(増補版)523E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年11月~1890年12月)

題:(増補版)523E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1890年11月~1890年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1890年11月11日、東京で、最初の書籍大糶市(せりいち)
 が開かれた。
1890年11月13日、我国最初のエレベータが運転開始した。
そして、浅草に、凌雲閣が開業する。
  1890年11月10日、東京・浅草の凌雲閣に、藤岡市助が
 設計した日本初の直流電動機式のエレベーターが設置さ
 れた。
  エレベーターは、地階に据え付けた7.5馬力のモーター
 1基に対し、M字状にロープで連結したかご2機を同時に運
 転し、1階か8階だけに止る独自の構造をしていた。
  故障が多く、のちに撤去された。
1890年11月20日、帝国ホテルが開業した(11月7日説あり)
  東京・丸の内内山下町に、帝国ホテルが落成し、開業
 した。
  ルネッサンス式木骨煉瓦造3階建、70室(約60説あり)
1890年11月22日、國學院が開院した。
  1882年(明治15年)11月に創設された皇典講究所、お
 よび、皇典講究所内に設置された神職養成教学機関であ
 る國學院を起源とする。
1890年11月24日、帝国議会議事堂が竣工した。
  1886年(明治19年)2月、内閣に臨時建築局が設立され、
 ドイツ帝国から建築家を招聘し、官庁集中計画と議事堂
 の設計が成された。
  建設場所は、麹町区内幸町二丁目(現・千代田区霞が
 関一丁目、現在の経済産業省敷地)に、この仮議事堂は
 建設された。
  ドイツ人建築家アドルフ・ステヒミューラー、および、
 臨時建築局技師・吉井茂則の設計による第一次仮議事堂。
  竣工は11月24日で、11月29日に貴族院議場で開院式が
 行われた。
  翌年・1891年1月20日、漏電から出火し、全焼した。
1890年11月25日、第1回帝国議会が召集された。
  議長に中島信行、副議長に津田真道を選出した。
1890年11月29日、第一回帝国議会の開院式
  山形有朋内閣の時、大日本帝国憲法の下で、第1回帝国
 議会の開院式が、天皇陛下の親臨のもと行われた。
  1891年3月9日に、この第1回帝国議会は閉幕した。
  ここに、日本は、立憲政治の第一歩を踏みだした。
  帝国議会は、貴族院と衆議院の二院で構成され、
  貴族院は、皇族方、華族、国に功績のあった人、その
 他の中から、天皇陛下が御任命された議員で構成された。
  定員は251人だった。
  内訳:皇族10人、5等爵のうち公爵10人、侯爵21人、伯
 爵14人、子爵70人、男爵20人、天皇陛下みずから選定さ
 れた勅選61人、多額納税者が45人。
  衆議院の議員には、植木枝盛など自由民権運動で活躍
 した人たちもいた。
  立憲自由党130名、立憲改進党40名、大成会79名、国民
 自由党5名、無所属42名、欠員4名。
1890年11月、少年の間に喫煙の風が起きた。
  1890年代から、小中学校の喫煙が問題視され始めた。
  1894年に至り、文部省が、小学生の喫煙を禁じる訓令
 を出している。
  根本正衆院議員(ねもとしょう、1851年~1933年)が、
 議員立法で禁煙に取り組み、法制化を実現した。
  また、根本氏は、未成年者飲酒禁止法の法制化にも取
 り組んでいて、「禁煙・禁酒運動の祖」として知られて
 いる。
  根本氏の主張・・
  (1)小学生の喫煙が増えている。このまま放置すれば
    帝国人民の元気を消滅させ、中国のような国にし
    てしまう。子どもの禁煙は国是である。
  (2)喫煙禁止は、多くの文明国で実施済みである。
  (3)国庫の補助を受けている生徒がタバコを嗜むこと
    は望ましくなく、公的な干渉は当然である。
1890年11月、英国でスコットランドヤード(ロンドン警視庁)
 が新庁舎(ヴィクトリア・エンバンクメント)に移転した。
  ロンドン警視庁は、イギリスの警察組織の一つで、
  首都ロンドン一円を管轄する首都警察であると同時に、
 国家全体の警備公安警察や王族・政府要人警護といった
 特別な任務も担っている。
1890年12月4日、北里柴三郎が、ジフテリア、破傷風の血清
 療法を発見した。
