(増補版)422E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年2月~1886年4月)

題:(増補版)422E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年2月~1886年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年2月24日、法律命令の格式を制定(公文式)
  公文式が公布された。
  公文式(こうぶんしき:法律・命令の公布方法を規定
 した日本の旧法令(明治19年勅令第1号)。
  法律から各官庁規則までの形式を定めたもの。
1886年2月26日、主要各省の官制を公布
  各大臣の職務を規定、
1886年2月27日、各省官制通則を公布
  職種・指揮命令系統を定める。
  外務省、内務省、陸軍省、海軍省、司法省、文部省、
 農商務省、逓信省の通則と各省官制が公布される。
  内務省には衛生局が置かれ、局内に衛生課と医療課が
 置かれた。
1886年2月28日、六鎮台を廃し、師団とした(東京・仙台・
 名古屋・大阪・広島・熊本)
1886年2月、最初の修学旅行
  東京師範学校(後の東京高等師範学校、東京教育大学)
 が、11泊12日の日程で実施した、東京と千葉県銚子(ちょ
 うし)の間を徒歩で往復する長途遠足に始まるのが最初と
 いう。
  心身の鍛錬と、規律正しい集団行動を目ざす兵式訓練
 的要素と、
  その当時、流行だった直観教授の主張、すなわち、実
 物に触れることを重視する教育理論に基づく校外学習の
 要素、
  親睦(しんぼく)の要素で実施された。
  今日の修学旅行の原型。
  修学旅行という用語は、1888年の「尋常師範学校設備
 準則」に初めて使われた。
  修学旅行は、1900年代に入ると、小学校の高学年に行
 なう例が普及した。
  1899年に、当時の日本鉄道会社が、50人以上の団体に
 対して割引料金制度を導入したことによる促進もされた。
1886年3月1日、名古屋~武豊間に鉄道が開通した。
  武豊駅~熱田駅間が開業(武豊線・たけとよせん)
1886年3月1日、東京教育博物館から東京図書館が分離独立
 した。
1886年3月1日、帝国大学の創立記念日(帝国大学発足)
  帝国大学令の制定にともなって記念日と定めた。
  官立東京大学は、帝国大学と改組改称された。
  法・医・工・文・理の5分科大学から成る総合大学。
  東京大学発足
  公布は翌日2日。
1886年3月2日、帝国大学令の公布
  森有礼文相が、帝国大学令を公布し施行した。
  学校令とは、、この時に、諸種の学校を総合規定して
 いた教育令が廃止されて、
  同年・1886年3月~4月に公布された帝国大学令、師範
 学校令、小学校令、中学校令、諸学校通則の5単行勅令を
 さす教義の学校令で・・、
  広義には、それ以降、1947年3月の学校教育法により、
 再び、大学から幼稚園までの諸学校が総合規定されるま
 での間に公布された、学校種別単行勅令の総称をいう。
  そして、日本の帝国大学制度は、1880年代に入って、
 憲法の制定作業に入った伊藤博文(当時、参議)らによっ
 て構想された。
  プロイセン・ドイツやオーストリアの国法学者たちから
 大学の国家経営が重要であることを学んできた伊藤は、
  1885年、内閣を組織するとともに、初代文相・森有礼
 とはかって、帝国を代表する政府直轄の大学の設立に入
 り、
  翌・1886年、帝国大学令を制定した。
  それは、分科大学と大学院から成る総合大学で、
  〈国家ノ須要ニ応スル〉(帝国大学令1条)専門教育と学
 術研究を進める機関とされ、学位審査権も与えられた。
  日本の先達の方たちは、誠実に、他国に学んで、日本
 を良くしようと燃えていた・・、
1886年3月3日、各省に次官を置いた。
  この時に、各省官制が制定され、次官職が誕生した。
  直後には、次官を含む局長級以上の勅任官は、文官任
 用令には何も規定がなかった。
1886年3月9日、初代東京府知事(兼東京市長)に議官・高
 崎五六(たかさきごろく)が任命された。
  高崎 五六(1836年4月4日(天保7年2月19日)~1896年
 (明治29年)5月6日)、江戸時代末期の薩摩藩士、
  安政末期、水戸藩有志とともに井伊直弼襲撃を策謀し
 た。
  維新後、大久保利通に用いられて、元老院議官。
