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根性悪(こんじょうわる)が気に入らない・・、

 題:根性悪(こんじょうわる)が気に入らない・・、
  新しく生まれ来た方々には、無限の可能性があるのだ、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の論理は、何とも自分勝手で、『浅はかな論
理』に思える。
 キリスト教聖職者が・・言う・・、
 「キリスト教は、罪からの許しを、もっとも大きなテー
マとしている。そして、その『罪の許し』の最大の特徴は、
そうした罪が、もう既に、許されているという事にある」
・・と、
 そしてまた・・言う・・、
 「人間が、罪に対してあれこれ努力をしても、そして、
功績を積んでも駄目なのだ、そして、それ故に『罪の許し』
があるのではなく、もう既に、我々の罪は、許されている
というのである」・・と言う。
 そして更に言う・・、
 「キリストが、十字架上で犠牲になる事によって、我々
の罪は許されたのである」・・と、
 そして、「その事が、喜びに繋(つな)がるものでなけ
ればならない」・・と、
 そして、「人は、責められるよりも、許されて成長する」
・・と、
 そして、「既に許されているという事は、我々を安心さ
せ、生きる勇気を与える」・・と、
 「否定される自己が回復する事ほど大きな希望はない」
・・と、
 「この様に神がして、神による肯定が存在しているので
ある」・・と、
 そして、「罪だらけで、否定せざるを得ない自分の現実
を、神が『そのままでいいんだ』と受け入れてくれるので
ある」・・と、
 「自分の居場所のない人も、神は受け入れるのだ」・・
と、
 以上が、キリスト教の教義の論理展開である。
 キリスト教の考え方である。
 キリスト教は、勝手に、人には罪があると有罪にし、
 そして、その罪は、既に、許されているとする。
 人間が努力しても無駄で駄目なのだと、『人間の努力を
駄目』と洗脳する。
 キリスト教は人間の努力を駄目と洗脳する、やる気を削
(そ)ぐ宗教。
 そして、その許される状態にしたのは、イエスが十字架
上で死んだからだとし、ありがたく思いなさいと・・、
 そして、人は責められるよりも許されて成長すると、我
田引水的に言う。
 そもそも、『罪がある』と責めているのはキリスト教の、
あなたです・・・?? 
 そもそも、あなたが勝手に、人を有罪にしているのです、
『罪つくりのあなた』になっているのです、
 そこに罪があるのです・・本当の重い罪が・・あなたに
あるのです・・、その事に洗脳されて悩む方々が居るので
す・・
 無益な罪つくりなら止めなさい・・、
 『無実の人間』を勝手な論理で、あり得ない話で、勝手
に有罪にして、既に許されているからと言ったかと思えば、
 人を罪に落とすような責められるという話よりも、
 許されるという話の方が成長すると、
 イエスが既に十字架の犠牲で、あなたは許されています
とは??
 こんな回りくどい話はしないで欲しい、戴きたい。悩む
方々のことも思いなさい・・
 今までの話は何だったのだ??・・と言いたい・・
 結局、恩を売りたかっただけではないか??
 自分で、勝手な話をデッチ上げて、人を罪に落しておい
て・・、
 こう言うやり口は、「語りの詐欺まがい」になっている。
 最初の、事の始めだって、アダムが食べそうな所に木を
置いて・・、
 アダムがうまそうだと食べたら、アダムに罪が発生した
と・・、
 アダムだって、代々の、後々の子供たちまで続くという
罪に落ちると思えば・・食べないです・・
 それをあなた(神)は、ただ、食べるなよと言っただけ
・・、それなら、少しだけならと、アダムだって食べます
・・あなたの言い方が悪かったのです・・
 しっかり食べるな・・と、理由をかみしめて言わなけれ
ば駄目です、そんなに重大な事ならなおさら・・
 だから、その罪が・・、アダムだけに、その罪があるの
かと思ったら、その子供たちへも、代々、その罪があるの
だなんて、古い話だ・・、
 島崎藤村の「破戒」ではないが・・、代々、生まれつい
ただけで・・、
 代々、その重荷を背負って行くというのは、おかしな考
えだ・・論理展開だ・・おかしな風習ではないか?? 
 自分には、何ら落ち度のない罪を背負っていると設定す
るとは・・卑劣な「なすり付け」です・・
 倫理観は極度に低い宗教です・・
 親の罪を被(かぶ)らせるという、キリスト教のこの設
定は・・、古い風習の中で、考え方で、出来た話だ、
 聖書記述者の・・まったく古い考え方からできた筋書き
だ。
 古い、どうしようもない封建的な考えの中にあるキリス
ト教だ。旧習の宗教です・・、
 この逆が・・、逆の考え方が、正しいのだ・・、
 新しく生まれ来た方々には、無限の可能性があるのだ、
 仏にまでなり得るという「佛性」があるのだ。
 そこへ行くと、このキリスト教の、この「古い風習」そ
のままの話の展開は、最低な話の展開です・・、
 話の初めの禁断の木の実のなる木を、元々、置いた神の
思い遣(や)りの無さが仇(あだ)となった愚(おろ)か
しい話の展開にしても、
 そして、この話を信じる者だけを、この他のこの類いの
話で、じくじくと虐(いじ)めて、程度の悪い話で困らせ
るとは??
 そもそも、こんな窮地(きゅうち)に貶(おとし)めな
いで下さい。可哀想なキリスト教徒の方達。卑劣な宗教よ。
 また、アダムとイブ夫婦に・・幸せな安心の生活を造っ
てやってほしかった。
 こんな落とし穴を作って、罠(わな)にはめる神の根性
悪(こんじょうわる)が気に入らない。
..
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by suba28 | 2014-09-29 04:56 | 皆様とともに 幸せになりたい

