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(増補版)683E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)

題:(増補版)683E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
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1898年、出来事:
・第二次松方内閣終了(~1月12日)
・第三次伊藤内閣成立(1月12日~6月30日)
  西園寺公望が、文相となる。
・第5回衆議院議員総選挙(3月15日)
・第一次大隈重信内閣成立(6月30日~10月31日)
  大隈重信を総理大臣、板垣退助を内務大臣とする憲政
 党内閣(隈板内閣)が成立。
・第6回衆議院議員総選挙(8月10日)
・第二次山縣有朋内閣成立(11月8日~1900年10月19日)
・家制度を中心とする明治「民法」の施行(7月16日)
  婚姻年齢は男17歳、女15歳以上
・慶喜公が、幕末以来はじめて参内して明治天皇陛下と皇
 后陛下に拝謁した。
・駐英公使の加藤高明が、日英の同盟の意見を具申した(
 3月26日)
・オーストリア皇后エリーザベトが暗殺された(9月10日)
・康有為が日本に亡命した(10月25日)
.
1898年、世界情勢
・ハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メイン号が爆発し沈没し
 た(2月15日)(米西戦争の一因)・・アメリカ国民の
 方々が反スペイン感情になる絶大なる効果があった(ア
 メリカの謀略という説がある)・・真珠湾と同じように
 国民世論を変える工作をした。
・米西戦争の宣言(4月25日)・・アメリカがフィリピンと
 グアムを領有する。
・米西戦争、マニラ湾海戦(5月1日)
・フィリピンの独立宣言(6月12日)
・アメリカがハワイを併合する(7月7日、マッキンリー大
 統領が議決案に署名した)
・米西戦争、アメリカ軍がプエルトリコに侵攻(7月25日)
・アメリカが、ウェーク島や米領サモアを新領土の植民地
 として手に入れた。
・アメリカでウィルミントン暴動、クーデター(11月10日)
・フランスが、中国から広州湾租借や雲南鉄道敷設権など
 を得た(4月10日)
・イギリスが威海衛と九竜を租借する(99年間の租借権を
 獲得)(6月9日)
・ファショダ事件・・イギリスとフランスがアフリカを取
 り合う経緯の中で起きた(7月10日)
・イギリスがバングラデシュのキク族の反乱を抑え込んだ、
 過酷な税金取立てと徴税がからむ抵抗の反乱。
・ドイツが膠州湾を租借した(2月)
・ロシアが旅順と大連を租借し(3月)、南満州鉄道敷設権
 を獲得する。
・ロシアが満州を占領した(9月23日)
・ロシア社会民主労働党が結成された。
・南イタリアで暴動が発生した。
.
1898年、海外貢献
・日本政府と韓国政府との間に京釜鉄道合同条約が締結さ
 れ、京釜鉄道建設へのみちが開かれた(9月8日)
.
1898年、SDGs活動
・下田歌子ら帝国婦人協会を発起した(11月)
・羽仁もと子が、報知新聞社に入社、『報知新聞』の編集
 者へ(初の女性記者)(12月1日)
.
1898年、データー
・全国銀行数:1,636
 資本金総額:3億3,474万4,230円に達する。
・紡績工場の数:72
.
1898年、物価
・兵士の副食費一日4銭5厘とは…(陸軍)
.
1898年、産業
・神戸港で生糸貿易が始まる(7月12日)
・三菱造船所で日本初の大型汽船「常陸丸」竣工(8月16日)
・豊田佐吉、動力織機の特許を取得(8月1日)
.
1898年、経済・金融
・大蔵省、東京市の卸売相場(25年分から)小売相場(26
 年分から)を毎月公表する(大正12年まで)(7月)
.
1898年、科学・発明・教育
・ピエール・キュリー、マリー・キュリー夫妻がラジウム
 の発見を発表(12月26日)
.
1898年、災害
・渡良瀬川が大洪水となる(9月6日)
.
1898年、交通
・大阪商船、揚子江沿岸航路、上海・漢口線を開設(1月1
 日)
・東海道線、横浜駅~大船駅間が複線開通(8月1日)
・蒸気機関車の燃料として重油を試用
・関西鉄道、客車内に電灯を設備(全国鉄道で最初)(1月)
・自動車がフランス人によって日本に持ち込まれた(1月)
.
1898年、論・文学・本・文化・報道
・正岡子規が「歌よみに与ふる書」を著す。
・勝海舟の「氷川清話」が刊行(10月)
・徳富蘆花、国民新聞に「不如帰」連載を開始(11月29日)
・佐佐木信綱ら短歌雑誌「こゝろの華」を創刊(2月)
・「神戸新聞」の創刊(2月11日)
・岡倉天心らが日本美術院を設立(10月15日)
・西郷隆盛銅像の除幕式(上野公園)(12月18日)
・後藤宙外「新著月刊」挿入の裸体画が告訴される(5月25
 日)(5・30無罪に)
・政府はなにを質問されても「ただいま調査中」ですます。
 便利な言葉だ(東朝)
・大阪歌舞伎座が開場した(2月12日)
・浅草パノラマ館が開館した(3月20日)
 上野パノラマ館が開館した(3月27日)
・三遊亭円朝、「累ヶ淵後日怪談」が真砂座で初演(3月)
・娘義太夫の豊竹呂昇が東京日本橋の宮松亭で初公演(9月
 1日)
.
