<   2014年 06月 ( 24 )   > この月の画像一覧

その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く

 題:その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教 ヨハネ伝に・・、
 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて
在るらん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・
とある。
 ・・・が、・・しかし、
 これを読んで思うことは・・、
 「キリスト教が、パレスチナの地に、イスラエルの地に
落ちて、西欧の地に伝え広まらずにおれば・・
 唯(ただ)一つの地の民も、殺されずに・・、滅するこ
ともなく、幸せな時を持てたのに・・と、思う。
 数々の無念の死もなかったのに・・と・・、
 しかし、広まりて・・、亡くなりし民、極めて多く、
 泣く母、また、極めて多し・・、
 そして、キリスト教、その母の命をも、また奪いし」。
 「誓うべし・・、亡き多くの民に誓うべし・・、
 その誓うべきこととは・・、
 キリスト教を次の世代に、伝え行くことを『断つること』
・・を、誓うべし・・、
 そして、亡くなりし多くの民のことを思い・・祈れ、そ
して、涙せよ」
 「そして、また思う・・、
 その民の一人でもが・・、
 その無念の死に・・キリスト教によって至らされたその
死に、その民の一人でもが・・、
 その民の一粒でも、無念の死から逃れ、死なずば・・、
 唯(ただ)一つにて在らん・・、
 もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・と。
 そして、この様な再生が・・ある様に・・、
 キリスト教も言いし『この様な再生』がある様に・・、
 もの事は、すべて次なるものへ、再生され行くもの、こ
れが理(ことわり)なり。
 『初め』と思いしことも・・、
 『始め』と思われし時も・・、その理(ことわり)から
再生され、そして、出(いだ)されしもの・・、
 故に、再生されしものの『前が在りし』が理(ことわり)。
 その『始まり』は・・極めて遠くの以前に辿(たど)り
行きて・・、
 そして、無始となり・・、
 また、尊(とうと)い再生も・・、
 『終わり無く続きて』・・
 無終となれり・・、
 無始無終となれり・・。
 これが、真。
 佛教の理(ことわり)なり。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-30 13:45 | 皆様とともに 幸せになりたい

同じ民族と・・同じ信仰をする者だけの・話

 題:同じ民族と・・同じ信仰をする者だけの・話
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、愛の宗教ではありません。
 愛についてなど、ほとんど言っていません。
 そのほとんどが、選民だとして自画自賛した民族が、生
き残ることと、戦争のことです。
 キリスト教は愛の宗教と言いますが・・嘘です。
 愛の宗教へ「逃げ込まざるを得ない状況」だから、その
様に、必死になって言っているだけです。
 キリスト教がよく言う嘘となっています、プロパガンダ
(嘘宣伝)です。
 キリスト教の聖書に、僅(わず)かに、愛を言っている
ところがあります。
 キリスト教の聖書に、「愛する者たちよ、愛し合おうで
はないか」と、愛し合おうと呼びかけています。
 キリスト教は、声を大きくして、「キリスト教は、愛の
宗教だ」と言いますが、キリスト教学者でさえ・・、
 「そうではない」ということを、示しています。
 キリスト教学者は、キリスト教の根幹の教義を説いてい
ますが、愛など、ほとんどないことを示しています。
 キリスト教学者は、キリスト教の教義の根幹・考え方を
説明する中で、愛の話から遠く離れた「キリスト教神学A」
とか、「キリスト教神学B」だとかと説いています。
 キリスト教が、その愛の宗教だなんてことを、まったく
説明していません。
 そして、そして、最後の方になってやっと・・、「僅(
わず)かだ」という表現を使って説明しています。
 『キリスト教には分量は多くなく(僅か)」・・として、
キリスト教の愛の話の僅かなことを示し、キリスト教の愛
の説明をする。義理を果(は)たすかのように・・。
 キリスト教は、今、「キリスト教は、愛の宗教だ」「愛
の宗教だ」と言いますが、これは、一般の方々を完全に惑
(まど)わす言葉となっています。
 誠実なキリスト教ではありません。
 人々に誤認混同(ごにんこんどう)を起こさせています。
 このキリスト教学者が、キリスト教の愛の宗教の事例だ
と例示した僅かな事例なのが、それが・・、冒頭の「愛す
る者たちよ、愛し合おうではないか」の言葉です。
 キリスト教が、あれほど『愛の宗教だ』と言うのなら、
キリスト教の聖書の「あちこち」に、愛のことについて書
かれているのかと思われるでしょうが・・、まったく違い
ます。
 キリスト教の聖書に書かれていることは、先にも言いま
した「民族生き残りと戦争のこと」です。
 キリスト教が、民族の生き残りを祈る宗教ですから当然
なことです。
 愛の宗教は、それこそ「キリスト教という宗教が、宗教
として、生き残りをかけて、前面に持ち出した」だけのこ
とです。
 キリスト教の、そのわずかな愛の話も、「愛する者たち
よ、愛し合おうではないか」の言葉の様に、キリスト教の
神が愛し合おうと呼び掛けただけに過ぎません。何ら深い
話でも何でもありません。
 キリスト教の有名な「隣人愛」の話も、「同じ民族」で、
しかも、「同じ宗教を信じている人」への愛です。
 その狭い・偏狭(へんきょう)な愛なのです。
 キリスト教は、都合が悪いので、このところは、ひた隠(
かく)しにしています。近頃は、その言葉「隣人愛」は、
あまり言いません。
 キリスト教は愛の宗教ではありません。
 キリスト教は、プロパガンダ(嘘宣伝)で、愛の宗教の
様に思わせているだけです。
 キリスト教の基本的スタンスは、「愛し合おうと呼びか
けても、愛さない者は神を知らない者だ」とするスタンス
です。聖書に記されています。
 これは、神の救いがおよぶ人は、キリスト教の神を信じ
る者だけだと同じスタンスです。
 結局、キリスト教の神は、キリスト教の神を信じない者
を「異教徒」として、キリスト教の教義の「異教徒は殺せ」
と殺されるスタンスの中に存在する・・と同じ様に、そし
て、異端として、異端者として存在すると同じ様に・・、
 愛についても同じことになります。キリスト教の神を知
らない者となります。
 キリスト教は、キリスト教に博愛がある様に言いますが、
とんでもないのレベル。
 キリスト教には、博愛の精神はまったくありません。
 そしてまた、キリスト教の基本的スタンスは、「人には、
生まれながらの原罪がある」と、人を性悪に捉(とら)え、
信じない異教徒は殺せと、『愛も同じく』、愛さない者は
神を知らない者として排除をする。
 こんなのは愛でも何でもありません。
 勝手に、まったく勝手に、神の愛によって、ひとり子を
この世につかわしたと・・愛がある様に『作り話』を、言
うが、信がなければ排除する様に、愛さないものも排除す
るに帰結(きけつ)します。
 キリスト教には、否定者を受け入れる大きな度量(どり
ょう)はありません。
 大きな度量を持たない宗教、まったくない宗教。逆に、
排除・殺す宗教。
 異端者として排除し、異教徒として排除し、愛さない者
として排除する。愛とはほど遠い宗教というのが真実。
 付け焼刃で作られた「キリスト教の愛の神学」は、底の
浅い付け焼刃です。
 「愛し合うなら、キリスト教の神は私たちの中にどとま
る」。すべて、この考えにとどまり、これ以上になれない
キリスト教の教義の愛。
 博愛のかけらもない。
 愛さない者は、見捨てられ、切り捨てられる。挙句(あ
げく)の果ては殺される。
 同民族的の中の愛の話。
 そして、愛さない者は、永遠の生命は持てないと、罰の
話を持ち出し、脅(おど)し、精神的な、卑劣なストレス
を与える宗教次元。低次元のキリスト教。
 この様な宗教は、次世代に引き継いではならない。また、
キリスト教徒のあなた方も・・幸せにはなれません。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-30 02:07 | 皆様とともに 幸せになりたい

そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。

 題:そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 南米などに居られたインディオスの方々・・、
 そのインディオスの方々は・・スペイン人のキリスト教
徒とキリスト教聖職者たちに・・殺された。
 その殺されたインディオスの方々の『金(きん)』は・
・何処へ行ったのか・・??
 今、何処にあるのか?
 当然の如く、その奪われた金は、その卑劣な殺戮者たち
の本国・・スペインへ運ばれた。
 奪い取った者とスペイン王との『山分け』という事だっ
たが、奪い取った者たちは『誤魔化していた』。
 歴史家は、その悪事を、白日のもとにした、その悪行為
が明らかとなっている。私腹を肥やしていたという。
 何処までも悪いことをする奴らだ。
 キリスト教徒とキリスト教聖職者たちは、50年間も・・
インディオスの方々を殺戮して廻わり・・、そして奪い取
り、得た・・金(きん)を・・、
 キリスト教聖職者のラス・カサスは・・、
 『このままでは天に召されない』と・・、
 50年間、さんざん殺しまくった後に、罪の意識に苛(さ
いな)まれ、本国のスペイン王とその臣下及び関係者たち
に報告した。
 聞いた王様たちも、あまりの惨(むご)さに、そのすべ
てを聞けなかった。
 そして、簡潔でよいから報告書にまとめよ・・と言った、
 そう言って出来た報告書が・・今、岩波文庫の本『イン
ディアスの破壊についての簡潔な報告』・・となっている。
 最近、『世界大百科事典』などに、嘘の記述があるので
注意を要する。
 『世界大百科事典』も、そのあまりのひどさに・・、
 真実が書けなかったという事なのか???
 たが、嘘の記述が多いという事は、誉められたことでは
ない。
 殺された方たちの、『無念の心・気持ち』までもを、握
りつぶそうという事なのか? 卑劣の極みである。
 例えば、卑劣な行為をしたキリスト教聖職者のラス・カ
サスについて・・、
 『ラス・カサスが、インディオスの自由と生存を護るた
めに精力的に活動した』と記されている・・が、酷(ひど)
い嘘だ。まったくの嘘の記述だ。
 ラス・カサスが、『キリスト教徒』と呼んだスペイン兵
と・・、
 ラス・カサスたちのキリスト教聖職者たちが・・、
 一緒になって、殺されたインディオスの家へ行って、出
向いて、『金を奪っている』ことも、この報告書に、はっ
きり記されているのだ・・。
 また、目の前で、インディオスが殺されているのを、助
けようともしなかったキリスト教聖職者ラス・カサス司祭
なのだ。責任は免れ得ない。綺麗に書くどころではない。
 この殺戮を始める前に、ラス・カサスは、本国のキリス
ト教に問い合わせをしている。
 その時、本国のキリスト教からの返事には・・、
 インディオスの方々を、「人ではない」という、返事を
返信し、ラス・カサスは、その様な見解を貰っている。
 この様なキリスト教からの見解・返事も影響し、殺戮行
為が、あまりにも惨い、殺戮行為となったと言える。
 遊びの様にインディオスの方々を殺している。
 赤ん坊を・・岩に叩きつけたり・・、
 インディオスの方々を・・並ばせて、立たせて・・、
 槍で、何人を突きとおして殺せるか? などということ
を、ラス・カサスの目の前でやっている。まだまだ惨い事
がこの記録には数々が書かれている。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、何も言わずに見てい
た。もしかすると、一緒になって、何かをしていたかもし
れない・・。
 キリスト教には、古代にも、アフリカの方々を、「人間
ではない」と言っている記録がある(この時はエチオピア
の方々)。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、褒美(ほうび)とし
て、インディオスの人々を奴隷として貰っている(「エン
コミエンダ」と言われている)。
 この悪漢・キリスト教聖職者ラス・カサスは、ありがた
く貰っている。
 これがキリスト教聖職者かと、憤りが心底から沸く。
 ラス・カサス自身も言っている・・、
 「キリスト教の布教の活動をするより、世の中の、世俗
の利益に目がくらんで、その利益の追求に心を奪われ、専
念した」・・と。馬鹿めと言いたい、また、『世界大百科
事典』は、どこを見ているのだ・・。
 とんでもない野郎たちだ、そして、キリスト教聖職者だ。
 この様にして奪い取ってきた金は・・、
 当然、受け取ったスペイン王からスペインの地へ、
 そして、そのスペインの地を通って、ヨーロッパの地へ
と流れて行った。
 そして、そのインディオスの呪いの込められた金は、殺
されたり、そして、騙(だま)されたりして、取られた金
などは・・、
 キリスト教の大聖堂や、王の宮殿を飾る、装飾に使われ
た。
 キリスト教に偏するNHKは、それを『綺麗だ、綺麗だ』
と、NHKの放送媒体を使ってよく放送する。
 キリスト教国に偏するNHKだ。
 表面的には、綺麗に見えるキリスト教大聖堂も、無念に
殺された『インディオスの方々の金』なのである。
 その無念の死を、そのきれいな大聖堂の向こう側には、
その卑劣な事実が存在するのだ。
 NHKよ! その事実を、インディオスの方々の無念の死
を、知れ、思やりなさい、思い出しなさい、そして、祈っ
て差し上げなさい。
.
(資料1)エンコミエンダの成立:エンコミエンダは、ス
   ペイン王室が、スペイン人入植者に、その功績に対
   する王室からの下賜として、一定地域の先住民を「
   委託する(エンコメンダール)」という制度であり、
   エンコミエンダの信託を受けた個人をエンコメンデ
   ロと呼んだ。征服者や入植者にその功績や身分に応
   じて一定数のインディオを割り当て、一定期間その
   労働力を利用し、貢納物を受け取る権利を与えた。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-27 19:35 | 皆様とともに 幸せになりたい

キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、

 題:キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 五木寛之氏が、本「神の発見(キリスト教司祭との対談)
」の5頁で・・、
 「(市場原理の自由競争に)その経済のシステムを土台
で支えるのは、『見えざる神の御手』に対する深い信頼が(
西洋・欧米文明に)ある」と言う。
 そして、氏は、その結果を記してないが・・、
 その結果は、市場は、『散々(さんざん)』だった。
 『神がコントロールする』とされたが、コントロールさ
れるどころか、ある時から『暴走し始めた』。
 キリスト教の神は『居ない』のである。
 キリスト教の神の『嘘の証明』の1つの事例となった。
 その嘘の露呈で・・株価は大暴落した。
 この様に、コントロールされずに、乱れに乱れ、世界の
経済は大きなダメージを受け、経済的打撃を世界は大きく
受けた。
 先端知識のある人たちには、この様な事は、既に、分か
っていたこと、この様な混乱が起きることは、既に、当然
に、起きることとして、予測されていた。
 神の見えざる手があるというのは『幻想だ』・・と。
 キリスト教、及び、キリスト教関係者は、この様な嘘の
マジックを、世にばらまくから困ったものだ。
 また、この本の5頁で、「民主主義の土台である人権は、
天賦(てんぶ)の人権と呼ばれる・・と。
 天とは何か。それは神が与え給うた権利であり、デモク
ラシーが神の意識なしに成立しない」・・と言うが、
 「民主主義はキリスト教では成立しない」。このことに
関し、本ブログに記しているので参照されたい。
 そして、司祭の森氏も言う(23頁)「キリスト教会は、
誕生当時から、男尊女卑、男性優位でした。指導者のパウ
ロは、いま読むと女性が怒りだしかねない、すごい書簡を
書いています」・・と。
 嘘情報で飾られて来たキリスト教の『内実を正直に言って
くれた1事例』となった。
.
 (参考)てん‐ぷ【天賦】 天から賦与されたもの。生まれ
   つきの資質。「―の才能」「運否(うんぷ)―」
.
 そして、次の話。 
 キリスト教に、「主の嘆きの教会」というキリスト教会
がある。
 それは、ユダヤ教のファリサイ派が、イエス生存の当時、
エルサレムで予言者の多くを殺していた・・、
 その事について、イエスの言葉だとされる言葉がある。
 (現在の研究では、そのほとんどがイエスの言葉ではな
いとされているそのイエスの言葉だが・・)。
 ユダヤ教を信仰していたイエスは、これを嘆いて・・、
 『エルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、自分に
遣(つ)わされた人々を石で打ち殺す者よ』(「マタイに
よる福音書」23・37~39)。
 キリスト教は、この言葉を、キリスト教の聖書におさめ、
自分たちの殉教の様に言うが・・、
 これはキリスト教の殉教の話ではない。
 ユダヤ教の事。被害者もユダヤ教徒であり、加害者もユ
ダヤ教徒である。
 キリスト教は、逆に、殺人者となっている、殺人宗教と
なっている。
 本当に、キリスト教は、人を殺して来た、インディオの
方たち、アボリジニの方たち、アフリカの方たちと、枚挙
にいとまがない、『卑劣な宗教』に堕落している。
 自分たちの殉教は僅(わず)か、それを過大にでっち上
げ、殉教宗教の様に見せているが、嘘のプロパガンダ(嘘
宣伝)をしているが、その不誠実さは、無反省さは・・
 唾棄したい。次世代に伝えてはいけない宗教である。
.
 そして、次の話。 
 キリスト教の心底に流れているものは・・、
 「選民という」感覚。
 我々は、神より選ばれし民だ・・と、
 そして、「異教徒は殺せ」の教義がある如く・・、
 選民たる我々以外は・・「駆逐(くちく)する」・・
 「排除して良い」・・と言う。その様な排他の精神。
 そこに、キリスト教の『神の義がある』のだ・・と言
う。
 その神の正義の存在を「祀(まつ)り上げ」までする。
 いやいや・・その様なことはない・・と、キリスト教は、
プロパガンダ(嘘宣伝)し・・、その心底を覆い隠してい
るが、そのDNAまで変えられずに、世に悪さをしている。
 キリスト教の周りに戦争が多いのが、その1例。
 最近においても、「現代の十字軍だ」と言って、イラク
に攻め入った大統領が、キリスト教徒で、キリスト教に支
持母体を持って立った大統領だった。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-26 15:38 | 皆様とともに 幸せになりたい

なる訳は・・なかった・・、

 題:なる訳は・・なかった・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の生まれた地、カナンの地、イスラエルの地、
パレスチナの地・・、そのカナンの地は・・、
 その地は、僅(わず)かに存在する砂漠地帯の沃野(よ
くや)であった。
 「甘い蜜が流れる」と表現されている地で、その沃野に
・・、あまりにも多くの民族が、関(かか)わっていた。
 民族の生存のためである。
 生き残りのためである。
 また、砂漠地帯であるため、降雨量も少なく、砂漠の地
であるが故の、農耕にはほど遠い地・・、
 「農耕はできず」であった・・、
 わずかに生える草、その草を追い求めて・・
 僅かな草を食(は)む羊などの家畜を追う産業しか・・
営(いとな)まれないという土地だった。
 すべての貧しさは・・貧困は・・この環境から始まった。
 この環境が『すべてを』性格づけた。
 生産量は、降雨量に比例していた。
 僅かな降雨量、僅かな生産量に、人々は飢えた・・、
 その飢えは、人々の心まで・・食(は)んだ・・
 人々は、その地の『天の僅(わず)かな恵み』を求め・・
さ迷い、彷徨(ほうこう)した。
 多民族の上に、その多い民族が・・彷徨し・・天の恵み
を追い求め、歩かねばならない産業に・・拘束されていた。
 民族の軋轢(あつれき)は、当然、生まれ、
 抗争も頻発した。
 そして、その抗争は・・拡大し、しばしば戦い戦争が・・
多発した。
 キリスト教は、この様な状況・環境から、強く
 『性格付けされ』・・た、
 その戦いの、『戦勝を祈る神』の居る「民族の宗教」と
して生まれた。
 しかし、実際、戦いに勝つことは少なかった。
 この様な中で出来た、キリスト教の教義・掟などが・・
 普遍性のある・・世界的なものに・・、
 『なる訳は』・・『なかった』・・。
 その宗教が、世界に伝搬して行ったところに・・、
 『世界の民・人類』の・・
 『悲劇』が・・あった。
 この様な性格付けがなされたキリスト教は・・、
 パレスチナの地と同様なことが・・、
 その性格から・・必然的に起きた・・
 数々の悲劇に・・多くの人々が・・『泣いた』。
 パレスチナの地では・・、
 その多くの戦いは、負けた人々を皆殺しにしていたが・・、
 この性格も・・キリスト教は・・、
 『卑劣にも引き継ぎ』・・、
 規模が拡大した悲劇が・・世界的規模に広がった・・そ
のキリスト教が・・
 世界の各地で・・現地の人々を、泣かせ・・皆殺しにし
た・・、
 現地人の方々を・・『人と見ないキリスト教の教義』か
ら来る見方で・・あたかも動物を扱(あつか)う様に・・
 人々は・・皆殺しにされた。
.
 そして、次の話。
 『悲惨な数字』を・・本を読んで知った・・、
 2008年4月に、ランドコーポレーション(ランド研究所、
アメリカ合衆国のシンクタンク)が発表した調査結果によ
ると・・、
 イラクとアフガニスタンから生還したアメリカ軍兵士の
 『2割近く』が、
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)か、
 重い『うつ病』に苦しんでいるという・・、
 帰国後に十分なケアが受けられず、戦争後遺症の苦しみ
と、生活苦から自殺する兵士の数は・・、
 『1日平均18人』になるという。
 一方、イラクの方々の死者数は、『100万人を越え』・
・、国外へ逃れた難民の方々の数は、『500万人以上』と
いう。
 そして、『イラク帰還兵反戦の会』は・・、
 イラクの石油資源搾取(さくしゅ)の放棄、
 軍事基地の閉鎖、
 及び、
 全占領軍の即時無条件撤退を要求した。
 だが、この声は・・、
 アメリカの大手メディアは・・取り上げなかった。
 無視した・・、
 それは・・、
 アメリカ政府が、大手メディアを使って、国民向けに、
『戦争プロパガンダ』を流し続け・・、
 情報操作していたからであった。
 『イラク帰還兵反戦の会』は、それと闘うため、ネット
やライブで・・情報を流し続けた。
 少しづつだが、理解者が増え始めたという。
 入会希望者も殺到したという。
 アメリカには、「愛国者法」という法律があり・・、
 戦争に反対する人を・・テロ容疑の名目で・・、
 いくらでも、逮捕が出来るようになっているという。
 反戦運動をしている人に、「身の危険は無いですか?」
と聞くと、「無いと言えば嘘になる」・・と、返事が返っ
てきた。そして、
 「しかし、心に決めたのです・・、
 人生を・・、多くの若者たちの未来を救おう・・と、
 政府や軍に動かされる人生では・・無い・・と、
 自分の人生、自分で選ぶ・・と、
 自分の人生、自分で自分を誇れる事をしたいのです」・
・と。
 アメリカの声に、
 「アメリカは、キング牧師の日に、国中でパレードをす
るが、一方、
 兵隊を確保するために、アメリカの貧困地帯に・・生活
苦から軍へ入隊する人たちをターゲットに・・、
 軍が・・戦車とリクルーター(勧誘員)を送り込んでい
ることを続けている」・・と・・。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-25 13:35 | 皆様とともに 幸せになりたい

