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たとえ、言ったとしても・・。

 題: たとえ、言ったとしても・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の(「マルコによる福音書」6・1~6)に、
 故郷のナザレに帰ったイエスに、故郷の人が、イエスについ
て言う、
 「この人は、大工ではないか、マリアの息子ではないか」と。
 多分、イエスが大工だと知ってて、母親のマリアの家族も知
っているので、近所の人なのだと思われる。
 イエスの父親のヨセフが、大工ということは、有名なので、
誰でも知っているだろうが、
 イエスも、父親と同じ大工だったという事が分かる。
 後を継いだのだろう。
 この発言をした人は、イエスを良く知っているので、近所の
人で、大工仕事を、イエスに発注し、頼んでいたかもしれない。
 イエスも、この人の様な人から、賃金を貰(もら)って、生
計(せいけい)をたてていたのだろう。
 ヨセフが、どうやら、早死(はやじ)にしている様なので、
マリアや兄弟・姉妹は、イエスの賃金をあてにしての生活だっ
たのだろう。
 マリアは、ユダヤ教の神殿のエルサレム神殿に、一番安い供
犠(くぎ)である鳩を持って、御参(おまい)りに行っている
ので、家計は楽な方ではなかったと考えられる。
 イエスは、長男で、兄弟・姉妹も多かったので、イエスの肩
には、この多くの家族の重責(じゅうせき)・責任がかかって
いた。
 しかし、イエスは、どうやら「仕事に精を出す」ような人で
はなかったようだ。
 イエスは、遊行(ゆうこう)する人と言われている。
 その分、母・マリアが、イエスの肩代わりをして、働かねば
ならない状態になっていたと考えられる。
 イエスの大工仕事は、現代の大工さんの仕事の様な「家を建
てる仕事」ではなく、
 イエスは、「家具や農具の製作や修理を生業(すぎわい)」
にしていた。
 イエスは、「托鉢(たくはつ)」はしていないので、この大
工仕事が、主な収入源だったようだ。
 しかし、毎日、仕事に精を出すということではなく、時折
(ときおり)、仕事をし、遊行するという身分であった。
 本当は、家族も困っていたのではないかと思われる。
 その所を、イエスは、しっかり語っていないので、ある意味、
うやむやなので、本当に家族に対する責任感があったのかは不
明、疑問は残る。
 多分、イエスの行動から判断すると、母親のマリアの肩に、
マリア一人に、一身に家計を支えるという重責が、掛かってし
まっていたのだろうと思える。
 この様な状態の中で、イエスと、「弟子」と言われたかは不
明だが、「現代では弟子と言われている」仲間たち(実態は、
弟子がイエスを叱ったりしてもいる)と、エルサレム神殿の前
でお店を開いている民の店を、壊(こわ)すという、大暴れを
演じている。
 イエスが、マリアの家の近所だったのだろう、その場所で
「病気癒しをしているところ」に、母・マリアや兄弟・姉妹が
駆けつけるという事態・事件が起きている。
 母に心配をかけるイエスという状態。
 少なくとも、イエスと「母・マリアや兄弟姉妹」との間は、
「意思の疎通(そつう)を欠く」状態だったと言える。
 少なくとも、イエスは、「家族の理解を得られない中の活動」
をしていると言える。
 家族が、「『逮捕』という言葉を使うような行動」を起こす
わけがない。
 イエスは、家計を心配し、責任を果たすべき長男であるが、
その「家計の責任は放り出し」ている。
 またそこも、誰へも納得させずにいるイエス。
 「筋の通った説明」をして、「そうしてから、活動をする」
ということを「してない」イエスだと言える。
 弟子達も、ある時、言う。イエスは、弟子たちから、「今ま
で、あなたに(従順に)従って来たのだから、わたしたちに、
何をしてくれますか?」などと聞かれている。
 何ら、イエスは、家族もそうだが、弟子達へも、しっかり理
解を得られるような行動をしていなかったと言える。
 例(たと)え、言ったとしても、「理解を得られるように話
すことが苦手(にがて)」なイエスだったと言える。
.
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術的
(じゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
(参考)じゅう‐せき【重責】 重大な責任。「―を果たす」
(参考)ゆう‐こう【遊行】 [名](スル) 1 遊び歩くこと。
「外国に―して一時歓娯を極むるに似たれども」〈織田訳・花
柳春話〉 2 さまようこと。
(参考)すぎ‐わい【生業】 生計のための職業。なりわい。
(参考)たく‐はつ【托鉢】 [名](スル)僧尼が修行のため、
経を唱えながら各戸の前に立ち、食物や金銭を鉢に受けて回る
こと。
(参考)とき‐おり【時折】 [副]ときどき。ときたま。
(参考)そ‐つう【疎通/疏通】 [名](スル)ふさがっている
ものがとどこおりなく通じること。また、筋道がよく通ること。
「意思の―を欠く」「意思が―する」
(参考)にが‐て【苦手】 [名・形動] 得意でないこと。また、
そのさま。不得手。
(参考)せいけい‐ひ【生計費】 生活を維持するために必要な
費用。生活費。
    (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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by suba28 | 2013-07-31 13:39 | 皆様とともに 幸せになりたい

