人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(増補版)33B:気になった事柄を集めた年表(1185年~1186年)

 題:(増補版)33B:気になった事柄を集めた年表(1185年~1186年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1185年9月、源頼朝が、吉田経房を中納言に推挙す。
  吉田経房(つねふさ、公卿)が、頼朝の友人の一人と
 して突然浮上する。
  特別、反平氏の活動をしたという訳でもない。
  ただ一説に、経房が兄・信方とともに2代にわたって
 伊豆の守であり、伊豆国の在庁官人であった頼朝の義父・
 北条時政と昵懇(じっこん、親しく打ち解けて付き合う
 さま)であったのではという。
  平家物語には、頼朝が、経房を「うるわしい人(心あ
 たたまり、うつくしい)」と評したと記されている。
  頼朝の許しを得て、1190年頃に、平維盛(平清盛の嫡
 孫・正室系の孫)の未亡人を妻にしたという。
1185年9月、平時忠が、能登に配流された。
  平時忠は、平清盛の継室(けいしつ、後妻)である平
 時子の同母弟。
  「平家に非ずんば、人にあらず」は、この人の言葉。
  この人は、いらない発言をする癖のある人の様だ。
  愚管抄に、1161年頃に、「ゆゆしき過言」によって二
 条天皇から解官されたとある。
  また、能登配流は、二条天皇を呪詛したとして解官さ
 れた者と共に、陰謀に関わったとされた。
1185年10月17日、土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん、
 武将・僧、頼朝に臣従し、御家人として治承の乱などに
 参加する)が義経を襲った。土佐坊ら60余騎で京の義経
 の館を襲った(堀川夜討)。
  義経たちも応戦し、襲撃側が敗北したという。
  義経は、昌俊を捕らえて聞き出すと、頼朝の命である
 ことを知った。これで、対立が決定的となる。
  そして、頼朝打倒の旗を揚げる事となる。
  因みに、頼朝が、義経を誅する御家人たちを召集する
 が、名乗り出る者がいない中に、昌俊が進んで引き受け
 たという。
1185年10月18日、義経に『源頼朝追討』の宣旨が下った。
  義経は、この日に、院宣を受けたけれども、頼朝が父・
 義朝の供養の法要を24日に営み、そして、家臣を集めた
 こともあって、義経のところに集まる勢力は少なかった。
  そして、さらに、後に、法皇が、今度は義経追討の院
 宣を出したことから、義経は一層の窮地に陥った。
  源頼朝は、29日に、兵を率いて上洛せんと、京へ向か
 うと、義経は、西国で体制を立て直そうと、九州へ行く
 事と図った。
  因みに、院宣(いんぜん)は、上皇からの命令を受け
 た院司が出す文書。
1185年11月1日、この日、頼朝が軍を率いて駿河国の黄瀬
 川に達した。
  源義経らは、11月3日に、九州の緒方氏を頼って、300
 騎を率いて京都を落ちた。
  途中、摂津源氏の多田氏らの襲撃を受けている。義経
 は撃退している(河尻の戦い)。
  一行は、摂津国大物浦(兵庫県尼崎市)あたりから、
 船団を組んで九州へ向かおうとしたが、途中、暴風のた
 めに難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻された。
  義経らは、吉野の山や、京都周辺に潜伏したりするが、
 義経の郎党たちは次々発見され、殺害された。
1185年11月11日、『源義経・行家追討』の院宣が発せら
 れた。義経と行家を捕らえよとの院宣が、諸国に下され
 た(25日?)。
  これは、頼朝が、院や貴族が義経を逃していると疑っ
 ていて、「京都側が義経に味方するならば大軍を送る」
 と恫喝したためとある。
1185年11月24日、北条時政が入京した。
  頼朝の命を受けた時政(頼朝の妻の父、義父)は、
 1000騎の兵を率いて入京し、頼朝の憤怒を院に告げて
 交渉に入った。
  そして、29日に、文治の勅許を認めさせていく。
1185年11月29日、文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)。
  北条時政の奏請に基づき、朝廷より源頼朝に対し与え
 られた諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した勅
 許。
  源頼朝は、「源義経と組んで頼朝追討の宣旨」を出し
 た朝廷に対し、義経らの追求を名目として、守護・地頭
 の設置を要求し、「日本国総追捕使(そうついぶし)」
 (総守護)の承認を得た。
  これによって源氏の政権の基礎が固められた。
