(増補版)383E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年4月~1883年6月)

題:(増補版)383E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1883年4月~1883年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1883年4月23日、自由党が、大会で立憲改進党攻撃を決議し
 た。
  そして、偽党撲滅演説会を各地で開催した。
1883年4月27日、大蔵省が、日本銀行に国庫金取扱いを命じ
 た。
1883年4月28日、府県選挙師範生徒募集規則制定(明治16年
  文部省達第6号)
  公費で、各府県選択生を東京師範学校で修学させ るこ
 とにした。
1883年4月28日、日本銀行の開業式
  日本銀行は、1882年10月10日に、永代橋のたもとに開
 業したが・・、
  開業式は、建物・付属施設の工事完了後の1883年4月28
 日に行われた。
  開業式において、大蔵卿に、1881年に就任していた松
 方正義大蔵卿が祝辞を述べた。
  「其地位、官民の中間に立ち・・全国の貨財を流通し、
 善く聚め、善く散し、操縦離合各々其宣を得せしむるの
 一大機関に当り・・」
  中央銀行は、経済に、金という血液を送る心臓のよう
 な重要な存在である・・と述べた・・、
  因みに、松方大蔵卿は、欧州の中央銀行をモデルに、
 短期間で日本銀行の設立準備を進めた人。
1883年4月、長崎市に、製靴会社が設立され、本格的に靴の
 生産が始まった。
  代表・金尾長次郎の更盟社。
1883年4月、日本人名義の営業を禁止(外国人)
  (参考)明治16.5.31 横浜・病院(大蔵省へ達)神
 奈川県下清国人避病院増地ヲ貸与ス
  (参考)1901年(明治34年)、当時、船見町一帯に、
 通称「西出山」と呼ばれたほどの広大な地所を所有して
 いた西出孫左衛門が、
  五反五畝八分の畑地(1657坪)を、9948円60銭で
 (9947円60銭とも)中瀬捨太郎宛に売り渡した。
  ここは、旧ロシア領事館が、現在、建っている場所と
 同じ船見町125番地の3で、
  当時の政府は、外国人名義で不動産登記を行うことを
 禁止していたため、
  中瀬が、その信託的名義人となり、ビリチが、地上権
 を999年にわたり賃貸借するという形が取られた(清水恵、
 A.トリョフスビャツキ著「〈史料紹介〉日露戦争及び明
 治40年大火とロシア帝国領事館」『地域史研究はこだて』
 25号および『北海道新聞』昭和31年12月3日)
1883年5月1日、共同運輸會社が創業した。
  共同運輸が、横浜~神戸間の航路を開設し、三菱との
 競争時代に突入する。
  (氷川清話)海坊主退治(三菱財閥攻撃)
1883年5月5日、各国立銀行紙幣の償却を行うため、国立銀
 行条例が改正された。
1883年5月8日、第一回大日本水産会が開催された。
  大日本水産会は、水産業の振興をはかり、経済的、文
 化的発展を期する目的のため、1882年2月に設立された我
 が国唯一の水産業の総合団体。
  創立時の会頭に、小松宮彰仁親王を奉戴(ほうたい、
 謹んでいただくこと)し、品川弥二郎氏を初代幹事長に
 選出した。
  今・現在も存続し、活動している。
1883年5月9日、富山県、佐賀県、宮崎県が設置された。
  富山県は、「明治16年太政官布告第15号 富山佐賀宮崎
 三縣設置」により、
  佐賀県、宮崎県の分県とともに、
  旧越中国一円(越中4郡)を富山県として再び設置され、
 この日をもって置県とした。
  同様に、佐賀県も、現在の県域と一致する、最終的な
 佐賀県が成立した(佐賀県復県)
  また、同様に、宮崎県も、川越進(鹿児島県会議員)
 等による分県運動の結果、
  日向国のうち、志布志郷・松山郷・大崎郷を除いた地
 域をもって、国より再置県が認められ、分県が成立した
 (宮崎県再置)
1883年5月10日、官報発行條例
  この年の太政官布告17号、及び、太政官達22・23号に
 よって官報発行が正式に決定され、
  1883年7月1日に、本格的に官報が刊行されるようにな
 った。
1883年5月10日、地学会が設立された。
  データ1、1879年:地学協会設立、榎本は副会長に任
 ぜられる。
  データ2、東京地学協会が、明治12年(1879年)4月、
 神田錦町の学習院内に創立された。
  創立の首唱者は、渡辺洪基・榎本武揚・花房義質・鍋
 島直大・長岡護美の5名・・(中略)・・
  明治25年(1892年)12月、東京地学協会は、地学会と
 合併した。
  地学会は、明治16年(1883年)5月、博物友の会から分
 離創立した。
  データ3、1889年:東大地質学科を中心とした地学会
 が地学雑誌を創刊した。
1883年5月18日、農商務省に、蚕糸諮詢会が設置された。
  この日より26日まで、農商務省議事堂に、各地方の蚕
 糸製造販売に経験ある者を招集して、製糸諮詢会を開く。
  尚、農商務省農務・商務・工務三局相謀り、各府県蚕
 糸業者を招集して蚕業諮問会を開く。
  渋沢栄一が、会員に選任さる。
  (参考)諮詢:しじゅん、参考として他の機関などに
     意見を問い求めること。
