(増補版)461E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1888年3月~1888年5月)

題:(増補版)461E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1888年3月~1888年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1888年4月3日、雑誌「日本人」が創刊された。
  志賀重昂、杉浦重剛、三宅雪嶺らが、政教社を結成し、
 雑誌「日本人」を創刊した。
  創刊早々、高島炭坑の坑夫虐待問題でキャンペーンを
 組み、国会の大臣弾劾権問題を特集した。
  また、政府が急ぐ鹿鳴館的西欧化を批判し、頻繁に発
 禁処分を受けた。
  雑誌は、紆余曲折、変転したが・・
  1906年(明治39年)、日本新聞の社長交代を不服とし
 て多くの社員が政教社へ移り、
  三宅雪嶺は、『日本人』誌と『日本』紙との伝統を受
 け継ぐとして、雑誌を『日本及日本人』と改名して主宰
 し、『日本人』誌は通巻449号で発展的に終刊した。
1888年4月9日、陸羯南が、日刊紙「東京電報」を創刊した。
  東京電報は、1889年2月9日に終刊し、
  1889年2月11日から、日本(新聞)となった(~1914年
 12月31日まで)
  事業者:日本新聞社。
1888年4月13日、初の喫茶店
  東京・下谷上野西黒門町(現=台東区上野1丁目1)に、
 日本初の珈琲喫茶店「可否茶館(かひいさかん)」が開
 店した。
  創始者・鄭永慶が、上野ではじめての本格的なコーヒ
 ーショップを開いた。
  1階がビリヤード場、2階が喫茶室の2階建て洋館で、
 コーヒー1杯が1銭5厘、牛乳入れ5厘、席料1銭5厘。
  1杯2銭の牛乳よりは安い。
  開店広告には「珈琲の美味なる思わず腮を置き忘れん
 こと疑いなし」(意味:美味すぎてあごが外れるどころ
 か、 美味過ぎてあごを置き忘れてしまう)
  国内外の新聞や雑誌をそろえ、知的で自由な談論風発
 の場を提供したいとした。
  しかし、3年後に潰れた。
  もりそば1杯1銭の時代に高すぎたという・・、
1888年4月17日、市制、町村制案を内閣で修正後裁可された。
1888年4月18日、仙台に二高、金沢に四高を設置した。
  第二高等学校は、後身の新制大学は東北大学で、
  第四高等学校の後身は金沢大学。
1888年4月21日、三池鉱山払下規則が告示された。
  1889年に、三井財閥に明治政府から払下げられた。
  払い下げられた三池炭鉱は、地下水との戦いから始ま
 った。
  炭鉱は官営で操業がなされ、採炭されていたが、深く
 まで掘り進んだことから湧き水が多く、対策が必要だっ
 た。
  排水を主目的とした『宮原坑』が掘削される計画だっ
 たが、
  三井の責任者となった團琢磨が、宮原坑第一竪坑を、
 1895年(明治28年)2月に着工した。
  当初は地下水との戦いが続き・・、
  3年後の1898年(明治31年)に、排水・揚炭のための坑
 外設備が完成した。
  その後は順調に揚炭・入気・排水・人員昇降その他を
 兼ねる主力坑として・・年間40~50万トンの出炭を維持
 できるように大きく改善して行った。
  1898年第一竪坑の成功の後、更に、1901年に、第二竪
 坑を完成させた。
  次々に難題を克服して、竪坑を完成に導いていった團
 琢磨は、工部省三池鉱山局勤務だった1888年(30歳)の
 時に、三井に炭鉱が払い下げられたため一旦失職した。
  旧三井物産社長の益田孝の招聘で、三井三池炭鉱に入
 社した。
  翌年1889年、三池炭鉱社を組織し、團は総責任者の事
 務長に就任した。
  MIT(マサチューセッツ工科大学)で修めていた鉱山学・治金学
 (MITを1878年・明治11年卒業)、
  更には、湧き水対策を学ぶために、欧米各国の炭鉱施
