2017年 06月 04日 ( 1 )

(増補版)532E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1891年2月~1891年3月)

題:(増補版)532E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1891年2月~1891年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1891年3月1日、東京手形交換所が設立された。
  手形交換所は、一定の地域内に所在する金融機関が申
 し合わせによって、定時に決まった場所へ約束手形や小
 切手などを持ち寄って、その決済交換を行う。
  その場所を言う・・そして・・、
  1879年12月に、16の銀行が参加した大阪手形交換所が
   日本で最初のものであり、
   以後、手形法制の整備に伴って、
  1880年10月、東京でも為替取組所が創設された。
  1883年9月、東京銀行集会所の機関である手形取引所が
   創設され、
  1887年、東京手形交換所がその下部機関として発足。
  1891年3月、日本銀行も参加してロンドンで行われてい
   た銀行が日本銀行に持つ当座預金を通じた振替決済
   が導入された。
    また、この時東京銀行取引の直属の機関となり、
   東京交換所と改称された。
1891年3月1日、大阪鉄道会社線の王寺~高田間が開業した。
1891年3月2日、衆議院で、予算修正案が可決した。
  妥協策に基づき当初予算から650万円が削減された。
1891年3月6日、徳川育英会、育英黌に農業科を設立した。
  後の東京農業大学。
  (参考)黌:コウ、オウ、まなびや(意読み)
  東京農大の原点「育英黌農業科」は、現在のJR中央線
 飯田橋駅近くにあり、
  創立者は、逓信、農商務、文部、外務の大臣などを歴
 任した榎本武揚。
  当時の新聞には、「~専ら実際応用的に教授し~」な
 どと、その実学的な教育を報じた。
1891年3月8日、神田ニコライ堂の開堂式
  東京・神田駿河台に日本ハリスト正教会が、宣教師ニ
 コライによって創建され、開堂式が行われた。
1891年3月9日、第1回帝国議会が閉幕した(3月7日説あり)
  大日本帝国憲法の下で、日本が立憲政治の第1歩を踏
 みだす。
  帝国議会は、貴族院と衆議院の2院で構成され、
  貴族院は、公選制ではなく、皇族や華族と国に功績の
 あった人その他の中から天皇陛下が任命する議員で組織。
  定員は251人、そのうち皇族10人、5等爵のうち第1位の
 公爵10人、第2位の侯爵21人、第3位の伯爵14人、第4位の
 子爵70人、第5位の男爵20人、天皇陛下みずからの選定し
 た勅選が61人、多額納税者が45人。
1891年3月18日、ロンドン~パリ間で国際電話が開通した。
  ロンドン・パリ間に海を越えて電話開通し、両市にて
 盛大な開通式が挙行された。
1891年3月18日、山陽鉄道会社線の三石~岡山間が開業した。
1891年3月19日、立憲自由党が自由党と改称して、板垣退助
 を総理に決定した。
  立憲自由党大会が行われ、党名を自由党と改称し、板
 垣退助を総理に選出した。
1891年3月23日、小口の生糸に対しても、200マイル(321.9
 キロメートル)以上運送するものは、すべて4級の運賃に
 割引(鉄二調甲第106号)
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国が、破たんすると予測されている。
.
