(増補版)318E1/3:気になった事柄を集めた年表(1874年3月~1874年3月)

題:(増補版)318E1/3:気になった事柄を集めた年表(1874年3月~1874年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1874年3月5日(明治7年1月17日)三条実美太政大臣が、大
 隈重信参議兼大蔵卿に、
  台湾問題に関する副島種臣大使の交渉結果の検討を依
 頼した。
  1874年3月6日(1月18日)大久保が、副島種臣を訪問す
 る。
  1874年3月7日(1月19日)福島九成(ふくしまきゅうせ
 い、佐賀藩士、陸軍軍人、外交官、官僚)が、再び、台
 湾出張を命じられた。
  1874年3月14日(1月26日)三条太政大臣が、大久保・
 大隈に台湾・朝鮮問題の取調べを命じる。
  大久保と大隈は、副島、リゼンドル(アメリカの外交
 官だが、副島外務卿の要請で外務省顧問になっていた)、
 柳原前光(やなぎはらさきみつ、外交官、駐清(しん、
 中国公使)、鄭永寧(ていえいねい、外務省に入り、日
 清修好条規締結につくす)らと相談して、
  1874年3月23日(2月6日)大久保・大隈連名で「台湾蕃
 地処分要略」全9ヶ条を答申して、閣議で決定した。
  さかのぼること1872年9月23日に、駐日米国公使・デー
 ロングが副島を訪問して、台湾の件を話し合っている。
  また、その翌日・1872年9月24日と9月26日の二回に渡
 って、元駐アモイ領事・アメリカ国籍のリゼンドルが副
 島と会談を行なっている。
  リゼンドルは、「台湾島の重要性を唱え(となえ、声
 に出して言うこと)、そこに砲台を建設すべき」と建言
 した。
  デーロング米国公使とリゼンドルは、共に、日本の台
 湾占領を支持する事により、日本を米国の友邦に仕立て、
 この日本を核として、極東における市場の拡大を目指し
 た。
  また、3月13日付けで、リゼンドルは、日本政府へ覚書
 を提出していた、
  ・・その覚書には・・、
  「もし支那政府にて此地を有ずるを好まずば、西人の
 手に落さんよりは、むしろ我国より此地を領すべし」と。
1874年3月8日(1月20日)江藤新平が、伊万里に上陸。
  嬉野温泉に滞在。
  旧暦1月25日に、佐賀入り。
  旧暦2月2日に、義弟(妻の実家)のいる長崎郊外深堀
 に移り静養、舟遊びなど楽しんでいる。
1874年3月9日(1月21日)樺太境界問題を交渉
  樺太と千島列島の一部との交換を提案する。
  1874年3月に、樺太全島をロシア領とし、その代わりに
 得撫島(うるっぷとう)以北の諸島を日本が領有するこ
 となど、樺太放棄論に基づく訓令を携えて、特命全権大
 使・榎本武揚は、サンクトペテルブルクに赴いた。
  榎本とスツレモーホフ(Stremoukhov)ロシア外務省ア
 ジア局長、アレクサンドル・ゴルチャコフロシア外相と
 の間で交渉が進められ、
  その結果、樺太での日本の権益を放棄する代わりに、
 得撫島以北の千島18島を、ロシアが日本に譲渡すること、
  および、両国資産の買取、漁業権承認などを取り決め
 た樺太・千島交換条約の締結に至る交渉・・、
  1875年5月7日に、樺太・千島交換条約が、日本とロシ
 アとの間で締結された。
1874年3月11日(1月23日)近衛歩兵第1連隊、および、第
 2連隊の編成が成り、天皇陛下が、軍旗を授けられた。
1874年3月16日(1月28日)東京青山御所が開かれた。
1874年3月16日(1月28日)大久保利通が、佐賀県権令・岩
 村通俊を更迭し、弟の高俊(神奈川県権参事)が就任し
 た。
  佐賀の治安回復を指令。
  通俊は、就任半年で転任申し出て、弟を推挙す。
  弟の岩村高俊は、1874年3月(明治7年2月)に、佐賀県
 権令となり、
  内務卿・大久保利通の内意を受けて、江藤新平を盟主
 とする征韓党の挙兵(佐賀の乱)の鎮圧に努めた。
  乱の後は、内務省に移り、大久保の随員として井上毅
 らとともに清国を訪れている。
1874年(明治7年1月31日)女工採用の始(大蔵省の紙幣寮
 にて初めて女工を採用)
1874年3月18日(2月1日)佐賀の乱:その開戦前の騒動
  佐賀の憂国党が、県の公金を扱う小野組支店襲撃、20
 万円余奪う。
  征韓論をめぐる「明治6年の政変」で、中央を追われた
 江藤新平は、
  板垣退助や副島種臣、後藤象二郎からの説得や警告を
