(増補版)424E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年4月~1886年5月)

題:(増補版)424E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年4月~1886年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年4月29日、日米犯罪人引渡条約に調印した。
  この日に、東京において調印された。
  1886年10月6日に、公布された。
  日本皇帝陛下及亞米利加合衆國大統領ハ、兩國內竝ニ
 其管轄內ニ於テ、司法事務ヲ益??到ナラシメ及ヒ犯罪ヲ
 防止セムカ爲メ、下ニ揭ル犯罪ニ付有罪ノ宣告若クハ告
 訴、告發ヲ受ケ未タ處分ヲ經スシテ逃亡スル者ハ、其情
 狀ニ據リ互ニ之ヲ引渡スノ便宜ナルヲ認メ、之レカ爲メ
 條約ヲ締結スルコトニ決シ、日本國皇帝陛下ハ外務大臣
 伯爵井上馨ヲ亞米利加合衆國大統領ハ日本駐劄特命全權
 公使「リチャード、ビー、ハッバード」ヲ各其全權委員
 ニ命セリ、因テ雙方全權委員ハ互ニ其委任狀ヲ示シ誠實
 適式ナルヲ認メ左ノ條條ヲ議定ス
  第一條
  締約國一方ノ管轄內ニ於テ第二條ニ揭ル犯罪ニ付有罪
 ノ宣告若クハ告訴、告發ヲ受ケタル者他ノ一方ノ管轄內
 ニ於テ發見セラレタルトキハ、締約兩國政府ハ本條約ニ
 開列スル情狀及ヒ制限ニ遵ヒ互ニ之ヲ引渡スヘシ
  第二條
  引渡スヘキ犯罪人ノ罪名・・云々
1886年4月30日、判任官等俸給令を公布した。
1886年4月30日、秋田で大火、焼失3500戸。
1886年4月、大学予備門が第一高等中学と改称した。
  第一高等学校(だいいちこうとうがっこう)は、現在
 の東京大学教養学部、および、千葉大学医学部、同薬学
 部の前身となった旧制高等学校であり、「旧制一高」と
 も呼ばれた。
  旧制一高は、旧制高等学校の中でも早い時期に創設さ
 れたナンバースクールの先駆けであり、
  1886年(明治19年)に、日本の近代国家建設のため必
 要な人材の育成を目的として第一高等中学校として創設
 された。
  校名が、第一高等学校に改称された1894年(明治27年)
 以降、一高の修学期間は3年となり、
  帝国大学の予科と位置づけられた。
  一部は、法学・政治学・文学、
  二部は、工学・理学・農学・薬学、
  三部は、医学であった。
  また、1921年以降は、文科甲/乙/丙類、理科甲/乙類と
 いう分類となった。
  一高の卒業生の多くは、東京帝国大学へ進学した。
1886年5月1日、東京横濱毎日新聞が毎日新聞に改称した。
  1871年1月28日(明治3年12月8日)に、横浜で創刊され
 た日本最初の日本語の日刊新聞で、
  横浜活版舎(のち横浜毎日新聞社)が発行した。
  当時の神奈川県令(県知事)・井関盛艮(いぜき・も
 りとめ)が、近代新聞の必要性を横浜の貿易商達に説き、
 印刷業者の本木昌造・陽其二の協力の下に、創刊にこぎ
 つけた。
  編集者は、横浜税関の翻訳官:子安峻(こやす・たか
 し)だった。
  そして、この日に、毎日新聞に改称した。
1886年5月1日、第1回 條約改正會議(~翌年4月)
  外務大臣・井上馨は、各国公使と第一回条約改正会議
 を、外務省にて開いた。
  そして、正式に、改正条約案を提出した。
  列国共同会議とも言った。
  (第1回条約改正列国会議)
  井上馨は、この条約改正では、以前の個別交渉方式を
 捨てて、列国会議方式をとって法権回復を優先させよう
 とした。
  普通、条約は、有効期間が来れば、または、廃棄の方
 法を規定して、期限がくると自動的に失効するか、
  または、一方が申出をして廃棄できるのが普通である
 のだが、
  日本の結んだ通商条約は、日本が鎖国へ戻ることを警
 戒して、
  1年前の予告を条件にして、1872年(明治5年)7月以降に
 改正交渉ができるという条項だけだった。
  そこで、明治維新後に、明治政府は、主権国家の名実
 を得るために、不平等条項の改正交渉を行ったが、
  アメリカなどの外国は、既得権の放棄を欲しなかった。
  列国は、交渉に応じなかった。
  法権回復(領事裁判権の回復)は日清戦争後の1899年
 になった。
  また、関税自主権の回復は、日露戦争後の1911年にな
 るという状況だった。
  (参考)領事裁判権:りょうじさいばんけん、不平等
    条約によって定められた治外法権のひとつで、
     在留外国人が起こした事件を、本国の領事が、
    本国法に則り裁判する権利をいう。
1886年5月2日、国産の鉛筆工場が、初めて東京・四谷に設
 置され、佐賀県人・真崎仁六により起業・・とあるが?
