(増補版)502E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年12月~1889年12月)

題:(増補版)502E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1889年12月~1889年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1889年1月8日、パンチカードの特許
  アメリカで、ハーマン・ホレリスが、タビュレーティン
 グマシンの特許を取得した。
  因みに、タビュレーティングマシンは、日本で一般に
 「パンチカードシステム」と呼ぶもので、会計などの作
 表を補助する機械群。
  1890年、アメリカの国勢調査のデータ処理で、初めて
 使用された。
1889年3月4日、アメリカでベンジャミン・ハリソンが第23
 代大統領に就任した。
1889年3月23日、アメリカの大統領になりたてのハリソン大
 統領が、オクラホマ未割当地への白人入植を認可した(4
 月22日説あり)
  白人たちが未開地へ殺到する。
  ランドラッシュ (Land Rus)は、この時、アメリカ合
 衆国政府が入植を解禁したオクラホマへ、白人たちが、
 未開の土地を求めて殺到した現象。
  白人による北アメリカ大陸入植が本格化した。
  先住民である、そして、本来の土地の所有者であるイン
 ディアンの方たちは、そのアメリカ合衆国の白人たちに、
 武力で打倒され、強制的に移住させられ、土地は奪われた。
  チェロキー族など各地のインディアンの方々が、「涙
 の踏み分け道」と呼ばれる苛酷な旅程を経て、移住させ
 られた。
  多くの体の弱い幼児や、ご老人が亡くなった・・死んだ。
  それまでは・・アメリカ合衆国政府は、インディアンの
 方々との『約束を破ることになるため・・入植を許可しな
 かった』。
  ・・が、しかし、1886年の戦いを最後に、インディア
 ンとの戦いが終息すると・・アメリカは手のひらを返し
 た。
  インディアンの方たちとの『約束を無視して』・・ア
 メリカ合衆国政府は、オクラホマ入植を認めた。
  この日、正午を告げる号砲が鳴ると、競争するがごと
 くに、一斉にオクラホマへと乗り込んで行った。
  (大群衆の競馬だと思えばよい、その様な感じで、イン
 ディアンの方々の土地は奪われて行った)
  そして、アメリカ合衆国の白人たちは、土地を安値で
 手に入れた。
  (参考)1889年4月22日、米オクラホマで白人入植解禁
    (ランドラッシュ)
1889年4月、最初の食器洗い機がシカゴで販売された。
1889年5月30日、フランスで、エルミニー・カドルがブラジ
 ャーの原型を発明した。
1889年5月31日、アメリカのペンシルベニア州ジョーンズタ
 ウンで大洪水となる(死者2209名)
1889年6月6日、アメリカのシアトルで大火(25街区壊滅)
  木工細工職人が、接着剤をあたため、溶かしていたとこ
 ろへ誤って引火した。
  このとき、ビルを再建する際には、石材かレンガを使
 うこと、
  また、周辺が海抜ゼロメートル地帯で、昔から満潮に
 なると、度々、浸水の被害にあっていたことから、
  土地に勾配をつけて、高い位置に入り口を作ることなど
 が定められた。
1889年7月8日、ウォールストリート・ジャーナルが創刊し
 た。
  世界最大の発行部数を誇る経済新聞で、世界や全米各
 地の経済活動、金融に関するニュース記事を掲載してい
 る。
  現在は、アメリカ版、アジア版、ヨーロッパ版がそれ
 ぞれ発行され、長年にわたりアメリカ合衆国内での発行
 部数第1位を占めており、
  近年では、USAトゥデイ(211万部)に次ぐ第2位(
 208万部)であった。
1889年7月15日、第2インターナショナルがパリで結成され
 た。
  開かれた社会主義者・労働者の国際大会で創立した各
 国社会主義政党の連合組織。
  マルクス主義を支配的潮流とするドイツ社会民主党が
 中心で、欧米・アジア諸国社会主義政党の連合機関だっ
 た。
  第一次世界大戦で、各国の党がインターナショナリズ
 ムを放棄して、自国の戦争を支持するに至り、戦争に協
 力したため解体された。
  第1インターナショナルが、1872年に活動を停止してか
 ら、国際労働運動・社会主義運動の国際連帯の再建をめ
 ざす運動が続いていた。
  その間の世界的な工業化の進展により、労働者の数も
 増加し、資本主義の矛盾が高まった。
  そのことで、労働組合運動も活発となった。
