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(増補版)524E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年12月~1890年12月)

題:(増補版)524E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年12月~1890年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1890年11月1日、東京盲唖学校の石川倉次らが50音点字表を
 完成し、採用された。
  フランス人のルイ・ブライユが考案した6点点字を基礎
 にして、研究と工夫を重ねて完成した。
  そして、これが、正式に採用されたのが、1890年11月
 1日で、以来、この日が「点字の日」と定められた。
  また、石川は「懐中点字器」、「点字タイプライター」
 も開発し、「日本点字の父」と言われている。
1890年12月29日、ウンデット・ニーの虐殺(アメリカ)
  アメリカは、完全に卑劣な行為を『正義の行動だ』と
 している・・『民族の浄化だ(ethnic cleansing)』と
 言っている。
  酷い民族差別の言い方である。
  民族浄化とは・・その意味は・・、
  複数の民族集団が共存する地域において、ある民族集
 団を、強制的にその地域から排除しようとする行為・政
 策で・・、
  直接的な大量虐殺(ジェノサイド)や、強制移住のほ
 か、
  各種の嫌がらせや、見せしめ的な暴力、殺人、組織的
 強姦、強制妊娠などによって・・地域内からの自発的な
 退去を促す行為も含まれている。
  そして、このウンデッド・二ーの虐殺は、アメリカ軍
 の第7騎兵隊が行った民族浄化だと言い・・
  (これは、まったくの嘘で・・アメリカの多数の部隊
 が『集団で虐殺した』行為である)・・、、
  また、卑劣にも、虐殺を隠して、ただ、「ウーンデッ
 ド・ニーの戦い」と呼んでいる・・、
  そして、この戦い(実際は、虐殺)を実行したとする
 第7騎兵隊には、名誉勲章まで授与している。
  インディアンの方々は、この戦いを「ビッグ・フット
 一行に対する虐殺」と呼んでいる。
  19世紀末、アメリカ・インディアンの方たちは、全住
 民の権利を蹂躙(じゅうりん、暴力的に侵すこと)され、
 白人によって、生活環境を破壊され、絶望のどん底にあ
 った。
  食料であるバッファローは、インディアンの方々への
 餓死目的で、白人たちによって、無用に殺戮され、バッ
 ハローは絶滅寸前の状況となっていた。
  これだけでも、インディアンの方々が、生き延びられ
 るわけがない訳で・・
  インディアンの方たちは、この頃、このバッファロー
 が、再び、草原に戻って来ることを願って、ゴースト・
 ダンス(幽霊踊り)が流行った。
  また、その踊りで、再びのインディアンの方々へ自由
 な世界が戻ることも祈った・・これは、可哀想なことに、
 民族の終末的な状況における踊りだった。
  また、さらに可哀想な事に・・白人の虐殺の銃弾が突
 き抜けないという「ゴースト・シャツ」も流行った。
  逆に、アメリカは、この様な状況が「反抗的である」
 とした・・卑劣である・・また、反乱の予兆であると勝
 手に解釈した・・弾圧の口実にした・・そして、アメリ
 カは弾圧を徹底的に行った。
  1890年11月中旬、アメリカ政府に、「インディアンが、
 雪の中で踊り狂い、狂暴になっている。今すぐ我々を保
 護してくれ」・・との連絡が入った。
  アメリカ政府は、軍の出動を命じた。
  数千人のアメリカ軍が、スー族保留地に、次々とやっ
 て来た。
  その白人のアメリカ軍の行動は、すでに虐殺の行為を
 しようとしていた、また、する様に見えたため、多くの
 スー族の民が虐殺を恐れ、西方の岩山地帯・マコシカ(
 バッドランズ)へ逃れた・・逃げた。
  さらに、白人の保留地監督官は、スー族の統率者であ
 るシッティング・ブルが、「ゴーストダンスを踊ること
 を煽っている」と濡れ衣を着せた。
  そして、1890年12月14日、民族の精神的支柱であった
 シッティング・ブルを暗殺した。
  シッティング・ブルは大酋長ともいうべき統率者で、
 尊敬も集めていたので、アメリカ西部は騒然となった。
  食料の少ない中、また、極寒の時期、飢えと寒さであ
 ったが、シッティング・ブルを慕うスー族の方々は、別
 のスー族の元へ、極寒の川をさかのぼり、160キロも、や