1898年、スポーツ
・第1回水府流太田派対在留外国人競泳大会(8月13日)
・東京上野で初の国際自転車運動会(11月6日)

1898年、裁判・法
・民法全編施行(7月16日)
・軍艦外務令、艦船類別標準が定められる。
・市町村立学校に学校医を置く旨公布(1月12日)
・地租増徴法案が成立する。
・戸籍法公布(6月)
・葉煙草専売法が施行された(1月1日)
・男どうしの性行為は犯罪とみなす
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1898年、その他
・長崎要塞の建設を始める(4月)
・片山潜、横山源之助らが貧民研究会を結成。
・美保関灯台点燈(11月)
・淀橋浄水場竣工。東京に初の近代水道(12月1日)
・アメリカ陸軍牛肉疑獄(8月1日)
.
  (今日の言葉)
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  題:イギリスでは「白人の責務」、フランスでは「文明化の使命」、
    アメリカでは「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)
.
1444年、奴隷貿易の最初。
  初めて、黒人の方が、白人に奴隷貿易で連行される。
  ヨーロッパ中世において、古代以来の野蛮という観念
 が、キリスト教信仰という宗教の野蛮の観念と融合して
 『キリスト教徒でないものは野蛮人である』という観念
 に洗脳された。
  これが、ヨーロッパ人の野蛮観における一つの伝統と
 なった。
  大西洋側西アフリカ地域での奴隷貿易の開始期にあた
 る1444年、アフリカから黒人の方が奴隷として直接ポル
 トガルへ連行された。
  16世紀のヨーロッパでは、三角貿易に際して「黒人は
 生まれつき奴隷人種である」という主張がなされた。
  ヘーゲルは、「奴隷制度は、黒人たちのもとに人間的
 なものを呼び覚ましたくらいだ」と奴隷制を正当化さえ
 している。
     ・
     ・
1581年2月23日、『信長公紀』には、この日、イエズス会
 の巡察使ヴァリニャーノに随行していたアフリカ人が、
 信長に謁見したと記されている。
  日本の文献史上では、これがアフリカ人についての最
 初の記録。
  信長は、この黒人に差別的な感情は抱かなかった。
     ・
     ・
19世紀、この19世紀には、ヨーロッパ諸国とアメリカによ
 る、中近東、アフリカ、さらに、インドまでの西アジア
 における植民地分割は基本的に終了していた。
  それからは、手つかずに近かった東アジアへ略奪の矛
 先が向かって行った。
  この行為は、日本が中国を打ち崩した日清戦争後、さ
 らに激しくなった。
  新たな利益の地を求めていた列強各国の関心は、意外
 にもろくも崩れた中国がその矛先だと写り、完全に大西
 洋から太平洋へ移っていた。
  ここにロシアも、大きく、その存在を占めるようにな
 った。
  アメリカは、日露の動きを注意深く観察し、漁夫の利
 を得ようとした。
.
1872年、「アメリカの進歩」・・征服の正当化
  この年に描かれた絵で、アメリカ合衆国の西部への進
 出を「文明化」という名のもとに征服する姿を描いてい
 る。
  女神の右手には書物(キリスト教聖書)と電信線が抱えられ、背後には1869
 年に開通した大陸横断鉄道が描かれている。
  19世紀、欧米列強は、自分たちの植民地の卑劣な虐(
 いじ)め支配を、歪曲した言い方で正当化した。
  19世紀は、「重荷を担った白人」とか、「未開民族の
 啓蒙」とか・・という言葉で正当化し、この言葉が新聞
 紙面に踊った。
  20世紀になると「解放」とか、「後進地域の自決権と
 民主化を行なってあげた」となった。
  いずれの時も、自分たちの搾取の行為を、勝手に、ま
 た、都合のよい言葉で正当化し、自分たちの利益を非人
 道的行為で得ていた。
  そして、アメリカは、第二次世界大戦後、日本を「元
 の島国に戻すという方針の目的を持った」。
  また、アメリカは、中国をロシアの対抗勢力にしよう
 と考えた。
  アメリカの勝手な「やり方」だった。
  そして、世界および日本国内へ向かって「日本は、狂
 暴で貪欲だったからだ」と説明し、アメリカは正当だと
 宣伝し洗脳した。
  この思想は、イギリスでは「白人の責務」、フランス
 では「文明化の使命」、アメリカでは「マニフェスト・
 デスティニー」(明白な天命)などと呼んだ。
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1895年4月17日、この日に日清戦争が終わったが、この後の
 1898年3月、ロシアは、日本に三国干渉をして遼東半島を
 返還させ・・ぬけぬけと、その遼東半島の南端の旅順と
 大連を手に入れ租借した。
  そして、ロシアは、そこにロシア艦隊を配備した。
  また、ウラジオストックにも巡洋艦4隻を配備した。
  日本が恐れていたこと「海においても制海権を奪おう
 というロシアの顔」が現れた。
  陸は、すでに、シベリア鉄道を敷き、また、中国から
 鉄道施設権を得て、威圧的な状況を作り出していた。
.
