(増補版)390E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1884年1月~1884年1月)

題:(増補版)390E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1884年1月~1884年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1884年、衣:
・官吏の服制が定まった。
  侍従職、及び、式部職の勅奏任官大礼服が定められた。
  5爵に区分するなどの「華族令の奉勅(ほうちょく、
 勅命を奉じること)」 、明治17年(1884年)7月7日、宮
 内省達が公布されたのに伴い、
  明治17年(1884年)10月25日の宮内省乙第8号達を以っ
 て有爵者大礼服が制定された。
  続いて、1884年10月29日に、太政官達第91号では、ガ
 ウン型の宮内官大礼服(侍従職・式部職の勅任官・奏任
 官)が定められた。
・鹿鳴館時代がはじまり、上流婦人の洋装がはやった。
  この明治の外交問題解決を目的に作られた鹿鳴館で、
 上層階級の方々は、欧米のバスルスタイルを取り入れた
 洋装化をし、
  これは、一部の市民へ、洋装化の浸透が起こった。
  バスル(バッスル)は、ヒップラインを美しく見せる
 ための腰当で・・、
  このバスルスタイルのドレスは、海外からの輸入に頼
 るだけでなく、
  洋装技術を日本人が習得し、着用された。
  柄においても、日本人に親しみ深い植物がらが多く、
 蔦を図案化した唐草模様を描いたりして、日本独自の、
 日本のものにしていた。
  また、和服の技術、和服地も利用された。
  また、この洋装化の取入れは、軍服などの制服が制定
 されたこともきっかけとなっている。
  また、政府にも、条約改正など、欧米を取り入れる姿
 勢から、和服を廃し、洋服を礼服にする動向があった。
  これ等が市民へも浸透した。
  また、これ等の世の風潮が、浮世絵に多く残されてい
 る。
  必死に伸びようとする健気な明治であった。
・織物不況の時であるが、綿ネル生産のみは高まる。
  松方デフレの関係で大不況・・、
  その影響で、綿ネル業界も大きな打撃を受け、粗製品
 が増加するなど業界は混乱した。
・都市で首巻すたれ、肩掛はやる。
・バリカンが輸入され始める(1883年説あり)
  頭髪早刈り機(バリカン)だという。
  19世紀中期に、セルビア人のニコラ・ビズミックが原
 理を考案。
  理容用バリカンは、米国の自動車会社のリンカーン社
 やキャデラック社を創業したヘンリー・リーランドが発
 明したとされている。
  1873年(明治6年)の徴兵令の公布で、入営した兵士の
 頭髪を、衛生上の理由から丸刈りとしたことが、日本で
 バリカンが広く普及する背景となったという。
  1883年(明治16年)に、フランス駐在の日本公使館書
 記官・長田桂太郎が持ち帰り、
  理髪師の鳥海定吉が、最初に使用して普及したと言わ
 れている。
  1884年(明治17年)12月4日の読売新聞に、バリカンの
 広告が掲載されるほど、日本で広く普及するようになり、
 男子に丸刈りが一般化するようになった。
・経木真田帽子の製作はじまる。
  経木真田(きょうぎさなだ)は、経木を細く切って真
 田ひものように編んだもので・・、
  夏帽子などの材料に用いる。
  経木(きょうぎ)は、薄い木の板のこと。
  材質は、主にスギ、ヒノキが使われる。
・足利・桐生に染色講習所をおく。
  紙製品において、大蔵省印刷局は、明治8年(1875年)
 イタリア、ドイツからの彫刻師・印刷師を招いて伝習生
 に印刷術を伝習させた。
  この伝習生らが、各地に移ってから銅版彫刻術、印刷
 術が急速に広がりをみせ、
  文字や精巧な模様・色彩が大量に印刷されるようにな
 った。
  石版印刷が一般に普及流行するようになるのは明治17
 年(1884年)ごろからであり、
  商品に貼付する商標ラベルにも用いられるようになっ
 た。
  そして、織物において・・、
  桐生・足利は、絹と洋綿の交織技術を確立し、
  明治10年(1877年)に、市川安左衛門、須永由兵衛ら
 による染色研究所が・・、
  明治12年(1879年)に、木村勇三らによる弘業会など
 の設立が相次ぎ・・、
  明治17年(1884年)には、染色講習所を設けて、農商
 務省技師・山岡次郎を招いて、
  機業家子弟に、新しい染色法を授け、
  新規な織物意匠を織り出すことに力を注いだ。
  意匠登録第1号は、織物縞の意匠であったが、意匠登録
 第100号までのうち、43件がこの織物に関するものであり、
  また、明治22年~31年の登録では、物品類別中、「織
 物及他類ニ属セサル織物製品」の意匠が最も多い(年平
 均14件)。
  このことは、我が国の意匠の保護(意匠登録出願)利
 用が、織物産業に端を発したことを物語っている。
1884年、食:
・三ツ矢サイダーの販売開始
  三ツ矢サイダーは、アサヒ飲料の炭酸飲料〈サイダー)
 であるが、
  摂津能勢で、天然炭酸水を利用し平野水の製造を始め
 た。
  三ツ矢サイダーは、明治時代に、宮内省が、兵庫県多
 田村平野(現在の川西市平野3-23-1)の平野鉱泉を用い
 て炭酸水の御料工場を建てたことから始まった。
  その後、工場は、三菱に払い下げられ、明治屋が権利
 を得て、
  1884年に、「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」と
 して販売した。
  平野水は、夏目漱石の『行人』、『思い出す事など』
 にも登場する。