紀元前3世紀頃、朝鮮の紀元前3世紀頃、前漢初期に、衛氏
 朝鮮が中国に冊封されて以来・・、
  1895年に、日清戦争で、日本が清を破り、下関条約に
 よって、朝鮮を独立国と認めさせるまで、ほぼ一貫して
 中国の冊封国であった。
  以上の様に、韓国・朝鮮は、中国に冊封(さくほう)
 され続けて来た。
  また、生き延びるために、冊封されるしかないと判断
 され、冊封された。
  それは、一面、ともに苦しむべき可哀想さを感じるが、
 中国は、冊封者として傲慢に振る舞った。
  韓国・朝鮮が、それに怯(おび)え、卑下(ひげ、自
 分をあえて低い位置に引き下げてへりくだること)する
 態度に、傲慢に振る舞う中国があった。
  韓国・朝鮮は、中国の使節に若い娘を差し出してまで
 して、至れり尽くせりの接待をした。
  また、毎年、数千人の美女を献上したという記録もあ
 る(その様な主従関係下に置かれた)。
  韓国・朝鮮の長い冊封の時代は、その様な主従の関係
 で続いた。
  韓国・朝鮮は、国の誇りを捨ててまでして、生き延び
 ざるを得ない状況下の冊封体制に置かれた。
  中国の冊封は、そこまで要求した。
  (参考)冊封(さくほう)とは、称号・任命書・印章
    などの授受を媒介として、「天子」と近隣の諸国・
    諸民族の長が取り結ぶ君臣関係(宗属関係/「宗
    主国」と「朝貢国」の関係)を伴う、外交関係。
  中国王朝は、その国力と中華思想を背景に、近隣諸国
 との外交関係樹立において、臣下の礼を求め、そして、
 交易や対外的な権威を相手国へ認めた。
  しかし、当の中国の歴史教科書には、この東アジアの
 外交秩序は、中国を中心とする「冊封体制」で成り立っ
 ていたという説明は、まったくない。
  韓国も、ほんの少しが説明されているだけ。
  また、日中関係で、奴国王、卑弥呼、倭の五王なども、
 別に中国の皇帝から認められる前から王だった。
  中国との対外関係に有利なので、肩書きをもらっただ
 けで継続的な冊封関係ではない。
  故に、日本が、中国に対して対等だったという事は、
 百済に対する日本の支配権を、中国が認めなかったので、
 日本から国交を断絶している。
  また、懐良親王や足利義満の日本国王は、中国側もそ
 の上に天皇陛下が居られることを認識し、そして、承知
 していた上での交流だった。
  日本は、中国とは、気ままに、必要があれば、ときど
 き交流していただけで、朝鮮などと同じ冊封にあったの
 ではない。
  また、明治期に於いても、日清修好条約は、完全な対
 等条約だったし・・、
  さらに、副島種臣は、中国皇帝に三跪九叩頭なしに拝
 謁することを認めさせ、それまで外交使節が皇帝に会え
 なかった西洋諸国も、やっと、この問題から解放された。
  そして、日清戦争の日本の勝利などを経て、朝鮮、琉
 球、ベトナム三か国との冊封関係も、近代国際法におい
 ても解放した。
  (参考)三跪九叩頭礼:さんききゅうこうとうれい、
    臣下が皇帝に対面するときの儀式で、3度ひざま
    ずき、そのたびに3回ずつ頭を床につけて拝礼す
    るもの。
.
1865年4月14日、この日、アメリカ大統領リンカーンが暗殺
 されたが・・、
  この事件を考える上で、南北戦争に於いて、その戦費
 が、どこから調達されたかを見ることが、重要な視点と
 なる。
  アメリカのこの戦争の場合、南部は、イギリスのロス
 チャイルド家から借金をして、戦費を調達した。
  この時、ロスチャイルド家は、30%もの高利率の利息
 を要求し、取った。
  一方、北部はリンカーン大統領で、自国の財務省に通
 貨を発行させ、戦費を賄(まかな)った。
  北部は、金融資本から借金をしないどころか、自ら通
 貨を発行するという行為に出た。
  この様な行為、通貨発行を始めると、ロンドン・シテ
 ィーの国際金融資本にとって大きな痛手となった。
  通貨発行権を握って、ボロ儲(もう)けのパターンが
 崩れたからだった。
  当時の「ロンドン・タイムス」の社説は、以下の様に
 記した・・、
  「アメリカ政府は、通貨をコストをかけずに供給する
 事になる。
  そうするとアメリカ政府は債務を完済し、債務のない
 国になる。
  アメリカ政府は、商業活動上、必要な総ての通貨を所
 有する事になり、文明国の中で、市場類のない繁栄を謳
 歌する事になる。
  総ての国も、人材も、富も、アメリカ合衆国に移動し
 てしまう。
  だから、アメリカ政府は、打倒されるべきである。
  さもなければ、アメリカ政府は、地上のすべての君主
 国を破壊するだろう」。
  これほど強い危機感を、イギリスは、通貨発行権を失
 って感じていた。
  そして、1865年4月14日、リンカーンは暗殺された。
.
