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キリスト教の話の初め・・アブラハムたち

 題:キリスト教の話の初め・・アブラハムたち
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 wikipediaに、以下の様に書かれていますが、まったく
キリスト教の話に都合のよい話に書いているプロパガンダ
(嘘宣伝)です。
 wikipedia記述内容:「アブラハム (英語 Abraham ) は、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典
の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点と
して選ばれ祝福された最初の預言者。『信仰の父』とも呼
ばれる」と。
 また、
 「ユダヤ教の教義では、全てのユダヤ人の、またイスラ
ム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜
上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。
 イスラム教ではイブラーヒームと呼ばれ、ノア(ヌーフ)
、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマド
と共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正
教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられてい
る。族長と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である」と。
 ・・・wikipediaには、上記の様に書かれているキリスト
教の聖書に書かれる最初の人たちアブラハムは、実は、
 キリスト教とは全く違う人たちだった。
 紀元前1700年の頃、今から約3700年前、アブラハムは、
チグリス・ユーフラテス川の下流にある「ウル」を出立し
た人たちだった。
 向かった先はパレスチナのカナンの地だった。
 アブラハムの一団は数100人で裸足であった。
 これで砂漠の地を羊を追いながら進んだ。
 彼らの宗教は『 多神教 』であり、
 また、特に、『 樫の木を崇拝した 』。
 彼等の住まいは天幕であった。
 多くの町を通過した。
 ナプルウスというアラブ人の町に着いた時には、
 彼等は、この石の城壁に守られた町に入らずに天幕を張
った。
 彼ら一行に途中から加わる者もいた。
 また、途中の町に長く留まった町もあった。ハランデと
言った。
 アブラハムの父のテラは、ここで亡くなった。
 彼等はこの様な苦難の後に「カナンの地」に至った。
 出立地のウルに残した親族もいた。
 ウルは肥沃であったが、時々、洪水に見舞われた。(創
世記11章、12章)を参照。
 ただ、この様な事、アブラハムたちがやった事は、アブ
ラハムたちだけが、やったという訳ではなかった。
 この様に、北へ向かう半放牧のセム諸部族は多くあった。
 キリスト教の聖書の記述だけが特別なのではない。
 また、キリスト教とは全く違う宗教・多神教であり
 また、『樫の木を崇拝する宗教』の話なのである。
 また、ユダヤ教徒も違う。
 自然崇拝である。
 ヤハウェ神も影も形もないアブラハムたちであった。
.
(追伸)
 カナンの地へ向かって、
 チグリス・ユーフラテス川のウルを出立したアブラハム
は、
 カナンへ向かったという訳ではなく、
 カナンの地へ着くまで、あちこちを彷徨(さまよ)った
のが事実。
 ダマスやシケムなどをたどり、天幕の旅の生活は続いた。
 そして、ネゲヴの荒野に行き、
 それからエジプトに行く。
 ここであやうく妻のサラを奪われそうになったりした。
 そして、ベテルに戻り、ヘブロンへ行く。
 この様にイスラエルの民となったアブラハムは、パレス
チナの地、、メソポタミアの地、エジプトの地などを彷徨(
さまよ)っていた。
 生きる糧を求めたさすらいだった。
 この様に、エジプトの地もよく出入りする地だった。
 また、イスラエルの民は、カナンの地に定着したらその
まま定着し続けたという訳ではなく、
 定着した後も、
 羊と山羊を連れて、
 生きるために方々を彷徨った。
 エジプトの地も、その様な地の一つだった。
 モーゼの話のような劇的な話ではない。
 エジプトは通常の行き先なのだ。
 エジプトの地はちょっとした出入りの地なのであった。
 モーゼの話は作り話なのである。
 モーゼの実在もないとされているのが真実。
.
(追伸の追伸)
 イスラエルの民は純粋種ではない。
 混血が、あらゆる機会に行なわれている。
 日本の様な島国で混血がない様な種族と違う。
 (海を渡って大陸から少しは来たが)
 イスラエルの民の地は、あらゆる種族が行き交(か)う、
 また、自分たちもさ迷(まよ)う歴史だった。
 その中で、血が混ざり、イスラエル種族は形成されて来
た。
 キリスト教の聖書には、「娘は異教徒へ嫁にやるな」「
異教徒が増えてしまう」などと説いているが、
 まったく、国際的な感覚の無くのないキリスト教の教義
であるが、事実は、イスラエルの民は混血に次ぐ混血であ
った。
 何でこんな狭量の教義を民へ押し付けているのかと軽蔑
する。
 カナンの地には、ヘテ人(ヒッタイト人)やアモリ人(
西方セム族)などの先住民が居た。
 カナンに渡ったアブラハムたちは、俗に言う「よそ者」
だった。
 アブラハムたちは、この先住の民と混血した。
 キリスト教の教義などそっちのけ。
 地になじむためもあったのだろう。
 例えば、アブラハムの孫(アブラハムの子・ヤコブの子
供のエサウ)は、ヘテ人の女性と結婚した。
 (エゼキエル書、16章)「汝の母はヘテ人、汝の父はア
モリ人なり」など。
 キリスト教の神の言葉は、アブラハムの時代においても
無視されていたと言える。
 因(ちな)みに、エサウの結婚したヘテ人は、インド=
ヨーロッパ系の民。
 アブラハムの家系にインド系の血も混血してる。
 同時に民が持っている宗教性も伝搬している。
.
(追伸の追伸の追伸)
 紀元前7000年頃から、中近東の全域および北アフリカ
一帯は砂漠化が始まった。
 パレスチナのカナンを含む「肥沃の三日月と呼ばれる地」
はその砂漠化から残された地となった。
 ここに住む人々は、はじめ「略奪農業」という「土地が
痩(や)せれば他へ移る」という行動であったが、次第に
定着して行った。
 紀元前5000年頃に、エルサレム周辺に人々は住みついた。
 ちなみに、紀元前2100年頃、チグリス・ユーフラテス川
の地に、スメール最後の王朝(ウル第三王朝)がたち、王
朝を樹立したウル・ナンムは、支配地のバビロン(ばべる)
に「バベルの塔」を作らせた。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
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by suba28 | 2013-08-29 01:56 | 皆様とともに 幸せになりたい