1895年、黄禍論の始まりだと言われる絵が、ドイツで描か
 れた。
  この絵は、ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世が自ら下絵
 を描き、宮廷画家のヘルマン・クナックフスが仕上げ、
 ロシア皇帝のニコライ二世をはじめ各国元首へ送られた
 という唾棄すべき卑劣な軽蔑行為がなされた。
  これが、この後に広まっていく・・
  アメリカやオーストラリアを中心に、19世紀末から、
 「黄禍論(こうかろん)」が広まった。
  根にはキリスト教によって洗脳された「有色人種への
 蔑視観」の考え方があった。
  19世紀でさえ、ヨーロッパ諸国は邪悪な悪魔がアジア
 に住むと思わされていた。
  東方で唸りをあげる邪悪に対峙する様子を描いた絵が
 あった。
  ドイツは、ロシアのニコライ2世をたすけるため、日本
 をターゲットにして、日本の脅威を煽った。
  また、アメリカに警戒すべきはドイツではなく日本だ、
 白人種は共に日本に立ち向かうべきと言った。
  ドイツは、何種類ものプロパガンダのパンフレットを
 アメリカで配布した。
  1895年の作で、白人種に対する「黄色人種の脅威」を
 訴えるという絵画が発端だった・・
  1905年に、日露戦争で日本が勝利すると、黄禍論はア
 メリカで一気に起きた。
  軍事的というより、職を奪われるという経済的理由で
 広まった。
  同時に白人社会に対して野蛮な風習を持つアジア人と
 イメージされ支配されるとした。
  劣等人種のアジア人に白人が交わることも否定された。
  19世紀半ばから、中国人の移民によるコンフリクトが
 この背景にある。
  (参考)コンフリクト: 意見・感情・利害の衝突。争
     い。論争。対立。
  1850年代半ばのゴールドラッシュの時の中国人移民の
 カリフォルニアでスタートする。
  国家単位の中国人入国制限政策の登場は、オーストラ
 リアとニュージーランドで1881年(オーストラリアは1901
 年、移民制限法によって中国人移民を実質的に全面禁止)、
  カナダで1881年。
  1882年、アメリカの排華移民法(中国人排斥法)も、
 太平洋世界の白人多数は社会の中国人低廉労働者の大量
 流入への拒絶反応だった。
  そして、その後に日本人がターゲットになった。
  また、日露戦争後に、アメリカの帝国主義的利益を、
 直接推進する政治家や経済人のみならず、一般の市民レ
 ベルでも反日感情が高揚した。
  その底流には、白人支配体制を崩す「アジアの黄色人
 種の急速な台頭が恐怖だ」という、人種主義的脅威論が
 あった。
  具体的脅威としては、中国人の「大量移民による破壊」
 と、日露戦争に勝利した日本の「軍事力による破壊」で
 あった。
  日露戦争中、ロシアは、卑劣にも、黄禍論を使って反
 日宣伝を盛んに行なった。
  これが、ヨーロッパにも影響を与えた。
  しかし、日露戦争が終わると、その影響も消えた。
  しかし、アメリカでは、逆に、反日機運が高まった。
  サンフランシスコでは、白人と日系人の衝突が頻発し
 た。
  また、1913年には、カリフォルニア州議会が、日系人
 の土地所有を禁止する法律を作った。
  さらに、日本からアメリカへの移民をできなくした(
 排日移民法)
  この様な、日系人に対する差別と侮辱が、戦争の遠因
 として、はっきり存在した。
.
1928年、マザー・テレサ女史(18歳)がインドに赴いた。
  マザーテレサさん(1910年8月26日~1997年9月5日))
 は・・1946年(36歳)に、インドのカルカッタで、ヒン
 ズー教徒の方々が行っている『弱者救済の運動とその行
 動』の中に入って行って、ヒンズー教徒の方々と共に・・、
 弱者救済活動を始めた。
  インドの方々が行なっている「死を待つ人を救済する
 姿」、
  最貧民の方々への救済する姿を見ていて、手を貸した
 いと感じた。
  そのマザーテレサさんの行為が、そのことが、素晴ら
 しい業績となっていますが・・、
 (注):世間には・・キリスト教のプロパガンダ(嘘宣
   伝)だけが、あまりにも声高に叫ばれているため・・、
   真実が・・隠されています。
  初めて、この文を・・読まれた方は、驚かれたと思い
 ますが・・「真実は・・上記なのです」。
  キリスト教は、マザーテレサさんが、アメリカの映画
 に取り上げられ、脚光を浴びた事を知り・・、マザーテ
 レサさんに着目し・・キリスト教の「広告塔」にしまし
 た。
  そして、ヒンズー教の方たちを隠しました。
  ヒンズー教徒の方々は・・まったくと言ってよいほど、
 陰に隠れた状態に・・なってしまいました。
  それでも、インド政府は、マザーテレサさんを国葬に
 して・・マザーテレサさんを讃えました。
  そして・・、
  マザーテレサさんには、「別の業績」がありました・・、
  それは・・、
  「キリスト教の神は居ない」・・と、表明されたこと
 でした。
  マザーテレサさんは・・、キリスト教の神の存在に悩
 んでいました。キリスト教の神は居ない・・と、
  本国の色々な司祭などに・・長い期間、悩みを打ち明
 け続け・・、
  そして、相談をし続けていました。
  その事実は・・隠されていました・・が、