 受け流し、
  太政官より発せられた、「前参議は東京に滞在すべし」
 との御用滞在の命令をも無視する形で・・佐賀に戻った。
  なお、江藤と同郷の大木喬任は、高木秀臣から江藤出
 発の報を聞くや、即座に、佐賀出身の官吏を3人派遣して
 強引に江藤を連れ戻そうとしたが、彼らが横浜に着いた
 時には、すでに江藤が乗船した船は出航した後だった。
  この頃の佐賀は、征韓論を奉じる反政府的な「征韓党」
 と、
  封建主事への回帰を目指す保守反動的な「憂国党」が
 結成されるなど、
  佐賀の政情は不安定で、政府からもマークされていた。
  その様な情勢下の1874年3月18日(明治7年2月1日)に、
 憂国党に属する武士が、官金預かり業者である小野組に
 押しかけ・・、店員らが逃亡するという事件が起こった。
  これは即、内務省に電報で通知され、1874年3月21日
 (2月4日)に、政府は、熊本鎮台司令長官・谷干城に、
 佐賀士族の鎮圧を命令した。
  その中、島義勇は、三条実美の依頼により、沸騰する
 佐賀県士族を鎮撫するため佐賀に向かったが、
  たまたま同船した岩村高俊の佐賀士族を見下した傲岸
 不遜な態度に憤慨し、
  さらに、岩村に同行していた権中判事の中島錫胤から
 岩村が兵を率いて佐賀城に入る予定と聞き、
  父祖の地を守るためには、官兵を打ち払わなければな
 らないと決意。
  それまで不仲だった江藤と会談し、共に発つ決意を固
 めた。
1874年3月18日(2月1日)慶應義塾出版社から「民間雑誌」
 (主宰:福澤諭吉)が創刊された。
1874年3月19日(2月2日)新橋~京橋間に鉄道設置
  1872年10月2日(明治5年8月30日)新橋駅構内に西洋食
 物飲茶店が開業。初の駅売店。
  1872年10月14日(9月12日)日本初の鉄道が仮営業を開
 始:新橋~横浜
  1872年11月14日(10月14日)日本初の鉄道が正式開業:
 新橋~横浜
  1872年10月14日から仮営業という形でテスト走行を繰
 り返してきた日本初の鉄道が、1872年11月14日に正式に
 開業した。
  明治天皇陛下もこの開業式典に御臨席された。
  区間は、新橋~横浜まで:片道53分で一日9往復。
  この日を記念して1922年に国鉄が10月14日を「鉄道記
 念日」を制定した。
  1874年2月21日(明治7年1月5日)東京・京橋~新橋に
 馬車・人力車専用の道路が完成。
  1874年3月19日(2月2日)新橋~京橋間に鉄道設置
  1874年11月19日(10月11日)新橋駅近くで列車が脱線、
 鉄道開業以来はじめての事故
  1879年6月3日(明治12年4月14日)新橋~横浜間の汽車
 に始めて日本人機関士が搭乗。
1874年3月20日(2月3日)福岡県庁が、参議内務卿・大久保
 利通に、佐賀県士族動静不穏と電報を打つ。
1874年3月21日(2月4日)佐賀の乱、起こる。
  江藤新平による佐賀の乱起こる(鎮圧のため鎮台兵が
 出動した)
  同日、内務卿・大久保利通内示。
   陸軍大輔・西郷従道、熊本鎮台(司令官・谷干城陸軍
 少将)に派兵命令。
  谷は、まず、佐賀県庁に使者を送る。
  また、同日、島義男(ヨシタケ)が、太政大臣・三条実美
 に面会し、三条の依頼により鎮撫のため佐賀に向う。
  佐賀に赴任する岩村高俊と同船、不法分子を一網打尽
 にするとの岩村の傍若無人な広言に不快を感じ、岩村が
 鎮台兵出動打ち合わせのため下関で下船したのを知り、
 文官が兵を率いて赴任するとは何事だと怒る(岩村は、
 意識的に島を挑発したか?)。
  1874年3月26日(2月9日)、長崎着。
  島義男(ヨシタケ):大学少監ー侍従ー秋田権令、明治5年
 6月、開化政策に反対し辞職。憂国党党首に祭り上げられ
 ている)
  1874年3月26日(明治7年2月9日)佐賀に於ける軍事・
 行政・司法の三権全権の委任を受けていた大久保利通内
 務卿は、文官でありながら兵権を握る権限を得ており、
 嘉彰親王(後の小松宮彰仁親王)が征討総督として現地
 に着任するまで、すべての事項を決裁した。
  大久保は、東京から引き連れた部隊に加えて、大阪の
 鎮台部隊等を直ちに動員し、博多に向かい、20日に到着
 すると現地で貫属隊の名目で兵を集める一方、本隊を指
 揮する野津鎮雄を朝日山へ向かわせ、
  博多の本陣には山田顕義を残した。
  後に、三瀬峠に、佐賀軍の別働隊を発見し、山田顕義