1886年3月18日、参謀本部条例を改正した。
  陸軍部と海軍部に分けられた。
  長は参謀本部長で、次長が2名置かれた。
1886年3月18日、名古屋に株式取引所が設立された。
  東京株式取引所設立から8年後に設立された。
1886年3月21日、物集高見(もずめたかみ、国学者)が、
 「言文一致」を発表して、口語体文章を主張した。
  この年の3月、帝国大学教授に任ぜられ、さらに、東京
 師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)や文部省参
 事官を兼任した。
  この当時、三遊亭円朝の講談速記がもてはやされ、
  また、文章の方面でも、この年に、矢野文雄の「日本
 文体文字新論」、末松謙澄の「日本文章論」が出たりし
 た。
  文芸の上でも、坪内逍遥の「小説真髄」など新思潮の
 動きが活発だった。
  これらの情勢から言文一致体の小説が生まれて来た。
1886年3月22日、東京・本郷に共立女子職業学校(現=共立
 女子大学)が開校した。
  宮川保全、那珂通世などによって設立された。
1886年3月22日、海軍軍事部が廃止された。
1886年3月23日、帝国大学大学院規程が制定された。
1886年3月26日、税関官制が公布された。
1886年3月29日、郵便汽船三菱が、三菱社と改名した。
1886年3月31日、井上馨外相が 、日清修好条規改正を清国
 政府へ提議するよう、公使・塩田三郎に指示した。
  日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)は・・、
  1871年9月13日(明治4年7月29日)に、天津で、日本と
 清の間で初めて結ばれた対等条約で・・内容には・・、
  ・両国は、互いの「邦土」への「侵越」を控える(第1
   条)
  ・外交使節の交換、および、双方に領事を駐在させる
   (第4条、第8条)
  ・両国の交渉には漢文を用い、和文を用いるときには
   漢文を添える(第6条)
  ・制限的な領事裁判権をお互いに認める(第8条、第9
   条、第13条)
  ・両国の開港場では刀剣の携帯を禁じる(第11条)
  ・通商関係については、欧米列強に準ずる待遇(最恵
   国待遇・協定関税率)をお互いに認め合う
   ・・など、といった内容であった。
  この条約は、欧米列強から軍事同盟の密約の疑惑を持
 たれるなどしていた。
  また、領事裁判権の存在などに対する反対論があった。
  そのため、批准が遅れるという事情があった。
  そして、この相互治外法権が、最恵国待遇条項のため、
 欧米諸国から余計な非難を受け、欧米列強と日本との治
 外法権を撤廃をさせる足かせとなっていた。
  しかし、清国は、相互治外法権の撤廃という改正に応
 じようとしなかった。
  日本としては、国の近代化のために、この欧米との不
 平等な条約を改正することが急務だった。
  日本は、諸外国との条約改正会議を、1886年5月1日に
 開催して、1887年7月まで続け、努力する。
  因みに、朝鮮を自主独立の国と認めたのは、日本とア
 メリカだけだった。
1886年3月31日、大木喬任・民法編纂局総裁が、民法第2、
 第3草案を内閣に提出した。
  民法編纂局は廃止され、民法起草業務が司法省へ移っ
 た。
  日本の明治前半期の最重要課題は、諸外国の従属的な
 国と民族とを完全に独立させることだった。
  日本は、形の上では独立国だったが、列強の思うがま
 まの条約に於いて従属国であった。
  不平等で片務的な条約を対等な条約に改正することが
 最重要課題であった、そして、その為にも、国内の法典
 の編纂と整備が急務だった。
  当初は、「『フランス』民法を以って日本民法と為さ
 んとす」とされた。
  そして、「誤訳も亦妨げず、唯速訳せよ」と江藤新平
 は箕作麟祥に命じた。
  今思えば、フランス民法が、即、日本民法となって、
 問題ないと言えば無理な相談だった・・が、その様な日
 本だった。
  富国強兵、殖産興業を急がねば、日本は危ういという
 意識が根底にあった・・、
  日本の明治政府は、1873年に、ボワソナードを招聘し
 た。
  しかし、ボワソナードは、大木喬任から民法典起草を
 付託されたが、完全なる法学者でもなかった。
  そして、日本はこれから生みの苦しみをして行く・・、
  民法典編纂局における編纂作業、
  1886年の民法編纂局の閉局と、民法典草案の内閣への
 上申、
