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(増補版)232D3/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1842年~1843年)

題:(増補版)232D3/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1842年~1843年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1842年(天保13年)10月、米商の忠兵衛らの10人が、困窮
 者へ米405俵を寄付など・・、生活困窮者に、米または銭
 を寄付する町人や米商人が多くなった。
  奉行所では、御救銀会所請払役格に任命し、銀2~3
 枚を褒美として与えた。
  石川県史の「御救米銀」には、
  「凶作の翌年夫食御貸米を給せらるゝも尚食料の不足
 を感じ、百姓以外の者も一般に困窮する場合に在りては、
 米銀・雜穀又は粥を施與せらる。
  之を御救米又は御救銀といふ。
  御救米銀を給すべきや否やは郡奉行・改作奉行の調査
 による。
  山方等の稼業少く、深雪の爲坐食せざるベからざる如
 き地方に在りては、不作ならずとも尚御救米銀を給して
 保護せられしものあり」・・とある。
1842年12月、長崎市中の結髪営業者中20人が、規約を設け、
 賃銭を下げた。
  これを賞して、税金を免除した。
1842年、二宮尊徳(にのみやそんとく、農政家、思想家)
 が、幕府の役人になった。
  通商:金次郎、
  諸藩・諸村の復興に尽力した。
  幕臣になって、日光領の復興をした。
1842年8月29日、南京条約が結ばれた。
  イギリスは、阿片戦争を仕掛け、イギリスは戦争に勝
 った。
  そして、条約が、南京で締結された。
  香港を中国・清から奪うなど、中国にとって屈辱の条
 項が多々ある条約だった。
 ★広州・福州・厦門(アモイ)・寧波(ニンポー)・上
  海の開港、
 ★香港の割譲、
 ★賠償金の支払い・・など、
  この時、中国は、アメリカ、および、ヨーロッパ諸国
 の侵略の最大の対象国だった。
  その背後には、この様な甘い汁が吸える結果があった。
  また、逆に、アメリカや、イギリスなどのヨーロッパ
 諸国には、「世界に膨張する行為」を止めた時、国力が
 低下をすることを恐れていた。
  特に、イギリスは、止めた時に、「三流の国に成り下
 がる」という恐怖観があった。また、この様に、流布さ
 れていた。
  不正は世界の各地で行われていた。
  1813年2月には、南米の極小国・ギアナまでもが紛争の
 対立点となっていて、イギリス船ピーコックが、アメリ
 カ船に撃沈されるなどという事件も起きていた。
  そして、列強の手に落ちる清を日本は見ていて、鳥肌
 の立つほどの恐怖感を感じていた。
1842年、第二次アヘン戦争(1856年~1860年)への道
  清は、悲惨な事に、第二次のアヘン戦争をせざるを得
 ない状況にまでこれからも置かれて行く。
  この年から戦争は始まったと言ってもよい。
  1856年10月のアロー号事件がきっかけで、第二次アヘ
 ン戦争は勃発したが・・、
  この戦争は、イギリスにフランスも加わって、イギリ
 スとフランスの連合軍で、利益を目あてに、戦争が起き
 た。
  清は敗北し、これによってさらに、悲惨な半植民地の
 状態に置かれてしまう。
  1682年以降、既に、
  清国には、『広東十三行』というものがあって、
  清国は富を収奪されていた(清の富を吸うガンのよう
 な存在だった)。
  広東十三行は、許可されて、存続し続けていた。
  アメリカ、イギリス、デンマーク、スペイン、スウェ
 ーデンの「洋行」呼ばれる組織で、巨万の富を手にした。
  広東十三行は、貿易を独占し、徴税行為まで行ない(
 請け負ったと言っているが?)、
