・・、
   「住友家の家名を汚すようなことがあってはならな
   い」と、足尾の二の舞を避けるべく、瀬戸内海の無
   人島への精錬所移転を計画した。
  1895年、四阪島を買収、
  1896年、着工、
   総費用は、当時、銅山年収の1.5倍以上に相当する170
   余万円を要した・・しかし・・
  1899年、別子で大洪水が発生、設備半壊、500名が死亡
   する大被害があり・・四阪島への移転は2年遅れて・・
  1904年、操業開始となった。
   移転してみると・・期待に反して被害は減らず、む
   しろ汚染地域が拡大した・・、
  1908年には、米麦とも収穫量が激減した。
   愛媛県会は、県知事と農商務相への陳情決議と被害
   救済建議案を全会一致で可決した・・、
    愛媛県選出代議士も連署して除害命令と被害救済
   建議案を衆議院に提出した・・、
    被害郡の町村長も、連署して上申書を農商務相へ
   提出した・・、、
    自治体関係者は、こぞって農民側に立ち大会社・
   住友を追求した。
    しかし、被害の補償額を巡って折り合いは付かな
   かった・・、
  1910年、農商務相の調停で、煙害賠償金の支払いと、
   農作物の生育に重要な期間に、10日間の操業停止が
   決着した。
    政府は、日立、小坂銅山など全国的に激しくなっ
   てきた鉱毒問題に対処するため鉱毒予防委員会を設
   置した・・、
    その専門家の政府指導で・・
  1915年に、建設費35万円で、低い煙突6本を四阪島に
   設置した・・しかし・・これも効果無く失敗・・、
    その後、高い煙突を建てたり、電気集塵機を導入
   して排ガス浄化に努めた・・が・・効果は薄く・・、
  1939年、やっと解決策が出て来た・・
   SO2(亜硫酸ガス)中和工場(脱硫)完成により、
   ようやく賠償金を大幅に減らすことができた。
  住友鉱業の煙害では、足尾鉱毒とはまったく異なり、
 被害農民は県、国、会社に強く訴え、会社側の対応を引
 き出し・・、
  会社側は、被害防止に前向きな対応を図っていた。
  支配人・伊庭貞剛は、煙害を受けた銅山周辺に植林を
 積極的に進め・・今では緑が回復している。
  (この植林事業が、今日の住友林業の元になる)
  田中正造は、足尾に比べて前向きな住友の対応を評価
 した。
  しかし、技術的な知識不足から多額の費用をかけた移
 転、低煙突建設ともに効果がなく、
  1939年までに、被害農民に支払った賠償金等は総額730
   万円に上った。
  (参考:西田進氏HP、http://www.nishida-s.com/index.html
.
1894年7月12日、イギリスの調停案も拒否し・・金玉均も
 暗殺するという清・・その清との日清の会談も決裂し、
 小村公使が、清国政府に第二次絶交書を手交した。
  清の軍人・袁世凱は、朝鮮で画策して、朝鮮国王の名
 で清国の出兵を要請させ・・
 (まったく、朝鮮は、自主独立しているという状態では
 ない状態)、
  清は、表面は美しくして出兵しているが、実態は、朝
 鮮を操作するという状況だった
  清の出兵は、1894年6月8日に清は軍を出兵させ、牙山
 に上陸させた・・
  (日本に通知してから行動する・・という条約は、無
 視され・・事後報告の状態だった)
  この様に中国・清の工作員の軍人が横行する朝鮮の状
 態で、清のやりたい放題だった。
  日清間では、撤兵問題も話し合われたが、宋主権を持
 つという意識の清は強く、話し合いは紛糾した。
  開戦せざるを得ない状況が出て来て、日本は、開戦に
 当たって、イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・ロ
 シアなどの関係各国に対し、清国に対する開戦を通告し
 ている。
  現在の中共(中華人民共和国)も、ある意味、この時
 の様な冊封体制下の様な振る舞いをしている・・(北朝
 鮮は、完全に冊封体制下に置かれて、朝貢しているがご
 とくとなっている)・・そして、覇権を誇示している・・
 完全に、現在の北朝鮮は中国への朝貢状態で・・韓国も
 飲み込まれている。
  この時も、この様な状況下にあり、日本は第二次の絶
 交書を手渡した。
  過去には、1886年には、中国・清の誇る北洋艦隊が、
 最新鋭艦の「定遠」や「鎮遠」(当時の日本海軍にとっ
 て化け物のような巨大戦艦だった・・当時の世界最大級
 の大砲を備え、また、装甲も厚く、東洋一の戦艦だった)
 などを連ねて、長崎に示威している中国だった・・
  中国水兵は、完全な優越的態度で、長崎で事件を起こ
 したり・・日本を馬鹿にして暴れ回った。
  そして、そこには、大国・清に侵攻されると恐れてい
 た日本があった。
  日本は艦隊をそろえようにも景気が悪く、予算が不十
 分だった・・長い間、希望がかなえられなかった・・
  しかし、景気が良くなると日本は艦を作って行った・・
 また、イギリスの指導も受けた。
  日本は海軍国と言われるが、当時の日本は、海軍力に
 自信が無かった・・
  山形有朋陸軍大将が、元勲の井上馨へ・・
  「(黄海)海戦に大勝したのは予想外」という意味の
 ことを書き送ったくらいだった。
  その様な実情を知ってか知らぬか、野党は対外硬だっ
 た。
  また、マスコミもこの対外硬の論を張った。
  1894年6月28日、日英間で条約改正交渉中のイギリス外
 相が調停に乗り出す動きを見せた・・更に・・
  1894年6月30日、ロシア公使ヒトロウォは陸奥と会談、
 「ロシア政府は、日本が朝鮮政府の日清両国の撤兵とい
 う希望をうけいれるよう勧告し、かつ日本が清国と同時
 撤兵をうけいれないならば、日本政府は重大な責めを負
 うことになる旨忠告する」と申し入れた。
  これで日本側の開戦気運には一気にブレーキがかかっ
 た。
  1894年7月2日、陸奥はヒトロウォにつぎのように回答
 した・・、
  「日本政府は、東学反乱の原因はのぞかれていないし、
 反乱そのものもなおまったく跡を絶つにいたっていない
 のではないかと考える。
  日本政府は、反乱再発のおそれがなくなれば撤兵する」
 と・・、
  1894年7月9日、清の総理衙門総領大臣(外務大臣に相
 当)慶親王が、「日本の撤兵が先だ」としてイギリスの
 調停案を拒絶した。
  1894年7月10日、ドイツとの対立を重要視していたロシ
 ア本国政府は、これ以上朝鮮問題に深入りすることを禁
 じていた・・さらに・・、
  1894年7月10日の同日、駐露公使・西徳二郎より、これ
 以上ロシアは干渉しない、との情報が外務省にとどいて
 いた。
  1894年7月11日、伊藤内閣は、清の調停拒絶を非難する
 とともに、強引なる主張ばかりをする清・・、
  その清との国交断絶を表明する「第二次絶交書」を閣
 議で決定した。
  1894年7月12日、そして、この第二次絶交書を手交した。
.