  また、彼女のこの悩みである「キリスト教の神の不存
 在」は、「彼女の死に至るまで」続きました。
  彼女は、死ぬまで、キリスト教の神は居ないと悩んで
 いました。
  このキリスト教の神が居ないという事実を、公表する
 事が彼女の希望であったのでしょう、このキリスト教に
 『不利な事実』・「真実」が公表されました、キリスト
 教の神は居ない・・と・・、
  このキリスト教の神は居ない・・神の死は・・
  今、アメリカに・・、
  「神の死の神学」という人々が居ます。
  この方たちは、キリスト教の『神の不存在を主張」し・・、
 成熟した現代社会・世界の人々は・・、それで十分やっ
 て行けるのだと言っています。
  『古代に発生したキリスト教』・・、
  その様な時代の、古代人とは・・現代人は違う・・と、
 主張する方たちです。
  そして、マザーテレサさんは思っていたと思います・・、
  「神が居ない」と言い続けて、公表に至ったことは・・、
  その行為が、「人類に貢献しうること」・・と、
  そう考えられて居られたから・・公表がなされました。
  また、『キリスト教の神の実在性を主張するそのもの
 が・・人類にとってよくないこと・・よくないもの』・・
 と、
  マザーテレサさんが、そう考えられているから・・、
  この様な、行動が取られたのだと言えます。
 (参考)神の死の神学:
  ニーチェの言葉である・・「神は死んだ」は・・、
  1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリカ
 の神学者たちも使うようになった。
  アメリカの神学者たちは・・現代社会において神は・・、
 人間に・・『リアルな存在ではない』・・という意味で、
 「神は死んでしまった」という意味で用いる。
 1957年に、アメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアン
 は・・『神は死んだ』と題した著書を著した。
 ヴァニハンは・・その中で、無神論を・・『アメリカの
 大衆の生き方である』と、述べている。
  アメリカ人の神学者・トマス・アルタイザーは・・、
 エモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を
 出版する。
  また、アメリカの神学者のウィリアム・ハミルトンが、
 異なった立場から・・、
 1961年に、著書『キリスト教の新しい本質』で・・、
 異なった視点の・・『神の死の神学』を展開した。
 そして、神が居ないと自覚する事で・・、
 人間の主体性が、そして、自律性が・・とりもどされ、
 前の時代の・・神に拘束された非人間性から・・脱却
 でき・・そして、人間らしさが取り戻せる・・と。
.
1941年12月8日、アメリカの論理・・
  アメリカの西部劇で、銃を使うのが大変上手な悪漢が、
 正義の民(銃などほとんどと言って持たない誠実に農業の
 耕作に勤(いそ)しむ農民)に対し、悪口を言いたい放題
 言って、誠実な農民の人格を傷付け、また、農民の愛す
 る家族や友人たちの立場まで傷付けて、誠実な農民を怒
 らせ、そして、先に銃に手をかけたところで、悪漢は、
 使い慣れた自分の銃を素早く抜き、誠実な農民を撃ち殺
 す・・そして、その悪漢は「正当防衛を主張」し、人を
 撃ち殺して起きながら、何も罪に問われない。
  この様な状況が、実際に、アメリカには存在した。
  この様なカラクリが、実際に、国際関係の国と国との
 関係でも起きた。
  それが、アメリカが「奇襲だ」とデッチあげた「日本
 の真珠湾攻撃」だった。
  幼稚なカラクリが行なわれた。
  奇襲でも何でもなかった・・
  奇襲に仕上げたのが「アメリカだった」。
  1週間も前に、ハワイの新聞には「日本が攻めてくるこ
 とが分かっていた記事が出ている」。
  アメリカは、日本の通信などのすべてを傍受していて
 知っていた。
  ルーズベルト大統領は、前日、親しい人に「明日、日
 本が攻めて来るよ」と言ったぐらいだった。
  日本艦隊に先行した日本の潜水艦(潜水艦は遅いので
 先にハワイに到達していた)・・その日本の潜水艦をア
 メリカは5隻も撃沈している・・これを秘密にした・・
 また、「あれは、鯨だ」と言った・・しかし、アメリカ
 は日本の潜水艦の乗組員を一人救助している・・鯨から
 日本の潜水艦の乗組員が出てくるわけはない。
  また、ハワイへ向かう日本の艦隊の無線も傍受してい
 て、逐一、日本艦隊の動きを察知していた・・まったく
 聞いてない振りをした・・このハワイへ向かう日本艦隊
 の海域をアメリカは「真空の海だ」と言った。
     ・
     ・
2012年11月14日、新日本製鐵情報漏洩事件
  新日本製鉄(現:新日鉄住金)が、ポスコ社等に対し
 て起こした裁判・・
  事件の概要・・
  新日本製鉄の有する電磁鋼板に関する技術を、韓国の
 鉄鋼最大手のポスコ社が不正に取得した。
  そして、これを使用したとして、不正競争防止法に基
 づき、上記技術を使用した電磁鋼板の製造販売差し止め
 と損害賠償(報道では約1,000億円)を求めた。
  ポスコ社とその日本法人に対して提訴した・・
  また、ポスコ社による上記技術の不正取得に関与した