  北里 柴三郎(1853年1月29日~1931年6月13日)は、日
 本の医学者・細菌学者(従二位・勲一等旭日大綬章・男
 爵・医学博士)
  「日本の細菌学の父」と言われている。
  1853年、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県阿蘇
 郡小国町)に生まれた。
  同郷で、東京医学校の同期生であり、東大教授兼衛生
 局試験所所長を務めていた緒方正規の計らいによって、
  1885年(明治18年)(32歳)より、ドイツベルリン大
 学へ留学した。
  コッホに師事し業績をあげた。
  日本の優秀な医学生に、コッホの期待は大きかった。
  1889年(明治22年)(36歳)に、世界で初めて破傷風
 菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功した。
  1890年(明治23年)(37歳)に、破傷風菌抗毒素を発
 見し世界の医学界を驚嘆させた。
  さらに、血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射
 しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発し
 た(ノーベル賞的大発見)。
  1890年(明治23年)(37歳)血清療法をジフテリアに
 応用し、同僚であったベーリングと連名で「動物におけ
 るジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という
 論文を発表した。
  第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に柴三郎の名前が
 挙がったが、
  結果は、抗毒素という研究内容を主導していた柴三郎
 でなく、共同研究者のベーリングのみが受賞した(有色
 人種蔑視)。
  柴三郎が受賞できなかったのは、ベーリングが単独名
 でジフテリアについての論文を別に発表していたこと、
  ノーベル賞委員会や(選考に当たった)カロリンスカ
 研究所が、柴三郎は実験事実を提供しただけで免疫血清
 療法のアイディアはベーリング単独で創出したと見なし
 たこと(作為)、賞創設直後の選考でのちのような共同
 授賞の考え方がまだなかったことなどが要因としてあげ
 られてはいる・・が・・、また・・、
  柴三郎に対する人種差別を理由とする明確な証拠はみ
 つかっていないが、白人優位・白人優遇(有色人種への
 差別)は明確に存在している。
  論文がきっかけで、欧米各国の研究所、大学から多く
 の招きを受けるが、国費留学の目的は、日本の脆弱な医
 療体制の改善と伝染病の脅威から『国家国民を救うこと』
 であると、柴三郎は、これらを固辞(こじ、かたく辞退
 しつづけること)して、
  1892年(明治25年)(39歳)に帰国した。
  1931年6月13日、脳溢血のため東京・麻布の自宅で、偉
 大な日本の医学者・細菌学者は逝去された。
  78歳だった。
  その大きな、そして、偉大な功績によって、救われた
 人々はあまりにも多く、偉大な業績だった。
1890年12月16日、電話の創業(電話交換業務を開始)
  日本で初めて東京・横浜の両市で、市内及び市間の電
 話交換業務が開始された。
  加入者は、東京179、横浜45(東京155名、横浜42名の
 説もある)
  東京千代田区内に、電話交換局が設置されて、業務は
 開始された。
  (東京滝ノ口と横浜居留地に電話局が設置された)
  (参考)龍ノ口:たつのくち、東京都千代田区丸の内
    1-4、日本工業倶楽部ビルが建つ地の旧名で、江戸
    城大手門外に位置し、伝奏屋敷があった。
    →伝奏屋敷は、江戸時代に、武家伝奏、または、
    勅使の宿所として江戸に設けられた邸宅のこと。
  使われた電話機は、ベルギー製の単線式単式交換機で、
 加入者からの通話表示があると、交換手は、そのジャッ
 クにプラグを差し込み、加入者の告げた通話相手のジャ
 ックにもう一方のプラグを差し込んで接続するという方
 法だった。
  因みに、日本初の電話は、1877年(明治10年)に、政
 府内で試験通話が行われている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:社会は疲弊し、分断されている・・、
    歴史的に繰り返すグローバリズムの流行は・・、今、
   その終焉に差し掛かっている。
.