1883年5月22日、官省院庁の「達」「布告」が、官報に掲載
 するとの決定がなされた。
1883年5月26日、布告・布達の施行期限、到達日数を制定し
 た。
1883年5月26日、日本初の暴風警報が発令された。
  四国南岸を、中心が745mHg(993ヘクトパスカル)の低
 気圧が通過した。
  内務省地理局気象台は、我が国初の暴風警報を発表し
 た。
  その発表に用いた地上天気図(26日6時)は、当時の観測
 所の数は全国で22か所であり、各地の観測資料は、1日3
 回8時間毎に電報により東京気象台に報告されていて、そ
 の資料より作成された。
1883年5月30日、各国立銀行紙幣償却のため、銀行紙幣合同
 銷却方法を、日本銀行に下付した。
  政府は、日本銀行を設立して兌換制度を確立せんとし、
 五月五日、国立銀行条例の改正を布告す。
  是に於て、国立銀行の営業期間は、開業許可日より向
 ふ二十年後と制定され、其期間内に、銀行紙幣を銷却す
 ることとなれり。
  同行此変革に処して、合同紙幣銷却法を提唱し、是日
 政府の容るる所となる。
  渋沢栄一本件に尽力する所多し。
  尚、1883年5月15日に、
  是より先、国立銀行条例の改正あるや各国立銀行は開
 業後二十年を以て営業満期とし、
  満期の後には、普通銀行に組織を変更するか、又は、
 鎖店するを要することとなり、従つて、其迄に発行紙幣
 全額を消却する必要を生じたり。
  よつて、是日、右に付き大蔵卿より下付されたる命令
 書の趣旨に基きて、協議せる結果、
  紙幣消却方法には、合同法を用ふるを可とするに決し、
 後之を上申して許されたり。
  そして、尚、1883年5月19日に、
  大蔵卿松方正義国立銀行改正条例第百十二条に拠り、
 此月十日、各国立銀行に対し、
  国立銀行紙幣消却方法を命令すると共に、
  日本銀行に対しては、之に関し各銀行毎に協議を遂げ
 約定を結ばしむ。
  然るに、渋沢栄一該消却方法の頗る煩雑に渉るを以て
 各銀行合同消却方法を採らんことを東京銀行集会所同盟
 銀行に提唱し、賛同を得、是日、同集会所之を日本銀行
 に提出す。
  依て日本銀行大蔵卿に請願し、容るる所となる。
  (参考)銷却=消却、
1883年5月、中江兆民(36歳)らが、東洋出版会社を設立し、
 兆民は社長となる。
  欧米書籍の翻訳出版。
  『維氏美学・上冊』(ヴェロン原著)を刊行した。
  中江兆民、1847年、土佐高知に生まれる。
1883年6月2日、函館県が、移住資金の不足する士族のため
 に、移住士族取扱規則を制定した。
  明治初期の北海道移民の主力は、幕末維新の混乱で失
 業し、生活に困窮して、移住を余儀なくされた士族を中
 心とする、いわゆる士族移民であった。
  士族移民は、大きく分けると、
  (1)初期の幕末維新動乱関連の移民、
  (2)中期から後期にかけての屯田兵、
  (3)後期の士族授産のための移民・・の3種。
  1例として、仙台藩は、総石高62万石で、実際は100万
 石を超えていたともいわれる大藩であったが・・、
  1868年9月に、戊辰戦争で敗れ、新政府軍に降伏すると、
 領地を28万石に削減され、
  藩士の家禄も削減され、家臣の扶養どころでなくなっ
 た。
  北海道に移住して、新政府の北門防備に応じて、「朝
 敵」の汚名をそそぐとともに、
  士族としての、家臣団の維持が図られるし、また、再
 建への道も残された。
  全国各地から、移住士族は集まり、北海道各地に支配
 権を得て、入植がなされていた。
  士族移住は、苦境を切り抜けようという性格も強く、
  また、君主ともども、家臣だけでない移住をするケー
 スも多く、顕著な成果を上げたものが多かった。
  君主も、自ら率先して、先祖伝来の財宝を売却したり
 して、成功の素地があった。
  しかし、黒田の建議を受けて、1874年10月に「屯田兵
 例則」が制定され、
  士族対象に募集が行われ、平民籍となり、入植した屯
 田兵。
  入植後3ヵ年は、米と塩菜料が支給され、
 銃などの武器の貸与もなされた。
  そして、1876年の秩禄処分による失業士族の発生、
  そして、その士族授産が、国家的な問題・課題となっ
 た。
  1883年に至り、石川県士族の林顕三らが、旧金沢藩主
 前田利嗣の出資で、岩内郡前田村の開墾事業に着手した
 起業社などがある。
  開進会社は、「遊手坐食」の士族を授産させるために
 第四十四銀行頭取であった岩橋徹輔が、岩倉具視ら華族
 から200万円の資本金の出資で設立した会社であり、
  全道各地に土地の払い下げを受けたが、思うように資
 本金が集まらず、1884年に解散した。
  しかし、この種の会社組織による北海道開拓は1887年
 以降本格化し、開進会社はそのさきがけだった。
  日本は、士族の救済に、あの手この手で全力を尽くし
 ていた。
  (参考)遊手:ゆうしゅ、手を遊ばせて使わないこと
      坐食:ざしょく、無職のまま生活すること、
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-07-19 04:07 | 皆様とともに 幸せになりたい


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