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(増補版)222D2/3:気になった事柄を集めた年表(1830年~1832年)

題:(増補版)222D2/3:気になった事柄を集めた年表(1830年~1832年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1830年(天保元年)、7月革命(しちがつかくめい)
  フランスで、7月革命(市民革命)が起きた。
  1830年7月に、フランス王シャルル10世(在位1824年~
 1830年、ルイ18世の死によって王位継承した)の反動政
 治に対抗して、ブルジョアジー(市民階級)の指導によ
 って革命が行なわれた。
  シャルル10世はイギリスに亡命した。
  復古王制の国家基本法は、フランス王ルイ18世(在位
 1814年~1824年)の発布した憲法であるが、
  これは王権の神聖不可侵性・世襲制を定める一方、
  法の前の平等や、所有権の不可侵や、基本的人権をう
 たうものであったが、
  極端な制限選挙制度や、貴族院の優位を規定していた。
  また、1830年代の産業革命期に入ったフランスでは、
 新しい社会層が成長し、
  上層市民の寡頭支配(かとうしはい、少数者が権力を
 握って行う独裁的な政治形態)や、大土地所有者(土地
 貴族)に、政治は独占されていた。
  そして、極端な制限選挙に対して、批判は集中してい
 た。
  参政権の要求運動に対する政府の弾圧が、暴動を呼び、
 2日間の市街戦の結果、王政は倒れた。
  第2共和制が、1848年に、成立した。
  革命は、ドイツに波及し、
  ウィーン・ベルリンの3月暴動で、メッテルニヒは逃亡
 した(ドイツ3月革命・1848年)
  イタリア・ポーランド・ハンガリーにも、独立運動が
 発生した。
1830年、アルジェリア侵略
  フランスによるアルジェリア侵略は、1830年~1847年
 にかけて、復古王政下のフランスが、オスマン帝国領の
 アルジェリアを侵略した事件で、
  この年の1830年6月に、フランス軍が、アルジェリアに
 上陸を成功させた。
  この事件は、シャルル10世が、揺らぎ始めていた王政
 の威信を、外征の断行によって回復し、国民の不満を解
 決しようとした事によって起きた侵略行為だった。
  7月革命によって、シャルル10世が退位した後の政権に
 も、この行為は引き継がれ、
  フランスから移民がアルジェリアへ送り込まれた。
  (領土を奪おうとする行為はこれである。その土地に
 侵略し、武力などによって先住民を殺戮し、もしくは、
 移住などで先住民を排除し、先住民の居なくなった土地
 に、自国民をどんどん移住させる・・である。アメリカ・
 ヨーロッパ・オーストラリア・南米・アジアなどなどで、
 この行為は行われた)
  1834年に、アルジェリアは、フランスに併合された。
  フランスは、軍隊を増派し、占領統治の既成事実を作
 り上げて行った。
  一方、1832年からは、アブド・アルカーディル(アル
 ジェリア民族運動の父と言われる、フランスの植民地化
 に抵抗した)の武装抵抗が始まった。
1831(天保2)7~11月 長州天保大一揆(ちょうしゅうて
 んぽうだいいっき)が起こる。
  防州(周防、今の山口県東部)と長州(長門国、今の
 山口県北西部)の両国にわたり、藩府の専売制強化に反
 対して起こった農民の方々の大一揆。
  参加者は15万人~20万人と言われている。
  藩が、農民の商品作物を、藩の統制下に置こうという
 施策をとっていたが、藩は、1829年に、特権的な豪農商
 を御用達商人とし、
  1830年に至って、菜種と綿以外の一切の商品の他国か
 らの仕入れを禁止した。
  そして、農民の商品経済を、より厳重な藩の統制の下
 に置いた。
  1831年7月末になって、この産物政策にからんで、この
 特権商人と農民のいざこざが、紛争に発展したのが発端。