1945年8月14日、終戦となった。
  軍部の戦争継続の主張を、昭和天皇陛下が、『二度に
 わたっての御聖断』で抑え込まれた末のことだった。
.
1945年8月27日、アメリカの指示・依頼により、占領軍
 向けの慰安施設の第1号が開業した(小町園、東京大森)
.
1945年9月5日、マレー・シンガポールにイギリス軍上陸し、
 再占領して、再度の植民地化を行なう。
.
1945年10月8日、インドネシア共和国軍とイギリス・オラン
 ダ軍が戦闘状態へ突入、独立を目指した内戦状態へ。
  この戦線に、アジア解放を目指していた日本兵が、イ
 ンドネシア独立派と共に、解放・独立を目指して戦った。
.
1945年11月10日、インドネシア独立戦争: スラバヤで激し
 い戦闘となる(Hari Pahlawan)
  日本兵が、戦後となっていたが、日本に帰国しないで、
 このインドネシアの独立派の方々と一緒になって戦い、
 助け、独立を勝ち取った。
  このインドネシア以外でも、ベトナムなどでも、この
 様な行為は起きた。
  日本は、「アジア解放」を、我が事の様に、達成すべ
 き理念としていた。
.
1945年11月20日、ドイツで戦犯を裁くニュルンベルク裁判
 が開廷した。
.
1945年12月7日、マニラの連合国軍軍事裁判で山下奉文陸軍
 大将に死刑宣告。
.
1945年12月7日、ソ連は、完全に戦争が終わっているのに
 日本人を捕まえて、シベリアへ連れて行って、重労働を
 させた。
  抑留と言うが、この行為は、『拉致』である。
  ロシアの謝罪がない、また、補償もない。
  (読売新聞、2017年4月23日)に以下の記述がある・・、
  第二次世界大戦後、ソ連が占領した南樺太(からふと、
 現ロシア・サハリン州)で逮捕、シベリアに抑留された
 大津敏男・樺太庁長官の取り調べ記録を、同州で入手し
 ていた全国樺太連盟が本紙に明らかにした。
  日本政府の記録から数千人に上ると推計されるソ連占
 領下での、日本人逮捕者の捜査記録は、治安機関のロシ
 ア連邦保安局が機密扱いを続けている。
  住民を日本本土に逃すなどした行政措置をソ連刑法の
 『反革命罪』とした捜査過程が分かる。
  取り調べ記録のうち、ソ連内務人民委員部の1945年12
 月7日の逮捕・拘禁決定書によると、スターリン政権で国
 内の粛正に用いた刑法58条の反革命罪を大津長官に適用。
  地下蜂起部隊の本部を組織、ソ連軍の行動を本土に連
 絡する情報員を任命したとして2項(武装蜂起)、6項(
 スパイ行為)を主な容疑とした。
  だが、1946年1月12日の起訴決定書の罪状は、
  (1)降伏後も本土へ6万3000人を避難させた。
  (2)役所の文書を焼却させた。
  (3)樺太の情報を日本政府に電報で伝えた・・など。
  敗戦国の行政官としての行為を『反革命罪』とし、日
 本の官僚に罪を問いやすい4項(ブルジョア活動ほう助)
 に切り替えた。
  部下ら8人も共謀で逮捕、起訴後、シベリアに抑留。
  1人が抑留先で死亡した。
  樺太庁は、日本領有下の南樺太を管轄した政府直轄の
 地方行政官庁。
  南樺太出身者らでつくる樺太連盟やサハリン州の公文
 書担当者らによると、記録は1998年、連盟役員(故人)
 の要請で当時の州公文書管理局長(同)が連邦保安局州
 支部から仮借り、役員が尋問調書など約300ページの写し
 を持ち帰った。
  連盟はこれまで写しを公表しておらず、入手当時に日
 本語訳を外務省や旧厚生省など関係先に配布したと連盟
 の記録にあるが、外務、厚生労働省とも「該当資料は見
 当たらない」としている。
  ソ連は終戦後、樺太や満州(現中国東北部〉などで日
 本軍幹部のほか、官僚や経済人らを反革命罪などで逮捕