惑わす行為とイエスの『私の父の家』

 題:惑わす行為とイエスの「私の父の家」
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 科学に否定的な事を言われ、
 科学を対抗的に見るキリスト教だが、
 その科学の一分野の考古学の発掘という行為で、
 「ミクヴァオート(浴槽)」が、
 何に使うのか、
 使われているのかが分かった。
 つまり、科学的な探究・追求によって、
 より宗教の実際が分かって来ている。
 これからの方向を示唆もする『知見』である。
 今、進行中の宗教行為に、良い反映となってその科学の
恩恵が現出してくる『考古学の寄与』だった。
 科学的探究の寄与面なのである。
 しかし、あまりにも、今までが、
 キリスト教の教義を否定してきた科学の結果だった。
 キリスト教は、科学的な結果と信仰は別なのだと言って
いた。
 科学無視の言葉を言わざるを得ない『無残な結果』を、
科学から付きつけられていた状態のキリスト教だった。
 キリスト教の科学に対するこの調子から分かるように、
都合が悪くなると、その場が収(おさ)まる様な、
 都合のよい言い逃れを言って来たキリスト教だった。
 「ミクヴァオート」は、祭儀的清めのために必要とされ
たユダヤ教の浴槽。
 ユダヤ教からの流れをより深く理解するための『貴重な
知見』を得た形となった。
 今までは、その流れを適当に解釈していた。
 これ等に関連することが、「ヨハネによる福音書」の2章
などに書かれていたが、
 キリスト教は理解できずに、適当に解釈していた。
 また、イエスは、町の外で処刑されたと伝えられていた
が、紀元44年に、街の城壁が、より外側に築かれ、
 イエスが、町の外で処刑された様には見えなくなってい
た。
 この科学的探究の結果、新しく得た知見が、
 キリスト教を裏付け、補強をする形になった。
 今まで、その場を繕(つくろ)う行為ばかりしているキ
リスト教の態度は、厳に、慎(つつし)み深くしなければ
ならない。
 「懺悔せよ」と言っているキリスト教こそが、懺悔しな
ければならない。
 「言い逃れ」したり、「嘘をついたり」。「実際を隠し
たり」・・などなど。信徒を惑わすことはしないように。
 また、
 イエスは、ユダヤ教のエルサレム神殿を「私の父の家」
と讃(たた)えていた。
 そしてまた、使徒行伝の著者は、イエスの弟子たちが神
殿で礼拝し、そこで教え続けたことを知っている。
 そして、ペトロとヨハネは、「祈りの時」に、神殿の丘
へと続く階段を上っている(「使徒行伝」3・1)。 
 また、ペトロは、イエスがメシアであることと「死者か
らの復活」を、イエスがまさに教えたと伝えられている場
所で宣教し続けている(「ヨハネによる福音書」10・22~
30)。
 また、その話を聞いていた人たちは、つい先頃まで、
 イエスが、神殿で礼拝をしていたことを見ている人たち
であった。
 また、彼らの内のある者たちは、
 『イエスを十字架につけよ』と叫んだ群衆の中に居た人
々だったかもしれない。
.
(参考)本文によれば、『使徒行伝』は、『ルカによる福
音書』の続編として(聖書自身の証言と伝承によればルカ
の手で)書かれたものであるという。
 どちらも「テオフィロ」(ギリシア語で「神を愛する者」
という意味)なる人物に献呈されている。
 もともとは一冊の書物だったという説もあるが、現代の
研究者たちがさかのぼれる最古の資料の時点では、すでに
『ルカによる福音書』と『使徒行伝』は別々の本になって
いた。
 『使徒行伝』は、この時代に書かれた作品としては他に
類をみない非常にユニークなものであり、初期キリスト教
の研究は本書なしには成り立たない。
 また、パウロの書簡集も『使徒行伝』の存在によって価
値あるものになっており、『使徒行伝』なしにパウロの手
紙を読んでも理解できない部分が多いことを忘れてはなら
ない。(wikipediaより)
.
(追記)
 原始キリスト教の時代。
 キリスト教福音書の記述者たちは、
 旧約聖書において約束されていたことを、明らかにしよ
うと試みた。
 その約束とは、神が世界を救うために『メシア(救世主
)』を派遣されるという事である。
 彼らによれば、それはイエス・キリストにおいて、完全
になし遂げられた・・と、キリスト教は説明した。
 仏教は、仏となられた仏陀が衆生に教え導いた。
 そこに、数々の教えがある。
 これを学べと説かれた。
 その教えを学び、人々は幸せになって行くが、
 時の経過と共に、その衆生の中から世をより良くする人
々が、さも涌くがごとくの様に出現してくる・・と、教え
ている。
 キリスト教は、イエス・キリストで完結し、ピリオドが
打たれるが、
 また、イエス・きりすとだけの1人で完結し、終結する
が、
 仏教は、その後、教え悟(さと)された衆生の中から、
湧き出ずる様に、無限の菩薩が世を良くし、幸せにする菩
薩出現を説いている・・教えている。
 キリスト教は、イエスで終結し完結する1神教的発想で
あり、そこに、完全無欠の神の存在が欠かせない。そして、
信の『能動的エネルギー』を必要とする信仰の宗教の形を
とる。
 また、その信じ込みのエネルギーを必要とし、キリスト
教は信じることを必須要件とし、信じなければ切り捨てる
という宗教形態となっている(信じなければ異端・異教徒
となる)
 仏教は、仏の教え悟しが世に示されれば、そこからまた
新しく芽生える得る『新しい若い出現』に世の希望を成就
する菩薩の涌くがごとくの無限の出現を説く。
 そこには、これからの時の中に希望が沸き立つ未来の夢
の必然の成就を説いている。
 キリスト教は、神の介在の中に、イエスのメシアとして
の出現のみを説き、積極的信じ込みを、信徒に「必須の要
件」とし、信徒に要求し、条件としながらの信仰だけの存
在として存立する。
.
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by suba28 | 2013-08-28 12:54 | 皆様とともに 幸せになりたい