1910年、相次ぐ西欧諸国の干渉は、清朝のチベットの宗主
 権を反故(ほご、約束や決まりなどを取り消したり、破
 ったりする。無効にする。破棄する)にしようとした。
  そこで、四川省西部のチベット、カム地方には、中国
 農民の移住が行われ、東チベットは、1910年、西康省と
 なった。
  北京から帰国の途、清朝の侵略ぶりを見聞したダライ・
 ラマは、1909年に、軍の撤退を要求した・・が、
  翌年・1910年、四川軍がラサに進駐し、ラサ市内で発
 砲する暴挙を行った。
  そこで、ダライ・ラマは、ロシアに避難しようとした
 が、種々の障害によりイギリスの勧告に従いインドに非
 難した。
  こうして、ダライ・ラマは、親露政策を転換してイギ
 リスの武力援助を要請した。
  ところが、1911年に、辛亥革命が起こり、四川軍の勢
 力は衰退していったのを機に、
  翌年・1912年、ダライ・ラマは、ラサへ帰り、残存軍
 を一掃し、チベットの完全独立と漢人の追放を宣言した。
  一方、中華民国の大統領・袁世凱は・・、
  「チベットは中国本土の各省と同等の地位に立つ」と
 の声明を発表した・・が、
  イギリスは、袁世凱に対して、中国のチベットに対す
 る宗主権の『否定』などの要求を通達した。
  ここが、現代のチベット問題の始まりで・・、
  この時、ドルジェフによりモンゴリアとチベットは、
 再接近しようとしていた。
  (参考)モンゴリア:モンゴル族の居住地であるモン
     ゴル国を中心に、中国の内モンゴル自治区やロ
     シア連邦のブリヤート共和国などから成る、シ
     ベリアの南、万里の長城の北に広がる広大な高
     原状の地域。
  そして、両国は、1913年、蒙蔵条約により互いに独立
 を承認しあった。
  その後、この状態の収拾のためシムラ会議といわれる
 イギリス、中国、チベット三者会談が実現した。
  この会議での中国の主張は
  1、 チベットは、中国領土の一部である。
  2、 中国は、駐蔵大臣をラサに駐在させ、従来通りの
   権利を有する。
    かつ、衛兵2600人中1000人はラサ駐在、ほかの1600
   人は各地に分駐させる。
  3、 チベットの外交軍事事務は、中国中央政府の指示
   を受けて行うこと。
    中央政府の許可なしに外国と訂約できない。
  4、 チベット人で中国人のために監禁され、財産没収
   されたものは全て釈放返還のこと。
  5、 中国とチベットの国境は、この文章の附図に示し
   たとおりとする。
  英国の主張は
  1、 中国は、チベットの独立を承認する。
  2、 チベットの国境は、崑崙安定塔以南、甘粛省西部、
   四川省打箭炉及び雲南省阿敦子以西に至る。
    新疆省と青海はそのうちに含めるものとする。
  3、 イギリスは、チベットと単独に通商条約を締結す
   る。
  4、 中国軍隊は、チベットに駐屯してはならない。
  5、 中国は、チベットから強奪した財産は賠償する
   こと。
  チベットの主張は
  1、 チベットの独立承認。
  2、 チベットの領域は、青海、リタン、パタン、打箭
   炉を含む地域とする。
  3、 1893年、及び、1908年の印蔵通商条約は、英蔵両
   国にて改訂する。
  4、 中国は、官員をチベットに置くことはできない。
  5、 中国、蒙古各地寺廟は、ダライ・ラマが教主であ
   ることを認め、ラマを派遣してこれを維持すること。
  6、 中国は、強制徴収した税金、及び、蔵人の受けた
   一切の損失をことごとく賠償すること。
  ・・となっているが、
  英蔵側と中国側の意見には、はなはだしく離れており、
 討議は6ヶ月続いたが、結局、シムラ会談は決裂し、イギ
 リスとチベットのみにより、調印が行われた。
  この結果、現在も、中国側は、宗主権は昔のまま存続
 すると考え、
  チベット側は、ダライ・ラマの独立宣言は、あくまで
 有効であると考えた。
  チベット問題の起因は、1959年に起こったチベット動
 乱よりも以前から始まっていた。
  チベット問題を解決するためには、これらの史実を十
 分に認識した上で、互いの民族が互いの民族を理解しよ
 うとすることが大切。
  互いの理解がないうえで問題を解決しようとしても、
 そこに誤解が生まれ、憎みあう結果になる。
  1959年以降、100万を超えるチベット人が、中国軍に
 よって殺されたり、
  また、政治犯として捕らえられ、そして、その結果、
 死亡したり、
  物価の上昇を起因とする飢餓によって死んでいる。
  互いに互いを理解することが最低条件である。
.