  元老院への下付と、返上・・、
  委員長を山田顕義とする法律取調委員会の設置と、
  1887年の法律取調委員会の移管、
  1888年の法律取調委員会案の内閣への上申、
  元老院での審議、
  枢密院での審議、
  1890年の閣議決定と公布・・と・・、
  (参考:中央学院大学、大久保輝氏の論文より)
1886年、体育会が設立された。
  帝国大学運動会が組織された。
  これは、日本の学校での体育会・校友会組織の最初の
 もの。
1886年4月3日、改進党大会で地方自治・言論集会の自由の
 2件を政府に建議することを決議した(4月4日説あり)
1886年4月4日、東洋絵画共進会が開催された。
  (於:上野公園)
1886年4月、帝国大学の制服と制帽を定めた。
1886年4月10日、学校令、師範学校令・小学校令・中学校令、
 諸学校通則を公布する(4月9日説あり)
  教科書の採用は認可制を改め、小学校令・中学校令に
 より検定制となった。
1886年4月16日、メートル法が公布された(4月20日説あり)
  日本でメートル条約が公布され、前年のメートル条約
 への加盟による。
  しかし、日本に定着せず、尺貫法が広く用いられた。
  1891年(明治24年)3月24日、度量衡法(明治24年法律
 第3号)が制定された。
  尺・貫をそれぞれ定義しメートル法の計量も認める間
 接的なメートル法採用体系で、尺貫法という言葉ができ
 た。
1886年4月17日、会計検査院官制が公布された。
  造幣局、印刷局と共に、会計検査院の官制が公布され
 た。
  因みに、会計検査院は、1869年(明治2年)に、太政官
 (内閣の前身)のうちの会計官(財務省の前身)の一部
 局として設けられた監督司を前身として、
  その後、検査寮、検査局と名称の変遷を経て、
  1880年(明治13年)に、太政官に直属する財政監督機
 関として誕生した。
  そして、1889年(明治22年)、大日本帝国憲法が発布
 されるとともに、会計検査院は、憲法に定められた機関
 となった。
  以後60年間、天皇陛下に直属する独立の官庁として財
 政監督を行って来た。
1886年4月20日、外務大臣の井上馨が、青木周蔵を条約改正
 全権委員に任命した。
  第一次伊藤内閣の井上馨外務大臣は、外務次官として
 青木周蔵を任命した。
  そして、井上馨と青木周蔵は、条約改正全権委員に任
 命された。
  やっと、条約改正への動きが活発化する。
  青木周蔵は、1887年まで、井上外交を支えた。
  列強各国は、明治になって20年になんなんとするこの
 時まで、列強の立場を享受していた。
  進んで公正に、そして、公平にしようという気は、さ
 らさらなかった。
1886年4月22日、海軍条例が制定される(4月26日説あり)
  海軍条例が公布され、5海軍区と鎮守府が設置された。
  全国が、5つの「海軍区」を定められて、
  横須賀鎮守府は、第一海軍区として「陸中陸奥国界ヨ
 リ紀伊国南牟婁東牟婁郡界ニ至ノ海岸海面及小笠原島ノ
 海岸海面」を所管した。
  また、「鎮守府官制」により、鎮守府の組織として参
 謀部・軍医部・主計部・造船部・兵器部・建築部・軍法
 会議・監獄署などが置かれた。
1886年4月27日、ドイツ人建築家のベックマンが来日した。
  ヴィルヘルム・ベックマン(1832年1月29日~1902年10
 月22日)、ドイツの建築家は、
  この時、ジェームス・ホープレヒト、バウマイスター
 のR・フォークトらと来日した。
  東京を、近代国家の首都として整備しようとした明治
 政府に招聘された。
  2か月の間に、東京の地形などを調査し、都市計画案、
 議事堂・司法省・裁判所の概略案を作成し、帰国した。
  ベックマンの都市計画案は、パリやベルリンに匹敵す
 るような壮大なバロック都市計画であった。
  しかし、財政上困難であり、まもなく計画は縮小され
 た。
  1887年になり、ベルリンでまとめられた議事堂などの
 設計案を持ってエンデが来日した。
  しかし、エンデ帰国の直後に外務大臣・井上馨が辞任
 したことで、官庁集中計画そのものが頓挫することにな
 った。
  議事堂・司法省・裁判所の設計は続けられたが、
  1890年、エンデ・ベックマンとの契約も解除された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:アメリカのブッシュ大統領が靖国神社に参拝したいと言った・・、
.