今後、二度と不幸なことが起きないように・・、

 題:今後、二度と不幸なことが起きないように・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 キリスト教は、いつの時代も、「権威が欲しい」が第一
の目標となっている宗教、そして、それが、性癖となって
いる。
 キリスト教の行動を見ていると、民衆を救うということ
よりも、権威が欲しいと、そして、その権威を得るために
も、金が欲しいとなり、その金を目当てに色々な悪い事を
している。
 その1例が、資産家の女性を魔女とし、自前のキリスト
教裁判所で魔女裁判までして、魔女処刑をし、その魔女の
資産を没収した。
 そして、この『権威が欲しい』は、キリスト教が出来た
頃からであった。
 その初期の頃より以来、その権威が欲しいの気持ちを持
ち続けているキリスト教なのだ。
 キリスト教の歴史は、「権威だ」「権威だ」の権威の歴
史だった。
 それは一時期、『権威を得なければ』としなければ、立
ち行かない立場にもあった、そして、その様な宗教だった
と言える。「権威を得ねばならない様な宗教だった」と言
える。
 初期、キリスト教のできる頃の信徒は、ユダヤ人だけ、
 そのユダヤ人から権威を得るためには・・と、考えれば、「
 キリスト教と何ら関係ないダビデを引き出し、そして、
利用することが一つの方法だった。
 ダビデと言えば、「ユダヤ人の唯一の英雄」。
 キリスト教聖書に記載されて、そのダビデが生きていれ
ば言うだろう、「キリスト教?そんな宗教、全然、知らな
いよ」・・と。「キリスト教なんて何も関係ないよ」と。
 キリスト教は、ただ関係のないダビデを利用した。
 キリスト教以外のユダヤ人の方々は、さぞ怒ったでしょ
う。民族の英雄をよくも利用したな・・と。
 「マタイによる福音書」は、ぬけぬけと書いた・・、
 「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムは・・」・・と。
 一般のユダヤ人の方々が信じていた「ダビデはメシア・
救世主だ」という信じる所に、丸々乗っかって、そして、
その中にイエスが居るという構図にして、聖書に書いてし
まったという所。
 そして、ダビデで権威づけた文の中で、イエスを「イエ
ス・キリスト」と言ってしまったという図。
 ユダヤの方々は、「さぞ、カンカンになって怒った事で
しょう」。
 ユダヤ教が、主な宗教であったユダヤの地のユダヤの方
々へ、ユダヤ教を破門された、ごく少数の信徒の集まりに
過ぎない「原始のキリスト教」が、こんな事を言い出し、
ユダヤの方々は、怒ると共に、「このカルト宗教め」と思
った事でしょう。
 信じられないDNAを最初から持つキリスト教は、最初
から権威が欲しい、信じてくれの歴史の中で、イエスを、
ユダヤ民族のスーパースター、ダビデの後裔(こうえい)
としたくて仕方なかった。
 しかし、そのダビデを、聖書に書き込んだという行為は
・・、ユダヤ人が対象ならいざ知らず、この小さな少数の
一民族だけの事ならいざ知らず・・、
 TPOが「まったく、アウト」。
 時代錯誤だし。ユダヤ民族だけの英雄だし。
 キリスト教聖書は、時代の中で、完全に消耗しきってい
る。
 何ら信じて幸せになれるというものではありません、ま
た、宗教ではありません。
 ダビデが、ユダヤに繁栄をもたらした王様だと言ったっ
て、「風呂をのぞき見したダビデ、そこで見た女性を手に
入れたいと、その女性の夫の自分の部下を、卑劣な行為で
殺し、その部下の妻を奪い取るという最低の輩」。
 何ら、信仰するに足る人物では、微塵もありません。
 だから救世主という論理は、疾(と)うの昔に消え去って
います。
 そんな人物の権威に寄り掛かる宗教は、クエスチョンで
す。キリスト教にある、昔からある「その様な心根(ここ
ろね)」が、クエスチョンです。
 皆様を幸せにしたいとか、幸せになって下さいが第一に
来なければならない宗教の目標なのに、自分の事ばかり考
えるキリスト教という宗教。
 昔から、自分の利しか考えない宗教。
 キリスト教は、何しろ、最初から、宗教理念が低い宗教
です。
 特に、「マタイによる福音書」は、「権威が欲しい」「
権威が欲しい」の福音書です。
 信じるのは自由ですが、その所を「どうなのかな」と、
思いながらお読みください。
 この様な聖書をいくら読んでも、天から声は、聞こえて
きません。
 だから、聖書作家としての「マタイの想い」が余計に見
えて来て、逆に、マタイの幼稚さも見えて来ます。
 古いユダヤの家系の権威にすがったマタイなのです。
 今・現代、ダビデなど歴史上の人物、その権威などどう
でもいい社会。
 また、グローバルの時代の今・現代には、歯牙にも掛か
らない霞みの彼方(かなた)の事。
 この様な聖書、何度も読む様なものではありません。
 また、この様な書物で、決して人類は救済されません。
 「マルコによる福音書」から10年から20年、時を失った
頃に、「マタイが、こんな事を考えましたという代物」と
いう図となっている。
 イエスを「デッチ上げたいマタイ」の図。
 虚構で、でっち上げの図。
 しかし、なんと・・、今・現代でも、キリスト教は、こ
の図を、延々とやっている。
 権威を付けたいというマタイ、聖書作家として下手糞な
事をしているのだ。
 『イエスは、ダビデの家系の人だ』と単純に書いていれ
ばいいものを、
 イエスの父・大工さんをしていたイエスの父ヨセフを持
ち出す。ここで話がややこしくなる。
 イエスの父ヨセフを、ダビデの家系の者だと入れてしま
ったのだ。
 マタイは、筆を滑らせ、イエスと血が繋(つな)がって
いないイエスの父ヨセフが、ダビデの末裔(まつえい)な
のだと書いてしまった。書きたい事が書けるにしても、こ
れは失敗だ。
 当然、イエスが救世主になる前に、イエスの父ヨセフが、
救世主になってしまった。
 そうなる事を、マタイは、知ってか? 知らずか? マ
タイは書いてしまった。
 だから、本当は、このヨセフが、「真の救世主だったの
かもしれない」。
 この様なキリスト教聖書の記述、こんな聖書の記述を信
じて、人を殺しに行く事だけはしないで下さい。
 虚構・デッチ上げと共に、矛盾を抱え込むキリスト教な
のだ。
 真実、イエスには、兄弟姉妹が、大勢、居た。
 (「マルコによる福音書」6・3)に書かれている、
 「この人(イエス)は、大工ではないか。マリアの息子
で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹
たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と。
 そして当然、この大勢のこの兄弟姉妹は、「ダビデの家
系のイエスの父ヨセフ」の血を引く「ダビデの家系の子供」
である。
 ここを、キリスト教は、訳では「兄弟姉妹」となるが、
正確には「弟妹」だと、不正確なこと言い、言い訳に努め
る。本当に、聖書は「言い訳が、本当に、あちこち、多い
言い訳だらけの本だ」。
 ならば、キリスト教は、「弟妹」と早くすればいいのに、
一向にしないのは、その基本の底本「マルコによる福音書」
の記述が正しいからである。
 最初の福音書のマルコが記述する頃は、まだ、イエスは、
普通の人間だったのだ。
 イエスの父が「神だ」とは考えられていなかった。
 次の世代のマタイが、イエスの父ヨセフを、救世主の家
系に入れてしまうが・・。
 まだ、マルコの時代には、イエスは、普通に兄弟姉妹が
居る人間だった。
 皆、キリスト教徒でさえ、その様に思っていたのだ。
 イエスは、洗礼者ヨハネに洗礼される必要のある人間だ
った。
 「処女懐妊だ」「ダビデを持ち出し、救世主の後裔(こ
うえい)だ」・・なんて言う作り話なんて・・まだマルコ
には・・、
 まだ、その様な、『夢の様な・・作り話』が、なされる
なんて思ってもいなかったのだ。
 正直者のマルコが、正直に、事実を、書いたのだ。
 最初の福音書だし・・、
 だから、イエスには「兄」や「姉」が居たのが事実。
 だから、イエスに権威が欲しいという欲求が・・、その
後の福音書の「マタイによる福音書」や「ルカによる福音
書」に求められ・・、
 夢の様な嘘話し、作り話が、記述されて行く。
 嘘記述が、ますますエスカレートし、後になればなるほ
ど、酷(ひど)くなる。
 そして、その信頼性は喪失して行く、
 その様になって行く事を知らない、浅はかな記述だった。
 この様な聖書に、キリスト教に、洗脳されて、戦争など
を起こすようなことがないように・・、今後、二度と不幸
なことは起きないように・・。
.
 (参考)疾(と)うの昔 とっくに過ぎ去った昔。ずっと以
   前。「問題は―に解決した」「―から決まっている」
..
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by suba28 | 2014-09-29 02:31 | 悲惨な戦争を無くせないので