1913年1月、ダライラマ13世は、亡命先の英領シッキムから
 チベットに帰還し、
  1913年2月に、国民に向けて有名な布告文をだした。
  この時のダライラマ13世による『布告』の時点で、チ
 ベットは独立国家であると判断された。
  各主張は・・、
  ①チベットの主張:「チベットは自由な独立国である」、
  ②中国(清末新政期の清朝と中華民国と中華人民共和
   国)の主張:「チベットは中国の主権(sovereignty)
   下にある」・「中国のチベットに対する主権」(チ
   ベットを付庸国・付属国にあたる属国ではなく、中
   国本土の省と同等の属地とする)、
  ③英国と英領インドの主張:「チベットは中国の宗主
   権下にある」・「中国のチベットに対する宗主権と
   チベットの自治(自治権)」である。
.
1945年7月8日、アメリカ国内で、ドイツ人捕虜の殺害事件
 (真夜中の虐殺)が起きた。
  ユタ州サライナの捕虜収容所で、収容されていたドイ
 ツ人捕虜が、機関銃で銃撃され、9人が殺害され、20人
 が負傷した。
  因みに、すでに、2ヶ月前の1945年4月30日に、ヒトラ
 ーは自殺し、ドイツは降伏しており、この事件は、ドイ
 ツ降伏後に起きた。
.
1945年12月31日、アメリカ占領軍組織のGHQは、日本で
 教える「修身」や「日本史」「地理」を教えるなと、「
 停止ニ関スル件」を発令した。
  修身、日本史、地理の授業は中止となり、教科書は回
 収された。
  アメリカの卑劣なやりたい放題の命令だった。
.
1962年、終戦後の1962年に、藤田飛曹長は、オレゴン州ブ
 ルッキングス市から招待を受けアメリカに渡った。
  そして、同市市民から「歴史上唯一、アメリカ本土を
 空襲した敵軍の英雄」として大歓迎を受けた。
  そして、同市の名誉市民の称号が贈られた。
  そして、今日の話・・、
  まったく安易に、キリスト教は、隣国の富を奪いに行
 く・・そして、キリスト教の神の義(正義)があるとす
 る。
  飢餓に襲われ自民族を救うために、その様にして良い
 と教え・・、隣国の富は生きる糧(かて)として奪って
 良いのだと、キリスト教は洗脳し、キリスト教の聖書に
 書き、キリスト教の神の正義まであると思い込ませた。
  キリスト教は、種々の洗脳事項を聖書に書き、洗脳し、
 正義のように錯覚させた。
  今・現代でも、この様な洗脳がなされており、話され
 ており・・そして、その錯覚によって、人類の不幸が多々
 起きている。
  アメリカ大統領のブッシュは、イラクへ近代兵器を使
 って、持ち込んで・・攻め込んだ。
  キリスト教に洗脳されたアメリカ大統領ブッシュは、
 この戦争を、「現代の十字軍だ」と叫んだ。
  アメリカは、この洗脳によって、また、この錯覚によ
 って、本当に多くの国へ、「独りよがりの正義感」で、
 錯覚で、大悪行をした、攻め込んだ。
  今・現代になっても、この恐怖の行為は、北朝鮮を震
 え上がらせ、原爆開発をさせている・・、
  また、大陸間弾道弾・ミサイル開発を、躍起になって
 やる状況となっている。
  キリスト教の思想に端を発した北朝鮮の原爆開発と大
 陸間弾道弾開発となっている。
  人類は、限りなく絶滅の危機の危機に迫っている。
