(増補版)441E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1887年1月~1887年1月)

題:(増補版)441E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1887年1月~1887年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1887年、食:
・日本・札幌・大阪の三ビール会社設立
  1869年(明治2年)、ロシアが南下して来て、日本領土
 を脅かしていたころ、
  この年に、北海道に設置された開拓使は、殖産興業に
 燃える新政府の成長株として大いに期待され、
  外国人技師の招へいが行われ、
  そして、「開拓使麦酒醸造所」を含む、30種以上の官
 営工場が開設された。
  輸入品の「舶来ビール」や、横浜の外国人技師が作る
 「居留地ビール」が発信源となって、ビールは、次第に、
 認知度が高まっていた頃だった。
  ビールは、新しい時代を象徴する飲み物であった。
  国内消費や、輸出にも有望なマーケットが期待されて
 いた。
  北海道は適地だった。
  ホップが自生する地で、ビール大麦の栽培にも適し、
 だから、原料の自給自足が可能で、低温で発酵させるた
 めの氷が入手しやすかった。
  また、気候風土が、ビールづくりに適していた。
  政府の勧農・殖産興業政策に合致するビール醸造事業
 が導入された。
  開拓使麦酒醸造所によるビールづくりは、1876年(明
 治9年)に醸造所の建設から始まり、
  1877年(明治10)年)夏には、日本人として初めて本場
 ドイツで修業した醸造技師・中川清兵衛によって仕込ま
 れた第1号商品冷製「札幌ビール」が、
  サッポロビールのトレードマークである「五稜星」★
 が描かれた開拓使旗 (北辰旗) を立てた船艦によって東
 京へと運ばれた。
  そして、開拓使ビールの発売からほぼ10年後、
  多くの困難を乗り越えた先駆者たちの努力によって、
 国産ビールの総生産量は、ついに、舶来ビールの輸入量
 を上回った。
  また、サッポロビールの先駆者たちも、ビール醸造に
 適した大麦の栽培に苦心し、
  品種改良や、栽培方法などの研究を積み重ねて行った。
  なかでも、荒野を開墾し、畑を耕した屯田兵とともに
 取り組んだ原料づくりは、彼らの功績とともに、今日の
 サッポロビール社の「協働契約栽培」のルーツとして輝
 いている。
  その後、開拓使麦酒醸造所は、渋沢栄一らが経営に参
 画し、民間会社の「札幌麦酒会社」として新たなスター
 トを切った。
  1887年(明治20年)前後になると、ビール事業の将来
 性に期待する資本家などが、大小様々なビール会社を設
 立した。
  サッポロビールの前身である「日本麦酒醸造会社」も
 また、中小の資本家によって現在の東京・銀座に設立さ
 れた。
  しかし、大掛かりな設備を要するビール事業には、十
 分な資本が不可欠で、
  日本麦酒醸造も、翌年・1888年、三井物産会社の資本
 参加による増資によって、ようやく醸造所の建設と製造
 にこぎつけることができた。
  1890年(明治23年)に、第1号となる「恵比寿ビール」
 を発売した。
  国産とは言うものの、原料も、設備も、技術者も、本
 場ドイツからそのまま移転させて製品化したような「恵
 比寿ビール」は、まさに、本格的なドイツビールで販売
 直後から評判を呼んだ。
  1893年(明治26年)に、日本麦酒醸造は、「日本麦酒
 株式会社」に社名を変更した。
  翌年・1894年(明治27年)に勃発した日清戦争を契機
 に、ビールの消費量が急激に増大すると、
  日本麦酒は、積極経営に転じて、増資を行い、設備の
 更新と拡張で増産体制を確立した。
  この積極策が実を結び、当時、偽ビールが出回るほど
 になっていた「恵比寿ビール」の人気と相まって、日本
 麦酒は、日本一の製造量を誇るビール会社に成長した。
  急増した製品輸送の便を図るため、1901年(明治34年)
 に、貨物専用の「恵比寿停車場」が設置されると、
  付近の都市化と、人口の増加が急速に進み、やがて、
 旅客も扱う駅となり、
  1928年(昭和3年)には、付近の地名は「恵比寿」とな
 った。
  こうした成長の陰で、手腕をふるったのが、当時の経
 営トップだった馬越恭平だった。
  のちに「東洋のビール王」と呼ばれる馬越は、イベン
 トや広告、口コミによる宣伝など、プロモーションを含
 めた販売戦略の才能にも長けた。
  1899年(明治32年)には、「恵比寿ビールBeer Hall」
 を開業させた。
  この日本初のビヤホールは、新しい物好きの東京人に
 受けて、たちまち大繁盛店となった。
  この間にも、日本麦酒は、設備の新鋭化と先端技術の
 吸収、幹部技術者の育成などに注力して、「恵比寿ビー
 ル」の品質向上に努め、
  1900年(明治33年)には、パリ万博で金賞を、4年後の
 セントルイス万博ではグランプリを受賞するなど、様々
 な金字塔を立て、日本を代表するビール会社となった。
  (サッポロビール、ホームページを参考にした)
.