  また、貿易を自分たちの統制下に置いて、アメリカ・
 イギリスを筆頭に、甘い汁を吸っていた。
  この悪徳行為は続き、1842年の南京条約以降は、イギ
 リスへ移った。
  さらに、イギリスは、不公正な関税率の設定をした。
  また、裁判権も握った(司法権を自分のものとした)。
  また、最恵国条項も認めさせた(自分だけに、特別に
 利益を得る条項)。
  そして、開港させた港には、軍艦の停泊する権利も認
 めさせ(武力で威圧した)。
  清国政府にやりたい放題の事をしていた。
  そして、卑劣な事に、最初のアヘン戦争の原因だった
 アヘンの中国への売り付けは、相変わらず続けた。
  アヘン(麻薬)を、強権で黙認させた。
  この様な力での、圧力を掛けて、問題が起きれば、武
 力行使で決着をつけようとするイギリスがあった。
  アロー事件は起こるべくして起こった。
1843(天保14)4月、将軍・家慶が、日光廟に詣ず(氷川
 清話)
  将軍の最後の日光社参だった。
1843年4月、水野越前守免職、阿部伊勢守これに代わる(氷
 川清話)(閏9月の説あり)
  上知令(じょうちれい、土地の没収の令)、老中首座
 の水野忠邦は、アヘン戦争の清国の状況を見ていて、イ
 ギリスは、日本に攻めてくるという状況を予測していた。
  そのため、江戸と大阪の十里四方を上げ地して、幕府
 が監理し、対策(防備)を固めようとした。
  大名や旗本の反対に遭った。
  そして、水野の腹心の部下の鳥居が、上知令反対派の
 老中・土井利位に寝返り、機密文書を渡したりした。
  そのため、水野忠邦は、老中を罷免された。
1843年4月、新潟奉行を置く(氷川清話)
  長岡藩に上知を命じ、幕府に上知され天領となった。
  そして、新潟周辺地域を支配するために新設した。
  目的は、日本海の要港としての新潟の防備の充実や、
 当時、多くなった外国船の応接、そして、当時、横行し
 ていた唐物抜荷の取締り、運上の幕府財政への組み入れ
 などがあった。
  1835年に起きた抜荷事件と、天保の改革の上知令が発
 端で、遠国奉行の一つで、老中の下にあった。
1843年、中台芳昌(なかだいよしまさ)の『老農夜話(ろ
 うのうやわ、農業書)』が出来た。
  稲作農業絵巻で、種子の準備、種子浸しの準備、苗代
 作り・・など、
1843年6月、アーネスト・サトウ(イギリスの外交官)が、
 生まれた(1843年~1929年)
  イギリス公使館の通訳、駐日公使。
  イギリスにおける日本学の基礎を築いた。
  日本名は、佐藤愛之助、
  日本滞在:1862年~1883年、1895年~1900年、25年間
  学生時代の本で日本に憧れ、通訳として横浜に着任し
 た。
  日本で日本人女性と家庭を持った。
  生麦事件で幕府との交渉に立ち会い、また、薩摩藩と
 の交渉にも立ち会うが、交渉決裂して薩英戦争となった。
  また、伊藤博文や井上馨がヨーロッパから、急遽、帰
 国した時は、長州まで送り届けたりしている。
  しかし、この時も、下関戦争が始まる。
  長州藩との講和交渉の時も、高杉晋作を相手に通訳を
 務めている。
  パークスが将軍の慶喜に謁見したときも通訳を務めた。
  など、日本の事件の折々に関係している。
1843年6月、印旛沼の開削を命ず
  洪水氾濫の防止対策を目的の一つとしたが、主たる目
 的は、水運(船運)の整備に重点を置いたとある。
  外国軍艦による、万一の江戸湾封鎖に備えた国防があ
 った(この水路を活用した物資運送)。
  掘削工事を5人の大名に命じたとある。
  工事着手はすぐ行われた。
1843年6月、上知令(じょうちれい)が発布された(9月説
 あり)
  幕府が、江戸・大坂10里四方を直轄地とする。
  大名・旗本の反対が強く、同年撤回した。
  改革挫折の直接的原因。
1843年閏9月、平田篤胤(ひらたあつたね)が没した。
1843年閏9月、老中・水野忠邦が免官された。
1843年、勝海舟、剣術の免許を受く。
