(増補版)374E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1882年4月~1882年6月)

題:(増補版)374E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1882年4月~1882年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1882年4月12日、日本鉄道の川口~前橋間の建設が始まった。
  日本鉄道(にっぽんてつどう)は、日本初の私鉄であ
 り、
  現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本の東日
 本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営して
 いた会社で、
  沿線の産業開発をはかることを目的に、岩倉具視らが
 中心となって、1881年11月5日に創立された。
  政府の鉄道建設資金の不足を補うため、華士族の出資
 によって鉄道建設が推進された。
  1882年(明治15年)、川口~熊谷間から建設を開始し、
 当初は、貿易港がある品川、横浜と直結する計画であっ
 た。
  しかし、山手の起伏が大きく、建設費が、より高額と
 なることが見込まれたため、
  東京下町の山下町を起点として、建設が進み、
  1883年7月28日に、第一区線の上野~熊谷間を開業した。
 (1884年に、上野~高崎間が全通した)、
  1906年11月1日に、鉄道国有法により国有化した。
1882年4月16日、立憲改進党が結成された。
  立憲改進党が結成されて、大隈重信が、総理に選出さ
 れた。
  東洋議政会が合併する。
1882年4月20日、工部大学校に、造船学科が設置された。
  工部大学校(こうぶだいがっこう)は、工部省が管轄
 した教育機関で、現在の東京大学工学部の前身の一つ。
  この頃の理工系高等教育機関は、東京大学工芸学部が
 あって、
  こちらは、学術理論に重きを置いた。
  一方、この工部大学校は、実地教育を重点視し、
  そのため、工部大は実務応用に秀で、東大と争うよう
 にした。
  工部大には、工部省から在学中の経費を支給される官
 費生と、
  学資を納める必要のある私費生の別があった。
  官費生には、奉職義務があり、卒業後7年間は官庁で働
 くことになっていた。
  各分野や業界の先覚者らを輩出した。
  沿革:
  1871年、工部省に工学寮が設置された。
  1873年に、大学が置かれ、
  1877年1月に、工部大学校に改称した。
  1886年の帝国大学令により、東京大学工芸学部と合併
 し、帝国大学工科大学となった。
  教授に、ジョサイア・コンドルが居り、
  卒業生に、辰野金吾(日本の建築のパイオニア)、曽
 禰達蔵、片山東熊(迎賓館設計者)、渡辺譲(初代帝国
 ホテル設計者)、高峰譲吉(タカヂアスターゼ)らがい
 る。、
1882年4月26日、産業教育の開始
  駒場農学校と商船学校以外の実業学校を、文部省所管
 と決定した。
  我が国の産業教育の開始は・・、
  「学制」では、中学や専門学校の条章の中で、産業技
 術に関する学校について規定はしていたものの、それは
 実施されなかった。
  工部大学校、札幌農学校、商法講習所など、近代技術
 導入を任務とした官省や民間において、産業教育の初歩
 が築かれた。
  1874年(明治7年)に、開成学校内に設置された製作学
 教場は、文部省による産業教育の嚆矢(こうし、物事の
 始まり)と言える。
  しかし、第二次教育令に農学校・商業学校・職工学校
 の規定が盛り込まれ、
  それ以来、文部省は、産業教育学校の制度化に着手し
 た。
  ところが、1881年(明治14年)、農商務省の発足に伴
 い「農工商ノ諸学校」を農商務・文部のいずれの省の管
 轄とするかが問題となった。
  当初、いったんは、農商務省の管轄に組み入れられた
 が、「全国ノ教育事務」を管轄する文部省の主張が入れ
 られて、
  1882年4月、農商務省職制が改正され、農商務省は、
 官立農学校と商船学校とだけを所管することになり、
  その他の農工商諸学校一般は、文部省の管轄に属する
 こととされた。
  この経緯と併行して、1881年8月、文部省は、東京職工
 学校(後の東京工業大学)を最初の独立した文部省直轄
