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(増補版)140D1/3:気になった事柄を集めた年表(1700年~1700年)

題:(増補版)140D1/3:気になった事柄を集めた年表(1700年~1700年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1700年、人口(18世紀はじめ):
  18世紀初めの江戸の人口は、100万人前後だった。
  因みに、大阪は35万人、京都は40万人だった。
  日本全体では、3000万人前後と推定されている。
1700年、経済政策:両替比率を定めた。
  金銀銭の三貨の比価(金1両=銀60匁=銭4貫文)を定
 めた。
  江戸を中心にしての使用通貨は、金を遣う経済圏で、
 大阪は銀遣い経済圏だった。
  また、九州は銭経済圏だったと言われている。
  この地域の差における違い、また変動もあり、交換比
 率を調整し、定める事は重要だった。
  また、幕藩体制は、石高制によってなされ、市中の経
 済は貨幣経済で、
  その貨幣経済下で、経済成長するため、石高制の伸び
 の反映がなされにくかった。そのため・・、
  幕府の収入の石高価値は減価し、幕府も藩も財政難に
 陥りやすいという傾向と問題があった。
  そこで貨幣の発行権のある幕府は、改鋳して貨幣発行
 益を得たりもした。
  この度重なる改鋳は、特に、銀貨の価値を大きく低下
 させた。
  交換比率改定の必要性はここにもあった。
  海外への大量の金流出も、この問題を引き起こした。
1700年、交通・運搬政策の育成と課税
  江戸三伝馬町助成(育成)のため、大八車・借駕篭に
 焼印し、極印賃(ごくいんちん)を課税した。
  伝馬町(てんまちょう)は、幕府・大名の命ずる交通・
 通信業務を従う伝馬役を負担している町だった。
  江戸には、江戸府内から五街道にかかる人足、伝馬の
 継立てを、幕府の命により行う三つの伝馬町があった。
  また、荷物運送も含め育成する必要もあった。
  大八車(だいはちぐるま)は、当時の画期的な運送手
 段だった(因みに、大阪では大八車は使用されなかった。
 大阪はべか車)。
  大八車による事故が多発したという。
  江戸の大工の八左衛門が発明したので大八車と言う(
 建築資材運搬として発明)。
  大八車が、飼料代不要で、馬を必要としないので急激
 に増え、伝馬町の馬持ちの荷物を奪う事になった。
  その為、大八車に課税して、その金で伝馬町を育成し
 た。
1700年、幕府が、旅人・老人幼児・婦人・病者ら以外の借
 駕篭の使用を禁止した。
  これも伝馬町の育成のためだった。
1700年、出版:鳥居清信(とりいきよのぶ、浮世絵師)
  鳥居清信画の絵本「風流四方屏風(びょうぶ)」が刊
 行した。
  歌舞伎絵の名門で、看板絵で好評を博した。
  菱川師宣(ひしかわもろのぶ)に学んだ。
1700年頃、産業:ひもの(干物)
  この頃、「ひもの作り」が始まった。
1700年、毛利氏のこの頃・・長州藩は・・、、
  関ケ原からおよそ1世紀を過ぎた頃、長州藩は、銀4万
 貫にのぼる膨大な負債に苦しんだ・・が、
  年収の10倍を超える藩債を処理するのに、ただただ『
 倹約』をする事しか知らなかった。
  改革が始まるのは、人材養成組織である「藩校・明倫
 館(めいりんかん)」を創設(1719年)まで待たねばな
 らなかった。
  因みに、水戸藩の弘道館や、岡山藩の閑谷黌(しずた
 にこう)とともに、日本三大藩校という。
  反幕資金・・、
  18世紀の初めころ、長州藩は、瀬戸内海方面を盛んに
 干拓し、
  幕末には、「長州藩の実質は100万石」と言われた。
  ほかに、殖産事業を盛んに行ない、特に、塩の収入は
 桁はずれに大きかった。
  全国600万石ぐらいのうち、長州藩は100万石を生産し
 た。
  製塩すると、すぐ三田尻港から内国貿易の船に積み込
 んだ。
  上方へ行く塩船は、脚のはやい菱垣(ひしがき)廻船
 とか樽(たる)廻船といわれる船種であった。
  北前航路へ向かう船は、その船形からドングリ船とい
 われたように頑丈でずんぐりしており積載量が大きい。
  そのかわり速力は遅かった。
  日本海岸から蝦夷地まで塩を売って行った。
  長州藩の藩庫は、このようにして、農業本位の諸藩と
 は比べ物にならぬほどに豊かになった。
  それが、反幕運動資金として流出していく(街道をゆ
 く1)
1700年、芸術:狩野派
  狩野派の絵が琉球に。また、琉球の絵師が中国に。
18世紀、キリスト教国の『スペイン』と『ポルトガル』の
 蛮行。
  ブラジルとアルゼンチンにはさまれた国・パラグアイ。
  スペインは、このパラグアイから東進して領土を奪っ
 て行った。
  ポルトガルは、ブラジルを南下しながら領土を奪って
 行った。
  この両国が、18世紀に入って、領土を奪い合って衝突
 した。
  この衝突は、『トルデシーリャス条約』を空文化した。
1700年、オランダ貿易船の入港を5隻を許す。清船は8隻、
18世紀、マレーシアへ、18世紀にオランダが侵入した。
1700年、ベルリンで気象観測が開始された。
1700年11月30日、不凍港が欲しいロシア
 ナルワの戦いでスウェーデンが、ロシアを破った。
  北方戦争(または大北方戦争)が勃発した。
  この年、スエーデン王のカール12世が、ナルワ(ナル
 ヴァ)の戦いで、ピョートル1世のロシア軍を破った。
  三十年戦争以来、ヨーロッパ東北部で強勢を誇ってい
 たスエーデン。
  これに対して、ロシアと、ポーランドと、デンマーク
 が戦いを挑んだ戦争だった。
  三十年戦争で、スエーデンは、ウエストファリア条約
 により、バルト海南岸や北部ドイツの大河川の河口域を
 手に入れ、
  また、海峡の制海権をデンマークから得たりと、にわ
 かに強国となっていた。
  それ以後、欧州列強(イギリス・フランス・オランダ)
 は、スエーデンを味方につけようとうごめていた。
  しかし、オランダとスエーデンは、長年のライバルだ
 った。
  三十年戦争でも戦った。
  やはり、領土の取り合いだった。
  ロシアは、河川が多いが、すべて、その河口は、他国
 領だった。
  海へ出ようとしても出られなかった。
  その都度、スエーデンやポーランドに邪魔された。
  そんなロシアに変化が出たのは、1698年に、ピョート
 ル1世が政権の座についてからだった。
  彼の幼少の時のロシアは、悲惨だった。
  彼は、富国のために、交易を盛んにしたい、不凍港が
 欲しいと考えた。
  そこで、オスマントルコが領有する黒海を狙った。
  思う様には行かなかった。
  応援を得たいと、1697年に、西欧諸国へ対トルコ戦の
 援助を求めた。
  しかし、その要請の旅先で、
  また、諸情勢を見たり、技術を学びたいと出掛けた彼
 が見たのは、虚弱な不安定なスペインだけで、
  トルコと戦おうとする国は一つとして無かった。
  トルコと長年の宿敵のオーストリアでさえ、スペイン
 継承戦争に備えて、トルコと和平を結んでいた(カルロ
 ヴィッツ条約)。
  そこで彼は、不凍港の矛先をバルト海へ向けたのだっ
 た。
  北方戦争は、1721年まで続いた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/
by suba28 | 2015-06-26 16:33 | 皆様とともに 幸せになりたい


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