  鉛筆組合史年表によると・・違う?
  確かに、「日本鉛筆史・明治時代鉛筆製造業者一覧」
 の1887年(明治20年)に、
  真崎仁六、真崎鉛筆製造所、四谷内藤新宿、現:三菱
 鉛筆とあるが、最初ではない。
  この表では、1874年(明治7年)小池鉛筆製造所(小池
 卯八郎〉銀座3丁目が、最初だとある。
  そして、以下が、この鉛筆組合史年表の説明(一読の
 価値があるので転載させて戴く、一部読みやすくした)・・、
  わが国による鉛筆づくりは、明治時代初期に始まる。
  この頃の鉛筆づくりの形態は「手工業」で、「産業」
 と呼ぶには至っていなかった。
  維新を経て、多くの若者が特使として渡欧し、政治、
 法律、徴兵制等の近代国家のしくみを勉強していた際、
 都市にあったさまざまな西洋文物を我が国に持ち帰った。
  なかでも、鉛筆、石鹸、マッチ等の日常生活用品、つ
 まり、今日でいう中小工業的商品類の製造法に関しては、
 明治10年代~明治20年代に、日本と欧州との間に、積極
 的な人材の往来があり、製法の研究・伝授は大いに進ん
 だ。
  1872年(明治5年)学制がしかれて、寺子屋に代わる欧
   米式の学校が、各地に新設され鉛筆の需要は高まっ
   た。
  1873年(明治6年)藤山種廣、井口直樹が、ウィーンか
   ら鉛筆製法を伝えた。
    井口は、ドイツ・ヒツトワイス鉛筆製作所の製造
   機械の図解を模写、さらに、黒鉛を携えて帰国した。
    藤山は、ボヘミア州ハルトムートの製造所で、製
   法を学び帰国した。
    両者は、欧州工業の見聞の記録を小池卯八郎に伝
   えた。
  1877年(明治10年)小池卯八郎は、第1回内国勧業博覧
   会(東京上野)に国産初の鉛筆を出品した。
  1880年~1881年(明治13年~14年)頃、河原徳右衛門
   は、苦心して黒芯鉛筆を製造、小石川第六天に工場
   をもち、百人近い職工を使った。
    そして、1881年、開催の第2回内国勧業博覧会(東
   京上野)で二等賞を受けた。
  1882年(明治15年)河原は事業に失敗するが、多くの
   鉛筆職人を輩出した。
    井上吉兵衛、藍田貞三郎、大久保桂次郎、杉江鉦
   三郎、永谷健三郎、他。
  1884年(明治17年)杉江鉦三郎は、下谷区竹町に杉江
   蜻蛉社を設立し、
    1899年(明治32年)田端に日本鉛筆株式会社設立。
  1885年(明治18年)鉛筆が文房具としてわが国に輸入
   されたのは、1877年(明治10年)頃といわれている
   が、公式には1885年(明治18年)、輸入品目に鉛筆
   が計上されているのが最初。
    故に、それ以前の輸入は、おそらく見本程度の数
   量に過ぎず、ようやく、この頃から、鉛筆が商品と
   して扱われるようになったものと考えられる。
   この頃の輸入鉛筆には、イースタン・レッド・シダ
   ーが使われていた。
  1885年(明治18年)公立小学校上級生に英語の授業が
   行なわれるようになり、鉛筆の需要は急速に高まっ
   た。
  1887年(明治20年)眞崎仁六が、眞崎鉛筆製造所を内
   藤新宿1番地に興した。
   「鉛筆製造界に一異彩あるは眞崎鉛筆製造所なり」
   と言われた。
  1889年(明治22年)鉛筆の輸入は96,039グロス、当時
   の輸入鉛筆は、アメリカ、イーグル社製の黒軸銀文
   字入り、デックソン社製の銀軸文字入りなどであっ
   たが、1890年(明治23年)には、横浜アンバリウス
   商会がイーグル社の140番ゴム付鉛筆を輸入ヒットさ
   せた。
  鉛筆の価格・・
  1887年(明治20年)鉛筆1厘、そば1銭、風呂代1銭3厘。
  1907年(明治40年)鉛筆2厘、そば3銭、風呂代3銭。
  (参考)眞崎仁六の眞崎鉛筆製造所が、現在の三菱鉛
    筆株式会社に、
     また、河原徳石衛門の門下生の杉江鉦三郎と共
    に鉛筆づくりを始めた小川作太郎が、現在の株式
    会社トンボ鉛筆になっている。
1886年5月5日、裁判所官制を公布し、治安裁判所、始審裁
 判所、重罪裁判所、控訴院、高等法院、大審院の裁判所
 制度が定められた。
  明治政府が、1885年以降、太政官制を廃止して、官制
 の大改革をするが、これも三権の一つで重要であった。
  この官制で、裁判官の身分保障の法定などが盛り込ま
 れたが・・、
