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(増補版)349E1/3:気になった事柄を集めた年表(1877年12月~1878年1月)

題:(増補版)349E1/3:気になった事柄を集めた年表(1877年12月~1878年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1877年8月、インディアンの方々の人権蹂躙をするアメリカ
  (自由を奪う行為をするアメリカ)
  アメリカ・インディアンの『ジェロニモ』という族長
 は、何も悪いことはしていないが、追い詰められて、彼
 の部隊は殺戮され、そして、降伏した。
  彼は、捕虜となった。
  そして、収容所送りとなった。
  そこは、体(てい)のいい監獄だった。
  自由が剥奪されて、拘束された監獄である、
  収容所と言うが・・、アメリカ合衆国は領土を奪い、
 その土地に生活していたアメリカ・インディアンの方々
 を、収容所という檻(おり)に入れてしまった。
  ジェロニモは、死ぬまでそこから出る事が出来なかっ
 た。
  終身刑を受けた様なものだった。
  ジェロニモは、アメリカ合衆国の大統領に
  「生まれ故郷に帰してくれ」
  「生まれた国に戻してくれ」・・と叫んだ。
  許可を乞うた、
  しかし、彼の願いが叶う事はなかった。
  何十年もの間、彼は囚人の身分にされていた。
1877年、カナダも・・ていよく・・先住民の方々の国を奪
 った。
  だましである。
  この年に、ブラックフィート族のスポークスマン(政
 府や団体の意見などを発表する担当者)であるクロウフ
 ットが、
  5万平方マイル(約13万平方キロ)の平原をカナダ政
 府に譲り渡した・・という。
  「その様な譲り渡しがあった」と、カナダは主張して
 いる。
  そして、ここから、また悪辣な行為が始まる。
  自分の土地なのだからと、その土地に居るバッファロ
 ーを殺して行った。
  この約束(条約)が、結果として、バッファローの激
 減を招いた。
  その結果、ブラックフィート族などのインディアンの
 方々は、食糧としていたバッファローを得られなくなっ
 た。
  民族が絶滅に瀕した、また、絶滅した・・
  自分の土地なのだから、自分の土地に居るバッファロ
 ーは殺していいのだ・・という論理は・・、
  全くの詭弁(きべん、道理に合わないことを強引に正
 当化しようとする弁論)である。
  この13万平方キロが、あたかもカナダのすべての広さ
 の様に・・カナダ政府は言っている。
  それは・・まったく違う。
  広そうに見えるその数字は、カナダの『ほんの一部』
 でしかない。
  それほど、カナダの地は広いのである。
  カナダの広さは1709平方キロメートルである。
  つまり、その0.76パーセントが13万平方キロである。
  1%にも満たないのである。
  それで、すべてを手に入れたという詭弁を言った。
  カナダのインディアンの方々は、カナダの領土の99%
 以上は、まだ、カナダ政府に譲り渡していないのである。
  カナダ政府が、カナダの領土のすべてを得たから、カ
 ナダの地のバッファローをすべて狩る権利が発生したよ
 うに言うのはペテンである。
  インディアンの方々が食糧としていたバッファローの
 すべてを狩って、インディアンの方々の絶滅を狙った悪
 巧みである。
  卑劣な行為である。
  こんな悪辣なことした。
  また、このスポークスマンのクロウフットが・・、
  多くの種族がカナダの地に居るインディアンのすべて
 の種族の全権ではないことは明らかで、
  その条約が・・成立する訳はない。
  カナダ政府の締結した条約は、『何ら、効力はない』。
  その条約があるからというのも、カナダ政府の『ペテ
 ンの話』である。
  ある一つの種族の、その一担当者が、その様な権利が、
 全権が・・ある訳がない。
  子供だましのペテン話で、世界に嘘を言っている。
  この件についての責任を取るべきである。
1877年1月、インド帝國の成立(英領インドの成立)
  イギリスのビクトリア女王が、インド皇帝の地位があ
 るという状態は、そのままにして、インド帝国の成立が
 宣言された(1877年~1947年)
