(増補版)302E1/3:気になった事柄を集めた年表(1871年9月~1871年11月)

題:(増補版)302E1/3:気になった事柄を集めた年表(1871年9月~1871年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1871年9月18日(8月4日)最初の侍従長が任命された。
  侍従長の徳大寺実則(とくだいじさねつね)は、明治
 天皇陛下の政治関与に強く反対し、
  侍補(じほ、宮内省内に置かれた役職)制度が定めら
 れて、天皇陛下の親政運動が行なわれた時には、その阻
 止に強く動いた。
  また、自らの政治的関与も、強く戒めていて、
  政界に転じた実弟の西園寺公望(さいおんじきんもち、
 公家、政治家、教育者)とは、公の場所以外では会話も
 しなかった。
  天皇親政運動: 明治前期の天皇陛下を政治的君主とし
 て強化しようとした元田永孚(もとだながざね、熊本藩
 士、儒学者、男爵)ら 侍補による政治運動。
1871年9月19日(8月5日)太政大臣・三条実美(さんじょう
 さねとみ、公卿、政治家、公爵)が、鉄道一部竣工につ
 き、横浜に於いて汽車に試乗した。
  翌日の9月20日(8月6日)に、参議・木戸孝允、同大隈
 重信、工部大輔・佐藤象二郎、工部少丞・吉井源らも、
 横浜~金川(神奈川)間を試乗した。
1871年9月23日(8月9日)散髪脱刀令(さんぱつだっとうれ
 い)、政府の開化政策の一つとして、旧風を改め、散髪・
 廃刀の自由を許した。
  明治政府は、太政官布告を以て「散髪脱刀令」を布告。
  士族の断髪、脱刀、服装の自由化。
  平民の羽織袴も無制限に、
  江戸時代末からすでに行われていた。
  「半髪(はんぱつ、野郎頭。男の月代さかやきのある髪
 の結い方)頭をたたいてみれば、因循姑息(いんじゅんこ
 そく、古い習慣に頼って、その場をしのごうとすること)
 の音がする。
  惣髪(そうはつ、月代を剃らず、髪を全体に伸ばし、頭
 頂で束ねたもの)頭をたたいてみれば、王政復古の音がす
 る。
  ジャンギリ頭(髪を散切・ざんぎりにしたもの)をた
 たいてみれば、文明開化の音がする」と流行歌(はやり
 うた)があった。
  民衆は、喜んで受け入れた。
  しかし、熊本で、不満な小学校教師たちが、学校を閉
 校することが行われた。
  また、この布告は、女性の断髪も促した。
  髪を切る婦女が多いため、この風潮を止めようと、
  1872年に、東京府では「婦女子散髪禁止」の告諭(こ
 くゆ、言い聞かせる言葉)を発した。
  脱刀は、強制ではかなった。
  士族の帯刀者が多い状態だった。
  1875年12月に、陸軍卿・山形有朋が、徴兵令によって
 武士の帯刀の必要性はなくなったとし、廃刀を建議し、
  1876年(明治9年)に、帯刀禁止令(廃刀令)が出され、
 軍人や警察官以外は帯刀禁止となった。
1871年9月23日(8月9日)米麦輸出禁令の撤廃。
  安政期に、列強五か国と条約条約を取り交わしたが、
  そこにあらわれた欧米列強諸国の外交意図は、
  日本を、欧米資本主義の大量生産品を売りさばくため
 の、また、その原料を輸入するための、
  半植民地的な市場と位置づけるものだった。
  板垣退助が、会津で見た様な「君国ノ滅亡」の危機は、
 目前に迫っていた。
  この様な状況にあって、新政府には・・、
  日本が国家としての独立を保つため、
 そして、政治・経済・軍事の近代化を、
  最も短い期間内に、なし遂げる必要性が痛感した。
  この様にして、新政府は・・、
  わが国が、大久保利通が「万国ニ御対立」と表現した
 様に、万国と対峙(たいじ)するために、
  統一国家の建設、そしてまた、
  資本主義の発展という歴史的な使命を達成する必要を
 痛感した。
  新政府の政権の足元をおびやかすものは、
  明治元年以来、再び盛り上がってきた農民一揆だった。
  農民大衆の重租に対する不満は、極度に達し、
  政権の基礎に脅威を感じさせるまでになっていた。
  1868年(明治1年)~1870年(明治3年)の間に90件の
 農民一揆が発生し、
  そのうちの20件は、新政府が直轄する県のものだった。
  政府は、日々の莫大な支出に充てるための
  商人からの借入の返済に、
