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(増補版)204D2/3:気になった事柄を集めた年表(1812年~1814年)

題:(増補版)204D2/3:気になった事柄を集めた年表(1812年~1814年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1813年(文化10年)、この年、「蕎麦を食べたら死ぬ」とい
 う風聞が巷に流れ、市中の蕎麦屋は困惑した。
1813年、3月5日、4代目・鶴屋南北(つるやなんぼ
 く、歌舞伎作者)作の「お染久松色読販(おそめひさまつ
 うきなのよみうり)」が、江戸の森田座で初演された。
  5世・岩井半四郎と、5世・松本幸四郎らの初演。
  喜劇味も織り混ぜてある。
1813年3月28日、幕府が,菱垣廻船の積問屋から構成される
 十組問屋65組の1271軒に対して、株数を1,995株と定めて、
 以後の新規加入を禁止し、株札を交付した。
  この措置により、株の譲渡を受ける以外には参入の途
 が閉ざされた。
  経済統制の意味があった。
  また、財源であった。
  幕府財政や藩財政の維持において、旧来型の米本位制
 を基本とする武家の収入構造は、貨幣経済や市場経済シ
 ステムの発展の中で、すでに崩壊の様相を呈していた。
  現実の経済状況との乖離は大きかった。
  それ故、当然の様に、改革が必要とされた。
  商業資本対策面の施策がなされていく。
1813年4月、幕府が、伊勢町に米会所(こめかいしょ)を
 設置し、120人に株札を免許する。
  米会所は、大都市や諸藩の城下町などに設けられた米
 穀集散地の米商組合の集合所で、
  米市(市場)の運営を任されていた。
  また、米相場や手形引換所を兼ねていた。
1813年5月20日、戯作者・狂歌帥の朋誠堂喜三二(ほうせい
 どうきさんじ=手柄岡持・てがらおかもち)が没した(
 79歳)
  1788年に、幕政に取材した「文武二道万石通(まんご
 くとおし)」で筆禍を起こした。この後は、狂歌に専念
 した。
1813年6月、関東諸国の幕府直轄林の木材価格が定められた。
1813年7月5日、尊王家で寛政の三奇人の一人の蒲生君平(
 がもうくんぺい)が没した(46歳)
1813年7月、米価下落のため、幕府が、諸大名に大坂廻米量
 の半分を、領地て囲籾(かこいもみ=非常用の 貯蔵粧)
 とするように命じた。
  豊作ゆえの米価下落による幕府の必死の収入減対策。
1813年7月、幕府が、米価引上げのため、鴻池善右衛門ら
 有力町人41人に御用金を命じた。
  その他、江戸・大坂の町人にも御用金を申し付けた。
  その金で、必死に米を買い上げて、市場流通米を減じ
 て、米価を上げようとした。
  また、町人の収入が多いため、農民との格差を減らす
 意味で、御用金調達をした。
  そして、この年以降は、海防費用などの御用金調達も
 する。
1813年9月、銭相場が下落したため、銭の江戸回送を厳しく
 禁じた。
  これは、銭座で鉄一文銭の大量鋳造による、銭相場の
 下落に対処するためだった。
1813年秋、佐山半七丸(さやまはんしちまる)によって著
 された美容指南の書である「都風俗化粧伝(みやこふう
 ぞくけわいでん)」が出版された。
  当時の都会で流行する化粧やファッションについて書
 かれている。
  また、身のこなしについての指導書にもなっている。
  色を白く見せる方法、色が白いのが美人の第一条件だ
 った。
  そして、化粧品の基本に白粉化粧(おしろいげしょう)
 があった。
  その他に、目を細くするための方法、
  鼻の低きを高う見する伝(鼻筋を通して見せる方法)、
  眉は濃いめにして、紅は薄めにする、
  目の大いなるを小さく見する図(ぱっちり大きな目よ
 り、控えめな目元が美しい)、
1813年冬、海保青陵(かいほせいりょう、経済学者、儒学
 者)が「稽古談(けいこだん)」を著した。
  地理、天然資源、産物などの豊富な知識を、儒教的論
 理で展開する独自の経済思想を持っていた(1755年~
 1817年)
  稽古談は、青陵の経済思想の集大成的な著述である。
  全5巻、
  「物を売て、物を買は、世界の理なり」(売買天理論)
  また、藩専売制ほかの経済政策を記している。
  富国こそが現実の急務の課題。
  営利追求は正当で、積極的に求める意義を説いている。
  商業蔑視の風潮に対して、大胆な批判を加えている。
  武士階級の賤商(せんしょう)意識を脱却して、功利
 的主体としての自覚を喚起すべきと説いている。
1813年、解放戦争(~1814年)
  ヨーロッパ各国が、ナポレオン1世の軍事的支配に対
 抗して行なった。
  ナポレオンの制覇体制の崩壊の戦争。
  ナポレオンが、ロシア遠征に失敗すると、
  ロシア皇帝のアレクサンドル1世は、諸国民の解放を唱
 えて、1813年1月に、ロシアのナポレオン追撃軍がニー
 メン川を越えた。
  また一方、プロシア改革によって、プロシアでは反ナ
 ポレオン的国民意識が高揚していて、西欧諸国民が一斉
 蜂起して、解放戦争への契機となった。
  1813年10月16日~19日に戦われた決戦のラオプチヒの
 戦い(この戦いだけを解放戦争という事もある)は最大
 の会戦で、ナポレオン軍は敗れ、ナポレオンの失脚が決
 定的となった。
  ドイツの分裂状態を決定的にした三十年戦争(1618年
 ~1648年)から、ナポレオン支配からの解放戦争(1813
 年~1814年)に至るまで、ユダヤ人の財力や仲介なくし
 て行われた戦争はほとんどなかった。
1814年(文化11年)2月3日、天文方の高橋景保(かげやす)