1894年7月16日、ロンドンで、日英通商航海条約の締結が
 なされた・・
  外務大臣の陸奥宗光が調印した。
  この条約によって・・領事裁判権が廃止され・・、
  関税率が引き上げられ、関税自主権の一部を回復した・・
  安政五カ国条約以来の不平等が、やっと修正されて・・
 日本の法権が回復したのだった。
  そして、この日英通商航海条約の調印は、日本の朝鮮
 での行動を、また、行為を、「イギリスが認めた」とい
 うことを示していた。
  イギリスには、過激な侵略的な動きをするロシアに対
 する恐れがあった・・
  この面での日本の行動に期待していた・・
  ロシアに対する防壁としての日本の役割に期待してい
 た。
  朝鮮では・・朝鮮の東学党の乱を契機として、日清間
 に緊張が発生していた。
  この日英通商航海条約の締結の後、他の欧米諸国とも
 同様の条約を調印し、日本の国際的地位は飛躍的に向上
 した。
  日清戦争の始まる直前の、この日英通商航海条約が調
 印されたことは・・江戸期からの悲願の差別の条約が、
 やっと、改正されたのだった。
  日本の内地を開放する代わりに、治外法権が撤廃され
 た。
  その後、日清戦争に日本が勝利すると、アメリカをは
 じめ各国も治外法権の撤廃に応じた。
  やはり、国力が付かないと、日本の弱みに付け込んで、
 日本を認めないという状況のアメリカなどだった。
  関税自主権の回復は、日本が、日露戦争に勝利した後、
 5年を経た、1911年に、アメリカは、やっと認め、日本の
 悲願は達成した。
  岩倉使節団の交渉から「40年の月日」が経っていた。
  陸奥宗光は、不平等条約「治外法権の撤廃」に粘り強
 く交渉を重ねた。
  日本は、この不平等条約に苦しんでいた。
  その事例一つが、和歌山県沖のノルマントン号事件だ
 った。
  イギリスの罪を問うことが出来なかった。
  まず、この治外法権のため、事件の裁判を担当したの
 がイギリス人判事だった・・
  そして、イギリス人乗組員のほとんどが「無罪」とな
 ってしまった。
  この様な不平等条約の改正を、この年、1894年、つい
 に、イギリスとの間で、治外法権の撤廃に成功した。
  そして、陸奥の目論見どおり、大国のイギリスが改正
 に応じたため、他の国々もあとに続き・・、
  15か国から治外法権の撤廃を勝ち取った。
  そして、この調印直後、日清戦争が始まった。
  1894年8月1日、この日に、日清両国は宣戦布告した。
  欧米列強の奪い取りの世界が演じられてきたアジアの
 世界の中で・・、
  ただただ、その無節操な奪い取りの世界の中で・・、
  日本の周囲の国々・島々、また、東シナ海沿岸の大部
 分など・・、
  また、日本の北や南に広がる主要な島々が、ことごと
 く列強の手に落ちるのを日本は見て、鳥肌の立つほどの
 恐怖感を感じないではいられなかった。
  そして、日本も、列強諸国による不平等条約があって、
 それに縛られるという「半植民地の様な国家の状態」だ
 った。
  その様な領土をあさる列強に取り巻かれている日本の
 姿・・、
  列強各国は、日清戦争で、日本が敗北するだろうと予
 測していた・・
  それだけ、清の力は強く、日本は弱小とされていた(
 長崎での事件などで清に馬鹿にされている日本だった)
  列強諸国は、「アジアの中心は中国だ」と見ていた。
  結果は、日本の勝利だった。
  列強諸国は喝采した。
  そして、日本に対する彼ら列強は、日本での特権を相
 次いで放棄した。
  これを逆から見れば、この列強諸国は、日本が負けれ
 ば、日本を蔑(さげす)み、また、不平等条約は、その
 ままにして、日本からうまい汁を吸い続けただろう。
  この様な状況の日本の解放と共に、朝鮮も中国から初
 めて解放された。
  独立国となれた。
  そして、中国文明より低い国と侮(あなど)られた列
 強諸国の蔑視の視点も変える事が出来た。
.
