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(増補版)225D2/3:気になった事柄を集めた年表(1835年~1836年)

題:(増補版)225D2/3:気になった事柄を集めた年表(1835年~1836年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1836年1月、坂本龍馬(さかもとりょうま、志士、土佐藩
 郷士)が生まれる。
  (生没年:1836年1月3日~1867年12月10日)
  訂正:224D2/3で「1835年、坂本龍馬が生まれる」
 と記述したのは誤りです。
  薩長同盟など活躍する。
  この龍馬の生まれ育った地・土佐の商家(龍馬の家も
 才谷屋という裕福な商家だった)は、民主主義の考え方
 が根付いていた。
  この様な環境が、龍馬を育てたのだろう。
  日本人の気質・心根は、心優しいが故に民主主義が根
 付いている。
  明治維新になって西洋から学んだと言うのは日本を見
 誤っている。
  西洋を美化する人達の言うこと。
  また、日本は、古代から女性蔑視感もなく、平等の意
 識も古くからあった。
  そして、龍馬と同じ、この地の土佐出身の板垣退助が
 自由民権運動をして日本を導いたのも頷(うなづ)ける。
1836年(天保7年)、天保の大飢饉
  1835年から1837年にかけて起きていた大飢饉。
  全国的な飢饉で、神田にも御救い小屋が設置された。
  江戸・大坂では打ち壊しが起き、各地に百姓一揆が起
 こった(甲斐・三河・陸奥)
1836年7月、米価騰貴のため江戸への廻米は自由とした。
1837年7月、「江戸名所図絵(えどめいしょずえ)」が刊行し
 た。
  絵入りの江戸地誌で、「1834年~1836年に刊」との記
 述もある。
  江戸とその近郊の神社・仏閣・名所・旧跡の由来や故
 事が記されている。
  7巻20冊で、1834年に前半の10冊、1836年に後半の10冊
 を刊行したともある。
  実地調査によって記されていて、史料的価値は高いと
 いう。
  特に、風俗、行事、景観は実地の写生で精緻で、江戸
 生活資料として良いとある。
1836年、この頃、滑稽本・人情本が盛ん。
  文化文政の(1804年~1830年)を「化政文化(かせい
 ぶんか)」と言い、
  元禄文化が上方を中心に花開いたが、
  この化政文化は、江戸を中心とした町人文化で、上方
 落語が江戸に移植されたり、歌舞伎が盛んとなったり、
 俳諧・川柳、狂歌なども庶民層に盛んになった。
  読本として滝沢馬琴・山東京伝、滑稽本として十辺舎
 一九・式亭三馬、人情本として柳亭種彦・為永春水が盛
 んとなった。
1836年7月、ロシア船が、択捉(えとろふ)に渡来した(天
 保雑記)。
  このロシア船は、太平洋で遭難して、ハワイ・アラス
 カを経由してオホーツクに送られていた日本人漂流民を
 乗せていた。
  警備していた日本の兵(番所の守備兵)の砲撃の間隙
 をついて、その漂流民3名を上陸させたとある。
  この漂流船は、越後の五社丸だという。
1836年8月、甲斐の郡内騒動(ぐんないそうどう甲州一揆)
  甲斐国郡内地方:都留(つる)郡一帯で始まり、甲斐
 一国の全域に波及した百姓一揆。
  甲州天保騒動ともいう。
  1833年以来の凶作と米価高騰や、特産品の絹織物の価
 格の暴落が直接の原因。
  夜、都留郡の甲州道中の村々の農民たちが決起し、
  笹子峠を越え、甲府盆地の東部の米穀商や豪農を襲撃
 して始まった。
  甲府町方のほか国中地方の106ヵ村にわたる豪農・富商
 305軒を打毀し、甲斐国内が無政府状態と化した。
1836年3月6日、メキシコの領土だったアメリカ合衆国のニ
 ュー・メキシコ州やカリフォルニア州など・・、
  メキシコとの領土において、アメリカは、ここで、第
 二次世界大戦の時に日本へやった事と同じことをやった。
  アメリカは、メキシコに色々と悪いことをしていた。
  怒ったメキシコが、アメリカに攻め込んだら、正義は
 こちらにあるとメキシコを攻めた。
  西部劇でよくある「銃を抜いたのはあいつだと言って、
 早打ちのガンマンが、良心的な開拓者の農夫を撃ち殺す」
 という図だ。
  キリスト教にもこの教えがある。
  相手に警告さえすれば攻め殺して良いという教え・教
 義だ。
  このメキシコとの戦争もその図だった。
  アラモ砦の人々が玉砕したが、この玉砕が、あたかも
 キリスト教の生贄(いけにえ)の儀式の如くの役をした。
  アメリカ人は正義を掲げて怒り立ったというが?(ど
 っちが正義だったのか?)
