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(増補版)439E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年12月~1887年1月)

題:(増補版)439E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年12月~1887年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年、バッファロー・ビルというアメリカ人は、人気の
 ショー「ワイルド・ウエスト」を興行していた。
  彼の人物像は、以下のように書かれていた・・
  「バッファロー・ビルは、アメリカ西部開拓時代のガ
 ンマン、興行主。
  本名は、ウィリアム・フレデリック・コディー。
  1859年、コロラド州で金鉱開発などにも携わった。
  西部の情報通であったことから軍と深い交流があり、
 斥候を務めるなどして、また、シェリダン将軍のインデ
 ィアン討伐にも協力した。
  1880年ころから拳銃捌(さば)き・駅馬車襲撃などを
 実演してショー化した『ワイルド・ウェスト・ショー』
 を立ち上げ、米国内やヨーロッパを巡業した。
  往年のガンマンや無法者、そして、スー族インディア
 ンのシッティング・ブル本人などが参加したため人気を
 集め、興行は大成功した」。
  そして、彼の興行の出し物の一つが、テレビ番組や劇
 場での公演で知られた「アニーよ銃をとれ」のアニー・
 オークレーという射撃の天才少女を出演させていた。
  彼女は、30歩離れた距離からトランプカードをめがけ
 てピストルを撃ち、これを撃ち抜いたという。
  また、アメリカ・インディアンも見世物にした。
  キリスト教の有色人種の蔑視感がその行為を安易にな
 させた。
1886年5月1日、合衆国カナダ職能労働組合連盟がシカゴを
 中心に約35万人の労働者を動員、8時間労働制を要求し
 ゼネストを行なった。
  これは、1890年5月1日、第1回国際メーデーが行なわれ、
 また、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、ラテン
 アメリカの労働者が8時間労働制を要求したさきがけと
 なった。
1886年10月28日、自由の女神像が完成
  アメリカ合衆国のニューヨーク湾のベドロー島(現=
 リバティ島)に建つ自由の女神像が完成し、除幕式が行
 なわれた。
  像は、アメリカ合衆国独立100周年を記念してフランス
 から贈られた。
  高さは48.05メートル(46m?)、重さは225トン
  右手にはたいまつを、左手には独立宣言書を持つ。
  フランスで1884年に完成し、
  1885年に、214個に分解されて海路ニューヨークに運ば
 れ組み立てられた。
  正式名称は「世界を照らす自由 」
.
ーーー1887年ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
.
1887年、出来事:
  この年に、最初の世界恐慌が発生した。
  この年の前後に、産業界は目を見張る活況を呈した。
  1873年から1896年にわたる世界的な構造不況(大不況)
 があった。
  この1873年に始まった大不況の原因は多様であるが、
 その原因は、広範な産業分野における生産力の向上で、
 特に、銀の増産と価格の下落があった。
  増産は、新鉱山の発見と電解精錬の成果であった。
  鉱山は、従来から探索が続き、鉱床に関しては、独仏
 資本の入り乱れたロレーヌ(アルザス地方)等を例に浚
 渫技術が向上した。
  そして、電解精錬技術の革新に画期的な面があった。
  雑多な鉱石からも銀が得られるようになった。
  金銀比価は開いていった。
  特に、価格差が、1891年から数年間、著しくなった。
  その様な中、各国は金本位制を採用して行った。
  銀価格が下落して行った。
  南米では事業が縮小した。
  1876年の下落は大きかった。
  アメリカからの食糧買い付けの為、ヨーロッパの金の
 流出が大きかった。
  フランス銀行の金準備は危険状態となった。
  国際的な会議をするが物別れに終わった。
  金に余裕あるアメリカはインフレーション法を制定し
 た。
  ヨーロッパ各国は、金を新たに獲得するためアフリカ
 分割に精を出した。
  金の流出を防ぐため、金利操作も激しく行われた。
  この様な中の1882年、パリ証券取引所での株価暴落が
 起き、フランスは恐慌に突入した。
  この恐慌は、長く、そして、深くフランスを苦しめた。
  フランスの国民純生産(NNP)は、1882年から1892
 年にかけて減少し続けた。
・東京に電燈が灯る。そして、横浜で水道が給水開始した。
.
