(増補版)384E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年6月~1883年7月)

題:(増補版)384E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年6月~1883年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1883年6月3日、日本初のボート競技(レガッタ)
  隅田川の言問橋近くで、天皇陛下の御臨席のもとに、
 海軍軍艦乗組員による、カッター競漕大会が開催された。
  日本初のボートレースとなった。
1883年6月5日、海軍兵学校の生徒館が新築落成す。
  日本海軍の士官養成機関の海軍兵学校の東京で最初の
 赤煉瓦造りといわれる生徒館が新築落成した。
  海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明
 治9年)~1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦まで存続
 したが・・、
  大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教
 育機関だった。
  初め、明治2年 (1869年) に、海軍操練所が東京の築地
 に設けられ、
  翌年・1870年、海軍兵学寮と改名。
  第1期卒業生は 1874年で 37人。
  1876年に、海軍兵学校と改名。
  1888年、広島県江田島に移転して、1945年まで続いた。
  絆が強かった。
  クラス同士の会合は、準公務として扱われ、
  また、クラスが戦死した場合、残された家族は、生き
 残ったクラスが可能な限り面倒を見るという、暗黙の了
 解が存在していた。
  この様な事から・・宮崎駿は言う・・、
  「野坂昭如の小説『火垂るの墓』の設定は、現実を無
 視した虚構である」・・と、
  宮崎駿は、事実にそぐわない野坂の虚偽と批判する。
  野坂の事実らしく作ったこの小説は、主人公らの父親
 は、原作では大尉、
  アニメ版では、巡洋艦艦長(中佐・大佐)、
  ドラマ版では、戦艦艦長(大佐)と設定されていると
 ころ、
  この様な者が戦死した場合に、その子弟が餓死するな
 どあり得ない話だと批判する。
  (虚構の小説を、美しく作りたいがだけのために、事
 実をゆがめ、日本を貶めている)
1883年6月7日、函館県に続き、札幌県でも移住士族取扱規
 則が制定された。
1883年6月15日、日本銀行に国庫金取扱を命じた。
1883年6月16日、東京大学法・理・文学部と大学予備門が合
 同陸上競技会を開催した。
1883年6月22日、第十五国立銀行の紙幣制限外発行権が廃止
 された。
  紙幣発行権を日本銀行に集中させ、兌換券の発行を目
 指した。
1883年6月22日、自由党の総理・板垣退助、及び、後藤象二
 郎、巡欧の旅より帰国(1月帰国説あり)
  また、因みに、『板垣退助帰朝記念碑』があり、それ
 によると、明治16年8月29日に、浦戸丸にて帰国とある。
  そして、自由党員30余名が、船上より歓迎万歳を叫び、
  祝砲煙火数十発を打ち上げ、
  先生の船を囲みて、丸山台此君亭に休憩す、島田糺同
 志を代表して歓迎の辞を述べ、
  先生、これに応へて、楼上の祝宴に臨む・・昭和60年
 春吉日、云々とある。
  この旧暦の明治16年8月29日は、1883年9月29日となり
 疑問である。
  板垣らは、1882年11月に出発したが、資金は三井財閥
 から出ていたという。
  この板垣の渡欧は、政府が、板垣退助などに、フラン
 スなどのヨーロッパを視察させて、板垣退助などを、政
 府の味方にして、自由党の勢力を弱めようとしたという
 話もある。
  そして、板垣退助は、この帰国の前後から自由党解散
 の意向をもち始めていた。
  そして、この翌年の1884年10月には、自由党幹部と合
 議のうえ、自由党解散を行っている。
1883年6月23日、駒場農学校の、第一回学位授与式。
  日本の近代農学の発展の礎とされている・・、
  また、明治11年(1878年)1月24日の農学校開校式の祝
 辞で、大久保利通は・・、
  「農でもって国民の生活を豊かにする事業は、まさに
 今日この日からはじまるのだ」と述べている。
  また、農学校の規則に・・、
  「専門科卒業後、学術上著シキ顕功アルモノハ之ニ学
 士ノ称号与フコトアルベシ」・・とある。
  これは、最初の卒業式から3年後に実現した。
  卒業評点数85点以上の者に学士、それを下回る者に得
 業士を与えた。
  平均点が85点以上であっても、1課目以上、その数を下
 回るときには得業士となったが、得業士であっても学業
 研究の上試験を出願し、これに合格したときは学士を与
 えることとしていた。
1883年6月29日、出版条例の一部が改正された。
  実質的な検閲制への道を開き、規制強化⇒93・4・14