  アメリカは、強大な力でメキシコに襲い掛かって、暴
 虐(ぼうぎゃく)な行為を用いた。
  この後(1853年)に、日本に来たペリーも、このアメ
 リカのメキシコ侵攻について、自己批判的な評価をして
 いる(アメリカは悪かったと、ペリーは正直だった)。
  アメリカが良くやる手で、ちょっかいを出して、テキ
 サスをメキシコから独立する動きをさせた。
  アメリカは、パナマ運河を手に入れる時も、このパナ
 マにちょっかいを出して独立の動きをさせている。
  結局、パナマは独立してアメリカのもの同然となった。
  それと同じだった。
  メキシコは、自分の領土のテキサスの独立を押さえよ
 うと軍隊を派遣した。
  その時、独立を叫ぶ市民189人と武装集団(義勇兵?)
 がアラモ教会(先住民のインディアンの方々をキリスト
 教に改宗させようとした教会)を砦として立てこもった。
  戦闘は1836年2月23日に始まった。
  3月6日に至り、最後の兵が倒れ戦闘は終結した。
  このアラモの教会(アラモ砦)の189名の市民と武装集
 団は全滅した。
  しかし、メキシコ軍も1500人の戦死者を出していた。
  この様な動きが、また、別の場所で、この46日後の4月
 21日に起きた。
  この時は、メキシコ軍は630人の戦死者と730人の捕虜
 を出すという大きな打撃を受け、メキシコ軍は崩壊した。
  そして、テキサスの独立に至った。
  そして、1845年に、テキサス共和国は、アメリカ合衆
 国に加盟した(アメリカの思惑通り)。
  デビッド・クロケットが活躍したという。
  また、アラモ砦の指揮官ウィリアム・バレット・トラ
 ビスと副指揮官ジェームズ・ボウの武勇伝は伝説となっ
 て美化されている。
  このメキシコが取られた失敗は、東部のアメリカ人に
 テキサスやカリフォルニアへの入植を許したことにあっ
 た。
  メキシコが出した入植条件がまずかった。
  それ故、このアメリカ合衆国東部からのアメリカ人(
 アングロサクソン系の白人のテキサス人で、元アメリカ
 人である)が独立を画策し、サンアントニオ市を占領し
 たりした。
  元アメリカ人の移入の地域に、当然のごとく、アメリ
 カの援助が来た。
  ディヴィド・クロケットも参加した。
  ニューオリンズからも来た。
  この順番で、メキシコは、自国領をアメリカに奪われ
 て行った。
  メキシコ軍が敗れたのも、独立を求めた地元の独立派
 の力ではなく、アメリカ南部から来たアメリカ軍に敗れ
 たのだった。
  完全にアメリカ軍が侵略戦争をしたのだった。
  それが、10年後に始まる。
  アメリカへ併合となる。
  日韓併合ではないが・・併合はもともといた国(アメ
 リカ)であるから抵抗なしで行われた。
  しかし、テキサス独立はやむを得ないが、併合となる
 とアメリカに取られた形になるので、メキシコは猛反対
 した。
  当然である。
  ここに1846年に、アメリカとメキシコの戦争が始まっ
 た(米墨戦争)。
  メキシコはアメリカの敵ではなかった。
  日本との差と同じ。
  メキシコは敗けた。
  アメリカは、メキシコ領を戦争に勝って奪い取った。
1836年、イギリスのオーストラリアの不法占拠が始まって
 約50年が経たこの年・1836年に、
  オーストラリアのニューサウズウェールズ州の裁判所
 で、
  先住民のアボリジニーの方々の土地所有について、次
 の判決が下された。
  「人口の少なさと、
   政治組織の欠如ゆえに、
   アボリジニーは、自分たちの占有していた土地地域
 の所有を主張する自由で独立した部族集団の一員とは認
 めることは出来ない」・・と。
  だから、我々・イギリス人のものだと言う・・
  オーストラリアの土地は、イギリス人のものだと言う
 ・・?