  各国で、社会主義政党の結成も続いた。
  それらの動きを受けて、マルクスの死(1883年)後の
 社会主義運動を理論的に指導していたエンゲルスの肝い
 りで、
  1889年、ヨーロッパ・アメリカの19カ国の労働者代表
 によって第2インターナショナルが結成された。
 第2インターナショナルは、各国の社会主義政党の連帯
 組織という性格が強く、その中心は、ドイツ社会民主党
 であった。
  労働組合も参加したが、政党との関係に否定的な労働
 組合主義をとる組合は、別に労働組合インターナショナ
 ルを結成した。
  第1インターナショナルで、マルクス派と対立したアナ
 ーキズム勢力は排除された。
 第2インターナショナルは、帝国主義段階での資本主義
 の矛盾を、国家の枠を越えた社会主義政党と労働者階級
 の連帯によって克服し、
  労働者の解放を実現する社会主義社会を目指した。
  しかし、第1インターナショナルの段階と異なり、各国
 が、かかえる植民地支配の利害が対立するなか、植民地の
 解放については、各国の意見が対立するという問題を抱え
 るようになった。
  帝国主義間の戦争の危機が高まると、バルカン戦争な
 どでは、第2インターナショナルは、明確な戦争反対の立
 場をとり、
  第一次世界大戦の勃発に対しても、当初は、反対したが、
 戦争が長期化する中、インターナショナル各国支部の中に
 祖国防衛のためには戦争もやむなしというナショナリズム
 と戦争容認の声が強まり、統一的な国際組織として維持が
 できなくなり、
  1919年を最後に開催されて、なくなった。
  再度、書くが・・、1914年に、第一次世界大戦が勃発し、
 国家間の対立が鮮明になると、各国の社会主義政党もそれ
 ぞれ自国の戦争を肯定する側に回ったり(自国がかわいい)、
 戦争支持か反対かによって党が分裂し、
  第2インターナショナルは、1914年の開戦とともに機能
 不全に陥り、崩壊した
1889年10月、第1回 パン=アメリカ会議 (汎アメリカ会議)
  南北アメリカ大陸の独立国家のすべて、または、一部
 の代表間で開かれる、さまざまな会議。
  1826年~1889年に、国防や司法の共通問題を協議する
 ため米州諸国間で開催された一連の首脳会議が発端とな
 った。
  アメリカ合衆国を中心に、西半球における協力や交流
 を促進したり、この地域の問題の解決を図るために開か
 れた米州諸国の会議。
  1889年、アメリカのJ・ブレーン国務長官が、中南米諸
 国との通商拡大や、紛争の平和的処理法の協議のために
 ワシントンで、18カ国の代表が集まり、最初の会議を開
 催した。
  通商協定・仲裁裁判などで協定を結んだ。
  以後、数年おきに開催。
  その理念となったのは、アメリカ合衆国の指導のもと
 に、南北アメリカ諸国が政治的・経済的に緊密な関係を
 結ぼうというパン=アメリカ主義(汎アメリカ主義)。
  アメリカ合衆国にとっては、自国の工業化が進展した
 ことに伴い、原料・食糧の供給地として中南米地域を重
 視するようになっていた。
  (アメリカの国益となる経済圏の形成)
  南米大陸には、イギリスが、強い経済的関係を有して
 いた。
1889年11月2日、アメリカでノースダコタが39番目に、サウ
 スダコタが40番目に州となった。
  この日に、それまでのダコタ準州が南北に分割され、
 サウスダコタ州とともに、同時に州に昇格した。
  ・・が、ノースダコタ州が39番目、サウスダコタ州が
 40番目と認識された。
  ノースダコタ州の北側はカナダ国境であり、東側はミ
 ネソタ州との州境にレッド川が流れている。
  西側はモンタナ州に、南側はサウスダコタ州に接して
 いる。
  人口は70万人に満たず、全米50州の中で少ない方から
 3番目であり、面積は第19位なので、人口密度も4番目に
 小さい。
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  (今日の言葉)
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  題:誠実に歩む・・日本・・
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紀元前447年、パルテノン神殿の建設が開始された。
  (~紀元前438年)
  建設に9年を要した。
  パルテノン神殿は、火薬庫に使われた。
  その時、砲弾が、命中して爆発して建物は吹き飛んだ。
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紀元前427年、プラトンが生まれた。
