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(増補版)641E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年3月~1896年3月)

題:(増補版)641E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年3月~1896年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年3月24日、航海奨励法と造船奨励法のそれぞれが公布
 された。
  航海奨励法は、日本船の遠洋航海促進を目的に制定さ
 れた。
  総トン数1000トン以上、最大速力10ノット以上、船齢
 15年以内の鉄鋼船に一定率の奨励金を支給するようにし
 た。
  これによって日本郵船は、ヨーロッパ・北米・オース
 トラリア航路へ進出した。
  また、東洋汽船も、サンフランシスコ航路を開設した。
  また、造船奨励法は、国内の造船保護の法令で、イギ
 リスとの生産力の格差は大きかった。
  建造原価が割高であった国内造船所に補助金を出して、
 発注増による造船業発達を企図した。
  補助金は700総トン以上(のち1000総トン以上)の船の
 建造、自製エンジンに対し支給した。
  海運業界は、コスト競争の為、船舶は輸入に依存して
 いて、その為、日本の造船業の発展は阻まれていた。
  しかし、この法律で、この様な状況が一転した。
  因みに、日本は、第1次大戦中の造船ブームで造船技
 術は国際水準に達した。
.
1896年3月24日、市町村立小学校教員年功加俸国庫補助法を
 公布した。(3月23日説あり))
  第一条 市町村立尋常小学校及高等小学校ノ正教員及
     准教員ニシテ五箇年以上同一学校ニ勤続スル者
     ニハ国庫ヨリ年功加俸ヲ給ス
  第二条 年功加俸ハ五箇年勤続シタル者ニ本俸ノ百分
     ノ十五ヲ給シ後五箇年ヲ加フル毎ニ更ニ百分ノ
     十ヲ加ヘ百分ノ三十五ニ至リテ止ム
  以下・・略
  内閣総理大臣臨時代理、枢密院議長:伯爵.黒田清隆
             大蔵大臣:子爵.渡辺国武
             文部大臣:侯爵.西園寺公望
.
1896年3月26日、衆議院議員・福田久松ほか1人、「鉄道建
 築規定ニ関スル建議案」を議会に提出し、衆議院本会議
 で可決した。
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1896年3月27日、大阪砲兵工廠が、塩基性平炉(3トン)の
 操業を開始した。
  大阪砲兵工廠は、大阪府大阪市にあった大日本帝国陸
 軍の兵器工廠(造兵廠)。
  大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア
 最大規模の軍事工場だった。
  また、技術水準もトップクラスだった。
  日本の陸軍の建設の指揮を揮った兵部大輔・大村益次
 郎の建言により設置が決まった。
  1870年、幕府の長崎製鉄所の機械や技術者、および、
 職工を移設して新設された。
  当初の敷地は、大坂城三の丸米蔵跡地だけだったが、
 その後、拡張されて行った。
  因みに、最大の行員数は、1945年8月に、6万4000人で、
 関係の民間工場の従業員は、約20万人で、火砲、戦車、
 弾薬類を開発し、製造した。
  1945年8月14日の大空襲でその機能のほとんどが破壊さ
 れた・・その時の戦死者382名(近隣の犠牲者は不明)
.
1896年3月27日、アメリカが、朝鮮の雲山の金鉱採掘権や
 京仁線の敷設権、そして、漢城の電灯・電話・電車の敷
 設権を取得した。
  李氏朝鮮は、為政者の権力闘争なども激しく、末期的
 な状況だった・・追放・失脚・暗殺も繰り返された。
  国の大切な権益を売り払っていて、アメリカをはじめ、
 ヨーロッパ諸国・ロシアなどは「草刈り場」のように反
 植民地状態」に置いていた。
  産業基盤もほとんどなく、500年も続く清の冊封体制下
 に沈んでいた。
  その様な中、日本と同様に、欧米列強と不平等条約を
 結ばされてもいた。
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1896年3月28日、登録税法・酒造税法・営業税法・葉煙草専
 売法のそれぞれを公布した。
  明治時代初期には、税収に占める地租の割合が圧倒的
 であったが・・、
  その後、1899年(明治32年)には、酒造税が税収に占め
 る割合がトップに立つ(28%)。
.
1896年3月29日、横浜港に中国人のペスト患者が上陸した。
  これが、日本に初めての「ペスト」の上陸だった。
  横浜港に入港したアメリカ船籍ゲーリック号の乗客の
 一人(外国人)が病気のため下船し、市内の病院に入院
 した。
  この患者は、容態が急変して4月1日に死亡する。
  検査が行われたところ、「ペスト」と判明した。
  ネズミとノミを媒介し伝染するペスト・・幸運にも、
 この時は、大流行はしなかった。
  この頃、19世紀・・「ペスト」はパンデミック(世界
 的感染)の真っ最中で・・国家存亡に関わる重大事件と
 なっていた。
  これまで、幸い、「ペスト」は、日本では発症してい
 なかった。
  それ故、国内に病原菌を持ち込まないよう「検疫体制」
 の確立が急がれていた。
  ペストのパンデミック(世界的感染)は、史上3回起っ
 ていた。
  そして、三回目の世界感染は、アジアから起った。
  香港、広州で大流行して、1894年頃には、8万人〜10万
 人の死者が出たと推計されている。
  その後、全世界に広がり、1903年〜1921年の20年間で
 ペストによる死亡者は、1,000 万人を越えたとされてい
 る。
  この時期に、日本の各港が開港していて、その危険性
 が増していた。
  横浜にペストが初めて上陸したが、初めて感染した日
 本人も、横浜に住む沢田松五郎(23歳)だった。
  この人は、1899年11月に、中国から帰国し、門司港で
 下船し、広島で発病し、亡くなった。
  記録で、真性ペスト第一号とされている。
  1902年、横浜市内で、初めて流行が確認された。
  1894年、北里柴三郎は、第3回の世界流行のさなか、香
 港でペスト調査を行い、ペスト菌を発見した。
  因みに、同行した研究員は、ペストで亡くなった。
  (参考)最初のペストの世界的流行は、6世紀~7世紀
     の東ローマ帝国における流行で、「ユスティニ
     アヌスの斑点」と呼ばれた。
      二回目の流行は、14世紀、ヨーロッパで発生
     して世界へ広がった。
      全世界で、およそ8,500万人、当時のヨーロッ
     パ人口の3分の1~3分の2、約2,000万人~3,000
     万人が死亡したと推定されている。
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1896年3月30日、製鉄所官制が公布した。
  この前年の1895年に、製鉄事業調査会を設置され、そ
 して、この製鉄所官制が公布され・・
  八幡製鉄所が、この製鉄所官制に基づいて、福岡県遠
 賀郡八幡町に、官営の製鉄所として設置された。
  この年の第9回帝国議会で、官営製鉄所建設案が可決し、
  1897年の翌年、筑豊炭田を後背に抱える福岡県八幡村
 枝光に建設が開始された。
  ドイツ人の御雇い外国人グーテホフヌングスヒュッテ
 が、設計から建設までを担当した。
  1899年に、中国湖北省ターイエ(大冶)鉄鉱山の鉄鉱
 を原料とする長期契約が結ばれた。
  1901年2月5日、東田第一高炉で火入れが行われ、操業
 が開始された。
  日本初の銑鋼一貫製鉄所(→銑鋼一貫作業)としての
 操業開始。
  因みに、八幡製鉄所は、1887年から操業を続ける釜石
 鉱山田中製鉄所に続く、日本国内で2番目の製鉄所。
  そして、先に国内初で成功を収めていたこの釜石鉱山
 田中製鉄所から選抜派遣された7人の高炉作業者が派遣さ
 れている。
  同年・1897年11月18日、東京から多数の来賓を迎え、
 作業開始式が祝われた。
  日露戦争後、飛躍的発展を遂げ、北九州工業地域の主
 要工場となった。
  操業の十数年後、全国生産の 7~8割を占める。
.
  (今日の言葉)
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  題:キリスト教よ! 日本を貶める行為を止めなさい。
    嘘のデッチ上げで、日本を貶めるな!
.
紀元前3万8000年、人類の居住の始まり
     ・
     ・
紀元前488年、レオニダス一世が即位した。
  レオニダス一世は・・歴史に名を残す知性ある王。
  古代ギリシャのスパルタの王であり、ギリシャ人の方々
 が誇りとしている英雄。
  この王には、二人の兄が居たがこの二人が亡くなった
 ため王位に就く運命となった。
  そして、ペルシャ戦争を戦うことになる。
  紀元前5世紀、この王は、その才能のゆえにかペルシャ
 戦争の歴史書を書いている。
  この事から「歴史の父」とも言われる。
  また、知的好奇心からか?この王は、南イタリアを訪
 れたり、エジプトのピラミッドを見物したりしている。
  世界周遊の探検旅行家でもあった。
  この王の立派だったことは、このペルシャ戦争につい
 ての記述で、敵将を褒め、また、敵兵を褒めた。
  「敵将と言えども立派に戦って死んだ者であれば、そ
 の将兵へあからさまな侮辱を加えることは無かった」。
  この対極にある卑劣な行為をしたのが第二次世界大戦
 におけるアメリカだった。
  アメリカは、東京裁判で裁くべき法律が無いのに、後
 から法律を新たに作って「日本の将兵を罪に落とした」。
  「無罪の人間を死刑にしてしまった」。
  レオニダス一世は、生年不詳で、紀元前488年に即位し
 た。
  紀元前480年のペルシャ戦争は、ギリシャ連合軍を率い
 てテルモピュライに布陣し、アケメネス朝ペルシャの大
 軍を迎撃した。
  粘り強く戦い、最後に残ったスパルタ兵300人と共に戦
 死してしまった。
.
紀元前480年8月、テルモピュライの戦い。
  ペルシャのとてつもない大軍団が、ギリシャへ攻めて
 来る・・
  ギリシャのスパルタ王・レオニダス一世は・・、
  ペルシャ王クセルクセスが、大遠征軍を率いてギリシ
 ャの北方に迫った時、これを迎え撃とうと、ギリシャ軍
 をテルモピュライという狭隘(きょうあい)な峠に陣ど
 らせた。
  そして、100万を超えるともいわれる大軍勢を待ち構え
 た。
  これはオーバーに誇張された人数だとされるが、僅か
 7000人足らずのギリシャ重装歩兵連合軍は、この様な状
 況に、恐怖のどん底にあった。
  撤退を口にする者もあった。
  その様な撤退希望者には、レオニダス一世は、それを
 認めた。
  ギリシャのスパルタ王レオニダス一世は、部下300人と
 この地に踏みとどまった(ギリシャ側総数は7000人とす
 る説もある)
  残ったスパルタ兵は、選りすぐりの兵だった。
  ペルシャ王は、斥候を出し、ギリシャ軍の動向を探ら
 せた。
  すると、スパルタ兵は、体育に精を出し、櫛(くし)
 で頭髪を手入れするのに余念がない・・という報告を受
 けた。
  生死を賭した決戦の前の態勢とはほど遠いと思った・・
 そして、いずれ、逃げ出すに違いないとペルシャ王は思
 った。
  しかし、5日目が来ても、撤退する気配はまったくなか
 った。
  怒ったクセルクセスは、「スパルタ兵を生け捕りにし
 ろ」と命じ、外国人部隊に襲撃させた。
  しかし、スパルタ兵は手ごわく、ペルシャ兵の被害は
 甚大だった。
  こうなったらと、「エリート軍団」の「不死部隊」に
 攻めさせた・・
  しかし、戦果は上がらなかった。
  スパルタ軍は戦術に優れていた・・敗走するように見
 せかけ、必死に追いかけ、その敵兵が追いつく頃、一斉
 反撃をした。
  狭隘な峠にも抜け道があった。
  この道がペルシャ側に知られてしまう・・
  逆に、スパルタ兵が、ギリシャ兵の背後にまわり、ペ
 ルシャ軍は、ギリシャ軍の前後を挟んだ態勢を作った。
  それでも、レオニダス一世の精鋭の兵士は、出撃して
 行って、戦いに戦った。
  ペルシャ兵の大軍の放つ矢は、雨の如く、また、嵐の
 如く降り注いだ。
  さすがのスパルタ兵も力が尽きた・・
  しかし、ペルシャ兵の戦死者も、夥(おびただ)しか
 った。
  戦いが終わった戦場に出たペルシャ王クセルクセスは、
 レオニダス一世の遺骸に出くわすと、八つ裂きにして首
 をはねさせた。
  そして、木に吊るして、さらし首にした。
  戦死者を丁重に扱うペルシャ人の慣例に反することを
 行なった。
  それほど、クセルクセスの憤りは激しく、怒りが抑え
 難い状態だった。
  それほど、レオニダス一世は、少人数ながらも華々し
 く果敢に戦ったのだった。
  クセルクセス王は、兄弟を二人戦死させている。
  レオニダス一世のその統率された精鋭部隊の勇気から
 出た「大いなる戦い」が讃えられている。
  因みに、ペルシャ陸戦部隊(ウィキペディア)は・・
  歩兵...................................1,700,000
  騎兵......................................80,000
  アラビア人のラクダ部隊・リビアの戦車部隊..20,000
  ヨーロッパよりの歩兵.....................300,000
   合計.................................2,100,000
  この後、歴史上では、この戦いが生かされて、サラミ
 ス海戦(紀元前480年9月)で、ギリシャ艦隊(アテネを
 中心とする戦力)がペルシャ大艦隊を撃破する状況が起
 きる。
     ・
     ・
1868年3月、戊辰戦争の新政府軍が、横浜に到着した。
  1868年の江戸から明治に代わる頃、横浜の外国人居留
 地の門は、外国人兵士が守るという関門になっていた。
  1868年3月、戊辰戦争で、東海道を進んで来た薩摩と長
 州の軍は・・横浜に到着した。
  しかし、外国人軍隊が駐屯する開港場では戦闘は発生
 せず、戦いは起きなかった。
  この翌月の4月には、横浜は、佐賀藩を中心とする新政
 府軍によって平和裡に接収された。
  また、この頃、横浜では、奥羽の大名が、戦艦や武器
 を購入したりするという、横浜はその様な状況の中にも
 あった。
  また、横浜の病院には、戊辰戦争の重傷者が、前線の
 病院から担ぎ込まれたりしていた。
  幕府と関係した周辺の庶民が、その様な横浜に用事で
 訪れたり、また、新政府と関係する庶民も訪れるという
 戦闘の無い横浜であった。
  戊辰戦争の敵・味方・・その関わりの中の横浜であっ
 た。
.
1873年2月24日、キリスト教の禁止が撤廃された。
  明治6年のこの年になって、太政官布告によりキリシタ
 ン禁制の高札が撤去された。
  しかし、それよりずーっと以前の1858年に、江戸幕府
 は、開港場居留地において、外国人の信仰の自由を認め
 ている。
  また、宣教師の来日も許可している。
  キリスト教は、過酷なキリスト教の取締りが行われた
 と、ヨーロッパと同様な卑劣な弾圧が日本でも行われた
 とプロパガンダするが・・江戸時代の初期の一時期だけ
 が厳しいという日本だった。
  実態は、上記の信仰の自由の令だけではなく、『実際
 の取締りが行われていない』という状態だった。
  各藩においても、キリスト教の信仰がたとえ知られて
 も、見て見ぬ振りをする状況の中において、何ら取り締
 まりは行われていなかった。
  しかし、キリスト教の教義の中には「殉教」を讃美す
 る言葉があり、日本での取り締まりも、厳しい状況であ
 ったと、殉教があったと・・仕切りに過酷に表現した。
  このキリスト教禁止が撤廃される260年間の間、日本で
 は過酷な弾圧が行われたとキリスト教はプロパガンダ(
 嘘宣伝)をして、日本だけではなく世界に間違った印象
 を与えている。
  この禁止撤廃がなされる前にも、実態は、しきりに宣
 教師が江戸入りして居たり、教会が建てられたりもして
 いる。
  このキリスト教禁止の撤廃は、「法のけじめ」をつけ
 るためにやっただけの事で、キリスト教が言う「それま
 で厳しく取り締まった」というのは『嘘のプロパガンダ』
 である・・キリスト教は嘘で日本を貶める行為は止めな
 さい。
  また、「隠れキリシタン」と言ったって、牧師も神父
 も居ない中で、「隠れキリシタンと言われる人たち」が
 近所の神社・仏閣にお参りする人たちを「隠れたキリシ
 タンだ」と言えるか・・言えるわけはない。
  信仰の実態も、キリスト教からかけ離れた状況になっ
 ていて、「もう、別の宗教となっている」・・キリスト
 教の存在が殆どない状況となっている。
  一生懸命、キリスト教の面影(おもかげ)を探すが、
 その点を拡大し、誇大に表現しているが、それが隠れた
 キリシタンだという言い方をすることは間違っている。
  キリスト教は、隠れキリシタンだとしたいため、仕切
 りにキリスト教への入信を勧めるが、村の古老が「我々
 のやり方とは、違う」とはっきり断っている。
  その古老の心には、キリスト教に対して、明らかに、
 「我々とは違う宗教だ」と言っていることになっている。
  それを、無理に、キリスト教への入信を勧める行為を
 するキリスト教は、「新たな宗教弾圧を行なっている状
 況になっている」。
  最近は、けばけばしいキリスト教の聖職者の服を着て、
 その方たちの儀式へ参列したりしているが、キリスト教
 から離れて『別の宗教となっている宗教』への強制的参
 入をしている状態となっている。
  キリスト教の専門解説書にも、「260年間の断絶の上の
 発見は、世界史的にも特異である」と解説している様に、
  「その特異なもの」を、美しく、自分たちに都合のよ
 い状況の捏造をしているのである。
  そして、キリスト教は、「260年間、耐えて来た」と説
 明しているが、耐えても何もない状況を仕切りに悲惨な
 状況を印象付けている・・それなりの宗教を作って来て
 いるだけなのだ。
  明らかに、その実態は、神道や仏教や呪術と合体した
 「キリスト教とは、まったく別の宗教」なのである。
  キリスト教徒の研究者の片岡弥吉という人でさえ「政
 治、社会、宗教などの異常な環境条件がいかに人間の思
 想や信仰まで異常化させるか」と述べている様に、『異
 常化』と表現する様に「別の状態になっている」のであ
 る。
  日本の宗教が異常とは言えないが・・年月がその様に
 変えてしまったのである。
  そこを、美しく書いて世界遺産へ申請して・・、
  今回、世界遺産となったが・・??
  日本のキリスト教の申請を許可する世界のキリスト教
 社会は、前回は却下したが、今回このデッチ上げを取り
 上げたのだった。
  日本には皆無だった弾圧の虚像が作られようとしてい
 る(当初のほんの一時期だけなのである)
  「日本を植民地化する」という方針のキリスト教が、
 その実態を知った日本の統治者(秀吉や徳川幕府)が、
 日本の法に従わないキリスト教宣教師たちの取締りを強
 化したことが拡大表現されしてプロパガンダされている。
  また、日本で行ったキリスト教の弾圧行為の絵だと卑
 劣な状況を作った絵を・・、
  そして、誰が書いたかわからない絵を、最近は、とっ
 てつけた様な「真実そうな解説」を付けて、仕切りにプ
 ロパガンダしている・・やることが卑劣である。
  実態を見ていない空想の絵を、さも見た者が居て描い
 たのだなどとの嘘のプロパガンダなどが行われている。
  それが、大学という学術的な場所で、キリスト教系の
 教職員によって嘘講義が行われている・・大学の権威失
 墜行為を行っている。
.
19世紀末、ロシアが極東に達し、南下し、中国を侵略する。
  そして、朝鮮半島を侵犯しながら、日本とも軋轢を生
 む・・
  ロシアと、あちこちで衝突していたイギリスは、この
 ロシアと日本が戦うように行動した。
  戦いとなってロシアが敗ければ、イギリスの目的は果
 たせて都合は良くなるのだった。
  イギリスの中国利権を侵食するロシアへ打撃を与える
 目的もあった。
  この頃、イギリスは、チベットやウイグルやネパール
 で、このロシアと凄(すさ)まじい戦いをしていた。
  だから、この様なロシアが、日本と戦うことは、イギ
 リスにとって好ましいことだった。
  そして、日露戦争が起きる。
  日露戦争を戦った日本は消耗したが、力を付ける状況
 にもなった。
  欧米列強と伍す(ごす、他と同等の位置に並ぶ)状況
 となった。
  衰退する日本ではなかった。
  この様な日本とアメリカは満州でぶつかる・・アメリ
 カは満州の利権が欲しかった。
  また、同様に、ドイツも、中国の利権漁りに暗躍する。
  このドイツは、イギリスとぶつかった。
  イギリスは日本と、1902年、日英同盟を結んだ。
  まだ、この頃のアメリカは、イギリスの下にいた。
  日露戦争まで、アメリカは親日的だった。
  日本は、日露戦争後、アメリカがあれほど嫌日政策を
 とるとは予想できなかった。
  ここから、方向転換がなされて行く。
  この後、日本は、イギリスとの同盟関係も無くなって
 行く・・ここでアメリカが色々と工作し行動した。
.
1936年7月18日、スペイン内戦(~1939年3月)
  この5か月前の1936年2月16日に、スペインで総選挙が
 行なわれた。
  その結果、共和主義者や社会党、そして、共産党の協
 力による人民戦線が、右翼の国民戦線に対して勝利した。
  そして、1936年2月19日、選挙に勝利した共和主義者が
 中心となって、アサニャを首班とする人民戦線政府を成
 立させた。
  この左翼政権は、ソ連が支配している赤色政権だった。
  この様な結果は、1931年の第二共和政の成立以来、激
 しくなっていた国内の政治的対立を、ますます激しくし
 た。
  選挙に勝利した人民戦線政府は、2年前の1934年10月の
 反ファシスト政府蜂起における政治犯の釈放や、農地改
 革、カトリック教会の特権の縮小などを課題とした。
  しかし、大衆は、さらなる徹底した社会変革を望んで
 いた。
  特に、スペインにおいて強力であったアナキスト系の
 労働者や農民は、人民戦線政府の意向を越えて・・革命
 化していた。
  これに対して、自由主義的な中間層や社会党・共産党
 の指導下にある労働者などは、人民戦線政府に協力する
 態度をとっていた。
  一方、大資本・地主・キリスト教会を基盤とする右翼
 諸勢力は、軍部を中心として秘かにこの政府の打倒計画
 を進めた。
  革命の陰謀は、フランコらの何人かの将軍を指導者と
 して練られた。
  1936年7月17日のモロッコにおける駐屯軍の蜂起を機に、
 その翌日の1936年7月18日に、軍部が、スペイン各地で反
 乱を起こした。
  この時、フランコは、カナリア諸島からクーデターの
 宣言を放送した。
  反乱は、短期決着を狙ったクーデターとして始まった。
  しかし、労働者の抵抗など、人民戦線政府側の反撃に
 あって、このクーデター計画は失敗した。
  ここで、フランコは、指揮下に、モロッコを拠点にし
 た反乱軍を確保し、ドイツとイタリアの援助も受けて、
 本土に上陸した・・
  フランコ将軍は首都へ進軍した。
  ここから長い内戦が始まった。
  ソ連は、当然のごとく政府側を支援し、政府側は、ま
 た、国際義勇軍の支援も受けた。
  一方、ドイツとイタリアは、フランコ将軍の革命軍側
 に協力した。
  この状態で、イギリスとフランスは、政府側についた。
  イギリスは、ソ連と共同戦線を張った。
  スペインが戦場のこの内戦で、イギリスとフランスは、
 ナチス・ドイツと戦った。
  これで、イギリスとフランスは、『徹底的に』、ドイ
 ツとイタリアと対立した。
  ここに、第二次世界大戦の芽が生まれた。
  スペイン内戦は、結局、ドイツとイタリアの援助を受
 けた軍部・右翼勢力が勝ち、フランコ将軍の独裁体制が
 成立した。
  そして、フランコ将軍が死去する1975年まで独裁政権
 を維持した。
  この内戦は、ピカソの絵画「ゲルニカ」のモチーフに
 なった。
.
1946年11月12日、閣議で現代かなづかいを決定(アメリカ
 の指図)
.
1946年11月15日、アメリカの日本語の破壊行為
  脅威の芽を日本から摘み取るという名目で、GHQが
 行った日本の文化破壊・・その一つである日本語の「国
 語破壊」。
  これは、『改革』という美しく聞こえる名目で始めら
 れた。
  GHQが実施したのが、国語改革・・
  やり方は・・内閣告示という形で、日本人が自ら行っ
 た様に見せかけた。
  1946年(昭和21年)11月15日、内閣訓令第七号「当用
 漢字表の実施に関する件」、第八号
  「現代かなづかいの実施に関する件」
  江藤淳氏は、この国語改革を以下の様に批判した。
  『漢字制限をおこない、表音的かなづかいを強制する
 ということは、アメリカの占領者の側から見れば、日本
 語を少しでも素通しに近いものに変形させ、アメリカ人
 に習得しやすいものにするにとどまらず、それによって
 日本語の周辺に漂っていると思われた神秘的な要素を、
 一挙(いっきょ)に洗い流してしまうことをも意図して
 いた」。
  (参考)江藤淳:えとうじゅん、1932年12月25日~1999
     年7月21日、神奈川、鎌倉、評論家。
      東京工業大学、慶應義塾大学教授等を歴任、
      本名:江頭淳夫。
      1957年、慶應義塾大学英文科卒業。在学中、
     胸を病む。
      1976年、芸術院賞受賞。日本文芸家協会理事
     長などを歴任。
      1998年、妻慶子に先立たれ、亡くなるまでを
     綴った手記『妻と私』を発表、その後自殺した。
      代表作:『奴隷の思想を排す』(1958年)
          『小林秀雄』(1961年)
          『成熟と喪失』(1967年)
          『海は甦える』(1976年)
          『漱石とその時代』(1970年、未完)
      主な受賞歴:新潮社文学賞(1962年)
            菊池寛賞(1970年)
            野間文芸賞(1970年)
            日本芸術院賞(1976年)
            正論大賞(1997年)
  その結果・・どういうことが起きたか・・
  漢字及び仮名遣いの両面において・・、
  大東亜戦争以前の日本の言語文化は、戦後の言語文化
 と制度的に切り離されることになった。
  豊かな日本語・・その言葉に内包する日本人の情念や
 意志も、その連続性が断たれることとなった。
  江藤教授は・・
  「『言葉』の変質とは、単なる言い換えにとどまりは
 しない」、
  「変質させる側からいえば夥(おびただ)しいエネル
 ギーを奪取することであり、変質される側にとってみれ
 ば際限もない脱力感を経験させられること」で・・、
  「『大東亜戦争』が『太平洋戦争』と言い換えられた
 とき、『大東亜戦争』のために傾注されて来たあらゆる
 エネルギーは、一挙に空無化され」・・、
  「そのあとには果てしない徒労感のみが残る。
  一方、かつて『太平洋戦争』を戦ったことがない日本
 人が、『太平洋戦争』という記号に自己の経験を重ね合
 わせることは、きわめて困難だといわなければならない」
  『自由と禁忌』と江藤淳教授述べた。
  歴史的仮名遣いは、使う人の趣味やある種の芸術性の
 有無の問題などではなく、
  日本人の「国語」としての成り立ち、合理性、わかり
 やすさの問題で・・
  それは、今日、生きている日本人の歴史的財産である
 はずで・・
  それを排除されてしまっては、日本の文化遺産に触れ
 ることも、過去の日本人の心情を理解することもできな
 くなってしまう・・
  そういう畏れを持ちたかった・・
  「守るべきもの」を、「失いつつあること」を自覚す
 る、その痛みを感じる・・
  福田恆存の次の言葉を・・
  「言葉は、私達の生まれる前から存在し、長い歴史を
 生きて来たのであり、私達は、日本語といふ大家族の一
 員として生れた新参者なのである。
  とすれば、私達は言葉を学ぶのではなく、言葉が私達
 に生き方を教へるのである。
  私達は、謙虚に言葉に附き合はなければいけない。
  自然と歴史と言葉、この三者は、知識としては教育の
 対象ではあるが、それ以上に最上の教師である事を忘れ
 てはならない」。
  「言葉は教師である」
  守るべきは、自然と歴史と言葉・・
.
1946年11月16日、内閣が当用漢字・現代かなづかいを告示
 (アメリカの指図)
.
1963年6月、アメリカのケネディ大統領が政府紙幣を発行し
 た。
  アメリカのケネディ大統領は、大統領令11110号
(Executive Order 11110)に署名した。
  そして、1963年6月に、財務省証券という名前の政府紙
 幣を発行した。
  その札は、FRBが発行している紙幣とほぼ同じデザ
 インだった。
  ただFRBのマークが無く、その代わり「政府券」と
 印刷された紙幣だった。
  42億ドル分が発行されたが、FRBの持つ独占的な通
 貨発行権への挑戦だった。
  そして、ケネディは、1963年11月22日に暗殺された。
  犯人とされたオズワルドも、ダラス警察署の中で射殺
 された。
  ケネディの後の大統領となった副大統領のリンドン・
 ジョンソンは、ケネディが発行したドル紙幣を秘かにそ
 のすべてを回収させた。
  政府発行紙幣など無かったかのように・・
  ケネディ暗殺と政府発行紙幣が関係があるかのように、
 明らかな関係性をその行動は「ある」と示していた。
  エドワード・グリフィンの「マネーを生み出す怪物」
 を読まれよ。
  (参考)チャールズ・リンドバーグ下院議員は、連邦
     準備法が可決された1913年12月23日に次のよう
     に述べた・・
     「連邦準備法は、世界で最も巨大な信用を規定
     するものだ。
      ウィルソン大統領がこの法案にサインすれば、
     金融権力という見えない政府が合法化される。
      この銀行制度と通貨に関する法案によって、
     世紀の重大な犯罪が準備されることになるのだ」
      アメリカ国民の方々が支払った税金の20%が
     国際金融資本家へ流れている。
.
2015年、日本の平均年収:420万円
  この平均年収は、前年度より約5万円増となった。
  男性が、521万円(前年より3万円増加している)、
  女性が、276万円
  前年に比べて、男性は1.2%増、女性1.4%増。
  因みに・・この年のNHK平均年収:1780万円
  一般庶民の日本国民は、努力してこの平均年収となっ
 ている・・が・・
  NHKはこの4.24倍・・貴方の4年分の働き分以上を貰
 っている。
  あなた方の4人分以上の金を得ている。
  NHKは、優雅に、ろくに働かなくて、高給をお手盛
 りで得ている。
.
2015年、外国人の犯罪・・中国32.3%・・など
  日本における外国人の犯罪データーについて・・、
  衆議院議員の自由民主党の長尾敬氏の調査した結果が
 以下である。
  平成27年度の検挙件数と検挙人数、
 ☆総件数:...14,267件、
  ①中国:....4,615件(32.3%)
  ②ベトナム:3,315件(23.2%)、
  ③ブラジル:1,410件(9.9%)、
  参考値、アメリカ:245件(1.7%)、
 ☆総人数:...10,042人、
  ①中国人:..3,637人(36.2%)、
  ②ベトナム:1,967人(19.6%)、
  ③フィリピン:833人(8.3%)、
  ④韓国:......696人(6.9%)
  参考、アメリカ:178人(1.8%)
 ☆沖縄における外国人犯罪:2018年、
  外国人総検挙数:119件、
  その内、アメリカ人関係(米軍関係)総検挙数:31件、
  粗暴犯・窃盗犯16件(以上:米軍広報の発表)2014年、
  沖縄人口比:0.24%、米軍の犯罪比率0.05%・・
  沖縄の米軍の犯罪の比率は少ない
  (参考)外国人は逮捕しにくい。
      また、犯罪を起こしたら、すぐ帰国してしま
     うという傾向がある。
.
2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏が、第45代アメリカ
 合衆国大統領に就任した。
  2015年6月16日に、2016年のアメリカ合衆国大統領選挙
 へ共和党から出馬することを表明した。
  トランプ氏の初期キャンペーンは、大々的にメディア
 の注目を浴び、広く一般の支持を集めた。
  ヒスパニックへの愛を表明し、マンハッタンのトラン
 プ・タワーで各分野のラティーノ指導者らと会談を持ち、
 マイノリティの声に耳を傾けてもいる。
  (参考)ラティーノ:スペイン語を母国語とする中南
     米出身者やその子孫で、米国に住む人々。
  また、親しい黒人女優のオマロサ・マニゴールトとと
 もにミシガン州デトロイトを訪れ、黒人有権者らとセル
 フィ(画像撮影)したり、赤ちゃんを抱っこしたり、一
 緒に踊ったりし、差別されてきた人たちを理解している
 ことを訴えた。
  2016年11月8日、2016年アメリカ合衆国大統領選挙一般
 投票が行われ、開票の結果、一部の州を除き、全米で過
 半数の選挙人を獲得する見通しとなったため、第45代ア
 メリカ合衆国大統領に就任することが確実となった。
  そして・・
  労働者が、今、「労働者」と言うと何か?古そうに感
 じるが・・、
  その労働者が、豊かになりたいと、「労働争議権を獲
 得して、豊かな賃金を獲得して、その夢を実現して来た」。
  しかし、グローバル化の音頭の中で、企業は、高賃金
 の国から、「低賃金の労働力を求めて」出て行った。
  高賃金を獲得したその労働者は失職し、年収はがた減
 りした。
  一方、グローバリズムの波に乗って、「グローバル企
 業は儲けた」。
  経営者は、より高い年収となり、その年収の格差は拡
 大した。
  グローバリズムで、「豊かな者は、より豊かになり」・・
 一方、貧者は、さらに貧困層へ下落した。
  トランプ大統領は、この貧者を救いたいと「反グロー
 バリズム」を掲げた。
  その方針の中で「アメリカ第一主義」を掲げた。
  今まで世界を牛耳ってきた『エスタブリッシュメント
 たち(特権階級の者たち)』にとって一大事となった。
  キリスト教は、特に、このグローバリズムの本質を説
 明しないで、グローバリズムを良いものと「錯覚させて
 説く」。
  特に、卑劣なのは・・キリスト教系大学の学長が、学
 院生へ説く言葉・・
  「多様性に対する寛容とナショナリズム克服の進展が
 ある」と美しくグローバリズムをとらえて讃美して説く。
  そして、対極にあるナショナリズムは「分断と排除だ」
 と悪く思い込ませて説く・・、
  キリスト教の宗教が、今までやって来たことと同じ様
 にすり替えて、グローバリズムを美しく思い込ませて洗
 脳的に説く。
  キリスト教こそ、「異教徒は殺せ」の異質な者への排
 除をして来て、グローバリズムとまったく逆であったの
 に・・「ナショナリズムは、異質な者への尊重が無い」
 と悪者にすり替えて説く。
  キリスト教の「選民思想(神に選ばれし民の思想)」
 こそ、「反グローバリズムである」のにひた隠しにし・・
  キリスト教の聖書で、キリスト教の神が「奴隷にせよ、
 奴隷にせよ」と叫ぶことさえひた隠しにして・・、
  (「我が民族以外は奴隷にしてしまえ」をひた隠しに
 して)、グローバル化へ衣替えして、美しく言い換えて
 いる。
  トランプ大統領の政策・・
  ・低所得層の税金は免除する。
  ・法人税を35%を半分以下の15%にする。
  ・海外に移転した企業をアメリカに呼び戻す。
  ・不法移民は受け入れない(不法なので当然。入国し
   たいのなら合法的にアメリカに入国しなさい)
  世界のメディアは、日本のメディアも含めて、このト
 ランプ大統領の足を引っ張る事ばかりをする・・その様
 に印象操作をする。
  特権階級のエスタブリッシュメントとつながる「メデ
 ィアの黒い線」が世界に張り巡らされている。
.
2019年3月11日、この日に放送されたTBSの番組「1番だ
 けが知っている」に、IQ(知能指数)188の天才、太田
 三砂貴(みさき)氏(24歳)が出演した。
  IQは、東大生の平均が120、レオナルド・ダ・ヴィン
 チが180だという。
  そして、
  IQ188になると5億人に一人の天才で、日本の歴史上
 最高の天才だという。
  太田氏は、高校時代の16歳の時にMENSA(高知能
 者の集まる組織、高知能の人しか入会できない組織)の
 入会試験で高得点を出した。
  脳科学者の中野信子氏によると、「IQが高ければ学
 力が高いわけではない」と言われる。
  そして、「これは、IQを語るときのジレンマで、今
 の受験勉強というのは、記憶力が高ければ受かる仕組み」。
  「記憶学習能力とIQは違う」。
  「記憶学習能力が高いことは、頭がいいということで
 はない」と言われる。
  (参考)
  知能指数(Intelligence Quotient、IQ)
  IQが高いほど知能が高いことを、低いほど知能が低
 いことをあらわす。
  中央値が、IQ100
  IQ85~IQ115の間に約68%の人が収まる。
  IQ70~IQ130の間に約95%の人が収まる。
  IQ50~IQ70は軽度知的障害、IQ35~IQ50は中
 度知的障害、IQ20~IQ35は重度知的障害、IQ20未
 満は最重度知的障害とされる。
  年齢の低い児童の場合は、IQが200を超えるような場
 合もある。
  ミシガン大学のNisbett教授によると、IQの平均は
 1947年から2002年の間に18上昇しているという。
  30年で約10上昇している。
  この現象のことをFlynn effect(フリン効果)と呼ぶ。
  性差は、知能に関する多くの調査では性差は発見され
 ていない。
  カリフォルニア大学ロサンゼルス校ラスキン公共政策
 大学院の研究者 JISUNG PARK の研究で、2001年から2014
 年までの13年間、1000万人のアメリカ人学生に行われた
 PSAT試験の追跡調査が行われた。
  その結果、気温が高い年の試験結果が悪くなる傾向が
 みられた。
  特に、空調の恩恵を受けられない貧困家庭などに大き
 な影響がみられた。
  同一人物のIQは、ある程度は、年齢とともに変動す
 るものだと言うことができるとされている。
  また、「小学校1年生時点のIQはそれ以降大きく変わ
 るケースが多い」ということと、「小学校3年生以上では、
 IQの変化はかなり少なくなってくる」という研究結果
 もある。
  また、大きな事件があった場合や、深い悩みがあった
 場合などはIQが大きく変動する。
  性悪説で悪く思考したりすることは良くない。
  評価:
  130以上・・非常に優れている。2.3%
  120~129・・優れている。6.8%
  110~119・・平均の上。16.1%
  90~109・・平均。49.5%
  80~89・・平均の下。16.1%
  70~79・・境界線。6.8%
  69以下・・知的障害(認知症を含む)2.3%
.
  IQ:74~88、全人類の約20%
  IQ:89~100、全人類の約25%・・普通
  IQ:101~111、全人類の約25%・・普通
  IQ:112~120、全人類の約15%
  IQ:121~125、全人類の約5%
  IQ:126~131、全人類の約3%
  IQ:132~137、全人類の約1%
  IQ:138~150、全人類の約0.9%
  IQ:151~160、全人類の約0.09% リンカーン、コペル
   ニクスなど
  IQ:161~176、全人類の約0.009% アインシュタイン、
   デカルトなど
  IQ:177~200、全人類の約0.0009%ゲーテ、シェイクス
   ピア、ニュートンなど
         以上合計、95パーセント
  以上から
  IQ:0~23、全人類の約0.0009%
  IQ:24~39、全人類の約0.009%
  IQ:40~49、全人類の約0.09%
  IQ:50~62、全人類の約0.9%
  IQ:63~68、全人類の約1%
  IQ:69~74、全人類の約3%
  IQ:75~79、全人類の約5%
  IQ:80~88、全人類の約15%
  IQ:89~100、全人類の約25%・・普通
  IQ:101~111、全人類の約25%・・普通
  IQ:112~120、全人類の約15%
  IQ:121~125、全人類の約5%
  IQ:126~131、全人類の約3%
  IQ:132~137、全人類の約1%
  IQ:138~150、全人類の約0.9%
  IQ:151~160、全人類の約0.09% 
  IQ:161~176、全人類の約0.009%
  IQ:177~200、全人類の約0.0009%
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-04-20 04:57 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)640E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年3月~1896年3月)

題:(増補版)640E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年3月~1896年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年3月1日、大隈重信が進歩党を結成した(~1898年6月
 20日)
  この日、立憲改進党、立憲革新党、大手倶楽部、帝国
 財政革新会、中国進歩党などが合同し・・
  立憲改進党などを中心にして、代議士99名で結成した。
  大隈重信が事実上の党首であったが、正式な役職には
 就かず、形式的には犬養毅、尾崎行雄、大東義徹、柴四
 朗(東海散士)、長谷場純孝の5名の総務委員が代表者と
 なった。
  進歩主義に立つことを宣言し、責任内閣の完成と、国
 権の拡張、財政整理を掲げた。
  自由党に対抗して、小政党を合併して組織された政党
 だった。
  1896年9月に、第2次松方正義内閣に大隈重信が入閣し
 進歩党も与党となって、第10議会では金本位制確立のた
 めの貨幣法案を成立させた。
  1898年に、第三次伊藤内閣の成立後、自由党と合同し
 て憲政党に改組された。
.
1896年3月1日、第一次エチオピア戦争: アドワの戦い
  イタリア軍とエチオピア軍が、エチオピアのティグレ
 州アドワ近郊で戦ったが・・
  イタリアのエチオピア征討軍は、アドワで大敗した。
  イタリアの敗北が決定づけられた。
  19世紀のアフリカは「悲惨な世紀」だった。
  ヨーロッパ列強各国によって、いい様に殺戮され、植
 民地化された。
  アフリカの大部分は、ヨーロッパ列強の国々によって
 影も形も無い状態だった。
  アメリカの黒人の方々の棄民目的でリンカーンが造っ
 たアフリカの国=リベリアと、このエチオピアのみが独
 立国であった・・ほとんどの国々が植民地で、蹂躙され
 ていた。
  だが、植民地獲得の欲望が収まらないヨーロッパ各国。
  そして、このエチオピアへも侵略が行なわれた。
  エチオピア軍を率いたのは「メネリク2世」だった。
  イタリア軍は、補給に事欠く状況だったが、本国の命
 令でオレステ・バレティエ将軍は、1896年2月29日、進軍
 を命じた。
  この状況を察知していた優秀なエチオピア軍は、即座
 に全面攻撃を命じた。
  イタリア軍14,527名、エチオピア軍12万人・・エチオ
 ピア軍は、各地でイタリア軍を包囲した。
  イタリア軍が撤退をすれば、追撃をし続けた。
  イタリア軍は8,000名を失った・・また、エチオピア軍
 も1万名を失った。
  主力を欠いたイタリア軍は降伏をせざるを得ず、アジ
 スアベバ条約を締結して、エチオピアの当然の独立を承
 認した・・
  『白人の横暴な行為』が挫けた事例として燦然と輝く。
.
1896年3月7日、沖縄県に県区制、郡区制が公布され、県下
 を首里区、那覇区と5郡で区分する。
  明治29年勅令第13号「沖縄県ノ郡編制ニ関スル件」に
 より・・、
  島尻郡、中頭郡、国頭郡、宮古郡、八重山郡の5郡を設
 置し、宮古と八重山に島庁(島司)を置いた。
  また、「那覇市」の前身「那覇区」と、首里市の前身
 「首里区」を設置した。
.
1896年3月7日、衆議院議員・立石岐ほか5人は、「鉄道敷設
 上本位軌道採用ニ関スル建議案」を提出した。
  また、市島謙吉ほか4人は、「広軌鉄道ニ関スル建議案」
 を議会に提出した。
  建議案は、特別委員に付託され、3月25日、本会議に
 修正案報告、同修正報告案賛成多数で可決された。
.
1896年3月10日、参謀総長の小松宮彰仁親王は、閣議決定を
 みた台湾縦貫鉄道、ならびに、基隆築港測量費の10万円
 のうち約7万3000円を鉄道建設調査費として支出すること
 を台湾総督に通牒(つうちょう、書面で通知すること)
 した。
  この調査費によって、この年の6月までに、新竹・打狗
 間の予測が終了した。
.
1896年3月11日、東海道線の大阪駅~西ノ宮駅間が複線とし
 て開通した。
  1869年、政府は、東京~京都の両京を結ぶ鉄道を幹線
 と定め、重視して施策を進めた。
.
1896年3月13日、奈良鉄道の玉水駅~木津駅間が開通した。
.
1896年3月15日、日本郵船が、欧州定期航路を開設した。
  土佐丸が就航する。
  また、1896年10月には、豪州航路を開設した。
  2年間の激しい競争の末、日本郵船のボンベイ航路は、
 国際的に認められた。
  「近海の海運」から「遠洋への海運」へと事業は拡大
 して行った。
  続いて挑戦したのが・・「欧州航路」だった。
  1896年、日本郵船は、ロンドン支店を設置し、土佐丸
 をヨーロッパに向け出航させた。
  しかし、またしても、欧米の海運会社組織が、既得権
 を主張した。
  復路(東航)のロンドンと、往路(西航)の上海寄港
 を阻止してきた。
  この最大の貨物集積地に寄港できないことは、ビジネ
 ス上の大きなマイナスだった。
  しかし、その相手を刺激すれば、ビジネスそのものが
 できなくなる状況だった。
  屈辱的な条件のもとで、運航を続けた。
  その様な運行状況ながらも、日本郵船は、船隊の拡充
 を進めて行った。
  信濃丸を含む13隻が揃った。
  総トン数で欧州海運会社に匹敵する体制ができあがっ
 て行った。
  この様な立派な体制になっては、対抗相手側も無視で
 きず、日本の海運を対等の競争相手と認めざるを得なか
 った。
  1902年、日本郵船は、欧州極東往航同盟への正式加入
 を果たした・・
  これを契機にして、海外への航路網を飛躍的に伸ばし
 て行った。
.
1896年3月16日、陸軍が、6個師団の増設を決定した。
  1871年に、明治政府は、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮
 台、東北鎮台の4鎮台を設置した。
  そして、1873年、2鎮台を増設して、東京鎮台、大阪鎮
 台、名古屋鎮台、広島鎮台、熊本鎮台(旧:鎮西鎮台)、
 仙台鎮台(旧:東北鎮台)の6鎮台を設置した。
  そして、1896年から、軍備拡張によって師団が増設さ
 れ・・、
  明治末には、国内の師団数は18となった。
.
1896年3月16日、朝鮮の大院君一派の人々が逮捕された。
  漢城府観察使の金経夏や呂圭亨など数十名が逮捕され
 裁判へ
  1896年2月11日、李氏朝鮮の第26代王・高宗が、ロシア
 公使館へ騙(だま)され、脅されて、逃げ込んで、親露
 政権が作られだが、そして、その結果、ロシアは種々の
 利権を獲得していくが・・
  そして、この日、親日派だとして金允植が流刑にされ
 たり、親日派が殺されたりした。
  この様な状況に怒った民衆が暴動などを起こしたり(
 1896年2月18日)・・
  1896年2月22日、李範晋が、法部大臣兼警務使となり、
 大院君派の粛清を開始した。
  朝鮮国内は荒れていた・・そして、この日、高宗と対
 峙する大院君派が逮捕された。
.
1896年3月22日、「生物始源、一名:種源論」立花銑三郎訳、
 経済雑誌社、
  立花銑三郎が、ダーウィンの著作を「生物始源(一名
 種源論)」という題で日本初翻訳をした。
  1000ページを超える大著だった。
  この時、28歳の銑三郎は、学習院嘱託教授であった。
  ちなみに、銑三郎は、夏目漱石の大学予備門時代から
 の同級生だった。
  銑三郎は、1900年、35歳で早世するが、漱石は、1909
 年に発表した中篇「満韓ところどころ」のなかで、銑三
 郎を親しげに「銑さん銑さん」と呼んでいたことを回想
 している。
  銑三郎と夏目漱石は、行く時期はずれたが、共に、ド
 イツとイギリスへ留学している・・
  そして、その翌年の1900年に、遅れて来た夏目漱石と
 対面した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本人の一般国民も、多数、拉致され、シベリアへ連れて行かれていた。
    シベリア抑留者は、拉致され、監禁された。
    その実態は、非人道的な足枷(あしかせ)をされている監禁の状態だった。
.
紀元前5万年以上、原人:「ホモ・ルゾネンシス」がフィリ
 ピンで発見される。
  2018年4月11日の読売新聞に・・新「原人」化石、フィ
 リピンに。アジアで5番目・・と報道されていた・・
  以下、その記事の抜粋・・
  フィリピン・ルソン島で、新種の人類の化石が見つか
 ったと、フランスとフィリピンなどの研究チームが発表
 した。
  同島に5万年以上前に生存していた原人とみられる。
  (参考)原人:人類の進化は5段階(初期の猿人、猿人、
     原人、旧人、現生人類)に大別され、その3段階
     目にあたる。
      猿人とは違い、アフリカからユーラシア大陸
     に進出した。
      猿人より脳が増大し、顎や歯が縮小した。
  アジアで発見された第5の原人となり、同チームは「東
 南アジアの島々における人類の進化の複雑さなどを示す
 発見だ」としている。
  論文が11日、英科学誌ネイチャーに掲載される。
  化石が見つかったのは、同島北部のカラオ洞窟。
  歯や手足の骨の化石で、分析した結果、猿人の様な原
 始的な特徴と30万年~20万年前に誕生した現生人類(ホ
 モ・サピエンス〉などに似た特徴が混在し、同時代にア
 ジアにいた他の原人と異なっていた。
  同チームは新種と判断し、「ホモ・ルゾネンシス」と
 命名した。
  化石の年代測定から、5万年以上前に同島にいたとみら
 れる。
  アジアの原人は、中国の北京原人、インドネシアのジ
 ャワ原人とフローレス原人、中国の和県人(わけんじん)、
 台湾の澎湖人(ほうこじん)が過去に見つかっていた。
  ホモ・ルゾネンシスの臼歯は極端に小さく、海部陽介・
 国立科学博物館人類史研究グループ長は・・身長1メート
 ルあまりのフローレス原人のように「小型化していた可
 能性がうかがえる」と指摘。
  「アジアの島々では非常に独特は進化が起きており、
 他の島でも新種が見つかる可能性がある」と話す。
  ・・以上・・
 (関連事項):
  以上の話の中に、日本の先住民として、アイヌの根拠
 となる話はまったく出て来ない・・また、想像も、まっ
 たくできない。
  それは、アイヌは、それよりズーット後の世の1300年
 代にできたことが科学的に判明していて、分かっている
 からで・・
  アイヌは、まったく先住民ではない・・
  その様なことが分かっていながら、今、日本では、ま
 ったく異常な、非科学的な、また、まったく根拠のない
 「アイヌが日本の先住民族だ」という政治的決議がなさ
 れようとしている。
  今回の地方選で演説していた立憲民主党の女性議員と
 話し合ったが・・
  その論理に、まったく科学的な根拠がなく、ただ政治
 的な動きで「先住民としようとしていることが、はっき
 りわかった」。
  その議員が、「北海道でアイヌは先住民として生きて
 来た」と主張したので・・
  「北海道には、アイヌの人たちより何万年も前から縄
 文人の人たちが居たのですよ。縄文遺跡もいっぱいあり
 ますよ」と教えてあげた。
  「アイヌは日本人なんです」と主張したので・・
  「そうです。しかし、樺太のアイヌは日本人ではあり
 ません」と答えた・・
  「私は人類学をやって来た」と主張したので・・
  「そんな看板で話はしないでください」と言った。
  「国連が決めているから」と主張したので・・
  「国連が間違ったことを決める訳がない。国連が間違
 っているのなら、国連に科学的に正しいことを教えてや
 ってください」と伝えた・・
  「アイヌの言語が独特だ」と主張するから・・
  「言語が独特というなら、1例として中米のインディオ
 の方々には160もの言語があるのです。160もの先住民が
 居るという事ですか?」と・・返事が出来ない、答えら
 れない。
  「北海道にはアイヌの地名が一杯ある」と主張するの
 で・・
  「アイヌの地名なら九州にだってあるんですよ」と説
 明する。
  「学者・専門家に言って下さい」と主張するので・・
  「学者にも言っています。今は、間違っている政治家
 のあなたに間違いを説明しているのです」と言った。
  などなど・・最後は、応援演説をしたいのでと言って
 逃げた。
.
1836年、合衆国第二銀行の期限が来る・・アメリカの運命
 を決める中央銀行の期限が来る・・
  アメリカに中央銀行を作らせ、この通貨発行権を握ろ
 うと暗躍するイギリスのロスチャイルド家。
  そのアメリカの中央銀行を民間銀行として、その株式
 を牛耳ろうとするやり方自体も異常である。
  アメリカの通貨である「米ドル」を発行する銀行を民
 間銀行とするというのも異常であるが、この株式をロス
 チャイルドが牛耳ってしまおうというのも異常である。
  これによって、ロスチャイルド家には、自動的に金が
 転がり込んでくる。
  アメリカは抵抗するが、中央銀行は出来てしまう。
  その最初の合衆国第一銀行も期限が来て閉じられたが・・、
 また、色々な工作が行われて合衆国第二銀行が出来る。
  そして、その合衆国第二銀行も20年の期限が、この年・
 1836年に来た。
  アメリカ大統領のジャクソンは、その期限の来る少し
 前の1832年に、「更新はしない」と、合衆国第二銀行の
 存続の更新を否定した。
  アメリカ国内は、上や下への大激論、激しい攻防が繰
 り広げられた。
  ジャクソン大統領は、頑強に反対し、抵抗し、妥協も
 しなかった。
  そして、期限切れを迎えた。
  合衆国第二銀行は終了し、閉じられた。
  ジャクソン大統領は、暗殺のターゲットになった。
  そして、狙撃された。
  幸い不発だったため、命は助かった。
  中央銀行に反対したので狙われたと言われた。
  中央銀行が無いので、一般の銀行が銀行券を発行して
 流通させた。
  銀行券は何種類も出回った。
  金融を支配する通貨発行権を手に入れたいロスチャイ
 ルド家の目的は、達成されないままとなった。
.
1861年4月12日、南北戦争が始まった(~1865年5月9日)
  アメリカの南北戦争の勃発の理由について、イギリス
 のユダヤ系列の首相のディズレーリは言った・・、
  「何故、アメリカを二分する必要があったかというと、
 イギリスのコントロールが効かなくなったアメリカを発
 展させないためだ」・・と・・
  イギリスが、アメリカを二分しようと計画していたと
 いうこの発言を裏付ける話は明らかに色々ある。
  また、因みに、アメリカの南北戦争のアメリカ北軍の
 トップであるリンカーン大統領は、「奴隷解放の父」と
 讃美されているがまったくの嘘で「でっち上げ」。
  後から付け足されたもの。
  「奴隷解放」は・・北軍の「戦争の大義」としてでっ
 ち上げられたものだった。
  リンカーンは、はっきり「私は奴隷制度を廃止しよう
 と思っていない」と言っている。
.
1865年4月15日、リンカーン大統領が暗殺される。
  (参考)その直ぐ後の1865年5月9日、南北戦争は終わ
     る。
  南北戦争の時、リンカーン大統領は、戦費の調達に困
 った。
  ロスチャイルドなどの銀行家から資金を借りようとし
 た。
  しかし、ロスチャイルドは、非常に高い利率の利息を
 要求した。
  ロスチャイルドは、24%~36%とひっくりするほどの
 高い利子をリンカーンに要求した。
  リンカーンは、借り入れを断念した。
  ここで、リンカーンは、とんでもないことをした。
  リンカーンは、自分で金を刷ることにした。
  アメリカ政府の信用で、独自紙幣を発行した。
  「グリーンバックス」と言われるアメリカ財務省の法
 定通貨だった。
  紙幣の裏を緑色に印刷したので「グリーンバックス」
 と呼ばれた。
  アメリカの最初の法定通貨だった。
  輪転機を動かせば、いくらでも、どんどん金が刷れた。
  戦費を賄(まかな)うのは簡単だった。
  リンカーンは、「打出の小槌(うちでのこづち)」を
 手に入れた。
  イギリスのロスチャイルドらの銀行家は、南軍にも北
 軍にも金を貸して、大儲けしようとしていたが、その目
 論見は「完全に外れた」。
  イギリスの銀行家は、リンカーンを倒したいと思った。
  また、この様な行為を許していたら、アメリカの通貨
 発行権を握ってアメリカを支配するという戦略が崩壊し
 てしまう。
  そして、アメリカが、独自通貨をいくらでも発行する
 ということは、その先にアメリカの繁栄がある。
  イギリスに対抗する国家が出現してしまう。
  イギリスの脅威となってしまう。
  当時のイギリスの「タイムス」紙が社説で報じた・・
  「アメリカの法定通貨が、コストをかけずに供給され
 ている」
  「コストをかけずに通貨を供給できるということは、
 通貨発行銀行である民間の中央銀行に、利子を支払う必
 要が無い」
  「もし、アメリカに起源を持つあの有害な法定通貨政
 策が定着してしまえば、アメリカ政府は通貨をコストを
 かけずに供給することになる。そうなると、アメリカ政
 府は債務を完済し、債務のない政府になる。
  アメリカ政府は、商業活動上、必要なすべての通貨を
 所有することになり、文明国の中で史上類のない繁栄を
 謳歌することになる。
  すべての国の人材も富もアメリカ合衆国へ移動してし
 まう」
  「アメリカ政府は打倒されるべきである。
  さもなければ、アメリカ政府は地上のすべての君主国
 を破壊するだろう」・・と。
.
1895年、韓国・朝鮮が、それまでの「慕華思想」から「慕
 和思想」に転換した。
  崔基鎬教授は、自著で書く・・
  「1895年、日清戦争の終結と同時に、韓国では、それ
 までの500年に渡る慕華思想(中国に対する敬慕)から
 一転して、慕和思想(日本に対する敬慕)に転換した。
  それが、1945年からは、慕華でもなく慕和でもなく、
 他人を尊重する心を見い出す事も至難になった・・と。
  (参考)崔基鎬:チェケイホ、1923年生まれ。
      明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大
      学院教授を経て、加耶大学客員教授。
       民間レベルでの日韓関係改善に努め、サハ
      リン在住韓国人の本国往来問題、原爆被爆者
      の治療援助、在日韓国人の法的地位向上のた
      めに尽力。
.
1899年、アメリカの門戸開放宣言
  アメリカの国務長官ヘイによって提唱された外交政策。
  中国の領土保全と門戸開放、商業上の機会均等を主張
 したもので、遅れて登場したアメリカが列強の帝国主義
 競争への割り込みを意図したものだった。
  このアメリカには、一貫した方針が、ズーットあった。
  自国の領土の拡大である。
  アメリカ・インディアンの方々の地であるアメリカ大
 陸の奪取に引き続き・・太平洋の島々を奪い・・フィリ
 ピンを奪った。
  しかし、アメリカが、アジアに到達したときは遅すぎ
 た。
  イギリスが、もう堂々とそのほとんどを植民地とし、
 インドからシンガポールへ至り、また、香港へ至り、中
 国各地に利権を確立させていた。
  ロシアはシベリアに達して、北から中国へ至っていた。
  また、フランスもすでに南から中国へ至り・・もはや
 出遅れているとアメリカは思った。
  そこで発したのが、この中国の門戸開放宣言だった。
  これは、「俺にも美味しい分け前をよこせ」だった。
  日本とロシアがぶつかった日露戦争において、アメリ
 カは日本を応援した。
  これは、ロシアが退くことがアメリカにとって都合が
 良かった。
  だから、日露戦争が、日本の勝利で終わると、アメリ
 カは手のひらを返したように、今度は、日本と対抗する
 ような態度になった。
  ここが始まりとして、日本はアメリカと戦争をするよ
 うにされて行く。
  だから、アメリカは、日本と対抗することを前提とし
 て行動を続けて行った。
  日本はぎりぎりまで戦争回避に努めた。
  しかし、アメリカは、日本を追い込む手を緩めなかっ
 た。
  アメリカは、日本との開戦への路線をひた走った。
  アメリカは、中国の上海から中国浸透を企てた。
  キリスト教宣教師を利用する手をこうじた。
  中国での利益確保の先兵としてキリスト教を利用した。
  中国人留学生向けの予備校を作った。
  「精華学園」と言った。
  それと共に「日貨排斥(日本商品ボイコット)」を支
 援して、日本の貶(おとし)めと排斥行為を燃え上がら
 せた。
  キリスト教宣教師は、反日のスパイとして行動した。
  また、蒋介石の国民政府の手先となった。
  でたらめ情報のプロパガンダを盛んにした。
  これは、戦後の東京裁判までも影響するほどの嘘宣伝
 工作だった。
  アメリカは、満州の権益を欲しがった。
  この時、特に、日本が居る事を邪魔だと感じるアメリ
 カだった。
  アメリカは、日本排除へ武力行使を始めた。
  フィリピンやグアムを軍事拠点として、イギリスやオ
 ーストラリア、オランダと一緒になって南太平洋を取り
 囲むように、日本を包囲し、締め付け、また、攻撃態勢
 を作った。
  アメリカは、日本に対して威嚇的になった・・また、
 強圧的になった。
  日本が先に手を出したように見せかけの中で、実際は、
 陰で隠れてアメリカが先に武力行使をしていた。
  アメリカが、真珠湾攻撃前に日本を攻撃している事実
 は、今時点では確定されている真実である。
  「あれはボランティアだ」と言い訳するが、大統領の
 命令書があることが確認されている(アメリカ公文書館
 にその書類がある)
  この様に、アメリカは挑発行為を行った。
  中国から日本への大爆撃まで計画していた。
.
1910年8月29日、日韓併合
  「韓国併合に関する条約」が日本と大韓帝国との間で
 調印がなされた。
  この条約は、日本が求めてなされたのではない。
  イギリス・アメリカ・ロシアなどから、「韓国は独立
 してやって行けない。日本が統治した方が良い」と薦め
 られた。
  植民地ではない。
  日本が保護し統治しなければ「駄目な国と国際的に見
 られていた」。
  その様な経済レベルの国だった。
  また、社会資本もまったく整備されてない国だった。
  日本は、膨大な資金を投資して、朝鮮・韓国の「国造
 りをしていく」。
  その恩ある日本に対して、韓国は、今になって御礼を
 言うどころか、恩ある日本を貶める行為をしている。
  この様な態度が取られるのであるなら「併合という形
 ではなく、ただの保護国という形にしておけば良かった」
 と言える。
  必死に日本の資金を投入して、日本並みの国にして上
 げようという奉仕をしなければ良かったと思う。
  良い国になりたいなら「自分たちで努力しなさい」と
 いう立場で居た方が良かった。
  「ただ、軍事的には守ってやりますよ」で充分だった。
  その他の事は、何もしなけれは良かった。
  沢山の金を投入して「教育環境を整えたり」「農地を
 調整して食糧増産をしたり」「裁判制度などの社会基盤
 を充実させたり」「鉄道や道路の建設を一生懸命にやっ
 たり」「帝国大学や小学校などを、沢山、造ったり」、
 色々、手を尽くしてやったが、何の有り難みも感じない
 国・・そんなことをしてやる様な相手国ではなかった。
  この様に感謝もしない国には、今後、何もしてやる必
 要はない。
  挙げ句の果てに、日本の領土の「竹島」まで盗ってし
 まった。
  国際司法裁判所で話し合いましょうと言っても、「韓
 国は敗ける」と分かっているから、その話に応じようと
 もしない卑怯な態度をとっている。
  日本領の竹島の不法侵犯をしている。
.
1920年代、アメリカは、民主主義国家だは、作られた幻想。
  「アメリカは、民主主義の国だ」は、作られた幻想で、
 洗脳された思い込みだ。
  「金」と「情報」を使って操作されている・・この様
 な事は、1920年代に、リップマンやバーネイズは、「ア
 メリカの民主主義の幻想」に気付いていて、「錯覚の世
 界に生きていて、それに洗脳されている」と見抜いてい
 た。
  それから、世論操作をし始めた。
  今・現代、中国が、盛んに金を使って情報操作をして
 いる。
  アメリカを初めて明確に「民主政の国」であるとした
 のはアレクシス・ド・トクビルだった。
  また、「アメリカの支配勢力が、民主主義を用いて人々
 を支配し、利用するために使っている」とも言われてい
 る。
  また、「民主主義の革命的技法」を使えば「合意ので
 っちあげ」ができる、とリップマンは主張した。
  「宣伝工作技術を駆使すれば、人々が本来望んでいな
 かったことについても、同意を取り付けられる」という
 意味の事を言った。
  リップマンは言う・・第一の市民階級は、専門知識を
 持つ特別階級で、政治・経済、イデオロギーのシステム
 における諸問題の分析、実行、意思決定、管理を行う。
  これらの人々は人口のごく一部でしかない・・しかし・・
  この特別階級から漏れた人々・・すなわち人口の大部
 分を構成する多くの人たちは、「とまどえる群れ」(戸
 惑う人たち)と称した。
  この様な人たちが、「大多数の意見を構成する」。
  リップマンは、この人たちを「観客」になるが、行動
 には参加しないと説明した。
  選挙に於いて、観客は、一旦、誰かを支持し、そして、
 後はまた観客に戻って傍観する・・と・・
  だから・・とまどえる群れを飼いならす事だ・・と・・
  また、とまどえる群れに激高を起こさせてはならない・・
 横暴を許してはならない・・不都合なことを起こさせて
 はならない・・と・・
  アメリカの大統領選は、「金が続いたものが生き残る」
 と言われている・・
  そして、それが、「合意のデッチアゲ」の「民主主義
 が行われた」という満足の結果だと・・これが実態だ・・
  リップマンは、彼の代表作と言われている「世論」(
 1922年)で、「民主主義の基盤となる国民の世論が、マ
 ス・メディアの圧倒的な影響力の下にある」ということ
 を指摘している。
  マス・メディアによって世論は操作されている。
  その様な所から形成された民主主義社会・・
.
1931年、東部グリーンランド事件
  グリーンランド東部の無人地帯に、ノルウェーの捕鯨
 業者が上陸した。
  そして、ノルウェー政府が、その地を併合するという
 宣言をするという「東部グリンランド事件」が発生した。
  ノルウェー政府の主張は、グリーンランドにおけるデ
 ンマークの主権は、植民地(人が住んでいる地域)に限
 定されている・・と・・
  また、古い文書では、「グリーンランド」という言葉
 は西海岸の植民地(デンマークが実際に開拓している地
 域)のみを指している。
  故に、それ以外の地域は、「デンマーク領であるとこ
 ろのグリーンランドではない」・・
  ノルウェーが占有する正当性がある・・と主張した。
  しかし、これは、デンマークの提訴を受けた国際司法
 裁判所の裁定によって退けられた。
  デンマークは、以前からグリーンランド全域に適用す
 る法令を制定したりしている・・
  つまり、人が住んでいなくても統治してきたのだから
 ノルウェーの主張はいれられない。
  人口が希薄で人が定住していない地域については他国
 が優越的主張を立証出来ない限り主権的権利の行使はご
 くわずかであってもよい。
  また、地図において、慣習的に使われる地名は反証の
 ない限り通常の意味に解すべきなので・・「グリーンラ
 ンド」という慣習的な地理的名称は、ノルウェー側が有
 力な反証をあげられない限りにおいてグリーンランド全
 島を指していると考えるべきである・・となった。
.
1939年8月23日、独ソ不可侵条約
  ドイツとソ連が、お互いに不可侵を約束した。
  そして、アメリカのルーズベルト大統領・・
  この大統領ほどアメリカの行く道を誤らせた大統領は
 いなかった。
  このルーズベルト大統領の周りには、うようよと大勢
 の工作員が居た。
  今・現在の日本の政権の周りも、この様な状況が起き
 ていると言われている・・、
  ルーズベルト政権の周りには、ソ連と深く精神的に通
 底した「共産主義に傾倒する側近たち」で満ちていた。
  1939年2月、戦争が始まりそうなこの時、ソ連は、ドイ
 ツと「独ソ通商協定」を結んだ。
  また、続けて、この年の8月、「独ソ不可侵条約」も結
 んだ。
  アメリカは、これに大きな衝撃を受けた。
  また、この様なアメリカに限らず、日本を含めて世界
 が大きなショックを受けた。
  アメリカも、そして、世界中もが、「ドイツとソ連は
 敵対関係にある」と見ていた・・その様に思っていた。
  これを演じたのは、「ヒトラーとスターリン」だった。
  アメリカは、ソ連を、自分の陣営に引き込みたいと考
 えていた矢先だった。
  ソ連は、この様なドイツとの関係を作った後に、好き
 勝手な「武力行為を行い始めた」。
  この翌月の1939年9月、ポーランド侵攻の侵略行為を始
 めた。
  この侵略は、あっという間の武力侵攻だった。
  そして、ドイツと「独ソ間のポーランド分割協定」を
 結んで侵略を完成させた。
  また、ソ連は、その2か月後の1939年11月、フィンラン
 ドへも侵略を開始した(フィンランド戦争、冬戦争)。
  何とかソ連を取り込もうとしていたアメリカをはじめ
 西側諸国にとって、これは許せない行為だった。
  侵略国家・ソ連の性癖のむき出しの悪行為だった。
  東京裁判時にも、この蛮行は裁くべきだった。
  または、絶対に、ニュールンベルク裁判で裁かれるべ
 きだった。
  しかし、不公正な連合国の諸国は、この不正行為に目
 をつぶった。
  フィンランドは立派だった。
  敢然と不正をするソ連に立ち向かった。
  仕組まれた日本が、アメリカに立ち向かったのと同じ
 行動だった。
  フィンランドの方々は敗れたが、不正な行為に正義の
 戦いを挑み、フィンランドの「国の正義」を通した。
  これによって、フィンランドの方々には、大いなる誇
 りが生まれた。
  その誇りが、戦後のフィンランドの立派な立つ瀬を作
 り、国の立つ位置を作った。
  アメリカには、当然の「対ソ国交断絶論」が出た。
  しかし、卑劣にもアメリカは、あいまいな態度に終始
 した。
  ソ連の行動を非難したりする声明を出したりしたが、
 また、対ソ連の輸出を差し控える勧告を出したりしたが、
  ソ連の「さらなる暴力や脅迫」に晒された北欧諸国へ
 金融援助をしたりしたが・・
  アメリカの国民の方々の意見に従う行動をアメリカ政
 権はしたが・・
  しかし、結局は、ルーズベルト政権は、対ソの国交断
 絶論は否定した。
  これは、この様な卑劣な事をソ連がしても、アメリカ
 は目をつむると見透かされ・・ルーズベルト側近たちに
 動かされるルーズベルトはおかしかった。
  それでもソ連を引き込みたいというアメリカは見透か
 されていた。
  その後のソ連は、まだ、更なる暴力行為・武力行為の
 蛮行を続けた。
  1940年には、バルト三国を取ってしまった。
  そしてまた、この年・1940年、ルーマニア領を侵略し
 た。
  しかし、まだ、アメリカは、その様な横暴なソ連へ黙
 り続けた・・逆に、ソ連に対して、対ソ連の宥和(ゆう
 わ、大目に見る)政策を取った。
  その行動・・宥和政策を強化した。
  アメリカは、バルト三国のエストニア、ラトビア、リ
 トアニアから領事を引き上げて、「バルト三国はソ連領
 だ」という意味の態度を取った。
  そして、ウラジオストクに、総領事館を開設するとい
 うアメリカだった。
  また、対ソ連の物資輸送を増加した。
  そして、さらに、1941年1月には、「対ソ道義的禁輸」
 を撤廃さえした。
  そして、1941年3月には、「米ソ東亜通商協定」まで締
 結した。
  この様な事までしてアメリカはソ連を取り込んでいく
 のだが、結局は、冷戦状態となって、原子爆弾と大陸間
 弾道の核ミサイルの軍拡の競争をする相手となる。
.
1940年、アメリカが、デンマーク領のグリーンランドとア
 イスランドに進駐した。
  ドイツが、海上封鎖水域をアイスランド周囲まで拡張
 したからだった。
  また、ドイツの爆撃でイギリス本国が危うくなったか
 らだった。
  日本は、ベトナム(フランスの植民地)に上陸したが、
 この時、フランスの許可を得ていた。
  アメリカは、グリーンランドとアイスランド政府の許
 可を取っていない。
  しかし、アメリカのルーズベルト大統領は、日本のこ
 の行動を徹底的に利用して日本を悪者に仕立てた。
  日本は、フランスのビシー政権の許可を得ていた。
.
1941年4月13日、日ソ中立条約が調印された。
  正式名称:大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和
 国連邦間中立条約が締結された。
  相互不可侵、および、一方が第三国の軍事行動の対象
 になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文
 など・・
  この時まで、ソ連を宥和(ゆうわ、相手を寛大に扱う)
 したいアメリカは、なりふり構わず、ソ連の喜ぶこと、
 節操のない行動をとっていた。
  ソ連は、好きなように、ドイツとポーランドを分割し、
 何かとドイツと巧くやっていた。
  その様なソ連を、引き込みたいと、アメリカは焦(あ
 せ)っていた。
  この様なソ連の立場と対極にあったのが日本だった。
  アメリカが日本を排斥するのは病的でさえあった。
  この様な状況の時、驚天動地の事が起きた。
  1941年4月13日、日本とソ連が中立条約を締結した。
  ドイツからソ連を引き剥がしたいアメリカ、そして、
 そのソ連が、日本と中立条約を結んだのだった。
  アメリカは、ソ連へ宥和政策を進めて来た行動が頓挫
 したと思った。
  しかし、1941年6月22日に至ると、ドイツが、ソ連へ突
 如侵入した。
  この日の3時15分、ドイツ軍は、作戦名「バルバロッサ」
 の下にソ連を奇襲攻撃した。
  ソ連にいじめられていた反ソ感情の強い周辺国は、ド
 イツへ加担した。
  当然、ソ連は、ドイツに対して開戦した。
  これで、ソ連は、アメリカ側へ入ったのだった。
  1941年11月には、アメリカは、ご褒美ではないが10億
 ドルの供与をソ連へ贈った。
  アメリカ国務省から軍事品のソ連への供与が発表され
 た。
  この共産圏の国=ソ連の立つ瀬をアメリカは作った。
  逆に、アメリカの対日経済封鎖の厳しさは増していた。
  そして、その後、共産圏・中国の毛沢東をも助けるア
 メリカとなる・・毛沢東を支援し、国際舞台の中心国の
 立場にするアメリカとなる。
  この端緒・・ソ連を助けたことに始まるアメリカの行
 動の判断は、歴史上の大汚点、大いに間違った判断とな
 った。
  この後、東ヨーロッパも共産圏・ソ連に抑えられた。
  ルーズベルトのやったことは大間違いだった。
  そして、今・・この共産圏・中国は、アメリカを食お
 うとしている。
  そして、アメリカは、共産圏・中国に追い越されそう
 になっている。
.
1945年8月23日、シベリア抑留
  完全なる終戦の後に、ソ連(現:ロシア)によって行
 なわれた国際法の違反・違法行為である。
  日本国民の拉致である。
  スターリンは、戦争の終結した1945年8月14日の第二次
 世界大戦の終戦宣言の後の1945年8月16日には、「日本人
 を捕虜として用いない」という命令を内務人民委員ラヴ
 レンチー・ベリヤに下していたが、
  何と、終戦後の後も後の1945年8月23日に、これを翻し、
 「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜
 (拉致)50万人のソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労
 働を行わせる命令を下した。
  しかし、下記の実態の1事例の様に、日本人の一般国
 民も、多数、拉致され、シベリアへ連れて行かれていた。
  シベリア抑留者は、拉致され、監禁された。
  その実態は、非人道的な足枷(あしかせ)をされてい
 る監禁の状態だった。
  稲葉俊郎・東大病院助教、医師のおじいさんは、足枷
 を付けて脱走し、日本へ帰って来た。
  (参考)第二次世界大戦末期の1945年8月9日未明、ソ
     連は日本に対して、日ソ中立条約を破棄して宣
     戦布告をし、満ソ国境に展開する174万人のソ連
     極東軍に命じて、満州・朝鮮半島北部に軍事侵
     略した(ソ連対日参戦)。
      日本は、すでに、1945年8月14日、中立国を通
     して降伏を声明し、アメリカやイギリスの連合
     国に受け入れられていたが、ソ連は、1945年8月
     16日には日本領南樺太へ、1945年8月18日には千
     島列島へも侵略して占領した。
      樺太では直後に、日本の防衛的戦闘で、日本
     は勝利していたが千島の占守島では1945年8月22
     日に、日本から停戦命令が下り、武器を置いた。
.
1950年代半ば、毛沢東による対日戦犯裁判
  中国では・・、
  ☆中華人民共和国によって対日戦犯裁判が行われた(
 近年、中国で新史料が公開された)。
  ☆1950年、シベリアに抑留されていた旧『満州国』や
 関東軍の関係者がソ連から中国に送還された。
  ☆終戦後、中国に残留し、国共内戦下で共産党軍と戦
 って捕虜となった日本人将兵、戦犯と見なされ、拘留さ
 れた。
  1526名。
  毛沢東思想に基づく思想改造を、長年、強烈に受けさ
 せられた。
  1956年に、大半が釈放された。
  (BC級戦犯なのに、約1000名が死刑にされた)
  ☆毛沢東は、「南京虐殺について、触れることはほ
 とんどない・・言及もしていない」。
  この事からも、南京事件は、後から中国(支那)によ
 る作り出された捏造ということがはっきり分かる。
.
2017年1月20日、ドナルド・トランプ、アメリカ大統領の就
 任式で・・
  「今、この瞬間からアメリカ第一主義(アメリカ・フ
 ァースト)が始まる」と演説された。
  そして、また、新大統領は、「世界の国々と友好的で
 善意に基づく関係を築きますが、すべての国には自国の
 利益を最優先する権利があります。
  私たちは、自分たちのやり方を他の誰かに押し付けた
 りはしませんが、「輝く模範として見習われる存在にな
 ります」と演説した。
  すべての国々が、自国の国民の幸せを第一に考えるの
 が当然で、自国の国益を最優先するのも当然で、その様
 な自立した国々同士が友好関係を結んでいくのが「最も
 当然な最善な事」と示された。
  そこには、今までの様なアメリカが勝手に最善として
 思い込んだ考えを押し付けるようなことはしないという
 宣言があった。
  戦争の遠因となっていた「アメリカの考え方・イデオ
 ロギー」の勝手な押し付けはしないの宣言があった。
  今まで、アメリカは『自由と民主主義』と言って表面
 的には良いように見えることを、実際はアメリカだけが
 良いという勝手な事を「他国へ押し付けた」。
  持っている武力を振り回し、自国の若者も死に至らせ、
 また、他国の人々・・戦争とまったく関係ない方々を殺
 して来た。
  この様な「勝手な独りよがりな介入はしない」という
 宣言だった。
  実際は、「アメリカのやり方」「アメリカ・スタンダ
 ード」なのに・・「グローバル・スタンダード」だと嘘
 を言って、アメリカの超富裕層に都合の良いシステムを
 押し付けて来た。
  当然の様に他国の内政に干渉し、屁理屈で「ああだ、
 こうだ」と言った。
  この様な事を、当然のように、『間違っている』と「
 否定した大統領」だった。
  しかし、今まで「利益を享受して来た組織」が、盛ん
 に抵抗している。
  その今までの組織に「おもねっている」・・日本のゴ
 マすり「マス・メディア」も、盛んに、「トランプ大統
 領に対抗する反対報道」をしている。
.
2019年、アイヌの方たちだけが特別ではない。
    アイヌ特別立法はお止めください。
  アメリカで『キンタクンテ』が話題になった頃、それ
 が日本でも話題になった頃、「ルーツ」「ルーツ」と
 自分のルーツに皆が関心が向かった頃・・、
  キンタクンテは、「そのルーツをアフリカに発見した」。
  その頃、自分の事を調べてみると、何と、せいぜい隣
 村くらいの狭い社会の中で「先祖の方たちは生きて来た」
 ことが分かりびっくりした。
  同じ村、若しくは、隣村との結婚が繰り返されていた。
  これでは、「武蔵野民族ではないか」と思った。
  知人に、京都で、明治に生まれた方が居られて、関東
 大震災の時に東京に出て来られたが・・、
  その頃、鹿児島の薩摩弁の方と青森の津軽弁の方が、
 話が通じ合わなくて、通訳をしてあげたと言っていた。
  京都で育ち、都で色々な方と接して、薩摩弁と津軽弁
 が通訳できたのだ。
  今・現代、通信機器も発達し、テレビ・ラジオの放送
 も氾濫し、標準語が定着し、その様な話は夢の様だけど・・、
  また、先の話は、交通手段が発達し、遠くまで簡単に
 行ける現代、男女の接触もSNSでも会えるという時代。
  男女の接触も広くなって、その様な話しはまったく想
 像が出来ないが、武蔵野民族の自分だって同化したが「
 武蔵野民族なのだ」。
  九州には「熊襲(くまそ)」という民族が居て、ある
 時、世間の話題になったが、今は完全に同化して、話題
 になることも無い。
  能には「吉備人」が出て来てる様に、日本には「アイ
 ヌの方々だけではない方々が色々生活して居た」。
  アイヌの方々だけが特別ではない。
  武蔵野民族は完全に同化したが・・ならば、「武蔵野
 民族の方々にも特別法を作りなさいと言いたい」・・そ
 して、「武蔵野民族を無視する理由はありませんと言い
 たい」。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-04-12 05:09 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)639E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年2月~1896年2月)