  「式によって宣布されない公文および上書、建白、請
 願書は、当該官司の許可を得なければ、記載してはなら
 ず、またその大意を録し、草案を掲げるのもまた同じ・
 ・」
1883年6月29日、根室県でも移住士族取扱規則が制定され、
 「北海道」地方のすべてで適用された。
  釧路市史に以下の記述がある・・
  根室県が、赤壁次郎・酒井純明に命じて士族移住地の
 適地選定をを行い、報告により入植地を阿寒川西岸と決
 める(1883年6月25日)
1883年6月30日、釜石鉱山分局が廃止された。
  釜石鉱山(かまいしこうざん)は、岩手県釜石市にあ
 る鉄鉱石鉱山で、
  この鉱山の存在によって、釜石市に、現在でも、新日
 本製鐵釜石製鐵所などの企業が数多く立地している。
  1727年(享保12年)に、江戸幕府付採薬使の阿部将翁
 が仙人峠で磁鉄鉱を発見した。
  そして、1883年(明治16年)に、官営製鉄所の廃止が
 正式に決定し、
  鉄屋・田中長兵衛に払い下げを依頼した。
  因みに、田中長兵衛(たなかちょうべい、天保5年(
 1834年)~明治34年(1901年)11月7日)は、
  幕末・明治期の実業家で、
  日本で初めて、洋式の民間製鉄所を設立するなど、日
 本近代製鉄の礎を築いた。
1883年6月、日本蚕糸協会の設立が決定した(5月説あり)
  農商務省で、1883年(明治16年)5月に、製糸諮詢会が
 開かれ、日本蚕糸協会の設立が決められた。
  速水堅曹が会頭、河瀬秀治が幹事長に就任した。
  日本蚕糸協会は、日本初の公的・全国的蚕糸業団体。
  因みに、河瀬秀治(かわせひでじ)は、天保10年12月
 15日(1840年1月19日)~昭和3年(1928年)4月2日)で、
 日本の武士(宮津藩藩士)、官僚、実業家。
  小菅県や印旛県、熊谷県などの県令を歴任後に、中央
 官庁を経て、実業界に転じて活躍した。
1883年6月、郵便碁
  囲碁、方円社(後の日本棋院)の村瀬秀甫(しゅうほ)
 が岩手県在住の三戸与彰(さんのへともあき)と郵便碁
 を開始した。
  四子局を、18ヶ月で117手まで進んだ。
  結果は不明。
  棋譜の残る最初の郵便碁。
  村瀬秀甫(のち18世本因坊)は、方円社の活動の一環
 として、郵便による対局(ハガキ、手紙に一手ずつ書き、
 交互に送って対戦)を考案していた。
  本因坊秀甫(ほんいんぼうしゅうほ、本名、村瀬弥吉、
 1838年(天保9年)~1886年年(明治19年)は、
  車坂下(上野、江戸、東京)の木匠(大工)の子とし
 て生まれ、
  幼少より本因坊丈策、秀和に師事し、
  1848年(嘉永元年)11才で、早くも初段となった。
  1851年(同4年)に、本因坊家の内弟子となった。
1883年7月1日、かな文字運動3団体が合併し、「かなのく
 わい(かなの会)」が結成された。
  今のカナモジカイ(大正9年、1920年~)の運動は、
 この考え方の系統を引いたもの。
  漢字の全廃は、現実の問題として実行が困難であると
 いう理由から、
  別に、漢字節減論が、明治初期に現れた。
  福沢諭吉、矢野文雄などは、この代表的論者で、また、
 実行者だった。
  また、ローマ字採用の意見が、明治2年(1869年)に、
 南部義籌(よしかず)の修国語論の主張に始まり、
  明治17年(1884年)に、羅馬(ローマ)字会が作られ、
  後に、ローマ字ひろめ会(明治38年、1905年~)と日
 本ローマ字会(大正10年、1921年~)とが設けられた。
  政府は、早くから国語問題の重要性をみとめ、
  明治35年(1902年)に、文部省に、国語調査委員会を
 設け、この問題の解決に着手した。
1883年7月2日、『官報』の創刊
  参議・山縣有朋の建議により、「官報」の第一号が発
 行された。
  発刊の意図は、当時、政党機関紙化し・・、
  「政府ヲ攻訐(こうけつ)シ、民権ト云(い)ヒ、自由ト
 称ス」
  民間新聞の抑圧を目ざしたものだった。
  編集・発行業務は、太政官文書局。
  官報は、国の公文書など公示事項を登載し周知させる
 ための機関紙で、
  江戸幕府には、『御触書 (おふれがき) 』(一般民衆向
 け) 、『御沙汰書 (おさたがき) 』 (上級武士向け) 、
 『封廻状 (ふうかいじょう) 』 (重臣向け)などがあった。
  そして、政府は、一般国民に知らせる必要のある事項
 (法令・告示・予算・人事など)を、編集して文書とし
 て刊行したいとした。
  この「官報」の発行のための文書局は、1883年5月10日、
 太政官(内閣)に、文書局(初代局長・平田東助)として、
 設置されていた。
  しかし、「官報」は、系譜的には、1868年2月23日に、
 明治新政府が、京都で創刊した「太政官日誌」にさかの
 ぼれる。
  この「太政官日誌」は、1877年1月まで続き、1177号で
 中止された。
.
 (今日の言葉)
  ヨーロッパの地名・・、
  それは、『豊かな森と自然』を物語っている。
  しかし、ヨーロッパの地では・・「開発」によって、