行動の原点に・・・。

 題:行動の原点に・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イスラエルの民に「選民思想」というものがある。
 「神に選ばれし民」という思想である。
  自民族を特権意識下に置く思想で、
 生まれて来る子供達も、否応なく、
 誰かれ構わず、特権意識に洗脳され、
 芽生えさせられ、世代を繰り返していく。
 そして、その特権意識は、一人歩きをして悪さを始める。
 そしてまた、この意識は、キリスト教と共に伝搬して行く。
 また、砂漠の地である飢餓の地で生まれたキリスト教が持っ
ていた「自民族存続のための思想」、
 隣国の富の奪い取りを『是』とする「特権思想」。
 この思想と相まって悪さは際限なく繰り返されていく。
 (キリスト教の)神の義だとして、正義とされた略奪行為の
「行動の原点」にある考え方。
 そして、キリスト教と共に、ヨーロッパへも伝搬して行く。
 ヨーロッパ人へ影響を与えたこの思想・考え方は、
 全世界の民を、『非選民の異教徒』と見て、
 異教徒とされた世界の民は、洗脳されたキリスト教徒から蛮
行を受ける。世界のあちこちで悲惨な歴史が展開する。
 自民族優先の考え方は、その逆の「異教徒は殺せ」のキリス
ト教の教義を元として生まれ、悪行為の元となっている。
 自分たちを選民だと思い込み、他民族を蔑(さげす)み、ま
た、他民族を利益を吸い取る・略奪するターゲットと見た。
 古い時代から、キリスト教聖職者が、黒人の方々を蔑んだ言
葉が記録に残っている。エチオピアの方々を、「人間ではない」
と無視し、蔑視している。それが、エチオピアでの行動の原点
となっている。
 また、南米・中米、そして、北米メキシコ、及び、それらの
離島でしでかした、キリスト教徒とそれに同行したキリスト教
聖職者たちの蛮行。何と1000万人におよぶかという悲惨な大虐
殺。
 この時も、キリスト教聖職者の「当時の言葉」が残っている。
 現地からの問い合わせに対し、聖職者は、現地の人々を「人
ではない」と、ここでもまた言っている。この言葉が行動の原
点。
 「選民の意識」と「キリスト教の教義」で、世界中で悪行を
して来たキリスト教。そして、その歴史。
 その悪行にまみれたキリスト教の思想は、今・現在も何一つ
変わらず、存在し続けている。そして、あちこちで悪さをして
いる。洗脳するキリスト教会の悪行為。
 イエスも特権意識を持っていた人。その意識から発言した。
 民を、さ迷う羊の如くに見て(何ら、権威ある人格とは見な
いキリスト教)、その意識下での行為が続いている。あたかも、
「肉と毛」を提供する『供犠の羊』と同じ位置付けにしている。
 そして、その様な意識下で接しられ続けている。
 権威づける儀礼の中で聖職者は、自分好みに説く、
 また、自ら特別な権威付けをあらゆるところでする、
 そして、特権がある、権威があると錯覚した存在で、誤解し
た存在で、今でも、悪行為をし続けている。  
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by suba28 | 2013-07-30 15:18 | 皆様とともに 幸せになりたい