題:(増補版)639E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年2月~1896年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年2月10日、貴族院議員・近衛篤麿ほか2人、議員・二
 条基弘ほか43人の賛成を得て、「北海道鉄道敷設法案」
 を提出した・・北海道開拓の実を上げるため必死に鉄道
 敷設に取り組んで行く。
  特別委員会付託となり・・、
  1896年3月7日、貴族院可決・・
  1896年3月25日、衆議院可決、
  1896年3月26日、両院協議会を開き衆議院修正案可決、
   貴族院同意。
.
1896年2月10日、法律第1号により官設鉄道用品資金25万円
 が増加となって205万円となる。
.
1896年2月10日、ロシア兵の107名の水兵 20名の食料担当兵
 大砲一門を漢城に搬入し実力支配をする。
  ロシア兵は150名となった・・親露政策へ・・反ロシア
 派への弾圧・一掃・・民衆の親露政権への反発・・
  また、ロシアは、種々の実質的な利権を獲得する結果
 となる。
  また、付随して欧米列強も同等の利権を獲得すること
 になった。
  宮女ゲン(元?)金明載より「各大臣等日本兵が密か
 に国王を廃位しようとしているので甚だ危険なり。
  速かに露館に播遷し回避されたし」旨の親露派が作っ
 た手紙・作文の書状を高宗に届けた。  
  そして、翌日(2月11日)、高宗と世子(純宗)が宮女
 用のかごに乗り、ロシア公使館へに逃げ込んだ。
.
1896年2月11日、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」が
 パリで初演された。
  実は、1892年に、名女優サラ・ベルナールの主演でロ
 ンドン上演をする予定だったが、当局の検閲で上演禁止
 となった・・内容の背徳性から、しばらく上演されなか
 った。
  (イギリスでは1931年まで禁止されていた・・聖書に
 登場する人物や事件を舞台にかけることが禁じられてい
 た)
  1893年に、アンドレ・ジッドとピエール・ルイスの校
   閲を経て、フランス語版の戯曲がパリで出版され、
   評判になった。
  1894年に、アルフレッド・ダグラス卿の英訳に、ワイ
   ルド自身が徹底的な修正を加えて、当時、22歳の奇
   才オーブリー・ビアズリーの幻想味あふれ、退廃的
   挿絵付きの英語版がロンドン出版された英訳版は大
   きな反響を呼んだ。
  世紀末のデカダンスの欧米芸術に強烈な衝撃を与えた。
  古臭い乾からびた伝統的な男性中心主義の女性観など
 へ衝撃を与えて行く。
  洗礼者ヨハネが首を斬られたことが興味を引いた発端。
  1903年~1905年に、リヒャルト・シュトラウスが1幕の
 オペラを作曲する。
  このシュトラウスの「サロメ」には紛れもなく世紀末
 風なデカダンスの雰囲気が濃厚に存在する。
  「ああ!ヨカナーンや、私は、おまえの口にくちづけ
 したよ、ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)、おまえの口にく
 ちづけしたよ」というサロメの無気味な歓喜の言葉が流
 れる最終場面・・妖艶・・
  何故、お前は私の顔を見なかったのだ・・
  死の秘密より大きい愛の秘密・・
  そんなことはどうでもよい・・私はお前の口に接吻し
 ましたよ・・
  https://www.youtube.com/watch?v=VT-5zz92mNQ
  現在、戯曲「サロメ」が上演されることは滅多になく、
 舞台といえばもっぱらオペラ「サロメ」。
  内容:
  ユダヤの王妃エロディアスには、最初の結婚によって
 もうけた娘サロメがいる。
  サロメは王に捕えられている預言者ヨカナーンを恋し
 ているが、ヨカナーンは彼女を拒む。
  サロメは王の求めに応じて踊り、褒美にヨカナーンの
 首を所望する。
  何でも望むものを与えると約束していた王は、やむな
 くサロメの願いを聞き届ける。
  サロメは首を持って踊り狂い、王の命令を受けた兵士
 たちに殺害される。
.
1896年2月11日、露館播遷(ろかんはせん)
  朝鮮国王が、ロシア公使館に移らされた。
  金允植(キム・ユンシク)は、穏健な開花的な人物だ
 ったが(科挙の試験にも合格する才能ある人物)・・、
  朝鮮のこの親露政権が成立すると、親日派だとして済
 州島に流刑された。
  1896年2月11日~1897年2月20日、、朝鮮王の高宗が、
 ロシア軍によってロシア公使館へ移らされ、親露政権が
 樹立させられた・・
  親日派の政権閣僚は殺害されたりした。
  そして、この結果、ロシアは、数々の種々利権を獲得
 し、他のヨーロッパの各国やアメリカの列強も同等の利
 権を獲得することになった。
  また、これは国としての自主性を放棄するのに等しい
 行為であった。
  この事に対する朝鮮有志による抵抗行動が起きる。
  朝鮮政府に好き勝手をしていたロシアの横暴。
  (参考)播遷:はせん、遠くさすらうこと。
  高宗は勅令を出さざるを得なくなる・・
  実体は、ロシア公使ウェーベルの傀儡政権の成立。
 1.閔妃殺害事件の犯人として特赦された趙羲淵、禹範善、
  李斗璜、李軫鎬、李範来、権濚鎮の首を持ってロシア
  公館に持参せよ。
  (閔妃殺害事件についての再調査も実施され、漢城で
  発行されていた英文雑誌に調査結果が掲載された)
 2.新内閣の公示・・総理大臣に金炳始、内部大臣に朴定
  陽、軍部大臣兼警務使に李允用、法部大臣に趙秉稷、
  学部大臣に李完用、宮内大臣に李載純を命じる。
  (在朝ロシア公使は、スペール趙羲淵、兪吉濬、張博、
  李軫鎬等は日本に亡命・・前総理金弘集と前農工商大
  臣鄭秉夏は亡命せず・・警務庁前で暴徒に捕まり惨殺、
  遺体は焼却された)
.
1896年2月13日、博多湾鉄道発起人が、設立願を政府に提出
 した。
  1896年6月、線路計画変更、
.
1896年2月18日、朝鮮・仁川に、4000余名の暴徒が蜂起した。
  観察使(地方の行政権・兵権・司法権を握る役職)を
 殺害し、郡司を逐訴するなど、政令はソウルの外には伝
 わらず、無政府状態に陥って・・官衙官宅を毀壊した。
.
1896年2月21日、ロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式の出席の
 ため、明治天皇陛下の御名代として伏見宮貞愛親王(陸
 軍少将)が出席されることになり・・また、この日、山
 県有朋が、ロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式の出席と、
 朝鮮問題対応のため、特命全権大使に任命された。
.
1896年2月22日、日本海上保険が設立された(3月説あり)
  色々と変遷の後に、2014年9月1日に、 損害保険ジャパ
 ンと合併して、損害保険ジャパン日本興亜が発足してい
 る・・そして、発足と同時に「損保ジャパン日本興亜ホ
 ールディングス」に商号を変更した。
.
1896年2月25日、房総鉄道の千葉駅~蘇我駅間が開通した。
.
1896年2月29日、日本銀行旧館(本館)の建物が完成した。
  設計は、辰野金吾(工科大学:現東京大学工学部)教
 授。
  当初は永代橋のたもとにあったが、手狭のため中央区
 日本橋本石町に建設し、移転した。
  この日本橋という所は、江戸時代から両替商が軒を連
 ねていた場所で、金融機関が集まっていた。
  また、商業の中心地ともなっていた。
  構造:石積みレンガ造
  外装:花崗岩貼り
  工事費:112万円(当初予算は80万円であったが、この
 時期、物価上昇した)
  着工:1890年9月
  1891年に発生した濃尾地震の被害から建物の軽量化が
 図られた。
  1923年の関東大震災でも被害は無く、建物はびくとも
 しなかった・・ただ、近隣に発生した火災によりシンボ
 ルだった丸屋根が焼け、その後、復元したの屋根が現在
 に至っている。
  ちなみに、2階の廊下には代々の総裁の肖像画が展示さ
 れていたが、関東大震災ですべてが焼失し、現在の肖像
 画は、その後、再製されたもの。
  故人になられていた方は、写真から模写された。
  エレベーターや水洗便所など先進的な設備を取り入れ、
 また、防火シャッターやスチールサッシなど外国製品も
 採用した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:この果てしない巨万の富は、ヨーロッパ全域へ、そして、世界へ、
   ロスチャイルドの影響力を行使できる額だった。
.
1567年9月5日、「独眼竜政宗」で有名な伊達政宗(仙台藩
 初代藩主)の話。
  伊達政宗は、出羽の国と陸奥の国の戦国大名である。
  そして、伊達氏17代の当主であり、近世大名としては
 仙台藩の初代の藩主である。
  1567年9月5日、伊達政宗は生まれた。
    出羽国・米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗
   の嫡男として、正室の最上義守の娘・義姫から生ま
   れた。
    政宗は、幼少の時に患った疱瘡(天然痘)によっ
   て右目を失明した。
  1579年(12歳)仙道の戦国大名の三春城主・田村清顕
   の娘・愛姫(12歳)を正室に迎える。
  1581年(14歳)4月、初陣。隣接の相馬氏と合戦。
  1584年(17歳)10月、父・輝宗の隠居で家督を相続し、
   伊達家第17代当主となる。
  1585年(18歳)5月、蘆名領檜原を攻め、8月に、大内
   領小手森城を攻めた。
  1586年(19歳)4月、二本松城攻め、7月、二本松城の
   明け渡し。
  1587年(20歳)12月、関白・豊臣秀吉が、関東・奥羽
   の諸大名、特に、関東の北条氏と奥州の伊達氏に対
   し、惣無事令(私戦禁止令)を発令した。
    しかし、政宗は秀吉の命令を無視し、戦争を続行
   した。
  1588年(21歳)2月、北方の大崎氏の内紛に介入したが、
   黒川晴氏の離反と大崎方の頑強な抵抗に合い敗北。
    伯父の最上義光に大崎側に立って参戦されてしま
   い、伊達領の各地が攻め落とされた(大崎合戦)
    また、蘆名氏・相馬氏に侵攻され、苗代田城を攻
   め落とされる(郡山合戦)・・7月、和議が成立して
   窮地を脱した(愛姫の実家・田村氏領の確保に成功)
  1588年(21歳)9月、豊臣秀吉へ恭順の意を示す。
   秀吉は、翌年・1589年の前半に上洛する様に求める。
  1589年(22歳)5月~6月、摺上原の戦い・・
    この頃、政宗は、全国的にも屈指の大きな領国規
   模を築いた・・近隣諸氏・豪族も政宗の勢力下に入
   る。
  1589年(22歳)11月、後北条氏が真田領へ侵攻したこ
   とにより、豊臣氏により征伐が行われることになっ
   た。
    政宗は、父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係
   にあったため、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべ
   きか、直前まで迷っていた。
  1590年(23歳)1月、伊達政宗は、豊臣秀吉から「小田
   原城攻めをするから、参陣せよ」という命令を受け
   た。
    しかし、正宗は、これに応じなかった。
    それどころか、秀吉陣営に属していた会津・黒川
   城の芦名義弘を討った。
    父・輝宗を騙した畠山善継に味方した芦名を討っ
   たのは『敵討ち』であるという大義名分があったが、
   明らかに秀吉への反抗でもあった。
    さらに、正宗には、小田原参陣に遅れる事件もあ
   る。
    実母・保春院が、弟・小次郎を立てるため政宗を
   毒殺しようとした。
    政宗は、辛くも命拾いをした。
    小次郎を斬殺し、母を米沢へ追放した(後に、仙
   台へ戻す)。
    この様な事で参陣が遅れたのだった。
  1590年(23歳)5月、秀吉の小田原攻囲(小田原征伐)
   中であるこの時・1590年5月、豊臣配下の浅野長政か
   ら小田原参陣を催促された。
    政宗は、5月9日に会津を出立すると米沢・小国を
   経て同盟国・上杉景勝の所領である越後国・信濃国、
   甲斐国を経由して小田原に至った。
    秀吉の兵動員数を考慮した政宗は秀吉に服属した。
    参陣が遅れたことに、秀吉は激怒した。
    政宗が、小田原へ赴くと、秀吉は、会見も許さず、
   箱根・底倉へ政宗を幽閉した。
    この時、政宗は、前田利家へ「田舎者ゆえ礼儀を
   わきまえない。千利休に茶の湯を習いたい」と告げ
   た。
    秀吉は、それを聞いて引見することとした。
    死ぬか生きるかという時に良い度胸だという訳だ
   った。
  1590年(23歳)7月、政宗が、秀吉に服属してほどなく、
   北条氏政・北条氏直親子が秀吉に降伏した。
    秀吉は、宇都宮城で奥州仕置(宇都宮仕置、1590
   年7月~8月に行われた)を行った。
    ここに、秀吉の日本統一が達成されたが、政宗は、
   会津領などを失った。
    陸奥出羽のうち13郡、およそ72万石に減封された。
    秀吉は、会津領を没収したものの、伊達家の本領
   72万石(おおむね家督相続時の所領)は安堵とした。
    先の遅参の詰問に来た前田利家らに千利休の茶の
   指導を受けたいと申し出だことに秀吉らが感嘆した
   からと言われている。
  1591年(24歳)蒲生氏郷とともに、葛西大崎一揆を平
   定するが、政宗自身が一揆を煽動していたことが露
   見する。
    しかし、これは、氏郷が、「政宗が書いた」とさ
   れる一揆勢宛の書状を入手したことに端を発する。
    また、京都では、政宗から京都に人質として差出
   した夫人は偽者であるとか・・
   一揆勢が立て篭もる城には政宗の幟(のぼり)や旗
   が立てられているなどの噂が立ち、秀吉の耳にも届
   いていた。
    喚問された政宗は上洛し、一揆扇動の書状は偽物
   である旨を秀吉に弁明した・・
    その結果、許されるが・・、
    本拠地であった長井・信夫・伊達を含む6郡の代わ
   りに(6郡没収)、一揆で荒廃した葛西・大崎13郡を
   与えられ、米沢城72万石から玉造郡岩手沢城へ58万
   石に減転封された。
    この時、秀吉の前に出る政宗の様子・・
    家康や利家をはじめ諸武将が居ならぶ席上、秀吉
   が、末席に控えている政宗へ、杖で政宗を指し・・
   「政宗、政宗」と声をかけた・・「是へ、是へ」と
   秀吉のもとに招いた。
    政宗は、脇差を抜いて知人に預け、一間(1.8メー
   トル)ほどの所まで近づいて挨拶した。
    「脇差ノ抜ヤウ、マタ、御挨拶ノフリ、誠二悪ビ
   レタル気色モナク、田舎人ナレドモ、聞キ及ビタル
   程ノ者也」(政宗記)。
    田舎者だが、噂にたがわぬ堂々とした男だと秀吉
   は言った。
    片目ながら政宗の大胆さ、そして、繊細さを、55
   歳の秀吉は鋭く見抜いた・・24歳の政宗をいっぺん
   に気に入った。
    秀吉は、鎬(しのぎ)藤四郎作の名刀を与えた。
    そして、伊達政宗は、陸奥五十四郡、出羽十二郡、
   計六十六郡の半分を所有する大名として認められた。
  1593年(26歳)政宗は、秀吉の文禄の役に従軍した。
  1599年(32歳)秀吉の死後のこの時、政宗と、五大老
   の徳川家康は、天下人であった秀吉の遺言を破った。
    政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝を
   婚約させた。
  1600年(33歳)7月25日、家康が会津の上杉景勝討伐の
   軍を発した・・すると政宗はこれに従った・・そし
   て、この日、登坂勝乃が守る白石城を、政宗は奪い
   返した。
  1600年(33歳)8月、100万石へ復帰・・
    家康は、政宗に対して、岩出山転封時に没収され、
   この時点では上杉領となっていた旧領6郡49万石の領
   土の自力回復を許す旨の書状(百万石のお墨付き)
   を贈った。
  1600年9月、関ヶ原の戦いが勃発。
    正宗は東軍に属した。
  1601年(34歳)政宗は、徳川家康の許可を得て、居城
   を仙台に移した。
    城下町建設を始め、仙台藩が誕生した。
    仙台城、及び、城下町の建設は大工事となった。
    徳川幕府から松平の名字を与えられ「松平陸奥守」
   と称した。
  1606年(39歳)家康の6男・忠輝と長女・五郎女(いろ
   は)を結婚がなり、伊達家はより安泰となった。
  1613年(46歳)政宗は、仙台藩とイスパニアとの通商
   を企図した。
    仙台領内において、イスパニア国王・フェリペ3世
   の使節セバスティアン・ビスカイノの協力によって
   ガレオン船・サン・フアン・バウティスタ号を建造
   した。
    この大船の建造に、材木を気仙、磐井、江刺緒郡
   から伐り出し・・公儀船大工・与十郎を棟梁とした。
    イスパニア航海士や技術者も参加した。
    政宗は、家康の承認を得ると、ルイス・ソテロを
   外交使節に任命し・・
    家臣・支倉常長ら一行180余人をヌエバ・エスパー
   ニャ(メキシコ)、イスパニア(エスパーニャ)、
   および、ローマへ派遣した(慶長遣欧使節)
    この実施で、正宗は、家康へ交易で大きな利益が
   徳川幕府にももたらされると説得していた。
  1613年(46歳)12月19日、支倉常長がノビスパニア(
   メキシコ)のアカプルコに到着した。
  1614年(47歳)大阪冬の陣・・大和口方面軍として布
   陣する。
  1615年(48歳)大坂夏の陣・・道明寺の戦い、後藤基
   次らと戦う・・基次は自刃した。
    また、他の戦いで乱戦となり、政宗は味方討ちを
   している・・抗議をされ、「伊達家の軍法には敵味
   方の区別はない」と言った・・幕府はこれを黙殺。
    論功行賞で、政宗の子(庶長子の伊達秀宗)が10
   万石を与えられた(宇和島藩)
  1615年(48歳)9月、支倉常長がローマ・バチカン市国
   で法王パウロ五世と会った。
  1620年(53歳)支倉常長が帰国した。
    この支倉常長の航海の目的には、イスパニア艦隊
   を引き連れて帰国するかもしれないという威圧が、
   無言で幕府を脅迫し、徳川幕府の挙動を抑える効果
   を狙って、伊達家安泰を図っていたとも言われてい
   るが・・?
  1626年(59歳)政宗が、仙台城下・若林に隠退した。
    春は城の桜を愛で、初夏に近郊のホトトギスの声
   を聞き、秋には月を愛で、鷹狩りを楽しんだ。
    また、政宗は、北上川水系の流域整備や開拓、領
   国開発、農業生産改良、文化の向上、技師の招聘、
   大崎八幡宮(今、国宝となっている)、瑞巌寺など
   の建設、石巻港建設、海路の整備などを行なった。
    また、下城する政宗に、徳川家光が、護身用に10
   挺の火縄銃を与えたという話もある。
  1634年(67歳)食事不振となり、嚥下に難を抱えると
   いう体調不良を訴え始めた。
  1636年5月22日(68歳)、母・義姫を弔う保春院の落慶
   式を終えた後、城下を散策した政宗は、経ヶ峰に杖
   を立て、「死後はここに埋葬せよ」と言った。
    この2日後の5月24日、参勤交代に出発した政宗は、
   急に病状が悪化・・宿泊した郡山では嚥下困難に嘔
   吐が伴い、何も食べられなくなる。
    6月1日、江戸に入った頃、絶食状態となる。
    腹に腫れが生じていた・・しかし、病をおして参
   府した・・
    この様な政宗を、家光は、6月24日、伊達家上屋敷
   に赴いて政宗を見舞った。
    政宗は、行水して身を整えた・・そして、家光を
   迎えた。
    しかし、お目見え後に、奥へ戻る時には杖を頼り
   に何度も休みながら進まざるを得ないという状態だ
   った。
  1636年6月27日、卯の刻(午前6時)死去。
    享年(満68歳)・・仕えた主君は、豊臣秀吉→秀
   頼→徳川家康→秀忠→家光
.
1636年7月、徳川の御三家の『水戸藩』の家租となる頼房が、
 徳川姓を許された。
  水戸徳川家(水戸家)は、徳川家康の十一男の徳川頼
 房を家租としている。
  領国の石高は、実収が28万石程度だった。
  しかし、御三家の格式から、公称35万石としたため、
 水戸藩の財政を厳しくした。
  紀州藩の資料に、頼房が徳川姓を許されたのは1636年
 7月とあり、それまでの33年間は「名字定まらず」とされ
 ている。
  徳川家康は、水戸藩を成立させるにあたり、武田・北
 条・今川など、かつて敵対し、滅亡した戦国大名の家臣
 も採用した。
  水戸藩は、さながら「敗者復活藩」だった。
  御三家の「第三位の地位」が確立したのは、徳川家宣
 (第6代将軍、在任1709年~1712年)が将軍となって、甲
 府徳川家が解消した後だった。
  また、水戸家当主は、参勤交代の対象外であり、江戸
 定府とされ、基本的には国許に帰国することはまれだっ
 た。
     ・
     ・
1791年2月25日、アメリカの中央銀行である第一合衆国銀行
 が設立された。
  それまでは、13植民地がそれぞれに銀行を持ち、また、
 通貨および財政制度と政策を持っていた。
  財閥・ロスチャイルド家の策謀・・
  アメリカ合衆国で通貨発行権を得て『打ち出の小槌
 (こづち)』の様な状態の利益を得ようと暗躍したロス
 チャイルド家(イギリスにある)は・・、
  アメリカの初代財務長官・アレクサンダーに、「中央
 銀行の設立の提案」をさせた・・が、しかし・・、
  そのおかしな挙動と危険性を熟知していたベンジャミ
 ン・フランクリンや、トーマス・ジェファーソン(アメ
 リカ合衆国独立宣言を起草した人)は、そのハミルトン
 の案に反対した。
  大議論が続き、決定はされなかったが・・、
  反対したフランクリンが死んだ後・・1791年に、ジェ
 ファーソンの反対は押し切られた・・
  ハミルトンは、中央銀行の設立に成功したのだった。
  ワシントン大統領が署名して、第一合衆国銀行は設立
 された。
  しかし、この銀行は、アメリカ合衆国憲法に違反する
 という民間銀行の形で、このアメリカの中央銀行は設立
 されていた・・?
  アメリカ合衆国憲法には、はっきりと「貨幣鋳造権限
 は、アメリカ合衆国連邦議会が有する」と規定されてい
 る。
  (参考)対訳アメリカ合衆国法
      第1条8節1項(また、合衆国議会は以下の
     権限を有する)
      第1条8節5項(貨幣の鋳造、度量衡の基準
     の設定権)
      貨幣を鋳造し、国内および外国通貨の価値を
     規律し、また度量衡の基準を定める権限。
  (参考)註解アメリカ憲法
      第10条、州に対する制約
      第一項、各州は、同盟もしくは連合を締結し、
     捕獲免許状を付与し、貨幣を鋳造し、信用証券
     を発行してはならない。
      「信用証券とは、州の信用を基礎にする紙幣
     のことであって、これを発行することは許され
     ない」
      (州による紙幣の発行は禁止されている)
  この中央銀行の8割の株式は民間で、連邦政府は2割に
 過ぎない。
  この様にして、実質的な権利者となる株式を所有した
 のが、イギリスのロスチャイルド家だった。
  また、ニューヨークの民間銀行も所有した。
  そして、20年間のこの期限が1811年に訪れた。
  更新して継続するのか?・・の大論争がなされた。
  正論が通って・・「民間銀行が通貨発行権を持つのは
 おかしい」という主張が、一票差で「更新するという案
 を否決した」。
  この正当な決議に怒ったのが「旨い汁を吸い続けたい
 とする『イギリス・ロンドンの銀行家たち』だった」。
  イギリス政府に、当時は、イギリスの弱小従属国的だ
 ったアメリカへの「けしかけ」や「圧力」を与えた。
  そして、不埒にも、1812年に、「英米戦争」に至った。
  この問題以外には、何の問題も無いという英米関係だ
 ったのだったが・・?
  イギリスのロンドンの銀行家たちは、戦費調達に窮す
 るアメリカに、「戦費調達先の必要性」と、その為の「
 中央銀行の保持の必要性を思い知らせるという『仕掛け』」
 だった。
  この英米戦争で、「アメリカ政府の債務(借金)は3倍
 となった」。
  アメリカは、深刻なインフレに見舞われた。
  このインフレに対処するにも苦労するアメリカだった。
  アメリカ内に、中央銀行の必要性が出て来た。
  1816年、アメリカ合衆国連邦議会は、第二合衆国銀行
 の設立法案を可決した。
  またまた、第一合衆国銀行の時と同じように、民間8割、
 政府2割となった。
  そして、その株主もまったく同じで、ロンドンのロス
 チャイルドと、ニューヨークのウォールストリートの民
 間銀行だった。
  また、同じに、通貨発行権を一部の民間が手に入れた。
 そして、その更新期限が、1836年に来るのだった・・
  (参考)因みに・・1963年6月4日に、ケネディ大統領
     の大統領令11110 (Executive Order 11110) に
     よって政府紙幣が復活する・・
      しかし・・その約半年後の11月22日に、ケネ
     ディ大統領は暗殺されてしまった。
      1971年1月以降は、政府紙幣の新規発行は行わ
     れていない。
      但し、現在でも法律上、財務長官は、3億ドル
     を限度に「合衆国紙幣」(United States Note)
     を発行することができることとされている (合
     衆国法典第31編第5115条)。
.
1815年6月18日、ワーテルローの戦い(ナポレオンの最後の
 戦い)
  ベルギー(当時ネーデルラント連合王国領)のワーテ
 ルロー近郊で、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・
 ボナパルト)が率いるフランス軍(大陸軍=グランダルメ)
 が・・
  イギリス・オランダをはじめとする連合軍、および、
 プロイセン軍との間とで戦闘を行った。
  この戦いは、ナポレオンの最後の戦いとなった。
  ナポレオンのフランス軍は敗れた。
  戦力比較
  フランス軍72000、連合軍68000+プロセイン軍50000
  死傷者数
  フランス軍40000、連合軍27000+プロセイン軍7000
  エルバ島から帰り、フランス皇帝に復帰したナポレオ
 ン。
  そのナポレオンを打倒しようと、第七次対仏大同盟が
 出来上がろうとしていた。
  ナポレオンとしては、これが出来上がって、態勢が整
 ってしまう前に叩いてしまおうというのがナポレオンの
 作戦だった・・
  そして、ナポレオンは出陣したのだった。
  戦いは・・1815年6月16日から始まっていた。
  この時、ユダヤ財閥を築くことになるロスチャイルド
 は、戦況の分かる付近に配下の者を送り込んでいた。
  そして、ナポレオンが敗れると、馬を駆ってその情報
 をロスチャイルドへ伝えさせた。
  この情報を聞いたロスチャイルドは、普通と逆のこと
 を行なった。
  取引所で、イギリス国債を大量に売却した。
  これを見ていた周りの仲介人も、「情報通のロスチャ
 イルドが、イギリス国債を売っている、イギリスが敗れ
 たに違いない」と、一斉に取引所は、「イギリス国債売
 り一色となった」。
  イギリス国債は、当然、大暴落した。
  ロスチャイルドは、その暴落して安くなったイギリス
 国債を、「秘かに、大量に買い戻した」。
  しばらくして、ウェリントン軍が勝利したという情報
 が伝わると、イギリス国債は、この逆の動きをして買わ
 れた。
  反転して「大暴騰」となった。
  その高値で、ロスチャイルドは売り抜けた。
  巨万の富が、ロスチャイルドに残った。
  この果てしない巨万の富は、ヨーロッパ全域へ、そし
 て、世界へ、ロスチャイルドの影響力を行使できる額だ
 った。
.
1896年3月1日、第一次エチオピア戦争:(アドワの戦い)
  イタリア軍とエチオピア軍が、エチオピアのティグレ
 州アドワ近郊で戦った・・が・・
  イタリア(エチオピア征討軍)は、アドワで大敗した。
  イタリアの敗北が決定づけられた。
  19世紀は、アフリカにとって悲惨な世紀だった。
  ヨーロッパ列強各国によって、いい様に殺戮され、植
 民地化された・・アフリカの大部分がヨーロッパの国々
 によって影も形も無かった。
  アメリカの黒人の方々の『棄民目的』でリンカーンが
 造った国・リベリアと、このエチオピアのみが、アフリ
 カの独立国であった・・そのほとんどが、ヨーロッパ諸
 国の植民地などで・・蹂躙されていた。
  だが、植民地獲得の欲望が収まらないヨーロッパ各国。
  そして、このエチオピアへも侵略は行なわれた。
  エチオピア軍を率いたのはメネリク2世だった。
  イタリア軍は、補給に事欠く状況だったが、本国の命
 令でオレステ・バレティエ将軍は、1896年2月29日、進軍
 を命じた。
  この状況を察知していた優秀なエチオピア軍は、即座
 に全面攻撃が命じられた。
  イタリア軍14,527名、エチオピア軍12万人・・エチオ
 ピア軍は、各地でイタリア軍を包囲した。
  イタリア軍が撤退すれば・・追撃をし続けた。
  イタリア軍は8000名を失った・・また、エチオピア軍
 も1万名を失った。
  主力を欠いたイタリア軍は降伏をせざるを得ず、アジ
 スアベバ条約を締結した。
  エチオピアの当然の独立を承認させた・・『白人の横
 暴な行為』が挫けた事例として燦然と輝く歴史となった。
.
1898年4月25日、アメリカとスペインの戦争(米西戦争)
  この戦争もアメリカの策謀(さくぼう、たくらみ)で
 始まった。
  真珠湾攻撃も、アメリカの謀略(ぼうりゃく、人をあ
 ざむく「はかりごと」)によって始まったことは、今・
 現代では、誰でも知っていて、はっきりしていることだ
 が・・
  この米西戦争も、はっきりと、アメリカの引っ掛けの
 策謀だった。
  第二次世界大戦の大東亜戦争にも、アメリカに明確な
 「日本を潰したい」という「アメリカの動機」があった。
  そして、また、この米西戦争も、アメリカに同様に
 「スペインを潰したい」という「アメリカの動機」があ
 った。
  この年・1898年2月15日、夜9時40分、没落するスペイ
 ンの残された植民地「キューバ」のハバナ港に停泊して
 いたアメリカ戦艦「メイン号」が、謎の爆発を起こした。
  不思議なのは・・乗員の多くが爆発の起きた艦の前方
 に寝ていて、死亡してしまい・・艦長をはじめとする士
 官クラスは、不思議に、艦の後部に居て難を逃れていた。
  この時、メイン号は沈没し、260人の乗組員が犠牲と
 なった。
  また、この艦に、8名の日本人も乗船していて、6人が
 犠牲となっている。
  爆発原因は、今日に至るまで特定されず「謎となって
 いる」。
  スペインが沈没に関わったという理由も見い出されて
 いない。
  しかし、アメリカは、謎で爆発の理由が分からないの
 にもかかわらず、スペインのせい(所為)にした。
  アメリカは、爆発の原因が不明にもかかわらず、スペ
 インの仕業(しわざ)だとして、スペインに宣戦布告を
 した・・(アメリカは怖い国である)
  さらに、おかしい事に、この時、アメリカは、都合良
 く、事前に、アメリカの太平洋艦隊を「香港に集結させ
 ていた」。
  そして、このアメリカの宣戦布告で米西戦争が始まる
 と、「すぐに」、スペインの植民地であるフィリピンを
 この艦隊に急襲させた。
  そして、マニラ湾に居たスペインの東洋艦隊を全滅さ
 せてしまった・・「マニラ湾奇襲攻撃」である。
  たったの4時間の戦いだった。
  そして、フィリピンの首都・マニラも陥落させた。
  スペイン本国から、フィリピン防衛の救援に、急遽、
 駆け付けたスペイン艦隊も間に合わず・・、
  こんなアメリカの計画的な素早い行動に追い付ける訳
 は無く、このスペイン艦隊も、スエズ運河を通過したと
 ころで、マニラの陥落までの戦況が一気に進んでしまっ
 たことを知り、本国へ空しく引き上げる状況となった。
  これで、完全に、スペインの息の根は止まってしまっ
 た。
  スペインは、これで、歴史上の表舞台から消え去って
 行った。
  アメリカは、歴史上、この様な事ばかりをしている。
  米西戦争のマニラ湾の戦闘状況・・
  1898年5月1日、米西戦争のフィリピンでの最初の戦闘
 のマニラ湾海戦が行われ、6時間の戦闘で、スペイン艦隊
 は旗艦を含む3隻が沈没、4隻が炎上するなどの壊滅状態
 に陥った。
  アメリカ艦隊の被害はほぼ無傷。
  アメリカ施政者のウィリアム・マッキンリー大統領(
 在任期間1897年3月4日~1901年9月14日)は、アメリカ国
 民の方々を煽った・・「ハワイよりも遥か西に敵がいる」
 と。
  この時、アメリカは、既に、ハワイを手に入れようと
 手を打って・・そして、この様な言い方で、アメリカ国
 民の方々を煽った。
  そして、国内宣伝を行って・・煽った。
  スペイン領のフィリピンが狙いだった。
  中国進出のための橋頭保としてフィリピンが欲しいア
 メリカだった。
  そして、さらに、「フィリピンの更に西に敵が居る」
 と、アメリカ国民の方々を・・煽って行く。
  それは、台湾だった。
  日清戦争後の台湾は、日本が関係して居た。
  アメリカ施政者は、「ハワイよりも遥か西に敵がいる。
 アメリカが攻撃されるぞ!」とアメリカ国民の方々へ危
 機感を煽った。
  そして、米西戦争でフィリピンのスペイン艦隊を殲滅
 してし(1898年5月1日)続けて、ハワイを併合してし
 (1898年8月12日)・・
  そして、アメリカの目の前には、台湾(日本)があっ
 た・・そして・・日米戦争の第一幕が開いて行った。
  植民地獲得競争に出遅れていたアメリカは、この様な
 行動をしていた。
  マッキンリー大統領の使った手は・・、
  スペインに対して、「キューバでの蛮行を止めよ」と
 いう聞こえの良い正論などを言って煽った・・
  事前に・・アメリカ国民の方々は・・アメリカ世論は・・
 この様な形の発言の数々で、スペインに対する憤りで沸
 き立たされて行っていた。
  そして、1898年に、米西戦争は勃発した。
  アメリカは、90日間でキューバとフィリピンを手に入
 れた。
  「小戦争」とこの戦争を馬鹿にして発言をした高官も
 居た。
  プエルトリコ、グアム、フィリピンもアメリカに併合
 され、キューバは占領された。
  マッキンリーは、1901年に、暗殺された。
.
1898年8月12日、ハワイ併合宣言・・日本の正義の抗議
  アメリカはハワイ諸島を侵略し、武力的にハワイ王国
 を併合した。
  この時、日本の大隈重信総理は、『正義の書簡』で、
 「これほど激烈で『宣戦布告か最後通牒に等しいような
 外交文書』は見たことがない」と言われるほどの抗議を
 した。
.
1899年、アメリカとドイツが、サモアを分割して奪った。
  太平洋上に「サモア」という島がある。
  昔の地図には「米領サモア」とか、「独領サモア」と
 かと書いてある。
  (参考)サモア諸島:ニュージーランドとハワイ諸島
     以外ではポリネシアで最大の面積のサバイイ島
     などがある。
      アメリカ合衆国の非自治的・未編入領域と説
     明されている。
      紀元前1000年には、すでにポリネシア人の方々
     が居住されていた。
  18世紀以降、侵略され、支配される・・それへの抵抗
 という歴史の中にあった。
  19世紀後半、イギリスとアメリカが協定を結び、サモ
 ア領土の保全予約をした。
  そのサモアに、ドイツが乗り込んで来て、サモアの王
 様に「ドイツ主権を認めさせた」。
  ここから、イギリス・アメリカ・ドイツの争いとなっ
 た。
  そして、1889年、この3国が、ベルリンで会合をし、サ
 モアの独立を宣言した。
  サモアは、この様に独立はしたが、平穏なサモアとは
 ならなかった。
  乱れが、内乱が、激しくなって行った・・すると、こ
 の3国が、再び、介入して来た。
  対立はさらに激化した。
  そして、1899年、アメリカとドイツが、サモアを分割
 して奪ってしまった。
  イギリスは、棄権した。
  サモアという独立国を、当事者の「サモア抜き」で勝
 手に分割してしまった。
  正義も、何も、まったく無かった。
  アメリカは、ハワイも併合していた。
  日本は、この時、反発した。
  大隈重信外相が、何度も何度も、激しい繰り返しの「
 正義の主張」を繰り返した。
  今・現代、中国(支那)が、世界を無視し、正義を無
 視し、南シナ海、東シナ海などで領土欲むき出しの行動
 をしている・・一帯一路で、金が払えないとそれを領有
 した。
.
1914年7月28、太平洋上にあるヤップ島
  第一次世界大戦前までは、ドイツ領だった。
  激烈を極めた第二次世界大戦・・特に、太平洋上の島々
 には凄まじい戦いがあるが・・
  このヤップ島には、アメリカ軍の上陸作戦は行われな
 かった。
  日本の守備軍は、終戦までこの島を維持した。
  戦争中、補給が途絶すると、日本軍は、島民と協力し
 て農業や漁業に努めた。
  このヤップ島・・1914年7月28日から始まる対ドイツの
 戦いの第一次世界大戦があるが・・
  この第一次世界大戦の前から、アメリカが、日本を敵
 視していた状況が、このヤップ島に関連して分かる。
  アメリカは、「日本と一緒にやって行こう」なんて気
 は、まったく無かった。
  太平洋の島々を手に入れて来ていたアメリカが、この
 ヤップ島にもあった。
  ヤップ島を巡る争いが生じた。
  この島は、イギリスが、「日本領にする」と決めてい
 た・・そして、日本とイギリスは約束した・・
  日本は、この約束に基づいて、第一次世界大戦へ参戦
 した。
  中国(支那)の山東省に入って青島(ちんたお)を落
 すなど、日本は、イギリスのために誠実に、忠実に、行
 動した。
  さらに、日本の海軍は、駆逐艦を地中海へ派遣し、イ
 ギリス商船などを守った。
  ドイツの潜水艦が放った魚雷の前に入って、イギリス
 商船を沈没から守ったりした。
  日本の駆逐艦は代わりに沈没してしまった。
  日本の将兵も戦死してしまうという凄(すさ)まじい
 戦闘・防戦をした。
  この時の日本の将兵の墓が、今でも、マルタ島にある。
  日本は、忠実に誠実に、イギリスとの約束を守り、そ
 して、実行した。
  しかし、このヤップ島の話は、戦争が終わると、その
 途端、アメリカが騒ぎ出した。
  アメリカは、このヤップ島を無線基地にしたいと狙っ
 ていた。
  また、アメリカ本国からフィリピンへ向けての航路上
 に日本領の島がある事をアメリカは気に食わなかった。
  アメリカには、フィリピンからシンガポールへとのさ
 らなる拡大も目論んでいた。
  既に、日本を敵視しているアメリカが、そこにあった。
  この問題は大もめにもめた・・その末に日本領とはせ
 ず、日本の委任統治領となった。
.
1944年9月15日、ペリリューの戦い(~1945年11月25日)
  ペリリュー島(現:パラオ共和国)で行われた日本軍
 とアメリカ軍の戦いは熾烈を極めた。
  日本軍の守備隊長は中川州男陸軍大佐・・
  アメリカ軍は、第1海兵師団長ウィリアム・リュパータ
 ス海兵少将と第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少
 将だった。
  要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いる
 という、日本軍が見せた組織的な抵抗戦術は、アメリカ
 軍を苦しめた。
  そして、この後の硫黄島の戦いへと引き継がれて行っ
 た。
  このペリリュー戦で、アメリカ軍の第1海兵師団は壊滅
 する戦いでもあった。
  「死のペリリュー戦」と言われるこの戦いは、一週間
 もあれば終わるであろうとアメリカ軍は高をくくったほ
 ど・・
  その程度だと予測するほど、アメリカ軍と日本軍との
 兵力差があった・・大きな船や多くの兵員・兵器を持つ
 アメリカ軍との間に大きな差があった。
  アメリカ軍は、日本軍の兵力の約4倍の人員を上陸さ
 せた。
  航空機は200倍、戦車は10倍、重火砲は100倍
 以上という軍事力の差だった。
  戦闘が終局に達していた1944年11月24日・・生き残っ
 た日本将兵はわずか60人足らずで、ついに日本軍総司
 令部陣地の「桜散る」の電報が打たれた。
  実に、日米の戦いは73日間にも亘って死闘が繰り返
 された。
  その結果 日本軍の戦死者 10,695名 捕虜 202名。
  アメリカ軍の戦死者 1,794名 戦傷者 8,010名。
  そして、精神に異常をきたし帰国後に精神疾患とされ
 た者が数千名いた(不眠症や離婚や色々な人生弊害者が
 出た)。
  そして、皮肉にも、この結果が・・アメリカの日本上
 陸戦を変えさせた。
  沖縄戦で新型兵器・火炎放射器を使わせた・・また、
 原子爆弾を使わせた。
  このペリリューの戦いは、日本は正々堂々と戦った。
  アメリカ軍の様な卑怯で卑劣な戦い方はしなかった。
  アメリカ軍は、フィリピンでは、フィリピンの方々を
 徴兵し、前戦へ立たせた・・卑怯な卑劣な戦い方をした
 アメリカ軍だった。
  日本は、このペリリュ―島ではペリリューの方々を、
 アメリカ軍との戦いが始まりそうになると、日本軍から
 離れさせた。
  戦争に巻き込まれないようにと配慮し、実行した。
  一般人民であるペリリュ―の方々は、陣地構築までは
 徴用していたが、日本軍は、戦闘前に強制的に戦場にな
 りそうなところから退避させた。
  ペリリュ―島の方々の死者・負傷者は共に0名である。
  その様な配慮がなされ、自分の村々へ帰島していたペ
 リリュ―の島民の方々は、戦いが終わった後に、日本兵
 の遺体には見向きもせず、アメリカ兵の自国兵の遺体だ
 けを整理していたアメリカ人を見て、憤慨した。
  そして、有り難いことに、ペリリューの島民の方々は、
 自発的に穴を掘って、こぞって、日本兵の遺体を葬り、
 墓を作って戴いた。
  そして、さらに、その後も、日本の人達がいつ来ても
 よいようにと、その後も、墓地の維持・清掃などに心掛
 けて戴いている。
  戦後統治がアメリカに移ってから・・卑劣にも 歴史
 の捏造がアメリカによって行われ・・この島での日本軍
 が、現地で虐殺をした様な記述を教科書に載せさせて、
 教えていた・・
  しかし、住民の方々や、長老の方々が、そういう事は、
 まったく無かったと指摘し、今はそうした記述は取り除
 かれた。
  この国の国旗は 青い空の黄色の太陽が模されている。
  日本の日章旗に似たものとなっている・・
  これは、独立を勝ち取った時、上記の様なアメリカに
 よる反日教育と、アメリカによって「動物園政策だ」と
 揶揄された米国よりも、誠実な日本を知る「親日家とな
 った住民の方たち」の意見で決まったという。
.
1945年5月29日、横浜大空襲
  アメリカによって行われた横浜市を中心にして、無実
 の市民を狙った無差別爆撃。
  B-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機による焼夷弾攻撃
 だった。
  この日は火曜日で、天候は朝から快晴で無風状態だっ
 た。
  午前9時過ぎ、横浜上空に姿をあらわしたB29爆撃機は、
 防戦する日本軍の高射砲や機銃の弾幕の上を飛行し、高
 高度からの空爆を行った。
  降りそそぐ大量の焼夷弾によって、当時、97万の人口
 をかかえる大都市・横浜の中心部は、山手地区と山下公
 園周辺を除いて、ほとんどが燃え尽きてしまった。
  この卑劣な市民を狙った攻撃で約8,000名~10,000名の
 死者が出た。
  この時、アメリカは、実験をしたかった・・その為の
 攻撃だった・・モルモットとなった一般市民だった。
  焼夷爆弾攻撃でどのように燃え、死者や被害が、どの
 様に出て行くかのデーターをアメリカは得たかった。
  だから、被害の出やすい、燃えやすい木造住宅の密集
 地を事前に綿密に調べ上げていて、卑劣にも、また、非
 人道的にもアメリカは、この非戦闘員が集まっている住
 民を標的にする攻撃を実施した。
  アメリカ軍は、攻撃目標を東神奈川駅、平沼橋、横浜
 市役所、日枝神社、大鳥国民学校の5ヶ所に定めて襲撃し
 た・・被害は甚大だった。
  米軍機のB-29を7機撃墜した。
  親を失った戦争孤児の浮浪児が、多数、生まれた。
  横浜の野毛の街は、この浮浪児たちが集まった・・あ
 たかも巣のように、浮浪児たちが集まった。
  また、職を失って浮浪者となった人たちも、あちこち
 に溢れた。
  戦争後になると、この様な破壊しつくされた町に、占
 領軍兵たちが町に溢れた。
  横浜大空襲で父を失った常盤とよ子氏は、この様な街
 の姿を写真撮影し、後の世に残した。
.
1945年8月、終戦の後、横浜に、沖縄を除く日本全土の連合
 国軍地上部隊を統括するアメリカ第8軍の司令部が置かれ
 た。
  都心部や港湾施設をはじめ、本牧・小港・根岸地域な
 どの広範囲が接収された。
  関内や関外地域には、占領軍兵士の兵舎が、広範囲に
 設置された。
  伊勢佐木町などの、戦前の繁華街にはアメリカ兵たち
 が闊歩した。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

# by suba28 | 2019-04-07 05:40 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)638E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年2月)

題:(増補版)638E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年1月1日、北海道の渡島、後志、胆振、石狩に徴兵令
 を施行した。
  日清戦争後の国を守る政策改革の一環として行われた。
  そして、1898年、残る7カ国へ拡大して制度的な確立を
 みた。
  北海道開拓を一生懸命している北海道は一定の配慮が
 あった。
  徴兵令の施行を定めた明治28年(1895年)勅令第126号
 は開拓に配慮して、次のような条文を設けていた。
  第二条、前条ノ徴兵令施行地(渡島・後志・胆振・石
     狩)二転籍移住シ開墾其ノ他一定ノ生業二従事
     スル者ハ転籍移住ノ後五箇年二満ツル年迄徴集
     ヲ猶予ス但転籍移住ノ後前条の区域外二転籍し
     更に転籍移住シタル者ハ此の限二アラス
  第三条、屯田兵ノ戸籍内二在ル者ハ徴集ヲ免除ス
.
1896年1月6日、米国でユタが45番目の州となった。
  入植は1837年に始まった。
  モルモン教徒が開いた州。
  宗教の構成比(2008年時点)
    モルモン教...58%
    キリスト教...25%
      プロテスタント.......15%
      ローマ・カトリック...10%
      他のキリスト教........1%以下
    他の宗教......1%
    無宗教.......16%
  1869年、岩倉具視を団長とする岩倉使節団が訪れた史
 実があるせいか、親日的な土地柄である。
  太平洋戦争中、日系人の強制収容に唯一反対した州。
  また、戦後も日系人を多く受け容れてきたため、現在
 でも日系人の割合が比較的高い州である。
  2010年の人種構成・・
    白人.........80.4%、
    ヒスパニック.13.0%、
    アジア系.....2.0%、
    インディアン.1.2%、
    黒人.........1.1%、
    混血.........2.7%。
.
1896年1月13日、この年に、アメリカ大統領の選挙が行われ、
 ウィリアム・マッキンリーが、第25代アメリカ大統領と
 して当選したが・・
  このマッキンリーは、1896年1月13日まで知事職にあっ
 た。
  ちなみに、マッキンリーの在任期間は・・、
   1897年3月4日~1901年3月4日、および、
   1901年3月4日~1901年9月14日。
  1898年、当選から2年後、このマッキンリーは、数人の
 上院議員と元副知事アンドリュー・L・ハリスを産業委員
 会に任命した時、反トラスト運動を始めた。
  マッキンリーの時代には、アメリカ西部への伝統的な
 フロンティア開拓は終了していて・・
  新しくアメリカ以外の太平洋などの国外の「海のフロ
 ンティア」開拓を推し進めるという領土収奪を始めた。
  国内の反対の声もあったが、欲得が先行するアメリカ
 だった。
  アメリカは、この様な帝国主義政策へ突進し始めた・・
 この至る先に、日米の第二次世界大戦があった。
  マッキンリーは、保護貿易主義政策を行ない、外国製
 品に対し実に57%という史上最高の関税率をかけた「デ
 ィングレー関税法」を制定させた。
  また、マッキンリーは、覇権獲得の米西戦争へ国を導
 いた(第二次世界大戦を導いたルーズベルトの様に)、
  1898年には、ハワイ諸島を侵略し、併合した(ハワイ
 併合)。
  この時、日本の大隈重信総理は、『正義の書簡』で「
 これほど激烈で『宣戦布告か最後通牒に等しいような外
 交文書』は見たことがない」と言われるほどの抗議をし
 た。
  米西戦争では、アメリカは、当然、スペインに敵対す
 るフィリピンの独立勢力を支援した。
  しかし、この後、アメリカは、このフィリピンの独立
 勢力を裏切る。
  アメリカは、戦争に勝利するや、一転して、フィリピ
 ンの現地勢力を弾圧し始めた。
  そして、アメリカは、フィリピン、および、カリブ海
 のスペインの旧植民地をアメリカの保護下に置いてしま
 い、植民地としてしまった。
.
1896年1月20日、房総鉄道の蘇我駅~大網駅間が開通した。
  これが外房線の始まり。
  この1ヶ月後の1896年2月に、千葉駅で総武鉄道と接続
 した。
.
1896年1月24日、参宮鉄道の宮川駅~宇治山田駅間の線路延
 長免許状を下付した。
.
1896年1月25日、奈良鉄道の桃山駅~玉水駅間(20.2km)が
 開通した。
.
1896年1月、クーデンホーフ伯爵と光子夫人、ヨーロッパへ
 向けて出発した。
  光子夫人は本名「青山ミツ」と言い、ヨーロッパで最
 も有名な日本人と言われた。
  骨董店の娘だったミツは、日本に赴任したオーストリ
 ア・ハンガリー帝国の外交官ハインリッヒ・クーデンホ
 ーフ・カレルギー伯爵に見初められる。
  その知り合いのきっかけは、クーデンホーフ伯爵が着
 任早々、乗っていた馬ともども凍った道で転んだことだ
 った。
  この時、親切に光子に助けられた。
  1896年、この時、伯爵と共にウィーンへ帰国し、社交
 界へもデビューした。
  そして、その後、チェコのロンスベルフ城へ移る。
  彼女は、日本で生まれた二人の子供と共に7人の子供に
 恵まれた。
  しかし、悲劇が訪れる。
  1906年、ヨーロッパへ向かった1896年から10年後、光
 子は、伯爵を突然の心臓発作で失う。
  ボヘミアの地に広大な領地を所有するクーデンホーフ
 家。
  そのすべての遺産を相続するにあたり、異国の女性に
 相続させることを望まない親族との間で裁判が起きる。
  しかし、この裁判に勝ち、光子は、クーデンホーフ家
 の当主となった。
  1908年、そして、ウィーン・ビーつぃんぐ地区の大邸
 宅へ移住するとともに、「黒い瞳の伯爵夫人」として、
 ウィーンの社交界へ復帰した。
  しかし、1914年から始まった第一次世界大戦によって、
 そのすべてを失った。
  ウィーン郊外へ移住し、病魔にも襲われた。
  1941年、そして、この年、67歳で亡くなる。
  光子は、ウィーン・ヒーツィング墓地に埋葬された・・
  渡欧して45年、光子は一度も日本に帰らなかった。
  この光子の東京で生まれた子・次男が、「欧州連合の
 父」とも言われる人・・
  80年前に、欧州統合を主張し、EUの概念を訴えた人・・
 そして、この人物をモデルとした映画が「カサブランカ」
 の名作。
  尚、「ミツコ」というゲラン社の香水もある・・東洋
 的な香りがする。
  ゲラン社のジャック・ゲランも、ウィーン社交界でク
 ーデンホーフ光子との面識も有った事でしょう・・なか
 ったにしろ、この美しく気高い日本人女性の評判はジャ
 ックの耳にも入っていたでしょうとゲラン社は書いてい
 る。
.
1896年1月、朝鮮中部の忠清道堤川で柳麟錫(りゅうりんし
 ゃく)らが親日政権打倒を掲げ、指揮した。
  柳麟錫は朱子学を唯一の正学とする学者で、攘夷論を
 主張する。
  日本の攘夷論者と同じように日本排斥に行動した。
  1866年に、アメリカ船やフランス艦隊の侵入の際も、
 李朝の王へ提言書などを提出する活動をしている。
  この1896年1月の時も、門人らと蜂起し、忠州(忠清北
 道北部の都市)を占領し地方官を殺害して勢力を振るっ
 たが、朝鮮政府軍に敗れた。
  1896年5月には、堤川も失った。
  李氏朝鮮政府は、この時期、日本の助けを利用しなが
 ら国家を強化する事で、西洋近代の広がりによる世界の
 変化に対応しようとしていた。
  李氏朝鮮政府側からすれば、近代国家の形成のために、
 集権的な政治制度の樹立は不可欠な課題であったため、
 その「国」以下の政治空間における儒教的な文明に基づ
 いた動きに対して抑圧すべきとされた。
.
1896年1月、閣議は明治27年法律第6号「比較線路決定ニ関
 スル法律」中改正および「鉄道敷設法」改正の2法律案を
 第9回帝国議会に提出(いずれも未成立)
.
1896年1月、参謀本部が、「全国鉄道ヲ四呎八五ノ軌道ニ改
 築シ、且ツ、其幹線及重要ナル各枝線ヲ直チニ複線ト為
 シ若クハ他日複線ト為シ得ル如ク準備スヘキ意見」ト題
 する意見書を作成した。
  (広軌改築に関する14項目にわたる調査事項添付)
  1890年、ドイツへ留学しドイツ軍制を研究した田村(
 旧姓早川)怡与造は、この年の愛知県における陸海軍連
 合大演習で、田村は、東海道の幹線鉄道と武豊線を利用
 して人馬を輸送することを提案した。
  また、二年後の1892 年には、栃木県宇都宮周辺におい
 て陸軍特別大演習がおこなわれ、そこで彼は、日本鉄道
 と両毛鉄道を用いて騎兵以外のほとんど全軍を集結させ
 ることを考案した。
  これらの計画は、「まさにモルトケ戦術そのものであ
 った」。
  (参考)モルトケ:ドイツ、プロシア軍人。近代ドイ
     ツ陸軍の父。
      1835年、中近東を視察旅行し、そのままトル
     コ軍顧問となってその再編、近代化に尽した。
      1839年、帰国、再びプロシア軍に入り、
      1855年、フリードリヒ・ウィルヘルム (後の
     フリードリヒ3世) の副官、
      1858年、参謀総長となり軍制改革を推進し、
     デンマーク戦争 (1864年) 、プロシア=オース
     トリア戦争 (1866年) 、普仏戦争 (1870年~1871
     年) を指導、そのすぐれた戦略・戦術的才能を
     遺憾なく発揮した。
      彼が参謀部に設けた新制度 (総括的作戦指令)
     は、その後近代化されたあらゆる軍隊が範とす
     るに至った。
  鉄道輸送の利用法の考案以上に明確に、ドイツ陸軍の
 軍制を日本陸軍の制度に田村が採用したものとしては、
 操典類の制定がある。
  田村は、まず、草案という形で1889年に公布された「
 野外要務令」をまとめた。
  1887年に公にされた軍部の主張としては、当時の参謀
 本部長・有栖川熾仁親王によって政府に上奏された「鉄
 道改正建議案」がある。
  有栖川建議案は、当時すでに開通、もしくは敷設され
 つつあった諸鉄道(東海道幹線も含む)の経営方針が、
 「経済上ノ便益ノミニ」基づきすぎるものだと考え、「
 軍事上ノ要求ニ適セズ」と判断した。
  建議案の内容も、次の6項目のように、諸鉄道に対する
 軍事的要請を前面に出した。
  「鉄道改正建議案」のなかの6要項
  1、線路ノ位置ヲ防備上務メテ海岸ニ遠サカラシムル
   コト。(山県建議書に類似。鉄道線路の内陸化)
  2、軌道ノ幅員ヲ一米突四三五ニ擴ムルコト。(広軌
   化について)
  3、幹線ハ必ス複線トナスコト(複線化について。な
   お、以上の3項目が6要項のなかでも「主要ノ事項」
   とされる)
  4、隄道ノ高サヲ車輛ノ床板ト水平ナラシメ載卸ノ便
   ヲ増スコト(プラットフォームの高さの利便性向上
   について)
  5、車輛ノ幅員ヲ増廣シ其他構造ヲ改ムルコト。
  6、陸軍官憲ヲシテ大ニ鉄道ノ議ニ参セシムルコト。
.
1896年2月1日、プッチーニ「ラ・ボエーム」が初演された。
  フランスの作家・ミュルジェの自己体験によってまと
 め上げた短編集《ボヘミアンの生活情景》に基づく・・
  4幕のオペラで、もっともよく演奏されるイタリアオペ
 ラの一つ。
  初演は、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮によりト
 リノ・ レージョ劇場で行われた。
  https://www.youtube.com/watch?v=PNQVRzCKDFs
  物語は、1830年ころのパリのラテン区、芸術家を志す
 4人の若いボヘミアンたちが気ままな生活を送っている屋
 根裏部屋。
  消えたろうそくの火をもらいにきたのが縁で恋におち
 たボヘミアンの一人、詩人のロドルフォと隣に住む貧し
 いお針娘ミミの淡い恋物語。
  第1幕
  パリにある、ボヘミアン仲間が暮らす屋根裏部屋。
  クリスマス・イヴ。
  画家・マルチェッロと詩人・ロドルフォが火の気の無
 い部屋で仕事をしている。
  寒さに耐えかねてロドルフォが売れ残りの原稿を暖炉
 に入れて燃やす。
  「世界の損失だ」などと軽口をたたいていると哲学者
 コッリーネが帰ってきて、何も金になることがなかった
 とぼやく。
  そこへ音楽家ショナールが食料・薪・煙草などを運ぶ
 従者たちとともに意気揚々と入ってくる。
  ショナールはこれらをどうやって稼いだかを得意げに
 語るが、誰も耳を貸さず貪るように食料に飛び付く。
  しかし、ショナールはワイン以外は取り置いて、「今
 夜はクリスマス・イヴなのだから、皆でカフェ・モミュ
 スに繰り出そう」と提案し、一同大賛成する。
  そこへ家主のブノアが未払い家賃の催促にやってくる。
  ボヘミアンたちはブノアにショナールの金を見せて安
 心させ、ワインをすすめておだてる。
  家主が酔った勢いで、妻があるにもかかわらず浮気を
 していたことを語ると、一同憤慨したふりをして家主を
 部屋から追い出してしまう。
.
1896年2月3日、衆議院議員・市島謙吉ほか31名、第9回帝国
 議会において、「東海道鉄道複線敷設ニ関スル質問書」
 を提出し、広軌の単線か狭軌の複線かについて政府狭軌
 複線案提出に関して答弁を請求・・
  翌4日、逓信大臣は、「衆議院議員・市島謙吉君提出
 東海道鉄道複線敷設ノ件質問ニ対スル答弁書」で、政府
 は広軌改築案を認めない旨答弁した。
.
1896年2月5日、豊州鉄道の伊田駅~後藤寺駅間が開通した。
  豊洲鉄道は、田川地域の石炭搬出を主目的として設立
 された。
.
1896年2月5日、李範晋が、ロシアの指示で春川、忠清道で
 暴動を起こした。
  また、日本の電信線を切断したりした。
  李氏朝鮮の末期は、朝鮮為政者の権力闘争や、様々な
 国の権益を売却し、また、ロシアには半植民地化される
 という状況あった。
  その様な状況の中で、各地で暴動が発生した。
  また、財政難で改革に手が付けられないという、数々
 の問題を抱えていた。
  欧米列強も朝鮮の権益を得るという草刈り場状態の中
 に居た。
  李氏朝鮮は、陸続きの中国・清の冊封体制下にあった。
  その様な中で近代法体系が整わず、国民の教育に手が
 回らず、産業基盤もほとんどない状態だった。
  1896年、高宗勅令で、閔妃殺害事件の犯人として特赦
 された趙羲淵、禹範善、 李斗璜、李軫鎬 李範来 権濚鎮
 の首を持ってロシア公館に持参せよと命令した。
  この様な中、この日にロシアの指示によって李範晋が
 暴動を起こした。
  そして、1896年2月10日、ロシア軍が王宮に突入した。
  150名のロシア兵と共に、漢城へ大砲が運び込まれた。
  高宗が、ロシア公使館で政務を執り行うという状況に
 なり、親露派の政権の李氏朝鮮は、財政不足から、不平
 等条約による治外法権どころか、様々な権益、鉱山の採
 掘権や森林伐採権、鉄道の施設権が欧米列強諸国へ売り
 渡された(李氏朝鮮は欧米の草刈り場状態)
.
  (今日の言葉)
.
  題:電磁パルス攻撃が・・一旦、起きれば・・
    敵味方なく・・人類は絶滅へ・・人類の歴史も終結する・・
.
1580年、豊臣秀吉は、スペインのフェリペ2世へ「日本は
 神の国である」と毅然と言った。
  スペイン王の命令を受けたコロンブスが、1492年、大
 西洋を渡ってアメリカ大陸の手前の西インド諸島に達し
 た。
  それから、79年後、1571年10月7日に起きたレパントの
 海戦(ヨーロッパでの初めての大海戦、参加した船は285
 隻)で、キリスト教国は、イスラム教国を破り、閉ざさ
 れていた東の海域を開いた。
  この時、このレパントの海戦で戦ったのがスペイン・
 ベネチア連合海軍と、オスマン帝国海軍だった。
  スペイン王は、フェリペ2世だった。
  因みに、フィリピンという国の名は、このフェリペ2世
 から取った名であり・・、
  最近、フィリピンのドテルテ大統領は、この国の名は
 フィリピンの汚辱に満ちた歴史上の由来の名前だから「
 変えよう」という話がある。
  このフェリペ2世と対等に渡り合ったのが日本の豊臣秀
 吉だった。
  秀吉は、一歩も引かずに、スペインなどのキリスト教
 の欺瞞に満ちた行為(日本の娘たちを売る人身売買や植
 民地化など)を糾弾した。
  そして、ルソン島(フィリピン)のキリスト教本部へ、
 「日本を植民地などにするな」などとの書簡を送った。
  ルソン島のスペイン総統は、「日本にはすごい男が居
 る」、「どうしたらよいか?」と、スペイン本国へ打診
 した。
  1580年、秀吉は、毅然としたしっかりした態度で、フ
 ェリペ2世と書簡を交換した。
  「日本は神の国である」、それ故、「日本は耶蘇教(
 キリスト教)を受け入れる訳にはいかぬ」と、自分の意
 見を突き付けた。
  同時に、物品の交換もしている。
  また、秀吉は、「何故、日本を植民地にしようとする
 のか?」と正論を言った。
  日本の秀吉は、フェリペ2世と対等に正義と正論を貫い
 た。
  フェリペ2世は、日本のキリスト教宣教師たちへ「日本
 には手出しをするな」(余計な植民地への動きはするな)
 と指令した。
  この時、フェリペ2世から豊臣秀吉へ送られた物は「
 立派な鐙(あぶみ)の付いた黒アラビア馬1頭と、沢山の
 宝物(ほうもつ)」だった。
  日本からは、鎧兜(よろいかぶと)や種々の立派な贈
 り物を贈り返した。
  これらの鎧兜などは、今でもマドリッドの博物館に貯
 蔵され、陳列されている。
.
17世紀、ロシアは、シベリア東部に進出し、中国の清と戦
 争を繰り返した。
  1689年には、中国の清(満州族国家)とネルチンスク
 条約が結ばれている(中国の現政権の漢民族ではない満
 州族国家との条約)
  シベリア・・それは、ロシアのウラル山脈以東のアジ
 ア部であって、東は太平洋岸までで・・
  北は北極海から、南はカザフスタンやモンゴルとの国
 境までの地域・・
  それは、東西 7000km以上、南北 3500km、面積約 1000
 万km2 (太平洋岸まで含めると約1300万km2)
  16世紀、西シベリアにあったシビル・ハン国に、また
 は、チュルク語のシブ (「眠っている」の意) 、イル (
 「土地」の意) に由来するという。
  永久凍土帯が広く分布している。
  シベリアは、地下資源に恵まれていて・・石炭、石油、
 天然ガス、ダイヤモンド、金、鉄、ニッケルなどを埋蔵
 している。
  16世紀後半のロシアのシベリア進出以前は、フィン=
 ウゴル語派に属する言語をもつ諸民族や、古アジア諸族
 などが住んでいた。
  これらの人々は、牧畜、狩猟に従事していた。
  ヤクート(サハ)族、トゥバ族、ブリヤート族などは
 それぞれ共和国を形成していた・・
  そのほか、コリヤーク、チュクチなどいくつかの民族
 については自治管区(もと民族管区)が設けられている。
  今、約3200万人が住み(1989年)、95%が移住者。
  また、アンガラ川河岸に、旧石器時代後期のマルタ遺
 跡、ブレチ遺跡がある・・
  また、各地に新石器時代、青銅器時代の遺跡がある。
  また、紀元前3世紀末には、匈奴(きょうど)が、シベリ
 アをその領土に加えている。
.
1774年、米中貿易の最初
  アメリカは、アメリカの東部に産する「野生の朝鮮ニ
 ンジン」を、アメリカ船「エンプレス・オブ・チャイナ」
 に積み、中国・清の広東へ向かった。
  これが、米中貿易の最初だった。
  ペリーが、日本に来る79年前の事だった。
  イギリスの弟分のアメリカの「自立へ向かっての動き」
 だった。
  そして、この頃から、アメリカは、急速な発展をして
 行く。
.
19世紀、イギリス帝国とロシア帝国は、中央アジアを盗り
 合って戦った(グレート・ゲーム)
  砂漠や大山脈が舞台となったこの戦いは、探検隊めい
 た戦いだった。
  この中央アジアの覇権を巡るロシア帝国とイギリス帝
 国の敵対関係・戦略的抗争は、一体化して行く世界にあ
 って、空白域となっていた地を巡る戦いだった・・
  そして、これをグレート・ゲームと称する。
  その主とするところは、アフガニスタンの争奪抗争で、
 舞台は、コーカサスからチベットにおよぶ広大な地域に
 およんだ。
  これに、アメリカや中国が加わり、このグレート・ゲ
 ームは、今なお引き継がれていると言える。
  一般的には、1800年代初頭に始まり、1907年の英露協
 商協定をもって終結したとされている。
  この第1期の中に、香港・上海に拠点を得て、海上から
 清朝を侵略したイギリス帝国と・・
  シベリアに鉄道を敷設し、満洲から清朝を侵略したロ
 シア帝国との競争が・・
  中国・朝鮮・日本といったアジア諸国を巻き込んで争
 われた・・極東において進行した。
  (参考)英露協商協定:1907年8月 31日、イラン、ア
     フガニスタン、チベットに関してイギリスとロ
     シアが結んだ協約。
      アジアにおける両国の利害対立から、日露戦
     争に際しても、イギリスはロシアに敵対的な外
     交政策をとった。
      しかし、ロシアの敗北、ドイツの強硬な世界
     外交をみて、中東における英露の勢力範囲を調
     整し、ドイツ包囲の協商網の実現をはかろうと
     し、1906年から交渉を進め、ペテルブルグで協
     約を成立させた。
      内容は・・
     (1) イランについては、テヘランを含む北部お
      よび中部をロシアの、南東部をイギリスの勢
      力範囲とし、その間に緩衝地帯をおく。
     (2) アフガニスタンについては、イギリスの勢力
      範囲とする。
     (3) チベットについては、中国の宗主権を認め、
      内政不干渉を守る、など。
     この協商の結果、ドイツ包囲の英仏露三国協商
     が成立した。
.
1855年2月7日、日露通好条約で、国後島や択捉島が、日本
 の領土と確定した。
  日米和親条約に続き、下田で日本側全権・筒井政憲(ま
 さのり)・川路聖謨(かわじとしあきら)と、ロシア特派大
 使プチャーチンが調印した日露間の和親条約。
  国境を択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島の間とし、
 樺太(からふと)(サハリン)には国境を設けないとした
  (日本の主権がおよぶ混住の地とした)
  国境を北緯50度を国境とすることを議題とした。
  また、ロシア船のために箱館(はこだて)、下田、長崎
 を開き、船の修理と薪水(しんすい)・食料・石炭の供給
 をすること、および、箱館、下田のうち一港に領事を置
 くことを定め、居留民は相互に本国の法で処分する双務
 的領事裁判権を認めた。
  1858年、安政五か国条約の一つとして日露間に修好通
 商条約が結ばれたが、この条約も他の諸国との条約と異
 なり、領事裁判権と最恵国条款が双務的であった。
.
1866年10月、丙寅(へいいん)の洋擾(ようじょう)
  李氏朝鮮とフランス帝国は戦いとなった。
  この時の朝鮮の近代化は遅れていて、近代的な軍隊と
 戦った最初の経験となった。
  しかし、戦いは、文殊山城の戦いと鼎足山城の戦いに
 勝利した朝鮮軍側の優位に進んだ。
  また、同時期に発生したゼネラル=シャーマン号焼き
 討ち事件によるアメリカ合衆国の侵略介入行動が阻止さ
 れた(辛未洋擾)
  アメリカの武装商船シャーマン号が交易を求めて大同
 江を遡上して侵略し、交戦も行ない、最後は平壌付近で
 焼き沈められ、乗組員の全員が戦死した。
  アメリカ船やフランス艦隊が朝鮮へ侵略した際に、柳
 麟錫(りゅうりんしゃく)は朝鮮国王へ意見書を提出す
 る斥和上疏運動を行なった。
  尚、この後、朝鮮は孤立路線を取る・・そして、この
 10年後に結ばれれる日朝修好条規が締結され、朝鮮は目
 覚める。
.
1867年8月28日、アメリカの領土欲・・ミッドウエイ諸島の
 侵略・領有など・・
  領土拡張欲に乗っかり、この年、アラスカをロシアと
 談判し、買収した(ロシアが持ち主などではないアラス
 カを、買うという演技をした)。
  そして、続けて、アリューシャン列島を経て、満州黒
 竜江(こくりゅうこう)に至る電信線(海底ケーブル)
 の架設を企て・・、
  さらに、この年・1867年、ハワイ王国のミッドウェー
 諸島を侵略し、領有し、島名を改名した。
  そして、ウィリアム・マッキンリー大統領と、セオド
 ア・ルーズベルト大統領の両大統領の時代(1897年~1909
 年)からアメリカの帝国主義の政策が強くなった。
.
1881年、アメリカが、海軍の軍備拡張に乗り出した。
  「国益を確保したい」。
  美しく言えば上記のような言い方となるが、欲に絡ん
 で『儲けたい』ということだった・・金が欲しいという
 ことだった。
  西欧列強各国は、これで競って来ていた。
  何も人類社会を「良くしよう」などという頭は微塵も
 無かった。
  その西欧列強の競いには、当然、武力の軋轢(あつれ
 き)が生じた。
  その態度の前提に・・「自分たちは進んだ武力を持っ
 ている」という卑怯な卑劣な前提があった。
  そこで、さらに、西欧列強各国は、自国の武力を研ぎ
 澄ます事に専念した。
  そして、スエズ運河が出来て・・出やすくなったアジ
 アがその収奪の地となった・・儲けの場となった。
  この様なヨーロッパ各国が、列強の国々が、アジア諸
 国を植民地とした・・
  この様なこの頃・・盛んに美味しい汁を吸うヨーロッ
 パ諸国の巧い行為をを見ながら・・アメリカは出遅れて
 いた・・出遅れてやって来た。
  残っている所は・・中国(支那)しかなかった。
  アメリカは、中国やアジアの儲けの場へ行くために「
 パナマ運河」を拓(ひら)く必要性を考えた(1914年、
 開通)。
  しかし、その前に、パナマ運河を我が物とするまでに、
 没落したとはいえ覇権を誇示するスペインの「カリブ海」
 があった。
  そして、その海域の「キューバ」は、盛んにスペイン
 へ貢(みつ)がされていた・・キューバは、収奪を行な
 っているスペインの植民地だった。
  アメリカは、そのスペインを叩かねばならないと思っ
 た・・
  その為にも、「海軍力の増強の必要性を痛感するアメ
 リカ」だった。
  アメリカは、1881年から、海軍拡張を行なった。
  そして、海軍力が整った1898年、アメリカは、スペイ
 ンと戦争を行なった(米西戦争)
  そして、アメリカは、パナマ運河を通りその軍艦と共
 にアジアへと向かった。
  当然、戦いが発生するとしていた。
  この様なアメリカの動きの中で、「スペインの時代は
 去った」。
  このアメリカとスペインの戦争も、アメリカの汚い引
 っ掛けから戦争が始まった。
  アメリカは、歴史上この様な事ばかりをしている。
     ・
     ・
2007年9月12日、NHK関連団体の剰余金886億円、検査院
 が改善求めた(読売新聞、2007年9月12日)
.
2008年5月、東京国税庁がNHKに対して消費税約13億
 3千万円の申告漏れを指摘した(脱税行為)
.
2017年8月27日、「電磁パルス攻撃」の脅威 
  上空の核爆発で日本全土が機能不全に・・と報じられ
 た。(産経新聞、2017年8月27日)
  北朝鮮が、核兵器や弾道ミサイルで挑発を続けるなか、
 もう一つの深刻な脅威として「電磁パルス攻撃」の可能
 性が指摘されている。
  上空で核爆発を起こし、広範囲で都市機能を破壊する
 もの・・
  北朝鮮は既に攻撃能力を持つとみられるが、日本の対
 策はほぼ手つかずで、専門家からは懸念の声が上がる。
  大規模停電の恐れ
  電磁パルス攻撃は、高度30~400キロの上空で核
 爆発を起こして行う。
  その際に生じたガンマ線が、大気を構成する窒素や酸
 素などの分子に衝突。
  分子に含まれる電子がはじき飛ばされて雷のような巨
 大な電流が発生するなどした結果、強力な電波の一撃で
 ある電磁パルスが地上に襲いかかる。
  電磁パルスは、送電線を伝ってコンピューターなどの
 電子機器に侵入。
  その電圧は5万ボルトに達するため、機器はIC(集
 積回路)の機能停止で損壊し、同時に大規模な停電も発
 生すると予測される。
  核爆発に伴う熱線や衝撃波は、地上には届かない。
  影響範囲は、爆発の高度や規模によるが、高度100
 キロで広島型原爆の3分の2に相当する10キロトン(
 TNT火薬換算)の場合、日本全土をほぼ覆う半径約
 1100キロにも達する。
  1962年に、米国が北太平洋上空で行った高高度核
 実験「スターフィッシュ・プライム」では、高度400
 キロの宇宙空間での核爆発で電磁パルスが発生。
  爆心から1400キロも離れた米ハワイ・ホノルルな
 どで停電が引き起こされ、その威力が実証された。
  空から襲う“津波”
  現代社会は、電気なしでは成り立たない。
  電磁パルス攻撃によって大規模な停電が発生し、公共
 インフラを支える電子機器が損壊すれば、都市機能はま
 ひする。
  電話やインターネットなどの通信やガス、水道の供給
 が停止。
  飛行中の航空機が操縦不能になったり、電力を絶たれ
 た原子力発電所が制御不能に陥ったりする恐れも指摘さ
 れている。
  米国の専門家チームが、今世紀に入ってまとめたシナ
 リオでは、10キロトンの核爆弾がニューヨーク付近の
 上空135キロで爆発した場合、被害は首都ワシントン
 を含む米国東部の全域に及ぶ。
  損壊した機器を修理する人員や物資が大幅に不足し復
 旧には数年を要し、経済被害は最悪で数百兆円に達する。
  電磁パルスは健康に直接影響しないとされるが、食糧
 不足や病気などで死傷者は数百万人に上ると推定してい
 る。
  元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏は・・
  「電磁パルス攻撃は宇宙から襲う津波のようなものだ。
  被害を完全に防ぐことは難しくても、備えを固めるな
 どして減災に取り組む必要がある」と強調する。
  「日本は無防備」
  電磁パルス攻撃は、地上への核攻撃と違い、ミサイル
 の弾頭部分を大気圏再突入時の高熱から守る技術は必要
 ない。
  小型の核弾頭を搭載したミサイルを発射し、目標上空
 で起爆するだけだ。
  米国防総省の内部では、北朝鮮が既に核弾頭の小型化
 に成功したとの見方もある。
  成功が事実なら、弾道ミサイルや人工衛星を搭載した
 ロケットが上空を通過するとみせかけ、日本の真上の宇
 宙空間で核爆発を起こすことも可能だ。
  日本の領土や領海に着弾する恐れがない場合、迎撃ミ
 サイル発射のタイミングを逃す可能性は十分にある。
  電磁パルス攻撃は、米国やロシア、中国も能力を保有
 しているとされる。
  核爆発以外の方法でも可能だ。
  米露中のほか、北朝鮮や中国の脅威にさらされる韓国
 や台湾でも、インフラや軍などの防護対策が進んでいる。
  これに対し日本は、取り組みが遅れている。
  電子戦に関わる研究開発を担う防衛省の電子装備研究
 所は、電磁パルス攻撃を受けた場合に「(自衛隊の)指
 揮・統制機能が無力化される恐れ」があるとして、今秋
 にも防護技術の動向調査を始める。
  だが、その内容は、攻撃の脅威に関する調査や、防護
 技術の実現に向けた課題の明確化など基礎的な検討にと
 どまる。
  電磁パルスが、防衛装備品に与える影響に詳しい企業
 関係者は・・、
  「日本には、電磁パルス攻撃への備えがまともに存在
 しない。
  社会全体が無防備な現状は非常に危険だ」と警鐘を鳴
 らす。
.
2017年9月11日、電磁パルス攻撃
  産経ニュース(2017年9月11日)に以下のことが記され
 ている(抜粋)
  北を「石器時代」に戻す米国の「贈り物」電磁パルス
 攻撃受けるのは金正恩氏 地中貫通核爆弾も!
  北朝鮮が「石器時代に戻る」可能性が浮上している。
  地中貫通核爆弾は後回しにし、まずはEMP攻撃とは
 何かの復習・・
  EMP攻撃は、高度30~400キロの上空での核爆
 発を起点とする。
  その時生じたガンマ線が大気を構成する窒素や酸素な
 どの分子に衝突。分子中の電子がはじき飛ばされて雷の
 ような巨大な電流が発生するなどした結果、強力な電波
 の一撃であるEMPが地上に襲来する。
  「宇宙より押し寄せる津波」に例えられるゆえん。
  EMPは送電線を伝ってコンピューターといった電子
 機器に侵入。
  電圧は5万ボルトに達するので、機器はIC(集積回
 路)の機能停止で損壊し、同時に大規模停電にも見舞わ
 れる。
  影響範囲は爆発の高度や規模によるが、高度100キ
 ロで広島型原爆の3分の2に相当する10キロトン(T
 NT火薬換算)のケースでは、日本全土をほぼ覆う半径
 約1100キロにも達する。
  現代社会は電気なしでは成り立たない。
  大規模停電で公共インフラを支える電子機器が損壊す
 れば、都市機能はマヒする。
  携帯電話&電話&インターネットなどの通信やガス&
 水道の供給が停止。
  飛行中の航空機が操縦不能になり、電力を絶たれた原
 子力発電所が制御不能に陥る。
  自衛隊・警察・消防の指揮・命令系統や金融機関も機
 能不全となる。 
  EMP攻撃は地上への核攻撃と違い、ミサイルの弾頭
 部分を大気圏再突入時の超高熱から守る素材や突入角度
 制御に関わる技術は必要ない。
  小型の核弾頭を搭載したミサイルを発射し、目標上空
 で起爆するだけ。
  米国防総省では、北朝鮮が既に核弾頭の一定程度の小
 型化に成功し、EMP攻撃能力を備えたと確信している。
  この恐るべき兵器を米国は当然、研究・開発し、実戦
 段階まで昇華している。
  実際、米国は1962年、北太平洋上空で高高度核実
 験《スターフィッシュ・プライム》を実施、高度400
 キロの宇宙空間での核爆発でEMPを発生させた。
  ところが、爆心より1400キロも離れた米ハワイ・
 ホノルルなどで停電が引き起こされ、予想通りの「魔力」
 が実証された。
  米国の専門家チームが近年まとめたシナリオでは、10
 キロトンの核爆弾がニューヨーク付近の上空135キロ
 で爆発すると、被害は首都ワシントンが所在する米国東
 部の全域に及ぶ。
  損壊した機器を修理する技術者や物資が大幅に不足し、
 復旧には数年を要し、経済被害は最悪で数百兆円に達す
 る。
  EMP攻撃で、北朝鮮の核・ミサイル施設&基地を含
 む軍事拠点や各種司令部&各部隊間をつなぐ電子・通信
 機器=指揮・統制システムを不通にできれば、もはや戦
 (いくさ)はワンサイド・ゲームと化す。
  その上、EMP攻撃敢行のハードルは、核爆弾の直接
 攻撃に比べハードルが低い。
  EMPの場合、核爆発に伴う熱線や衝撃波は地上には
 届かない。
  EMPは被攻撃側の人々の健康に直接影響しない。
  半面、食糧不足や病気などで数百万人単位もの死傷者
 は出る。
  病院をはじめ、無線などの情報通信やテレビ・ラジオ
 もマヒし、被害情報把握も救援・復旧活動も困難に。
  信号機も突如消え、交通事故や火災で死者を増やし、
 大パニックに陥るため。
 こうした、一般の北朝鮮国民への被害をどう局限し、国
 際世論の批判をかわすか、米国は今、シミュレーション
 を繰り返している。
  もちろん、米国にとり最優先事項は人道ではなく、E
 MPの届きにくい地下坑道に陣取る北朝鮮・朝鮮人民軍
 の通常・核兵器による報復の芽を摘み取る点にある。
  核施設の制御不能回避も大きな課題だ。
  以上の課題も、米国は着々と解決している。
  ところで、北朝鮮の韓大成・駐ジュネーブ国際機関代
 表部大使は5日、あろうことかジュネーブ軍縮会議で「
 米国が北朝鮮に圧力を加えようと無駄な試みを続けるな
 ら、わが国のさらなる『贈り物を受け取ることになる』
 だろう」と演説した。
  が、現実には『贈り物を受け取ることになる』側は、
 北朝鮮になるかもしれない、ということだ。
  20階建て鉄筋ビルを貫通して爆破する「大型貫通爆
 弾=MOP」
  さて、《地中貫通核爆弾》を論じたい。 
  バラク・オバマ政権は、政権の最終盤に入って、よう
 やく北朝鮮の脅威に気付いた。
  昨年11月の政権引き継ぎ会談で、当時のオバマ大統
 領は、大統領選挙を制したドナルド・トランプ次期大統
 領に、「米国の最大脅威は北朝鮮」だと、自戒を込めて
 伝えた。
  米国防総省も引き継ぎ直前、秘中の秘たる《地中貫通
 核爆弾B-61タイプ11》の模擬弾投下試験を超異例
 にも公表。
  大統領選で激突していたトランプ候補とヒラリー・ク
 リントン候補に、暗に覚醒を促した。
  地中貫通核爆弾B-61タイプ11こそ、朝鮮人民軍
 がこもる地下要塞殲滅の切り札だ。
  朝鮮人民軍の指揮・統制施設や、核・生物・化学兵器
 &弾薬の貯蔵施設といった軍事中枢は、地下深くにあっ
 て分厚い岩盤+ベトン(コンクリート)で鎧われ、坑道
 も十重二十重に掘られている。
  陸軍の火砲や地対艦ミサイルも坑道内を移動して、射
 撃時に「顔」を出す。
  空軍の軍用滑走路は低山の斜面をえぐって造られ、軍
 用機は通常、滑走路横の低山内の坑道に格納される。
  海軍基地も、沿岸部をくりぬいた坑道内に小型艦艇/
 小型潜水艦・潜水艇/半潜水艇を収容する。
  この種の海軍艦艇は、戦端が開かれる前や直後に工作
 員や特殊作戦部隊員を乗せ韓国近海に侵入、上陸して要
 人テロや軍・政治・経済中枢破壊を実行するプラットフ
 ォームになる。
  2012年に、国際問題誌ディプロマットは《軍事衛
 星の監視を外れる地下航空基地は20カ所、地下砲兵陣
 地は数千カ所》と報じる。
  米軍は、国土が要塞化されている北朝鮮の特性を受け、
 地中貫通爆弾+核爆弾の組み合わせによる北攻撃を立案
 している、と筆者はみる。
 (1)非核弾頭を搭載した通常型地中貫通爆弾=バンカ
   ーバスター
 (2)核爆発力を抑えた「小さな核爆弾=ミニ・ニュー
   ク(戦術核)」
 (3)通常型地中貫通爆弾では破壊できぬ深く堅牢な地
   下施設を破壊する、「小さな核爆弾」を装填した地
   中貫通核爆弾
  上記の3種類の使い分け・・
  使い分けは、作戦と予想される戦況によって変わる。
  軍用機や潜水艦を敵の攻撃から防護する掩体壕を撃ち
 抜く地中貫通爆弾=バンカーバスターは第2次世界大戦
 (1939年~1945年)時には実戦投入されていた
 が、イラクのクウェート侵攻で勃発した湾岸戦争(19
 91年)でも、イラク軍の地下司令部を無力化すべく使
 用された。
  しかし、北朝鮮とイランが進める核・ミサイルの脅威
 が高まると、従来の地中貫通爆弾では地下施設に対して
 破壊力不足だとの実験・シミュレーション結果が判明し
 た。
  そこで開発した切り札が、格段に大きな破壊力を有す
 《大型貫通爆弾=MOP》である。
  米空軍のB-2ステルス戦略爆撃機の弾倉に搭載され
 るMOPは、1万メートルの高高度で投下され、猛烈な
 重力加速度を付けて落下する。
  弾頭部分は、弾着時の強烈な衝撃に耐えるように高強
 度鋼を鍛造して仕上げている。
  GPSや慣性航法装置による自律誘導で、発射された
 爆弾の半数が目標の2メートル範囲内に着弾する。
  貫通力は、一般の分譲マンションが使用する鉄筋コン
 クリートの強度に比し、はるかに硬い標的を相手にして
 も、60メートル(20階建てビルに相当)も「深掘り」
 する。
  その倍の強度=超高層マンションの基礎部分の柱に使
 われる鉄筋コンクリートでも8メートルを突き進む。
  標準的な硬岩なら40メートル下まで達する。
  限界深度に到達後に起爆して、地下施設を吹っ飛ばす。
  大型貫通爆弾=MOPのパワー・アップ費&生産費や、
 MOPのプラットフォームとなるB-2ステルス爆撃機
 の改修費について、米国防総省は2000年代に入り近
 年でも頻繁に請求 → 認められている。 
  対する北朝鮮の核・ミサイル施設は地下深く、鉄筋コ
 ンクリートや硬岩、鋼鉄などを巧みに組み合わせて構築
 されている。
  しかも、時間の経過とともに地下施設は補強され、強
 度を増している。
  かくして、米国が「克服しなければならない課題」は
 多数残っている。
  けれども、「克服しなければならない課題」は着実に
 「克服」されているもようだ。
  30センチ以下の動く対象を捉える米国の偵察衛星は
 移動式発射台のワダチをさかのぼり、核・ミサイル格納
 トンネルを特定する。
  軍事利用している衛星の種類には資源探査型があり、
 地質構造・地表温度を識別して、地下施設・坑道の構造
 や深度が一定程度判別可能だ。
  こうして長年蓄積し続けた膨大な量の偵察・監視資料
 を精緻に総合的に再分析する。
  すると、見えなかった地下施設が浮かび上がる。
  例えば、地下施設建設前と建設後で、地上地形がどう
 変化していったか/地形変化のスピード/掘削機の能力
 割り出し/トラックで運び出される土砂の量/トラック
 で搬入されるセメント・鉄骨・鋼板などの量/労働者数…
 など。
  地下施設といえども、兵器や技術者、軍人が出入りす
 る出入り口は絶対に必要だ。
  換気施設も然り。
  絶好の監視対象であり爆撃ポイントになる。 
  北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の秘密居所は、地
 下150メートルともいわれ、MOPですら荷が重い恐
 れがあるが、先述の《地中貫通核爆弾B-61タイプ11》
 であれば確実に粉砕する。
  《電磁パルス(EMP)攻撃》と同様、地中貫通核爆
 弾B-61タイプ11は、他の核搭載兵器に比べ、実戦
 投入のハードルは低い。
  爆発威力を抑えれば、地下での起爆であり、一般国民
 の住む地上の被害を抑え、核汚染被害も局限できる。
  地下に蓄えられる朝鮮人民軍の生物・化学兵器も、核
 爆発力を抑えた「小さな核爆弾=ミニ・ニューク」が発
 する熱波で蒸発 → 無害化に一定程度貢献しよう。
  やっぱり、「贈り物」が届く先は金正恩委員長が震え
 ながら閉じこもる「地下の住まい」・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-03-29 04:38 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)637E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)