 むなく逃げた。
  そして、その別の酋長のビッグ・フット・人望厚い老
 酋長のもとへと逃れた。
  ほとんどが年寄りや女性だった、そして、子供たちだ
 った。
  頼りになる男の若者は、ほんのわずかだった。
  この時、ビッグフット酋長は肺炎を患っており、「そ
 り」で移動をしてもらうという余命いくばくもない状況
 だった。
  しかし、この地の白人・保留地監督官は、このビッグ・
 フット一行の動きも警戒し、ビッグ・フットを逮捕すべ
 く、第8奇兵隊を出動させた。
  そして、ポーキュパイン崖の近くで、アメリカ軍は、
 インディアンの方々の集団へ襲いかかった。
  インディアンの方々は、戦闘をするという状況ではな
 かったのにかかわらず、攻撃を受けた・・当然、直ちに
 降伏を示した。
  後に、ビッグ・フットは、「交戦の意思は、初めから
 なかった」とはっきりと言っている。
  夜に、東方から更なる騎兵隊が来ると聞いたインディ
 アンの方々はおびえて、浮き足たった。
  マコ・シカ(バッドランズ)へ逃げる者も出た。
  案の定、12月28日、アメリカは、このインディアンの
 方々にまで追跡し、逮捕せよとの命令を出した。
  戦いができるような状況にないインディアンの方々へ、
 執拗に仕掛けられる無慈悲な戦いだった。
  インディアンの方々は、すぐに白旗をあげ、降伏を告
 げた。
  この様な繰り返しの中で、あらゆるアメリカ軍によっ
 て、インディアンの方々は、なぶり殺される様に死者が
 増えて行った。
  因みに、この時のアメリカ大統領は、第23代アメリカ
 大統領で、ベンジャミン・ハリソンだった・・不名誉な
 アメリカ大統領である。
  そして、インディアンの方々は、ウーンデッド・ニー
 河畔まで連行された。
  『野営を張れ』とアメリカ軍から命令された。
  この命令には「悪計が、すでに、仕組まれていた」。
  肺炎のビッグ・フットのために、インディアンの方々
 は、ストーブを準備した。
  この様な状況にある、インディアンの方々を、アメリ
 カの騎兵隊は取り囲んだ。
  そして、何と、この様な弱体のインディアンの方々を
 取り囲むアメリカ軍は、その数を、どんどん増して行っ
 た。
  復讐をするのである・・キリスト教の『目には目を』
 である。
  第7騎兵隊の「汚名を晴らす意味」もあるのである。
  ほかの軍も、町から進軍して来た。
  過去に、インディアンに全滅させられ・・汚名を来た
 第7騎兵隊の残党も、当然、居た。
  この様な・・不必要なほどの超大軍にインディアンの
 方々は不安をつのらせた。
  1890年12月29日、無残な虐殺が行なわれる日が来た。
  必要もないのに、速射砲の大砲4門が、インデアンの
 方々のキャンプが見下ろせる丘に据えられた。
  この時点で、当然、インディアンの方々は武装解除さ
 れ、銃のない状態だった。
  しかし、言い掛かりを付けるアメリカの行動が開始さ
 れた。
  自らを正当としたい言い掛かりをつける行動が起こさ
 れた。
  アメリカは、何時も、この様な行動をする卑怯な国な
 のだ。
  やはり、当然、起きるべきトラブルが発生した。
  アメリカ軍が、この様な完全制圧しているインディア
 ンの方々が、まだ、武器を持っている、銃を持っている
 として、捜索を始めたからだった・・、
  それに・・まったく乱暴な捜索だった。
  寝ているインディアンの女性の毛布を剥がすという様
 な行為まで行われた。
  大勢のインディアンの人の中にはあるだろう銃が見つ
 かった・・揉み合いになった・・これが悲しい行為の引
 き金となった。
  銃の1丁や2丁、こんな状態で、見つかったと言ったっ
 て、どうなるわけでもなく、何のトラブルになる訳はな
 いのだが・・
  言い掛かりを付けたいアメリカは、事を穏便に済ます
 訳はなかった・・最初からの予定の行動だった・・、
  これをきっかけに、アメリカ軍は、無差別攻撃を開始
 した・・その必要がないのにである・・二人がもみ合っ
 たからって・・しかし、無差別虐殺を開始した。
  怯(おび)えて、すぐに降伏する人々を、揉み合いを
 合図にアメリカの全軍が、殺戮目的の攻撃を始めた・・、
  攻撃する必要のない女性たちや子供たちに対しても、
 攻撃を始めた・・殺戮・虐殺目的の攻撃を始めた・・卑
 劣なアメリカだった・・
  しかし、冷静に状況を判断しても、どうしても、この
 行為は、虐殺行為であって、
  アメリカは、最初から「ある」とした・・その様なア
 メリカ軍が「そこに集まって来て居た」。