民から批判の声があがったらおしまい・・。

 題:民から批判の声があがったらおしまい・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、非常に矛盾の多い宗教だ。
 それ故、人々に正しい示唆(しさ)を与え得ない宗教、与え
ることのできない宗教とも言える。
 その矛盾に気が付いているのか? 
 皆は目をつぶっているとしか言えない。
 気が付いているが、「黙っているという状態」。
 卑劣な事をしている。
 例えば、(「ルカによる福音書」19・1~10)に、イエスが
差別のない人だったと説く。
 「取税人という、ユダヤ社会で嫌われていた人に家に行った
りしていた」と、キリスト教聖書に記されている。
 取税人とは、重税に喘(あえ)いでいた民から、武力で統治
権をイスラエルから奪ったローマ帝国側に立って、代わって、
民から税金を取り立てた人。
 民は貧困に喘いでいる中で、取税人は、取り上げた金で、金
持ち状態だった。
 それは、取り立てれば、取り立てるほど、民を「絞れば、絞
るほど」、取税人・個人の金も増えるという形になっていた
ためだった。
 同じ民族の民から、取税人は、必死に、時にはアクドイ税の
取り立てをしていた。
 当然、「ローマ帝国という虎の衣を借る狐」の状態で、
 取税人は最も嫌われていた。
 それでなくても、民は『神殿税』など色々な税でで苦しめら
れていた。
 イエスは、この民を苦しめる取税人の、「苦しめ行為」を知
っているのか、知らないのか、知らない訳が無いのに、
 この取税人の家に上がり込んで、
 金に明かして、旨い汁を吸って得た金で、旨いものの用意が
されたのだろう。
 イエスは取税人の家に上がり込んで、飲み食いをした。
 民は、イエスを「大酒飲み」とか、「大飯食らい」と揶揄
(やゆ)った。
 これだけが、民のしがない抵抗の姿だった。
 しかし、キリスト教は、この様な状況や、民の気持ちを無視
して、イエスを美化した。
 ただ、盲目的としか言えない美化をした。
 「差別をしない」と美しくキリスト教は言うが、
 逆に、「弱い民をないがしろにする『差別』を、イエスはし
ていた」とも言え、この様な事に目をつぶるキリスト教だった。
 卑劣である。弱い者いじめとなっているのである。
 しかし、この(ルカによる福音書)に、イエスが、何故、こ
の様な事をするのかの、イエスの言葉がある。
 それは、取税人も同じ民族なのだからと言っている。
 そんなのは、当り前。
 同民族の仲間の中でどうするのかの話であるのに、ピントが
ずれた話をしている。
 キリスト教は、「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅
しても良い」の教義があるが、
 その教義の考え方から、飢饉の地のイスラエルの民は、飢餓
状態からの脱出のために、隣国へ攻め込んで、隣国の人を殺し、
富を奪った。
 キリスト教の教義の体質にはこの考え方・思想が流れている
が、『イエスも、まったく、これと同じ』。
 「同民族だからいいのだ」である。ピントがずれている。
 同民族の一般大衆の声はどうするのだ???
 同民族なのだから・・と、言って家に上がり込んで、大酒を
飲み、重税に喘ぐ同民族の民の気持ちを逆なでする。
 何ら民の気持ちを汲んでやっていない。一般の人々・弱い民
のイジメである。人格的には失格者である。
 因(ちな)みに、「取税人は誰でもなれる訳ではなかった。
高い金を出して権利を買う。それが買えるという金持ちだけが、
なれる権益だった」。特権階級だった。強者なのである。
 この「強者の特権に取り入ったイエス」だったとも言える。
 甘い蜜をなめて暮らす人・取税人だった。そして、その取税
システムから、自分の腕力で取り立てる人だった。
 悪辣取り立ての記録がある。
 獲り放題の記録もある。
 『金に魂を売った人非人』。同民族を売った状態。
 民が非常に憎んだ人だった。
 この様な人種にとり入っていたイエス。
 もしかだが、「この鼻つまみにとり入ったイエスに、税金上
の特別扱いを受けていたという話・疑惑は否定できない」。
 その様にも考えたいくらいの、「イエスのいれ込みよう」だ
った。
 イエスの『異常な入れ込み』が評判になるくらいだった。太
鼓持ちイエス状態だった。
 民から悪い批判の声があがったら『おしまい』なのである。
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by suba28 | 2013-07-29 16:00 | 皆様とともに 幸せになりたい

当時の、特殊事情の説明・話で構成されている

題:当時の、特殊事情の説明・話で構成されている
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、「昔はこの様な状況でした」と説明す
るにすぎない本です。
 例えば、(「マルコによる福音書」2・1~12)には、中風の
病気の人が、イエスに癒(いや)されたという話があるが・・、
 これは、古代の当地では、何かその人が悪い事をした報(む
く)い、古代の当地で、決められていた律法を犯したことが、
そうした形で出て来たのだと思われていた。
 悪いことをしたから病気になるという、悪いことをした原因
の結果、病気になるという『因果律』の考え方だった。
 イエスも、この様な『因果律の考え方』を持ち、そう思って
いて、その『因果律の考え方の結果』から行動を起こす人だっ
た。
 また、当時、その人が悪い事をしてないと思っても、先祖の
人が、何か悪い事をしていれば、その結果が色々な病気などの
不幸となって現われてしまうのだ(報い・むくい)ともされて
いた。
 つまり、先祖の報(むく)いが子孫に仇(あだ)となって表
れたと考えられていた。
 このイエスの考え方は、原始の古代時代には良くある『古い
考え方』だった。
 ユダヤ教は明らかにその様に考え、ユダヤ教のイエスもその
様な宗教性に捉(とら)われ、染まっている人だった。
 故に、イエスは、この考え方に則(のっと)って行動をした。
 今・現代の考え方とは、まったく違う行動パターンだった。
 そして、人間が罪を犯しているかどうかの尺度として律法と
いうものがあった。
 一番重要な当時の守るべきものと考えられていた。
 イエスもこの考え方から「病気癒しの行為」をした。
 それは、神から与えられたものと考えられており、
 また、神の命令とも考えられていた。
 そして、神との約束とも考えられており、
 神と交わされた契約なのだとも考えられていた。
 その中には、神と人間との契約以外に、人間と人間との契約
も含まれているというおかしな所もあった。
 その様な考え方から、守らねばならない契約として古代人の
この頃の人は『この律法』を重要視した。
 故に、その中風の本人か、または、その中風の人の先祖の人
かが、律法を破っていると考えられいて、この様な病気になっ
たとされた。
 律法を破っている者は、神に喜ばれない者であるとされ、そ
して、そう考え、この様に、律法は非常に怖い報いがあり、だ
から、その怖さから逃れたい、報いを避けたいという気持ちか
ら、律法は守らねばならないもの、守るべきものとされていた。
 イエスの活動は、この様な、古代の観念の中で行なわれた。
 以上の様な、現代には無い、色々な細々(こまごま)とした
事情の説明を受けない限り、そのほとんどが理解できない、理
解不能な、当時だけの特殊な事情の下(もと)での話だった。
 キリスト教の聖書は、この様な、古代の特殊事情の説明・話
で構成されていて、だからその当時の古代は、「こうしました」
と、その説明があるという本なのである。
 現代とは、まったく、異質な次元の話で、
 その特殊な事情ゆえ、
 今・現在では、何ら得るべき様な所は無いといえる。
 結局、古代の、針の先で突(つつ)く様な特殊な事情のもと
で、イエスが、その特殊事情で「ああした」「こうした」とい
う話なのである。役に立つような所はない。 
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by suba28 | 2013-07-28 00:24 | 皆様とともに 幸せになりたい