 してシベリアに抑留。
  厚労省が、1997年から連邦保安局に記録の提供を求め
 てきたが、届いたのは、約400人の判決内容などの抜粋資
 料にとどまっている。
  大津長官の取り調べ記録を見た孫の大津岩夫さん(73
 歳)(東京都大田区)は、
  「祖父は生涯、抑留の経緯を口にしなかった。
  行政のトップとして自国民を逃した事がなぜ罪になる
 のか。理不尽だ」と語った。
  (参考〉大津敏男・樺太庁長官(1893年~1958年)
    内務官僚で戦時中の1943年7月、埼玉県知事から就
    任。
    抑留後、1950年4月帰国した。
  日本人抑留に詳しい加藤聖文(きよふみ)・国文学研
 究資料館準教授の話、「ソ連崩壊後の一時期、情報統制
 が緩み、入手できたのでは。
  罪を仕立てた捜査が見える」。
.
1960年(昭和35年)2月1日、コーヒー・パーティ事件
  キリスト教に悪い所を指摘すると、「それは、旧約聖
 書だ」と逃げる。
  因みに、キリスト教は、「新約聖書」と「旧約聖書」
 を拠り所としている聖典としている。
  しかし、前記した様な言葉で逃げる・・、
  「どちらも、君たちの聖典ではないか」と言いたい。
  ユダヤ教と同じ聖典の「旧約聖書」ではなく、最後の
 逃げ場を、イエスのことを記した「新約聖書」へ逃げて
 いるのである。
  アメリカも、同様な論法で、「それは南部だ」と、「
 南部が悪いのだという論法で逃げる」。
  北部アメリカは、黒人の方々を、南部と一緒になって
 黒人の方々を虐げているが、何も知らない人たちを言い
 くるめ、そして、誤魔化している。
  アメリカは、「キリスト教の有色人種の蔑視教義」に
 洗脳され、また、キリスト教の神が、聖書で叫ぶがごと
 く「黒人の方々を奴隷として虐げてきている」が、
  この様なアメリカに、反旗を翻した黒人の方々の行動
 の最初が、1960年1月31日に起きた。
  4人の黒人の若者たちが行動を起こした。
  アメリカのノースカロライナ農工大学の学生たちだっ
 た。
  昼間、町のバス・ターミナルの軽食堂で、例によって
 「黒人の注文お断り」の扱いを受けて、可哀想なことに
 とうとう堪忍袋の緒を切らしたのだった。
  卑劣なアメリカだった。
  この日の夜、学生寮で、日頃の人種差別・蔑視行為に
 ついて真剣に話し合った。
  深夜に及ぶ長時間の討議だった。
  そして、ある行動を起こす事となった。
  この翌日の1960年2月1日に、その行動が起こされた。
  この日の午後4時半頃、4人の黒人学生たちは、歯磨き
 その他の日用品を買うと、すぐに、「黒人禁制のカウン
 ター」で、コーヒーとドーナッツを注文した。
  長年にわたって行なわれて来た人種差別行為に挑戦し
 たのだった。
  これは、白人優越=黒人蔑視のアメリカで行われてい
 る軽蔑すべき行為への挑戦だった。
  案の定、予期していた通りの反応が、たちまちに起き
 た。
  白人・店長が駆けつけて来た。
  店長と学生とのやり取りが、そして、まわりは黒山の
 様な人だかりに囲まれた。
  そして、ありとあらゆる罵詈雑言が飛び交った。
  唾(つば)が吐きかけられた。
  暴行も加えられた。
  しかし、暴行などに、彼等は、じっと、それらに耐え
 た。
  閉店まで、そこに座り込んだ。
  終止、非暴力の抵抗がなされた。
  翌日の2月2日には、彼らの他に、農工大学の学生たち
 23人と、ベネット大学の女子学生4人が加わった。
  同じ抗議行動を続けた。
  その翌日も・・、
  さらにその翌日もした・・、他大学からの学生も加わ
 り、この抗議行動の輪は拡大した。
  座り込みの場所も、同様行為をする蔑(さげす)むべ
