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(増補版)64C1/3:気になった事柄を集めた年表(1541年~1543年)

 題:(増補版)64C1/3:気になった事柄を集めた年表(1541年~1543年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1542年、南米で、50年間も、インディオの方たちを殺し
 まくったキリスト教徒とキリスト教聖職者たち。
  そのキリスト教聖職者のラス・カサスが、「このまま
 では天に召されない」という気持ちに、50年も経って、
 やっとなって、本国・スペイン王や関係者の前で、南米
 などの卑劣きわまりない、悲惨な自分たちの行為を報告
 する。
  王は、すべてを聞くことが出来ず、簡潔に報告書にし
 なさいと言えるだけだった。
  それが、岩波文庫から出版されている本、「インディ
 アスの破壊についての簡潔な報告」である。是非、お読
 みを・・。
  欲に絡んだキリスト教聖職者が、黄金を探そうと、探
 しやすいようにインディオスの家を焼き、その焼跡に行
 ったりしている。
  赤ん坊を岩にたたきつけて殺したり、インディオスの
 方たちを何人も立たせておいて、槍で何人を突き通せる
 かなどという遊びで人を殺し、色々蔑んだ行為で人殺し
 をしている。宗教で洗脳され、殺人鬼と化している。
  卑劣な筆舌に尽くせぬ悪行為をしている。
1542年5月、ザビエルがインドに赴任し、ゴアに着いた。
 36歳。ゴアは華やかで活気に満ちた町だった。
  しかし、キリスト教司祭たちの生活は乱れ、道徳的に
 も荒廃し、人々の救済をするどころか、自分たちの懐(
 ふところ)を肥やすことばかり考え、行動していた。
  商売をし、金もうけにうつつを抜かすという状態だっ
 た。また、生活も怠惰そのものだった。
1542年8月、美濃で斎藤道三が、守護の土岐頼芸(よりな
 り)を追放した。頼芸は信秀に頼った。
  これ以後、織田と斎藤は戦うことしきり。
1542年12月、徳川家康が生まれた(1542年~1616年)。
  江戸幕府の初代将軍。
  家康は、幼少期に、今川氏へ人質として差し出された
 が、これは、逆から見ると、命を狙われる状況から逃れ
 て、ある意味、『安全領域に行った』とも言える。
  それは、家康の祖父の松平清康は、松平家を中興し、
 松平家もしっかりして来たが、この清康が作った松平家
 を狙った家臣に暗殺されている。
  また、この他にも、松平家の跡目を奪おうとした一門
 衆により、この清康の嫡男・広忠(家康の父)も、命を
 狙われている。広忠は伊勢に逃れている。
  そして、その家康の父の広忠が、伊勢から帰って来て
 家康を今川へ人質に出すとした。
  この時の父の気持ちは、家康の安全を考えたのだろう。
  しかし、この家康も、すっきりと、今川氏へ行けた訳
 ではなかった。
  家康が、人質として今川氏へ送られる途中で、祖父の
 清康に従属していた部下の戸田康光が、家康を奪い、家
 康を織田氏へ送ってしまっている。
  家康は、そのまま、織田の元で数年を過ごしている。
  後に、織田氏と今川氏の交渉による『人質交換』で、
 家康は、今川氏へ送られるが、織田氏より今川氏の方が
 大きな大名だし、人質としては安全度が増している。
  この今川氏での、家康の人質期間は長かった。
1542年~1543年、北条氏康が、相模で大仕掛けな検地を
 始めた。
1542年、武田信玄が釜無川の「霞堤」を築いた。江戸時代
 以前の主な社会資本整備。信玄堤(しんげんづつみ)と
 も言う。
  川の流れの自然をよく知った、知恵のある洪水防止策
 である。今現代でも役に立っている。
1543年、狩野永徳(かのうえいとく、絵師)が生まれた
  (1543年~1590年)
  洛中洛外図屏風(国宝)、聚光院障壁画(国宝)
1543年1月、秀吉の父・木下弥右衛門が亡くなった。
  弥右衛門は、戦場で受けた傷がもとで亡くなった。
  秀吉が7歳のとき。
1543年2月、信長の父・信秀が皇居修理費を献じた。
1543年8月25日、種子島の西村の浦に、明船(中国船)が
 漂着し、鉄砲を伝えた。
  この中国船にポルトガル人のフランシスコ・ゼイモト
 が便乗していた。
  彼の持っていた鉄砲に着目した島主の種子島時尭(た
 ねがしまときたか)は、2000両で、この鉄砲2挺を譲り
 受け、使用法も教わった。
  明船であったため、漢字の筆談で意思の疎通ができた
 という。火薬も伝来した?(一説・1542年)
  32年後の長篠の戦(1575年)では、既に、織田信長
 は、3000挺の鉄砲を使用して、強敵・武田軍の騎馬隊を
 倒している。
  しかし、その5年前の1570年に、石山本願寺の軍が、
 8000挺の銃を用いて、織田信長と戦っている。信長は、
 この時、鉄砲の威力を、嫌と言うほど知ったのだろう。
  種子島に伝来した時、種子島時尭は、家臣に命じて、
 外国人に火薬調合の方法も学ばせてもいる。
  また、時尭は、銃筒を模造させたが、銃尾が塞がれて
 いて作り方が分からなかったという。
  翌年、来航した外国人から、矢板金兵衛が、その製法
 を学び、伝来から一年後には、数十挺の鉄砲を製造する
 事が出来たという。
  その後、種子島を訪れた紀州根来(ねごろ)の杉坊(
 すぎのぼう)や、堺の商人・橘屋又三郎が、鉄砲製造法
 を習得して持ち帰り、近畿を中心に鉄砲の製造が始まっ
 たという。
  米国のダートマス大学教授(ノエル・ペリン)の本・
 「鉄砲を捨てた日本人」には・・、
  「アラビア人・インド人・中国人、いずれも、鉄砲の
 使用では、日本人よりずっと先んじたのであるが、
  日本人だけが、鉄砲の大量生産に成功した。
  そればかりか、思うままに使える武器とした」・・と
 ある。
  そして、また、
  「今日でもそうだが、日本は、当時も優れた工業国で
 あった。・・日本で、最も大量に製造されていた物が何
 かというと、それは武器であって、二百年間ぐらいは、
 世界有数の武器輸出国であった。
  日本製の武器は、東アジア一帯で使われていた」・と。
  また、「少なくとも鉄砲の絶対数では、十六世紀末の
 日本は、間違いなく世界のどの国よりも大量に持ってい
 た」・・と。
  そして、イギリス軍の全体の鉄砲所有数は、日本の大
 名の6名分より少ないとも言っている。
  また、フランスは、1569年に、6000挺の銃を所持し
 ていたが、
  日本の戦国大名の龍造寺隆信が、1584年に、島原方面
 で有馬晴信・島津家久と戦ったが、率いていた軍勢に、
 9000挺の鉄砲を持つの鉄砲隊が居た・・と。
  全フランスより、日本の1大名の鉄砲数の方が多いと
 記述している。
  「1大名が持つ鉄砲の数が5割も多い」とびっくりして
 いる。
  しかも、日本は、独自の工夫によって、銃の性能を高
 めているという、
  「螺旋状の主動バネと、引き金調整装置を発達させて
 いる」・・とか、
  「雨中でも、火縄銃を撃てる、雨よけ付属装置を考案
 している」・・とか、
  日本の方が先行していた・・と言っている。昔から、
 日本人は優秀だったのだ。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
by suba28 | 2015-04-07 14:58 | 皆様とともに 幸せになりたい


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