  (参考)プラトン(紀元前427年~紀元前347年)は、
    古代ギリシアの哲学者。
     ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師
     に当たる。
      プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流。
  そして、今・現在、アメリカの中間層は・・居なくな
 った。
  上層部の超富裕層の僅かな層が・・豊かさを独占し、中
 間層がその下の層に下落したからである。
  格差が広がるアメリカ社会となっている。
  そして、この2400年前のプラトンは言った・・
  「貧しすぎると、人間は賤(いや)しくなる。豊か過
 ぎると、人間はだらしなくなる」・・と・・、
  アメリカは格差が広がり・・プラトンが言う様に・・
 だらしない超富裕層が増えたのか? 
  欲だけが突っ張る層が・・?
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17世紀後半、竹島の日本の領有権が、明確に確立した。
  「竹島」について(読売新聞、2017年2月22日)に記載
 されていた。
  島根県の第12回「竹島の日」記念式典が今日、松江市
 で開かれる。
  1905年に、日本が、竹島を島根県に正式編入した日だ。
  2005年に、県条例で竹島の日と定められた。
  ・・日本は、17世紀後半には、竹島の領有権を確立し
 た。
  第二次世界大戦後も、日本の領土として扱われて来た。
  しかし、1952年、韓国が、李承晩ラインを一方的に設定
 し、力による現状変更を行って以来・・不法占拠を続けて
 いる。
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1932年3月1日、満州国が、建国宣言した。
  満州国が建国された。
  満州国の国づくりに協力した日本は、日本から日本の
 資本を持って行って、満州国へ資本投下し、国造りをし
 た。
  そして、また、同時に、日本の優秀な人的資源も満州国
 に入り、支援した。
  資金・資本とともに、『日本の優秀な頭脳』が満州国の
 国造りに援助し、参画した。
  そして、日本の敗戦とともに、その方たちは、日本に引
 き揚げて来たが・・、
  今度は、戦後の日本経済と、日本国家再興に寄与した。
  日本再建の中枢に・・多くのこの方々が居た。
  その方たちの根底には、しっかりした、また、大局的
 な国家論があった。
  世界から「奇跡の復興」と言われた日本の戦後復興を
 実現する大きな一翼を担った。
  しかし、今・現在、その様な人材は居るのか・・?
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1941年12月10日、マレー沖海戦が起きた。
  日本海軍の陸上攻撃機と、イギリス海軍の東洋艦隊の
 間で行われた戦闘。
  今(2017年)、読売新聞で連載を書かれている松永真
 理氏の御祖父は、この時の海軍中将であった。
  (参考)松永 真理(1954年11月13日~)は、雑誌編集
    者、著作家。
  御祖父の海軍中将・松永貞市氏は、マレー沖海戦で、航
 空隊指揮官を務められていた。
  イギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「
 レパルス」を沈め、当時の日本は沸いた。
  動いている軍艦を飛行機で撃沈したのは初めてだった。
  出来ないと言われていたことを・・やった・・
  イギリスのチャーチル首相に「これ以上の衝撃は無か
 った」と言わしめた。
  それまでの世界の海軍は、艦艇同士の砲撃船で相手を
 撃沈しようとした。
  艦艇や主砲はどんどん巨大化し、「大艦巨砲主義」と
 言われる戦闘システムであった。
  航空機では無理だとされていた。
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1944年(昭和19年)1月20日、オーストラリアの捕虜虐殺
  平成19年1月20日(土曜日)天候:雨 
  オーストラリア軍の不法行為について
  「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。
  日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくな
 った時の話を覚えているかね? 
  あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ・・
  (日本兵)捕虜を、機上から山中に突き落とし、ジャッ
 プは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」
 (リンドバーグ日記八月六日)
  ブーゲンビル島トロキナでは、オーストラリア軍によ
 って、日本軍捕虜は、「死の行進」が課せられた。
  ナウル島とオーシャン諸島を占領していた日本軍は、
 一九四五年九月、オーストラリア陸軍の捕虜となった。
  同月二〇日にナウルの日本兵約二〇〇〇名が、トロキナ
 の仮収容所に移送されることとなったが、
  栄養失調と疫病で衰弱しきっているにもかかわらず、
 気温三五~三八度の中を一〇マイル行進させられた。
  (ろくな食事も与えられなかった)
  翌日、到着の一二五〇人も同様であった。
  豪州軍の警備兵は、行軍の速度をゆるめることを許さず、
 水もほとんど与えられなかった。
  死亡者が続出した。
  体験者の回想によれば・・、
  川を見つけた日本兵が、水を求めて駆け寄ると、川の両
 側に並んだ豪州軍将校たちが、水を飲ませまいと、足で
 水をかき混ぜて泥水にし、そのうえ銃を向けて威嚇した。
  一〇月八日に着いたナウルからの七〇〇人と、オーシャ
 ンからの五一三人も同じ扱いを受けた。
  くわえて、一〇月末にファウロ群島の常設収容所に移
 動させられた時には、マラリヤに多数が感染したが、豪
 州軍は予防薬を支給しなかった。
  捕虜のほとんど全員が感染、
  約七〇〇名が死亡したとみられる。
 以上「日本の反論」米田健三著 p一六五およびp一七一
 ~一七二よりの引用ですが、米田氏は、リンドバーグ日記
 および「軍事史学 第三五巻第二号」喜多義人論文より
 引用されています)
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1944年4月14日、特別攻撃隊、
  日本が行った特別攻撃、
  第二次大戦末期に組織的な特攻が始まる以前より、自爆
 攻撃が、現場で行われることはあった。
  1944年(昭和19年)4月14日、アンダマン諸島へ向かう
 陸軍輸送船「松川丸」を護衛中の飛行第26戦隊の一式戦
 闘機「隼」(操縦:石川清雄曹長)が、
  アメリカ海軍の潜水艦が発射した魚雷3本を発見、機銃
 掃射しつつ魚雷目掛け海面に突入し戦死するも爆破に成
 功した。
  また、1944年8月20日、アメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃
 機による八幡空襲において、迎撃に出た飛行第4戦隊の二
 式複座戦闘機「屠龍」(操縦:野辺重夫軍曹、後方射手:
 高木伝蔵伍長)が、第794爆撃飛行隊の「ガートルードC」
 号に対し体当たり攻撃を敢行し、「ガートルードC」号は
 空中爆発し、墜落した、
  また、その破片の直撃を受けた僚機の「カラミティ・
 スー」号も墜落した。
  「屠龍」は墜落し、野辺・高木共に戦死するも、1機で
 2機のB-29を撃墜した。
  特攻は、日本人以外の方々には理解されにくい行動だ
 った。
  若い方々が、国のためだとはいえ、あまりにもその一
 途な行動は理解されにくかった。
  しかし、今、戦後、時を経て・・国際的に、その行動
 が理解され、また、逆に、多くの方々に、尊敬され始め
 ている。
  終戦の調印が、日本とアメリカとの間で行われた、ア
 メリカ戦艦ミズーリー号にも、日本の特攻隊は突っ込ん
 ていた。
  ミズーリー号には、国を思いその任務を果たした若い
 日本軍人を顕彰(けんしょう、功績などを一般に知らせ、
 表彰すること)している。
  また、イギリスへ若い時に留学し、そして、今は、帰
 国して大学の教授になって居られる方は言われる、
  留学草々、下宿先のイギリス婦人が、日本からの留学生
 と知ると、
  「あなたの国(日本)には、立派な若人が居られました