千変万化するのである・・。

 題: 千変万化するのである・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、聖職者を美化し、権威付け、その繰り返しが
続けられ、神と同等という人間まで生み出されたという『自画
自讃の宗教」。
 例えば、「マルコによる福音書」では、イエスの挙動不審を
心配した家族が、そのイエスの挙動不信行為が続くと、家族も
強くイエスに対して対応し、行動する様になる。
 聖書の原文には、「家族がイエスを逮捕しようと出掛けた」
とある。
 「逮捕」とは穏便な言葉ではない。
 そして、人々は「イエスが正気ではないと言っていたから」
と、家族のイエス逮捕に出掛ける理由を書いている。
 イエスも、この様に辿(たど)って来た経緯(いきさつ)に
快(こころよ)く思っていなかったのか、
 「ただ、イエスに『悪霊追出し』をして貰おうと、集まった
だけの人々」に対し、『私の兄弟、姉妹、また、母なのだ』と
言う。
 イエスの前にいる人々と言ったって、イエスの前に座ってい
るだけの人々、宗教的な事は何もしていない人々。
 ただ、イエスからの行為を期待して、集まっている人々なだ
け、特に何もしていないのに、イエスは、この人々を『神の御
心を行なう人』と讃える。
 そして、決して言ってはいけない事、イエスの母・マリアや
兄弟や姉妹を、『わたしの母、わたしの兄弟とは誰か(わたし
を逮捕に来るような人など、親でもなければ兄弟でもない)』
とまで言う。
 最愛の家族を、ここまで言う、最悪のイエス。
 ここを、「マタイによる福音書」は、まったく変えてしまっ
ている。「マルコによる福音書は」を参考にして書かれた「マ
タイによる福音書」であるが・・。
 「マルコによる福音書」のこの部分を完全に削除してしまっ
ている。
 そして、ここを、マルコはまったく違う態度に変更して、イ
エスを丁重に扱う形にしている。
 『母上と御兄弟たちが、お話したいと外に立っておられます』
としている。
 そして、さすが、何も宗教的行為も何もしていない、「ただ、
集まった人々」を、あなたたちが『親・兄弟以上の人たちだ』
とはしなかった。
 ここには「イエスの弟子たちを登場させた」。
 イエスが「弟子たちの方へ手差し伸べて」となっている。
 手を差し伸べる行為は、権威のある聖職者が、祝福を与える
時にする宗教的な典礼の態度の権威づけに変えた。
 弟子たちを宗教的・典礼的に祝福し、弟子たちを権威づけた
いのである。
 マルコの「イエスの前の群衆は完全に無視された」。
 そして、「マタイによる福音書」の50節では、
 『天の父の御心』という荘重な宗教的用語まで飛び出し、
 マルコと、まったく違う、「権威付けにせいを出している」。
 この方向は、『聖職者が聖職者を美化』し、『権威づける行
為』の習慣化へ向かった。
 『按手(あんしゅ)』というサクラメントなどの宗教的儀礼
の虚偽の行為による「使徒的権威」が、キリスト教は、虚(う
つ)ろに、もったいぶって伝えられて行く。
 この様な素人(しろうと)とダマシ的な、一見、厳(おごそ)
か的行為と観念が捏造(ねつぞう)され、最後は、虚飾をまと
って、『一切の過(あやま)ちから免(まぬが)れられる』・
・という、『途方もない盲想』が、キリスト教徒へ洗脳され、
あやつられ、繰(く)られて行く。
 頂点に居る教皇は、「無謬」、一切の誤りがない、誤りがあ
るわけないと、恐ろしい変質・変転への道を辿って行く。
 因(ちな)みに、「ルカによる福音書」の、ここのところは、
「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行なう人
たちの事である」と、手のひらを返すように、穏便に、
 また、母・マリアや兄弟たちの顔を立てている。
 キリスト教の聖書なんて、適当なものである。
 『右を書け』ば、『左も書く』、『どちらでもよい』と言っ
ている。どうにでも、千変万化するのである。
 この様なもので、人類が救済されるわけがない、皆様が幸せ
になるわけがない。
 (参考)せんぺん‐ばんか【千変万化】 [名](スル)さまざ
まに変化すること。
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by suba28 | 2013-07-26 13:44 | 皆様とともに 幸せになりたい