 として、新日本製鉄の元社員に対しても、不正競争防止
 法に基づいて、損害賠償(報道では約800億円)を求めた。
  第1回の口頭弁論で・・被告であるポスコ社は全面的
 に争う構えをみせた・・
  報道では・・自社の技術を中国の鉄鋼大手である宝鋼
 集団に売ったとして、ポスコ社がその元社員を告訴した。
  その社員が、裁判にかけられた際、その社員が「流出
 させたのはポスコ社の技術ではなく、新日本製鉄の技術」
 と供述した。
  このことから、ポスコ社による新日本製鉄の技術の不
 正取得が発覚して、この裁判に至った。
  裁判にあたって、新日本製鉄は、裁判所からの証拠保
 全命令に基づいて、情報を流出させたとされる元社員宅
 から証拠書類を差し押さえるなど周到な準備をした・・
 そして、訴訟に踏み切った。
  この差し押さえで、どの程度、証拠が収集できたかは
 不明・・
  「民事事件」で元社員宅から証拠書類を差し押さえる
 というのはあまりない。
  「刑事事件」では、警察や検察が裁判所の令状に基づ
 いて、被疑者の自宅を捜索し、事件に関する証拠を差し
 押さえるということはよくあること。
  また、新日本製鉄は、ポスコ社だけでなく、情報を流
 出させた個人にも約800億円という高額の賠償を要求した。
  仮に、損害賠償が全額認められたとしても、個人が賠
 償するにはあまりにも負担が大きすぎ、実際に回収する
 ことは難しいが・・「他の社員への牽制」の意味が多分
 にあったと言える・・
  因みに・・原告である新日本製鉄と被告であるポスコ
 社は「業務提携関係」にある・・
  新日本製鉄の出版物にも・・
  「当社とPOSCOとは、2000年に戦略的提携契約を締結し
 て以降、研究開発・技術交流・原料調達等多くの分野で
 成果を上げており、現在も提携関係にあります。
  一方、個々の商品分野では互いに競争関係にあり、方
 向性電磁鋼板につきましては、これまで当社より、POSCO
 に対して、当社知的財産権を侵害している等として、警
 告及び請求等を行って参りましたが、問題解決の端緒が
 見えず、今回の提訴に至ったものです」・・とある。
  訴訟が長引けば、両社の業務提携関係にも何らかの影
 響が出ると考えられる。
  新日本製鉄にとって・・「会社にとって大事な技術の
 流出行為、そして、その技術の不正利用行為を許しては
 ならない」という思いが強かった。
  一般的に、技術流出事件は、相手方による技術流出行
 為等の立証は非常に難しいと言われている。
  メール等に履歴が残っていればはっきりするが・・
  相手にデータを渡した・・それをいつ、どこで、誰に、
 どのように渡したのか・・原告側が立証しなければなら
 ない・・かなり難しい・・
  「機密情報」・・重要な知的財産・・
  困難ではあるが・・知的財産を守るための努力の一環・・
.
2014年1月5日、座談の思想
  早稲田大学の鶴見太郎教授は、『座談の思想』という
 本を書かれた。
  その書評が、読売新聞の2014・1・5に載った。
  書評を書かれたのは、批評家の若松英輔氏・・
  「真実は書き記され得ない」というところがポイント・・
  キリスト教の聖書に、キリスト教は、『すべてが書か
 れている』と言うが、「いやいや、そんなもんじゃあり
 ませんよ」と、この本は言っている・・
  確かに、キリスト教自体も「言葉はロゴス」と言って
 いる・・が、
  そのロゴス、言葉にこそ神が居る・宿るのであるのな
 らば、ロゴスの言葉の中に神は居て、聖書の印刷された
 字面には居ないのだろう・・と、巷の話題となった・・、
  「真実は書き記され得ない所にある」
  「鍵となる言葉は、むしろ著作ではなく、座談の中に
 隠されている」・・と言う。
  だから、書かれた記録にだけ根拠を置く歴史観は疑問
 ・・という。
  そして、言う・・
  書くのは理性の働きだが、座談には感情が生々しく現
 れる・・と・・
  だから、感情の働きを見過ごした歴史は、剥製のよう
 な作りものになっている・・と・・
  これは、キリスト教聖書も同じ、キリスト教聖書も、
 作りものの剥製の様なもので、そこには、イエスの真の
 感情や・・伝えたいものは・・無い。
  そして言う。
  座談は、創造的であると、そして又、偶発的で生きて
 いると、座談は、他者と相まって、予測の出来ない展開
 へ進んで行き、他者の言葉が契機となって、話者が、今
 まで何を見て来たか、考えて来たかをより鮮明に自覚さ
 せ表出する・・という。
  驚くようなものが表出する事もある・・という・・、
  座談に誠実さがあり、繰り返し繰り返し、繰り返され
 れば、混迷を切り拓(ひら)く鍵が潜(ひそ)んでいる
 と・・いう。
  そして、沈思がともに大切という。
  そして、「感情と内省、中野重治の誠実」が秀逸とい
 う。
  時代の困難に対して、いつも誠実をもって抗(こう)
 したこの人物の軌跡を、今、考える事の意味は大きいと
 いう。
  そして、「歴史に潜む誠実を見い出す事が出来るのは、
 やはり現代の誠実なる精神だ」・・という言葉で・・結
 んでいる。
 つるみ・たろう=1965年、京都生まれ、。早稲田大教授。
 専門は日本近現代史。著書に「橋浦泰雄伝」など。
.