 ね」と、
  早々に特攻隊の方々を褒め称えたという、
  その後も、勉強に立ち往生して、ちょっと気を抜いてい
 ると、特攻隊員の居る国なのにと、叱咤激励されたという。
  昔、以前は誤解されていた、また、プロパガンダされ、
 悪いイメージが作り上げられていた。
  ただただ、表面的にしか見られず、狂信的だと思い込
 まれていた見方は、今は、なくなりつつあり、変わって来
 ている。
  その若人たちが、特攻隊へと行くにあたって、ただた
 だ、単純に、狂信的に、任務に赴(おもむ)いたのでは
 ないという、深い理解が分かって来て戴いている、深い
 ところが理解されて来ている。
  特攻隊の若人の方々、一人一人の方々に、それぞれの
 苦悩があり、家族を想い、愛する人を想い、それぞれの
 心があり、郷土を想い、国を想い、その心があり、そして、
 行動があった。
  家族・郷土を守るため、国を守るために赴くという、
 命を賭して赴こうという心に至る道程が、一人一人の方々
 に苦悩を持ちながらあって、決断して赴いて行って戴い
 た、
  そこを、世界の方々は、理解して来て戴いている。
  極限になって行動された日本の特攻の若人の方々が、
 世界に理解されて来ている。
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1944年10月20日、神風特別攻撃隊
  神風特別攻撃隊(かみかぜとくべつこうげきたい、し
 んぷうとくべつこうげきたい)は、第二次世界大戦末期
 に行われた大日本帝国海軍の航空機による特別攻撃隊。
  大日本帝国陸軍航空機による陸軍特別攻撃隊は含まれ
 ない。
  1944年10月20日に、最初の編成があり、1945年8月15日
 の終戦まで続けられた。
  『アンパンマン』の作者のやなせたかし氏の弟さんが、
 この神風特攻隊で戦死されていた。
  「いいね!ニュース」に次の記述があった。
  http://iinee-news.com/post-307/
  あなたは『アンパンマンの歌詞』の本当の意味を知っ
 てますか?・・と、題して書かれていた・・、
  大人から子供まで誰もが知っているアンパンマン。
  その主題歌『アンパンマンのマーチ』は、「愛と勇気
 だけが友達さ」などの歌詞から、なんだか寂しい歌のよ
 うに解釈されがちです。
  しかし、この歌の背景を知ると、実は、この曲が、子
 ども番組の主題歌と言うには、非常にもったいない程深
 い曲だという事がわかります。
  このアンパンマン、元々、大人向けの読み物で、アン
 パンマン自身も普通の人間だったのです。
  空腹の人たちの元へパン粉を届けるという点は現在と
 比較的共通していますが、
  アンパンマンを語る上で、最も知っておく必要がある
 のが、
  やなせたかしさんの弟の存在です。
  実は、やなせたかしさんの弟は海軍に志願し、特攻隊
 として戦場でその生涯を閉じました。
  更に、やなせたかしさん自身も、戦中・戦後の食糧危
 機に直面し、非常に辛い思いをしたそうです。
  その事を踏まえて、もう一度この歌の歌詞を読んでみ
 てください。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  『アンパンマンのマーチ』
  作詞 やなせたかし 作曲 三木たかし
  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
  たとえ胸の傷が痛んでも
  何の為に生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ!
  今を生きることで 熱いこころ燃える
  だから君は行くんだ微笑んで。
  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
  たとえ胸の傷が痛んでも。
  嗚呼アンパンマン優しい君は
  行け!皆の夢守る為
  何が君の幸せ 何をして喜ぶ
  解らないまま終わる そんなのは嫌だ!