題:(増補版)637E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年、スポーツ
・第1回国際オリンピック大会
  近代オリンピック競技大会の第1回大会が、フランス
 のピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって、ギ
 リシャのアテネで開催された(1896年4月6日~1896年4月
 15日)
  開会式は、アテネのパンアテナイ競技場に5万人の観
 衆を集めて行なわれ・・参加国は欧米先進国の14か国だ
 った。
  選手は、男子のみで280人で、古代オリンピックと同じ
 ように女子禁制の大会だった(参加人数241人説あり)
  実施競技は、陸上、水泳、体操、レスリング、フェン
 シング、射撃、自転車、テニスの8競技43種。
  ヨットも予定されたが悪天候のため中止になった。
  ウエイトリフティングは、体操の一種目として実施さ
 れた。
  観衆に人気の陸上競技は、アメリカが圧倒的な強さを
 発揮し、全11種目のうち9種目において優勝した。
  ギリシャの財政事情によって金メダルは無く、優勝者
 には銀メダルが、第2位には銅メダルが、第3位には賞状
 が授与された。
  記録は、100メートル陸上競技男子は12秒0で、アメリ
 カのトーマス・バークが優勝した。
  金メダル獲得数、アメリカ(11)、ギリシャ(10)、
 ドイツ(6)、フランス(5)、イギリス(2)、ハンガリ
 ー(2)、オーストリア(2)、オーストラリア(2)、デ
 ンマーク(1)、スイス(1)、混合チーム(1)
  オリンピック賛歌は、この第一回アテネオリンピック
 で演奏されたもの・・スピロ・サマラス作曲、コスティ
 ス・パラマス作詞
・野球の日本最初の国際試合(1896年5月23日)
  旧制一高ベースボール部対横浜在留アメリカ人が、横
 浜公園での対戦した。
  結果は29対4で、一高の大勝した。
  この時、日本は捕手以外は素手でやった。
  この頃の野球は、雨が降ると蓑笠(みのかさ)を付け、
 頭には白はちまき、腰に越中フンドシ、ワラジばきとい
 ういで立ちであった。
  ある遊撃手が袴(はかま)を着て出場し、「礼節を知
 る選手」と相手チームより絶賛されたが、実際はゴロを
 後逸しないためであった。
  当時、ストライク・ゾーンが三つあり、目から胸まで
 を「ハイボール」、腰までは「フェアボール」、膝まで
 は「ローボール」と言った。
  そして、打者は審判に向かい「余はハイボールを欲す」
 と予告し、そこに球が来なければ「ボール」になった。
  「相手の弱点を狙わず。欲するものを与えて勝負する」
 のが正々堂々の試合とされたという・・
  尚、大負けしたアメリカチームは、再試合を申し込ん
 で来て、アメリカチームは、アメリカ東洋艦隊の選りす
 ぐりのオールスターチームを結成し、再戦したが、日本
 チームが32対9で返り討ちにして連勝した。
  正岡子規は、この第一高等中学の野球選手だった、そ
 して、1890年に卒業し、帝国大学文科に入学している。
  記録によると(1896年分の外国試合み記載)・・、
  1896年5月23日、在留米国人と横浜で試合して29対4で
   日本が勝利
  1896年6月5日、在留米国人と横浜で試合して32対9で
   日本が勝利
  1896年6月27日、米軍艦デトロイト号乗組員チームと
   向ヶ丘で試合をして22対6で日本の勝利
  1896年7月4日、在留米国人と米軍艦オリンピア号の連
   合チームと横浜で試合をして12対14で日本の負け、
   この試合にはアメリカチームにプロ野球選手のチャ
   ーチが入っていた。
・日本初のボクシングジムができる。
  米国帰りの元柔道家・齋藤虎之助とジェームス北條の
 2人が、横浜市石川町に日本初のボクシングジム「メリケ
 ン練習所」を開設した。
  そして、1902年に、横浜山手公会堂(パブリックホー
 ル)でボクシングの試合が行われた。
  そのことを時事新報は・・
  「目下横浜市山下町グランドホテル滞在中なる拳闘家
 スラヴィン氏と同市喜楽座に演芸中なる怪力家ルシフア
 ー氏との拳闘仕合は既報の如く愈々本日午後五時三十分
 より同市山手町パブリックホールに於て開会せらるゝ筈
 にて、当夜は本邦駐在英国公使マクドナル氏も見物する
 由」
.
1896年、伝染病
・赤痢が大流行をして、全国の死者数が22,356人となる。
 志賀潔は、この翌年の1897年12月25日に、苦心して赤痢
 の病原菌を発見した。
・腸チフスが流行し、死者数が9,174人となる。
.
1896年、天変事変
・明治三陸地震・大津波、死者2万人(1896年6月15日)
 午後7時32分30秒、日本の岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜
 石市)の東方沖200kmの三陸沖(北緯39.5度、東経144度
 を震源として起こった。
 マグニチュード8.2~8.5の巨大地震。
  更に、地震に伴って、東北地方太平洋沖地震前まで本
 州における観測史上最高の遡上高だった海抜38.2mを記録
 する津波が発生し、甚大な被害を与えた。
  (参考)津波の遡上高:陸を駆け上って到達した高さ。
  (注意)この地震は、震度分布に基づいて長らくマグ
     ニチュード7.6とされてきた・・しかし、津波の
     大きさを考慮して数値が改められているた「理
     科年表 平成18年」
  大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時7
 分に記録された。
  遡上高は、気仙郡吉浜村(旧:気仙郡三陸町吉浜、現:
 大船渡市三陸町吉浜)で22.4m、
  同郡綾里村(旧:気仙郡三陸町綾里、現・大船渡市三
 陸町綾里)で21.9m、
  綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日
 本の本州で観測された津波では当時最も高い遡上高であ
 る海抜38.2mを記録する。
  この時、ハワイへも2.4m~9.14m、カリフォルニアに
 2.90mの津波が到達している。
  ハワイでは波止場が破壊され、住宅の複数棟が流失し
 た(カリフォルニアの被害記録はなし)
・信濃川の堤防各所が決壊した(1896年7月22日)
  信濃川の洪水として有史以来の過去最大規模。
  破堤地にちなんで「横田切れ」と呼ばれている。
  破堤してから21日後でも、新潟市新通は、まだ浸水し
 ていた。
  長岡市中之島は、浸水が引かないため堤防上に小屋を
 建てて生活する人も居た。
  「横田切れ」による被害は、死者43名、浸水家屋43684
 戸、浸水耕地58254ヘクタール。
  新潟市から長岡市のほぼ全域が浸水する大水害だった。
  この後、原田貞介が大河津分水工事改良案を提出し、
 1909年、原田案をもとに、第二期大河津分水路工事が建
 設された。
  難工事で100名以上の殉職者を出しながら、1922年に、
 通水に成功し、2年後の1922年、皆が待望し悲願した完成
 に至った。
  この分水によって、この後、信濃川本流が破堤するこ
 とはなくなった。
  (史料)大河津水位14尺4寸(4.32m)となる。
      各地の被害は・・木津に破堤あり亀田郷は皆
     無作となる・・白根郷では赤渋字赤池の安中542
     の上手が破れ、新築早々の五幣氏宅は根こそぎ
     流される。横田でも破堤し泥海となった(大洪
     水:横田切れ)鷲ノ木の煉瓦水門が損傷し漏水。
  初期の1918年~1941年に、千曲川第一期補修工事が進
 目られていたが、洪水は1年おきぐらいにどこかで起きる
 という状況で、苦労させられていた。
  尚、現在も補修事業は進められている。
.
1896年、その他
・勝海舟が、明治27年、28年事件の功により金盃一組下賜
 (氷川清話)
・勝海舟、老衰につき辞表を奉呈す(氷川清話)
・勝海舟、旨を伝え辞表却下される(氷川清話)
・臨時軍事費特別会計が終結した。
 日清戦争の臨時軍事費特別会計が編成されたのが、1894
 年6月1日からだったが、1896年3月末日で終結した。
・陸軍を13師団に拡張した。
 陸軍は、師団を6個増設して13の師団・師管を作ることに
 なった。
 この軍備増強のため札幌に陸軍第7師団 が編成された。
 北海道の開拓と警備を担った屯田兵がその基盤となった。
 日本は、北海道を屯田兵が苦労して開拓したのだった。
 初代師団長は永山武四郎。
・広島の大本営が解散した(1896年4月1日)
 1894年8月8日、広島城内にあった第五師団司令部の建物
 が明治天皇陛下の広島の御滞在所とされた。
  陛下は、1894年9月15日から1895年4月27日までの7か月
 間、この地に御滞在された。
 そして、大本営は、戦後処理の終え、この日に解散した。
・自由党と政府の提携がなり、板垣退助が内相に就任した。
 第9議会を前に政府との提携を模索していた自由党は、
 1895年11月22日、立憲政体と責任内閣の方針を同じくす
 るものとは相共に連携するとの「宣言」を発表した。
  この宣言は、藩閥、とりわけ伊藤博文との提携があり
 うることを示した。
  伊藤首相は、これを受けて閣僚を集めて演説を行った。
  自由党の方針は、内閣と同じく立憲政体の完成にあっ
 て、「譲るべきは譲り」「相共に謀るべき」であると主
 張した。
  そして、両者の提携の必要を訴えた。
  自由党は、第9議会に与党として臨み、1896年4月2日に
 は、板垣退助が離党の上、内相として入閣した。
・第25代アメリカ大統領のウィリアム・マッキンリーが、
 大統領選で勝利した(1896年11月3日)
  共和党のウィリアム・マッキンリーが、民主党のウィ
 リアム・ジェニングス・ブライアンを破った。
  歴史家達は、この選挙をアメリカ史の中でも最も劇的
 な選挙戦の一つと見た。
  ブライアンより10倍もの金を遣ったマッキンリーだっ
 た。
  また、マッキンリーの共和党の選挙対策本部長マーク・
 ハンナは、350万ドルの予算に裏付けられた多くの近代的
 選挙技術を発明して実行した。
  ブライアンは36歳であり、ブライアンの演説は非常に
 劇的だった・・主要政党に大統領候補に指名された者と
 しては最も若いものだった。
  多くの実業家や銀行家は、ブライアンの人民主義的言
 葉遣いや金本位制を終わらせることを支持していること
 を恐れていた・・故に、資金集めに苦労する。
  マッキンリーは、南北戦争の退役兵だった。
  マッキンリーと共和党は、金本位制がアメリカの経済
 には必須だと言った。
  共和党は、ブライアンの顔が書かれた偽1ドル札を印刷
 することまでして、ブライアンを揶揄した。
  ブライアンの資金力は10分の1だった。
  ブライアンの魅力は、背の高いことと、人を魅了する
 雄弁術の演説であった・・信念と情熱を表現した・・彼
 を見るため莫大な群衆が集まった。・・南部や西部では
 支持者がパレードをし示威行動をして出迎えた。
  これに対しマッキンリーはオハイオ州の自宅前で、「
 玄関前」選挙運動を行なった。
  金の勢いで、有権者を自宅前に列車で連れて来た。
  有権者集団は歓待された・・その集団へ向かって演説
 がなされた。
  そして、マッキンリーの代わりの国内遊説者を、国中
 に旅させた・・そして、ブライアンを危険な急進者と貶
 (おとし)めさせた。
  ブライアンが、もし選挙に勝てば、工場は閉鎖し労働
 者は職を失うことになるという張り紙を張ったりした。
・神戸でキネトスコープ(のぞき眼鏡式活動写真)の上映
 が始まった(1896年11月17日)(11月25日説あり)
  シネマトグラフよりも先に、エジソンが発明したキネ
 トスコープが1896年に渡来した。
  これは覗き眼鏡式の動画再生装置であるので・・、
  一度に、複数の者が、スクリーン上の動画を共有する
 という今日の上映スタイルからすれば、まだ、映画では
 ないとされるが、人によってはこれを日本映画の歴史の
 はじまりとしている。
  特に、その初公開の場所が神戸神港倶楽部であり、昭
 和38年に「12月1日」を「映画の日」としたのは、11月25
 日にキネトスコープが、神戸で一般公開されたのに因ん
 でのこと・・
・日本銀行本店が竣工した(1896年2月29日)
  設計:辰野金吾
  そして、永代橋のたもとから、新築された東京都中央
 区日本橋本石町へ移転した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:スエズ運河もパナマ運河も・・特定の国の利権の
   ために使われた・・
.
紀元前20万年頃~紀元前19万年、ホモ・サピエンス(現在
 のヒト)が出現した。
.
紀元前12万年、デニソワ人の旧人が日本列島に居た。
.
紀元前12万年前、島根県出雲市の砂原遺跡
  砂原遺跡の前期旧石器などの遺物が発見されている。
.
紀元前10万年頃、現代人(ホモ・サピエンス)が、アフリ
 カを出て、世界各地に拡がった。
  日本列島での人類の足跡は、9〜8万年前(岩手県遠野
 市金取遺跡・中期旧石器)に遡(さかのぼ)る。
  現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前にアフリ
 カを出発した(別説)
.
紀元前7万年~紀元前1万年、ビュルム氷河期
  この時、ヨーロッパは氷の中だった。
.
紀元前7万年、ヒトが、衣服を着るようになった。
.
紀元前6万年~紀元前5万年、アフリカを出た私たちホモ・
 サピエンスの祖先は、6万年前〜5万年前頃には、東アジ
 アにまで到達していたと考えられている。
.
紀元前6万年~紀元前4万年、大陸と地続きだった日本列島
 に、あらゆる方向から人類がやって来た。
.
紀元前5万年、ホモ・サピエンスが全地球的な拡散をはじめ
 たのは、今から5万年前頃であった(別説)
.
紀元前5万年、日本の遺跡・竹佐中原遺跡
  長野県飯田市で、竹佐中原遺跡が発掘調査された。
  この遺跡の4カ所の石器集中地点から800余点の遺物が
 出土した。
.
紀元前4万年、この頃になるとこのホモ・サピエンスがアジ
 アへ到達する。
  大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷
 期の氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸
 線の位置が移動した。
  更新世の後期では、海水準にして百数十メートルの変
 動があった。
  海水準が低下した時期は、現在、浅い海である海域の
 多くが陸地となっている。
  また、日本列島は、氷床によって大陸と陸続きだった。
  完全に渤海は氷床に埋まり、また、黄海も完全に氷床
 に埋まり、東シナ海も北半分は氷床に埋まっていた。
  また、対馬海峡も氷床で埋まり、台湾も大陸と氷床で
 埋まり地続きだった。
  人類は、容易にこの氷床上を歩いて日本に渡って来れ
 た。
  また、樺太と大陸は地続きで、樺太から北海道、本州、
 四国、九州は、氷床があり歩いて渡れる状態にあった。
.
紀元前4万年、研究者の多くは、4万年前頃に、旧石器時代
 の遺跡が急激に増えることから、現代人につながる人々
 が少なくともこの頃に日本で暮らしていたと考えている。
.
紀元前4万年、日本へアフリカから出発した人類が到達した。
  そして、共通の祖先を縄文人とする日本人が形成され
 て行った。
  アイヌも沖縄も「同じ共通の日本人の祖先を持つ」と
 証明されている。
  政府が、アイヌを日本人の祖先と議決したことは大間
 違い。
  「是非、訂正の議決を再度する様に提言する」。
  現代にいたる4万年という長い年月、この人類は日本列
 島を縦横無尽に行き来し、交雑し、日本人を形成して行
 った。
  この交雑の仕方に少しづつ差異はあるものの、アイヌ
 を含む沖縄の人びとも縄文人としての共通の祖先を持つ
 人種と証明された。
.
紀元前4万年、こんなに遠い昔に・・日本人は日本列島にや
 って来た・・
  ウルム氷期と言われる約7万年前~1万年前のこの氷期
 の中の紀元前4万年に、日本人は日本列島に来た。
.
紀元前4万年~紀元前1.5万年、モンゴロイドの人々がアメ
 リカ大陸へ渡った。
     ・
     ・
紀元前3世紀~紀元前2世紀頃、この頃の弥生時代早期の新
 町支石墓群で、弥生人と縄文人は融合したことが確認さ
 れた(争っていたのではない)
  福岡県糸島市の新町支石墓群(しせきぼぐん)。
  玄界灘の入江、引津湾の砂浜に営まれた弥生時代早期
 ~前期の墓地で、1986年度の発掘調査で、支石墓や甕棺
 (かめかん)墓など57基が確認された。
  支石墓は、墓穴を覆う大きな上石を数個の石でテーブ
 ル状に支える朝鮮半島の墓制で、水田渡来期の九州西北
 部に分布する。
  副葬品にも、半島系遺物が多いことから渡来人の墓だ
 と理解されていたが、ここから見つかった人骨は、低顔
 (丸顔)、低身長で抜歯痕がある縄文系だったことが驚
 きもって発表された。
  「この遺跡の発見を契機に、弥生文化は、渡来人が縄
 文文化を駆逐したのではなく、渡来人と稲作を受け入れ
 た縄文人との融合によって成立したと見れることになっ
 た」。
  ただ、この融合に至る過程で争いのあった痕跡もある。
  そして、融合に至った。
  この新町支石墓群は、2000年に、国の史跡に指定され
 た。
  ちなみに、弥生時代の終わりは3世紀。
     ・
     ・
1650年頃、イギリスは、一度、共和国になった。
  その時、王室は?
  (イギリス王室の上に君臨するデンマーク王室)
  スペインは、何度も共和国になった。
  王室は、その都度、有為転変が激しかった。
  20世紀だけでも、何度か共和制になった。
  それ以外(ベルギー王室、オランダ王室、スウェーデ
 ン王室、ノルウェー王室)は、歴史が短い(せいぜい150
 年~170年、そして、その由来が、公爵や伯爵などから成
 り上がった王室)。
  イギリスとデンマークは、男子優先を断固として変え
 ていない。
  女帝は多くおいでになっても、明白に『中継ぎ』に徹
 しておられた。
     ・
18世紀、オーストラリア(シドニー湾)に上陸したキリス
 ト教徒のイギリス人は1200人で、すべてが囚人だった。
  この後、オーストラリアは、イギリスの政治犯やコソ
 泥などの囚人が、宗主国イギリスの国から送られる流刑
 地としての歴史が始まる。
  当時、オーストラリアには、先住民のアポリジニの方々
 が、推定で100万人が生活していた。
  しかし、南米・中米・北米メキシコ、および、それら
 の離島で繰り広げられたキリスト教徒スペイン人と、同
 行したキリスト教聖職者らによる殺戮・全滅の愚行と同
 様なことを、この地・オーストラリアにおいても、キリ
 スト教徒イギリス人は行なった。
  100万人が居ただろうという先住民アポリジニの方々は、
 またたく間の内に、このキリスト教徒イギリス人に虐殺
 され、駆逐されてしまった。
  狩猟でもやる様に、アポリジニの方々は撃たれ、殺さ
 れていった。
  先住民のアポリジニの方々は、4万年前、一説で、6万
 年前から住んでいて、立派な先住権があったが、まった
 く無視され、先祖代々の土地は奪われてしまった。
  キリスト教は、古い歴史の史料に、アフリカ黒人を「
 人とは見ない」というキリスト教聖職者の言葉が残され
 ているが、キリスト教の判断基準・教義からこのオース
 トラリアのアポリジニの方々の人権も無視された。
  今、約1900万人の人口のオーストラリア。
  その95パーセントは、アングロサクソン(コーカシア
 ン)で、アポリジニの方々は、その中の1パーセント(
 19万人)にも満たない。
  3分の2以上ものアポリジニの方々は、当時、殺戮され
 た。
  今、不毛の砂漠地帯に追いやられている。
  環境の悪さから、平均寿命が白人より20歳も短い50歳
 であり、失業率も白人の4倍以上と悲惨な状況となってい
 る。
  是非、「日本を捨てて、日本を知った」林秀彦著をお
 読みください。
.
1808年、スペイン国内に反乱が起きた。
  イギリスは、先行しているスペインを乗り越えたかっ
 た。
  また、同様に、イギリスには、乗り越えたい国にオラ
 ンダがあった。
  イギリスは、太平洋ではオランダを意識し、また、南
 アメリカではスペインと戦い、対立した。
  南米は、まだ、スペインの勢力圏だった。
  しかし、1808年に、スペインに国内反乱がおきると、
 スペインの国力は衰微し、衰弱した。
  そして、南アメリカの国々が次々と独立した。
  19世紀の初め、ボリビア、コロンビア、エクアドル、
 ベネズエラ、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグ
 アイなどが独立した。
  そして、この頃、太平洋では、オランダが、インドネ
 シアの植民地の方々に対して、「強制栽培制度」という、
 オランダに都合の良い有利な農奴的な植民地支配をして、
 搾取政策で虐(しいた)げていた。
  インドネシアの方々は苦しめられていた。
  オランダにとっては、着々と植民地の収穫が上がると
 いう状況だった・・その分、インドネシアの方々は苦し
 んだ(これを助けに行くのが日本だった)。
  イギリスは、この時、中国(支那)で儲けたいという
 触手を伸ばして行く。
  そして、1840年~1842年に、アヘン戦争をけしかけた。
  また、1856年~1860年には、第二次アヘン戦争(アロ
 ー戦争)を卑劣にも仕掛け、何度も戦争を仕掛けた。
  そして、その度に、イギリスは利権を拡大し、勢力圏
 を拡大していった。
  そして、南アメリカには、スペインの勢力圏から逃れ
 て独立した国々があった・・残ったのが「キューバ」と
 「プエルトリコ」だった。
  この時点で、スペインの勢力を、また、権力を、もう
 一度、復活させようとする動き・・取り戻したいという
 活動が始められた。
  利害が一致するヨーロッパ諸国は、スペインに同調し、
 協力した。
  「独立などもってのほかだ」と南米諸国を元のスペイ
 ンの植民地状態に戻そうという反動が起きた。
  この時に、アメリカは黙っていなかった。
  この南米の地は、アメリカの利権が働く地で、勢力圏
 だと主張した。
  1823年、アメリカが「モンロー宣言」を発した。
  アメリカのジェームズ・モンロー大統領は、教書で「
 アメリカ大陸は、南も北もヨーロッパから独立した別天
 地だ」・・
  「ヨーロッパの干渉などは受け入れられない」と宣言
 した。
  このアメリカに同調したのが「イギリスだった」。
  アメリカとイギリスは利害が一致した。
  イギリスは、南アメリカ諸国を独立させた形で、スペ
 インから自由にさせて、自分の貿易相手国としたかった。
  ここへ、ロシアが迫って来る。
  シベリアに達したロシアは、アリューシャン列島から
 アラスカへ、そして、アメリカ大陸へと南下して来た。
  1588年、イギリスは、スペインの無敵艦隊を撃破して
 いて・・スペインの没落は始まっていたが・・南アメリ
 カからも衰退して行った。
  大西洋の勢力を失ったスペインは、まだ、太平洋では、
 マーシャル群島、カロリン群島、フィリピンなどを持っ
 ていた。
  1891年、日本は、硫黄島を領土に編入しようとした。
  この様な日本に、スペインは反対した。
  この時、日本は、尖閣諸島も領土に編入した。
  こちらは、どこの国からの異議は無く、何の問題も無
 く尖閣諸島の日本への編入は行われた。
  中国(支那)の清も何も異議を言わなかった・・当然
 という態度だった。
  「日本の領土だと記した中国(支那)の史料」も存在
 するくらいだ。
  硫黄島も、イギリスやアメリカとの意見のやり取りが
 あったが、「日本の領土が正当」となった。
.
1827年、アメリカ政府が、1830年代に、小笠原諸島にアメ
 リカ住民ぞ送り込んだ。
  この行為に対し、イギリスが、アメリカに抗議した・・
 「小笠原諸島は、1827年に、イギリス人のティーチェ大
 佐という者によって占領済みだ」と。
  しかし、これも大間違いだった。
  このイギリスの言う1827年より遠い以前、230年以上も
 以前の1593年に、この小笠原諸島は、日本人の小笠原貞
 頼によって発見されていて、既に、日本の領土となって
 いた。
  小笠原定時は、小笠原の地に「日本領」の標識まで建
 てていた。
  アメリカは、この事を知っていて、イギリスにこの事
 を知らせ、了解させ・・この様な経緯もあって、小笠原
 は日本の領土となっている。
  しかし、ユーラシア大陸のアムール川の流域や、樺太
 を探検した日本人探検家の間宮林蔵の事実は、ロシアは
 無視している。
  間宮林蔵は、何度も樺太などを探検し、樺太が島であ
 ることさえ発見している。
  この地は、実際は、日本の領土なのである。
.
1850年代、イギリスで「蒸気船」が発明された。
  それまでの「帆船」で、極東の日本に来るのは大変だ
 った。
  また、スエズ運河やパナマ運の無い時代、アフリカの
 南端の喜望峰を回る以外、日本に至るルートは無かった。
  風待ちなどもあり、「極東」の名の通り極めて遠い日
 本だった。
  しかし、蒸気を動力として極めて自由な意思で日本に
 やって来ることが出来るようになった。
  日本の近海に、この期から頻繁に外国船が現れる様に
 なる。
.
1869年、スエズ運河が開通した。
  この恩恵を最大に受けたのがイギリスだった。
  この恩恵を最大に発揮させて、イギリスは、中近東を
 押さえ、インドを押さえ、チベット・ネパールを押さえ、
 ビルマ、オーストラリア、ニュージーランドなどを押さ
 えた。
  重要拠点のほとんどを、イギリスは押さえた。
  アメリカは・・出遅れた。
  植民地主義者の狡猾な侵略が始まった。
  この後、遅れて来たアメリカの帝国主義的な利権獲得
 のうごめきが始まる。
  これが戦争を起こさせる。
  また、残っている部分があった中国に、アメリカの自
 己主張が始まる。
  スエズ運河のような「アメリカの利権獲得、そして、
 利権拡大の運河」・・それはパナマ運河の開通を考えた。
  卑劣な画策の後、1914年、パナマ運河は開通した。
  スエズ運河から遅れること45年だった。
.
1944年、第二次世界大戦の帰趨が、連合国側の勝利で確定
 し始めるのに応じて、ユダヤ人難民問題が表面化し始め
 た。
  1944年末頃、ユダヤシオニズムとイギリスが、「マク
 ドナルド白書」をめぐって対立し始めた。
  ベングリオンは、ナチスの迫害によって生じた10万人
 のユダヤ人難民のパレスチナ移住を求めたが、イギリス
 政府の管掌する委任統治政府は受け入れを拒否した。
  ハガナーが救出したユダヤ人難民達は、パレスチナや
 キプロスの難民収容所に押し込まれてしまった。
.
1946年5月、第二次大戦後、パレスチナを調査していた米英
 合同調査委員会が、現地を視察し、ナチ・ドイツの迫害
 を逃れたユダヤ人難民10万のパレスチナへの即時受け入
 れを勧告したが、イギリスのベバン外相は、現地での抵
 抗は必死として反対した。
  ベバンは、「アメリカは、ユダヤ人を入国させたくな
 いのでパレスチナへの移住をすすめている」と拒否した。
  この頃、すでに、ユダヤ人の国家基盤は労働総同盟や
 ユダヤ基金、ユダヤ機関を中心に、ほぼ完成していた。
.
2006年、エマニュエル・トッド氏へ、2006年の朝日新聞の
 インタビューにおいて、
  「核兵器は、偏在こそが怖い」。
  「広島、長崎の悲劇は、米国だけが核を持っていたか
 らで、米ソ冷戦期には使われなかった」。
  「インドとパキスタンは、双方が核を持った時に和平
 のテーブルについた」。
  「中東が不安定なのは、イスラエルだけに核があるか
 らで、東アジアも中国だけでは安定しない・・
  日本も持てばいい」・・と述べ、日本の核武装を提言
 した。
  さらに、トッドは、ドゴール主義的な考えだとして、
 「核を持てば、軍事同盟から解放され、戦争に巻き込ま
 れる恐れはなくなる」と指摘した。
  被爆国である日本が持つ核への国民感情については、
 「国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべきだ」と
 した。
.
2012年2月、NHKの編成局ディレクターが、大麻所持で
 逮捕された。
.
2013年9月、韓国で、旭日旗を法律違反とする法案が出され
 た。
  旭日旗など「日帝を象徴するもの」関連法案は、2013
 年9月発議されたが、19代国会の任期満了で廃棄された。
  当時、ソン・インチュン、セヌリ党議員が、日本帝国
 主義の象徴を使用する者に対し、1年以下の懲役、または、
 300万ウォン以下の罰金に処する内容の刑法改正案を出し
 た。
  しかし、改正案は、発議はされたか、2015年12月4日、
 所管常任委員会の法制司法委員会の法案審査制1小委員会
 にてやっと上程された後、他の法案が優先され、まとも
 に議論されなかった。
  法司委の検討報告書は、改正案について「憲法上の表
 現の自由を制限する側面はあるが、憲法第37条第2項の規
 定により国家安全保障・秩序維持又は公共福利のために
 (旭日旗を)制限することはできる」とし、立法者の判
 断に応じて旭日旗の禁止は、可能な立法だと評価した。
  ただし、刑罰に関する法律であることから、法条項文
 句が明確性の原則を厳格に遵守しなければならないと指
 摘した。
  また、刑法の「属地主義」の原則に基づいて、(刑法
 を改正した場合)日本人が国内で旭日旗など日本帝国主
 義の象徴を使用した場合にも、刑法第2条の規定により処
 罰の対象となる点も考慮する必要があると説明した。
  一方、旭日旗は、日本の自衛隊の公式の旗として使用
 されているだけに、全面的に禁止する法が作られた場合、
 日本との外交摩擦を避けることができないという指摘も
 ある。
  国交を結んでいる相手国の旗の使用に対する罰則規定
 を置くなら、必然的に外交紛争化するだろう。
.
2016年、日本人の平均寿命・・男:80.98歳、女:87.14歳
  参考に・・
  1947年、男:50.06歳、女:53.96歳
  未来の2060年、男:84.19歳、女:90.93歳、
.
2017年3月7日、中国の鉄鋼の減産・・
  中国の鉄鋼の大生産が世界を大きく狂わせた。
  土俵から出されると負け・・相撲のルールである。
  出されても、また、自分から出ても相撲は負けという
 ルールである。
  そのように「相撲は、その様にルールを決めているか
 らである」。
  しかし、「土俵から出ても負けではない」という輩が
 現れたらどうなるのか?
  話は、がらんと変わるが、日本の製鉄業のトップの新
 日鉄が、過去に「とっておきの技術」を、中国へ教えた。
  その様なとっておきの『マル秘技術』を、果たして中
 国に教えて良いのか?
  この懸念が日本にあった・・が、しかし、種々の工作
 から、日本は教えなければならない羽目に陥(おちい)
 った。
  その技術を得た後の中国は、オーストラリアから、び
 っくりするほど大量の鉄鉱石を買った。
  国としてやる中国のやり方は、桁違いに大きかった。
  売る方も喜んで中国という国へ売った。
  世界の景気も良くなった・・が・・
  その鉄鉱石を運ぶ海運業界も潤った・・が・・
  しかし、数年後に・・中国に大量の鉄鋼製品の山の在
 庫で積み上がった。
  大停滞の時がやって来た。
  2017年3月7日の読売新聞は報じる、「中国、鉄鋼5000
 万トン減が目標」。
  「2017年の生産能力、2016年6500万トン減」とある。
  中国の過剰生産で余った鉄が海外に輸出され、世界の
 鉄鋼価格は不安定な値動きが続いた。
  それも・・長い・・長い期間、この様な状態に低迷し
 た。
  長期的に見れば、新日鉄は、自分の首を絞めていた。
  そして、その行為が、世界中の鉄鋼業界をこの様な状
 況に貶(おとし)めた。
  ルールを知っていても・・知らない振りして中国がや
 ったことだった・・ルールを破る中国がやった事だった。
  恩も義理も知らない中国、新幹線でも、日本に、後ろ
 足で砂をかけている。
  新聞は、中国の対応が「実効性が疑われている」と、
 「その様なデーターがある」と報じている。
.
2017年3月18日、中国の資本規制、日本企業に影 海外送金
 ストップ続出(日本経済新聞)
  中国の通貨である人民元と外貨の双方で国境をまたぐ
 取引を抑える中国の資本規制が、日本企業の活動に影を
 落とし始めた。
  現地事業の売却代金を受け取れなかったり、日本への
 送金が止まったりする例が続出。
  ごく一般的な資金管理すら難しくなっている。
  中国は、2016年に円換算で30兆円超が国外に流れた。
  当面は規制を優先せざるを得ず、習近平政権が掲げる
 人民元の国際化は揺らいでいる。
.
2017年10月、アメリカで、60人におよばんとする大変多く
 の方々が、銃の乱射に合い亡くなられるという、なんと
 も痛ましい事件が起きた。
  この様な事件を起こした犯人・・どの様な経緯で、こ
 の様な想像もできない様な極悪の行為に及んだのか?・・
  この行為を・・最高に恨む。
  しかし、必ず、この行為に至る原因があった訳だ。
  何が、此奴(こやつ、この犯人)に、この様な極悪行
 為をさせたのか?
  例え、それが分かったと言っても、可哀想な亡くなら
 れた方々は戻っては来ないけれど・・しかし、再発しな
 いようにと願って、この犯人の大犯罪に至る原因は何な
 のだろうかと考えることは必要な事である。
  此奴には、当然、この様な大惨事を起こす肯定的理由
 になり得る訳があったのだろう。
  一般人には、当然、肯定的な理由になり得ない
  その理由があったのだろう。
  どんな理由があっても、勿論、当然、他人の方々の命
 を一人であってさえも、当然、奪う行為の肯定的理由は
 ない。
  「(キリスト教の)神の義があるなら・・」という前
 提で肯定するという低劣なキリスト教の教義があるが、
 この教義でさえ『肯定できる理由では、まったくない』。
  (キリスト教は、この教義で、何人の人々を殺戮して
 来た事か??・・)
  社会を見た時、このキリスト教の最悪教義の様に、こ
 の犯人の行為の様な行為を「誘発するようなことがある」。
  社会の中に、この様な行為を起こす因子が存在する。
  ヨーロッパでは、子供たちが集団で、突然、憑依(ひ
 ょうい)した実例がある・・
  それに似た「その様な行為」が、日本でなされている。
  ヨーロッパのこの実例は、一度ならず、また、あちこ
 ちの国で繰り返し起きていた。
  キリスト教が原因として起きていた。
  子供たちは口々にキリスト教のことを口走って罵った。
  魔女が天を飛び回っている・・などと、口走った。
  子供たちが、自分の心を制御できずに、行動も制御で
 きずに、制御できない状態で行動を起こしたのだった。
  今、日本で行われているキリスト教の祭り=ハロウィ
 ンがこの要因として挙げられる。
  奇怪な姿をして街中を徘徊する・・
  ハロウィンは長い期間に渡って心をむしばむ。
  長期間の内に、特に、感受性の強い子供たちをむしば
 んで行く。
  喜んでいる子供たちばかりではない。
  また、常に喜んでいる子供たちではない・・、急に、
 心が変化したりする・・憑依する怖さがある。
  日本政府内のある役所が音頭を取って行っている。
  経済的効果があるからとして・・行なわれているが・・
 経済的利益のためにやらせているという話では済まない。
  しかし、そのために、あの気持ちの悪いハロウィンの
 祭りに、そして、展示に、あちこちで出くわす。
  キリスト教という特定宗教の「巧妙なる伝道行為」に、
 日本の役所が加勢している。
  この政府の行動は、国際規約のISO26000の違
 反となっている。
  結局、ストレスの多いハロウィン祭りに、長い期間、
 出合い、向き合い、耐えなければならない状態に置かれ
 ている。
  ストレスが何かと多い現代社会の日本、『どや顔』が
 良いのだと、「どや顔」の嫌な顔がおおやけの中に表示
 され続けている・・その様な巷となっている。
  結局、この変で嫌な「どや顔」にも耐え続けなければ
 ならない状況になっている。
  結局、この様な心のストレス社会で、「アメリカの不
 幸な事件は起きてしまった」。
  ハロウィンの『儲けだけの商行為』はおかしい??
  長期間に渡って行うということも「たちが悪い」。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-03-24 04:31 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)636E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)

題:(増補版)636E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年、科学
・1896年、小石川植物園の平瀬作五郎が、世界で初めてイ
 チョウの泳ぐ精子を発見した(1894年説あり)
  平瀬作五郎(1856年~1925年、植物学者)安政3年1月
 7日、越前国(福井市)に生まれる。
  1872年(16歳)福井藩中学校(藩校)に入学、卒業後、
   図画術教授補助に任命される。
  1873年(17歳)東京に出て油絵を学ぶ。
  1875年(19歳)帰郷し、岐阜中学の図画教師となる。
   かたわら「小学用器画法」(1888年)ほか図画教科
   書を著した。
  1888年(32歳)帝国大学理科大学(現:東京大学理学
   部)植物学教室へ画工となる。
  1890年(34歳)技手となる。植物学に興味を抱く。
  1893年(37歳)助手となり、矢田部良吉教授の植物図
   を描く。イチョウの研究を始める。
  1894年(38歳)池野成一郎(この後、東京大学教授と
   なる。ソテツの精子の発見者)の助言で、イチョウ
   の花粉管内に精子を発見した・・裸子植物に初めて
   精子を発見・・受精過程を追跡した(イチョウの受
   胎および胚の発生研究)
  1896年(40歳)イチョウの精子発見を発表した。
   ソテツの発見と共に、これらの発見は、植物分類学・
   細胞学・進化学上の一大事件であった・・海外の学
   者にも称賛された。
   平瀬作五郎は、当時、助教授だった池野成一郎に、
   精子を発見した時、寄生虫だと思って見せた・・そ
   れを見るなり池野は「精子だ」と直感したという。
  1896年9月9日、「花粉管端より躍然精虫の遊動して活
   発に転々突進する状況を目撃」となる。
  1896年10月、「いてふノ精虫に就テ」という論文を発
   表する(裸子植物の世界初の精子の発見)・・なお・・
   1894年1月、最初の論文「ぎんなんノ受胎期二就テ」
   を「植物学雑誌」に発表という史料もある。
   そして、1896年に、イチョウの精子を世界初でプレ
   パラート上で確認したの史料もある。
  1897年(41歳)東京大学を退職し、彦根中学へ転出、
   一時、研究も断念する不幸の時期があった。
  1912年(56歳)池野と共に学士院恩賜賞を受ける。
   初めは、平瀬作五郎の授与は予定されていなかった
   と言われている・・が、しかし、池野成一郎が、「
   平瀬が貰わないならば、私も断らせて戴く」と言い、
   二人の同時受賞となったという。
   後半生は、平野は、花園中学校で教鞭をとった。
  1918年(62歳)クロマツの受精に関する報告をする。
  1924年(68歳)肝硬変で花園中学校を退職する。
  1925年1月4日、京都市右京区御室の自宅で永眠された。
  尚、平瀬作五郎の精子発見のイチョウの木は、今でも、
 東京都文京区白山の東京大学理学部付属植物園に保存さ
 れている。
  1956年、その記念のイチョウの木の下に記念碑が建立
   された。「精子発見六十週年」と刻まれた。
  1996年9月9日、「イチョウ精子発見百周年記念市民国
   際フォーラム」が東京大学安田講堂で開催され、広
   瀬作五郎の功績が讃えられた。
.
1896年、教育
・1896年7月8日、東京美術学校に西洋画科・図案科の2科
 が新たに設置された。
  この年、西洋画科が新設され、黒田清輝、藤島武二、
 横山大観らが指導にあたった。
  東京美術学校は・・
  1884年7月、文部省に図画教育改良を目的とする図画調
   査会が置かれ、調査が行われ、官立美術学校を設置
   することに決定されたことに始まる。
  1885年12月、文部省学務一局に図画取調掛が置かれ、
   そして、アーネスト・フェノロサ、岡倉覚三、狩野
   芳崖、狩野友信らが委員となって設立準備が進めら
   れた。
  1886年2月、図画取調掛の事務所が小石川植物園内に移
   され、岡倉覚三がその主幹となった。
  1886年9月、文部省と宮内省が協議し、フェノロサと岡
   倉を委員とする欧米の美術及び秘術教育視察が行な
   われた。
  1887年10月、二人の報告に基づき、勅令によって、図
   画取調掛及び工部大学校内「工部美術部」を統合・
   改編して東京美術学校が設立された。
   また、校則も定められた。
  1887年12月、東京都台東区上野公園の現在地へ移転す
   る。
  1889年2月、開校される。
   5年制の学校として、普通科(2年)、専修科(3年)、
   特別の課程(1年)を置いて、授業を開始した。
   普通科:絵画・造形、専修科:絵画(日本画)・彫
   刻(木彫)、美術工芸(金工・漆工)に分かれてい
   た。
  1890年、岡倉覚三が就任し、事実上の初代校長となる。
   副校長はフェノロサが務めた。
   開校時の教官は、他に、黒川真頼・橋本雅邦、小島
   憲之であり・・
   後に、川端玉章・巨勢小石・加納夏雄・高村光雲ら
   を加えた。
  1892年、鋳金科を設置。
  1893年、第1回卒業式が挙行される。
   横山大観らの卒業生を送り出す。
  1895年、鍛金科を設置。
  1896年、西洋画科と図案科を設置。
   西洋画家の教官には、黒田清輝・藤島武二・和田英
   作・岡田三郎助、
   図案科の教官には、福地復一・横山大観・本多天城
   らが就任した。
  1898年、美術学校騒動が起きた。
   岡倉覚三の学校運営が問題とされ、岡倉をはじめ、
   橋本、横山、下村観山、菱田春草らの多数の教官が
   退任し、日本美術院を結成した。
  1899年、塑造科を設置。
  1902年、図案科に建築教室を設置。
  1905年、学科を再編成し、日本画、西洋画、図案、彫
   刻、金工、鋳造、漆工の7科とする。
  1907年、図案師範科(3年制)を設置。
  1914年、製版科(3年制)を設置された。
   (図案科が第一部(工芸図按)と第二部(建築装飾)
   に分離の史料もある)
  当時は、年限1年の予科、年限3年~6年の本科(絵画科、
 彫刻科、工芸科、建築科)と師範科、年限2年の研究科か
 らなった。
.
1896年、報道
・正岡子規が、ベースボールの解説文を連載(日本新聞)
  1884年、正岡子規は、東京大学予備門時代にベースボ
   ールを知り、野球に熱中したといわれる。
   正岡子規は、野球を題材とした短歌、俳句を数多く
   詠み「野球(のぼる)」の雅号も使っている。
  1889年7月、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、
   松山中学の生徒らにベースボールを教えた。
  1890年2月、「筆まかせ」の雅号の項に「野球」が初めて
   見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。
  1896年、「日本」新聞に連載された「松蘿玉液」の中
   で野球のルール、用具、方法などについてくわしく
   解説した。
   野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自
   分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献を
   した。
   「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見
   れど飽かぬかも」
   「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打
   ち騒ぐかな」
  2002年に、正岡子規は野球殿堂入りをした。
   野球を愛した明治の俳人・歌人とされている。
  (参照:野球殿堂博物館ホームページ)
.
  (今日の言葉)
.
  題:今、韓国の若者が反日教育を受けて、その様なことをまったく
   知らずに、当時の事をお年寄りに聞くと、予想に反して
   「良かったよ」と想像とまったく違う返事にびっくりする。
    その様なお年寄りが朝鮮の地に減って来ているが、
   日本は、朝鮮・韓国の国づくりを誠実に努めて来た。
.
16世紀末、日本の捕鯨が始まり、そして、鯨文化が広まっ
 て行った(江戸時代)
  この頃の16世紀の末頃、日本に本格的な捕鯨が始まっ
 た。
  そして、17世紀には屏風絵に描かれるようになってい
 る様に、庶民の間に完全に根付いている。
  1500年代末には、日本は捕鯨を始めていて、食糧とし、
 また、鯨を文化としていた。
  初代のアメリカ大統領のワシントンは、1789年4月30日
 に在任したが・・この200年も前に、既に、日本は鯨と関
 わっている・・
  キリスト教の宗教観から、日本の捕鯨を禁止する西欧
 諸国・・この日本の歴史の重みをよく見極めなさい!
.
18世紀半ば、日本は、アメリカのペリーの来る1世紀も前か
 ら、独自に、近代化への道を歩き始めていた。
  ペリーが来たから、その時に目覚めて、それから慌(
 あわ)てて近代化への道を歩み始めた・・という自虐史
 的に言う輩が居るが・・大間違い。
  日本の夢を覚ます黒船来航・・何て言う話は眉ツバ!
  日本は、「勉学への欲求」「知識への目覚め」から近
 代化へアクセスして行った。
  元々、勤勉だった日本人・・すでに、世界的な業績を
 残す天才数学者の関孝和(1642年~1708年、西欧より早
 い時期に数々の数学的業績を残した)や平賀源内(1728
 年~1780年、本草学者、地質学者、蘭学者、エレキテル
 や鉱山開発)等を輩出している日本・・
  18世紀のフランス革命の頃のフランスよりも識字率は
 高いという日本だった。
  私塾の寺子屋が流行るという日本だった。
  識字率は5割前後で、私塾は全国で何と5万校もあった。
    (参考)因みに・・1910年の日韓併合で、日本が
       朝鮮・韓国の学校の少なさにびっくりして、
       学校を造り始める時には、5校しか小学校が
       無かった・・
  そして、農民が作物を市場で売り、利益を得るという
 生産面と流通での革命も起きる。
  都市へ広がる勤勉とともに、19世紀の初めには、家内
 制工場があちこちに出来るという日本だった。
  産業資本が大阪で興り、農民が労働者となる・・この
 形が日本各地に広がって行った。
  これらすべてが、日本独自の動きだった・・
  それと共に、江戸や大阪には、歌舞伎や相撲興業とい
 う大衆の人気を博す文化も盛んとなり華やかとなった。
  浮世絵の商品なども盛んに刷られ宣伝媒体となり・・  
  日本は、西欧に何も学ぶ事なく独自に、近代化への歩
 みをいち早く始めていた『優秀な国民だった』。
  犠牲者の少ない「明治の奇跡的な革命」を経て・・
  江戸時代の時から・・日本は、西欧列強のアジアにお
 ける私利私欲の横暴な行動を目にして来て、富国強兵の
 必要性を痛感していた・・
  その中で、特に、イギリス・ロシア・中国の脅威に、
 接していた。
  その一つが、巨艦の艦隊を長崎にまで威圧行動した中
 国に縮こまる日本・・そして、長崎の街で大暴れをする
 中国水兵の艦隊の強さを誇示し見せつける行動などを経
 て、日清戦争へ至って行くという道となる。
.
1846年4月25日、アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)が始
 まる(~1848年2月2日)
  アメリカ合衆国ではメキシコ戦争と言われる。
  また、メキシコでは、アメリカ合衆国のメキシコ侵略、
 米国の対メキシコ戦争、北部の侵略戦争としている。
  アメリカ軍:78,700名、メキシコ軍:40,000名
  戦死:アメリカ13,271名、メキシコ5,800名(病死を
 除く)
  この戦争で、アメリカ側に、9,200名の脱走者、または、
 亡命者がでている。
  この戦争の発端は、アメリカ人のメキシコ領への流入
 (不正な移民、不法流入)から始まった。
  ルイジアナは、先住民のアメリカ・インディアンの方々
 の地であるが、1803年、アメリカは、この地をフランス
 から買った(何もフランスの土地ではないのに、フラン
 スから買った・・白人同士の演技?)・・これによって、
 アメリカに、テキサスの地も得たいという欲望・意識が
 強まった・・メキシコの地であるのに??
  この頃、メキシコは、長い独立革命の戦いで弱体化し
 ていた・・
  この様な状態で、自国の領土を守る余裕のないメキシ
 コという状態でもあった。
  アメリカの『テキサス』などのメキシコ領の奪い方は
 移民だった。
  初め、アメリカ人が不法な国境越えをして『メキシコ
 領のテキサス』などに入って行った・・そして、メキシ
 コ領テキサスに定着(不法滞在)した。
  その内、その様に越境をした「元アメリカ人たち」が、
 「メキシコ領テキサス住民の様な顔」をして不平を漏ら
 す。
  その不平の声がだんだん大きくなる。
  そしてまた、越境組の元アメリカ人たちの数も多くな
 ると・・その勢力も侮(あなど)れなくなる。
  ますます、その元アメリカ人たちの勢力が大きくなる
 と、メキシコも軍隊の出動もやむを得ないと判断する。
  この様な「不穏な事態」が、たびたび起きる。
  この地の不穏さが、さらに、「きわどくなる」。
  すると、隣国のアメリカも見てはいられないと「アメ
 リカの介入が始まる」。
  内政干渉の「ちょっかい」なのだが、正義の顔をして
 介入行為をする。
  そのアメリカの介入・ちょっかいも度々となる。
  そして、アメリカのやり方の程度が大きくなる。
  そして、「正義を錦の御旗」として、アメリカが軍隊
 を出す。
  メキシコは、軍隊を出さざるを得ないと思っても、戦
 争になってはいけないと「自重はする」。
  しかし、アメリカ軍の行動は、度々となる。
  また、アメリカの介入が大きな行動となって来る。
  そして、多くのアメリカ人不法移民に占領され、テキ
 サス共和国がつくられ、1836年、メキシコからの独立を
 宣言する。
  メキシコもやむなく「ファイトバック・反抗」をする。
  このメキシコの行動を「待っていたアメリカ」は、「
 この時とばかりに大軍隊を送り込む」。
  当然、これが戦争となる。
  アメリカ人の違法行為の越境から始まって、「メキシ
 コ領内で元アメリカ人」となり・・、
  この「元アメリカ人の騒ぎ」から発展したこの戦争の
 実態は、「アメリカの正規軍のメキシコ領の侵略戦争」
 という戦いとなる。
  アメリカは、この様な戦争の起こし方で『メキシコ領
 テキサスを手に入れた』。
  そして、このやり方で、テキサスの隣のメキシコ領も、
 結局、「アメリカ領となってしまった」。
  また、その隣のメキシコ領も同様に、アメリカ領にな
 ってしまったメキシコは、自国の領土の「半分以上」も、
 この様にして、アメリカに奪われた。
  アメリカは、ハワイもこの様にして奪った。
  樺太が、また、日本にもこの様な事が起きた。
  樺太にはロシア人が居ないで、日本人だけが居た。
  それから、ロシア人がどんどん入って来た。
  樺太の日本人は中央政府(幕府)にこの状況を伝え、
 日本人もどんどん樺太に来ないと「ロシアに樺太が盗ら
 れてしまう」と伝えた。
  この様な歴史が、「日本の領土の樺太」の歴史の初め
 にある。
  ロシア人の「ロ」の字も無いころ、間宮林蔵という日
 本人の探検家は、樺太はおろか、ユーラシア大陸まで探
 検をしていた。
  コロンブスが、西インド諸島を発見し探検したことと
 同等である、もしくは、それ以上の事をしている。
  このコロンブスの事を思えば、間宮林蔵が探検したア
 ムール川流域のユーラシア大陸の地は「日本領である」。
.
1884年、海軍予備員制度が発足した。
  採用は1886年からなされた。
  この制度は、西郷従道農商務卿がイギリス海軍予備員
 制度を例にして発案した。
  海軍予備員は、海軍兵籍を有し、戦時などの有事の際
 には召集されて軍務に服するが、平時は民間において船
 舶職員などの海事に従事する者をいう。
  海軍予備学生などの身分は、海軍予備員たる海軍予備
 少尉となるための教育を一定期間受ける者で、海軍予備
 学生と海軍予備生徒があった。
  1935年からは、飛行科や整備科の予備学生も採用され
 た。
  この海軍予備学生・・
  木馬座の人形劇団をつくり活躍した藤城清治氏は、読
 売新聞の「時代の証言者」欄に、第二次世界大戦時に居
 た海軍予備学生時代のことを書いていた・・
  「海軍予備学生時代に、海軍でディズニー映画を見せ
 てもらい。感動しました。戦争中ですが、視野を広げさ
 せようとしたのでしょう」・・と。
  これ以来、藤城氏は、「ディズニーの様になりたいと
 思い、理想郷となった」と語る。
  しかし、この同じ頃、ディズニーは、アメリカで、「
 日本は黄色い猿だ」と日本を蔑視し、馬鹿にした映画を
 作っていた。
  日本の飛行機が、盛んにアメリカ機に撃墜される映画
 を作っていた。
  アメリカの国民の方々に、「日本に対する敵意を植え
 付け、沸かす工作映画を作っていた」。
  盛んに、アメリカ国内でプロパガンダ工作をしていた。
.
1910年8月22日、日韓併合条約(韓国併合条約)
  この日、漢城府(現:ソウル)において、日本側・寺
 内正毅統監と、大韓帝国側・李完用総理が調印した。
  そして、1910年8月29日、裁可され、公布し、発効し、
 日韓併合が成立した。 
  (参考)大韓帝国:李氏朝鮮(朝鮮王朝)を改称した国
     号。
      国号変更の動機は・・、
      それまでの李氏朝鮮の朝鮮王朝が、日清戦争
     の日本勝利の結果の日清平和条約により、清朝
     の属国関係(宗属関係)も消滅したとして国名
     変更を行った。
  また、日露戦争の結果、日本勝利で調印されたポーツ
 マス条約の第2条や・・、
 1902年に結ばれた日英同盟の第3条において、日本の朝鮮
 半島における政治上、また、経済上などの卓絶した地位
 が、世界的に承認されていて・・
  この条約も、世界的に当時の国際法上おかしいと判断
 されるところはまったく無く・・、
  「国際法上合法である」と判断されている。
  大韓帝国は「保護国」とされていて・・、
  条約に基づいて、「日本の対外関係の処理を引き受け
 る」と約定されている。
  近年でも、ケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授
 (国際法)が言及されるように・・
  「(大韓帝国のように)自分で生きていけない国につ
 いて、周辺の国(この場合、日本)が国際的秩序維持の
 観点から、その国を取り込むということは、当時よくあ
 ったことである・・
  日韓併合条約は国際法上は不法なものではない」とい
 う意見が「国際的な一般的な判断」となっている。
  今・現在になって、大韓民国(韓国)が違法であると
 違法論を展開しているが、国際的に、無理な主張となっ
 ている。
  この日韓併合条約は、17世紀からこの時まで、ヨーロ
 ッパで作られ発展して来た万国公法(国際法)と同じで・・
 何ら違法的な所は無い。
  また、日本と大韓帝国(李氏朝鮮)は、正式な文書で
 条約を交わしていて、国際社会に「公認されている」。
  また、最近、日本のメディアが・・、
  例えば、読売新聞が、2019年3月2日の社説で、日韓併
 合を「植民地支配」と書くのは間違っている。
  この時の李氏朝鮮(大韓帝国)は、条約に基づいた被
 保護国であって「植民地ではない」・・
  また、日本は、欧米的な植民地支配はしていない。
  日本には、キリスト教の教義で説く様な「異教の地の
 民を絶滅させて、そこにキリスト教会を建てる」という
 植民地支配の考え方はまったく無い。
  その様な精神で経営する植民地経営や植民地支配の精
 神はない。
  日本は、古事記の「治らす」の精神で朝鮮を栄えさせ
 た。
  何故?・・と、キリスト教的な植民地支配の洗脳を受
 けた人には思えるだろう。
  日本は、何故、赤字になってでも現地を発展させたの
 か?・・と、思うだろう・・考え及ばないだろう。
  古事記に記された精神が、昔から日本が培ってきた・・
 その精神だった。
  古事記に・・、
  天孫が降臨するときに、その降臨する神へ神勅(しん
 ちょく)を与える。
  それは、降臨する国「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂
 (みずほ)の国に、就(ゆ)きてしらす」という、その
 「しらす」は「治らす」であって・・
  この「治らす」が、「その国に産業を興し、栄えさせ、
 国全体としてまとめて行く」という意味で・・、
  キリスト教の植民地主義の「鎮圧して支配する」では
 ない。
  天孫から国を栄えさせよと使命を授けられた神が、日
 本にあった。
  その精神で日本はずーっと生きて来た。
  朝鮮の地に鉄道を張り巡らせ・・小学校から大学まで、
 日本と同等に、いや、それ以上に学校を造り、道路も造
 り、山に木を植え、産業も興し、衛生状態を改善し、経
 済も大発展して来た・・人口は倍増し、平均寿命も倍増
 した・・
  今、若者が反日教育を受けて、その様なことをまった
 く知らずに、当時の事をお年寄りに聞くと、予想に反し
 て「良かったよ」と想像とまったく違う返事にびっくり
 する。
  その様なお年寄りが朝鮮の地に減って来ているが、日
 本は、朝鮮・韓国の国づくりを誠実に努めて来た。
.
1917年4月6日、アメリカの対ドイツの宣戦布告(第一次世
 界大戦)
  第一次世界大戦は、1914年7月28日に始まっていたが、
 アメリカは、なかなか、ドイツに対して宣戦布告はしな
 かった・・が、しかし・・
  その2年6ヶ月後の1917年2月3日に、アメリカはドイツ
 と断行し・・、
  そして、その2ヶ月後の1917年4月6日に・・アメリカは、
 ついに、ドイツに宣戦布告した・・ここにアメリカ国民
 の方々への世論工作があった・・
  アメリカは・・力を持つ国、武力を持つ国、そして、
 金を持つ国・・
  第一次世界大戦で、ドイツが勝ちかけていた頃、敗け
 そうなイギリスは動いた。
  第二次世界大戦の時も、まったく同じような展開が起
 きているが・・この戦争の時も、同じ様な展開が起きた。
  イギリスの外務大臣のバルフォアが、イギリスのユダ
 ヤ社会へ働きかけた。
  アメリカに参戦させるために、「ユダヤ人の国をつく
 る」と約束して、アメリカが参戦へ動く工作を頼んだ。
  イギリスの外務大臣バルフォアは、「パレスチナに、
 ユダヤ人による民族的郷土の設立」をユダヤ系金融資本
 家に約束した。
  バルフォア宣言への動き・・
  (参考)バルフォア宣言:1917年11月2日、イギリス外
     相 A.バルフォアが、パレスチナにおけるユダヤ
     人の民族的故郷の建設を支持した宣言。
      バルフォアは、それをシオニズム運動の財政
     的な後援者であった L.ロスチャイルドにあてた
     書簡のなかで明らかにした。
      この内容は、1916年に、フランス、ロシア、
     イギリス間で結ばれた秘密条約であるサイクス
     =ピコ協定とは明らかに矛盾するものであった
     が、イギリス政府のねらいはユダヤ人世論を連
     合国側にひきつけ、あわせてユダヤ人のパレス
     チナ入植を通じて中東政策の布石を固めること
     だった。
      同宣言は、1920年のサン・レモ会議でイギリ
     スの正式政策とされ・・
      1922年に、国際連盟がパレスチナ地方をイギ
     リスの委任統治領としたとき、その前文に同宣
     言が含められた。
  このバルフォア宣言により、ユダヤ人の方々の社会が
 動き、アメリカの世論操作・世論工作が進められた。
  アメリカの大統領府の広報委員会も動き出した。
  この部署にいたユダヤ人のリップマンとバーネイズが、
 大いに働いた。
  この時なされたドイツについてのプロパガンダが・・
  ドイツが残虐行為をしているとか、妊婦が切り裂かれ
 たとか、ベルギー婦人を殺したとかの、世論操作の嘘宣
 伝がなされた。
  アメリカ国民の方々は繰られて行く・・
  比較的、ドイツに好意的だったアメリカ国民の方々の
 気持ちは変えられて行った・・
  そして、結局、アメリカは参戦することになって行く。
  アメリカのメディアを牛耳っていたのがユダヤ資本だ
 った・・それが大きかった。
  イギリスの「ロイター」もユダヤ人が設立した通信社
 だった。
  ユダヤ系列の団体・組織の繰る「資金」と「情報」の
 力は大きかった。
  この時、大きな役割を果たしたリップマンは言った・・
  「大衆に対し、自らが民主的権力を行使しているとの
 幻想を抱かせなければならない」と。
  これは、アメリカは、民主主義国家の様に見えても、
 幻想だと言っている・・「繰られた民主主義的な意見」
 で動いていると・・
  最近、中国は、盛んにアメリカのメディアを買ってい
 る。
  そしてまた、日本も、やってもいない南京事件を中国
 にプロパガンダ(嘘宣伝)されて、やってもいない虐殺
 をしたと虚偽の嘘宣伝をされた。
  ユダヤ人のリップマンを支えた、やはり、ユダヤ人で
 あるバーネイズは・・「プロパガンダ」という本を書い
 たが、その中で書いている・・
  「世の中の一般大衆が、どの様な習慣を持ち、どの様
 な意見を持つべきかといった事柄を、相手にそれと意識
 されない様に知性的にコントロールすることは、民主主
 義を前提とする社会において非常に重要である」と。
  この様な中に「目に見えない統治機構がある」と指摘
 した。
  これが、アメリカの「真の支配する者だ」と指摘した。
.
1944年7月1日、ソ連が、日本に攻めてくる前のこの日から、
 アメリカによる対ソの兵器援助の引き渡しが行われてい
 た・・『第二次世界大戦の不正な、卑怯な行為』。
  スターリンが、アメリカに要求した武器提供は「マイ
 ルポスト合意」として成立した。
  アメリカは、1945年、中立国(日ソ中立条約があった)
 だったソ連の船を使って日本海を抜け、ソ連のウラジオ
 ストクに武器弾薬を陸揚げした。
  このアメリカの援助した武器を使って、ソ連は、日本
 を攻撃し、侵略した。
  まったくソ連の国際法違反、及び、日ソ中立条約違反
 であった。
  アメリカは、ソ連をそそのかして、中立条約違反をさ
 せているが・・
  アメリカのルーズベルト大統領のやったそそのかし行
 為だった。
  日本は、一旦、条約を締結すると誠実に、その条約の
 約束を守ったが・・ソ連は条約を破る常習犯だった・・
  ルーズベルトは自分でも言っているが、『自分が有利
 になるなら、嘘だってつく』と言った。
  国の信用・信頼をまったく軽いものにしている、「軽
 蔑すべきアメリカ」だった。
  また、ルーズベルトの嘘つき体質・裏切り体質が現れ
 るのが、中国に関することだった。
  ルーズベルトは、秘密裏に中国に支援する命令を出し、
 また、アメリカ正規軍に日本を攻撃させている。
  ルーズベルトは、日本の真珠湾攻撃以前に、日本を攻
 撃させている。
  これこそ、アメリカの「日本への奇襲攻撃」であった。
  また、金や武器を、中国に支援するということもして
 いる。
  アメリカの大義名分は、「日本が、侵略行為をしてい
 る」だった。
  満州は、日露戦争に勝利し、ロシアから移譲された(渡
 された)ので、侵略ではない。
  また、アメリカ・イギリスは、日本に、「シベリアへ
 出兵してくれ」と頼んできている・・侵略ではない。
  アメリカこそ中国のあちこちの権益を欲しがった国だ。
  そして、アメリカは、日本が侵略していると罪に落と
 しながら、ソ連が中国領を欲しがったら「いいよ」と許
 可する行為をする。
  中国には、秘密にして、こんなことをするアメリカな
 のである。
  ソ連の「中国への主権侵害」に、許可を与えているア
 メリカなのである。
  中国の大連を、「国際港」という誤魔化しの「名目の
 言い方」で、実質、ソ連の港になることを認めたアメリ
 カだった。
  南満州鉄道も、同じ様に、「中国と共同管理で」と言
 いながら、実質は、ソ連のものとして認めている。
  ルーズヘルトは、子供だましの様な事を言った、「中
 国に知らせると情報が漏れるからだ」と・・、
  ルーズベルトは、このことを、強く秘密にすることを
 スターリンに要求した。
  この秘密は、破廉恥な事に、アメリカの国務長官のス
 テティニアスにも秘密にされた。
  この一連の会談について、ルーズベルトは、「欲しい
 ものは、すべて手に入れた」と言ったという。
  すべて嘘と秘密で手に入れる詐欺師やペテン師の如く
 のルーズベルトに、「何を言うのかと、喝を入れたい心
 境だ」。
  こんな輩たちによって、何百万人もの命が亡くなされ
 たのである。
  (参考)レンドリース法(武器貸与法)という法律が
     アメリカにある。
      第4協定期間は、1944年7月1日から開始された。
      1945年4月17日に署名され、公式には1945年5
     月12日に終了したとされた・・が・・
      ソ連への援助は、日本に対する戦争の期間(
     ソ連の対日参戦は1945年8月8日)「マイルポス
     ト合意」に基づいて1945年9月2日まで続けられ
     た。
      そして、1945年9月20日にすべての対ソ連「レ
     ンド・リース・プログラム」は終了した。
      ソ連に対して出荷された軍需物資の概要は・・
     航空機14795、戦車7056、銃8218、機関銃131633、
     爆発物345735トン、化学物質842000トン、
     輸送船90、対潜艦105、魚雷艇197、軍靴15417001足、
     ジープ51503、トラック37503、オートバイ35170
     など・・
      輸送は、北極海の輸送船団、ペルシア回廊、
     太平洋ルートで行われた。
      アメリカは、卑劣にも日本と停戦合意した後
     までもソ連に武器を与え続けていた。
.
1969年1月20日、第36代アメリカ大統領にリチャード・ニク
 ソンが就任した。
  この大統領は、ベトナム戦争を拡大した。
  また、この大統領は、1974年、ウォーターゲート事件
 で任期満了を待たずに辞任している。
  ニクソンは、キッシンジャーを外交問題特別補佐官に
 任命し・・
  1969年7月、外交方針の原則としてニクソン=ドクトリ
 ンを発表した・・
  これで、海外への過度な軍事介入の抑制に転じ、対共
 産圏戦略で同盟諸国に肩代わりの強化を要求したりした・・
 が・・一方・・、
  パリ和平会談の有利な展開を狙って、1970年~1971年、
 ベトナムでの主導権を維持するため、アメリカは、カン
 ボジアへ侵攻し・・また、ラオスの空爆も始め・・、
 介入を拡大し、ベトナム戦争をインドシナ全域に拡大し
 た。
  この戦費の重みは、アメリカ経済に重くのしかかった。
  この様なベトナム戦争の時、この北ベトナムを支援し
 ていたのはソ連だった。
  しかし、「北ベトナムを支援するのは中国だ」と間違
 って見ていた。
  アメリカや世界は、その様に見ていた。
  ベトナム戦争をやらせているのは中国だと見て・・ニ
 クソン・アメリカ大統領の理解も、完全に間違っていた。
  逆に、北ベトナムと中国は、仲が悪かった。
  ソ連の北ベトナム支援の物資を、中国は中国領土を通
 させないという事をした。
  また、異常なハラスメント(いやがらせ)をした。
  アメリカは、中国が「革命の輸出」をしたいため、北
 ベトナムを支援しているものと、まったく間違った見方
 をしていた。
  種々、中国に煮え湯を飲まされる北ベトナムの事情を、
 アメリカは知らなかった。
  北ベトナムは、民族統一をしたいから戦っていた。
  この点を大きく見られないというアメリカの大きな間
 違いがあった。
  アメリカは、ソ連に金を渡しているが、そのソ連が北
 ベトナムへ武器などの支援をしている。
.
1979年、中国とベトナムの戦争(中越戦争)が始まり、中
 国とベトナムが、こんなに仲が悪かったのかと世界がび
 っくりした・・
  中国の嘘と諜報とプロパガンダで、世界は誤魔化され
 ていた。
  実は、ベトナムと中国は、仲が悪かったのだった・・
  世界は、周恩来や毛沢東の詐術(さじゅつ、通常の知
 能を有する一般人を欺罔(ぎもう)するに足る術策)が
 うまくて、誤魔化す術が長けていたので、仲が良く見え
 ていた。
  あたかも、中国がベトナムをコントロールしているよ
 うに見えた。
  しかし、この1979年に、中国とベトナムの戦争「中越
 戦争」が始まって、世界はびっくりする。
  中国とベトナムは、こんなに仲が悪かったのかと・・
  こんなプロパガンダ(嘘工作)された見方の中で、アメ
 リカ外交は動いていた・・
  キッシンジャー外交も動いていた・・
  それで、中国は、アメリカからとるものを取ってしま
 った・・まったく大きく価値あるものだった・・
  実は、中国は、1970年~1971年頃は、最悪だった。
  アメリカとも、また、ソ連とも対立をしていた。
  ニクソン訪中前であった・・
  中国共産党は、崩壊直前の状態にあった。
  しかし、アメリカは、中国と手を結んだ・・1933年に、
 ソ連を承認したように・・
  中国は、息を吹き返した・・力を取り戻した・・経済
 も良くなった・・
  この時・・毛沢東が、先にアメリカに打診したという。
  中国は、国境を接しているソ連の方が、アメリカより
 脅威という状態だった・・
  アメリカは、『一つの中国』を認めたわけではないが、
 その様な印象は与えてしまった。
  そして、今、南シナ海を無断で自国の戦略基地とし・・
  また、「太平洋を半分ずつにしよう」とアメリカに言
 うという中国になっている・・
  今、アメリカは、中国に抜かれると言う人が多くなっ
 ている・・
.
1990年、中国は、完全に外国情報に触れられない国となっ
 ている。
  この年、海外衛星放送の受信が禁止となった。
.
1994年、中国は、海外情報が得られない国で、政府によっ
 て完全に管理されている。
  この年に、国外テレビ番組の輸入が政府の管理下に
 置かれた。
  また、放送も完全に管理されるもとにされ、管理規定
 ができた。。
.
2000年、中国は、中国国民の情報を得る自由を拘束してい
 る。
  この年に、さらに厳しく、インターネット放送に関す
 る監督管理をし始め・・
  また、海外アニメ番組の購入や放送に関する通知が規
 定されたり・・
  さらに、外国テレビ番組や映画の輸入に関して政府の
 管理下に置かれた。
.
2013年5月19日、日本の防衛省は19日、国籍不明の潜水艦が
 沖縄県の南大東島の南の接続水域内を潜航するのを確認
 したと発表した。
  13日と同様に、防衛省は国籍を公表していないが、政
 府関係者は中国海軍の潜水艦と見ている。
  中国籍と見られる潜水艦が日本の接続水域に入ったと
 日本メディアが大々的に伝えたのは今回が初めてではな
 い。
  中国の海軍軍事学術研究所法律研究室の邢広梅主任は
 19日、「環球時報」に対し、「南大東島は沖縄本島の東
 400キロの太平洋上にある孤島で、潜水艦を含む各国の船
 舶と航空機はこの島の周辺を自由に航行、飛行できる。
  島の位置から見て、最も近いのは中国ではない。
  日本側が確認が取れていないのに『中国の潜水艦によ
 る威嚇』と大げさに主張するのは、明らかに中国を敵視
 し、顔に泥を塗る行為である」と述べた。
  また邢広梅氏は、「日本が国籍不明の潜水艦の潜航を
 頻繁に報道している点から、日本の対潜能力は非常に高
 いことがわかる。
  潜水艦をキラー兵器としている中国海軍にとっては大
 きな脅威であり、中国海軍は大いに重視する必要がある」
 と語った。

2015年10月25日、K-324は、米海軍に屈辱を与えたソ
 ビエト潜水艦
  高価な機密装備を損傷させたことにより多くの米海軍
 高官が免職されたが、とりわけ米国が憤懣を募らせたの
 はそれら装備がソビエト海兵の手に渡ったというニュー
 スだった。
  1983年の秋、多目的原潜K-324(NATOのコードネームは
 ヴィクトル3、ソビエトではシューカ)が西大西洋を巡視
 していた。
  10月31日、ソビエト潜水艦がサルガッソー海に米海軍
 の最新鋭巡洋艦マックロイを発見。
  同船は最新鋭対艦探知システムTASS(Towed Array
 Surveillance System)の試験を行っていた。
  演習上の標的として選ばれたのは米国の原潜フィラデ
 ルフィア(SSN-690)。
  米艦の乗組員らは演習にもう一人の参加者がいること
 など疑ってもみなかった。
  ソビエト潜水艦K-324だ。
  同船は航行音を消して隠密裏に米巡洋艦に近づき、そ
 の頭部にとりついた。
  それから14時間というものソビエト潜水艦は技術的諜
 報を行い、秘密の潜水艦アンテナのパラメーターを測定
 した。
  熱帯暴風雨で米艦の演習は困難になり、中止された。
  マックロイ号は急に方向を変え、基地へと急ぐ。
  ソビエト潜水艦の船体に奇妙な振動が走った、と長年
 ののち、当時の一級船長アレクサンドル・クジミン氏は
 記者らに語っている。
  「メインタービンが故障した。原子炉もタービンも、
 非常用防護装置が作動。浮上せざるを得なかった。
  浮上し、熱帯暴風雨の真っただ中に入った」。
  こうなった原因は浮上してはじめてわかった。
  潜水艦に、探査機のついた長大な金属製のケーブルと
 いう形状の、米艦の機密アンテナが巻き付いていたのだ。
  この遭難船の救助にハバナにいたソビエト船アルダン
 が出動した。
  しかし、先にそれを見つけたのは米駆逐艦ピーターソ
 ン、および、ニコルソンだった。
  両艦は紛失した機密装置の捜索を行っていたのだ。
  潜水艦が拿捕されることを危惧したK-324の船長は、自
 爆準備を整えるよう命じた。
  しかし、事は公海上で起こっており、米艦は潜水艦の
 周囲でしか行動できず、不運なアンテナをネジで断ち切
 ろうと遠巻きに試みるしかなかった。
  やがて、この危険なゲームに米潜水艦フィラデルフィ
 アが駆け付ける。
  同船は、ソビエトの潜水艦に近づき、その真下に入っ
 た。
  そして、どうやったものか、ソナーつきのケーブルを
 船体に巻き付けることに成功した。
  そうして悲喜劇じみた状況が出来上がった。
  敵対する2隻の原潜が、まるで綱引きを争うような格好
 になった。
  終いには強化ケーブルが引き千切られ、フィラデルフ
 ィアは自らの船体に巻き付けたソナーつきカプセルを丸
 ごと奪い去ってしまった。
  しかし、K-324のネジにはまだ400mにもおよぶ機密低周
 波アンテナが残されていた。
  急行したソビエト船アルダンがK-324を牽引し、キュー
 バに連れ帰った。
  ネジから巻き取られた米国のアンテナは特殊軍事航路
 でモスクワに送られた。
  K-324は、再び、大西洋のパトロールに復任した。
  のち明らかになったところでは、当時のロナルド・レ
 ーガン大統領は、この件について報告を受けると、海軍
 の高官数名を解雇するよう命じた。
  議会は、翌1984年度の軍事予算で、海軍の学術調査諜
 報の割り当て額を25%削減した。
  ロシアに機密のすべてを渡してしまうような海軍の活
 動に渡す金などない・・という。
.
2016年12月21日、なぜ中国は米軍の潜水ドローンを拿捕し
 たのか・・との表題で日経ビジネスが伝えた・・
  以下、その抜粋・・
  中国の人民解放軍海軍が南シナ海で米軍の無人潜水探
 査機(ドローン)を「違法に奪取」した。
  12月15日のことである。
  米国側は、すぐさま返還を要求、
  18日には中国側も返還に応じることを決定したが、い
 ったい中国側は何を考えて、このような大胆な真似をし
 たのだろうか。
  米国防総省の発表では、15日、アメリカ海軍の海洋調
 査船「バウディッチ」が南シナ海のフィリピン・ルソン
 島沖、スービック湾から北西93キロの地点で、無人潜水
 探査機(ドローン)2機による海洋調査を実施、
  探査機を回収しようとしたところ、中国海軍の潜水艦
 救難艦がボートを出して1機を奪ったという。
  バウディッチは無線で返還を要請したが、救難艦は応
 答せずに探査機を持ち去った。
  米国側によれば、ドローンは、海水の塩分濃度や透明
 度などを調査するものだが、これは、潜水艦航行時のソ
 ナーデータに役立つ情報でもある。
  潜水艦の航行、作戦に必要とされる情報といえば、軍
 事情報になるが、機密というほどのものはない。
  国防総省の発表でも、今回の調査は、民間用のドロー
 ンを使って非機密情報を収集していたという。
  無断でこのドローンを拿捕した中国国防部は、「中国
 海軍は15日午後、南シナ海海域で正体不明の装置を発見
 し、船舶の航行の安全と人員の安全を守るために、救難
 艦の責務として、この装置の識別検査をしたのだ」と主
 張した。
  だが、目の前に米海軍の調査船があり、無線で返還を
 呼び掛けているのに持ち去ったとなれば、この主張も口
 実にすぎないとわかる。
  中国国防部側は、識別検査の結果、無人潜水探査機で
 あると判明したので米国に返還すると決定した、と説明。
  「中国側は、米国側とずっと連絡を保っているのに、
 米国側が一方的に問題を公開し、騒ぎ出したのは不適当
 であり、問題をスムーズに解決するのに不利となった。
  我々は、このことに遺憾を表明する」と開き直った。
  さらに、中国国防部は、「強調すべきことは、長年、
 米軍は頻繁に中国当面海域で偵察や軍事測量を行ってき
 ているが、中国はこのことには断固反対しており、この
 種の活動を停止することを米国側に要求する。
  中国側は、引き続き米国側のこうした活動に対し警戒
 を維持し、必要な措置をもって対応する」とけん制した。
  米海軍海洋調査船が寄港していたスービック湾沖とい
 う現場は、本来、フィリピンの排他的経済水域内だが、
 スービック湾西200キロの地点にあるスカボロー礁はフィ
 リピン、中国が領有権を争う係争地である。
  米国側は、この周辺海域を国際水域、つまり、公海や
 自由海に準ずるものとして認識しているが、中国側にす
 れば現場は、中国の排他的経済水域ということになる。
 (中略)
  中国側がいきなりドローンを無断で拿捕するというこ
 とは、これは実力行使、戦闘行為に発展してもおかしく
 ないぐらいの挑発といえる。(中略)
  トランプ(大統領)は、この件について、そんなドロー
 ンなど中国にやってしまえ、とツイッターで発言したの
 は、そこに軍事機密として保護を優先させるものはなく、
 中国の挑発に乗らないことを優先させた、ということか
 もしれない。(後略)
  (追伸)米国防総省は20日、中国が南シナ海で先週拿
     捕した米海軍の無人潜水機が返還されたと明ら
     かにした。
      潜水機は、拿捕された場所の近くで米国側に
     返還されたという。
      国防総省は発表文で、国際法で認められた南
     シナ海の海域で、今後も「飛行し、航行し、活
     動する」と述べた。
      中国は15日に、フィリピンのスービック湾か
     ら北西92キロの国際海域で潜水機を海から取り
     上げた(フィリッピンに本当に近い海域)
      これを機に両国は対立し、ここ数十年間の両
     国関係でも特に深刻な事態のひとつと言われる
     状態にあった。
      中国国防省も20日の発表文で、「中国と米国
     が友好的な協議を行った結果、引き渡しは正午
     に滞りなく完了した」と述べた。
      20日の発表文で国防総省は、無人機の拿捕は
     国際法や海上における海軍間の行動規範に沿っ
     ておらず、事実関係の調査を今後も続けると述
     べた。
      専門家らは、今回の対立が、中国が南シナ海
     で軍事活動を活発化させていることへの米国の
     懸念をさらに高めるだろうと指摘した。
.
2017年2月15日、中国が法改正、外国の潜水艦に浮上航行を
 義務付け・・露メディア
  15日、全ロシア国営テレビ・ラジオのチャンネル「ロ
 シア1」は、中国の海上交通安全法改訂について取り上げ
 た。
  領海内を航行する外国の潜水艦には浮上航行を義務付
 けるとの項目が注目を集めている。
  2017年2月15日、全ロシア国営テレビ・ラジオのチャン
 ネル「ロシア1」は、中国の海上交通安全法改訂について
 取り上げた。
  現在、改定案で注目されるのは外国の潜水艦に関する
 規定で・・中国領海を航行する際には必ず海面へ浮上航
 行し、また、中国当局へ航行ルートの申請も必要だとい
 う。
  専門家は、昨年の南シナ海における米軍潜水ドローン
 拿捕(だほ)事件を念頭に置いた改訂だと指摘している。
  改定案では、外国籍船舶が法律、規定に違反した場合
 には当局が違法行為禁止を命令し、領海から排除できる
 と定めている。
  南シナ海や尖閣諸島近海では、中国が領海を主張して
 いるが他国が認めていない海域が多く、海上交通安全法
 改定案は新たな火種となりかねない。
  とりわけ、南シナ海は、大規模な軍事衝突が起きかね
 ないとの懸念が高まっている。
.
2019年頃(2010年代後半)中国海軍は、アメリカ海軍の大
 型空母やイージス艦を撃沈できる精密弾道ミサイル長距
 離巡行ミサイルを、着々と増産してきた。
  これらのミサイルを多数、同時に発射されると、アメ
 リカ海軍のイージス・システムは対抗できない。
  2010年代の後半期になると、アメリカ海軍の空母や駆
 逐艦は「危なくて、東シナ海に近寄れない」という状況
 になる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/


# by suba28 | 2019-03-15 04:06 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)635E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)

題:(増補版)635E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年、演劇
・明治座で歌舞伎役者の初世市川左団次一座が興行した
 (1896年9月25日)
  ちなみに、これが大評判で、25日間の興業切符の全部
 を売り切った・・
  このとき、近所のそば屋の印を押した切手を袋に入れ
 て頭取から配った・・これが、。
  明治座は、1893年に新築されていて、市川左団次(初
 代)は、座元(劇場所有者兼興行総責任者)として近代
 的な劇場経営を行っていた。
  そして、新作物中心の興行を推進していた。
・川上音二郎が、東京神田に川上座を開場した(1896年7月
 2日)
  川上 音二郎(1864年2月8日~1911年11月11日)は、筑
 前黒田藩(福岡藩)出身。
  「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、
 新派劇の創始者。
  この新派劇は書生芝居、壮士芝居と言われ、やがて新
 派となり、旧劇(歌舞伎)と人気を競った。
  1895年に、歌舞伎座の舞台で「威海衛陥落」を上演し
 た。
  歌舞伎の殿堂に素人あがりの役者が出るのは異例のこ
 とだった。
  劇通の人々を驚かせ、市川團十郎は、川上が歌舞伎座
 の桧舞台を踏んだことに激怒し、舞台を削り直させたと
 いう。
  1895年末に、泉鏡花の小説を舞台化した「滝の白糸」
 を浅草座で上演した。
  この作品は新派劇の代表的な演目となった。
  そして、1896年に、東京市神田区に川上座を開場する。
.
1896年、建設
・日本銀行旧館(本館)の建物が完成した(1896年2月29日)
  当初は永代橋のたもとにあったが、手狭のため中央区
 日本橋本石町に移転し、建設された。
  この日本橋は江戸時代から両替商が軒を連ねていた場
 所で、金融機関が集まっていた。
  また、商業の中心地ともなっていた。
  設計:辰野金吾(工科大学:現東京大学工学部)教授
  構造:石積みレンガ造
  外装:花崗岩貼り
  工事費:112万円(当初予算は80万円であったが、この
 時期、物価上昇した)
  着工:1890年9月
  1891年に発生した濃尾地震の被害から建物の軽量化が
 図られた。
  1923年の関東大震災でも被害は無く、建物はびくとも
 しなかった・・ただ、近隣に発生した火災によりシンボ
 ルだった丸屋根が焼け、その後、復元したの屋根が現在
 に至っている。
  ちなみに、2階の廊下には代々の総裁の肖像画が展示さ
 れていたが、関東大震災ですべてが焼失し、現在の肖像
 画は、その後、再製されたもの。
  故人になられていた方は、写真から模写された。
  エレベーターや水洗便所など先進的な設備を取り入れ、
 また、防火シャッターやスチールサッシなど外国製品も
 採用した。
・中央東線の笹子トンネルを着工した(1896年12月9日)
  長さ:4657,3メートル
  幅:4.58メートル
  煉瓦トンネル・石積坑門
  竣工:1902年10月
  日本人技術者による最新技術を駆使した鉄道トンネル。
  日本で初めてトンネル工事用の発電所を設けた。
  それにより、坑内に電灯を点灯し、電話も設備された。
  また、その電力による空気圧搾の削岩機を、はじめて
 電動機の使用によって掘削した。
  また、掘削土砂などの運搬車の牽引を電気機関車を運
 転して行った。
  明治政府によって、当初、東京~京都間の幹線鉄道計
 画は、東海道と中山道の2つのルートが比較検討された。
  その結果、中山道の計画が選択された。
  1871年から踏査され、
  1874年、1875年とイギリス人建築師長R・V・ボイル
 が実施調査を進めた。
  しかし、資金不足のため建設は停滞する。
  1883年に測量を着手し、建設に着手すると、中部山岳
 地帯であること、および、碓氷峠が予想以上に難工事で
 あることが判明した。
  トンネルの掘削、そして、急こう配を克服しなければ
 ならない技術的課題が解決できなかった。
  この頃、トンネル掘削は手掘りで掘られていた。
  1890年代に入ると、工部大学校や東京大学の日本人技
 術者が育って来た・・お雇い外国人に代わって活躍する
 ようになる。
  1892年、鉄道敷設法が公布され、日本の鉄道建設の基
 本方針が確立した。
  また、鉄道の敷設は、経済的観点や軍事的観点からも
 その重要性が確認された。
  海岸線を通る東海道は、海から攻撃される弱点がある
 ため、東京から名古屋へ至る「第二の鉄道建設」が重要
 視された。
  そして、碓氷峠のアプト式鉄道は開通し、新たな長い
 トンネルとなる笹子峠を貫くトンネルが計画・検討され
 た。
  建設費は400万円(現在の金額で230億円)と見積もら
 れた。
  鉄道庁は、トンネル掘削技術が未熟なことから1600メ
 ートルを越えるトンネル工事は避けて来ていた。
  また、アプト方式の経費は4分の1だった。
  しかし、アプト式の欠点は、輸送力が大幅に落ちる事
 だった・・
  碓氷峠で軍事輸送試験まで行った(東京日日新聞、
 1893年8月29日)
  この結果を受け、政府は、中央線の鉄道建設を決定し
 た。
  1896年から中央線の建設工事が始まった。
  そして、この4656メートルの最難関工事の笹子トンネ
 ルの工事の成功か否かが、日本の鉄道建設事業の成功の
 命運を決める工事となった。
  日本の将来の鉄道網の計画に深くかかわる工事となっ
 た。
  大量輸送手段を方針とした鉄道建設事業だった。
  笹子隧道建設工事は、工部大学校を卒業した古川阪次
 郎の設計と監督(監督長)のもとで進められた。
  当時としては、まったく考えられない長い距離の掘削
 だった。
  トンネルの両側から進められた掘削・・古川は積極的、
 そして、意欲的に新しい技術を導入した。
  工事用の自家水力発電所をトンネル出口付近に建設し、
 前記したように、この電力を大いに活用した。
  電気雷管を用いた掘削も用い、三角測量にトランシッ
 トも初めて用いた。
  硬い岩盤と湧水に妨げられ、悩まされ、一昼夜の掘削
 進行がわずか30センチメートルという状況が数か月も続
 いた。
  しかし、予定工期が8年間のところを6年間で完成させ
 た。
  建設費は予定より少ない220万円であった。
  しかし、忘れてはならないことは、難工事だったこと
 もあって、この工事にあたって命を捧げた方が多かった。
  この工事犠牲者の方々の御冥福を祈らなければならな
 い・・この方々の命を犠牲にしてこの難工事は成就した。
  この命のお蔭で成功があり、今・現在の超電導リニア
 モーターカーの日本の誇る最新鉄道技術へとつながって
 いる。
  また、あなた方が、その便利さを、今、享受している
 「この記念碑的な難工事であった笹子トンネル工事で犠
 牲となった方々は100名を超えている」・・この尊い命を
 捧げて戴いた方々のこの人数も、記録から簡単に知る事
 が出来ない状況にと置かれている・・工事に殉じて亡く
 なられた方々をないがしろにしている。。
  また、その後、不運な事に、2018年12月2日、このトン
 ネルの天井版落下事故で9名の方々が亡くなられた。
  『津波の様に天井版が落下して来た』とNHKのニュ
 ースで、この事故に遭遇した方が証言していたが・・
  この証言の事実から分かる様に、隣の天井版が落下す
 る「その天井版を支えきれず」に、その隣の天井版とと
 もに、次々に落下して行ったという事が分かる。
  隣の天井版が落下したからといって、津波の様に次々
 に落ちるような天井版は欠陥である・・問題である。
  これは、天井版を吊るしていたアンカーボルトの耐力
 不足だと明らかに言える。
  ここに問題の根幹があると明らかに言える。
  一か所が落ちて、その隣も一緒に落ちるという支える
 役目のアンカーボルトの性能設計が欠陥である・・最悪
 である。
  このアンカーボルト部を含む吊り下げ部の設計ミスが
 原因である。
  まず第一に、アンカーボルトを上向きに使わせること
 を良しとした規準が良くない・・
  今後、アンカーボルトの上向き使用はさせないように
 しなければならない。
  特に、このトンネルの重い天井版の様な所に使わせた
 という「設計に問題がある」・・
  この重い天井版が、常に車の振動を受け・・
  また、走り去る車の風圧の変化をも受ける・・
  この様な作用による上下動を、常に受けて上下し、ま
 た、振動している。
  この様な作用を受け続けているアンカーボルト・・重
 い天井版は地球の引力も常にかかり、振動と、風圧変化
 の上下動の、それらの促進劣化が、耐力劣化が、進ませ
 られるという状況下にずーっとあった・・
  それが、経年において、アンカーボルトの耐力の維持
 の限界に達して行った・・限界に達し、維持されずに落
 下した・・そして、事故に至った・・
  接着剤で止めるアンカーボルト工法を「上向きに使っ
 て、支える機能を要求した設計の罪」である。
  どんな接着剤や糊でも・・経年において、剥がれるも
 のである・・それに振動などという促進劣化・促進因子
 が働いている・・そして、使われている向きが上向きで
 ある・・
  また、点検を目視検査とさせていたのもミスである。
  目視で分かるはずがない。
  明日、引き抜け落ちるボルトが分かるのだったら、こ
 の目視点検方法を教えてあげなくてはならない・・目視
 で分かるわけがない。
  結局、点検作業のミスにされた不合理がこの事故にあ
 る・・可哀想に・・濡れ衣である・・点検作業の会社に
 罪が着せられてしまった・・この誤った判決も歴史に永
 久に残るだろう。
  「接着剤のぬれ」の問題もある・・科学が進んだとは
 いえ接着剤の工法は信頼性が低いのだ・・など・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:経年劣化しない接着剤があったら『奇跡だ』・・
    いつかは剥がれ・・いつかは落下する・・
.
1910年8月29日、日韓併合条約が公布された。
  日韓は、下記の条文の如く、対等の併合をした。
  NHKや読売新聞などは、「日本が、植民地支配をし
 た」と、日本や、韓国・朝鮮を貶(おとし)めるが・・
 間違い。
  日本は、日本と同等の国となった朝鮮・韓国を、大々
 的な資金投資して、日本と同じような国づくりを目指し
 行った。
  条文・・
  日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下は両国間の特殊にして
 親密なる関係を顧ひ相互の幸福を増進し東洋の平和を永
 久に確保せむことを欲し此の目的を達せむか為には韓国
 を日本帝国に併合するに如かさることを確信し茲に両国
 間に併合条約を締結することに決し之か為日本国皇帝陛
 下は統監子爵寺内正毅を韓国皇帝陛下は内閣総理大臣李
 完用を各其の全権委員に任命せり因て右全権委員は合同
 協議の上左の諸条を協定せり
  第1条:韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権
    を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す
  第2条:日本国皇帝陛下は前条に掲けたる譲与を受諾し
    且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す
  第3条:日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太
    子殿下並其の后妃及後裔をして各其の地位に応し
    相当なる尊称威厳及名誉を享有せしめ且之を保持
    するに十分なる歳費を供給すへきことを約す
  第4条:日本国皇帝陛下は前条以外の韓国皇族及其の後
    裔に対し各相当の名誉及待遇を享有せしめ且之を
    維持するに必要なる資金を供与することを約す
  第5条:日本国皇帝陛下は勲功ある韓人にして特に表彰
    を為すを適当なりと認めたる者に対し栄爵を授け
    且恩金を与ふへし
  第6条:日本国政府は前記併合の結果として全然韓国の
    施設を担任し同地に施行する法規を遵守する韓人
    の身体及財産に対し十分なる保護を与へ且其の福
    利の増進を図るへし
  第7条:日本国政府は誠意忠実に新制度を尊重する韓人
    にして相当の資格ある者を事情の許す限り韓国に
    於ける帝国官吏に登用すへし
  第8条:本条約は日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下の裁可
    を経たるものにして公布の日より之を施行す
  右証拠として両全権委員は本条約に記名調印するもの
 なり
  明治43年8月22日 統監子爵    寺内正毅
  隆煕4年8月22日  内閣総理大臣  李完用
.
1943年頃、アメリカは、この頃から、国際法違反と知りな
 がら日本に対する戦争の戦術を変えた。
  国際法違反の「じゅうたん爆撃という爆弾を大量にば
 らまく戦術」・・一般市民の非戦闘員が、大勢、死ぬと
 分かっていても、この戦術を取るようになった。
  また、「集中砲火という弾幕を張るという戦術を取る
 ようになった・・
  それまでは、銃弾の命中率を上げるというやり方をし
 ていたが、それを放棄した。
  誰が死のうが構わないという戦術を取るようになった。
  また同様に、「火焔放射器という何もかもを焼き尽く
 すという戦術を取るようになった・・
  自分以外は何でもよいから焼き払ってしまえという戦
 術を採用した。
  スペインが、南米などで「人ではない」とキリスト教
 のローマ法王(教皇)に言われて先住民のインディオの
 有色人種の方々を殲滅し全滅した考え方とまったく同じ
 考え方の方法だった。
  アメリカは、この様な挙げ句に「原爆を投下した」。
  当然、すべてが、何もかもが、蒸発して無くなった。
.
1943年、日本の努力・貢献で、大韓帝国(朝鮮王朝)の平
 均寿命が倍増した・・また、人口も倍増(2.6倍)した・・
  朝鮮・韓国の種々の事々が、目覚ましく改善した・・
  小学校数は、何と860倍となった・・
  NHKは、日本を貶(おとし)めてばかりいるが・・
  NHKは、日本が朝鮮・韓国を植民地支配したと放送
 をする・・これは大間違い。
  植民地支配は、英語で「コロナイゼーション」
 (colonization)と言い、文明の劣ったところへ行って
 収奪・搾取(さくしゅ)すること。
  ここには、現地を繁栄させるという考え方は、まった
 くない。
  日本が、朝鮮・韓国でしたことは「アネクゼーション」
 (annexation)であり、併合で、合併の意思があったが、
 当時の朝鮮・韓国の国力が劣り過ぎていて、この合併の
 形がとれず、この国力のあまりに違うことから併合とい
 う形となった。
  これは、植民地の形とはまったく違う。
  併合された地域と人々が繁栄する様にして、一つの国
 として運営された。
  ヨーロッパやアメリカが、アジアやアフリカでやって
 いたことは「コロナイゼーション(colonization)」で
 あり植民地支配で、植民地の人を使役して、搾取した。
  日本は、世界で唯一、『植民地支配しない国』であり、
 朝鮮や台湾で植民地支配をしていない。
  現地を繁栄させようとした日本だった。
  その結果、経済が発展し、また、教育や人口なども飛
 躍的に大きく発展した。
  日本は、日本の資金を持ち出し、必死に、資本を赤字
 覚悟で投下した。
  朝鮮・韓国の人口が、980万人から2500万人にびっくり
 するほど増加している(2.55倍)
  また、平均寿命は、24歳から48歳と倍に伸び、日本人
 並みになった(2倍)
  また、経済も年平均4%の経済成長率を記録した。
  また、日本は、教育熱心な国であり、分け隔てなく学
 校・教育へ投資した。
  併合時は、たった5校に過ぎない朝鮮・韓国の小学校数
 は、1943年には、約4300校の860倍という驚くべき増加ぶ
 りを示した・・
  すべての朝鮮・韓国の村々に、小学校を建設して差し
 上げた。
  また、兵役への志願状況を見ると、1938年に、朝鮮の
 志願兵制度が導入されたが、この年は、志願者が3000人
 に対して、合格者は406人で7倍の競争率だった。
  1944年の徴兵制施行の前年の志願者は、約30万人、合
 格者は6300人と50倍という高い競争率だった。
  この徴兵制度で徴兵された朝鮮の兵士は、ほとんど実
 戦の経験をすることなく終戦となった。
  尚、靖国神社には3万柱の朝鮮兵士が祀られている。
  日本と朝鮮は、同等の立場で一体となって戦った・・
 それを、卑劣にも戦後になって、韓国政府は「戦勝国だ」
 と何度もしつこく主張した。
  しかし、この主張は、アメリカに、その度ごとに何度
 も退けられた・・当然である。
  韓国という国は、この様に明らかに筋が通らないこと
 (嘘を)を言う国である。
  この様に、嘘を言うことを恥ずかしいと思わない国で
 ある。
  3・1に戦争反対・朝鮮独立のデモがあったとされる
 が・・デモを許す日本の公平さ・自由さもあったのだろ
 うが・・
  あまりにも針小棒大に誇張して、韓国政府が音頭を取
 って誤認混同させている。
  大多数のほとんどは、朝鮮・韓国の兵士の志願者数の
 データーを見る如く・・
  朝鮮・韓国は大挙して日本と一体となって戦っていた
 状況であった。
  何しろ、日本は、誠実に、何事も分け隔てなく朝鮮・
 韓国の国づくりをしていて、日本は、何処の国も植民地
 支配など微塵もしていない国である。
  NHKが、日本が植民地支配をしたと放送するのは、
 日本を貶める行為となっている。
  NHKは、この様な放送の仕方で日本を貶め、世界を
 繰っている。
.
1971年10月25日、国連の中国代表権は、中華民国政府(台
 湾)が有していた・・
  しかし、国連総会で中華人民共和国の中国代表権が認
 められ、台湾は追放されてしまった(アルバニア決議)
  1971年10月、国連総会で、アルバニアが提案した中華
 人民共和国の中国代表権を認め、中華民国政府(台湾=
 国民政府)を追放する決議が採択された。
  これによって中華人民共和国は、国連の常任理事国と
 して国際社会に登場することとなった。
  1949年、中華人民共和国が成立すると国連の代表権が
 問題となり始めた。
  安全保障理事会の常任理事国という重要な地位に、わ
 ずかに台湾だけを支配するにすぎない中華民国政府がつ
 いているという事態が問題とされた・・戦勝の歴史があ
 る台湾・国民政府がないがしろにされた・・戦勝国と敗
 戦国の理念で出来ている国連の根幹が無視された・・大
 きいとか小さいとかの問題ではない。
  ソ連は、中国代表権をただちに新政権に変更すべきで
 あると安保理で主張した、
  それに対して、アメリカは、強硬に台湾支持を続けた。
  ソ連は、安保理をボイコットする戦術をとったがその
 間に朝鮮戦争が勃発した。
  1953年の停戦後も、ソ連は代表権変更、台湾追放を主
 張した。
  1950年代の東西冷戦の深刻化した中で、中国代表権問
 題が激しい対立点となった。
  1956年、平和共存の状況となり、日本その他の諸国が
 国連に加盟した。
  加盟問題は安保理の事項であるが、代表権の変更であ
 るので、舞台は総会に移されることとなった。
  アメリカは、日本などと結んで総会で重要議案(議決
 に3分の2以上が必要)に指定し、台湾追放を阻止しよ
 うとした。
  しかし、1960年代に、新たに独立したアフリカ諸国な
 どの加盟によって、アメリカ・日本は少数派に転落した。
  カナダなどの諸国の寝返りの中国承認が続き・・
  ついに・・1971年の総会で代表権変更、台湾追放が採
 決された。
  こうして中華人民共和国は、安保理の常任理事国とな
 り、世界の大国の一つと位置づけられることとなった。
  国連の中で、アメリカとそれに同調する日本などのグ
 ループが少数派になった・・その様な転換の中にあった。
  このような時、アメリカの外交戦略を練っていたキッ
 シンジャーは、その状況を予測し、日本には同意を得ず
 に(日本の頭越しに)米中の関係改善をはかった。
  同年・1971年、北京を訪問し、さらに
  翌・1972年、ニクソンの訪中が実現して・・中国を一
 つの国家と認めてしまった。
  そして、今、中国は、国際司法裁判所が否定しても南
 シナ海を占領し、軍事基地化はしないと表明していても、
 結局は、その言葉を嘘として、「しっかりした中国軍の
 基地としてしまった」。
  アメリカ軍も近づけない領域としようとしている。
  そして、1971年に、安保理の常任理事国から中華民国
 (台湾)が外された時をもって、第二次世界大戦後の国連
 という『そもそもの理念が消えた』・・
  そして、この時から別の国連が始まった・・
  もはや、戦後ではなくなったのだった・・
  ならば、国連も、戦後ではないという国連にならねば
 ならない・・
  化石のように存在する「敵国条項」を廃棄せよ!・・
  日本やドイツを「敵国とする条項は陳腐化している」。
  むしろ、覇権主義の中国や北朝鮮が敵国条項に入るべ
 き様相となっている。
  この不合理が解決しないならば、日本は、国連分担金
 の支払いを再考せよ・・もしくは、停止せよ!
.
2005年5月、犯罪の多NHK・・NHKの番組制作局の美術
 デザイン職員が自分で制作したコンピューターグラフィ
 ックスを装って制作費約470万円を着服した。
.
2014年9月初め、ウクライナ政府と親露派の間で停戦合意が
 成立したにもかかわらず、東部ウクライナは戦闘が散発
 的に続くという状態にあった。
.
2014年9月、アメリカ(有志連合)による「イスラム国」へ
 の空爆が始まった。
  中東は一挙に戦争状態となった。
.
2017年1月4日、中国での通州事件で、大勢の日本人住民が
 殺されたが、この日の産経新聞が、この事件は中国共産
 党の関わった、中国共産党に先導されて起きたことが判
 明したと報じた。

