人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(増補版)158D1/3:気になった事柄を集めた年表(1725年~1727年)

題:(増補版)158D1/3:気になった事柄を集めた年表(1725年~1727年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1726年、日本の総人口:26,549,000人。
1726年12月、物価取締令を出した(銭価・物価の高騰抑制
 を命じた)。
1726年、大坂の町人が、1724年に創立した学校・懐徳堂を
 準官学の扱いとする。
1726年、交通:借駕篭の数の制限を廃止した。
1726年8月、令:新田検地条目を制定した(全32条)。
  江戸幕府検地条目の集大成と言うべきもの。
  従来のどの検地条目よりも詳細な規定となっている。
  第1条~4条、検地を受ける村方での準備に関する規定。
  第5条~32条、検地の施行にあたっての地主、作人、反
 別、等級などの決定方法、及び、それらに伴う雑則。
1726年、スウィフト(アイルランド)著の「ガリヴァー旅
 行記」が刊行された。
  出版後、間もなく非常な人気を博した。
  イギリス人の社会や慣習に批判的な視点を与えている。
  「ロビンソン・クルーソー」の方向性を継承していた。
  イギリスは、アイルランドに、経済的な政策において、
 イギリスだけが美味しい・旨いことができる様に仕組ん
 でいた。
  それに反して、アイルランドは極度の貧困にあえいで
 いた、
  スウィフトは、この本が出版以前に、パンフレットを
 用いてイギリス製品のボイコット運動を呼びかけていた。
  イギリス政府から危険人物視されていた。
  その為、出版社は、出版に慎重な姿勢を取っていた。
  この本は、これまでに書かれた道徳と品行に対する風
 刺文学の中で、最も痛烈な一作品であると言われている。
  法において判例上の対立が書かれ、数理哲学が、不死
 の追求が、男性性について、動物を含めた弱者の権利な
 ど、今日の数多くの議論が、予見的に書かれているとい
 う。
  リリパット国とブレフスキュ国は、イギリスとフラン
 スを例えていて、その国際上の問題を表現している。
  その戦争の理由の、両国の意見の違いを表現している
 ・・など。
1726年、チューリップ時代のオスマン帝国、イスタンブー
 ルに印刷所を設立。
  イスラム教徒のイブラヒム・ミュテフェッリカが、イ
 スタンブールに「ミュテフェリカ印刷所」を開設した。
  彼は、オスマン政府の官人であるが、フランスへの使
 節団に随行した経歴のある官僚と共同で、1726年に、印
 刷所の効用を説いた意見書を提出し、アラビア文字文献
 の印刷を認める勅許とイスラム法学者の意見書を得て、
 印刷所を開いた。
  辞書や歴史書など17点の出版物が刊行された。
1727年、経済:米価の下落が著しい
  蔵物の大量出荷により、この頃から、米価の下落が著
 しく、幕府や諸藩の財政が大打撃を受けた。
  しかし、一方下記の記述もある。
  1726年に、幕府の年貢収納量が150万691石と、史上初
 めて150万石を突破した。水野忠之は1万石加増された。
  そして、1727年には、さらに162万1980石となる。
  (1731年や1734年の米価下落の記述は確認した。1727
 年は、年貢の増徴の記述までしか確認できず。豊作貧乏
 があったのか?)。
1727年2月、経済:米相場会所を設立(付随して米会所・
 こめかいしょ)、別名:堂島永来町御用会所1727年~
 1728年、北浜冬木会所1730年。
  大阪御為替米御用会所が、1711年から1726年頃に、幕
 府から堂島に設立を許可され、同会所が米取引をとりし
 きった。
  大阪の堂島に米相場会所(堂島永来町御用会所)が設
 立された(翌年廃止となる)。
  大阪には、17世紀以降、堂島(どうじま)米市場が、
 米取引の中心となるが、それに付随した形で米会所が成
 立する。
  この堂島米会所は、堂島米市場に付随する事務所施設
 であり、堂島米仲買の代表である米方年行司(こめかた
 ねんぎょうじ)が運営にあたった。
  大阪では、1725年~1730年の間に幕府公認の下、3回