目を覚(さ)まして下さい。

 題:目を覚(さ)まして下さい。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
...
 キリスト教の教え:『キリスト教における死について』
の文・・
((これは、死を讃美するという、害ある文です。
また、自死(じし)の勧(すす)め的な文でもあります。
注意してお読みください)):
 「キリスト教聖書は、死を勝利ととらえ、楽観的にとら
える。決定的勝利だと、キリスト教では、死を勝利として
位置づける。すなわち、死は、人間から力を奪い取り、す
べての力を無にしてしまう神の勝利なのだ。そして、すべ
ての事柄は死から始まる。それが聖書の示す死である。キ
リスト教においては、死からすべてが始まる。「死から生
へ」という力が働くという死生観に立つ。クリスチャンは
決して死なない。聖書が告げる死、それは、完全なる死で
あり、全存在的な死である。キリスト教信仰がとらえる死
は、神によって与えられた統合された一人の人格が、肉体
も霊魂も含めて完全に死に絶える事、一切の被造性が破壊
されて、神によってすべてが救い上げられる事なのである。
すべてが神の支配の中に置かれる。我々に命を与える神は、
死をも、暗闇をも支配し、決定的な勝利を告げるのである、
死を支配し、死に勝利される神が、同時に死だけではなく
我々の生をも支配されるのである」・・と。
 上記の文を理解できましたか? 分かりましたか? 
 ただ、ただ、キリスト教は、理由を説明せず、勝手な押
し付けで、上記のような事々を、押し付けるという宗教。
 そして、洗脳され、マインド・コントロールされる。
 マインド・コントロールされたら、分からなくなる、
判断できなくなる。恐ろしいことです。
 江戸時代、徳川幕府は、キリスト教のプロパガンダ(嘘
宣伝)で、大変、酷(ひど)い事をした様に、受け取られ
ていますが、
 本当は、温厚な日本人なのです。
 捕えるにしても、穏便(おんびん)に、穏便(おんびん)
に・・という幕府の思いがあったのです。
 この様な所が伝えられずに、ヨーロッパの様な、酷(む
ご)いやり方の様に、印象付けられ、そして、ヨーロッパ
の様な事々が、日本でも、行なわれたのだろうと思い込ま
され、そして、その先入観と、錯覚で・・、
 そして、キリスト教によるデッチ上げで、作り上げられ
ている。
 悲惨であれば、あるほど、キリスト教にとって都合が良
いのだ。
 幕府は、本人で無くても、家族や知人でも、「止めると
の意思表示さえあれば、許した」のだ。
 また、たとえ捕えられても、刑場の柵の一部は開けてあ
り、逃げたければ逃げられるという、『逃げる事は自由』
となっていた。日本人は、優(やさ)しい民族なのです。
 取り締まりが厳しかったのは、ほんの一時(いっとき)
で、ヨーロッパの様に、何百年も、じわじわと陰湿に、民
衆の方々をいじめ抜くという様な事は、日本はやっていま
せん、やって無い。やっても、上記の様な、穏便なやり方
なのです。
 そして、すぐに幕府は、キリスト教の信仰は、『黙認の
態度』になっています。キリスト教は、嘘ばかりプロパガ
ンダします。キリスト教に偏するNHKも注意を要します。
 江戸時代、その取り締まりをやっていた一時期(いちじ
き)、その様な取り締まりの状況の中で・・、
 キリスト教宣教師たちは、『殉教』を美しいものと洗脳
しました。卑劣な洗脳です。
 日本には、まったく無かった『殉教は美しいのだ』の考
え方を洗脳しました。卑劣なやり方です、宗教です、死を
信徒の方々に強要したのです。
 だから、キリスト教の信徒の方から、子供を連れて出頭
して来る人も居たくらいでした。
 そこに、死を美化するキリスト教の教義があった。
 上記の文が、その一つです、一端です。
 卑劣なキリスト教の教えです。
 「キリスト教は死を勝利ととらえ、楽観的にとらえる」
と言っていますが、これは実体とは、まったく違います。
 ニュース番組で、アメリカの要人(ようじん、要職にあ
る人)の葬儀の模様を見ましたが、報道していましたが、
 墓に棺(かん)を納める時、家族は、皆、泣いていた。
 日本と全く同じ、その要人の死を悼(いた)んで、悲し
みにくれて、泣いていました。
 楽観的などと・・よくも他人事のように言うものだと、
キリスト教の教義を・・軽蔑します。
 この様に、キリスト教国の人々が、悲しみ泣く状況は、
よく目にします。
 「キリスト教は、決定的勝利だと、死を勝利として位置
付ける」は、呆(あき)れるほどの・・嘘(うそ)です、
 よくもこんなウソを公言するものだと、改めてキリスト
教を軽蔑します。
 だから、上記の文は空理空論です。
 読むに価(あたい)しない。信仰するに価しません。
 こんな論理に洗脳されて、マインド・コントロールされ
て、不幸にならないこと、洗脳されない事、しない事。
 愛するお母さんが・・、御両親が・・亡くなられたら・
・、大いに涙を流して・・悲しんで下さい・・、悲しんで
差し上げて・・下さい。
 下手(へた)に・・我慢すると・・きっと、後(あと)
で・・心が・・壊(こわ)れます。
 後で、大きな負担が、心にやってきます。
 キリスト教は、ひどいことを・・悪の教えを・・広めて
います。
 『完全なる死だ』なんて、勝手に言いつのっているだけ
です・・。目を覚(さ)まして下さい。
..
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by suba28 | 2014-09-27 15:48 | 皆様とともに 幸せになりたい