2019年2月27日、アメリカ国債をせっせと「買ってあげてい
 る日本」。
  アメリカは、国債を売って金を得ないとやって行けな
 い赤字国だ。
  日本が、その国債を買って支えている。
  しかし、このアメリカ国債が始末が悪い。
  値下がりするからである。
  円高ドル安で「どれだけ日本は損をした事か?」。
  逆に、アメリカは得をしている。
  日本に支えてもらっているアメリカとなっている。
  アメリカから買ってあげたアメリカ国債は、大雑把に
 言って『半値以下』になっている。
  そして、2019年2月27日の読売新聞に・・
  トランプ大統領の政策の影響で、アメリカ国債が売ら
 れていて、その金(かね)で金(きん・ゴールド)が買
 われているという・・
  経済アナリストの豊島逸夫氏が、以下の文を書いてい
 る。
  題:国家的「金・ゴールド」保有増に走る中国・ロシア
  中国、ロシア、そして、新興国が、外貨準備の中で、
 金を買い増し、ドル保有を減らしている。
  基軸通貨ドルへの信認が低下しているからだ。
  トランプ大統領の政策の結果、アメリカ国債が増発さ
 れる可能性が強いと考えられている。
  アメリカ国債の格下げのシナリオも語られていて、ロ
 シアや新興国が、ドルに代わるものとして、金を買って
 いる。
  さらに、中国は3兆ドルを超すダントツの世界最大外貨
 準備保有国となっていて、その大半が、対米貿易で稼い
 だドル。
  その結果、中国はアメリカ国債の最大保有国となった。
  そこで、中国人民銀行は金準備を増強させている。
  尚、アメリカ国債は、米中貿易戦争で中国の「武器」
 にもなっている。
  中国が、アメリカ国債をニューヨーク市場で売れば、
 ドル金利は急騰し、マーケットは大混乱に陥る。
  中国側の視点に立てば、金は発行国が無い「無国籍通
 貨」ゆえ、ナショナリズムの臭いがしないので、外貨準
 備として保有するには好都合・・
  大統領の言動で発行国通貨の信認が揺らぐこともない。
  ユーロ危機の時は、欧州国債が売られる中で、国際金
 価格が市場最高値をつけた事例もあった。
  そもそも金本位制は、過去の遺物となったが、各国は、
 下の表のごとく大量の金を外貨準備として保有している。
  アメリカは、「金廃貨(金は通貨にあらず)」を掲げて
 いるのに、外貨準備として8000トン以上の金を依然保有
 している。
  対照的に、外貨準備における金の割合が異常に低い国
 が日本。
  アメリカ国債の保有を減らし、「金買い」に走ること
 を控えて来た(誠実な日本・・忠実な日本)
  トランプ大統領は「ドル安」を好んでいるが、アメリ
 カ国債を売られても困る。
  米国に遠慮することなく、金で資産防衛できるのが、
 個人投資家。
.
  国別公的金保有量ランキング
.............金準備..外貨準備に占める金の割合
....米国......8133(t).....74.8%
....ドイツ....3369........70.1
....IMF....2814........----
....イタリア..2451........66.3
....フランス..2436........60.2
....ロシア....2113........18.5
....中国......1852.........2.4
....スイス....1040.........5.4
....日本.......765.........2.5
....オランダ...612........65.6
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-03-08 04:50 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)634E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)

題:(増補版)634E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年1月~1896年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1896年、出来事:
・第5代第2次伊藤博文内閣(~1896年8月31日)
・伊藤博文の単独辞任により黒田清隆が臨時兼任(1896年
 8月31日~1896年9月18日)
・第6代第2次松方内閣(1896年9月18日~)
 松方内閣第十議会(氷川清話)
・拓殖務省台湾府を置く(氷川清話)
  台湾事務局関係事務と北海道拓殖事務を統轄する機関
 として拓殖務省(たくしょくむしょう)が設置された。
・日清通商航海条約調印(1896年7月21日、10月20日実施)
  下関条約に基づいて結ばれた。
  領事裁判権・協定関税・最恵国待遇を含む欧米諸国と
 同一内容の条約。
  日清両国人の共同経営事業についての規定、日本人の
 登録商標・著作権保護の規定などを定め、追加条約も締
 結した。
・北海道鉄道敷設法の公布(法律第93号)(1896年5月14日)
  北海道の予定線6路線が制定された。
  「北海道官設鉄道」を整備するなかで、十勝線・天塩
 線・釧路線・富良野線・根室本線・宗谷本線などが次々
 と開通した。
  産業の発展、人口の拡大とともに鉄道は、北海道全域
 へと広がりをみせた。
・民法が公布された(1896年4月27日)
  明治29年法律第89号によって、民法第一編・第二編・
 第三編(総則、物権、債権)が定められた。
・郡司成忠(ぐんじしげただ)らが、再び、千島列島の最
 北の占守島(しゅむしゅとう)に上陸した(1896年8月)
  (参考)郡司成忠:日本海軍軍人、探検家、開拓者。
     1860年12月28日~1924年8月15日、
      開拓事業団「報效義会」を結成し、北千島の
     探検・開発に尽力した。
      小説家の幸田露伴は弟。
.
1896年、世界情勢
・朝鮮で露館播遷(ろかんはせん)(1896年2月11日)
  (参考)播遷:はせん、遠くさすらうこと。
  朝鮮国王がロシア公使館に移らされる・・
  朝鮮政府に好き勝手をしていたロシアの横暴。
  朝鮮の政治家の金允植(キム・ユンシク)は、穏健な
 開花的な人物だったが(科挙の試験にも合格し才能ある
 人物)・・、この時、朝鮮に親ロシア政権が成立させら
 れると、親日派だとして済州島に流刑された。
  この年、朝鮮民衆の抵抗行動が起きる。
・小林・ウェーバー覚書が成立(1896年5月14日)
 ソウルにおいて、日露間で朝鮮問題に関しての討議結果
 の覚書が締結された。
  ロシア公使館に幽閉的に居る朝鮮国王の還宮(げんぐ
 う、宮を元にもどす)の実現について・・など
・日露で山縣・ロバノフ協定(1896年6月9日)
  ロシアの干渉などで、李氏朝鮮の不安定な政治情勢が、
 日露間に種々の軋轢となっている・・そこで・・
  日露間で協定を結び、互いに朝鮮の独立を確認し合い、
 そして、朝鮮の立場を保証することを約した。
  また、朝鮮財政の悪い状態の改革を促進することを約
 した・・その他・警察・軍事・電信線維持などを約した。
・朝鮮の改革派が、独立協会を組織し、ロシアの横暴に対
 して立ち上がった(1896年7月)
  ロシアの横暴に対する反動・・
  軍事、財政、人事権にまで干渉するロシアを排除する
 ため、市民も参加し、万民共同会が開催され、多くの成
 果を上げた・・最初、懐柔策がとられるが・・しかし、
 結局、弾圧を受けて行く・・
・露清密約(1896年6月3日)
  李鴻章・ロバノフ協定ともいい、ロシアと清との間で
 秘密条約が結ばれていた。
  (ロシア側の代表は、外務大臣のロバノフと、財務大
 臣のヴィッテ)
  内容は、ロシアと清のいずれかが、日本と戦争になっ
 た場合、参戦の義務を負うという秘密条約だった。
  この条約の結果、この後に起きる日露戦争に、中国も
 参戦していて・・故に、実際は、日露戦争ではなく、日・
 露中戦争の状態となっていた。
  この秘密条約は、日露戦争(日・露中戦争)の原因の
 一つとなっている。
  ロシアは、この秘密条約の締結によって、大幅に満州
 地域の権益を中国・清に認めさせた・・不平等な条約(
 ロシアが東清鉄道敷設権を獲得)
  これは、ロシアが三国干渉で日本から遼東半島を取り
 返したことへの見返りという要求の仕方で、実現したも
 のだった。
  この東清鉄道は、シベリア鉄道のチタ(ザバイカリエ
 地方の首都)から分岐して、満州の西北の満洲里(まん
 しゅうり)から東南の綏芬河(すいふんが)の間を横断
 し、ウラジオストックに至る本線と、中間のハルビンか
 ら遼東半島の旅順・大連を結ぶ南満州支線からなってい
 る・・ロシアの広域な作戦行動ができる計画・・ロシア
 の支配権を強烈に実施し得るように計画された。
  この年に、ロシアは本線の施設権を得て・・そして・・
  支線は、この後の1898年に、イギリス・フランス・ド
 イツ・ロシアの列強4か国が、中国分割をした時、ロシア
 が得た遼東半島南部の租借権とともに、敷設権を清に認
 めさせた。  
  (参考)中国分割:ドイツは膠州湾、イギリスは威海
     衛と九竜半島北部地域、ロシアは旅順・大連、
     フランスは広州湾というように・・
      この列強4ヶ国が、中国のそれぞれの租借地
     好き放題に獲得した。
・プレッシー対ファーガソン裁判
  黒人の方々の努力して得た既得権利を無効化して人種
 差別を認めた裁判(1896年5月18日)
 「分離はするが平等」の屁理屈判決だった。
・イエロー・ジャーナリズムの競争が熾烈となる・・
  日本も、この嘘報道に大いに影響を受けた。
  「イエロー」は、「ニューヨーク・ジャーナル」と「
 ニューヨーク・ワールド」が「イエローキッド」の色刷
 り漫画を奪い合って掲載した事から名付けられた・・が・・、
  煽情的な、そして、興味本位の新聞編集と記事を売り
 物として・・嘘も交えて記事にするという破廉恥な報道
 だった。
・アラスカで金鉱が発見された。
  アラスカを、アメリカはロシアから購入(1867年3月
 30日調印)したが・・、
  そのロシアへ投資した720万ドルで買ったアラスカで、
 1896年、金鉱が発見された。
  また、この金鉱だけではなく「資源の宝庫」であるこ
 とが判明した。
  買った当時、国務長官のウィリアム・H・スワードは、
 「巨大な保冷庫を購入した」とアメリカ国民に非難され
 た。
  当然、資源の発見でスワードの評価が高いものに変わ
 った。
・フィリピン革命(1896年8月23日)
  フィリピンでカティプーナン党の反乱
  アメリカの卑劣な裏切りの嘘つき行為が行なわれた・・、
  フィリピンの方々は、一生懸命にスペインと戦い、ア
 メリカの味方をした・・血を流した・・が・・アメリカ
 の裏切りで、フィリピンの方々は、この卑劣なアメリカ
 とまた戦うということとなった。
・フランスがマダガスカルを植民地化した(1896年8月6日)
  フランスは、自国な強大な武力を背景に、アフリカ西
 部、インド洋上の島々、東南アジアなどをフランス領と
 し、また、植民地とした。
  その解放は、第二次世界大戦後の日本の戦いの後とな
 る。
・イギリス・ザンジバル戦争(1896年8月27日)
  この戦争は、38分から45分で終了し、史上最短の戦争
 と言われている。
  この様に武力差の大きい状態の弱小相手を牛耳るとい
 う卑劣さだった。
  イギリスが、国益を得ようとした戦争。
・第一次エチオピア戦争: アドワの戦い(1896年3月1日)
  イタリアのエチオピア征討軍が、アドワで大敗した。
  エチオピア軍の輝く勝利・・白人の横暴を挫(くじ)
 いた。
.
1896年、データー
・都市の人口:東京134万2,152人(別データ136万5,068人)、
 大阪49万人、京都33万9,896人、名古屋20万9,270人
・華族の数:2,745人、
・紡績工場の数:63、
・米一石の値段:約9円~10円、
・電気事業者:火力発電23カ所、水力発電7カ所、水・火力
 併用3カ所、
・電灯数12万余
・特許法を施行して十年が経た。出願は1万に達した。
  (時事新聞が、くだらないものばかりと報じた)
.
1896年、産業
・川崎造船所(後の川崎重工業) が設立された(1896年
 10月15日)
・日本で初の電力会社・東京電灯が営業を開始した(1896
 年7月5日)
・東京電灯・浅草発電所で国産初の発電機を使用した。
・電気事業取締規則が公布された(逓信省令第5号)
  電気事業の創業当初は,電気工作物に対する保安取締
 りが主たる行政だった。
・電気事業者の監督行政が全国統一化
.
1896年、経済
・ダウ平均株価が初めて発表される。
 ダウ・ジョーンズ社が開発した。
 当初は12銘柄による平均株価としてスタートした。
 この頃から今でも残っているのはGEの1銘柄だけ・・
 でも、長い歴史の中で、GEは構成銘柄から2回外れた。
.
1896年、交通
・台湾総督府鉄道局告示(1896年7月3日)
  台湾鉄道会社を、1896年5月に発起し、南北縦貫鉄道建
 設を請願し、政府もこれを許可したが、株式募集は進展
 しなかった。
  総督府の後藤新平民政長官は、重要事業の鉄道建設は、
 民間会社では不可能と判断し、公債を募集したりして積
 極的に進めた。
・東海道線の本格的な改良工事に着手した。
  この年度から7か年継続事業として可決された。
・衆議院議員・望月右内は、政府提出案と並んで鉄道敷設
 法第2条の改正案を議会に提出(未成立)
・軌制取調委員、広軌・狭軌の得失をはじめ広軌改築の方
 法および経費など審議。
・仙石貢「広軌鉄道ニ関スル意見」、南清「広軌鉄道ニ係
 ハル意見」、白石直治「広狭軌道比較論」を軌制取調委
 員に提出。
・東京中野に鉄道大隊編成(陸軍)
・山陽鉄道兵庫工場で1B1形タンク機関車(のちの850形)を
 製作。
・日本郵船が、欧州定期航路を開設した(1896年3月15日)
  そして、日本郵船は、また、豪州航路を開設(1896年
 10月)
  2年間の激しい競争の末、日本郵船のボンベイ航路は、
 国際的に認められ、近海の海運から遠洋の海運へと事業
 は拡大して行った。
  続いての挑戦したのが・・欧州航路だった。
  日本郵船は、1896年、ロンドン支店を設置し、土佐丸
 をヨーロッパに向け出航させた。
  しかし、またしても欧米の海運会社による組織が、既
 得権を主張し、復路(東航)のロンドン、往路(西航)
 の上海寄港を阻止してきた。
  最大の貨物集積地に寄港できないことはビジネス上大
 きなマイナスだったが、その相手を刺激すればビジネス
 そのものができなくなる。
  屈辱的な条件のもとで、運航を続けながらも、日本郵
 船は船隊の拡充を進めて行った。
  信濃丸を含む13隻が揃い、総トン数で欧州海運会社に
 匹敵する体制ができあがって行く。
  こうなっては対抗相手側も、日本の海運を対等の競争
 相手と認めざるを得なかった。
  1902年、日本郵船は、欧州極東往航同盟への正式加入
 を果たした・・これを契機に、海外への航路網を飛躍的
 に伸ばして行った。
.
1896年、論・文学・本
・宮沢賢治が岩手県に生まれた(1896年~1933年)
・立花銑三郎がダーウィンの著作を「生物始源(一名種源
 論)」という題で、日本初翻訳した(1896年3月22日)
  夏目漱石と同級生で、また、行く時期はずれたが、共
 に、ドイツとイギリスへ留学している・・そして、その
 翌年(1900年)、遅れて来た漱石と対面している。
・樋口一葉が亡くなる(24歳)
  才能ある女性・・その才能が輝いた一時を「奇跡の14
 ヶ月(1年2ヶ月)」と言われている。
  才能の輝くこの女性は、母より2年も早く、惜しくも24
 歳の若さで世を去った・・樋口家の菩提寺である築地本
 願寺別院で眠っている(後に、杉並区永福の築地本願寺・
 和田堀廟へ)
  一葉の妹・くには、一葉の草稿・日記・反古紙の保存・
 整理に尽力されている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:満州人が居なくなった理由は、中国は人民浄化を
   していた・・不明だったことが判明した・・
.
325年、ニーケア公会議。
  公会議は、キリスト教の最高の会議である。
  この年、ニーケア公会議という会議が開かれて、何を
 討論し、何を決めたのか?と言えば・・、
  「イエスは、人か?」、または、「神か?」という議
 題だった。
  討論の結果、「人だ」としたアリウス派は、異端とさ
 れ、キリスト教ではないと放逐された。
  そもそも、神らしさのないイエスに問題があったのだ
 ったが・・この後、イエスの神格化が進められた。
  そもそも、イエスを書いた「福音書」が、「ただの人
 間のように書いているから問題があったのであって」、
  最近でも、キリスト教は、「尊敬語」や「丁寧語」に
 福音書を書き改めようと、最近になって書き改める事を
 決めたくらいであった。
  キリスト教の信仰の基本であるキリスト教の聖書は、
 「無謬だ」と言って「間違いは少しも無い」と言ってい
 ながら、よく書き改められる。
  ある宗派は、キリスト教の聖書を、全面的に書き換え
 たくらいである。
  4つある福音書も、イエスの捉(とら)え方は、まち
 まちで、皆、好き勝手な立場でイエスを描いている。
  故に、書かれてから200年以上も経って、公会議を開
 いて、討議し、決定しなければならない羽目になったの
 だった。
  イエスは、「主(神)」を祈った。
  故に、この一神教で良い訳なのだが?
  この300年も後に、イエスも神となった。
  キリスト教の神だとされた。
  二神教である(主とイエス)。
  しかし、キリスト教とは、この様に、キリスト教の根
 本が、コロコロと代わる宗教なのだが?
  (何が無謬だと問いたい・・が?)
  だが・・この後・・また・・
  「聖霊」なる不思議なものが浮かび上がる。
  「この聖霊も放っておけない」という話になった。
  この聖霊は、「主(神)の意思を、奇跡の形で伝える
 不思議なものなので、放っておけない」という訳だった。
  そして、三神教となる。
  しかし・・このおかしさ?を・・一神教に戻す話を、
 アタナシウスが行なった。
  あみ出されたのが、「三位一体神」である。
  「三つの神は一神なのだ」という話(説?)である。
  今・現在、キリスト教は、この形の神をキリスト教の
 神だとしている。
  しかし、キリスト教の最高の立場にいるローマ法王が、
 銃弾に撃たれて倒れた時、命は取り止めたが、この時、
 このローマ法王の言った言葉が、「黒マリア様に命が救
 われた」だった。
  ローマ法王は、「三位一体神のお蔭だ」とは言わなか
 った。
  毛また、次なる一つの神が、キリスト教に出現した瞬
 間だった。
  325年のニーケア公会議で決定がなされたが・・、
  それ以後のキリスト教の内部では、この様な大事な根
 本の信仰対象の神に対して、この様にごたごたと揉めて
 いた。
  その最初が、約60年後の381年に、再度、コンスタンテ
 ィノーブル公会議で、再確認がなされなければならない
 という状態がすでにあった。
  やはり、キリスト教の信仰の根本の神の形のごたごた
 話しだった。
  この後、キリスト教という宗教によって、多くの有色
 人種を含む「種々の人々」が、殺戮されるという歴史が
 展開する・・
  このようになるとは、誰も予測はしていなかった・・
.
15世紀、ヨーロッパに魔女裁判が起き、盛んになって行く。
  拡大するキリスト教の資金集めからの行為だった・・
  ヨーロッパの中世の末の15世紀には・・、
  悪魔と契約してキリスト教社会の破壊を企む背教者と
 いう新種の「魔女」の概念が・・
  キリスト教聖職者によってつくられ・・生まれた。
  そして、それとともに、最初の大規模な魔女裁判が、
 キリスト教の教会内に作られ、起った。
  初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて・・
  『魔女熱狂』とも、『大迫害時代』とも、呼ばれる魔
 女裁判の最盛期が到来した。
  (資 料ー1) : 
  女性の悲劇の到来だった・・
  ヨーロッパ・キリスト教国の女性には、拷問を伴う魔
 女裁判という怖ろしい、そして、悲しい歴史がある。
  中世の女性方は、震え怯えて過ごしていた・・
  今、日本では、「美魔女」などと、安易に魔女という
 言葉を使っている・・が・・
  題:キリスト教国における、キリスト教による魔女裁
 判
 16世紀のなかば、トレドのキリスト教の異端審問で、
 エルヴィラ という人妻に対して行われた「尋問」のその
 経過を、忍耐強い書記が、被告の悲鳴や絶叫にいたるま
 で、細大洩らさず書きとめた長文の記録がある。
 そのキリスト教の裁判には、拷問が必ず行われた。
 以下その『一部』・・
 ・・(エルヴィラの両腕を縛った綱がさらに締め付けら
 れ、捻じられる。悲鳴。)
  「裁判官さま。何を申し上げたらいいか、言ってくだ
 さい。私がどんなことをしたのか私にはわからないので
 す。綱をゆるめてください、本当のことを申しますから。
  何を言えとお望みなのか、私には分かりません。おっ
 しゃってください。その通りに申します。」
  (さらに綱が締められる。「真実を言え」と迫られる。
 「どう言ったらいいか教えてください。何でも申し上げ
 ますから」と彼女は繰り返す。)
  (「おまえは豚肉を食べただろう」と誘導される。)
  「いいえ、食べた事はありません。豚肉を食べると私
 は気持ちが悪くなるのです。豚肉は好きじゃないんです。
 私は何も悪い事はしていないんです。どうぞ放して下さ
 い。何でも申しますから。何を申し上げれば宜しいので
 すか。何を言ったらいいのか分からないんです。言って
 下さい。何でも申します。放して下さい。何でも申しま
 す。・・・言って下さい、言って下さい。」
  (綱はゆるめられず、「キリスト教カトリック教会に
 そむく事をしただろう」と尋ねられる。)
  「放して下さい。・・・(うめき声)・・・ここから
 おろして下さい。何を言ったらいいか、言ってください。
  ああ・・・苦しい。
  お望み通りのことをみんな申し上げますから・・・。
  裁判官さま、もう腕が砕けます・・・。ゆるめてくだ
 さい・・・」
  (「お前がした事を詳しく言え」と迫られる。)
  「何を申し上げたらいいのか・・・。そうです、いた
 しました。
  なんでもいたしました。・・・ああ、ゆるめて下さい。
 申し上げねばならない事が、私には思い出せないんです。
 弱い女の身です。腕が砕けそうです。弱い女に、憐れみ
 をお持ちではないのでしょうか。・・・」
  (裁判官は、「本当の事を言えば憐れみを持つであろ
 う」と言う。)
  「裁判官さま、言って下さい。本当の事というのを教
 えて下さい・・・。
  (泣きむせぶ)・・・分からない・・・何を言ったら
 いいのか・・・。」
  (同じ言葉の繰り返しと拷問が続いたのち、「おまえ
 は土曜日に麻の着物を着替えただろう」と尋ねられる。)
  「はい、着替えました。着替える時が来ていたからで
 す。悪意があっての事ではありません。何をお考えにな
 っているのでしょう。・・・」
  (裸にして拷問台に寝かされる。四肢は四方に、綱で
 引っ張られる。口に水管が差し込まれ、水差しから水が
 注がれる。その合間合間に彼女は前と同じことを繰り返
 えされる。ここで、拷問は一時「中断」。)
  それから4日後、拷問は再開された。              
             岩波新書「魔女狩り」より
  (資 料ー2):
  魔女にした女性を裁くキリスト教裁判所・・、
  そのキリスト教聖職者の裁判官は、魔女にされた女性
 が、焚刑になる前の日、「天国へ召されるように」と、
 魔女にされた女性の体を奪う。
  結局、自分の子と一緒に魔女にした女性を殺す事をす
 るキリスト教聖職者。
  キリスト教聖職者の子を宿して魔女にされた女性は、
 公衆の面前で焚刑で殺される。
.
16世紀、キリスト教の宗教改革派は、聖母崇拝を廃止し、
 禁止した。
  しかし、逆に、キリスト教カトリックは、これを奨励
 した。
  ローマ・バチカンから発信された聖母像が世界的に伝
 播させる行為を行なった。
  そして、それが、日本に入って来た。
  また、キリスト教カトリックのスペイン人は、その聖
 母像を持って、南アメリカなどメキシコからアメリカ大
 陸の南端まで50年間におよぶ、殺戮の侵略をする。
  土着文化を破壊し、先住民の住民の方々を殲滅して行
 く・・そして、先住の民を奴隷にし・・自己の利を求め
 て「征服し」「土地を奪い」「奴隷取引をした」。
  16世紀半ばから末に、日本へ聖母像(マリア像)を持ち
 込んだ。
  16世紀~17世紀、布教において聖母像を多く利用した。
  それは、それが効力を発揮するからと・・やった。
  また、それは、節操なく土着の宗教と習合した・・
  自分の宗教を守ることに対して、節操なく破った・・
 キリスト教は大地女神信仰となった。
  自らのキリスト教教義には無頓着だった・・都合が優
 先した。
  そして、マリア像も節操なく変形を遂げた。
  キリスト教が、ヨーロッパへ浸透する際も、あちこち
 の土着のヨーロッパの土着の宗教と習合し、同時に、土
 着のケルト人の方々を駆逐し殺戮した。
.
1776年7月4日、アメリカの独立を宣言する文書が採択され
 た。
  イギリスによって統治されていた北アメリカの13の植
 民地が、独立したことを宣言する文書が、この日(1776
 年7月4日)、大陸会議によって採択された。
  7月4日は、「アメリカ合衆国の独立記念日」とされて
 いる。
  そして、アメリカの歴史が始まる・・が・・
  アメリカの歴史は、アメリカ政府とロスチャイルドな
 どイギリスの銀行家との通貨発行を巡る戦いだった。
  18世紀のこのアメリカの建国以来、20世紀の初頭まで
 その長い戦いはなされた。
  しかし、巧妙に戦ったロスチャイルド側の勝利に終わ
 った・・アメリカ政府は敗れた。
  1913年に、ロスチャイルド系銀行を中心とする国際銀
 行家たちが、中央銀行の設立に成功してドルの発行権を
 握った。
  アメリカ中央銀行は、FRB、連邦準備銀行、連邦準
 備制度理事会などの呼び方がある。
  これは、100パーセントの民間銀行である。
  株主は秘密にされているが、種々の情報から「ロスチ
 ャイルド系銀行」が主な株主である。
  これが、世界の基軸通貨の米ドルを印刷し、発行権を
 持つ者となっている。
  どんどん刷ってもよく、そして、刷って世界の皆に渡
 している。
  毎日、値動きする交換レートで日本円にも替えられる。
  「打ち出の小槌(こづち)」現象となっている。
  あなたの家にも、この様な輪転機があったら、嬉しい
 でしょう・・?
.
1895年11月28日、春生門事件
  朝鮮の露米両公館に潜伏していた李範晋・李学均・李
 允用・李完用、侍衛隊教官アメリカ人ダイ、アメリカ人
 宣教師等は、朝鮮王・高宗を強引に奪った・・、
  また、金弘集総理らを殺害しようとしたカウンター・
 クーデターをした。
  親衛隊大隊長の李軫鎬の内通により、失敗に終わり、
 ロシアの公使館やアメリカの公使館に逃げ込んだ。
.
2019年、満州人が居なくなった理由は、中国は人民浄化を
 していた・・不明だったことが判明した・・
  それは、満州人の男だけを移住させて・・、
  女性だけが残った満州へ、漢民族の男を送り込んだ。
  そのことを強制的にしたので満州人が居なくなってし
 まった。
  それを、今・現在、チベットやウイグルや内モンゴル
 がやられているという。
  https://www.youtube.com/watch?v=u2xw-Ma9ysY
.
2019年2月19日、杉原千畝の記念碑が撤去された。
  キリスト教が、杉原千畝がキリスト教徒だとして美化
 して来た杉原千畝のイスラエルの記念碑が撤去された。
  「ユダヤ人の恥だ」という批判があった。
  この日の読売新聞が伝えた。
  ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救ったとして、イ
 スラエル中部ベトシェメシュに設置されていた外交官の
 杉原千畝の記念碑などが撤去されていることが判明した。
  地元メディアは「ユダヤ人の恥」などと批判した。
  記念碑の設置は、イスラエル政府が1985年、戦時中に
 ユダヤ人を救った人として杉原千畝を顕彰した事を受け
 て行なわれた。
  松なども数百本を植樹した。
  式典には、杉原氏の親族ら約40人が出席した。
  しかし、今年1月、記念碑などが無くなっていることに
 ユダヤ人関係者が気づいた。
  調査をすると、約10年前に記念碑は撤去され、植えた
 林の一部も伐採されていたことが分かった。
  施工業者はすでに倒産していて、経緯は不明で、記念
 碑は廃棄されたとみられている。
  イスラエル政府はこの経緯を把握していたとみられる。
  地元主要紙やテレビ局などは「ユダヤ人として恥ずべ
 き事実だ」などと批判した。
  生存者の親族は「信じがたい事実だ。恩人に申し訳な
 い」との声、また、杉原氏の四男は「植林を通じて悲劇
 の歴史を次の世代に伝えたいという思いがあった。撤去
 は大変ショックだ」と話した。
  (意見)この杉原千畝の話は、事実が最初から捻じ曲
     げられていて、特に、嘘を交えて、恣意的に美
     化されている問題点がある・・そして・・
      キリスト教の運動方針から、同時に、日本と
     いう国を貶(おとし)めているという卑劣な行
     為がある。
      故に、事実が判明して、この様な嘘行為や貶
     め行為が明らかになると、全体が汚い行為とし
     て現実化して来た。
      最初から、誠実に、真実を伝えなかったツケ
     が、今の姿となっている。
      この様な事態になっても、まだ、これを伝え
     た読売新聞でさえ「何かに遠慮しているのか?」
     嘘解説を報じている。
      読売新聞が・・
      「日本政府の意向に反して独断で通過ビザを
      発給した」と記しているのは「嘘記事である」。
      杉原千畝は、「ビザの発給権限を持っていな
     かった」。
      その様な立場・役職の外交官だった。
      その権限を越える行為をしようとするから、
     日本政府がその様な行為はするなと言ったまで
     の事で・・、
      大切なことは・・この時、日本の大使館は、
     どこでもユダヤ人の方々にビザを発給していた。
      読売新聞は嘘を思わせるヨタ記事となってい
     る。
      満州に逃げて来たユダヤ人の方々を歓迎して
     日本の軍隊が迎えに出ている・・出迎えの車を
     差し向けることまでして・・そして、日本の取
     り計らいで神戸まで安全に来てもらって、歓待
     し、安全に居住して戴き、処遇させて戴いてい
     る。
      日本を貶める者たちを糾弾する。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-02-28 03:31 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)633E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年12月~1895年12月)

題:(増補版)633E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年12月~1895年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年12月28日、青梅鉄道の青梅駅~日向和田(ひなたわ
 だ)駅間が開業した。
  この区間は、石灰石積出し専用貨物線で、1898年3月10
 日から旅客の取扱いを開始した。
  現在の青梅線(おうめせん)は、東京の立川駅~青梅
 駅~奥多摩駅間を結ぶ鉄道で、
  多摩川の中流から上流域を走る・・全長37.2キロメー
 トル。
  1894年11月、青梅電気鉄道として青梅駅まで軌間762
 ミリメートルで開通し、
  1908年、1067ミリメートル軌間に改軌された。
  後、1920年、日向和田駅から御嶽(みたけ)駅まで延長
 され・・
  1923年、電化された。
  1929年、社名を青梅電気鉄道と改め・・
  奥多摩電気鉄道として御嶽駅~氷川駅(現:奥多摩駅)
 を建設し、1944年に、電化もして全通した・・そして、
 この年、国有化され、青梅線と改称された。
  当初は、セメントの原料の石灰石の積み出し線であっ
 たが・・、
  秩父多摩甲斐国立公園の景観の良さから、観光路線と
 なり、さらに近年は、通勤路線ともなっている・・立川
 駅から中央本線に入り、新宿駅や東京駅まで乗り入れる
 直通便もある。
.
1895年12月28日、17歳の牧野省三によってフランスのリュ
 ミエール兄弟製作の短篇映画「汽車の到達」を有料公開。
  日本で初めての映画興行が始まる。
  (参考)牧野省三:まきのしょうぞう、映画監督、プ
     ロデュ―サー。
      日本映画の黎明期の先駆的役割を果たす。
      京都に生まれ、幼少より母方の経営する劇場
     千本座に出入りし、芸事に親しむ。
      そして、同座の座主となる。
      1908年、活動写真の興業者・横田永之助を知
     り、彼の依頼で、初監督映画作品「本能寺合戦」
     を製作し、公開した・・これを機に、映画の道
     に入る・・
      1909年、地方の歌舞伎役者・尾上松之助を招
     き、「碁盤忠信」を作り・・日本最初の映画ス
     ター尾上松之助を見い出し、育てた。
      尾上松之助は「目玉の松ちゃん」との愛称で
     人気のスターとなった。
      以後、浄瑠璃本・講談本、立川文庫などから
     題材、ストーリーを得て時代劇映画を300本を超
     える多数制作した。
      また、忍術映画の数々のトリックも考え出し
     た。
      草創期の日本映画を主導し、「日本映画の父」
     と呼ばれた。
      1912年、創立された日活に合流、
      後に、日活京都撮影所長、重役となる。
      1921年、マキノ教育映画製作所を設立、
      1923年、マキノ・プロダクションを設立(1925
     年説あり)
      多くの脚本家や映画監督を育て、また・・
      時代劇映画のプロデューサーとして、坂東妻
     三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川歌右衛門ら
     のスターを育てた。
      四女の女優・マキノ智子(ともこ)の息子に俳
     優の長門裕之(ながとひろゆき)、津川雅彦(まさ
     ひこ)がいる。
.
1895年12月30日、甲武鉄道市街線の飯田町駅~新宿駅間が
 複線で開通した。
  東京の鉄道ネットワークが造られて行く。
  現在の中央線の前身が甲武鉄道だった。
  1889年8月、新宿駅~八王子駅を開通させた。
  この2ヶ月前(1889年6月)新宿駅~神田三崎町駅間の
 市街線の免許申請をした。
.
1895年12月、兵庫県宍粟郡の郡長らが40円を拠出して、就
学補助基本積立基金を設立した。。
.
1895年12月、服制改正(明治28年12月達11号および明治29年
 4月達第3号)
  工場取締、および、守衛の服制が定められた。
.
1895年12月、山陽鉄道の広島駅~三田尻駅間の工事が着手
 された。
  この区間で、初めてアメリカ型60ポンド軌条が使用さ
 れた。
  日本の営業用鉄道では、長さ1メートルあたりの重量が
 60kg、50kg、40kg、37kg、30kgの規格が使われており、
 普通レールという。
  重量が大きいものほど、乗り心地に優れていて、線路
 の狂いも生じにくい。
  重量のある列車が通る路線や、列車が高速で走行する
 路線、そして、運行頻度の高い路線に適している。
  アメリカ型60ポンド軌条は、種類が30kgレールで、
  断面寸法の高さが107.95mm、底部幅107.95mm、頭
 部幅60.33mmである。
  長さは10メートル。
  摘要は、30kgASCEレール = 60ポンドASCEレールで、
  ASCEは米国土木学会が定めた規格。
  レールのポンド表示は長さ1ヤードあたりの重量ポンド
 である。
.
  (今日の言葉)
.
  題:こんな格差が出来て・・そして、自分だけがうまい汁
   を吸うことが出来るシステムを作って・・、
    そのシステムの上で、胡坐(あぐら)をかいている。
    こんなシステムの社会のままで済まされる訳は無い。
.
1848年1月、メキシコ領のカリフォルニアに金鉱が発見され
 る・・国境を無視してアメリカ人が越境して殺到する。
  「特権のある『白人』」を強く意識するアメリカ。
  アメリカ・インディアンの方々は、強く「平和共存を
 望んだ」。
  歴史的史実を示しているアメリカ映画で、白人が無益
 に、また、無碍(むげ)に、アメリカ・インディアンの
 方々を殺しているが・・、
  英文の歴史の史料で、アメリカ・インディアンの方々
 が「平和共存を望んでいたという史料が多く見つかる」。
  平和的に解決したいという意思が強かったことが、明
 確に示され、明らかにされている。
  各地に住むアメリカ・インディアンの代表は、アメリ
 カ大統領を訪ねてまでして、しきりに、平和的に話を付
 けようとしていた。
  白人の襲撃への苦情、白人の略奪に対する苦情なども
 訴えた。
  そして、皆、「白人との共存を願っている」と伝えた。
  しかし、悲しいかな、このアメリカ・インディアンの
 方々の希望は、かなえられることは無かった。
  非白人のアメリカ・インディアンの方々を、キリスト
 教に影響され洗脳された白人の頭では、アメリカ・イン
 ディアンの方々を「人間としての権利を認める」ことは
 できなかった。
  さらに、1848年1月、メキシコ領のカリフォルニアの金
 鉱が発見されると、国境など関係ないと、白人たちは、
 金の輝きも加わって、「白人様の考えが正義だ」とメキ
 シコ国境を無視し、そして、越えて、殺到した。
.
1929年12月、中国が、「日本が世界制覇を狙っている」と、
 卑劣な「作り話」を世界に向けて悪宣伝した。
  今・現在でも、南京事件とか、慰安婦問題とかで、や
 ってもいない事をさもしたように異常に誇張されて、あ
 ること、ないことが世界に流布され、悪意でもって慰安
 婦像まで建立するという破廉恥な悪行為をする韓国の行
 動や、南京事件記念館まで国家が造るという中国の行動
 がある。
  まったく、この時も、日本は、これと同様の悪宣伝を
 されていた。
  これは、絶対に見過ごし看過してはならない事で・・、
  この時代にも、意外と大きく世界に、日本への「いわ
 れなき不利な状況」が生じされていた。
  この時は、中国の南京で公表された。
  中国は、昔からこの様なだましや人を裏切る行為を国
 内でもやっている様な国だった。
  そして、国外へ向かっても盛んにやる国だった(今・
現在のファーウェイもそうだ)。
  この時も、日本の悪宣伝をするために・・「日本に百
 年計画」があるとされた・・そこに、日本の「世界制覇
 の野望」があるとされた。
  もっともらしく話は作られた。
  そして、この英語版が刷られ、世界へ大量に出回った。
  「田中メモリアル(上層文)」と呼ばれた。
  この文書は、宮内庁の書庫から盗み出された「世界征
 服の極秘戦略」とされた。
  「日本の基本戦略とされている」と吹聴された。
  また、悲劇的な事に、アメリカ大統領になるルーズベ
 ルトが、これを信じてしまった。
  日本政府は、当初から、偽物(ぎぶつ)、にせものとし
 たが・・不幸な展開をして行った。
  ルーズベルトが信じて、彼のものの考え方に大きく影
 響を与えた。
  戦後、ブリタニカ百科事典が「偽造」と書くように、
 まったくの偽造なのだが、明らかな偽造なのだが、この
 類の話の性格から非常に注意すべき展開をして行った。
  この様な行為は、最も蔑むべき行為なのだが、相手に
 与える絶大なる効果から、臆面もなく中国は行なった。
  韓国の「慰安婦」の日本への貶める行為も最悪で卑劣
 である。
  事実を調べもしないで、この韓国のプロパガンダ(嘘宣
 伝)に乗っかったアメリカも卑劣だった。
  アメリカ国内に慰安婦像を建ててしまった。
  また、この当時のこの中国のプロパガンダに乗っかっ
 たアメリカも卑劣だった。
  中国の戦争に介入するのが正義だと錯覚した。
  そのように錯覚させようとした中国のデッチ上げの嘘
 事実の下に「兵器と兵士と資金を与えた」。
.
1929年、アメリカの大恐慌
  この時、アメリカ人の労働者の4分の1が失業者という
 最悪事態だった。
  この人たちは、全米各地を職を求めてさ迷う人たちと
 なった。
  この時、「兄弟よ、10セント(10円~20円)恵んでく
 れないか」という歌が流行した。
  ニューディール政策でも恐慌から脱出できなかった。
  第一次ニューディールは「完全な失敗」だった。
  「農業部門が崩壊状態だった」のも足を引っ張った。
  (2019年、日本も、農業部門を崩壊させるような法案
 が国会を通過した・・?)
  この時、アメリカ国内には、ユダヤ主義の国際銀行家
 を非難する声が満ちた。
  富の再分配の歯車も回っていなかった。
  種々の施策を行なっていたルーズベルトも苦悩してい
 た。
  そして、2期目の大統領となったルーズベルトは、二つ
 の重大な間違いを犯した。
  そのため、経済は崩壊した・・
  このため・・反ルーズベルトの派が議会内に出来た。
  1932年から1938年まで、ニューディール政策が有効な
 のかの議論で議会内は充ち溢れた・・
  アメリカ国民の方々は、大きな不安の中に苛(さいな)
 まれていた・・苦しい状態の中で、苦しめられていた。
  このような時・・世界情勢の戦乱状態への動きの中で・・、
  1935年から1937年まで、アメリカは、漸次(ぜんじ、
 だんだん)中立法を制定していた・・列国の戦争には関
 与しないという世論を反映したアメリカの流れだった・・
  1939年、戦争が勃発すると、アメリカは、英仏を支持
 はするが・・逆に、中立の意識が高まった・・
  そして、ルーズベルトは、参戦しないと公言していた。
  1940年代半ば、イギリスとドイツの空中戦が行なわれ
 るという激しさになる・・、
  戦争に反対する声が過熱する中で、支援する声も聞か
 れた・・
  その様な状況の中で、一転して、ルーズベルトは、世
 論を介入支持の方向へ向けようとした・・
  そして、再軍備の巨額の予算が可決もした。
  そして、1940年9月、平時選抜徴兵法案が可決された・・
  この法律は、アメリカ史上初だった。
  そして、この月、アメリカは、イギリスへ駆逐艦50隻
 を与えた。
  1940年11月、ルーズベルトは、大統領3選を果たした。
  1941年初頭、ルーズベルトは、武器貸与法を承認させ
 た。
  1941年8月、ルーズベルトは、イギリスのチャーチル首
 相とニューファンドランド沖の軍艦上で会談した・・
  この会談の中には、「国民の意思を尊重し、よく意見
 を聞く」という根本理念がある・・皮肉なことに・・戦
 争へ向かうこの二大巨匠の話の中に・・
  アメリカ大統領のルーズベルトは、この様な時・・、
  「アメリカを世界の兵器庫にする」と叫んだ。
  これで、アメリカは、頑固(がんこ)な抜け出る事の
 出来なかった世界的な恐怖の泥沼の『恐慌から抜け出せ
 る』と思った。
  その叫びは、思惑どおりの「戦争需要を取り込めた瞬
 間」だった。
  そして、アメリカの工場は、フル回転し始めた。
  うなりをあげて兵器作りに邁進した。
  GMは、タンク(戦車〉などを造った。
  そして、アメリカは、真の価値である誠実性・信用性・
 真実などの本当に大切にすべき「アメリカの財産を失っ
 た」。
  財産の食いつぶし行為をした。
.
1931年9月18日、国務長官ヘンリー・スティムソンのドクト
 リン(原則、政策上の原則などを示した教書)が発表され
 たが・・、
  1933年1月9日、フランクリン・ルーズベルトの大統領
 就任式まであと2ヶ月という・・この時、スティムソンは、
 ルーズベルトを自宅に訪ねた。
  現職大統領のフーバー大統領の国務長官であるスティ
 ムソンが、何故??、わざわざ新大統領のルーズベルト
 宅を訪問したのか??
  周囲は驚いた。
  協議は、5時間以上となった。
  出て来たスティムソンは、上機嫌だった。
  「実に有意義な昼食でした」とスティムソンは語った。
  これから1週間後、ルーズベルトは、スティムソン・
 ドクトリン支持を宣言した。
  ルーズベルトが、日本に対して厳しい政策をとること
 になるスタート・切っ掛けとなった。
  そして、ルーズベルトが大統領になると、日本の新聞
 は、その新大統領を歓迎し、好意的に対応した。
  日米の「対立の視点」に立つ新大統領に「気付いてい
 なかった」。
  アメリカの駐日大使のジョセフ・グルーは、1932年11
 月9日の日記に・・、
  「新大統領に(民主党の)ルーズベルトが選ばれたこと
 に、日本の新聞は非常に好意的だ。
  スティムソンが居なくなるからだという。
  大使館に勤める日本人運転手や女中までが大喜びで、
 『ノーモア・スティムソン』と言っているほどだった。
  (中略)、
  新政権が日本寄りになるはずが無いことにまったく気
 付いていない」・・と。
  日本を経済制裁で抑え込むというアメリカ外交方針は、
 日本には夢のような行為と思え、想像すらしていなかっ
 た。
  フーバー大統領が「戦争になるだけだ」と言った「経
 済制裁」を日本は想像できなかった。
.
1940年6月、ルーズベルト・アメリカ大統領の政権に、ステ
 ィムソンが陸軍長官として参画した。
  これで、日米開戦の可能性が「高まった」。
  フーバー政権にいたスティムソンが、ルーズベルト政
 権へと代わって、スティムソンがフーバー政権から居な
 くなり、日本は、ほっとした所だったが、これでまた、
 「日米開戦の可能性を恐れない人物」が政権中枢に入り、
 「リスクは高まった」。
  理知的だったフーバー大統領と違い、経済復興には戦
 争需要も使いたいというルーズベルト政権では、計り知
 れない戦争へのリスク・危険性が高まった。
  日本を力で抑え込もうというスティムソンの政策が採
 用されて行く。
  ルーズベルトは、ハーバード大学の学生時代から、日
 本脅威の妄想を持っていた。
  この見えざるルーズベルトの妄想が、心底にあること
 が、日米戦争の第一原因である。
  学生時代のお粗末な妄想に囚(とら)われ続け、後日、
 大分(だいぶ)経っても、大統領となっても、その妄想に
 囚われ、自分の政策に影響を与え、戦争への道を歩んで
 で行く・・。
  キリスト教を厚く信仰するルーズベルトは、その「性
 悪説」に強くマインド・コントロールされていた。
  日本の脅威の妄想から脱却できなかった。
  例えば、今・現代、中国が覇権を拡大して行くことを
 公言し、アメリカへ、「太平洋を半分ずつにしよう」と
 いう言葉を公表しているが・・、
  これは、アジア、および、太平洋西半分の覇権を中国
 のものにするという「意思表示となっている」。
  このルーズベルトだったら、この中国の言葉は、完全
 に「ルーズベルトの脅威となっている」。
  もし、アメリカにスティムソンの様な者が政権に加わ
 れば、強硬な「中国、抑え込み策」が行われ、恐ろしい
 道へと歩む事になるだろう。
  当時の日本への妄想は、日本以外の国によってつくら
 れた可能性は否定できない。
  しかし、怖ろしいことに、この様な類推が、意外と大
 きな影響を与えていた。
  日本は、この様な妄想から「日本の軍備縮小の大きな
 圧力を受けて行く」。
  また、この妄想のルーズベルトの影響を知る記録があ
 る・・、
  1934年5月17日、ルーズベルトは、スティムソンと、ホ
 ワイトハウスで、昼食の前後(昼食をはさんだ長時間、1
 時間半の協議)を、日本の脅威について話し合っている。
  経済制裁の強硬論派のスティムソンとである。
  この話は、ルーズベルトから持ち掛けた。
  日本の脅威が、ルーズベルトの頭の多くを占めていた。
  不幸なことに・・その相談相手が、強硬論派のスティ
 ムソンだったことだった。
  スティムソンのマインド・コントロールも受けるルー
 ズベルトだった。
.
1940年10月8日、ルーズベルト・アメリカ大統領の日本に対
 する嫌悪感は異常だった。
  ホワイトハウスでのこの日の録音が残っている。
  それは・・、
  「おい、ちょっとこれを読んでみろ」。
  「UP通信がよこした電報では、日本の通信社は、『
 アメリカは、アジア新時代の到来を認めるべきであり、
 その為には、アメリカ軍は、パールハーバー(真珠湾)、
 ミッドウェー、ウェーキの基地を引き上げるべきだ』と
 言ったそうだ。
  日本人が、我々にハワイから出て行けと言ったのはこ
 れが初めてじゃないか?
  もし日本が、ちょっとでも妙な事をするようだと、こ
 ちらは何時でも引き金を引く覚悟がある」・・とルーズ
 ベルトは言った。
  側近が、「日本政府を代表しない発言です」と諌(い
 さ)めても、ルーズベルトは、聞く耳を持たなかった。
  ルーズベルトの頭の中は、日本との一戦があり・・、
  情報が「正規のものか?」「不正規の『がさネタ』か
 ?」に関係のない好戦的判断に囚(とら)われていた。
  冷静に判断する域を、すでに超えているルーズベルト
 だった。
.
1941年11月26日、アメリカが、戦争に至るハル・ノートを
 日本に提示した。
  そして、日米開戦以前に、ルーズベルト大統領が命令
 し、中国で日本を攻撃したアメリカの戦闘機部隊「フラ
 イング・タイガー」。
  その元パイロット(アメリカ兵)が、2007年4月21日、
 中国を訪れ、アメリカが真珠湾攻撃前に中国で日本に攻
 撃し、対日参戦していた証拠を示した。
  その対日参戦していたのは、やはり、アメリカの正規
 軍だった。
  エドワード元大佐は訪中し、この日、北京航空博物館
 を訪れていた。
  その命令書を署名したルーズベルト大統領・・
  ルーズベルトの疑(うたぐ)り深い性格と、ホーンベ
 ックという、また、日本に対して批判的な論客の意見に、
 当時、大統領は左右されていた。
  ホーンベックは、「対日包囲網の必要性」を強く唱え
 ていた。
  侵略的行為をしていると錯覚して見た。
  その頃、中国は、群雄割拠で、シッチャカメッチャカ
 だった。
  特に、共産主義化したいとする種々の勢力が、不安定
 化を増させていた。
  この様な中国へ、アメリカは過大な肩入れをして、さ
 らに事態の不安定化を「より拡大していた」。
  アメリカは、中国を支援するというより、日本を叩き
 たいだった。
  よけい、これが、事態をこじらせた。
  また、ホーンベックが言った・・
  「アメリカの国益と原則に対して、日本は敵対してい
 る」・・と、
  アメリカの国益に反する日本がそこにあると言った。
  1899年のアメリカの「中国の門戸開放宣言」は・・、
 先行して中国の美味しい汁と吸っていた『イギリスやド
 イツなどの欧州列強諸国(これらの国々のやることは極
 大だった)』や、それに遅れて続く日本へのけん制で・・、
  アメリカの「俺にも美味しい汁を吸わせてくれ」の宣
 言だった。
  そして、日本を、「ターゲット」にして行った。
  (参考)スタンリー・クール・ホーンベック:1883年
     5月4日~1966年、アメリカ合衆国の外交官。
      1921年から、国務省にて外交政策に従事し、
     主に、アメリカの極東政策の立案についての責
     任者・・対日強硬論者・・日本封じ込め論者。
      だが、日本についての知識は乏しい。
      戦争を避けようとする日本の提案(首脳会談の
     提案)などの日本の主張や事情を無視し、もし
     くは、聞き流した。
      結局、戦争を避ける最後の機会だったこの首
     脳会談を、1941年10月2日、アメリカは拒否した。
      アメリカの国務省内の若手からの石油輸出禁
     止は戦争につながるという意見も出たが、無視
     した。
      この時、日本の能力を蔑視し、開戦に至る懸
     念を一蹴した。
      また、ハル・ノートを受けて『日本は引き下
     がる』と、『戦争は始まらない』と強弁した。
      極東部長(1928年~1937年)
      国務長官特別顧問(1937年~1944年)
      極東局長(1944年)
.
1941年12月8日、日本とアメリカの戦争が始まった。
  アメリカ大統領になったルーズベルトという男は?
  アメリカ大統領のルーズベルトは、第二次世界大戦の
 対日本戦が開始された時、「戦争を作った」と言った。
  思惑どおりことが進んだので「口走った」のだろう。
  (読売新聞、2017年1月20日)の本の広告文に、以下の文
 が記されている。
  アメリカの精鋭部隊に所属した元海兵隊兵士は・・、
  「本当のことを知らせることは、これから生きて行く
 方々の為にもなるならと・・」という思いで本を書かれ
 た。
  そして、その広告文には、以下の文が書かれている。
  「日本が、戦争を始めたのではない」・・、
  「始めさせられたのである」・・と。
.
1943年3月5日、アメリカ大統領のルーズベルトの妻・エレ
 ノアは、シカゴのリンカーンホテルにチェックインした。
  ルーズベルトが、妻・エレノアを裏切り愛人を作って
 いるから・・ルーズベルトは、その逆をやられた。
  妻のその動きは、盗聴されていた。
  そして、ルーズベルトは、事実を知って八つ当たりし
 た・・、
  盗聴の内容が、妻・エレノアの「男とのホテルでの特
 殊な関係を示すもの」と分かると・・、
  ルーズベルト大統領は、翌日、ヘンリー・アーノルド
 将軍を通じて、「関係者全員を、太平洋の戦線に送り込
 み、戦死するまで戻すな」と命じた。
  ことの起こりは・・
  1943年3月5日、ルーズベルトの妻・エレノアは、シカ
 ゴのリンカーンホテルにチェックインした。
  エレノアは、ホテルの受付に、大統領夫人の滞在を公
 言しないで欲しいと頼んだ・・
  そして、その後で、若い男性が来ると言って続きの部
 屋も同時に予約した。
  その男・ラッシュが、ホテルに現れたのは午後9時。
  ラッシュは、休暇を取って列車に乗り継いで来たアメ
 リカ軍人だった。
  二人は、一度だけ、ホテル内レストランで食事を取っ
 た・・それ以外は、すべてルームサービスで済ませた。
  次の日の朝、エレノアが支払いを終えて、チェックア
 ウトした後、ラッシュは、一人でホテルを出た。
  エレノアは、チェックアウトの際、ホテル責任者から
 部屋に盗聴器が仕掛けられていたことを知らされた。
  ホワイトハウスに戻ると大統領側近に調査を命じた。
  それは、アメリカ陸軍参謀総長が、事実関係を確認す
 る騒ぎに発展した。
  ルーズベルトは、妻とその男友達の密会場面を盗聴し
 たことに激怒した。
  関係した軍の「情報収拾見直し」と「防諜部隊員の配
 置換え」を命じた。
  しかし、ルーズベルトは、この様な事があっても、ま
 た、アメリカ連邦最高裁が、1939年に盗聴を違法と判断
 したにもかかわらず・・、
  1940年5月、ルーズベルトは、「スパイ活動、あるいは、
 破壊活動防止」を理由にして、盗聴を許可する命令書に
 サインして、盗聴捜査に歯止めを掛けなかった。
  そして、ルーズベルトの、自分の政敵に対しても容赦
 なく盗聴を行なった。
  最高裁判決も無視する大統領だった。
  ルーズベルト時代の盗聴許可は、年平均315回、無許可
 盗聴1888回で・・、
  フォード大統領の政権は、ルーズベルト政権を盗聴が
 「最も盗聴が盛んな政権」と位置付けている。
.
1943年~1944年、ソ連のスパイ作戦が、アメリカにおいて
 最も激しい時期。
  アメリカ大統領のルーズベルトは、共産主義に寛容だ
 った。
  ルーズベルトの周りには共産主義者が多く居た。
  そして、この時期、ソ連のスパイ工作が、最も激しく
 活動なされた。
.
1945年、アジアの方々の解放軍
  イギリスなどのアジアを植民地にしている国々は、そ
 の植民地の美味しい汁が吸えなくなると「日本を恨んだ」。
  卑劣な行動をしていた国は、イギリス、フランス、オ
 ランダ、ドイツなどだった。
  第二次世界大戦後、そのアジアの国々は、次々に独立
 して行った・・日本の目的は達成した。
.
1988年、中国の李鵬首相が、オーストラリアを訪問をした。
  この時、オーストラリアのキーティング首相へ・・
  「日本という国は、20年も経てば地球上から消えて無
 くなる」と言った。
  その期限が、2008年だった・・
  中国に日本自治区構想があるのか・・?
.
2002年7月、東京電力の福島第一原発の事故に至る9年前の
 この時・・、
  既に、政府の専門機関が、「長期評価」で福島沖で、
 マグニチュード8クラスの大地震が起き、津波の発生の
 可能性がある・・と指摘していた。
  この時、勝俣恒久被告は副社長だった・・そして、こ
 の年の10月に社長となっている。
.
2008年3月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる3年前だった。
  この時に、東京電力の子会社が、先に、政府の専門機
 関が指摘した長期評価において津波の可能性があるとい
 う件について、試算を出している。
  その東電の小会社が出した試算は・・「長期評価」に
 基づいて、福島第一原発の津波の高さが15.7メートル
 になると試算した。
  この時、勝俣恒久被告は社長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は執行役員・副本部長。
.
2008年6月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる2年9ヶ月前。
  東京電力の担当者が武藤被告に15.7メートルの津波
 の可能性があるとの試算結果を報告した。
  この時、勝俣恒久被告は会長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は常務・副本部長。
.
2008年7月、東京電力の福島第一原発事故が防げたチャンス
 があった・・それは、事故の起きる2年8ヶ月前。
  武藤被告が「長期評価」の信頼性を外部有識者に検討
 してもらうことを決定した。
  しかし、残念なことに、この対応を取らずに事故に会
 ってしまった。
  この時、勝俣恒久被告は会長、武黒一郎被告は副社長・
 本部長、武藤栄被告は常務・副本部長。
  そして、あの忌まわしい事故は2011年3月11日に起きた。
  (以上、福島第一原発事故は産経新聞のニュースから)
.
2016年11月8日、アメリカ合衆国で大統領選が行われた。
  2期にわたって大統領を務めたバラク・オバマの立候補
 は、アメリカ合衆国憲法修正第22条の規定によって認め
 られないため、民主党のヒラリー・クリントンと、共和
 党のドナルド・トランプが対決し、多くの世論調査を覆
 してドナルド・トランプが勝利した。
  獲得選挙人の結果
  ドナルド・トランプ 304人(56.5%)
  ヒラリー・クリントン227人(42.2%)
  テレビ番組の「白熱教室」で有名なハーバード大学教
 授の政治哲学者マイケル・サンデル氏は、以下の様な事
 を言った・・
  「ドナルド・トランプ氏は、アメリカ大統領選で無礼
 な発言を重ね、数多くの集団を侮辱し、外交や統治につ
 いて無智をさらしたにもかかわらず当選した。
  アメリカの中流層と労働者層で高じている、変化を求
 める強い渇望に結びついたからだ。
  一夜で生じた渇望ではない。
  1980年代以来の新自由主義的なグローバル化の果実が
 1%の最上層へ、または、5%の最上層へ、または、10%
 の最上層の限られた者たちの手に渡るアメリカの現状、
 その一方、中流・労働者層は取り残され、排除されたと
 感じてきた」・・と。
  (注意)安倍政権、そして、アベノミクスは「新自由
     主義」ではありません。
      現政権の経済政策は典型的なケインジアンで
     あって「新自由主義からかけ離れた」もの。
      財政拡大を繰り返しながら中央銀行に意図的
     に大規模な金融緩和を強いる行為は、新自由主
     義の経済政策とは正反対のもの。
      グローバル化について、経済誌「東洋経済」
     が悪意あるプロパガンダをしているという。
  (参考)ケインジアン:イギリスの経済学者ジョン・
     メイナード・ケインズの理論に基づく経済学理
     論(ケインズ経済学)を支持する者。
  (参考)新自由主義:20世紀の小さな政府論を新自由
     主義と呼ぶ。
      18世紀イギリスの思想家、アダム・スミスは
     『国富論』で、経済は個人や企業の自由に任せ
     ることによって繁栄すると主張し、政府の役割
     を治安維持や防衛などだけに限定する必要を説
     いた。
      その後、20世紀に入ると、大恐慌や戦時動員
     体制の経験を経て、政府が完全雇用を目指して
     需要を管理するケインズ主義政策が一般的とな
     った。
      しかし、1980年代に入って、政府における財
     政赤字の深刻な累積、官僚主義的な非能率など
     が大きな問題となり、イギリスのサッチャー政
     権、アメリカのレーガン政権を皮切りに、減税、
     規制緩和、民営化を軸とする小さな政府への改
     革が広まった。
      日本でも80年代の第2次臨時行政調査会による
     行政改革以来、新自由主義的な政策転換が進め
     られてきた。
      ただ、日本では、公共事業や規制に関して既
     得権を持つ官僚組織、利益団体、族議員が、小
     さな政府の徹底に反対してきた。
      つまり、日本の場合、保守の自民党の中に小
     さな政府と大きな政府という相対立する思想が
     同居しており、政策が円滑に決定されない。
      「官から民へ」というスローガンを唱えて登
     場した小泉政権も、新自由主義改革を推進する
     ために、党内の抵抗勢力との間で複雑な駆け引
     きを繰り返してきた。
      結果的には、郵政民営化や社会保障費の抑制
     など新自由主義的政策が小泉政権の遺産となっ
     た。 (山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)
  (参考)新自由主義への批判:格差社会・分断社会が
     新自由主義によってもたらされた。
      強いものが自由な市場を支配し、独占に至る。
      富める者はさらに富み、中流層が消耗した社
     会となった・・
      結局、社会を支えたのは、そのより富める者
     たちではなく、中流層の肩にかかっていたから
     だった。
      社会を豊かにしていた中流層が居なくなった。
      今、叫ばれている新自由主義的グローバリズ
     ムにはこの様な落とし穴がある。
      一億総中流層と言った日本は豊かだった。
      今は、生活保護世帯が急増している。
      外国から労働者を供給して企業が豊かになっ
     てもグローバル企業はその資本を外国へ持って
     行ってしまう・・国内へは投下しない。
  こんな格差が出来て・・そして、自分だけがうまい汁
 を吸うことが出来るシステムを作って・・、
  そのシステムの上で、胡坐(あぐら)をかいている。
  こんなシステムの社会のままで済まされる訳は無い。
.
2017年1月9日、NHKEテレ、2017年1月9日、14時00分~、
 番組名:全日本総合バスケットボール選手権、
  試合が始まる前に、国旗掲揚と国歌斉唱があった。
  しかし、NHKは、この国旗掲揚と国歌斉唱を放送し
 ないという態度を取った。
  まったく聞こえないくらいの音のボリュームに絞って
 無視した。
  いつも、NHKは、この様な放送態度をとる。
  この時、君が代の国歌を、歌手が生の声で歌う演出が
 なされたが、これをNHKは、まったく無視して、まっ
 たく聞こえない状態にした。
  NHKは、国旗掲揚と国歌斉唱の放送はしない様にし
 ている。
  キリスト教は、国旗掲揚反対と国歌斉唱の反対を運動
 方針にしている。
  NHKは、このキリスト教のこの運動に同調している。
  NHKは、まったく、キリスト教に偏する放送局とな
 っている。
.
2018年10月17日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、業
 務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3被告の第
 31回公判が17日、東京地裁(永渕健一裁判長)で開
 かれ、16日に続いて元副社長の武藤栄被告(68歳)の
 被告人質問が行われた。
  武藤被告は、津波対策を検討する会議が社内にあった
 ことを「知らなかった」と述べた。
  会議は事故の約半年前から開催されており、津波対策
 について副社長と現場社員との温度差が露見した。
  会議は、津波高の試算を東電子会社に依頼した土木調
 査グループだった社員が、平成22年8月から開催した
 と公判で証言した。
  一方、武藤被告はこの日、会議の存在を「知らなかっ
 た」と述べた。
  (追伸)責任者としてまったくフォローしていなかっ
     たということ。
      大きなリスクが存在する大事故に至るという
     認識がまったく無かったと言える。
      取扱いを誤ると放射能の恐ろしさが露出する
     という原発を扱う責任者として、あるまじき発
     言といえる。
  武藤被告が津波対策を保留にしたという。
  しかし、社員は、その様な上司の態度の後も、「対策
 は不可避と考えていた」と証言した。
  政府の専門機関は、2002年、「地震津波が福島沖を含
 む日本海溝沿いで発生しうる」との地震予測「長期評価」
 を公表した。
  そして、東電子会社が、2008年年3月、長期評価を基に
 最大15・7メートルの津波が同原発を襲うとの試算を
 示した。
  武藤被告は、試算の報告を受けた後もすぐに対策に乗
 り出さず、土木学会に妥当性の検討を委ねた。
  検察官役の指定弁護士側は「対策を先送りし、漫然と
 原発の運転を継続した」と主張している。
  武藤被告は16日の被告人質問で、長期評価は「信頼
 性がない」と強調。
  「分からないことを専門家に確認するのはごくごく自
 然」と述べ、津波対策を先送りしたとする指摘には「大
 変心外だ」と強く否定した。
  事故をめぐっては、武藤被告のほか、元会長の勝俣恒
 久被告(78歳)と元副社長の武黒一郎被告(72歳)が強
 制起訴された。
  最大の争点は巨大津波を予見し、対策を取ることがで
 きたかどうか。
  昨年(2017年)6月の初公判で3被告側は「事故の予
 見や回避は不可能だった」としていずれも無罪を主張し
 た。
  (産経新聞ニュースより)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-02-20 04:15 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)632E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年12月)