サマリア人は、今でも・・。

題: サマリア人は、今でも・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の発生の地は、砂漠の地だった。
 飢餓に見舞われる地だった。
 飢える民は、耐えた。そして、さ迷った。
 民族の生き残りの希望から、
 『自民族さえ、生き残りたいとの宗教』が生まれた。
 故に、「神の義があるから」との免罪符の教義から、
 隣国の富・食糧を求め、奪いに攻め入った。
 その行為は、「神の義がある正義」とされた。
 今、恵まれた現代でも、キリスト教はこの教えのままでいる。
 聖書の記述は何ら変えていない。
 恵まれた環境にある現代の人々も、この考え・教義に洗脳さ
れ続けている。
 当時、あまりに悲惨な地の人々は救世主を求めた。
 その救世主を見ると・・・
 キリスト教聖書に記述されている救世主の系図。
 そこに記されている『ソロモン王』。
 キリスト教は美しく伝えているけれど・・・。
 実際は、酷(びど)い王であった。
 キリスト教の救世主にはこの様な酷い人間が多い。
 ソロモンは、王位に就(つ)くと、まず、反対派を粛清した。
 そして、エジプト王の娘と政略結婚した。
 そして、エルサレム神殿(第一神殿)を構築した。
 キリスト教の聖書の(サムエル後書 7章)には、
 神・ヤハウェの言葉として、
 「われはイスラエルの子らを、エジプトより導きだせし時よ
り、今日にいたるまで、家に住みしことなくして、
 ・・・われイスラエルの子らすべてとともに歩めるところに
て、汝ら何故にわれに香柏の家建てざるやと、
 ・・・一言だれにも語りしことあるや」・・とある。
 エルサレム神殿は、ヤハウェが居る所としてソロモンは建て
た。しかし、ソロモンの行動が、この様に聖書にはあるが、聖
書の教義を犯していた。
 ソロモンは、妃(きさき)が700人、妾が300人という女性
に関心を奪われた王だった。
 また、ソロモンは、異民族に対し、厳しく専制君主の振舞い
をし、奴隷にし、酷使した王だった。
 奴隷という「人家畜」の世界だった。
 自分たちさえ良ければ良いである。キリスト教の教義・精神
である。
 自分の出身部族のユダ族のみを優遇し、他の支族には粛清で
臨み、それで団結の鉄拳を振るった。キリスト教の説いた「異
教徒は殺せ」である。
 ソロモンの政治は派手で、大土木工事をし、民衆を圧迫した。
 民衆の怨嗟(えんさ)の声は巷に満ちていた。
 人手の挑発は、国民10人に1人という大挑発で、6~10人の
家族と考えれば、ほぼ1家族に1人が連れて行かれるという
「一家の働きがしらを奪う」という悲惨という言葉が当てはま
る悪状況だった。
 ソロモンが死ぬと民衆は不満を爆発させた。
 イスラエルの国は崩壊した。
 ダビデ王からわずか70年だった。
 以来、イスラエルは、兄弟が相憎み合うような愚かな状態が
続いた。何も輝かしい状態ではなかった。
 そして、いつ果てるともしれない猛烈な戦争の時が流れた。
 『自分さえよければ良いの考え・教義』の崩壊である。
 この愚かな種を撒(ま)いたのがソロモン王だった。
 国は急速に衰えて行った。
 漁夫の利を得る形で、周辺国が王国に侵入し始め、まず、エ
ジプトがユダ王国に、エルサレムが略奪され、
 ソロモンの貯めた財宝も奪われ、
 そして、アラム人に北王国が獲(と)られ、
 なのに、内戦をうち続けて国力を衰微させ、
 農村は荒廃し、借金の利息は最低でも25%になり、
 ますます貧富の差は開き、
 町には浮浪者が満ちた。
 国の連合の宗教は、結び付ける力が弱く、
 一旦、衰微し始めると抑えが効かない状態となった。
 イスラエル人が王位に就く王国支族も出る始末。
 世は乱れた。
 イスラエル北王国は、残虐なアッシリアによって、逐次、蚕
食(さんしょく)された。
 首都(サマリア)は、3年間、防戦したが陥落した。
 サマリアの残虐さは、王を捕えて目をつぶし、貴族を串刺し
にし、民衆を奴隷にして追放した(売り払った)。
 イスラエル十二支族中の十支族は、土地を完全に追われ、そ
の後、まったくどうなったかが分からないという状態。
 歴史の中に完全に消滅し、彼等がその後どうなったかは、誰
にも分からない状態。
 この切っ掛けがソロモンのあまりにも過酷な圧政であった。
 サマリアの地には、混合異民族が来た。
 それは、征服したアッシリアの政策だった。
 それは、サマリアに居た民は奴隷として連れ出し、その後、
異民族の移民をサマリアの地へ連れて来た。
 そうして民族意識を破壊し、抵抗の根を絶やそうとした。
 故に、サマリアは混合異民族の混血の民となった。
 故に、彼等は昔は連合の支族だったが、南方のユダ王国・支
族の民・ユダヤ人から、「サマリア人」と賤(いや)しく呼ば
れた。
 差別された。
 イエス・キリストさえ蔑(さげす)み賤しんだ。
 イエスの心底にはこの様なところが流れている。
 (マタイによる福音書、10章)に、
 イエスの言葉として、「異邦人のみちに行くな。またサマリ
ア人の町にはいるな」と。
 今でもサマリア人は生存している。しかし、・・・。
 キリスト教聖書に書かれたが故、悲惨な事に、今・現在でも、
サマリア人は虐げられ、ゲリジムの山の付近に居て、
 二千数百年間、
 自分たちの内部にだけ閉じこもっての生活だという。
 結婚も同部族だけの血族結婚の繰り返しとなってしまい、
 不具者が非常に多いという。
 イエスに虐(しいた)げられた事を言われ、
 そして、キリスト教に忌み嫌う教えを説かれ、
 キリスト教聖書にも虐げの言葉を刻(きざ)まれ、
 長年、虐げ続けて来たキリスト教の『悪行為の結果』である。
 差別である。
 キリスト教は卑劣な事をして来ている。
 今・現在もしているという卑劣な宗教だ。
 サマリア人の民族は、絶滅の日が近いと見られている。
 悲惨な事だ。
 キリスト教、何が、人類救済の宗教と言えるのだ。愛の宗教
と言えるのだ。
 (参考)えん‐さ【怨嗟】 [名](スル)うらみ嘆くこと。
 (参考)蚕食 cánshí [動] 蚕食(さん/しよく)する,じわじわ
侵略を重ねる。
       (詳しくは、以下のブログに)
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by suba28 | 2013-07-25 14:17 | 皆様とともに 幸せになりたい