  無抵抗の病人のビッグ・フットも、銃で頭を撃ち抜か
 れ・・そして・・死んだ。
  何故か、前もって据えられた丘の大砲も、無差別虐殺
 の轟音を打ち鳴らした・・卑劣である・・
  これが・・予定の行動だったのだった・・、
  速射砲の大砲の威力は、卑劣の言葉を通り越す・・無
 残で・・絶大だった・・、
  子供も馬も犬も関係なく、無差別に飛び散らかされて、
 殺され、狙い撃ちされた。
  戦えるインディアン戦士たちは、やむなく素手で戦っ
 た・・武器はないので・・この様な・・丸腰の人々を、
 アメリカは、まさしく・・殺人行為としか言えない行為
 をした・・
  また、銃を取ろうと戦ったが・・銃のない状態にされ
 て殺された・・悲惨な虐殺をアメリカはした・・
  銃弾と砲弾が降り注ぐ中を、それでも逃げたインディ
 アンの方々は居た・・
  しかし、負傷のために、3キロばかり逃げたが、力尽
 き、倒れて行った。
  武器のないインディアンは、四方から完全に囲まれた
 中で、狙い撃ちされ、銃弾と砲弾で殺戮された。
  味方の銃弾で死んだアメリカ兵も居るぐらい凄まじい
 無抵抗のインディアンの方々への殺戮行為だった。
  速射砲の大砲は1分間で50発の弾丸を、雨の様に降らせ
 た。
  過剰な、卑劣な攻撃の殺戮だった。
  無抵抗の者を、殺し続けるという状況の言い訳は、ま
 ったく存在する訳はない。
  アメリカ軍の卑劣な戦いの汚名が、また、一つ付け加
 わった。
  多くの乳飲み子まで、アメリカ軍は無慈悲に殺した・・
 その記録が、後世に、長く記録として残る事となった。
  「幼い子供たちが、身体中に弾を受けてばらならにな
 って、穴の中に裸で投げ込まれている」という記録もあ
 る。
  子供を、その様に撃つ必要があったのだろうか?
  死体は、そのまま放置し、アメリカ軍は引き上げた。
  この報は、インディアンのシャイアン族の方々へも、
 もたらされた。
  インディアンの方々が駆け付けると、その方々へも、
 アメリカ軍は発砲した・・が・・すぐ退却した。
  駆け付けたインディアンの方々は、こと切れた母親の
 ショールに包まって生きていた赤ん坊を発見した・・3
 人みつけ・・連れ帰った。
  白人に連れ去られた赤ん坊も居た(ロスト・バード)
  峡谷で、アメリカ兵と戦ったインディアンの二人の男
 児がいた・・勇敢なこの二人の少年はアメリカ兵を射殺
 していた・・少年は、まったく傷を負っていなかった。
  インディアンの方々の尊敬を集めている精神的支柱の
 ブラック・エルクは、「自分も死ねばよかった」と思った
 と言った。
  そして、「いっそ、白人の支配するつらいこの世に別
 れを告げて、あの世で幸せに暮らすほうがいいかもしれ
 ない」と思ったと言った。
  アメリカは、この後も、執拗に、追跡した・・スー族
 の方々は、物を置いて逃げた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:従軍慰安婦問題は、完全なデッチアゲ・・
.
17世紀、ロシアにおけるユヤダ人の方々への迫害が、最大
 となった。
  『ポグロム』は、ロシア語で「破滅・破壊」を意味す
 る言葉である・・、
  加害者の如何を問わず、ユダヤ人の方々に対し行なわ
 れる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を意味
 した。
  キリスト教が、ユヤダ人の方々を「主(イエス)殺し」
 として迫害したことにいきさつを持ち、また、発端を持
 つ・・、
  この迫害の歴史の中には、キリスト教プロテスタント
 運動の創始者であるマルティン・ルターが、著書『ユダ
 ヤ人と彼らの嘘について』において、ユダヤ人への激し
 い迫害、及び、暴力を、理論化して、1543年に、熱心に
 提唱したことにも影響された。
  ユダヤ人迫害を、長く、酷(ひど)くして来たのは、
 キリスト教カトリックであって・・この迫害には、ひど
 い限りを尽くした長い歴史がある。
  まず、その第一は、「異端審問所」の悪行で、筆舌に
 尽くせぬ最悪行為をし続けた。
  キリスト教カトリックの異端審問としての歴史は・・、
 1022年のオルレアンで起きた異端者の処刑事件に遡(さ
 かのぼ)る・・
  これ以来、人類史上、何百年に渡って、虐殺をし続け
 たキリスト教(人類史上、最悪の悪行為)
  そして、17世紀、ウクライナ・コサックのフメリニツ
 キーの乱で起こったポグロムは、その犠牲者の数で最悪
 のものとなった。
.