  安定し、まとまった歳入を確保しなければならず、
  その唯一の恒常的な財源は、幕藩体制から引き継いだ
 封建的な貢租である旧地租だった。
  それは、全歳入の6割未満(通常歳入の8割)であり、
  全歳入の2割強は、不換紙幣の発行、および、三井・
 小野・島田を筆頭とする商人からの臨時借入、および、
 外債だった。
  商人からの借入は、政商を生み出した。
  歳出は、その約4割が、家禄賞典禄等の旧封建支配者
 救済の費用であった。
  陸海軍費は、一般行政費の2倍に近く、さらに内乱・
 外征の戦費も多額にのぼるものだった。
  明治政権は、「農民からの封建的搾取に右足を置き、
 政商資本たる商業・高利貸資本家層の援助に左足をのせ
 るもので、
  そして、崩れ行く封建支配収拾の任務と、
  欧米列強に対抗する軍事力創出の強兵富国策実現の任
 務とを、一身に体現(たいげん、身を以って実現するこ
 と)していた。
1871年9月24日(8月10日)江藤新平が、左院副議長に就任。
1871年10月2日(8月18日)明治天皇陛下、馬車を召され浜
 殿へ行幸(馬車にて行幸の始め)
1871年10月2日(8月18日)東京、大阪に鎮台を設けた。
  鎮台(ちんだい)は、 明治初期の常備陸軍のことで、
 1871年(明治4年)に、東京・大阪・鎮西(小倉)・東北
 (石巻)の4鎮台を置き、
  1873年(明治6年)に、東京・仙台・名古屋・大阪・
 広島・熊本の6鎮台となった。
  また、1888年(明治21年)に、師団と改称した。
1871年10月4日(8月20日)この頃、条約改正使節に大隈重
 信をほぼ内定した。
1871年10月5日(8月21日)伊豆の石室埼燈台が竣工す。
1871年10月5日、長崎~ウラジオ間の海底電信線敷設工事が
 完成した。
  11月21日に、長崎~ウラジオストックの通信を開始し
 た。
  また、別史料には・・、
  日本最初の海底ケーブルは、1871年8月(明治4年6月)
 に敷設された長崎~上海間、及び、長崎-ウラジオストク
 間のものである。
  現在の長崎市南山手一丁目18番地には、「国際電信発
 祥の地」の碑があるが、
  かつて、ここにあったホテルベルビューの一室を借り
 ていた大北電信会社によって、
  1871年9月26日(8月12日)、一般公衆電報の取り扱い
 が始まった。
  これは、日本における国際電報事業が開始された日で
 あり、翌年・1872年、開通した欧亜陸上電信線と接続さ
 れた。
1871年10月6日(8月22日)坂本龍馬、中岡慎太郎両家共、
 その姪に故人の家督相続を許される。
1871年10月7日(8月23日)華族・士族・平民相互の結婚を
 認めた。
1871年10月7日(8月23日)御所機能が廃され、東京への首
 都機能の移転が行われた。
  京都では京都御所を後に残して、1871年(明治4年)ま
 でに刑部省・大蔵省・兵部省などの京都留守・出張所が
 次々に廃され、中央行政機関が消えていった。
  また、留守官は、1870年6月(明治3年5月)に、京都府
 から宮中に移され、
  1871年2月(明治3年12月)に、京都の宮内省に合併、
  1871年10月7日(明治4年8月23日)には廃され、東京へ
 の首都機能の移転が行われた。
  東京への移転を完了し、この実施により、中央集権体
 制が作り上げられた。
1871年10月(8月)官庁で椅子の使用が始まった。
  この年に、椅子、テーブルの使用が流行し始めた。
1871年10月15日(9月2日)官吏月給制の実施
  官吏の給与を月給制とする
1871年10月15日(9月2日)この頃、条約改正使節が大隈か
 ら岩倉具視に代わった。
1871年10月18日(9月5日)東京の元聖堂大成殿に文部省直
 轄の博物館を開設し、物産所所蔵の物品を移す。
1871年10月20日(9月7日)田畑勝手作の許可
  農民に希望の作物を作らせた。
  大蔵省が「田畑夫食取入ノ余ハ諸物品勝手作ヲ許ス」
 と令した。
  江戸幕府は、石高制と年貢の米納原則を維持するため
 に田畑勝手作禁止令を出した。
  しかし、時代が下って来ると商業作物の生産が広まり、
 形骸化していった。
  明治になって、政府は、輸送手段が発達したことや、
 年貢の石代納(こくだいのう、年貢米で納める代わりに、