  おかしいではないか・・?
  例えば、あなたの家に、全く見ず知らずの人が入って
 来て、
  この家に一人しか住んでいないので、
  この一人の人間は、この家の持ち主とは認める事が出
 来ない・・と言われたら、あなたはどうですか?
  ヨーロッパ人、特に、イギリス人やアメリカ人はよく
 このような事をする。
  自分に都合のよい法律を作って、
  法律に従ってやったまでだ、だから正しい行動なのだ、
 正義なのだ・・という主張をよくする。
  政治組織が無いから欠如状態だ、だから権利はない・・
 は、おかしい?
  所有権を主張できない子供が、その欠如状態を「不十
 分だから」として、その子供の所有しているものを奪っ
 て良いのか?
  このイギリスの行為はその様な行為だ、強盗行為だ。
  盗みをしておきながら平気でいたり、こちらが正しい 
 正義だと、相手の不備でない不備をあげつらうイギリス
 の行為は、歴史にあまりにも多い。
  キリスト教の教義的思考である。
  そして、イギリス人たちは、こんな形で、自分たちの
 正当性を確認すると、
  また、相手は劣っている、自分たちには優越性がある
 と確認すると、
  アボリジニーの方々との衝突や対立は何度も繰り返し
 ていたが、
  着実に、イギリス人たちは、奥地へと開拓地を拡大し
 て行った。
  そして、羊牧地の確保が行われて行った。
  そして、オーストラリア産のメリノ品種の羊毛が、品
 質・価格において、スペインやドイツ産の羊毛に劣らな
 いことが判明して、またまた、大きく進展した。
  そうして、オーストラリアが、イギリス産業の原料供
 給国になって行った。
  単なる流刑地と位置づけられていた地が、
  イギリス本国の経済利益と合致する存在となって行っ
 た。
  その様な、オーストラリアの土地の有効性が判明する
 と、その後の動きは、早く、そして、大きく展開した。
  この頃から、都市部では人口過密が問題となって来た。
  大量の入植者(侵略者)が、イギリス本国から移住し
 て来た。
  占領地は、オーストラリア南東部へと広がって行った。
  1860年代までには、北はクィンズランドの南部地域か
 ら、南は南オーストラリアまで開発された。
  羊は2000万頭となった。
  こうした急激な開拓地の拡大に、アボリジニーの方々
 の社会に幾多の大きな打撃が与えられた。
  アボリジニーの方々の生きるための土地が奪われた事
 は明白だった。
  アボリジニーの方々は食糧不足に直面した。
  また、貴重な水源をも奪われていた。
  アボリジニーの方々は、水を多く含む植物などの知恵
 でも水分供給をしていたが、
  この様な植物が、羊に食われて無くなるという、深刻
 な問題も生じた。
  羊たちは、飲料水も消費してしまった。
  アボリジニーの方々に食糧と水のない危機が起きた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2015-10-15 05:08 | 皆様とともに 幸せになりたい


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