自分以外の生命への思いやりを・・

 題:自分以外の生命への思いやりを・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 『里山・資本主義』という言葉がある。
 里山の自然をうまく生かして、
 日本人は『里山と共に』生きて来た。
 里山には、人と自然が『共生』していた。
 人が育み、自然が恵みのお返しをしてくれる。
 人は自然を必要とし、自然も人を必要とする。
 人があってこそ、自然の健全な姿を保った。
 そこでは、自然のサイクルの中で、経済的にも成立って
いた。
 サイクルは永遠に、自然に負担をかけずに、巡(めぐ)
った。輪廻した。
 永遠に続く優しい継続する姿だった。
 しかし、古来から育み育てて来た里山と生きる経済シス
テムは、
 例えば1例だが、
 安い外来木材で、里山経済は、大打撃を受けた。
 里山経済は、優しく、微妙なバランスの上に、成立して
いる。
 長い期間、辿(たど)り、至った、輪廻の状態だった。
 外国の場合、
 大きな面積の森林は、
 木々は、すべてを皆、伐採される。
 見はるかす彼方(かなた)まで、畑とし、
 大きなトラクターでの農業をやるシステムだ。
 そこには、
 一面に単一作物があるという農業だ。
 あまりにも広大な、大きな畑に働く農家の人たちは、
 あまりに広大な故に、農地であるため、
 何処にいるかが、分からない。
 日本の場合、里山を生かし、自然を壊さず、『利用させ
て戴いています』の精神で、自然の中に人の所在も分かり、
 里山も人格があれば『お礼を言うでしょう』と感じる。
 その中で、時が流れて行く。
 世界で、『サトヤマ』という日本語が、世界語になって
いるという。
 その様に、注目を集めている日本の里山の成り立ち。
 キリスト教には、「地を従えよ」と説く、教義がある。
 『自然の征服』を教義としている。
 仏教は、地には仏があちこちに居られるという教え。
 キリスト教の教えから出る結果は、総べて地にある木々
は伐採である。征服の教えから当然の姿なのだ。
 萌映ずる草草はトラクターで踏みにじり、そこに生きて
居た生き物へは目が届かず、
 鳥や獣、虫たちの生きる姿も踏みにじる。
 キリスト教は、それが教義なのだ、「これでよいのだ」
という。
 「神の居る天のみ清浄」。「地は汚(けが)れている」
とキリスト教は教える。
 「自分さえよければ良い」のキリスト教なのである。
 自分以外の生命への思いやりの教えを説かなければいけ
ない今なのである。
.
(追伸)
 本「(株)貧困大国・アメリカ」の著者・堤未里氏が
言う。
 「アメリカでは驚愕(きょうがく)の事態が進行中。
 それは人々の食、街、政治、司法、メディア、暮らし
そのものが、じわじわ蝕(むしば)まれていく。
 あらゆるものが、巨大企業に飲まれ、
 株式会社化が加速する世界。
 果たして国民は、主権を取り戻せるのかが疑問になっ
ている」。
 キリスト教国・アメリカの実態・姿を言っている。
 征服する強いものが良い、
 勝って取れれば自分のものにする、
 それが神の義なのだという、
 自分さえよければいいというキリスト教の根底に流れ
る教えが、この様な形になって現われている。
 TPPもこの形だ。流れだ。
.
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by suba28 | 2013-08-27 15:46 | 皆様とともに 幸せになりたい

国家百年の大計の知的戦略を・・

 題:国家100年の大計の知的戦略を・・
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 (読売新聞、2013・8・7)によると、
 安倍政権が、今年度から、東大や京大など、22の大学や
研究機関に、計64億円の研究支援費を、新たに配分するこ
とを決めたという。
 大変、結構なことをして戴いたと感じる。
 大学の国際競争力を高めるのに欠かせない知的戦略など、
 主に研究支援を担う人材を配置する資金で、各大学・機
関に、年間2~4億円を、10年間に渡り配分する・・と、あ
る。
 この重点配分も「ぴったり」である。
 特許など、知的財産の、この部分を強くする必要性が、
日本にはあった。
 それでなくても、そこへ新たな資金を投入する必要性は、
今後ますます増大していく。
 新たな知恵・知的財産が、日本で生まれても、
 折角の『打ち出の小槌(こづち)』が、
 この部分が薄弱では、
 日本が、折角、先発明しても、
 肝心の特許権などの知的財産などが、
 他国へ持って行かれる。
 これでは、投入した投資資金も戻らず、
 また、国も富まない。
 それでなくても、iPS細胞の場合の様に、一生懸命、日本
の担当の方々が努力していても、
 アメリカの様に、びっくりするくらいの巨大な資金を投
入し、行く先々の特許などを押さえる事もされている。
 大いに、知的財産戦略の参謀部分に、資金を投入して戴
きたいものである。
 この部門の強化が『肝心なところ』、『要のところ』な
のである。
 新聞によると、研究で、一定以上の成果をあげている全
国27の大学・機関から選んだという。
 これも最適である。
 先の政権の様に、国防予算に匹敵するような巨大な資金
を投入しようとしたが、研究をちょっとかじった輩も恩恵
にあずかれるという策では、資金に群がる連中も多く出現
するだろうことは明らかだった。
 国民の税金の無駄t無駄遣いであった。
 「実績をまず作りなさい」の今回の策は適切です。
 そして、新聞では、最大の年間4億円の配分を受けるのは、
東大、京大、東北大、名古屋大。
 筑波大、早稲田大、自然科学研究機構など12の大学・機
関には3億円、
 北海道大など6大学にも2億円がそれぞれ配分されるとあ
る。
 そして、5年後に中間評価を行ない、
 成果が不十分な大学への支援を打ち切ったり、支援額を
見直したりするという。
 まったくこれも素晴らしいと感じる。成果優先主義OK。
 過去のこの類いの評価は、甘かった感がする。
 極端に言えば、研究支援費目当てに、作られた研究もあ
った様に感じる。
 資金を与えっぱなしにしないことが大切。
 そして、成果が上がって良いところには、「相手がびっ
くりするくらいの資金も出す」という様な裁量を取って戴
きたい。
 また、新聞には、使い道について、大学側の裁量も認め
る方針としている。
 これも素晴らしい。
 研究というのは「アイデア一つで180度、変わる時もあ
る」。
 柔軟な、臨機応変に、適切に、タイムリーに資金を振り
向けて行きたいのだ。
 そして、新聞は、国際共同研究を進める人材や、海外の
優れた人材を確保するための年俸制の導入などを提案して
いる大学もあるとある。
 これも大切なことだ。
 日本の大切な頭脳が、アメリカなどへ流出することを嘆
いていることが多かったが、
 日本への外国の優秀な『頭脳の流入』に意を砕いて行か
ねばならない。
 「シンガポールの目覚ましい発展は、ここに『キーポイ
ント』がある」。
 シンガポールは、世界の頭脳を集めたところに発展の基
がある。
 ここの戦略も、国家100年の大計の視点で、しっかりや
って行って戴きたい。
.
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by suba28 | 2013-08-27 01:08 | 皆様とともに 幸せになりたい