 設を視察した経験などを活かし、
  的確に三池炭鉱の総合開発・近代化・合理化を進めて
 行った。
  明治日本の産業革命は、何といっても「石炭エネルギ
 ー」が必須であった。
  團琢磨は、1891年(明治24年)蒸気機関車による三池
 炭鉱専用鉄道を開通させて、炭鉱開発に着手した。
  1898年の三池炭鉱宮原坑を皮切りに、万田坑、三池港
 築港と次々に近代化も進めた。
  海外の日本侵略の恐怖から、早急な富国強兵策が必要
 な日本だった。
  金属を溶かす溶鉱炉・反射炉から始まり蒸気で動く機
 関車、汽車、蒸気で進む軍艦、輸送船、電力を作るター
 ビンなどが必要な日本だった。
  この燃料の大半を石炭が担っていた。
  この三池炭鉱の成功を機に、全国各地で炭鉱ブームが
 起きた。
  そして、国民の努力の結集の結果・・わずか50年余で
 日本は、国を護る力を得る事が出来た。
  (九州観光推進機構、ホームページを参考にした)
1888年4月25日、市制及び町村制を公布した(市町村制)
1888年4月30日、枢密院が設置された。
  「枢密院官制」 の公布で、
  憲法審議の天皇諮問機関とする枢密院が設置され、
  伊藤博文が首相を辞任し、初代枢密院議長に任命され、
 就任した。
  内閣の後継として黒田清隆が組閣した。
  枢密院置く(氷川清話)
  勝海舟、枢密顧問官と成る(氷川清話)
1888年4月30日、黒田清隆内閣が成立し、発足した。
  農商務大臣の黒田清隆が、第2代内閣総理大臣に任命さ
 れた(1888年(明治21年)4月30日~1889年(明治22年)
 10月25日)
  伊藤博文は、大日本帝国憲法の制定に専念するため総
 理を辞し、
  初代枢密院議長に転じることになり、
  後任には、薩摩閥の中心的存在のひとりで農商務大臣
 として閣内にあった黒田清隆を推奏した。
  黒田は、自分が務めていた農商務大臣を逓信大臣の榎
 本武揚に兼務させた。
  そのほかは、全閣僚を留任させ、新内閣を発足させた
  (農商務大臣には後に井上馨を専任)
  黒田内閣の役目は、憲法制定と議会開設によって再燃
 が予想された自由民権運動に対する取締り、そして、欧
 米列強との間に交わされたままとなっていた不平等条約
 の改正実現だった。
  黒田内閣(氷川清話)
1888年5月1日、東京・品川硝子会社が開業した。
  主にビール瓶を製造した。
  1885年(明治18年)政府は、品川硝子製造所を西村勝
 三、稲葉正邦に払い下げ、民営化を図った。
  1888年(明治21年)西村らは、「有限責任・品川硝子
 会社」を設立し、業務を拡張した。
  食卓用の各種ガラス器を製造した。
  また、ドイツ人技術者を雇用し、日本で始めての大量
 生産によるビール瓶製造に乗り出した。
  これは丁度、この年、横浜のビール会社「ジャパン・
 ブルワリー(現:キリンビール:麒麟麦酒株式会社)」
 が、麒麟を商標にしてビールを販売開始したのだった。
  品川硝子会社は、キリンビール用にビール瓶納入を成
 功し、
  1889年(明治22年)には、最高の150名の職工がいたと
 いう。(出典:品川歴史館。講演記録)
  キリン歴史ミュージアムHPには、1888年の重役会議事
 録(英文)がある。
  そして、10月の項には、品川硝子会社との契約に関す
 る議事録がある。
  尚、この時、製造されたビール瓶が、明治村に1本、品
 川歴史館に1本、所蔵されている。
  興味を引くところは、重さ840gと、現代物(約600g)よ
 りかなり重く、
  比重は、現在のものと同じなので、鉛ガラスではなく
 てソーダガラス製で、
  ガラスが4割も厚く、底が2cm位凹んで、ガス圧に耐え
 る設計になっている。
  当時のビール瓶はコルク栓だった。
  王冠で蓋をするのは1900年(明治33年)から・・、
  (ウランガラス同好会、ホームページを参考にした)
.
  (今日の言葉)
.
