(増補版)8A:気になった事柄を集めた年表(紀元前500年~紀元前200年)
題:(増補版)8A:気になった事柄を集めた年表(紀元前500年~紀元前200年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
紀元前500年、この時期、縄文人の中で何とか食っていけ
たのは、サケ・マスの豊富な東北地方の一部の縄文人だ
った。
紀元前6世紀、この頃、小アジアのリディア王国の最初の王
クロイソスが金貨と銀貨を鋳造した。
それまでは、エレクトロン(金と銀の自然合金)貨幣
で、このクロイソスの貨幣は、鋳造貨幣の最初と言われる。
紀元前6世紀、幾何学者・ピタゴラスは大地が球形と考えた。
その根拠は、彼の宗教的信念。
大地が、神の創造物である以上、幾何学的に完全な形
=球体でなくてはならないと考えた。
古代の人たちは、世界は平らな大地だと考えていた。
紀元前6世紀、ポリス:中産市民による重装歩兵制が確立し、
ペルシャ戦争後、民主制が発展した。
しかし、奴隷制社会であり、民会に出席する成年男子
以外の女性や在留外人には権利が無かった。
ポリス間の戦いによって衰えた。
紀元前6世紀、カースト制度:インドの階級制度。
紀元前6世紀頃、時の支配者バラモンは王と結び、当時
すでに階層化しつつあったバラモン(祭り、知識層)、
クシャトリヤ(王族)、バイシャ(庶民)、シュードラ
(隷民)の4バルナを軸とする身分体制の確立を図った。
この体制の本質は、バルナによる職業の世襲と同一バ
ルナ同士の婚姻にあった。
その後、次々に部族や職業や祖先を同じくする様々な
集団が、この体制下に入り、
また、新たに浄・不浄の観念が身分関係に持ち込まれ
るに及んで、複雑で閉鎖的なカースト体制へと変貌して
いき、現在、カーストの数は3000を越える。
カースト制度は、一定の時期、経済活動と社会の安定に
貢献したが、閉鎖性が根強く、今日、インドの発展にと
って大きな壁となっている。
紀元前485年、釈迦(ブッダ)の入滅は、紀元前383年や
紀元前485年など諸説がある。
「ブッダ」というのは、「目覚めた人」と言う意味で、
仏教を起こしたゴータマ=シッダールダが、悟りを開
いてから付けられた尊称である。
紀元前463年(一説に紀元前560年)頃、現在のネパ
ール地方のカピラ町に釈迦族の王子として生まれた。
生後間もなく母を亡くし、叔母に育てられた。
16歳で妃を迎え、一子をもうけた。
しかし、恵まれた生活の中でも、次第に人生の苦悩を
深く感じるようになって、29歳の時、妻子を残して秘か
に出家した。
6年間に及ぶ苦行の後、菩提樹のもとで、想して悟りを
開き、仏陀となった。
以後、80歳で没するまで、教化の旅を続けた。
ブッダは、現実の世が苦しみである事、苦しみを離れ
たところに安らぎがあること、安らぎの世界に達するに
は、欲望を制御し、正しい実践を行わなければならない
ことを説いた。
更にまた、我欲を去り、すべての生き物への愛に生き
るべきことを説いた。
紀元前480年頃、ヘロドトスが生まれた(紀元前480年頃~
紀元前420年頃)
紀元前479年、孔子が没した(紀元前551年~紀元前479年)
紀元前479年~紀元前500年、ペルシャ戦争が起きた。
紀元前469年、ソクラテス(紀元前469年~紀元前399年)。
古代ギリシャの最大の都市国家ポリスであるアテネで
生まれた。
父は彫刻師、母は助産婦であったと言われている。
紀元前431年~紀元前404年、ペロポネソス戦争が起きた。
この戦争で、それまで繁栄を誇っていたアテネも衰亡
へ向かった。
アテネの人心は動揺し、政治は腐敗し、ポリスとして
の秩序も危機にさらされることになった。