  (今日の言葉)
.
  題:自分だけが・・良い子にならないように・・
.
約4万年前頃~約4400年前、アフリカから始まった人類の拡
 散~偉大なる人類のうねりが世界へ・・そして・・
  日本人は、遠い遠い昔のこの頃、旧石器時代から縄文
 時代の中期と言われるこの頃・・日本人の大陸からの移
 動がなされていた。
  この頃、大陸と日本列島は地続きだった・・そんなそ
 んな遠い昔、大陸から移動して来た日本人が形成がなさ
 れて行った。
  その長い間の長い長い期間、日本列島に於いて、血は
 混ざり合い、そしてまた、混ざり合い、その混血によっ
 て日本人の形成はなされて行った。
  アイヌの方々の祖先も、琉球の方々の祖先も、その仲
 立ちの本州などの島々の祖先も、その混血によって形作
 られて行った。
  そんじょそこらの数百年の歴史しかない国々とは訳が
 違っている。
  数百年の歴史しかない者たちが、数万年の歴史を持つ
 先住民の方々を殺戮して出来たような国とは訳が違う。
  オーストラリア・ラテンアメリカ・カナダ・アメリカ
 合衆国などとは訳が違う。
  日本列島の遺跡を分析してみても、その文化が混ざり
 合っていく経緯が分かる・・
  日本列島への渡来のルートは、ユーラシアの各地から
 さまざまなルートで日本に流入した。
  特に、1万2000年前までは、日本は、大陸と陸続きであ
 ったため、流入は容易であった。
  この時の日本人の集団は、狩猟採集を主としていた。
  DNA(デオキシリボ核酸、遺伝子の本体)的には、
 現在の大半の東アジア人とは大きくDNAの異なる集団
 だった。
  この旧石器時代の日本人が、そのまま混血がなされな
 がら、結婚がなされながら縄文人へと発展した。
  (参考)デオキシリボ核酸:DNAと略記され、遺伝
     子の本体であり、真核細胞では核膜に包まれ、
     核の中に塩基性蛋白質であるヒストンと会合し
     た状態で存在している。
  今、分子人類学が進展している・・そのDNAから見
 ると・・母系が辿れるミトコンドリアDNAハプログル
 ープと、父系が辿れるY染色体グループがある。
  ミトコンドリアDNAハプログループの研究によって
 アフリカを人類の起源とする説が証明された。
  そして、その民族集団の移動のルートも辿れるように
 なった。
  日本人のミトコンドリアDNAハプログループで特徴
 的なのはハプログループM7aがある。
  琉球諸島とアイヌに比率が高く本州が少ない分布とな
 っている・・しかし、その一体的な形質が証明された。
  この発生は、台湾付近で日本を最大の集積地(最も頻
 度の高い地域)とし、台湾・日本から朝鮮半島、中国東
 北部へ北上し、北上の上限がシベリアとなっている。
  また、人間の祖先がアフリカを出た後、イランからア
 ルタイ山脈を経由し、「北ルート」で到達したとする説
 と・・、
  インドから東南アジアを経由したルートで到達したこ
 とが分かるという。
  父系が分かるY染色体グループから見ると、最初に日
 本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、4万年前
 ~3万年前にやってきたD1b系統である。
  D1bは、日本に多く見られる系統であり、アイヌ88
 %、沖縄県約50%(4%~56%)、本州約36% (31%~39%)で、
 東アジアではほとんど存在しない。
  日本人を特徴づけるD1bである。
  D1系統は、4万年程前に、二つのグループに分岐し、
 日本列島に至り誕生した(それがD1b)
  ミトコンドリアDNAによる人類集団を類似性を系統
 樹様にして見てみると・・他集団との類似性がみられる
 が・・日本人集団に近いのは中国人集団であり、その次
 にカンボジア人集団であるという結果となる。
  また、日本人集団は、中国人集団、マレーシア人集団、
 ポリネシア人集団などと近縁で、「アジア・モンゴロイ
 ド」としてまとめられる。
  「アジアのモンゴロイド」と近縁なのが「アメリンド」、
 次いで、「オーストラロイド」、「コーカソイド」の順
 で、「ネグロイド」とは最も離れている。
  斎藤成也氏ら総合研究大学院大学により、ヒトゲノム
 中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを
 一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人
 と琉球人を含む日本列島人の大規模なDNA分析が行わ
 れた。
  その結果、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっ
 とも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄
 にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された。
  一体とした民族を裏付ける結果となった。
  今、キリスト教系大学で語られる、アイヌ・琉球人は
 別民族という論は、まったく主観的に主張されているだ
 けで、まったく科学的裏付けのない根拠のない論理であ
 って、結果を見間違っている・・、
  その論理性は、まったく浅い主観的分析で、ある意味、
 感情論的主張となっている・・、
  (何故か?中国が言う「アイヌ独立論」とつながる主
 張の様に感じられる)・・
