(増補版)336E1/3:気になった事柄を集めた年表(1876年5月~1876年6月)

題:(増補版)336E1/3:気になった事柄を集めた年表(1876年5月~1876年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1876年5月17日(明治9年)小判切手と呼ばれる新デザイン
 の近代的な凸版印刷の切手が発行された。
  「大日本帝國郵便」「IMPERIAL JAPANESE POST」の和
 英両文の国名表示がそろっている。
  1892年までに30種類が発行され、中央部分に小判型の
 縁取りがあるため「小判切手」と称された。
  これは、同時代のヨーロッパの各国に於いて、お馴染
 実のデザインで、江戸時代の貨幣である大判、小判の様
 に高い金額(料金)であった。
  明治政府は、さまざまな教育・産業の分野で、西洋の
 近代的な技術を早く学び、手に入れようと、ヨーロッパ
 やアメリカから技術者を招き入れた。
  紙幣、および、切手製造においても、印刷産業の先進
 国ドイツの印刷会社から、この会社に勤めていたイタリ
 ア人のエドアルド・キヨッソーネ(1833年~1898年)が、
 指導者として招かれ、ヨーロッパの精密な印刷方式のエ
 ルヘート凸版(ハンダ盛り上げ電胎法凸版)による「小判
 切手」が誕生した。
1876年5月、クラーク博士が来日した。
  札幌農学校開校にクラーク博士が、北海道開拓使の黒
 田清隆の招きで、米マサチューセッツ農科大学の休暇を
 利用して来日した。
  7月に札幌農学校の初代教頭として赴任し、教育方針を
 マサチューセッツ農科大学を規範とした。  
  1876年8月14日、札幌農学校(北海道大学の前身)の開
 校式が行なわれた。
  北海道大学の前身で、近代技術を導入し北海道開拓の
 指導者を養成する目的で開校した。
  1876年8月17日、授業が開始された。
  1876年9月9日、「札幌農学校」という校名に正式に改
 められた。
  言葉:「青年よ大志を抱け」(1877年)
1876年6月2日、明治天皇陛下が東北訪問
  明治天皇陛下が、奥羽地方巡幸のため帝都を御発輦(
 はつれん、天皇陛下の御車が出発すること)。
  岩倉、木戸、大隈、徳大寺が供奉(ぐぶ、行幸や祭礼
 などの時にお供の行列に加わること)す。
  明治天皇陛下の東北地方訪問の旅に出発し、草加、宇
 都宮、白河、福島、仙台、水沢、盛岡、青森から函館に
 至った。
  岩倉具視、木戸孝允らが随行し、7月16日に、青森港浜
 町桟橋から日本初の鉄製蒸気船「明治丸」に御乗船し、
 函館を経て、7月20日に横浜港に御帰着された(海の日)。
1876年6月6日、ドイツの医師ベルツ博士が来日した。
  エルヴィン・フォン・ベルツ(ドイツ、1849年1月13日
 ~1913年8月31日)は、ドイツ帝国の医師で、明治時代に
 日本に招かれたお雇い外国人のひとり。
  27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。
  滞日は29年に及んだ。
  1849年(0歳)、ヴュルテンベルク王国のビーティヒハ
   イム・ビッシンゲンで生まれる。
  1866年(17歳)、テュービンゲン大学医学部に入学。
  1869年(20歳)、ライプツィヒ大学医学部に転学、カ
   ール・アウグスト・ヴンダーリヒ教授の下で内科を
   修める。
  1870年(21歳)、軍医として普仏戦争に従軍。
  1872年(23歳)、ライプツィヒ大学医学部卒業。
  1875年(26歳)、ライプツィヒ大学病院に入院中の日
   本人留学生・相良玄貞を、たまたま治療することに
   なり、日本との縁が生まれる。
  1876年(明治9年、27歳)、お雇い外国人として東京医
   学校(現在の東京大学医学部)の教師に招かれる。
  1881年(明治14年、32歳)、東海道御油宿(愛知県豊
   川市御油町)戸田屋のハナコと結婚。
  1900年(明治33年、51歳)、勲一等瑞宝章を受章。
  1902年(明治35年、53歳)、東京帝国大学退官、宮内
   省侍医を務める。
  1905年(明治38年、56歳)、勲一等旭日大綬章を受章。
   夫人とともにドイツへ帰国。
   熱帯医学会会長、人類学会東洋部長などを務める。
  1908年(明治41年、59歳)、伊藤博文の要請で再度来
   日。
  1913年(64歳)、ドイツ帝国のシュトゥットガルトに
   て心臓病のため死去(64歳没)。
1876年6月8日、国道、県道、里道の制、初めて定められる
 (国道一等幅七間以下各種)
  国道の1等は幅7間(約13メートル)、
 県道は4、5間(約9メートル)とする。
  そして、国道とは、
  ・帝都である東京から各開港場に達するもの
  ・東京より伊勢神宮及び二府(京都・大阪)各師団に
   達するもの
  ・東京より各県庁に達するもの、及び、各県庁を連結
   するもの
  ・東京から各鎮守府に達するもの及び各鎮守府と各師
   団とを連結するもの
1876年6月12日、大森駅(東京)が開業した。
  官設鉄道の駅が開業。
  旅客営業のみの旅客駅。
  因みに、東京駅は、1889年(明治22年)に神戸まで全
 通した官設鉄道の新橋駅と、
  私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が、東