同民族を・・強く意識する宗教・・、

 題:同民族を・・強く意識する宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、『同民族を強く意識』する『民族宗教』
の態を持っている。民族宗教です。
 そしてまた、キリスト教は、諭(さと)し、教える宗教
ではない。「駄目なら殺す」の宗教である。
 「ソドム」と「ゴモラ」もこれ、
 堕落したから殺すしかないと滅ぼされてしまった。
 本国のキリスト教から、人ではないと言われ殺され、全
滅の憂き目に合うインディオスの方々は、筆舌につくせぬ
多くの人々が殺された。
 キリスト教は、この様な宗教。「愛はごまかしである」。
 キリスト教聖書の(「創世記」19)をご覧いただきたい。
 これにも酷(ひど)い話が記されている。
 キリスト教の神は、神に「救ってください」と祈ったも
のだけを助けている。
 祈らない者は、「異教徒は殺せ」と同じ、殺して良いの
だのキリスト教の論理・教理である。この様な考え方であ
るため、それ以外の人は殺す。
 惨(むご)い話、惨いことに、広島・長崎の人々を殺し
たのは、早く戦争が終わってアメリカ兵士が救われたの論
理である。何ら戦争に関係のない方々の命を奪い取り、
戦争に従事している人の命と引き換えにする。卑劣なキリ
スト教の論理である。
 キリスト教の聖書には、この様な話がいっぱいある。読
んで何らためにならない。人殺し論理が、曲がった論理が
いっぱい書いてある。
 その1例。キリスト教の神は、その祈った者を救うために、
町の人々の上に火を降らした。しかし・・、
 事もあろうに、キリスト教の神は「ソドムとゴモラ」を
殺そうと、祈った者たちも殺した。
 「ソドムとゴモラ」も死んだが、何ら関係のない町の人
々もお構いなしに、キリスト教の神は極悪行為をした。
 キリスト教の神へ祈る行為をしてない町の人々もいただ
ろうが、その町の人々の命を無視した。
 虫けらの如(ごと)くに考えた。
 命を大切にしないキリスト教、虫けらの様に殺される人
々がキリスト教聖書のあちこちに記されている。
 子供たちが、この様な話に洗脳されることを恐れる、心
が痛む。
 「広島の原爆」「長崎の原爆」、これによって戦争が早
く終わって「アメリカ兵士」が死なずに済んだと、キリス
ト教の神に祈る人の少ない人々という観念で広島・長崎を
見ていた。今・現代でも、この見方だ。
 キリスト教以外は悪だと・・。
 そう言う、キリスト教こそ悪だと言いたい。
 今・現代、日本の企業はこの呪いの言葉におびえている。
 今・現代でも、この筋の通らない論理を言っている。
 広島・長崎の人々は、キリスト教の神には、配慮外の人
々、目の中に入らない『他の民族の人々』だった。
 創世記に記されているキリスト教の神も、卑劣にも、草
木もろとも、人々を滅ぼしてしまった。
 あちこちに惨(むご)い記述の聖書、そのキリスト教の
論理に洗脳されて、戦争が無くなる訳がない。
 次世代に残してはいけない宗教、人類は救えません、
 あなた方も幸せにはなれません。
.
 そして、次の話。
 熱心なキリスト教信者の作家・加賀乙彦氏は・・、イエ
スについて言う、
 「俗世の中に出て行き、無一物となって他人のためにお
のれをむなしくして尽くした」・・と、美しく言う。
 作家らしく美しい文となっている。
 しかし、イエスは無一物ではない。
 イエスの生まれ故郷の人が『うらやむほど』の物持ちで
あった。
 加賀氏は、熱心のあまり「言い過ぎて、結果、嘘となる
事をよく言う人」だが・・、
 イエスは、金銭的に恵まれた富裕者だった。
 日本の行脚(あんぎゃ)の仏教の聖人の様な、『本当の
無一物』で行脚した日本の聖人、宗教人とは全く違う。
 エルサレムの人々からも、「大酒飲み」とか、「大飯食
らい(おおめしくらい)」とかと、蔑(さげす)み言われ
ていた人だった。無一物の姿はまったくない。
 加賀氏も、この事を知っていて、よく言うものだと思う。
 イエスは、エルサレムの人々が羨(うらや)むほどの恵
まれた生活をしていた。
 また、イエスの幼少の頃からを知る故郷・ガリラヤの人
たちは・・イエスの事を・・、
 「予言者とは、うまい事をやってるな」と言っている。
 当時、エルサレムには、収入が多く得られる職業だった
予言者が多く居た。イエスもその一人だった。
 イエスの収入は恵まれ、優雅な生活だった。弟子たちと
の最後の晩餐風な会食はよくやっていたのだろう。外食を
喜ぶ子供ではないが・・、
 また、街の富裕層の人、裕福な生活をしている取税人の
家に上がり込んで飲み食いし、エルサレムの人からの上記
の様な罵声(ばせい)となっていた。
 キリスト教研究者によれば、イエスはやせ細った姿に、
今・現代、印象付けられているが、実際は太っていただろ
うという。
 イエスは、宗教家としての行いもしない、托鉢もしない
人だった。
 逆にいえば、宗教家の行もしない、恵まれた状況に居た
人と言える。
 しかし、キリスト教は、この一切を隠し、嘘の美化まで
して、イエスを偶像化している。
 キリスト教が忌み嫌う「偶像化」をしている。
 キリスト教は偶像崇拝宗教と言える。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-24 16:30 | 皆様とともに 幸せになりたい