  (今、キリスト教系大学では、孔子学院など中国との
 つながりが強い行為が行われている)
  (参考)アメリンド:ヨーロッパからの移住民による
     虐殺が始まる以前より、アメリカ大陸に住んで
     いた諸民族の総称。
      狭義では、北米大陸に居住するイヌイットと
     アレウト、さらには、エスキモーを除いている。
      カナダとアメリカ合衆国の先住民(カナダ・
     インディアンとアメリカ・インディアン)をさ
     すこともあるが・・、
      中南米に住むインディアンも含む・・、
      そして、スペイン語でインディオと呼ばれ 、
     その言語は、約160の語群に分けられる 。
      キリスト教系大学で語られる「言語が違えば
     別民族」という論理で行けば、このインディオ
     も160の別民族となってしまう。
  (参考)オーストラロイド:オーストラリア先住民
      (オーストラリア・アボリジニー)とその類
      縁の人種をいう。
       やはり、この人種もヨーロッパからの移住
      人(イギリス)による虐殺に会った。
  (参考)コーカソイド:白色人種、ヨーロッパ人種と
     もいう。
  (参考)ネグロイド:類黒色人種。アフリカ‐ニグロ
     イド・エチオピア人種・コイサン・ピグミー・
     メラネシア人など。
  以上の様な、科学的知識を根拠に持たない者たちが、
 日本国内で、中国の働きかけで、アイヌ独立論を振りま
 いたり・・、
  北海道は無土の地で、人が居なかったと言ったり・・、
  白老町に、100億円もの国民の税金で、アイヌ民族の為
 の箱物を建てるとか・・
  馬鹿馬鹿しい話があちこちで展開している。
  この他にも、いっぱいこの類の無智の話が展開してい
 る日本となっている。
  それよりも、遺伝子的にもまったく別の民族であるチ
 ベット・ウィグル・内モンゴルの民族の方々の地が、漢
 民族というまたく違う民族によって・・まったく関係が
 無い民族によって、奪われようとしている。
     ・
     ・
34年、実質的に「キリスト教を作ったパウロ」は・・、
  この年に、テント職人のパウロは回心する(60年説も
 あり)
  サウロという名前でも呼ばれたこの男が・・本業のテ
 ント作りのかたわら、信仰するユダヤ教の業務もしてい
 た。
  その業というのは、ユダヤ教に敵対する宗派の人たち
 を、上部の組織の許可を得て、捕まえ、そして、突き出
 すという役目だった。
  下っ端役人という所だった。
  捕まえられた者の中には、死刑になるものも、当然、
 多く居た。
  長い間、この役目にあって、当然、多くの人たちが、
 このパウロによって捕まって、命を落とした・・
  その人の数も、決して少ない数ではなかった・・
  多くの人々を死へ追いやったパウロだった。
  パウロも、つくづくこの行為の罪作りな所に嫌気がさ
 した・・
  いつまでこんな罪作りな事をやっているんだろうと、
  ある日、自分を顧(かえり)みる事もあった・・、
  「人の命をとりあげて、自分が生きる」という姿を顧
 (かえり)みる事もあった・・、
  パウロは、ある日、突然、けじめをつける時が来る・・
  この役目の罪作りなところに嫌気がはっきりとさした。
  ここを、当然、キリスト教は美しく書く・・
  「天が一転かき曇り」・・「天からイエスの声が聞こ
 えた」・・、
  『サウロよ、何故、我々を痛めつけるのだ』・・と、
  そして、パウロは、この後、キリスト教を作って行く・・
  宗教を作ることを思い立つ・・、
  この後、まだ、キリスト教ができるまで何十年と、ま
 だまだ、かかったが・・、
  その間、パウロは、ユダヤ教を良く知っていたので、
 そのユダヤ教の正典に書いてある通りのことをやる。
  違う所は、イエスを利用するところだった。
  もしかすると・・何十年か前に、パウロが上部の許可
 を得て捕まえたイエスを思い出したのかもしれない。
  イエス逮捕のきっかけは、パウロがからんでいたのか
 もしれない・・
  パウロが役所に突き出したかどうかは不明だが、パウ
 ロは、何十年も以前のイエスを思い出した。
  パウロは、何十年も経て、作ろうとしたキリスト教に
 イエスを利用しようと思った。
  しかし、パウロは、イエスの生い立ちなどはすべて捨
 てた・・
  ただ、イエスの刑死を利用しただけだった・・
     ・
     ・
1453年、キリスト教の東方正教会の本山のあったビザンツ
 帝国は・・、
  この年に、オスマントルコ帝国に滅ぼされた。
  全盛期のオスマントルコ帝国の領地は、ローマ帝国領
 とほぼ同じという・・広大なものだった。
     ・
     ・
1859年7月1日、横浜港が開港した。
  横浜港は、1858年7月29日に締結された日米修好通商条
 約に基づいて、この日に、武蔵国久良岐郡横浜村に開港
 した。
  いわゆる「安政の開国」による開港五港での開港だっ
 た。
  横浜港が開港すると、欧米の商人は、日本人と筆談の
 できる中国人を、仲介役(買弁:ばいべん、中国で、外
 国の貿易業者との仲立ちをした業者)に伴って横浜に来
 た。
  また、中国人の中には、活版印刷などの新しい技術を
 持つ者も居た。
  そして、明治の初めには、横浜の華僑は、約1000人を
 数えた。
  人々は、居留地の一角、旧横浜新田を造成した地に集
 まって住み、中華街を形成して行った。
.
