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(増補版)287E1/3:気になった事柄を集めた年表(1868年11月~1868年12月)

題:(増補版)287E1/3:気になった事柄を集めた年表(1868年11月~1869年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1868年11月19日(10月6日)鎮撫総督・四条隆謌(しじょう
 たかうた、華族、陸軍軍人、貴族院議員)が、仙台に入
 城した。
  戊辰戦争では、中国四国追討総督・大総督宮参謀・仙
 台追討総督・奥羽追討平潟口総督などを務めた。
1868年11月26日(10月13日) 明治天皇陛下が、江戸城に
 到着された。
  江戸城は、その日のうちに、東幸の皇居と定められ、
 東京城と改称され、事実上の遷都が完了した。
  行幸・遷都は、やはり大久保のリーダーシップにかか
 っていた。
  この後、天皇陛下は、12月22日に、京都に還幸(かん
 こう、天皇陛下が出先から帰ること)された。
  幕臣の日記:晴。主上今日御着と申事末沙汰にて、と
 不相知(明治天皇が本日江戸城入場というが知らせがな
 いのでしかとは分からない)
1868年11月28日(10月15日)万機御親裁の詔を下す (10月
 17日説あり)
  天皇陛下が、皇国一体・東西同視のもと、内外の政を
 自ら裁決することを宣言する詔(万機親裁の宣言)を発せ
 られた。
  そして、東京の市民(かつての江戸市民)は、この東
 幸を盛大に祝った。
1868年12月5日(10月22日) 榎本軍が、箱館府軍との間に
 戦闘を開始した。
  そして、1869年1月4日(11月22日)までに、蝦夷地を
 平定した。
  北海道(蝦夷地)での戦いは・・、
  榎本軍が鷲の木海岸に上陸し → 箱館に向けて各隊
 が出発し → 土方歳三も進軍し → 峠下の戦いが起
 き → 五稜郭に無血入城する・・と進んだ。
  1868年10月4日(8月19日)などの、新政府の旧徳川幕
 府への処分を不服とする榎本武揚は、
  旗艦・開陽丸をはじめとする8隻の艦隊を率いて、奥
 羽戦争の奥羽列藩同盟側Wの支援の為に、仙台へと向かっ
 た。
  途中、嵐のために咸臨丸、美架保丸を失い、開陽丸の
 他の船も損傷しながらも、仙台の東名浜に着いた。
  ・・が、やがて・・、1868年10月17日(9月2日)に、
 戦況の不利によって、仙台藩は、新政府への降伏を決定
 した。
  この結果を受け、榎本艦隊は、最終目的地である蝦夷
 地へ向かうための準備を始めた。
  その間に、北関東・東北各地で新政府と戦った大鳥圭介
 や、土方歳三が率いる伝習隊、また、
  古屋作佐衛門の衝峰隊、仙台藩の降伏を不服とする星
 恂太郎の額兵隊や、
  会津藩・松平容保公の弟で桑名藩藩主・松平定敬など
 が続々と榎本艦隊に終結した。
  1868年11月22日(10月9日)、榎本は、長崎丸・大江丸・
 鳳凰丸・回春丸を加えて蝦夷地へ出発した。
  途中、南部の宮古湾で補給した。
  1868年12月2日(10月19日)~1868年12月6日(10月23
 日)にかけ、順次、蝦夷の内浦湾(噴火湾)に面する鷲
 の木浜に集結した。
  榎本たちの目的地は、箱館だった。
  だが、当時、箱館は、貿易港だったため、諸外国の商
 船が、沢山、停泊していた。
  そこに、軍艦である開陽丸や回天丸などが入港しては、
 混乱を招く恐れがあるので、
  それを避けるため、箱館の裏側に当たる内浦湾に停泊
 した。
  そして、回天からの上陸者の約30名が、村会所を訪れ、
 村在住の箱館府の役人に、翌日からの兵の上陸を伝えた。
  また、宿泊所の手配を依頼した。
  予定通り翌・1868年12月3日(10月20日)から兵の上陸
 を開始した。
  しかし、波浪のため、上陸用のボートが転覆したり、
 船から海に落ちたりして、16名の犠牲者を出した。
  犠牲者は、海岸の近くの霊鷲院に葬られた。
  上陸した榎本らは、地元の有力者に、籾米を担保に軍
 資金(約250両)を借りた。
  そして、1868年12月4日(10月21日)に、遊撃隊の人見
 勝太郎、本田幸七郎(伝習隊)が率いる30余名が、箱館
 に向け出発した。
  これは、箱館府知事の清水谷公考(しみずたにきんな
 る)に嘆願書を渡すためであった。
  嘆願書の内容は・・、
  「蝦夷地の徳川家への借用の件はかねてから朝廷へ願
 い出ている通りである。
  ついては、それまでの間、そちら(箱館府)で我々の
 身柄を預かってもらいたい。
  万が一、それが許されない場合は、戦いも辞さないつ
 もりである」であった。
  榎本艦隊は、当時の最強艦隊であり、
  また、その兵は、戊辰戦争を戦った新撰組や彰義隊の
 精鋭であり、
  また、最新の装備を充実させた伝習隊や、額兵隊など
 総勢約3000名の兵力を持っていた。
  榎本軍は、このまま箱館府と戦っても、十分に勝てた。
  そして、蝦夷地の警備の兵力は、新政府に従ってない