ソクラテスが、哲学者として、祖国アテネを救おうと
したのは、こうした時であった。
ソクラテスによれば、善を行う能力(徳)を身に付け
るためには、「何が良き生き方であるか」の根本知を正
しく知らなければならないとした。
ソクラテスは、アテネ市民に向かって、金銭や名誉を
求めるよりも、知を愛し、市民として正しく生きるよう
訴えた。
しかし、当時すでに、退廃と堕落の程を深めていた市
民は、ソクラテスの真意を理解できず、かえって市民を
惑わすものとして、ソクラテスを告訴した。
死刑の判決を受けたソクラテスは、国外逃亡を勧める
弟子たちの計らいを拒否し、弟子たちの見守る中で毒盃
をあおぎ、この世を去った。70歳であった。
紀元前429年頃、ピタゴラスが没した(紀元前572年頃~
紀元前429年頃)
紀元前427年、プラトンが生まれた(紀元前427年~紀元前
347年)
紀元前420年頃、ヘロドトスが没した(紀元前480年頃~
紀元前420年頃)
紀元前403年~紀元前221年、春秋戦国時代:戦国時代に
は韓、魏、趙、秦など7強国が並び立ち、これを戦国の
7雄と呼ぶ。
春秋戦国時代は、古代統一帝国形成の準備期間として
重要であり、鉄製農具の使用、牛耕、水利灌漑などの生
産技術の飛躍的な発展があり、
農業、商業が栄え社会が激変した。
この混乱の時代を秩序付けるよりどころとして、諸子
百家が、様々な思想を提供した。
秦は、法家思想を採用して、国力を強め、最初の古代
統一帝国を建設した。
諸子百家:春秋時代末期から戦国時代にかけて現れた
思想家群。
儒家、道家、法家、墨家、陰陽家、縦横家、農家、名
家など。
儒家は、家族愛を社会に広げる「仁」を説き、
道家は、宇宙の根本原理「道」に基づく無為自然を説
いた。
法家は、法による君主政治を、
墨家は、儒家の仁を否定して、兼愛(平等な愛)、非
攻(戦争否定)などを主張した。
漢代には、儒家思想が採用され、
以後、儒教は、中国の国家思想となった。
道家思想は、民衆に浸透し、後に、道教が成立した。
紀元前5世紀、ヒポクラテス(ギリシャ)が気象と疾病の
関係を論じた。
紀元前5世紀、この頃、インドに興った仏教も、シルクロ
ードを通り、紀元前1世紀に中国、6世紀には日本に伝え
られた。
紀元前5世紀頃、騎馬民族:騎馬民族は、紀元前5世紀頃に
文明帝国をほとんど撃滅し、以後、長年(いわゆる中世
の間)ユーラシアの政治・軍事的指導権を掌握していた。
紀元前400~500年頃、旧約聖書の編集が始まる。
紀元前399年、ソクラテスが没した(紀元前469年頃~紀
元前399年)
紀元前395年、コリント戦争が起きた。
紀元前384年~322年、アリストテレス。62歳。
紀元前350年頃、アリストテレスが地球の球体を説明した。
紀元前4世紀半ば、ポリス:この頃、ポリスがマケドニアに
併合され、歴史的な役割は終わった。
紀元前347年、プラトンが没した(紀元前427年~紀元前
347年)
紀元前343年、サムニウム戦争が起きた。
紀元前335年~紀元前35年頃、この300年間ぐらいを「ヘ
レニズム時代」という。
古典ギリシャ時代が終わり、ローマ時代が開始される
までの頃である。
この時代は、知的発見が相次ぎ、数学や天文学が特に
発展した。
紀元前335年、アリストテレスの学校「リュケイオン」が
創設された。
この頃より、約100年間、偉大な知的発見の時代が続
いた。
16世紀の時代が来るまで、人類は、この知的レベルを
超える事が出来なかった。
キリスト教が形成されていった時代というのが、この
知的レベルが低い時代に形成されている。
紀元前334年~紀元前324年、アレキサンダー大王(アレキ
サンドロス3世)の東方遠征(ペルシャやインドなど)。