  忘れないで夢を 零さないで涙
  だから君は飛ぶんだ何処までも
  そうだ!恐れないでみんなの為に
  愛と勇気だけが友達さ
  嗚呼アンパンマン優しい君は
  行け!皆の夢守る為
  時は早く過ぎる 光る星は消える
  だから君は行くんだ微笑んで
  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
  たとえどんな敵が相手でも
  嗚呼アンパンマン優しい君は
  行け!皆の夢守る為
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  特攻隊として飛び立った彼は、自分が二度と母国の地
 を踏むことは無いと知り
  胸の痛みを感じつつも、生きている喜びを感じる。
  涙をこぼすことなく、恐れることなく彼は飛んだ。
  みんなの夢を守るために。
  戦いに行くのは自分一人だけでいい。
  愛と勇気だけを連れて行くから。
  幸せとは何か 
  何のために生きるのか
  その答えを知らずに生きるのは嫌だ。
  時は過ぎ
  彼は微笑みながら、特攻隊としての任務をこなした。
  まるで光る星が消え行くように。
  彼は微笑みながら飛んだ。
  みんなの夢を守るため。
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  あなたはこの歌の意味を知っていましたか?
  この歌にはこんなにも、深い意味が込められていたの
 ですね。
  きっとあなたの心に響いたはずです!
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1945年1月2日、アメリカ軍の艦載機500機が台湾と沖縄を
 空襲した。
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1945年3月17日、硫黄島が玉砕した。
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1945年3月18日、アメリカ軍がベルリンを空襲した。
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1945年3月26日、硫黄島で最後までアメリカ軍に抗戦してい
 た栗林中将配下の部隊が全滅した(硫黄島の戦い終結)。
.
1945年12月、上野の地下道で暮らす子供たちに行われた聞
 き取り調査。
.
  そして・・40年の時が流れ・・、
.
1985年、この年、日本が、半導体生産で、アメリカを抜い
 て世界一となった。
  この日本の台頭する前、世界の半導体市場は、もともと、
 アメリカのテキサス・インスツルメンツ、モトローラ、
 インテルなど専業メーカーの独壇場だった。
  そして、1970年代後半から、日立、NECのほか富士
 通、三菱電機、東芝などの日本勢が台頭した。
  1985年になって、日本の半導体生産は、アメリカを抜い
 て世界一になり・・日本が悪者になり・・貿易摩擦が起き
 た。
  (自分が一位の時は、何の配慮もなれていなかった)
  今(2017年)、日本の半導体は見る影もないが・・
  当時、『産業の米』と言われ、半導体は花形産業だった。
.
1980年代中頃、巨大な『双子の赤字』を抱えるアメリカ
  アメリカの赤字は双子となった・・、
  そのアメリカから、日本は、この年代の中頃から、ア
 メリカの猛烈な攻撃を受け始めた。
  この時のレーガン政権は、「双子の赤字」(巨額な財
 政赤字と経常赤字〉を抱える様になっていた。
  原因は、レーガンが『大減税』をして、しかも、財政
 支出を『どんどん増やし』、無責任なマクロ経済政策を
 していたからだった。
  (レーガンの無責任なポピュリズム政策が原因・・自分
 が悪い)
  そして、日本の貿易黒字が悪いのだと取り上げた・・攻
 撃した。
  貿易摩擦を発生させた。
  正々堂々と戦わずに・・『陰険な方策を取る』・・、
  アメリカの日本締め上げ策は『円を急激に切り上げて、
 日本の輸出産業を締め上げ』、
  また、大蔵省と日銀に、『猛烈な圧力』をかけて、金融
 を超緩和させる」のだった。
  ジャイアンの「のび太君いじめ」のごとくだった・・
.