  イギリスが、インドに、イギリス領インド帝国を成立
 させたが、事実上はイギリス植民地で・・、
  イギリスは、自身は、表面的に隠れて植民地を作った。
  この様な形態の国(植民地)を、巧妙に作るような事
 をよくするイギリスだった。
1877年4月24日 ロシアが、トルコに宣戦布告(露土戦争)
  バルカン半島に在住するオスマン帝国領下のスラヴ系
 諸民族が、トルコ人の支配に対して反乱し、
  それを支援するかたちで、ロシアが介入して起こった。
  この日、ロシア帝国は、オスマン帝国に宣戦布告し、
 バルカン半島と、アナトリア半島東部が戦場となる・・
  露土の間の戦端が開かれた。
  バルカン半島では、露土戦争の引き金となったセルビ
 アが、戦争再開をめぐる国内対立の末に、戦線に復帰し
 た。
  地中海への通路を確保しようとするロシアの意図があ
 り、不凍港獲得を目指す南下政策の一環としての側面を
 持った戦争でもあった。
  ロシア帝国の勝利で終わった(1877年~1878年)
  1878年3月に、サン・ステファノ条約が結ばれた。
  この条約によって、セルビア、モンテネグロ、ルーマ
 ニアの各公国が、オスマン帝国から独立した。
  また、ロシアの影響を強く受けた広大な自治領「大ブ
 ルガリア公国」が成立した。
  多くの人々が、ブルガリアやコーカサスで難民となっ
 た。
  そして、オスマン帝国へと逃れて行き、また、シリア
 やヨルダンへと向かった。
  ロシアの勢力拡大に対して、欧州各国の警戒感が広が
 り、また、強まった。
  弱肉強食「まる出し」の、そして、弱い人々が泣く世
 界だった。
1878年、出来事:
・自由民権運動盛ん。
・明治天皇陛下が、北陸・東海道を御訪問された。
  (氷川清話)天皇陛下、北陸巡幸。
・郡区町村編成法・地方税規則などが公布された。
・商工会議所が開設された。
・伊藤博文が内務卿になった。
  伊藤博文が、明治維新後、木戸孝允と大久保利通に信
 頼されて、外交・財政・民政に才腕をふるい、
  そして、彼らの死後、大久保の跡を継いで内務卿とな
 り、やがて、政府の最高指導者となる。
・帝国陸軍が、熊本鎮台から対馬に対馬分遣隊を派遣した。
  そして、1886年(明治19年)12月3日、対馬分遣隊を改
 編して、「対馬警備隊」が置き、
  1903年(明治36年)4月14日、「対馬警備隊司令部条例」
 を制定し、
  司令部が、長崎県対馬国下県郡鶏知村に置かれた。
  また、1920年(大正9年)8月に、対馬要塞司令部が設
 置された。
・榎本武揚が、シベリアを馬車で横断した。
 この時、彼は、車中で克明な「シベリア日記」を付けた。
1878年、流行:
・在日外国人の入浴客が増加した。
  雲仙に、新湯温泉が開かれ、旅館を洋風にし、新たに
 宿泊施設を改善した。
  また、ベッドを採用し好評を得た、滞在客が増えた。
  日本人浴槽の他に、洋人風呂と称する1人のみが入浴
 する箱風呂を作り、混浴を避けた。
1878年、出版・本・論:
・「米欧回覧実記」(久米邦武編集)全100巻刊行。 <岩
 倉使節団の報告書>  岩倉使節団出発(1871年)
・時局風刺雑誌の「驥尾団子」創刊。
・「通俗民権論」(福澤諭吉)
・ 「自由交易日本経済論」(田口卯吉)
・「開明新論」(植木枝盛)
・「男女同権論」(著:ミル、訳:深間内基)
・ 「代議政体論」(著:スペンサー、訳:鈴木義宗)
・ 「亡友帖」(勝海舟)
  (氷川清話)勝海舟、金谷開墾方の隊中に書を送る。
・ 「断腸の記」(勝海舟)
  (氷川清話)勝海舟、「断腸の記」を記す、明治21年
 10月印行。
・ 「特命全権大使米欧回覧実記」(久米邦武編)
・ 「開化新題歌集」(大久保忠保編)
・「日本西教史」(太政官翻訳係訳)
・ 「Art and art industries in Japan(日本の美術と美術
 産業)」刊行(オールコック)
1878年、流行:
・唄 「梅ヶ枝節」
・河鹿(かじか、カジカカエル)の飼育
・日本髪にお高祖頭巾(おこそずきん)をかぶること
・毒婦(どくふ)小説、毒婦:人をだましたり、陥(おと
 しい)れたりする根性の悪い女のこと
1878年、衣:
・少女のシャツを着る姿が現われた。
・島田十郎兵衛が、麦わら帽子を作り、売り出した。
