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(増補版)230D3/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1840年~1841年)

題:(増補版)230D3/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1840年~1841年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1840年、中国・清は、鎖国していた時は、国内で総てが充
 足し、国の安定を得ていた。
  知的な発展もあった。
  文化も花開いていた。
  それはそれで、幸せを享受する時代だった。
  この様な中国に、イギリスが接近して来た。
  イギリスは、最初は、節度を持って中国茶や絹織物・
 陶磁器を交易し、エンジョイして居た。
  中国茶は、イギリスでは、上流の階級の人しか、飲む
 事が出来なかった。
  しかし、イギリスは、より多くを要望した。そして、
 要求した。
  貿易量は・・増えて行った。
  欲望におもむくイギリスの購入増大だった。
  その欲望の結果、増大した購入の支払いも、当然、増
 大した。
  イギリスには、これと言った輸出品は無かった。
  イギリスは、銀での支払するしかなく、その支払額は
 増大した。
  イギリスは狡猾だった、これを麻薬のアヘンで支払お
 うとした。
  麻薬を中国に運んだ(中東にあった麻薬を、植民地の
 インドで、安価に作らせ、中国へ運んだ)。
  中国の方々は、麻薬に中毒し、常習となり、廃人とな
 った。
  イギリスのやる麻薬密売行為は、年々、増大した。
  中国の富を収奪した。
  中国の事など、これっぽっちも思わないイギリス。
  戦争へ、当然のごとく至った、アヘン戦争に至らせた。
  イギリスが勝つと分かっている戦争・・だった。
  戦いになると、これ幸いと戦争をやり・・、戦争が起
 きない様にというアクションは、どこ吹く風だった。
  当然、イギリスが勝って、1842年に南京条約が結ばれ
 る。
  また、戦勝国・イギリスは、自分に有利な条約を取り
 決めさせた。
  敗戦国に不利な条約を、承知で押し付けた。
  どこが紳士の国だというのだ。
  イギリスは治外法権も認めさせた。
  中国の従属状態が始まる。
  今、日本も、敗戦国の延長として、相変わらずアメリ
 カに不公正な事を認めさせられている、独立国としての
 資質を損なわされている。
  強い立場を利用して、弱い国から利を得ようという考
 え自体が間違いだ。
  キリスト教の聖書の記述、「隣国の富を奪いに行って」
 「そこに神の義がある」は間違っている。
  強いからこそ、弱者を救済せねばならない。
  この時も、力で中国の鎖国をこじ開け、利を奪うイギ
 リスだった。
1840年、イギリスは、武力を背景に、アヘンを売り続けた。
  年々、アヘンが多く流入してくる中国、売るのはイギ
 リス。
  その中毒性の為に、「なけなしの金を払ってでも買う」
 という、地獄に落とされた中国だった。
  中国の銀は流出した、イギリスに吸い取られた。
  中国は、経済的破綻状態となった。
  国の破綻も酷かったが、大切な国民も破壊されていた。
  中国の軍隊までもが、アヘンの中毒患者が急増した。
  国の存続が危うくなった。
  中国は、何度も禁止令を出したが、効き目がなかった。
  買う中国側が悪いのか? 売るイギリス側が悪いのか?