  守護地頭設置の勅許が出て、幕府が、朝廷より日本66
 国総守護職・総地頭を命ぜられる。
  源頼朝は、御家人を任命して守護・地頭を全国に置い
 た。
  源義経追捕を名として公許された守護・地頭の設置に
 よって公的制度と化し、武家政治の性格を規定するもの
 となった。
  守護:任務は貞永式目に記されている・「諸国守護の
 任務の事。右大将頼朝殿のとき定められたのは、大番催
 促・謀反・殺害人(のち夜盗・強盗・山賊の追討が加わ
 る)のことである。しかるに近年は、守護は代官を郡や
 郷に配し、荘園に課役を加え、国司でもないのに国務の
 遂行を妨げ、地頭でもないのに土地管理に手を伸ばして
 いる。甚だけしからん。早く頼朝の時代の大番催促・謀
 反・殺害人の取締り以外は守護の管轄外とすべきである
 と後の文書が残されている。また、
  地頭:中世荘園の管理にあたった荘官。この年、頼朝
 によって諸国の公領・荘園に設置され、、御家人の在地
 の領主層が任命された。その権限は土地によって異なる
 が、年貢徴集・警察・裁判・土地管理が含まれた。しば
 しば年貢の横領をしたことは、貞永式目に記されている。
 「諸国の地頭年貢のこと。地頭が年貢の横領をするのゆ
 えであるが、領主の訴えがあれば、清算をして幕府の裁
 定を受けよ。もし横領分の清算を渋る様ならば、地頭職
 は取り上げる」とある。
  だんだん、地頭による年貢抑留(よくりゅう、おさえ
 とどめること)がみられるようになり、領主との間に紛
 争が絶えなかった。
  この解決として現れたのが地頭請(じとううけ)であ
 った。
  これは、年の豊凶に関係なく、地頭が一定額の年貢を
 請負い、その代償として荘園の管理を一任されるものだ
 った。
1185年11月29日、京都守護:京都の治安維持、朝廷と幕
 府の交渉の目的で設置された。承久の変後に六波羅探題
 となる。
1185年12月6日、議奏公卿を指名上奏し、藤原兼実を内覧
 に推挙した。また、義経派公卿の解官を要求した。
  議奏(ぎそう)とは、太政官からの建議を天皇に奏上
 すること。また、内覧(ないらん)は、太政官から天皇
 の奏上する文書を、摂政・関白または宣旨を受けた大臣
 が前もって読んで処置すること。
1186年1月、高野山荘園の兵糧米・地頭を停止す。
  高野山の僧の申し入れによって、北条時政が、「兵糧
 米と地頭の設置を止めよ」と命令した。
1186年2月、諸国荘園の兵糧米未進分を免除す。
  これまで、苦しい荘園などで、免除の申し入れがあっ
 たが、後白河法皇の裁断によって、全国の荘園において
 一律に、兵糧米の未納分は免除して、農民を安心させよ
 うと決まったという。
  源平の争いもなくなったので、その兵糧米の運ぶ必要
 も無くなったので、免除を懇願され、この決定となった。
  そして、北条時政殿に伝える様にとも言われた。
  そしてまた、全国に「免除されました」と言って歩き
 なさいとも言われた。
1186年3月、頼朝の推挙により兼実が、摂政・氏長者とな
 る。
  九条兼実(くじょうかねざね、公卿、摂政・関白藤原
 忠道の六男、反平氏・反木曽義仲系でもあった)。
  頼朝の院の力が増す事への牽制策でもあった。
  兼実は、「夢の如し、幻の如し」と驚愕したという・
 ・と、同時に、関東の頼朝と密通しているのではないか
 という嫌疑をかけられることを恐れ、そして、怯えたと
 いう。
  後白河院も、頼朝の推挙があったからと、すぐ宣下し
 た訳ではなかった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
by suba28 | 2015-03-05 02:44 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないのでしょうか
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2023年 10月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

脳の萎縮を遅くし、脳の活性化..
at 2023-10-30 02:46
水俣病・・まだ、続く、本日・..
at 2023-10-13 02:41
水俣病・・当時、有機水銀の様..
at 2023-10-09 05:42
水俣病・・石牟礼道子さんは、..
at 2023-10-08 04:51
水俣病・・まったく悲惨な、そ..
at 2023-10-06 05:27

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

日々の出来事
20代

画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31