人間は、無限の自分の自己決定・決断の中で存在している。

 題:人間は、無限の自分の自己決定・決断の中で存在している。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の生まれた地・砂漠は・・、
 動物の死体は、骨だけになって残る・・、
 そしてまた、
 僅(わず)かにあっただろう草木は・・枯れ、
 そして、風に吹かれ、
 砂漠の砂と共に・・何処かに・・吹かれ、
 砂漠の砂と共に・・何処かへ・・、
 消えていく・・、
 痕跡もない・・、跡かたもない。
 そこへ行くと・・、
 朽ちて倒れた草木が・・、また、草木に限らず動物も、
 朽ちても土に還(かえ)り・・、
 また、新しい芽吹きを得る。
 新しい命の誕生が、そこここに・・見られる。
 新しい命の芽吹き、新しい命の復活が・・、
 そこここに・・見られる。
 これが宗教観の違いに・・大きく関(かか)わる。
 豊かな・・そこここの・・新しい命の芽吹きに・・、
 新しい命の誕生に・・感謝する。
 豊かな自然の営みに、命の誕生の神秘と・・力に、
 そこここの神や仏のおわします姿に感謝し、礼拝する。
 その様な地に・・生まれ・・そして、育まれたのが仏教・・、
 そして・・、
 佛教の本を読むと、
 本当に・・実に数多くの人々が「釈尊の所へ、教えを乞
おうと、はせ参じ、仏法の教えに接し、そして・・、
 真理を会得して、そのまま釈尊に帰依した」という記述
が・・、
 実に多い・・。
 キリスト教のイエスにおいて、その様な話は、一つもな
い。
.
 そして、次の話。
.
 キリスト教聖職者の司祭の森一弘氏は・・、
 修道会に入って一生懸命努力して居ても、壁の存在を常
に感じていたと言う。
 無味乾燥な感じもし、悶々(もんもん)としていたと言
う。
 キリスト教徒で・・『頑張るな』と言っている鎌田實氏
なら、
 ここで「そんなに頑張るなよ」って言うだろうが・・、
(実は、鎌田實氏は、非常に頑張って『頑張るな』とあち
こちで言っている、テレビやラジオの出演や、雑誌などマ
スコミに頑張って多く関わっている、また、この鎌田氏の
出演活動などを支えているのは、鎌田氏のスタッフの方々
が、鎌田氏が不在でも、頑張って支えて居られるからなの
だ。何しろ、頑張って社会に貢献することが、大切なのだ)
 また、『頑張るな』のキャンペーンをするキリスト教も
「そんなに頑張るな」って、頑張る森氏へ言うだろうが・・、
 そして、森氏は、イエスではなく「マリアの夢」を見て
何かふっ切れたと言う。
 イエスでなくて良いのかどうか? 分からないが、
 また、三位一体の神でなくて、いいのかどうか? 分か
らないが・・、
 森氏は、ここで、神に委(ゆだ)ねて、生きようと思っ
たと言う。
 マザーテレサさんは、正直な人で、死ぬまで、とうとう
『(キリスト教の)神は不存在だった』と悩んだ。
 そして、とうとう、(キリスト教の)神は出て来なかっ
たという人生を送った方。
 キリスト教の神の不存在の悩みの中の人生だった。
 森氏が言うような、神に委(ゆだ)ねて生きると言った
って無責任な生き方だ。誠実な生き方ではない。最後まで
神が出ない場合もあるのだ。
 マザーテレサさんの様に、神は居ないと正直に悩みなが
らも、インドの可哀想な方々を救う仕事を、一生懸命、正
直に、そして、努力し、頑張って努めた方が、美しく見え
る。
 悩まなければならない神なのである。
 居るか? 居ないか? 分からない、そんな、あやふや
な事に委(ゆだ)ねて・・、
 自分は、何ら、アクションを、『しないという人生』『
生き方』。
 しかし、マザーテレサさんが居ないと悩んだ神が、夢の
中か、『幻聴』か、『幻視』かは知らないが、出て来たと
森氏は言い・・そして、決断したというが・・、
 そうだとしても・・、何らかの方向へ行動を起こしたと
しても・・、それを神の示唆だと思うのか?
 自分の意思が、自分の背中を押したと思わないのか?
 深層心理の自分の意思が・・ふわっと浮かび上がったと
思わないのか?
 深く思っていた、深い自分の決断が・・決定した瞬間だ
ったのだ。
 人間は、生活して行くにおいて、びっくりするほど、ま
た、自分で認識できないほど数多くの決断を、自分でして
いるのだ。
 そこに「神が介在していると思っている自分が居る」の
だ。
 その決断を、しっかりしたいと願い、思う、自分も居る
のだ。
 何もしないで「ぼけっと」した人間は、「ぼけっと」終
わってしまうだろうが、それはそれなりに、自分がする決
断の連続の中に存在しているのだ。大きな決断、小さな決
断、決断に見えない決断、などなど・・。
 キリスト教の、ただただ神を待て、神にゆだねろは、『
悪の教え』だ、人間を破滅に導き・・破壊する。
 この無気力さは・・心も破壊する、悪の教えなのだ。
 人間は、無限の自分の自己決定・決断の中で存在してい
る。そして、頑張り社会を支えるが正しいのです。
..
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by suba28 | 2014-09-27 03:22 | 皆様とともに 幸せになりたい