  7月の瀬戸内海沿岸地域から、9月には瀬戸内海沿岸の
 他の地域、中部の山間部、そして日本海沿岸地帯へと広
 く波及して行った。
  非常に大きな地域へ波及した一揆だった。
  藩内だけでも、741軒の各村の御内用方(庄屋・しょう
 や)宅の打ち毀しがあった。
  この年の末から首謀者の検挙となり、死罪10名、遠島
 24名となった。
1831年8月、武士の日傘の使用を禁止した。
  三都(江戸・京・大坂)で、武士が日傘をさすことが
 流行した。
  女性と医師以外に対して、何度も禁止令が出たが止ま
 ず、問いただすと暑いからと答えた・・、
  〔甲子夜話 八〕には以下の記述がある・・、
   大洲侯ニ邂逅セシトキ、國々ノ寒暑ノ談ニ及ビ、我
 平戸ノ氣候ヲカタリ、
  扨(※さて)豫州モ海近ケレバ、夏モ涼シカルベシト言
 シニ、
  侯ノ臣堀尾四郎次、其座ニアリテ曰ク、曾テシカラズ、
 暑至テ甚シ、
  盛暑ニ至リテハ、途行スルニ、炎氣黄白色ヲナシ、空
 中ニ散流シ、
  人目ヲ遮リ、前行十歩ナル人ハ殆ド見ヘ分タズ、其蒸
 熱堪ガタシ、
  如斯(※かくのごとき)ナレバ、途行スルモノ青傘─涼
 傘也、青傘ハ、豫州ノ方言、─ヲ用ザレバ凌ガタシ、
  然ルニ近頃青傘ヲサスコト停止セラレシカバ、暑行尤
 難儀ナリト語リヌ、
1831年8月、十辺舎一九(じっぺんしゃいっく)が没した
 (1765年~1831年)
  辞世:「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の
      煙とともに 灰左様なら」
1831年(天保2年)、良寛(りょうかん、仏教の僧侶、歌人)
 が没した(1757年~1831年)
  越後の出雲崎の生まれ、大愚良寛と称した。
  書風は、天衣無縫で、高い評価を得ている。
  隠棲して、独自の枯淡な境地を、和歌・書・漢詩に表
 現した。
1831年、異国船攘夷に来る、松前藩兵を備う。(氷川清話)
1831年、勝海舟、奥向きを去って家に帰り読書通学を続く、
 或日、途上野犬にかまれ重傷を受く、生命危しと医師は
 診断したが、○所を縫い治療、70日で全治。(氷川清話)
1831年、安治川を○い天保山を築く。(氷川清話)
  これは、大阪町奉行の新見正路が、安治川河口を浚渫
 した土砂で、天保山を築いたことを言っている。
  大阪湾に流れ込む安治川が、土砂流入で浅くなり、洪
 水が起きやすくなっていたためと、
  流れ方を洪水の起きにくい状態にした。
  また、船舶の出入りに問題が生じていた(出入りしや
 すくした)。
1831年、九州の島原で、農村に対する耕作地の実態把握や
 寸志銀制度などが強化され、その為、疲弊困窮していた
 下層農民が、この年に、多比良一揆を起こした。
  この地域は、翌年の1832年にも、島原の有家という所
 で、小作人の暴動が起きている。
  また、さらに、島原の千々石では、1847年に、小作人
 が暴動を起こしている。
  この時は、藩が、備蓄米を放出して対策を講じている。
  そして、また、村方でも、救助策が考えられたりして
 いる。
  この様に、この地域は厳しい地域で、一揆が良く起き
 ている。
  この地域の乱で有名な、1637年の島原の乱も、これと
 同様な百姓一揆であった。
  それを、キリスト教に偏するNHKは、キリスト教の
 乱だと放送した。
  この様なキリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)に乗っ
 かった放送で、島原の乱はキリスト教の乱となった。
  キリスト教に偏するNHKは、更に、キリスト教徒が
 多く殉教したとでっち上げて放送した。
  キリスト教は、殉教する事を宗教的に美しいのだと教
 えているが・・、
  しかし、NHKが放送ででっち上げるこの乱の戦死者
 数は、幕府側も非常多くの戦死者数となっていて、ひた
 すら殉教だという根拠はまったくない。
  また、キリスト教徒は、この乱のほんの一部で、ほと
 んどが百姓と浪人で構成されている。