 き他の店のランチ・カウンターなどでも行われた。
  この間、だれ一人、1杯のコーヒーのサービズを受ける
 ことはなかったが、彼らは、ただひたすら座り続けた。
  そして、2月7日の夜に開かれた抗議集会には、1600人
 もの大勢の学生が参集した。
  この行動は、1960年代の「黒人革命」の前哨戦として
 歴史に残る『人権を回復の戦い』として輝いている。
  グリーンズボロの「コーヒー・パーティ事件」として、
 アメリカ白人社会の低劣な人種差別事件として歴史に刻
 まれ、後世の歴史的役割を果たして行くことになった。
  低劣な、そして、遅れたアメリカは、この様な事件が、
 嫌というほど一杯ある。
.
1963年8月28日、自由への行進(ワシントン大行進)
  ワシントンで、公民権法案を望む約25万人の大行進が
 行われた。
  マーティン・ルーサー・キング氏の言葉:「私には夢
 がある。
  何時の日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かっての
 奴隷の子孫と奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブ
 ルに着くという夢である」・・と・・、
  1950年代に入って発生した「モンゴメリー・バス・ボ
 イコット事件」や、「リトルロック高校事件」以降、キ
 ング氏などの活動家の指導の下に、黒人の方々の公民権
 (参政権など)獲得を求める運動が盛り上がりを見せた。
  この黒人の方々の努力が実って、少しづつ、アメリカ
 連邦政府も、公民権法の制定に大きく動き始めて行く。
  黒人の方々が行けないキリスト教会・・そして、黒人
 の方々が作ったキリスト教会・・その黒人の方々のキリ
 スト教会が火を付けられ、黒人の子供たちが焼け死ぬと
 いう悲惨な事件・・
  リチャード・ドーキンス(イギリス人、カルフォルニ
 ア大学、オックスフォード大学)は、本で、
  「アメリカ社会は、キリスト教徒でないと『うさん臭
 い目で見られる』・・、
  アメリカのほとんどのエリートは、そのため、義理で
 キリスト教会へ行く」・・と記している。
.
2017年4月25日、読売新聞に「フランス大統領選」は、社会
 の疲弊と分断を露呈した・・とある。
  (この根底には、グローバリズム的発想で出来たEU
 の問題点が露呈している)。
  全世界の富の約半分が、1%程の富裕層(スーパーリッ
 チ)に独占されている。
  超富裕層の1%が、どんどん金持ちになって行き、中流
 層がどんどん減っていく現状にある。
  スーパーリッチ80人の内・・35人はアメリカ人だとい
 う。
  この偏(かたよ)りを反対から見ると・・、
  貧困層側に居る方々を・・世界の80パーセントの方々
 に集まってもらって、そして、その方々の資産を寄せ集
 めても・・世界の富の5.5パーセントにしかならないと
 いう。
  今、世界は・・まったく不公平な中にある(これを、
 アメリカが作った)。
  この超富裕層が、グローバリズムで、世界を相手にし
 て、大儲けしている・・、
  このグローバリズムだと言ったって、何もグローバ
 ルではなく、「アメリカン・システム」で、金が集まる
 システムで儲けまくっているから、この様な偏りが生じ
 る。
  グローバリズムという『音頭取り』は、「だから、止
 められない」のである。
  そのグローバリズムは、アメリカのやり方と同義であ
 るから、アメリカの金持ちが多いのであり・・そして、
 アメリカは、「それが正義なのだ」と言うから・・その
 独りよがりを「押し付けるから始末が悪い」。
  そして、それに、ゴマする輩も多いから・・おこぼれ