題:(増補版)632E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年11月22日 各官庁の執務時間が改正された(閣令第6号)
  各官庁執務時間自今左の通改定ス
  4月20日ヨリ7月10日迄、午前8時ヨリ午後4時二至ル
  7月11日ヨリ9月10日迄、午前8時ヨリ午12時二至ル
  9月11日ヨリ4月19日迄、午前9時ヨリ午後5時二至ル
  但土曜日日曜日ハ従前ノ通
  事務繁劇ノ場合二於テハ上官の指揮二依リ昼夜二拘ハ
 ラス執務スヘシ
  明治二十五年十一月二十二日 
          内閣総理大臣伯爵伊藤博文
.
1895年11月、車両用油として砿油を試用した。
  好成績を収めたので1896年(明治29年)12月から貨車
 に、
  1897年(明治30年)12月から客車に使用した。
  従前は、種油(たねあぶら)を使用した。
  (参考)砿油:鉱油、こうゆ、石油(原油)、天然ガ
     ス、石炭など地下資源由来の炭化水素化合物、
     もしくは、不純物をも含んだ混合物の総称。
      一般的には、石油由来の油として広く工業製
     品等に用いられる。
  (参考)種油:菜種から搾り取った油。
.
1895年11月、山陽鉄道荷物取扱所を大阪市江戸堀に設置し
 た。
.
1895年12月5日、逓信大臣が、鉄道会議に「官設既成鉄道改
 良ノ件」を諮詢した。
  (参考)諮詢:しじゅん、対等以下の機関の意見を参
     考として問い求めること。
  この時の官設期成鉄道改良の件は、東海道線の複線、
 信越線停車場等の改良、中央停車場の設置だった。
  そして、鉄道会議で可決し、のちに、第9回帝国議会に
 提出されm明治29年度から35年度に至る7ヵ年継続事業と
 して協賛を得た。
  (参考)協賛:きょうさん、旧憲法で、議会が法律案・
     予算案を成立させるための意思表示をすること。
  官設鉄道は国の事業だったので、帝国議会の議決を経
 て事業に必要な国の予算を確保しなければならず、市区
 改正事業の一環ではあったが、建設資金は鉄道作業局が
 自前で調達しなければならなかった。
  初期の官設鉄道の予算は、ほとんどが鉄道の新路線の
 建設費にあてられていたが・・、
  明治20年代(1887年以降)の半ばになると、すでに鉄
 道が開業した路線でも、複線化や駅の改築などの改良工
 事が必要となり、建設費とは別枠の予算が必要とされた。
  「改良費」と呼ばれたこの予算が、初めて議論された
 のは、1895年12月9日に開催された第7回鉄道会議の諮詢
 第145号「官設鉄道既成鉄道改良ノ件」で、とりあえず早
 急に改良を実施しなければならない事業として・・
  1、東海道線の複線化
  2、信越線の停車場などの改良
  3、車両の増備
  4、中央停車場の設置・・の4本の柱が提案された。
.
1895年12月9日、写真家・鹿島清兵衛が、歌舞伎座の舞台劇
 「暫」を撮影した。
  (参考)鹿島清兵衛:かしませいべえ、1866年~1924
     年、写真家、能楽師笛方。
      大坂の造り酒屋の鹿島屋の次男に生まれる。
      東京の分家の鹿島屋の養子となる。
      写真技術の向上に援助をいとわず、写真界の
     パトロンとして知られた。
      1895年、東京木挽町に、みずからも写真館・
     玄鹿館を開業し、いとなんだ。
      間口10間、奥行き15間、洋館2階建て、2500燭
     光の照明をそなえた写場には、まわりに舞台が
     しつらえてあり、客の希望にあわせて、時代物、
     世話物など、あらゆる演出が可能な凝りかただ
     った。
      後に、鹿島家から除籍され、三木助月の芸名
     で梅若流笛方としてならした。
      1924年(大正13年)8月6日死去。59歳。
  (参考)暫:しばらく、歌舞伎の演目で歌舞伎十八番
     の一つ。時代物。
      荒事の代表的な演目。
      西洋人が観たいと言う演目と言われている。
      西洋人にとって、鎌倉権五郎の風貌には形容
     しがたい迫力があるという・・主人公が車鬢 (
     くるまびん) のかつらに、筋隈 (すじくま) と
     いう化粧・・
      内容:
      悪人方の公卿が、弱々しい善人方の首を討と
     うとする。
      そのとき「しばらく」と声をかけて荒武者が
     登場、花道で「つらね」という長々としたせり
     ふを述べ、舞台へ来て大太刀を抜き、雑兵らの
     首を一度に切落す。
      あと大太刀を肩に花道を引揚げるという筋・・
.
1895年12月20日、大蔵大臣の渡辺国武が、官設鉄道用品資
 金増加の法律案を閣議に提出した。
  25万円の増加案。
.
1895年12月25日、第9回帝国議会が召集された(~1896年3
 月28日)
  明治29年予算として国防充実計画案(10年計画)が提出
 された。
  伊藤内閣第9議会(氷川清話)
  第九議会が開催されると、野党の連合派議員(改進、
 革新、大手倶楽部、中国進歩党、財政革新会)は、この
 予算案に対して、大体の方針を定せめて、
  1、予算全部を通じて行政費1割をカットすること。
  2、陸軍拡張中、師団増設に要する経費を半減するこ
   と。
  3、海軍拡張に要する臨時費を2倍にする。
  師団増設半減論では、各派の意見が一致しなかった。
  自由問題として議場に提出することになった。
  特に、改進党は「6個師団半減論」の急先鋒だった。
  国民協会と自由党は、4個師団の増設を主張し、川上
 操六参謀次長の案が廃案の恐れとなった。
  貴族院において、谷干城・曾我祐準等の一派が、みな
 軍備縮小論のメンバーとなり・・
  政府の6個師団増設案に反対を強く主張した。
  政府の当局者らは、この反対情勢を十分把握していな
 くて、衆議院において否決される可能性があった。
  川上は、日ごろから『武弁』をもって自らを任じ、直
 接政治には関与しなかった。
  6個師団増設案は、参謀本部において、川上のもとで
 精密に検討、論議したもので・・
  山県有朋、大山厳の両大将の協賛を得て、立案したも
 のだった。
  川上は、「三国干渉を行ったロシアが、北方から満州
 に侵入するのは明白である」と予想し・・、
  「わが国が、平和的な使命を全うするためには、国防
 機関を完整し、その機能を刷新し、その兵力を充実し、
 大陸において、『ロシアとの兵力均衡を保ち』、必勝の
 体制を築かねばならぬ」と主張していた。
  しかし、野党は、日清戦争後は、「民力を休養させよ」
 ととなえた。
  そして、軍事増強、増税には反対した。
  川上が、軍備増強などを主張すると大反対の勢いとな
 る恐れがあった。
  貴族院による反山県派の谷干城や、曾我祐準や、鳥尾
 小弥太が増税反対、軍備縮小を唱えていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今まさに、日本の領土への「静かな侵略」が行われている。
.
1944年7月17日、アメリカの卑劣な人種差別・・アメリカの
 黒人の方々が反発した。
  その騒ぎの原因は、黒人の方々だけに危険作業の「爆
 弾運び」をさせていたことだった。
  恐れていた爆発事故がとうとう起きてしまった。
  1944年7月17日に起きてしまった事故で、320人もの方々
 が即死した。
  そして、390人の方々が重軽傷を負った。
  その犠牲者の大半が・・黒人の方々だった。
.
1945年9月5日、ソ連の不法行為・・第二次世界大戦が終結
 した後に、ソ連は日本に攻めて来た・・まったく不法な
 侵略だった・・そして、日本の領土を奪った。
  そのソ連の不法な戦争行為が、この日に、終わった。
  もともとは・・アメリカ大統領のルーズベルトが、ソ
 連のスターリンをそそのかしたのが発端だった・・
  『日本の領土をエサにして誘惑した誘いの言葉』に、
 旧ソ連(ロシア)は、のっかったのだった。
  「日本に対する戦争行為を行なって領土を奪う」とい
 うことを言われたソ連は、領土欲に燃えて、野望を大き
 くした。
  ルーズベルトが思っていた以上に、スターリンに言っ
 た以上に・・ソ連は領土を盗ってしまった。
  ルーズベルトは・・満州は、日露戦争で、「日本がロ
 シアから移譲されていた」ので・・ルーズベルトが思っ
 ていたのは、満州だった・・しかし・・
  満州だけだとルーズベルトは思っていたら、ルーズベ
 ルトが言ってない「朝鮮半島までソ連は取ってしまう」
 という状況だった・・そんなことからできた「共産圏と
 自由主義圏」との境界線・・今の38度線まで取ってしま
 ったソ連だった・・満州とこの朝鮮半島の広大な地を盗
 ってしまった。
  そしてまた、第二次世界大戦の戦争が終了しているの
 に、南樺太、千島列島、北方四島の日本の領土まで不法
 占拠してしまった・・戦争終結で日本が武器を置いてい
 る「戦争が終結している日本領まで不法占拠してしまっ
 た」・・
  日本の領土の占守島の千島列島の最初の戦いで、日本
 はソ連に勝っていた・・
  しかし、第二次世界大戦が終結しているので、ソ連と
 合意の上で日本は武器を置いていた。
  それなのに、その後、ソ連は、占守島より南にある千
 島列島や北方四島までも奪った・・また、南樺太も奪っ
 た。
.
1991年、日本人の満屋裕明(みつやひろあき)氏がエイズ
 治療薬を発見し、作り、この年、承認された・・また、
 翌年にも、新薬が承認された。
  満屋裕明氏は、第二、第三のエイズ治療薬も発見した。
  氏は、第一の薬を発見していたが、安価な薬を作って、
 より社会へ貢献したいと努力していた。
  学生時代の教科書の基本に戻って思索していると、あ
 る閃(ひらめ)きが走った。
  そのテストをすると見事に思惑通りの結果が得られた。
  5種の薬を患者に使う臨床試験をすると、二つの薬の有
 効性が確認された。
  それぞれが第二、第三のエイズ治療薬として、1991年
 と1992年に承認された。
  世界で初めてのエイズ治療薬が、日本人の満屋裕明氏
 が作り出すという偉業が達成されたのだった。
  あまりにも、人類は苦しまないで、満屋氏の貢献で、
 エイズ治療薬を手に入れられたため・・この満屋氏の貢
 献は大きくは知られていない。
  一時は、致死率の高い病気で恐れられたのに、鮮やか
 な満屋氏の貢献で、人類はこの苦しみから逃れることが
 できた。
  素晴らしく大きな偉業であるのに・・あまり知られて
 いない。
  (参考)満屋 裕明:みつや ひろあき、1950年8月9日~、
     日本のウイルス学者。国立国際医療研究センター
     研究所長熊本大学特別招聘教授。
     アメリカ国立がん研究所内科療法部門レトロウ
    イルス感染症部部長。HIV治療薬の研究を行ってい
    る。獨協医科大学特任教授。
.
2004年、ディズニーランドのディズニーは、第二次世界大
 戦の時、戦争を讃美し、戦争がより戦われるような戦意
 高揚のアニメを作った。
  ディズニーが作った悪い影響を与えるアニメは『空軍
 力による勝利』というアニメだった。
  これは、2004年、アメリカ国内でDVD化された。
.
2008年、この頃が、中国の転換点だった・・
  この頃から、中国は尊大になって行った。
  (参考)尊大:そんだい、思い上がって、ひどく偉そ
     うに人を見下した態度であること。
  アメリカ人のキリスト教宣教師は、中国でのキリスト
 教の宣教について言った・・
  「数十年間、欧米人による中国での宣教の結果は、つ
 いに一人の真の信者も中国人の間に得られなかった」と。
  アメリカなどは、数千万元の金を使って、数千人の宣
 教師を送り込んで、数千のキリスト教会を中国各地に設
 けていた・・が・・
  「中国国内に、反帝国主義運動が、一度、起こり、今
 までの努力が無駄となり・・宣教活動がなんら価値をも
 たらさなかったことが分かった」と。
  今の中国も、この様なもの・・
  中国は、身を低くし、投資を、日本やアメリカにやっ
 てくれと乞うていた。
  技術も欲しいと『謙虚』に言っていた。
  しかし、目的を達して来ると・・2008年頃から、だん
 だん尊大になった。
  日米欧のおかげで「経済大国になれた」のに・・、
  「今は、自分たちだけで成長したような顔」をして、
 やりたい放題の「粗暴な中国」となっている。
  核弾頭ミサイルが、何百と、日本やアメリカに向いて
 いる。
  キリスト教についても、「金をくれる間だけキリスト
 教徒・クリスチャンになった」だけだった。
  ヒラリー・クリントンが、「中国には宗教が無い。こ
 の国は、半世紀後には最貧国になる」と言ったとおり。
  契約や約束をしたって「守りもしない」。
  今、中国が、WTO規則を守らないのが大きな問題と
 なっているが・・知的財産権など盗み放題の中国となっ
 ているが・・約束なんかしたって守りもしない・・
  実力・力があれば「やって良い」が中国のやり方・・
  この様な中国の本質を知らないで、アメリカは、共産・
 中国を支援し、金を渡して来た。
  完全に見誤っていた。
  国連の常任理事国の席まで与えてしまった。
  日本の新幹線技術や、製鉄技術などを、平然と盗むと
 いう行為をした・・悪いという意識も持たない。
  良い悪いの判断力の喪失国となっている。
  そして、平気で嘘を言い、やってもいない南京事件を
 デッチ上げて、日本を罪に落とす。
  南京事件記念館まで国策で作るという国。
  昔からやって来た中国の嘘宣伝のプロパガンダは、も
 う世界中で、誰も信じない今・現在となっている。
  墓穴を掘った中国となっている。
.
2013年、アメリカのオバマ前大統領が、「アメリカは、世
 界の警察官ではない」と発言したことから、この事は始
 まった・・
  「日本のアメリカの『核の傘』がなくなる」。
  アメリカは、中国の核攻撃リスクが強大化し増大する
 ので、米本土の防衛に専念する・・
  日本は、「自分の国は自分で守れる体制」を早急に整
 えなければならない・・
  元航空自衛隊空将の織田邦男氏が、以下の事を言われ
 ている。
  (参考)織田邦男氏の略歴:1974年、防衛大学校卒。
     第6航空団司令官、航空支援集団司令官(イラク
     派遣航空部指揮官)などを歴任。
      現在、東洋学園大学客員教授、国家戦略研究
      所所長。
  中国は、2020年から2025年までに、台湾を統一し・・
  2025年から2040年までに、南シナ海やインド周辺を支
 配・・
  2040年から45年までに、尖閣諸島と沖縄を奪取する・・
 という、国家計画を立てている。
  2013年に、オバマ前大統領が、「アメリカは世界の警
 察官ではない」と発言したことが、中国を増長させた。
  その半年後に、中国は、南シナ海の南沙諸島をあっと
 いう間に埋め立て、西沙諸島も掌握した。
  あとは、フィリピンの近くにあるスカボロー礁を占領
 すれば、制空権・制海権を完全に確保し、米艦隊や潜水
 艦、哨戒機を寄せつけない「聖域」が完成する。
  かつて、米ソ冷戦では、ソ連が北海道の北東にあるオ
 ホーツク海を聖域化し、米軍は1ミリも近づけなかった。
  中国の海軍も、米艦艇に異常接近などをして、南シナ
 海からアメリカを追い出そうとしている。
  中国に、スカボロー礁をとられれば、日米はゲームオ
 ーバーとなり、中国に屈服する。
  南シナ海の3つの価値・・
  南シナ海の聖域化には3つの戦略的価値がある。
  最も重要なのは、中国が南シナ海を支配できれば、原
 子力潜水艦が太平洋に自由に出られ、米本土を核攻撃で
 きる。
  アメリカは、中国に核攻撃されるリスクを恐れ、日本
 を守る「核の傘」がなくなる。
  現在は、米原潜が、南シナ海の海底で中国の原潜を待
 ち伏せており、いつでも魚雷攻撃を仕掛けられる状態に
 ある。
  中国は、それを恐れている。
  2つ目は、海上交通路(シーレーン)の確保。
  南シナ海では、日本の全貿易船の5割、原油の9割が通
 過している。
  中国がここを抑えれば、「日本のタンカーがオイル漏
 れしているぞ。
  チェックするまで運行を中止せよ!」・・というような
 難癖をつけ、通れなくさせられる。
  3つ目は、南シナ海に眠る石油などの天然資源を手に入
 れられること。
  中国は、沖縄の反米運動を支援・・
  中国は南シナ海だけではなく、沖縄も狙っている。
  米議会の米中経済安全保障調査委員会のレポートには、
 「中国は、沖縄を舞台とする日米分断工作を推進」と明
 記されている。
  中国は、軍事情報を収集する諜報員と反基地運動を煽
 る工作員を沖縄に送り込んだり、米軍へのスパイ活動を
 行ったりしている。
  例えば、レポートには、工作員が米軍関係者の居住ビ
 ルを買収し、管理者用の合鍵で米兵の自宅に侵入し、機
 密情報を奪っている・・とまで書かれている。
  沖縄の基地反対・反米運動は、中国が支援している。
  インド太平洋戦略で対抗を・・
  世界は今、アメリカを中心とし、自由を標榜する「パ
 ックス・アメリカーナ」か、中国を中心とした自由を抑
 圧する「パックス・シニカ」のどちらを選ぶかという判
 断の時代に入っている。
  一帯一路に対抗するインド太平洋戦略は、自由、民主、
 人権などの価値観を共有する国々が団結しようというも
 の・・
  残念ながら、今の日本には、南シナ海を守るだけの戦
 力はない。
  少なくとも日本は、自分の国は自分で守れる体制を早
 急に整えなければならない。
  それはアメリカとしても、日本に根拠地を持つ米第7艦
 隊を守ることを意味する。
  中国は、今後、一時的に南シナ海に配備したミサイル
 を撤去し、トランプ政権の追及から免れようとするかも
 しれない。
  日米は、中国の野望をくじくために、インド太平洋戦
 略を強力に推進し、一帯一路を機能させないようにすべ
 き・・
  (追伸)
  櫻井よしこ氏オフィシャルサイトより・・抜粋・・
  中国が進めるパックス・シニカの道
  中国は、昨年(2017年)10月の第19回中国共産党大会
 で高らかに謳い上げたように、建国100年の2049年までに
 経済的にも軍事的にも米国を凌駕し、「中華民族はます
 ます潑剌として世界の諸民族の中にそびえ立つ」ことを
 目指す。
  その目的達成のために、中国が準備してきた国際的枠
 組みの代表例が、昨年の共産党大会で党規約に正式に盛
 り込まれた一帯一路構想だ。
  今世紀半ばまでに、世界最強の民族になると誓った中
 国共産党は、全地球に中国による網を張り巡らせようと、
 あらゆる分野に手を広げてきた。
  その結果、もはや「一帯一路」ではなく、「三帯五路」
 だなどの声もある。
  駒澤大学教授の三船恵美氏の分析は明快だ。
  一帯一路は、パックス・シニカ(中国による世界の平
 和維持)を目指す構想であり、もはや明確な地図や地域
 はなく、シルクロードの地域を超えて中国の勢力がグロ
 ーバルに展開しているというのだ(「中国外交のユーラ
 シア的展開」JFIR WORLD REVIEW)。
  米国による世界秩序の維持、パックス・アメリカーナ
 を脅かす具体例が一帯一路構想である。
  その実態を三船氏はざっと以下のように説明する。
 中国が各国や各組織(たとえば欧州連合)などと・・、
  ➀:政策面で意思の疎通をはかり、
  ➁:中国と同じ規格のインフラを整備し、
  ➂:貿易を円滑に振興し、
  ➃:資金を融通し、
  ➄:国民を相互に結びつけることによって、世界の政
    治経済秩序を中国が主導する。
  地球全体に影響を及ぼし「朋友圏」(友邦圏)を形成
 し、「人類運命共同体」として、中国が主導していくこ
 とを目指している。
  中国は、影響力拡大のために地政学を見据えた戦略を
 進めている。
  たとえば、中国と中欧、東欧の16の国々が構成する国
 際的枠組み、「中国・中東欧諸国首脳会議」 (16+1)
 である。
  中国は、欧州諸国との2国間関係、欧州連合との関係に
 加えて「16+1」を構築した。
  16か国の内11か国がEUの加盟国だが、中国はそれら
 の国々をも含めて、インフラ事業を共に推進し、投資を
 行い、多層的複層的な関係を築いて影響力を浸透させて
 いく。
  地政学的、政治学的な陣取り合戦を巧みに進めてきた。
  世界制覇の道
  他方、南アジアにおいて中国にとって大事なことはイ
 ンドを超大国にさせず、地域大国におさえておくことだ。
  そのために中国は、インド包囲網を築いてきた。
  「真珠の首飾り」と呼ばれた海からの包囲網は、いま、
 安倍晋三首相が提唱した「インド・太平洋戦略」で打ち
 消されたかに見える。
  三船氏は、しかし、陸上での事象に注意を促す。
  ブータンの高原ドクラムに中国人民解放軍が駐屯地を
 建設し、1600人とも1800人とも言われる軍人が駐留して
 いると指摘する。
  中国には、ミャンマーもバングラデシュも従順だ。
  ドクラムの中国軍と共にこの2か国が手を結べば、挟み
 打ちになるのがインド東部7州だというのだ。
  インド本土と切り離される形になる7州には、水源の州
 で、中国が自国領だと主張するアルナチャル・プラデー
 シュもある。
  7つもの州が孤立させられ奪われる危険が生じるとした
 ら、軍事的に中国に劣るインドは、外交交渉に軸足を置
 くだろう。
  そのとき日本が提唱し、トランプ政権も外交戦略に取
 り入れたインド・太平洋戦略に、インドがどれだけ協力
 するだろうか、という三船氏の問いはもっともだ。
  中国は、北極海への野心も隠さない。
  プーチン大統領をパートナーとする氷のシルクロード
 構想は発表済みだ。
  中国の北極海進出には、日本海、津軽海峡、宗谷海峡
 といった地点における拠点が必要である。
  日本は、このような変化の中で一体どういう道を選べ
 るだろうか。
  中国が、着実に世界制覇の道を進んでいるのである。
  全世界に張り巡らされた一帯一路の網は、世界がすで
 にパックス・アメリカーナからパックス・シニカに移ろ
 うとしていることを示していないか。
  日本にとってこの上なく深刻なこの状況の前で、政治
 家のみならず日本人全員が考えなければならない。
.
2019年1月29日、安倍首相が施政方針演説をした。
  その中の「安全保障政策の再構築」を、読売新聞より
 以下に記す・・(抜粋)・・
  平成の、その先の時代に向かって、日本外交の新たな
 地平を切り拓く。
  今こそ、戦後日本外交の総決算を行なってまいります。
  我が国の外交・安全保障の基軸は、日米同盟です。
  平和安全法制の成立によって、互いに助け合える同盟
 は、その絆を強くした。
  日米同盟は今、かつてなく強固なものとなっています。
  そうした深い信頼関係の下に、抑止力を維持しながら、
 沖縄の基地負担の軽減に取り組んでまいります。
  これまでの20年以上の及ぶ沖縄県や市町村との対話の
 積み重ねの上に、辺野古移設を進め、世界で最も危険と
 言われる普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現して
 まいります。
  自らの手で自ら守る気概なき国を、誰も守ってくれる
 はずがない。
  安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりま
 せん。
  冷戦の終結と共に始まった平成の30年間で、我が国を
 取り巻く安全保障環境は激変しました。
  そして今、この瞬間も、これまでとは桁違いのスピー
 ドで、厳しさと不確実性を増している現実があります。
  テクノロジーの進化は、安全保障の在り方を根本的に
 変えようとしています。
  サイバー空間、宇宙空間における活動に、各国がしの
 ぎを削る時代となりました。
  もはや、これまでの延長線上の安全保障政策では対応
 できない。
  陸、海、空といった従来の枠組みだけでは、新たな脅
 威に立ち向かうことは不可能であります。
  国民の命と平和な暮らしを、我が国自身の主体的・自
 主的な努力によって、守り抜いて行く。
  新しい防衛大綱の下、そのための体制を抜本的に強化
 し、自らが果たし得る役割を拡大します。
  サイバーや宇宙といった領域で我が国が優位性を保つ
 ことができるよう、新たな防衛力の構築に向け、従来と
 は抜本的に異なる速度で変革を推し進めてまいります。
.
2019年1月31日、北朝鮮が、中国に漁業権を売却する。
  「外貨」「漁場」思惑一致・・国連委調査・・という
 表題で読売新聞が報じている・・
  以下は、その報道・・
  国連安全保障理事会で、対北朝鮮制裁決議の履行状況
 を監視する北朝鮮制裁委員会の専門家パネルの調査で、
  北朝鮮が、制裁対象となっている漁業権売却を、中国
 の漁業者と行ない、制裁逃れをしていることが、読売新
 聞が入手したパネルの年次報告書で分かった。
  漁業権売却で、外貨獲得を図る北朝鮮当局と、漁場を
 拡大できる中国の漁業者の思惑の一致が背景にある。
  3月公表予定の報告書によると、昨年(2018年)1月か
 ら11月に、日本海や東シナ海などで北朝鮮の漁業免許を
 持つ中国漁船を15隻以上確認した。
  中国人漁業者は、「漁業免許価格は、月5万元(約81万
 円)」などと証言したという。
  北朝鮮国旗を掲げる偽装をしていた中国漁船もあった。
  国連関係者によると、日本の排他的経済水域〈EEZ)
 で能登半島沖の好漁場「大和堆(やまとたい)」付近で
 も確認された。
  安保理は、2017年12月に、漁業権売却を制裁対象に正
 式に含めていた。
  韓国国家情報院は、北朝鮮が、2016年に、「平成の3倍
 に上る約1500隻(の中国漁船)に漁業権を売り、約3000
 万ドル(約32億円)を得た」と報告。
  「北朝鮮住民は、当局の漁業権販売や、(中国漁船の
 操業拡大に伴う)漁獲量減少に不満を抱いている」と指
 摘した。
  安保理は、2016年、核実験や弾道ミサイル発射に踏み
 切った北朝鮮に対し、鉱物資源の輸出禁止などで制裁を
 強化した。
  北朝鮮にとり、外貨獲得手段の確保は急務だったとみ
 られる。
  中国政府は、パネルの問い合わせに対し、「漁業権売
 却が禁じられた安保理決議採択後、速やかに通達を出し
 た。
  中国企業は、北朝鮮からの漁業権取得は停止している」
 と回答したという。
  ・・以上・・
  (追伸)
  中国が、この様な名目で資金援助をした可能性も否定
 できない。
  韓国も、中国と連携して動きがちになっている今・・
  (防衛費の負担の米韓の交渉も暗礁に乗り上げている)
  (韓国から、米軍の一部撤退も取りざたされている)
  日本へのレーダー照射も変に強気に出る韓国・・
  日本海を取りに来ているという・・
  日本領土の対馬の韓国化も酷い状況という・・
  観光バスのバス案内で、「対馬は、もともと韓国の領
 土です」という説明も飛び出す状況だという・・
  中国は、沖縄・北海道を狙っているが・・奄美もだと
 いう・・
  今こそ、毅然と、しっかり国を守らなければ、やりた
 いことをやられる状況となる・・
  (資料)
  日本の領土への「静かな侵略」が行われている。
 1、中国の日本の土地の爆買いは全国土の2パーセント
  になっている。
   これは、静岡県全県の面積に匹敵する。
 2、対馬は、観光客が激増し、ホテルなども韓国人に経
  営され、実質的に韓国化している。
 3、政府・自治体は、実態を知っていながら、正確に把
  握していず、また、しようともしない。
 4、日本には不動産購入の外資規制はない、国土交通省
  は外国人向けの紹介パンフレットを発行さえしている。
 5、所有者不明の土地は、日本の全国で410万ヘクタール
  あり、これは九州全域を越えるという面積となってい
  る。
 6、2018年6月、所有者不明の土地を利用できる法律を作
  った・・最大10年間・・民間業者など使える特別措
  置法が成立・・外国に買われる状況。
  https://www.youtube.com/watch?v=QLm78cpJaNg
.
2019年2月2日、日露交渉、世界の視点・・
  論理の正しさは、日本にあると世界は見ている。
  しかし、この交渉が成立するとは見ていない。
  標記の表題で、この日の読売新聞にある記事は・・
 1、テンプル大学、ジェームズ・ブラウン准教授
  (参考)ジェームズ・ブラウン氏略歴:イギリス出身、
     英アバディーン大学で国際関係論の博士号を取
     得し、ロシアの外交政策や日ロ関係を研究。
      著書:「日本、ロシアと領土問題。北方の幻
     想」など。36歳
  北方領土問題は、日本の対ロシア外交をゆがめている
 というのが私の持論だ。
  「島は返ってくる」という幻想にとらわれた日本の対
 露融和姿勢は、筋道が通っていないように映る。
  ロシアは2008年にジョージアに武力侵攻した。
  2014年にはウクライナのクリミア半島を併合するに至
 った。
  この時、欧州諸国はロシアを潜在的なパートナーでは
 なく脅威であると認識し、対露政策を変更した。
  欧州諸国は「ロシアのプーチン大統領を懐柔する方法
 はない」と考えている。
  だが、安倍首相は「交渉で妥結できる」と信じている
 ようだ。
  プーチン氏との個人的信頼関係を重視し、経済協力を
 行なう安倍政権の姿勢は無邪気すぎると言えないか。
  ロシアは、日本を米国の同盟国として戦略的に考察し
 ている。
  北方領土が日本に返還された場合に米軍が展開する可
 能性について、安倍首相は「日本政府の承認が必要だ」
 などと述べている。
  だが、ロシアは米国が日本に大きな影響力を持ってい
 ることを熟知しており、プーチン氏は首相の説明に納得
 していない。
  さらに、プーチン氏が在日米軍駐留の可能性を強調す
 る真の狙いは、日米間に問題を生じさせ、安全保障など
 死活的な問題で日本が米国と距離をとるよう促すことだ
 ろう。
  安倍首相は常に「ルールに基づいた国際秩序」を訴え
 る一方、ロシアの行動に対しては極めておとなしいと感
 じる。
  日本は先進7カ国(G7)の対露非難声明に名を連ねて
 も、実効性に乏しく、最小限の制裁しか行なていないと
 の不満もくすぶる。
  安全保障面で中国の動向を懸念し、ロシアと領土問題
 を抱える日本が、欧州とは対露政策で異なる態度をとる
 ことは、ある程度理解されている。
  だが、欧州諸国が日本に期待するのは、国際秩序に関
 わるような重要な問題については、ロシアにより厳しい
 対応をとることだ。
  日本は北朝鮮や中国を念頭に、欧州諸国に東アジア地
 域にもっと関与してほしいと望んでいる。
  欧州諸国は相互的な意味で、対露政策では欧州を支援
 するよう日本に求めているのだ。
  安倍首相は最近、「北方領土は日本固有の領土」とい
 う政府の基本方針も明言しない。
  磁石が吸い付くように首相が歩調を合わせて来る現状
 は、ロシアにとって素晴らしいものだ。
  論理的帰結として、ロシアは現状を変えない。
  時々、領土問題が解決すると望みを持たせ、実際には
 解決させないということだ。
  北方領土問題を当面は棚上げすれは、日本はより自由
 に、合理的で客観的な対露政策を形成できるだろう。
.
 2、米ジョンズ・ホプキンス大学、ライシャワー東アジ
  ア研究所、ケント・カルダー所長
  (参考)ケント・カルダー氏略歴:プリンストン大学
     教授、駐日米大使特別補佐官(1997年~2001年)
     などを経て、2003年から現職。
      著書:「日米同盟の静かなる危機」など。70
     歳
  安倍首相がロシアとの平和条約交渉を前進させ、レガ
 シー(政治遺産)にしようと、プーチン露大統領と幾多
 の会談を重ねている事情はそれなりに理解できる。
  ただ、日本の状況を知らない米国人は、なぜこんなに
 日本がロシアに接近しているのか、理解に苦しむところ
 だろう。
  米国は欧州と同様、2014年のロシアによるウクライナ
 南部クリミアの併合を強く非難し、厳しい制裁を科して
 いる。
  それは、プーチン政権が欧州の国境を一方的に変更し
 ようとした出来事として、日本人が思っている以上に深
 刻にとらえているからだ。
  とりわけ、トランプ大統領の支持層の集まるアメリカ
 中西部の「ラストベルト(さび付いた工業地帯)に住む
 人々はこの問題に敏感だ。
  一帯はウクライナやポーランド、バルト3国など旧ソ連・
 東欧圏からの移民が多い。
  彼らは冷戦時代から党派を問わず旧ソ連・ロシアを脅
 威に感じ、不信感を引きずっている。
  一般の米国人は、日本がロシアにどんな外交をしてい
 るかについてそれほど気にかけてはいない。
  だが、仮に日露が平和条約交渉で米側の予想以上の具
 体的な合意に達し、より両国の接近度が増す様になれば
 話は別だ。
  米国民からも懐疑論が持ち上がり、反発が起きること
 は十分あり得る。
  トランプ氏は個人的にロシアに敵意は持っていない。
  彼自身、ロシアと関係改善を図ろうとしてきた。
  だから日露間に交渉の進展があってもそれほど反対す
 るとは思わない。
  一方、アメリカ議会は安全保障の観点から、対露制裁
 強化法を成立させるなど、ずっとロシアに厳しい目を向
 けてきている。
  今年、トランプ氏は政治的に相当微妙な立場に立たさ
 れる。
  下院の過半数を握る野党・民主党がロシア疑惑をめぐ
 り、トランプ氏の弾劾に向けて厳しく追及していくだろ
 う。
  仮にトランプ氏の関与を裏付ける決定的な証拠が出て
 くれば、共和党からも同意する議員が出てくるかもしれ
 ない、
  トランプ氏は彼らの支持を取り付けておくことが一層
 必要になる。
  共和党議員は概してロシアに厳しく、日露接近を歓迎
 するとは思わない。
  もし日露間に大きな進展があれば、トランプ氏にとっ
 ても難しい状況になる。
  日米関係もより複雑になる可能性がある。
  ロシアは常に日米同盟に揺さぶりをかけて来た。
  プーチン政権になって、米露関係は一層「ゼロサム」
 (片方が得をすればもう一方が損をする)の状況にある。
  これこそが、アメリカにとって、日露関係の進展を受
 け入れにくい要因となっている。
.
 3、ロシア科学アカデミー東洋学研究所研究員、ウラジ
  ーミル・ネリドフ氏
  (参考)ウラジーミル・ネリドフ氏略歴:モスクワ国
     際関係大学講師で、ロシア科学アカデミー東洋
     学研究所の研究員。日本の政治・外交が専門。
     日露関係や東アジア情勢にも詳しい。31歳。
  ロシアにとって、日本との平和条約締結交渉は、国際
 的な文脈で見れば、外交に多様性を与える目的がある。
  プーチン政権は、アジアを重視する政策を打ち出して
 いるが、中国にこだわるのは有効ではない。
  中国は、パイプラインの価格交渉などで自分の利益を
 優先し、ロシアに厳しい姿勢で臨んできている。
  日本と政治的対話を活発化させて、アジアの中でより
 多くの国と関係を改善すれば中国に対するテコになる。
  とは言え、ロシアは中国との関係を悪化させたいわけ
 でもない。
  最近、安倍首相周辺から日本とロシアとの関係改善が、
 中国へのけん制材料になるとの発言が出てきた。
  ロシアは、中国と一定の距離を保つ必要があると考え
 ており、中国と同盟を結ぶ意図はない。
  それでも、中国へのけん制論は容認できないだろう。
  東西冷戦終結後の1990年代は米国の『一極』とも言わ
 れたが、米国は弱体化した。
  中国はもとより欧州も米国に対し独立的な態度をとる
 場面が増え、世界は多極化している。
  ロシアから見れば望ましい状況になっている。
  日本は今も経済、技術的な大国ではあるが、アジア唯
 一の経済大国ではない。
  1990年代とは状況が変わった。
  中国は国内総生産(GDP)だけでなく、技術面でも
 日本を上回る分野が出てきている。
  ロシアにとって日本はアジア唯一のカウンターパート
 ではない。
  実際、韓国との貿易額は日本との貿易額よりも多い。
  ロシアでは、日本がロシアとの約束を守らないのでは
 ないかと考える人が多い。
  安倍首相が南クリル諸島(北方領土)には在日米軍が
 駐留しないと約束したとしても、次の首相がどうするか
 わからない。
  日本にとって日米同盟は絶対的な優先事項だ。
  ロシアが譲歩して平和条約を結んだとしても、日本は
 米露どちらかという状況になれば米国を選ぶだろう。
  日本のために譲歩したら、日本側からの対露投資が大
 幅に増えるという考えがあるが、実際はあまり関係ない
 との見方もある。
  日本の民間企業は経済的問題があっても進出するから
 だ。
  日本企業の中国での活動が良い例だ。
  クリミア編入後の米欧との関係悪化もあり、日本との
 交渉が続くこと自体がプラスになるが、平和条約の締結
 交渉は、全体的な対日関係改善を図る過程の一部に過ぎ
 ず、急ぐ理由もない。
  プーチン政権は条約締結に関し、世論の重要性を強調
 しており、領土の主権を日本に渡す譲歩をする事はない
 だろう。
.
2019年2月5日、ロシアのラブロフ外相が、再度、「北方領
 土は第二次世界大戦の結果で、ロシアに主権がある」と
 改めて強調したが・・、
  まったく歴史の史実に沿った論理となっていない。
  NHKニュースのネットでの公表の主旨は以下・・
  ロシアのラブロフ外相は・・、
  日本との平和条約交渉について、北方領土は第2次世
 界大戦の結果、ロシアに主権があることを日本が認めな
 いかぎりは、交渉は進められないという原則的な立場を
 改めて強調した。
  ロシアのラブロフ外相は、4日に中央アジアのキルギ
 スの首都ビシケクにある大学で講演を行ったあと、学生
 からの質問に答えた。
  この中で、北方領土をめぐる問題でのロシアの対応を
 聞かれたラブロフ外相は、「ロシアに何をしろというの
 か。
  まずは、日本に対して、島々はロシアに主権があるこ
 とを承認し、尊重することを含め、第2次世界大戦の結
 果を認めるよう望みたい。
  それがないかぎりは、交渉は進められない」と述べ、
 平和条約交渉が進展するかは、日本の対応にかかってい
 ると指摘した。
  ラブロフ外相は、今月、ドイツのミュンヘンで河野外
 務大臣と会談を行うとみられ、これを前に、北方領土は
 ロシアに主権があることを認めるべきだという原則的な
 立場を改めて強調した。
  ロシアとしては、1956年の日ソ共同宣言に基づいて仮
 に歯舞群島と色丹島を引き渡すにしても、あくまでも善
 意による行為だと位置づけており、そのためには日本が
 ロシアの主権を認めることが不可欠だとして、今後の交
 渉でも、この立場は堅持していくものとみられる。
  (以上)
  既に、このブログで、歴史的な事実は説明したが・・、
  ロシアは、第二次世界大戦で勝ち取ったと言うが・・
 「これは、まったくの嘘・・史実とは違う」・・
  ロシアは、「大戦で勝ち取ったから主権がある」と言
 うが、「勝ったのは日本」で、ポツダム宣言を受け入れ
 て、終戦となったから、日本とロシアが合意の上で終戦
 処理をした・・日本は武器を置いたということ・・この
 最初の戦い(占守島の戦い)で、日本はロシア(旧ソ連)
 との戦いに勝っている・・日本とロシア(旧ソ連)と合
 意の上で日本は旧ソ連(現:ロシア)に武器を置いて、
 終戦の話が決着した。
  しかし、ロシア(旧ソ連)は、その後、話がすでに決
 着しているのに、日本が武器を置いている島々を、(ア
 メリカやイギリスなども、日本がポツダム宣言を受け入
 れて、戦いは終わっているとしているのに、第二次世界
 大戦は終結している状態であるにもかかわらず)、ロシ
 ア(旧ソ連)は、北方四島まで不法に占拠して行き、奪
 った。
  このロシアの外相は、以下の様に・・強硬な外交姿勢
 をとると説明されているが、史実に沿わない論理で「自
 分勝手な論理展開をするだけの外交官となっている」。
  (参考)セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・ラブロフ:ロ
     シアの外交官、政治家。
      2004年からロシア外務大臣。
      他国の間では、強硬な外交姿勢を取る人物と
     して知られている。Wikipediaより
  歴史の事実や史実に目を向けて、正攻法の正しいで論
 理展開をするのなら良いが、ただ、「戦いに勝った、勝
 った」と言うだけなら、それは屁理屈となる。
  ロシア(旧ソ連)は、最初の戦いの占守島で日本に敗
 け、両国合意で終戦処理行為をして、後、日本が武器を
 置いた島々を不法占拠しただけではないか・・どこが第
 二次世界大戦だというのだ、そして、ロシア(旧ソ連)
 は敗けているのだ?
  ロシアは、ちゃんと成立する論理を説明しなさい。
  ただ、強硬なプロパガンダをするだけでは、交渉は決
 着しない。
  ロシアの不法占拠は明らかなのです。
  ならば・・ロシアは占拠する理由を明らかにしなさい。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

# by suba28 | 2019-02-10 03:00 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)631E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年11月)

題:(増補版)631E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年11月~1895年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年11月8日、遼東還付条約を調印した(12月4日:公布)
  三国干渉の結果、日本と清国との間において、北京で、
 遼東半島還付条約を締結・調印した。
  日本側代表は林董、清側代表は李鴻章。
  三国干渉遼東還付(氷川清話)
  内容・・
  1)日本は清国に遼東半島を返還する。
  2)清国は、1895年11月16日に、返還の代償金として
   日本側に銀三千万両を支払う。
  3)代償金の受け渡しの日から3ヶ月以内に、日本軍が
   遼東半島から撤退する。
  (関連)この2年半後の1898年3月、遼東半島を狙って
     いたロシアは、清と旅順港・大連湾租借に関す
     る条約を結び、遼東半島をロシアのものにした。
      遼東半島に鉄道をつなげ、軍港にした。
.
1895年11月15日、東洋経済新報(とうようけいざいしんぽ
 う)が創刊された。
  経済専門誌。
  渋沢栄一や三菱財閥系の人脈でバックアップされ、町
 田忠治(初代社長)が東洋経済新報社を設立して創刊し
 た。
  1897年、自由主義経済学者の天野為之(ためゆき、2代
 社長)が主幹となって、政治、経済を中心に、日本の産
 業資本主義の発達のための論陣を張った。
  保護貿易に反対し、産業資本主義の確立を主張する。
  1939年には、石橋湛山が社長に就任し、反ファッショ
 の伝統を守り続けた。
  独ソ不可侵条約締結に対する「独逸(ドイツ)の背反は
 何を訓(おし)へるか」など数々の特筆すべき論説がある。
  1961年、週刊東洋経済と改題した。
  現代においても、ジャーナリズムの批判機能が誠実に、
 また、見事に発揮されたのは・・アメリカのベトナム戦
 争秘密文書公開と、ウォーターゲート事件の暴露であっ
 た。
.
1895年11月18日、樺山総督が、台湾鎮定を大本営に報告
 した。
  ベトナムでも騒乱を興した経歴を持つ、中国・清から
 送り込まれた劉永福によって起こされた台湾の騒乱を鎮
 定したと大本営へ報告した。
.
1895年11月22日、自由党が、伊藤博文内閣との提携宣言書
 を発表した。
  予算と不平等条約改正での政争が繰り広げられ荒れた。
  その様な中、自由党は政府批判よりも政治的解決を求
 める方針に転換した。
  日清戦争時は挙国一致体制で展開し、また、日清戦争
 後も、日本の勝利で政権も安定化した。
  しかし、戦争のきっかけだったロシアの朝鮮半島への
 貪欲な進出は止まらなかった。
  日本は朝鮮から遠ざけられるようにさえなった。
  野党は、再び、政府批判を展開した。
  この様な状況の中、伊藤内閣と自由党は正式に協力を
 発表した。
  そして、翌年・1896年4月には、板垣退助が内務大臣と
 して第2次伊藤内閣に入閣する。
  しかし、この後、伊藤内閣は、進歩党とも手を結んで
 挙国一致内閣を目指して行くが、自由党と進歩党との折
 り合いがつかず、この方針は失敗し、伊藤は辞職に至る。
.
1895年11月27日、アルフレッド・ノーベルが遺言書に署名
 した。
  そして、財団が設立され、ノーベル賞の賞金分配とな
 る。
  スウェーデン生まれのノーベル・・
  ノーベルの父は、建築家だったが、スウェーデンでの
 事業に失敗し・・1837年、ロシアへ渡る。
  ロシアでの再起を目指し・・結局、このロシアでの事
 業が成功する。
  1842年、家族は、ロシアの首都・サンクトペテルブル
 クの父の元へ・・
  父の成功した事業というのは、ロシア海軍向けに機雷
 を製造し、販売することだった。
  この時、クリミア戦争が発生し、ロシア海軍は、イギ
 リスの海上支援を妨害するため、バルト海で機雷を使っ
 て封鎖作戦を始めた。
  これによって、ノーベル家は大儲けした。
  裕福な家庭環境で、ノーベルに複数の家庭教師が付き
 化学も学び、語学も学んだ・・
  そして、1850年にパリへ(この時、アスカニオ・ソブ
 レロも居る)・・1851年には、アメリカにも渡る。
  1859年、軍の支払いが滞(とどこお)り、父が、再び、
 破産する・・父の工場は、次男が継ぐ・・
  両親は、スウェーデンへ帰国。
  (参考)クリミア戦争:1853年10月16日~1856年3月30
     日、
     ロシア帝国・ブルガリア義勇兵:フランス帝国・
     イギリス・オスマン帝国・サルデーニャ王国
  この様な事から、爆薬に関係するノーベル家だった。
  しかし、当時の爆薬は、爆発力が弱く、実用性は低か
 った。
  父の影響を受けたのは、娘のアルフレッドだった。
  アルフレッドは、研究者としてパリの高名な科学者の
 元へ・・、
  そして、そこで知り合うイタリア人のアスカニオ・ソ
 ブレロ・・意気投合する二人・・
  ソブレロは、自分が発見した新物質のニトログリセリ
 ンを研究していた。
  しかし、その爆発性の大きさは衝撃的だった・・
  ソブレロは、その扱いに苦慮していた。
  ノーベルは、この話を聞いた時、うまく起爆できるよ
 うにコントロールできれば、非常に有用と感じた・・
  ノーベルが、ニトログリセリンを知ったのは1855年。
  サンクトペテルブルクに戻り、ニトログリセリンの研
 究に取り組んだ。
  1862年に、サンクトペテルブルク沖の海中での水中爆
 発実験に成功した。
  翌年・1863年、帰国し、スウェーデンの特許を取得し
 た。
  そして、鉄道工事での良好な成績が認められた。
  しかし、一番、使用されると思った軍は、「危険すぎ
 る」という理由で拒否された。
  このいぶかる軍の予想通り、ニトログリセリンの合成
 中の爆発事故が発生した・・
  この事故で、弟のエミールら5人の研究者を失うという
 犠牲者を出した・・1864年9月3日・・
  この時、ノーベル自身も負傷した。
  この事で、ストックホルムでの合成研究は禁止された。
  ノーベルは、ドイツのハンブルグへ行く・・、
  そして、ニトログリセリンの工場を造り、製造を開始
 した。
  1865年、この年、研究のある失敗をする・・
  これが幸運だった・・
  ニトログリセリンを運搬する時に、クッション材とし
 て使用していた珪藻土に、ニトログリセリンの液体が染
 み込んでしまった。
  だが、このニトログリセリンが染み込んだ珪藻土でも、
 ニトログリセリンの液体と同様な爆発力を持っていた。
  そこで、ニトログリセリンと珪藻土を混同(こんどう、
 混合して一つになること)し、粘土にして、爆発力を調
 べたところ、爆発性能は同等で、変わらず・・この時点
 で、ノーベルの発明性が完成した・・1866年・・
  しかし、この後のノーベルの特許における経過は、順
 調ではなかった・・
  ノーベルの特許を奪おうとするものが現れたりした。
  特許権争いの裁判に勝つ・・
  そして、1867年に特許権を取得する。
  しかし、特許権争いをした者もあきらめず、所を移し
 てアメリカで争う。
  この結果、ノーベルのアメリカでの軍への販売は出来
 なくなる・・民間利用のみとなる・・
  しかし、土木関係での売り上げは、それこそ爆発的だ
 った。
  ここで、ノーベルは、商品名に「ダイナマイト」と命
 名した・・1871年・・
  ノーベルは、ダイナマイトで50カ国以上の特許権を取
 得し、世界に100近い工場を建設した。
  ノーベルは、この様な経過で、大きな利益を得ること
 ができるようになった。
  ノーベルは、この資金を元に、油田開発や武器製造メ
 ーカーも興し・・さらに巨万の富を得る。
  1878年、兄・リュドビックとロベルトと共に、アゼル
 バイジャンでノーベル兄弟石油会社を設立する。
  1884年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章
 を授与される。
  1888年、兄の死をノーベルの死と勘違いされ、「死の
 商人、死す」「大量破壊兵器の発明者が世を去る」と新
 聞に書かれた。
  1890年、ノーベルが心臓病を発症する・・遺言状を書
 く。
  1895年、心臓病が悪化し、先に書いた遺言状が矛盾だ
 らけのため、再度、遺言状の作成が急がれた。
  そして、最終的なものを書き上げたのが、この日、1895
 年11月27日だった。
  この遺言状に、ノーベル賞の創設など、遺産の使用法
 が書かれた。
  1896年12月7日、フランスのサンレモで脳出血で倒れ、
 意識不明となる・・そして、倒れた3日後、ノーベルは逝
 去した。63歳。
  ノーベルは生涯独身だった・・子供も居なかった。
  彼は、生涯に3度恋愛をしたと伝記にある・・最初の相
 手は、ロシアの娘だったが、彼のプロポーズを拒絶した。
  1876年(43歳)結婚相手を見つけようと、女性秘書の
 募集広告を5か国語で出す・・
  応募して来たベルタ・キンスキーという女性を候補と
 するが・・ベルタには婚約者が居た・・ノーベルのもと
 を去ってその婚約者と結婚してしまった・・
  この女性が、1905年に、女性初のノーベル平和賞を受
 賞する。
  同じ年・1876年(43歳)ノーベルは、当時20歳のゾフ
 ィー・ヘスと知り合い、交流が始まる・・この関係は10
 年間以上続いた・・手紙も218通ある・・しかし、1891年、
 ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり二人
 の関係は急速に冷える・・そして、ゾフィーは、その男
 と結婚した。
  ゾフィーは、ノーベルからの手紙を高額でノーベル財
 団に買ってもらった(ゾフィー、巨万の富を得る)・・
 そのすべての手紙は残っている・・公開もされている。
  因みに、莫大な遺産は、兄弟たちの間で争いとなった・・
  しかし、ノーベル財団の設立となって行く。
.
  (今日の言葉)
.
  題:冊封される韓国が強気・・アメリカとの会談も合意に至らず・・
    日本へは、レーダー照射などの強気の不埒な行為が続く・・
    そして、まさしく、今、中国は監視社会と化している。
    そして、日本の経団連は『中国信仰』を捨てよ!
.
1333年、鎌倉幕府が滅亡したこの頃、能が形作られた。
  710年に元明天皇によって平城京に遷都し、奈良時代が
 始まったが、この奈良時代や、その次の時代の平安時代
 から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲や、神への奉紊
 の舞が集大成されて、能へとなって行った。
  形となったのは、鎌倉時代後期から室町時代前期で・・
  この民衆の芸能が、室町時代に盛んになった禅宗や水
 墨画などの影響を受けた。
  そして、幕府や貴族階級に保護され、洗練されて行っ
 た。
  一例:能「鉄輪(かなわ)
  https://www.youtube.com/watch?v=S8E_16d8dJQ
  あらすじ:
  ある夜、貴船(きぶね)神社[京都市左京区鞍馬貴船
 町]の社人に夢の告げがあった。
  丑の刻(うしのこく、午前2時頃)参りをする都の女に
 神託を伝えよ、というものだった。
  真夜中、神社に女が現れる。
  女は、自分を捨て、後妻を娶った夫に、報いを受けさ
 せるため、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていた。
  社人は、女へ三つの脚に火を灯した鉄輪(五徳・ごと
 く)を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みど
 おり鬼になる・・と、神託を告げる。
  そして、女とやり取りするうちに怖くなり、逃げ出す。
  女が、神託通りにしようと言うやいなや、様子は変わ
 り髪が逆立ち、雷鳴が轟く・・、
  雷雨のなかを、女は恨みを思い知らせてやると言い捨
 て、駆け去った。
  女の元夫・・下京辺りに住む男が、連夜の悪夢に悩み、
 有名な陰陽師、安倍晴明を訪ねる。
  晴明は、先妻の呪いによって、夫婦の命は今夜で尽き
 ると見立てる。
  男の懇願に応じて、晴明は、彼の家に祈祷棚を設け、
 夫婦の形代(かたしろ、身代わりの人形)を載せ、呪い
 を肩代わりさせるため、祈祷を始める。
  そこへ脚に火を灯した鉄輪を戴き、鬼となった先妻が
 現れる。
  鬼女は、捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打
 ち据え、男の形代に襲いかかるが、神力に退けられる・・
 時機を待つと言って姿を消す。
  女の恨み、嫉妬心の恐ろしさを、禍々しい鬼の姿で表
 現する能・・
  丑の刻参りでかけられた恨みの呪いを祈祷ではね返す、
 呪術の力を示す話でもある・・
  しかし、嫉妬の鬼の前では、稀代の陰陽師、安倍晴明
 も影が薄いよう・・、
  鬼女は撃退されるが、一時、力を失っただけのようで、
 いつ機会をうかがい、また、現れるか知れない・・
  力強い陰陽師の存在感もかすむほどの、捨てられた女
 の凄まじい恨み・・
  それを緩急鋭い謡や囃子と、なまなましい型で伝える。
  貴船神社は、京都市中心部から北へ外れた鞍馬の山に
 あり・・
  町中に住んでいただろう女が、通うには大変な距離で・・、
 それだけでも異常・・
.
1745年(延享二年)、新内流し
  新内流しは、江戸浄瑠璃の一つ・・
  富士松薩摩掾(ふじまつさつまのじょう、1686年~
 1757年)が、富士松家を創始したのが新内流しの始まり
 とされる。
  心中物を得意とし、「泣き語り」と呼ばれる哀切な節
 回しが庶民の人気を集める。
  三味線を引きながら市中を歩き、客に招かれて語る「
 流し」から根付いて行く。
  化政期ころ(1804年~1830年)には、太夫と三味線ひ
 きの2人が1組となって、街頭をゆっくり歩きながら演
 奏する方法が行われ始める。
  歌舞伎や時代劇にも登場する。
  https://www.youtube.com/watch?v=a9xgIHOb-KA
.
1920年代、日貨排斥
  中国で、日本商品のボイコット運動が起きた。
  これは、アメリカが、イギリスと一緒になってけしか
 けたものだった。
  (参考)けしかける:そそのかして、自分の思う通り
     に行動させる。
  中国人の間に、「日本ぎらい」の気持ちを植え付けた、
  キリスト教教会が、裏から反日暴動を引き起こす様に
 工作していた。
  キリスト教組織は、共産主義者、コミンテルンとも絡
 んで、裏工作をしていた。
  この中国のキリスト教も、アメリカの国家予算を使っ
 て、キリスト教を中国に根付かせようと資金提供してい
 た。
  キリスト教聖職者を送ったりしていた。
  アメリカは。この様に、中国に火種を蒔(ま)いてい
 た。
  今・現在、中国は、必死に、沖縄と北海道の土地を買
 っている。
  国家の金である・・、
  国際通貨となった「人民元」を、輪転機をフル回転さ
 せて刷って・・その金で買っている。
  この逆は、中国はさせない・・日本は、中国の土地を
 買えない・・
  中国は、国内の不動産を、外国には購入させないよう
 にしている。
  中国は、会社だって、好きに買っている。
  共産主義の独裁国家が、中国の民意なんて聞くことも
 しないで・・無視して・・好き勝手をしている。
  中国は、沖縄の独立を扇動して、昔から中国がやって
 きた「洗国」・・今・現代も、チベットや、ウイグルや、
 内モンゴルでやっているが・・「漢民族以外の人々を他
 へ移動させ」・・そして、そこへ、「漢民族を大量に送
 り込む」・・
  沖縄の地が、沖縄人より漢民族の方が多くなるという
 施策も起こり得る・・チベットなどでやっている様に・・
  もうこうなったら沖縄の地は、当然、「沖縄人の地で
 はなくなる」。
  多数決の決定は、沖縄人の意思の決定ではなくなる。
  中国は、今・現在、この様な方法で自国を拡大してい
 る。
.
1929年、ジャズ喫茶は日本にしかない。
  その最初は、昭和4年(1929年)、東京大学の赤門前に
 出来た「ブラックバード」だった。
  そして、ジャズが演奏されたのは、大正14年(1925年)
 に、横浜・伊勢佐木町の「喜楽座」だった。
  戦争の後、横浜は、アメリカ軍の進駐軍で溢れた。
  多くのジャズ・クラブができた。
  日本人は入れなかった・・
  しかし、日本人で、ジャズが演奏できるミュージシャ
 ンは引っ張りだこだった。
  良い収入に恵まれたほか、アメリカの最前線に触れる
 ことができた。
  そこには、ハンバーガー、コーラ、タバコ、チョコレ
 ート、などなど、口に入れるもので溢れていた。
  また、口に入れるものだけでなく、テイッシュ・ペー
 パー、トイレット・ペーパーなど目を見張るものなども
 含め・・豊かなアメリカの消費物品に溢れていた。
  ジャズ喫茶は、日本人ミュージシャンのたまり場とも
 なった。
  その頃の敗戦国の日本人は、栄養失調で死ぬ人も居る
 くらいで・・食うか食わぬかの状態だった。
  皆、食べる物を求め・・さ迷っていた。
  (参考)ジャズ喫茶とは、主にジャズのSP・LPレ
     コード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来
     店する形式の喫茶店。
      昭和初期にもジャズの普及と共にはじまった
     が、戦争により一時消滅。
      戦後まもなく再開し、1960年代に隆盛を迎え、
      1970年代に下火を迎えた。
  (参考)ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけ、
     アメリカ合衆国南部の都市を中心に派生した音
     楽ジャンル。
      西洋楽器を用いた高度なヨーロッパ音楽の技
     術と理論、および、アフリカ系アメリカ人の独
     特のリズム感覚と民俗音楽とが融合して生まれ
     た。
      演奏の中にブルー・ノート、シンコペーショ
     ン、スウィング、コールアンドレスポンス(掛
     け合い演奏)、インプロヴィゼーション(即興
     演奏)、ポリリズム(複合リズム)などの要素
     を組み込んでいることが、大きな特徴とされる。
      その表現形式は、変奏的で自由なものだった。
      また、初期からポール・ホワイトマンやビッ
     クス・バイダーベックらの白人ミュージシャン
     も深くかかわり、黒人音楽であると同時に、人
     種混合音楽でもあった。
      演奏技法なども急速に発展し、20世紀後半に
     は世界の多くの国々でジャズが演奏されるよう
     になった。
      後のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼす。
.
1942年、ドイツは、れっきとして、国家として売春宿など
 売春業を経営していた。
  また、列強の各国もまた、多かれ少なかれ売春業をし
 ていた。
  日本は、この様な事はしていない。
  業者を監督し、逸脱行為を取り締まったが、日本が自
 ら経営に手を下していない。
  一番、悪辣(あくらつ)だったのがアメリカだった。
  「ナポリ慰安所」と呼ばれたドイツが経営していた南
 イタリアの慰安所を、ドイツを制圧したアメリカは、そ
 の慰安施設を、慰安婦の女性と共に自分のものとし、占
 領の翌日から運営を開始した。
  世界記憶遺産に登録せよ・・
  また、その銅像を立てよ!
  韓国は、ベトナム戦争の時に卑劣な事をして、7000人
 の私生児を見捨てて帰国した。
  また、ベトナムの方々の虐殺の韓国の戦時犯罪からも
 逃げている・・責任をとっていない。
  これも、世界記憶遺産に登録せよ!・・また、銅像も
 立てよ!
  韓国や中国に胡麻をするNHKは、この様な事はまっ
 たく放送しない・・日本を貶(おとし)める事ばかりを
 放送する。
  (参考)ドイツ将兵用売春宿:第二次世界大戦中に、
     ドイツはヨーロッパ各地に作った。
      その大半は新しく作られたが、元々あったも
     のを利用する場合もあった。
      1942年までに、500近い数の売春宿が、占領さ
     れたヨーロッパ各地に作った。
      差し押さえられたホテルなどを、国防軍が警
     備するなどして運営され、兵士や前線から後退
     した兵士に利用させた。
      収容所に設置されたものと合わせて、占領中
     を通して少なくとも34,140人の女性が被害を受
     けた。
      東ヨーロッパでは、多くの場合、女性達は道
     端で、警察や軍によるおとり捜査と称する一斉
     徴収によって連れて行かれた。
  (資料)1941年3月、ポーランド亡命政府の外務省は、
     ドイツ軍によってポーランドの町で性奴隷目的
     の集団女性誘拐が行われたとする文書を発表し
     た。
      ソ連でも、女性達が売春のために無理やり連
     れて行かれた。
      国際軍事法廷での証言・・
      「ドイツ軍の指揮で、スモレンスクの町にホ
     テルを利用した軍属向けの売春宿が開かれ、数
     百人の女性達が連れて行かれた。
      彼女らは、無情にも路上で髪や腕をつかまれ
     引きずられていった」。
.
1945年3月10日、東京大空襲
  1942年、アメリカで、ナパームを使ったM69焼夷弾が開
   発された。
  1943年、アメリカの国家防衛調査委員会 (NDRC)
   焼夷弾研究開発部のレポートでは、住宅密集地域に
   焼夷弾を投下して火災を起こし、住宅と工場も一緒
   に焼き尽くすのが最適の爆撃方法であるとした上で、
   空爆目標の日本全国20都市を選定した。
    この様に、一般市民を大虐殺することが国際法違
   反であるという事を、アメリカは知っている訳だが、
   さらさら考えなかった。
    ひたすら、これをしないと100万人が死ぬんだとい
   う「ありもしない数字」に洗脳されて、この国際法
   違反の犯罪行為を行った。
    さらに、東京、川崎、横浜など10都市については、
   焼夷弾爆撃の有効度によって地域を以下のように区
   分した。
    その最有効地域1は・・
    都市中心部商店街地域、密集地域、住宅工場混在
   地域で一マイル四方あたりの人口密度9万1000人、
   都市人口の25%を占める地域。
    この地域は一平方マイルあたり6トンの焼夷弾で焼
   き尽くすことが可能とアメリカはした。
    アメリカは、日本家屋を再現した実験場を作り、
   大規模な延焼実験を行って、「市民の殺戮は、最初
   からありき」の犯罪的爆撃を目標とした。
    実験用の日本家屋は、室内の畳を日系人の多いハ
   ワイからわざわざ取り寄せ、精巧に作り上げられた。
    これらの実験が、クラスター焼夷弾開発の参考と
   されたことにより、東京大空襲を初めとする日本本
   土への無差別爆撃で「効果的な被害を与えること」
   を確認していた。
  そして、ロックフェラーは思い出して言う、「子供の
 ころの邸内には、キリギリスや虫たちが鳴き、その声の
 あまりの煩(うるさ)さで眠れぬくらいだった」と・・
  そして・・
  「しかし、大人になった今・・、キリギリスは、たま
 に鳴くくらいだ」・・と。
  空から飛行機で殺虫剤を撒いたアメリカ。
  一網打尽に虫を殺す国だった。
  それが進歩したやり方だと思ってやった国だった。
  戦争も、また、この様な思考方法でやった。
  アメリカは、爆弾を、この虫を殺す事と同じやり方で、
 「じゅうたん爆撃」で、日本の一般市民が暮らす町とい
 う町に投下して殺した・・虐殺した。
  国際法違反行為だった。
  アメリカは、この国際法違反行為を東京裁判で裁かず
 に・・逃げた・・、
  国際法違反ではない日本の行為は、この逆に、事後に
 裁ける法律(罪に落とす法律)を作るという卑劣な行為
 を行ってまでして日本を裁いた・・そして・・無実の日
 本人を死刑判決にして殺した。
  この様に、戦争が終わった後まで、アメリカは、屁理
 屈で日本人を殺し続けた。
  その国際法違反の「じゅうたん爆撃の一例」が・・
  1945年3月10日の東京大爆撃で・・、東京の人たちが
 20万人近くも死んだ・・
  そして、けがをしたり、焼け死んだりした人が、数限
 りなく居た。
  https://www.youtube.com/watch?v=4uNzPO5ZSQc
.
1945年8月14日、日本は、連合国へ『8月14日に、降伏の通
 達をすでにした』・・
  そして、その後にはマッカーサーが言うように「その
 降伏状態も日本側の誠意をもって進んでいる」・・
  つまり、8月14日の降伏宣言を「降伏時点として」事は
 進んでいると言っている。
  しかし、この後に、ソ連の不法行為による日本の領土
 の「南樺太」「千島列島」「北方四島」の略奪行為が行
 われる。
.
1945年8月27日、アメリカの指示・依頼により、占領軍向け
 の慰安施設の第1号が開業した(小町園、東京大森)
.
1945年8月27日、敦化事件(とんかじけん)
  占領軍の強姦・暴行に抗議して、日本人婦女子が集団
 自決した。
  この敦化事件は、1945年8月27日、満洲国吉林省敦化
 (現:吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で、ソ連軍によ
 って、連日に渡り、集団強姦され続けていた日満パルプ
 製造(元:王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族
 が集団で自決した事件。
  1945年8月9日未明、突如としてソ連が、満洲国に侵攻
 した。
  敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連
 軍と交戦していた。
  工場や敦化市内は、満人や朝鮮人の態度も変わること
 なく治安が保たれていた。
  1945年8月15日の戦争が終わった後も・・敗戦を迎えた
 後も、工場の満人や朝鮮人従業員は変わることはなかっ
 た・・が・・しかし、敦化市内で満人や朝鮮人の一部に
 よる略奪・放火、そして、日本人女性への暴行が行われ
 るようになった。
  戦争が終わっているのにもかかわらず・・1945年8月19
 日、ソ連軍が敦化市内に進駐して来た。
  終戦になっているので、敦化守備隊は降伏し、武装解
 除をした。
  しかし、1945年8月22日、ソ連軍は、日満パルプ製造
 敦化工場に進駐した・・そして、不埒にも、ソ連軍は、
 社宅に侵入すると1時間以内に社宅の一角を引き渡すよ
 う要求し・・それから、ソ連兵による卑劣な強姦・暴行
 行為が始まった・・現:ロシアは謝罪せよ!・・そして、
 補償せよ!
.
1945年8月、終戦直後のソ連の卑劣な行為
  朝鮮半島北部でも、卑劣なソ連の行動で、多くの日本
 人が亡くなった。
  併合統治されていた朝鮮半島の体制が、日本の敗戦で
 無くなったところへ、ソ連が、卑劣な状況で侵攻して来
 た。
  そして、38度線より北の地域は、1948年9月の北朝鮮
 建国まで、3年以上に渡って、ソ連に占領支配された。
  終戦直後から、日本人は移動を制限されていた。
  そして、不法にも、その日本人は、ソ連領内の収容所
 へ送られた(不法な拉致行為)
  民間人を含む多くの日本人は、日本への帰国を阻まれ
 た。
  ソ連(現:ロシア)は兵士だと言うが、民間人である。
  飢えと寒さで、多くの日本人は死んだ。
  また、その多くの日本人が、病気やけがで働けなくな
 ると「不必要だ」と捨てられた・・北朝鮮へ送られた。
  その人数だけでも「2万7000人の方々」で、この苛酷な
 取り扱いで多くが死んだ・・何と、「その4割もの日本人
 の方々が亡くなった」。
  この朝鮮北部には、40万人の日本人の方々が残ってい
 た。
  1946年秋頃までに、「3万4000人の日本人の方々が亡く
 なった」。
  今・現在、韓国が言うように、一人1000万円をロシア
 は補償せよ!
  その他に、シベリアに抑留された日本人の方々の死亡
 者数が、11年間で5万5000人も居る。
  この方々の分も、ロシアは補償せよ!
  卑劣なソ連の行為があちこちでなされていた。
.
1945年8月28日、連合国軍の先遣部隊が、沖縄本島より厚木
 飛行場に到着した。
  26日の計画であったが、暴風雨のため2日遅れた。
.
1945年8月28日、アメリカ軍のテンチ陸軍大佐以下150名が
 横浜に初上陸した。
  そして、横浜に、連合国軍本部を設置した。
  以後、全国で人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐軍兵力
 は最大で43万人となった。
  早速、特殊慰安施設協会が設立され、各所に慰安所が
 設置された。
  そして、多くの日本女性が慰安婦にされた。
.
1945年8月30日、アメリカ進駐軍の最高司令官のマッカーサ
 ーが、厚木飛行場に降り立った。
  それとともに、アメリカ進駐軍らが横浜に進駐した。
  この進駐した最初の10日間だけで、神奈川県だけで、
 「1336件の強姦事件」が発生した。
  また、この時期、上陸後の1ヶ月だけでも最低3500人
 以上の女性が強姦されたという記録もある。
  マッカーサー元帥と総司令部は、1945年9月17日、東京
 に移駐した。
  因みに、マッカーサーは、靖国神社を焼き払えと言っ
 た・・また、すべての神社も焼き払えとも言った。
  そして、アメリカ占領軍は、日本へ慰安所を作れと命
 令した。
  その書類が東京都などにある。
  言いたい放題・・命令のし放題・・だった・・
  被占領国(日本)へ酷(ひど)い乱暴な事をしたとい
 う声もある。
.
1946年、アメリカ軍の女性兵士用の「慰安夫」が名古屋な
 どに置かれた。
  RAA(アメリカ軍らの進駐軍のために造られた慰安
 敷設)・・
  そして、これとは別に、連合国軍の女性兵士用の「慰
 安夫」も存在した。
  百瀬孝らによれば・・、
  1946年(昭和21年)に、名古屋に進駐した女性兵士用
 の慰安夫に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、
 尿の検査を受け・・
  松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が
 与えられた・・
  そして、半年間、特定の女性伍長の専属となった。
  勤務は一日置き。
  食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったと
 いう。
.
2019年、アメリカは日本と違う・・銃の無い社会である日
 本をイメージしてては・・間違い。
  アメリカは、性悪説のキリスト教で、人間を悪として
 いる・・銃を持って自分を守れとしている。
  銃を持たない奴が悪いという考え方となっている。
  日本は、500年も前に「庶民から武器を取り上げる『刀
 狩り』をした」が・・、
  遅れている社会のアメリカは、500年もの後の今・現在
 でも、その武器・銃がアメリカ中に溢れている。
  そして、毎年、何万人ものアメリカ国民の方々が殺さ
 れる悲劇が起きている・・
  その様な最悪の現状が、まったく改善されない・・
  できない状況となっている。
  人間を悪とするキリスト教の性悪説がこの様な状況を
 生んでいる。
  銃を持つことを善とする歪んだ社会をキリスト教の考
 え方で作っている。
.
2019年、中国は、50年後も、台湾の様に、世界のすべてを
 「革新的利益だ」言っているだろう。
  チベット、ウイグル、内モンゴル、南シナ海、そして、
 沖縄、北海道、尖閣諸島などなどは、その手始め・・
.
2019年1月28日、米韓のきしみ・・中国に冊封される韓国・・
  米国との軋轢が増す。
  (参考)軋轢:あつれき、不和、人の仲が悪くあい争
     うこと。
  (参考)韓国は、冊封されることによって、中国から
     の軍事的圧力を回避でき・・そして・・
      中国の権威を背景として周辺に対して有利な
     地位が築け・・
      日本に対しても、今・現在、レ―ダー照射問
     題、元徴用工の強行判決を起こしたりしている。
      また、歴史を遡っても、この様な状況の時、
     韓国は、竹島問題で日本に強硬な行動(日本領
     の島への上陸)を行なった・・今に始まった事
     ではない。
  この日の読売新聞に「在韓米軍、経費交渉が難航」「
 削減・撤退論に懸念」との表題の記事がある。
  以下、その記事の抜粋・・
  2019年以降の在韓米軍駐留経費の韓国側負担をめぐる
 交渉が難航し、(韓国と)合意する見通しが立っていな
 い。
  交渉が決裂し、在韓米軍(2万8500人規模)が削減され
 るシナリオも議論され始め、懸念が広がっている。
  韓国政府はこれまで・・、
  ①、在韓米軍に勤務する韓国人労働者の人件費
  ②、米軍基地内の建設費用
  ③、軍需支援費・・の3項目の一部を米側に支出し、
 2018年の負担金は、約940億円だった。
  米国務省と韓国外交省は2019年以降の負担額について、
 2018年中の決着を目指し、昨年3月から12月まで10回の
 交渉を行った。
  米側は当初、米韓合同軍事演習で戦略爆撃機がグアム
 から韓国に展開する際などの「作戦支援費」を新たに負
 担項目に含めるよう要求した。
  この要求は取り下げたとみられるが、12月の第10回協
 議では、韓国側の負担額を昨年比5割増の約1300億円とす
 るよう求めたという。
  聯合ニュース(れんごうにゅーす、大韓民国の通信社)
 によると、ハリー・ハリス駐韓国大使が12月28日、要求
 額を約1100億円に引き下げる「米国の最終案」を韓国に
 示したが、「1兆ウオン規模(979億円)」を主張する韓
 国側との開きは大きい。
  協定の期限をめぐっても、米側は1年に短縮するよう求
 め、3~5年としたい韓国と対立している。
  在韓米軍司令部は昨年12月7日、交渉が妥結しなければ
 今年4月中旬から在韓米軍で働く韓国人労働者8000人以上
 が無給で休職になるとの文書を全国在韓米軍韓国人労働
 組合に送ったという。(中略)
  トランプ大統領はかねて「我々は(韓国に対して)と
 ても大きな貿易赤字を抱えているのに彼らを防衛してい
 る」などと語り、不満を公然と表明してきた。(中略)
  23日付の韓国紙中央日報は、米政府当局者が「韓国が
 多く負担するか、我々が(在韓米軍を)撤退するかだ」
 と韓国側に伝えてきたと報じた。
  韓国政府関係者は、「大統領府は、在韓米軍の削減や
 撤退に備えなければならないと考え始めている」と指摘
 する。
  米韓関係筋は今後について、「トランプ大統領は、大
 幅な負担増を勝ち取れれば成果とできるし、折り合えな
 ければ在韓米軍の規模縮小につなげ、北朝鮮との交渉カ
 ードに使えると考えているのではないか」と語った。
  (参考)韓国の今後は・・、
      米軍撤退を要求し、米軍撤退の後、ひどい目
     に会ったフィリッピンの先例のような状況の経
     過をたどるだろう。
      フィリピンは、再度、米軍駐留を依頼して、
     再駐留が実現している。
      米軍の不在の間に、フィリピンは、中国の領
     土侵略に会っている。
,
2019年1月28日、中国の「スパイ機構の構築」が挫折へ
  この日の読売新聞に、「ファーウェイ規制強化も」「
 EU副委員長、中国法に強い懸念」という記事が報じら
 れている・・
  以下はその抜粋・・
  欧州連合(EU)の執行機関・欧州委員会でデジタル
 分野を担当するアンシプ副委員長が、本紙のインタビュ
 ーに応じ・・、
  中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)が、
 中国政府に情報を提供する危険性があるとの認識を示し
 た。
  そのうえで、同社製品を念頭に置いた規制強化を検討
 していることを明らかにした。
  アンシプ氏は、中国が、2017年6月に施行した国家情報
 法に触れ、「中国企業は(同法に基づき)中国の情報当
 局に協力する義務を負っている。
  国家情報法によって『バックドア(裏口)』が仕込ま
 れるリスクが生まれた」と指摘した。
  バックドアとは、通信機器と外部の通信を可能とする
 不正プログラムやチップのことで・・
  アンシプ氏は、機密情報が盗み取られる可能性に言及
 し、「加盟国はリスク評価を徹底する必要がある」と訴
 えた。
  EUが、今春にも次世代通信規格「5G]を含む通信
 機器の認証制度を新設する予定だとし、この制度の下で、
 危険性の高い製品が無意識のまま使われないように周知
 していく考えを示した。
  米英や日本は、既に、ファーウェイを5Gの整備事業
 などから排除しており、EUも足並みをそろえる方向と
 なる。
  関連記事(読売新聞)・・
  表題:「『慎重』一転、包囲網強化」「『スパイ』契
 機、排除の動きも」
  米英や日本で排除の動きが広まる中国通信機器大手「
 華為技術」(ファーウェイ)をめぐり、欧州連合(EU)
 も関連の規制強化の検討を始めた。
  これまで中国製品の排除には慎重だった欧州各国でも、
 安全保障上の懸念が広がっていることが背景にある。
  EU内では、ポーランド当局が今月11日、ファーウェ
 イの現地法人に勤める中国人の男と、通信会社勤務のポ
 ーランド人の男をスパイ容疑で逮捕したことを受け、フ
 ァーウェイに対する警戒感が急速に広がった。
  ポーランドのブルジンスキ内相は、地元メディアに対
 し、ファーウェイ製品をめぐり、「EUとして一致した
 行動をとるべきだ」と強調した。
  オランダやチェコなどでも、製品排除を念頭に置いた
 動きが表面化している。
  EUで担当するアンシプ副委員長は「(中国のスパイ
 活動への同社の協力について)堅い証拠が必要だと主張
 する人たちがいるが、公にできる証拠がそろってからで
 は遅きに失する」と、EUとしての対応を急ぐ考えを示
 した。
  当初は、経済的な影響への考慮から慎重姿勢を示して
 きた独仏でも、風向きが変わり始めた。
  独経済紙ハンデルスブラット(電子版)は17日、ファ
 ーウェイ問題で、独政府が製品排除に向けた検討に入っ
 たと報じた。
  次世代通信規格「5G]の整備事業に関連したセキュ
 リティー要件を厳しくすることで、ファーウェイを事実
 上、入札から除外する案などが浮上しているという。
  英紙フィナンシャル・タイムズは、「独政府のUター
 ン」と指摘。
  トランプ米政権が、ファーウェイの締め出しを強く求
 めていることを念頭に、「米政府からの圧力に屈した」
 などと分析した。
  また、仏経済紙レゼコー(電子版)は21日、仏政府が
 ファーウェイの排除を可能とするよう、サイバー対策を
 担う部署の権限強化を検討していると報じた。
  同紙は、ファーウェイ問題を巡り、仏政府が中国との
 関係悪化を危惧しているとも指摘した。
  実際、ファーウェイ製品の排除の動きが加速すれば、
 EUと中国の関係に影響が及ぶ可能性もある。
.
2019年1月28日、中国・ロシア・北朝鮮のICBM攻撃の
 迎撃態勢を強化へ
  この日の読売新聞によると・・
  表題:「米、日本に新レーダー検討」
     「近く配備打診」
     「対ICBM強化」
     「中・露・北朝鮮を念頭」・・とある・・
  米国を狙った大陸間弾道ミサイル(ICBM)への迎
 撃態勢を強化するため、米政府が大型固定式レーダーの
 日本配備で協力を求める意向を持っていることがわかっ
 た。
  近く日本政府に打診し、協議を始めたい考えだ。
  中国、ロシア、北朝鮮による対米攻撃を念頭に置いて
 いる。
  複数の日米関係筋が明らかにした。
  日本への配備を検討しているのは「HDR(米本土防
 衛レーダー)」と呼ばれる新型のレーダー。
  米本土のほか、ハワイ、米領グアムなどに向かうIC
 BMを発射地点近くから追尾する。
  人工衛星を攻撃する「キラー衛星」やスペースデブリ
 (宇宙ゴミ)の監視にも利用するほか、レーダーが得た
 情報は自衛隊と共有する方向だという。
  米軍は、2023年に、ハワイで同型レーダーの運用を始
 める予定だ。
  日本配備は、2025年までに行い、ハワイのレーダーと
 連携運用することを目指している。
  米国は、現在、自国を守る地上配備型のミサイル迎撃
 システム「GMD]を保有している。
  ミサイル本体は、アラスカ州とカルフォルニア州に配
 備し、同州などにあるレーダーで追尾する。
  しかし、近年は、車両で運搬可能なICBMを中国が
 開発するなどし、発射の兆候を把握するのが難しくなっ
 ている。
  より正確な迎撃を行なうには、発射後の短時間に様々
 な情報を得る必要があり、発射場所に近い所からミサイ
 ルを追尾できるよう、態勢を整えることにしたとみられ
 る。
  トランプ米大統領は、17日に発表した「ミサイル防衛
 見直し」(MDR)で、中露や北朝鮮によるICBMの
 脅威を指摘し、ミサイル防衛の体制を強化する方針を打
 ち出した。
  HDR開発も、その一環と位置づけている。
  米軍は、既に、ICBMより射程が短い弾道ミサイル
 を追尾するため、移動式のレーダー「TPY2](Xバ
 ンドレーダー)を青森県と京都府に展開している。
  ただ、今回のような固定式レーダーを設置する場合は、
 恒常的に使える用地を確保する必要があり、周辺への電
 波の影響なども考慮しなければならない。
  このため日本政府は、米国から正式にHDR配備の打
 診を受け次第、受け入れの可否を慎重に検討する方針だ。
  日本政府は、北朝鮮によるミサイル攻撃などを念頭に、
 新たな地上配備型迎撃システム「イージスアショア」の
 配備を決めている。
  陸上自衛隊が、2025年度頃に運用を始める見通しだが、
 配備予定地の秋田、山口両県では反対論も根強い
  (意見1)中国の手先になった韓国。
  (意見2)中国・ロシア・北朝鮮は、まず、これをた
      たきに来るだろう・・だから、日本は「専守
      防衛」ではなく、「専守攻撃」にしなくては
      ならない。
,
2019年1月28日、自民、改憲へ世論喚起・・
  この日の読売新聞に標記の表題と、「ネット番組・全
 国講演で周知」・・とある・・
  28日に召集される通常国会では、安倍首相が目指す憲
 法改正に向け、どこまで議論が進むかも焦点の一つとな
 る。
  自民党は、自衛隊の明記を柱とする4項目の改憲条文
 案を会期中に提示したい考えで、世論を喚起する取り組
 みに力を入れている。
  「全国から幅広い意見が出てくるような環境づくりを
 しっかりやる。
  どの様に憲法改正を進めて行くべきか(の議論を)、
 皆さんと一緒に進めたい」
  自民党の下村博文・憲法改正推進本部長は27日、松山
 市で講演し、議論の深まりに向けた環境整備に力を尽く
 す意向を示した。
  推進本部は、具体的な取り組みの一つとして23日、党
 のインターネット番組「カフェスタ」を通じた情報発信
 を始めた。
  毎週水曜日に放送する予定で、党改憲案のポイントな
 どについて解説するという。
  来月10日の党大会後には、全国各地で講演会などを通
 じた党改憲案の広報活動も始める。
  289の衆議院小選挙区支部ごとに憲法改正推進本部
 を設置し、周知を主導する。・・以下略・・
  (意見)戦後、アメリカが、偽造し、残した憲法の改
     正から始めなければならない日本なのだ・・
      また、戦後、アメリカが行なった日本の洗脳
     のマインド・コントロールを解く作業がやっか
     いなのだ・・
      そのマインド・コントロールを解き切らない
     うちに・・日本人は滅亡するのか??!?
,
2019年、結局、中国の共産党独裁政権の独裁政治は、大衆
 のためだなんて言って政治をしても、最後は一部の自分
 たちだけに都合のよいことをしている。
  自分たちだけの私腹を肥やす事をしている。
  自分たちだけに都合のよい理屈をこね回している。
  そして、世界に害悪を流し続けている。
  南シナ海にしろ、自分勝手な論理で正当化している。
  国際機関が否定しても、屁理屈でその指示に従わない。
  駆逐されるべき条件がそろっている独裁政権となって
 いる。
  中国が、国連の常任理事国に居る資格もまったく無い。
  国連の理念を汚(けが)している。
  理事国の資格を剥奪(はくだつ)すべき条件はそろっ
 ている。
  中国の常任理事国の資格は剥奪されるべきだ。
  代わりに国際社会に貢献する日本を常任理事国にすべ
 きである。
  そして、敵国条項を廃棄せよ!!
  国際社会は変わっているのだ。
  遠の昔に、この国連条項は陳腐化し、古くなっている
 のだ。
,
2019年、プーチン君!! プーチン君よ!! 君は下らな
 い屁理屈を言うな!!
  日本の武道を一生懸命しているというが・・、
  日本の武道の精神は『まったく分かっていないようだ
 な!」。
  日本の武道が一番嫌う「卑怯な事を言った」ようだな。
  日本に返還すると約束した島々に「『主権を返還する』
 とは書いてない」と言ったんだって・・?
  馬鹿も休み休み言え!!
  もう一度言うが、「卑怯な事は言うな!!」。
  誰が聞いたって、プーチン君!君の論理は「屁理屈だ」。
  そんな言い方をしたら、世界の条約のすべてが「あっ
 て無きが如くになる」。
  そんな事も分からないのか!
  卑怯な屁理屈は言うな!
  そして、返還された島々に、アメリカのミサイルを置
 くから返還できないと言ったというが・・、
  君がミサイルを置いているからなのだ・・
  君がミサイルを置いている限り、君が返還した島々に
 ミサイルを置かざるを得なくなるのだ・・
  君が、東京やニューヨークに狙いを定めているミサイ
 ルを置いている限り、島々にミサイルを置かざるを得な
 いのだ・・
  そのミサイルに、モスクワを狙わせ、北京も狙わせざ
 るを得ないのだ・・
  北朝鮮も狙わせざるを得ないのだ・・・・
  人類は、同時に、皆、絶滅することになるが・・
  自分たちだけが生き残れるなんて考えるな!!
  今は、広島・長崎より絶大に威力が増しているから、
 キノコ雲も巨大になる・・
  あのキノコ雲は、広島・長崎の人々が蒸発した水蒸気
 やガスなのだ・・
  その様なガスの雲が、自分の所だけには上がらないな
 んて考えるな・・そんな論理は展開するな!!
.
2025年、今から5年か6年後のこれから来るこの頃、中国の
 時代になっているという・・
  産経新聞特別記者の田村秀男氏が・・、
  「経団連は『中国信仰』を捨てよ」という論稿で詳説
 しているが・・
  アメリカのペンス演説は、中国が新しい世界覇権計画
 を見せていること・・
  『中国製造2025』と称し、ロボット工学、人工知
 能を含む世界の最先端産業の9割を支配しようとしてい
 ること、
  中国が、トランプ政権を倒し、別の大統領に取り替え
 るために、さまざまな手段を弄(ろう)していること、
  アメリカの教育、大学、マスメディアはもとより、映
 画や放送にまで『検閲』の手を伸ばして、アメリカ社会
 を攪乱(かくらん)しようとしていること
  ・・などを、激しく批判している。
  中国は、2020年までに、人間生活のほぼすべてをコン
 トロールする『ジョージ・オーウェル式のシステム』を
 作り上げようとしている・・と指摘している。
  アメリカは、それを黙認してきた歴史がある。
  その沈黙が、中国を助けることになった。
  それを指摘したのが、この演説のポイントだった。
  (参考)ジョージ・オーウェルは、全体主義国家の監
     視社会を描いた小説家・・
      まさしく、今、中国は監視社会と化している。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-02-04 04:12 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)