紀元前330年に、ペルシャが、マケドニア・ギリシャのア
レクサンドロス大王に滅ぼされた。
紀元前330年、ヘレニズム:19世紀のドイツの歴史家ドロ
イゼンの造語。
アレキサンドロスのアケメネス・ペルシャ征服(紀元
前330年)により出現した。
オリエント文化と融合したギリシャ文化。
公用語としてのコイネの普及、世界市民理念の成立、
自然科学の発達を特色とする。
紀元前330年頃、ユーグリッドが生まれた(紀元前330年
頃~紀元前275年頃)
紀元前323年、アレキサンダー大王の死。
紀元前317年、マウリヤ王朝:この頃、チャンドラグプタ
によってマガタ王国の地に建てられたインド最初の古代
統一帝国。
アレクサンドロス軍の北西インド侵入が刺激となった
と考えられている。
第三代アショーカ王の時、ほぼ全インドに及ぶ最大領
域を実現した。
アショーカ王は、仏教を帝国統治の理念とし、各地に
摩崖や石柱の詔勅碑を建て、王子マヒンダにスリランカ
島布教を命じるなど辺境、外国にも仏教を伝え、これに
よって仏教は世界宗教になった。
仏教宣教師が、キリスト教の地のパレスチナへも行っ
ている記録がある。
王国は、王の死後急速に衰退した。
紀元前4世紀末、匈奴:紀元前4世紀末~1世紀中頃に活躍
した。中国の秦漢時代に当たる頃に盛んになった北方遊
牧騎馬民族。
紀元前300年、弥生時代、米作りが中心の生活。石包丁で
稲の穂を摘み取る。~紀元300年まで。
紀元前4世紀、アリストテレス(ギリシャ)が、「気象学」
を著わす。世界最初の気象専門書。
紀元前300年、ユーグリッド(ギリシャ)、光の直進、反
射の法則。
紀元前4世紀、騎馬民族、紀元前4世紀に、中国の北方でも、
騎馬民族が活動するようになる。
モンゴルからハンガリーにまたがる、東西に長い草原
地帯が、彼らの活動の根拠地で、
彼等は、常に、南方の文明国家へ侵入した。
紀元前275年~紀元前196年頃、経緯線を用いた最初の地
図。エジプトの学者エラトスネスの世界図が作られた。
紀元前275年頃、ユーグリッドが没した(紀元前330年頃
~紀元前275年頃)
紀元前273年~紀元前233年、インド、アショーカ王。
紀元前272年、ローマのイタリア半島統一。
紀元前264年~紀元前146年、ポエニ戦争が起きた。
紀元前259年、秦の始皇帝が生まれた(紀元前259年~紀
元前210年)
紀元前250年頃が中国の始皇帝陵の兵馬俑坑(へいばよう
こう)。
紀元前250年、この頃、アルキメデス(ギリシャ)がアル
キメデスの原理を発見した。
紀元前249年、インドのアショーカ王は、インド最初の統
一王国の舞うリア王朝で熱心に仏教を広め、紀元前249
年に、ルンビニを訪れたとされる。
紀元前247年、劉邦(りゅうほう)が生まれた(紀元前247
年~紀元前195年)
紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一した。
秦漢帝国:中国最初の統一王朝秦(紀元前221年~紀
元前206年)とその後に続く漢を合わせて秦漢帝国とい
う。
秦漢ともに皇帝による中央集権国家であり、官僚によ
って治める郡県制をとった。
秦の都は陽。前漢は長安。五巻は洛陽を都としたので、
それぞれ西漢、東漢とも呼ばれる。
紀元前218年、第二ポエニ戦争。
紀元前215年、マケドニア戦争が起きた。
紀元前210年、秦の始皇帝が没した(紀元前259年~紀元前
210年)
紀元前202年~喜元年、中国の前漢時代。
紀元前202年、ザマの戦い(ハンニバル敗れる)が起きた。
紀元前200年~300年頃(紀元前3世紀頃)、この頃に、ロ
ウソクが誕生した。
紀元前200年、クムランで発見された「死海文書」に、こ
の頃の写本が含まれている。
..
(詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
このブログを世界へ転送してください)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
紀元前500年、この時期、縄文人の中で何とか食っていけ
たのは、サケ・マスの豊富な東北地方の一部の縄文人だ
った。
紀元前6世紀、この頃、小アジアのリディア王国の最初の王
クロイソスが金貨と銀貨を鋳造した。
それまでは、エレクトロン(金と銀の自然合金)貨幣
で、このクロイソスの貨幣は、鋳造貨幣の最初と言われる。
紀元前6世紀、幾何学者・ピタゴラスは大地が球形と考えた。
その根拠は、彼の宗教的信念。
大地が、神の創造物である以上、幾何学的に完全な形
=球体でなくてはならないと考えた。
古代の人たちは、世界は平らな大地だと考えていた。
紀元前6世紀、ポリス:中産市民による重装歩兵制が確立し、
ペルシャ戦争後、民主制が発展した。
しかし、奴隷制社会であり、民会に出席する成年男子
以外の女性や在留外人には権利が無かった。
ポリス間の戦いによって衰えた。
紀元前6世紀、カースト制度:インドの階級制度。
紀元前6世紀頃、時の支配者バラモンは王と結び、当時
すでに階層化しつつあったバラモン(祭り、知識層)、
クシャトリヤ(王族)、バイシャ(庶民)、シュードラ
(隷民)の4バルナを軸とする身分体制の確立を図った。
この体制の本質は、バルナによる職業の世襲と同一バ
ルナ同士の婚姻にあった。
その後、次々に部族や職業や祖先を同じくする様々な
集団が、この体制下に入り、
また、新たに浄・不浄の観念が身分関係に持ち込まれ
るに及んで、複雑で閉鎖的なカースト体制へと変貌して
いき、現在、カーストの数は3000を越える。
カースト制度は、一定の時期、経済活動と社会の安定に
貢献したが、閉鎖性が根強く、今日、インドの発展にと
って大きな壁となっている。
紀元前485年、釈迦(ブッダ)の入滅は、紀元前383年や
紀元前485年など諸説がある。
「ブッダ」というのは、「目覚めた人」と言う意味で、
仏教を起こしたゴータマ=シッダールダが、悟りを開
いてから付けられた尊称である。
紀元前463年(一説に紀元前560年)頃、現在のネパ
ール地方のカピラ町に釈迦族の王子として生まれた。
生後間もなく母を亡くし、叔母に育てられた。
16歳で妃を迎え、一子をもうけた。
しかし、恵まれた生活の中でも、次第に人生の苦悩を
深く感じるようになって、29歳の時、妻子を残して秘か
に出家した。
6年間に及ぶ苦行の後、菩提樹のもとで、想して悟りを
開き、仏陀となった。
以後、80歳で没するまで、教化の旅を続けた。
ブッダは、現実の世が苦しみである事、苦しみを離れ
たところに安らぎがあること、安らぎの世界に達するに
は、欲望を制御し、正しい実践を行わなければならない
ことを説いた。
更にまた、我欲を去り、すべての生き物への愛に生き
るべきことを説いた。
紀元前480年頃、ヘロドトスが生まれた(紀元前480年頃~
紀元前420年頃)
紀元前479年、孔子が没した(紀元前551年~紀元前479年)
紀元前479年~紀元前500年、ペルシャ戦争が起きた。
紀元前469年、ソクラテス(紀元前469年~紀元前399年)。
古代ギリシャの最大の都市国家ポリスであるアテネで
生まれた。
父は彫刻師、母は助産婦であったと言われている。
紀元前431年~紀元前404年、ペロポネソス戦争が起きた。
この戦争で、それまで繁栄を誇っていたアテネも衰亡
へ向かった。
アテネの人心は動揺し、政治は腐敗し、ポリスとして
の秩序も危機にさらされることになった。
ソクラテスが、哲学者として、祖国アテネを救おうと
したのは、こうした時であった。
ソクラテスによれば、善を行う能力(徳)を身に付け
