戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが・・・幻の報告書
題 : 戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが
・・・幻の報告書
☆《 戦争開戦前に
・・現状を詳細に分析した報告書が存在した
・・しかし、現状認識を封印し、戦争は始められた
・・その結果は悲惨そのものだった・・・ 》:
70年前の日米開戦前に、
日本の国力を正確に予測しながら、
葬り去られた幻の報告書が存在した。
1939年9月、
関東軍参謀部で、満州国の建設主任から急きょ帰国した陸軍
中佐の秋丸次朗は、
「戦争経済研究班」を取り仕切って、
その報告書を作成した。
同班は「秋丸機関」と通称され知られた。
秋丸は、英米との戦争に耐えられるかどうかの分析を命じら
れ、
東大教授の有沢広巳、
後に一橋大学学長になる中山伊知郎らの学者を集め、
徹底的に調べた。
20~30人の研究チームだった。
調査対象は、人口・資源・海運・産業など広い分野に及んだ。
資料収集に苦労を重ねた。
経済封鎖の日本。
軍需産業育成にどれだけ力を注げるのか。
英米との力の差は・・。
分析が進んで行った。
調査開始から1年半後の1941年半ば、
12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、
陸軍首脳らに対する報告会が催された。
秋丸は意を決して言った。
「日本の経済力を1とすると、
英米は合わせて20。
日本は2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、
それ以降は経済力は下降線をたどり、
逆に、英米は上昇し始める。
彼らとの戦力格差は大きく、
持久戦には耐えがたい」。
これが秋丸機関の結論だった。
列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。
じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。
「報告書はほぼ完壁で、非難すべき点はない」と報告書の
分析に敬意を示し、
そして続けた
「その結論は国策に反する。
報告書の謄写本はすべて燃やせ」。
会議から帰って秋丸は、報告書を焼却した。
有沢は直ちに活動から手を引くように命じられた。
秋丸機関は、ほどなく解散し、
現状認識を封印した戦争が始まった。
結果は、悲惨そのものであった。
報告書の一部が秋丸の死後、
遺品の中から発見された。
詳細を極めた報告書であった。
(参考:日経2011・1・3)
・・・幻の報告書
☆《 戦争開戦前に
・・現状を詳細に分析した報告書が存在した
・・しかし、現状認識を封印し、戦争は始められた
・・その結果は悲惨そのものだった・・・ 》:
70年前の日米開戦前に、
日本の国力を正確に予測しながら、
葬り去られた幻の報告書が存在した。
1939年9月、
関東軍参謀部で、満州国の建設主任から急きょ帰国した陸軍
中佐の秋丸次朗は、
「戦争経済研究班」を取り仕切って、
その報告書を作成した。
同班は「秋丸機関」と通称され知られた。
秋丸は、英米との戦争に耐えられるかどうかの分析を命じら
れ、
東大教授の有沢広巳、
後に一橋大学学長になる中山伊知郎らの学者を集め、
徹底的に調べた。
20~30人の研究チームだった。
調査対象は、人口・資源・海運・産業など広い分野に及んだ。
資料収集に苦労を重ねた。
経済封鎖の日本。
軍需産業育成にどれだけ力を注げるのか。
英米との力の差は・・。
分析が進んで行った。
調査開始から1年半後の1941年半ば、
12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、
陸軍首脳らに対する報告会が催された。
秋丸は意を決して言った。
「日本の経済力を1とすると、
英米は合わせて20。
日本は2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、
それ以降は経済力は下降線をたどり、
逆に、英米は上昇し始める。
彼らとの戦力格差は大きく、
持久戦には耐えがたい」。
これが秋丸機関の結論だった。
列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。
じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。
「報告書はほぼ完壁で、非難すべき点はない」と報告書の
分析に敬意を示し、
そして続けた
「その結論は国策に反する。
報告書の謄写本はすべて燃やせ」。
会議から帰って秋丸は、報告書を焼却した。
有沢は直ちに活動から手を引くように命じられた。
秋丸機関は、ほどなく解散し、
現状認識を封印した戦争が始まった。
結果は、悲惨そのものであった。
報告書の一部が秋丸の死後、
遺品の中から発見された。
詳細を極めた報告書であった。
(参考:日経2011・1・3)
by suba28
| 2012-01-03 03:09
| 悲惨な戦争を無くせないので