題:(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月31日、清国政府の、講和条約に基づく、第1次
 軍事賠償金の振込分5000万両を日本が受領した。
  日本は受け取りをポンドで、ロンドンで受け取ること
 を提起した。
  条約は銀であったが、銀で受け取ると日本へ輸送しな
 ければならなかった。
  清国にその輸送の失費が生じる。
  また、銀価は傾向的に下落状況にあった。
  また、為替相場への影響を避けたいとの意思も働いた。
  そこで、当時、一番、国際通貨で強力だったポンドに
 したのだった。
  それと、日本の貿易も増える傾向があり、その支払い
 に便利であった。
  貿易の決済に於いて、ロンドンは国際金融の中心であ
 った。
  この様な事もあり、日英の結びつきも高まって行く。
.
1895年10月31日、帝国京都博物館(明治古都館)(旧称:
 本館)が完成した。
  設計、片山東熊、
  煉瓦造平屋建て、フレンチ・ルネサンス様式
  1892年6月、建築工事に着工。
  1895年10月、完成。
  1897年5月、開館、諸準備が整い、開館した。
  当初、3階建てで計画されたが、1891年に発生した濃尾
 地震でレンガ造2階建ての建物が多く倒壊した。
  このことを踏まえ、平屋建てに変更した。
  経緯・・
  1888年、宮内省に臨時全国宝物取調局(局長:九鬼隆
   一)が設置され・・、
    日本各地の社寺等の文化財(当時の用語では「宝
   物」)の調査が行われた。
    その結果、京都・奈良には、特に、文化財が集中
   しており、それらを収蔵保管する施設の整備が急務
   とされた。
    こうして当時の日本政府は、京都と奈良に国立の
   博物館を設置することとした。
  1889年5月、宮内大臣通達により、「帝国京都博物館」
   と「帝国奈良博物館」の官制が定められた。
    京都国立博物館の前身である帝国京都博物館が機
   関として発足したのはこの時だった。
    初代の館長は、森本後凋(こうちょう)。
    この人の在任中は、博物館開館以前の準備期間で
   あり、実質的な初代館長は・・
  1894年2月に就任した山高信離(のぶあきら)だった。
  1890年、帝国京都博物館の建設地が東山七条の現在地
   に定められる。
    この土地は、方広寺(大仏)旧境内にあたり、こ
   の当時、東半が民有地、西半は七条御料地(旧:恭
   明宮)であった。
    恭明宮とは、明治初年の神仏分離後、それまで御
   所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇陛下の
   御位牌を安置していた施設(1870年設置、1876年廃
   止)。
.
1895年11月3日、奈良鉄道の伏見駅~桃山駅間が開通した。
.
1895年11月4日、日本鉄道土浦線の土浦駅~友部駅間が開通
 した。
.
1895年11月5日、西洋音楽家で、幸田露伴の妹の幸田延(こ
 うだのぶ)が、留学から帰国した。
  1870年3月19日~1946年6月14日、バイオリニスト、ピ
 アニスト、東京音楽学校教授。
  文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)卒業後、母校
 に奉職した。
  1870年3月19日、東京下谷に生まれる。
  1880年(10歳)10歳の時に、文部省音楽取調掛に勤務
   していたお雇い外国人メーソンに音楽の才能を見出
   された。
    その個人指導でピアノや洋楽を学んだ。
  1885年(15歳)音楽取調所(同掛から改称)を優秀な成
   績で卒業した後、同所研究科に在籍する傍ら同校助
   手となり、弱冠15歳で教える立場となった。
  1888年(18歳)ルドルフ・ディットリヒの薫陶を受け
   る。
  1889年(19歳)~1895年(25歳)ルドルフ・ディット
   リヒの推薦により、第1回文部省留学生としてボスト
   ンのニューイングランド音楽院へ・・
  1891年(21歳)さらに、ウィーン音楽院に留学する。
   バイオリン、ピアノ、そして、作曲を学ぶなど本格
   的な音楽教育を受ける。
  1892年(22歳)新しい時代を象徴する女性として期待
   と人気を集め、新聞紙上の「婦人音楽家の人気投票」
   で洋楽部門の第1位に輝いた。
  1895年(25歳)帰国、母校の助教授となる。
  1896年(26歳)帰朝披露演奏会では、メンデルスゾー
   ン「バイオリン協奏曲ホ短調」第一楽章の独奏や、
   シューベルト「死と乙女」の独唱などを行い、好評
   を博す。
    作曲や編曲でも才能を発揮し、帰朝早々にバッハ
   の「バイオリン・ソナタ」を弦楽合奏用に編曲した。
  1897年(27歳)日本人による最初の本格的な器楽曲で
   ある「バイオリン・ソナタ ニ短調」を作曲する。
  1898年(28歳)東大哲学科の教師であり、すぐれたピ
   アニストでもあったラファエル・フォン・ケーベル
   が東京音楽学校でピアノレッスンを行った際の通訳
   も務め、その後、ケーベルの教えを受けてピアノ教
   師に転向する。
    以来、「音楽教育界の大御所」「上野の女王」と
   呼ばれた。
    滝廉太郎、本居長世、久野久子、三浦環ら次代を
   担う多くの俊英を育てる・・とともに、皇族方の音
   楽指導にも当たるなど、明治音楽界における女性の
   第一人者として尊敬を集めた。
  1899年(29歳)教授に就任。
  1906年(36歳)従五位を授けられる。
  1909年(39歳)同校を退職。
  1909年(39歳)~1910年(40歳)欧米視察。
  1912年(42歳)自宅に審声会を開き、ピアノの個人教
   授を行う。
    東宮職御用掛となり皇族に音楽を教授する。
  1915年(45歳)日本の女性の手による初の交響曲「大
   礼奉祝曲」(混声四部合唱付)を作曲する。
    これは、大正天皇陛下の御即位を祝した曲だった。
  1916年(46歳)唯一の歌曲である神奈川県立高等女学
   校(現:神奈川県立横浜平沼高等学校)の校歌を作
   曲する(作詞は佐佐木信綱)
    この曲の冒頭は瀧廉太郎作曲の『荒城の月』と同
   じ音型であるが、早世した弟子の瀧へのオマージュ
   であるという。
   (参考)オマージュ:尊敬。敬意。芸術や文学にお
      いて、尊敬する作家や作品に影響を受けて、
      似たような作品を創作することを指す用語。
  1931年(61歳)楽壇生活50周年を記念した祝賀演奏会
   が開かれ、明治天皇陛下の御製を歌詞とした自作曲
   「あさみどり」が演奏された。
  1937年(67歳)音楽家として、また、女性としてはじ
   めて帝国芸術院会員となる。
    他の作品に「地久節の歌」などがある。
  1946年6月14日、逝去される。76歳
    生涯独身を通した。
  (追伸)幸田延:ヴァイオリンソナタ 第1番 変ホ長調/
      (Nobu Koda:Violin Sonata No.1 Es-major)
    https://www.youtube.com/watch?v=yryTmyT_0QA
.
1895年11月6日、樺山台湾総督、各軍へ凱旋帰還命令を出す。
.
1895年11月7日、関西鉄道の桑名駅~弥富駅間が開通し、草
 津駅~名古屋駅間が全通する。
.
1895年11月8日、ドイツ人物理学者のヴィルヘルム・レント
 ゲンが、エックス線を発見した(10月説あり)
  レントゲン線と呼ばれる
  エックス線(X-ray)は物理学では波長が1pm~10nm程
 度の電磁波のことを言い、放射線の一種。
  レントゲンは、放電管を用いて「陰極線」の研究をし
 ている時にX線を発見した。
  排気されたガラス管内に陰陽二本の金属電極を封入し、
 両極に電圧を加えると、空気中よりはるかに低い電圧で
 放電が起こった。
  そして、管内に蛍光が生じた。
  この現象は、17世紀中頃から分かっていた。
  多くの研究も行われていた。
  最初の実験を行ったのが、イギリスのホークスビー(
 1666頃~1713年)だと言われている。
  その後、1855年、ドイツのガイスラー(1814年~1875年)
 が高性能の水銀ポンプを開発し、真空度の高い放電管を
 作ることに成功する。
  さらに、1858年、ドイツのプリュッカー(1801年~1868
 年)が、この放電管を用いて、真空放電の実験をしてい
 て、陰極に向かい合った部分のガラスが緑色の蛍光を発
 して輝くことに気付いた。
  また、蛍光を発する場所が、磁石を使って移動できる
 ことも観察した。
  これらのことから、磁石によって影響を受けるある種
 の線が、陰極から発していると考えた。
  1876年、ドイツのゴルトシュタイン(1851年~1931年)
 が、この線を「陰極線」と命名し、その性質の研究に着
 手した。
  同じ頃、ヒットルフ(1823年~1931年)、 クルックス(
 1832年~1919年)など多くの科学者が、それぞれの放電管
 (ヒットルフ管、クルックス管と呼ばれる)を開発し、
 陰極線の正体を解明する研究をした。
  こうした流れの中、19世紀末の1895年、レントゲン(
 1845年~1923年)がX線が発見した。
  その後の1897年、トムソン(1856年~1940年)が、X線と
 陰極線の正体である「電子」を発見した。
  これを契機に、人類は、ミクロの世界の物理学に足を
 踏み入れた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今の様なNHKであるならば・・、
    日本中の人々のすべてが・・、
    一旦、NHK受信料を不払いして・・、
    そして、NHKを解体しなければならない。
.
1895年、この年の日清戦争で清国が日本に敗れて以降、中
 国大陸をめぐる情勢は一変した。
  日本への賠償金を支払うため、清国政府は、ロシア帝
 国とフランスから借款し、その見返りとして露仏両国に
 清国内における様々な権益を付与した・・させられた。
  その様な羽目になったが、これがきっかけとなり、急
 速に列強諸国による中国分割が進み・・、
  (眠れる獅子の如くに言われていた清国の化けの皮が
 はがれたという状況だった・・その弱みに付け込む列強
 という状況だった)
  阿片戦争以来の清の「イギリス一国の植民地」(非公
 式帝国)状態が崩れた・・寄ってたかる状況となる。
  とりわけ、シベリア鉄道の満洲北部敷設権獲得に代表
 される『ロシア』の満洲や北中国への進出は激しかった。
  フランスも、フランス領ベトナムから進出して、雲南
 省、広西省、広東省、四川省など、南中国を勢力圏に収
 めて行った。
  そして、既に、利を得ていたイギリスに対して、北中
 国を勢力圏とするロシアと連携して、イギリスを挟撃し
 てくる恐れが生じていた。
  (ロシアとフランスは、1893年に露仏同盟を締結して
 いて、三国干渉に代表されるように中国分割においても
 貪欲に、密接に連携していた)
  これに対抗したイギリス・・イギリス首相第3代ソール
 ズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルは、清国の
 領土保全を訴えた。
  その様なことをして、イギリスは、ロシア・フランス
 の中国大陸におけるイギリスの権益の食い荒らしを防ご
 うとした。
  さらに、1896年3月、ドイツ帝国と連携して、露仏に先
 んじて、清政府に対日賠償金支払いのための新たな押し
 付け借款を与えることで、イギリス・ドイツの両国の清
 国内における権益を認めさせた。
  また、1896年1月、フランスと協定を締結して、イギリ
 ス・フランス両国とも、メコン川上流に軍隊を駐屯させ
 ず、四川省と雲南省を門戸開放することを約定した。
  これによってフランスの北上の食い込みに一定の歯止
 めをかけることに成功した・・列強の血眼な中国の食い
 放題状況だった。
.
1945年8月18日、ソ連軍が千島列島へ侵略を開始した。
  占守島で日本軍交戦(21日、停戦令出る)。
.
1945年8月18日、占守島(しゅむしゅとう)の戦い(~1945年
 8月21日)
  日本の領土の千島列島の最北端の島の占守島・・
  この島で・・この日に、この日本の領土の占守島に、
 ソ連が、突然、攻めて来た。
  この防衛戦で、日本は勝利した。
  まったくおかしいのは、戦争はすでに終わっているの
 に、「ソ連が、不法に攻めて来た」ということであった。
  日本は、すでに、1945年8月14日に、「日本の降伏を連
 合国に伝えていた」・・、
  連合国も「これを了解していた」・・
  そして、「連合国と日本との戦闘行為は止まっていた」。
  ここが大事なのである・・『戦いは終了していたので
 ある』。
  ソ連は、その様な状況であるのに、突然、攻めて来た。
  2019年1月23日の読売新聞によると・・
  この度、安倍首相が、ロシアを訪問され、北方領土問
 題を含む平和条約交渉に臨んだ・・が、しかし・・
  ロシア(旧:ソ連)の言い分は・・、
  「日本側は北方領土について、1945年8月にポツダム宣
 言を日本が受諾したにもかかわらず、ソ連が日ソ中立条
 約を無視して、『不法占拠』したという立場をとる」と
 主張し、歴史認識が違うと言った。
  しかし、明らかに「戦争は終結していた」のだ。
  連合国は、戦闘行為を止めていたのだ。
  ただ、その連合国のソ連(現:ロシア)だけが、突然、
 不法に戦闘行為をしたのだ。
  日ソ中立条約も存在しているのにである・・
  既に、アメリカやイギリスの連合国は、「日本の降伏
 を了解し、戦闘行為を止めている」のだ。
  また、ロシア(旧:ソ連)の主張は・・、
  「ソ連が、第二次世界大戦の結果で領土を取ったのだ」
 と言った・・が・・これは、おかしい。
  そして、日本は、この『占守島の戦いで勝利している』
 のだ。
  戦いは占守島で日本が勝ったように(ソ連を敗かせた
 ように)日本はソ連との戦いに勝利しているのだ。
  しかし、「終戦だ」「戦いは終わったのだ」「日本は
 降伏したのだ」と、「日本とソ連が合意した」から日本
 は武器を置いたのだ。
  そして、日本とソ連は合意のもとで、日本は武器を引
 き渡し、ソ連は合意のもとでその武器を受け取り、「武
 器の引き渡し式は、両国の合意のもとで終わった」。
  つまり、この時点で、「日本とソ連は、戦争は終わっ
 たと合意していた」のだ。
  ソ連がこの事態を認めたから、この占守島の戦いに勝
 利した日本は武器を置き、双方がその事態の収拾を行な
 ったのだ。
  ソ連政府も、この事態の成り行きを受け入れた。
  この様な事があるのに、武器を置いている日本に対し、
 ソ連は、不法に、日本の領土の奪い取り行為をその他の
 島々で続けた・・日本領の北方四島まで続けた。
  そして、またまたソ連が卑劣なのは、この時、占守島
 でソ連に勝った日本の兵士たちを、シベリアに連れて行
 くという『不法な拉致行為』を行なった。
  そして、この勝利した多くの日本兵が、不埒な環境に
 置かれ、その多くの日本兵が死んだ・・殺されたと言っ
 ても良い。
  また、ソ連が、「戦争に勝ったから取った」と言うの
 なら、この日本が勝った占守島は日本の管理下に置かれ
 るべきだ。
  それ以外の、既に、武器を置いた日本兵の居る島々を
 盗ることは許されない。、
  また、韓国の徴用工の言い方をするならば・・拉致さ
 れて、不適切な環境下で働かせられて、シベリアで多く
 の日本人が死んだことを補償すべきだ・・
  韓国が言う様に、一人当たり1000万円の金をソ連(現:
 ロシア)は日本へ支払うべきだ。
  日本は、大金を、すでに、韓国に支払っている・・
  ただ、韓国政府が、しっかり対応をしていないから、
 日本がとやかく言われる状態となっている。
  ロシアは、この件で、何らの補償をしていない状況と
 なっていて、日本との何の決着もつけていない。
.
2004年9月、NHKの北九州放送局の経理職員が、印鑑の不
 正使用をして、NHKの銀行口座から約100万円を着服し
 た。
.
2004年9月、NHKエンタープライズアメリカに出向中の職
 員が、経費約370万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの経理職員が、取引銀行通帳を改竄(か
 いざん)し、約300万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの甲府放送局職員が、総額38万円相当の
 備品を窃盗した。
.
2004年9月、NHKの放送技術職員が、外部制作会社に約
 1240万円を架空請求させて、約1120万円を着服した。
.
2005年3月、NHKのシンガポール駐在の特派員2人が、経
 費の約795万円を着服した。
.
2005年4月、NHKの番組制作局ディレクターが、電車内で
 女子高校生を触り、強制わいせつ容疑で逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年2月11日、NHKのEテレで、偏向放送をしていた・・
  この様な放送ばかりするNHKである・・その1例を記
 せば・・、
  この日の午後2時14分などに現認・・高校講座、科学と
 人間生活、
  無意味に「神」「神」と連発し、「仏」とは絶対に言
 わない。
  また、現地も「神殿」なんて言わないのにNHKは、
 「神殿」「神殿」と神殿を連発して高校生を洗脳した。
  キリスト教に偏するNHKは、「キリスト教の神」と
 でも言いたいのだろう。
  NHKは、いつも仏教は、蔑視である。
  NHKは、学校放送をする資格なし、学校放送を止め
 よ!
.
2017年2月10日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送
 人権委員会は・・、
  2014年7月27日に放送された番組『NHKスペシャル
 調査報告 STAP細胞 不正の深層』について・・、
  真実性・相当性の認められない疑惑の指摘と受け取ら
 れる編集になっており、申立人である小保方晴子氏の名
 誉を毀損し、人権を侵害したと認めた。
  そして、再発防止を勧告した。
  これに対し、NHKは、番組内容は客観的事実に留ま
 るとして人権侵害を否定した。
.
2017年4月3日、ニュースウオッチ9の放送で、日本の国旗を
 中国の国旗の真下に表示していたことが発覚した。
  常に、中国寄りの立場をとるNHKが、やっと取り上
 げられる状況となった。
  4月13日の参院内閣委員会で自民党の有村治子議員が、
 「NHKはどこの国の公共放送か」と述べて批判した。
  岸信夫外務副大臣は、独立国の国旗を上下に位置させ
 ることについて「下の国旗は下位、服従、敵への降参な
 どを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはなら
 ない」と答えた。
  NHK広報部は、産経新聞の取材に対し、「上空を飛
 行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機の
 イメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の
 画像を使って放送した。
  国の上下関係を示す意図はなかった」と屁理屈説明を
 した。
.
2018年12月22日、NHK:本来の役目を果たしていない・・
  芸人が、盛んに、NHKを「NHKさん」と「さん付
 け」で呼ぶ。
  この様に、NHKには、芸人にとって、「さん付け」
 で呼ばなければならない『NHK圧力』がある。
  NHK側から見れば、「NHK特権・NHK強権」が
 ある。
  それは、視聴者から得た「巨大な金の力・資金力」で
 ある。
  また、強力なNHK放送機構での日本全国への「NH
 K放送力」である。
  しかし、この様な、NHK本来から出た力ではない『
 虚構の力』である「見た目の力」に、NHKは謙虚に向
 き合っていない。
  NHKは、本来の役目を放棄して、この甘い言葉を許
 している。
  全国放送を実施している。
  芸人のごますり言葉に気分良くしている風である。
  本来のNHKの仕事である「正しい日本語の伝播とい
 う第一の大切な役目」を放棄している。
  当然、NHKが知っている・・NHKは、正しい日本
 語ではない「企業名やNHKに『さん付け』をするとい
 う話し方」に心地よく甘受している。
  このNHKへの「尊称付き呼び方に酔っている」。
  芸人に注意することすらしないNHKとなっている。
  この様な事例の多いNHKとなっているが、その一例・・
  2018年12月22日、午後23時00分~午後23時45分、NH
 K総合テレビ、番組名「時事ネタ王2018~ニュースVS
 芸人~」
  また、この他にも、NHKには、正しい日本語を話す
 事に鈍感になっている事例が多い・・例えば、盛んに
 「お」を付けるなどなど・・
.
2018年12月27日、日本を骨抜きにしようとする動きが盛ん・・
  【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第2回「日本解体!デ
 ィープステートによる日本のグローバル化、
  その尖兵としての霞ヶ関官僚」[桜H30/12/27]
 https://www.youtube.com/watch?v=tOqOn3ttvPg&t=65s
 ・ヨーロッパのグローバル化の次は日本をターゲットに
  することが決まっていた。
 ・ジャック・アタリ・・日本を移民国にすると2000年頃
  から決めていた。
 ・菅・二階ラインが進めている。
 ・入管法(移民法)改正問題がある。
 ・メディアと菅が一体となっている。
 ・ジャパン・ハンドラーズ・・ネオコン・・安倍おろし
  をしている・・
 ・自民党に、昔、居た保守が居なくなっている・・
 ・霞が関の官僚が、新自由主義のグローバル化を推し進
  めている・・アメリカのウォール街の代弁者となって
  いる・・財務省がその最大の組織・・
 ・緊縮財政論の嘘・・財務省の嘘・・
 ・財務省はズーット安倍首相の足を引っ張り、安倍おろ
  しをやって来た。
 ・日本の株主の半分は外国人・・この外国人株主を儲け
  させるために日本人は働いていることになっている・・
  外国人の安い労働力を入れて配当金受領が多く上がる
  ように仕向けている・・
 ・武田薬品は外国の会社化している・・実質的には外国
  会社だ・・会社トップは外国人・・7兆円の生きるか死
  ぬかの投資の賭けをしている・・
 ・日本人の名前で日本をコントロールしている・・日本
  がターゲットとなっている・・この様な事は「アラブ
  の春」でやられて来た・・それは失敗に終わっている
  ことは、今や明確化している・・
 ・入管法の改正はやるべきではない・・
 ・ピザ(査証)を引き締めよ・・中国や韓国のピザはゆ
  るゆる・・
 ・入国管理庁が格上げされる・・観光庁ができている・・
  失踪者が増えている・・この弊害が多発している・・
  年間に1億人が来るが、コントロールできるかが問題化
  する・・
 ・北海道のアイヌはほとんどアイヌの血ではない・・ま
  た、縄文の同じ遺伝子の人々なのだ・・しかし、アイ
  ヌを特別化し、特殊化してアイヌの自治権を与えよう
  とする動きとなっている・・これが中国と関係を持つ
  方向へ行くことが明確に予測されている・・
 ・警察権が入れない北海道のすすき野・・この様な日本
  の自治権が及ばない北海道となる・・
 ・すすき野は中国化と完全になっている・・
 ・自民党はチャイナマネーにまみれている・・菅・二階
  ラインだと皆が言っている・・(この様な日本の議員
  の情報・映像情報での中国への提供者がNHK)・・
  この様な事をする官僚が、今、自己増殖している・・
 ・人権擁護法案の怪しい法案が出て来る・・それに抵抗
  する議員は以前のように今は居ない・・
 ・日本の皇室を変えようとしている・・日本の国柄を変
  えようとしている・・日本の国家の形態を壊そうとし
  ている・・
 ・宮内庁はなるべき人ではなくてもなれるから、そして、
  入れるから、怪しい人が入りやすい・・この人たちが
  動かしている・・
 ・ヨーロッパのロイヤリファミリーと同じにしようとし
  ている・・また、国連が介入しようとしている・・介
  入できる理由が国連には無いが、国連は介入しようと
  している・・など・・
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教が
 嫌う仏教の「輪廻の循環を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送も「その類いとなっている」。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」
.
2019年、日本を貶(おとし)める教科書は、その具体名を
 明らかにして、糾弾をすべきだ。
  また、どのような嘘を子供たちに教えているかを明ら
 かにして、「人々の判断を仰(あお)ぐべきだ」。
  また、認可した文部科学省に、その間違いを指摘して、
 糾弾せよ。
  秘密の壁の中にある「子供たちの教育と教科書」を、
 ガラス張りにすべきだ。
  中国と韓国の工作の影響を受けているというが、その
 排除に努力せよ!
  また、「中国・韓国に影響されている教科書を糾弾す
 る会」を結成せよ!・・活動を開始せよ!
  中国の僅かな金を貰って、日本を売る教科書会社を糾
 弾せよ!
.
2019年、北方四島の一括返還か、千島列島含みの一括返還
 かの検討をせよ!
  少なくとも、日本が勝利した占守島は、日本に返還さ
 せる様にせよ!
.
2019年、本「『日本国紀』の副読本」百田尚樹・有本香対
 談・・の新聞広告に書かれた読者の声
 ・子供が小学校で歴史を教わっていますが、日本が悪か
  ったというニュアンスの表現がそこここにちりばめら
  れていることがよく分かる・・
 ・日本国紀を補完する素晴らしい本。
  文中の○○教科書は多くの日本人を惑わす無用の書だ
  と分かった。
  小中高生が日本国紀と本書で歴史を勉強してもらえた
  らと願います。
 ・○○の教科書は報道で「素晴らしい本」みたいに紹介
  していたが本書を読んでびっくり。
  韓国の本ですか?
 ・久しぶりに感銘を受けました。
  戦前を知っているものとして全く同感(80歳代以上)
 ・本書で日本を誇らしく思う。
  子供達(孫達)が私のように日本に生まれて良かった
  と思って育ってくれたら何より・・
 ・日本の歴史のどの部分が修正されているかがわかった。
 ・感激しました。
  75歳の老人です。
  百田さんの言われる「洗脳された世代」ですがテレビ
  の偏向報道にさすがにおかしいとネットなどで勉強中・・
 ・日本がニュートラルな国家になることを望みます。
  日の丸、君が代が当たり前のように扱われる国になっ
  てほしい・・
 ・日本人として、これからの日本を創り残していく一人
  として、生きていく勇気をもらいました。
  自分が生きているうちに日本を日本人を生かしていく
  ような人になりたいです(20代)
 ・「敗戦による負の遺産」は戦中戦後体験者として絶対
  に払拭してこの世を去りたい。
 ・GHQと日教組に騙された世代。
  生きているうちに本書と日本国紀を読めてよかった。
 ・チャイナ・コリアに対し条件反射的に「悪いことをし
  た」と口に出す人が多い。
  本書を読んでその原因に納得。
  今の我々が安易に「謝罪」を口にすることは(先の大
  戦の教訓は必要ですが)当時の国際情勢の中で必死に
  生き抜いてきた先人に対して無礼と感じる・・
 ・などなど
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2019年1月19日、韓国が日本海の呼称に異議を言う。
  この日の読売新聞に・・「外相『日本海、問題ない』
 国際機関の呼称協議要求に」という表題で報じられた。
  以下はその記事・・
  韓国が日本海の呼称に「東海」を併記するよう求めて
 いる問題を巡り、日本海の単独呼称が国際的に認知され
 ている根拠の一つである国際水路機関(IHO)の指針
 について、IHOが、改訂を望む韓国との協議を日本に
 要求していることがわかった。
  河野外相は18日の記者会見で「日本海の呼称に問題は
 なく、(協議の)必要はない」と述べた。
  IHOは世界の海洋名などが記され、各国の海図作成
 の指針となる「大洋と海の境界」を出版。
  1929年の初版から現行版(53年作成)まで日本海の海
 域には「Japan Sea」と一貫して記載されている。
  日本海の名称について、韓国は1992年から「植民地支
 配の結果広がった」などとして、「東海」への改称や併
 記を国際社会に訴え、近年はIHOの指針改定も求めて
 いる。
  日本は日本海の名称が19世紀から国際的に定着してい
 ることを理由に、併記や改訂に反対してきた。
  だが、IHOなどによれば、2017年4月のIHO総会で
 指針改定が議論され、2020年の次回総会で報告が行われ
 る事が決定。
  IHO事務局は関係国間で非公式協議を行うよう求め
 た。
  日本側は難色を示していたが、「応じなければ改訂の
 ほか、廃止も検討する」と、強く迫っているという。
  IHOのマティアス・ヨナス事務局長は読売新聞の取
 材に対し、関係国に非公式協議を開くよう働きかけてい
 ることを認め、「敏感な問題であり、次回総会まで一切
 の声明を発表するつもりはない」と回答した。
  一方、河野外相は会見で「日本海が世界で唯一認めら
 れた名称。修正の必要は全くない」と強調した。
                (以上)
  韓国が、日本海の名を変えたいのなら、同時に、「東
 シナ海」も変えたいと主張をするべき。
  「西朝鮮海」とかに変えたいと主張をするべき。
  また、「インド洋」も、また、カリフォルニア湾を「
 カリフォルニア・メキシコ湾」にと主張するべき・・
  この様な話は世界に一杯ある・・
  「南シナ海」は、フィリピンやベトナムの名も入れな
 ければならない・・
  「イギリス海峡」も変える様に主張すべき状況にある。
  韓国の後ろで指図している中国・・その中国にも「東
 シナ海」や「南シナ海」を変えるように言うべきだ。
  韓国を代理にして、日本を貶めようとしている中国が、
 ここに存在している。
  中国は、自国の中で蹂躙しているチベット国や、ウイ
 グル国や、内モンゴル国の人々への蹂躙を隠し、薄める
 ために、日本への貶め行為をやっている。
  ソ連(ロシア)が、「カチンの森」の卑劣な大虐殺を
 隠し、薄めるために、ナチスを過大に貶めた行為などと
 同じ。
.
2019年、ファーウェイに代わる企業を「日本やアメリカで、
 国策として、育成せよ!」。
  優れた日本の部品を使って・・「やりたいことをやっ
 ている中国」。
  もう、この辺で、「中国を、ストップしなければなら
 ない」。
  最悪の政治体制・・独裁も変えさせなければ「世界の
 平和は到来しない」。
  すべての問題の発信の元・根源には・・ここにある。
.
2019年1月19日、専守防衛は、今も有効な戦略たり得るか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
  上記の言葉は、この日に、調査研究本部客員研究員の
 小田尚氏が、読売新聞に書いた言葉・・
  小生も、このブログに・・
  「専守防衛はあり得ない」。
  「専守攻撃があってこそ専守防衛が成立する」と書い
 たが・・、
  状況が大きく変わってきた今・現在、今までの専守防
 衛の戦略を転換するべき時が来た。
  標記の読売新聞の記事を以下に書く・・
  「新しい戦争、見えない戦争にどう対処するか。
  戦争の領域や戦い方自体が一変しつつある。
  安倍政権は、昨年12月18日の閣議で、新たな防衛計画
 大綱と中期防衛力整備計画(2019~2023年度)を決定し
 た。
  日本の安全保障の将来を決定づける、極めて大切な見
 直し作業の成果と言える。
  新大綱は、宇宙やサイバー、電磁波といった新たな領
 域で日本が優位性を得ることが死活的に重要と位置づけ、
 陸海空という従来の区分を超えた領域横断(クロス・ド
 メイン)作戦により、劣勢を克服し、防衛を全うすると
 いう。
  宇宙では、相手方の指揮統制・情報通信を妨げる能力
 の保有をうたった。
  地上から電磁波を使い、敵の通信衛星への通信を妨害
 する装置の導入が念頭にある。
  2022年度に宇宙領域部隊を創設する。
  サイバーでは、相手の通信ネットワークを妨げる反撃
 能力の保持を提起した。
  陸海空の共同部隊を保持し、現在の110人から、5年間
 で関連部隊を1000人以上に引き上げることを目指す。
  電磁波・電子戦でも、相手方のレーダーや通信などを
 無力化する能力を高めることを掲げた。
  相手のサーバーに大量のデータを送ってまひさせるデ
 ィードス攻撃、マルウェア(悪意あるプログラム)を使
 い、相手のシステムを破壊することも検討する。
  考え方は積極的な防衛体制(アクティブ・ディフェン
 ス)だ。
  サイバー、電子線の分野は攻撃主体の特定が難しい。
  防御側は解析などの対応に追われるうえ、相手が軍(
 国権の発動)なのか、民間のハッカー(個人の犯罪)な
 のか、すぐには見極められない。
  攻撃側が圧倒的に優位を保つ。
  安倍首相も「この分野に専守防衛はあり得ない。やら
 れたら、おしまい」と危機感を募らせる。
  見えない戦争はすでに始まっている。
  2014年に、ロシアが、ウクライナのクリミア半島に侵
 攻した際、従来の物理的打撃に加え、サイバー・電磁波
 攻撃をかけている。
  昨年11月、小野寺五典・前防衛相は、都内のシンポジ
 ウムで、2016年の米上院軍事委員会の公聴会の模様を引
 いて、こう語った。
  「ロシア軍は、電子戦でウクライナ軍の通信を遮断し、
 砲弾の電子信管を誤動作させて無力化し、ウクライナ軍
 の電波を探知して砲撃目標発見に使用している」。
  クリミア併合でロシアが取った作戦はこれにとどまら
 ない。
  民兵を装ったロシア軍の投入に始まり、情報・世論操
 作で住民投票にも介入し、ロシア編入を望む民意が示さ
 れたと主張するなど、軍事と非軍事を組み合わせたハイ
 ブリッド戦を展開していた。
  ロシアのサイバー部隊は1000人規模に上る。
  その後も、サイバー攻撃によって欧米の選挙に干渉し
 ているとされている。
  北朝鮮は、サイバー部隊を7000人抱える。
  サイバー攻撃を外貨獲得に利用したこともある。
  中国は、さらにその先を行く。
  諸外国へのサイバー攻撃を担当する部隊は13万人に達
 するという。
  昨年秋の日中首脳会談で、習近平国家主席はこう言い
 放った。
  「中国にサイバー部隊はある。
  攻撃してはいけないと言い聞かせているが、中国は発
 展途上国だから、民間のハッカーが攻撃することがある
 かもしれない」。
  折しも、米司法省が12月20日、中国の国家安全省と関
 係のあるハッカー集団の2人を長年、日米など12カ国のネ
 ットワークに不正侵入し、政府機関や民間企業の機密情
 報を盗んだ罪で起訴した。
  日本政府も、この集団による攻撃を確認し、批判して
 いる。
  日本では、4月から中国通信機器大手の華為技術(フ
 ァーウェイ)など2社の製品を政府調達から排除する。
  重要インフラ業者もこれに追随する見通しだ。
  安全保障上のリスク回避の一環だろう。
  その対中国で、目に見える抑止力が海上自衛隊護衛艦
 「いずも」の空母化と言える。
  離着陸する最新鋭のステルス戦闘機F35Bは空自機だ
 けでなく、米軍機も含まれる。
  太平洋の海空に進出してくる中国軍への牽制(けんせ
 い)になり得る。
  中期防には、空自機F35Aなどに搭載するスタンド・
 オブ・ミサイル(長距離巡行ミサイル)の整備も記した。
  これを敢(あ)えて敵基地攻撃能力と言う必要はない。
  「今までの常識はもはな通用しない」。
  首相はそう訴え、新大綱では抜本的に異なる速度で防
 衛力を強化することを打ち出した。
  専守防衛は、今も有効な戦略たり得るのか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
                (以上)
  (追伸)相手が日本を殲滅しようと核弾頭ミサイルを
     多数発射した場合、そのすべてを日本の迎撃ミ
     サイルで撃ち落とす事は出来ない。
      故に、「迎撃ミサイルの専守防衛は無理だ」
     「おとぎ話なのだ」
      だから、その相手の核弾頭ミサイルの電子制
     御をコントロールして、そのいくつかを核弾頭
     ミサイルの発射国へ向かい、発射国へ落下させ
     るようにする、「そのような技術の領域になっ
     ている」。
      その様な領域がはっきりわからない状況で、
     核弾頭ミサイル発射国も、発射の決断ができな
     い状況が生まれる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
# by suba28 | 2019-01-26 03:48 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)

題:(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月15日、東京の大丸呉服店で、大売出しが行われ
 た(10月19日説あり)
  大丸呉服店は東京駅の上にあり、これは日本初の大売
 り出しだった(冬物のバーゲン)
.
1895年10月16日、房総鉄道会社が、建設区間を大網駅~一
 ノ宮駅間、大網駅~成東駅間、千葉駅~蘇我駅間として
 出願した。
.
1895年10月17日、大阪鉄道の玉造駅~梅田駅間が開通した。
  先に開通していた天王寺駅~玉造駅間に続いてこの玉
 造駅~梅田駅間が開通して大阪鉄道城東線が形成された。
.
1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間に直
 通旅客列車が運転された。
  山陽鉄道という国鉄山陽本線の前身にあたる私有鉄道
 会社が山陽線を造っていく。
  1886年、兵庫県の石田寛之助、小西新左衛門や灘の酒
   造業者が、神戸駅~姫路駅間の鉄道建設を計画した。
   そして、児島湾干拓の藤田伝三郎らの16人で願書を
   出した。
    明治政府は、これを政治・軍事上の幹線として下
   関までの延長を指導して許可した。
  1888年、三菱の岩崎久弥らの三菱系と、大阪資本から
   なる山陽鉄道(株)が発足した
   そして、また、この年1888年、兵庫駅~姫路駅間が
   開通した。
  1890年船坂トンネルが、、難工事で工事が遅れ・・
  1891年3月、三石駅~岡山駅間が開通し・・、
  1891年9月、岡山駅~福山駅間が開通し・・、
  1891年11月、福山駅~尾道駅間が開通し・・、
  1894年6月、広島までが開通した。
   2軸横扉の客車と荷物車の混成7両列車が1日15本、
   昼間だけの単線運行を行った。
  岡山県内ルートでは、西大寺、玉島の港町などで鉄道
 通過反対運動があり、やむなくこれらの市街地をはずし、
 北よりのルートに鉄道を敷設した。
  結果的に西大寺や玉島は時代の波から取り残されて行
 った。
  広島まで開通の直後に日清戦争があり、山陽鉄道は重
 要な役割を果たした。
  1894年、全国最初の急行列車(神戸駅~広島駅間8時
   間56分)を走らせた。
   炭水車つきテンダー機関車を導入して、列車編成お
   よび走行距離を大きくした。
  1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間
   に直通旅客列車が運転し、(1897年説あり)
  1898年、車内電灯がつけられ、
  1899年、官営鉄道に先駆けて食堂車増結などのサービ
   スが行われた。
   これは、阪神駅~岡山駅~高松駅間の航路、および、
   官営鉄道に対抗する競争だった。
  1901年、下関までの全線が開通した。
  1905年、営業キロ数は565キロメートルとなり、輸送旅
   客数が、年間1246万人となった。
  日清戦争後の不況で、私鉄の経営難が生じた。
  この時、山陽鉄道は、讃岐鉄道など2社を合併した。
  そして、さらに、四国連絡航路を設け、宇野線建設計
 画も立てた・・が・・
  1906年、「鉄道国有法」が制定され、国に買収され、
   国営鉄道となった。
.
1895年10月21日、乙未戦争が集結した。
  清国の外交的な動きの中で生まれていた台湾の不穏な
 動きが終結した。
  終結している日清の戦争状態の再発を恐れた李鴻章も
 平穏化を望んでいた。
  6月2日は、清国側との台湾授受手続きも完了させてい
 た。
  不穏な動きにあった一部の清国人の割譲阻止活動は失
 敗していた。
  しかし、この日に、その組織的活動は終わった。
  劉永福が中国に逃亡し、台南、安平が平穏化した。
  (参考)劉永福:りゅうえいふく、1837年、中国広東
     生まれの中国軍人。
      貧農出身で、1867年、ベトナムに入り、農民
     を主体とする黒旗軍を編成し、トンキンに入り
     フランスと、10数年間、戦った。
      台湾での騒動の前歴の持ち主。
      清国政府から台湾へ派遣されていた。
      この様な働きをした劉永福だったが、1885年、
     ベトナムから帰国しても清国政府から冷遇され
     た。
.
1895年10月21日、奥羽北線の弘前駅~碇ヶ関駅間が開通し
 た。
.
1895年10月22日、パリ・モンパルナス駅で列車がブレーキ
 故障のため減速しないまま駅に進入し、車止めを乗り越
 えて駅舎を突き破るという事故が起きた。
  この事故は、鉄道史に刻まれる衝撃的な事故と言われ
 ている。
  機関車は車止めを乗り越えた後、駅舎を突き破り、先
 端が約10m下のレンヌ広場の路面電車停留所に落下した。
  駅前で新聞を売っていた女性が駅舎の破片に当たり死
 亡した。
  また、乗客2名、消防士1名、鉄道員2名の計5名が重傷
 を負った。
  事故の際に連結器が外れたため、客車はすべて駅内部
 にとどまっていた。
  事故現場を撮影した写真の2枚が、衝撃的な写真として
 世界に公開された。
  ロックバンド・Mr.Bigは、1991年に発表したアルバム
 『リーン・イントゥ・イット』のジャケットにこの写真
 を使用した。
.
1895年10月26日、広州蜂起(恵州事件)
  孫文らの興中会が、広東省恵州で反清の武装蜂起を起
 こした。
  失敗に終わる。
  広東省出身で、貧しい農家の次男として生まれた(1866
 年)孫文は、初め医者であったが、革命を志し革命運動
 に入る・・略歴は以下・・
  1887年(21歳)~1892年(26歳)香港の西医書院に在
   学中に革命を志す・・
  1892年(26歳)マカオ、広州で開業し、同時に、反清
   運動に入る・・
  1894年(28歳)ハワイへ出稼ぎで成功した長兄の所へ
   行く・・
   帰国後、広州・香港で医学を学び、開業したが、秘
   密結社・興中会を華僑や会党と組織・・
  1895年(29歳)10月、最初の蜂起である、興中会が広
   州で蜂起する・・清朝打倒、民主主義国家樹立を目
   指す(共産国家ではない)・・失敗し日本へ亡命へ・・
  1897年(31歳)アメリカを経て日本へ
   宮崎滔天(みやざきとうてん)らと交わり、康有為(こ
   うゆうい)らとの提携や、フィリピン独立援助を試み
   たが、ともに、失敗・・
  1900年(34歳)恵州蜂起
   宮崎滔天(とうてん、熊本県の人、1897年に、来日中
   の孫文と知り合う)らの援助を受け恵州で挙兵・・
   失敗
  1905年(39歳)東京で中国革命同盟会を結成し、三民
   主義を主唱し、綱領とした。
  1906年(40歳)東京で開催された「民報」記念会で五
   権憲法を初めて公表する・・後に、国民党などの憲
   法の基礎となる。
  1911年(45歳)10月10日、武昌蜂起を切っ掛けに、中
   国各地で革命派が蜂起した(辛亥革命)
   この時、アメリカにいた孫文は、辛亥革命の勃発を
   知り、軍資金の募集をしていた。
  1912年1月(46歳)南京に孫文を大総統とする臨時政府
   が樹立された。
  1912年2月(46歳)清帝が退位し、中華民国が成立した。
   しかし、まもなく清朝軍閥の袁世凱が大総統に就任
   した(孫文は、袁世凱に譲った)
   しかし、その独裁化に抗して第二革命を開始・・
   袁一派・軍閥派に反対し、広東を地盤に臨時政府を
   組織し、また、三民主義の実現に努力し国民党の基
   礎を固めた・・
   しかし、失敗し日本に亡命・・
  1914年(48歳)中華革命党を組織した。
  1915年(49歳)日本に亡命中、宋慶齢と結婚。
  1917年(51歳)広東政府を樹立。
  1919年(53歳)中華革命党を中国国民党と改組。
  1924年(58歳)第一次国共合作を実現し総理に就任し
   た。
  1925年3月12日、北京で病死する。60歳。
  中国革命の象徴、国父として敬愛され続けている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:漢民族は強制的な民族大移動をした。
    手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住させ「洗国」した。
    強いものは奥地へ追いやった。
    近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
    沖縄や北海道の人たちが、この様にならない様に・・
.
1368年、中国に明が建国された。
  朱元璋(しゅげんしょう)は中国・明朝の初代皇帝。
  1328年、元朝末期に安徽省(あんきしょう)に貧民の
 子として生まれた。
  20歳代に起きた農民反乱の紅巾の乱に参加し、頭角を
 現した。
  自らの軍閥を率いて、1356年に、南京を占領し、南方
 の雄として勢力を拡大する。
  1368年に、皇帝を名のり(洪武帝・こうぶてい)、明
 王朝をひらいた。
  その後、北の元王朝をモンゴルに退け、中国をほぼ統
 一した。
  晩年は、建国の功臣たちの主要な部下とその一族への
 粛正を繰り返した・・大量の犠牲者を生む。
  1398年、死去した。
  16世紀後半に入ると、豊臣秀吉の朝鮮出兵への対応な
 どで戦争出費がかさんだうえに、朝廷内の政治闘争が続
 き、さらには、増税も行われたことで、明国内で立て続
 けに反乱が起こった。
  そして・・
  1644年に、明は滅んだ。
  朱元璋が生まれた安徽省は、黄河と長江との間にあり、
 淮河(わいが)が流れている・・
  そして、この地域は洪水もあり干ばつもあり、「10年
 に9年は凶作」という貧しい地帯だった。
  どん底の貧農の生活が当たり前という地域の4男とし
 て生まれた。
  1344年には、飢饉と疫病が猛威をふるう不幸の年とな
 った。
  この時、朱元璋は両親と兄を亡くした・・ペストだっ
 た・・
  生き残った兄弟とも離散のバラバラとなった。
  この時のことを記した石碑には・・、
  「我が身には技能もなく、天を仰いで呆然とするばか
 り、己の影のみを道連れに、朝もやを突いて出かければ
 暮れれば古寺に投ずるあてどなき流浪の日々・・
  3年の浮雲の生活を経て年は20歳余りとなった。
  ときに淮河流域の盗賊が蜂起し、民は不安を増した」。
  この民衆の蜂起は、紅巾(こうきん)の乱という大き
 な動きとなり、モンゴルの元朝を弱体化させた。
  朱元璋は、この紅巾賊の一勢力を率いて、頭角を現し
 た。
  朱元璋と共闘する武将の多くが、無学の土豪たちの武
 闘集団だった。
  この様な野武士たちの棟梁から脱皮する朱元璋は、儒
 教の素養を持つ知識人を登用した。
  ただ武を振り回すだけでは駄目な事を朱元璋へ言う賢
 者も居た。
  戦いに勝って領土を得て行って、おごり高ぶる武将も
 居たが・・、
  朱元璋は、武だけ大事が成し遂げられなという事も知
 っていた。
  朱元璋は、武を誇る武将たちを諌め、略奪した婦女を
 捜し出し、家に送り返させることまでした。
  この頃の中国は、武を誇り、群雄が割拠し・・
  婦女を手に入れ、宝石や絹織物など民衆の物を奪うこ
 とに血道をあげる輩たちの時代だった。
  だから、朱元璋のやることは、ひときわ輝いていた。
  民衆から、「民衆を救う武将」として噂となった。
  戦いでも、降伏者が出て来て、攻防が少なく済んだ。
  朱元璋は、群雄を制圧して、1368年、明を建国した。
  首都を南京にして、年号を洪武とした。
  16年前は、ただの乞食の僧だった朱元璋が、洪武帝の
 皇帝となった。
  この年・1368年、大都(現:北京)を占領する・・
  そして、元朝のモンゴルをモンゴル高原に駆逐した。
  農民を保護をしたりして、配慮したりして、種々の改
 革をし、社会秩序を回復させていった。
  しかし、力を得て行くにつれ、組織統制が成り立って
 行くにつれ、洪武帝は、側近集団が気になる様になって
 行った。
  かつては、ともに苦労して戦った同輩の武将たちが、
 皇帝の座を狙うのではということが気になりだした。
  武将だけではなく、教養のある学者たちが、成りあが
 りの洪武帝を、心の底では蔑視しているのではと思い始
 めた。
  洪武帝は、猜疑心の塊となって行った。
  やがて、功臣たちが次々を粛清され、恐怖政治が生ま
 れた。
  晩年の漢民族の洪武帝は「孤独だった」。
  今、現在、漢民族の共産中国政権は、チベット民族、
 ウイグル民族、内モンゴル民族などに、洪武帝と同じよ
 うな事をしている。
.
1895年5月26日、李氏朝鮮の行政区画の改編、道、県、都護
 府を廃止して、観察府と郡にした。
  それまでの朝鮮八道制を廃し、全国を23の府と337の郡
 に再編した。
  従来の府、大都護府、牧、都護府、県といった下部行
 政区画の名称を廃して「郡」に一本化・・府の長官は観
 察使、郡の長官は郡守とした。
.
1910年代、中国のキリスト教会の自立は進展を見せたもの
 の、アメリカの目論見通りにはいかなかった。
  アメリカは、中国に、数千万元の金を使って、数千人
 のキリスト教宣教師を送って、中国をキリスト教化しよ
 うとした。
  戦後、日本をキリスト教化しようとしたアメリカは、
 中国でもやっていた。
  そして、数千のキリスト教会を、中国の支郡各地に造
 った。
  そして、蒋介石が、キリスト教の信者になったという
 が・・、
  彼が、信者になったのは「アメリカの歓心を買うため」
 ということが分かっている。
  1918年、外国人宣教師の全体に占める割合・・アメリ
 カから派遣されたが、このアメリカの宣教師の比率は60
 %に達した。
  しかし、1922年から、学生を中心に、非キリスト教運
 動が展開されて行った。
  資本主義国家の「経済侵略の前衛部隊だ」として厳し
 く批判された。
  1924年、「キリスト教系学校の教育権」を返還させる
 運動が始まり、より一層の非キリスト教運動が激しくな
 った。
  外国による中国に対する「文化侵略だ」として中国国
 民は受け取った。
  1925年の5・30事件によって、キリスト教界とその教
 育事業への批判が激化した。
  北伐が始まるとキリスト教会事業への破壊運動も始ま
 った・・それは破壊活動と共に掠奪行為も伴った。
  蒋介石政権の国民政府も国権回復運動を展開した。
  第二次世界大戦後、中華人民共和国を樹立した中国共
 産党は、国内に外国の勢力の影響を受けた宗教団体の存
 在を否定した。
  キリスト教は、政府主導で三自愛国教会を組織した。
  そして、外国人聖職者を中国国内から退去させた。
  ヒラリー・クリントンは、「中国に宗教が無い。この
 国は、半世紀後に最貧国になる」と言った。
.
1930年代、中国のプロパガンダに踊らされたアメリカ・・
  2019年の今・現代は、世界は、中国のプロパガンダに
 気付き、今・現在、中国がズーッとやって来たプロパガ
 ンダ手法が効かなくなっているが・・
  それは、近年の情報技術の進展にある・・
  中国のプロパガンダは、すぐに「嘘だ」と見破られて
 しまう現代になっている。
  今までの日本は、この中国のプロパガンダの打撃の大
 きさに気付かずに来た。
  戦前においても、この様な事が大いに仕組まれ、起き
 ていた。
  例えば・・、
  1930年代について、ジョン・アントワープ・マクマリ
 ーは、本「平和はいかにして失われていったか・・大戦
 前の米中日関係、もう一つの選択」の中で言っている。
  「日本が、アジアを戦争に投げ込むドラマの悪役であ
 る」と、アメリカに信じさせていた・・しかし・・、
  1930年代の日本の政策は、一方的な侵略とか、軍国主
 義のウイルスに侵された結果などではなかった。
  それより、それに先立つ時期のアメリカを含む(中国
 などの)諸国の行為がもたらしていた・・と指摘した。
  そして、アメリカは、(中国のプロパガンダで騙され
 て)中国を優先し、正当な理由なく、日本を退けた・・
 と・・アメリカとイギリスの政策の非を指摘した。
  しかし、この1930年代の当時、このマクマリーの明晰
 な分析は、まったく受け入れられなかった。
  種々の史実を知ることができる現代・・、
  このマクマリーの指摘は、まったく正しいと分かる。
  しかし、1921年のワシントン軍縮会議は、アメリカが、
 あからさまに中国に肩入れを始めた会議でもあった・・
  この流れは変わらなかった。
  そんな事を知らない日本は、世界の平和を願って「日
 本、一国だけが、忠実にひたすら、このワシントン軍縮
 会議の条文を守った」。
  中国は、このワシントン体制を、馬鹿にし、無視し、
 知ってか知らずか、まったく自制する中国ではなかった。
  それを、はっきりと中国へ要請すべきアメリカやイギ
 リスの立場だった。
  特に、アメリカは、その様な行動をしなかった。
  逆に、アメリカのルーズベルトは、蒋介石の中国を引
 き立て、イギリスやロシアにも認めさせた。
  そして、中国を、世界のメンバーという立ち位置に置
 いた。
  そして、日本排斥の流れを作った。
  そして、アメリカは、中国の広西省に空軍基地さえ持
 った。
  そして、桂林や蘇州にも空軍基地を持とうとした。
  そして、日本を、その基地から隠密裏に爆撃さえしよ
 うとした。
  真珠湾のことを言えるアメリカではない。
  また、日本を騙して、アメリカ軍のフライング・タイ
 ガーが、真珠湾攻撃前に、日本を攻撃してさえした。
  アメリカが、日本を奇襲をしていた。
  中国以上の嘘つきのアメリカだった。
  さらに、「戦争を作った」と言ったアメリカのルーズ
 ベルトは、この中国を含めた「米、英、中国、ソ連」の
 4カ国の構想は、大戦争という馬鹿げた殺戮の道を進み、
 その大戦の後に、大いなる悲劇だけが残った。
  そして、アメリカが応援した中国の蒋介石・国民党は、
 現在、共産党中国の政権となってしまっている。
  そして、ルーズベルトが、そそのかしてやらせたソ連
 の侵略の結果、日本領の樺太・千島列島・北方四島も、
 「共産・ソ連」に奪われ・・、
  ロシアになっても奪われたままとなっている・・不法
 占拠が続けられている。
.
1950年代、この時の中国の対日プロパガンダ工作は、実に、
 激しく多彩を極めていた。
  日本学術会議は、中国に完全に飲み込まれた。
  これは、今・現代でも続いている。
  中国はしつこく洗脳して行く。
  日本学術会議のメンバーという優秀な人々でも、中国
 の洗脳にはまって行く。
.
2010年7月1日、中国の国防動員法が施行された。
  中国がやって来た「洗国」
  中国以外の国はした事が無いこの「洗国」は、中国は
 常にやって来た・・洗国の歴史だった。
  中国の南にある広東(かんとん)や広西(こうせい)
 などは、元々は苗(みゃお)族の地だった。
  苗族は、日本人に近い民族と言われていて、古代に日
 本に渡来した人たちではとも言われている。
  紀元前3世紀~紀元前4世紀、この中国の戦国時代に、
 苗族は、楚(そ)の支配下に入った。
  そして、秦の時代になると、苗族は、秦の企(くわだ)
 てにより、移民をを大々的にさせられた。
  そして、流民50万人を移して苗族を攻略した。
  そして、漢の時代になると、苗族は、揚子江の北岸に
 移させられた。
  そして、その後に、漢民族を入れて雑居させた。
  この様にして、漢族の地ではなかった中国の南方諸地
 域が、漢民族の地になって行った。
  これを「洗国」と言った。
  放牧をする民族は、従来から移動をするので、中国人
 は、「牧畜民族は容易に駆逐した」。
  しかし、農耕民族は、土着性が強いので前記したよう
 な非常手段をしょっちゅう用い、常套(じょうとう)し、
 民族大移動の様な整理を常套して行って駆逐した。
  苗族は、土着性の強い農耕民であった。
  漢民族は強制的な民族大移動をした。
  手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住さ
 せ「洗国」した。
  強いものは奥地へ追いやった。
  近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
  満州民族は、あちこちの中国内に散らされ、虐殺され、
 今はどこに居るか不明状態。
  朝鮮民族は、カザフスタンへ住まわされた。
  韓国は、小学校で、満州地域に朝鮮人が多く居るので
 朝鮮の地だと教えているが・・今はクエスチョン・・、
  中国は、この様な事をやり続けている。
  今、日本に、大勢の中国人が、入って来ているが、こ
 の一端か?
  中国は、2010年7月1日から「国防動員法」を施行した。
  これは、日本などの中国以外にいる者にも、中国の指
 令で国防活動をしなければならないとなっている。
  日本やアメリカなどに居る中国人が、長野の事件の様
 に常に活動する事があるという状況になっている。
  長野の時は、中国の軍人的な者もいたという。
.
2016年1月29日、犯罪の多NHK・・NHKのさいたま放送
 局が・・「埼玉県警察の記者クラブに所属する記者3人が、
 1年余りに渡り、業務用タクシーチケットを友人との会食
 など私的な移動に使用していた」として・・、
  31歳の記者を諭旨免職(約36万円分)、
  23歳の記者を停職1ヶ月(約12万円分)、
  29歳の記者を出勤停止5日(6,850円分)としたほか、
 管理・監督責任のある放送局長や放送部副部長など、上
 司5人も3日から14日の出勤停止とした。
.
2016年5月4日、フジテレビの番組名「直撃LIVE]で、
 韓国で加湿器の殺菌剤で146人が死んだと放送した。
  そして、子供が多く死んでいるという。
  現認した放送時間:午後13時50分。
.
2018年12月26日、今、世界は不安定要素に満ちている・・
  そして、竹中平蔵、政権にゴマすりの政商となり、う
 まい汁を吸っている。
【桜便り】株安は戦争勃発への道程 / 政商・パソナ・竹中
     平蔵氏はこれでいいのか[桜H30/12/26]
    https://www.youtube.com/watch?v=YYmaL0H6BDs
  アメリカの経済はピークアウトした、最高値に行って
 しまった・・下がるしかない。
  アメリカは株安になって来る。
  経済恐慌の恐れもある。
  日本の消費税も実施しないという状況が生まれる可能
 性が大きい。
  アメリカのマチス国防長官が辞め、戦争が起きる可能
 性が増している。
  アフガンは息を吹き返して来る。
  サウジアラビアの王家を3分割しようという動きが暗
 躍している。
  サウジアラビアが不安定化している・・その様に仕向
 けられている。
  石油の値段も上昇するだろう。
  石油の値段が、安値安定していることが都合が悪いと
 いう流れになって来ている。
  ドイツ銀行は、底知れない負債を抱えている銀行。
  イギリスが、EUを離脱をするときにこの問題が噴出
 する。
  今、中国も株安で、これ等の影響をもろにさらに受け
 る。
  そして、朝鮮の韓国政権の不安定化リスクが高い。
  そして、韓国の後ろにいる中国が、韓国が問題化すれ
 ば震え上がる。
  中国・北朝鮮より、韓国が問題化の中心になる。
  そして、経済の見た目以上の不安定化が進んでいる。
  2019年には、動乱と呼ぶべきものが起きる可能性が高
 い。
  この様な荒れた世界の動きに、日本の自民党は適切に
 対応して行けるか?
  アメリカが助けてくれるという神話はもう止めよ!
  そして、竹中平蔵について・・
  大学教授だという表札ではなく、パソナの会長をして
 いる立場で私腹を肥やしている。
  本「日本が売られる」著者:堤未果氏。
  経済諮問会議で得た地位・情報などを私的に流用して
 いる。
  竹中氏は、パソナ会長として受注に優位な位置をつか
 って、政府からの発注を受けている。
  平成29年度を、ざっと言っても・・、
  厚生労働省から受注(2億8400万円)、同(1億8900万
 円)、同(500万円)、同(1900万円)、同(8830万円)、
 同(4870万円)、同(550万円)、同(250万円)、同
 (1億9000万円)、農水省(1600万円)、同(1500万円)、
 オリンピック関連(契約金非公開)、女性活躍(2億8000
 万円)、経産省(2億5000万円)、中企業支援(9億800万
 円)、経産省(1億7000万円)、同(4億7200万円)、同
 (3億4300万円)、などなどなど・・切りがないほど。
  竹中氏が委員をやって利益誘導している。
  この竹中は、アメリカ政府の言い分に立って「日本政
 府にものを言う」という(アメリカのゴマすり役)も
 している。
  戦後、GHQは、日本を監視するための人間(スパイ)
 を、大勢、日本に送り込んだ。
  GHQにゴマをすったものが大勢いた・・この様な人
 間が、日本のテレビ局を造った人として、今、君臨して
 いる。
  また、財団などに君臨して、戦後の利得者として存在
 している。
  高額所得者・大金持ちとして存在している・・
  これと同じことを竹中がやっている・・
  美味しい情報も、皆、自分のものとして利用している。
.
2018年12月28日、地に落ちた毛沢東
  一時は神格化された毛沢東が怪しくなっている・・
  この日の読売新聞に・・「毛沢東信奉、中国が警戒」
 との表題で記している・・
  以下はその抜粋・・
  中国建国の父、毛沢東の誕生から125年の26日、信奉者
 らによる自発的な記念活動が毛の故郷の湖南省韶山(し
 ょうざん)市などで行われた。
  香港紙・信報などは、記念活動の規模は例年より控え
 めだったと報じた。
  信奉者は貧富の差の拡大など現状に不満を持っている
 傾向が強い事から、当局が警戒感を強めているとみられ
 る。
  工場労働者らを支援する大学生らの組織によると、記
 念活動を企画していた北京大学マルクス主義学会会長の
 男子学生は26日午前に校門から車に押し込まれて連れ去
 られ、27日朝まで北京市の公安当局に拘束された。
  学生は全国の仲間に、北京で記念活動を行う事を呼び
 掛けていたが、大学当局は中止を求めていた。
  格差拡大を問題視し、マルクス主義や毛沢東思想を信
 奉する学生らの一部が今夏から、深圳の工場の労働争議
 で拘束された労働者らを支援する活動を行なっている。
  これに対し、学生と労働者が共闘する動きを警戒する
 当局は、関係する学生らを拘束するなど、締め付けを強
 めている。
  信報は、学生以外の信奉者らも、当局の圧力を受け、
 今年は大規模な誕生記念行事を行わなかったと報じた。
  (中略)
  習近平国家主席も毛を度々賞賛し、強権的手法を模倣
 しているとされる。
  ただ、習氏は毛信奉者を社会の安定を乱す存在と捉え、
 活動を制限したとみられる。
  (追伸)スパイ摘発などを担当している国家安全省の
     馬建・元次官は、逃亡先のアメリカで習近平政
     権を批判している実業家に便宜を図ったと認定
     され・・中国遼寧省の大連市中級人民法院は27
     日、収賄罪などで無期懲役の判決を下した。
      便宜を図ってもらったとする郭文貴氏は、ア
     メリカを拠点に、習近平政権の実力者、王岐山
     (おうきざん)国家副主席の不正疑惑を暴露し
     ている。
.
2019年1月13日、中国はハワイ攻撃を計画している。
  この日付けの読売新聞によると・・
  中国の新兵器の一つ「H(轟)20」。
  これは核兵器が搭載できる戦略爆撃機。
  アメリカ軍の拠点であるハワイを標的に開発された。
  西太平洋の覇権をアメリカから奪うのが目的。
  中国による「真珠湾攻撃が計画されている」。
  その為の核兵器の搭載できる戦略爆撃機が出来上がっ
 たという。
  この「H(轟)20」は、2019年10月1日に、北京で行わ
 れる予定の軍事パレードで公開される。
 これは最新鋭のステルス機。
.
2019年、日本の一般紙は、中国に進出した日本企業が、ど
 んなに悲惨な目に会っているかの報道を「タブー」とし
 て・・報道の一切をしない。
  絶対と言っていいほど報道しない。
  中国べったりのNHKも同様という状況。
  中国企業に貸した金が返済されない事が多発した。
  日本の銀行は困って、当然の行為である返済を求める
 が返済がされない。
  そのため取り戻そうと裁判を起こそうとしたら、「裁
 判を起こす事が禁止された」。
  中国のやることはこんなこと・・。、
  WTOに加盟している中国なら、この様な事は出来な
 いのだが、中国はお構いなしで、無視してこの様な事を
 した。
  しかし、日本の新聞やNHKは、この様なことを一切
 報道しない・・裏切りのメディアとなっている・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
# by suba28 | 2019-01-21 05:57 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)

題:(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年8月25日、臨時台湾鉄道隊が設置された。
  台湾の鉄道輸送に携わった。
  それまでは、1891年10月に台北駅~基隆駅間の28.6キ
 ロメートルの鉄道しかなかった。
  それも、1日に1往復であった。
  そして、1893年10月、新竹駅まで延長され、総延長は
 約100キロメートルとなった。
  この後に、日本が台湾の鉄道を整備して行く。
  1899年には、総督府鉄道部官制が公布されて、本数も
 4往復へ増発された・・そして、鉄道敷設も本格化して行
 く。
  1908年4月、幹線となる元隆駅~高雄駅間404.2キロメ
 ートルの台湾縦貫鉄道が全通させた。
  この間、その他にも、台東線や、阿里山森林鉄路など
 を敷設し、台湾の近代化を進める大きな役割を持つ鉄道
 も敷設した。
  この後も、着々と台湾鉄道を整備し、充実して行った。
.
1895年8月、鳥居龍蔵が、東京人類学会の依頼で、満洲地方
 (遼東半島一帯)を約5ヶ月間滞在し、考古学的に調査
 した。
  鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)1870年4月4日~1953年
 1月14日、考古学者、人類学者。
  徳島市に生まれ、
  正規の学生ではかなったが、東京大学の坪井正五郎に
 師事し、人類学その他を学んだ・・
  東京帝国大学人類学教室の標本整理係となる。
  その後、東京大学助教授、国学院大学教授、上智大学
 教授などを歴任した。
  日本だけではなく、海外の諸民族を精力的に調査をし
 た・・周辺諸民族の実態調査の先駆者。
  その実態調査の地域は広範で、台湾、北千島、樺太、
 蒙古、満州、東シベリア、朝鮮、中国南西部など・・
  考古学的調査だけでなく民俗学的方面にも広く観察は
 及んだ・・民具の収集も行ない、物質文化研究の開拓者
 となった。
  因みに、中国語では、先住民は「今は存在しない」と
 いう意味がある・・存在するのなら「原住民」を用いる。
.
1895年8月、神田小川町にローラースケート場(車滑り場)、
 現れる。
  1877年頃、日本にローラースケートが紹介され・・
  1895年頃から普及し始めた。
.
1895年9月5日、奈良鉄道の七條(京都)駅~伏見駅間が開
 通した。
  奈良鉄道(ならてつどう)は、現在の奈良線全線、桜
 井線の過半などを建設、運営していた日本の私鉄で・・、
  伏見駅は、奈良鉄道の開業当社の南の終着駅として開
 設された。
.
1895年9月7日、三菱合資会社銀行部が設立された。
  第百十九国立銀行の業務を継承して設立された。
  そして、1919年に分離して独立の(株)三菱銀行が設立
 される。
  1880年、郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から分
 離独立した 三菱為換店 が始まり。
  この三菱為換店は、一度閉鎖されるが、間もなく第百
 十九国立銀行の経営を承継する。
.
1895年9月18日、住友銀行が設立された。
  この年に、住友吉左衛門によって個人経営の銀行とし
 て創業された。
  1875年、金融事業は並合業(自己資金による物品抵当
   の金融事業)として再開された。
   並合業は、年々業容を拡大していった。
  1890年、銀行条令が発布されたのを機に・・、
  1895年5月、広島県尾道市で行われた住友家の重役会議
   で本格的な銀行業への進出が決定した。
  1895年11月1日、住友本店銀行部として、住友吉左衛門
   の個人経営による資本金100万円の住友銀行(本店は
   大阪市中之島)が開業した。
.
1895年10月1日、野中至・千代子夫妻、気象予報の研究のた
 め、富士山頂で観測を開始する。
  野中到(のなかいたる)は、「天気予報が当たらない
 のは、高層気象観測所がないからだ」・・と考えた。
  天気は高い空から変わってくる。
  富士山の山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、
 気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。
  しかし、いきなり、そんな危険なところへ観測所を建
 てることは国としては決定できない。
  誰かが、厳冬期の富士山頂で気象観測をし、実証しな
 いかぎり、実現は不可能だと、常日頃、言っていた。
  1895年2月16日、富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂
   での越冬が可能であることを確信した。
  1895年8月30日、富士山頂に私財を投じて日本最初の富
   士気象観測所を建設。
    測候用の小屋は、約6坪で、これを、剣ヶ峰 (富士
   山)に新設、中央気象台の技師らも合流した。
    剣ヶ峰にした理由を「風が弱いところは積雪が多
   いため、積雪の少ない風の強いところを選んだ」と
   語っている。
  1895年9月末、食料など備蓄財の調達のため一旦下山し、
   閉山後の10月に再び登頂した・・薪炭や食料、観測
   機器を設置して・・、
  1895年10月1日、妻:千代子と共に気象観測を開始した。
   観測は2時間毎に行った。
  1895年10月12日、過酷な条件のもと夫妻は体調を崩す。
  1895年12月22日、越年観測を、病気で断念し下山・・、
  1896年1月12日、東京へ帰る・・、
  この当時、富士山より高いところにある観測所は南米
 のエル・ミスチー山とフランスのモンブラン山だったが、
 いずれも夏期しか観測していなかった。
  富士山での冬期観測は世界記録だった。
  この夫妻の記録の37年後の1932年、国際協同極地観測
 のため・・中央気象台は、富士山頂に測候所を設置した。
   そして、通年の観測を開始した。
  1932年8月、野中到は、65歳の高齢をもって、娘と息子
   を伴い山頂を極めた。
   かつて、共に死線をさまよった妻の千代子はすでに
   他界し、写真を抱いての登頂だった。
  そして・・
  1955年2月28日、野中到が没する(88歳)
  その10年後・・
  1965年、富士山山頂にレーダーが設置された。
   気象衛星が稼働し、南海上の台風観測に威力を発揮
   し始めた・・、
.
1895年10月6日、瀬木博尚が、広告業の博報堂を神田区鍋町
 (現:日本橋近く)に、創業者一人という体制で創業し
 た。
  博報堂の創立して広告業を始め、『太陽』などの雑誌
 広告で成功した。
  博報堂(はくほうどう)は、電通に次ぐ日本第2の広
 告会社。
  創業時から教育雑誌の広告取次店・雑誌広告取次所と
 してスタートし、電通より早く、日本の近代広告業の創
 成期から活動した。
.
1895年10月8日、乙未事変(いつみじへん)
  朝鮮王朝の状況は乱れていた・・
  日清戦争の結果の下関条約で、清の宋主権が否定され
 たが・・そして、朝鮮は、正式に独立を確定できたが、
 朝鮮李朝内での権力闘争は激しかった・・、
  今度はロシアがからんで来ていた・・
  ロシアは、フランス・ドイツを味方につけ、武力をち
 らつかせて、三国干渉を日本に認めさせた。
  この三国干渉により、日本の威信が落ちたことによっ
 て・・朝鮮王朝内の閔妃派はロシアに接近した、そして・・
  ロシアの工作と結んで、日本を排撃しようとした。
  ロシア軍の武力を利用し、閔妃派はクーデターを成功
 させた。
  このため、日本に好意的だった朝鮮李朝・大院君派と
 の軋轢が高じて行き・・また、クーデターということに
 なっていく・・
  ロシアと日本は、この様に乱れた朝鮮の・・閔妃派と
 大院君派との内紛に巻き込まれていた・・
  この事変は、事変と言われる様に異常な状況であった。
  朝鮮訓錬隊(日本の指導下で設立された朝鮮の軍隊)
 がからんだ・・また、朝鮮警務使(王城を守る警察)が
 からんだ・・そして、開化派(李氏朝鮮の政治グループ)
 がからみ・・そこに大院君派などが居た。
  そして、真霊君(ちるりょんぐん、実在した巫女)と
 いう占い的な者の言葉に心酔するということも影響した。
  この様な中に、日本官憲も動ごいてしまった。
  この様な勢力が、ソウルの朝鮮漢城・景福宮に乱入し、
 親露派(反日派)の中心と目された高宗の妃の閔妃を殺
 害するという事変が起きた。
  李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃は、
 大院君の貯めた国庫を浪費するなど不届きな行為もあっ
 て、また、閔妃の国政壟断(ろうだん、利益・権利を一
 人じめにする)に不満を持つ朝鮮人たちも多く居た。
  閔妃は、その様な人・禹範善(うぼむそん、朝鮮人武
 官)に暗殺されたのだった。
  また、この後の閔妃の死後にも、朝鮮王朝内は平穏に
 ならなかった・・親族や相手派を暗殺し合うなど対立し
 ていた興宣大院君(こうせんだいいんくん、李氏朝鮮の
 王族、高宗の実父)によって、大院君は弾劾され、平民
 に降格された。
  この時までにも、朝鮮は混乱に混乱を重ねていた・・
  1894年3月28日、閔氏政権によって、開化派の中心人物
 の金玉均(きんぎょくきん、日本に遊学し、福沢諭吉の
 指導を受け、そして、朝鮮を、日本の明治維新の様に発
 展させ、改革したいとしていた親日派)が、閔妃の刺客
 である洪鐘宇の回転式拳銃で暗殺されていた。
  また、1894年5月31日には、閔氏政権に不満をもつ農民
 が蜂起し、甲午農民戦争が勃発したりもした。
  農民軍は全州を占領したが、統治能力を失った閔氏政
 権は中国・清に軍の出動を要請し、事態は一層混乱して
 行く・・
  三国干渉の時は、日本が後退すると、その甲午改革に
 よって政権を追われていた閔妃とその一族は、ロシア公
 使のカール・イバノビッチ・ヴェーバーと、ロシア軍の
 力を借りて、クーデターを引き起こした・・そして、
  1895年7月6日、政権を奪った。
  このことが大原因で、朝鮮李朝内の対立を決定的な
 ものにしていた。
  これ等の素地の下にこの事変は起きていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争をした・・
    その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
    今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
   次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
.
1591年閏3月21日、日本とベトナムの通交文書の最古と見な
 される文書が存在する・・今、九州国立博物館に所蔵さ
 れている。
  記載内容は・・、
  日本国王(豊臣秀吉とされる)が、牡象を好むとある。
  それを、日本の使者から聞いた阮氏が、一頭の牡象を
 日本へ送ろうとした・・しかし・・
  日本からの使者の船が小さく、象が乗せられなかった。
  やむなく、象牙などの別の贈り物を贈った・・と。
  日本とベトナムとは、この頃から友好関係にあった。
.
1602年と1728年、ベトナムから、ベトナム象が日本に運ば
 れた。
    ・
    ・
1881年、能楽社の設立
  能楽保護のため、「能楽社」が華族の方々を中心に組
 織された。
  一時衰退していた能・狂言の復興に尽くした。
  能界は、幕府や藩からの保護を受けて成り立っていた。
  それが、明治維新になって、存続の危機に立たされる
 こととなった。
  この時期に、多くの役者が廃業・転業を余儀なくされ、
 また、残念なことであるが多くの流儀が消滅した。
  しかし、維新直後の混乱が落ち着くと、宮中や旧大名
 に代表される華族の方々が、能・狂言の保護に向け動き
 出された。
  1878年には、能を好んだ英照皇太后のため、青山御所
 に能舞台が建てられた。
  ことに、岩倉具視は、欧米外遊の際、各国が芸術保護
 を厚く行っていることを実見した。
  1878年頃から、華族の方々による能・狂言の後援団体
 の設立に向けての動きが活発化していた。
  そして、計画が進んでいた組織は、発起人に加わって
 いた前田斉泰と世話人の重野安繹の発案によって「能楽
 社」として設立されることとなった。
  能楽社の名について・・
  「前田斉泰ノ意見ニテ、猿楽ノ名称字面穏当ナラサル
 ヲ以テ、能楽ト改称シ、因リテ能楽社ト名付ケ・・云々」
 とある。
  これが、現在の「能楽」という言葉の起こりとなった。
  (参考)前田斉泰:まえだなりやす、幕末の加賀(金
     沢)藩主。
  1881年4月16日、能舞台の落成を受けて「能楽社」が正
 式に設立された。
  発起人は、九条道孝、前田斉泰、池田茂政、藤堂高潔、
 坊城俊政、前田利鬯・・だった・・
  そして、この日、英照皇太后の行啓を仰いで、舞台開
 きが催された。
  宝生九郎が、「翁」「高砂」(ワキ・宝生新朔)を、
  観世清孝が、「田村」、
  梅若実が、「桜川」、
  金剛唯一が、「鞍馬天狗」、そして・・
  櫻間伴馬が、半能「加茂」を舞った。
  また、1881年4月17日には、華族の方々を対象に、
  そして、1881年4月18日には、一般への公開能が開かれ
 700人あまりの観客が集まった。
  当初のこの頃、この舞台は単に「能舞台」と称されて
 いたが・・、
  1881年6月、宝生九郎が出した新聞広告に「芝公園内
 楓山能楽堂」という語がある。
  1882年には、能楽社関係者の中でも「能楽堂」の称が
 用いられている。
  1882年頃からは、「芝能楽堂」ともなり・・
  後に、この呼称が一般的となった。
  ちなみに・・前田斉泰のエピソードに・・、
  1854年、アメリカからもたらされた「アッフル(りん
 ご)」が、加賀藩下屋敷(巣鴨近隣の板橋宿)にて栽培
 された。
  そして、この翌年・1855年、実をつけたために食用と
 され、近習ら藩士にも配られた。
  このことが、当時の加賀藩士の記録に残っていて・・、
  藩主の斉泰から、「小さな餅に塗って食べるように」
 と言われたという・・
  近習らはそのようにしていることから、ジャムにして
 食したものと言われている。
     ・
     ・
1945年8月10日、この日の午後8時、日本政府が、ポツダム
 宣言受諾を『連合軍に通知した』との短波放送を行った。
  1945年8月12日、午前0時頃、サンフランシスコ放送は、
 連合国の回答を放送した。
  この時に、日本の降伏の意思が確定していた。
  (完全にソ連の行為は違反行為・・日本領土侵略は成
 立しない)
  この情報は世界各地で受信していた。
  例えば、ラジオで情報を得たホーチミンは、日本の降
 伏を革命のチャンスとみた。
  ホーチミンは、フランス軍が、再度、進駐して来るよ
 り前に自国領のベトナムに実権を確立しようと計画を始
 めた。
.
1945年、戦後の日本の女性の方々は、これからの日本の復
 興の必要性を肌で感じた。
  女性の方々の鋭い直感で感じたのだった・・
  日本のこの今の危機を救うという・・
  そして、この後、多くの子供たちが生まれ・・育てら
 れた。
  爆発的な状況で増えた子供たちは『団塊の世代』と呼
 ばれた。
  そして、この子供たちが、輝かしい日本の戦後の復興
 に加わって行った。
  日本は、『奇跡的と言われる復興の姿』を世界に見せ
 て行った。
  今、ASEANが輝かしい発展を遂げているが、戦後
 日本の輝かしい復興の姿が、また、発展の姿が、このA
 SEANの方々へ復興・発展への勇気を差し上げている。
  それは、日本の女性の方々が作ったと言ってもよい日
 本の復興の姿だった。
  マレーシアのマハティール氏の「ルックイースト」と
 いう言葉があるが(1981年12月15日)・・これは、日本
 を見習えという意味であり・・
  ルックイースト政策ともなり、マレーシアの発展の理
 念ともなっている。
.
1946年4月4日、卑劣な事に・・200人~300人の武器を持っ
 たアメリカ兵が、強姦目的で大森の中村病院に乱入した。
  そして、約100人の妊婦や看護婦らを強姦した。
  生まれたばかりの子供も殺害された。
.
1946年4月、ベトナムで独立を目指すベトミンが、残留して
 いた日本兵に戦い方の指導を受けるための軍士官学校を
 設立した。
  それは、ベトナム中部沿岸のクァンガイ陸軍士官学校
 だった・・
  教官は、元日本軍の士官や下士官であった。
  残留した日本兵は、「新ベトナム人」と呼ばれた。
  日本軍インドシナ駐屯軍参謀・井川省少佐は、ベトナ
 ム名のレ・チ・ゴと名乗った。
  そして、ベトミンに、武器や壕の掘り方、戦闘指揮の
 方法、夜間戦闘訓練などの技術、戦術などを教えた。
  また、井川参謀の部下の青年将校の中原光信は、ベト
 ナム名のヴェト・ミン・ゴックを名乗り、第二大隊教官
 としてベトミンに協力して独立戦争を戦った。
  この他にも、石井卓雄、谷本喜久男(第一大隊教官)、
 猪狩和正(第三大隊教官)、加茂徳治(第四大隊教官)
 らがいた。
  この様に日本敗戦後、ベトミンに協力してベトナム独
 立戦争でフランス軍と戦ったインドシナ残留日本兵は
 766人にのぼる。
  また、武器の多くが日本軍からのもので、38式小銃な
 どが多かった。
  ベトナムを、再度、植民地にしようと考えたフランス
 のえげつなさがこの様な事態を引き起こしていた。
.
1946年5月3日~1948年11月12日、極東国際軍事裁判(東京
 裁判)が行なわれたが、この時、横田喜三郎・東京大学
 教授は、この裁判の翻訳責任者を務めた。
  しかし、卑劣なこの男・学者の人生が、この時から始
 まる・・
  横田喜三郎は国際法の教授であるが、この立場から、
 東京裁判の明らかなる違法性を指摘する立場にあるのに
 東京裁判を擁護した。
  横田喜三郎は、マルクス主義の読書会(ベルリン社会
 科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者とし
 て知られていた(左派系学者)
  1930年、東京大学の国際法の教授となり・・
  1945年、日本が戦争に負けると豹変した。
  1947年~1949年、3冊の本を書くが、GHQにすり寄り、
 進行中の東京裁判を擁護した。
  「事後法で裁いてはならない」という大原則でさえ擁
 護した(この学者の法理は弁解の出来ない「しっちゃか
 めっちゃか」状態だった・・自分さえ良くなればよいと
 いう行動をした)
  この近代法の根幹の原則に対して、「そんなものは大
 して考慮する必要はない(取り立てて言うほどでは無い)
 とまで、この男は言った。
  『裁判は正当なのだ』と力説した。
  法律家が、絶対に言ってはいけないということまで言
 うという状況だった。
  (参考)法理:ほうり、法律の(哲学的な)原理
  また、この様な類いの輩が多いという東京大学だった。
  今・現在でも、日本を売る輩が多く居る大学である。
  近隣諸国と問題となるネタを与えるという行動をする
 輩さえ居る(朝日新聞だけではない)
  1960年、この横田喜三郎は、最高裁判所長官となり、
 文化功労者として表彰された・・
  また、文化勲章も貰い、勲一等旭日大綬章まで貰った。
  左翼から豹変し、GHQが日本を牛耳っている時には、
 GHQにすり寄り、その時の都合に合わせて言うという
 男だった。
  そして、日本政府にすり寄って栄達する時は・・、
  過去に書いた本が邪魔になるので、東京中の本屋へ弟
 子を走らせ、自分の本を隠す目的で買占めをさせるとい
 う男だった。
  この話は、この頃、誰でもが知る有名な話となった。
  笑い話的な事は、この時、この為に、この本の価格が
 値上がったという。
  国は、表彰などをして報いたが、この男は、最後に書
 いた回想録で先祖返り(せんぞがえり)をして、日本を
 裏切った。
  ちゃらちゃらと豹変する男のする様な事だった。
  中国のハニートラップに引っ掛かって、日本を裏切る
 政治家が居るが、日本の中枢の学者もよく日本を裏切り、
 日本を売る・・。
.
1961年5月、アメリカのベトナム戦争介入
  アメリカが、正規軍の特殊作戦部隊600人をベトナムに
 派遣し、軍事物資とともに本格的介入を、この時、始め
 た。
  南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、クラス
 ター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始し
 た。
  ケネディ政権は、就任直後に、東南アジアにおけるド
 ミノ理論の最前線にあったベトナムに関する特別委員会
 を設置し、統合参謀本部に対してベトナム情勢について
 の提言を求めた。
  特別委員会と統合参謀本部は、ともに、ソ連や中華人
 民共和国の支援を受けてその勢力を拡大する北ベトナム
 による軍事的脅威を受け続けていたベトナム共和国(南
 ベトナム)へのアメリカ正規軍による援助を提言した。
  ケネディは、正規軍の派兵は、ピッグス湾事件やキュ
 ーバ危機、ベルリン危機など世界各地で緊張の度を増し
 ていたソビエト連邦や中華人民共和国との対立を刺激す
 るとして行わなかったものの・・、
  「(北ベトナムとの間で)ジュネーブ協定の履行につ
 いての交渉を行うべき」とのチェスター・ボウルズ国務
 次官と、W・アヴェレル・ハリマン国務次官補の助言を
 却下した。
  「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」
 との名目で、1961年5月に、アメリカ軍の正規軍から構成
 された「軍事顧問団」という名目の、実際は、ゲリラに
 対する掃討作戦を行う特殊作戦部隊600人の派遣と軍事
 物資の支援を増強することを決定した。
  そして、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、
 クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃が
 開始された。
  日本は、第二次世界大戦の後、「平和に対する罪があ
 る」とされて裁かれ、多くの日本の軍人が殺されたが・・
  しかし、アメリカの、このベトナム戦争の侵略戦争を
 遂行したことは、「平和に対する罪がある」。
  この裁きが、まだ行われていない。
  また、同様に、アメリカは、「グレナダ侵攻」でも同
 様な罪がある。
  また、「パナマ侵攻」でも、「リビア空襲」でも、ア
 メリカには、「平和に対する罪がある」。
  そして、中国も、数々の侵略戦争を遂行していて、中
 国にも多くの「平和に対する罪」がある。
  中国には、「朝鮮戦争」「チベット侵攻」「中印紛争」
 「中ソ国境紛争」「中越紛争」などなど・・、
  また、アメリカは、ジェノサイド(大虐殺)を、ベト
 ナム戦争で行っていて、「人道に対する罪」がある。
  また、中国も、ジェノサイド(大虐殺)を、度々、行
 なっている。
  「人道に対する罪」を免(まぬが)れられない、「毛
 沢東による大躍進・文化大革命」「天安門事件」「チベ
 ット人弾圧」など・・
  本「共産主義国書」(ステファス・クルトワ・ニコラ・
 ヴェルト著)には、国別の残虐行為・蛮行を仔細に分析
 されている。
  それによると、中国が断然多数の非道な殺戮を行なっ
 ている。
  その数は、何と! 6500万人となっている。
  虐殺国家=中国となっている。
  こんなに虐殺を行なっている国は、他にはない。
  この事柄だけでも「共産主義国家=中国の存在理由は
 無い」・・
  中国の存在は否定されなければならない。
.
1998年、中国の江沢民総書記が、日本を訪問する直前、中
 国共産党が「21世紀の中日関係の展望」をまとめた。
  それに、「日本人をコントロールするために、日本へ
 歴史問題を突き付ける。そして、日本人を後退させる」
 と書かれている。
  そして、この中に、「日本国内に孔子学院を設立する」
 という事も書かれている。
  孔子学院は、中国語の教育機関とされている、その様
 な触れ込みであるが・・、
  アメリカやドイツなどでも問題となっているように、
 完全に中国のプロパガンダ機関・・中国の洗脳機関で、
 コントロールの為の機関となっている。
  20年を経て、この様な中国の目論見・本音が露呈して
 いる。
  中国から金を貰っているのか? キリスト教系大学の
 桜美林大学や、また、早稲田大学などに設立されている。
.
2018年12月26日、NHKの小会社整理
  この日の読売新聞に、NHKの2子会社が経営統合す
 ると報道された。
  NHKには、NHKの豊満で放漫な金に群がって、N
 HK職員の天下り先でもある子会社が数限りなくある。
  それにしても、この統合をNHKは2020年の春にする
 とした。
  いつもの・・そして、総べてのやることがNHKは、
 この様な状況だ・・遅い・・まったく遅い・・民間会社
 だったら半年でやってしまうことを・・ちんたらやる。
  NHKは、やることの総べてに、厳しさがない。
  再来年(さらいねん)の2020年の統合だという甘いと
 ころがNHKのだらしなさを象徴している。
  NHKは、長い期間、「頑張るな!」という番組をキ
 ャンペーンとしてやって来たが、その様なNHK体質が
 この小会社統合にも現れている。
  「再来年と言われて・・いつまでチンタラやるのだ!」
 と喝(かつ)を入れたい・・
  NHKは、この統合を半年で民間の様に終わらせ、ど
 んどん業務を整理統合し、合理化して行け!
  そして、NHKは受信料を半分する目標を掲げよ!
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2019年1月8日、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)が中国
 を電撃訪問・・
  この2日前の2019年1月7日には、アメリカが軍艦を南シ
 ナ海に入れ、「航行の自由作戦」を実施している。
  この南シナ海は、今では、中国は世界へ嘘をついて、
 完全な軍事基地・要塞と化している・・
  『軍事基地化はしない』などと言っていた中国である
 が、この海の多くの島々は、今は、各種の軍事の諸設備
 および兵器・戦闘機・ミサイル・レーダーなどが置かれ
 た要塞となっている。
  もう、アメリカは、この地を叩くことはできないであ
 ろう・・
  確実な中国の軍事拠点として確立されてしまっている・・
  北朝鮮の金正恩にしても、ほぼ対等に何度も会ってく
 れる中国のこの状況などから、核保有国になったからだ
 との表にあらわせない気持ちもあって、今後の核放棄は
 『まずあり得ない状況になってしまった』・・
  この段階でやれることと言ったら、アメリカの核の日
 本国内の核展開・・
  日本をやるのなら、中国も北朝鮮も一瞬にして蒸発す
 るぞという対抗措置しかない・・
  これによって、日本への手出しもできにくくなると同
 時に、アメリカへの手出しもできにくくなる・・
  そして、国連には、「国連という虎の威を借る狐」が
 居る。
  アメリカのジョン・ロバート・ボルトン(国家安全保
 障問題担当大統領補佐官、元米国国連大使)が、「国連
 の上の10階を取ってしまえ」と言ったという・・
  これは、国連が何もしてない組織であり、取ってしま
 ってもよい様な何も役に立たない機関なのだという意味
 だという・・
  その様な国連の状況で、国連は捉らえられ方をしてい
 る組織となっている。
  国連という場に万国が会し、意見を出し合い、討論を
 する。
  まったく理想的な、合理的な機関の様に見える国連。
  しかし、それは、全体会合がなされる本会議の情景で
 あって、
  そして、この場面が報道機関・メディアによく報道さ
 れ、流れるから、国連はこの様な事をする「理想的な機
 関だ」なんて見え、思えるが・・、
  この全体会合がなされる本会議以外の国連の場は、少
 数の者が意思を決定するという、「少数意見が横暴に決
 定される、独裁的に決定がなされる場」となっている。
  まったく一握りの少数の者の独断の場となっている。
  この様な決定が、国連の場の決定という事で「さも公
 正の様にに行われた」と世界に誤解を与えている。
  そして、まちがった認識・・誤認を与える結果となっ
 ている。
  その少数の者達の弾圧が、国連という虎の威を借りて
 行なわれる。
  この不合理な事を知る不埒なキリスト教は、この国連
 機関の少数の者たちへ働きかけ・・そして、洗脳などを
 行ない・・キリスト教の意見を世界の意見の様にしてい
 る。
  「アイヌが日本の先住民だ」と、科学的にまったく間
 違ったことを国連決議をしている。
  クジラが食べられなくなったのも、やはり、このキリ
 スト教の働きかけ・運動の仕業(しわざ)。
  遠い昔から食べて来た日本の食べ物を奪った・・食文
 化を消し去られた。
  キリスト教の教義による「クジラは食べてはいけない
 という事を日本は押し付けられた」。
  ならば、キリスト教よ!「七面鳥を食べることを止め
 よ」「牛を食べることを止めなさい!」・・できますか?
  キリスト教は、仲間を集めて多数を形成し、クジラを
 食べる少数のマイノリティ意見を握りつぶした。
  キリスト教という宗教的取り決め・決定であるため、
 何ら説明しても聞く耳を持たなかった。
  議論の場があっても、その議論の場での正常な意見の
 交換は出来なかった。
  宗教裁判所状態であった。
  「最初から結論ありき」だった。
  何度、説明しても、その意見を受け入れるそぶりも無
 かった。
  何度、説明しても受け入れられない「ガリレオの地動
 説」の如く、宗教タブーに触れた話だった。
  この件もガリレオの地動説の如く、ローマ法王が何百
 年かの後に「悔い改めのミサ」をやり、ガリレオに謝っ
 たが如くになるだろう。
  聞く耳を持たない宗教裁判の如きの場から日本は脱退
 した。
  これから中世ヨーロッパで、キリスト教が卑劣な弾圧
 をやり続けたが、日本もこの様な卑劣な弾圧を受け続け
 ることになるのだろう。
  そして、北朝鮮の金正恩が電撃訪中した時・・
  北朝鮮の金正恩がアメリカの真似をして、アメリカに
 届くかどうかはわからないが、そのミサイルの発射装置
 をもって中国へ出かけた。
  そのミサイルの方向は、日本・アメリカは勿論、その
 北京へも向いているのだろう。
  北京がそそのかして技術援助をした結果が今なのであ
 るが・・そのミサイルが北京へ向くということもあり得
 る状況にある。
  北朝鮮は、自国が生き残りのために作ったミサイル。
  自分以外に対しては、北朝鮮の生き残り目的の・・生
 き残るためにはそのミサイルの数には差があるだろうが・・
 北朝鮮のリスク回避のため、皆無状態にしている訳はな
 い・・当然、中国にも向けている・・
  当然、韓国にも向いている。
  ゴマを磨っているから韓国には向いてないと、韓国は
 思いたいのだろうが?
  この男は、近距離のミサイルも持っているが、これは
 韓国用だ。
  危ないと思えば伯父さんだって除外する者・・そして、
 兄だって・・誰だってやる様な男なのだ・・
  こんな事を書きたくないが、これが現実・・
  この愚かな領域を人類は乗り越えられるか?
  一旦、最低状態を経験しなければ、人類は立ち直れな
 いのだろうか・・
.
2019年1月9日、この日の読売新聞で、イギリス人の政治学
 者のエリック・カウフマン氏が言う・・、
  全紙を使った堂々たる寄稿であった・・が・・
  カウフマン氏は書く・・
  「白人としてのアイデンティティーを抑圧し、過去の
 歴史への罪悪感を煽ることは、白人を追い込み、ポピュ
 リズム的な不満を掻き立て、テロに発展する恐れすらあ
 る」・・と・・
  確かに、歴史の過去に、白人たちのやって来た事は極
 悪で・・卑劣だった。
  それを、ひたすら指摘し、煽らないでくれという書き
 出しだった。
  そう・・イギリス人は、特に、世界のあちこちで極悪
 な事をした。
  オーストラリアへ行けば、先住民のアボリジニの方々
 を、動物の如くに、狩りをする様に、殺戮した。
  タスマニア島のアボリジニの方々は、可哀想に全滅し
 てしまった。
  インドでも、様々な極悪行為をしたが・・
  その一つを書けば・・インドの方々を並木道の木々へ
 吊るして、殺した・・高い木の上に、インドの方々は吊
 るされたままに居た・・
  何日もそのままにして晒(さら)されて・・インドの
 方々を威圧した・・
  インドの方々は、それを、道を通るときに見ざるを得
 ない状態にされ、抑圧された・・恐怖された・・
  この様なイギリス人のやった例は、書き切れないほど
 ある。
  スペイン人も、キリスト教の最高権威者のローマ法王
 (教皇)から、問い合わせた返事に、「現地人のインデ
 ィオの方々を『人と見なすな』という返事」で・・
 これを切っ掛けに1000万人以上という殺戮が始まった。
  60年に渡って、南北アメリカ大陸の先住民の方々を殺
 戮し続けた。
  キリスト教の「有色人種蔑視」の教え・教義にこの根
 本原因があった。
  ローマ法王(教皇)は、この非を数百年後に認め、
 「悔い改めの謝罪のミサを行った」。
  しかし、キリスト教が、また、白人が、悔い改めの謝
 罪のミサをすべきところは、まだまだある。
  白人が、多数の人種という位置にいたから起きた横暴
 でもあった。
  その位置から・・白人が多数の人種の位置から降りる
 今・・白人に虐げられて来た少数民族の悲哀さを身をも
 って感じる事が出来るだろう今・現在、標記の様な事を
 言い出す。
  キリスト教の一神教は、その宗教性から多様性を否定
 した。
  我がキリスト教の神のみが「唯一の神だ」と、他を認
 めず、他を異端とし、異教徒とした。
  その異教徒を・・キリスト教の教義は「異教徒を殺せ」
 と指示し、教義とした。
  そして、異教徒を虫けらのように進んだ武器でもって
 劣った有色人種を殺戮した。
  その様にして来た白人が、その論理を取って返して、
 「白人文化の罪悪感を煽るな」と言う。
  今まで散々自分たちがやって来た事々を棚の上にあげ
 て、免罪符が欲しいと言うが如くに論理展開する。
  今になって、やっと、悲痛な人々の声を、やっと発す
 ることができる・・今まで虐げられてきた人々なのだ・・
 その様な段階になって来たところの今なのだ。
  この段階は、この悲痛な虐げを受けた人々の声がやっ
 と白人たちへ届く時代となって来たところなのだ。
  また、カウフマン氏は、「西側社会は総じて、多文化、
 多様性の受け入れを重視しますが、東アジアでは、国際
 主義的なリベラリズムを遠ざける傾向が強い」と言う。
  そして、この見方を根幹の基本として、この後の論理
 展開をするが・・、
  この根幹の基本的考え方の捉え方は大間違いだ。
  キリスト教の教義に洗脳された白人・ヨーロッパ人は、
 一例をあげれば、キリスト教カトリックが、キリスト教
 プロテスタントを異端だとして、受け入れられないとし
 て・・、
  また、この反対に、キリスト教プロテスタントもキリ
 スト教カトリックを、異端だとして受け入れられないと
 した。
  お互いの考え方の違いを、キリスト教の教義の如く異
 端として見て、愚かにも30年間もの長い間、卑劣な30年
 戦争を戦い、殺し合った。
  ヨーロッパの白人の人口の3分の1が死んだという卑劣
 な歴史である。
  カウフマン氏が美しく言う「西側社会は総じて、多文
 化、多様性を受け入れを重視する」・・と・・これは大
 間違いだ・・話が逆だ。
  日本を例にして言えば・・日本には、アメリカが建国
 されるズーット以前・・また、イギリスが、まだ国とし
 て成り立っていないという以前の遠い昔に、平等院が日
 本にある如く、差別なく、すべてを平等に受け入れる社
 会は、すでになされていた。
  また、世界一古い長編小説の著者が、日本女性である
 如く、男女の差別も無く、教養ある女性方たちが活躍し
 ていた。
  カウフマン氏よ! 貴方には、有色人種の東アジアの
 人々を蔑視するキリスト教の洗脳があるのではないです
 か?
  東アジアをもっと冷静に見直しをして下さい。
  キリスト教には、「他民族へ、娘を嫁になるな」など
 の律があるなど、この様な差別的な閉鎖的な社会規律が
 一杯ある。
  この宗教の考え方の下に貴方たちは居る・・
  この様な点を見ないで、無視して論理展開をしないで
 下さい。
  東アジアは、「自民族同士の結婚が多いから悪い」と
 いう言い方も偏頗ではありませんか?
  この考え方も偏見に満ちています。
  結婚は、各人の自由意思の下に自由に行われるだけで、
 自民族同士が多いから悪いとか・・とやかく批判し・・
 どうのこうのと言うべきものではない・・
  カウフマンさん、貴方には、「白人がやっていること
 が最高なんだ」という「白人優越の意識」が垣間見えま
 す。
  白人は、これから、未体験のマイノリティの人々とな
 って行く。
  大多数の時にした黒人奴隷の歴史のごとき歴史が待っ
 てない様にと祈ります。
  白人の方々こそ、自分たちが何をやって来たかをよく
 見定めて・・
  自分たちの行く先に、その虐(しいた)げたマイノリ
 ティの人々と同じ様な姿が無きようにと・・
  問題なく歴史を紡いで行けるようにと、沈思し、行動
 を思い描きなさい。
  「白人の罪悪感を煽らないこと」と、自分をさておい
 て・・他の人々の対応だけを求めることの愚かさに気付
 きなさい。
  お互いがやるべき事であって、一方にだけ求めるなど、
 片手落ちであってはいけません。
  (追伸)上記の浅はかな論理展開したエリック・カウ
     フマンの略歴:48歳、ロンドン大学バークベッ
     ク・カレッジ教授。
      香港に生まれ、幼少期の8年間、東京で育つ。
      カナダで大学卒業後、ロンドン・スクール・
     オブ・エコノミクスで博士号。
      専門は、民族、宗教、ナショナリズムなど。
      近著「ホワイトシフトーーポピュリズム、移
     民、白人多数社会の将来」を2018年10月に刊行、
     イギリス内外の言論界で高い注目を集めた。
.
2019年、専守防衛なんて絵に描いた餅。
  中国が、核弾頭ミサイルを300発から600発持っている
 というが・・、
  これが、日本に飛んで来たら、日本は「ひとたまりも
 ない」。
  そのすべてを撃ち落とす事は出来ない・・
  撃ち落とせると思っているのだったら・・悲惨な事実
 から目を背(そむ)けたい・・だから、撃ち落とせると
 思っているのだ・・ということになる・・
  中国の核弾頭ミサイルは、日本のほとんどの都市に照
 準を合わせている・・中国はその様に言っている。
  第二次世界大戦の時は、アメリカが、何万発という爆
 弾を・・日本中の都市に落したが・・そして、壊滅した
 が・・、
  今・現代、その核弾頭ミサイルは、一発でも落された
 ら、それで終わりだ。
  投下された都市の「すべてが、蒸発してしまう」。
  専守防衛は「おとぎ話」なのだ。
  防衛が不可能なのに「専守防衛する」と言う・・
  この論理は成立しない。
  生半可な防衛力を放棄して、「殺すんなら殺せ」と言
 った庶民の心になるか?である・・
  生半可な防衛力があるから攻めて来るとも言える・・
  だから・・はっきりと・・無責任な行為は止めて・・
  専守防衛を止めて「専守攻撃」に変えなければ「専守
 防衛」は出来ない。
  もし、あなたの国が、日本を攻撃するのでしたら、「
 日本は、あらゆる日本の攻撃手段を使って、あなたの国
 を攻撃します」という『専守攻撃宣言』をしなければな
 らない。
  これでなければ、専守防衛なんてできない。
  迎撃ミサイルは、単なる、「精神安定剤」。
  日本中に、そして、広い広い日本の領海中に、中国・
 北朝鮮・ロシアを殲滅できる核弾頭ミサイルを展開しな
 ければならない。
  「恐ろしくて日本なんて攻撃できない」という気持ち
 を起こさせなければならない。
  この「専守攻撃」の核弾頭ミサイルの展開は、アメリ
 カと協議し、早期に実現しなければならないという今・
 現在となっている。
  この様な現状にある今・現在を、冷静に見れば、日本
 国憲法の前文の記述が、あまりにもかけ離れた夢の世界
 の中に浮いていることが分かる。
  日本国憲法の前文は、現実の実情にそぐわない状態に
 なっている。
  日本は立派な国であるから、日本以外の国々の公正と
 信義に信頼してと、それを信じて、まったく理想的な憲
 法を掲げてやって来たが・・??・・今までは・・
  今・現在、その現状は、その様な状況ではまったくな
 いという状態になってしまっている。
  近隣の諸国は、陰で日本の憲法をうすら笑っているだ
 ろう・・都合が良いと思っているだろう。
  日本国民の方々は、お人好しだから、日本国憲法が現
 状とはまったくかけ離れて・・現状にそぐわないと思っ
 ていても・・我慢し、耐えている。
  しかし、これからの子供たちの為には・・
  「もうこのような我慢をさせる事は酷である」。
  子供を産みたくなる様な憲法にしなくてはならない・・
  今・現在の現状に沿う憲法を「未来へ残さなければな
 らない」。
  それが出来て日本の戦後は終わる。
  それにしても、ベトナムの方々もよく戦った。
  不合理なものへ対して、その戦いが必要な時には、強
 い相手であっても「毅然と戦わねばならない」として戦
 った。
  今、平和憲法なんて・・自画自賛の状況となっている。
  その憲法が、現状に於いて「何の役にも立たない」と
 いう状況が、戦後の経過の中で生まれ・・そして、証明
 された。
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2019年、中国は、日本の中国研究者が、中国について批判
 的な研究結果を公表すると、とたんに、睨(にら)み・・
  そして、研究行為について不利な扱いをする。
  中国への入国は拒否される。
  研究のための中国入国の拒否だからたまらない。
  また、入国が出来たとしても、史料の閲覧の拒否を受
 ける。
  研究の材料を得られなくなるという事は致命的だ。
  中国は、この様な卑劣な事をする。
  だから、中国へゴマをする研究者ばかりになる。
  こんなことは誰でも知っている事で、だから、若い研
 究者は、中国の反応を怖がる。
  中国からのプレッシャーの中で研究している。
  だからなのか、中国べったりという方針にしたのか・・
 その様な中国べったりの研究者が居る。
  大学もその様な「いざこざ」が起きないことを願って
 いる。
  この様な大学の姿勢からのプレッシャーも研究者へ与
 えられている。
  また、大学へ来る研究者についても、中国とトラブル
 を起こしそうな研究者に対し、「わが大学にだけは来な
 いで欲しい」という態度をとる。
  研究者だけでなく、ジャーナリストへもこの様な戦略
 が中国にとられ、この戦略にはまってしまう。
  また、招聘(しょうへい)する人などについても、中
 国に不利な人の招聘の場合、中国は嫌がらせをする。
  何もかもが中国に寄り添う行動になるというプレッシ
 ャーの中での研究などの行動となる。
  この様に、きめの細かい情報を本国へ伝える工作員が
 存在しているということが分かる。
  その存在はものすごく厚い・・
.
2019年、中国の地の覇者は、以前からズーット漢民族であ
 ったのではない。
  色々な民族が、入れ代わり立ち代わり中国の歴史をつ
 ないで来たのだった。
  漢民族の現政権は、「中国、5000年の歴史」と言って
 いるが、中国の文明の発祥からの歴史の事を言っている
 のであって、現政権の漢民族の歴史が、さも、5000年間、
 続いたように言うのは大間違いで・・錯覚させている。
  中国の漢民族の現政権の歴史は『数十年』である。
  「つい、この間」という歴史である。
  漢民族の現政権の歴史は、新参者の新興なのである。
  現政権の漢民族中国政権は、この様な錯覚を「この他
 にも、色々、行なって」いて、世界を錯覚させ、その様
 に思わせている・・
  色々な事で、事実の誤認を起こさせているから注意を
 要する。
  「中国人民解放軍」と言わせられているが、その実態
 は『中国人民侵略軍』である。
  この中国共産党軍は、中国に接する近隣諸国の侵略ば
 かりをしている。
  解放とは程遠い事ばかりをしている。
  近隣諸民族の殺戮と弾圧である。
  チベット、ウイグル、内モンゴルなどは、とうとう、
 中国の国の様にされてしまっている。
  この他にも、ベトナムなどは、何度も、共産中国軍(
 中国人民侵略軍)の侵略を受けたか知れないという悲惨
 な歴史となっている。
  そして、今、ネパールやブータンが怪しい・・
  また、「中国東北部」と呼ばされている地域は・・『
 満州族の地域』であった・・
  そして、今は、その民族が、満州族が、まったくこの
 地域に居ないという事である・・
  殺されたのか? 追放されたのか? 不明であるが?? 
  だが本来は、まったく中国とは関係のない地域で・・、
 「中国東北部」ではなく、『満州族部』とでも呼ぶべき
 地域だった・・強いていうのなら「中国東北侵略部」。
  万里の長城のはるか北にあるこの地を、なんで中国と
 呼ぶのか?・・である・・その様な地ではない。
  万里の長城のはるか北のこの地を、中国と呼ぶのは『
 不適切である』。
  中国は、この万里の長城の北の「外の地」を、まった
 く関係ないという意味の『化外の地』として・・中国の
 力の及ばない他民族の地としていた・・
  だから、その中国と関係のない民族が、中国の地に入
 って来ない様にと「万里の長城を築いた」のだった。
  中国は、この様な地を『中国東北部』と呼はさせて、
 世界を錯覚に陥(おちい)らせようとしている。
  満州族の地の痕跡を消そうとしている。
  「中国東北侵略部」なのである。
  「チベット」も「ウイグル」も「内モンゴル」も、皆、
 同じ『中国侵略部』である。
  チベット民族は、隣国のインドに、チベット亡命政府
 を樹立している。
  1959年から、ダラムサラに、中国の侵略・軍事制圧か
 ら逃れた人々が建設を始めた。
  1953年3月、インド政府は、チベット本国を追われたダ
 ライラマ14世に対し、この地を提供し・・
  1960年、チベット亡命政府は発足した。
  そして、各種の官庁も築かれた。
  この様に、国際法無視の行動をする中国は、グローバ
 ル化が進むと「都合が良いと考えている」。
  自らは漢民族の世界にしようとしているが・・それ以
 外の民族性を薄めたいと、グローバル化が都合よいと考
 えている。
  中国は、南シナ海も、近隣諸国の領地を奪い軍事基地
 化した・・
  これはアメリカの真似をしている・・
  それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争
 をした・・その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
  今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
 次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
# by suba28 | 2019-01-14 04:30 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)