1887年、データ:
・日本の総人口:38,703,000人
・小学校の実質就学率:30.2%
  日本人の優秀さは、信長・秀吉の時代から、日本人は
 褒められていたが、
  1870年(明治3年)の日本における読み書きの普及率は、
 かなり高った。
  おそらく当時の一部のヨーロッパ諸国以上、少なくと
 も引けをとらない高いレベルだった。
  この1870年頃には、各年齢層の男子の40%~50%、女
 子の15%が、日本語の読み書き算数を一応こなすレベル
 にあり、自国の歴史、地理を多少わきまえていたとみな
 してよい(ドーアの調査)。
  また、日本の家庭内の教育も良いとの外国人の報告も
 ある。
  ただ、日本の地域的な差はあった。
・横浜居住の外国人は約3,900人(この年の4月の居留地)
  1858年に、徳川幕府は、欧米各国との間で通商条約を
 締結し、
  1859年に、横浜港は国際港として開港した。
  開港後の横浜は、急速な勢いで貿易港としての機能を
 高め、貿易額は1860年から明治に入るまで、国内貿易額
 の約7割~8割を占めていた。
  大消費地の江戸に近い事も良かった。
  生糸が横浜港の発展に大きく貢献した輸出品だった。
  輸入品は、鉄鋼類・繰綿・兵器類・米など多様だった。
  生糸は、幕末の開港以来、外国商人の支配下にあった。
  外国人は、日本商人をはるかに上回る資本を有し、ま
 た、需要地の情報を独占していた。
  また、不平等な条約もあった。
  外国商人は、様々な不公正な取引慣行を日本側へ押し
 付けた。
  日本側の商人が力を発揮してくるのは、1900年を過ぎ
 てからだった。
  その日本側の商社が、「横浜生糸」「三井物産」「原
 商店」だった。 
  外国商人は、すでに中国との貿易で利益を上げていた
 ジャーディン・マイセン商会などで、開港場の市街地を
 形成した。
  現在の山下町一帯は外国人居留地(山下居留地)とし
 て整備された(関内と呼ばれるようになる)。
  1866年の大火によって、日本人町の3分の1が焼失した
 が、その後の復興は、沼地などの埋め立てが進んで、関
 内の整備は一段と進んだ。
  居留する外国人は、ヨーロッパ人・アメリカ人が約4割
 に対して、中国人6割ぐらいであった。
  1890年を過ぎると5000人ぐらいへと増加して行く。
  1876年:約2300人、1898年:5369人(中国人約70%、
 イギリス人約16%、アメリカ人約5%、ドイツ人約3%。
  貿易商社の人が27.6%、ホテル・レストランなどのサ
 ービス業17.2%、家具や繊維品などの製造業14.5%。
.
  (今日の言葉)
.
  題:1928年のこと・・、
   世界を煽(あお)っていたアメリカ・・、
   世界を主導していたと言うが・・?
.
  アメリカが、日本を蔑視して作った「排日移民法(1924
 年)」から4年後の1928年ことである・・、
.
1928年6月4日、張作霖爆殺事件は、日本軍の仕業に見せか
 けたソ連軍諜報機関の謀略工作だった、という証拠が、
 旧ソ連文書で明らかになった(「正論」平成18年4月号)
  日本の関東軍がやったというのはウソ・間違い。
  日本は、プロパガンダ(嘘宣伝)で罪を着せられてい
 る。
  本当の真犯人は、ゾルゲらを繰っていたソ連のGRU
 (赤軍情報部)の工作であった。
.
1928年6月4日、張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつ
 じけん)が起きた。
  この事件は、1928年(昭和3年)6月4日、中華民国・奉
 天(ほうてん、現:瀋陽市・しんようし)近郊で、日本
 の関東軍によって奉天軍閥の指導者である張作霖が暗殺
 された事件と説明されているが・・これは間違い。
  中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採
 って、「皇姑屯事件」とも言う。
  「終戦まで事件の犯人が公表されず」と説明されてい
 るが、日本が行った事ではない。
  また日本を貶(おとし)めようというメディアは、さ
 も、日本が犯人の様に、日本政府が隠して「満洲某重大
 事件」と呼ぶ・・みたいな説明をするが、日本の犯行で
 はないなら曖昧(あいまい)に言うしかない。
.