 頂戴で・・。
  こんな世の中・・で・・一方、ギリシャの様に、ギリ
 シャ正教のキリスト教の国で、他人の金を当てにする国・
 頼りにする国が、EUというしがらみから・・この様な
 国に金を渡さなければならない羽目にある現状。
  際限なくぶら下がり国家へ、際限なく金が流出する姿
 は・・公正ではない・・どこが、公正なのだ。
  その渡す金と言ったって民の税金。
  そんな美味い打ち出の小槌(こづち)なんてない、血
 のにじむ中流層の方々の金。
  その税金と言ったって超金持ち層の金よりも、中流層
 の金が・・どんどん自国以外の、こんなぶら下がりの国
 に渡さなければならない羽目に陥っている・・
  貢(みつ)ぐ奴隷のように稼がなければならない中流
 層の金が流れる。
  過去には・・あんなに豊かに居た、そして、多く居た
 中流層の方々が、変なグローバリズムの旗振りと、そし
 て、鐘の鳴る下で支払わされて、中流層は激減し、消滅
 した・・記念碑的な存在の人々となっている。
  「受益者負担ではないが・・自助努力し、自己努力が、
 自己の生活水準に、公正に反映する社会であるべきだ」。
  (読売新聞、2017年4月25日)の社説「フランス大統領
 選」で、「社会は疲弊している・・社会は分断されてい
 る」と指摘している・・
  以下は、その記述(抜粋)・・、
  長引く経済低迷に疲弊し、繰り返されるテロの傷痕は
 深刻だ。
  そんな厳しいフランス社会の状況が浮き彫りになった。
  フランス大統領選の第1回投票が行われ、中道で無所属
 のマクロン前経済相が首位に立った。
  極右・国民戦線のルペン党首は僅差で2位につけた・・
 (中略)・・今回の選挙は、フランス政治の重要な転換
 点と言えよう。
  ・・欧州連合(EU)の要であるフランスで、「反E
 U」対「EU」が争点となった。
  EU統合推進の是非を巡って国民の分断が進行してい
 ることの表れだろう。
  ルペン氏と、急進左派のメランション氏は、EUが、
 低所得層を中心に国民生活を圧迫しているという主張で
 は軌を一にし、離脱の是非を問う国民投票を提唱した。
  半世紀以上、EUの屋台骨を支えてきた既成政党の凋
 落(ちょうらく)の背景には、近年、フランスが直面す
 る険しい現実がある。
  ギリシャに端を発した欧州財政・金融危機で、EU主
 導の緊縮財政を強いられ、失業率は10パーセント前後で
 高止まりしている。
  2015年のパリでの大規模テロ以来、非常事態宣言が出
 されたままだ。
  イスラム過激派の暴力は根絶できていない。
  (本当のイスラムの方々は、この組織は、イスラムで
 はないと言っている)。
  投票日直前には、首都のシャンゼリゼ通りで警察官射
 殺事件が発生した。
  テロ犯は、フランスなどで育った移民系の若者が多い。
  2015年には、中東から欧州へ大量の難民が流入した。
  移民や難民が治安を悪化させたという国民の不満が、
 排外主義の台頭を招いたのは明白だ。
  (排外主義と決めつけて、悪いと決め付けるのは論理
 の短絡言説だ)。・・後略・・
  (歴史的に繰り返すグローバリズムの流行は、今、そ
 の終焉に差し掛かっている。
  そして、その甘い汁を吸っている者たちが、それを、
 また、以前の様に、どうにかしたいと活動し、暗躍して
 いる。
  しかし、この時代の流れを押しとどめる事は出来ない)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2017-05-01 04:38 | 皆様とともに 幸せになりたい


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