 の産業教育学校として設置した。
  そして、1883年に、農学校通則が制定され、
  1884年に、商業学校通則が、それぞれ制定された。
1882年4月26日、酒屋会議
  この日に、大阪府知事は、開催予定日が近づいている
 酒屋会議の開催の禁止を告示した(4月27日説あり)。
  酒屋会議(さかやかいぎ)は、造酒税の引上げに対す
 る抗議として、酒造業者が起こした日本全国的な運動で、
  自由民権運動とも深く結びついていた。
  財政難の明治政府は、当時、生産額の最も多い、また、
 そのほとんどが国内消費されて、関税の問題もない日本
 酒に対する増税を、たびたび行っていた。
  1881年5月には、高知県の酒造業者300名が、政府に対
 し、造酒税の引下げを嘆願していた。
  そして、地元出身の自由民権運動の指導者の植木枝盛
 に助力を求めた。
  種々かかわりをお互いが持つ中で、1882年5月1日に、
 大阪で全国規模の酒屋会議を招集して、減税と営業の自
 由を求める運動を起こすための檄文を作成した。
  政府は、自由党をあまり刺激したくなかったため、植
 木枝盛に対しては不問としたが、
  酒造業者の5名に対して、不応為罪を適用し、禁錮刑と
 した。
  植木は、その後も会議の準備を続けた。
  4月27日に至り、大阪府知事と大阪府警は、会議の禁止
 を通達した。
  また、全国各地で、酒造業者による集会の禁止命令や、
 大阪に向かう会議代表団が逮捕される事態となった。
  しかし、植木は、「会議は禁止されても、代表に会う
 事までは禁じられていない」として、
  1882年5月4日に、淀川上の船上で、大阪入りができた
 代表と会合を持ち、
  また、1882年5月10日に、京都・祇園で、改めて2府15
 県の代表44名と会議を開催した。
  そして、先に、禁錮刑を受けた小原鉄臣を代表者とし
 て、「酒税軽減嘆願書」を起草し、政府に提出した。
  大阪酒屋会議事件(おおさかさかやかいぎじけん)と
 いう。
  財源のない政府も苦しい立場だった(だから、不平等
 条約の改正を早くしたい政府だった)。
  (参考)不応為条(ふおういじょう):法令に該当す
    る条文が無い場合、裁判官がその情理に基づいて
    処罰を認めた条文。
1882年4月28日、東京・上野の帝室博物館が落成
  コンドル設計の東京帝室博物館(現在の東京国立博物
 館・煉瓦造り)が竣工した。
1882年4月30日、神宮皇学館が伊勢神宮に設置された。
  伊勢神宮が、神官の研究・教育機関として、神宮皇学
 館を設立した。
1882年4月、奈良正倉院を、内務省から農商務省へ移管した。
1882年5月1日、太湖汽船が、大津~長浜間に鉄道連絡航路
 を開港した。
1882年5月3日、東京気象学会が設立された。
  後の、日本気象学会。
1882年5月3日、大阪紡績会社が設立された。
1882年5月4日、植木枝盛ら、前年予告していた酒屋会議に
 ついて協議した。
1882年5月10日、植木枝盛ら、酒屋会議を京都で開催した。
1882年5月12日、福島県会は、三島通庸県令の県内新道路
 (通称三方道路)の建設に反対し、地方税議案を否決
 (詳細は前記参照)。
1882年5月15日、富山県の氷見で大火。
1882年5月24日、富くじあ、再度、禁止となる。
  富くじの売買、再度禁止に、
1882年5月25日、東洋社会党の結成
  長崎県島原で、樽井藤吉らが集会し、東洋社会党党則
 を設定した。
1882年5月27日、医学校通則が制定された。
1882年5月29日、明治のコレラ・パンデミック
  東京市にコレラ患者が発生し、秋にかけて全国に伝染
 し、大流行した。
  5月29日に、東京芝・神田でコレラが発生し、流行が始
 まった。
  この東京のコレラ発生で、全国の死者数108,405人。
 1890年35,277人、1895年40,154人。
  日本中がパニック状態に陥った。
  この頃は、「虎列刺(コレラ)」等と言われ恐れられ
 た。
  また、この頃、恐れられた伝染病を「六大伝染病」と
 言い、コレラ、腸チフス、赤痢、ジフテリア、発疹チフ
 ス、痘瘡だった。
  1884年には、ドイツ人の細菌学者であるR. コッホによ
 ってコレラの病原菌が発見され、
  1897年に、コッホに師事した北里柴三郎によって、コ
 レラの血清療法が発見された。
  この功績により、死者数は大幅に減った。