後に続く人たちの知恵を信じないという愚行

 題:後に続く人たちの知恵を信じないという愚行
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の言葉を「宣教」と称して述べ伝える事は、
人類にとって良い事なのだろうか?
 また、人類の幸せに通じる事なのだろうか?
 『ベストの宣教』となっているのだろうか?
.
 今までの、何千年という経過を見る限り、
 あまりにも多くの人たちが
 酷(ひど)い形で、祈りを無にされている。
 『無益か』と言うより、『害ある結果』となっている。
 あなたたちは、害ある行為に携わっていると言える。
 キリスト教は、遠い昔に『既に使用に耐えなくなって
いる宗教』と言える。
 砂漠の地で、
 民族、我が民族が・・と、我が民族のみの生存・存続を
祈った、
 ぎりぎりの生存を祈る状態なら、
 ぎりぎりに赦(ゆる)せたとしても・・。
 今、手にする事の出来る資料で知る、これ以後の、この
様な状態・感じでは、
 『否』とはっきり言える。
 実は、福音書の記述者たちも、その様なことを感じてい
た。
 その時、そこで、
 「ある者は棄てた」。
 また、ある者は、
 「このままでは駄目だ」・・と、「自分に納得する様に
書き換えた」。
 「神のなすこと、変えてはならない」と思っていたが、
 変えざるを得ない実情だった。
 当然、「棄てた者たちの福音書』は、
 われわれは見ることが出来ない。
 現存する訳が無い。
 そして、そこで、我々が手にすることが出来ない、書き
残す行為を捨てた記述者の福音書へは、だからこそ、重い
想いを、はせなければならない。  
 今、我々が、手に出来ているキリスト教の福音書は、
 ある特定の記述者たちの福音書。
 「衝撃的だが、自分の納得する様に変えてしまおう」と、
 その様に考え、行動した記述者たちだけの福音書なのだ。
 その様な福音書を、手にしているのだ。
 キリスト教の聖書に書かれた内容は、
 その様に、
 誰が呼んでも完全で、非の打ち所の無い内容・代物(し
ろもの)というものでは 無かった。
 異論百出の 論議の湧いていた代物だった。
 削除・書き込みが多いという状況。
 ズタズタに切り刻まれ、 変転している。
 誰が書いたのか、また、誰が書き込んだのかも、
 まったく不明な 「多くの手」によっていじられ、変遷
して来た。
 その様に、福音書記述者さえ戸惑い、
 また、その他の多くの人たちをも戸惑わせた代物だった。
 この事は、後世のキリスト教聖職者とて同じこと。
 「聖書を一人で読んではならない」・・と、指導もされ
ている。
 つまり、誰もがが、何時、いかなる時でも、
 また、何処で読んでも良いという代物ではないという事。
 誰もがが、いつも、「ためになったと、感銘する代物で
はない」。
 棄てた福音書記述者の存在が、
 目に見えない記述者の方々の事まで、思い描かなくては
ならない。
 記述拒否の福音書のほかに、昔には、『数多く、書かれ
た福音書』があった。
 つまり、書かれたけど、「消えた福音書」が、あまたあ
ったのである。
 そのいくつかが、近年、発見されているが・・。
 紀元4・5世紀の頃、
 キリスト教福音書が確定して来たが、
 そのキリスト教聖書が確定して来た頃、
 聖書に載せられなかった、記載されなかった福音書、及
び、キリスト教の関係書類が、
 『処分されていた』という史実が残っている。
 最初の福音書と言われている「マルコによる福音書」に
は、参考にした書があった。
 それは「遠い昔に死んだイエスの言葉を集めたもの」と、
言われている書だった。
 この資料は、あちこちに参考にされ、利用され、影響の
大きい資料となっている。
 この資料も処分された。
 現在は無い。
 今は、参考にして書いたという「マルコによる福音書」
などから、その資料のことに思いはせなくてはならない状
態。
 その資料の片鱗をうかがい知るしかない。
 その有名な資料は、「G資料」と言われている。
 その様に、その他の資料の処分で、今は、
 「全体像が見えない状態」なのである。
 一部で見ている状態なのである。
 このことだけででも、
 この様な中に『真実はない』と言える。
 聖書がまとめられたという4・5世紀の時の、
 「ある一つの主義・主張」で、
 その頃に固まったその主義・路線だけの範囲で、
 こじんまりと収(おさ)まり、
 それ故に、なお悪いことに、
 その他のもの・書や資料は、『不用』と、その時点の者
たちは考え、
 足を引っ張るからと思い、
 その他のものは不用と写り、
 その貴重な「その他のもの」は、
 キリスト教の、『その時』の、権威者たちの手によって、
 人類の遺産を、
 狭い範囲の者たちの手によって
 処分されてしまった。
 後世の人たちが、永遠に見ることができない形に、
 されてしまった。
 後世の人たちの、
 あまたいる、後に続く人たちの、
 『知恵』を信じないという愚行をしてしまっていた。
.
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by suba28 | 2013-08-26 15:07 | 皆様とともに 幸せになりたい