 京市区改正計画によって立案され、
  1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中
 に中央停車場を建設することが可決された。
  日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治
 41年)から建設工事が本格化し、
  1914年(大正3年)12月20日に開業した。
  中央停車場は、皇居(宮城)の正面の原野に設定され、
  「東京駅」と名付けられた。
1876年6月21日、横須賀造船所にて初の国産軍艦「清輝」が
 竣工した。
  スループ型3本マストの木質艦で、排水量は897瓲。
 速力九節半(ノット)。
  15糎克砲1門、12糎克砲4門、6ポンド砲1門、1イ
 ンチ機砲3門を装備
  1878年(明治11年)年末、井上良馨が艦の艦長となり
 日本を出発、ヨーロッパ諸港を回航
  軍艦・清輝はヨーロッパ航海を最初に成し遂げた日本
 艦となる。
  因みに、速力九節半=9ノット=9×1.852=16.97km/時
     瓲=トン、糎=センチメートル
      6ポンド=6×0.453=2.72kg
      1インチ=2.54センチメートル
1876年6月25日、卑劣な武器使用。
  この時、1876年6月25日に、カーター将軍が、リトルビ
 ッグホーンの戦いで、アメリカ・インディアンの方々に
 敗けるた。
  アメリカ合衆国は、まさかの敗北にいきり立った。
  アメリカ合衆国政府は、大勢の兵士を繰り出し、また、
 機関銃や大砲という強力な武器を使って、卑劣な武器を
 使った復讐の怨念で、インディアンの方々を攻めて行っ
 た。
  卑怯な、卑劣な手を使い、勝つと分かっている戦争を
 した。
  そして、インディアンの方々を蹂躙し、そして、殺戮
 した。
  イギリスもアヘン戦争の時、悪いのはイギリスである
 のに、イギリスの外貨の流出を少なくしたいと、単純な
 経済的問題を解決しようと、やってはいけないアヘン(
 麻薬)を中国の方々へ売った。
  いくら禁止令を中国が出しても止めないイギリス。
  ほとほと、困った中国は、ファイトバックした、反抗
 した、当然の反抗をした。
  イギリスは、待ってましたとばかりに、勝つと分かっ
 た戦争・アヘン戦争を始めた。
  中国の方々を、「これでもか」と言うほど、やっつけ
 た。
  イギリスには少しも正義は無かった。
  正義の戦争でも何でもない戦争をイギリスはした。
  弱い者いじめをした。
  オーストラリアは、オーストラリアの土地を奪うため
 に、遠い昔から住んでいる方々=先住民のアボリジニー
 の方々を殺戮した。
  何ら抵抗する術(すべ)を持たないアボリジニーの方々
 を、動物の狩りでもするがごとくに殺戮した。
  「今日は○○人、殺した」というオーストラリアに来
 たイギリス人の日記が残っている。
  この様に、イギリス人の皆が、アボリジニーの方々を
 殺した。
  アメリカは、負けることが確実で、負けると分かって
 いる日本に・・、
  だから・・、日本が負けると分かっているからアメリ
 カは、日本へ「降伏しろ」とポツダム宣言を出した。
  それなのに・・、敗ける事が確実な日本へ、
  「原爆を落とした」。
  それも戦闘員ではない「一般の市民の方々」が、「非
 戦闘員の方々」が、「女性や子供やお年寄りの方々」が
 大勢死ぬと分かっているのに、
  その非人道的な、卑劣な、地獄の様な行為をした。
  当時、れっきと存在していた国際的な法律である国際
 法違反の行為で、「非戦闘員殺戮」をアメリカ合衆国は
 した。
  アメリカ合衆国が、何と言っても、国際法違反である
 ことは免れる事は出来ない。
  それも二発も、やってはいけないことを、二度もした。
  広島と長崎の原爆投下は、アメリカがやりたいことが
 あった。
  卑劣な実験としての地獄の行為だった。
  アメリカは、「ウラン型原爆」と「プルトニウム型原
 爆」の効果を知りたかったのだった。
  ただ、それだけの事で、広島と長崎に原爆を落とし、
 多くの方々を死に追いやった。
  まったく卑劣と言っても言い足りない。
  アンフェアなアメリカ、卑劣なアメリカだ。
  ヨーロッパの知識人たちが、「アメリカは、ドイツに
 落とさなかった」と言う、
  「ドイツには落す気は、なかった」と言う。
  「キリスト教の有色人種の蔑視」を言う。
  アメリカは、その為に、広島・長崎に、
  それまで、爆撃をして来なかった都市に、投下した。
  原爆投下の威力、その効果が分かるように・・、
  普通爆撃をしないという、実験の効果を知る適地を、
 最初から作っていたアメリカだった(計画的犯罪行為)。
  東京裁判と同様に、アメリカのこの行為も国際的に裁
 かれるべき国際法違反行為だ。
  相変わらず、自国の事になるとホッカムリするアンフ
 ェアなアメリカ。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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by suba28 | 2016-04-20 04:49 | 皆様とともに 幸せになりたい


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