人間が・・神になってしまうのです・・、

 題:人間が・・神になってしまうのです・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖職者が・・言う・・、
 「キリスト教聖書で言っている様に、キリスト教の神が、
人間を創ったという創造主と・・被造物という人間との・・、
神と人間との間に『上下関係』がある」・・と。
 また、聖職者が・・言う、
 「キリスト教の神は、人間に、『自然を従えよ』と言っ
た。ここに、人間と自然の間に『上下関係』がある」と。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が・・言う、
 「キリスト教は、神・人間・自然を・・、『上下関係』
として捉(とら)えています」・・と。
 そして、「『創られたもの』としての人間は、決して、
『創ったもの』になることは出来ないのです」・・と。
 ここで、はっきりしたいのが・・「自然」である。
 このキリスト教の神の言う『自然』は・・、「地球の自
然を言っているからである」。
 当然、地球外のものも自然なのだが・・、
 地球以外のものも・・自然だとして捉えると、キリスト
教によくある「矛盾」が生じるのである。
 つまり、『宇宙すべての自然を従える人間』となってし
まう。
 宇宙すべての自然を従える人間となると・・、
 「人間が・・神になってしまう」。
 キリスト教の神は、『人間は神になれない』と言ってい
る。
 ここに・・矛盾が「発生している」。
 キリスト教は、「キリスト教の神が、宇宙を創造した」
と言うが・・、しかし、しかし、なのである。
 そのキリスト教の教義は、地球の中で成り立つ思考の教
義となっている。
 その自然が・・、人間が従えるその自然が・・、
 宇宙のすべてを含んだ自然だと考えると・・、
 その自然たる宇宙を従えた人間は、キリスト教の神と
『同一の神』となってしまう。
 この様な矛盾は、キリスト教には一杯あるが・・、これ
は、『基本中の基本』の大問題である。
 キリスト教の神が言っている事は、この様な事になって
いるのである。
 現代の科学は言う、「太陽は、膨張しています」・・と。
 その時まで、人類は存続できないのだが・・、例え・・、
キリスト教が言うように、人類が・・存続できたとしても
・・、
 人間は・・地球もろとも太陽に飲み込まれ・・吸い込ま
れ・・、
 人間が、『宇宙全体の自然を、従えるような事など、到
底(とうてい)、出来ない』のである。
 明らかに、キリスト教の教義・考え方は、『間違ってい
る』のである。間違った考え方で、正しい判断なんて、で
きないのである。そうだと不幸が訪れてしまいます。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
 「人間は、徹底的に、人間でしかあり得ないのである」
・・と。
 「だから、そこに、キリスト教は、人間の平等を説いて
いる」・・と。
 この言い方は、拡大解釈、極まりない言い方である。
 キリスト教は、序列、極まりない宗教である。
 神の下に・・聖職者を置き、頂点にいる神の意志を、そ
の下の聖職者が聞き、その聖職者の下にいるキリスト教の
信徒へ、上意下達するのだというキリスト教の考え方・教
義、キリスト教のヒエラルキーの序列の世界・・、
 その聖職者だって・・身分、階級が・・細かく上下関係
がなされていて・・、中には足の引っ張り合いをしていて、
エルサレムでは聖職者が乱闘している。
 また、天使だって「大天使だ」、何々天使だと序列だら
け。
 キリスト教は、何処にも、平等や平等観なんて無い宗教。
 序列の宗教、階級の宗教なのだ。有色人種は、劣等だと
年がら年中、言っていた宗教。
 話を捻じ曲げ、作り出して嘘を言う聖職者たち。
 そんな姿の中で・・宗教が成り立っている。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
 「神に支配されているという意識を持つと、人間が、人
間を支配しようという考え・意識はなくなる」・・と。
 これは自分に都合のよい話へ、合理性なく、論理性なく、
引き込んでいる。
 これはまた、キリスト教聖職者の序列の一つを見たって
・・おかしいと思う。
 キリスト教の神を説くキリスト教の聖職者の世界が、何
故、あの様な序列・ヒエラルキーの世界になって居るのか?
 また、神の使いの天使の世界も・・序列だらけだが、こ
んな事は言えたもんではない。
 キリスト教の神は、隣国の富を奪いに攻め込ませて・・、
 「奴隷にせよ」「奴隷にせよ」と叫ぶ、
 キリスト教の神が率先して、人間を、人間以下にする「
奴隷にしろ」と言っているではないか? 差別しているで
はないか?
 キリスト教の神が、率先して、人間を人間以下にする卑
劣な事をしているではないか? 差別観を植え付けている
ではないか?
 キリスト教は言う、「神の人間支配は良いが、人間が人
間を支配すると、危険をまき起こし不幸になる」・・と。
 そして、キリスト教は、この事例として「ヒットラーや
ムッソリーニや日本の戦時体制」を言う。
 これは、第二次大戦の不幸な時代をわざわざ持ち出して、
キリスト教の神を美化しているに過ぎない。
 この様な不幸な人間関係の時もあったろうが・・、キリ
スト教の例にした事例が悪いだけ、不幸な人間関係は一杯
ある。ドイツのヒットラーは、キリスト教に被(かぶ)れ
て、ユダヤの方々に大変酷(むご)いことをした。
 キリスト教の論理展開は、何か素直ではない。
 ひねくれた論理展開だ。
 ただ、キリスト教の神を、美化したい論理へ持ち込みた
いだけだとしか見えない。
 お母さんが、愛情溢れた目で見て、子供を導く姿は、微
笑(ほほえ)ましい姿に見えます。
 導く、そして、導かれるという関係です。
 時には、厳しく言う時もあるでしょう。
 キリスト教の仕方はこれでない、そして、見方は、短絡
的で狭いです。
 キリスト教は、どうしても、論理が正しく正常に組み立
てられない宗教。どうしようもない宗教。
 そして、直しようもない宗教です、関(かか)わってて、
このどうしようもないところに陥(おちい)って、
 解決しない・・どうしようもない・・この事に、あなた
の大切なものが、失われていくことになります。
 あなた方を救い出したいので、この様な事を書かせて戴
きました。
..
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by suba28 | 2014-09-26 23:47 | 皆様とともに 幸せになりたい