  裁判所官制は,日本の司法制度が制度・機構の両面にお
 いて近代的性格を有するに至ったことを示すものであっ
 た。
  そして、この内容は、ほとんど変更されることなく1890
 年の裁判所構成法に引き継がれた。
1886年5月4日、第2海軍区鎮守府を呉、第3海軍区鎮守府を
 佐世保と定めた(4月21日説、5月5日説あり)
  1886年4月22日、「海軍条例」において、全国に五つの
 海軍区を定め、各区の軍港に鎮守府を置くこととし、
  1886年5月4日に、第二海軍区(範囲「紀伊国南牟婁郡
 界ヨリ石見長門国界ニ至リ筑前遠賀宗像郡ヨリ九州東海
 岸ニ沿ヒ日向大隅国界ニ至ルノ海岸海面及四国ノ海面並
 内海」)を所管する鎮守府は、呉港に置くことが定めら
 れた。
  また、1886年(明治19年)4月21日、鎮守府官制が制定
 され、佐世保に「第三海軍区鎮守府」を置くことが決定
 した。
  九州を始めとする西日本地域一帯の防衛と朝鮮・中国
 等東アジアへの進出の根拠地として、
  九州の西岸に海軍の軍港を置くことになった。
  本来は、長崎だったが、市民から商港機能を阻害され
 ると猛反対され、土地買収費用の問題もあって断念され
 た。
.
(今日の言葉)
.
  題:あまりにも貧乏くじを引いた・・オバマ大統領
   そして、似たような状況を脱した・・ルーズベルト
.
2009年1月20日、オバマ大統領が就任した。
  アメリカのバラク・フセイン・オバマ2世(1961年8月
 4日生まれ~)が、この日に、第44代アメリカ合衆国大統
 領に就任した。
  2009年10月には、ノーベル平和賞を受賞した。
  実父のバラク・オバマ・シニアは、ケニアのニャンゴ
 マ・コゲロ出身である。
  そして、父は、奨学金を受給していた外国人留学生で、
 ハーバード大学を卒業した。
  母親は白人で、ハワイには母親の両親が居る。
  そして、オバマの両親は、ハワイ大学で知り合い、
  1961年2月2日に結婚した。
  しかし、両親は1964年(3歳の時)に離婚、オバマは、
 母親のもとで暮らした。
  父はケニアへ帰国し、この父とは1971年(10歳)に再
 開したが、父は、1982年(21歳)自動車事故で逝去した
 (46歳だった)
  母は、離婚後人類学者となり、ハワイ大学で知り合っ
 たインドネシア人留学生と再婚した。
  1967年(6歳)インドネシアが、クーデターでスハルト
 政権になると、ハワイからインドネシアに呼び戻され、
  オバマは、両親と共に、ジャカルタに移住した。
  オバマは、1967年の6歳から10歳まで、ジャカルタの公
 立小学校へ通った。
  そして、1971年(10歳)になると、オバマは、ハワイ
 のホノルルの祖父母のもとへ行った。
  地元の有名私立小中高一貫の学校へ入った。
  青年時代のオバマは、ハワイで母親と母親方の祖父母
 〈白人〉の下で成長した。
  1991年(30歳)法務博士の学位を取得して、シカゴ大
 学の法学フェローとなった。
  ハーバード大学ロー・スクール終了後、弁護士として
 法律事務所に勤務した。
  1992年(31歳)結婚する。
  1992年(31歳)から、シカゴ大学ロースクールの講師
 となる。
  1995年(34歳)母親が、癌で亡くなる。
  1996年(35歳)イリノイ州のイリノイ州議会上院議員に当選した。
  2004年11月(43歳)イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員に初当
 選した。
  アフリカ系上院議員としては史上5人目(この時点では
 オバマだけ)。
  2004年7月27日(43歳)のアメリカ大統領選挙の基調
 演説が有名である。
  オバマは、ケニア人の父、そして、カンザス州出身の
 母がハワイで出逢い自分が生まれたこと、
  次いで、「すべての人は生まれながらにして平等であ
 り、自由、そして、幸福の追求する権利を持つ」と言う
 独立宣言を行なった国、アメリカ合衆国だからこそ、
  自分の様な人生があり得たのだ・・と、述べた。
  そして、
  「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ、
 『アメリカ合衆国』があるだけだ。
  ブラックのアメリカもホワイトのアメリカも、ラティ
 ーノ(ラテンアメリカ出身者)のアメリカもエイジアン
 (アジア人)のアメリカもなく、