嘘を言っても・・変えたい宗教・・、

 題:嘘を言っても・・変えたい宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の熱烈な信者である、作家の加賀乙彦氏・・、
 氏は、キリスト教を「砂漠の地で生まれた宗教」と言わ
れる事を嫌っている。
 それで、砂漠の地の宗教ではない、そうではないと言っ
ている・・が、嘘である。
 加賀氏が、砂漠の地の宗教と言われることを嫌う理由は、
 「砂漠の地の宗教が、『民族の生存』を祈った宗教」で、
その為の「民族生存のための殺戮が多い」という理由から
であった。
 しかし、古代の砂漠の地は、飢餓から逃れ得ない地であ
り、飢餓が、たびたび襲(おそ)った。
 当然、民族の生存を賭(か)けた、し烈な戦いが、果て
しなく繰り広げられる地という状態であった。
 また、少ない面積となっている『豊かな沃野』が、奪い
取りの『争いの地』となった。
 甘い蜜の流れる、花咲く沃野。カナンの地もその1つで
ある。
 キリスト教は、この沃野・カナンの地の『奪い取りの歴
史の物語』の宗教とも言える。
 その豊かな地の『奪い合いの戦い』が頻繁(ひんぱん)
に起きていた。
 また、隣国の、『異邦人の富への奪い取りの戦い』も頻
繁に起きていた。
 この地に生まれたキリスト教は・・必然・・、
 その地の民族の『生存をかけた戦い』の『戦勝を祈る宗
教』となった。民族宗教。
 加賀氏は、明らかにある、存在する、キリスト教の『こ
の様なDNA』を・・指摘されるのを・・嫌った。
 キリスト教の根拠地は、砂漠の地・エルサレムというの
は動かし難い事実なのだ。イエスの沃野の論理は排除され
ているのだ・・。
 加賀氏が、何と言おうがが、これは変わる事はない、変
わる事が出来ない。
 加賀氏は言う、「イエスもフランシスコも緑豊かな自然
の中にいた」・・と、加賀氏はそう言いたいのだろう。緑
豊かな地に生まれた宗教・・と、キリスト教がそうだと言
いたいのだろう。
 確かに、緑豊かなガリラヤの地に、イエスは生まれ育っ
た。
 しかし、キリスト教を、事実上、作った人=パウロは、
 その沃野に生まれ育った地のイエスを棄てた。
 パウロは、「イエスの刑死の血」と、「イエスの復活」
だけを使った。そして、エルサレムの宗教がキリスト教と
なった。ガリラヤの沃野の宗教ではない。仏教の様な沃野
の宗教と違う。
 加賀氏が言うところの、「緑豊かな自然の地・ガリラヤ
に生まれ育ったイエス」の、その「イエスの言葉」や、「
イエスの行動」を、パウロは棄てた。
 パウロは、事もあろうに、イエスを食い荒らした。
 今・現代のキリスト教は、このキリスト教である、パウ
ロ・キリスト教なのである。
 加賀氏の言葉は、「詳しく知らない人々」を繰(く)る、
マインド・コントロールるする。
 特に、キリスト教が、異邦人の地に入って行く時・・、
 異邦人の国・ヨーロッパには、「イエスが死んで復活し
たという出来事の使信(パウロの手紙など、使徒の言葉な
ど)を中心とする教義に変容され、これはイエスが、キリ
ストとして、この世に支配する死・罪・悪霊諸力に勝利し
た出来事と解された」。
 そして、イエス・キリストという名前を持ってすぐれた
意味の救済者であるとなった。
 パウロのキリスト教となった。
 キリスト教には、この加賀氏の様な、キリスト教の本当
の事を知りながら、「嘘を言って、不都合なところを繕(
つくろ)う輩が多いから、注意を要する。
 この加賀氏の他にも、関東学院大学の富岡幸一郎教授が、
これと同じ嘘を言っている。
.
 そして、次の話。
 キリスト教には「目には目を」という教義がある。
 「同罪報復」という教義である。
 例えば、目を潰(つぶ)されたら、潰した相手の目を潰
すという・・同罪を、相手に与えて、報復してよい・・と
いう教義である。
 イエスが、十字架刑となって死ぬが、その後、ユダヤ民
族は、キリスト教から、イエスを殺したと、「主殺し」だ
と、長い歴史、あらゆる場所で、殺戮され続けている。

 キリスト教の「目には目を」の、同罪報復の教義だとは
言え、その殺されたユダヤ民族の方々の数は、非常に多い
卑劣さとなっている。
 イエスの死と同罪と言うことなのだが・・、
 同罪どころか・・その熾烈さは・・キリスト教に弁解の
余地はない。
 卑劣な教義を持つキリスト教の・・その執念深さは・・
低劣の極みだ。
 また、その陰湿ぶりは・・筆舌に尽(つ)くせない。
 2000年間、キリスト教は、ユダヤ民族の方々を殺戮し続
けている。
 この他の、この様な事例も、キリスト教は多い。
 次世代に残してはいけない宗教、継いではいけない宗教。
 また、皆様も幸せにはなれません。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-24 03:05 | 皆様とともに 幸せになりたい