聖骸布について・・誰でもわかる事が

 題:聖骸布について・・誰でもわかる事が
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は嘘が多いが、程度の悪い嘘は、『考古学的
発見の嘘』である。
 21世紀に入る少し前、『イエスの巻き物』が発見された
と騒がれた。
 これには、学者も騙された。
 新聞・雑誌も大々的に報じた。
 また、21世紀に入って、間もなく、イエスの弟・『ヤコ
ブの骨壷』が発見されたと騒がれた。
 『イエスの巻き物』は、現代科学の力で、捏造(ねつぞ
う)が証明された。
 「ヤコブの骨壷」も、専門家たちは、やはり偽物とみて
いる。
 キリスト教は、キリスト教も嘘が多いが、その嘘が伝染
したのか、キリスト教の周りも嘘が多い状態。
 キリスト教は、自分に嘘が多いし、その嘘を言い張って
いるから、他を批判できない。
 この様な事で権威が落ちている事を自覚していない。
 特に、「聖骸布」の嘘はまったく改めようとしない。
 イエスが刑での死後、十字架から下ろされたイエスに、
布が被(かぶ)せられた。
 また、布なら、軟らかで、しなって、イエスの顔は、横
幅が広くなり、太っている様に見えるわけだが、
 まったくその様ではなく、
 正面からの正常な写真の様に描かれている。
 その布に、イエスの顔や体が、さも、プリントされた様
に描かれているというものである。
 化学分析の結果、中世のころのもの(布)と判明してい
るが、キリスト教は認めようとはしない。
 また、近年、キリスト教会は、この布を修復したという
(人間が修復したらいけません)、また、複数あるという
ことが何か変な感じがする。
.
 (参考)ねつ‐ぞう【捏造】 [名](スル)《「でつぞう
(捏造)」の慣用読み》事実でないことを事実のようにこ
しらえること。でっちあげること。「記事を―する」
 (参考)wikipediaには、以下の記述がある(抜書き)。
  聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、キリスト教
でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死
んだ後、その遺体を包んだとされる布。イエス・キリスト
の風貌を写したという布には、聖ベロニカのベール、自印
聖像など、複数あったといわれるが、ここではただ一つ現
存するトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノ
の聖骸布」(Shroud of Turin)を解説する。
 通常は一般に向けて常時公開されてはいない。カトリッ
ク教会の大聖年にあたる2000年に一般公開され、その後
2002年に修復作業が施された。2010年には修復後初めて
一般公開された。
 イギリスのサリー州ギルフォードで開業していた医師の
デイヴィッド・ウィリス博士が写真を元にした検討をした。
それによると、聖骸布の像の人物の背中には多数の鞭打た
れた後があり、3本の皮ひもの先に2つの小さな金属球がつ
いた「フラグム」という鞭で打たれたと考えられる。放射
線状についた傷の跡から、二人の執行者によって鞭打たれ、
右にいた人間の方が若干背が高かったとされる。
 聖ヨセフ病院の外科医長ピエール・バルベは実験を行い、
聖骸布で示される位置に釘を打つと手首の骨の隙間を押し
広げてとおり、簡単に貫通した。また神経の損傷により親
指が内側に曲がることを発見し、聖骸布の状態を確認する
と親指が隠されて陰影は写っていなかった。また、イエス
の磔の絵はほとんどの場合手のひらに釘が打たれて描かれ
ており、これらのことは聖骸布の陰影は誰かによって人為
的に描かれたのではなく、(イエス本人であるかは別とし
て)実際に磔刑にされた人物によるものであるという強い
医学的証拠である。
 「律法」によって死者は日没までに埋葬しなければなら
なかったため、ユダヤ人の受刑者は日没少し前までに死亡
しない場合、脚を折って死を早められた。聖骸布の人物の
脚が折られていないことは明瞭である。また、右脇に楕円
状の傷がある。ここから流れる血による陰影には、色の濃
い部分と薄い部分とがあり、血液と透明な液体とが混ざっ
ていたと考えられている(ウィリス博士)。
 これまでの調査では、その信憑性について支持的なもの
から懐疑的なものまで、結果は多岐に渉る。あるときは顔
料で描かれた絵であると推定されたり、後年の創作物であ
ると結論づけられたこともあった。
 1988年の調査では、オックスフォード大学、アリゾナ大
学、スイス連邦工科大学の3機関において、考古学などで
資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定(炭素14法
年代測定)が行われた。その結果、この布自体の織布期は
1260年から1390年の間の中世である、と推定された。
 1973年にスイス警察犯罪科学班のフライ博士によって行
われた聖骸布の花粉調査によって、レバノン杉をはじめ、
49種類の花粉粒が発見された。その中の13種類については
死海周辺にしか群生していない植物のものであった。しか
し、これはあくまでそう言う花粉粒が発見されたというだ
けであり、聖骸布が中東方面から来たとする絶対的な証拠
となるわけではない。
 また、ネガ状の全身像についても、どのような過程でそ
こに付着したのか、もし後年作成されたものであったとし
てもどのような材料や方法でそれを作成したのか、などま
だ不明な点が多い。
 カトリック教会は布の真偽に関係なく、信仰のための重
要な道具であるとの立場である。
.
 (?の追記)この文に記した様に、『布は被せられた』
のではなく、『巻かれた』のだとされている。
 この文に、『被せられた』と記した理由は、巻かれたの
であれば、1例として、耳などが、耳の正面から描かれてい
る様に写っているわけですが、
 聖骸布は、カメラで正面から移したようにプリントされ
ている。
 つまり、正面から見た耳となっている。
.
 (追伸の追伸)
 『神の御業(みわざ)』が、この様な聖骸布をなしたと、
主張するキリスト教が、
 何故、修復しなければならなかったのですか?
 神のなせる御業(わざ)は、完全ではないのですか? 
 神の御業が完全であるなら、修復は不要なはず、
 必要ないわけではないのすか? 
 それが、修復が必要だったということは、『神は完全な
事はなされなかった』ということなのですか?
 キリスト教が、修復したと発表したのは、「神の御業は
不完全なのだ」と発表したようなものではないですか。
 さらに、『神の御業がなしたものを、人間の手で修復し
た』とは? おかしいのではないですか?
 神が不完全だから人間が修復しましたと言っている様な
ものです。疑問です。
.
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by suba28 | 2013-08-23 13:14 | 皆様とともに 幸せになりたい