 麾下の部隊を派遣した。
1874年3月22日(2月5日)邏卒〔らそつ〕を巡査と改称。
  警視庁が、羅卒を巡査の呼称に改めた。
1874年3月22日(2月5日)佐賀県権令・岩村高俊(1月28日、
 兄の通俊に代って佐賀県権令に任命され、赴任前で在東
 京)、兵力による鎮圧を大久保内務卿に建白。
1874年3月23日(2月6日)最初の海外への武力行使方針決定。
  大久保・大隈連名、琉球民殺害事件に関して閣議に「
 台湾蛮地処分要略」全9ヶ条提出。
  台湾遠征軍派遣、閣議決定。
  大久保・大隈・リゼンドル・柳原前光・鄭永寧ら協議。
  リゼンドルの第3覚書をそのまま踏襲。
  「要略」:
  「無主の地」として清国領土外とみなす台湾先住民地
 域(著地)に対し、琉球民遭難への「報復」の「役」(
 軍事行動)を発動することが基本方針。
  「討蕃」と「撫民」を目的とするが、「生蕃」討伐と
 「土蕃・塾蕃」撫育とを区別して併用せよとする福島九
 成の見解が採用されている。
  「撫民」の目的は、「土人を懐柔綏撫(スイブ)せしめ、
 他日、生蕃を処分するの時の諸事に便ならしむ」(第八
 条)ためである(「討蕃」の為の手段とする)。
  何故なら、「熱蕃の地、琅嬌・社寮の港より兵を上陸
 せしむる」(第九条)計画だったから。
  台湾「蕃地」への軍事力行使に対して清国から抗議さ
 れた場合は、「ただ推託して時日遷延の間に即ち事を成
 し」(第四条)とし、「討蕃撫民」の既成事実を作ると
 した。
  また、清が、琉球の日清両属問題を提起してきた場合
 は、「さらに顧て関係せず、その議に応ぜざるをよしと
 す」(第三条)とし、交渉に応じないことにした。
  外交による解決をとらない、軍事力優先の路線を採用。
  但し、柳原外務大丞と鄭外務少丞が起草した「要略」
 原案弟一条は、「琉球人民の殺害せられしを報復し、そ
 の地を拠有すべきは・・」となっていたが、成文では「
 その地を拠有」が削除された。
  6日閣議後、岩倉は、「台湾処分御決定、先ずもって安
 心候」と大久保に書き送り、
  大久保も、同日の日記に、台湾一条が決定し「安心い
 たし候」と書く。
  また、大久保宛て書簡で、岩倉は、「吾属地」とする
 かどうかは「再び御評議のはず」と領有論再開を期待。
  岩倉は、「なにとぞ吾れに得べきの目的立てたきもの
 と存じ候」と、「蕃地」領有を望み、大久保の同意を求
 めるような書きぶりからみて、大久保も領有論傾向であ
 った。
  岩倉は、「要略」が決定したからには「問罪使命の人
 体お取り極めの義急務」(遠征軍最高指揮者の人選を急
 がねばならない)であるが、「鹿児島県の人にて誰かこ
 れなくや」と大久保に推薦を促す。
  しかし、大久保は、台湾遠征という国家的大事業を薩
 摩閥だけのものとみられるのを避けたかったらしく、土
 佐出身の熊本鎮台司令長官谷千城に白羽の矢をたてる。
  但し、木戸孝允ら長州系は「要略」決議に抵抗。
  6日付け木戸日記に、「今日岩倉(邸)にて会議あり、
 台湾-条なり、廻しの暮面に同意せり、よって今日出会
 を断れり」とある。
  木戸は、事前に見せられた書面(「要略」案)に同意
 したので閣議は欠席した。
  「同意」したとはいえ閣議には出たくなかったという
 わけで、この一件にたいする木戸の消極的態度が表れて
 いる。
  しかも、木戸が同意した案と閣議にかけられた案では
 内容が異なっていた。
  翌7日、伊藤博文が、木戸に閣議の模様を報告する手紙
 を送り、
  「台湾一条会議ござ候ところ、かねてお目にかけおき
 候書面の趣意とも少々相違」していたと云い、
  「急に一大隊の兵を発し、・・議かくのごとく火急・
 ・卒然に事を処する見込み」と、「要略」決定までが性
 急で慎重さに欠けることへの不安を伝える。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
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または
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by suba28 | 2016-03-24 17:37 | 皆様とともに 幸せになりたい


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