1887年、住:
・横浜水道が竣工した(9月)
  横浜市の水道は、わが国最初の近代水道として、
  1887年(明治20年)10月17日に、給水が開始された。
  戸数わずか87戸ほどの一寒村であった横浜の人口は、
 日増しに増加し、市街は急激に発展した。
  当時、住民は、水を求めて井戸を掘っていたが、横浜
 は、海を埋め立てて拡張してきたので、良質な水に恵ま
 れず、
  ほとんどの井戸水は、塩分を含み、飲み水には適しな
 かった。
  このため、神奈川県知事は、英国人技師H.S.パーマー
 を顧問として、相模川の上流に水源を求め、
  1885年(明治18年)近代水道の建設に着手し、
  1887年(明治20年)9月に完成した。
  (横浜市水道局、ホームページを参考にした)
・東京電燈会社が開業し、市中に点灯した。
  1883年(明治16年)富国強兵の国策には電力が欠かせ
 ないという大局的判断のもとに、
  矢島作郎らの発起人は、国からの会社設立許可を受け
 るべく請願書を提出し、この年、認可された。
  しかし、日本の電源開発と言っても、当初の内容は、
 開発というにはほど遠いものであった。
  1886年に至り、企業活動を開始し、
  1887年に、東京電灯会社は、最初の発電を行ったが、
 それは、30馬力のボイラーと、25kWの直流発電機で発電
 し、
  210Vの電圧で、1~2kmほどの範囲に送電するものであ
 った。
  1880年代末から1890年代末にかけて、電灯会社が、全
 国主要都市に設立されたが、
  それらは、電灯需要に応じた都市における小規模火力、
 市内送配電という共通の内容をもっていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:1991年のこと・・、
   自分のことは、「自分で責任をとれよ」と教えている人類の歴史
.
1991年9月16日、アメリカ上院が、フィリピンの米軍基地
 撤廃を決議した。
  そして、1992年末までに、撤退を完了した。
  この撤退は、戦略的な判断ではなく、アメリカとフィ
 リピンの政治的な事情・問題が反映した決断だった。
  フィリピンは、アメリカに英語化されたが、その問題
 も絡んでいた。
  (フィリピンは、英語を含む、異なる二つの言語を話
 さねばならないという国の事態になっていた・・言語の
 分裂化・・最初は、英語だけを強制されるという『非人
 道的状況』に置かされた・・アメリカ人にとっては都合
 が良かっただろう、そうさせれば・・)
  また、アメリカは、フィリピンを防衛するという『大
 義はどうでもよかった』、
  その大義から判断するという事から離れ、金銭的に判
 断するという態度になっていた。
  結局は、アメリカの在比して防衛するという大義意識
 が崩れ去っていた。
  フィリピンの意見・判断は別にして、そっちのけにし
 て、アメリカだけで、この判断はなされた。
  戦略的判断や、同盟の絆などという話は無かった。
  アメリカだけの都合によって、事態が変わった。
  フィリピン側から言わせれば、アメリカだけの都合に
 よって、フィリピンの防衛態勢が変えられた・・という
 事になった。
.
1991年、ソ連の連邦政府の権限縮小(共和国の権限拡大)
  政策に不満を持つ側近のクーデター失敗事件が起こり、
 ソ連共産党の解散、
  ソ連の解体と独立国家共同体(CIS)への移行がなされ、
 1922年に誕生したソ連の歴史が終わった。
.