題:(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月21日、台湾総督府仮条例が制定され、総督府に
 民政局、陸軍局、海軍局が設置された。
.
1895年5月28日、大阪鉄道の天王寺駅~玉造駅間が開通した。
  (参考)初代大阪鉄道は、1888年から1900年まで存在
     した日本の鉄道事業者(私鉄)
.
1895年5月29日、日本軍が、台湾北部に上陸した。
  1895年4月17日、日清両国は、下関条約によって日清戦
 争が終結させた。
  そして、日本は、清国から正式に台湾の割譲(かつじ
 ょう、国家間の合意によって領土主権の全部、または、
 一部を譲渡すること)を受け、両国間に平和が回復した。
  しかし、台湾割譲に反対する清国の文武官は、列強の
 干渉を呼び込むために、イギリスやフランスに台湾を貸
 与する計画や陰謀などの割譲阻止工作を実行した。
  これを起因として台湾問題が発生した。
.
1895年6月1日、凱旋門見学
  樋口一葉は、凱旋門が取り壊される当日、慌てて見学
 に行った。
  しかし、たまたま天皇陛下の還御の行列に当たり、よ
 うやくたどり着いた。
  「やがて凱旋門ちかく成れば、もはや取崩しに取かか
 れりとおぼしく、取りおろしたる杉の葉などここかしこ
 に山とつまれぬ」
    (日記『水の上』1895年6月1日)
  天皇陛下、還御(氷川清話)
  (参考)還御:かんぎょ、天皇陛下、・三后、将軍、
     公卿(こうけい)が出先からお帰りになること。
  (参考)三后:さんこう、后位(こうい)は、日本の
     朝廷において天皇陛下の配偶者や母・祖母等に
     与えられた太皇太后・皇太后・皇后の地位の総
     称で、三宮(さんぐう)・三后(さんごう)と
     も言う。
.
1895年6月4日、閣議で「将来の対韓政略は成るべく干渉を
 やめ、朝鮮を自立せしむるの方針をとるべし、故に他動
 の方針をとるべきことに決す」と決議した。
.
1895年6月7日、日本軍が、台北を制圧し・・
  6月17日に、台北で総督府始政式を行なった。
.
1895年6月10日、台湾鉄道線司令部が設けられ、陸軍が台湾
 の鉄道の運営に当たり、基隆駅~台北駅間の運転が開始
 された。
.
1895年6月17日、台湾都督府で始政式が行なわれた。
  初代総督に樺山資紀海軍大将が就任した。
  台湾総督府開庁は、この日を台湾始政記念日とした。
.
1895年6月18日、仮設呉兵器製造所が設立された。
.
1895年7月4日、横浜クリケットクラブのトラックで自転車
 競技が行なわれた。
.
1895年7月6日、露仏両国による対清借款が成立した。
  4億フランが成立した。
  日清戦争の後、イギリス・フランス・ロシア・日本・
 ドイツの帝国主義諸国は、租借地の獲得や鉄道敷設権・
 鉱山採掘権などの利権という形態で中国の国土を分割支
 配して行く・・その手始めの借款だった・・ロシア・フ
 ランスなど列強に対して外債を発行し、借款した(外国
 から資金を借りた)
  列強は、この借款を通じて鉄道敷設権を獲得したり、
 鉱山採掘権を獲得して行った・・
  列強は、この借款という形で清朝政府から租借という
 形で奪って行った・・
  19世紀のこの頃、中国は、事実上、反植民地状態とな
 った・・
.
1895年7月13日、夏目漱石:愛媛県尋常中学校(松山中学)
 の英語教師を勤める漱石(28歳)
  日清戦争に出征していた松山連隊の凱旋を迎えるため、
 生徒を引率して、フロックコートに山高帽というハイカ
 ラな正装で、松山市郊外の八丁畷(なわて)へ出向いた。
  この式から帰る途中、師範学校の生徒と松山中学の生
 徒との間で乱闘騒ぎが起きた。
  教師にもそのとばっちりがおよび、田んぼの中に押し
 込まれたりした。
  漱石の小説「坊ちゃん」にも書かれている。
  「喧嘩は今が真最中である。
  師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割
 方多い。(中略)
  入り乱れて組んず、ほぐれつ戦っているから、どこか
 ら、どう手をつけて引き分けていいか分らない。
  山嵐は困ったなという風で、しばらくこの乱雑なあり
 さまを眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。
  巡査がくると面倒だ。
  飛び込んで分けようと、おれの方を見ていうから、お
 れは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しそうな
 ところへ躍り込んだ」
  大騒ぎしているところへ巡査が駆け付けて来て、生徒
 たちは逃げ去り、坊ちゃんと山嵐だけが警察に引っ張ら
 れる。
  翌日の新聞には、生徒たちを扇動して騒ぎを起こした
 と書き立てられる。
  我軍凱旋(氷川清話)
.
1895年7月25日、山陽鉄道の尾道駅~糸崎駅間で軍用列車が
 脱線転覆した(死者11人、重軽傷98人)
.
1895年7月、ラベンナ号事件の日本政府とピーオー汽船との
 損害賠償請求裁判で、イギリス上院の判決が出され、ピ
 ーオー汽船の訴えを退けた。
  賠償金は、1万ポンドでの和解成立となった。
.
1895年7月、北海道全道の鉄道調査が終了した。
.
1895年7月、三国干渉の影響で朝鮮が親露政権となった。
.
1895年8月5日、日清戦争論功行賞が行われ、伊藤博文、山
 県有朋、大山巌、西郷従道が侯爵となった。
.
1895年8月6日、台湾総督府条例が制定された(陸達第70号)
  総督幕僚、陸軍局、海軍局が置かれた。
 ・総督幕僚 参謀部
       副官部:第一課(文書関係)第二課(人事
           関係)第三課(用度関係)
 ・陸軍局  砲兵部 工兵部 憲兵部 監督部 軍医部 
       法官部 電信部 郵便部
 ・海軍局
.
1895年8月15日、豊州鉄道の行橋駅~伊田駅間が開通した。
.
1895年8月17日、三浦梧桜を朝鮮駐在公使に任命した。
  (参考)三浦梧桜:みうらごろう、政治家・陸軍中将・
     子爵。
      山口の生まれ、長州藩の尊攘運動に参加した。
      広島鎮台司令長官として萩の乱を鎮圧した。
      王事に尽瘁(じんすい、自分の労苦を顧みる
     ことなく、全力を尽くすこと)する。
      枢密顧問官。
      1926年、没、81才。
.
1895年8月22日、下総鉄道が、社名を成田鉄道会社と改称し
 た。
.
1895年8月22日、浪速鉄道の片町駅~四条畷駅間が開業した。
  運転時分38分、1日19往復の列車を50分間隔で等間隔運
 転。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本は、共産独裁国家に包囲されている。
    もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
    アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリカではない。
    勝者は共産国家である・・
    「共産・中国」「共産・ソ連(現:ロシア)」である。
.
1896年、イギリス人で首相になったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなっていた家計のために更なる従軍
 経験と新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  また、ジェームソン侵入事件が発生した南アフリカな
 どに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することに
 なった。
  インド駐留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように
 暮らした。
  日常生活をすべてインド人召使に任せた。
  チャーチルもそのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人:アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯を維持しており、パシュト
     ゥーンワーリと呼ばれる慣習法を持ち、男子は
     誇りを重んじている。
.
1927年、リンドバーグが、初めて単独で大西洋を無着陸横
 断飛行を成功させた(約33時間30分)
  この頃、アメリカは、すでに、イギリス、ドイツ、フ
 ランスの三国を、はるかに抜くという世界最大の工業国
 になっていた。
  そして、間もなく、その頃より一世紀、100年を越えよ
 うとしている今・現在・・
  その主役(アメリカ)の座が、今までの歴史の様に、
 「変わろうとしている」。
  イギリスもしかりだった。
  イギリスからアメリカへの変遷の様に、今・現在、ア
 メリカから次なる主役・中国へ「バトンタッチ」されよ
 うとしている。
.
1937年11月、日本を貶める嘘情報の本「what war means」
 が、イギリスで出版された。
  第二次世界大戦中、中国・国民党(この頃、中国・共
 産党は壊滅の憂き目にあっていた、そして、中国の奥地
 に潜んでいた)の国際宣伝処長は、日本への嘘の宣伝工
 作・プロパガンダが、あまりにもうまく行ったと言って
 いる。
  この嘘つきの男が牛耳っていた国民党から発信される
 作り話の嘘情報が、英訳され、世界を駆け巡った。
  日本は、この作り話で酷く貶(おとし)められた。
  その一つが、1937年11月、イギリスで出版されたティ
 ンパーリーの「what war means」。
  実に手際よく、中国国民党から発信され、英訳され、
 国際社会に喧伝(けんでん、盛んに言いふらし、宣伝す
 ること)され、広まった。
  その中国・国民党国際宣伝処長の曽虚白は、回想録で
 そのあまりにも巧(うま)く行き過ぎたことを驚きと共
 に記している。
  これで、南京事件がでっち上げられた。
  そして、このデッチ上げられた南京事件で、日本の無
 実の軍人たちが、アメリカがデッチ上げた東京裁判で有
 罪だとされ、殺された。
.
1945年9月15日、鳩山一郎の『正義の発言』・・発行媒体は
 停止処分を受ける・・アメリカの卑劣な口封じ行為。
  GHQは、「パージ」をして、GHQを批判しそうな
 記者を追放した。
  そして、GHQを気にする報道陣にさせられた。
  また、ゴマを刷る記事にされた。
  しかし、その様な中で・・、
  1945年9月15日、鳩山一郎は言った・・、
  「〝正義は力なり〟を標榜する米国である以上、原子
 爆弾の使用や無辜(むこ、何の罪もないこと)の国民殺
 傷が、病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争
 犯罪であることを否む(いなむ、嫌だと言って拒む)こ
 とは出来ぬであろう。
  極力、米人をして(広島・長崎の)罹災地の惨状を視
 察せしめ、彼ら自身彼らの行為に対する報償(ほうしょ
 う、損失のつぐない)の念と復興の責任とを自覚せしめ
 ること(略)」と・・
  まったく当たり前のアメリカに対する正義の発言をし
 た。
  アメリカは、これに対して「発行停止」の命令をする
 という卑劣な行為をした。
  日本の新聞は、この様なアメリカの卑劣な弾圧に屈し
 てしまった。
  東京裁判など、国際法違反の裁判などに迎合した報道
 をする。
  GHQの報道担当(インボーデン少佐)が、非常に威
 圧的で強権を行使していた。
  「追放処分」や「発行停止処分」の強権を使った。
  新聞社は、これにひれ伏した。
  「アメリカ占領軍に従わなかったら新聞が出せない」
 という悲鳴の声を発した。
  国民の情報源の重要部分にあったこの頃の新聞は、こ
 の様な牛耳られた状態だった。
  (参考)口封じ:くちふうじ、その事が外部に漏れな
     いように、強権で口止めをすること。
  (参考)パージ:purge、追放。公職などから締め出す
     こと。
.
1950年10月7日、中国のチベット侵略
  この日の深夜、中国人民解放軍は、張国華将軍を指揮
 官として、ラサの東方100kmの位置まで侵攻した。
  中国人民解放軍の兵力は4万人・・これに対してのチ
 ベットの義勇兵はわずかな8000人だった。
  中国人民解放軍は、東チベットを3方から同時に侵略し
 た。
  8000人のチベット軍が阻止を試みた。
  チベット軍は応戦をするも、多勢に無勢で、チベット
 兵は各地で全滅した。
  進んだ兵器を持つ中国軍は強力で、チベット各地を駆
 け巡った。
  チベット兵は、また、各地で孤立した。
  翌10月8日、中国人民解放軍は、波状攻撃を仕掛けた。
  チベット軍も善戦し、阻止することに成功する状況も
 あったが、交戦不可能なまでに戦力を失った。
  その夜、チベット部隊は組織を維持できない状態まで
 追い込まれた。
  10月16日に至り、チベットの知事ンガプー・ンガワン・
 ジクメ(アボ)が、潜伏していたチャムド付近の寺院で
 発見された。
  チベット指揮官ダポンは、ンガプーに対して戦力を集
 中し抵抗したが・・
  翌日の10月17日に、中国人民解放軍に投降した。
  10日間の抵抗の戦いは終わった。
  1950年10月24日、中国人民解放軍は、チャムドを占領
 した。
  チベットという国は、7世紀に、ソンツェン・ガムポト
 ウ王が建国した立派な独立国だった。
  ソンツェン・ガムポトウ王は、ヒマラヤ山脈の北部に
 広がる高原地帯を平定してチベット国を建国していた。
  この様なチベット民族の国が、何も関係のない漢民族
 の中国共産党軍(中国人民解放軍と呼ばれるが・・本当
 は、中国人民侵略軍)によって、この年・1951年、不本
 意な侵略を受けた。
  突然の侵攻で大虐殺を受け、併合されてしまった。
  そして、チベット民族の伝統的な文化が否定された。
  (日本も、第二次世界大戦の後に、アメリカによって、
 日本文化・神楽などの破壊の経験を持っている)・・
  チベット民族は、漢民族の毛沢東の思想教育・・洗脳
 教育を始められた。
  チベット人は600万人だったが・・中国は、漢民族の自
 国民を、720万人という多くの漢民族をチベットへ流入
 させた。
  チベットへ流入させた漢民族によって、チベットの地
 は、漢民族が大多数を形成するという地となった。
  チベットがチベットの国から漢民族の国になった。
  漢民族の中国は、この様なやり方で、チベットという
 国を乗っ取り、奪った。
  そして、強烈な「エスニック・クレンジング(民族浄
 化作戦)」を行なった。
  チベット民族の方々への弾圧も凄(すさ)まじかった。
  チベット民族の方々は、堪(たま)らず、1959年3月10
 日、チベット民族の方々は立ち上がり、蜂起した。
  漢民族の中国は、この時とばかり、大部隊を送る戦争
 が・・本職の軍隊を多数投入して、チベット民族の方々
 を、11万人以上もの方々を虐殺してしまった。
  この後も何度も、最悪の弾圧に起ち上がるチベット民
 族の方々は殺され続けた・・犠牲者数は120万人以上に
 達した。
  もし、その様なことが、あなたの国で起きたら・・あ
 なたはどうしますか?・・どう思いますか?
  胡錦濤は、この時の担当であった・・
  チベットでのこの卑劣な酷い弾圧が、功績だとされ・・
 中国国家主席にまでなった。
  (参考)胡錦濤:こきんとう、1942年12月、上海で生
     まれる。
     1964年(22歳)中国共産党に入党
     1965年(23歳)清華大学卒業。専門の水利学を
      生かし甘粛省水利部門などに技師として勤務。
      当時、甘粛省党委員会書記だった宋平・元政
      治局常務委員に見出される。
     1982年(40歳)中国共産主義青年団 (共青団)
      甘粛省委員会書記に就任し、党活動専任に転
      じた。
     1984年(42歳)共産主義青年団中央書記局第1書
      記
     1985年(43歳)貴州省党委員会書記
     1988年(46歳)チベット自治区党委員会書記を
      歴任。
     1992年(50歳)第 14回中国共産党全国代表大会
       (党大会) 後に中央政治局常務委員に抜擢さ
      れる。
     1993年(51歳)以降、中国共産党中央党校の校
      長
     1998年(56歳)第9期全国人民代表大会 (全人代)
       第1回会議で国家副主席
     1999年(57歳)以降、中国共産党中央軍事委員
      会副主席を務める。
     2002年(60歳)第16回党大会後に党中央委員会
      総書記
     2003年(61歳)第10期全人代第1回会議で国家主
      席に選出され、中国の党機関と国家機関のトッ
      プに就任した。
.
1959年~1962年、中国の大飢饉
  この飢饉で、最小でも4500万人が死んだ。
  そして、最近になって閲覧できるようになった中国共
 産党の古文書では・・、
  毛沢東が、全体主義的権力の構築と、その強化のため
 には、極度の暴力を用いるしかないと決断したことを明
 らかにしている。
  だから、毛沢東は、この真逆のことを実行した。
  残酷なだけの、まったく意味のない行為を組織的に遂
 行した。
  歴史学者のフランク・ディケーターは、「人民解放戦
 争」「大躍進政策」「文化大革命」の三つで、毛沢東は、
 5500万人、そして、それ以上の人々を虐殺したと言った。
  共産主義国家は、何処も独裁国家で、情報統制をする。
  都合の悪い情報は隠して、実態を分からなくしている。
  数々の残虐行為をしているにもかかわらず、その実態
 がなかなか出て来ない。
  逆に、美しくプロパガンダされ、多くの人々が騙(だ
 ま)されている。
  だから、多くの知識人が共産圏に「正義」を抱いてい
 る。
  しかし、今・現在は、その実態が分かられて来ていて、
 その卑劣さも白日の下にさらされて来ている。
  だから、共産主義国家は、反体制の人々を厳しく監視
 する監視社会となっている。
  家族や友人の間にまでスパイを潜(もぐ)り込ませて
 いる。
  共産社会の人権抑圧は卑劣なものとなっている。
  共産圏では、その一握りの者による政治の実権の奪取
 の体制により、その不埒な体制維持のため、人類の最悪
 の行為=ジェノサイド(大虐殺)がよく行われる。
  その実態が分かって来て、共産主義社会の幻想の実態
 が目の当たりに感じられるようになった。
  日教組も共産主義に傾倒している組織であるが、その
 共産主義の実態が、さすがに分かって来たのではないだ
 ろうか。
  朝日新聞も馬鹿な新聞なのだが、共産圏国家の大虐殺
 を最初は否定した。
  今は、その何度も行われた大虐殺を否定できなくなっ
 ている。
.
1970年代以降、中国が、日本の領土である尖閣諸島を、「
 中国の領土だ」と急に言い出した。
  尖閣諸島は、「中国の古文書にも、日本の領土と認め
 ている記述がある」。
  その様な史実を無視して、中国は、「言いたいことを
 言い出した」。
  日本は、日清戦争以前から尖閣諸島をどの国も支配し
 ていないことを10年間も確認した後、国際法の要件を満
 たして、1895年に、領土に編入した。
  中国が領有権を言い出したのは、1970年代以降、東シ
 ナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された後のことだった。
  中国の李克強首相は、「尖閣諸島は、日清戦争のどさ
 くさに日本が盗んだ」と、欧州旅行で言って歩いた。
  何を言っているんだと言いたい・・
  この日清戦争の頃の中国の認識は「尖閣諸島は、日本
 の領土だ」だった。
  1970年代以降に、「石油が埋蔵されている」とされて
 から、尖閣諸島を盗もう・奪(うば)おうとしているの
 は中国の方だ。
  中国は、最近になって、自国の領土だとして奪う行為
 を南シナ海でもやっている。
  南シナ海に存在するベトナムや台湾やフィリピンの領
 土まで奪おうとしている。
  国際司法裁判所でも、「中国の領土ではない」とはっ
 きり判決が下りた・・それなのに、中国は不法な占拠を
 続けている。
  そして、最初、「軍事基地化はしない」と言っていた
 が、今では、強引に軍事基地化をしている・・ミサイル
 配備までもしている。
  中国こそ、窃盗行為をしている。
  この様な悪評判は、昔から、中国にはある。
  よくやったからと車賃を多くあげると、感謝するので
 はなく、「こいつは金持ちだ、もっと催促してやれ」と
 いう発想を中国人はする・・そして、「多額な金を要求
 する」。
  この様な事例・・アメリカ人夫妻が、強盗に変わった
 中国人に殺された。
  道にいた中国人の乞食に、1円銀貨をあげた。
  1円といえば、1ヶ月間、食べられる金額だった。
  早速、仲間と共に、先回りして、この夫妻を殺してし
 まった。
  だから、中国へ金を与えるのは、よほど、注意しなく
 てはならない。
  金を貰っている間は良い顔をしているが・・それが、
 終わった時の反動が、中国独特の反動となって、予測不
 可能状態となる。
  今・現在、北海道の帯広の広大な土地が、中国に買わ
 れてしまっている。
  この行為は、この後、留まることなく続けられるだろ
 う。
  中国は、輪転機を廻せばいくらでも人民元が刷れる国。
  その様な人民元で、次々と北海道の土地が買われる。
  チベット、ウイグル、内モンゴルの如くになる。
  今・現在、満州の地に居た満州人の方々は、満州の地
 には居ないという状態となっている。
  北海道の地に、北海道の人たちが居なくなることが無
 いようにしなければならない・・
.
1995年、この頃より、中国は「日本軍に殺された中国人は
 3500万人だ」と言い出した。
  嘘やデッチ上げばかりを言う中国共産党政権というこ
 とは分かっているが、この嘘も酷い嘘だとすぐ分かる。
  この当時、日本軍は35万人が居た。
  中国共産党政権の言う通りだったら、一人が100人を殺
 したことになってしまう。
  野戦病院に居た軍医や看護婦さんまでが100人殺したこ
 とになってしまう。
  この様な嘘を言う中国共産党政権は、自身が、自国民
 の中国の国民の方たちを6500万人も虐殺したことを隠し
 ている。
  また、因みに、ドイツのナチスが、ユダヤの方々に対
 する虐殺は400万人と言われていた。
  しかし、この人数に関し、冷戦の終結後、研究者の方
 たちが正確な数を検証した結果、約150万人だとなった。
  この数字が広く、今は、認知されている。
  何故? 400万人という数字になったかというと・・
 ソ連が、ナチスの罪を過大にしていた・・それは、自身
 が起こした「カチンの森」などの大虐殺の罪を薄めたい
 としてやったことだった。
  共産国家はこの様な安易な嘘をよく言う・・
.
2003年2月25日、韓国の第16代大統領に蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領がなった(~2008年2月24日)
  日本と韓国は、誠実に向き合い、1965年、日韓基本条
 約を締結し、それまでのすべての日韓間の問題や懸案事
 項をすべて解決した。
  もう、残る問題はないという状態にした。
  しかし、卑劣な事に、この韓国が、今までよくやって
 来たように、後になって、韓国の蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領は、言い出した・・「屈辱的な条約だった」と・・
 そして、「あの時は自分たちの認識が低くて、もっと(
 金を)貰うべきだった」とか、「個人補償はまだだ」な
 んて言っている。
  これは、韓国の方々へ真実を言っていない。
  それまで、韓国は、1965年の日韓基本条約の議事録を
 韓国国民の方々が見ることができない様にしていた。
  まったく卑劣である。
  また、個人補償は、韓国政府が「個人補償は、我々・
 韓国政府がやるから、その分の金は我々(韓国政府)に
 支払ってくれ」と・・、我々・韓国政府がやるからと言
 った。
  日本は、その通りに巨額な金を韓国へ支払った。
.
2006年10月24日、韓国で一心会事件が起きた。
  日本は、共産独裁国家に包囲されている。
  もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
  アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリ
 カではない。
  勝者は共産国家である、「共産・中国」「共産・ソ連
 (現:ロシア)」である。
  アメリカに残ったのは「台湾」だけである。
  この台湾にしたって「軍事大国となった共産・中国の
 猛烈な圧力が加えられている」。
  台湾の自立も危(あや)うい。
  北朝鮮は、核保有国となった。
  ロシアも、プーチンの独裁資源大国として復活してい
 る。
  韓国は、国家の中枢まで共産勢力が浸透している国家
 となってしまっている。
  どこもかしこも共産化している。
  冷戦に自由主義陣営が勝利したなんて「思い込みであ
 る」。
  以上の実態から見た通り・・共産主義国家の勝利とな
 っている。
  「冷戦に勝利した」なんて日本は信じ、楽観的に言っ
 ているが・・冷静にアジアを見れば、そんな構図はどこ
 からも見えない・・
  それとは真逆な共産国家ばかりが見えて来る。
  2006年10月24日、「一心会事件」が韓国に起きた。
  この事件で韓国の政界の奥深くにまで共産スパイ組織
 が潜り込んでいる実態が世界に明らかになった。
  韓国は、この様な状態になっている。
  様々な大事な機密情報が・・北朝鮮へ漏れていた。
  また、韓国内の反米集会をやらせ、繰って、デモを扇
 動している。
  韓国の米軍情報をスパイしたり、韓国国会議員・政治
 家たちの思想傾向を分析したデーターを入手し、また、
 政治関係者にまで調べ上げ、総選挙や地方選挙などの機
 密情報まで北朝鮮へ渡していた。
  韓国と北朝鮮は、以前からかなり親密な関係になって
 いた。
  その様なことから、韓国は、PSI(大量破壊兵器拡
 散防止構想)に不参加を表明した。
  北朝鮮の核が・・我が物になる姿が見えていた。
  対北朝鮮制裁事項などにも馬耳東風で、北朝鮮観光を
 したり、工業団地事業をしていた。
  2007年には、1250億円という額となっている。
  もう、今・現在は、共産・北朝鮮と一体化が目の前状
 態となっている。
  2005年9月には、アメリカの韓国における戦時作戦統帥
 権を全面的に返還してくれと韓国は言い・・、
  2009年に、アメリカの統帥権は無くなった。
  北朝鮮への接近状態となった。
  韓国政権中枢部の心臓部には「熱烈に北朝鮮を支持す
 る者が大量に入り込んでいることが判明した」。
  過去に、韓国政府の転覆を目論(もくろ)んだ者たち
 まで入り込んでいた。
  だから、アメリカや日本が何を言おうが、まったく駄
 目な状態の政権が作られていた。
  今・現在の日本もその様な事になっていないか?
  その様な恐れはないのか?
  韓国は、野党まで反米反日になって北朝鮮路線は、変
 わりようがない状態にある。
  そんな韓国は、メディアを牛耳ろうと行動した。
  熾烈なメディア弾圧をした。
  言論統制をした。
  逆に、政権に好意的な記事を書く新聞には「新聞発展
 資金」を作って金を渡し、資金援助をした。
  広告も入れたりして応援した。
  気に入らないメディアには、非常に厳しい税務調査を
 行なったりして叩いた。
  また、役員の身柄拘束を、なんだかんだと言って行っ
 た。
  自殺をする経営者が居たほどだった。
  そして、偏った報道しかなされない韓国となった。
  韓国の国民の方々は、真実を知ることができない状況
 にされた。
  韓国大統領が、大金を北朝鮮へ渡したり、国会内は親
 北朝鮮が一杯状態。
  真実を知らされない韓国国民の方々となっている。
  共産・北朝鮮の独裁国家が良いと思い込まされている。
  ここに、情報戦に敗けた自由主義陣営がある。
  必ずしも、正義が勝つわけではない。
  一握りが牛耳る独裁国家が選択されている。
.
2012年9月15日、中国で官製と言われる反日デモが起きた。
  このデモに参加した人たちは、中国で虐げられている
 農民工で・・この方たちの不満が利用された。
  (参考)農民工は、広義と狭義の2種類があり、広義で
     は農村に定着しながら地元の郷鎮企業で働く者
     と、地元農村を離れいくつもの地方都市で複数
     の企業を渡り歩く者とを含み、それら以外の者
     が、狭義の農民工。
      中国国家統計局の発表によると、2011年の時
     点で全人口のほぼ2割に相当する2億5278万人の
     農民工がいるとされる。
      農民工は「世界の工場」を支える労働力であ
     り、進む都市化の中でインフラ建設を支える重
     要な人的資源として、工業化の進展のために不
     可欠な存在となっている。
      農民工の安い労働力が得られてこそ中国の
     「世界の工場」が成立する条件となっている。
      反日デモが収束したのは、その農民工の不満
     の先が、共産党へ向けられたので、政府が慌て
     て止めさせた。
  中国の実態を言えば、中国は、「金の力」と「軍事の
 力」が、ものを言うという国。
  だから、アメリカの政策は、大間違いだった。
  力を得たいと「ルールなんて無視して、中国は、日本
 の新幹線技術を盗んだ」・・
  また、中国は、「日本のとっておきの製鉄技術も手に
 入れた」。
  新幹線技術で、中国は、世界で手広く商売をしている。
  また、製鉄技術で鉄を大生産して、世界の鉄を牛耳っ
 ている。
  その様なことをしても、平然と盗んでも悪びれる風も
 無いという低劣な中国となっている。
  恩義ある日本にやることと言ったら、2012年に、煽っ
 て反日デモをさせた。
  中国に進出している日本資本の商店やマーケットを襲
 って破壊した。
  弁済補償もしようともしない中国となっている。
  そして、「日本が悪い」「日本が悪い」とだけ言う。
  まったく南京事件をデッチ上げたやり方と同じ。
  中国が出した南京事件の証拠だという写真は、嘘のデ
 ッチ上げと、今ではすべてが立証されている。
  また、事実を調べれば、南京へ迫る日本軍の恐ろしさ
 に、中国の最高司令部が真っ先に南京から逃げ出し・・
  中国兵の下っ端に至るまで、逃げ出すばかりの中国兵。
  その様な中国軍のだらしない混乱の中で、日本軍と戦
 えと、中国軍が、中国軍の自国の兵士へ銃を撃つという
 事態も起きた・・
  また、逃げるための川の舟の取り合いで自国民同士が
 殺し合うという事も起きた。
  中国には「ルールなんてない」「道義なんて無い」・・
 そんな国。
  日本と無電の契約を結んで30年間の独占権を与えても、
 すぐに、そんな事があったかと、アメリカに同じ権利の
 独占権を与え、10年間OKと許可を平気で言う国。
  また、満州の鉄道敷設の日本と契約した権利を無視し
 て、他国に同様な事をさせる・・まったく約束が意味の
 無い状況になっても・・平然と行なっている中国。
  嘘ばかりつき、約束も守らない中国。
  だから、結局、「金の力」と「軍事の力」を持つもの
 だけが牛耳る国となる。
  皆が、ここにゴマを刷り集まるという状況の国。
.
2016年8月3日、ネパールに浸透する中国
  ネパールでは、毛沢東主義者のテロが猛威をふるって
 いた。
  ネパール新首相に毛沢東主義派のダハル氏・・中印の
 外交に変化・・
  産経ニュースが報じるところによると・・
  ネパール議会は3日、議会第3党、ネパール共産党毛
 沢東主義派のダハル(別名プラチャンダ)書記長を新首
 相に選んだ。
  首相就任は2回目。
  第2党、統一共産党のオリ議長が先月、毛沢東派の連
 立離脱で首相辞任に追い込まれていた。
  オリ氏は、昨年10月に首相に就任したが、内戦時の
 戦争犯罪の扱いなどをめぐり毛沢東派が不満を表明し、
 連立を解消していた。
  オリ氏は、新憲法に反発する親インド住民によるイン
 ドとの国境封鎖への対応で中国に接近していたものの、
 新政権では、インドとの関係が深い第1党のネパール会
 議派が連立与党に復帰。
  近隣国外交の振り子がインド側にやや戻りそうだ。
  かつて王制打倒を掲げ、反政府武力闘争を展開した毛
 沢東派は、2006年に政府と包括和平協定に調印し、
 内戦が終結。
  2008年に、ギャネンドラ国王が王位を剥奪され、
 ダハル氏はこの年から翌年まで首相を務めた。
.
2019年、大いなる策士であり、巨大な策士であるルーズベ
 ルト・アメリカ大統領・・
  そのルーズベルト」が残したものは、「卑劣な原爆投
 下国としてのアメリカの汚名」・・と、
 「巨大な共産国の二つ・・ソ連と中国」だった。
  ルーズベルトによって、アメリカ国民の方々は、その
 巨大な二つの共産国によって、巨額な対応費を支払う羽
 目になった。
  そして、今・現在でも、その一つの中国と、これから
 長い対峙の時代に入る・・「新冷戦と言われる時代」に・・、
.
2019年、日本は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」
 で、アメリカに裁かれた・・が・・
  そのアメリカは、また、その同じ基準で裁かれなくて
 はならない。
  しかし、ベトナム戦争の時もしかり、その様なことは
 おくびにも出さないで、この国は逃げ回り、とぼけてい
 る・・。
  そして、この様な日本の裁かれ方は、「この時だけ」
 で、この後に・・この日本の様な「なされ方」の実施例
 は皆無・・まったくない。
  つまり・・この事からも、この時に、日本にやったア
 メリカは異質で、そして、やるべき事ではないことをし
 ていたということが分かる・・
  第二次世界大戦の終結からの長い年月が証明している・・
  アメリカの間違いが証明されている。
.
2019年1月2日、「台湾に一国二制度」習主席演説、アメリ
 カをけん制・・読売オンラインは伝える・・
  中国の 習近平国家主席は2日、北京で台湾政策に関す
 る包括的な演説を初めて行い、平和統一の実現や、一つ
 の国家に異なる制度の存在を認める「一国二制度」の導
 入など5項目の対台湾方針を示した。
  習氏は、一方で「武力行使を放棄することは承諾しな
 い」とも明言し、台湾との関係強化に動く米国を念頭に
 「外部勢力の干渉」を拒否する姿勢を鮮明にした。
  演説は、中国が台湾に平和統一を呼びかけた「台湾同
 胞に告げる書」発表から40年に合わせて行われた。
  習氏の5項目の方針は、平和統一の実現と一国二制度
 適用のほか、「一つの中国」原則の堅持、中台の融合・
 発展、統一意識の増進だ。
  習氏は、香港などに「高度な自治」を保障した一国二
 制度を台湾の実情を踏まえて適用する考えを示し、将来
 の中台関係に関して台湾の政党や各界の代表者との政治
 協議を呼びかけた。
  中台融和による台湾への経済的利益にも触れた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
# by suba28 | 2019-01-07 04:52 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)

題:(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月1日、康有為らが、日清講和条約を拒絶し、都を
 奥地に移し、行政制度を変えろと上書した。
  (参考)上書:じょうしょ、意見を述べるため官・主
     君・貴人に書面を差し出すこと。
  (参考)康有為:こうゆうい、日清戦争の敗北に衝撃
     を受け、政治と社会の革新の必要を光緒帝に建
     言し、採用されて1898年の戊戌の変法の中心人
     物となった。
      しかし、西太后ら保守派のクーデター(戊戌
     の政変)によって失脚、日本に亡命した。
  (参考)戊戌の変法:ぼじゅつのへんぽう、清王朝時
     代の中国において、1898年6月11日から9月21日
     にかけて、光緒帝の全面的な支持の下、若い士
     大夫層である康有為・梁啓超・譚嗣同らの変法
     派によって行われた政治改革運動。
  (参考)戊戌の政変:ぼじゅつのせいへん、中国、清
     朝末期の1898年に、光緒帝が康有為を登用して
     始めた変法自強運動に対して、西太后を中心と
     する保守派が反撃・弾圧した事件。
      光緒帝は幽閉され、反動政治が復活した
  (参考)変法自強運動:へんぽうじきょううんどう、
      日本の明治維新に範を取って上からの改革に
     よって清朝を強国にするという変法自強運動の
     集大成。
      あまりに短い改革の日数をとって「百日維新」
     ともいう。
      これに先立って、1861年から30年以上洋務運
     動が行われ清朝の国勢は一時的に回復したが、
     旧体制を変えずに西洋技術のみを取り入れる洋
     務運動は日清戦争敗北により限界を露呈した。
  (参考)洋務運動:ようむうんどう、中国・清朝の漢
     人官僚によって推進された近代化政策。
      西洋軍事技術の導入、官営軍事工場の設立な
     どによって、清朝の衰退の回復を図った。
  (参考)光緒帝:こうちょうてい、中国、清朝の第11
     代皇帝 (在位 1875~1908)
  (参考)西太后:せいたいこう、中国、清朝、咸豊帝
     の側室で、同治帝の生母である慈禧 (じき) 皇
     太后のこと。
  (参考)咸豊帝:かんぽうてい、 中国、清の第九代皇
     帝(在位1850~1861)。
  (参考)同治帝:どうちてい、中国、清朝の第10代皇
     帝 (在位 1861~75)
  1895年、李鴻章が下関で日本と講和条約を結ぶ。
  遼東半島と台湾とを日本に割譲する内容となった。
  この頃、北京に会試(科挙の中央での試験)を受ける
 ために上京していた康有為は、集まっていた各省の挙人
 (科挙の地方試験に合格し中央試験を受験する資格を持
 つ人)によびかけ、千三百人と連名で講和に反対し、抗
 戦するため、奥地に都をうつし、科挙制度を始め清朝の
 旧い行政組織を改革すべきだという書簡を書いた。
  康有為は、進士に合格し、工部参事に任命されたが、
 光緒帝は、康有為の上書を読み、同感し、改革を行うつ
 もりだった・・しかし、事態が変わる・・康有為は、日
 本に亡命する。
.
1895年5月4日、御前会議で遼東半島の放棄を決定した。
  三国干渉を受けて、日本は、遼東半島を清へ返還した。
  遼東半島還付の詔勅が出され、国民の間に不満が噴出
 した。
  臥薪嘗胆の言葉が流行した。
  3000万両(4500万円)と引き換えに、遼東半島を清に
 返還した。
  三国干渉遼東還付(氷川清話)
  (参考)臥薪嘗胆:がしんしょうたん、薪(たきぎ)の
     上に臥(ふ)し、苦い胆(きも)を嘗(な)める意で、
     復讐(ふくしゅう)の志を忘れず、長い間、艱難
     辛苦(かんなんしんく)すること、
      また、将来の成功を期して、報われないまま
     に長い間苦労することをいう。
      中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)に
     敗れて死んだ呉(ご)王闔呂(こうりょ)の子夫差
     (ふさ)は、薪の上に寝て父の仇(あだ)を忘れぬ
     ように努力し、ついに会稽(かいけい)山に勾践
     を破って降参させた。
      勾践はのち許されて帰国したが、以来、つね
     に苦い胆を部屋に掛けておき、それを嘗めては
     自ら復讐心をあおり、とうとう夫差を滅ぼして
     「会稽の恥」を雪(すす)いだ、と伝える『史記』
     「越世家」の故事による。
.
1895年5月5日、九州鉄道の佐賀駅~柄崎駅間が開通した。
.
1895年5月8日、日清講和条約の批准書を交換した。
  講和条約の批准書交換は、清国側の延期要請を拒否し
 て、この日(5月8日)芝罘(チーフー、中国山東省の都市
 で、煙台(えんたい)の古称)で行われた。
  そして、10月28日に発効する。
.
1895年5月10日、遼東半島還付に関する詔勅が出された。
  (参考)詔勅:しょうちょく、天皇陛下の御意志を伝
     える詔書(しょうしょ、天皇陛下の発する公文
     書)、勅書(ちょくしょ、)、勅語(ちょくご)
     の総称。
      古くは臨時の大事大権施行に関する勅旨は詔
     書で出され、尋常の 小事は勅書をもって出され
     た。
  (参考)勅書:ちょくしょ、(1)天皇陛下の勅命を
     下達する文書。
      勅旨と同じ意味で用いられる。
      (2)明治憲法下の公式令で、皇室および国
     家の事務に関する天皇陛下の御意思の表示で特
     定人または特定機関に発せられた文書。
  (参考)勅語:ちょくご、(1)天子の御言葉。みこ
     とのり。
      (2)明治憲法下で、天皇陛下が大権に基づ
     き、国務大臣の副署を要さないで、直接国民に
     対して発した御意思の表示。
      (3)教育勅語のこと。
.
1895年5月10日、台湾総督に海軍大将・樺山資紀を任命した。
  (参考)樺山資紀:かばやますけのり、1837年~1922
     年2月8日、
      1837年、薩摩国(鹿児島県鹿児島市)に、薩摩
       藩士・橋口与三次兼器の三男に生まれる。
      1867年(30歳)戊辰戦争に鳥羽、伏見、次い
       で東北を転戦。
      1871年(34歳)陸軍少佐、
      1872年(35歳)南清に出張。
      1874年(37歳)台湾出兵に、西郷従道に従っ
       て出征、中佐に昇進。
      1877年(40歳)西南戦争では、熊本鎮台司令
       長官・谷干城少将の下、参謀長として熊本
       城を死守した。
      1878年(41歳)大佐、近衛参謀長、
      1881年(44歳)警視総監を兼ね少将。
      1883年(46歳)海軍に転じ海軍大輔になる。
      1884年(47歳)海軍少将、
      1885年(48歳)海軍中将、
      1886年(49歳)海軍次官になる。
      1890年(53歳)第1次山県内閣の海軍大臣、
       第1次松方内閣でも留任。
      1894年(57歳)日清戦争では現役に復し、海
       軍軍令部長となり、黄海海戦に会した。
      1895年(58歳)海軍大将、初代台湾総督とな
       った。
      1895年(58歳)伯爵、枢密顧問官、
      1896年(59歳)第2次松方内閣内務大臣。
       改正条約発効の準備のための改正条約施行
       準備委員会委員長に就任。
      1898年(61歳)第2次山県内閣文相を務める。
      1903年(66歳)元帥となる。
      1905年(68歳)後備役(予備役等)になる。
      1910年(73歳)退役する。
      1922年(85歳)薨去。染井霊園。
       受賞大勲位菊花大綬章
  逸話として・・日清戦争中、「西京丸」に乗艦した(
 連合艦隊司令長官の伊東祐亨が慎重な性格であることを
 案じて督戦に行ったとされる)が、商船を改造した急ご
 しらえの艦船のため、他の艦船より取り残され、清の艦
 隊に狙い撃ちをされそうになった。
  その時、敵の旗艦へ突込み、敵船が砲撃し難いように
 し反転して逃げ切った(いわゆる「前退戦法」)。
  鹿児島・薩摩藩は関ヶ原の戦いのとき、この様な『捨
 て奸(すてがまり)』をした。
.
1895年5月11日、日本鉄道、官設鉄道・甲武鉄道・川越鉄道
 との間に4線連絡運輸を開始した。
.
1895年5月21日、日本の凱旋門が造られた。
  日清戦争の勝利の凱旋門が日比谷に作られた。
  長さ110m、中央の高さ30m、基礎は木造で、全体が杉
 の葉で覆われていた。
  東京日日新聞に、この日の日付で凱旋門の記事がある。
  「東京市有志奉迎会の依托により、
  清水組の技師・田島格造、岡本金太郎の両学士が考案
 になりたる設計にして、
  長さ一町に余り、央に高100尺以上の高塔を設け、前後
 に貫通門幅27尺のアーチを備え、
  高さ40尺、幅33尺の廻廊をもって連続す。
  けだし、設計者は、欧米にも前例なき斬新なるTriumph
 Archade(勝利のアーケード)の仮設工事をなす考案なり
 という。
  また、工学博士・辰野金吾氏は、凱旋門建築につき、
 大学において種々研究中なるをもって、奉迎会の依托を
 受け、設計上につき相談にあずかることを承諾せられし
 という。
  前後貫通門の上正面には、草花をもって「聖駕奉迎」
 の4大字を造出せし大額面を製し、
  その上には大国旗を交叉し、その左右に菊花の御紋章
 を造り、
  門の両側は左に「東京市商人」、右に「有志奉迎会」
 とこれまた草花をもって書き出し、
  高塔及び前後貫通門の天井は、いずれも草花をもって
 八角に組み合わす計画なり」
.

1895年5月23日、中国・清が台湾を日本に売ったが、その事
 に不満の一部の住民が台湾民主国の樹立を宣言した。
  台湾人の邱逢甲(きゆうほうこう)と、台湾巡撫・唐
 景崧(とうけいすう)らが樹立し、総統に唐景崧が就任
 し、副総統兼義勇統領に邱が就任した。
  これは清国の外交的工作の中で生まれた。
  清国は、三国干渉をしたロシア、ドイツ、フランス、
 イギリスが、もっと台湾民主国を承認したりして応援す
 ると思っていた。
  しかし、三国干渉をした国々は、日本の対応に満足し、
 清国が期待する様には動かなかった。
  (参考)台湾巡撫:たいわんじゅんぶ、最高地方統治
     官。
  この様な状況で生まれた台湾民主国は、国際的承認も
 受けられずに・・
  1895年5月29日、日本の近衛師団の上陸に、台湾民主国
 の首脳陣の逃亡が相次ぎ、平定された。
  (1895年5月24日の翌日に、出発していた)
  清国側も、再度、日本との戦争が再発されることを恐
 れ、日本の予定通り、要求通り事は進すみ・・
  1895年6月2日、樺山資紀・初代台湾総督と清国との間
 で台湾授受手続きが終了した。
.
1895年5月24日、日本台湾総督軍部隊が宇品港を出発した。
.
1895年5月24日、関西鉄道が、名古屋駅~前ヶ須駅(現:弥
 富)間が開通した。
.

1895年5月25日、台湾民主国の成立宣言。
  台湾島民の反乱(氷川清話)
  台湾が、本格的に開発されたのは日本統治時代になっ
 てからであるが・・、
  1895年5月25日、日本への割譲反対を唱える漢人によっ
 て台湾民主国の建国の騒動が起きた。
  進駐した日本軍との乙未戦争に発展した。
  (参考)乙未戦争:いつびせんそう、下関条約によっ
     て、日本への台湾割譲が決まり、上陸した日本
     軍に対して清国の残兵や一部の台湾住民が抵抗
     し戦闘となった。
.
1895年5月26日、ウィリアム・ラムゼー卿がヘリウムの単離
 に成功した。
  (参考)ウィリアム・ラムゼー:1852年10月2日~1916
     年7月23日、スコットランド出身の化学者。
      1904年、空気中の希ガスの発見によりノーベ
     ル化学賞を受賞。
  1894年4月19日の夜、ラムゼーは、レイリー卿の講演に
 参加した。
  1892年、レイリー卿は、空気から酸素を取り除いて得
 た窒素の密度は化合物を分解して得られる窒素のそれよ
 りも大きい、という事実を「ネイチャー」誌に報告して
 いた。
  これは、空気中には酸素、窒素以外のものが含まれて
 いるという事を暗示していた。
  ラムゼーとレイリーは、講演後に話し合い、これを追
 究することにした。
  当時、アンモニアの合成を研究していたラムゼーは、
 高温でマグネシウムと化合させて窒化マグネシウムとし
 て窒素を取り除くことにより、空気中の不活性な重い気
 体を取り出すことに成功した。
  ラムゼーは、これを、同年1892年8月に、レイリーに知
 らせている。
  これをアルゴンと名付け・・、
  1895年に、レイリーと共に発表した。
  (参考)レイリー:第3代レイリ―男爵ジョン・ウィリ
     アム・ストラット、1842年12月13日~1919年6月
     30日)、イギリスの物理学者。レイリー卿。
      光の散乱の研究から空が青くなる理由を示す
     (レイリー散乱)、
      地震の表面波(レイリー波)の発見、
      ラムゼーとの共同研究によるアルゴンの発見、
      熱放射を古典的に扱ったレイリー・ジーンズ
     の法則の導出などを行う。
      このほか流体力学(レイリー数)や毛細管現
     象の研究など、古典物理学の広範な分野に業績
     がある。
      「気体の密度に関する研究、および、この研
     究により成されたアルゴンの発見」により、
      1904年のノーベル物理学賞を受賞した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国・人民元は・・通貨覇権を狙っている。
    アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
    しかし、実態は・・ただの紙切れ。
    その裏付けを保証するものは何もない。
    それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の
   振る舞い。
.
1921年3月3日、昭和天皇陛下が皇太子であられた時、6ヶ月
 間のヨーロッパ各国の歴訪がなされた(~1921年9月3日)
  1921年6月13日、第1次大戦のベルギーの激戦地イーペ
 ル(イープル)を訪問された。
  ここでイギリス国王に電報を送っている。
  「目前ノ風景ハ、(中略)『イープル戦場ノ流血凄惨
 (せいさん)』ノ語ヲ痛切ニ想起セシメ、予ヲシテ感激・
 敬虔(けいけん)ノ念、無量ナラシム」
  1921年6月25日、やはりフランスの激戦地ヴェルダンを
 視察なされた。
  「到るところに弾痕を留(とど)め、砲弾の破片、防
 毒マスク等がなお地上に残存する。
  付近に戦死者の遺族と思われる一婦人が、僧侶と共に
 柩(ひつぎ)を携え遺骨を収集する様子も一行の目に入
 る。(中略)
  皇太子殿下は、戦跡御視察中、戦争というものは実に
 悲惨なものだ、との感想を漏らされた。
  1921年7月7日には、現地紙にこんな談話を寄せられて
 います。
  「破壊せられたる諸都市、荒廃したる諸森林、蹂躙(
 じゅうりん)せられたる田野の景は、戦争を讃美(さん
 び)し、暴力を謳歌(おうか)する者の眼には如何(い
 か)に映ず可(べ)きか」
  ・・このご視察の時から、特に、後の、昭和天皇陛下
 は平和主義者となられた。
.
2004年7月、NHKの紅白歌合戦チーフプロデューサーが、
 制作費約2億円を横領し、実刑5年の判決を受けた。
.
2004年8月、NHKのソウル支局長が、不適切な経理処理で
 約4000万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの岡山局放送部長が、架空の飲食費名目
 で約90万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの編成局エグゼクティブプロデューサー
 とチーフプロデューサーが、カラ出張を繰り返し、約300
 万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの京都放送局営業職員が、約208万円を
 着服した。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  上記は、ほんの一部である。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2018年、中国・・人権を無視する国。
  「改革・開放」と美しく聞こえ、また、美しく見える
 表題を掲げてはいるが・・、
  やっていることは、個人の自由を認めないとか、差別
 の行為するなどなど・・だ・・、
  中国の資金を回すために、「計画だと称して無計画に」
 マンションをあちこちに建てている。
  資金回転の為だけで、「売れる見込みはまったく無い」。
  空室が、どんどん増えているのが現状。
  ものの見かたをそこで止めるのではなく、さらに奥深
 く見てみると・・
  誰も住まないマンションが建てられたその地で、平和
 に暮らしていた中国の民の方々が、そこに居たのだとい
 う事を思わなければならない。
  その為に、そこを追い出された人々は、流浪の民とな
 っている。
  政府の開発事業という「錦の御旗」で立ち退きをさせ
 られた人々は、僅かな補償で貧困層に転落する。
  持っていた農地も無くなる。
  ガラ捨て場で「売れるものを探す」人々となる。
  再度、移転を強いられる人々もいて、移転のたびごと
 に暮らしは悪くなる。
  移転させられ住んでいた所が、「違法だ」という烙印
 を押されると、頼りの補償もまったくもらえない。
  働く場を求めてその土地へ行くと、「所得が低い」と
 その都市から追い出される。
  この様に、仕事を求めて流入する人々が多いため、都
 市への流入・・都市の人口膨張が酷(ひど)くなる。
  都市への流入に、「大学卒で無いから駄目」などと差
 別的な事も行なわれる中国となっている。
  何が、「万民が公平な共産主義だ」なんだ??
  2014年には、2億5300万人が人口移動したと中国政府が
 発表した。
  農村も「再開発だ」と、農民の生活環境を改善すると
 いう名目は美しいが、その開発熱が皮肉にも農民に農地
 を失わせる・・「失地農民」と呼ばれる「かつて農民だ
 ったという人々が増えている」。
  北京郊外の大興区でも・・一つの村が消えた。
  2017年11月に、簡易宿泊所が火災になり19人が焼死し
 た時など・・中国政府は違法建築を壊し始めた。
  その様な場所は・・低所得の階層の方々の住む場所で、
 すべてが壊され、更地となった。
  密集し、肩よせ合って生活していた方々の住む場所が
 奪われた。
  その奪った場所は・・高さ2メートルの塀で囲われ、二
 度と家が建てられないようにされた。
  「流浪の民になるしかない」と元住民は語った。
  違法建築だからと「補償も無く追い出された」のだっ
 た。
  確かに、こんな政治が原因してて、都会へ流れるしか
 ない中国の民なのだが・・その貧困に苦しむ人たちが多
 く、北京の人口も2000万人を超えている。
  北京は水不足となり、交通渋滞となり、大気汚染も甚
 だしい。
  医療機関も機能マヒに陥(おちい)るという患者の殺
 到状態。
  北京に住むためには「多いポイント」が無ければ住め
 ないとして、「住む自由を取り上げた」。
  政府は、締め出しに躍起になっている。
  そして、政府は、あっちへ行け、こっちへ行けと、人々
 の住む自由を剥奪して指図している。
  知者は・・、
  「都市とは、その魅力にひかれ、人が自然と集まる場
 だ。
  人工的な人口分散が成功した例は国際的にもほとんど
 ない」・・と、政府のやることに批判的。
  また、中国の卑劣な事は、人口移動した人々に対し
 「教育の権利のはく奪をしている」。
.
2018年12月24日、中国が「技術移転」の強要を禁止した。
  この日に発行された読売新聞によると・・
  中国政府は23日、中国に進出した外国企業に対する技
 術移転の強要の禁止を明文化した「外商投資法」の草案
 を明らかにした。
  アメリカのトランプ政権の要求に応じて、法整備を進
 める姿勢を示し、貿易摩擦を早急に解消する狙いがある。
  23日から北京で始まった全国人民代表大会(全人代=
 国会)常務委員会に、政府が草案を説明した。
  国営新華社通信などによると・・、
  草案は、外国企業と中国企業の技術協力の条件につい
 て、「関係者が協議して決定するものであり、
  行政機関や職員が、行政手段を用いて強制的に技術移
 転させることはできない」と規定した。
  法にのっとって、外国企業の知的財産権を保護するほ
 か、
  外国の投資者が、中国で得た利益などは自由に国外に
 持ち出せるとしている。
  中国に進出した外国企業は、合弁先企業や地方政府か
 ら技術移転を強要されるケースがあるとされる。
  今月1日の米中首脳会談では、米国が今後の交渉項目の
 筆頭に掲げ、改善を求めた。
  日欧もこれまで批判を繰り返してきたが、中国は強要
 の存在自体を認めて来なかった。
  中国が、技術移転の強要禁止を法制化しても、実効性
 があるかどうか、見極める必要がある(下略)
.
2018年、中国は、日本を反面教師として・・
  日本は、第二次世界大戦で、情報戦で完全に、アメリ
 カに敗けていた。
  今・現代、中国は、それを教訓とするかのように、情
 報の戦略的優位を築こうとしている・・アメリカを駆逐
 しようとしている。
  そしてまた、かつてのアメリカのルーズベルト大統領
 の非情さと、狡知(こうち、わるがしこい知恵)さまで
 真似しようとしている。
  南シナ海を、屁理屈で埋めて、とうとう中国の軍事基
 地化してしまったのが良い例だ。
  かつては、日本も、そこに隙があった・・その様な日
 本を、中国は反面教師としている。
  第二次世界大戦を終わらせたいとする日本が、ソ連を
 和平の仲介者としてかなわぬ努力している日本に、その
 哀れささえある。
  情報が欠如しているから、日本は、ここまでされられ
 た。
  そして、悲劇な展開を、アメリカにされる。
  原爆の実験台にまでされるという日本となる。
  これに関連する記事が、2018年12月28日の読売新聞に
 記載されていた・・
  以下が・・その記事・・
  中国政府は、米国のGPS(全地球測位システム))
 に対抗して、独自開発を進めてきた衛星測位システム「
 北斗」が27日、全世界に向けたサービスを開始したと発
 表した。
  中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)など
 による次世代通信規格「5G]の技術覇権争いに続き、
 測位システムでも米国の優位さに挑む狙いがあるとみら
 れる。
  中国は、2012年から、アジア・太平洋地域を中心とし
 た約90ヶ国に北斗のサービスを提供してきた。
  全世界向けサービスはこれまで、20年までに開始する
 計画だったが、前倒しした。(中略)
  全世界にサービスを提供している測位システムは、米
 国の国防総省が31基体制で運用するGPSのほか、
  ロシアの「グロナス」や、欧州の「ガリレオ」があり、
 GPSが圧倒的な影響力を誇っているとされる。
  習近平政権は、中国とブラジル、ロシア、インド、南
 アフリカで作る新興5か国の枠組みで、北斗を利用した
 ビックデータの運用などにおける協力体制を提唱するな
 ど、北斗システムの普及を急ぎ、国際的な影響力拡大に
 利用する構え。
 ☆中国、データ集積加速・・米、警戒強める・・
  中国の測位システム「北斗」が、世界向けサービスを
 開始したことは、習近平政権の最先端技術開発に警戒を
 強める米トランプ政権が、対中強硬姿勢をさらに強める
 きっかけとなる可能性がある。
  米国の全地球測位システム(GPS)が先行して来た
 が、中国は軍事活動での米GPSへの依存から脱却する
 ために北斗の開発を進めた。
  一方、中国国内では、すでに、主要36都市の路線バ
 ス8万台、海上の管制設備2960基などが北斗を導入
 している。
  国内で販売されているスマートフォンの大部分も位置
 情報機能などで北斗を活用しており、民間への普及も進
 んでいる。
  測位システムは、位置情報を提供する一方、システム
 を運用する側も、システムを活用する機器の位置や移動
 に関する情報を収集する事が可能とされている。
  習政権は、国家ビッグデータ戦略を推進しており、携
 帯電話による電子決済などを通じ、国民の行動データを
 集積している。
  測位システムの情報も、こうした政府に利用されてい
 るとみられる。
  北斗を利用した製品はすでに、ロシアやインドネシア、
 アルジェリアなどの国で普及しつつある。
  今回の全世界向けサービスの開始を受け、中国は、北
 斗のさらなる市場拡大を見込む(全世界の情報を集め得
 る中国)
  さらに、将来的には、中国上空を飛行する国外の航空
 会社や、中国に輸出する外国企業の製品に対しても、北
 斗への対応が義務付けられるとの見方も出ている。
  今後、北斗のサービス拡大に伴い、国際的な懸念も呼
 びそう(ますます、中国だけにデーターが集積されてし
 まう)
 ☆ そして、2018年12月26日の読売新聞の「米国はどこ
 へ」の記事において・・
  ロバート・ケーガン氏(米政治史家、種々の大統領の
 下で要職を担った)は、以下の事を言っている(抜粋)・・
  「対中国、協調でなく競争」・・
  国際システムの自然な状態は、実は混乱と対立である。
  人間性の本質は、必ずしも民主主義の繁栄を導くもの
 ではなく、独裁国家に至ることもある。
  私は、その様な自然な状態を『ジャングル』と呼んで
 いる・・
  中国では、習近平国家主席に皇帝のように「全ての権
 力が集中している」。
  ロシアのプーチン大統領もそうだ。
  ドイツでは右翼が台頭している。
  もし、米国や民主主義国家が、彼らを押し返さなけれ
 ば・・彼らは成長し、増殖を続けるだろう・・
  米国もいつかは正気を取り戻すと思う。
  しかし問題なのは、その時には、世界を元に戻すには
 手遅れになっているかもしれないという事だ。・・
  米中は今や、競争関係にある。
  私たちは米中が協調に向かっていくという考えを「止
 めなければならない」。
  中国の野望と米国の目標は両立しない。
  中国は、地域の派遣国になることを望んでおり、日本
 を含む地域の国々に中国の支配的立場を受け入れさせた
 いのだ。
  米国は、中国がその目標を達成する障害となる。
  それが現実だ。
  したがって、どのようにその競争を管理するのかとい
 うことが課題となる。・・
  その際には、二つの点が重要だ。
  一つは、経済的に中国を締め付けようとするのではな
 く、彼らに成功する機会を与えなければならない。
  第二に、軍事的な選択肢を選べば彼らは敗けて、指導
 部が崩壊し、悪い結果になるということをはっきりと分
 からせなければならない。
  米国と日本は、軍事的な優位を維持し、中国が軍事行
 動に出る誘惑を持たないように努める必要がある。
.
2019年、中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけ
 ない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


# by suba28 | 2019-01-02 04:15 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)

題:(増補版)625E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月24日、御前会議が開かれ、ロシア帝国、ドイツ帝
 国、フランスの三国の行なった干渉に対する処置方法に
 関し、討議がなされた・・、
  拒否案、列国会議検討案、妥協案の3つについて検討
 がなされた。
  要求された翌日のこの日、大本営の置かれていた広島
 で、急ぎ、御前会議が開かれた。
  伊藤博文総理大臣はが提議したのは・・
  (1)勧告を拒絶して戦うか、
  (2)列国会議を開いて遼東半島問題をその会議で処理す
   るか、
  (3)勧告を受け入れて恩恵的に清国に還付するか・・、
 の3案を提案した。
  討議の結果、第二案を採択した。
  しかし、舞子(神戸市)で、病気療養中の陸奥宗光外
 務大臣は・・、
  列国会議は、新たな干渉を誘発する危険もあるとして
 反対した。
  下関条約は、あくまで批准して、交換し、日本の面目
 と威厳を保つ・・、
  それとは別に、遼東半島の還付を考えるべきことを提
 案した。
  これに、伊藤も賛成し、天皇陛下の御裁可を得た。
  陸奥は、三国への回答を引き延ばすかたわら・・、
  イギリス、アメリカ、イタリアなどをして、ロシアら
 三国を牽制させる方策をとった・・そして・・、
  金州庁(遼寧省大連市に位置する)を除く遼東半島の放
 棄や、開港場の自由港化などの打開策を打診したが、も
 っとも頼りにしたイギリスが動かなかった。
  万策がつきて・・、
  1895年5月4日、日本政府は、遼東半島の放棄を決定し
 た。
  翌1895年5月5日、三国に通告し、
  1895年5月10日、天皇陛下が詔勅で、その旨を国民に告
 げた。
  1895年11月8日、日清両国は、遼東半島還付条約に調印
 し・・、
  日本は、還付の代償として庫平銀(こへいぎん)3000万
 両(テール)(邦貨4500万円)を受け取った。
  この様な遼東半島についての動きは、それまで、中国
 の周辺部分の侵略にとどまっていた列強の領土欲を刺激
 した。
  列強諸国は、中国の分割を、一気に、中国の中央部に
 まで広げた。
  三国による干渉は、中国を分割して奪い取る列強の公
 然たる争いの第一歩を始めさせた。
  日本は、三国干渉後、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」
 の声のもと、卑劣な対ロシアに備える必要を強く感じさ
 せた。
.
1895年4月28日、三宅米吉、小杉榲邨、下村三四吉らが考古
 学会を設立し、発会式が執り行われた。
  帝室博物館(現:東京国立博物館)を母体にして、当
 時、東京師範教授であった三宅米吉を中心とするもので、
  三宅起草の設立趣意書に・・
  「本会は、同志相集まり本邦考古学の研究に従事する
 ものにして、其の目的は、本邦歴世の風俗・利度・文物・
 技能を明らかにするにあり」とあった。
  当時、人類学会(東京帝国大学人類学教室が母体)が
 石器時代の考古学分野まで担っていた。
  考古学会は、弥生・古墳時代を中心とした。
  1896年、機関誌『考古学会雑誌』が発刊され、28冊を
      刊行し・・
  1900年、機関誌が3篇4号で終刊した。
      そして、機関誌は『考古』と改題されて1-7号
      を刊行した。
  1901年、機関誌が『考古界』と改題され、96冊を出し
      て8篇12号で1910年に一旦終刊した。
  1910年9月25日、『考古学雑誌』が創刊され、現在に
   至る。
  1941年1月、日本考古学会と改名。
      日本考古学会は、現在も、東京国立博物館に
      事務所を置き、雑誌発行を続けている。
.
1895年4月30日、閣議が、三国干渉の部分的受け入れを決議
 した。
.
1895年4月、北極点の到達
  ノルウェーの海洋探検家、及び、政治家のナンセンが、
 北極点に到達した(北緯86度14分)・・、
  1861年10月10日、オスロ郊外の農家の家に生まれた。
  1879年(18歳)スケートのスピード世界記録を破り、
   スキーも名手となる。
    オスロ大学で生物学を修める。
  1882年(21歳)ナンセンは、クリスチャニア大学で動
   物学を専攻し、この年、オットセイ猟船でグリーン
   ランド海に動物生態学調査を試みた。
    グリーンランド東海岸と西海岸を探検し、「エス
   キモーの生活」を著述した。
  1888年(27歳)北緯64度を越えて、スキーでグリーン
   ランドの横断に成功した。
    ゴットホープで越冬し、エスキモーの生活を研究
   した。
  1893年6月(32歳)特殊構造の船を造って、氷に凍結さ
   れたまま北極海を横断するという大胆な計画を立て、
   この年、実行に移した。
    13人の隊員を乗せたフラム号はオスロから出航し、
  1893年9月(32歳)シベリア北岸に沿いにノボシビルス
   ク諸島北方から氷に囲まれ、氷盤に乗って漂流を開
   始した。
  1895年3月14日(34歳)船の北進が止まった北緯83度59
   分から、
    ナンセンは、途中、F・ヨハンセンを伴って下船
   し、犬ぞりとカヤックで、北極探検に向かい、群氷
   に乗り上げたが、そりによって・・
  1895年4月8日(34歳)当時、前人未到の最北到達点の
   北緯86度14分に達し、北極地方が海洋であることを
   立証した。
  1896年8月(35歳)ノルウェーの帰国した。
  その後、学究生活に入り、オスロ大学動物学教授、海
 洋学教授を歴任、ロンドン駐在公使を務め・・
  第一次世界大戦中の捕虜送還、難民救済や戦後の平和
 処理や軍縮問題の解決などに貢献した。
  1922年(61歳)ノーベル平和賞を受賞した。
  1930年5月13日、没した(69歳)
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければならない・・
    まったく、のほほんとしている日本人・・
    心構えも、準備も、まったくしていない・・
    他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
    日本は心配だ・・
.
1945年6月22日、昭和天皇陛下は、常に戦争に否定的なお立
 場であられた。
  昭和天皇陛下が、この日、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳
 外相、阿南惟幾陸相、米内光政海相らの最高戦争指導会
 議の6名の構成員を前に、「時局の収束(戦争を終わら
 せる)ように・・」と求めた。
  しかし、この時、アメリカは、「原爆を試したい」と
 いう思惑から、日本の降伏条件を「なかなか示さないで
 いた」。
  ドイツが降伏しても、アメリカは、日本の降伏条件を
 示さなかった。
  さらに、沖縄戦が終息しても、一向に降伏条件を示さ
 ず・・、
  そして、1945年7月になって、やっと、アメリカは対日
 宣言をした。
  しかし、アメリカは卑劣だった。
  アメリカの態度はあいまいだった。
  正式な外交文書という形では示さず・・あいまいな発
 表の形をとった。
  だから、「日本が、正式に対応できない」というやり
 方だった。
  原爆の完成の時間稼ぎだった。
  アメリカは、日本が、完全に受け入れなければならな
 いという状況にあることを知っていて、その様な推移を
 させた。
  日本が受け入れに「動けない様な」入念な細工を行な
 った。
  それを示す一つが、アメリカの陸軍長官のスティムソ
 ンの原案には、天皇の地位保全があったが、その条項を
 削って宣言をした。
  そしてさらに、日本に、その宣言が正式の外交文書だ
 と思わせないように作成した。
.
1945年8月1日、アメリカの原爆投下の準備が完了する予定
 日が8月1日だった・・
  カルフォルニア大学教授の長谷川毅氏の本「暗闘。ス
 ターリン、トルーマンと日本降伏」で、原爆を投下した
 から日本が降伏したのではない・・、
  ソ連の参戦こそが、日本の降伏の決定的要因だ・・と、
 指摘している。
  アメリカの「100万人の兵士が、死なないで済んだ」
 というあり得ない「デッチ上げのプロパガンダ」を嘘話
 としている。
  「新兵器の効果を試す」という「悪魔の行為」を、ア
 メリカは、やったのだった。
  ソ連が参戦すれば、日本が降伏するという事を知って
 いたアメリカは、だから、しきりに、ソ連の参戦の日が
 知りたかった。
  アメリカ大統領のルーズベルトが、卑怯にも、ソ連と
 日本に中立条約があって、交戦しない取り決めが出来て
 いたのを、それを知りながら、ソ連をそそのかして、そ
 の条約を破棄して、「日本の領土を奪ってしまえ」とそ
 そのかした。
  それで、ソ連は、そのアメリカのそそのかしに、領土
 欲の強いスターリンは乗っかって、アメリカ言う通りに
 参戦するとアメリカに返事をした。
  そのようなソ連だった。
  しかし、そのソ連が、対日参戦をすると、日本が降伏
 すると知っていたアメリアは、その参戦の行なわれる日
 を知りたかった。
  日本が降伏する前に、原爆を完成させて、日本で試し
 たいからだった。
  1945年5月下旬、ルーズベルトは、個人特使のハリー・
 ホプキンスをモスクワへ派遣した。
  ソ連の対日参戦の「正確な日」を探るためだった。
  アメリカの原爆投下の準備完了予定日は、1945年8月1
 日だった。
  それ以前に、ソ連の大規模な機甲部隊が、一方的に条
 約を破って侵攻が始められたらまずい事になるからだっ
 た。
  アメリカは、アメリカ国民の方々の目を誤魔化して、
 原爆開発を進めていた。
  莫大な原爆製造のための支出をレスリー・グローブス
 管轄下の工兵団の予算の中に隠していた。
  アメリカ議会も承認しないで進められていた。
  その卑劣なやり方も、大問題化してしまう。
  巨額な資金を投入していた。
  アメリカ国民の方々は、当然、納得などしない卑劣な
 行為となってしまう。
  そして、アメリカは、ソ連参戦日を1945年8月8日だと
 知る。
  そして、広島の原爆投下を、その前日の1945年8月7日
 とした。
,
1945年8月15日、日本降伏の玉音放送がなされた。
  日本国民に向けてのに玉音放送に対し、支那派遣軍と
 南方軍は、これに抗議した・・
  連合国軍は攻撃を停止した・・
  しかし、アメリカ軍は、この日まで攻撃を続けていた・・
  日本国内では、鈴木貫太郎内閣が総辞職をした。
.
1945年8月28日、アメリカ軍のテンチ陸軍大佐以下150名が
 横浜に初上陸した。
  そして、横浜に、連合国軍本部を設置した。
  以後、全国で人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐軍兵力
 は最大で43万人となった。
  特殊慰安施設協会が設立され、各所に慰安所が設置さ
 れた。
  多くの日本女性が慰安婦にされた。
  そして、占領政策をする進駐したアメリカ軍の政策の
 一つが・・
  日本の主要鉄道網を支配下に置いた。
  東京、横浜方面の国電の先頭車両をRTO(進駐軍鉄
 道事務所)の文字と、白線を塗らせて、専用車両とし、
 日本人を乗せなかった。
.
1945年9月11日、GHQのマッカーサーが、東條英機らの
 A級だと勝手にランク決めをした戦犯容疑者の40人に逮
 捕命令を出した。
  東條英機、東郷茂徳、嶋田繁太郎、賀屋興宣、
  鈴木貞一、岸信介、岩村通世、小泉親彦、橋田邦彦、
  井野碩哉、村田省蔵、寺島健、上田良武、本間雅晴、
  黒田重徳、長浜彰、太田清一、鈴木薫二、徳田久吉、
  飛田時雄、長内茂、三浦宗一、竹内寛、
  ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一
  また、この日、外国人戦犯(15人)にも逮捕命令を出
 した。
  テイモン:日本占領中の駐日ビルマ国大使。
  アウンサン:ビルマ大使館付陸軍武官、ビルマ独立軍
   組織者。
  ホセ・ラウレル:日本占領下で独立したフィリピン大
   統領・・アメリカの卑劣さが出ている。
  ベニグノ・アキノ・シニア:フィリピン国民会議議長。
  ホルヘ・バルガス:駐日フィリピン大使。
  ワカタン・ウィチット:駐日タイ大使。
  マーヘンドラ・プラタップ:インド独立運動家、アリ
   アン義勇軍指導者。
  ハインリヒ・スターマー:駐日ドイツ国大使。
  アルフレート・クレッチマー:ドイツ大使館付武官・
   陸軍中将。
  ヨーゼフ・マイジンガー:ドイツ大使館付警察武官、
   逮捕後ポーランドに移送された。
  ジョシアス・パンディユンスト:ラジオ東京・オラン
   ダ語放送員。
  リリー・アベック:ラジオ東京・ドイツ人放送員。
  チャールズ・カスンズ:ラジオ東京・オーストラリア
   人放送員。
  ストリーター:東京ラジオ放送原稿係・アメリカ人。
  ジョン・ポーランド:上海ラジオ・オーストラリア人
   放送員。
  日本が、アメリカから解放したフィリピンの要職の方々
 が多く逮捕された(仕返し)。
.
1945年9月15日、東京・日比谷の第一生命相互ビル(現、D
 Nタワー21、第一・農中ビル)が接収された。
  占領軍の民間検閲支隊長が、同盟通信社の海外放送を
 禁止させた。
  そして、100%の検閲を実施すると表明した。
  (参考)民間検閲支隊:又は民間検閲局、もしくは、
     民間検閲部隊は、日本の占領期間に検閲を実行
     した機関。
      連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)配下の
     参謀第二部(G-2)所管下の機関。
.
1945年9月17日、マッカーサーが、東京の本部に入って、日
 本進駐が順調に行われたことから・・
  「進駐兵力は20万人に削減できる」と声明した。
  しかし、この発言は、アメリカの許可無く発言をして
 いて、トルーマン大統領の疑念を招いた。
.
1945年9月18日、鳩山一郎談話などをを掲載した『朝日新聞』
 が、GHQから発行停止命令を食らった(SCAPIN-34)。
  2日間の発行停止処分。
.
1945年9月21日、東京飛行場(羽田)を接収すると、GHQが
 命令した。
  それに伴い、GHQは、海老取川以東の住民に、48
 時間以内に立ち退けと「強制立退きを命令した」。
  3000名、1200世帯の緊急の強制立ち退きとなった。
.
1945年9月21日、GHQが、戦犯だとして2名を逮捕した。
  土肥原賢二、阿部信行
.
1945年9月22日、GHQが、放送規則を発令した。
  日本放送遵則 (Radio Code for Japan) を発令。
  放送に対する検閲命令。
  ラジオコード(SCAPIN-43)の指令。
  また、この日、アメリカ政府が、「降伏後ニ於ケルア
 メリカノ初期ノ對日方針」を発表した。
.
1945年9月24日、GHQが、「新聞界の政府からの分離」を
 命令した(SCAPIN-51)
.
1945年10月1日、GHQが、「連合国、中立国、敵国の定義
 に関する覚書」を通達した。
  朝鮮・台湾などが日本ではなくなった(日本国籍から
 の離脱)
.
1945年10月1日、アメリカで戦略諜報局(Office of Strategic
 Services)が解散した。
  (参考)戦略諜報局:1942年6月13日~1945年9月20日
     第二次世界大戦中のアメリカ軍の特務機関で、
     諜報機関。
      戦略諜報局、戦略情報局、戦時情報機関や特
     殊戦略部隊、戦略事務局、戦略任務局など多数。
      1941年7月に設立された情報調査局(COI)
     の後身で、後の中央情報局(CIA)の前身。
      ウィリアム・ドノバン少将によって設立され
     た。
.
1945年10月8日、GHQが、「自由の指令」をした。
  思想・言論規制法規の廃止、内務大臣らを罷免、特高
 の廃止、政治犯の釈放等・・思想・言論規制法規の廃止。