1894年3月28日、朝鮮の指導者・金玉均が、中国・清によっ
 て暗殺された・・中国・清の横暴な行為だった。
  この朝鮮の指導者・金玉均は、日本の福沢諭吉と師弟
 関係にあった。
  福沢諭吉は、この金玉均に、何かと心配りをしていた。
  金玉均は、福沢諭吉に指導を仰いだ・・、
  金玉均は、遅れている朝鮮の近代化について、福沢諭
 吉に相談した。
  その一つが・・諭吉は、朝鮮に於いて新聞を出す事を
 勧めた。
  そして、朝鮮で使われなくなっていたハングル文字の
 良さを見抜いていた諭吉は、そのハングル文字を使って
 新聞を出す事を勧めた。
  そのハングル文字は、今では、朝鮮では、なくてはな
 らない文字となっている。
  (朝鮮・韓国は、この福沢諭吉に感謝しなければなら
 ない)
  そして、資金のなかった金玉均に、福沢諭吉は、新聞
 用の活字を日本で身銭を切って、自分の金で作らせた。
  そして、それを持たせて、朝鮮へ帰らせた。
  そこまでして、福沢諭吉は、一生懸命に朝鮮の事を思
 っていた。
  この福沢諭吉の一例の様に、日本は、本当に誠実に、
 親切に、朝鮮の事を思って、色々と行動を起こしていた。
  しかし、この金玉均は、朝鮮で横暴な行動をする中国・
 清国に暗殺されてしまう。
  また、ここまでしている日本に、まったく理解を示さ
 ない今・現在の朝鮮・韓国・・、
  今・現在も、朝鮮・韓国は、「なんだかんだ」と色々
 と、日本を貶(おとし)め続けている。
.
1924年、未来の宗教は・・・
  ジョーゼフ・キャンベルの言葉 : 
 「未来の宗教はどうしても仏教に近づいていくだろう」
  (参考)ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell)、
     1904年3月3日~1987年10月30日
     アメリカの神話学者、文学者、講師
     比較神話学や比較宗教学で有名。
  彼の作品は広大で、人間の経験に基づく多面的なもの・・、
  彼の人生観は、しばしば「至上の幸福に従え」という
 文に要約される・・
  1924年、キャンベルは家族とヨーロッパを訪れた。
  船に戻った時、彼は、ジッドゥ・クリシュナムルティ
 と遭遇した。
  彼らは、アジアの哲学について議論した。
  そのことが、キャンベルの長い人生の中でヒンドゥー
 教とインドの思想について興味を持たせるきっかけとな
 った。
  この旅行の直後、彼は、キリスト教カトリックの宗教
 を棄て、キリスト教の活動を止めた。
  すでにラテン語を流暢に話せた彼は、彼の言語の幅を
 広げるため、日本語を身につけようとした。
  (参考)ジッドゥ・クリシュナムルティ:1895年5月12
     日~1986年2月17日、インド生まれの国際的宗教
     哲学者、思想家、教育者
      人は組織、信条、教義、聖職者、儀式によっ
     て真理に到達することはできず、ただ、自己認
     識によってのみ真理を見出すことができると説
     いた。
      「真理は道なき大地にあり、そこに到達でき
     るのはいかなる宗教や教派でもない」
      「物事をあるがままに直視し、自覚により自
     らの置かれた状況を凝視すること」
      すべての物事が、時間的にも空間的にも互い
     の条件付けによって成り立つという彼の考えは、
     仏教の縁起説と同様で、我執を問題とし、ある
     がままの観察による我執からの解放を目指すと
     いう点でも、仏教と基本的なスタンスは同じ。
      インドだけでなく、欧米でも幅広い支持を得
     る・・首座 (仏陀の化身) に任命された。
.
1939年8月31日、朝鮮の新聞である「東亜日報」が・・、
  朝鮮人の業者・女衒(ぜげん、뚜장이)が・・朝鮮の女
 性を、本人の意思に反して、強制的に慰安婦にした罪で
 処罰されたと報じた。
  朝鮮語による・・朝鮮人の記者によって書かれた記事
 で・・朝鮮人の警察官が捕まえて、処罰したという事で
 ある。
  日韓併合中のことで、日本政府が、人道的にも劣ると
 罪を厳しく処罰していたことを明らかに示している。
  今、韓国が、日本を貶(おとし)めようして言ってい
 ることは、完全な嘘でデッチアゲである。
  今、韓国が、日本政府や日本の軍が、慰安婦に強制的
 関与をしていたと言っていることは、まったくのデッチ
 アゲで嘘である・・真実は、その逆で、「取り締まって
 いた側である」・・
  やっていたのは朝鮮人の業者・女衒(ぜげん、뚜장이)
 である。
  韓国よ、嘘を言うのはいい加減に止めなさい!
.