  年々、日に日に、破壊されていく姿がそこにあった。
  何度も出すが禁止令は効果はない。
  売る側へ手を付けなければ解決しないと、売る側へ手
 を付けた。
  イギリスの公(おおやけ)の組織も、議会も、武力行
 使を容認した。
  儲かりたい・・だった。
  困る中国を知っていても、銀のイギリスへの流入の欲
 に敗けるイギリスだった。
  「武力では勝つ」というイギリスは、勝つことが当た
 り前の戦争を・・議会のお墨付きをもらって・・始めた。
  行為は・・卑劣の一語・・である。
  当然、この史実は、人類の歴史から『永久に』消え去
 らない。
1841年(天保12)閏1月、『御触書天保集成(おふれがき
 てんぽうしゅうせい)』。
  これは、幕府が出した御触書をまとめた法令集のこと
 で、評定所(ひょうじょうしょ)で編集したもの、
  この年に、天明8年(1788年)から天保8年(1837年)
 までの50年間6607通が追加された。
1841年閏1月、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が
 没した(1773年~1841年)(68歳)
  松平定信を老中首座に任命して、寛政の改革を行なっ
 た。
  定信は、白河藩主の体験を生かし、また、深い学殖(
 がくしょく、深い学識)によって改革を推進した。
  倹約や、備荒貯蓄を奨励し、農業の復興、人足寄場の
 設置、異学の禁などを行なった。
  しかし、運悪く天明の飢饉の打撃によって農村の疲弊
 は進み、景気は沈滞し、町人らの不満を買った。
  家斉は、隠居後、大御所として政治の実権は握った。
  この時代には、華麗な文化・文政時代の町人文化が花
 開いた。
  江戸文化は爛熟して行った。
1841年閏1月、天保の改革が始まる(5月説あり)
  勝海舟は、氷川清話で、「水野越前守幕政を革新す」
 と書いた。(氷川清話)
  老中・水野忠邦を中心に「天保の改革」が始まる
 (1841年~1843年)
  この改革は、「享保・寛政の制にならうべきことを令
 す」とあるが・・、
  この改革でめぼしい所は、諸藩においても、藩債整理
 などによる財政改革や専売制などが行われた。
1841年閏1月、高島秋帆、西洋兵式を演ず。(氷川清話)
  別資料によると・・
  高島秋帆(44)が、異国筒の大砲4門、小銃50挺を携
 え、
  長男・浅五郎と門人ら25人を引き連れ、長崎を出発・・
 閣老の水野越前守は、秋帆の「西洋砲術意見書」につ
 いて、目付の鳥居耀蔵に諮問・・、
 鳥居は、はじめ秋帆の意見をけなし、火器を取り寄せ
 てみる方がよろしいと答申する、
  かくして、武州徳丸原洋式調練に向かう、晴れの出立
 になる、
  2月7日、江戸表に到着。
  御用の御筒類は、御在府御奉行所に納められる、
  5月9日、高島秋帆が、浅五郎以下の門人たちと、武州
 の徳丸が原にて、洋式銃隊の演練を行なう、
  大砲発射、騎兵の馬上銃射撃、銃隊及び野戦砲の発射。
  次に、部隊教練を実施、
 幕府は、訓練を賞して白銀200枚を下賜し、秋帆持参の
 銃は500両で買い上げる、
  幕命で、下曽根金三郎と、江川太郎左衛門(伊豆韮山
 の代官)の2人に、高島流の奥義を伝授、
  7月12日、江戸を出立、
  8月22日、長崎に帰着
  翌年、3月、高島秋帆が、江戸において諸組与力格とな
 り、長崎会所調役頭取に命ぜられる、
  その3月、徳川斉昭が大砲を鋳造させる、
  因みに、徳丸ヶ原(とくまるがはら)は、現在の東京
 都板橋区高島平及び三園、新河岸の幕府天領という。
  この地に、1956年に、日本住宅公団が、大規模団地・
 徳丸ヶ原ニュ-タウンを造り、
  後に、名を高島平団地を改称したが、
  また、この一帯を高島平とも改称しているが、この高
 島は、高島秋帆にちなんで改称された。
1841年6月、上野俊之丞(うえのしゅんのじょう、写真家)
 が、蘭船から入手した写真機で薩摩藩主の島津斉彬を撮
 影した。
  日本人が日本人を写した最初(1848年説あり)
  オランダ人から銀板写真のカメラを手に入れて、撮影
 法を研究し、そして、島津藩主の撮影に臨み、成功した。
1841年6月4日、中浜万次郎が漂流後、6ヶ月後のこの日、
 通りかかったアメリカ捕鯨船のジョン・ハウランド号に
 救助されハワイに連れて行ってもらった。
1841年7月、高島の火術を江川太郎左衛門、大曽根金三郎に
 伝授すべきを命ず。(氷川清話)
1841年、秋:豊作であったが米は安くならず。
  1升銭108文~112文
1841年10月、幕府直轄の昌平坂学問所(しゅへいざかがく
 もんじょ、昌平黌・しょうへいこう)が、庶民の聴講を
 許可した。
  「寛政異学の禁」の後、学舎が増設されて、御家人や
 旗本だけではなく、藩士・郷士・浪人らも聴講できるよ
 うになっていたが、庶民も聴講できるようになった。
  武士や庶民などの聴講者は、座り切れないほどであっ
 たという。
  また、各藩でも、昌平黌をモデルにして、庶民の聴講
 も許可されていた。
  藩から運営資金が出ていたため、学費の徴収もなかっ
 たという。
  医学院でも入学を希望すれば城下士(城下に住む城下
 士と、地方に住む郷士)のほかに、町人も許された。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2015-10-21 04:37 | 皆様とともに 幸せになりたい


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