1928年6月4日、この日に張作霖爆殺事件が起きたが、この
 事件は、日本が引き起こしたとされて来た・・が・・、
  ソ連軍諜報機関の謀略工作であったという証拠が、旧
 ソ連の文書で明らかとなった。
  戦後、60年を経た以降、マル秘とされていた資料が、
 公開されて来た。
  その結果・・真実が分かって来た。
  また、1937年の盧溝橋事件も、日本の行為ではなく、
 日本が罪を擦り付けられていたことが分かり、証明され
 た。
  日本は、この事件の後、事態の穏便な収束を目ざし、
 不拡大の方針のもとに努力をしていた。
  しかし、この日本の解決を進める行為を、何としても
 止めようと・・、
  そして、日中全面戦争へ引きずり込もうと、スターリ
 ンと中国共産党は工作した。
  そして、上海で、日本軍へ総攻撃を始めた。
  戦端は収束せず、拡大する一方だった。
  そして、全面戦争へ至って行った。
  新史料によって、この様なことが証明できるようにな
 った。
  アメリカが主導して始めた東京裁判は、間違った史料
 で裁いた事になった。
  つまり、東京裁判は成立してない裁判という事になる。
  現在の法なら「再審」となる。
  裁判のやり直しとなる裁判なのだ。
  東京裁判の判決は、だから「誤審」なのだ。
  コン・チアン他著「マオ(上)」第19章の参照を。
  先年(1991年12月)、ソ連が崩壊して後、諜報関係や
 コミンテルン関係の資料が多く公開されて来ている。
  今、真実が明らかにされて来ている。
  過去の間違った史実は、塗り替えられて来ている。
  アメリカのプロパガンダ(嘘宣伝)は暴(あば)かれ
 て来ている。
  アメリカの不誠実な行為は、『正義の下で正されなけ
 ればならない』。
  ハル・ノート(コーデル・ハル)なんて、国際的なお
 墨付きがあるように思わされ、言われているが・・、
  偏った(かたよった、不公平・不均衡)作り話だ。
  完全に公平な、そして、公正な第三国の作成でなけれ
 ばならなかったのだ。
  アメリカ主導の作り話が、展開していた。
  今、イギリスでは、プロパガンダされ、扇動(せんど
 う、気持ちをあおられ、ある行動を起こすようにしむけ
 させられること)され、
  騙(だま)されて、EU離脱に投票させられたという
 民衆が渦巻いている・・が・・、
  アメリカも、この様な事をしていた。
  EU離脱が決まると、離脱を煽(あお)った宣伝映画
 の監督らは、スーッといなくなってしまった。
  煽った人々が、居なくなってしまったという「怪」が、
 イギリスで起きている。
.
  そして、次の話・・
.
1943年2月、スターリングラードで、25万の兵力のドイツ軍
 が崩壊した。
  その年の1943年10月30日に、スターリングラードのド
 イツ軍崩壊から約8ヶ月後に、
  クレムリンの大広間で、夕食会が開かれた。
  アメリカの代表のコーデル・ハル(アメリカの国務長
 官)は晴れやかだった。
  ソ連の対日戦の参戦の話が進展するからである。
  ハルはこの様な人物だった。
  ハル・ノートは公正でもなく、公平でもあるはずがな
 かった。
  ハルは、この時、スターリンのすぐ右側の席が与えら
 れ、最高のもてなしを受けた。
  ハルは、この会食の会談の成功を予測し、そして、祝
 して心にある期待を演説した。
  何と、スターリンも、唐突にしゃべり出した・・、
  「ドイツとの戦争が決着すれば、ソ連は、日本を倒す
 ことをお手伝いしましょう」・・と。
  『日ソ中立条約の存在』など、どこかへ吹っ飛んでい
 た。
  スターリンは、すっかり、対日戦に参戦して、日本の
 領土を手にしたらの、ルーズベルト・アメリカ大統領の
 誘いに酔い、すっかりその気になっていた。
  また、ハル・ノートというお手盛り報告書を書いたハ
 ルは、このスターリンの演説に満足し、米ソ共同のハレ
 ンチ(恥を恥とも思わず平気でやること)な裏切り行為
 が進んで行く(千島・満州に進攻され、多くの日本人が
 死に、千島・北方四島は取られ、まだ、未帰還だ)
.
  そして、また、次の(今日の言葉)
.
  題:キリスト教の焦(あせ)り
.