1948年春、表意・表音文字・・
  聞きなれないこの言葉・・この表意表音文字を持つ日
 本民族は素晴らしいのである。
  この文字によって、日本の文化や科学が、輝かしい飛
 躍をして来た・・素晴らしい結果を歴史に残している。
  ただの「表音文字だけで暮らすアメリカ」が、その対
 極にある。
  事例を言えば・・『東』。
  これは、朝、木の向こうに、日が昇って来たところを
 表わしている。
  そして、「ひがし」とか、「とう」とかと読む。
  「ひがし」という音は、日が昇る方向を表わす・・東
 の意味である。
  陽が沈む西は、横に引かれた1本の線が、海の水平線
 で、口の陽が、その水平線から沈んだ状態、縦の2本の
 線が水平線から日が沈んだという意味を表わしている。
  これが「にし」とか、「せい」とかと読み、陽が沈む
 方向の意味の「西」を表わしている。
  「東」も「西」も表意であり、「ひがし」「にし」と
 表音ともなって、その意味を伝え、目的を果たしている。
  だた、その1字だけで、この様な機能を持っている優
 れた文字を持つ日本民族なのである。
  ただ、だらだらと長い英語とは違うのである。
  この様な事を知らずに、GHQのマッカーサーは、日
 本を英語化しようとした。
  英語化されたら、愚民化政策だ。
  日本の学者が、必死に止めたから良かったものを・・
  愚かなアメリカ主体のGHQであった。
  また、こんなに多くの文字を知る訳はないと、日本人
 を馬鹿にしたマッカーサーのGHQは・・テストをした。
  そうしたら・・テストをしたら・・その結果の素晴ら
 しいこと・・日本人の優秀さにびっくりしたGHQ・マ
 ッカーサーだった・・、
  漢字テストの識字率が97.9%というほぼ100%の出来栄
 えの凄さだった。
  世界で最初に書かれた長編小説の作家、それも女性の
 紫式部の「源氏物語」・・
  この深い・・味わい深い意味も、日本語でなければ読
 み取れなくなる。
  因みに、英語に、31文字の単語を発見した時はびっ
 くりした・・
  これでは、日本語だったら俳句ではなく、短歌まで出
 来てしまうと思った・・
  表音文字だけの英語・・順列組み合わせだけの英語・・
 馬鹿みたいに超長い単語が生まれてしまう・・
  また、因みに、1948年の春、馬鹿なGHQが、日本の
 教育状況と日本語に対する無知と偏見から、「日本語は
 漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりに
 くいために民主化を遅らせている」とした。
  日本を、英語化するべきだとした。
  自分に都合の良い言葉に変えてしまおうということだ
 った。
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1960年代半ば以降、電卓市場には、新規参入が相次いだ。
  大手電機メーカーから事務機器メーカー、計測器メー
 カーまで、最大で40社ほどを数えた。
  電卓競争が勃発した。
  切っ掛けは、アメリカ半導体メーカーのテキサス・イ
 ンスツルメンツの8桁の電卓用のLSI(大規模集積回路)
 を標準化し、各社に売り込んだ。
  1971年に、5万円を切る電卓が世に出回ると、カシオは、
 すぐさま、3万8700円の『ASー8』という機種を売り出
 した。
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1972年、国内ボウリング場がピークだった。
  2016年の4倍の約3700店があった。
  1970年には、ボウリングの女子プロボウラーの中山律
 子さんが、初のパーフェクトと達成した。
  1970年代前半は、日本は、空前のボウリングブームに
 湧いた。
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2014年7月30日、ウイグル人虐殺、ヤルカンド県大規模虐殺。
  国が奪われつつあるウイグル・・漢民族による虐殺が
 起きている、続いている・・
 ヤルカンド民衆蜂起その1:7月28日早朝、ヤルカンド県
  イシュクル郷警察署と政府が幾つかの集団の襲撃を受
  けた。
   その後、漢民族・中国の治安当局は襲撃集団を武力
  で弾圧した。
   その後、当郷に属する14、15、24村の村民が蜂起を
  起こし、手に棍棒、斧などの物を持ち村役所、中国人
  移民の商店などを襲撃した。
 ヤルカンド民衆蜂起その2:7月30日、漢民族・中国の当
  局は、イシュクル郷周辺を包囲し、蜂起に参加した民
  衆を徹底弾圧した。
   RFAウイグル語放送は現地情報として、すくなく
  てもおよそ120人が死亡と伝えた。
   死者の詳細が不明なのである。
   今、ヤルカンド県全域に非常事態令が敷かれた。
   外部との通信は全て遮断された。
 ヤルカンド民衆蜂起その3:7月30日、ウイグル農民が、
  大規模蜂起を起こすのは1990年4月のアクトゥ県バレー
  ン郷農民蜂起が起きて以来24年振りだった。
   当時のバレーン郷蜂起も、結局、漢民族・中国の当
  局に残虐に弾圧された。
   現代のウイグル抵抗運動におけるシンボル的抵抗事
  件として歴史に刻まれた。
 ヤルカンド民衆蜂起その4:7月30日、今回のヤルカンド
  民衆蜂起も、近年における中国政府のウイグル人に対
  する激しい弾圧に対するウイグル農民の大規模抵抗と
  して、24年前のバレーン郷蜂起と同じ歴史的意義があ
  る・・、
   漢民族の中国政府の弾圧に対し、ウイグル人は不屈
  であると、はっきり宣言したと表明した。
 ヤルカンド民衆蜂起その5:7月30日、ウイグル民族運動
  指導者ラビヤ・カディール女史が昨日声明を発表し、
  中国政府に過剰な武力を使わないよう呼びかけ、ウイ
  グル人に対する弾圧政策を直ちに中止することを要求