2002年2月、アメリカのブッシュ大統領が、靖国神社に参拝
 したいと言った。
  訪日の際、日本の首相と一緒に参拝したいという希望
 を、日本は申し込まれた。
  日本の外務省は、「近隣諸国への配慮」という理由か
 ら、「変更して欲しい」と、願い出た。
  結局、明治天皇陛下が祀られている明治神宮になり、
  アメリカのブッシュ大統領は、日本の首相と一緒に、
 明治神宮を参拝した。
  アメリカは、アメリカのマッカーサーが主導したGH
 Qが発令した「神道指令」が、すでに、まったく関係な
 いものに、なっていることを示した。
  中国がとやかく言う話は、「過去の話」「済んだ話」
 になったという事を示した。
  そして・・、
  2002年5月には、在日するアメリカ軍が、靖国神社へ集
 団で参拝した。
  アメリカ軍の将校クラスが、「自分たちを同じ、命を
 かけて国を守ろうという使命感を持った軍人たちに、敬
 意を表して参拝するのは当然である」・・と、その理由
 を示した。
  そして、大きな花輪を献花した。
  中国共産党政権が、戦勝国でも何でもない国が、戦勝
 国のように振る舞うのは・・何ともおかしい。
  そして、この靖国神社への参拝について、とやかく言
 うのはおかしい。
  今、各国の武官(大使館付軍人)は、靖国神社へ、普
 通に、そして、常に、靖国神社へ詣でて、参拝している、
  その行為をし続けている。
  なんだかんだと言うのは中国共産党政権だけである。
  何が、権利があって言うのか?
  今や、国際社会は、靖国神社を、日本という国におけ
 る、敬意を表すべき第一の「本来の戦没者慰霊施設」と
 している。
  中国共産党政権は・・おかしい。
.
  そして、次の話・・
.
2002年6月、靖国神社へ慰霊・参拝するとしても、「政教分
 離してない」という批判は・・間違い。
  アメリカで定着している考え方を示すと・・、
  2002年6月、アメリカで、宗教と国家をめぐる裁判の事
 例がある。
  アメリカの公立学校では、毎朝、子供たちが「アメリ
 カ国旗に対する忠誠を誓う」という宣誓の言葉を唱和し
 ている。
  日本でもしてもらいたい行為である・・、
  そして、このアメリカで、子供たちがしている唱和の
 言葉の中に「神のもとに」という宗教的な表現がある。
  この事が・・裁判となって争われた。
  「憲法に謳われた宗教の自由、あるいは、政教分離を
 侵している」と訴えられた・・、
  そして・・、裁判の判決は、この訴えを認めた・・、
  この訴えを・・支持した。
  「違憲だ」・・と、訴えが肯定された。
  ところが・・、
  アメリカ全土から、この判決に対する抗議が起きた・・
 沸き起こった。
  アメリカ議会も、急遽、この問題を取り上げ・・、
  そして、圧倒的多数で、この判決が否認された・・
  そして、決議された。
  アメリカの国民の方々、および、議会が持っている考
 え方は、当然、信教の自由と、政教分離という大原則は
 肯定している・・しかし、より深い解釈をしたのである・・
  当然、その様な大原則は・・持ちながらも・・、
  国家のアイデンティティの拠り所を崩してはいけない
 という・・考え方であった。
  この考え方が、アメリカでは定着している・・
  日本も、当然、同様である・・
  今、日本の状況において・・、
  公共放送と言う立場のNHKは、日本の国旗・日の丸
 を、
  そして、日本の国歌・君が代を・・、
  非常に蔑ろ(ないがしろ、厳然とあるのに、無いかの
 ように軽んずること)にしている。
  日本は、この件についてはおとなしいが・・
  この件の、このNHKの行為は、アメリカでは、「裁
 判で、敗訴する行為である」・・、
  NHKは、日本の、日本人の大切なアイデンティティ
 を崩壊させようとしている。
  また、日教組が、NHKと同様な行動をしている。
  教科書に掲載されているのに・・、
  子供たちへの教育を怠る(おこたる、しなければいけ
 ない行為を、なまける)行為をしている。
  また、キリスト教も、国旗掲揚と国歌斉唱に反対して
 いる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-09-23 03:45 | 皆様とともに 幸せになりたい


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