いくらかでも丁寧に読めば気が付くことなのだが・・。

題: いくらかでも丁寧に読めば気が付くことなのだが・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の本の著者で、日本の大学で勉強し、そして更に、
外国の大学でキリスト教『神学』を学んだ博士(○○○○氏)
が言う、
 (キリスト教の聖書は、ある1つの宗教理念・哲学・宗教が、
書かれているものと思うが、そうではない)、
 新約聖書の各文書では、多くの場合、互いに相容れない立場
が主張されていると言った方が適切である。
 もちろん、ある程度は似たような立場の文書もある。
 しかし、対立している場合には、大変大きな立場の相違があ
る・・と。もう、口があんぐり開いた話である。
 こうなったら宗教ではない。よく信仰していられるなと思う。
 この言葉は、「キリスト教は、右でもいいし、左でもいい
という宗教です」と言われているのだ。
 また、「キリスト教は、右でも駄目、だからって、左でも駄
目という宗教です」とも言われている。こんなの宗教ではない。
 キリスト教の信徒へ『道が示せない宗教』ですと言われてい
る。宗教として存立していない。
 この言葉は、「宗教としての駄目通告」を受けた言葉である。
 この『事の重大さに気付かない』知識レベルの人たちだけが
残る宗教と言える。方向性を示しえない宗教=キリスト教。
 この研究者も言う、『なかなか、そこまで深く読む人はいな
い」・・と。
 また、『いくらかでも丁寧に読めば気が付くことなのだが」
・・と。
 また、「盲信が先にあるから」、
 また、(キリスト教会から)権威あるものと『先入観を植え
付けられているから』・・と言っている。
 そして次、もう1つの話。
 科学的知識も進み、
 また、倫理観に関する知識も発達した人々=現代人、
 これは、長い時の流れの中で得た知識である。
 過去の人たちの『積み重ね』の上にある。
 得難い特性を持つに至った現代人。
 この様な目で、キリスト教の聖書の言葉を見ると、
 種々、気になるところも出て来る。
 例えば、(「マタイによる福音書」12・9~14)に、
 「あなたたちのうち、だれか羊を1匹持っていて、それが安
息日(日曜日)に穴に落ちた場合、
 手で引き上げてやらない者がいるだろうか」。
 そして、(「ルカによる福音書」14・1~6)には、
 「あなたたちの中に、自分の息子か、牛が、井戸に落ちたら、
すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
 この様な、誰でもわかる行動原理の話を、
 馬鹿馬鹿しい当り前の話を、
 くどくどと聖書という書物の中に記し、
 「神の言葉だ」と押し頂いて、
 何度も読むのが信仰が篤(あつ)いと讃(たた)えられる。
 この様な書を、何度も読む行為は正しいのだろうか?
 日曜日であっても「牛」や「羊」が穴や井戸に落ちたら、
 すぐ引き上げなさい。
 ましてや、愛する息子が井戸に落ちたら、何も考えずに、
愛息を引き上げなさい。死んでしまうではないか。
 キリスト教の聖書のことなど考えて「躊躇する事ではない」。
 この様な馬鹿馬鹿しい話を、キリスト教聖職者は、体面を保
つために、くどくどと話を、いらぬ話をするのだろうが、これ
に関し、すぐ「聖書は間違っています」「息子さんを助けてや
って下さい」と言ってやって下さい。
  (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
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by suba28 | 2013-07-24 13:13 | 皆様とともに 幸せになりたい