  した。
   外国メディアによれば、民衆の襲撃は5箇所で同時に
  起き、6時間継続した、という。
   (参考:ニュースソース:毎日新聞)
  2014年8月1日、緊急拡散・・ヤルカンド県で31日約800
 人の蜂起民衆が警察署二箇所を襲い、そこにいる特殊警
 察、武装警察と衝突し、多数の死傷者が出た模様。
  漢民族・中国の中共軍は、カシュガル駐屯の第六機械
 化師団を緊急出動させ、全面虐殺を行ったという。
  また・・下記の連絡がある・・、
  2014年7月28日から、ヤルカンド県及びその周辺地域で
 中国・中共軍、武装・特殊警察部隊による大規模な虐殺
 が行われています。
  真相がよくわからない。
  緊急事態です。
  多くのウイグル人が、老弱男女問わず、殺されていま
 す。
  最新ウイグル語情報によれば、ヤルカンド県の民衆蜂
 起地域(イリシュク)郷などでは中共軍、警察部隊の大
 規模虐殺でウイグル人老弱男女問わず3000人以上が殺害
 された模様。
  このような大規模虐殺が起きたのは、2009年7月5日夜
 起きたウルムチ大虐殺以来です。
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2017年6月、欧州連合(EU)は、昨年(2017年6月)の国
 連人権理事会で、中国の人権状況を批判する声明を準備
 したが、ギリシャの反対で挫折した。
  ギリシャは、2010年の経済危機でEU内で「お荷物」
 扱いされた時、中国に支えられた恩義があった。
  今、EU内の「中国の代弁者」となっている。
  EU内で、中国に代わって主張する者となっている。
  結局、中国の金の勢いで、中国の不正についての正し
 い意見が抑えられるという事態が、EU内で起きている。
  この様な事が、世界中で起きている。
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2018年2月23日、アメリカのFBIが、中国の孔子学院をス
 パイ容疑などで捜査対象とした。
  アメリカ社会の脅威だとした。
  アメリカ連邦議会上院の情報委員会の公聴会で、クリ
 ストファー・ライFBI長官は、アメリカにある中国政
 府対外機関「孔子学院」について、スパイ活動などの違
 法行為に関わる疑いで、捜査の対象にしていると公言し
 た。
  英メディア・ビジネスインサイダーによると、ライ長
 官は公聴会で、複数の孔子学院に対して、中国共産党思
 想のプロパガンダ拡大だけでなく、アメリカ政府関連の
 情報までも違法に入手するスパイ活動にかかわっている
 容疑があり、捜査していると述べた。
  ライ長官は、アメリカ政府機関「中国問題に関する連
 邦議会・行政府委員会(CECC)」の委員長を務める
 マルコ・ルビオ下院議員の質問に応える形で、次のよう
 に述べた。
  「世界におけるアメリカの軍事、経済、文化、諜報力
 を引き下げる目的で、中国は、『国家主導』で動いてい
 る」
 「これを国家の脅威のみならず社会の脅威ととらえ、ア
 メリカは全面的な対応を取る必要がある」・・と。
  因みに、日本にも、何故か?キリスト教系大学の桜美
 林大学に孔子学院がある。
  キリスト教組織と中国のつながりは強い・・、
  この公聴会に出席した国家情報局(DNI)局長のダ
 ン・コート氏も、FBI長官の会頭に合わせて、中国へ
 の危機感を露わにした。
  また、中国による世界的な浸透工作を調べるため、す
 でに複数の機関が調査を行っていると明かした。
  中国は、大量の資金を使って世界のあらゆる面に情報
 工作をしている。
  この様な事は、中国は、昔からやって来た。
  南京事件も、「起きてない南京事件を有るものとして」、
 中国は、大金を使って、世界に喧伝(けんでん、世界や
 世間に言い、はやし立てること)している。
  中国は、初め、起きても無い南京事件を「ある」と言
 い、その人数は2万人と言った。
  その人数は、今、中国は膨らませ、今では、中国は30
 万人が殺されたと言っている。
  しかし、この南京事件は、1938年当時、国際連盟に、
 中国は「2万人」と申し立てた。
  しかし、起きてもいない南京事件に対して、国際連盟
 は、「当然、その中国の申し立てを拒否した」。
  当然、起きても居ない南京事件であるが故に、その中
 国の申し立ては受け入れられなかった。
  しかし、中国は、大量の金を使って宣伝映画を作って、
 欧米諸国へ向けて嘘を発信続けていた。
  結局、欧米社会だけでなく、日本人でさえその中国の
 工作の嘘に巻き込まれてしまう。
  実際は、挹江門事件(ゆうこうもんじけん)の一例が
 ある様に、中国の督戦隊(とくせんたい、中国の自軍の
 後ろで監視し、戦うように仕向ける部隊、だから、逃げ
 る自軍の兵士・中国軍に対してでも撃つ)が逃げるな、
 日本と戦えと、逃げる自国兵を撃ったり(この事件の場
 合、中国・国府軍第36師212団)、乱れに乱れた中国兵や
 一般市民は、揚子江の唯一の南京出口で、我先に逃げ惑
 う市民を数少ない船の取り合いで銃に撃たれるという状
 態・同士討ち状態だった。
  何しろ、肝心な司令部を、アメリカが秘かに参戦して、
 中国軍の味方して、蒋介石や中国司令部を連れ去ってし
 まっていた。
  救出の名の下に、司令部を無くなしていた・・統制の
 効かなくなった中国軍の乱れによって殺された人々があ
 また居た。
  中国は、卑劣にも、嘘の宣伝を欧米諸国にして、ゆが
 められ、捏造された情報が、中国政府の悪意ある工作で、
 さらに深く浸透している。
  それに紛動(ふんどう)された欧米諸国は、故無き間
 違った非難を、日本にするという状況になっている。
  中国政府は、「日本は、卑劣な国家だというイメージ
 宣伝」をしつこくして、世界は「それが真実だ」と思い
 込まされるという状況となっている。
.