本当に聞けるなら・・キリスト教の神から聞いて、知ってて下さい。

 題:本当に聞けるなら・・キリスト教の神から聞いて、知ってて下さい。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の神の下に・・キリスト教聖職者が居る・・、
 キリスト教の聖職者は、お手盛りで、その地位を、立場
を・・作っている。
 そして、キリスト教聖職者の下に置かれた「キリスト教
の信徒」の方々・・、
 その信徒の方々へ、キリスト教聖職者が、キリスト教の
神の意思を伝えるという組織・序列・ヒエラルキーが、キ
リスト教の立場の・・関係図・・、
 そして、キリスト教の神は、何でも知っていて、何でも
できる・・としている。
 だから逆に・・人間は、何にもできないし、そんな状態
ではないのだと・・、キリスト教はしている。
 因(ちな)みに、キリスト教聖職者は人間で、半分、神
だとかではなく、やはり人間で、何にも知らないし、何も
できないという人間で、その範囲では、信徒と同じ類いと
している・・
 その様な立場の・・キリスト教聖職者が言う・・何でも
知っている神の様に・・、
 「人間は、キリスト教の神の様に無から有を生み出すこ
とはできない」・・と・・、
 そして、キリスト教聖職者は、色々と神の代弁者だとし
て、話す・・が・・、
 神の代弁者として・・話すが(神の下に居る者だとして)
・・、だが・・、
 結局は、人間として知り得たこと・・のみ・・を・・、
 人間として・・感覚で感じたことを・・その人間として
得たことを材料にして話すという・・人間の類い・・とな
っている。
 そして、この人間として感じたこと、このキリスト教聖
職者は、自分の五感で感じられた事が『正しい」として、
古代にキリスト教が出来た時には無かった、この今・現代
のキリスト教聖職者の独自の、また、現代に生きている事
によって知り得た知識も神のものとして、自分で作って出
来た自分のキリスト教を宣(のたまう)。
 「人間は無から有は創り出せない」・・と・・、
 ならば・・、その「無」なのだが・・、
 まず、「無」の世界は・・存在しないと現代科学は示唆
する・・のです。
 人間の・・キリスト教聖職者は、その様に感じて、神の
代弁者だ・・神の意志だ・・として、そう言うが・・、
 1例として、物質を例にすると・・、
 今、最先端の現代科学は・・、人間に認識できる物質は、
何と・・3割なのだと言う。
 人間の・・キリスト教の聖職者の方々は、その様な事を、
キリスト教の神から聞いていましたか? 聞いていなかっ
たでしょう・・、驚かれたでしょうと、言いたい・・です
 実に、7割という多くの物質が、このキリスト教聖職者も
含めて・・認識できないのです。
 キリスト教聖職者は感覚で思ったことを言いますが、人
間は、物質に取り囲まれて、その物質のすべてが認識でき
て居ると思って居るのは・・錯覚なのです。
 「ない」と思っているものが・・「ある」のです。
 無だ、有だ・・というのは、言葉の遊びになっているの
です・・、
 『認識できない世界』の・・物質だけでもこの始末、
 すべて分かった様な口を聞くキリスト教聖職者という図
となっています。
 この様な、狭い領域だけでも、分かった様な事を言って、
キリスト教徒の方々を繰(く)る操(あやつ)るキリスト
教聖職者・・
 まったく無責任、極(きわ)まる結果になっていると思
います。
 こんなキリスト教聖職者に繰られていて、幸せになれる
はずはありません。
 物質だけの「有る」という話と、「ない」という話でも
この様なことなのです。
 物質以外の話に至ると、神の代弁者のキリスト教聖職者
の方々は何も知らないと言えてしまうことになります。
 本当に聞けるなら・・キリスト教の神から何でも聞いて、
知っていて戴きたいと・・思います。
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by suba28 | 2014-09-20 01:23 | 皆様とともに 幸せになりたい