2020年2月13日、今、行なっているアメリカの暗号解読に
 よる情報収集の行為が・・明るみに・・犯罪なのか・・
  1970年代以降、アメリカとドイツが、暗号解読してい
 た。
  敵対国だけでなく同盟国の国レベルの情報を解読して
 いた。
  表題:スイス製暗号機、米CIAなどが細工 他国の
    機密を長年収集か=報道
  スイスの暗号機器メーカーを、アメリカとドイツの情
 報機関が、長年ひそかに所有し、このメーカーの機器を
 使用した国々の機密通信を、秘密裏に入手していた・・
 と、欧米メディアが11日報じた。
  スイスにあるクリプト社は、冷戦時代から2000年代ま
 で120カ国以上に暗号機器を供給した。
  スイス・クリプト社は、CX-52暗号機という製品を持っ
 ている。
  米中央情報局(CIA)とドイツ連邦情報局(BND)
 で働くスパイらは、同社の機器に仕掛けを施した・・そ
 して、各国の暗号を解読していた・・とされる。
  対象国には、イラン、インド、パキスタンなどが含ま
 れるという。
  アメリカ紙のワシントンポスト、ドイツ放送局のZD
 F、スイス放送局のSRFの3社は、CIAが、「世紀の
 情報クーデーター」と呼んでいた、過去の作戦に関する
 内部機密情報を入手した・・としている。
  1980年代、アメリカ情報職員が扱った外国の通信の約
 『4割』がクリプトの機器で暗号化されていた。
  同社は莫大な利益をあげ、それらはCIAとBNDに
 流れた。
  CIAは、「世紀の情報クーデーター」作戦について、
 「外国政府は、アメリカと西ドイツに相当な金を払いな
 がら、自らの極秘通信を少なくとも2つ(多くておそら
 く5つか6つ)の他国に読まれていた」と報告書に記し
 ていた。
  ワシントンポストによると、アメリカは、この作戦に
 より、イラン米大使館人質事件(1979年)の際、イラン
 当局の動きを監視することができた。
  また、フォークランド紛争(1982年)では、アルゼン
 チン軍の機密情報をイギリスに提供したという。
  一方、ロシアと中国は、クリプトの暗号機器を信用せ
 ず、使わなかった。
  2018年に、クリプトの一部を投資家が買収した後に設
 立されたスイスのクリプト・インターナショナルは、「
 CIAとBNDとも無関係」と表明。
  報道を受けて非常に困惑しているとした。
  スイス政府は、昨年11月に今回の件について通報を受
 けたと説明。
  調査担当者として、元連邦裁判官を指名したと述べた。
  クリプトの暗号機器は、ロシア人発明家のボリス・ハ
 ーゲリン氏がつくった小型暗号機が起源。
  同氏は、この小型機を、1940年代に、ナチス・ドイツ
 の占領下にあったノルウェーからアメリカに渡った際に
 つくった。
  戦地で使える小ささが支持され、米軍に約14万台を納
 入した。
  第2次世界大戦が終わると、ハーゲリン氏はスイスに移
 った。
  同氏の機器の進化は目覚しく、他国に対するスパイ活
 動ができなくなってしてしまうと、アメリカ政府が懸念
 したほどだった。
  アメリカの暗号解読の専門家ウィリアム・フリードマ
 ン氏は、ハーゲリン氏を説得。
  最新技術の機器は、アメリカが認めた国だけに販売さ
 れるようにした。
  それ以外の国々には、CIAが情報を入手できる、古
 いモデルが販売された。
  1970年代になると、アメリカとドイツがクリプトを買
 収。
  採用や技術開発、販売方針など、ほぼすべての企業活
 動を管理した。
  暗号機器に細工を施す諜報(ちょうほう)活動につい
 ては、疑惑が長年あったが、これまで証明されたことは
 なかった。
  スイス中に苦悶(くもん)のうめき声が広がっている。
  「私たちの評判はずたずたになった」とある政治ジャ
 ーナリストは嘆く。
  「私たちの中立性は欺まんだ」と別の人は書く。
  実際には、クリプト社の怪しい行為は何年もの間、う
 わさされていた。
  同社のスイス人社員らは、何らかの不正を疑っていた。
  スイス政府はずっと知っていた。
  同国政府は、CIAが細工していないクリプトの機器
 の供給を受けていた数少ない政府の1つだった。
  だが、面目を失う事態が世界的なメディアによって報
 じられ、痛みを感じている。
  今回の件は、スイスが払しょくに努めていた「スイス
 は正当な支払いを受ければ何でもする」というイメージ
 を想起させる。
  スイスの銀行は、かつて、独裁者たちが収奪した巨額
 の金を取り扱っていた。
  巨大な規模の脱税にも目をつぶっていた。
  それは、過去の遺物のはずだった。
  しかし、今回、スイス自慢の精密機器の分野も、お粗
 末なものとみられている。
  CIAがクリプトを利用したのは、まさにスイスの中
 立性と品質の定評が理由だった。
  世界中の政府関係者は、そうした定評があるがゆえに、
 同社の機器を購入するだろうと考えた。
  スイスは、金を手にし、問題のある機器を販売した。
  そして、いま、皆が知ることとなった。
  (参考:https://www.bbc.com/japanese/51470849
.