1928年、キリスト教の聖書に記される「カナンの地」が、
 この年に、ウガリットと言うシリアの古代の都市遺跡を、
 『再度』発掘したら見つかったと、まったくデッチアゲ
 的な話がこの年に生まれた。
  イスラエルよりだいぶ北で、まったく、イスラエルと
 関係ない場所である。
  トルコに近い所と言うより、トルコ国境の脇と言いた
 いところで、「カナンの地」と関係ない所で発掘された
 神話が、ユダヤ教の神話と似ていると言ったのである。
  だからだ・・と言う、こじつけである。
  キリスト教は、長いユダヤの歴史のずーっと後から、
 最後に生まれた宗教で、周りのあちこちの事などを都合
 よく取り入れた宗教だった。
  だから、ウガリットがカナンだとは無理な論理だ。
  因みに、馬小屋に生まれたイエスの話も、当時、この
 辺りにあちこちにあった話を取り込んだものである。
  また、生まれたクリスマスの日も、まったく別の宗教
 の祭日が、あまりにも盛大に行われていたので、同じ日
 にしただけである。
  天使だってほかの宗教から拝借している・・、こんな
 他宗教から借りて来た話は一杯ある。
  キリスト教は、根拠のほとんどない宗教である。
  そして、この古代は・・、
  そして、特に、恵まれないこの地域は、砂漠の地は、
 わずかな恵まれた地を取り合った。
  「カナンの地」は、「甘い蜜の流れる地」だと、周り
 の諸民族は憧(あこが)れた。
  そして、「カナンの地は、乳の流れる地」とも讃(た
 た)えられた。
  (学者は、カナンを死海の北の辺りかと推測する、
 シリアの地とはまったく違うのだ・・さらにその北の方
 の地とはまったく関係がない)。
  周りの小さな諸民族の「カナンの地」へのあこがれは
 増した。
  天のなせる罪、それは、「恵みの雨を降らせない」こ
 とだった。
  そこに群がる少数の各部族は、そのため、生きる事に
 喘(あえ)いでいた。
  ここで生まれた宗教が、キリスト教だった(砂漠の宗
 教)。
  当然、この様な民が生きるための宗教となった。
  この地の、この時代に適応し、生まれた宗教だった。
  当然、この地、この時の宗教は、生きるか死ぬかの時
 には、「隣の民族の富を奪ってよい」と教えた。
  ここに生きる民は、そのような宗教を作った。
  当然、この事によって起きる戦いに、その相手の民族
 を「殺して奪え」とキリスト教の神は教えた。
  「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良
 い」と殺人を許容した。
  「○○人は全滅せよ」「△△人は男だけを殺せ」「生
 娘(きむすめ)は生かしておけ」「奴隷にせよ、奴隷に
 せよ」と、キリスト教の神は、好き勝手に、殺人許容を
 叫び、口走った。
  しかし、「この地」の、「この時」の、この宗教が伝
 播して行った。
  そして、この教義、この殺人許容のキリスト教の教義
 が、独り歩きをし始めた。
  愚かな事である。
  その時・その地より豊かな地、豊かな時にであるのに、
 欲ある者たちは、殺人許容のキリスト教教義を都合よく
 取り込んだ。
  豊かな地や豊かな時には、そぐわない「そのキリスト
 教の殺人許容教義」に洗脳され、
  マインド・コントロールされ、
  世界は、『奪い取りの地』となった。
  アメリカの新大陸では、何と、1000万人を越える先住
 民の方々・アメリカインディアンの方々が殺戮され、殺
 された。
  スペインのキリスト教徒と、キリスト教聖職者たちが、
 考えのおよばない様な多くの方々を殺した。
  キリスト教の大本が、現地のキリスト教聖職者の問い
 合わせに「(先住民の方々を)人間ではない」と言った。
  有色人種蔑視のキリスト教の教えから殺戮が始まった。
  先住民の方々は、キリスト教徒とキリスト教聖職者た
 ちの進んだ武器によって、50年近くもの長い長い期間に
 渡って殺され続けた。
  また、オーストラリアでは、イギリスによって、アボ
 リジニの方々が、さも、動物の狩りをするごとくに殺さ
 れた。
  「今日は○○人殺した」と記す日記も残されている。
  アメリカ・インディアンの方々も、アメリカ合衆国と
 カナダによって殺された。
  カナダでは、インディアンの方々の食べているバッフ
 ァローを殺して、インディアンの先住民の方々を餓死さ
 せた。
  アメリカもこの手を使った。
  バッファローを自分たちの食糧にする訳ではなく、先
 住民の方々の餓死の目的だけだった。
  殺したバッファローは、ただ、野に積み上げられた。
  バッファローの頭蓋骨が山の様になった。
  非人道的な行為をした。
  アメリカは、近代的な兵器を持った武力集団・騎兵隊
 によってインディアンの方々を殺戮し続けた。
  ハワイの先住民の方々も同じように殺戮した。
  フィリピンの方々も殺戮した。
  これらすべてを、ユネスコの世界記憶遺産に登録せよ!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2016-10-20 16:49 | 皆様とともに 幸せになりたい


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