るためには、「何が良き生き方であるか」の根本知を正
しく知らなければならないとした。
ソクラテスは、アテネ市民に向かって、金銭や名誉を
求めるよりも、知を愛し、市民として正しく生きるよう
訴えた。
しかし、当時すでに、退廃と堕落の程を深めていた市
民は、ソクラテスの真意を理解できず、かえって市民を
惑わすものとして、ソクラテスを告訴した。
死刑の判決を受けたソクラテスは、国外逃亡を勧める
弟子たちの計らいを拒否し、弟子たちの見守る中で毒盃
をあおぎ、この世を去った。70歳であった。
紀元前429年頃、ピタゴラスが没した(紀元前572年頃~
紀元前429年頃)
紀元前427年、プラトンが生まれた(紀元前427年~紀元前
347年)
紀元前420年頃、ヘロドトスが没した(紀元前480年頃~
紀元前420年頃)
紀元前403年~紀元前221年、春秋戦国時代:戦国時代に
は韓、魏、趙、秦など7強国が並び立ち、これを戦国の
7雄と呼ぶ。
春秋戦国時代は、古代統一帝国形成の準備期間として
重要であり、鉄製農具の使用、牛耕、水利灌漑などの生
産技術の飛躍的な発展があり、
農業、商業が栄え社会が激変した。
この混乱の時代を秩序付けるよりどころとして、諸子
百家が、様々な思想を提供した。
秦は、法家思想を採用して、国力を強め、最初の古代
統一帝国を建設した。
諸子百家:春秋時代末期から戦国時代にかけて現れた
思想家群。
儒家、道家、法家、墨家、陰陽家、縦横家、農家、名
家など。
儒家は、家族愛を社会に広げる「仁」を説き、
道家は、宇宙の根本原理「道」に基づく無為自然を説
いた。
法家は、法による君主政治を、
墨家は、儒家の仁を否定して、兼愛(平等な愛)、非
攻(戦争否定)などを主張した。
漢代には、儒家思想が採用され、
以後、儒教は、中国の国家思想となった。
道家思想は、民衆に浸透し、後に、道教が成立した。
紀元前5世紀、ヒポクラテス(ギリシャ)が気象と疾病の
関係を論じた。
紀元前5世紀、この頃、インドに興った仏教も、シルクロ
ードを通り、紀元前1世紀に中国、6世紀には日本に伝え
られた。
紀元前5世紀頃、騎馬民族:騎馬民族は、紀元前5世紀頃に
文明帝国をほとんど撃滅し、以後、長年(いわゆる中世
の間)ユーラシアの政治・軍事的指導権を掌握していた。
紀元前400~500年頃、旧約聖書の編集が始まる。
紀元前399年、ソクラテスが没した(紀元前469年頃~紀
元前399年)
紀元前395年、コリント戦争が起きた。
紀元前384年~322年、アリストテレス。62歳。
紀元前350年頃、アリストテレスが地球の球体を説明した。
紀元前4世紀半ば、ポリス:この頃、ポリスがマケドニアに
併合され、歴史的な役割は終わった。
紀元前347年、プラトンが没した(紀元前427年~紀元前
347年)
紀元前343年、サムニウム戦争が起きた。
紀元前335年~紀元前35年頃、この300年間ぐらいを「ヘ
レニズム時代」という。
古典ギリシャ時代が終わり、ローマ時代が開始される
までの頃である。
この時代は、知的発見が相次ぎ、数学や天文学が特に
発展した。
紀元前335年、アリストテレスの学校「リュケイオン」が
創設された。
この頃より、約100年間、偉大な知的発見の時代が続
いた。
16世紀の時代が来るまで、人類は、この知的レベルを
超える事が出来なかった。
キリスト教が形成されていった時代というのが、この
知的レベルが低い時代に形成されている。
紀元前334年~紀元前324年、アレキサンダー大王(アレキ
サンドロス3世)の東方遠征(ペルシャやインドなど)。
紀元前330年に、ペルシャが、マケドニア・ギリシャのア
レクサンドロス大王に滅ぼされた。
紀元前330年、ヘレニズム:19世紀のドイツの歴史家ドロ
イゼンの造語。
アレキサンドロスのアケメネス・ペルシャ征服(紀元
前330年)により出現した。
オリエント文化と融合したギリシャ文化。