・亜鉛白粉が発売される。白粉:おしろい、
・海軍兵学校、洋服自給のため裁縫工場をもつ
・国産フランネル・紋羽二重綾木綿の無税輸出が許可され
 た。
・オーストラリアの羊1500余頭が、下総牧場に移された。
1878年、食:
・東京の両国若松町の風月堂が、日本で初めてチョコレー
 トを加工・販売した。
  チョコレートを、わが国において最初に商品として加
 工製造・販売をしたのは、東京両国若松町の米津風月堂
 といわれている。
  1871年(明治4年)、安政の不平等条約改正の予備交渉
 と、近代的な制度・文物摂取のため、岩倉具視を全権大
 使に、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允、山口尚芳らの
 一行が欧米諸国に派遣された。
  その際、パリに赴いた一行は、チョコレート工場を視
 察している。
  彼らは、そのチョコレートが、後世のお菓子の世界で
 なくてはならないものになるとは想像もしなかったであ
 ろう。
  しかし、米津松造は、これらの情報をしっかりキャッ
 チして、いち早く研究をはじめ、商品化に取り組んだ。
  米津松造が、チョコレートの製造をはじめたことは、
 1878年(明治11年)12月21日の『郵便報知新聞』に、
 「菓子舗、若松町の風月堂にては、かつて西洋菓子を製出
 し、
  江湖(こうこ=世間、世の中)に賞美せられしより一層
 勉励してなお、この度、ショコラートを新製せるが、一
 種の雅味ありと。これも大評判」と報じている。
  ショコラートは、チョコレートのこと。
  この記事を受けて、その直後の12月24日付けの『かな
 よみ新聞』(明治8年創刊・仮名読売新聞改)に、
  「貯古齢糖・洋酒入ボンボン」の項目を掲げ広告を掲
 載した。
  さらに、1878年(明治11年)12月24日発行の『かなよみ
 新聞』と、翌25日発行の『郵便報知新聞』、
  さらに、翌12年1月6日の『東京日日新聞』に次のよう
 な広告が掲載された。
「西洋菓子製所 鳳紋 賞牌
 ○西洋菓子各種
 ○新発明ボンボン 祝日用・飾り菓子・西洋酒入り      
    数種 種々効能あり
 ○新製・猪口令糖 菓物味入り
 ○機械製・有平糖 
 ○桃子糖漬
 ○柑子糖漬
 ○仏手柑糖漬   各缶詰
 ○新年辻占パピヨ 此品は、西洋各国にて新年宴会の折、
 戯むれに供するものにて至極面白きものなり。
  文化、日に開らけ、百事、洋風に依らざる無きに独り
 “西洋菓子(ケイキ)”の製法のみ我国に有るを聞かず。
  日頃、該製造に思いを焦がす折節、昨年、内国勧業博
 覧会の挙あるに際し、
  西洋人の良工を雇いて洋菓の数種を精製せしめ該場へ
 出品せしに殊の外、諸彦の愛顧を蒙り、
  忝なくも鳳紋賞牌を付与せらるるに至れり。
  弊舗深く、感謝にたえず。
  依て尚一層、勉励新製数種調進候間、従来販売する菓
 子と共に御賞翫あらん事を是祈る。
   東京日本橋若松町、西洋菓子製造本舗 両国風月堂、
 米津松造」
  このときの米津風月堂のチョコレートは、輸入したチ
 ョコレート原料を加工したもので、
  また、もともとチョコレートとは飲み物であったが、
 食べるチョコレートが生まれたのがヴィクトリア王朝時
 代の1840年頃で、
  米津風月堂が、その製造に関してトップを走っていた
 のが分かる。
  さらにその後、喫茶においても飲むチョコレートを販
 売していたことも広告されている。
  続いて、京橋木挽町・精養軒、新橋壷屋が、自家特製
 加工品を使用し、明治30年代に、主として輸入製品とし
 て、東京銀座亀屋、明治屋、函館屋、本郷赤門通り・青
 木屋などによって売られ、
  その後、森永製菓も、カカオ豆からチョコレート一貫
 製造をはじめる。
・飲料水の取締規則が出来て、井戸水検査が始まる。
・開拓使が、鮭の缶詰をイギリス・フランス・アメリカに
 試売した。
・勧農局が、紅茶伝習所を各地に設けた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2016-05-10 04:24 | 皆様とともに 幸せになりたい


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