 東北諸藩に委ねられ、孤立状態の蝦夷地になっていて、
 物資欠乏の恐れさえもあり、前途は困難だった。
  しかし、榎本も戦っては、完全に朝敵となってしまい、
 また、新政府との妥協の道が閉ざされてしまうところで
 もあった。
  そこで、交渉で解決を図ろうとした。
  この交渉隊とは別に、「戦」の構えとして、交渉隊が
 出発した翌日、大鳥圭介を隊長とする伝習隊、遊撃隊、
 新撰組、砲兵隊など750名を率いて、後続隊として出発
 させた。
  また、土方歳三を隊長にした額兵隊、陸軍隊400余名を
 駒ヶ岳を回りこむように、川汲峠経由で箱館に向けて出
 発させた。
  そしてまた、その後続として、古屋作久衛門率いる衝
 峰隊が出発した。
  戦いになった場合に主力となるであろう峠下方面の部
 隊には、白兵戦部隊として、実戦経験豊富な伝習隊、遊
 撃隊、新撰組を、
  そして、砲撃の専門部隊である砲兵隊を組合せた。
  また、川汲方面の迂回部隊は、当時の最新の洋式装備
 を備えている額兵隊を中心にして、
  また、榎本軍の中では屈指の指揮能力を有する土方歳
 三を隊長に据えた。
  後続は、信州などで新政府軍と戦ったことのある衝峰
 隊を当てた。
  こちらも戦争となった時、峠下方面の主力部隊と共に
 呼応して、箱館を攻撃することになっていた。
  その頃、鷲の木海岸からの伝令で、榎本軍が上陸した
 のを知った清水谷公孝が、榎本軍を迎え撃つために、
  津軽藩、備後福山藩、越前大野藩、松前藩の兵と、箱
 館府兵とを、峠下方面に向けて出発させていた。
  1868年12月5日(10月22日)の夜半、峠下村の宿に宿泊
 中の人見隊へ向けて、箱館府軍が砲撃した。
  ここに「箱館戦争」が始まった。
  当初は、不意を襲われ、混乱していた人見軍だが、す
 ぐ体制を立て直し、反撃に移った。
  さらに、後方の伝習隊と合流して総攻撃を開始した。
  箱館府軍は、わずかな時間、数時間で敗退した。
  これは、榎本軍に、蝦夷地が最終決戦の地という「背
 水の陣」の気があり、
  その士気の高さと、戊辰・奥羽の各地で戦った実戦の
 経験豊富な兵がそろっていたからだった。
  実戦経験のほとんど無い箱館府兵では、勝負は、はじ
 めから決まっていた。
  また、装備の面でも、その差は歴然だった。
  榎本軍は、元込め式の銃を使ってたの対し、箱館府軍
 は、先込め式の旧式銃だった。
  戦場での携帯食にもその差が現れた。
  当時の榎本軍は、すでに洋式の携帯食のカンパンをと
 り入れていた。
  一方の箱館兵は、普通の米の握り飯であった。
  旧暦10月(新暦11月)の北海道は、もはや冬であっ
 た。
  水分を含む握り飯は不利だった。
  この差からも、両軍の戦闘士気の差は広がった。
  峠下の戦いの後、榎本軍は、軍を立てなおし、箱館に
 向け進軍を開始した。
  これに対して箱館府軍は、大野、七重に陣を敷いた。
  七重方面の戦闘の指揮を取るのは、箱館府権判事・堀
 真五郎の長州人だった。
  榎本軍は、この両方を攻略すべく兵力を2つに分け、
  1868年12月7日(10月24日)午後に攻撃を開始した。
1868年12月7日(10月24日)大鳥圭介らの軍、函館に迫る。
  榎本軍は、この日の午後、攻撃を開始した。
  ここでも、箱館府軍は、士気と装備が劣勢で、やがて
 堀は負傷した。
  やむなく、守備陣地の戸切陣地を焼き払い、撤退した。
  しかし、劣勢の箱館府側にも勇敢な者達がいた。
  越前大野藩士・三宅友七(17)は、榎本軍の中に単身
 斬り込み、銃剣で一人を刺殺した。
  そして、その直後、榎本軍の銃弾に倒れた。
  また、備後福山藩の梅田小太郎(22)は、重傷を負い、
 その場で自害しようとしたが、手を怪我していて思うよ
 うに出来ず、
  仲間の兵に介錯を頼もうとしたが、敗退中で誰もして
 くれる者がいないので、仕方なく地面に刀を立て、刃を
 のどに当てて倒れこんで自害をした。
  また、備後福山藩の死者の中には、内藤金三郎(16)、
 松本喜多治(17)、千賀猪三郎(20)など、若い藩士の
 戦死が目立った。
  また、榎本軍も、この戦いで、新撰組の三好胖(17)
 という若者を失っている。
  彼は、徳川幕府の老中の小笠原長行の実弟であった。
  彼は、当初、戦場の後方いたが、戦いの勢いに、刃を
 振りかざして斬り込み、銃弾によって戦死してしまった。
  その戦いぶりは、後々まで語り継がれる事になった。
  この同じ日に、土方が率いる別働隊も、川汲峠で箱館
 府軍と対峙した。
  こちらも、榎本軍の奇襲によって、箱館府軍は、すぐ
 に敗退した。
  各地の敗戦を聞いた箱館府知事の清水谷は、五稜郭の
 放棄を決め、1868年12月8日(10月25日)に、プロシアの
 チャータ-船で青森へと脱出した。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2016-02-02 15:39 | 皆様とともに 幸せになりたい


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