2020年2月22日、疫病と蝗害…聖書的な災いが現実に:狂気
 的な数千億のイナゴの大発生による被害範囲がアフリカ、
 中東から中国までの20カ国以上に拡大・・
  国連は6月までにイナゴの数が「現在の500倍に膨れあ
 がる可能性」を警告・・
.
2020年2月25日、バッタ大量発生、数千万人に食料危機の恐
 れ、東アフリカ・・
  作物を食い荒らす被害が急速に深刻化、春に迫る「最
 悪の大量発生」
  今、東アフリカでバッタの大量発生による被害「蝗害
 (こうがい)」が広がり、数千万人の食料供給が脅かさ
 れている。
  ひとつの都市を覆い尽くすほどに広がったバッタの群
 れが作物や牧草地に襲いかかり、ものの数時間ですべて
 を食い尽くしている。
  バッタの大量発生は、東アフリカでこれまでに7カ国に
 拡大した。
  近年にない規模だ。
  このバッタはサバクトビバッタという。
  アフリカと中東の乾燥した地域に生息していて、大雨
 が降って植物が繁茂すると大発生する。
  東アフリカとアラビア半島では、過去2年間でサイクロ
 ンに複数回見舞われるなど、異常に雨の多い天気が続い
 た。
  専門家は、この天気が蝗害の主な原因とみる。
  このところ嵐が増えているのは、近年顕著になってき
 た「インド洋ダイポールモード現象(IOD)」と関連して
 いるという。
  これはインド洋の東部と西部で海水温の差が生じる現
 象で、オーストラリア東部に大きな被害をもたらした森
 林火災とも関連する。
  一部の専門家は、今回の蝗害はこれから起こる大きな
 変化の前触れかもしれないと指摘する。
  海面温度の上昇は嵐のエネルギーを高め、気候変動は
 今回の蝗害を引き起こしたような海洋循環パターンを定
 着させるからだ。
  「サイクロンの多い年が続けば、『アフリカの角』と
 呼ばれる北東部での蝗害の発生数も増加するでしょう」
 と言うのは、国連食糧農業機関(FAO)の上級蝗害予報官
 であるキース・クレスマン氏・・
  バッタはどのように増えるのか?
  クレスマン氏によると、サバクトビバッタの大量発生
 のきっかけは2018年5月のサイクロン「メクヌ」だった。
  このサイクロンはアラビア半島南部の広大なルブアル
 ハリ砂漠に雨を降らせ、砂丘の間に多くの一時的な湖を
 出現させた。
  こうした場所でサバクトビバッタがさかんに繁殖して
 最初の大発生が起きたと見られる。
  同年10月にはアラビア海中部でサイクロン「ルバン」
 が発生して西に進み、同じ地域のイエメンとオマーンの
 国境付近に雨を降らせた。
  サバクトビバッタの寿命は約3カ月で、その間に繁殖す
 る。
  繁殖の条件がよければ、次の世代のバッタは20倍にも
 増える。
  つまり、サバクトビバッタは短期間のうちに急激に増
 加するのだ。
  2018年の2つのサイクロンによって、わずか9カ月の間
 に大発生が3度起こり、アラビア半島に生息するバッタは
 ざっと8000倍に増えた。
  増えすぎたバッタの群れは移動を始めた。
  2019年の夏までに、それは紅海とアデン湾を飛び越え
 てエチオピアとソマリアに渡り、その後、もう一度繁殖
 したとクレスマン氏は言う。
  不運はこれで終わらなかった。
  2019年10月に東アフリカの広い範囲で激しい雨が降り、
 さらに12月には季節外れのサイクロンがソマリアに上陸
 した。
  おかげでバッタはさらに繁殖した。
  バッタの群れは繁殖を続けながら新たな土地に襲いか
 かっていった。
  12月末には最初の群れがケニアに到達・・
  猛スピードで北部から中央部へと移動していった。
  2020年の1月にはケニアで過去70年で最悪の規模の蝗害
 が発生した。
  ジブチとエリトリアでも蝗害が始まり、2月9日にはウ
 ガンダ北東部とタンザニア北部にバッタが到達しはじめ
 た。
  (参考記事:「トビバッタの大群がエジプトに来襲」)
  迫りくる「壊滅的な打撃」
  最悪の大量発生はこれから起こるのかもしれない。
  秋に雨が降ったことで少なくとも2つの世代のバッタが
 大発生できるようになり、「当然のことながら非常に危
 険な状況を引き起こす」からだとクレスマン氏は言う。
  氏は、今年6月にはサバクトビバッタの個体数が現在の
 400倍に増え、もともと飢饉に脅かされているこの地域の
 作物や牧草地に壊滅的な打撃をもたらすおそれがあると
 危惧する。
  FAOによると、現在、ジブチ、エリトリア、エチオピア、
 ケニア、ソマリアの1300万人が「きわめて深刻な食料不
 足」に陥っていて、さらに2000万人がその一歩手前の状
 況にあるという。
  「タイミングが問題なのです」とクレスマン氏は言う。
  東アフリカでは、ほとんどの作物は最初の雨期である
 3月か4月に植えつけられる。
  「雨期が始まり、農夫が作物を植えようとする時期が、
 新しい世代のバッタが発生する時期と一致してしまうの
 です」
  アラビア半島でのバッタの繁殖を促した2018年の2つの
 サイクロンは、どちらも異例のものだった。
  NASAが説明しているように、アラビア海では数年にわ
 たりサイクロンが1つも発生しないことも珍しくない。
  2018年が嵐の多い年だったとすると、2019年は、北イ
 ンド洋にサイクロンが存在していた日数や、サイクロン
 の「熱帯低気圧積算エネルギー(ACE:台風の活動度の指
 標)」が過去最大を記録するなど、多くの新記録が出た