分からせよう、悟らせようと・・。

 題: 分からせよう、悟らせようと・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 英国のチャーチルの息子が、キリスト教の話を聞いたのち、
イエスの弟子たちを「まったく、豚野郎ではないか」、「スカ
タンではないか」と叫んだという。
 キリスト教の聖書の(「マルコによる福音書」4・1~20)を
見ると呆(あき)れる。
 「お前は偉(えら)くない」とかの話で、足の引っ張り合い
をする。そして、「偉い人におもねって、私も偉い」と主張し
たりしている世界となっている。
 この様な、悪さが生まれた原因の一端は、イエスにもある。
 イエスが12人の「使徒」を選んだが、この後で、イエスは言
う、「使徒に『秘伝』を授(さず)けた」と。
 ここで、知的で節度あるグループであるならば、その状態に
なっても節度は崩れずに、保たれるのであるが、
 このグループは違った。
 「特別な『権威』が生まれた」。
 『権威が好きなキリスト教』の芽がここにもある。
 面目躍如というところ。
 そしてまた、呆れることなのだが、その権威の『お取り巻き』
が、生まれる。
 使徒たちの権威に、おもねり、へつらい、寄りかかる連中が
生まれる。太鼓持ち連中。
 更に悪いことに、この様な連中が良くやること、『弱い者い
じめ』である。
 それ以外の人たちを、蔑(さげす)む行為を始める。
 それ以外の人たちを『外(そと)の人々』と呼び、蔑んだ。
 そして更に、キリスト教の旧約聖書を引用してまでして、「
外の人々を貶(おとし)めたりした」。
 マルコは怒って福音書に、「使徒と呼ばれる君たちこそ、何
も理解していないではないか(秘伝を授けられたなどと有頂天
になるな)」と書く。
 イエスも悪い、「秘伝を授けられた者たちは分かるが(理解
できるが)、それ以外の者たちには分からない」などと言った
りしている。
 そして、いやらしく、そっとイエスににじり寄って、ヒソヒ
ソとイエスに質問する弟子たち。いやらしく陰険なグループ。
 更にイエスは言う、
 「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、
あの人たちは許されていないからである」と。
 まったくの差別だ。
 自分のお気に入りの者たち・にじり寄る『可愛い者たちだけ』
を讃美する。
 仏教の、常に寄り添い、その人が分かるように、「分からせよ
う、悟らせよう」と導く姿勢を学ばせたい。
(参考)おもね・る【阿る】 [動ラ五(四)]人の気に入るよ
うに振る舞う。へつらう。
(参考)たいこ‐もち【太鼓持(ち)/幇間】 人にへつらって
気に入られようとする者。
   (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
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by suba28 | 2013-07-23 13:59 | 皆様とともに 幸せになりたい