1882年5月30日、東京大学文学部が、古典講習科を設置した。
1882年5月、人物写真、その人の許可なく販売することを
 禁止した。
1882年5月、大阪紡績会社が設立された。
1882年6月1日、 博笑戯墨(たわれごと)という漫画欄が、
 『読売新聞』に登場した。
1882年6月3日、「集会条例」の追加改正
  政治運動の取締りがさらに強化され、政治結社などに
 大打撃 。
  主な内容:政治演説会や政治結社は事前に警察署に届
 出て認可を受ける。
  また、会場立会の警察官には、集会の解散権を与える
 事など。
1882年6月3日、林子平、佐藤信淵の両氏に正五位を追贈
1882年6月3日、官営・広島紡績所を広島県に移管し、すぐ
 に広島綿糸紡績会社に払い下げられる。
1882年6月5日、嘉納治五郎が、東京下谷北稲荷町の永昌寺
 の書院を借りて、柔道場開設した(後の講道館のおこり)
  わずか12畳の道場と、初年の入門者9人から始まった。
1882年6月7日、警視庁に保安課が新設された。
1882年6月10日、集会条例改正で、学生・生徒の学術演説の
 禁止布告が、各県に通達された。
1882年6月15日、空知集治監が設置された。
1882年6月16日、統計局が、日本帝国統計年鑑の刊行を開始
 した。
1882年6月25日、東京馬車鉄道会社が、新橋~日本橋間で営
 業を開始した(車両総数:6両)
  後に、東京電車鉄道となる。
  人口125万の東京市唯一の市街鉄道、
  車は縦12呎、横9呎の大きさで、両端に乗降口があり、
 2頭のラバ(馬?)が引く馬車(定員は24~27人)。
  前方の乗降口には、洋風の制服を着用し、片手に手綱
 を、もう片方の手に鞭を持った御者が立った。
  そして、御者は、鈴を鳴らして接近を知らせた。
  うしろの乗降口には、肩からつり下げ腰につけた皮鞄
 をもつ車掌が立った。
  1882年7月21日、日本橋~本町角間が開通した。
  1882年10月1日に、日本橋~上野~浅草~本石町~日本
 橋の循環線が開通した(10月25日説あり)
  また、後に、線路は延長された。
  1899年6月19日、品川~新橋間の品川馬車鉄道会社を合
 併した。
  1900年10月、東京馬車鉄道会社が東京電車鉄道会社に
 改組した(1903年説あり)
  1903年8月22日、品川八ツ山~新橋間の5.6キロメート
 ルが電化した(40人乗り木造4輪単車の市内電車)
  1904年3月、総延長17.0キロメートルの旧馬車鉄道の路
 線が電化された。
  1906年9月11日、東京市街鉄道会社と東京電気鉄道会社
 とあわせて3社が合併し、東京鉄道会社に改称した。
1882年6月25日、東京・上野~高崎間の鉄道が開通した。
1882年6月25日、 「自由新聞」が、東京で創刊された。
  定価:1部3銭、発行部数:3000部、
  日刊の自由党機関紙で、
  国会開設に備え、自由党や改進党が、あいついで結成
 されると、それまでの多くの政論新聞は、政党の機関紙
 となった。
  板垣退助を総理とし、馬場辰猪、中江兆民、末広鉄腸、
 田口卯吉らを社説担当者にして、改進党系の『東京横浜
 毎日新聞』『郵便報知新聞』などと抗争した。
  社説担当が、間もなく古沢滋、植木枝盛らに代わった。
  格調の高い自由民権論で政府を批判すると同時に、改
 進党を偽党と攻撃、その撲滅を唱えた。
  しかし、板垣の洋行費の出所をめぐる党内紛議で、同
 年・1882年秋、田口、末広、馬場、ついで、中江が退社、
 古沢滋(しげる)が主幹となったが、政府の民党系紙弾圧
 などもあって紙勢は伸びず、
  1884年10月、自由党も解体したため、機関紙としての
 存在意義を失い、
  1885年3月15日、廃刊届を出した。
  1890年に、立憲自由党(1891年自由党に復称)の機関
 紙として再刊した。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
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または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-07-03 04:35 | 皆様とともに 幸せになりたい


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