  「之より先、師の代稽古として諸藩邸そのほか巡回し
 たが、近年、洋学を始めたとの評判から嫌悪され代稽古
 の受けがよくないので次第に巡回を少なくする」(氷川
 清話)
1843年、ルシアン・バイディ(フランス)が、アネロイド
 気圧計を発明した。
  アネロイドは、水銀を使っていないというギリシャ語。
  薄い金属製の容器の内部を真空にして測定した。
1843年、マオリ戦争が起きた。(1860年~1872年説あり)
  ニュージーランドのマオリ族とイギリス人の植民者と
 の間に起きた戦争。
  土地を奪われたことによって武力衝突した。
  1840年に締結されたワイタンギ条約によってニュージ
 ーランドはイギリスの植民地になった。しかし、・・
  ワイタンギ条約は・・(1)マリオ族はイギリス国王
 に主権を渡す(譲渡する)
  (2)イギリス国王はマオリ族の権利を保護する。
  (3)土地の売買はイギリス国王との間でのみ認めら
    れる。
  (4)マオリ族は、イギリス国民と同等のすべての権
    利を持つ・・だった・・、
  1850年代に入ると、イギリスは大量に移民した。
  イギリスからの移住民は、土地が不足した。
  そのため、土地を必要としたので、マリオ族の土地を
 買おうとした。
  あまりの土地買収に歯止めを掛けたいとした。
  そして、1858年に、代表者(マオリ王)を選出し、各
 部族も連合し、マオリ族の方々の土地が無くならない、
 歯止めを意図した。
  そして、先住民のマリオ族の方々は、土地を売らない
 ことを決定した。
  イギリスが安く買おうとする価格の低さにも問題はあ
 った。
  そして、農業振興などもするが、強引な行動をとり始
 める。
  そして、強引な土地測量等を巡って紛争が起き、小競
 り合いが繰り返され、殺戮も繰り返し起きた。
  1860年に、首長・キンギ以下のマオリ戦士1500名と、
 イギリス軍・ニュージーランド植民地軍の3000名が衝突
 した。
  イギリスが約束した、イギリス人と同等のすべての権
 利など、マオリ族の方々になかった。
1843年3月、ある広告がなされた。
  アメリカ合衆国の西部地域に、「入植者を募る広告」
 だった。
  「オレゴンへ向かう移住隊に参加を希望する者は、ス
 レイピング・グロウブに、馬車を引いてきたれ!」と。
  こうした広告が、ミズーリーの新聞に、繰り返し繰り
 返し出されていた。
  広告を見て集まった人々は、年々、増えて行った。
  1869年に、大陸横断鉄道が開通するまで、数十万の人
 々がオレゴンへの道をひたすら西部へ辿って行った。
  その街道が、「オレゴン街道」「サンタフェ街道」だ
 った。
  スー族や、アラパホ族や、シャイアン族の領土を横切
 って行った。
  アメリカ人たちは、途中でも留まり、家畜を飼い、ま
 た、土地を耕したりもした。そこは、インディアンの方
 々の土地だった。
  インディアンの方々の意思表示である攻撃は、映画に
 ある様な形は全くのプロパガンダ(嘘宣伝)。
  インディアンの方々が、怖くて、荒っぽく描かれてい
 るが・・嘘である。
  インディアンの方々は、映画の様に、正面から襲撃す
 る事はほとんどなかった。
  隊列から離れた馬車を襲ったり、
  進行してくる馬車を、先回りして待ち伏せしたり、
  馬車と一緒に移動して、家畜を驚かせて、鳴き声を上
 げさせ、馬を挑発して暴れさせる方法だった。
  そして、幌馬車隊をパニックにさせた。
  アメリカの先住民の方々・アメリカインディアンの方
 々を、野蛮で、獰猛(どうもう)に感じさせるプロパガ
 ンダ(嘘宣伝)だった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2015-10-27 05:08 | 皆様とともに 幸せになりたい


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