 極端な年だった。
  めったにない12月の嵐は、そうした極端な兆候の1つに
 すぎない。
  近年の(特に2019年の)嵐と関連が深い出来事が、イ
 ンド洋ダイポールモード現象だ。
  これには、インド洋の東と西のどちら側の海水温が高
 くなるかで、負と正の現象がある。
  負のダイポールモード現象では、偏西風が暖かい海水
 をオーストラリア付近まで押しやり、インド洋の東側で
 あるオーストラリア南部の雨量を増やす。
  対して、正のダイポールモード現象では偏西風が弱ま
 るため、東アフリカ付近の海水温が高くなり、降水量が
 増える。
  オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の気候
 科学者ウェンジュ・カイ氏によると、2018年の秋には正
 のインド洋ダイポールモード現象が発生していたという。
  その後、数カ月にわたりやや負になっていたが、それ
 から急激に正になり、2019年の秋には1870年以来2番目の
 強さになった。
  最近の東アフリカとオーストラリアの状況は、それか
 ら予想されるとおりのものだった。
  「アラビア半島に大雨をもたらした異常に活発なサイ
 クロン・シーズンは、強い正のインド洋ダイポールモー
 ド現象によって誘発されました。
  オーストラリアで記録的な干ばつになった原因も同じ
 です」と、商用気象サービス「ウェザー・アンダーグラ
 ウンド」の気象学者ボブ・ヘンソン氏は説明する。
  「もっと早くから行動するべきでした」
  最近の研究は、地球が温暖化すると、このパターンが
 一般化してくると指摘している。
  カイ氏の研究チームによる2014年の論文は、炭素排出
 量が最悪のシナリオをたどった場合、今世紀末には極端
 に強い正のインド洋ダイポールモード現象の頻度が3倍近
 くまで増加すると予想している。
  これに続く2018年の論文では、地球温暖化を1.5℃以内
 にとどめられたとしても(世界はこの目標値を10年以内
 に超えてしまうおそれがある)、その頻度は2倍に増える
 としている。
  カイ氏によると、インド洋ダイポールモード現象が全
 体としてすでに正の方に向かっている証拠があるという。
  そのせいで蝗害が増えるかどうかはまだわからないが、
 可能性はある。
  ダイポールモード現象のような海洋循環パターンを考
 えなくても、気候変動により各地の海水温は上昇してお
 り、豪雨の頻度が増えると予想される。
  最近の研究から、地球温暖化によりアラビア海の秋の
 サイクロンの威力がすでに増していることが指摘されて
 いる。
  同時に、気候変動を東アフリカ全域の干ばつや少雨と
 結びつけ、より不確かな将来像を描き出し、今よりも危
 険になることはほぼ確実だとする研究もある。
  東アフリカの気候がどの方向に進むかはまだわからな
 いが、蝗害を食い止めるために支援機関は緊急支援を行
 っている。
  この1月にはFAOが国際社会に対し、蝗害に苦しむ5カ国
 のバッタの駆除と農民・牧畜民の援助のために7600万ド
 ル(約85億円)の緊急支援を呼びかけた。
  クレスマン氏は、資金は集まるだろうと見ているが、
 行動のタイミングを心配している。
  バッタは繁殖を続けていて、ただちにもっと積極的な
 駆除を行わないと、必要な支援は格段に大きくなるおそ
 れがある。
  「基本的に、もっと早くから行動するべきでした」と
 クレスマン氏は言う。
.
2020年3月15日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0,89%...⑪
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
 (5)フランス1.126(19)1,69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
 (12)シンガポール160( )...
  (20)200(0)...
 (13)マレーシア117( )...
  (21)197(0)...
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
  ()
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
 (参考)上段は読売新聞2020年3月9日
     下段は日本経済新聞3月15日
     WHOおよび各政府発表データー
     感染者数(死亡者数)死亡率
     3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
 (評)
  ・中国の感染者数が極端に多すぎる
  ・イタリア、イラン、スペイン、スイスの感染者の増
   加率が大きい
  ・日本・シンガポールの感染者数の増加率は極端に低い
  ・イタリアの死亡率の増加が著しい
  ・イランスペイン、日本の死亡率が増加傾向
  ・アメリカ、オーストラリアの死亡率が低下傾向
 ..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/


by suba28 | 2020-03-18 03:45 | 皆様とともに 幸せになりたい


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