「使徒」とは?・・から、始まる話。

 題: 「使徒」とは?・・から、始まる話。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 「使徒」とは?(「マルコによる福音書」3・7~19)で、
 「イエスが任命し、名付けた」と書かれている。
 また、「派遣して宣教させた」と書かれている様に
 「使い(宣教)に行く徒」の意味だけなのだ。
 そこを、後のキリスト教会が、もったいぶって威厳を付けた
り、格付けしたりと、格好良くした。
 「使いっぱしり」と言っては可哀想だが、そこまで言わなく
ても、その様なものだけだったのだ。
 キリスト教会は、何でもかんでも「権威、権威」の権威の
亡者だった。
 また、(「マタイによる福音書」1・37)で、
 イエスが、「みんなで行って・・宣教しよう」と書いている
様に、「イエスの、救世主との意味合いは、全くない」。
 この福音書の記述は、「イエスは、唯一のメシア(救世主)
キリスト」という主張はしていない。
 この主張は皆無、まったくない。
 生前のイエスを記しているのに「救世主・イエス」ではない。
 生前のイエスに接していて、行動しているのに、「救世主・
イエス」がまったくない、感じさせない。
 イエスは、さも、『使徒の一人』ぐらいに位置付けている。
 そして、この後に記されていることが、
 「(使徒たちに)悪霊追い出しの権能を持たせた」とある。
 イエスだけの能力なのではない。
 誰でもできることなのだ。
 そして、この「悪霊追い出し」をする行為を宣教と捉えてい
た。
 イエスたちは、「宣教した」と、そしてまた、「宣教した」
と、聖書にたびたび書かれているが、
 肝心の『宣教の宗教的理念』が、聖書にまったく書かれてい
ない。
 どんな理念の宣教かと、どうしたものかと思っていたが、
 そして、その宗教的理念が、どこを見ても、不明であったの
だが、
 イエスたちは、何ら「宗教的理念を持って、それも高い次元
の宗教性を説いているのかと思ったが、
 その様な理念を、高らかに、言葉を、その宗教理念を、述べ
伝えているわけではなかった」。
 ただ「悪霊追い出し行為」を、
 ただ「それだけを」しているだけだった。
 悪霊追い出しとは、悪霊を追い出したという達成感で、
 心療的効果を得る事で、それを『目玉にしていた行為』で、
 医療的行為であって、宗教的行為ではない。
 キリスト教は、あえてここを『宗教だ』『宗教だ』と言って
いる宗教。
 そして、イエスは「心療療法師」だ。
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by suba28 | 2013-07-22 02:47 | 皆様とともに 幸せになりたい

その行為を、特別視し、信仰対象とした。

 題:その行為を、特別視し、信仰対象とした。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスが、実際に、実在したかは確定できないのが現状な
のだが、イエスが在世の頃、
 ユダヤ民族は、様々な重圧を受けていた。
 武力でユダヤ民族の権力を奪った「ローマ帝国」。
 そして、民は、ローマ帝国に『富み』を吸い上げられた。
 また、その「ローマ帝国に媚(こ)びる、ユダヤ人の裏切り
傀儡(かいらい)政権」。
 その様な政府だから、民へ重圧をかけた。
 そして、『ローマ帝国のお先棒かつぎ』の手先のユダヤ人の
徴税人(民から金を取り上げた。取り上げれば取り上げるほど、
自分の身入りが良いというシステム・規則だった)。
 そしてまだ居る。民へ弱い者いじめをする者が。
 山の頂(いただき)に神殿を作る、一握りの宗教的な特権集
団、エルサレム神殿の聖職者たち。
 宗教を誇示しながら、民へ「神殿税」を掛け、「旨(うま)
い汁」を吸っていた。
 この様な、様々な重圧を受けていた民。
 心理的重圧も、現代からは想像を絶するものだったと思われ
る。
 それ故、イエスの癒(いや)しの行為は人気だった。
 医学の発達した現代、イエスの行為の必要性は『広い』こと
が分かっている。
 身体的機能麻痺について、想像以上に多くの麻痺が「心因性」
の原因と、起因するということが分かっている。
 イエスは、心療的治療師と言える。
 イエスの治療を欲していた民も多かったのだろうと、それも
絶大に多かったのだろうと想像できる。
 イエスの奇跡物語はここから生まれた。
 現代医学からは、当然のこととして証明できること。
 今では、普通のこと。古代だから、珍重されたのだろう。
 奇蹟的にも、神がかり的にも見えたのだろう。
 そして、「この奇跡感」や、「神がかり感」から、キリスト
教は生まれてきた。
 その行為を、特別視し、信仰対象とした。
(追記)
 この時、「イエスに触(ふ)れたがる群衆」や、「さわりた
がる群衆」が、多かった・・というのは、完全に、病気治癒の
ため、病気が治りたいがためである。
 その目的で、イエスのところに集まった、押し寄せた。
 聖書学者は指摘する。「何故、これ等の群衆は、皆、癒(い
や)されたという記述がないのか?」と。
 結局、この状況から宗教性が付加され、宗教性をもって、癒
されるという「御利益(ごりやく)を求める」御利益宗教へと
移行していく。
 群集は熱狂する。それだけ、民は抑圧されていた。
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by suba28 | 2013-07-19 17:04 | 皆様とともに 幸せになりたい


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