.
1945年10月9日、GHQが、新聞の検閲を始めた。
  GHQ(進駐軍)が、朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、
 日本産業経済、東京新聞の在京5紙に対して、事前検閲
 を開始した。
.
1945年10月11日、GHQが、五大改革と憲法改正を指令し
 た。
  女性の解放と参政権の授与、労働組合組織化の奨励と
 児童労働の廃止、学校教育の自由化、秘密警察制度と思
 想統制の廃止、経済の集中排除と経済制度の民主化を指
 示。
.
1945年10月22日、GHQが、「日本教育制度ニ対スル管理
 政策」を発令した(SCAPIN-178)
.
1945年10月22日、GHQが、戦犯だとして1名を逮捕した。
  安倍源基
.
1945年10月30日、GHQが、「教育及ビ教育関係官ノ調査、
 除外、認可ニ関スル件」を発令した(SCAPIN-212)
.
1945年10月31日、GHQが、軍国主義を唱える教員の追放、
 および、同盟通信社の解体を指令した。
  (参考)同盟通信社: 1936年1月に創立された。
     第二次世界大戦の終結時まで日本の最有力通信
     社であった。
      それまでは新聞聯合社と日本電報通信社(電通)とい
     う二大通信社が対立競争していたが、海外宣伝
     を重視した政府はその統合による有力通信社の
     設立を念願し、両社を統合、国内有力新聞200社
     と日本放送協会(NHK)を会員として設立し
     た民間の社団法人。
      このからみもあって、NHKは、戦争の加担
     放送に協力した。
      1945年9月14日、GHQは同社に即時業務停止
     を命令した。
      1945年10月31日、解散し共同通信社と時事通
     信社に分離した。
.
1945年11月6日、GHQが、財閥解体を指令した。
  戦争の経済的基盤になったとされる財閥を解体するこ
 とで、日本の経済支配体制の壊滅を目的として行われた。
  この政策よって、三井、住友、三菱、安田、富士の大
 財閥を解体すべきと指定した第一次財閥解体から・・、
  財閥参加の持ち株会社を解体した第五次財閥解体まで
 財閥の指定、そして、解体が行なわれた。
  合計およそ80以上の財閥が解体された。
  アメリカは、アメリカに無い日本の財閥の制度的特質
 を軍国的温床となったと見なし、持株会社の解体、財閥
 家族所有の株式の買い上げ、財閥家族の役員就任の禁止、
 商号使用禁止、企業規模の制限などを行った。
  財閥家族を社員とする持株会社を頂点として、傘下企
 業に対する株式所有、および、役員兼任の組合せによっ
 て形成される状態が気になって行った措置。
.
1945年11月19日、GHQが、戦争犯罪人だとして逮捕を指
 令した。
  これによって、松岡洋右・小磯国昭ら主要な大臣や軍
 上層部など11人が逮捕された。
  荒木貞夫、小磯国昭、松岡洋右、松井石根、南次郎、
 白鳥敏夫、本庄繁、鹿子木員信、久原房之助、葛生能久、
 真崎甚三郎
.
1945年12月2日、GHQが、戦争犯罪人だとして59名を逮捕
 した。
  軍の高官だけでなく、政界、財界など広く逮捕者が出
 た。
 畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、大川周明、
 佐藤賢了、鮎川義介、天羽英二、安藤紀三郎、青木一男、
 有馬頼寧、藤原銀次郎、古野伊之助、郷古潔、後藤文夫、
 秦彦三郎、本多熊太郎、井田磐楠、池田成彬、上砂勝七、
 池崎忠孝(赤木桁平)、石田乙五郎、石原広一郎、
 河辺正三、菊池武夫、木下栄市、小林順一郎、小林躋造、
 児玉誉士夫、松阪広政、水野錬太郎、牟田口廉也、
 長友次男、中島知久平、中村明人、梨本宮守正王、
 西尾寿造、納見敏郎、岡部長景、大倉邦彦、大野広一、
 太田耕造、太田正孝、桜井兵五郎、笹川良一、下村宏、
 進藤一馬、塩野季彦、四王天延孝、正力松太郎、多田駿、
 高橋三吉、高地茂都、谷正之、徳富猪一郎(徳富蘇峰)、
 豊田副武、津田信吾、後宮淳、横山雄偉
.
1945年12月6日、GHQが、民間人を戦争犯罪人だとして
 逮捕した。
  近衛文麿や木戸幸一など民間人9人に逮捕命令を出した。
 木戸幸一、大島浩、近衛文麿、酒井忠正、大河内正敏、
 緒方竹虎、大達茂雄、伍堂卓雄、須磨弥吉郎
.
1946年3月16日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕
 した。永野修身
.
1946年4月7日、GHQが、戦争犯罪人だとして1名を逮捕し
 た。岡敬純
.
1946年4月29日 GHQが、天皇誕生日のこの日を選んでA
 級とランク付けした戦犯と称せられた人々29名を起訴し
 た。
  また、この日、GHQは、戦争犯罪人だとして2名を逮
 捕した。梅津美治郎、重光葵
.
1946年5月3日、板垣 征四郎(いたがき せいしろう)陸軍
 大将が、第7方面軍司令官としてシンガポールで終戦を迎
 え、イギリス軍に身柄を拘束された。
  その後、連合国によりA級戦犯だと指定され、極東国
 際軍事裁判開廷初日の1946年5月3日に、空路で東京へ移
 送された。
  裁判において、確定訴因10項目の内8項目を挙げられ、
  訴因1では「1928年~1945年に於ける戦争に対する共通
 の計画謀議」を、
  訴因29、31、32ではアメリカ・イギリス・オランダに
 対する太平洋戦争の遂行を、
  他に、中国、ソ連、シンガポールにおける罪を問われ
 た。
  (これらは、国際法では罪にできないが、無実の罪に
 された)、
  そして、死刑判決を受けた。
  1948年12月23日、絞首刑が執行された。
.
1948年12月23日、木村兵太郎陸軍大将が、東京裁判の判決
 によって絞首刑が執行された。
  辞世の句は・・、
  「現身はとはの平和の人柱 七たび生まれ国に報いむ」
  「平和なる国の弥栄祈るかな 嬉しき便り待たん浄土に」
  「うつし世はあとひとときのわれながら 生死を越えし
   法のみ光り」
  死刑判決の下されが理由・・
  第3次近衛内閣・東条内閣で、東条陸軍大臣の下で次
 官を務めていたこと・・
  (この部署にいただけで権力を握っていたと見られて
 しまった)
  連合国は、日本の陸軍次官職について、自分の国の様
 に考えてしまい、欧米並みの政治的権限を持つと見てし
 まった。
  実際以上に、その権限を過大評価されて、死刑にする
 理由が薄弱であるのに、無実の罪にされてしまった。
  また、この日、武藤章陸軍中将が巣鴨プリズンで絞首
 刑が執行された。
  東条英機と対立して皇道派の山下奉文大将の部下に転
 じるくらいの人だったが、死刑にされてしまった。
  1944年10月に、第14方面軍(フィリピン)の参謀長に
 就任し、これは、第14方面軍司令官に任命された山下奉
 文の希望によるものだった・・その経緯で、フィリピン
 の地で終戦を迎えていた。
  東条英機氏は、武藤氏に「巻き添えにしてすまない。
 君が死刑になるとは思わなかった」と言ったという。
.
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が、この日に、
 署名されたが・・?
  日本は、当然ながら主権を持った国家である。
  国際法は、主権を持った国家は・・、
  自分自身で『正義を決める体系を持つことができる』
  自分自身で『正義を決めることを認められている』と
 ある・・当たり前である。
  当然である。
  「これが正義だ」なんて、他国から押し付けられたら、
 たまらない・・、
  主権を持った国家が、どこの国からでも、他の国から、
 「それは駄目ではないか、止めなさい」・・なんて言わ
 れたらたまらない・・
  国際社会、当然、その様に言われることはない・・
  当然、他の国も、第三国へ押し付ける事も出来ない・・
  この様に、国際法は決めている・・、
  また、逆に・・、
  「これが良いのだから、正義だから・・やりなさい」・・
 などとは言われない・・
  この様な事が・・国際法には認められている。
  主権を持った国家は、自国の考えで・・自主的に、自
 分で良いと思えることを、正義と思えることを決める事
 が出来る。
  当然の当然である。
  サンフランシスコ講和条約の時、この条約の11条に、
 「日本は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決を受諾し」
 という一文がある・・、
  そして、この文が言わんとした事は・・、
  この文の後に・・「刑を執行する」とある。
  この時に、刑に服していた人に関する判決の執行方法
 についてのみ、日本は受け入れるという意味である。
  (因みに・・、
  東京裁判で、死刑判決を受けた日本人のうちの一人・
 東条英機氏の刑が執行されたのは、1948年(昭和23年)
 12月23日)だった・・そして・・、
  サンフランシスコ講和条約は、1951年4月28日の署名で
 あるから・・
  つまり、アメリカは、主権国家の日本の「承諾なし」
 に、日本人・東条英機氏の死刑を執行してしまっていた・・
  日本の国家としての主権を犯す条約文となっている・・
  国際法上、要求してはいけない条文である・・
  英文の条約文でも、その様になっている。
  東京裁判による「その時代の解釈のすべて」「その正
 義」を受け入れよとは、なっていない。
  その様なところまでは、主権を持った日本へ押し付け
 る事は出来ない。
  国際法に則(のっと)った「東京裁判の判決を受諾し、
 刑を執行する」という「刑の執行」の受諾なのである。
  刑の執行を「するかしないか」は、独立した後の日本
 の判断で行なうべきなのである。
  条約の『正規』の文である英語文の条約文は、その様
 になっている。
  必ずしも、刑に処せられなくてもよい方々が、刑を執
 行されてしまった。
.
2018年12月22日、【討論】中国経済は本当に崩壊するのか?
  [桜H30/12/22]
  https://www.youtube.com/watch?v=wySjAIDCTg4
  パネリスト:
  川島博之(東京大学大学院農学生命科学研究科准教授)
  澁谷司(拓殖大学海外事情研究所教授)
  田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
  福島香織(ジャーナリスト)
  松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
  宮崎正弘(作家・評論家)
  渡邉哲也(経済評論家)
  司会:水島総
  内容・・
 ・来年(2019年)リーマンショック以上の中国発の経済
  ショックが起きる。
 ・中国に通信分野の覇権を握らせない・・どうすればよ
  いか?
 ・通信利権の取り合いが始まる。
 ・5Gはハーウェイが握っている。
 ・アフリカが中国に牛耳られるのを、ヨーロッパは許さ
  ないだろう。
 ・中国の方たちは、共産党権力とつながりを「持つか」
  「否か」で人生が決まってしまう。
  しかし、だから、皆がつながりを持つかというと・・
  事をよく知る方々は、だからこそ、繋がりを持たない
  という方々もいる・・
  その様な権力なのだと見る人たちもいる。
 ・中国で、東大留学が重く見られなくなっている。
  雲の様な幻想の状態になっている。
 ・AI監視社会となっている中国。
 ・日本は、中国人留学生を優遇し、呼ぼうとしているが、
  アメリカは逆である・・1年の許可年限と短くした・・
  そのため、中国人留学生が卒業もできなくなっている。
  (スパイもどきと見られているから?)
 ・だから、一旦、中国に帰国したら、再入国をさせない
  ようにしているアメリカとなっている・・それは、ス
  パイとなっての再入国の可能性が高いと見ているから・・
 ・北海道の帯広に、広大な土地を中国は買った・・中国
  への輸出用の野菜作りをし始めている。
  あたかも、中国の植民地の様な状態となっている・・
  行けども行けども中国の土地という状態となっている・・
  そして、何故か? その中国の土地が、自衛隊基地の
  周りが・・その様な状態になっている。
 ・理系の中国人留学生は、そのほとんどがスパイと言わ
  れている。
 ・遣唐使は、皆、日本に帰って来た・・しかし、唐から
  の遣日使は、中国には帰らなかった・・日本が素晴ら
  しいから住み付いてしまった・・遠い昔から、日本は
  その様な国だった。
 ・ウイグル学生が留学しにくくなっている・・されてい
  る。
  また、日本に来たウイグル留学生は・・中国へ帰国す
  ると拘束される・・
  そのため、帰国しにくい状態になっている・・帰国し
  たくないという状態になっている。
  その様な時に、親が「スパイになれ」と言って来る。
  「親に圧力がかかっている」ということを、必死に訴
  えて来る。
 ・東京大学の学生の1割が、中国留学生となっている。
 ・ITの優秀教授が特に狙われている。
 ・足跡を掴まれない様に、行動を掴まれない様にするた
  めにパスポートは何通も出している・・所持している。
 ・NHKは、何の経緯(いきさつ)があるのか?・・何
  か中国に借りがあるのか?・・国会の審議の総べてを、
  委員会の審議の動画を(放送されない分も含めて・・
  すべての物を)を中国へ渡している。
  中国の日本の政治家への圧力が強いと言われているが、
  この様なデーターがあるからと考えられる。
  日本の政治家が、中国寄りになっている原因の根本に、
  この様なNHKの行為が存在している。
  NHKのスパイ行為である。
  国益を損なう行為をしているNHK。
 ・次世代5G技術の争奪戦が熾烈化している。
  いずれ世界はAIで二分割する。
  アメリカと中国は、それぞれが別個のAIスペースを
  形成する。
 ・中国は、技術をアメリカから盗んでいるが、潰れたド
  イツの会社を買ったりもしている。
  台湾系の技術も盗んでいる。
  5倍の給料で引き抜くこともしている。
  これで、ほとんどの優秀な技術者が中国へ行った。
  その様な金のない日本企業・・それができない日本。
  デジタル・エコノミーは完全に日本は追いつけなくな
  ったという・・
  「完敗しました」という日本の状態だという。
  しかし、状況の流れは、中国はまずい状況を作ってい
  る・・その戦いはアメリカが勝つだろう。
  鄧小平の時は夢があった・・しかし、習近平の今は夢
  が持てない・・
  今、アメリカは、徹底的なぶっ潰しにかかっている。
 ・人民元は、ドルで補償がなされ、そして、できた・・
  しかし、今は、その状況が崩れてきている・・
  中国は、悪性インフレとなる・・そして、クラッシュ
  が起きる
 ・それを、日本は座視できない・・日本が一番影響を受
  ける。
 ・中国はバブルが崩壊すると言われて来たが、いよいよ
  始まる状態・・
  また、社会に不満が蓄積されている・・習近平の権威
  が低下してきている・・
 ・事実上崩壊している多くの中国・国有企業に人民元が
  大量に融資されている・・崩壊隠しがなされている・・
 ・不動産が売れないので、資金が回らなくなっている・・
  市場も縮小されて来ている・・
 ・データー覇権の争いが起きている・・
  暗号通貨を作ろうとしている中国・・
  ドルの通貨経済圏を乗り越えるための行動なのだ・・
  その時、日本はどうするのか?
  今、これの、水面下の争いが起きている・・
 ・アメリカは、台湾の防衛シフトを敷いている・・海兵
  隊も入っている・・台湾の方々は、これで中国の武力
  侵攻が無くなったという話も出ている・・
 ・人民解放軍(300万人)と武装警察が強い中国。
  しかし、この組織の天下り先の国営企業が景気が良く
  ないので、退役軍人(5700万人)のデモが起きている。
  ものすごいデモだった・・
  デモができるまでに支援したグループも存在している・・
  習近平は人民解放軍を掌握していない・・
  退役軍人の行き先が無い・・30歳代で退役しても良い
  働き場所が無い・・その不満が蓄積している。
 ・中国の外貨準備は減っている。
  そして、チャイナ・プレミアムが付けられる状況にな
  っている。
  中国株式はどんどん下がっている。
  来年(2019年)、世界にグローバル不安が増す。
  輸出主導型経済の日本は打撃が大きい。
 ・ゴーン・ショック・・
  事件の背後にある国家戦略と世界経済の行方・・
  ファーウェイ問題も米中対立・・
  英EU離脱も全部つながっている!
 ・現在の米中対立いざこざによって、グローバリズムの
  基礎要件が完全に壊れた。
 ・中国の国際法を守らない行動によって、世界的な、グ
  ローバルな行動がとれなくなっている。
  世界は二分化されていく・・陣営作りが始まる・・そ
  こに痛みが生じる・・
  一方、巧妙な脱税集団が問題化されて来て、暴(あば)
  かれて来ている。
  今までの、この世界の、グローバルな動きの中で巧妙
  に稼いで来たのが中国・華僑・・そして、レバノン人、
  印僑・・ユダヤ・・
 ・ソフトバンクも怪しい・・有利子負債が18兆円・・利
  払いはソフトバンクに頼っている・・
  ファーウェイ問題で、そのビジネスモデルが怪しくな
  っている・・
  ファーウェイ問題で、ファーウェイ製品を全部外すと
  孫さんが言わざるを得なくなっている・・日本人達よ!
  損をする可能性が出て来ている・・
 ・今、最先端の5Gの考え方に、日本の政治家たちが付
  いて行けなくなっている・・
  これから来る未来に、付いて行けない恐怖感が存在す
  る・・
  中国は一つのポジションを占めている・・日本はどう
  するのか?・・それは緊急に考えなくてはいけない課
  題・・世界的トレンドのブロックチェーン革命に、日
  本の存在を示せ・・
 ・アメリカ・ドルの裏付けは石油と穀物・・
  その様な裏付けのない中国の人民元・・ただの紙切れ
  状態・・金本位制が破綻したのは、金の量の上限があ
  るから・・
  中国が、仮想通貨で延命できるかは怪しい?・・
 ・日本がやるべき大切なことは、日本にある個人情報を
  持って行かれないようにすること・・
  日本は、決裁システムに中国系のアリババなどを入れ
  ないで、日本独自のものにするべき・・
  白物家電で、日本が失敗したように、日本の最先端技
  術はファーウェイなどへ持って行かれない様にする・・
  だから、中国で物を作る様な事をしない・・
  「技術内容を明らかにせよ」という中国は駄目だ・・
  また、「中国から資本を持ち出せない」という問題点
  のため、中国の日本企業に、内部留保の金が溜まって
  いる。
  日本は、これを打開する仕組みづくりをするべき・・
  これをしないと、近々迫る中国のはじけた時に、今ま
  での努力が水の泡となる・・
  はじけるのは秒読み段階?・・中国で一番はじける心
  配な所は、上海、深圳、広州、北京あたりで一斉には
  じける・・
  中国政府は、一斉にはじけさせないという検討をして
  いるくらいの状況・・
 ・だから、輸出主導型の日本経済を進めて来て、消費税
  を上げるというのが一番まずいこと・・
  やれば、最大の失敗になるだろう・・
  日本側で出来る事は、この消費税の問題だけ・・
  できたら、逆に、消費税のパーセントを低くして行け!・・
  財政赤字の嘘をもう言うな!・・
  リーマンショックの時に、日本が一番打撃を受けたが、
  その二の舞となる・・
 ・中国がガタガタになると、世界の貿易が縮小する・・
  そして、日本が打撃を受ける・・
  中国・人民元の大暴落が起きて収束するしかない・・
  裏付けのない人民元が元に戻る・・紙切れ状態に・・
 ・日本は減税策を検討して行け!
 ・中国が、かなりやばい所に来ているのは真実・・今ま
  での歴史の様に、急に変わる中国となる可能性がある・・
  それに、的確に対応することが日本の課題・・対応を
  誤らないのが日本の課題・・
 ・中国は、資金を国外に出せない様にしているが、それ
  をしなかったら、一斉に資金が引き上げられて、中国
  の息の根が止まる・・
  その様な状況に、今はある・・
 ・中国には、ゾンビ企業と言われている企業が2000社あ
  る・・
  ゾンビ企業(ゾンビきぎょう)とは、経営が破綻して
  いるにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって
  存続している企業・会社のこと・・
  中国・国有企業ととすると1社あたり5万人、2000社な
  ので1億人、その家族を考えると4億人・・この人たち
  のために中国は、人民元を刷らなければならないとい
  う中国の今がある・・中国のアキレスけんとなってい
  る・・
 ・今、日本は、日本の技術で「独自の情報技術を作るの
  だ」という決意を固めなければならない時だ・・
  ブロックチェーン化も進める・・
  アメリカや中国がどう出ようが、この道を進めて行く
  べき・・
 ・日本のリスクは、政治家や経営者に中国が見抜けてい
  ないところ・・そして、判断が後手に回っていること・・
 ・中国に居る企業は、早く逃げるにかぎる・・
 ・中国の、ある程度の地位のある人は、7つ8つのパス
  ポートを持っている・・それは、いざという時に、動
  けなくなるリスクを回避するためにそのようにしてい
  る・・
  この様にしているのは、中国のスパイだけではない・・
  中国では当たり前のこととなっている・・
  長年、中国でやって来た日本の企業の人たちも、その
  事を知っていて、複数のパスポートを持っている・・
  その様な日本人が、いっぱいいるという常識・・
  来年(2019年)は、クエスチョンの年になるのか?・・
 ・中国と共に、日本経済が崩壊しないようにしなければ
  ならない・・
  まったく、のほほんとしている日本人・・
  心構えも準備も、まったくしていない・・
  他の国々は、皆、必死に生き抜こうとしているのに、
  日本は心配だ・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


# by suba28 | 2018-12-29 04:16 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)

題:(増補版)624E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年4月~1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年4月17日、日清講和条約が調印された。
  日清戦争での日本勝利を受け、下関条約が締結された。
  日清戦争は終結した。
  日清戦争動員兵力:12万人、
  戦病死:17,000人、
  軍事費:2億3000万円。
  清大使・李鴻章馬関に来たり講和成る(氷川清話)
  勝海舟は、遼東新領土に対する画策をたてて、一、二、
 意見を示す。
  後三国干渉のこと起る、物議騒然(氷川清話)
  下関条約の内容・・
  一、清国は、朝鮮が独立国であることを認め、承認す
   る。
  二、遼東半島・台湾・澎湖島を譲り渡す。
  三、清国は賠償金として二億両(約三億円一千万円)
   を日本に支払う。
  四、沙市・重慶・蘇州・杭州の港を開き、開市し、日
   本が自由に産業活動に携わる事が出来ることを認め
   る。
  台湾を譲り受けた日本、当然、台湾は、清朝から日本
 の統治下に入り、台湾には台湾総督府が置かれた。
  そして、政策として、台湾製糖が設置されたりして、
  また、民間から、大日本製糖などの製糖会社ができ、
 日清汽船(大阪商船)などの水運会社が、上海航路を結
 んだりして、台湾は、経済的に潤って行く。
  しかし、この下関条約が結ばれて後、日本は、アジア
 に出てきた黄色人種として「出る杭は打たれる」となっ
 て行く・・
  日本は、日清戦争に勝ったからと言って、アメリカや
 ヨーロッパの様な「自分の国が利益が得られれば良い」
 という利己的な条約を結んだのではなかった。
  日本は、朝鮮の事を思い、「中国・清は、朝鮮の独立
 を認める」という条項を約束させた。
  中国・清の「冊封体制を止めさせる」という事を約束
 させた。
  また、これまで・・問題となっていた台湾や、遼東半
 島を、日本は金を支払って譲られるという決着をした。
  アメリカが『アラスカを、金を出して領有した」様に・・、
 奪ったのではない・・
  日本は、当時の3年間分の財政収入に相当するという
 『大金を、中国・清へ支払った』・・
  これまでのアメリカやヨーロッパ諸国は、敗戦国から
 奪い取ったが、日本は、3億円(2億両)を支払った。
  当時、清は、「眠れる獅子」と言われ、その底力は恐
 れられていた。
  海軍力においても、清国の方が大きな軍艦を持ち、ま
 た、隻数も、日本を上回る艦数を持っていた。
  世界の予想は、完全に「日本が敗けるだろう」だった。
  しかし、新興の日本は、清に勝利した・・
  清が日本に敗けると、列強諸国のアメリカやヨーロッ
 パ諸国は、さらに清を侵食し始めた・・清を餌食とした。
  清は、分割の対象となった。
  日清戦争の後でも・・日本の立場は・・まだ、アメリ
 カやヨーロッパ列強の諸国から軽んじられていた。
  幕末以降から続く「弱小国・日本の状態だった」。
  そして、戦勝国・日本に、遼東半島返還の圧力がかか
 って来る・・三国干渉が起きた。
  ロシアが、ドイツとフランスを誘って、日本へ圧力を
 かけて来た・・三国の強烈な軍事力をちらつかせた。
  『町のあんちゃん』の様なやり方だった。
  日本は、清と一対一で対決した「武士の世界」だった。
  いつもやる欧米列強の様な、卑怯なグル(悪事を企て
 る仲間)に「つるむ」ようなことは、「日本はしない」。
  しかし、東アジアの欲しいロシアは、ドイツ・フラン
 スとグルになって三国干渉の圧力を日本に加えた。
  日本は、遼東半島を清へ渡した・・清は、金を日本へ
 返還した(当然)。
  そして、列強諸国は、清を蝕(むしば)んで行く。
  ロシアの領土欲は強烈だった・・朝鮮へも手を伸ばし
 て行く・・
  ロシアは、強力な軍事力を、この地域に展開し、拡大
 して行く。
.
1895年4月17日、播但鉄道(ばんたんてつどう)が、長谷駅~
 生野駅間、および、姫路駅~飾磨駅(現:飾磨港)間を開
 通し、生野駅~飾磨駅間が全通した。
  播但鉄道は、現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)播但
 線の大部分、飾磨(のち飾磨港)~新井を建設、運営し
 た日本の私設鉄道であった。
  兵庫県の播磨地方と但馬地方を結ぶ鉄道として建設さ
 れたが、山陽鉄道に路線及び附属物件が譲渡され、山陽
 鉄道の国有化と同時に官設鉄道の一部となった。
.
1895年4月23日、三国干渉
  ロシア帝国、ドイツ帝国、フランスの三国が、東洋艦
 隊の武力を背景にして、遼東半島の返還を要求するとい
 う対日干渉をした。
  まったくの内政干渉の仕業(しわざ)。
  遼東半島は戦略的にも重要な位置を占めていた。
  三国の大義名分は、アジアの平和を危うくするだった。
  いつも列強は、この様な表面的に美しいだけの言いた
 い放題を言う。
  本当は、ロシアが中国に地歩を固めたい、遼東半島は
 ロシアが欲しい、不凍港が欲しいのだ・・だった・・
  遼東半島を日本が占めたなら・・日本が「目の上のた
 ん瘤」になる・・だった。
  そして、日本が遼東半島を返還したら、案の定(あん
 のじょう、思った通り)、ロシアは遼東半島を中国に要
 求し、ドイツは山東半島を要求するというあさましい(
 ひどく嘆かわしい状態のこと)ことを行なった。
  ドイツ・フランス・ロシアの公使が、アジアの安定を
 乱すとして、遼東半島の清国への変換を要求し、当時、
 満州への鉄道建設を目指していたロシア政府は、遼東半
 島(リヤオトン)領有の放棄を日本に言い・・、ロシア
 との同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方向を極
 東にそらすことをねらっていたドイツもこれにならった。
  さらに、ドイツは、ロシアとイギリスとフランスの協
 調に取り残されることを恐れて共同行動をとった。
  日本の国力では、この3国に対抗できないので、同1895
 年5月5日、これを受諾した。
  その結果、日清間に遼東半島還付条約が締結され、日
 本は譲渡取得をしていたので、返金がなされた。
  必死に努力をして国を富ませ、米欧に追い着きたいと
 やってきた日本・・日清戦争となったが・・、
  この間まで、アジアの遅れた小国・日本が、この様な
 事態になると・・、
  東アジアで美味しい汁を吸いたいという列強諸国は、
 黙っていなかった。
  強力な軍事力で、日本を脅しながら、また、卑怯な事
 にグルとなって、日本へ「いちゃもんを付けてきた」。
  ロシア・ドイツ・フランスの三国の言い分は・・、
  「遼東半島まで清国から得る」のはおかしいじゃない
 か?という言い方だった・・「清国へ返しなさい」と・・
  弱い者に対して、好きに言いたい事を言う国々いだっ
 た。
  有色人種の日本が、『白人のマネはするな』の気持ち
 だった。
  そこに、キリスト教の「有色人種蔑視」のマインド・
 コントロールがあった。
  列強に、日本を馬鹿にする視点が残っていた。
  そして、なんと、その2年後に、遼東半島のその地を
 ロシアは手に入れた・・日本にとって屈辱的な事だった。
  弱小国の悲哀を味わう日本だった。
  当時の日本国民の方々も、この屈辱に歯ぎしりしてい
 た。
  日本は、幕末以来、中国や朝鮮に、欧米列強の諸国の
 侵略に共同して対処しようと言って来ていた。
  急速に力を付けた日本・・日清戦争の、まさかの日本
 の勝利だと世界は思っていた・・
  自分たちがおいしい汁を吸っている中国の領分に入っ
 て来た新参者にいちゃもんを付けた。
  条約をきちんと、日本と清の間で結び、合意された下
 関条約・・その条約に基いて・・約定(やくじょう、約
 束して定めること)して・・日本に渡った遼東半島を・・
  おい!それはよせと・・くちばしを入れた・・
  ロシアの思惑があった・・ロシアは大きな欲をかいた。
  ロシアは、満洲と中国北部の支配権を拡張したいと目
 論んでいた。
  また、それと並行して、欲張って、朝鮮へも影響力を
 拡大したいと思っていた。
  ロシアの言い分は・・筋が通らないが・・朝鮮は、ロ
 シアのウラジオストクに近いため、ここを他の列強に抑
 えられると、ロシアが圧迫されて怖いのだ・・という理
 屈・・そして、その可能性を防ぎたいと・・
  また、ロシアは・・日本という国が、朝鮮と対馬の両
 岸を抑える事態になれば、中国の旅順港とロシアのウラ
 ジオストク港を結ぶシーレーンが危機に晒されるという
 ロシアの言い分があった。
  中国のおいしい汁を安心して運べないのだよ・・と、
  しかし、朝鮮半島をロシアが占領すれば、圧迫される
 のは日本も同じだった。
  そして、日本の恩を受けた朝鮮が、なんと、この三国
 干渉の影響から、『反日となり』また『親露となった』・・
 その様な勢力が台頭して来た。
  そして、また、朝鮮国王の高宗が、ロシア軍の朝鮮進
 駐を希望するようになった・・
  そして、1896年2月には、ロシア大使館へ駆け込んだ。
  この状況を解決するために努力がなされた。
  日本とロシアの間で、『山縣・ロバノフ協定』が締結
 された。
  日本とロシアは、対等の関係で朝鮮に接して行こうと
 いう合意がなされた。
  しかし、ロシアは強硬策に出た・・
  1897年、ロシアは、旅順・大連を占領した。
  当然、日本は、強硬行動をとるロシアが、この様な行
 道を、朝鮮半島でも行なうだろうと恐れた。
  実際、ロシアには、朝鮮半島への進出を本格化する恐
 れがあった。
  日本は提案した・・「朝鮮半島を日本が管轄し、満洲
 をロシアが管轄する」・・と・・
  しかし、ロシアからは相手にされなかった(すでに、
 満州はロシア軍だらけだった)
  この頃、朝鮮半島に接する鴨緑江沿岸(朝鮮と満州の
 境を流れる川)では、アレクサンドル・ベゾブラーゾフ
 らのロシア貴族が・・、
  朝鮮半島北部にロシアの橋頭保を築く目的で、伐採事
 業を開始していた。
  (朝鮮戦争の時も、共産中国軍は、朝鮮半島に流れ込
 もうとこの地域・鴨緑江沿岸に大部隊を集結した様に)
  ベゾブラーゾフは、ロシアは偉大な大国であるので、
 強硬姿勢をとって当たり前であり、東洋人ごときに生意
 気を言われる筋合いはないという信念を持っており・・、
  蔵相ヴィッテの対日融和政策を毛嫌いし・・、
  「大臣たちは、皇帝陛下に正しい情報を提供せず、陛
 下に自分たちの考えを押し付けている」と批判した。
  これは、ニコライ2世にとっても耳に心地よい意見だっ
 た。
  ニコライ2世は、このベゾブラーゾフを強く信頼するよ
 うになり、対日強硬姿勢を強めて行った。
  因みに、ベラーゾフは、この翌年の1896年に、日本と
 の開戦の必要性を唱える嘆願書を、ロシア皇帝ニコライ
 2世へ提出している・・この様な人だった・・、
  また、ニコライ2世は、「黄色い猿」と日本を侮蔑する
 ような皇帝で・・、
  ロシアがどんなに強硬路線を取ろうと、「日本に、ロ
 シアと戦争する勇気などあるばずがない」としていた。
  また、「ロシアが、自分が望まない限り、日露の戦争
 にはならない」と考えていた。
  また、「ロシアの強硬な圧力を受けて、日本が旅順か
 ら撤退した1895年を思い出す」などとも言ったり、
  「どっちにしても日本は野蛮な国だ」などとも言った。
  ベラーゾフは、強硬派で、イギリスの東インド会社の
 ような組織を設立して、『朝鮮半島と満州における権益』
 を確保して、それらを強制的に征服すべしとした。
.
  (今日の言葉)
.
  題:問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
    米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題ではなく・・
    アメリカの存亡の危機の安全保障上の問題。
.
1932年10月2日、リットン報告書が公表された。
  正式書名は、「国際連盟日支紛争調査委員会報告書」
  調査団は、イギリスのヴィクター・ブルワー=リット
 ン伯爵を調査団長とした。
  内容は、中国の最近の発達の概観、つまり、清の没落
から書き起こし、共和国の出現、その後の内乱、国民党の
結成、共産党の跋扈を詳述し・・
  次に、満洲国について述べている・・すなわち、中国
 が満洲に無関心であり、満洲の今日の発展は日本の努力
 による旨が述べられ・・
  張作霖、および、張学良時代の政情からロシアと中国
 の紛争等におよんで述べられ・・
  日本と中国の両国間の満洲に関する諸論点・・すなわ
 ち、日本の特殊性を認識して、日本の満洲における権利
 を説明したりしている。
  リットン報告書は、満州は、中国(漢民族)のもので
 はないという立脚点に立っている。
  そして、「満州を、中国本体から切り離す」という意
 味が書いてある。
  そして、満州域を、中国から離れた国際的なものにせ
 よと言っている。
  (日本の掲げた理念が五族協和)
  そして、その状態の中で、「日本の満州での努力を認
 めている点」から「日本の主導権を認め」、また、日本
 の権益も認め、「日本の権益も十分に守られるべきだ」
 と記している。
  日本は、この「リットン報告書を受け入れても良かっ
 た」と言える。
  受け入れていれば、また違う世界史が展開しただろう。
  共産化した満州域ではなかっただろう。
  結局、満州国の存在を、「日本が侵略して奪ったもの
 だなんて微塵も言ってない」。
  結局、そして、今・現在、満州は無くなり、この時の
 リットン報告書の見解で否定された中国(漢民族)のも
 のとなってしまっている。
  「トンビに油揚げをさらわれた」という状態となって
 いる。
  そして、約70年を経て、その満州の方々は、今・現在、
 その地には居なくされている。
  何処かへ消え去ってしまった。
  国なんてこのような経過をたどるものなのだ。
  国と共に、民族の運命など、この様になるものなのだ。
  今後、日本の国も、この様にならない様に・・
  中国は、尖閣諸島が欲しいと言っている・・その次は、
 沖縄だと言っている・・
  国の安全保障に無関心でいてはいけないのだ。
  各人が、真剣に考えていなければいけない事なのだ。
  「あなた任せにしておいては・・いけない事なのだ」。
,
1942年、中国が、嘘のプロパガンダでも、何でもやって、
 その結果が、中国に有利になるなら、その様な行動をし
 た者は「能力のある者」と中国は見る・・
  中国は、「卑劣な行為」でも、何でもよいという国で
 ある。
  だから、中国の国内内戦は、騙し合いが酷い戦争で、
 騙し、騙される陰湿な行為が頻繁に行われた。
  この様な騙しの世界の国・中国は、日常茶飯に騙しが
 行われた。
  日本への工作も陰湿を極めた。
  それは、政治や戦闘に限らず、あらゆる場面において
 行われた。
  中国の新聞も、その真偽を確かめずに報道するという
 出鱈目(でたらめ)さだった。
  例えば、1942年頃、「昨夜、日本人が、果物屋の店先
 にあるスイカに毒を注射して歩いていた」・・なんてい
 う嘘の記事が、でかでかと中国の新聞に書かれた。
  また、女子学生に、中国人企業家が金を渡し、「『日
 本の森永ミルク・キャラメル』には、毒が入っているか
 ら買うな」と言わせた。
  これは、中国の会社が、森永に似せた菓子を作り、自
 社の製品を買わせようとして行った事だった。
  本「支那三十年」を参照。
.
1945年12月、沖縄が、1945年12月のこの時から、本土復帰
 をする1972年まで、アメリカ兵によるレイプ(強姦)犯
 罪は500件以上となった(隠れた犯罪は数限りなくある)。
  本「沖縄アンダーグラウンド」には、目をそむけたく
 なる様な卑劣なその状況の記載が続く。
  その卑劣な行為の多くで、アメリカ兵は庇(かば)わ
 れた。
  「容疑者不明」で処理された。
  でも、ここまで来るのもほんの一握りだった。
  闇に葬られ、泣き寝入りとなった。
  アメリカ兵の人権無視のあまりに卑劣な行為、あまり
 の酷さに、沖縄は苦汁の日々が続いた。
  そして、仕方なく・・地元・沖縄は、「アメリカ兵相
 手の売春区域を作ろう」との苦渋(くじゅう、事が解決
 されず、苦しむ悩むこと)の案の声となった。
  そして、やむを得ず売春街が、アメリカ兵の卑劣な行
 為を無くしたいとの願いから出来た。
  フランスのパリに侵攻したアメリカ軍は、この街でも、
 パリジェンヌを、パリの女性方たちを・・犯した。
  昼間でもなんでも、場所もわきまえずに・・、
  その乱れたアメリカ兵の行為は、人目をも憚(はばか)
 られずに行われた。
  あまりの酷さに、パリ市長は、アメリカ軍へ泣きを入
 れた・・その愚行を指摘した。
  また、アメリカ軍は、ベルリンへ侵攻した時も、数限
 りないベルリン女性を犯す行為を行なっている。
  砲弾が飛びかう中、ベルリンの女性方は、地下などに
 潜(ひそ)んでいた。
  男性のほとんどが居ないベルリンで、ベルリン女性は、
 アメリカ兵に強姦され犯された。
  その数は、とんでもなく多くの女性方の数となった。
  戦後の日本でも、毎日、あちこちで、アメリカ兵によ
 る強姦が行われ、その卑劣な行為を新聞は報じた。
  病院の看護婦が、ピストルを持ったアメリカ兵たちに
 犯された・・また、妊婦の方々さえ犯された。
  学校へ行く小学生まで乱暴をされた。
  新聞報道は、そのすべてを報じなかったが、それでも、
 あまりの酷さに、アメリカ軍・GHQは、「そのような
 報道をするな」と命令した・・
  アメリカ兵の卑劣な行為は、その様な命令によって隠
 されてしまった。
.
2005年7月、NHKの福井放送局チーフカメラマンが取材費
 でビ-ル券を購入し約350万円分を着服した。
.
2011年8月、NHKの番組制作局チーフプロデューサーが
 女性のスカート内を携帯カメラで盗撮して逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年8月18日、この日のNHKニュース7で、子どもの貧
 困問題をテーマとした神奈川県主催の講演会、および、
 登壇した女子高校生への取材を報道したところ・・、
  インターネット上で、捏造疑惑が浮上した・・、
  女子高校生が2万円相当の画材を所有する様子が映っ
 ているなどとバッシングが発生した。
  片山さつき参議院議員が、NHKに説明を求めるなど
 を精力的に行った。
  NHKは、メディアに対し、「本人や家族、行政機関
 などに取材し、経済的に厳しい環境で生活する高校生だ
 と判断しています」、「食べるものもないというレベル
 の貧困ではなくても、経済的困窮によって、高校生が希
 望する進路をあきらめざるをえない現実があることを伝
 えるもの・・放送内容は、すべて事実に基づくものです」
 と捏造疑惑を否定した。
  講演会を主催した神奈川県の担当者は、講演会につい
 て、「食べるものや着るものがあるとしても、修学旅行
 や部活の遠征に行けなかったり、進学をあきらめたりす
 る『相対的貧困』の見えにくさを考えようというイベン
 トだった」、
  騒動について、「食べ物や着る物がないなど目に見え
 る『絶対的な貧困』と・・、
  親の経済的な事情で進学を諦めざるを得ないなど目に
 見えない『相対的な貧困』を混同して起きてしまったの
 ではないか」とコメントした。
  この騒動にまつわり、サイゾーが運営するニュースサ
 イト「ビジネスジャーナル」は、NHKなどへの取材を
 行わず架空のコメントや、やらせや捏造の存在を印象づ
 ける表現を含む記事を発信し、後に、取材が不十分であ
 ったとして訂正および謝罪、関係者の処分を発表した。
.
2018年12月8日、中国はもう正せなくなっているのか?
  叩けなくなっているのか?
  一番、のんべんだらりとしているのが日本。
  中国もロシアも、日本に接近してきているのは、日本
 の国防力が伸びないで、昔のままになっていて、組みし
 易いからと指摘されている。
  そして、アメリカが、戦略核戦略が中国に劣っている
 ところが問題である。
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  パネリスト:
   鍛治俊樹(軍事ジャーナリスト)
   河添恵子(ノンフィクション作家)
   石平(評論家)
   福島香織(ジャーナリスト)
   矢野一樹(元海上自衛隊潜水艦隊司令官 海将)
   矢野義昭(元陸上自衛隊小平学校副校長 陸将補)
   湯浅博(国家基本問題研究所主任研究員)
  司会:水島総
  核抑止は万全か?
 1、米中の戦略核バランス
   中国が先制攻撃すれば、アメリカは4千万~5千万人
  の損害、中国は2600万人の損害となる。
   アメリカが戦制攻撃すれば、中国は最大1億人の損害、
  アメリカも数千万人の損害か?
   アメリカおよび中国は、核戦争にエスカレートする
  恐れのある軍事挑発はできない。
 2、米中の通常戦力バランス
   アメリカの海・空の技術的優位は明らか。
   特に、戦闘機と潜水艦、空母が優位。
   中国大陸での本格的地上戦はアメリカでも不可能。
 3、問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
   ロシアの核戦力も4分の1程度は極東に向いている。
   そして、中露接近は当面続いて行く。
   北朝鮮の弾道ミサイル脅威も数的には中国並み。
  (参考)中国の戦略核は400から600ある。
      北朝鮮も、中国並みになって来ている(400か
     ら600)
      アメリカ一国だけで、中・露・北朝鮮には対
     抗できない
      中国は、原子力推進の超超長距離を飛べる巡
     航ミサイルを保持したと発表したが、この事で
     発生する問題が・・
      アメリカのミサイル防衛網がすべて北極海を
     向いている。
      中国は、その裏を攻めることができる・・こ
     のため、アメリカの防御が大変な事になってい
     る。
      アメリカが、それに対抗するためには、韓国
     からも、また、日本からも、アメリカの軍事力
     を引き上げて・・アメリカ本土防衛に集中して
     固めなければならない。
      軍事バランス的に、ここ10年間は、中国が台
     湾を取りに行っても、アメリカはそれに対応で
     きる状況にない。
      日本も、この様な状況に、どう対応するのか?
     ということになっている。
      日本は、アメリカをあてに出来なくなってい
     る。
      アメリカは、アメリカ本土を守るのに手いっ
     ぱい。
      20兆ドルを超える赤字のアメリカ、財政的に
     も非常に厳しい状況。
      米中の貿易摩擦は・・だから、貿易問題では
     なく・・アメリカの存亡の危機の安全保障上の
     問題。
      中国は、技術的にも急速にアメリカに追いつ
     いて来ている。
      中国の技術的追い上げは厳しい。
      中国は、軍事基地を地下化して耐力が上がっ
     ている。
  米国の対応
 1、トランプ政権は、核戦力の増強、近代化推進方針を
  明示した。
 2、核戦力の整備に最優先で予算配分する、配分は可能
  と保証
 3、核戦力の3本柱(ICBM、SLBM、戦略爆撃機)
  を更新。
 4、核弾頭の新型開発(戦力化は約10年後)、その間、
  寿命延長
 5、ロシアに対抗して低出力核を増強
 6、核インフラの整備
 7、核関連の人材養成、施設の整備更新
 8、アメリカの核抑止力強化と同盟国への核の傘の信頼
  確保。
.
2018年12月8日、痛い目に会わなければ分からないのか??
  のほほんとしている日本・・
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  ・釧路の広大な土地が中国に買われている。
  ・10万人が人質になっている・・自由に中国から出国
   できなくなっている。
  ・資金も中国から引き上げられなくなっている。
  ・これからは多極化する・・防衛も多面的になる。
  ・ロシアは、シベリアなどの広大な地を守り切れてい
   ない。
  ・パンダ債・・日本が一帯一路を応援しているのか?
   中国内では、「日本が一帯一路を応援している」と
   言われている。
  ・アジア諸国から日本の本心が疑われている。
  ・「日米同盟強化」と言われているが、言葉だけで、
   実態はそうなっていない・・南西諸島などをどう守
   るか?
  ・日米安保を改定して、双務性(そうむせい)を強化
   するなどしなければならない・・日本の対中の力は
   落ちている・・双務性は絵に描いた餅になる方向に
   ある。
  ・アメリカの共和党は、「日本の核武装を進めるべき」
   と言っている・・アメリカは、米本土に退くという
   方向なので、日本は核武装して自分を守れの論理。
  ・相互防衛条約に安保を持って行くべき。
  ・X‐35を100機買う。
  ・財務省は、「今、日本に金があって、有効な防衛が
   できる状況」なのに、嘘でそのことを抑えている。
  ・アメリカの「核の日本国内展開」をさせるのが、
   「急ぐべき日本の現状の対応策」。
  ・中国共産党は、日本のコントロールに成功している・・
   日本の政治家は中国寄りになっていて、自由な発言
   が出来なくなっている。
  ・中国が明らかに脅威であるのに、「仮想敵国だ」と
   言えない日本・・だから、その対応策が取れない日
   本となっている・・やりたい放題にされる日本にな
   っている・・
  ・統一朝鮮が、これからの、その後の脅威となり、仮
   想敵国となる・・
  ・超音速滑空体に中国は成功している・・これに核が
   搭載される・・世界で唯一成功している状態・・
  ・大国は、都合のよい時は国際法を守る、都合が悪く
   なると兵を送る・・この様な国が、今、日本の周り
   を取り囲んでいる・・
  ・日本は、痛い目に会わなければわからないのか??
.
2018年12月19日、中国人のハッカー集団を、アメリカは起
 訴する方針とした。
  (参考)ハッカー:コンピューター内へ入り、その相
     手の情報を盗んだり、コンピューター・システ
     ムを麻痺(まひ)させたりする者。
  アメリカの司法省が、中国の情報機関にあたる中国国
 家安全省と関係のある「複数の中国人ハッカー」を起訴
 する方針・・と報じられた。
  アメリカ紙のウォール・ストリート・ジャーナルなど
 によると・・、
  アメリカ司法省が、起訴する可能性があるのは、中国
 国家安全省とつながりがあり、「APT10」と呼ばれる
 ハッカーグループとみられている。
  アメリカのネットワークに侵入するため、複数年に渡
 ってITサービス企業に高度なサイバー攻撃を仕掛けた
 疑いがある。
.
2018年12月20日、韓国の元徴用工らが、韓国政府を提訴し
 た・・この日の読売新聞が伝えている。
  これが正しいのだ。
  韓国の元徴用工の方々も、やっと正しい道・本筋が見
 えたようだ。
  日本が、「元徴用工の方々の補償を行ないます」と韓
 国政府に言ったら、「そのお金は韓国政府へ渡してくれ」
 と韓国政府が言った。
  「韓国政府から元徴用工へ補償をしますから」と・・
  その様なことが、話し合いで決まって、日本は、韓国
 政府へ莫大な金を支払った。
  韓国政府は、この様な経緯(いきさつ)・事態を韓国
 国民へ徹底して説明しないから、この様な問題が発生し
 ている。
  元徴用工の人々が、韓国政府を提訴したのは、そのこ
 とが分かったから・・、
  読売新聞は、以下のように伝えている・・
  第二次世界大戦中に、日本企業に徴用されたとする
 韓国人や遺族ら約1100人が20日、韓国政府を相手取り、
 1人当たり1億ウォン(約1000万円)の補償金を求める訴
 訟をソウル中央地裁に起こした。
  元徴用工らを支援する市民団体が、ソウルで記者会見
 を開き、明らかにした。
  元徴用工らの訴訟を巡っては、韓国大法院(最高裁)
 が10月に、新日鉄住金に対し、賠償を命じる判決を初め
 て確定させた。
  今回の原告らは、1965年の日韓請求権・経済協力協定
 で日本から無償3億ドルを受け取った韓国政府にも補償
 する責任があると主張し、日本企業でなく、韓国政府を
 訴えた。
  韓国内では、この団体が主導した同様の訴訟が、他に
 3件進行している。
  元徴用工への韓国政府の補償を巡っては、朴正煕(ぱ
 くちょんひ)政権が、1975年~1977年に、日韓請求権協
 定で日本から受け取った資金を活用し、遺族らに補償を
 行なった。
  2008年以降にも、慰労金を追加支給し、慰労金の総額
 は2015年末で、計約6184億ウォン(約617億円)に上った。
  今回の訴訟の原告らは、過去の未申告などを理由に、
 韓国政府の補償を受けたことがないという。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
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# by suba28 | 2018-12-25 03:51 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年4月)

題:(増補版)623E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1895年3月30日、逓信省官制公布(勅令第27号、4月1日施行)
  郵便及電信局官制中改正ノ件
  職員の増員
.
1895年3月、朝鮮国(李朝)が、朝鮮東学党の代表・全琫準
 (ゼンホウジュン)を処刑する。
  井上馨日本公使は、全琫準の人格に共感し、朝鮮政府
 に処刑しないように要請していたが、朝鮮政府は井上が
 日本に帰国している間に、処刑を執行した。
.
1895年3月、日本鉄道の赤羽駅~川口駅間の複線開通により
 上野駅~大宮駅間の複線が完成した。
.
1895年4月1日、第4回内国勧業博覧会が開催された。
  内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)
 は、明治政府の殖産興業政策の一つとして開かれた内国
 物産、美術・工芸品の博覧会で・・、
  第4回は、京都で開催された。
  この時、裸体画論争が起きる。
  黒田清輝の「朝粧(ちょうしょう)」が芸術か?、風
 俗を紊乱(びんらん、道徳・秩序を乱すこと)する春画
 の一種か?の問題だった。
  西洋列強に追いつくことに必死だった明治政府にとっ
 て、そもそも裸体は先進国にふさわしからぬ野蛮な習俗
 であると捉え・・、
  公共空間で堂々と展示すべきものではないと判断した。
  この時、警察の取締りは行われなかった。
  後の1901年の白馬会第六回展においては、警察は、特
 別室での鑑賞の形を求めた。
.
1895年4月1日、九州鉄道の小倉駅~行事駅(現:行橋駅)間
 が開通した。
.
1895年4月3日、甲武鉄道の飯田町駅~八王子駅間が開通し
 た。
.
1895年4月3日、甲武鉄道市街線の牛込駅~飯田町駅間が開
 通した。
.
1895年4月5日、日本初の1千トン級の貨客船「須磨丸」が
 竣工した。
  三菱合資会社三菱造船所、三菱第65番船
  1563トン(1536トン?)、835馬力。
  日本初の二重底をもった船(それまでは単底)
  日本初の台湾航路として開設された大阪~台湾航路に
 就航させる目的だった。
  1896年、台湾総督府の依頼で、大阪商船によって開設
 され、須磨丸などの3隻の汽船が 大阪~基隆を結んだ。
  また、この年1896年、陸軍省の航路として、日本郵船
 も神戸~基隆間を開設し・・、
  翌1897年、台湾総督府の航路となった。
  使用船は「山城丸 2852t」と「弘済丸 2635t」・・、
  1898年、大きさで劣った大阪商船は、新造船の台北丸
 (1897年進水,、3300トン) 、台中丸(1897年進水、3213ト
 ン) を投入して競走した。
  日本郵船は、続いて「西京丸」(1906年)、「信濃丸」、
 「備後丸」(1907年)、「因幡丸」(1915年)を投入して船
 舶の大型化をはかった。
.
1895年4月5日、筑豊鉄道の飯塚駅~臼井駅間が開通した。
.
1895年4月6日、甲武鉄道が、お花見列車を運行した。
.
1895年4月8日、ロシアが、列強各国へ、日本に対する共同
 干渉をすること提案した。
  日清戦争の講和条約である下関条約で認められた、日
 本の遼東(リヤオトン) 半島領有に反対するロシアが、
 フランスとドイツと共同干渉しようとした。
  下関条約の調印の6日後の1895年4月23日、当時、満州
 への鉄道建設を目指していたロシアは、遼東半島の領有
 の放棄を日本に勧告した。
  ロシアと同盟関係にあったフランス、ロシアの進出方
 向を極東にそらすことをねらっていたドイツもこれにな
 らった。
  当然、束になって日本に圧力をかけた列強各国に対抗
 出来ない日本・・
  日本の国力では3国に対抗できないので、1895年5月5日、
 これを受諾した。
  日本は、遼東半島を清国に還付することとした。
  (日本は、遼東半島を買っていたので、当然、清国は、
 日本に返金した)
  以後、ロシアは、満州に鉄道敷設権を獲得し、遼東半
 島を租借地とした。
  これを見ていたフランス、ドイツ、イギリスも争って
 租借地を要求した。
  日本では「臥薪嘗胆(がしんしょうたん、仇を討とう
 として苦心・苦労を重ねること)」のスローガンで、対
 ロシア報復の国民感情が大きくなった。
  外交面で、対英接近が進められて行く。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
.
1885年、伊藤博文は、この年に、内閣制度を創設して、自
 ら初代の内閣総理大臣に就任した。
.
1935年、イランという国号が採用された。
  イラン人は、自ら「イーラーン(アーリア人の国)」
 と称していた。
  そして、「アーリア」とは、「高貴な」をいう意味で、
  故に、ヨーロッパからの圧迫を脱却し、民族の誇りを
 回復する意味から、1935年に、イランという国号を採用
 した。
  キリスト教徒のヨーロッパ人からの精神的圧迫から脱
 却を計った。
.
1951年4月28日、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。
  日本は独立した。
  アメリカの主導する占領から解放された。
  国際社会に、独立国として堂々と復帰した。
  しかし、この時、締結した「サンフランシスコ講和条
 約の条項」に、卑劣にも書かれた条項を、日本は守らな
 くてはならなくなった。
  それは、「日本は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の
 判決を受託し・・刑を執行する・・」「裁判によって言
 い渡された判決」を受け入れる・・という条文だった。
  日本の軍人を・・日本の兵士を(日本と共に戦った韓
 国の兵士も判決を受けていた)東京裁判で判決し、殺し
 たりしたが、それを受け入れよというものだった。
  東京裁判で死刑判決になった人は28名いた。
  これも、まったく卑劣に決められた。
  日本が負けると分かっていた頃、裁判以前のこの時に、
 すでに、連合国は、「誰を死刑にするか」を決めていた。
  「公正な裁判の結果、死刑になった」という様に、世
 界には見せかけた。
  アメリカなどの連合国は演技した・・卑劣である。
  アメリカは、「東条英機を死刑にしたい」と打ち合わ
 せで言った。
  中国国民政府(今の中国共産党政権では無い、この中
 国共産党政権とは日本は戦争をしていない)は、「板垣、
 土肥原、松井・・」と言い、
  ソ連は、「広田弘毅・・」と言い・・、
  各国が、好き勝手に、また裁判の判決も無いのに言い
 たい放題だった。
  リンチ(私刑)の見本の様な下劣な事をやっていた。
  そして、東京裁判の演技の「作られた裁判」が行われ
 て、日本の軍人(兵士)達は責任を取って殺された。
  これ等の事が、サンフランシスコ講和条約に「受け入
 れろ」と書かれていた。
  しかし、東京の他の地でも・・
  その他の地域の世界中でも、裁判が行われていて、日
 本軍人が、東京裁判を真似た裁判で・・殺された。
  連合国は、それらを止めること無く、出先の勝手な裁
 判で、「やりたい放題」をさせていた。
  死ななくてよい日本軍人(兵士)が命を取られたりし
 た、また、刑に服す虐(しいた)げに会った。
  ユネスコの記憶遺産にして、長くこの卑劣行為を記憶
 に止めよ。
  まったく卑劣に、連合国の国際的取引のまな板の上で、
 日本人兵士の命はやり取りされていた。
.
1968年4月13日。映画「猿の惑星」が、日本で公開された。
  アメリカ映画が、中国資本に乗っ取られ、中国のプロ
 パガンダ(嘘宣伝)に使われていた。
  猿の惑星のサルは、日本人の暴動で、中国軍とアメリ
 カ軍の共同作戦で殲滅するというストーリーだという。
  この様な影響力の強い映画に、中国は、ありあまる「
 あぶく銭」を投入し、この様な方法で、日本の貶(おと
 し)め行為を相変わらずしている。
  (参考)猿の惑星(さるのわくせい)は、1968年のア
     メリカ合衆国の映画。
      ピエール・ブールによるSF小説『猿の惑星』
     を原作とする『猿の惑星』シリーズ全5作の第1
     作。
.
2017年1月、NHK横浜放送局営業部に所属していた40代の
 男性職員が、受信料数十万円を着服していた疑いがある
 と発表した。
  職員は、NHKが調査を進めていた2016年10月中旬に
 死亡したという。
  NHKによると、職員は、2015年~2016年、受信契約
 に関する架空の伝票を複数回にわたって作成。
  受信料を先払いしている受信契約者らの個人情報を悪
 用して、契約を解除したように装うなどして、払戻金を
 着服していたとみられる。
  NHK広報部は、個人情報を悪用された契約者への影
 響は「ない」とした。
  NHKは、今後も調査を続け、被害額を確定させた上
 で、遺族らに弁済を求める方針。
  「誠に遺憾であり、再発防止に努める」としたが・・
.
2017年12年20日、中国の「シャープパワー」に対抗せよ。
  日本経済新聞が標記の表題の記事を書いた。
  (これは、イギリスの雑誌「エコノミスト」12月14日
 号の記事の翻訳)
  シャープパワー:
  米ワシントンのシンクタンク「全米民主主義基金(N
 ED)」は、中国による一連の動きを「シャープパワー」
 と命名した。
  「ソフトパワー」は、その国の文化や価値観の魅力に
 よる強みを指すが・・、
  「シャープパワー」は、独裁国家が、外国に自国の方
 針をのませようと強引な手段に出たり、海外の世論を操
 作したりするためのもの・・、
  相手国の社会制度や文化伝統などを鋭利な、すなわち
 シャープな刃物で切り裂くように分断し、自国に有利な
 状態を作る戦略のこと・・、
  2010年のノーベル平和賞が、中国の人権運動の活動家
 で何度も投獄され、当時も獄中にあった劉暁波氏に贈ら
 れた。
  そして、ノルウェーのノーベル委員会が、劉氏の釈放
 を中国に求めた。
  中国は「内政干渉は許さない」とか「ノーベル平和賞
 は西側の利益の政治的な道具である」などと強硬に反発
 した。
  また、ノルウェーから輸入していた養殖サーモンの輸
 入制限などの経済制裁を実施した。
  ノルウェーは、ソルベルグ首相が、外務大臣と貿易産
 業大臣を伴って、2017年4月、中国を訪問し、習近平国家
 主席に面会し、「今後、中国の核となる問題については
 批判しない」という声明に署名した。
  ノルウェーと中国の関係は修復された。
  エコノミックパワーを利用し、自国の制度や文化を押
 し通し、相手国の制度や文化を切断したシャープパワー
 だった。
  韓国も同じ様に・・北朝鮮の弾道ミサイルの発射を早
 期に探知し、迎撃するために、2017年、アメリカが高高
 度ミサイル防衛システム(THAAD)の機器を韓国の
 ゴルフ場の敷地に搬入した。
  北朝鮮はもちろん、中国も反発した。
  韓国商品の輸入規制など報復措置を実施した。
  また、設置したゴルフ場が、ロッテ商事の土地であっ
 たため、中国はロッテグループを非難し、ロッテの商品
 の不買運動も行なった。
  そして、韓国の輸出の26%が中国向けだったため、大
 変な打撃を受けた。
  そして、さらに、韓国への中国団体観光旅行が禁止さ
 れたため、2017年11月末までの中国人観光客が、前年比
 で42%も減少した。
  このような背景から、2017年12月、国賓として中国を
 訪問した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に対し、
 中国高官との食事は昼食会2回のみで冷遇した。
  また、文大統領は、北京大学で、「中国の夢が全人類
 と共に見る夢になることを期待する」というゴマすりの
 講演を行った。
  中国のエコノミックパワーを駆使して、自国の主張を
 押し付けた結果だった。
.
2018年、今、中国は、100万人のウイグル民族の方々を幽閉
 している・・
  アメリカ議会は、これを問題にする方向。
..
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# by suba28 | 2018-12-21 03:30 | 皆様とともに 幸せになりたい

(増補版)622E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年3月)

題:(増補版)622E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年3月~1895年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1895年3月16日、参議総長の小松宮彰仁親王を征清大総督に
 任命した。
.
1895年3月16日、孫文らが興中会を組織し、清朝打倒運動を
 開始した、そして、広東攻撃を計画した。
  その後、広州で蜂起を計画したが失敗し、孫文は、日
 本に亡命した。
  興中会は、孫文が中心となって、ハワイの華僑らと、
 1894年に結成した革命的秘密政治結社だった。
  宣言で、清朝打倒、中華の回復、共和政体樹立(合衆
 政府の創立)を掲げた。
  1895年には、香港に本部を移し、拡大改組し、広東で
 武装蜂起を試みたが、計画が密告され失敗に終わった。
.
1895年3月20日、下関の春帆楼で日清講和会議が始まった。
  日本は伊藤・陸奥の両全権で、中国・清は李鴻章で、
 第1回会談が開かれた。
  前回は、清国が、講和のために交渉するには国書では
 なく、全権委任状が不可欠であることを理解していなか
 った・・そのため会議が成立しなかった。
  講和の会談前には、本国の元首、または、政府が授け
 るこの証書があって、その身分が代表であり権限がある
 ことを証明することと、それを確認することは必然なこ
 とであった。
  後日、この不備を、清国の全権講和使節だった二人は
 認めている。
  この不備は、アメリカ駐清公使に要請して書いた「西
 洋方式による国書の原稿を下書き委託した」ところにあ
 った。
  そして、特別な権限を授ける証明も欠如していた。
.
1895年3月23日、澎湖島の上陸
  台湾の西方約50kmにある澎湖島に、日本陸軍が上陸し
 た。
  大本営は、1月中から澎湖島への軍隊派遣の準備を進め、
 海軍の連合艦隊と共に、2月1日に、そのための混成枝隊
 (支隊)が編制された。
  混成枝隊の主力部隊は、3月8日に、広島の宇品港を出
 発し・・、
  翌3月9日に、下関で残りの部隊と合流し、佐世保港で
 海軍連合艦隊司令長官・伊東祐亨海軍中将の指揮下に入
 り、艦隊と共に台湾方面に向った。
  3月20日、澎湖島の沖合に到達し、上陸地点を島の東南
 部に決定し、
  3月23日、連合艦隊の沿岸砲台への攻撃と、陸軍部隊の
 上陸作戦を開始した。
  そして、澎湖島の中心地の馬公方面に向かう・・これ
 に対し、清国守備隊も迎撃し、激しい戦闘となる。
  3月24日、艦隊による援護の砲撃を受けながら、馬公攻
 撃を開始。
  深夜、清国軍は降伏を申し出て馬公が陥落した。
.
1895年3月24日、清国の全権大使の李鴻章が狙撃された。
  3月24日午後3時、李鴻章と日本の内閣総理大臣・伊藤
 博文、外務大臣・陸奥宗光が3回目の会談を行った。
  そして、会談を終えた李鴻章が、旅館への帰る途中、
 日本の暴徒(自由党員の小山豊太郎)に狙撃された。
  講和交渉に訪れた使節団の代表が銃撃されるという不
 祥事、国際的非難が日本に集まった。
  その後の講和交渉でも日本側は譲歩を余儀なくされた。
  幸いなことに、李鴻章の怪我けがは命にかかわるもの
 でなく、引接寺内に留まったまま治療を続けた結果、傷
 は快方に向かったため、講和交渉が決裂するといった最
 悪の事態は回避された。
  下関市民から李鴻章へのお見舞いとして、大きなガラ
 ス水槽に海水を満たし、魚や蛸(たこ)を入れて引接寺
 の病室に搬入したという話が伝わっている。
  この裏道が今も残る「李鴻章道」で・・、
  交渉は順調に進み、1895年4月17日、下関条約が調印さ
 れた。
  李鴻章狙撃事件(氷川清話)
.
1895年3月28日、鉄道局判任以下宿直及徹夜食料支給方を制
 定(公達第133号)
.
1895年3月30日、日清休戦条約が調印された。
  3月24日の第3回会談の帰途、李鴻章が狙撃され負傷す
 る事件が起ったため、日本側は休戦に応じ・・
  3月30日、休戦条約が締結された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:38°線が無くなる・・対岸に北朝鮮の核が来る・・
   そして、日本を裏切るNHK・・中国に利する放送をするNHK・・
.
紀元前2万数千年、ネアンデルタール人が絶滅した。
  そして、我々=現生人類(ホモ・サピエンス)の時代
 となる。
  ホモ・サピエンスは、現生人類が属する種の学名で・・
  ヒト属で現存する唯一の種(ネアンデルタール人など
 すでに絶滅した多くの旧人類も含む)
  そして、このホモ・サピエンスは絶滅危惧種なのか?
  核保有国が次々と増えて、今後の生存可能性は低下し
 ている。
  この我々=ホモ・サピエンスの祖先が、生まれた地=
 アフリカの地を出て、世界へ広く分布し、生息するよう
 になったが・・、
  この我々のホモ・サピエンス(現生人類)の前に、ア
 フリカを出た人類は・・多く居た。
  その我々のホモ・サピエンスの直前にアフリカを出た
 人類が、「ネアンデルタール人」・・
  最近、科学の進歩で、このネアンデルタール人の遺伝
 子が、我々のホモ・サピエンスの血の中にあることが分
 かった。
  絶滅したネアンデルタール人の遺伝子が・・
  現世に生きるのは「我々=ホモサピエンス(現生人類)
 だけか」と思われていたが、ネアンデルタール人と我々
 =ホモ・サピエンスは交雑し、結婚していた。
  「ネアンデルタール人は、絶滅していなかった」ので
 ある。
  我々の血の中に、その血は受け継がれ・・生存してい
 たのである。
  近代科学、遺伝子研究の発達が、そのことを知らしめ
 た。
  (参考)ネアンデルタール人は、約40万年前に出現し、
     2万数千年前に絶滅したとみられるヒト属の一種
     と説明されている。
      新しい学説では、4万年前に絶滅したという説
     もある・・が・・
      遺骨(化石)から得られたミトコンドリアD
     NAの解析結果に基づき・・、
      ネアンデルタール人は、我々の直系先祖では
     なく別系統の人類であるとする見方が有力であ
     り・・
      両者の遺伝子の差異は、他の動物種ならば別
     種と認定されるレベルであり・・、
      ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混
     血できなかったとする考え方が有力であった・・
      しかし・・、
      2010年5月7日のサイエンスに、われわれホモ・
     サピエンスのゲノムに、ネアンデルタール人の
     遺伝子が数%混入しているとの説が発表された。
     ・
     ・
     ・
354年11月13日、アウグスティヌスが生まれた(~430年8月
 28日、76歳)
  アウグスティヌスは、キリスト教が「教父」と呼ぶ、
  また、「聖」を付けて「聖アウグスティヌス」と尊称
 で呼ぶ・・その様な人である・・が・・
  アウグスティヌスには、次の言葉がある・・、
  「人間の性欲こそ、悪を制して善を選べない良い例で
 はないか・・」。
  放蕩生活をしていたアウグスティヌスだからこの様な
 ことを言うという言葉となっている・・
  この言葉は、キリスト教の根本教義である「アダムが、
 禁断のリンゴを食べて以来、人間に原罪が生じ、人間は
 罪を犯す様に生まれた」というキリスト教の根本教義を
 説明する時に、彼の口から出た・・のだが・・
  論拠の乏しいこの様なキリスト教の言葉は・・アダム
 のリンゴの「あり得ない話=神話」を信徒に正しい様に
 思わせ、洗脳し、マインド・コントロールし、原罪があ
 るからと、物事を悪い方向にばかり思い至らせている・・
 積極的・前向きには考えられないように仕向けている。
  アウグスティヌスでさえも、「性欲・・悪を制して善
 を行なう事は出来ない」と言う始末となる。
  この「聖」が付くほどのアウグスティヌスも、若い時
 の自堕落な経験が交って・・さらに、キリスト教の洗脳
 された頭から出てしまった言葉だった。
  若い時に、何人もの女性を泣かせ、たぶらかし、手籠
 め(てごめ)にする様な生活だった。
  男性と女性が、お互いに思いやり、尊敬し、尊敬され・・
  尊敬し合って愛し結婚に至り、幸せな家庭を築いて行
 くという前向きなプロセスを想像することのできない頭
 とされている。
  キリスト教の性悪説にマインド・コントロールされ・・
  アウグスティヌスでさえ、こような言葉となる・・考
 えとなる・・
  キリスト教の性悪説には感化されない様に・・
   ・
   ・
1837年、大英帝国の絶頂期(1837年~1901年)を代表する
 首相ベンジャミン・ディズレーリは・・、
  「世界は、舞台裏を知らない人には想像もつかない人々
 によって支配されている」と述べている。
  その人たちのことを、キグリー教授は、「国際銀行家」
 と特定している。
  (参考)キグリー教授:キャロル・キグリー(1910年
     11月9日~1977年1月3日)は、アメリカの歴史学
     者、文明進化の研究者。
      ジョージタウン大学の教授を務めた。
      多数の本を出版し、秘密結社なども研究した。
  その銀行と言っても、庶民が貯蓄や商業活動用の口座
 を開く民間銀行とは違う銀行で・・、
  イギリスでは「マーチャントバンカー」、
  フランスでは「プライベートバンカー」、
  アメリカでは「投資銀行家」と呼ばれ、企業に資金を
 提供する。
  産業革命発祥の地であるイギリス金融界を牛耳るのは・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社、
  ベアリング・ブラザーズ、
  J・ヘンリー・シュローダー、
  モルガン・グレンフェル、
  ハンブロス、
  ラザード・ブラザーズなど・・17社。
  これらの企業が本社を置くのは、ロンドンの中心部の
 約2キロメートル四方ほどの自治体を形成するシティ・オ
 ブ・ロンドン・・、
  ここに、ロンドン証券取引所、イングランド銀行(理
 事の多くは17のマーチャントバンカー)、ロイズ本社な
 どがある・・
  そして・・
  19世紀から現在まで続く金融センターとして、ニュー
 ヨークのウォール街とともに世界経済を牛耳り、手玉に
 取っている。
  そして、日々、変化する金(ゴールド)価格を決める
 のが、5人のマーチャントバンカー達・・、
  1919年9月に設立されたThe London Gold Market Fixing
 Ltdでの値段がゴールドの世界基準価格となる・・
  ここの値段は・・、
  サミュエル・モンタギュー商会、
  シャープス・ピクスレイ、
  ジョンソン・マセソン、
  モカッタ・ゴールドシュミットが、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社に集まり・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社が議長になり・・、
  午前10時半と午後3時の2回、値決めする。
  (参考)金の固定:ロンドンの金の固定は、専用の会
     議回線を通じて行われる金価格の設定・・、
      これは、以前はLondon Gold Market Fixing
      LtdのメンバーによってNathan Mayer Rothschild
     &Sonsの前で開催され・・
      ベンチマークは、 ロンドンの地金市場の各営
     業日の2回決定される。
      これは、ロンドン地金市場のメンバー間の契
     約を解決するための価格を固定するように設計
     されている。
  これら5人の銀行家は、17のロンドンのマーチャントバ
 ンカーのメンバー・・、
  N・M・ロスチャイルド&サンズ社は、イギリス・ロ
 スチャイルド本家で・・、
  ほかの4社は、ロスチャイルドの遠戚。
  長い間、世界のゴールド価格を左右して来たN・M・
 ロスチャイルド&サンズ社が、2004年に、金価格設定業
 務から撤退した。
  この時、他のメンバーも交代し、現在、ゴールド価格
 を決定しているのは・・
  スコシア・モカッタ(レバスコシア銀行の小会社)、
  バークレイズ・キャピタル、
  香港上海銀行USAロンドン支店、
  ソシエテ・ジェネラル(フランスの大手金融機関、ロ
 スチャイルド系)、
  ドイツ銀行の5社。
  議長は、1年ごとの交代制になり、1か所に集まらず、
 電話を使って・・アメリカ・ドル、イギリス・ポンド、
 ユーロの三つの通貨で値決めされる。
  ゴールドの価格は・・、
  「市場の需要と供給で決定されるのではない」。
  (参照)https://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1060689-84/
.
1924年頃、毛沢東は、プロパガンダ(嘘宣伝)に洗脳され
 ていた。
  毛沢東は、若い時(31歳、1924年頃)、中国・国民党
 に入ってプロパガンダの宣伝戦をやらされて居た。
  この時、毛沢東は、共産党から追放処分を受けていた。
  この時、孫文の後継者と言われた汪精衛に目を付けら
 れ、中国・国民党の中央宣伝部長代理の地位を与えられ
 た。
  そして、国民党の雑誌である「政治週報」の編集長の
 役まで昇進した。
  毛沢東が、日本に対して「あること、無いこと、嘘ば
 かりの嘘宣伝をやる」ことになるが、その様な性癖は、
 この時、身につけた。
  日本は、これに、大分(だいぶ)、してやられ、苦し
 められた。
  南京事件を、様々な欧米のジャーナリストを使って
 「さも、あったように作り上げた」
  その様な嘘作りの国民党宣伝部に、毛沢東は、鍛(き
 た)えられた。
  (参考)汪兆銘(汪精衛):おうちょうめい、1883年
     5月4日~1944年11月10日、中華民国の政治家・
     革命家。
     (中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的)
.
1950年代前半、毛沢東は、アメリカによる日本への原子爆
 弾投下に魅了された。
  そして、原子爆弾を持ちたいと強く願い続けた。
  毛沢東は、1950年代前半を通じて、すべての会議にお
 いて、「中国による原爆所有」について言及していた。
  しかし、毛沢東は、外交的配慮から、それを誤魔化す
 ため・・対外的には原爆への渇望を隠蔽し・・、
 「原爆など不要、人民に頼るべき」と発言していた。
  1946年には、「張り子の虎」発言を行っている。
   スターリンは、中国への技術供与を了承しなかった。
  1949年8月29日、ソ連最初の核実験が成功した。
   この成功により、アメリカによる「核兵器独占」は
   終わった。
  1950年6月25日、朝鮮戦争が始まる(~1953年7月27日)
  1953年2月2日、アメリカ合衆国大統領アイゼンハワー
   が、一般教書演説において、中国への原爆投下の可
   能性について言及し、中国に対して核使用による脅
   迫を行った。
    そのため、毛沢東には、スターリンに対して、原
   子爆弾の技術提供を要求する口実ができた。
    毛沢東は、中国の核物理学者の銭三強を、モスク
   ワへ派遣するが、ソ連はこれを拒絶した。
    しかし、銭三強は、以降も、ソ連の核研究施設に
   入れてもらうよう交渉を三ヶ月も続けた。
    1950年の中ソ友好同盟相互援助条約には核兵器に
   関する協定は含まれていなかった。
    スターリンは、中国に核兵器を持たせたくなかっ
   た。
  1953年3月5日、スターリンが心臓発作で死去する。
    スターリンの死後、ソ連指導部は、西側諸国との
   緊張緩和を目指し、中国へも停戦に協力するよう説
   得を始めた。
    しかし、毛沢東は、原爆を渇望するあまり、朝鮮
   戦争の継続に固執した。
    アメリカ軍が、細菌兵器を使用したというプロパ
   ガンダを巡って、ソ連政府は、中国政府を威嚇して、
   毛沢東は、1953年5月に、ようやく朝鮮戦争の停戦に
   応じた。
    毛沢東が、朝鮮戦争の終結に同意したため、ソ連
   新クレムリンは、中国に大型工業計画を売却する。
  1953年6月15日、これを受けて、この日、毛沢東は、
   軍事大国を目指した第一次五ヵ年計画を提起した。
  1954年7月、中国は、台湾侵攻を開始した。
   これは、再びアメリカとの対立を作ることで、ソ連
   に原爆製造技術を要請するためにしたことであった。
  1954年9月3日、金門島へ砲撃を開始した。
  1954年10月1日、ソ連代表ニキータ・フルシチョフが、
   訪中した(スターリン時代には考えられないこと)
    フルシチョフは、15企業の売却と5億2000万ルー
   ブルの借款を約束した。
    原爆については、毛沢東が強く交渉し、ソ連側は、
   中国の原子炉建設援助を不承不承承諾した。
  毛沢東は、核技術をソ連から買うために、「なけなし
 の資金」を投げ出した。
  その為、中国農民たちが飢餓状態になるという「飢餓
 輸出」が冷酷に行なわれた。
  中国を崇拝する日本の中国研究者の加々美光行でさえ・・、
  「毛沢東の大躍進や文化大革命は、毛沢東の決定的な
 誤りによる大失政である事は誰も疑わない」と言う如く
 であった。
  多くの中国国民の方々の人間性が破壊されるばかりの
 施策が行なわれた。
  毛沢東は、都合が悪ければ「中国国民党に行くような
 人間」で、また、粛清もするような人物である。
  この毛沢東の中国共産党は、スパイを多用した。
  その酷い例が・・、
  中国国民党に送り込まれた中国共産党のスパイは、出
 世をし、中国共産党軍との戦いで、わざと敗けてばかり
 していた。
  (参考)胡宗南:こそうなん、中華民国の軍人、国民
     政府に属した・・それまで軍功を上げていたが・・
      1930年11月、第1軍第1師師長に事実上任命さ
     れ・・その後、長征中の中国共産党(紅軍)
     討伐のため、胡宗南は陝西省南部でこれを
     迎撃したが、大損害を被って突破を許してしま
     う。
  胡宗南が敗北を続けたのは、中国共産党の周恩来によ
 って中国国民党に送り込まれた中国共産党のスパイとし
 て胡宗南の機密秘書となった熊が、何年にもわたって、
 胡宗南の作戦をすべて中国共産党側へ知らせていたから
 だった。
.
2000年、「GRU帝国第一巻」(コルパキジ、プロホロフ
 共著)が、モスクワで出版された。
  GRUは、ソ連軍諜報本部情報総局のことで、張作霖
 爆殺はソ連が実行したもので、日本がやったように見せ
 かけた・・と書かれている。
  その記述・・、
  「『グリーシカ』機関の実行したいくつかの工作の中
 でも、一番世間を騒がせたのは、1928年6月の張作霖爆殺
 だった。
  張作霖は、北京政権を牛耳り、露骨な反ソ連姿勢をと
 っていた。
  特別列車が爆破された時、張作霖の乗っていた車両の
 隣の客車にはイワン・ヴィナロフ(ティンゴンの部下)
 が乗車しており、事件現場の写真を撮った。
  謀殺は周到に計画され、日本軍の特務機関がやったよ
 うに見せかけた」。
  張作霖が、ソ連にかなり恨(うら)まれていたのは事
 実で・・、
  張作霖は、1927年4月、北京のソ連大使館に踏み込み、
 中国国民党とソ連が組んでいることを示す証拠を押収し
 たうえ、中国語に翻訳して大部の冊子として公表してば
 らしていた。
  また、1920年代、1930年代のソ連は、暗殺をするのが
 日常茶飯事だった。
  ソ連諜報部には、その様なことをする組織がたくさん
 あった。
  また、この様なやり方が、まったく一致している。
  この関連情報には、まだ未公開部分(公表不許可の
 部分)がある。
  ソ連の諜報やプロパガンダは盛んに行なわれていた。
  日本は、「世界制覇の野望がある」と偽装された事件
 さえある。
  その様なことが書かれている「田中上奏文」があると
 でっち上げられた。
  この「田中上奏文」も、ソ連のKGBの前身のOGP
 U(国家合同警察本部)が偽造した文書だと判明してい
 る。
  この「田中上奏文は、偽造文書とはっきりした」が、
 残念なことに、東京裁判の時は、前記の様な事が、まだ、
 不明で・・、
  この「田中上奏文」は重要視されてしまった。
  因みに、「田中上奏文」に、どんなことが書かれてい
 たかというと・・、
  日本が共同謀議して、「支那を征服せんと欲せば、ま
 ず満州・蒙古を征せざるべからず。
  世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざる
 べからず」・・と書かれていて、
  この文書を天皇陛下へ上奏されたとでっち上げられた。
.
2018年1月10日、38度線が無くなる・・韓国が北朝鮮に飲み
 込まれる可能性が大きい・・
  https://www.youtube.com/watch?v=B5vMbIJewV4
  韓国が無くなってしまう!
  藤井厳喜氏が語る。
  (参考)藤井 厳喜:ふじい げんき、1952年8月5日~
     日本の国際問題アナリスト、評論家、シンクタ
     ンク経営者。
  韓国が無くなる可能性が大きくなった。
  南北の朝鮮統一は、韓国が無くなる形となる。
  文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領が、それを望ん
 でいる・・
  表面は、朝鮮民族統一と美しく言っているが・・
  北朝鮮に「取り込まれてよい」としている・・
  一国二制度の方式がとられる・・
  高麗民主連邦共和国(金日成が提唱した南北朝鮮の統
 一方法)による・・
  一民族・一国家・二制度・二政府の下で連邦制による
 統一・・
  軍事は統一・・
  トップは、とりあえず北と南に居るが、アメリカ軍を
 韓国から追い出す事を目的とする・・
  統一されて北朝鮮の脅威がなくなれば、アメリカ軍の
 居る理由が無いというのが、その理屈で論理で行われる・・
  過去に、アメリカ軍が、朝鮮戦争で血を流して韓国を
 守ったという貢献・意義の話は・・雲散霧消している・・
  雲散霧消(雲や霧が消えてしまうように、物事が一度
 に消えてなくなる事・・
  朴槿恵(パク・クネ)は、北京に尻尾を振って行き、
 天安門の上から閲兵までするという親中国のそぶり・・
  これに、アメリカは、大変びっくりした・・
  ここまでするか?・・の状態・・
  韓国は、日本の共産圏との緩衝地帯という状況ではな
 くなった・・
  そして、アメリカ軍が、韓国から出るとなると・・
  韓国にある核兵器から何までも、持って出るアメリカ
 軍となる・・韓国から引き上げるアメリカ軍となる・・
  THAADミサイル(弾道弾迎撃ミサイル・システム)
 も持って帰る・・
  設置に大反対していた中国は・・にっこり・・
  こうなったら朝鮮戦争で亡くなったアメリカ兵の4万人
 の流した血=韓国を守った血は何だったのかになる・・
  大侮辱状態となる・・
  しかし、だらだら続けるわけにも行かない・・
  韓国は、アメリカの植民地と言って良い状況だったが、
 その韓国にナショナリズムの核(心棒)が無くなってい
 る・・
  核(心棒)が無くなった国=韓国を助ける事は出来な
 い・・
  経済援助・軍事援助も、結局、無駄になる・・
  南ベトナムも、それ(国家の核・心棒)が無かったか
 ら・・滅びた・・
  韓国も、今、国軍が腐敗している・・
  軍備も不備が多い・・
  手榴弾も正常に働かない・・
  自走砲も機能しない・・
  弾が逆に発射する状況・・
  危険な所に行く場合、親の許可を得ることがなされる
 事が慣習化しているという状態・・
  携帯で許可を得る兵に、上官がその携帯電話に出て説
 明するという状態・・
  軍ではない状態・・
  マティス国防長官も、この様な状況を見ている・・
  かつては、立派な軍人も居た韓国・・
  その様な軍人は、パージ(追放、公職から締め出すこ
 と)され、居なくなった・・
  残ったのは、利権あさりをする様な輩の状態・・
  売春斡旋や保険詐欺をする状態・・
  国民の信頼も失われている・・
  国の心棒の軍が、このありさまの韓国・・
  アメリカは、軍人が社会で尊敬されている・・
  韓国の愛国心が失われている今日(こんにち)になっ
 てしまった・・
  今、韓国の核(心棒)が無くなっている・・
  北朝鮮は悪いが、金というアイデンティティ(帰属意
 識)はある・・
  その点、何も無い韓国は、止めた元大統領を打ちのめ
 す様な国になってしまった・・
  韓国は、漂流状態・・
  北朝鮮は、核兵器は放棄しない、そのポーズはしてい
 るが・・
  文在寅韓国大統領は、アメリカとはまったく何も合わ
 ないという大統領・・
  選挙の時から親北朝鮮を表明していた・・
  だんだん親北朝鮮の方向へ進んで来た韓国・・
  財閥が叩きのめされている・・
  庶民に、財閥に対する怨嗟の声が満ちている・・
  サムスン財閥解体が取りざたされている・・
  文在寅韓国大統領も、財閥に否定的・・
  庶民の声に乗って動いている状態・・
  財閥が無くなったら韓国経済は終わる・・
  韓国の求心力も無くなる・・
  その財閥も、ほとんどが外国資本となっている・・
  サムスンも、ほとんどが外国人株主・・
  サムスンが儲けても、韓国の儲けにならない状態・・
  韓国の恨みの文化が、爆発する・・
  韓国GDPの2割を稼いで来た財閥がこの状態・・
  これが無くなったら後に何が残るの?という状態・・
  この最悪事態が起きれば、外国資本が総引き上げとな
 る・・
  韓国経済が、大変な状態となる・・
  今、輸出先が、中国で支えられている・・
  自由貿易を謳う中国は嘘・・
  意図的貿易をしている中国・・
  意図:目論見や目的や考えをもって「わざとするさま」・・
  WTO違反の中国・・
  中国に頼る韓国・・
  だから、言うべきことも言えない韓国・・
  昔の中国の冊封体制が思い出される状態・・
  サムスンの投資も空回り・・
  日本憎しをやることだけで韓国がまとまるという国状・・
  昔のまとまる「反共産の手」は使えなくなっている・・
  残されたのは反日だけ・・
  反共産をしなければ、北の核兵器の脅威もなくなる・・
  北朝鮮がやって来た「対南工作」が功を奏し始めてい
 る・・
  マスコミ、教育界(特に大学)、労働組合が、じわー
 っと親中国・親北朝鮮になった(日本もか?)・・
  韓国の一番の保守系新聞の朝鮮日報でさえ、親中国・
 親北朝鮮・・
  「親アメリカは、ほとんど無い」という状態・・
  大量の工作員がやって来た事が、この様な状況を作っ
 た・・
  日本のマスコミもこの状態・・
  日本以上が韓国・・
  言論の自由だと言ったって親中国・親北朝鮮になるた
 めの発言・・
  国防上で、アメリカや日本と連携する意思も無くなっ
 ている・・
  1976年、カーター大統領も引き上げる発言をしている・・
  韓国は、同盟国の名に値するか?・・
  信頼できるか?・・
  同盟の価値があるのか?・・
  一国二制度の道へ進むだろう・・
  これは、現政権の文在寅韓国大統領の公約・・
  国民へ、一国二制度でやると公約した・・
  38度線は、対馬と朝鮮半島の間に来る・・
  北朝鮮のテポドンやノドン・ミサイルは、この対馬の
 対岸まで来る・・
  竹島にも配備されるのか?・・
  日本の防衛構想は、それを前提にしなければならなく
 なっている・・
  対馬海峡の防衛強化・・
  緩衝地帯のない状態を、日本はこれから経験する・・
  北朝鮮の核兵器が、ここまで来る可能性が生じる・・
  アメリカにとっての緩衝地帯の喪失ともなっている・・
  南ベトナムと同様に進む韓国のこの先・・
  アメリカの兵士の血でタイの共産化が防げた・・
  シンガポールの先まで共産化しただろう・・
  ASEAN(東南アジア諸国連合)を守った血だった・・
  日本の赤化も守った・・
  今、ひしひしとその波が押し寄せる日本だが・・
  民主党~民進党の政権が続いたら(実際は、3年で終わ
 ったが)、とうなっていたか?、赤化していたのでは?・・
  そして、日米安保は解消されていただろう・・
.
2018年12月、起きてもいない南京事件を、「あった、あっ
 た」と言いたい中国政府
  2018年12月のニュースを見ていたら、中国政府が、中
 国国民に、「その日に車のクラクションを鳴らせ」とか、
 「黙とうせよ」とかの命令「法律を作って、無理にやら
 せようとする中国政府となっている」。
  中国国民の声も放送されて居たが・・「法律を作って
 無理に強制するのは意味が無い」と言っている映像が放
 送されていた。
  中国政府は、南京事件が「あった、あった」とは言う
 が・・中国政府は、「このようにして南京事件が起こっ
 た」とは言わない。
  起きてないことが、「言えるわけがない」。
  無理に言おうとすると・・
  「自国軍の中国軍が、日本軍を恐れて逃げて来る中国
 軍の自国軍を、逃げないようにと、日本軍と戦わせよう
 と、中国軍が、自国軍を銃撃して殺す」という話ばかり
 が出て来る。
  だから、中国政府は、「あった、あった」とだけを言
 うばかりとなる。
  中国は、スパイをあちこちに行かせるが・・、
  こんなスパイから「南京事件がでっち上げられて行く」。
  中国国民政府の宣伝部が、中国共産党に繰られていた。
  南京戦の時、邵力子(しょうりきし)は、中国共産党
 勢力から中国国民政府の蒋介石政権へ送り込まれ、中央
 宣伝部の部長になる。
  そして、プロパガンダ工作を盛んにする・・南京事件
 もでっち上げる。
  (参考)邵力子:しょうりきし、1881年~1967年、中
     国の政治家。
      上海の震旦(しんたん)書院を卒業。
      1908年、中国革命同盟会に入り,
      1910年、『民主報』創刊。
      1916年、上海の『民国日報』の編集長兼発行
       人となり、同時に大学で教えた。
      1919年、国民党加入。
       中国共産党創立時の党員であったが脱党し、
       国民革命期には国民革命軍総司令部秘書長
        (1927~31) 、黄埔軍官学校秘書長となり、
       蒋介石の信頼が厚かった。
      1928年、国民党中央政治会議委員
      1932年、甘粛省政府主席、
      1933年~1937年、陝西省政府主席に選ばれ、
       抗日戦争中は国民党宣伝部長、
      1940年、ソ連駐在大使。
       国民参政会秘書長を歴任。
      1948年、国民党革命委員会に参加して国共和
       平を主張
      1949年、人民政治協商会議に出席。
       国民党革命委員会常務委員、
      1954年、全国人民代表大会常務委員会委員(
       広東省代表)、人民政治協商会議全国委員
       会常務委員などの要職にあった。
.
2018年12月12日、まったくおかしいNHKの番組
  キリスト教に偏するNHKは、キリスト教が「日本を
 貶(おとし)める」ように、NHKも日本を貶める行為
 を年がら年中している。
  キリスト教は、「日本の国歌・君が代の斉唱に反対」
 したり、「日本の国旗の日の丸の掲揚に反対」したりし
 ているが・・、
  NHKも、あらゆるNHKの放送する番組で、日本を
 貶める行為や工作をしている。
  その一例が、「クローズアップ現代」である。
  2018年12月12日(22:00~22:25)のこの「クローズ
 アップ現代(辺野古移設)」について申し上げれば、
  この番組の80%の時間が「反対論の主張」に割(さ)
 かれているという大変不公正な異常状態。
  このNHKの番組のほとんどの放送の時間が、反対に
 ついて放送しているという状況・・
  「反対する市民の発言」が次々と続くという状況で、
 その反対論がほとんどと言って良い番組の放送状態・・、
 市民の賛成論は「まったくない」という不公正な放送番
 組の作り方であった。
  ただ、政府が説明している状態だけという「偏頗なN
 HKの番組の作り方」で、「賛成論がまったく無い」「
 賛成論を欠如した」という番組だった。
  普天間の危険性を無くすために、沖縄県の方々の基地
 負担を無くすために、この様な行動をしているという視
 点の放送が「ほとんど聞こえて来ない」というNHKの
 番組の作り方であった・・
  市民の賛成論を「削った」「まったく無くした」とい
 う番組だった。
  NHKの2人の解説員までが反対論で、また、NHKア
 ナウンサーまでが反対論で・・放送できる状態が成立し
 ない不公正な番組だった。
  日本国民を片寄った偏頗な方向に洗脳しようとする番
 組の作り方であった。
  完全に「放送法違反の番組」だった。
  日本を裏切るNHK・・結局、中国に利する放送だっ
 た・・
  (参考)偏頗:へんぱ、片寄って不公平なこと。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

# by suba28 | 2018-12-18 05:11 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


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