2018年7月6日、中国の領土拡大工作
  今、中国が、ウイグルやチベット、そして、内モンゴ
 ルを必死になって自分の領土にしようとしている・・、
  その動きの一端が分かる数日前の記事が、この日の読
 売新聞に載っていた。
  その表題、および、内容は・・、
  「ウイグル族を顔認証・・当局、街中に監視カメラ」
  中国でイスラム教を信仰する少数民族・ウイグル族が
 多く暮らす新疆ウイグル自治区で、監視カメラと最新の
 顔認証技術を使った住民監視が強化されている。
  2009年7月に、区都ウルムチで起きたウイグル族による
 大規模暴動(抵抗)の再来は許さないとの習近平政権の
 断固とした意思を反映した施策だが、変わらぬ強権統治
 にウイグル族の不満はくすぶり続けている。
  (参考)ウイグル族による大規模抵抗:2009年6月、中
     国広東省の玩具工場でウイグル族と漢民族の労
     働者が衝突した事件を発端に、新疆ウイグル自
     治区ウルムチで7月5日、ウイグル族の学生らが
     抗議デモを行った。
      一部が過激化して漢民族・中国の治安当局と
     衝突する大規模な活動に発展し、当局発表で197
     人が死亡、1600人以上が負傷した。
  ・・漢民族主体の当局とウイグル族の衝突は、過去、
 何度もあった。
  中国政府は、「イスラム過激派によるテロ警戒」名目
 でウイグル族への監視を強めている。
  ウイグル族が集まる所、モスクなどの周辺は特に厳し
 い。
  カシュガル中心部の「エイティガール寺院」では、一
 帯に多数の監視カメラと複数の検問が設置されている。
  武装警官が3人1組で頻繁(ひんぱん)に巡回し、緊張
 感でいっぱい。
  マスクをしている記者に、強い口調で、「顔が隠れて、
 いけない」と。
  ウルムチには16万台の監視のカメラが設置されている。
  最新の顔認証技術を使った監視体制となっている。
  事前登録した要警戒人物の顔が認識されると、公安当
 局に情報が瞬時に伝わる仕組みになっている。
  最近、40倍の費用を投入した。
  また、最新技術の導入を急ピッチで進めている。
  街中では、スマートフォンの抜き打ち検査が行われて
 いる。
  保存データーに反政府活動的なものがあれば、即、拘
 束・逮捕される。
  1930年代~1940年代に、ウイグル族を中心にした「東
 トルキスタン共和国」が生まれたが、1949年に、中華人
 民共和国が建国された後、漢民族・中共軍が侵略・進駐
 し、分離・独立の行動が抑えられた。
  1955年に、ウイグル自治区が設置されると漢民族がト
 ップに就いた。
  共産党書記がトップになる制度にされた。
  分離・独立の動きを抑える管理が強められた。
  学校でも中国の標準語が教えられ、独自の言語が無く
 なる方向性にある・・
  また、宗教文化も失われる方向性がとられた。
  漢民族とウイグル族との貧富の差も酷く、深刻な状況。
  天然資源は豊富だが、漢民族の主動で開発がなされて
 いる。
  その恩恵にウイグル族は浴していない。
  街中で、物乞いするウイグル人も多い。
  ウイグル人は収入が少なく、結婚できない状況だとい
 う(ウイグル人が増えては困るため・・)
.
2018年、日本と北朝鮮との関係だって、日本がしっかり対
 応して来なかったからと言うが・・??
  日本にしっかりした国防力の裏付けがあれば、「拉致
 された方々を取り返しに行った」。
  その様な国防力を持たせなかったのが「アメリカ」。
  安全保障条約があるからと、日本を守ってやるからと・・
  そう言ったって、その裏付けで取り返し行動を起こし
 て、その時、アメリカがその安全保障上の支えになるか
 は、不明・・、
  だから、故に、実施に踏み切れなかった。
  こんなことは、今・現代でも同じ・・、
  他国に頼っていては・・らち(埒)があかない・・
  北朝鮮から核ミサイルが、日本にぶち込まれたら・・、
 二発目の核ミサイルを防ぐために、アメリカは、核ミサ
 イルを北朝鮮にぶち込むか?・・否である。
  アメリカは、北朝鮮の核ミサイルが、アメリカの都市
 にぶち込まれることを思ったら、日本のための核ミサイ
 ル使用を躊躇(ちゅうちょ、決心が決まらず、手が縮こ
 まる)する。
  国は、自(みずか)らが守らねばならない。
  これは・・歴史が教えること。
  『国は自らが守れ!』
  直ぐに「非核三原則」を撤廃せよ!
  アメリカから、即、一隻、アメリカ兵付き、核ミサイ
 ル付きで、原子力潜水艦を購入せよ!
  日本に向けての核ミサイルが発射されたら、即、この
 核爆弾が日本に着弾する前に、この原子力潜水艦の核爆
 弾ミサイルが発射されますと宣言せよ!
  その様な・・しっかりした裏付けを持って拉致された
 方々を返せと言い、返す様子が無いならば、即、奪還作
 戦を実施すべき・・、
  日本の将兵の指揮下にある、日本兵とアメリカ兵によ
 る核ミサイルを持つ原子力潜水艦の存在をしっかり相手
 に意識させる・・、
  日本は、もう、通常兵器は不要・・、
  核武装に向かうべきなのだ・・、
  今、世界は、『一方的に消滅する世界』ではないのだ。
  『共に消滅する世界』となっている。
  「瀬戸際防衛」の時代なのだ。
  タイトロープの上を行く世界・・、
  核ミサイルが、1発も落ちて来ないからと安心はするな。
  結局、一旦、ことが起きたら、放射能で、地球上の全
 生物は死滅する状況・・、
  天に唾を吐いた者も・・結局は死がある時代なのだ・・
  営々と何百万年も・・人類が築いてきた長い長い歴史
 が・・終わる時なのだ。
  キリスト教の「シャローム」の教義は、間違いなのだ。
  「シャローム::キリスト教徒以外の誰も居なくなっ
 た後の平和」という状況を求めるキリスト教の教義は間
 違い・・、
  キリスト教は、その様な平和を望む・・、
  キ