生き延びている宗教の『態』

 題:生き延びている宗教の『態』
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスの教えが意味を持つのは、『紀元前20年~紀元
70年の間においてだけ』・・という主張がある。
 この主張は、イエスの思想は『今・現代において意味を
なしていない』という主張であって、
 1例をあげれば、
 イエスは、当時のユダヤ教の「清浄規定」に反対した。
 その時代は、第二神殿の再建と増築によって霊性と聖性
をますます強調する動きが拡大した時代であり、
 その時代において、ユダヤ地方と下部ガリラヤ地方での
ユダヤ教の宗教生活を定義づけるものは、「ミクヴァオー
ト」(ユダヤ教の祭儀に用いられる浴槽)であった。
 さらに、「石の器」が習慣的に造られ、売られ、買われ
たのは、その時代のみであった。
 霊的清さを確かなものとする「ミクヴァオート」と、
 その中身が汚れに染まってしまわないように守る「石の
器」は、エルサレム神殿の祭司たちによって展開された、
極端なユダヤ教の「清浄規定」に基づいて要求されたもの
であった。
 その様な背景において、イエスは反対運動をした。
 イエスは言う。「みなさん、私の言う事を聞いて悟(さ
と)って下さい。外から人の体に入るもので人を汚すこと
が出来るものは何もありません、人の中から出るて来るも
のが、人を汚すのです」・・と。
 これは、民をいじめていた、ただ、山のてっぺんに神殿
を建てて、君臨していた宗教権力。
 それでなくても、武力で征服したローマ政府の権力組織
の圧政を受け、苛(さいな)まれていた民をターゲットに、
ひと儲けしようという行為だった。
 民に、何ら、ためにならない宗教権力を誇示するだけの
「エルサレム神殿宗教権力」に放った「イエスの怒り」だ
った。
 「神殿税」という重圧を民にかけ、
 更に、無益な、当時の宗教教義から来ている「清浄規定」。
 イエスは、揶揄(やゆ)った。
 馬鹿馬鹿しい「清浄規定など止めてしまえ」の気持だっ
た。
 イエス特有の理屈っぽい言葉を放った。
 変な「清浄規定」なんか作って、民を惑(まど)わせ、
民を不安に陥(おとしい)れ、
 「ミクヴァオート(浴槽)」買わすとは・・。
 キラキラとした作られた権威、
 空虚な権威をちらつかせ、
 迷信を信じ込ませ、
 民から金を巻き上げて。
 「そんな浴槽で体を洗ったって、清浄なんかになるもの
か」・・。
 「外から人の体に入るもので、人を汚(けが)すことが
出来るものは何もないのだ」・・。
 浴槽で清浄になんかする必要は無いのだ。
 あなたたちは知らないが、
 「人の中から出てくるものが、人を汚すのだ」。
 イエスは、当時の「神殿の宗教権力」にこの様な言葉で
対抗した。
 イエスの言葉は、民の苦しさを知る心から発した。
 『当時の、社会事情においての言葉』だった。
 今・現代にない、神殿の宗教教義に抗した。
 イエスの思想は、この言葉の例のように、BC20年~AD
70年のあいだ「のみ」に意味を持っている。
 この間の期間にだけ、意味を持っている言葉なのだ。
 経時(時の経過)の劣化が明らかなのだ。
 この言葉を、現代のキリスト教聖職者が、「尾ひれ・は
ヒレ」を付けて話したら、それは、イエスの言葉を借りて、
利用して、自分の宗教観、「この聖職者の独自の宗教の披
露行為となる」。
 自分の話に自分が酔っている。
 救う宗教の体をなしていない。人々を幸せにする態をな
していない。キリスト教ではない。
 この様に、キリスト教聖職者が、勝手に自分の好きなよ
うに、キリスト教を演じているから、キリスト教は、四分
五裂して、分派がいっぱいの状態になっている。
 キルケゴールは言う、「キリスト者とは信仰の飛躍をす
る者」だ・・と。
 キリスト教は、四分五裂し、形を変えて(キリスト教で
ないキリスト教が)生き延びている。
 教義が破綻した宗教が起こす現象の『これは一端』なの
だ。
..
(追伸)前記した、イエスが言った言葉だという、
 「みなさん、私の言う事を聞いて悟(さと)って下さい。
外から人の体に入るもので人を汚すことが出来るものは何
もありません、人の中から出るて来るものが、人を汚すの
です」・・は、
 イエスの衛生観念や衛生に関する知識についても教えて
いて興味深い。
 実は、本当は、衛生のために浴槽に入って身体などを洗
い、清潔さを保つというエルサレム神殿の「清浄規定」は
正しいのである。
 イエスが間違っている。
 イエスは、やはり古代人なのだ。
 イエスは、「細菌の存在を知らない人」なのだ。
 イエスの言葉の「外から人の体に入るもので人を汚すこ
とが出来るものは何もなく・・」という言葉は、『大間違
い」。
 外から入るものこそ、清浄にし、衛生的にしていなくて
はならないのだ。
 イエスの考えている事とまったく逆なのだ。
 病気の原因の細菌を知らないイエスなのである。
 イエスの「外から入るもので、人を汚すものは、何もな
い」は無邪気な無知識だ。
 イエスは、人々に「間違った『宣教』をしている」。
 イエスは、人々に「私の言う事を聞いて悟りなさい」と
言っているが、真実を聞いたら、恥ずかしくて、イエスは
顔を真っ赤にするだろう。
 「知ったかぶりをシテ、人々に無知な事を言ったと恥じ
る」だろう。
 イエスは、「人の中から出て来るものが、人を汚すのだ」
と言っているが、
 キリスト教聖職者が、ここを美しく「人が発する『言葉』
を含めて話をする場合が考えられるが、これは「エルサレ
ム神殿の『ミクヴァオート(浴槽)』の売り付け行為の
「清浄規定」に関する場合なので、人の発する言葉を含め
た話に仕立てるのは脱線である。
 例え、「人の発する言葉を入れたとしても、確かに、人
が発する言葉は「人を汚す場合」もあれば、「宣教の言葉
の様に『ロゴス』となって人々を導きもする」。
 イエスの「人から出るものが汚す」は、細菌など目に見
えない「真に汚すもの」を知らない人間の言葉で、
 このイエスの言葉は、「目に見え得る『糞尿』について
言った言葉だ」。
 ここには、イエスの古代的知識しかない。
 『イエスの限界』はやむを得ないが、現代人には何ら
示唆など、当然、与えないという結果となっている。