 に渡って江戸商人による米会所が設立された。
  この米会所は、米取引所であったが、いずれも大阪商
 人の反発を受けて、短期間で廃止された。
  畿内(きない)直轄都市では、このほかに、堺、兵庫
 に米取引の場としての米会所があった。
1727年、農業:青木昆陽が、芋の栽培を始めた。
  苗を取り寄せし、栽培に成功。
  サツマイモは、新大陸の発見以来、原産の南米からヨ
 ーロッパ、そして、中国へ、→琉球(1605年に、沖縄の
 野国総管が福建省から苗を持ち帰り、
  儀間真常・ぎましんじょうが、栽培に努力し普及させ)
 →種子島(1698年)→薩摩・鹿児島藩(1705年)・・
 九州地方へ、
  昆陽は、島流しになった罪人が、餓死するという事を
 聞いて、離島での栽培植物としてサツマイモに注目して
 いた。
  これを発端として、凶作対策として甘藷を説く「甘藷
 考」を著し、普及に努めた。
  これが、八丁堀の名主・加藤枝直の目に留まり、
  彼の推薦により、大岡越前守に「甘藷考」が提出され、
 奉行に目通りとなった。
  昆陽は、世間では「甘藷先生」と呼ばれていた。
  そして、その本は、吉宗に渡った。
  吉宗は、栽培実験を命じ、小石川御薬園で栽培し、伊
 豆七島・八丈島・佐渡島などに送り、その培養を奨励し
 た。
  また、青木昆陽が栽培法を記した書物とタネ芋を諸国
 に配らせ広まった。
  また一方、栽培実験は、千葉の九十九里浜でも行われ、
 ここでも、栽培実験は成功し、九十九里浜からも広まっ
 た。
  1627年に、南永井村の吉田弥右衛門が、九十九里から
 買って、三富に広まった。
  昆陽の墓には、「甘藷先生墓」と刻まれている。
  また因みに、八丈実紀には、
  「甘藷、薄く切りて日に干し。俵として倉に収む、こ
 れを切干(きんぼし)と云う。和田藤右衛門これを始し
 め、文化文政には辻彦之丞しきりにこれを製し・・今は
 八丈一同にこれ習ふて製し、粮穀トス」とある。
  八丈島に、サツマイモが初めて入って来たのが1727年
 とある。
  これは、吉宗が広めようと八丈島にもたらしたものだ
 った。
  しかし、当初は、栽培法が分からず失敗したという。
  八丈島においての本格的な栽培は、昆陽が、1735年に
 栽培成功してから80年後の1813年だったという。
  千葉の下総では、1735年に、4400の芋が取れたという。
 これが関東での甘藷栽培の初めと言われている。
  因みに、この頃、九州では、飢饉を乗り切ったという
 実績があったが、江戸や関東では、初めは「甘藷を食べ
 ると病になる」などの流言があった。
  因みに、サトウキビも、1727年に、苗を取り寄せ栽培
 が成功し、諸国へ移植したとある。
  また、高麗人参の種子と生根を、対州候が、1721年に、
 朝鮮から入れ、幕府に献じられたという。
  そして、これを小石川薬園と下野の日光に植え、約40
 年後の1763年に、5万株に増やし諸藩に配ったという。
  日本は、民の事を思って一生懸命だった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009
by suba28 | 2015-07-19 04:22 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないのでしょうか
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2023年 10月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

脳の萎縮を遅くし、脳の活性化..
at 2023-10-30 02:46
水俣病・・まだ、続く、本日・..
at 2023-10-13 02:41
水俣病・・当時、有機水銀の様..
at 2023-10-09 05:42
水俣病・・石牟礼道子さんは、..
at 2023-10-08 04:51
水俣病・・まったく悲惨な、そ..
at 2023-10-06 05:27

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
20代

画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31