 貨幣で納めること)を認めたことを理由に、田畑勝手作
 禁止令を撤廃し、農民がそれぞれの土地に適した農産物
 を生産することを奨励した。
  これは、農民の生産意欲の向上とともに、政府への租
 税収入の安定・増加を図る事になった。
  そしてまた、計画されていた地租改正にともなう租税
 の金納化に備えた措置でもあった。
  これに続いて、翌年の1872年には、田畑永代売買禁止
 令を廃止する地所永代売買解禁が出された。
  田畑勝手作の許可[1871年10月20日(明治4年9月7日)
 大蔵省布告第47号]
 是迄夫食不足ノ訳ヲ以田畑ヘハ米麦雑穀ヲ重モニ作付致
 シ桑楮漆茶藍麻藺菜種其外ノ作物共其土地ニ適当致シ候
 テモ作付不致或ハ元地頭領主ヨリ差留候向モ有之候処追
 々運輸ノ道辨利相成其上是迄米納ノ向モ願次第石代納御
 差許相成候事ニ付村々百姓銘々ノ夫食取入候外ハ何品ニ
 限ラス勝手ニ作付致シ候方下々ノ利潤ニモ可相成候間総
 テ従来其土地ノ貢租辻ヲ以テ年季ヲ究メ検見ノ場所ハ新
 規定免ノ規則ニ照準シ定納相願候上ハ屋敷成並田畑勝手
 作共御差許可相成候条地味ノ善悪作物ノ損得篤ト勘弁イ
 タシ充分仕当ニ可相成見込有之候ハ丶可願出事
 右ノ通管下村々ヘ触達願出候モノ有之ニ於テハ従前ノ貢
 租辻等篤ト相糺不都合無之候ハ丶聞届置追テ可相届事
 但田畑成畑田成共貢租辻増減無之分ハ総テ可為本文之通
 事
1871年10月22日(9月9日)ドン(正午号砲の制)を制定。
  江戸城より初の午砲、正午を知らせた。
  正午、宮城内・旧江戸城本丸の
 庭園にて、近衛師団の砲兵が空砲による最初の報時を行
 なった。
  江戸時代の時の鐘に代わるもの。号砲、午砲。
  その発射音の「ドン」が俗称となる。
  全国の陸軍師団司令部所在地に於いても、各師団砲兵
 にて的確に実施。
  師団所在地の都市を中心に「ドン」という言葉が普及。
1871年10月30日(9月17日)武門の流弊除去(無礼討ちの禁)
 (旧暦8月17日説あり)。
  1862年の生麦事件の時は赦されたが、武士の特権であ
 った「無礼討ち」を禁止した。
  流弊:(りゅうへい)以前からの悪い習慣。
1871年11月1日(9月19日)、政府印刷事業が始まった。
  日本における印刷業の本格的定着は、この年の政府令
 による4種類の郵便切手の印刷によって始まった。
1871年11月4日(9月22日)明治天皇陛下、日比谷操練所に
 て陸軍整列御閲兵(最初の天長節観兵式)
1871年11月5日(9月23日)華士族・平民相互の結婚の許可。
1871年11月5日(9月23日)、新政府が、西郷隆盛(43歳)
 を迎え、筆頭参議に据えた。
  西郷は、1871年4月に提案した御親兵の編成が成り、
  1871年8月、木戸とともに参議になり、
  そして、この日、新政府は、西郷を筆頭参議に据え、
  岩倉使節団が、米欧に派遣された際は、筆頭参議とし
 て留守政府を総理した。
  そして、外遊派は、新規事業と政府首脳部人事の凍結
 を西郷に誓約させたが、
  留守政府では、各省が学制、徴兵制度、地租改正など
 の重要政策実現に邁進した。
  破壊の時代にときめいた者は、必ずしも新時代建設に
 も適任とはならなかった。
1871年11月12日(9月30日)日本の「野球の初め」
  我が国の初めての野球の試合が行われた。
  そして、最初の国際試合は、「一高」対「横浜在留ア
 メリカ人」。
  無敵を誇る一高チームが、アメリカ側に他流試合を申
 し込んだが「まあ、やめておきましょう」という返事で、
 相手になってくれなかった。
  明治29年に、やっとこの試合が出来た。
  因みに、野球という言葉は、明治27年、中馬庚(ちゅ
 うまんかなえ、教育家)が、「Ball in the field」を訳
 して「野球」と命名した。
  また、因みに、「ショート・ストップは、戦列で時期
 を見て待機し、動き回ってあちこちを固める”遊軍”の
 ようだ」と説き、
  「遊撃手(ゆうげきしゅ)」という名称が広まった。
  1970年に、特別表彰で、野球殿堂入りした。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
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