1905年9月5日、この日に、日露戦争が、日本の勝利で終わ
 ったが・・、
  この勝利の最大の要因が「日本海海戦において、日本
 が目覚ましい快勝をした」ことを第一の要因とする人は
 多いが・・、
  その他において、日本への勝利を導いた大きな要因が
 あった。
  日本への資金的支援・応援が、ユダヤ人の方々からあ
 ったことも、その勝利の大きな要因である。
  帝政ロシアは、ユダヤ人の排斥主義を取っていて、「
 ポグロム」と呼ばれる卑劣なユダヤ人の方々への迫害の
 嵐が吹き荒れていた。
  ヤコブ・シフらのユダヤ人の金融資本家の方たちは、
 ロシア皇帝ニコライ2世を打倒しようと対抗し・・敵対し
 ていた。
  ロシアから資本を引き上げ、内外のユダヤ人から資金
 を集めて、日本の戦時国債を買い、日本の日露戦争の戦
 費への支援をした。
  日露戦争は、ユダヤの方々の「民族としての生き残る」
 ための重大な戦いでもあった。
.
1917年2月23日、ロシア革命(二月革命)が起きた。
  ユヤダ人の方々の「民族の生き残りの戦い」・・帝政
 ロシアは、ユダヤ人排斥主義をとり、ユダヤ人の方々へ
 の迫害は酷かった。
  第一次世界大戦中(1914年7月28日~1918年11月11日)
 に、「ロシア革命」が起きるが、この革命は、ユダヤ人
 の方々が仕掛けたものだった、ユダヤ人により起こされ
 たものだった。
  ウラジミール・レーニンも、レフ・トロツキーもユダ
 ヤ人で・・、
  ユダヤ人の金融資本家は、このレーニンやトロツキー
 らを支援した。
  トロツキーは、赤軍の創設者で、革命の内戦において、
 大きな功績を上げた。
  そして、ソビエト連邦政権が樹立された後は、共産党
 政治局員として重要な地位に就いた。
  また、第4インターナショナルの活動組織を結成して、
 世界に社会主義革命を行ない、国際運動を展開した。
  そして、今・現在、世界で活動している「ネオコン」
 は、この考え方を引き継いでいる。
  因みに、ロシア革命は、1917年に、ロシア帝国で起き
 た2度の革命のことを指す名称で・・、
  特に、史上初の社会主義国家樹立につながったことに
 重点を置く場合には、「十月革命」のことを意味する。
  また、逆に、広義には、1905年の「ロシア第一革命」
 も含めた長期の諸革命運動を意味している。
  そして、この「二月革命」「十月革命」は、当時、ロ
 シアで用いられていたユリウス暦における革命勃発日を
 基にしていて、現在、用いられるグレゴリオ暦では、そ
 れぞれ「三月革命」「十一月革命」となる。
  (参考)ネオコン:アメリカ合衆国における新保守主
    義(ネオコンサバティズム、 略称:ネオコン)は、
    保守派の政治イデオロギーの1つで、米国において
    1970年代から独自の発展をして、主に、
     共和党政権時のタカ派外交政策姿勢に非常に大
    きな影響を与えている。
.