今、キリスト教は、新たな宗教弾圧者に、なろうとしている。

 題:今、キリスト教は、新たな宗教弾圧者に、なろうとしている。
 (長崎のキリスト教関連の世界遺産登録は、嘘を作ろうとしている)
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 日本人は、本当に、温厚な民族だ・・、
 その1例・・、
 キリスト教の日本の禁教の歴史の中で・・、
 江戸幕府は、そう厳しい取り締まりをした訳では無かっ
た。
 それが、ヨーロッパ社会と同じ様な取り締まりが、日本
で行なわれたと・・錯覚されている・・錯覚させられてい
る。
 この主な原因者は、キリスト教とNHKである。
 この錯覚があるとキリスト教には都合がいいのである。
 厳しい取り締まりのあった中を、信仰を守ったとしたい
のである。
 キリスト教は、その様な嘘宣伝・プロパガンダを盛んに
している。
 また、キリスト教の偏するNHKも、ひたすら「キリス
ト教は、虐(しいた)げられた」という嘘番組を放送し続
けている。
 キリスト教禁教例以後、1600年代の半ば以降、徳川時代
のごく初期から、事実上、徳川幕府は、キリスト教取り締
まりからノータッチとなった。
 そして、幕府の『信仰の黙認』もなされている。
 研究論文に、「17世紀半ば以降は、信仰が事実上黙認さ
れていた」とある。
 この事実を知らないNHKは、キリスト教が弾圧を受け
続いたと放送し、明治になってキリスト教が自由になった
という歴史観で、間違った歴史観で、キリスト教に偏する
放送をし続けている。
 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録
申請も、この歴史観から申請しようとしている。間違いで
ある。
 その申請主旨の、「弾圧の中、信仰を忘れず、カトリッ
クに復帰した」というのは嘘である。はっきりした嘘であ
り、デッチアゲである。
 2016年の世界遺産登録を目指すと言うが、嘘・デッチ
アゲで登録を目指すというのは恥ずかしくないのか?と言
いたい。
 長崎県平戸市生月島(いきつきしま)の方々が、明治に
信仰が認められた時でも、カトリックにはならなかった。
 それは、信徒の長老の言葉でその理由が分かる・・、
 「(カトリックの人から)一緒にならんかと言われたが、
元は同じでも拝み方が違う。先祖の教えは絶やせない」・・
である。
 もう、今の状態は、キリスト教から程遠い、仏教や神道
などと習合して、キリスト教とは別の、キリスト教と異質
な宗教に・・変容しているのである。
 キリスト教だって、節操無く色々な宗教と習合し、また
集合するという・・習合のごちゃまぜの宗教であるという
ことを忘れないで戴きたい。天使だって、他の宗教からの
拝借品、借り物・・、その他にも、たくさんあります。
 この九州の長崎県平戸市生月島の方々の宗教は、キリス
ト教では、「最早(もはや)、ない」のである。
 このキリスト教と別な宗教に変容した宗教も尊重して差
し上げなければならない。
 それを、キリスト教は必死に戻そうとしているが、新た
な『宗教の改宗の弾圧になる』ということを、キリスト教
は知らねばならない、悟(さと)らねばならない。
 今、キリスト教は、新たな『宗教弾圧者』に、なろうと
している。世界遺産登録は無理である。
..
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by suba28 | 2014-09-18 16:25 | 皆様とともに 幸せになりたい

魔女による大量殺戮は、ローマ法王の指令で始まった。

 題:魔女による大量殺戮は、ローマ法王の指令で始まった。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1484年、ローマ法王のインノケンティウス8世が・・、
 回勅(指令)で・・、
 魔女の逮捕と裁判を・・、
 異端審問として行うことを・・正当だとした。
 この卑劣なキリスト教の悪行為は、300年にもおよぶ期
間も続いた。
 これまで、キリスト教は、何だかんだと、敵対するもの
を「異端だ」として、この異端審問所で、死刑にして来た
が、この魔女も、ローマ法王・教皇の、この『おふれ』で、
悲惨な歴史が始まった。
 この異端審問所は、魔女裁判所ともなった。
 殺戮の輪転機は、魔女でも回り始めた。
 そして、多くの女性が、魔女として、焚刑で焼き殺され
た。
 この悪行為は、長い魔女殺戮の歴史は、続き、15世紀末
には、最盛期に達し・・、
 教会に行かないというだけで・・焚刑にされた。
 また、植民地の原住民の方々まで・・魔女として焼かれ
た、弾圧である。
 主に、カトリックが行ったが、プロテスタントもやり出
し、キリスト教は・・どの宗派もやった。
 魔女の、財産没収が目当ての・・悪行為だった。
 キリスト教は・・資金を欲しがった。
 この魔女殺戮は・・18世紀の半ばまでの長い期間・・続
く、長い卑劣な殺戮の歴史が・・刻まれた。
 しかし、キリスト教は、今・現在でも・・この悪行為を
どどこ吹く風として言う・・
 「キリスト教会も人間が作ったもの、間違いはある」と、
悪びれず言う始末となっている。
 それでも宗教者なのですか?・・と、怒りがわく。
 あまりにも、多くの女性の方々の命が、亡くなっている
のである。
 この方たちへの思いやりの「ひとかけら」もない。
 キリスト教は、この様な宗教なのだ。
 きれい事は言っているが・・、
 キリスト教が・・家族へ言う、「体の中の悪魔を火によ
って追い出すのだ」・・と、非科学的極まりない・・
 この非科学的なやり方 極まりもないものを、キリスト
教は、逆に、「慈悲深い科学的方法だ」と言う。
 非科学的なところが、次々と出て来る宗教が、何をかい
わんやである。本当に怒りが涌く。
 今・現代でも、キリスト教は、悔い改めていない。
 キリスト教は、処刑を「見せしめ」にもするという非人
道的なやり方をした。
 そして、薪の代金までの一切合財(いっさいがっさい)
を被害者家族に請求した。
 そして、キリスト教は、この非人道的行為を、日本の徳
川幕府もしたと、自分の極悪行為を棚に上げて、徳川幕府
になすりつける事をする。
 日本は焚刑ではないのに、キリスト教は同じだと嘘を言
う。
 また、日本の場合、本人でなくても、本人以外の人、家
族とか知り合いでも・・「止めた」と「ひとこと」言えば
許された。
 徳川幕府は、穏便に事をおさめたかった。
 踏み絵にしても、キリスト教は、ひたすら・・仕切りに
厳しくプロパガンダ(嘘宣伝)するが・・、事実は違った。
 そして、刑場の柵も・・一部が開けてあり・・、逃げた
い者は・・逃げられる様にしていた。
 あまりにも・・キリスト教が、ヨーロッパでやった事が
酷(ひど)いので、
 また、キリスト教の嘘宣伝もあり、同じ様な事が、日本
でもなされたのだと・・錯覚され・・誤解されているが、
 日本人のやった事は・・穏やかだったのだ。
 人数も、ヨーロッパに比較にならないくらいの少人数だ。
 期間も、1650年までの・・ほんの徳川時代の初期だけの
事だった。
 これもキリスト教は嘘ばかり言う・・、
 ヨーロッパ中の空が・・魔女を焼く煙で・・けむったと
・・言われているぐらいであるのに・・、日本は、その様
なひどい事はまったくと言っていいほど・・していない。
 キリスト教は、ひたすら酷(ひど)く・・日本の事を言
う・・、子供まで焼いたと言う。
 これは嘘である・・逆である。
 キリスト教は・・「殉教だ」、「殉教だ」と殉教を美化
して・・キリスト教徒の方々を洗脳した。
 その為、子供連れで出頭して来る人も現れるという状態
だった。
 キリスト教は、本当に嘘ばかり言う。
 キリスト教の魔女裁判での殺戮は、約300年にも及ぶと
いう長い期間・・執拗(しつよう)に、陰湿に行なったが、
 そして、キリスト教は、日本でも、明治になって禁教令
で解かれるまで、日本でも行われたというが・・、これも
真っ赤なウソ、
 ほんの徳川時代初期の・・一時期だけなのである。
 キリスト教は、助産婦の方々もターゲットにした。
 キリスト教の財源であった医療関係の競争相手であった
助産婦の方々を・・この魔女で、殺戮した。
 当時、医療技術が端緒に付いた頃で・・、キリスト教は
財源と権威を求めて、この大学の医療と関係を持った。
 その時、この助産婦の方々が邪魔となった・・、
 当時、ヨーロッパの助産婦の方々は、家庭医の役もして
おり、薬草学にも秀でており、この助産婦の方々が、夜、
薬草を煎じる姿が・・魔女とされた。
 西洋には、東洋の漢方の様な薬草学のノウハウがあった。
 しかし、キリスト教のこの弾圧で、西洋の薬草学は滅び
た。大きな人類の損失である。
 キリスト教に偏するNHKは、キリスト教の代弁者の如
く、殉教の酷い日本だの嘘放送を、繰り返しした。
 このNHKの放送も、真の姿を捻じ曲げて、日本の方々
に印象付け、NHKが、嘘の原因者となっている。
 公正ではない、キリスト教に偏するNHKである。
.
 (参考)かい‐ちょく【回勅】 ローマ‐カトリック教会で、
   教皇が全教会の司教または信者にあてて、教会全体
   の重要問題について書き送るラテン語の手紙。回章。
..
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by suba28 | 2014-09-18 03:36 | 皆様とともに 幸せになりたい

