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(増補版)144D1/3:気になった事柄を集めた年表(1707年~1710年)

題:(増補版)144D1/3:気になった事柄を集めた年表(1707年~1710年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1707年7月、経済:大坂で銭相場が騰貴した。
1707年9月14日、西日本を暴風雨が襲い、米も例年の6分~
 7分の不作だった。
  この年、米価は、前年の2倍程度に騰貴した。
1707年10月、令:田地の質入を禁止した。
1707年10月28日、天災:宝永の大地震、
  東海から西日本に大地震が起きた。
1707年11月6日、令:幕府が、藩札の通用を禁止した。
1707年11月20日、幕府は、諸国大地震に付き諸色(しょし
 き、物価のこと)の高騰を防止するため、この日に、買
 い溜め(買い占めのこと)禁止の触書を出した。
1707年11月23日、天災:富士山が大噴火
  宝永山ができた。
  江戸では数センチ~10数センチの火山灰が積もった。
1707年、農業:新田開発
  大和川の旧河道に、鴻池新田・菱屋新田などができた。
1707年、農業:元禄期の北陸の農政・農業技術をまとめて、
 土屋又三郎が、農学書「耕稼春秋(こうかしゅんじゅう)」
 を著した。
  土屋又三郎は、加賀国の大庄屋役の家に生まれた農政
 家で、
  事件に巻き込まれて平百姓に格下げになったが、
  この様な逆境の中で、農書や地誌などの著述に励んだ。
  「耕稼春秋」は、北陸の農業事情を細大もらさず網羅
 し、論じた、必見の書として珍重された。
  室鳩巣も激賞する江戸時代を代表する農書と言われて
 いる。
1707年、大ブリテン連合王国(イングランド・スコットラ
 ンド合同)成立した。
  ただし、1999年に、スコットランドの自治拡大政策に
 よってスコットランド議会は復活した。
  そして、2014年には、スコットランドの独立について
 の住民投票が行われた。
  色々な差別的状況があり、その中で、北海油田の利権
 については、
  油田が、スコットランドに存在していながら、
  その油田の利権は、完全にイギリス政府に握られてい
 る。
  そして、人口が、国内の13%にとどまるロンドンに、
 開発が集中し、その格差が大きいことにも一因がある。
  そしてまた、雇用の享受も、ロンドンに大きく存在し
 ている状態になっている。
1708年閏1月、宝永通宝(ほうえいつうほう)が鋳造された。
  銅銭不足の解消が目的だった。
  そして、貨幣流通を円滑化させたいとした銅貨だった。
  しかし、大銭と俗称される大型の銭のため、評判が悪
 かった。
  翌年の1709年には、通用が停止されてしまった。
  1枚が、並銭の10文相当とされ、十文銭とも言われた。
  この頃の宝永期は、貨幣の発行や流通において、混乱
 がはなはだしく、銅貨が少ない状態だった。
  そのため、両替商が、その様な状況において、不当な
 利益を得る状態となっていた。
  幕府は、その様な状況ゆえに、鋳造を命じたのだった。
  しかし、10文銭は不慣れもあって、評判が良くなく、
 翌年には通用停止になったのだった。
1708年2月28日、富士山の噴火による灰金(火山灰の除去費
 用)として、この年に、「諸国高役金令」を公布した。
  大名や旗本らに、金を差し出させることとした。
  その結果、幕府に、40万両が集まった。
1708年2月28日、政策:福祉税、
  富士山が噴火して、降灰のあった地域の救済のため、
 また、被災地復興のため、諸国に国役金(高役金)を課
 した。
1708年8月、キリスト教宣教師が屋久島に来る。
  キリスト教イエズス会の聖職者(ジョバンニ・バチス
 タ・シドッチ)が屋久島に来た。
  島の百姓に発見され、長崎へ送られた。
  そして、翌年の1709年に、江戸に送られ、新井白石か
 ら外国事情を聴取された。
  この事を、白石は、1715年に「西洋紀聞」という本に
 著した。
  地理・歴史・風俗・宗教などを記した本である。
  新井家にあったその本は、1793年に、幕府に献上され、
 知識人の間で知られるようになった、
  そして、一般的には、江戸市中へは、1807年に流布さ
 れた。。
  シドッチは、キリスト教徒が、南米などで卑劣な殺戮
 をしたことを隠し、「住民が進んでいる西洋人の支配を
 求めた」と嘘の説明をした。
  真実を、白石に知らせなかった。
  しかし、白石は明晰に、ことの流れから、当然、植民
 地の収奪が行われていると見抜いていた。
  また、シドッチは、原住民の方たちを「禽獣に等しい」
 と表現したり、
  「何も知らない原住民」と蔑んだり、
  「食人種だ」とかと、蔑視表現をした。
  キリスト教の考え方・教義に洗脳されたシドッチであ
 り、
  そのキリスト教の有色人種蔑視の、先住民の方たちへ
 の見方であるのだろうが、
  その様な卑劣なキリスト教の有色人種蔑視の態度で、
 白石と対話をしていた。