1991年12月、慰安婦問題のデッチアゲが起きた。
  結論を先に言うと・・これは、「完全な作り話」で、
 日本が貶(おとし)められる事になった。
  (読売新聞、2017年4月24日)と(4月25日)の連載の
 記事に、歴史学者・秦郁彦氏の記述があるが・・はっき
 りと、日本がでっち上げられて、『無実の罪を着せられ
 ている』と記載している・・それを以下に記す・・、
  1991年12月から1992年1月にかけて、私(秦郁彦氏)が
 「ビックバン(大爆発)」と呼ぶ、慰安婦問題の騒動が
 発生します。
  12月、旧日本軍に徴用された韓国人と遺族が、日本に
 謝罪と補償を求め東京地裁に提訴。
  この中に元慰安婦3人も加わりました。
  1月11日には朝日新聞が、朝刊1面トップで、慰安婦の
 募集に日本軍が関与していたと報じます。
  (記事は、旧日本軍が慰安所の設置や従軍慰安婦の募
 集に関与していたことを示す文書が明らかになったとい
 う内容だった。
  従軍慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身(て
 いしん)隊の名で強制連行した。
  その人数は8万とも20万とも言われる」との記述もあ
 った)
  記事の根拠となった文書は、吉見義明中央大教授が防
 衛庁の防衛研究所図書館で発見した、とのこと。
  私(秦氏)は12月下旬、吉見氏と防衛研究所で偶然会
 い、近く朝日新聞に出ると聞き、なぜニュースになるの
 か疑問に思いました。
  1938年に陸軍省が流したこの通達文書は、すでに20年
 前から公開されていたもので、慰安婦を募集する際、誘
 拐まがいのことをやっている悪質な業者がいるから、取
 り締まれという内容です。
  日本軍の関与には違いないが、良い関与だったから。
  それを、宮沢首相の訪韓(1月16日)という絶妙のタ
 イミングに合わせて掲載したのでしょう。
  ほかのマスコミも追随し、強制連行の証拠が見つかっ
 たかのような大騒ぎになりました。
  宮沢首相はソウルでデモ隊に迎えられ、何度も陳謝し
 ます。
  強制連行説の根拠になったのが、吉田清治著『私の戦
 争犯罪』(1983年)です。
  戦時中、労務報告会(労報)下関支部の動員部長だっ
 たと称する吉田氏は、済州島で慰安婦を調達せよとの西
 部軍命令を受け、女性を狩り出したと書いています。
  私(秦氏)は、一読して怪しいと感じました。
  済州島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄。
  本に載っている命令書も、正規の体裁から外れている。
  私(秦氏)は吉田氏に電話しましたが、話に矛盾が多
 く、作り話と確信しました。
  出版社にも電話すると、担当者は「あれは小説ですよ」
 と言うのです。
  私(秦氏)は彼を典型的な詐話師(さわし)だと直感
 し、1992年3月、証拠を見つけるため済州島を訪れまし
 た。
  最初に城山浦の貝ボタン工場を訪ねました。
  本には女子工員を木剣で打ちすえ、かり集めたと書か
 れています。
  近くの老人たちに話を聞くと、「そんな話はない。小
 さな村落だから、何十人も連れて行かれたら大事件だよ」
 と一様に否定しました。
  さらに公立図書館で、地元の済州新聞が吉田本の韓国
 語版の紹介記事(1989年8月14日)を掲載していたこと
 を知りました。
  慰安婦狩りを裏付ける証言はなく、島民は「デタラメ
 だ」と否定しているとの内容です。
  書いた女性記者を訪ねると、「日本人はなぜこんな作
 り話を書くのでしょうか」と責められました。
  帰国後、私(秦氏)の済州島での調査を取材した4月30
 日の産経新聞は、吉田証言を虚偽と断定しました。
  ・・以下、4月25日の記事・・
  図らずも慰安婦問題に私(秦氏)が巻き込まれてから、
 二十数年の歳月が流れました。
  (1993年8月4日、政府は、慰安婦問題についての河野
 洋平官房長官談話を発表した(宮澤喜一内閣総理大臣の
 とき)
  この中で、朝鮮人の慰安婦の「募集、移送、管理等も、
 甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行
 われた」と認定した)
  河野談話は、韓国と事前調整で譲歩した産物なんです
 ね。
  日本軍が強制連行したとは書いてないが、そう読めな
 くもない玉虫色の表現です。
  実際に河野氏は記者会見で、強制連行を認めるのかと
 聞かれ、そうですと答えている。
  談話発表の前夜、慰安婦問題を担当していた内閣外政
 審議室の谷野作太郎室長から、私(秦氏)の自宅にファ
 ックスが届きました。
  談話の文案について感想を、との事でした。
  一読した後、実害が少しでも減るように、「総じて」