  日本は、第二次世界大戦(大東亜戦争)の時・・、
  潜水艦に飛行機を、戦闘機を載せ、格納し、アメリカ
 まで行って、アメリカ本土を爆撃した。
  その日本の攻撃機は、アメリカのどこにでも、その爆
 弾を投下できたが、その攻撃機は、爆弾を、アメリカの
 山の中に落とした。
  帰還したその攻撃機の兵士・搭乗員は、上官より「山
 林の木の二・三本、焼いただけではないか」と言われた。
  アメリカは、この時、戦争に勝ちに勝っている時なの
 で、まさか、日本の攻撃機が、アメリカ本土へ来て、日
 本の攻撃によって、山が火事になったとは思えず、
  しばらくの間、山火事が発生したと思っていた。
  日本のその兵士は、責任を問われたわけでもなく、戦
 後も生き、長生きをして戴いている。
  まだ、その様な兵器が日本にあると、まったく知られ
 ていない時、
  ホワイトハウスでさえ爆撃できたであろう・・また、
 ニューヨークの人々が、大勢集まる所にも投下できたで
 あろう・・が、日本は、アメリカの山林で良しと・・日
 本は・・その様に判断した。
  この時点で、最適な場所だと判断された。
  一人も、アメリカの方を殺していない。
  日本は、その様な国。
  後日談だが・・、終戦後の1962年に、藤田飛曹長は、
 オレゴン州ブルッキングス市から招待を受けアメリカに
 渡り、同市市民から「歴史上唯一アメリカ本土を空襲し
 た敵軍の英雄」として大歓迎を受け、同市の名誉市民の
 称号を贈られた。
  また、その時、同市市民から藤田飛曹長が投下した焼
 夷弾の破片を贈られた。
  その破片からは、かすかに火薬の臭いがしたという。
  なお、藤田飛曹長は、戦争中、軍刀として用いた愛刀
 をブルッキングス市に寄贈した。
  この招待は、外務省を通じて伝えられたが、当の本人
 には招待の趣旨が知らされていなかったため、現地に到着
 するまで「戦犯として収監されるのかもしれない」と思
 っており、寄贈した軍刀は、戦後も密かに所持していた
 ものを、収監されそうになった時には自決するため、荷
 物に忍ばせて持参したものであった。
  その後、藤田飛曹長は、贖罪の意味を込めて同市に植
 林を行ったり、同市市民を日本に招待するなど、日米友
 好に残りの半生を費やした。
  また、そのような貢献を受けて、後に、ロナルド・レ
 ーガン大統領よりホワイトハウスに掲揚されていた星条
 旗が贈られた。
  なお、かつての爆弾片と星条旗は、茨城県土浦市の「
 まちかど蔵野村」に保存公開されていたが、2015年11月
 現在遺族に返還されている。
  このエピソードは、1995年12月29日放送の「たけし・
 さんまの世界超偉人伝説」(日本テレビ)で取り上げら
 れ、藤田飛曹長本人も出演している。
  しかし、日本では余り知られる事がなかった事もあり、
 ゲストで出演していた元海軍軍人の西村晃も、「この話
 は全く知らなかった」と発言している。
.
1965年、アメリカは、男女差別が無いように見えるが、ま
 た、男女差別が無いように見せているが、実際は違う。
  その為に、1965年、ジョンソン大統領は、大統領行政
 命令第11246号を発令した。
  それは、こんにちまで効力を有させている。
  それほど、アメリカには、男女差別がある。
  そのような措置が必要なアメリカ。
.