  キリスト教の反乱とは、とても言えるものではない。
 まったくのプロパガンダである。
  天草四郎にしたって実在はしていない。
  この乱が起きる以前、この地のキリスト教宣教師が言
 いふらした架空の人物であることが判明している。
  NHKは、キリスト教に偏する事から、この様に事実
 を曲げて放送をした。
  この様な放送事例は、非常に多く、NHKは、いかが
 わしい放送局となっている。
1831年、発明:マイケル・ファラディが、電磁コイルを発
 明した。
1832年(天保3年)、米の取れ高、3040万石。
1832年8月、鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)が、捕
 縛され、
  江戸市中引き回しの上、鈴ケ森刑場で打首獄門となっ
 た(1797年?~1832年)、35歳
  大名屋敷を中心に狙う盗賊で、人は、絶対に傷つけな
 いとして評判になり、
  いつしか義賊として人気になった。
  平戸藩主の松浦氏などの大名にまで人気があった。
  上野小幡藩(藩庁は群馬県)の松平家に入ったのが最
 後となり、ここで捕縛された。
  刑場での装束は、非常に派手だったという。
1832年9月、頼山陽(らいさんよう、儒者、勤王家)が、没
 した(1780年~1832年)
1832年10月、二朱金(にしゅきん)が鋳られた。
  一分金の2分の1で、一両の8分の1.
  初鋳は、1697年、また、1860年にも鋳造された。
  品位が劣悪なため広くは流通しなかった。
  二朱判金ともいう。
1832年11月、琉球の江戸上り。
  将軍・徳川家斉のとき、琉球の尚楷・豊見城王子朝春
 とある。
  また、往路に、鹿児島にて死去されたため、急遽、普
 天間親雲上朝典が、「替え玉」となって、豊見城王子役
 を務めたとある。
  また、この琉球の江戸上りについて書いた(朝日新聞、
 平成12年2月20日)には・・、
  江戸上りを見るための沿道の賑わいは大変なものだっ
 た。
  桟敷ができて、物売りも出た。
  人々が待ち構える中、行列がやって来た。
  ドラ、太鼓、ラッパなどを演奏しながら歩いた。
  管楽器、打楽器は耳に珍しかった。
  中国風の衣装を身に着け、異国情緒たっぷりに進んだ。
  ざっと、100人の長い行列だった。
  琉球から薩摩、瀬戸内を経て、東海道をたどって、江
 戸までというコースだった。
  名古屋では、寒天と浅草海苔で琉球使者をかたどった
 人形も売られた。
  上野では、行列の見物人が押し合いへしあいし、「堤
 防が壊れて水があふれ出たようだ」と書き残した人もい
 た。
  天保3年は、琉球ブームに沸いた。
  なぜか風邪がはやったが、人々は「琉球風邪」と呼ん
 だ。
  この時、何故、ブームになったかは、この頃、庶民は
 名所めぐりの旅、温泉への湯治遊び、納涼、花見など「
 行動文化」と呼ばれる時代に入っていたから。
  異国が珍しかったし、異国船が出没していた。
  実は、行列が、中国風の衣装を着ていたのは、薩摩藩
 の指示だった。
  言葉も琉球の言葉を使うように言われていた。
  「異国」を演出する事で、薩摩藩にとっても、幕府に
 とっても、「異国を支配する強い存在」を強調出来た。
1832年11月、北斎が「琉球八景」を描いた。
  これは、72歳の頃の作で、
  これを、フランスの印象派の画家のモネが愛蔵して、
 自宅に飾っていた。
  浮世絵は、封建社会で経済力をつけた町人たちが、主
 な購買層だった。
  そして、庶民の好みを映して大きくなり、版元は時代
 の動向を見ながら、売れるものを題材に選ぶという傾向
 があった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
by suba28 | 2015-10-11 02:58 | 皆様とともに 幸せになりたい


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