 を「時として」などに修正されたい、と要望しましたが、
 採用されませんでした。
  1995年7月、元慰安婦たちに「償い金」を給付する半官
 半民の「アジア女性基金」が設立され、私(秦氏)は事
 実の究明に当たる資料委員会の委員を引き受けます。
  ところが、慰安婦の総数は約2万人、最多は日本人で、
 朝鮮人は2割という私(秦氏)の結論は、和田春樹委員
 (東大教授)ら左派のお気きに召さず、「東大には研究
 の自由はあるが、基金にはない」と宣告され、私(秦氏)
 の論文はボツにされてしまいます。
  その頃、国連人権委員会の委託を受けたクマラスワミ
 女子が来日します。
  私(秦氏)は彼女に会い、戦時中にソウル(京城)の
 新聞に載った慰安婦募集の広告と、北ビルマで捕らえら
 れた20人の朝鮮人慰安婦に対する米軍の尋問調書を渡し
 ました。
  前者は強制連行を必要としない証拠で、後者は、慰安
 婦に外出、廃業、社交の自由があり、軍司令官級の高収
 入を故郷に送金するなど「性奴隷」とはほど遠い境遇だ
 った事を示しています。
  しかし、人権委員会へのクマラスワミ報告(1996年2
 月)には反映されませんでした。
  吉田清治氏の強制連行体験、「慰安婦をセックス・ス
 レイブ(性奴隷)と呼びかえよう」と説いていた戸塚悦
 郎弁護士の言い分の方が採用されたからです。
  日本政府の事なかれ主義もあって、強制連行と性奴隷
 のイメージは、国際社会に広く定着した感があります。
  韓国ばかりか、世界各地に乱立した慰安婦像は60体を
 超えるありさまです。
  無力感を味わっていた私(秦氏)は、せめて慰安婦と
 周辺事情の史的経過を実証的にまとめておきたいと考え、
 1999年に『慰安婦と戦場の性』(新潮社)を刊行します。
  2013年には、内閣官房で対外発信を強化する一環とし
 て、拙著の英訳プロジェクトが内定しました。
  ところが、新任の内閣広報官から、もし、日本政府の
 後押しが露見したらまずいとの理由で、ドイツ、英連邦、
 米国、韓国など諸外国の例を記述した第5章などを訳出の
 対象から外したいと言われます。
  私(秦氏)は削除を拒否し、英訳プロジェクトは流れ
 ました。
  何度目かの筆禍体験でした。・・以上・・
  (参考事項)
 (1)吉田清治氏の本は虚偽と判明して決定し、朝日新
   聞は謝罪している。
 (2)戸塚悦郎弁護士は、中国のロビイストと判明した。
    国連に日本の性奴隷を定着させた人である。
    国連のNGOに所属する立場を利用して、慰安婦
   問題について人権委員会が勧告を出すよう執拗に働
   きかけ、20回近い会合に出席して吉田清治の話を英
   訳して配布し、慰安婦をセックス・スレイブと英訳
   して世界に公言した。
    公正性はなく、日本を有罪にしたいという姿勢だ
   った。
 (3)前事務総長が韓国人であり、国連要職に韓国人を
   多数任用して、その様な環境の中で日本を貶める行
   為がなされて行った。
 (4)韓国人の業者が、卑劣な事に、自国の韓国の女性
   を中国などに連れて来て、中国の町で商売をしてい
   た。
    日本軍に付いて来て、商売をしていた者も居た。
    この頃は、中国の街中には、女性を商売にする悪
   い奴が大勢いた。
    その中で、朝鮮の人が多かったという。
    次が中国人が多くその商売をしていた。
    それが、日本軍が指示したという話に作り上げら
   れて行った。
    日本軍は、何もその様な指示などはしていない。
    吉田清治の言うところの小さな村から、8万人とも
   20万人とも言われる女性が、従軍慰安婦にされるこ
   とが出来るのか?
    出来る訳はない。
 (5)1993年8月4日、河野洋平官房長官が、従軍慰安婦
   強制連行を認め、謝罪の意を表明したが、どんな資
   料を見てその様に断定したのか?
    その事は、まったく説明せず、ただただ、日本を
   貶める発言となっている。
    証人喚問するべきである。
    何をどう判断してその様な行為をしたかを説明せ
   よ!
 (7)日本の「アジア解放の理念」のアジア諸国へ、ま
   た、世界へ与えるイメージを破壊しようと、この嘘
   の慰安婦問題を、アメリカの一部組織が、韓国・中
   国へ働き掛けて、嘘の行動を、南京虐殺問題と共に
   起こさせている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

by suba28 | 2017-05-07 04:16 | 皆様とともに 幸せになりたい


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