1991年12月、「一超多強」・・ソ連が崩壊し、冷戦が集結
 した・・「アメリカ、一強」の時代の到来。
  1991年12月、ソビエト連邦共産党が、解散した。
  それによって、各連邦の構成共和国の主権国家として
 の独立が消えた、また、
  1991年12月25日に、ソ連大統領のミハイル・ゴルバチ
 ョフが辞任し、ソ連は解体された。
  そして、アメリカが、受動的に一強となった、2-1で
 ある。
  一超大国:アメリカが、この時に出現した。
  しかし、その時は、そのことは、もう、「ひと昔まえ
 に起きたこと」と言った方が適切な今(2016年)となっ
 ている、
  その時から、25年という年月が流れている、経過して
 いる。
  そして、21世紀へ、この先は、長期的に、確実に、多
 極化へ向かって進んで行っている。
  その多極の国々は、そのグループは、確実に力を付け、
 アメリカとの差を縮め、地球のあちこちで、その次なる
 グループが形成され、力を付けて来ている。
  多極化は、確実に進んでいる。
  過去の中心にあった米欧の結束は崩れ、米欧の離反が
 進んでいる。
  ロシアは、プーチン政権の「新ツァーリズム」が進ん
 でいる。
  (参考)ツァーリズム:ツァーリによるモスクワ・ロ
     シア、および、ロシア帝国の絶対君主制体制の
     ことをさす。
  (参考)ツァーリ:ツァーリ、あるいは、ツァールは、
     ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用され
     た君主の称号。
  中国は、経済発展にあり、「アジアの覇権」を目ざし、
 アメリカへの対抗を意識した長期戦略の実行をしている。
  アメリカは、この確実な流れの中で、「グローバルな
 協調の進展」を声高に叫んでいる。
  また、「国際社会の統合」と叫んでいる。
  そして、アメリカは、その統合された社会の頂点に、
 当然の様に、立ちたいという態度で来た。
  勿論、自分の(アメリカの)お好みの社会システムで
 統合され、その頂点に立つ、それが、正義なのだという
 統合である。
  これは、遠い過去から、キリスト教組織がやって来た
 事で、その形を変えてやっている事に過ぎない。
  キリスト教は、そのキリスト教の『最高会議』におい
 ても・・、
  その判断は、統合において、統合に反する異は、「異
 端だ」として・・抹殺を『是』として来た。
  統合の為には、その統合を阻害する『異』は消し去る
 という考え方・教義であった。
  中国の動静において、2016年の現在から見ると、
  南シナ海の中国のサンゴ礁を埋め立て、そして、軍事
 基地化し、
  そして、国際法違反の判決が出ても、その判決に従お
 うともしない。
  逆に、相手のフィリピンは、中国の人民元の金と投資
 が欲しいと、中国参りをし、そして、握手をしている。
  中国は、自国の金・人民元をばらまいて自国の主張を
 押し通そうとしている。
  日本の沖縄県尖閣島を含む東シナ海も、同じ状況とな
 っている。
  今でも、中国は、軍艦を使って日本の沖縄県の一角を
 奪おうと、日本の統治実態はないと言おうとの行動を行
 なっている。
  南シナ海のサンゴ礁の様に、中国の更なる行動が起こ
 される事態にある。
  この様な行動によって、中国の巨額な軍事費の投資の
 見返りを得ようとしている。
  中国は、アメリカに「太平洋を半分づつにしよう」と
 言ったが、それは、日本という国を飛び越えて、世界戦
 略へと進んでいる。
  当面、日本は、日米同盟路線は重要だが、台湾が中国
 の手に落ちるか?否か?
  台湾の方々の民族自決に委(ユダ〉ね、その決定を、
 世界が、尊重する事になるか?否か?
  中国は台湾をのみ込み、そして次に、国境となる沖縄
 県尖閣をのみ込み、沖縄をのみ込み、
  そして、遠い昔から「日出づる国」として、日本が中
 国に従属しなかった国、その日本を、従属させたかった
 様に、『日本を従属させ』、太平洋を半分づつにしたい
 としている。
  その後は、アメリカの西部開拓が、太平洋にぶち当た
 っても止まらなかった様に、「中国だって止まらない』
 と。
  アメリカだって止まらず、中国の行動を咎(とが)め
 られない様に、中国は、よりアメリカと近接するところ
 までその歩みは止まらない。
  アメリカだった止まらず、やって来たではないか・・
 と、中国は言いたげである。
  そして、中国の国内の利権のおいしい汁を吸ったでは
 ないか・・と、言いたげである。
  この様な行動をする輩の国が跋扈(ばっこ)する世界
 である。
  北朝鮮が、核兵器を持った理由がここにあった。
  自分の利のみを追求する大国、この様な輩が跋扈する
 大国の間にあって・・「核を持った」。
  逆に、この様な輩の跋扈する大国の中で「核を持たな
 い国、勇気あるその様な国になれなかった」とも言える。
  ある意味、「弱い国」と言える・・が・・、
  死にたくなかったのだ。
  「弱い民族は滅んで来た」が、人類の歴史なのだ。
  自分の事は、「自分で責任をとれよ」と教えている人
 類の歴史・・なのだ。
  (参考)跋扈:ばっこ、《「後漢書」崔駰伝から。「
    跋」は越える意、「扈」は竹やな》魚がかごを越
    えて跳ねること。転じて、ほしいままに振る舞う
    こと。また、のさばり、はびこること。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-10-24 02:32 | 皆様とともに 幸せになりたい


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