1986年12月、日本が「バブル」となった(~1991年2月)
  (参考)バブル景気は、景気動向指数(CI)上は、
    1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月
    までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上
    昇と好景気、および、それに付随して起こった社
    会現象。
     情勢自体は、バブル経済と同一であり、平成景
    気や平成バブル景気とも呼ばれる。
  日本に「バブル・エコノミーが出現」し、「資産市場
 は急騰」し、そして、「急落」した。
  そして、「大量の不良債権が発生」し、「金融危機」
 となった。
  可哀想に・・「中小企業が、大量に倒産」した。
  これは、『日本のかじ取りが悪くてなったのではなく』、
  アメリカから、「日本は、貿易黒字をアメリカ相手に、
 せっせと稼いでいる」・・と、言われ、
  アメリカが「双子の赤字」を抱えるのは、日本が悪い
 からだ・・と、レーガン大統領に一方的に言われ・・、
  「円を急激に切り上げるという策を取らされ」、
  また、「日本の輸出を締め上げられ」・・、
  そして、「金融を超緩和させられた」・・その様な結
 果から起きた事だった。
  『まったく外的要因(アメリカ)からの発生』だった。
  日本の国内需要を『無理やり』人為的に膨張させられ
 た。
  日米の貿易差額を縮小できるから・・という政策だっ
 た。
  実際、これは間違いだった。
  アメリカの「税制」と「財政」を適正・健全化させる
 というアメリカ自分の足りないことに目をつむって、他に
 のみ原因を求めるという状況、アメリカの態度だった。
  この様に、アメリカは、「通商政策」に、そして、「
 金融政策」に、「外交政策」に、「国防政策」等に・・
 一方的にアメリカの圧力によって決めさせることをした。
  明治が、不平等条約で悩まされていたが・・相変わらず、
 日本は、アメリカの内政干渉を受けていた・・圧力を受け
 ていた。
  日本は『大きなダメージを受けた』。
  この後遺症から脱却するため「失われた二十年」とか、
 「失われた三十年」とかの・・四苦八苦をする羽目とな
 った。
  そして、この時、結果的に、ひどい事になるのだが・・、
  日本は、バブルに浮かれて、アメリカ資産を買いあさ
 った。
  例えば、1989年(平成元年)に、三菱地所が、約2200
 億円で買収したニューヨークのロックフェラーセンター。
  当時の日本企業による国外不動産の買い漁(あさ)り
 の象徴となった。
  しかし、バブル後に熾烈(しれつ)な状況となり、結
 局、日本の買い漁った資産は、アメリカに安く買い戻さ
 れて、日本は大きな損失を出し、アメリカに『大金を貢(
 みつ)ぐ』こととなった。
  アメリカは頭が良い・・
.
2013年10月13日、やなせたかし氏が逝去された。
  享年94歳。
  アニメ『アンパンマン』の生みの親。
  本名:本名:柳瀬 嵩(1919年〈大正8年〉2月6日~
 2013年〈平成25年〉10月13日)
  2013年8月に、体調を崩して入院し、
  2013年10月13日、午前3時8分、心不全のため、東京都
 文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去された。
  死去の知らせは、一般には、翌々日の15日に公表された、
  出身地の新聞である高知新聞は号外をWebで公開した。
  テレビのニュースでは、2013年の6月に、「アンパンマ
 ン」のアニメ製作のスタッフらに、「来年までに俺は死
 ぬんだよね。朝起きるたびに少しずつ体が衰弱していく
 のが分かるんだよね」「まだ死にたくねぇよ。(ようや
 くアニメが)面白いところへ来たのに、俺はなんで死な
 なくちゃいけないんだよ」と発言するやなせ氏の姿が繰
 り返し放送された。
  同日、NHKも、夜のニュースで、アンパンマンのアニメ
 を暫らく流すなどして逝去を惜しんだ。
  やなせたかし氏には、1991年に、勲四等瑞宝章が贈られ、
 その功を讃えられている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

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by suba28 | 2017-03-02 04:37 | 皆様とともに 幸せになりたい


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