「予言」:「心理療法」:「遊行」・・、

 題:「予言」:「心理療法」:「遊行」・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの弟子たち・・、
 大(おお)らかな人たちだったとも言えるが・・、
 悪いけれど、程度は良くない・・悪かったようだ・・、
 この人たちが演ずる・・キリスト教の聖書・・、
 いくら綺麗(きれい)に話そうとしても、そこには限界
でる・・そこで、嘘や、オーバーな表現が入る事になる。
 キリスト教に嘘が多いのは、このところに、原因の1つが
ある。
 ひたすら、オーバーな美化や表現になるのも、ここに原
因がある。キリスト教の嘘やオーバーな美化表現の原因と
なっている。
 釈迦の弟子たちより・・『はっきり劣る』、
 理知的だった釈迦の弟子たち、『自ずと』そのやり取り
には深みが出て来る。
 キリスト教の様に無理に作り上げなくても、そのやり取
りに、自然と深さが醸(かも)し出されてくる。
 後世の頭の良い人たちが、ああだこうだと、美しくしよ
うとしないでも済む。嘘をつかなくても済む。
 この差が、これがイエスの死後に、また、大きな差とな
って表れる。
 キリスト教が、一生懸命、あの弟子たちは、後(あと)
になって良くなった、良くなった・・と、誉(ほ)めるが
(これは、さすがにキリスト教も、最初はダメだったと認
めているという事になるのだが)が、
 『栴檀は双葉より芳し』
 (せんだんはふたばよりかんばし)ともいうが・・無理
なのだ。
 イエス及びイエスの弟子たちの生まれ育ちは、その様な
ものだった。民の店を壊すのが相応という姿の様だ。
 イエスから、何度も何度も叱られた、馬鹿みたいに何度
も叱られた弟子たち、
 聖書を読んでいても、お前たち馬鹿かとしか言えない気
持ちになる。悪いけれど・・、本当に、何度も叱られ
るという、忘れっぽい御仁(ごじん)の「イエスの弟子た
ち」。所詮、それに関して書く側の品も落ちて来る。もち
ろん、それを読んでいる方たちの品も落ちて来る。その様
な中に・・すべてが存在することに・・、
 チャーチル・英国の元首相の息子が、イエスの弟子たち
の事を教えられた時、「この豚野郎」と怒ったというが、
 イエスが刑場の露と消える直前、イエス捕縛(ほばく)
の人たちが迫(せま)っているという大切な重大な時、
 この時は最低だった・・、
 イエスが祈っているという時に、この様な時に、眠って
いたというイエスの馬鹿弟子たち。
 大らかさもあったのかもしれないが、その馬鹿な程度は、
この様な時になんだと・・二の句が継げない気持ちだ。
 その弟子たちの中でも、少しは頭が良いという、会計を
イエスから頼まれ、やらされていた「ユダ」。
 多分、他の弟子たちは、計算が不得手と言うより、出来
なかったのだろう。数の「たし引き」ができない、そのレ
ベルの御仁だったのだろう。
 その中の男・ユダが、銀30枚でイエスを裏切る。金銭的
にも『心貧しき行為をした人』である。このレベルである。
 少しの金にも目が光った人たちだったのであろう。
 キリスト教は、どこを見ても裏切ったり、殺したり、騙
(だま)したり、本当に程度の低い、精神的に、倫理的に
最低。『最低な書』だと思う。ためになる話は『本当にな
い』。
 『性悪説に染まった思考』で『暗展開思考』をするから、
そこから出て来る思考も良い訳がない。こんなことが分か
らない。
 それにしても、銀30枚ぐらいで、売られるイエスも安く
見積もられたものである。
 何故、銀30枚くらいで裏切るのであろうか?不思議な領
域だ。その領域で悪行為をする人たちの領域の話のレベル
の『キリスト教聖書』。
 裏切った「ユダ」も悪いが、ユダ側だけに責任のすべて
があると断定し、判断していいのか? そうではない。
 そこに、イエス側の責任も皆無とは言い切れない、
 イエスに全くない、皆無とはできないという所が・・厳
然として存在しているということを知らねばならないし、
分からねばならない。
 キリスト教の聖書は、その様には説かない、避けている。
 説けないからだ。そこが、宗教の立場の弱点となってい
る。『その面が学べない』キリスト教徒となっている。
 分かる事が、知る事が出来ない人たちを作っているキリ
スト教となっている。
 偏頗(へんぱ)な人を作っているキリスト教となってい
る。
 しかし、キリスト教はこの点を、いつもの通り、『無視
をしている』、分からない事にしている。
 キリスト教は、この点に気付いているのであろう、さす
がに・・、だが、目をつむって、キリスト教信徒を『マイ
ンド・コントロールしている』。
 繰(く)られた信徒も、純真に・純真にと、事前に十分
に洗脳され、マインド・コントロールされているから、そ
のまま通り過ぎて行くのだろう。こんなもんだと・・。怖
いものだ。
 何しろ、キリスト教は、信徒の方々に『考えるな』『考
えるな』と洗脳している。ただただ導かれるが良い・・『
さまよえる羊たちよ』・・と、
 この様なマインド・コントロールは、本当に『怖いので
ある』。この怖さに・・気付いて居(お)られない。
 キリスト教側は、当然、都合がいいので、その点の是正
をするわけが・・ない。
 よくテレビで、社長が頭を下げている姿が『あれはあれ』
と見ているのであろう。
 ユダの件は『もう少しうまく』聖書に記すべきだった。
 本来は、イエスもユダのことで頭を下げるべくところが
あるのだ。気付かないだろうが・・、
 イエスも責任は逃れ得ないという面に気付くべきなのだ。
 キリスト教は、この不祥事のこの責任を不問にして、綺
麗にしている。当然、信徒のかたたちへは説明しない。
 キリスト教は、自分たちの都合が悪いことは遠慮なく変
える。事実も曲げる。そして、表面をきれいに繕(つくろ)
う、そのやり方を過度(かど)に行って来た。
 プロパガンダ(嘘宣伝)が酷過(ひどす)い。
 社会的公正さも、まったくといってない。
 そして、このところの怖さを認識していない。
 この様な近代的なセンスはない。古い体質の宗教となっ
ている。古い体質のキリスト教のセンスを守っているだけ。
 この様にしてできているイエスの姿は偶像である。
 この偶像を崇拝している宗教と言えるキリスト教。
 キリスト教の聖堂には、武力で他国を攻め滅ぼし・・、
 その地の偶像を奪い、持ち帰り、自国のキリスト教聖堂
の外壁に張って、飾っている姿があるが・・、
 この様な目に見える偶像崇拝の姿以外にも、
 先に記した様な目に見る事が出来ない、作られた偶像も
・・・キリスト教には・・・一杯ある。
 キリスト教は、偶像を崇拝する宗教である。
 その偶像も、その作られ方も含めて質がよくない。
  銀貨30枚で、ユダが、イエスを裏切ったが、また、こ
のイエスだけでなく、仲間たちも裏切った「ユダ」だが、
 この金銭に関わる事、イエスたちの活動資金は・・、
 ある時は働き、ある時は会合で資金を募(つの)り、そ
の生活していた。当然、今・現代の言い方では、定職を持
った人たちではない。
 職業欄には、「遊行」とは書けなかったから、事実上の
状態の「無職」に○を付けるのだろう。
 故郷の、イエスの幼少の頃を、イエスの生い立ちを知っ
ている人たちが、イエスに・・、
 「予言者とはうまい事をやっているな』と言ったが、
 当時、エルサレムにはこの予言者という職業の人たちは
多かった。公的な予言者も居たが、イエスは個人的な、私
的な予言者だった。
 故郷の人たちは、それを「うまいことをしている」と見
ていた。結構収入はあったのだろう、大勢の人もやってい
る様なので。
 また、イエスは、イエスを故郷の人たちから「ぺしゃん
こにされた」ということを吐露(とろ)している。
 神通力が、故郷では効かないとも、イエスは言っている。
 イエスは、何しろ決まった事を職業的にするのではなく、
父・ヨセフの職業・大工をイエスもしていたようだが、そ
のヨセフは、早くに亡くなった様なので、イエスは長男だ
から、また、兄弟姉妹も多いようだったから、イエスは、
父の変わりに「家計を支える」という大切な責任があった
が、その責任は「放棄した状態」となっている。
 予言者として、故郷の人が言う様に「うまく、飯が食え
る立場には居たこと』は、確かだ。
 しっかりしたイエスの収入が、確保されていたのだろう、
その様子が、故郷の人たちが、うらやましがる『言葉ひと
つでも」分かる。
 弟子たちは、イエスを「ユダヤ教の聖職者の『ラビ』の
名で呼んでいる」ので、その遊行の職が根に付いている事
が分かる。遊行的に大工もやり、エルサレムでは、ラビ風
な予言者として収入を得て、金を得ていたと考えられる。
 イエスは、たびたび、エルサレムと故郷・ガリラヤを往
き来している。
 イエスを偶像的にし、想像し、美化して、キリスト教が
忌み嫌らう様な偶像化をしてはいけない。偶像を作っては
いけない。偶像崇拝宗教になってはいけない。それこそ、
他ではなく、キリスト教は自らの真実を見よ。
 また、イエスは、街中では、商売柄、顔見知りも多かっ
たのか、その顔の広さから、ときどき、会堂での人を集め
るイベントも開けたと考えられる。
 そこでは、今現代でも医学的に、診療的に、効果がある
と認められている手を触れるだけで直すという行為をして
いた。
 この現象は、イエスだから出来たという現象ではなく、
 誰にでも起きるものと、現代でも、医学的に証明されて
いる。何ら奇蹟的な現象ではない。キリスト教は奇蹟・奇
跡と言うが・・。
 イエスも霞み(かすみ)を食べて生きていた訳ではない、
 金銭を必要とする生活をしていた訳なので、今で言う治
療費と言う金銭は徴収(ちょうしゅう)していたと考えら
れる。これも、故郷の人たちが「うまいことをしているな」
と羨(うらや)ましがっていた。
 イエスは、宗教家としての托鉢(たくはつ)行為は、し
ていないので、その面から宗教家に属するジャンルの人で
はない。その様な・・人、
 「予言者」兼「心理療法をする人」兼「遊行者」。
.
 (参考)栴檀は双葉より芳し:白檀(びゃくだん)は発芽
   のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときか
   らすぐれているというたとえ。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-20 15:34 | 皆様とともに 幸せになりたい