 が、書物奉行(じょもつぶぎょう)兼任となった。
  若年寄に属し、紅葉山文庫の図書の保管・出納や写本
 の作成などを担当した。
  初めは林家ほかが扱っていたが、奉行の設置によって、
 逐次、諸業務を管掌していった。
1814年5月、幕府が、咄(はなし)の会を禁止する。
  烏亭焉馬(うていえんば、戯作者)は、1786年より咄
 の会を主宰し、落咄(おとしばなし)を公募し,秀作の
 「無事志有意(ぶじしゆうい)」などを、1798年に上梓
 (じょうし、書物を出版すること)するとともに、初代・
 三笑亭可楽,初代・三遊亭円生を登場させて来た。
  この功績によって「江戸落語中興の祖」とよばれてい
 る。
  大阪では、1772年から1789年にかけて、素人(しろう
 と)による咄の会が開かれ、咄本の出版、落語の演劇化
 の大阪俄(にわか)、そして、雑排の流行と、さらに知
 識人の余戯としても流行した。
  幕府は、この年・1814年に、咄の会を禁止した。
  しかし、1816年には、咄の会が、落語・昔物語におい
 て、忠孝を説くことという条件付きで許された。
1814年6月、医薬品原材料の流通統制を強化した
  幕府が、唐薬・和薬ともに、本町3丁目薬種問屋・大伝
 馬町組薬種屋以外、直取引を禁止した。
1814年9月、伊能忠敬の「沿海実測全図」が完成した。
  「伊能図(いのうず)」と呼ばれる「大日本沿海輿地
 全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」は、1821年に
 完成している。
1814年11月、曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝(なん
 そうさとみはっけんでん)」第1集が刊行された。
  小売値が、銀20匁以上であった。
  とても大衆の手の出せる値段ではなかった。
  出版部数も500部前後で、その大部分は、貸本屋が買
 ったという。1841年に完結した。
1814年11月、富本斎宮太夫(とみもといつきだゆう、初代・
 清元延寿太夫)が、市村座に出演して、清元節き(きよ
 もとぶし)を興した。
  清元節は三味線音楽の一流派で、一般には単に「清元」
 と呼び、富本節から派生した浄瑠璃のこと。
  この清元節の創始者の清元延寿太夫(きよもとえんじ
 ゅだゆう)1世は、富本との不和から独立した。そして、
 創流した。
1814年12月、鉛の価格下落のため、諸国の荒鉛の大坂銅座
 の買上げを止めて、売買を自由にした。
1814年、葛飾北斎(かつしかほくさい、浮世絵師、1760年
 ~1849年)の「北斎漫画」初編が刊行された。
  北斎漫画は、全15編、図数は4000図とされ、北斎54歳
 のとき、
  初めは、絵手本(画学生の為の絵の教本)として描か
 れたものだった。
  しかし、これが評判を呼び、職人の意匠の手引書にも
 なったり、広く普及して行った。
  ただ単に、道具類やふざけた顔が描かれているのでは
 なく、遠近法など多岐にわたる内容まで含まれている。
  北斎は、江戸・本所・割下水(わりげすい)に生まれ
 た。
  江戸っ子・川村某の子だという。
  フランスなどヨーロッパの大画家に影響を与えた日本
 の江戸の大画家・絵師の幼少時は、あまり明らかではな
 い。
  幼名は、時太郎と言い、また、後に、鉄蔵と言った。
  4歳か、5歳の頃、一時、幕府御用の鏡師である中島伊
 勢(いせ)の養子となったが、詳しい事情は不明となっ
 ている。
  そして、14歳か、15歳の頃に、
  木版版下彫りを学んだ(小学校の頃にやった版画の様
 なもの)、
  また、貸本屋の徒弟(親方の家に住み込んで見習う少
 年)となったらしい。
  小さい時から、6歳頃から、絵は好きだったと後年に
 述懐している。
  18歳の頃の1778年に、当時、役者絵の大家として知ら
 れていた勝川春章(かつかわしゅんしょう、浮世絵師)
 の門に入った。
  才能のあった北斎は、早くも、その翌年・1779年に、
 画界にデビューとなった。
  勝川春朗と号し、役者絵の数点を同時に発表した。
  この後、15年間くらいを、師の門の絵師として錦絵(
 にしきえ)や、黄表紙、洒落本(洒落本)などの挿絵を
 描いた。
  1794年の34歳の時に、勝川派を離れた。
  何故かは不明だが、勝川派を破門とされた。
  これには、最古参の兄弟子との不仲説がある。
  才能を妬まれたか?
  また別に、他派に出入りして画法を学ぶことが原因だ
 ったという説がある・・? 
  北斎は、狩野融川に出入りしていたという。
  北斎は、画法をさらに極めたかったのか?
  この融川以外にも、堤等琳にもついたりしていた、
  そして、中国絵画も習得したりと・・貪欲に画法を極
 めようとしていた。
  そして、琳派(りんぱ)の俵屋宗理(たわらやそうり)
 を襲名して狂歌絵本や摺物(すりもの)などを数多く描
 き、活躍した。
  また、この頃は、時太郎可候(かこう)の名前で、数
 種の黄表紙も発表している。
  1898年の38歳の時には、宗理の号を家元に戻して、
  『北斎』を号した。
  そして、独立独歩の道へと歩み始め、大画家への作画
 活動を開始した。
  「富嶽三十六景 凱風快晴」通称:赤富士など多数。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009
by suba28 | 2015-09-14 02:49 | 皆様とともに 幸せになりたい


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