  因みに、「三ツ矢」は、源満仲の故事から。
  1907には、「平野シャンペンサイダー」が、
・大阪師団で、白米病といわれる脚気患者多く、麦飯にあ
 らためた。
  明治期、日本で、脚気の流行が国家的問題となった。
  1950年代の後半になって、やっと、脚気死亡者数が、
 1千人を下回った。
  日本国民の脚気死亡者は、1950年(昭和25年)3,968人、
 1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、
 1965年(昭和40年)92人と減少した。
  脚気は、ビタミンB1の欠乏により起こる病気で、
  倦怠感 (けんたいかん) ・手足のしびれ・むくみなど
 から始まり、末梢神経の麻痺 (まひ) や心臓衰弱を呈す
 る。
  かつて、日本で国民病とされた。
  因みに、脚気衝心(かっけしょうしん)は、脚気に伴
 う心臓機能の不全で、
  呼吸困難となり、苦悶(くもん)して死に至ることが多
 い。
  1975年(昭和50年)に至り、脚気が再燃し、原因には
 砂糖の多い飲食品や、副食の少ないインスタント食品と
 いったビタミンの少ないジャンクフードがあることが分
 かった。
1884年、住:
・宮城県古川町で、土管により小規模の上水道が竣工した。
  日本の近代的水道としては、1887年(明治20年)10月
 17日に、横浜の外国人居留地で給水されたのが始まりと
 されている。
  しかし、日本では、16世紀半ば、北条氏康の小田原支
 配時に、早川から水を引き、小田原城下に飲用として供
 した小田原早川上水が、最古の水道と考えられている。
  また、1600年頃の江戸の都市建設のために、
  井之頭池から引いた神田上水をはじめ、その後、玉川
 上水、千川上水などが江戸の町に引かれていった(後に
 青山・亀有(本所)・三田の3つを加えて「六上水」と称
 した)。
  現代から見れば、浄水施設や各戸給水がないという問
 題点があったものの、
  当時、世界でもっとも進んだ設備を有していた。
  そして、日本で、最初に、本格的都市型、埋設式上水
 道を敷設したのは、讃岐高松藩と言われている。
  藩主松平頼重は、玉川上水より9年早い寛永21年(1644
 年)、
  矢延平六に命じて、高松城下に、配水枡・配水管を、
 地中に埋設した本格的な上水道を敷設した。
  また、日本で現在も使われている最古の水道は・・、
  熊本県宇土市に在る轟水源を水源とする轟泉水道で、
 宇土藩初代藩主・細川行孝が造り、寛文3年(1663年)に
 完成したもの。
  初めは、丸い土管の水道管で造られていたが・・、
  完成後100年ほどして、6代目藩主・細川興文のときに、
 丈夫で長持ちする石の水道管に改修されて、今日に至っ
 ている。
.
  (今日の言葉)
.
1943年1月24日、ルーズベルトのカサブランカ演説。
  ルーズベルトは、キリスト教の「シャローム」の観念
 に洗脳されていた。
  キリスト教の「シャローム」は、「平和」と説明され
 ているが、
  ただの「平和」を説明しているのではない。
  キリスト教の、その「誤解されている平和」を意味す
 るという「シャローム」には・・、
  完全に異端を抹殺し、駆逐して後に訪れる「シャロー
 ム」だという意味の教義である。
  異端の『完全抹殺』の後の「平和」を求めたのである。
  南米などで、キリスト教徒とキリスト教聖職者たちが、
 50年にもおよぶ長い長い期間に渡って、
  とことん先住民のインディオの方々を殺戮し、
  1000万人以上の方々を殺戮し尽くした蛮行は・・、
  このキリスト教の教義・考え方から来ている。
  このルーズベルトも、このキリスト教に洗脳され、マ
 インド・コントロールされていた。
  大東亜戦争(第二次世界大戦)を、途中で休戦しよう
 などという考えは、彼には毛頭なかった。
  ルーズベルトは言う・・、
  「ドイツと日本の戦争の力を完全に破壊する。
   それまで決して平和はやって来ない』・・。
  ルーズベルトのこの考え方は、完全にキリスト教の考
 え方で、キリスト教の教義である。
  このルーズベルトの言葉に影響され・・、
  アメリカは、戦争を、とことん突き進める。
  そして、アメリカは、国際条約違反の非人道的な原爆
 を、広島と長崎に投下する。
  卑劣な事に、人体実験の目的もあったと、後日に判明
 する。
  ルーズベルトのこの卑劣な言葉は・・、
  1943年1月24日に、アフリカのカサブランカ(モロッコ
 の最大の都市)での演説の中に出た。
  米英首脳会議の最終日だった。
  アメリカ・イギリスの軍の首脳陣が並び、
  イギリス首相チャーチルも居た。
  しかし、チャーチルは、この演説の異常さに驚き、怒
 りで顔が青ざめたという。
  また、同席したアメリカ軍の幹部諸士も、同意するど
 ころか、その予想しない違和感の中に居た。
  チャーチルは・・
  「敵(ドイツ軍)の決意を強めるだけだ」と、そのル
 ーズベルトの考え方と違う違和感を吐露し、批判した。
  ルーズベルトも、その周囲の反応に気づいた。
  そして、南北戦争の当時のことが思い出されて無意識
 に、この言葉が出てしまった・・と、そばにいた側近に
 言った。
  しかし、誰も、ルーズベルトのそんな説明を信じなか
 った。
  カサブランカの前線兵士慰問もした中での会談後の演
 説だった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-08-01 04:32 | 皆様とともに 幸せになりたい


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