  ただ『アメリカ合衆国』があるだけだ」「イラク戦争
 に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメ
 リカに忠誠を誓う『アメリカ人』なのだ」・・と語り、
  その模様が、広く全米に中継された。
  長年の人種によるコミュニティの分断に加え、
  2000年大統領選挙の開票やイラク戦争を巡って先鋭化
 した保守とリベラルの対立を憂慮するアメリカ人により
 この演説は高い評価を受けた。
  2008年(47歳)11月4日に行われたアメリカ大統領選で
 オバマは勝利した。
  しかし、オバマが、アメリカ大統領になった時は、ア
 メリカは大変だった。
  前のブッシュ(子、任期:2001年1月20日~2009年1月
 20日)が始めたイラク戦争(2003年3月20日開戦)の結末
 を付けなければならなかったし、
  また、2007年4月に、ニュー・センチュリー・ファイナ
 ンシャル(アメリカの住宅ローン会社)の倒産(連邦倒
 産法第11章の適用申請)が発端とし、波及し、サブプラ
 イム融資によって世界中に、前任のブッシュ大統領が、
 不良債権をまき散らかしていて、その不良債権を、オバ
 マ政権は買い取らなければならなかった。
  また、2009年、ゼネラルモーターズが破綻(はたん、
 オバマ大統領も苦労するが、もだえながら、2009年2月20
 日に経営破綻)した様に、
  長年の怠慢から、デトロイトの自動車産業は、技術的
 に遅れ劣ってしまって、オバマ政権が金を注入して、国
 際競争力を回復させなければならない企業になってしま
 っていたし、
  しかし、金を注入したって、デトロイトの自動車産業
 が破産状態から立ち直るのは望み薄だった。
  また、ブッシュがやったサブプライムローンの不良債
 権のかたまりの住宅は、1000万戸もあったし(べらぼう
 な戸数だ)、
  世界の金融業界は大混乱に陥らせてしまっていたし、
  まだまだ書けば書ける事があるというアメリカの最悪
 状態に就任した・・オバマ大統領だった。
  第二次世界大戦を、1941年に始めたアメリカの第32代
 大統領のフランクリン・ルーズベルト(任期:1933年3月4
 日~1945年4月12日)も、世界が大恐慌の真っ最中に大統
 領に就任した。
  オバマ大統領の様に、最悪の時に大統領になった。
  世界恐慌は・・、
  1929年10月24日、ゼネラルモーターズの株価が暴落し
 たのがきっかけで、株式市場は、11時頃には、売り一色
 の大暴落となった。
  そして、「暗黒の木曜日」と言われるこれがきっかけで、
 世界大恐慌は始まった。
  1930年代になっても、この世界恐慌は、規模と影響範
 囲が絶大で、手が付けられなかった。
  自律的な回復のめどが立たないほど困難だった。
  この様な、経済の最悪状態の時に、ルーズベルトは大
 統領になった。
  ルーズベルトは、最悪状態を抜け出すために、脱出す
 るために日本と戦争したいと考えた。
  結果的に、日本と戦争をはじめ、そして、経済はV字
 回復した。
  軍需産業は、フル回転し始めた・・、
  デトロイトの自動車産業にも依頼して・・タンクや大
 砲を造った(この産業界のプッシュもあったのか?)。
  また、日本をこのままにしておくと、アメリカがじり
 貧に陥(おちい)ると考えていた。
  アメリカの権益が減り、また、得られなくなり、更に、
 困った状況になると考えていた。
  ルーズベルトは、あらゆる策略を弄(ろう)して日本
 と戦争を始めようとした、
  そして、「勝てば官軍」の勝った者が正義だの論理で
 戦争を始めた。
  日本は追い詰められて、ルーズベルトの思惑にはまっ
 て行った。
  精神的にも戦争に駆り立てられて行った。
  アメリカでは、大きな戦争をして勝って(アメリカは、
 超大国、敗ける事はない)、その大統領は、尊敬を受け
 るというパターンが、それまでに多くの事例があった、
 ルーズベルトも、この軽蔑すべきパターンに入った。
  アメリカが、「戦争の好きな国」と言われる起因は、
 こんなところにも原因があった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-09-26 04:30 | 皆様とともに 幸せになりたい


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