1968年、日本のトキは絶滅したが、NHKは、このトキの
 絶滅につながる行為をした。
  この年に、NHKが、トキの営巣地である黒滝山上空
 にヘリコプターを飛ばし、空撮を行った。
  その爆音の影響で、その翌年の1969年に、トキが、黒
 滝山の営巣地を放棄した。
  トキは、人里近い両津市へ移動してしまった。
  この様なNHKの常識外れの行為が、番組が放送され
 るまで、その様な空中撮影が行われていると気付く人は
 居なかった。
  しかも、この様な空中撮影は通年に渡って行われてい
 た。
  しかし、番組の責任者は、ヘリコプターを飛ばしたの
 は一度だけと言った。
  そして、営巣期を避けた・・と、
   1981年1月11日~1月23日に、佐渡島に残された最後の
 野生のトキ5羽が、すべてが捕獲された。
  そして、佐渡トキ保護センターにおける、人工飼育下
 に移された。
  しかし、回復は出来ずに、日本の野生トキは絶滅した。
.
2000年、怪しいメディア
  スパイ容疑で北朝鮮に逮捕され、拘留された日本経済
 新聞の元記者の杉島隆という人が居る。
  結局、この年に、1年半の拘留の後に、杉島氏は釈放さ
 れた。
  しかし、この時、TBSが怪しいニュースを報じた。
  TBSは、特ダネの様に・・、
  「現在、北朝鮮に拘留中の杉島氏に死刑判決が出まし
 た」・・と、間違いニュースを報じた。
  実際は、釈放されたのであって、何で、こうなったか?
  これは、北朝鮮からTBSに、偽の間違った情報がリ
 ークされ、流されたのを、TBSは、特ダネ的に放送し
 たのだった。
  TBSは、北朝鮮と、この様なニュースが流れる関係
 を持っているという事を示した。
  また、不思議な事に、この時、北朝鮮の取調官(北朝
 鮮という国の官吏)が、この釈放された日本経済新聞元
 記者の杉原氏に、「日本のメディアは、お前のことをち
 ゃんと報道するからな」と言っていたという。
  TBSと北朝鮮の怪しいつながりがあると言える。
.
2025年、中国が、破たんすると予測されている。
  フランスの経済学者で、ミッテラン大統領の補佐官や、
 欧州復興開発銀行の初代総裁を務めたジャック・アタリ
 氏は、著書「21世紀の歴史、未来の人類から見た世界」
 で・・、
  「2015年には、いずれにせよ中国共産党の76年間にわ
 たる権力に終止符が打たれるであろう」・・と、予測し
 ている。
  中国への投資が無駄になりかねないウォール・ストリ
 ートの連中の中で、目先の効くものは、すでに中国から
 投資を引き上げている。
  また、すでに、ゴールドマン・サックスは、中国から
 撤退している。
  そして、中国の経済成長が止まれば、「世界の工場」
 としての機能の見切り時と、中国のそのステージの終了
 となると予測されている。
  今、中国政府は、中国経済を盛り上げようと、推進し
 ようと、躍起になっている。
  因みに、2017年1月6日、ブルームバーグが報じたとこ
 ろによると、
  ゴールドマン・サックスは、中国人民元は、2017年も、
 2016年と同様に、じりじりと下げるとしている。
  BRICS(ブリックス)から中国(C)を除いた、
 BRIS(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ共和
 国)通貨の上昇にかける取引を「堅持」するよう投資家
 に呼び掛けている。
  ブルームバーグは、中国は、トランプ大統領の保護主
 義的政策などの影響を大きく受けるからとしている。
  また、中国を除いたBRISは、輸出面で、アメリカ
 の労働力と、直接、競合する度合いが小さく、リスクが
 少ないとされている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

[PR]
by suba28 | 2017-06-04 05:25 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないので
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

(増補版)561E2/3:1..
at 2017-10-19 05:00
(増補版)560E2/3:1..
at 2017-10-15 04:13
(増補版)559E2/3:1..
at 2017-10-10 04:31
(増補版)559E2/3:1..
at 2017-10-10 04:31
(増補版)558E2/3:1..
at 2017-10-04 04:25

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30