  白石は、「キリスト教の神が全人類を善人に出来る事
 が出来ない(人間側のアクションにおいてしかそうなら
 ない)」ことなどのシドッチの発言を批判している。
  また「キリスト教を知らない者までも罪人とする」と
 批判を呈している。
  当然、西洋の魔女に対する卑劣な拷問の様な事を、日
 本は、シドッチに対して行なっていない。
  シドッチには江戸に邸が与えられた。
1708年12月5日、関孝和(数学者)が没した(1642年~
 1708年)
1708年、令:物価抑制、
  幕府が、江戸市中に物価抑制を布告した。
1708年、出版:貝原益軒(かいばらえきけん、本草学者、
 儒学者)が、「大和木草(やまとほんぞう)」を著した
 (1709年刊)
  名の通り本草書である。
  明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入される
 までは、日本史上最高峰の生物学書であり、農学書だっ
 た。
  薬用植物(動物、鉱物も含む)以外にも、農産物や無
 用の雑草にまでも記載されている。
  この書によって、日本の本草学(薬用植物を扱う学問)
 は博物学となった。
  この書の素晴らしい所は、当時、漢名のないものは無
 視されていたが、
  この書は、丁寧に日本独自のものにも日を当てている。
  ここに、益軒の自ら観察し、検証することを基本とし
 た貴重な学問的記述がなされていた。
1708年、司法:芝居の支配権、
  京都の傀儡子(くぐつし、旅芸人の集団)が、弾左衛
 門(だんざえもん)が興行を妨害したと、江戸町奉行に
 訴えた。
  芝居の支配権につき、弾左衛門(だんざえもん)と芝
 居者があらそい、弾左衛門が敗訴の記録が作成される。
1709年2月19日、5代将軍・綱吉が没した。
  家宣(いえのぶ)が、6代将軍となった(1662年~
 1712年)(将軍期間:1709年~1712年)
  「生類憐みの令」を撤廃した。
  また、中野犬小屋が廃止され、イノシシなどの鉄砲で
 の撃ち取りも解禁になった。
1709年6月、人事:間部詮房(まなべあきふさ)
  徳川家宣が、間部詮房を老中格側用人として登用し、
 新井白石を幕政に参画させた。
  間部は白石を励まし、能力を引き出した人だという。
 また、白石も間部について「君子の様な、生質きわめて
 美なるところあり」と評している。
1709年11月、初代・坂田藤十郎が没した。
  上方歌舞伎の基礎を築き、作者に近松門左衛門を得て
 多くの名作を残した。
1709年、東大寺大仏殿が出来上がった(現存、国宝)
1709年、新井白石が、シドッチを尋問し、後に「西洋紀聞」
  などを著した。
1709年、清朝の離宮の円明園(えんめいえん)の造営が始
 まる(イギリスの蛮行・破壊を受けた人類の遺産)。
  雍正帝(ようせいてい)が、康熙帝(こうきてい)より譲
 り受けたものを、乾隆帝(けんりゅうてい)が、この年に、
 増改修した。
  面積は3.5平方キロメートルで、江南の風光を再現した
 大小無数の池が園内の大部分を占め、清朝宮廷の豪奢の
 限りを尽くしたものであったが、卑劣な事に、1860年の
 アロー戦争の際に、イギリス軍が徹底的に破壊し、廃墟
 となった。
1709年、スエーデン王のカール12世が、ポルタワの戦いで
 ロシアに敗れ、トルコに亡命した(大北方戦争)。
  翌年、トルコが、ロシアと開戦。
1710年4月、白石が草案した武家諸法度を下す(宝永法度)。
  儒教の仁政思想に基づく法度。
1710年4月、宝永小判(ほうえいこばん)が通用開始された。
  1両としての額面を持つ小判だった。
  乾字小判(けんじこばん)とも呼ばれる。
  また、宝永小判および宝永一分判を総称して乾字金(
 けんじきん)と呼ぶ。
  乾字金発行に際して、元禄二朱判は通用停止となった。
  市中では依然として良質である慶長金の退蔵が行われ
 ていた。
  幕府は、これを引き出させようと色々したが、効果は
 薄かった。
1710年4月、萩原重秀(おぎわらしげひで)を罰す、
  1709年に綱吉が死去し、家宣の将軍就任後は、新井白
 石などの家宣の近臣たちとの関係が悪化した。
  そして、この年に、張り紙値段を勝手に引き下げよう
 として、将軍・家宣への拝謁を禁止された。
  しかし、わずか4日後には許された。
  そして、12月11日には、500石の加増を受けた(3700
 石へ)、
  1711年には、評定所での精勤ぶりを表彰され熨斗縮絹
 紬(のしちぢみけんちゅう)、越後縮(えちごちぢみ)
 などを与えられている。
  しかし、新井白石との関係は険悪で、度重なる弾劾を
 受け、家宣はついに折れて、1712年に、勘定奉行を罷免
 された。
  1713年に、没した(55歳)。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/
by suba28 | 2015-07-02 04:11 | 皆様とともに 幸せになりたい


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