「日本にも原人がいた」は、捏造だと判明しました。

 題:「日本にも原人がいた」は、捏造だと判明しました。
.
 本日(2014・9・17)に、本ブログに記載させていただ
きました「日本にも・・原人がいた」は、捏造だと判明し
ました。
 参考として、下記のURLをご覧ください。
 誠に申し訳ございませんでした。
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2003/20030814.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/kyuusekki.html
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by suba28 | 2014-09-18 00:26 | 皆様とともに 幸せになりたい

日本にも・・原人がいた。

 題:日本にも・・原人がいた。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本にも・・原人がいた。
 驚くべき事実・・である。
 「北京原人」や、「ジャワ原人」に、匹敵する原人であ
る。
 いや、それ以上の、歴史を遡(さかのぼ)る原人なので
ある。
 この日本の原人は、「上高森原人」と言う。
 この上高森原人は、1993年(平成5年)の発見にその端
緒(たんちょ)がある。
 1993年に発見された場所は、仙台市の北にある古川市
近くの築舘(つきだて)という町で発見された。
 約50万年前と判定された石器が、45点発見された。
 この遺跡は、「高森遺跡」と言われたが・・、
 それから1年後の1994年に・・、
 同じ築舘町の上高森遺跡から、およそ60万年前と見られ
る地層から、火に焼かれた跡がある石器、10数点が発見さ
れた。
 先の発見より・・さらに10万年さかのぼる発見であった。
 しかし、更に後に、土中から環状に石器を並べた埋納遺
構(まいのういこう)が発見され、やはり60万年前のもの
と判定された。
 そして更に、1998年には、上高森遺跡で、10センチメ
ートル深い所に埋まっていた13個の石器に、年数判定で、
約78万年前まで・・さらに遡(さかのぼ)る事が出来るの
ではないかと言われる遺跡が発見されている。
 時代区分では、「旧石器時代の前期」に相当する。
 因(ちな)みに、日本列島は火山灰地で酸性の為、人骨
は、破片程度でも見つかるのも極めてまれという状況。
 当然、石器の発掘と検証に依存する事になる。
 また因みに、縄文時代の草創期は、今から12000年前の
紀元前1万年である。
 先石器時代が日本にあるとは言われていたが・・その年
代が判明してきた。
 アフリカの東側に南北に連なる山脈のふもとの原に・・、
 樹上で生活をしていた人類の祖先が・・、
 その原に降りた所から・・
 人類の発生の歴史は・・始まったと言われている。
 その山脈が、人類のその祖先を・・外敵から守ったのが、
樹上生活から降りて・・原での生活を可能にしたという。
 人類の祖先は、その原での生活の中で・・立つ生活をす
るようになり、脳の発達が促(うなが)された。
 やがて、人類のその祖先は・・、その地から世界へと広
まって行った。
 かつて、日本には・・原人は居ないと言われていたが、
 この度の発見で、その人類の祖先は、日本にも達してい
たのだ。
 大陸と陸続きであったためであろう。
 日本の原人の最古が、78万年前まで遡(さかのぼ)った
が・・、
 北京原人やジャワ原人は、その日本の原人の後、約20万
年の後となっている。
 人類は生活を求めて、世界を移動していた。
 そして、このアジアの地で発見された原人の最古の原人
が・・日本に居たのだ。
 縄文人が紀元前1万年前であるので、この日本の原人と
の繋(つな)がりは無いとは考えられる。
 それにしても・・日本史は、一気に、78万年前まで遡
(さかのぼ)って語らねばならないという歴史となった。
 また、その歴史を持った民族となった。
 古い歴史を持った民族という・・、
 その重い歴史と共にある日本を・・、
 その地に居るという・・『誇りを持とう』。
 日本は、先住民を殺してできた国ではない、また、原人
がいるという重い歴史がある国なのだ。
..
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by suba28 | 2014-09-17 01:11 | 皆様とともに 幸せになりたい


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