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by suba28 | 2013-08-22 16:32 | 皆様とともに 幸せになりたい

人類の負の遺産、キリスト教によること・・。無駄にすまい。

 題:人類の負の遺産、キリスト教によること・・。無駄にすまい。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教には『(キリスト教の)神の義があれば、人
を誅しても良い』の教義や、『異教徒は殺せ』の教義があ
る。
 自分を中心に考える宗教です。
 悲しいかな!これが悲惨な戦争やキリスト教の極悪行為
の原因となっています。
 キリスト教はこの教義を改めなくてはならなりません。
 また、キリスト教は、ユダヤの方々を執拗に殺して来ま
した。
 キリスト教の聖職者たちは、ユダヤの方たちへの憎悪を
掻き立てました。
 そして、迫害を加えることに凝り固まって来ました。
 改めなくてはならなりません。
 キリスト教聖職者は、「ユダヤ民族は、キリスト殺し民
族だ」と、ユダヤの方々への憎悪を掻き立てました。
 この意識が不幸の発端でした。
 そしてまた、新たな罪を、聖職者は発生させていました。
 キリスト教聖職者は、ヨーロッパ中に「ユダヤ人撲滅」
を説いて回わりました。
 『ユダヤ人の追放』も説いてまわりました。
 その為、『異端審問所』が作られました。
 特に、スペインは過激でした。
 びっくりするくらいの大勢のユダヤの方々を、キリスト
教の異端審問所経由で、焚刑の刑場へ送り、生きながら焼
きました。
 ユダヤ人の方々は、隣国のポルトガルへ逃がれました。
 隣国のキリスト教国であるポルトガルも「ユダヤ人追放
令」を出しました。
 ユダヤ人は、アメリカの新大陸へも逃れました。
 すると、卑劣にも、スペインは、キリスト教徒と同行し
たキリスト教聖職者たちが、インディオの多くの方々を殺
しに殺し、全滅にしました。そしてその、人の居なくなっ
た地に、ユダヤ人追放のための異端審問所を作りました。
 作られた異端審問所は、血しぶきを揚げて回転を始めた。
 それでも、ぞくぞくと入り込むユダヤ人をさばききれず、
審問官は、イタリアの法王庁に援助を求めました。
 執拗に、ユダヤ人を追うキリスト教の異端審問の流血の
歴史は、メキシコや、フィリッピンと広範で、執拗で、陰
湿でした。
 キリスト教の性格そのままでした。
 人種偏見宗教=キリスト教。陰湿宗教=キリスト教であ
る。
 ユダヤ人憎悪、そして、蔑視の宗教=キリスト教。
 キリスト教のこの卑劣行為は、次の聖書の記述に一端が
あります。
 「イエス言いたまう。『もし(汝ら)アブラハムの子な
らば、アブラハムの業をなさん。しかるに汝らはいま、神
より聴くきたる真理を汝らに告ぐる者なるわれを殺さんと
はかる。・・汝らはおのが父、悪魔より出でておのが父の
慾を行なわんことを望む。彼ははじめより人殺しなり』」
(ヨハネによる福音書、8章)。
 卑劣極まりないことを、よく言うことよ。
 このイエス・キリストの怨念の言葉が、ユダヤ人を悲惨
な目にあわす元凶となっています。
 キリスト教聖職者は、「汝らはおのが父、悪魔より出で
て・・・」を説き続けて来ました。
 今も、説いていいます。卑劣な宗教めと感じる。
 この様な宗教では人類は救えません。あなた方も幸せに
はなれません。
.
(追伸)
 これからのキリスト教が、真に人類に貢献し、生き残る
事が出来る道は、今まで行なってきた悪さ加減を、隠すこ
と無く、あらいざらい白日の下に曝(さら)し、正直に表
明することです。
 「今、一部で、法王が、懺悔(ざんげ)し、悔い改め、
ミサを行なったりしていますが、少ない状況です」。
 そして、ネガティブな面での人類貢献(人類繁栄の足を
引っ張ってきた極悪行為・行動)を、これからはしない、
行わない・・という、これからの態度を、これは『表明す
ることになります』。
 この行為をしてこそ、『キリスト教の誠実さが表明され
る』のです。今の状態は『不誠実な状態』です。
 そして、これは、今までの様な、嘘で言い逃れし、嘘で
固めた、今までのやり方を『反省したことを表明したこと』
になります。
 そしてまた、これからの悪行為を『止める』ことにもつ
ながります。
 今、キリスト教が犯した膨大な人類の『負の遺産を生か
す時代』が始まったのです。
 また、キリスト教は、その『努力』をして下さい。ホッ
カムリは駄目です。
 その行為・行動によって、キリスト教は、今までに、人
類(特に弱者)に行って来た、極悪行為の『本当の真実の
贖罪になります』。
 今までの様な、自画自賛の贖罪では駄目です。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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by suba28 | 2013-08-20 02:47 | 皆様とともに 幸せになりたい