公用語としてのコイネの普及、世界市民理念の成立、
自然科学の発達を特色とする。
紀元前330年頃、ユーグリッドが生まれた(紀元前330年
頃~紀元前275年頃)
紀元前323年、アレキサンダー大王の死。
紀元前317年、マウリヤ王朝:この頃、チャンドラグプタ
によってマガタ王国の地に建てられたインド最初の古代
統一帝国。
アレクサンドロス軍の北西インド侵入が刺激となった
と考えられている。
第三代アショーカ王の時、ほぼ全インドに及ぶ最大領
域を実現した。
アショーカ王は、仏教を帝国統治の理念とし、各地に
摩崖や石柱の詔勅碑を建て、王子マヒンダにスリランカ
島布教を命じるなど辺境、外国にも仏教を伝え、これに
よって仏教は世界宗教になった。
仏教宣教師が、キリスト教の地のパレスチナへも行っ
ている記録がある。
王国は、王の死後急速に衰退した。
紀元前4世紀末、匈奴:紀元前4世紀末~1世紀中頃に活躍
した。中国の秦漢時代に当たる頃に盛んになった北方遊
牧騎馬民族。
紀元前300年、弥生時代、米作りが中心の生活。石包丁で
稲の穂を摘み取る。~紀元300年まで。
紀元前4世紀、アリストテレス(ギリシャ)が、「気象学」
を著わす。世界最初の気象専門書。
紀元前300年、ユーグリッド(ギリシャ)、光の直進、反
射の法則。
紀元前4世紀、騎馬民族、紀元前4世紀に、中国の北方でも、
騎馬民族が活動するようになる。
モンゴルからハンガリーにまたがる、東西に長い草原
地帯が、彼らの活動の根拠地で、
彼等は、常に、南方の文明国家へ侵入した。
紀元前275年~紀元前196年頃、経緯線を用いた最初の地
図。エジプトの学者エラトスネスの世界図が作られた。
紀元前275年頃、ユーグリッドが没した(紀元前330年頃
~紀元前275年頃)
紀元前273年~紀元前233年、インド、アショーカ王。
紀元前272年、ローマのイタリア半島統一。
紀元前264年~紀元前146年、ポエニ戦争が起きた。
紀元前259年、秦の始皇帝が生まれた(紀元前259年~紀
元前210年)
紀元前250年頃が中国の始皇帝陵の兵馬俑坑(へいばよう
こう)。
紀元前250年、この頃、アルキメデス(ギリシャ)がアル
キメデスの原理を発見した。
紀元前249年、インドのアショーカ王は、インド最初の統
一王国の舞うリア王朝で熱心に仏教を広め、紀元前249
年に、ルンビニを訪れたとされる。
紀元前247年、劉邦(りゅうほう)が生まれた(紀元前247
年~紀元前195年)
紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一した。
秦漢帝国:中国最初の統一王朝秦(紀元前221年~紀
元前206年)とその後に続く漢を合わせて秦漢帝国とい
う。
秦漢ともに皇帝による中央集権国家であり、官僚によ
って治める郡県制をとった。
秦の都は陽。前漢は長安。五巻は洛陽を都としたので、
それぞれ西漢、東漢とも呼ばれる。
紀元前218年、第二ポエニ戦争。
紀元前215年、マケドニア戦争が起きた。
紀元前210年、秦の始皇帝が没した(紀元前259年~紀元前
210年)
紀元前202年~喜元年、中国の前漢時代。
紀元前202年、ザマの戦い(ハンニバル敗れる)が起きた。
紀元前200年~300年頃(紀元前3世紀頃)、この頃に、ロ
ウソクが誕生した。
紀元前200年、クムランで発見された「死海文書」に、こ
の頃の写本が含まれている。
..
(詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
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by suba28
| 2015-02-04 04:14
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