神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに

 題:神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の根幹の「キリスト教の聖書」・・、
 ここに記されている事は、キリスト教は「史実だ」と言
います。ここに問題が発生しています。
 日本神道は神の実在を漂(ただよ)わせながら、それを
記す古代の文書は神話だという態度を明示しています。
 この態度の違いが大きいのです。
 キリスト教は、おとぎ話の様な話の連なりでできていま
す。実は・・。
 「神話」ですよねと言えば、神話ではない、実話ですと
キリスト教は言う。
 そう言いたいのでしょうが、どう見ても神話ですから、
神話として、信徒の方々への「話の基本姿勢とされたら」
と言っても、そうはできないという。
 実話だとして話を進め、説くところに、『キリスト教に
罪がある』ということを、キリスト教は認めません、認識
もしていません。目をつむる・・。
 その罪を、「犯し続けている」というキリスト教です。
 古事記・日本書紀は神話とされ、それに連なる宗教も、
キリスト教の様な『かたくなな嘘』は言っていません。
 ここは大切な立脚点の基本です、根本です。
 だから、キリスト教は、説かれた内容の受け取り方から、
殺戮行為へ繋(つな)がって行く道が濃いのです。
 武力を是認する教義の実力行使事例が多いのです。
 これが、キリスト教の問題の1つです。
 キリスト教関係者が、「パウロはイエスの弟子だ」とい
う嘘を言う。この様な嘘が、また、実に多いキリスト教で
ある。キリスト教は簡単に嘘を言う宗教という態を示して
いる。
 パウロはイエスの弟子ではない。イエスたちを捕まえて
殺していた人である。
 ペトロはイエスの弟子である。
 ペトロは、イエスが生まれ育ったガリラヤの地の、イエ
スと初期からの知り合いである。ペトロはガリラヤ湖で漁
師をしていた。
 だから、狭い村のガリラヤの地の、イエスと同年代の幼
なじみという関係。遊び仲間でもあったと言える。
 イエスは救世主だと言いたい人たちによって、ユダヤ教
正典(キリスト教旧約聖書)にある言い伝えなどを守りた
いと、その様に事は進んだのだと言いたいと、イエスを
「ベツレヘム生まれだ」と言いたがっている・・が。
 救世主はベツレヘム生まれでなければならないという決
めがあるからだ。その様なキリスト教の決め・約束事・律
法にもなっている。キリスト教の立派な『律法』。律法を
棄てたというが、律法を捨てきれないキリスト教。嘘の態。
 ペトロはイエスの弟子だと言われている。一番最初の一
番の親友なんだろう。何でも子供の頃から言い合ってきた
仲間なんだろう。
 だから、キリスト教の聖書にも、ペトロはイエスを馬鹿
にしている言い方をしている。そんな仲なんだろう。イエ
スを批難をしている。
 ペトロは、イエスの死後、エルサレムを中心に宣教した。
 一方、パウロはサウロと称した。パウロ(サウロ)は、
宣教者・ステファノの刑の執行に賛成した。
 パウロ(サウロ)は、離散したユダヤ人で、トルコで生
まれた。
 そして、ローマの市民権を持つテント職人だった。
 ヘブライ語とギリシャ語に堪能で、ユダヤ教正典(キリ
スト教旧約聖書)に精通していた。
 熱烈なユダヤ教徒で、ファリサイ派に所属した。
 キリスト教徒の迫害を率先してやっていた。
 パウロは、イエスの弟子たちを脅迫した。殺そうとした。
 ある時、その事についての「大司祭の許可」を得るため
にダマスコへ向かった。
 その途中、突然、天から彼に光が射し(言い伝え、これ
は眉唾話)、パウロ(サウロ)は地に倒れた。
 声がした、
 「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と。
 「誰ですか?」
 「わたしは、あなたが迫害しているイエスです」と。
 その時から、パウロ(サウロ)は、3日間、目が見えなか
ったという。
 盲目状態のパウロ(サウロ)が、ダマスコに来れたのも、
その『イエスだという声に導いて貰(もら)った』からと
言うことだった。
 「そこを右」「もう10m行ったら左に」
 「石があるからつまずくなよ」
 「ロバを連れた人が来たよ、ぶつかるなよ」・・などと
の道案内の声が聞こえたということだ。
 「おい、行き過ぎてしまったではないか、少し戻って、
そして、右だ」・・とかとか・・なんて・・。
 イエスも盲目の人への道案内、大変だったと思う。
 そして、行き違った人たちも、誰も、パウロ(サウロ)
を助けなかったのだろうか? 平気かな? 何してんのか
な?・・などと思ったりもしても、見ているだけだったの
か??
 急に盲目になったら、慣(な)れのある人と違い、一歩
も歩けないわけだから、声だけで導くとしても、頻繁(ひ
んぱん)に、常に、声をかけていなくてはならなかっただ
ろうから・・、
 イエスをねぎらいたい。
 そして、3日間、パウロ(サウロ)は飲食もできなかった
ということも紹介されている。
 何しろ、パウロ(サウロ)は嘘付きなのだ。前科がある
のだ。イエスに会ったこともないのに、会ったことがある
と言ったり、これは研究者の功績だ。パウロが嘘をついて
いると指摘した。
 パウロ(サウロ)は、声がしたとき、「誰ですか?」と
聞いている。イエスの声を忘れたのか?
 会ったこともないので知らなかったのか?
 多分、後者であろう。研究者の言う通り、イエスに会っ
てもいないし、イエスの声も知らなかったのだろう。
 パウロ(サウロ)は、ダマスコに居たアナニアと言う人
が、イエスの命令でパウロ(サウロ)に会いに来て・・、
 (アナニアが、イエスからどのように命令されたのか?
の具体的記述は、まったくない。イエスもいろいろと大変
だ)、
 その人が、パウロ(サウロ)に会うと、パウロ(サウロ)
の目から鱗(うろこ)が落ちて、目が見える様になったと
いう。
 そして、洗礼を受け、食事もし、元気を取り戻したとい
う、そして、それから、パウロ(サウロ)はキリスト教徒
になったというパウロ(サウロ)の話だ。
 パウロ(サウロ)が、予測も予想もしない、突然、不意
打ちでイエスの光が射し、そのイエスの光の衝撃で(そん
な強い光を出すなよとパウロ(サウロ)は怒りたかっただ
ろうが・・)被害を受けたパウロ(サウロ)が、イエスの
命令で来た人に目が見えるようにされたという話。そして、
キリスト教徒になりましたという話。
 キリスト教は神話にしたくないという話。
 真実との感覚との落差に心を痛める人も多いだろう・・、
 また、
 この事例の様な類いの話で、戦争につながる話も実話だ
とキリスト教は言う。
 この様なキリスト教から離れなさい。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-19 03:07 | 皆様とともに 幸せになりたい