古代からの長い期間ある意識を、払拭しなければならない。

 題:古代からの長い期間ある意識を、払拭しなければならない
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 戦国時代に覇(は)を競っていた各大名は、富国強兵の
ため、また、生き残りのため、南蛮船が持って来る「鉄砲
や弾薬の原料」などの軍需物資が、喉(のど)から手が出
るほど欲しかった。
 ここは、「キリスト教の布教に貢献した」と、キリスト
教系学者も認めるところ。
 『死の商人』をしていたキリスト教宣教師たち。
 キリスト教になったというキリシタン大名は、キリスト
教の宗教を知って、そのキリスト教を理解して、キリスト
教になったのではない。
 武器弾薬が欲しかった。
.
 そのキリシタン大名の子供の代になり、
 キリスト教宣教師も居なくなると、
 キリスト教と、まったく、関係のない状況になった。
 そして逆に、
 キリシタン大名の子に、「キリスト教のことを悪く言う」
という文献が残されている。
 子供として、父親の姿を見ていて、その状況が、この様
な態度をとらせたと考えられる。
 キリスト教との関係は、本当に嫌になる状態だったのだ
ろう。
 何しろ、キリスト教は、基本的に、日本人を馬鹿にする
という心が根底にある。
 有色人種の蔑視である。
 これが古代から抜けていない。
 キリスト教の教えの根底に、日本人に限らず、アフリカ
の黒人の方々を侮辱したキリスト教聖職者の言葉が残って
いるが、
 また、南米などで蛮行した出先が、
 本国へ問い合わせているその返答が、
 現地人の方たちを『人間ではない』と答えている。
 日本においても「日本人を馬鹿にしている記録が残って
いる」。
 キリスト教は、この根底にある、長い期間、古代から払
拭することが出来なかった「人種的偏見の意識を、払拭(
ふっしょく)しなければならない。
.
(追伸) 戦国大名が、キリシタン宣教師たちが持ち込ん
だ物資を欲し、代わりに領内の布教を許したのは、いつ果
てるともなく続いていた戦乱の中で、貿易によって富みを
蓄積し、輸入した強力は火器(武器)によって戦いを有利
に導いて行きたかったから。
.
 (参考)は【覇】 1 武力や権力によって国を統一し、
治めること。「天下に―を唱える」 2 競技などで優勝す
ること。
 (参考)は【覇】 [常用漢字] [音]ハ(呉)(漢)
1 武力で天下を取る者。「覇王・覇者/五覇」 2 力によ
って支配すること。また、競技で優勝すること。「覇権・
覇道/制覇・争覇・連覇」 [名のり]はる [難読]...
 (参考)し‐の‐しょうにん【死の商人】 営利本位に兵器
を製造・販売する業者や資本。中世ヨーロッパで、敵味方
を問わず武器を売り込んだ商人をいった語。
 (参考)ふっ‐しょく【払拭】 [名](スル)はらいぬぐ
い去ること。すっかり取り除くこと。一掃。ふっしき。
.
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by suba28 | 2013-08-16 13:41 | 皆様とともに 幸せになりたい

自分の都合を優先することを許す宗教

 題:自分の都合を優先することを許す宗教
 ...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教が守るべき律法。その中で、食べて良い動物
は、「蹄(ひづめ)が割れていて、反芻(はんすう)する
動物」のみ。
 故に、蹄が割れていない馬は、食べてはならない。
 また、豚は、蹄が割れているが、反芻しないので食べて
はならない。
 故に、魔女事件で、魔女にされた女性を陰湿に虐(いじ)
めるキリスト教聖職者は言う・・、
 「ブタを食べただろう」・・と。
 可哀想なその魔女にされた女性は、「食べてません」「
食べてません、豚は食べると気持ち悪くなるから、食べら
れないのです」と一生懸命に言うが、イジメ抜かれた女性
は、命を落としめられる。
 この様に、キリスト教には食べてはならない食物がある。
 この事例の様に、動物の豚もその様な食べてはならない
動物。
 また、海や川にいるものの中では、食べて良いものは、
ヒレと鱗(うろこ)のあるものだけ。
 イカやタコや海老もそうだ。食べてはいけないのだ。
 また、貝やウナギも、当然、食べてはいけない食物とな
っている。
 また、食べて良いことになっている牛肉は、しっかり血
抜きをしなければならない。
 (肉汁たっぷりのステーキは駄目)。
 キリスト教の一派:「エホバの証人の」は、輸血も駄目
としている。
 幼い子が、この医学の発達した現代、立派な病院で「輸
血」を拒否され、尊い幼い子の命を落とし、救えなかった。
 また、「肉を乳で煮てはならない」という戒もある。
 別々に煮ても、同時に食べてはいけない。
 皿に盛る時も、同じ皿に盛ってはならない。
 キッチンの流しも別にするとよい。
 (こんな時代錯誤な教え、信徒はほとんどが馬鹿にして
守らないと、適当にやっている。『自分の御都合』を優先
しているのだ。元々、キリスト教は低劣な教義に満ちてい
る。勝手に皆で破って平然としている宗教なのだ。一面で
は「神だ」「神だ」と言い、別の面では『自分の御都合を
優先する』。それを組織的にキリスト教は目をづぶってや
っている。組織自体が御都合主義にどっぷり漬(つか)っ
た宗教なのだ。くだらないの一言。こんな宗教を信じて、
皆様が幸せになれるはずがない)。
 着るものも、「男は女の着るものを着てはならない」と
なっている。そしてまた、反対に「女は男の着るものを着
てはならない」となっている。だから、女が「ネクタイ」
をする事が出来ない。
 また、2階にバルコニーを設ける時には、「手摺をちゃ
んと設けるようにしなさい」というのもある。これは当た
り前。言われなくても。落ちてしまうではないか。
 マニュアル宗教のレベルなのである。
 そして、『ユダヤ教徒の意識で死んだイエス』を供犠(
くぎ)として利用したパウロのキリスト教の宗教企画(現
在のキリスト教)をキリスト教の宗教教義とした。
 そして、今では、多くのキリスト教聖職者でさえ信じて
いない「復活」を、「イエスの復活はあった」とパウロは
宗教企画に決めた。
 しかし、パウロは、肝心な「イエスの行動や言葉」はい
りませんと、必要ありませんと、捨ててしまった。そのこ
とを文にしてまでして残した。パウロの都合、お好み。
 そして、キリスト教は、ユダヤ教正典を「旧なる神との
契約の書」の地位に貶(おとし)めた。
 「神の子」を勝手に作ったキリスト教は、良かれと思っ
てやったのだろうが、神を『神の地位』からも貶(おとし)
めた。
 神に、「時間に捉われる」という行為をさせている。こ
の様な「大失態」をもしている。
 また、名も呼んではならないという神概念を崩す行為を
している。
 神を、「ある空間」の中に置くという行為もキリスト教
はしている。
 これでは、まったく、「人間と同じではないか」。
 この事例の様に、キリスト教は、神に良かれとやったが、
「神への大冒瀆(ぼうとく)」をしている。
.
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by suba28 | 2013-08-15 13:51 | 皆様とともに 幸せになりたい


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