  題:権力者であるのに・・弱い者いじめをする陰湿な権力者・ルーズベルト大統領・・
.
1944年初夏のころ、リンドバーグは、やっと、民間パイロ
 ットの肩書きで戦争に赴くことができた。
  ルーズベルトの「戦争をしたい」という隠されていた
 真実を暴露し・・、
  そして、「戦争の道を回避したい」とする個人のリン
 ドバーグに対して・・、
  権力を持っているアメリカ大統領のルーズベルトは、
 卑劣にも・・追い落とし行為をした。
  ルーズベルト大統領のスピーチライターのロバート・
 シャーウッドさえ・・婉曲に、遠回しに・・リンドバー
 グに味方したくらいだった。
  シャーウッドは言った、「リンドバーグは激しく、そ
 して、雄弁な孤立主義者(戦争反対者)だった。
  ラジオ演説において、ルーズベルト最大のライバルだ
 った」・・と、
  リンドバーグは、明らかに戦争反対を言っていたので、
 この言葉を言ったルーズベルトのスピーチライターの頭
 の中には・・
  「ルーズベルトを、リンドバーグのライバル=戦争論
 者」と表現した・・
  この様に、戦争が始まる前から、このスピーチライタ
 ーの頭の中には、ルーズベルトを、「戦争推進論者」と
 いう見方になっていた。
  戦争が始まると・・リンドバーグは軍務に復帰するこ
 とを拒否された。
  ルーズベルト政権の厳しい追い詰め策の結果だった。
  ルーズベルトは陰湿だった。
  軍務復帰の道は閉ざされた。
  陸軍長官はリンドバーグへ言った、「数々のスピーチ
 で示された(君の)考え方を考慮し、受け入れることは
 出来ない」・・と、
  また、リンドバーグは、ルーズベルト政権の手が回っ
 ていたのか・・民間企業への就職もままならず・・、
  リンドバークは言った、「民主主義は、色々な意見を
 抱擁するはずなのだが、この国の大統領(ルーズベルト)
 は、自分の意見にそぐわないものは排除する様だ」・・
 と・・、
  後になって、1944年初夏のころ、リンドバーグは、民
 間パイロットの肩書きで戦線に赴いている。
  国に忠誠を尽くすためにである。
  戦争の肯定ではない。
.
  そして、次の(今日の言葉)
.
  題:アメリカが行った『日本兵への虐殺と拷問』
.
1944年7月13日、アメリカの卑劣な日本兵虐殺が行われた。
  リンドバーグは書いた・・
  「アメリカ兵の一部が(日本兵)捕虜を残虐に拷問し
 ていることは誰もが知っていた。
  (日本兵)捕虜を射殺りたり、手を上げて降伏する日
 本兵を即座に、まるで、動物の様に殺すことに何の躊躇
 もない。
  降伏してもどうせ殺されるのだから(日本軍には)玉
 砕しか残された道はなかった。
  この点においてアメリカ合衆国が日本よりもモラルの
 点で高いとはどうしても思えない」と。
  (リンドバーグ、第二次大戦日記)
  (感想〉このアメリカ合衆国兵は、東京裁判で裁かれ
 るべきだった・・捕虜虐待で・・、アメリカは卑怯にも
 この事実を隠した。
.
  そして・・
.
1944年9月15日、ペリリューの戦い(~1944年11月25日)
  ペリリューかく戦えり。
  アメリカの提督が、日本兵の勇敢さを讃えた。
  讃えられた日本兵も素晴らしいが、讃えたアメリカ提
 督も素晴らしかった。
  ペリリューの戦いは、太平洋戦争中の1944年(昭和19
 年)9月15日から11月25日にかけペリリュー島(現在のパ
 ラオ共和国)で行われた、日本軍守備隊(守備隊長:中
 川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリ
 アム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・
 ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘。
  アメリカ側の作戦名はステールメイトII作戦は(「膠
 着」の意味)
  要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いる
 という日本軍が見せた組織的な抵抗、戦術は、後の硫黄
 島の戦いへと引き継がれていくことになった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-11-24 03:26 | 皆様とともに 幸せになりたい


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