時代を超越すると存在に耐え得ない・・、

 題:時代を超越すると存在に耐え得ない・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は言う、「信じなさい」・・と。
 そして、「信じれば、そこに神の救いがある」と言う。
 そしてさらに言う、「1+1=2の様な理屈ではない」・
・と。「だから、信じて見なさい」・・と。
 だがしかし、キリスト教にそう言われてみても・・、
 今までのキリスト教を見て来て、まったく信用できると
いうころが、無いという、キリスト教が・・そこにある。
 誰が見ても、キリスト教には、誤謬(ごびゅう)・卑劣
さ・悲惨さ・脆(もろ)さ・劣悪さなどがある。
 その様なことは、冷静に考えれば、誰でもすぐ分かる事、
キリスト教は、すべてが駄目なのだ。
 キリスト教の歴史だけを見ても、人を殺してばかりいる。
 それも、半端(はんぱ)ではない大勢の人を・・、世界
中のあちこちで・・、長い歴史中・・ずーっと・・、
 大罪人を、とうに通り越している、キリスト教の罪状は、
大きく大きく存在している。それも、本当に、長い期間、
殺しまくっている。
 この様な状況からでも、キリスト教のこの悪の行いが、
 これだけとっても・・絶対に駄目・・と、言える。
 そして、聖書が基本と言うが・・この基本だが、「めち
ゃ、くちゃ」で、間違いだらけ、矛盾だらけで、オーバー
に美化しているだけ。
 大げさに、過剰に「キリスト教だけ」が、美化されてい
るだけ。
 だから、教義も最悪になっている。矛盾も多いが・・、
質(たち)も悪い・・殺人指令は、あちこちにあるし・・、
 善良な人でも、これでは『殺人鬼』になってしまう。
 そして、怖(こわ)いところは、その事を悪い事だと思
わなくなる様に仕掛けてあるということ、
 神の義(正義)だから良いのだ・・とかと、
 だから必然、キリスト教に殺人行為が多くなる訳なのだ。
 「異教徒は殺せ」「魔女は生かしておいてはならない」
など、記述内容も、具体的詳細に、悪行為のやり方などを
神が勧(すす)めているなど一杯ある。悪のマニュアル本。
 キリスト教に熱心なキリスト教徒の作家が言う・・、
 (ユダヤ教の)ファリサイ派の人が、イエスに言う、
 「あなたが預言者なら、自分に触れている女が誰である
か分かるはずだ。罪深い女なのに」と言う。
 するとイエスは、罪深い人であるからこそ、多くの罪を
許されるのだと反論し、マクダラのマリアに、「あなたの
信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言った。
 しかし、ここのところを良く考えてみると、このイエス
はユダヤ教徒だ。マクダラのマリアもユダヤ教徒だ。
 これは、ユダヤ教の話なのだ。
 イエスは、「宗教を立てる」「宗教を立宗する」という
意思は、まったく無いので・・、
 ユダヤ教徒のイエスが、そのまま、ユダヤ教徒のイエス
として、この事を言っているという、ユダヤ教のことなの
だ。
 このイエスの頭の中には、「ユダヤ教の事しか」ないし、
 イエスはユダヤ教を信じていたし・・、そして、イエス
の立ち位置は、「ユダヤ教を捨てなくてもよい」、だが、
「ユダヤ教は、直さなければならない」という、立ち位置
だし・・、
 そして、イエスは言う、「わたしは、そのために来た」
・・と。ユダヤ教改革者、その意義を感じていたイエス。
 故に、ここでイエスが、マクダラのマリアに言った事は、
「ユダヤ教を信仰しているあなたは救われる」なのだ・・、
 そしてだから、イエスは言った・・、
 「ユダヤ教を信仰するあなたは、安心して行きなさい」
・・と。キリスト教ではないのだ、イエスが言っているこ
とは・・。
 キリスト教徒の作家は、ここに信仰の核心があるという。
 確かに、このキリスト教徒の作家が言う様に、これは、
すべての宗教に通じる、困っている人にこそ、宗教が必要
なのだ・・という所。
 当り前なのだ。深い話などでも何でもない。
 宗教の目的が、すべて救いなのだから。多く困っている
人はさらに必要なのだ。
 当り前なのだ。
 キリスト教だけの事を言っているのではない。少なくと
もユダヤ教だ。イエスが言っていることは・・。
 困っている人、助けを求めている人、罪深い人などの方
へ、どの宗教も手を差し伸べるのが目的で、立宗されてい
るのだ。
 因みに、先にも書いた様に、イエスには立宗しようとの
意識は完全に無かった。
 ユダヤ教の改革主義者だった。
 キリスト教の作家はここに神の愛を感じるというが・・。
 イエスが生存していたころは「ヤハウェ神」である。
 三位一体神のキリスト教の神ではない。これは誰も口を
はさめないこと。
 今・現代、キリスト教は三位一体神を信仰しているが・
・、その神ではない。
 今・現代にキリスト教徒が信じている神と、イエスの神
は、別なものなのだ。宗教も別なのだ。
 そして、イエスには、「娼婦」は、「娼婦という行為を
している女」は、「罪深い女だ」という意識があった。
 その様なレベルにあるイエスの意識が分かる。差別の意
識があったと言える。
 今・現代、姦淫罪が無くなって・・、
 姦淫罪というと、遠い昔の『封建的な罪だ』という感覚
があるが・・、
 その封建的感覚と同じレベルの感覚・意識が、古い意識
が、イエスにはあったと言える。
 女を見たら、それだけで姦淫だと言ったイエスの感覚だ。
女を見ると色眼で見ているというイエス。『品(ひん)の
いい女性だな』などと・・見てはいけないという話。『知
性の満ち溢れた女性だな』などと見てはいけないという話。
教養がありそうだな・・とか、清楚な方の様だな・・など
など・・など・・など・・。
 女性を見ればすぐ、そちらの方を、すぐ、頭に浮かべる
という話。女性イコール姦淫・・という。イエスの頭の中
はこれだったのだろうが・・現代感覚とは違う、そして色
々な面で、『ずれ』が生じているキリスト教とイエスだが、
『ずれの1つ』がこれ。
 『ずれのある宗教』=キリスト教という一つの例だ。
 キリスト教には、『時代を超越する示唆はない』。その
様な宗教。
 だから、経時劣化をしている。
 『今の時代の中の存在』に『耐えることができない』宗
教。人類は救済できない。皆様も幸せにできない。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
[PR]
by suba28 | 2014-06-18 13:45 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないので
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

(増補版)536E2/3:1..
at 2017-06-22 03:22
(増補版)535E2/3:1..
at 2017-06-17 05:23
(増補版)534E2/3:1..
at 2017-06-14 02:49
(増補版)533E2/3:1..
at 2017-06-07 02:27
(増補版)532E2/3:1..
at 2017-06-04 05:25

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