 その生の自然は失われて行った。
  そこには・・、
  「地を従えよ」のキリスト教の教義があり、考え方が
 あった。
  そのキリスト教の教義の洗脳を受け、
  人々は、自然を伐採し、
  壊す事を、自然を損なって行くことを、何ら違和感な
 く、罪悪感なく、破壊して行った。
  「地を従えているのだ」と錯覚した、
  次々と、自然は破壊され、失われて行った。
  見渡す限り・・樹木のない地が現出した、
  牧草だけの地に、麦だけの地にした。
  森に居たすべての生物は・・そのすべて死滅した、
  生き物の多様さの話は、おくびにも出さなかった。
  多様性について、「ある」とは言えない地となって、
  その一面の草地を・・、麦畑を・・綺麗と感じた。
  日本の里山の美しさ、動植物の種々の生物の多様さの
 中に、
  大自然を大切に、大事にし、
  尊重し・・、そのありがたさの中に生活するという考
 え方は、このキリスト教の考え方にはない。
  キリスト教に教義に固執した・・
  洗脳された人々には、それでいいのだとしか考えられ
 なかった。
  ただ、破壊された地が現出した。
  かつての豊かさは、
  そのヨーロッパの地の・・地名にだけに残った。
  かつての豊かなヨーロッパの自然を語った地名が・・、
  そこにある。
  ヨーロッパの姿を、地球の姿を・・大きく変えたこと
 を物語っている。
  地名の中には、かつての豊かなヨーロッパの自然が息
 づいている。
  かつての深いヨーロッパの森は、豊かな森は、今は、
 ドイツの一部にしか無いという。
  深い森の息づく地名、例えば、ベルギーは・・、
  やはり、キリスト教に殺され、駆逐された民族=ケル
 ト族の言葉に由来して、
  「ベルガエ」はケルト語の「沼地」と、「ガル」(森
 林)が・・合成された地名「沼地の森林」。
  有名な「ポツダム」は「樫の木の下に」の意味。
  ノルウエーの首都「オスロ」は「神聖な森」、
  ドイツの都市「ライプチヒ」は「菩提樹の土地」。
  ドイツの「ズデーデン」地方は「猪の森」と・・森に
 かかわる地名が多い。
  イギリスの絹織物の都市「ダービー」は「鹿の居る所」。
  マンチェスターは、ケルト語の「マキオム」から来て
 いて「毛皮を取引した場所」。
  ドイツの「ベルリン」は「沼地」。
  スウェーデンの鉱山の「キルナ」は「雷鳥の山」。
  スイスの「ベルン」は「熊」。
  ドイツの「ハイデルベルク」は「コケモモ」などなど。
.
  (追記)
.
  まさに、シャロームが、そうなのだ。
  キリスト教は、平和を・・「シャローム」という。
  キリスト教は、説く・・、
  すべてを死滅させて「シャロームが来る、現出する」
 と説く。
  すべてを殺して、誰も居なくなった地に、キリスト教
 の教会を建てて何になるのだ・・と、軽蔑するが、
  キリスト教は、平和を・・その様に説く。
  南米・中米・北米、および、それらの離島で、
  キリスト教徒、および、キリスト教聖職者たちは、
  キリスト教の説く「シャロームを目指して」、殺戮の
 上に殺戮を重ねて、
  8000万人の方々が、先住民のインディオの方々が、
 幸せな生活をしていた方たちを殺戮しまくった。
  キリスト教の有色人種蔑視の教えに、何ら、そこに罪
 悪感もなく・・卑劣な事をしまくった。
  ヨーロッパの自然破壊も、そこに満ちる豊かな命・・
 生物多様性の姿に、その考え方はまったくなく、
  その考えにおよぼすことなく、
  ただただ、キリスト教の教える「地を従えよ」の教え
 によって、すべての生物の死滅行為を平気でやった。
  真の豊かさ、本当の豊かさ、未来の豊かさが失われる
 のを、愚かにも気づかずに、
  キリスト教の説く「地を従えるのだ」と破壊行為をす
 る。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
[PR]
by suba28 | 2016-07-21 03:10 | 皆様とともに 幸せになりたい


はじめまして、ブログを始めさせていただきました


by suba28

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
悲惨な戦争を無くしたい
悲惨な戦争を無くせないので
皆様とともに 幸せになりたい
未分類

以前の記事

2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

(増補版)536E2/3:1..
at 2017-06-22 03:22
(増補版)535E2/3:1..
at 2017-06-17 05:23
(増補版)534E2/3:1..
at 2017-06-14 02:49
(増補版)533E2/3:1..
at 2017-06-07 02:27
(増補版)532E2/3:1..
at 2017-06-04 05:25

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30